ありえない。
気がついたら赤ん坊になってよちよち歩きをしていた。
赤ちゃんプレイをしていたとか、そんな変態染みたちゃちいもんじゃねえ。
意味が分からないだろうが俺だって混乱しているんだ。
お決まりの言葉がグチャグチャになるくらいには、な。
まあ、実際おぼろげながら記憶はあるのだ。
ただ、自分の意識がはっきりとしていない曖昧すぎるもので、今の今まではっきりと意識が覚めていなかったというだけで。
言っちまえば寝ぼけていたようなもの。
そして今は、寝ぼけ眼に冷水をぶっかけられて目を覚ました感じ。
あの時の気持ち良かったのは羊水だったんだ、などと思いながら俺の手を見詰める。
どこぞの探偵のように怪しげな薬を飲まされて体が縮んだのかと思ったが、確りとミシシッピの水の冷たさを覚えているし、この体を見ればそういうことではないのは分かる。
鏡に映る自分の姿を見て愕然としたのは、今もなお鮮明なまま残る記憶だ。
まったくと言っていいほど俺の小さい頃には似ていない顔。 唯一似ているとすれば、この黒い髪くらいなものか。
それが決定打だろうか。 この世界が自分の居た“普通の”世界ではないということを認めることに対する。
そしてどこか見覚えがある世界だと思っていた。
見覚えがある――いや、そんな確かなものではなく、誰かから伝え聞いたようなおぼろげ感覚。
そういう感覚の引っ掛かりを持ったまま、荒廃した大地を見て、俺の住んでいるこの都市がレギオスと呼ばれる移動式要塞都市である事を知った時、ようやく理解した。
ここは、【鋼殻のレギオス】の世界なのだと。
全てが小説通り、まるっきり同じなのか、それともただ似ているだけなのかは分からないが。
此処が本当に【鋼殻のレギオス】の世界なのか、それに類似する世界なのか…
まあ、胡蝶の夢という線もあるが、こんな状態でも夢が覚めないことを考えると違うのだろう。
しかし、これはある意味幸福なことなのかもしれない。
一度目の人生であんな結末を迎えたのだ。
二度目のチャンスを貰った以上、まともな人生を歩むのも悪くはない。
そう自分に言い聞かせる。
というか、言い聞かせなければやってられない。
俺が生まれてもう十二年。
俺の意識がはっきりとして、もう十年。
なぜこんな昔に考えていた事を思い出しているかというと――――一種の走馬灯だったりするんだろうな、これは。
「ほら、ツヴァイ。 この暑い日に冷たい床で寝るのもいいけど、風を引いたらどうするの」
麗しい姉君の声が、俺の頭の上から聞こえる。
けして俺より姉の背が高いというわけではない。
ただ、俺が真っ直ぐに立っていない、というだけだ。
というか、俺は大絶賛ぶっ倒れている。
「折角私が貴方の鍛錬を見てあげているのだから、少しは私に良い所でも見せなさい、男の子でしょ?」
螺子が一本といわず五、六本ほど抜け落ちている我が麗しの姉君は、溺愛している(本人談)らしい俺に対してというか、俺の為に俺を鍛えている最中だった。
『Re:write』
第一章:ビギニング・セカンドライフ (01)
何時もの日課のように弟の鍛錬に付き合っていたアルシェイラは、涼しい顔をしてティーカップを口元に運ぶ。
つい先程まで一方的にツヴァイをボコッていたとは思えないほどに疲れを見せず、また汗さえかいた様子がない。
まったくもって化け物だった。
巧みの作意が散りばめられたそのカップに注がれた紅茶は入れられたばかりである事を主張するように温かな湯気を立ててソーサーに置かれる。
彼女の口元には綻び。
「しばらく飲まないうちに随分とお茶を淹れるのが上手くなったわね、ツァーリ。 お姉ちゃんびっくりしちゃった」
そう言う彼女は本当に感心するように、テーブルを挟んで対面する12歳ほどの少女に微笑む。
少女は嬉しそうに顔を綻ばせる、などということはなかった。
ただ、溜息を吐く。
アルシェイラに似た黒髪は、姉である彼女とは真反対に癖がなく綺麗な直線を描いてその腰で揺れる。
「その言葉は先々週にも頂きましたよ、姉様。 リンテンスさん風に言うなら二万とんで百六十分前にも同じ言葉を聞きました」
「それってびみょーに長いのか、分かり辛いわよね」
「確かに」
「まあ、でもリンみたいに秒にまで直さないだけましか」
「そんな面倒臭いこと、リンテンスさん以外にしませんよ」
そう言って姉妹が笑いあう。
しばらく笑いあって、アルシェイラは笑いすぎて喉が渇いたのか、また紅茶に口を付ける。
そんな姉を見ながら、ツァーリ――ツァンヴァレイ・アルモニスは口を開く。
「姉様」
「どうしたの?」
妹に呼ばれて紅茶を飲まないまま返事を返し、また一口含む。
「家出をしようと思います」
何気なく、本当に何でもないことのように言った。
言った瞬間、アルシェイラはカップを口に運び口の中に含んでいた紅茶を吹いた。
それはもう、盛大に。
対面するツァーリの顔面に向かって霧状の紅茶が降りかかり、両目に入り込んだ。
「目が、目がぁあああッ!?」
紅茶の中に入っていた糖分が目の粘膜を刺激し、無駄に痛い。
何処かの人のように叫びながら、イスから落ち、大理石で出来た床と高級品である事を控えめながらも主張するカーペットの上を転がりながら往復する。
砂糖の痛みに慣れてきて、涙が洗い流してようやく、ツァーリの回転が止まる。
アルシェイラはアルシェイラで、妹の爆弾発言に紅茶が変な方に盛大に入ったのか、未だに咳をしている。
ツァーリが席に戻り、顔に付いた紅茶と流した涙をハンカチで拭き終わり、ようやく息も絶え絶えにアルシェイラが落ち着いた。
咳だけは、だが。
「ちょ、ちょっと。 家出しますって、そんなこと宣言するようなこと?! というか何で!? なんかコック長のイヤラシイ目線を感じるとか、そんなことが発端??!」
「まず、落ち着いてください、姉様。 ほら、ひっひっふー、ひっひっふー」
「ひっひっふー、ひっひっふー。 ってこれ妊婦がするアレじゃない! じゃなくて、なんで!?」
妹の何処かずれた対処にツッコミを入れて、ずらされた本題を突く。
「いえ、他意はありません。 前回、前々回と黙って家出したときには随分な大騒ぎになってしまいましたし、主に姉様の周りだけで」
「うっ…」
そう言われてみれば、そうだったかもしれないとアルシェイラは思う。
しかし仕方ないことだろう。
随分歳の離れた姉妹なのだ。
二人の両親もツァーリを産んですぐに他界し、実質アルシェイラがツァーリの母親のようなものだったのだから。
溺愛していたし、自慢の妹でも、娘的存在でもあった。
だから急に居なくなって驚いたのだ。
そして寂しさと不安のあまり、盛大に騒いだ。
騒いで騒いで、騒ぎ抜いて、呆れ果てたツァーリからの手紙が届いて何処で何をしているのかを知る事が出来た。
それが過去二回目の家出の様子の一部。
だからこそ、今回は先手としてツァーリは宣言したのだ。
『家出をします』、と。
しかしそんな事を唐突に言われて驚かない者も居ないだろう。
というか、家出しますと宣言すること事態、人類史上前代未聞のことではなかろうか。
そんな風に思考が脇道にずれていたアルシェイラにツァーリが軌道修正を図る。
「今回はもう既にアポは取ってあるので、今から持っていくものの準備をして、明朝に出て行くだけですので」
「もう……。 止めても聞かないでしょうから仕方がないけど、そういうことはもう少し早くお姉さんに言って欲しいな」
「次回があればそうします」
「で、今回はどこに行くの?」
「偶々散歩をしていたら見つけたのですが、サイハーデン刀争術の道場に行くことにしました。 師範は デルク・サイハーデン。 長い歴史を持つ刀技の流派サイハーデンの正統後継者だそうです」
「ついこの間は、リンと意気投合して色々な交換条件に鋼糸の使い方を学んで、五ヶ月ほど此処を留守に。 二年前はミッドノット、四年前には銃衝術と念威について、スワッティスとキュアンティス。 六年前にはルッケンスの門を叩いて。 あ、始まりはカナリスに教わった殺剄だったわね。 で、今回はサイハーデン刀争術。 ちょっと習い過ぎなんじゃない? どれか一つに絞った方が効率も上がると思うんだけど。 現にさっきの――」
「私は常に二番手。 そう自分自身で認識していますので。 だからこそ全てのものに手を出して、器用貧乏になってみようかと」
そう言ってツァーリは初めて、紅茶に口を付けた。
自分で淹れた紅茶は随分と味気ないものだと、そう思った。
何時もの日課のような姉の鍛錬という名のシゴキを耐え抜いた俺は今、のんびりと散歩をしていた。
全くもって化け物だ。
そう愚痴りながら、いつもは通らない小道に足を伸ばす。
この世界で生れ落ちて誓った通り、俺は前の世界とはまるで逆の生き方――つまりは真面目に生きている。
真面目に生きる為に、俺は力が必要だと思った。
この世界では力がないものは、あっけなく死んでいく。
それは前生きた平和な世界の比ではなく死に易いということ。
当たり前だ。
この荒廃しきった世界では、人間は生身で外を歩く事が出来ない。
汚染物質と呼ばれるものが世界を覆い、人間は世界から追われる身となった。
しかし一体誰だったか忘れてしまったが、多くの移動式要塞都市レギオスを造り出し、人々はその中で暮らすようになった。
幾千幾万と、星の数ほどあると言われるレギオスに我々は頼って生きているわけだが、問題は色々とある。
その最もたるが汚染獣。
この汚染物質の充満した世界で唯一まともに生きる事が出来る生物。
それどころか一利どころか百害しかない汚染物質を喰らって生きているほどのキチガイ生物。
そいつらは汚染物質だけを食っておけばいいものを、それだけでは満足せず人間を捕食する。
そして強烈な環境に適合できる汚染獣に一般人が敵うわけがない。
まだエイリアンやプレデターといった異星人系の奴らとよろしくやってるほうが気楽だろう。
恐怖の対象なのだ汚染獣というものは。
人などと比べることさえ馬鹿らしい巨大な汚染獣に、一体どうやって対抗しろと?
核爆弾? テポドン?
そんなものはこの世界にはない。
最早過去の産物なのだ。
それでは銃で?
確かにこの世界に銃はまだ存在する。
しかし数に限りがあるし、ウルトラマンやバルタン星人並にデカイ化け物相手にそんなものが効くはずがない。
一般人には対抗手段がないのだ。
彼等はただ汚染獣に見つからない事を願っていることしか出来ない。
しかし見つかってしまえば、無慈悲に不条理に汚染獣に蹂躙され、食い尽くされる。
あっと言う間に人類が滅亡してしまいそうなものだが、世界はそこまで無慈悲に出来てはいないらしい。
世界に汚染物質が撒き散らされたあと、人間側にも変化は起きた。
剄と呼ばれるエネルギーを発する人間が出てきたのだ。
剄脈と呼ばれる臓器を体に宿し、人間とは別のナニかへと、汚染物質が人を変えた。
それは使い方によっては人を超人的なまでに強くする。
それこそ、汚染獣を殺すまでに、だ。
全てのものに剄が扱えるわけではない。
数少ない――のかどうかは分からないが、剄が使える者、それを皆、敬意を込めて――【武芸者】と、そう呼ぶ。
そして俺は呼ぶほうではなく、呼ばれるほう。
だから単純に言ってしまえば、力を求める資格があるわけだ。
そんなわけで、俺はこの世界で真面目に生きていくために勉強をしたり鍛錬を積んだりしている。
わけなのだが、俺も今年で十二歳になり、真面目に鍛錬を積んだのと、自我が既に完成しているために取捨選択する事が出来ることから、相当強い部類に入っているはずだ。
はずなのだが、毎回鍛錬で一方的にボコられ、まったくと言っていいほどに汗をかかず涼しい顔をしている姉を見ると、その化け物振りが窺える。
取りあえず、あの地獄の悪鬼のごとく強い姉のことは置いておいて、俺の人生プランについて考えようか。
当面の目的としてはやはり、ここ槍殻都市グレンダンで力を付けて、天剣授受者になることかねぇ。
天剣授受者とは簡単に言えば、ここグレンダンにおける最強であることに対する称号とでも言えばいいか。
特典として天剣という素晴しい武器がついてくる。
天剣が十二個しかないため上限十二人という狭き門なわけだが、グレンダンではそれは崇拝の対象といっていいほどに絶対的な存在なわけだ。
そんな事を考えながら歩いていると、ふと、目に一つの道場が止まった。
見つけたのは偶々だった。
活気があるとは間違っても言えないし、随分と寂れた感のある道場。
まだ経営が続いている事を示すように、中から空気を切り裂く音やら、何かがぶつかり合う音が聞こえる。
しかし、その中で剄が随分と篭っていることに気付く。
半端な量ではなかった。
だからこそ、目に止まったわけだ。
興味本位で入り口に近づいたら、受付のお姉さんがこっちに気付いたのか声をかけてきた。
丁度お姉さんも暇していたらしく、軽く『今日も暑いですね』という天候に関する話題から入っていき、日頃の世間話をしていてようやく互いに名前を名乗った。
「いやー、それにしてもルシャさん。 随分とここは寂れてますけど、受付なんて必要あるんですか?」
「ツヴァイ君、そういうことは思っても言わないのがお約束と言うのものだと思うんだけど」
ルシャさんの苦笑いをするのを見る視界の端で、奥の道場の扉が半開きになっているのが見える。
扉一枚先で、子供たちが木刀片手に素振りをしているのとか、そんな感じの稽古風景が広がっているのが想像に容易い。
「なんかさっきからチラチラ見えてるんですけど、稽古つけられてるの子供ばかりじゃないですか。 子供教室か何かですか?」
「いやいや、そんな選り好みなんてしてないよ。 ここ一応身内だけでやってるだけのようなもんだから、子供ばかりになっちゃうのさ」
「身内だけって、ご近所さんとか町内会とかそんな感じのやつですか?」
いくら大家族でも、それだけでこの道場にいる人数は多すぎる。
気配的には大人が一人と子供が12~3ぐらい、と大雑把に判断。
最低でもここの受付をしているルシャさんを含めて14人になる。
そんな大家族がここグレンダンで食べていけるのか、果てしなく疑問だったりする。
ちょいと経済的に厳しいからな、ここは。
「そんなんじゃないよ。 ただ家が孤児院だからね。 そこの園長さんがたまたま武芸に精通しているから、って将来武芸者になりたい子達に教えてるだけ」
そういうルシャさんの言葉に、随分と擦り切れてきた前世の記憶が甦る。
あれ、なんか、これって…
いやまさか、こんなご都合主義的なことがあっていいんだろうか。
まあ、俺の今の立場的にも既にどんだけご都合主義なんだよと突っ込まれそうなものだが。
「あの…ルシャさん?」
「うん? どうしたのツヴァイ君」
「ここって、何の道場なんですか?」
俺の呼びかけに、にこやかに答えたルシャさんに、恐る恐る聞いてみた。
「あれ、言ってなかったっけ。 ここはサイハーデン刀争術って刀技の道場だよ」
「ルシャさん」
俺はそう言って彼女の手を握り締める。
突然の行動に戸惑うルシャさん。
しかしそんなことはどうでも良い。
この感動を彼女に表さなければ!
そう思った俺はとりあえず、一番記憶に新しい、というか最後に見たアニメの主人公が言っていた言葉を思い出す。
思い出して、口走ってしまった。
「貴女は今日の…女神認定です」
「……はい?」
俺のその言葉に、変な顔をされたのは言うまでもなかった。
あとがき
はい、朝市です。
なんと言いますか、チラシ裏に投稿しようとしたこのSS、何の拍子か間違えてその他の方に投稿してしまったので、こちらに移しました。
と言っても、移す操作をしたのに何故か移らずに消えてしまうという現象が起きたので、メモ帳からコピペしてますが。
取り合えず一人の方からタイトルに関する苦情が届きましたので、タイトルを変更させてもらいました。
それではご縁があればまた来週。