こんにちは、KJと言います。ここにはずいぶんと前からお世話になってきました。いつの間にか3年ほどたっているのでしょうか。たくさんの面白いものが今もなお続いています。読んでいる間はドキドキハラハラ、そんな楽しみが日々ありました。しかし、最近になって読む速度が上がったりしてしまい、時間に空きができてしまいました。この時間をどうすればよいのか。そう悩みました。私はきっと才はありません。それでも私のように時間に空白のできた方は読んでいただければ幸いです。そして私の世界に一秒でも浸っていただければ、ありがとうございます。そう言葉を送りたいです。最後にこれからどうぞよろしくお願いします。6月 8日 初投稿 10日 文章を見やすく修正
へし折れた幹にこの身を預けながら空を見上げればどんよりと曇っている。 星たちはたまに瞬きをする程度。 折角の満月の日だったはずなのに、月はとっくの昔に顔を出すことを諦めてしまっている。 それでも、昔に比べるとほのかに明るかった。 ほんの少し昔までは、まったく何も見えなかったのだ。 ほんの数年前、私にとっては一瞬と言っていいほど。 そっと近場の岩に眠りこけている娘を眺める。手には私の髪の毛が、優しく握り締められている。 まったくもって愛しくとてもかわいい私の児だ。 この娘を守るためになら、私は誰であっても迎え撃つ。たとえ、百年ほど棲んでいたこの森をこのようにしたあいつと再び見えたとしても。 たとえ、この身を失くしても。 視線をちょっとでもそらせば、その傷痕はいやでも目に入る。 倒されたままの木もあれば、抉り取られているものもある。 あのときから変わっていない。後ろの大木もそうだ。 唯一私が進んで元に戻したのは、長い長い髪の毛だけだ。 そう思いながら私は一房だけは動かさないように気をつけて顔をうつむかせる。 私の全長よりも長い髪の毛が池に広がっている。これだけを再生するのにいったいどれほどかかったか。 おそらくこの森を半分ほどは直せたかもしれない。 しかし、短い毛を見るたびに泣きそうな顔をしてこちらを見上げてくる娘の顔には堪えた。 それに正直不安でもあった。 私には力が必要だった。 私の髪の房が数個集まれば、この辺りの木でもなぎ倒すことができる。 現に倒されたいくつかは私がやったものだろう。 そんな考えを起こしているとあのことをいやでも思い出してしまう。 今とは間逆のよく晴れた昼間であった。 なついてきた娘は鬱蒼とした森であるもの少しは広けたといえる場所にいた。 そこは私の背にしている大木の後ろであり、今と変わらず、いや今よりも小さい手で私の髪の毛を握っていた。 私は増えてきた来訪者を迎え撃つため池で待ち構えていた。 そしてその日は腐った欲にまみれた眼が最も集まった。 人も、獣人も、その中には誇り高かったはずの狼族までいた。 その日までにも、私をどうにかしようという者たちはいたが、今回は数が違いすぎていた。種族も多種にわたった。 なかでもおかしかったのは狼たちが人に媚を売っているように見受けられたことだ。 そしてこれもまた不思議なことだが、直接手に炎をちらしつかせていた男がいた。そいつが号令をかけると、皆呼吸を合わせていたかのように攻撃を開始してきた。 一番手はやはり狼族の男達であった。 剝き出された犬歯に、口からたれている涎。体を伏して真っ直ぐに私へと襲い掛かってきた。 やはり狼族は速い、私は到底追いつくことなどできない。 しかし目の前のやつらが襲い掛かってこれるのは所詮私の射程距離の一歩外まで。 勢いよく迫ってこれる自慢の足も、沼にとらわれては亀の速度と変わらない。 それでも諦めずに、むしろ眼に怒りをたたえて迫ってくるのは、狼の誇りを想起させるが、もう終わり。 私は今までに沼に散りばめていた髪の毛を数房ずつ、狼の首元めがけて躍らせた。 昼間とはいえ、この沼と同色の髪をよけるのはさすがといえる。 それでもいつまでもよけ続けることなどできない。まして、足を沼にとらわれているのであればなおさらだ。 あっという間に髪を首に巻きつけると、それからは徐々にきつく縛っていく。 その時点で先ほどから上方で獣臭さを撒き散らしていたものが動いた。いくら鬱蒼としていても、昼間には変わりがない。影のような服で、その者は機敏に私のほうへ向かってくる。 しかし、ここはもう私の城だ。 寸分のくるいもなく髪の囲いを組み上げ、沼の中へと引きずり込む。 それと同時に、分厚い筋肉で身と固めた猪族の男達が手斧を片手に迫ってくる。 後ろに控えていた人間たちも持ち前の技術を凝らして作ったのであろう弓を手に、数条の矢を放ってきた。 しかしそんなものを馬鹿正直になどくらってはいられない。 泡を吹いている狼を盾に矢をしのぐ。 まだかろうじて意識のあったものはうなり声を上げたが、そんなことは私も向こうもお構いなしだった。 猪はてっきり馬鹿正直に真正面から切りかかってくると思っていたのだが、そうはいかなかった。 ぎりぎり首を締め上げられない距離、沼の一歩外で止まると、人間の号令とともに全員一斉に手斧を振りかぶった。 誘い込むためにわざと開けていたことが災いとなった。 矢の雨とともに、手斧が太い軌道を描いて真っ直ぐこちらに向かってくる。「ぐっ」 思わず口から苦痛がもれる。 手斧の一本は髪で方向をそらし、一本は狼にあたっていく、しかしそれでも残った一本が身体に刺さる。辛うじて矢の方は狼で防ぎきり、その盾としても役に立たなくなった狼を、猪達の方へと力をこめて投げ飛ばす。 猪達は巻き込まれたが、炎を手に構えた人間が立てと言うと、今度は先ほどよりも大きな斧を肩に構えた。 私は刺さっていた手斧を手に取り、人間に投げ返した。腹からは赤い血が流れ出ている。 手斧はあと少しということで、さっきは動きもしなかった蛇族の男がさっと身を躍らし、盾を構えて甲高い音とともに地に落とした。 それを確認するまでもなく、私は再び髪を力強く舞わせた。 何時までも相手の好きにさせているわけなどいかない。 髪は沼を超えて暴れだす。 再びこちらへ向かってこようとした、猪の足を払い、別の猪には頭に打ち付ける。 ぐっしょりとぬれた髪の毛はそれだけで凶器となりえる。頭に打ち付けられた猪は斧を地面に落とすと、ふらふらと沼地によって来ながらも倒れた。迷わず首を絞める。 人間たちはもっと簡単であった。少しかすっただけでもいろんな方向に飛んでいっていった。 指示を出していた男も人間だった。こいつだけは髪を燃やして対抗しようとしていたがそう簡単に燃えることなどしない。あっという間に熱を帯びた髪で捕らえ近くの木に打ちつけた。 獣人は数回打ち付けたところで死にはしないが、沼地まで来れば確実に息を止めれる。 後ろから人影の集団が見えるが、どうってことはない。 腹の傷はとっくに癒えていた。私は戦闘状態。油断はもうない。 たとえいくつの集団が来ても、相手してみせる。 おかしくなったのはいくつかの別の集団が現れた後であった。何回かの奇妙な集団たちを沈めていたら、今までの号令を放っていた男とは明らかに器が異なる男が私の前に現れた。 所詮は人だと思って、数房束ねたものをいくつか向かわせてみた。 しかし男は、斧でも槍でもなく、手に持っていた剣でまとめて切り裂いてくれた。再び向かわせてみても結果は同じ。 人なんて所詮は獣人に遠く及ばない、反応速度も、動作の速度も。 しかし隅のほうで、私に襲い掛かってきた獣人は、派手に吹っ飛んでいる、蛇族の男だ。 狼族には及ばないが反応速度と体力はかなりのものだったはずだ。 もう一度男に攻撃してみるも結果は同じ。 ばらばらに向かわせても、一つにまとめても同様であった。 いつの間にかあたりに立っているのは人の形をしたものと、その傍でじっとこちらを睨んでくる女だった。 とても活力に満ちていると感じれた。 幾度がそちらにも髪を放ったが、どちらにしろ前で人型が切り裂いていく。 その度に女はうれしそうにし、その後私をにらみ続ける。 それにしても全くおかしなものだ。 空はまだ青いのに獣人たちが立っていられなくなるとは。「所詮は使い捨てか。」 目の前のことを探っていたら、ポツリと人型はことをこぼした。「いい体の女だったから使いたくはなかったんだがな。」 自分に酔ったかのように人型がため息交じりでそういうと、傍らにいた艶やかな女は頬を紅にし、うれしいと呟いた。 その表情は長い間人を見ていなかった私でもわかるほど、恋慕の情が溢れていた。「さぁ、ここから始まりだ。」 かすかに甘い声をこぼした人間の女とは、対称的に私は原初的な恐怖が、背筋を伝っていくことを留める事ができなかった。 反射的に髪が蛇のようにうねりをあげた。 「ハァッ 」 二歩は確実に離れてはいた。 それでも、私の目には私の髪の毛がばっさりと切られていた様が映った。 信じたくはない。そんな思いが私にもう一度同じ行動を取らした。 剣の刃の間合いの外なのに、人型が再び剣を振り下ろした。 次は十歩を超えていた。 あと少しで沼地から私の距離。 人間の女が膝を着きはじめたが、そんなことどうでもいい。 私は乱雑に、我武者羅に人型へと髪の矛を向けた。 せめてひとつでも絡みつくようにと。 人型は私の意識できる許容量の手数と同格だった。 あちらは四方八方に剣を振り回し進めず、私は後一歩が届かない。 切られた髪の再生は自然に行われてはいる。 しかし、消費に追いつかない。 いつかは・・・、とかすかに頭によぎったとき。「お母さん」 愛しい、愛しい、守るべき私の娘の声が耳に聞こえた。 若干上ずった声に私の意識は傾いてしまった。 失敗を悟る間もなく風が動いた。 人型はすでに私を射程距離に入れている。 最短距離で髪を人型に向ける。 しかしそれをあざ笑うかのように、ぎりぎりより少し手前で奴は剣を振り下ろした。 あぁ、空気の割れる音が聞こえる。やつの剣筋は前方の私の髪を切り刻んでいき、この身に届くだけではなく、後ろの大木にまで悲鳴を上げさせた。「ッツアアアア」 先ほどの悲鳴とは比べ物にならない声が咽から出てくる。 何ともいえない感覚が私を食い荒らす。 大木はミシ、ミシ、と音を立てる。 そして既に、人型は再び剣を構えていた。「おかあさんっ、ダメっ」 私の視界に親しんだ黒が端から入ってくる。 言うまでもなく愛しき娘。 最悪のことが頭をよぎる。 はっと見れば既に上段に上げられた剣が。そして振り下ろされようとした瞬間、初めて娘を突き放そうとした時。「そんなのはいやぁぁぁぁぁぁあぁぁ」 私は突如現れた第三の声に驚き娘を抱きしめてしまい、……目の前の剣は振り下ろされた。「うくっ」 胸の中から小さなうめき声が聞こえた。 何も考えられなくなった。 唯一残っていた一房に渾身の力を込めて人型に打ち放つ。 人型は人間の女のほうを振り向いて怒鳴っている。 なんて言っているのかなんて聞こえない。「ヒィィッギャァァアアア」 そして、人型が気づいた時には私の髪はもう必中距離だった。 反射的に剣を構えるが、私は髪を戻すことなく人型に剣ごと叩きつけた。 剣は折れ、人型は無様な悲鳴とともに吹き飛んでいく。 だが、殺し損ねた。 私は無言で沼地を進み、陸に上がる。 そっと、腕の中の娘を寝かす。 髪の毛はもう舞わすことができないし、錘となって私を沼地に留めようとするだろう。 魚の体は陸では満足に動きはしないし、体の傷は私を蝕んでくる。 それでも進もうとした。しかし、体は動いてはくれなかった。 動け、動け、あやつは娘を傷つけた。蹂躙を繰り返し息の根を止めねば。 自分に活をこめても私は沼から出ることはかなわなかった。 自分への悔しさと、様々な憎しみを混ぜた目で人型をにらんでいると、人型が徐々に徐々に離れていき、やがては視界から消えた。 沼に引きずり込まれている最中あたりを見回すと、人間の女がまだそこに居た。まったく存在感がなかった。「まだ何かあるのか、人型の女」 棄てられたみたいだが、奴の仲間だった。 殺してやりたいほど憎い、しかし届かない距離なのは先ほどで明白だ。その分言葉に力をこめてはなった。 すると初めて目が合った。若々しい姿ではなく、老いた女だった。「私の首がほしいのか、それとも宝か、欲しければ近づいて来るがいい」 娘は血まみれで呼吸もない。 いつまでも人間に居座られては邪魔だ。 こっちからは手が出せん。もちろん首をやるつもりなど毛頭もない。 だから誘った。確実に討つために。私の腕が届くところに来させるために。 老女が立った。腰は曲がり、口でもごもごと呟いていたが、歩き出した。その歩みは非常にゆっくりとしたものであった。 時にふらつき、転倒していたがこちらに向かって来ていた。 今か、今かと待ち構えているとまた転びだした。転んだ先は娘の隣であった。「どうした、早く私の首を取るがいい。もはや死んだ私の子には興味がないだろう。早くこちらに来て名誉を得るがいい」 気が気でなくなった。 心にもないことを大声で唱えた。 しかし、あろうことか女は私の声を聞いて娘のほうを見直してしまった。 そして手が私の中で最も尊い宝に触れられた。「そこには何もない。誰が盾に物を持たせるものか。財宝はこちらだ。」 心が苦しい。 娘が盾などありえるか。私が娘の盾になるべきであったのだ。 己を痛みつけた言葉も、相手はまったく持って反応しない。私の言葉とは関係なしに胸まで手をずらしていき、勝手に呟き始める。 そして娘の体が跳ねた。 絶対に生かして返さぬ。その光景を見て私は心に誓った。 煮えくりかえる体内とは裏腹に表情は一切変わらなかった。 女はさっきよりも時間をかけてゆっくりと立ち上がった。 再び歩き出すのにはかなりの時間を要した。 一歩、一歩と進んでくる。もっとも長い時間だった。 やっと後一歩というところで、女は座り込んだ。「ごめんなさい。」 とても小さくしわがれた声であった。 だが心はこもっているような気がして、私は虚を取られて動きを止めてしまった。 その時、視界の隅でピクッと娘が震えた気がした。「おかあさん・・・待って・・・」 何かの聞き間違いか、いや聞き間違えることなどありはしない。 私が目を向けると、それに合わせたかのように、娘の体が起き上がる。「その人は悪い人じゃない」「ドーラ」 たまらず愛娘を愛称で呼んでしまう。 すっかり手は女の首元で止まっている。 この手に少し力をこめただけでこの女の息は止まる。 でも、もうできなかった。「その子は、…っ、もう大丈夫よ」 目前の女から相変わらずのしわがれた声が聞こえる。 そのとき初めて目が合う。 澄んでるとはいえないが、とても綺麗であった。「おかあさん、お願い」 そこで追い討ちのように娘からの訴えが掛かる。 女が言ったようにいつも通りの娘だ。 頑固な娘を説き伏せるには私の体は疲れきってしまっている。 しょうがない、とりあえずは。「よかった」 娘が生きていたことに感謝を。 気が抜けた私はそのまま意識が暗転へと向かっていった。 まどろみの中でどこかやさしい太陽のような暖かさを感じたのは気のせいだろうか。 最後まで名前も知らなかった女は少しの間この沼にいた。 私が短い眠りについていた時、娘とよく話し合っていたそうだ。 相変わらずの来客者もいたみたいだが、私は倒されたことになっているみたいだがどうでもよかった。 これから穏やかに過ごせるようにと、気を利かしてくれたみたいだった。 あの日から今日までまったく平和な日々が続いていた。 娘の顔がいっそう明るく見えてきている。 空は相変わらず真っ黒なまま変わり映えはしない。 変わってきているのはこの森。 だんだん赤に染まって来ている。 万が一のために作っておいた避難路が役に立つ日が来た。 もちろん使うのは私ではない。愛娘だ。 そっと頬をなでる。 ん、と息をこぼす唇。 私は桜色の唇を合わせ沼の底へと潜った。 底の底、たった一つの清く細い水脈、私の体はとてもじゃないけど通らない。 ドーラ、生きて、幸せに・・・ 娘の幸福と名残惜しさを胸に包んでいた髪の毛を解いていき唇を離す。抱きしめていた腕すらも解くと体と心にあったぬくもりとともに、娘の体も消えていく。 さぁ、底なし沼の餌食になるものたちよ、早く訪れなさい。 あなたたちがここに来たとき再び日は拝めない。 墓標は日の透らない暗い泥へ捧げるのだから。