6/2:01234投稿
6/4:まえがき・全話微修正 567投稿
6/6:6微修正 8投稿
6/8:012タイトル微修正 7表現緩和 9投稿
ダラダラ書くのもなんだし、好きになった人は見て嫌いになったら見るのやめればいいと思うよ。
今のサブタイトルは【刻みネギ】です。
嫌な気配を感じたらすぐに逃げるように。
――――――――――――――――――――
我が二度目の人生最絶頂期。
明日から始まるであろう非日常にワクワクし、かけがえのない仲間を得るドラマに期待していた、そのまさにわが世の春が来た~と叫ぶほかない日から。
俺は、約二日でどん底に落ちた。
さて、その時のことを話す前に、何点か伝えねばならないことがあるだろうから、とりあえず自己紹介でもしておこう。
俺は太陽系惑星地球の日本国出身の生粋の日本人で、中流家庭に生まれ、高校中退後、フリーターをしながらのんべんだらりと日々を過ごし、趣味はパソコンと酒、特技は暗記と早寝の20歳『だった』。
だった、というからには今は違うわけで、今現在の自分は学生をやっていたりする。
勿論それがただの定時制高校や大検とって大学に通っている~などという、ある種平穏な状況なわけもなく、いわゆる『魔法学校』に在籍しているのであった。
魔法。他人から聞いたら、病院を勧める以外の反応が出来っこない単語だ。
だが、その単語を幼馴染から、そして、良くしてくれた従姉さん爺さんから聞いたときに俺の脳裏によぎったものは、『恍惚』だった。
やはり。案の定。予想通り。
そんな単語が浮かんだあと、自分の幸運さに身悶えしたのだった。この時は。
まぁ、周囲の状況も解らないまま俺の主観なんて聞いても楽しくないし、意味不明だろうから省くが、端的に言うと俺は一度死んで、生まれ変わった。
『ネギ・スプリングフィールド』として。
◆プロローグ・エピローグ◆
良くある話だが、不幸体質、というものがある。
一生の間に三回以上自動車に轢かれれば間違いなく不幸だし、旅行を予定していた日に雨が降るのも、数量限定品を買いに行くと自分の前の人で売り切れになるのも、もっと小さな不幸なら、教師に指名されやすいというのもある意味不幸だろう。
携帯を落とす、財布を落とす、単位を落とす。みな不幸だ(最後は自業自得とも言う)。
中学時代まで、そんな自分の不幸を意識したことはなかった。
両親ともに存命で、五体満足で産み落としてくれた母には感謝しているし、幸いながら勉強が嫌いな方ではなく、運動も好きで、自分で言うのもなんだがユカイな性格をしているのは自覚していたので、いつもクラスの中心にいると自惚れていた。
だが、人間というのは得てして他人よりも優れていると思う為に、相手を下にしたがる生き物だ。
それ以前から自分の不幸にまつわる珍事は割と有名だったようだが、ある事件をきっかけに『近づくと不幸が移る』なんて噂が流れ始め、友人だと思っていた人たちもそれを境に離れていった。
そこからの転落人生に語るべき事もない。
きっかけはどうあれ割とよく聞く話だし、不幸自慢は不幸同士でするものだ。
まぁ、そんなこんなでのぼ~っと生きていた筈だったのだ。
それがいつの間にか気づいた時にはネギ・スプリングフィールドとして生きていて、周囲の状況から、自分がただの同姓同名のソックリさんではなく、『ネギま!』世界の『主人公』に転移していたのだと気づいたわけだ。
そこからの生活は厳しかった。
安心なことに、『俺』の記憶と『ネギ』の意識が混ざり合い、完全に『自分』として意識しだした時には既に例の襲撃イベントは終わっているらしく、手元にはナギの杖があり原作1巻までは“縛り”の無い自由時間だったので、考えるべき事もあった自分はラッキーだった。
が、自分は『ネギ』として過ごさねばならない。
つまり、原作に関わろうが関わるまいが原作ネギ程度の戦闘能力が無ければ即DEADというわけだ。
それに付け加えて、メルディアナ魔法学校卒業までに飛び級になれる学力もつけねばならないだろう。
この世界が『ネギま!』世界だとしても、世界の修正力を当てにして好き勝手やったままでは、麻帆良学園赴任ルートに行ってもクラスに相坂とエヴァンジェリン・茶々丸しかいないのでは笑いも起こらない。
神楽坂明日菜がまだ居たら笑えるが。留年的な意味で。
まぁ、それに関してはネギの頭脳と俺の努力により、十中八九通過できるとは思ってはいるのだが……。
それにしても、答えが解っているというのは、イージーだと思う。ただ、解っていても正解にたどりつけないものがある。円周率とか。
円周率の小数点以下を言えない人間と、たった三桁でも出てくる人間、そして十桁以上ひねりだす人間の差。それは努力であると思っている。
いざというときに選択肢が一つしかないというのは勘弁してほしいので、幼少時はとにかく学んだ。
鍛錬に次ぐ鍛練、勉強に次ぐ勉強。修行に次ぐ修行。
特に治癒魔法は徹底的にやった。
東に病気の子供がいれば治癒魔法の練習台にし、西に疲れた母がいれば練習台にし。南に死にそうな人がいれば蘇生魔法をかけ、北に喧嘩があれば嬉々としてポーション役を買って出る。
さういうひとにわたしはなりたい。
という感じで、原作このか涙目の癒し系魔法ショタっ子として活躍していた。
だって、痛いのは好きじゃないし、結構努力していたと思われる原作ネギでも、大火力魔法でドカーン! 終了! なんて戦闘無かったし、それはつまりどんなに努力してもある程度は痛い目見なきゃいけないということでは? と考えたわけだ。
なら、その痛い目を見るのを他人任せにし、自分は後方支援に徹する。
なんていう完璧な作戦。死にたくないでござる! 死にたくないでござる!
失礼。
まぁ、とにかくそのためにも捨て駒……ゴホン……盾役……ンンッ……仲間……そう仲間! 仲間が必要なのであって、ある程度事情を知っている俺ならニコポナデポミルポカコポ応用してすぐに「ぼくがかんがえたさいきょうのネギま部」を作れるであろう。
そう考え、そういう選択肢を選んだ。そして、まず“間違いなく”上手くいく計画だった。
そう思っている時期が、俺にもありました。
てことで冒頭に戻るわけだ。
メルディアナ魔法学校から申しつけられた修行、“日本で先生をやること”。
これを見てからの人生は、今までで一番輝いていただろう。
日本行きの日まで、アスナとイチャイチャしたり、このかとチュッチュしたり、茶々丸を巻き巻きしたり、エヴァをナデナデしたり、那波にパフパフしてもらったり、ちうたん(笑)を身内バレさせる空想をして気を充実させ。
さ~て、次回のネギまさんは? 『お子ちゃま先生は魔法使い!(性的な意味で)』『ドッキリ図書室危機一髪!?(性的なry)』『おフロでキュキュキュ♥(性)』の3本で~す。うふふふふふふ。とか妄想して楽しんでいた。
それが幻想であるのに気づいた最初のきっかけは、日本に到着し、麻帆良学園中央駅を下りた時、だと思う。