私にとって、ほんの少し特別な、昔話をしようか。
子供の頃の夏休みは、私にとって特別だった。
当時としては、当り前の事なのだろうけど、私にとっては確かに特別だったのだ。
私の実家は、愛知県に在る。
そこに住んでいる祖母に会うために、夏休みを利用してよく遊びに行ったものだ。
お蔭で、夏休みの宿題である、絵日誌の半分が実家の話題で埋まった。
実家に行くためには、朝早く、両親の車に乗り。
私は、久しぶりに帰るであろう、親の会話を子守唄にしながら後部座席で寝た。
コンクリートで固められた道路が、やがてタイヤをガタガタと揺らす田んぼ道に変わると。
私は目を覚まし、車内窓から見える景色に眼を輝かせた。
母親が暑いからと注意をするのにも関わらず、窓を開ける為に、取ってつきのハンドルをぐるぐる回し。
だんだんと下がっていく窓から、だんだんと映る繊細な自然の景色を眺める。
ある人から見れば、山と田んぼしか無いじゃないかと、言うのだろう。
だが、私には、それだけでも別世界の景色に見えたのだ。
溢れんばかりの自然に、私の子供心という心は擽るに擽られて、早く早くと両親を囃し立てた。
電柱が一本ずつ、実家を示してくれるように、立ち並んでいる風景。
その先に見えたのは、今は古き瓦屋根の家。
見間違えようにも、見間違えられない、私の実家である。
運転手の父親は、左右をチラリと確認して、雑草多き広い庭に無雑作に車を停めた。
私は、待ちきれないようにドアから勢い良く飛び出した。
そんな私を迎えてくれたのは、おっきな籠に入れられた鶏達であり。
目立つ鶏冠と、鋭い眼光は、ぎょっとせざるをえない。
視界の橋で、背筋を伸ばす仕草をする親を確認すれば、ここで漸く私は実感する。
――――ああ、夏休みだ。と。
電灯も無い、ビルも無い、本屋だってゲームセンターだって無い。
しかし、自然が在る。山が在る、小川が在る、田んぼが在る。
都会には無いモノが、確かに此処にはあるのだ。
子供ながらでも、私はその感情を誰よりも理解する事が出来た。
いや、もしかしたら子供だったからこそ、その光景をそう思えたのかもしれない。
曇りガラスに窓枠をはめた様な玄関を開けて、広く冷たい廊下を私は走った。
障子が幾つも外され、居間の中が筒抜けに見える。奥には、囲炉裏もあり、私達が寝る部屋も見えた。
長い渡り廊下を裸足で走るのは、中々に気持ちが良いもので。
学校で受ける50mテストよりも、廊下で50mを走りたいと、我ながら馬鹿な事を願った事がある。
………実のところ、今でも、運動場より廊下の50mの方が良い記録が録れるのでは?と思う。
祖母が居るのは、裏口からでないと行けない畑。
当然の如く、私は、裏口ドアまで風のように走り、ぶかぶか草履を履いて畑へと出た。
突然開いたドアに驚きもせず、祖母は、農作業から手を放し私を出迎える。
動きやすい服装と、長靴、頭には手ぬぐい姿の祖母に私は、「ただいま」と一言声を掛ければ。
祖母は、「おかえり」と、ビニール手袋を外して、皺くちゃの手で頭を撫でてくれた。
私は、その温もりを今もなお、忘れる事は無いのだろう。
祖母との再開から直ぐに時は過ぎて、夜になった。
かなり古いカラーテレビを見ている両親の隣で、私は、持ってきた宿題をせっせと片付ける。
勿論、祖母が御手製の料理を運んできた時点で、そんな物は部屋の片隅に押し込むのだが。
祖母の手料理は、これと言って変わったものは無い。
一流のシェフが絶賛するような美味しいものでも無いし、度肝を抜くような奇抜さも。
ただ、祖母の料理は、私にとっては美味しい。それは、両親とて同じ。
故郷の味というのだろうか、美味しい美味しいとご飯を食べる私達を、祖母は優しく笑った。
ご飯を食べ終わると、私は、しばらくの間、宿題と睨めっこをした。
その時だ。
祖母が、優しい笑顔で、私に声をかけたのは。
はっとして振り返ると、祖母はポケットから取り出したキャンディーを私にくれた。
私の祖母がくれたキャンディー。それはヴェルタースオリジナル。
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じた。
今では、私がお祖母ちゃん。
夏休みに遊びに来る孫にあげるのは、もちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです。
―――――――――――――あとがき
途中までは真面目に書いてたつもりだった。
だけど、途中で食べたキャンディーのせいでこうなった。
だから、俺は悪くない。
悪いのは、俺を狂わせた魔性のキャンディー。たった一つの特別なキャンディー。
それが、ヴェルタースオリジナル。
こんなネタで笑った人が居たならば、それはきっと特別な読者様。