「戦争がなくなりますように」
私の願いは単純だ。
その願いのために私は、この身一つで世界を巡る。
終わりなき、戦争。
終わりなき、闘争。
終わりなき、悲しみ。
私は止めねばならない。
人と人が争い合う、この「戦争」という悲しみを。
人が人と争い、お互いに殺し合う。
それは誰かにとっての大切な人を奪う行為に等しい。
例えば、誰かを殺したとしよう。
そのもの言わぬ死体にも家族がいただろう。
既に頭蓋のない死体にも愛する者がいただろう。
目の光を失った死体にも故郷で誰かが待っていただろう。
故に誰かを殺すのは、その誰かを大切に思っている者から奪う行為なのだ。
故に私は戦い続ける。
いずれ、戦争を止める為に。
故に私は殺し続ける。
いずれ、戦争を止める為に。
故に私は堕ち続ける。
誰かから大切な者を奪うという己の最も嫌う悪へと、堕ち続ける。
いずれ、戦争を止める為に。
Prologue 〜十年前 ten years ago〜
遡るは十年前の事だった。
海と山に囲まれた日本のとある都市、冬木市。一つの橋で二つに別けられたこの都市の中でも割とビルが連立した中に一つのマンションが建っていた。
その一室で一人の男が苦悩していた。
月が昇りカーテンの隙間から漏れる月光は男の前で静かに眠る彼の妻子達を照らしている。
完全に寝静まった家族を背に男は一人忍び足でベランダに通じる窓を開く。
マンションの最上階に住む男は見下ろす街の空気が最近おかしいことに気がついていた。
妙にぴりぴりとしたどこか張りつめた空気、それは日常の中ではほとんど感じないほどの微量な違和感。
だが、その張りつめた空気は夜が更ける度にはっきりとした物になっていく。
そしてそれは日を追うごとにより張りつめていくのだ。
男はそれの正体にある程度予想がついていた。
聖杯戦争
男の弟が珍しく自分の元に連絡を寄越した際に電話口でたった一度だけ呟いた一言だった。
男はその不穏な言葉の意味を訊ねたが、弟は笑うだけだった。
嫌な予感がする。
残念ながら男のこの手の予感は大抵当たるのだ。
男自身もその事を理解してはいたが、未だ表立った事件も無いので家族には言い出せずにいた。
実際この都市に引っ越してから大きな事件はなかった。
妻と二人の子供を連れてマンションからマンションへと引っ越す下級官僚生活。
それも男がある程度の地位に就いたことで収まりつつあった。
出来れば引っ越しはこの都市で最後にしたかった。
息子と娘のためにもここで根を下ろせればいいなと思っていた、こんなあやふやな「予感」だけでは引っ越しなどしたくはなかった。
ただ、弟の竜之介は言った。
『旦那と俺の生み出す芸術を見てくれよ』
その言葉は何故か「聖杯戦争」以上に恐ろしかった。
十数年前に弟と最後にあった時弟は何かに取り憑かれたような言動を垣間見せていた。
故にその「旦那」と言うものが気になったのかも・・・。
「っ!?」
ふと、何かが視界の端を動いた気がした。
目を凝らしマンションの近くにある公園の木の影を見つめるが・・・気のせいだったようだ。
男は少し夜風に当たりすぎたと思いつつ妻子の眠る寝室へと戻って行った。
男が去った後、闇の中の影の中の更なる闇がするりと動いた。
それは百の内の一だった。
それの任はただ一つ、諜報。
百の内の最弱の一を捨て、脱落したように見せかけることで存在せぬ存在として冬木市のありとあらゆる場所にいたそれらは一人の男がマンションの一室に戻るのを確認した。
それは少なからず驚いていた。
諜報に徹する限り、同じ存在である他の六騎にさえ気付かれぬであろうそれを一瞬だけでもあの男は察知した。
危険だ。
存在を悟られぬ事こそが第一のそれにとって、それを察知した男は危険だとそれは考えた。
そしてそれは即座に己が主に問う。
殺すべきか否かと。
主の返答は早い。
否、我らは諜報係。無駄な殺傷で他に気付かれてはならぬと。
それは一瞬の逡巡を見せたがすぐにその場を去った。
ただ一応、とその男の名前だけは確認する事にした。
そして男の名字をポストの一つから見つけた。
そこには筆で「雨生(うりゅう)」と書かれていた。
数日後、男の家には妻の母親が来ていた。
その日家族で映画を見ることになっていたのだが、娘が風邪をこじらせて寝込んでしまったのだ。
せっかく取った先行試写会のチケットを無駄にするわけにもいかず、息子がどうしても見たいと言うので娘を義母に任せて親子三人で出かけることとなった。
そして、その帰りのことだった。
男は家族三人で火の海に飲まれた。
死ね・シネ・しね・死ね・シネ・しね・死ね・シネ・しね・死ね・シネ・しね・死ね・シネ・しね────
この世最悪の呪いが冬木市を覆っていた。