期待や新しい時代への想いも、感動すらもなかった。旧東京タワーの二倍になるという。だから?どうした。
生きている以上、子供であろうが老人であろうが、魂のときめき方が変わるものではない。しかしこの先の日本を想像できないのである。少子高齢化も財政破綻も、きっと乗り越えられるだろう。でも、いくら楽観的に考えても、将来が映像として浮かんでこない。たおやかな、みんなでたすけあった世界、家の外に出れば、みんな知ってる顔があり、将来はきっと「鉄腕アトム」に描かれている未来があると信じて、貧しいけれどもたのしい夢の映像が、浮かんでいた。ぼんやりとした灯りでも、安心できる街のざわめきがあった。いわば、八木重吉の世界。
それが、、、たった半世紀で、こんなに荒涼とした日本になろうとは。
昭和を懐かしんで言ってるのではない。昔も政治は曖昧で、欺瞞に満ち満ちてはいたが、これほど人心が荒廃し、相互扶助、共生社会が崩壊するとは想像もつかなかった。弱肉強食「新自由主義」が、城壁都市の欧米はいざ知らず、桜の日本をこれほど蝕んでしまうとは。
日本病は修復できると信じたいが、荒廃した人心はもう修復不可能かもしれない。あらゆる政策も、また再びの政変も、あるだろうが、あの「日本」の風景(心象風景)は残念ながら、もう戻らない。
そういえば、今年度から、霧笛が夜霧の波止場から消えた。情緒や「無用の用」は経費削減というちゃちな発想で、消されていった。ついでに、人情も。そして日本も削除されようとしている。
亀山郁夫が言ってた
「今時の子供が描く『未来』は『鉄腕アトム』の世界ではなくて、荒涼とした草原」が本当なのか気になっている。
テクノロジーが「豊かにする」「楽しくなる」とは子供も感じていないだろうから、「そうかもしれないなあ」とは思うが、この有様から想像する未来を絵にすると、
子供は何を描くのだろうか。