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[7217] Challengers(VRMMO/習作)
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/04/04 21:32
 強く、冷たい風が頬をなでつけたので目がさめた。乾燥した目を何度か擦り、大きく欠伸をする。
 夜明けなのだろう、強い橙色の太陽が木々の切れ目から照りつける。光の強さに、思わず目を細めて手を太陽と目の間にあてがった。
 あたりを見回すと、薄い靄に身を任せる木々の姿があった。ここはどこだろうか? 当然の疑問が頭に浮かんだ。

 ゆっくりと起き上がり、深呼吸をする。新鮮で冷たい空気が肺を満たしてゆく。首を鳴らしてあたりをもう一度見回すが、この景色に覚えはない。
 はてな? 昨日の記憶を呼び覚ます。
 たしか、いつもと同じように予備校に通って、そして家に帰って『Challengers』をプレイした。いつもと同じように猟師の仕事をしていたと思ったのだが……。森の中で迷った猫をおばあさんに届けたところから覚えていない。
 おいおいおい、と。この年になって早くも老人化進むとはどういうことだ。山下誠、言わずもがな一般人。派遣切りが厳しい中、親のすねとまでは行かないが、足の指を食い尽くして、今にもくるぶしに襲い掛からんばかりのバイトで食いつないでいる大学生予備軍、いや……ストレートに一浪と言うべきか。こうやって身の上を思い返していくうちにはなんら支障はないみたいで安心した。
 ということは、なんらかの形で猫を届終わった後に意識を失ったのか?
 困ったときはウィンドウ、左耳だけにつけている地味なピアスを右の指で挟んで、そのまま右方向に引っ張った。
 基本であるウィンドウ表示は、各々でモーションを決定できる。やろうと思えば仮面ライダー変身ポーズでも出来ないことはないだろう。
 そのままアイテム一覧、ステータス、スキルなどの項目をスルーしてログオフを探す、探す……無かった。一回閉じて再び開いても同じだった。
 
 おかしい。普通ならばログオフが出来ない街中や、トライアングルサーチの付近じゃなくてもログオフの選択覧はある。あらなければいけない。だが、それがなかった。
 気のせいか、冷や汗が流れたような気がする。
 
 マップを開いて位置を確認する。現在位置は……アルフヘイムの東半分を覆うラインバーグという広大な森だった。
 記憶が正しい限り、自分が最後にいたのはラインバーグではなく、人間が治める国、ミズガルドの首都、カリザニアだ。
 交易が盛んで、全種族が入り混じって商売している。
 その首都の住宅街の一角に家を持つNPC……もとい、ご婦人であるアーミスト・ウィンディさんの猫、ヒューイットくんが持病の腰痛に効く薬を首都の真南にある森でとっている最中に逃げ出したということで、偶然にも居合わせた自分に依頼を受けたということだ。
 だから、仮に迷ったとしてもアルフヘイムにいるなんてことはありえないはずだ。それに、マップと同時に表示された時計を見たが、AM 7:30となっていた。
 受験勉強が終わり、ゲームをプレイしたのは〇時。このゲームには安全仕様上四時間プレイしたら強制ログアウトされ、そのまま仮想世界から現実世界に戻されるシステムになっている。
 それに、一度ログアウトしたら六時間空けないと再びログインできなくなる。だから、今ここに私が居ること自体おかしいのだ。
 どうにもたまらなくなり、オブジェクト化していた移動石をポーチから取り出し、握りつぶした。私の周りを目を開けていられないほど明るい光が包み込み、そのまま視界が白に塗りつぶされた。
 
 見慣れた噴水広場に移動石のおかげで移動した私は、同じようにここへやってくるプレイヤーを眺めていた。
 結構な数だ。パッと確認しただけで百人くらいいるんじゃないだろうか。首都を中心に活動している見知った顔もあった。
 各々が戸惑いの感情を隠しきれていない。かくいう私も表情には出さないものの、その中の一人だ。
 噴水の側にあるベンチに腰を掛けて考えていた。
 何故こうなったか、という疑問を自分の中で何度も反芻して、幾つか原因になるであろう事柄を並べていく。
 仮に、もし仮にだ。私が立てた推測が正しければ、パニックになる。Challengers内だけじゃない。外にも少なからず影響が出る。
 他にも同じような推測を立てた人はいるだろう。だが、そのような推測は口にしない。
 みんなパニックのきっかけになりたくないのだ。誰かが言うのを待っている。重苦しい空気が噴水広場を支配した。

『――やあ諸君。どうやら集まったようだね』

 バチリ、電子的な音をたてて、重苦しい空気を破って噴水の真上に現れたのは立体映像。椅子に座り、足と手を組んでいるさまはどこぞの貴族様のようだ。肝心の顔は仮面で隠れているが、その体格から男であるという目測はついた。両手を組んで考え込んでいた私は、真上を見上げる形になった。

『この映像は全プレイヤーに向けて発信されている。と、言っても一人一人別々に映像を見せるのは中々サーバの容量を食うのでね。先ほど丁度みんながいい具合にまとまったみたいだから発信させてもらった』

 声はよく響いた。ナレーターみたいにはっきりとした物言い。NPCに深く触れ合ってきた私には一言聞いただけでNPCだと判った。

『率直に言おう。君たちは閉じ込められた』



第一話「始まり」



 『Challengers』というゲームをご存知だろうか。

 まずはこのゲームが開発されるにあたってきっかけとなった物について語らせてもらう。
 VR-1000S。病院での長期療養生活を余儀なくされた人のために作られた仮想世界体験装置である。
 しくみを簡単に説明すると、半筒状のベットに患者を横たわらせ、備え付けの精神転送装置を使って仮想現実の世界にリンクさせ、患者の要望に応え、様々な欲求を解消する機器である。
 
 制作は『Lams』という当時は設立されたばかりだった会社である。表立っては言われなかったが、日本政府もVR-1000Sに関与していた。
 理由として様々な憶測が立てられているが、説として有力なのが日本の科学技術面での停滞を深刻に受け止めた結果、というものだ。
 そんなこともあって、無事にVR-1000Sは完成された。そして、日本はVR(ヴァーチャルリアリティ)技術において、高く評価された。
 VR-Sシリーズの八代目は、仮想世界体験装置の基礎開発が終わり、使用するにあたっての快適さに向け研究中の最中、依頼され作られたものだ。
 ゲーム会社の最王手、「MicroCyber」がLamsにゲーム用にと所望された事で制作が始まった。
 その事実は瞬く間にインターネットを介して伝わり、莫大的な認知度を誇ることとなる。そして時は2020年。世界最大のゲームショウで『Challengers』の発表が行われた。
 完成予定は約一年後。夢と期待に溢れたゲーム業界は、画して一大革命に曝される事となる。
 夢と希望。一年はあっという間に過ぎ去った。ゲームは完成し、最終調整のためのクローズドβテストが行われる事となった。
 

 
 夏の暑い昼下がり。遠くの家からラジオ放送が聞こえてきそうな雰囲気の中、僕は学校を出て家に向かった。
 蝉の鳴き声が五月蝿いが気にはしない。五月蝿くて当然。
 それよりも、この三十度を余裕に超えた気温と、高く保たれた湿度、それに車に卵をのせたら目玉焼きができるんじゃないか、と思わせるほど強い日差しは勘弁してほしかった。
 何度目になるか判らない額の汗をぬぐう作業をした。
 それからハンカチをしまって、それの代わりに鞄に隠しておいたゲーム雑誌を取り出す。最新ゲーム情報のページを開くとこんな活字が躍っていた。

「期待のゲーム「Challengers」クローズドβテスト 7月25日に開始!」
 
 他のゲーム情報は隅っこに追いやられていて、九割方このゲームの情報だった。他のゲーム達を哀れみつつも、興味はひとつのゲームに注がれていた。
 Challengers。突如として発表されたこのゲーム、ハードは前々から噂されていた仮想世界体験装置の「VR-8000S」だ。
 
 舞台は一つの大きな大陸、アルティアだ。かつて大陸を荒らす十二の神々と壮絶な戦争を起こした。
 神の力は強大で、大陸の種族達は善戦するも、少しずつ敗北に近づきつつあった。そんな中、ヴォダンという謎の男が現れる。
 その男は、単独で次々と神を強力な封印術で封じていった。そして、最後の神が封印されたとき、ヴォダンは姿を消したのだ。
 
 それから時が流れ百年。
 ヴォダンの手によって封印された十二の神々が再び封印を解こうとしているらしく、その影響でモンスターが急激に数を増やしているらしい。
 そんな世界で、邪神を再び封印するために、プレイヤーらが奔走する……。
 
 雑誌にはそんな壮大な世界観と共に、世界地図がでかでかと書かれていた。
 まん丸でとても大きな大陸。そこには平原や都市、山々などが抽象的に描かれている。
 
 左上には大部分を鉱山で囲まれたドワーフの住む、ニザヴェッリル。
 左下にはアルフヘイム、森林に囲まれたエルフの拠点だ。
 右上に荒れ果てた地のノート、力を封印された魔族が住んでいて、一日中ここだけ日があたらない。
 右下には起伏が激しい地形のフェンリル、獣人が拠点としている。
 そして真ん中には、人間が住んでいるミズガルズ。各種族と接触しないようにと、国境沿いに防壁を具えている。
 
 そんなゲームの主旨だが、簡単に説明すると、五種族は与えられた特徴を武器に、果てしない強さを誇る神々を倒すゲームだ。
 十二人の神を倒したら何かが起こるらしいが、その何か、は当然の如くこのゲームの醍醐味なので、公開されていない。

 そして、お約束のスキルもこのゲームでは重要な位置を占めている。
 種類もかなり豊富で、スキルの着脱という概念はなく、スキルポイントの振り当てによりレベルアップしたり、スキルをゲットする仕様になっている。
 とある噂によると、スキルレベルは最大で五百らしい。あくまで噂だが。
 最初は応募しようとも考えていたのだが、来年は受験。この受験生活にいろんな意味で支障をきたす可能性大だったので、見送りとなったのが非常に心残りだ。
 なぜこんなタイミングにこんな面白そうなゲーム作っちゃうのか疑問が絶えない。
 
 ちくしょう、そう思いつつ、もう考えるのを止める事にした。


「ただいまー」
 
風呂に入ろうか思案しつつも、扉を開けて帰宅報告をすると、目の前には父がいた。

「おかえり!」
「うわっ! ……なんだ、親父か。珍しいね。こんな時間に帰ってくるなんて」
 
 僕のそんな言葉には一切反応せずに、うきうきとした口調の長身メガネ男、山下宗一郎は声をかけてくる。
 黙っていれば静かでクールなダンディな紳士だな、と思ってしまう風格を兼ね備えているのだが、蓋を開ければ変態パレード。
 キッチンでは母親の尻を撫で、姉の尻を叩き、僕のアソコを蹴る変態ジジイである。
 僕のアソコを蹴った理由が、母親を見て欲情したと勘違いされたものだからたまったものではない。
 母親はひいき目をせずとも十分美人の部類に入るが、それでも自らを生んだ母に対して欲情する事はない。
 母親を愛しているのはよいことなのだが、AJINOMOTOもといMAGONOMOTOに向かって蹴りを入れるとは不届き千番。
 寝ている時に、母親のパンティを頭に被せて置いたが復讐の初め。姉からは裏仕事人と呼ばれ、恐れ置かれている。
 こんな父でもあのマイクロサーバーの重鎮さんで、結構な立場の人間だから恐れ入る。
 そういう訳で、この時間帯ならゲーム会社の方でヒーヒー言いながらパソコン向き合っていると思ったが……。

「ふふふ……。誠よ、お前は明日、大変な事実と向き合う事となる。その時は、おそらくお前は私にひざまずくだろう。「アリガトウ!オヤジアイシテル!」とでも言いながらな! はっはっはっ!」
「さぁて、お風呂はいろっと」

 こんなテンションの親父は普段あまり見られないから貴重なのだが、だからといって観察するほど僕は暇ではない。
 ベルトを外しつつも靴を脱いだ。脇に靴を寄せてから風呂場に一直線。
 後ろについてくるのは息子の裏仕事に気づいていない変態な父親である。

「むむ、そんな事をいう息子に育てた覚えはないんだがな。しかし、言ったからな! 明日は会社でテストがあるから誠の土下座姿が見れないのが残念だが、今までの親父のイメージを全て払拭するほどの壮大なる事実がお前を待ち受けているからな! じゃあな! ママの尻撫でてくる」
 最後に聞き捨てならないことを口走ったような気もするが、いつものことだ。
 脱衣所で裸になったしばし考える。親父の言う大変、及び壮大な事実とは一体なにを指しているのか気にはなるが、今は疲れを風呂で洗い流すのが先だ。


 受験勉強の準備、といっても参考書を引き出しからとりだしたり筆記用具の準備をするだけだが……。
 それを行いながら考えるのはあのゲームの事ばかりだ。
 
 ゲームの最大の要であるVR-8000Sはクローズドβテスト開始前の七日間、応募時に記入した届けてほしい希望の日数、時間に送られるという事しか判らない。
 Lamsが直に出向いてベッドも組み立てるというからかなりの腕の入れようである。
 一般公募で2000人、社内公募で1000人が当選する。
 しかし、驚くのがテスターに選ばれると、ベッドを無償で提供してくれるという寛大な計らいだ。
 ただ、そのかわりに十日に一回使用した感想と送られてきたアンケートを提出しなければならない義務があるようだが。
 VR-8000Sは定価で290000円という、とてもじゃないがゲーム一つに出せるような値段ではないため、当たればラッキーなテスター応募には嫌でも食いつく事になる。
 そうなると倍率は一体全体どうなるのか……気になるなぁ。
 小さく伸びをして現代文の問題集を解いていく。しかし、頭に全く入ってこない。もはや脊髄反射で書き込んでいるのである。
 恐るべきチャレンジャーズ。欲しい気持ちと恨めしい気持ちがごちゃ混ぜになって、またなんともいえないハーモニーを生み出しそうだった。



「おーい山下」
 
 土曜日曜があっというまに過ぎ、舞台は昼前の学校。腕を枕にうつらうつらとしていると、ふいに声を掛けてきた人がいた。
 山本順平、中学校からの同級生だ。一言でたとえるなら海坊主。ほどよく焼けた肌が運動を愛する健康児に見え、大変好印象だ。
 しかし、彼の肌が焼けているのは父の仕事が魚屋で、その手伝いをしているせいだ。主に客寄せを小学校からやってきたせいで誤解された彼は、決して運動を愛する人間ではない。
 むしろ拒絶する志向にある。みなさん是非とも見かけで人を判断するのはやめよう。
 彼もまた、僕と同じようにチャレンジャーズに興味を持つインドアタイプの一人だ。
 中学時代は家でゲームが許されず、僕の家に来てはひっそりと平和をかみ締めるようにゲームをプレイしていた彼だが、当時大学生だった六歳年上、姉の佳奈子にゲームをしていた事を親にチクられ、何度もやられるうちについに姉がトラウマと化してしまい、僕の家に寄り付かなくなったという苦い思い出がある。
 そのせいで、ひたすら店の客寄せと魚図鑑に対して打ち込んでいたが、高校ではその反動なのか、姉が一人暮らしを始めたのを知ってから、僕の家に来ては興味深々にゲームをプレイして帰っていく事が多くなった。
 もちろん、チャレンジャーズにもそのご自慢の好奇心で食いついてきた。詳しい事はサイトに行け、とまとめサイトのアドレスを教えたところ、一晩で丸暗記して、今では僕よりも詳しいという有様である。

「おーい、ちゃんと聞いてるか? 山下ー」
「あ、ごめんごめん。ちゃんと聞いてるよ。ちょっと考え事してただけだから」
「んん? それはもしかするともしかしてチャレンジャーズの事か?」

 半分正解で半分外れといったところか。実は順平の紹介を無意識にしてました、なんて死んでも言えないな。もし言っちゃったら死んじゃう。恥ずかしくて。

「そう……だよ。山本当たるといいな」
「ん、ありがと。そうだな。当たるといいんだがなぁ。当たらなかったら地獄だわ。一台四十万って無理。週末の手伝いでもあわせても五千円という厳しい財政事情なのに」
「はは、だな。3000人当たるけどうち1000人は社内公募だしな」

 そう僕が言うと、山本は恨めしげな視線を此方に向けてきた。

「だよなぁ……。お前のとうちゃんはチャレンジャーズ作った会社のお偉いさんだろ? 羨ましいわ、確実にプレイできるって」

 うちの親父がゲーム会社のお偉いさんだと知っているのは先生と山本と、こことは違う学校だが門倉ぐらいだ。父の職業なんて、言う必要性がそもそも無い。

「だから、いったろ。確実に当たる訳もないし、大学受験も近いし父に尋ねられた時も辞退したって」
「後悔してるんだろ?」

 素早く山本が切り返してくる。言い返せないのがどうにも悲しい。話題がさり気なく切り替わっているところに彼の隠れた才能を感じた。

「ん……まあ、それはね」

 あの時はチャレンジャーズのチの字もしらなかった。それに、なんせ誘ったのがテスター募集もかかってないゲームショウ当日に突然に、だ。
 当時、興味は少々あったが、来年ということで、受験に差し支えると遠慮した。
 が、今は激しく後悔している。何せ、ラオスは連続四時間までしかプレイできないという廃人達をさらに廃人にさせないための考慮が行われていたからだ。
 そしてプレイを終了したら六時間後でないと再びログイン出来ないように作られていた事を公式ホームページで知ったとき、愕然とした。
 何故父の誘いを受けなかったのだろう、と。四時間程度なら少々勉強配分さえ気をつければなんとかなる。そう自分を納得させたって遅かった。
 それに、あの変態親父に再び頭を下げるというのはどうにも気後れがした。なぜ自らの愚息を危機に陥れた奴なんぞに頭を下げにゃならんのかと。
 そういった謝ろうか謝るまいかの葛藤が続き今に至るのだが。

「やぁやぁ御二方。お元気してますかね?」

 にゅるり、という擬音がこれいじょう似合う人間はこの世にいるだろうか、そう思ってしまうくらいににゅるりとした登場を果たしたのは佐藤……佐藤君だ。
 牛乳瓶の底みたいに向こうが歪んで見える眼鏡に、骸骨みたいな体型。
 健康的な生活をしているとは思えないのだが、健康検査で一度もひっかかったことないらしく、なぜかこの体で運動神経が尋常にいい。
 体育関係の部活からマークされている人物なのは周知の事実だ。

「うわっ、……びっくりさせんなよな佐藤ー」
「ははは、すみません。いや実はですね。ちょっと良いニュースがありまして、ね。この話題に詳しい御二方に伝えようと」
「ふんふん」
「チャレンジャーズ……。そうです、御二方が常に話題に出してるあのゲームの事です」

 佐藤君はいつも人の会話を盗み聞きしちゃってるのか、の心の中でつっこむ。

「……私、クローズドβテスト、テスターに選ばれたんです」
「なんと!」

 順平が驚きの声を上げる。僕も声には出さなかったが、びっくりしている。初めて身近にいる人物で当選があったのだ。驚かずにはいられない。

「あ、みんなには内緒ですよ? 言いふらす気はさらさらありませんし」

 そう言って細い人差し指をカサカサの唇に持っていった。

「っていうかさ、なんで俺達に言うんだよ。もしかして、自慢か?」

 怪訝な顔で問い掛けるのは山本。

「違いますよ。あなた達ならもしかするともしかして当選するかな、と思いまして」
「その根拠は?」

 椅子に両腕を乗っけて気だるげに山本はそう言った。

「山下君のお父さんは山下宗一郎さん、マイクロサーバの広報部長として今は頑張っていますよね」
「そうですよ」
「それが理由です。簡単に説明すると、ですけど。詳しい話は残念ながら出来ません。でも、言えるとしたら、山本君の当選も恐らく山下君のお父さんが絡んできますよ……ふふ、じゃあ、失礼しますね」

 四時限目を報せるチャイムと共に、佐藤君は風のように元のクラスに戻っていった。残された僕らは、佐藤君が一体何をしたかったのか、判らなかった。



「ただいまー」

 山本と別れてから五分ほど昨日と同じように扉を開けて、帰宅を知らせた。。

「あっ、誠、ちょっとちょっと来なさい来なさい」

 慌てたように母、山下政子が出てくる。眼鏡一家で一番眼鏡が似合うのが母だ。可愛い、というよりも美しい、清楚、というより艶やかだ。
 物腰柔らかで、親父が何故結婚したのかよく判る。その娘も同じような感じだ。
 父が何かやらかしたときは凄く恐怖を感じさせられるものがあるが、もはや誰も止めるものは、もとい、止めれるものはいない。

「ん、どうしたのさ母さん」
「それがね、誠宛に届いたのよ、すごく大きな荷物」

 大きな? 頼んだ覚えはない。

「それと一緒に引越の人がスーツ来ました、みたいな人が来てねぇ。組み立てる、っていって誠の部屋に荷物もって上がっていったのよ」

 なんとなくだが、何が届いたのかわかったような気がした。親父の言葉の理由も。日々の僕の動向を見抜いていたのだろうか。殆ど家を空ける一家の主とは思えない観察眼に感嘆とした。

「送り主にお父さんの会社の名前……って誠、待ちなさい!」
 
 母の言葉を最後まで聞くほど、落ち着いてられなかった。どたどたと階段を上ると、それと相応してぎしぎしと階段が軋む。
 風のように二階へ上がり、勢いよく自室の扉を引くと、目の前には部屋真ん中を占領したベッドがあった。
 独特のフォルムが、公式ホームページで見飽きるほど眺めた憧れの「VR-8000S」だった。



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ええとですね。初めまして。
二年程前から様々なSSをあさりまして。どこで道を踏み外したか初投稿でオリジナルでございます。
オナニー小説ならばこなれたものですが、どこまでいってもオナニーなのは流石に嫌なので、それを何とか払拭しようと必死です。

小生、まだまだ未熟者です。様々なご指摘を頂けると助かります。

3/16 ちょっと修正



[7217] Challengers 第二話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/03/08 22:55
 


 真っ白なフォルムは到底ベッドとは思えないけれど、何度も画面越しに見ていた僕にとっては、これが何か判った。
 ゆっくりと撫でてみると、ごつごつとした凹凸感が一切感じられない、機械的な質感を指に感じた。
 説明書がデスクの上に置かれていたのでそれを手にとった。カラーではなく白黒。薄くはなく分厚い。
 中をぱらぱらとめくって覗いてみるが、六割方文字を中心とした記述で構成されていた。これは、読み終わるのに相当な時間が掛かる。
 そう思いつつ、ベッドに腰掛けて一ページ目に目を通した。



第二話「チュートリアル」



『ようこそいらっしゃいませ。このたびはVR-8000Sをご使用いただき有難う御座います。私、今作品でのログイン確認及び、チュートリアルのご説明をさせて頂きますナミと申します。早速ですが、Challengers をプレイ致しますか?』

 読み進めること二時間。読破、と胸をはって言えないのが寂しいが、二時間掛けて読み終えた。後半はプレイしたい気持ちが強くなりすぎて殆ど覚えていない。
 結局、二時間を通して判ったのは、説明書は薄い方がいい、という事だった。

「あ、はい。お願いします」
 
 あまりに継ぎ接ぎのない自然な発音に思わず、人と喋っているような錯覚がした。
 近代技術の進歩というものは早いんだな、と思いつつも、仮想世界へと向かうために静かに目を閉じた。

『了解致しました。七月二十一日現在ではキャラクター作成及びチュートリアルが行えます。ではごゆっくりとお楽しみくださいませ。またChalle...』

 ナミの説明を最後まで聞く余裕もなく、意識が刈り取られ、闇に落ちていった。

 起伏のない静かな曲調のオルゴールでふと目が覚めた。覚めた、というよりも意識を戻された、といった感覚が強い。
 周りを見渡す……までもない。なにやら試着室のような所に入っていた。すぐ目に映ったのは、素っ裸でいる貧相なボディの僕だ。貧相すぎて情けなくなる。

『おはようございます。ユーザーさんがいるのはキャラクター作成のための部屋です。そこで鏡に触れてご自由に姿を変更なさってください』

 そう言われて出てきたのは種族一覧やら、性別表やら、挙句にはバストにウエスト、ヒップのサイズなんてのも出てくる。
 流石仮想世界。なんでもありだなと思いつつも、まずは自分の頭の中で理想の姿を構想し始めた。
 
『作成の過程はこれで終了致しました。次は役所に提出するための身分証発行のための書類を書きます。足下にある道具をお使い下さい』

 ポン、とキャッチーな効果音がしたと思って、ナミの発言に従い下を見ると、小さなテーブルと、そのうえに紙と鉛筆が置いてあった。
 せまい部屋に、無理やり尻を落ち着かせる。少々窮屈だが仕方がない。ファンタジーにはまったく似つかないトンボの鉛筆を持って空欄を埋めていく。
 名前、職業、配給武器、配給装備品、配給装飾品なるものの箇所を、あらかじめ用意されている何通りかの選択肢の内から決めて埋めてくださいと言われたので、紙面と睨めっこしながらも書き上げた。
 後は役所に提出すれば終了だと言われたので、カーテンを開けて外に出た。

 泉のすぐ側だった。森の中なのだろう、四方を木々で囲まれていて、大きく円状に開けている。そして中心には泉。太陽の光を反射してきらきらと輝く泉は、現実世界じゃないかと見紛うほどだった。

「綺麗だ……」
『ふふ、そうですね。これぞ近代テクノロジーを凝縮したVR-8000Sの仮想世界ですよ』
「あらま、ナミさん喋れるんですか」
『あらあら、随分渋いお声だこと。そうですよ。私はただ機械的に手順を説明していくほど単純な設定を組み込まれていないです。会話だってできるし、自分で考えることもできるAIですよ』

 まあまたえらくチャーミングなお人……もといAIさんだ。こりゃAIと言われなきゃ本当に人と喋っていると錯覚しそうになるなぁ。

「そうですかぁ。なんだか自分は時代に取り残されてるみたいですね。こんなにも素敵なお喋りをナミさんと出来た事を知りませんでしたから」
『ふふ、ありがとうございます。こちらこそあなたのお喋りが出来てとても嬉しいです。ジャック・ウッズさん』

 渋い名前じゃちょっとキザかな、と思ってはみたが、このゲームの世界観に似合う名前といえばなんだろうと考えてみると、結果的にこんな名前になってしまったという訳だ。

「こちらこそ。しかし……どういう事ですかいこれは。森の中じゃないですか」
『そうですよ。ここはチュートリアルのために用意された舞台です。ここからバニラスカイという街に行ってもらいます。ここから東に進んでいけば着きますよ。あ、武器と服がないのも大変でしょうからこれを着用なさって下さい』

 急にフランキーな口調に変わったナミさんのギャップに好感度が右肩上がりなのも彼女自身は露知らず、バサリと僕の足下に落ちたのは地味な服だ。とりあえず裸で寒かったのでありがたく着用する。

『武器は……えっと、何がいいですか?』

 剣槍斧弓銃杖。大雑把に分類すればこの六つ。説明書を読んでいたのでナミさんのお手を煩わせることもない。

「弓を下さい」

 チュートリアルだし、ゲーム全般であまり目立ったところを見ない弓を使ってみたくなった。
 なんとなく弓を使ったプレイスタイルに憧れているのも武器を弓に決定したことに後押ししているだろう。

『判りました。あ、そうそう。大事なのがステータス実行アイテムです。一応ピアスと首輪とリングがありますけど……』

 ちょっと悩んでピアスにした。しばらくすると、左耳が熱を帯び始めた。恐らくピアスを具現化して装着させているのだろう。我慢できない熱さではない。
 しばらく待っていると、ようやく熱が収まったので、触れてみる。ごつごつとした手触りは間違いなくピアスだ。ちょっと新鮮だ。
 
 確か、説明書では最初に設定したモーションを起こすとウィンドウが出てくる、と書いていたはず。
 右手の指でピアスをつまんでそのまま右に引っ張る、というモーションにした。
 無事にモーション設定が完了され、黄色がかった半透明のウィンドウが、ポン、とまたまたキャッチーな音を出して表示された。
 縦に並んだアイコンは、上からアイテム、武器、スキル、ステータス、マップ、ヘルプ、ログアウトの七つだ。
 現在位置を確認するためにマップのボタンを押してみると、新たにウィンドウが表示された。
 縦横を一キロごとに区分けされた世界地図と睨めっこ。
 現在地点を探すために最大縮小状態だった地図を何度かズームしてみる。すると、赤く光っているブロックがあるのを発見。これがどうやら僕がいるブロックのようだ。
 場所はミズガルズのランバルの森、という表記がされている。森の中に矢印マークがぴょこぴょこ動いているのを発見。どうやらこれが現在位置みたいだ。その矢印から東にはナミさんがいうバニラスカイ、というそこそこ大きい町がある。確認を終えて、ウィンドウを閉じると、待ちかねていたようにナミさんが声を掛けてきた。

『ではここで一旦さよならです。また会いましょうね』

 そうして風の音とそれに呼応して森がざわめく音だけが残った。



「ええっと、ステップ、ジャンプ、緊急回避……おおぅっ!」

 ナミさんが泉から姿を消した後、僕はいまだ森には入らず運動の練習ばかりしていた。
 このゲームは頭の中で自分が想像した通りの動きをすることが出来る。例えばジャンプ。膝を屈伸運動をするように曲げて、そのまま跳躍するために一気に膝を伸ばして跳ぶ。
 そういった一連の行動を想像しながらその通りに跳ぶと、スキルのレベルに合ったジャンプ、また姿勢の補正が行われる。
 だから、想像力とスキルによる補正で素人でも剣を振ったり、弓を放ったりする事が可能になる。もちろん、行動するにあたって一々想像する必要性はない。
 何も考えずに振ってもいいし、動いてもいい。ただ、そんな生意気なことをするには経験が必要だ。今の自分にはそんなたいそうな経験なんぞあるはずもなく、これを活用するほかない。

「よし、ある程度はいいか。それで……」

 この体での動きをある程度把握してきたところで、地面に置いてある道具を手にとった。
 今手元には、傷が目立つが匠の技が光る一品であろうショートボウと、矢筒の中に収まっている矢が十本ほど。
アイテムウィンドウの中に収まっている弓矢を合わせると、五十本ほどある。
 町までそれほど離れていないし、自衛するだけなら十分な数だ。鬱蒼と繁る森の中に進むのは少し気が引けたが、なにごとも挑戦。そう思って足を踏み入れた。
 


 獣道を発見し、歩いて十分ほど。五分ごとの頻度で地図を確認して、現在進んでいる方向が正しいのか確認をする。こういう時に現在位置と進行方向を教えてくれる地図は便利だと思う。
 歩いている最中に何匹か哺乳類型モンスターと出会ったが、どれもこれもモンスターと呼ぶには不釣合いな性格をしたやつらばかりだ。
 こちらをじぃっ、と見つめて警戒するだけで、攻撃もしてこないから、ゲームといえど、とてもじゃないが殺る気にもならない。
 
 しかし、そんなモンスターたちと道行く先で出会いを続けていく内に、とうとう会ってしまった。モンスターらしいモンスター。
 口元に見える二つの黄ばんだ牙。赤く充血した目は、とてもじゃないが穏やかな動物ではなさそうだ。
 体毛はぼさぼさで、なにかが棲みついていそういそうなほど汚かった。
 そんな体毛が、ラブラドールほどの大きさの体躯を全て覆っている。
 一言で形容するなら狼。形容しなくても生物学上狼だった。
 
 これはとうとう来たな、そう思って、静かに矢筒に入っている矢を取り出し、筈を弦にあてがって素早く構えた。
 矢を引き絞るたびに聞こえてくる音に、手に伝わる木の質感や手の中に滲み出てくる汗。
 一度だけ母方の伯父が弓道の師範ということもあって、的場に行ってやってみた事があったが、これほどまでに綺麗な形で出来た事はなかった。流石ゲーム。なんでもありだ。

 狼はこちらを敵と判断したのか大きく叫喚、勢いよく跳躍して襲い掛かってきた。咄嗟に引き絞った矢をその喉元目掛けて放った。
 スコッ、と矢が弓と擦れた音を出しつつも、目にも止まらぬスピードで狼の喉を掠めた。
 狼はそのまま空中で失速して、ばたりと倒れ、足をじたばたさせている。
 あの攻撃だけじゃ死ぬわけじゃないだろうが、かなりヒットポイントを削られてかなり焦っているようだ。
 これ好機と、立ち直りきれていない狼に近づき、素早くもう一度矢を番えて、真上から頭に向けて射た。
 グチュリ。あまりにもリアルすぎる音をたてて、狼は絶命した。心の中でごめんなさい、と呟くと同時に、狼の姿は少しずつ透過してゆき、やがて消えた。
 そこに残ったのは、ドロップ品である狼の毛皮。それをありがたく頂戴し、弓を背負い直して獣道をまた辿った。

 初戦はあっけなく終わり、何度か出会った狼と対峙していくうちに戦い方というもの理解できたような気がした。
 いつの間にやら矢筒が空になったので、アイテムウィンドウを開き、十本ほどオブジェクト化する。
 しばらく待つと、左手が光を放ち、その光が収まる頃にはしっかりと矢が十本握られていた。それを矢筒に入れて、内一本を手に持つ。
 どうにも初戦から敵と遭遇する頻度が上がっていた。
 その分、レベルが上がるのはいい事なのだが、残念ながらチュートリアルで得たポイントというものはβテストに反映されない。
 出来るんなら複数の狼と対峙するのは嫌だな、と思いつつも、もうすぐであろうバニラスカイに思いを馳せながら歩を進めた。

 二匹……三匹だ。狼は群れをなす動物なので、最初の狼と出会った時からこういう状況を危惧していた。危惧していた。
 危惧はしていたが、少し楽観的になりすぎていたようで、対策はなにも練っていない。
 思えば、死亡フラグが立つか立たないか大事な選択だったような気がする。後悔先に立たず、自ら旗揚げしてしまった事に後悔しつつ、じりじりと後退する。
 後退はするが、一向に狼らとの距離が縮まらない。狼も、僕が後退する度に前に出てきているからだ。
 相変わらず敵意丸出しで近づいてくる。涎が僅かに開いた口からたれ、なんともいえないスメルを漂わせている。
 
 どうするか……。弓は連射が利かない分、遠距離から攻撃できるという利点がある。だが、その利点をこの状況で活かせはできない。 となると、最後に取れるであろう戦法は狭まる。
 自分が生き残り、相手が全滅するような戦法。幸い、ポーションは二つ残っている。
 これを駆使しつつも、やっていけばなんとかなる。
 そう思い、後退をやめ、勝負に出た。

 弓を番えながら狼に向かって突っ込んだ。
 その動きに狼は一瞬硬直する。その隙が命取りになった。
 向かって一番右にいる狼の側面に瞬時に移動し、十センチも離れていないところから弓を射た。
 その鏃は狼の頭に見事命中。
 火事場の馬鹿力というものなのか、ぎりぎりまで引き絞って放った矢は頭を貫くには十分だった。まず一匹。
 
 その光景を見た残りの内一匹が、怒り狂いながら此方に向かって飛び掛かる。
 そのまま右に緊急回避。次の矢を手に掛ける。
 そこでもう一匹が左斜め前から飛び掛ってくる。ワンパターンだと思いつつも、右斜め前にステップ。
 矢を弓に番え、精一杯の力を込め引き絞りながら振り返る。
 
 一撃でも外したら、そのまま飛び掛られ、仰向けになりながら昇天するだろう。
 緊張感で張りつめた精神は、狼の次の攻撃を待つために波を打たずに静まり返った。
 僕が矢を引き絞っているのにも関わらず、最初に突っ込んできた狼がこちらに向かってものすごいスピードで走ってくる。
 十メートルくらい走ったところで、狼が宙に舞った。今度こそ外さまいと、狼が跳躍した瞬間に喉目掛けて渾身の一撃を放つ。
 凄いスピードで矢が喉元を貫き、狼は宙で消えていった。
 
 そして三匹目が待っていたとばかりに、お行儀悪く舌を出しながら駆け込んできた。
 最後はダメージ覚悟で弓を構え、此方に噛み付いてくる直前を待った。
 一メートル手前で大きく口を開けた。幾つもならんだ鋭い牙が、今にも噛み千切らんばかりに襲い掛かってこようとする。
 が、噛み千切られはしない。限界まで引き絞っていた矢を放つために、痺れていた右手を開いた。弦が引かれた反動で矢を押し出す。その矢が向かった先は、狼の口の中だった。
 胸板に突撃してきたその狼の勢いにヒットポイントが少し削られ、軽い痛みが襲ってくる。
 クリティカル、そう表示されてから瞬く間にヒットポイントがゼロになった狼は、僕の腕の中でビクリと痙攣して絶命した。
 そして僕は目を閉じて、何とか得た勝利をかみ締めた。



 僕の思いついた拙い作戦は、運のいい事に見事に成功した。狼の動きがあまりにも枠に嵌まりすぎていたのが成功した要因だろう。
 頭を狙う事で発生するクリティカルヒットを近距離から決めることで、矢で狙いをつける時に出るタイムロスを削ることが最大のミソだ。
 ゲーム内というのはリアルと大きく違う。この決定的な違いを如何にして把握して、システムを有効に活用するか。それが重要な鍵のような気がした。
 その後、三匹が落としたドロップアイテムをありがたく頂戴してその場を去った。先ほどの戦いで、あるだけの集中力を全部持っていかれた感じだった。ここから先、もう狼とは会いたくない。
 
 と、思っている内に開けた場所に出た。少し先にはでこぼこ砂利道が遮るように作られている。右の方に目をやると、丘陵の上に立つ中世のお城が見えた。
 旗は竜を模して作られているみたいで、風に吹かれてゆらゆらとはためいている。丘陵が終わったところくらいから、街が見える。
 といっても、防壁が邪魔をして、屋根や煙突しか見えない。
 あそこは対処せずに振り切ればよかった、と激しく後悔しつつ、道を辿ってバニラスカイに向かった。



「ご苦労様です。では、これをどうぞ」
 そう役所のマリアンヌさんから言われて提出されたのは身分証明書。名前はジャック・ウッズ。
 性別男の職業は戦士。レベルは三、所属ギルドの覧には無所属と記されていた。
 そのカードを頂き、紛失しないように胸ポケットにしまった。
 マリアンヌさんから新たな配給品をもらったので、後で身に付けるとする。
 マリアンヌさんに一礼をして、静かな役所を出た。
 先に疑問となっていたこの連綿と続く城壁は、ここが城下町だからだそうだ。
 果物屋でバナナを買ったついでに豪快なおばちゃんに話を聞くと、名をバニラ城といって、貴族のウィリアムという人がここを治めているらしい。まぁ、どうせチュートリアルだから何ら関係ないかな。
 中世の匂いがプンプンとする城下町をふらふらと歩く。
 空は夕焼けで赤く染まり、そんな空を背景にして隊列を組んだ鳥達が西へ飛び去っていく。
 どこからか夕食の香りが漂い、市場では騒々しい主婦や兵達が食べ物を買いこんでいる。
 ゲームの世界とは思えないほど生に溢れた町だ。一人一人に生活があり、家庭がある。
 少々感慨深くなりつつも視線を空から地に落とした。
 
 ん? その視線を落とした過程である看板が目に入った。視界をそこに写してみると、弓矢が描かれている看板がある。

「よし、決めた」

 残り三十分、この時間をこの店で潰す事にした。



「――おお、中々筋がいいね。本当にはじめたばかりかい?」
「ははは、だいぶん前に一回だけやったことがあって。その時は散々でしたけど」

 いつの間にか弓矢を扱っている店の店長さん、中々良い体格をしたレイドさんと話をする内に、的場に来ないかという喜ばしいお誘いを頂いた。そして喜び勇んで丘陵にある的場にほいほいとついっていった訳だが。
 実力は雲泥の差。月とすっぽん。先ほどの狼を倒した時の自信は何処へやら。愛想笑いの裏ではなんともいえない感情がうずまいている。
 カカシが九十メートル先で何回も矢をぶっさされて痙攣しているのを見ると、とてもじゃないが人間業とは思えないほど恐ろしい。
 僕も負けじと50m先にあるカカシを射抜こうとショートボウ片手に頑張るのだが、これが中々うまくいかない。
 (ああ! もうちょい先だよ、手前で失速しちゃってどうするの)

「ま、始めたばかりだろ? そんなに気張る事はねぇさ。気楽にいこうぜ。矢を当てると
きは複雑なことは考えんでいいんだよ。当てることだけ、な?」

 レイドさんのフォローの言葉を糧に、僕はブローケンマイハートを癒すのに精一杯だった。



「――おい、山下! 大ニュースだ」

 昨日の疲れが今日にまで残っていたのを懸念し、授業中は睡眠で精神を休めていた。休憩時間もまた然りだ。そんな中、順平が声を掛けてきた。

「んー、どうしたのさ山本」
「……テスター当選した」
「おっ、ほんとうか。おめでとう」

 顔を上げて山本の顔を見た。そばかすが残るその顔は、喜びに満ち溢れている。

「すぐにチュートリアルもやった。前衛戦は大好きだから獣人にして」
「おお、本当? 僕は人間だけどね」
「……山下も当たったの?」

 最初にいうのをすっかり忘れていた。寝起きの弊害というのは何かしらやっかいなものだな、と思う。今回ではなく、過去を思い出しつつしみじみ。

「ん、そうだよ。言い忘れてた」
「流石ゲーム会社で働く父親の息子」
「よせよ」

ニヤニヤとした二人は傍から見ればさぞかし不気味だろう。

「やはり勘は当たっていたようですね」
 なめくじもとい、佐藤君の登場だ。こんなに暑いのに彼の額には汗一つない。
「さてさて、これで三人揃ったわけですが……どうです? βテスト開幕に、ご一緒に狩りでも」

 どこぞの係長よろしくゴルフの素振りを一つ。あんたいつの時代の人間だ。

「おっ。俺はいいぞ。佐藤は?」
「ん? 別に予定もないし、いいですよ」

 佐藤君は眼鏡をくいっ、と中指で押し上げ、嬉しいのか不適な笑みをたたえている。

「……ではミズガルズのカリザニアにある噴水広場で。あそこならみなさんもご存知ですし、すぐ合流できるでしょう」
「目印はどうするんだ?」

 当然の質問だ。有名な場所ということは、僕らと同じような人が同じように待ち合わせで使う可能性は否めない。

「そうですね……。ドワーフが銃を構えているのが目印、というのは如何でしょう」
「佐藤はドワーフ使ってるのか。なんというか、予想通りというか、変わってるな」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておきます。テスト開始が午後の八時ですから、三十分くらい広場で集合しましょうか」

 異論はなく、そうして待ち合わせは決定された。

 ※

「アルムの調子はどうだい」

 高性能のサーバ。数は軽く百を越え、各々に緑のランプを点滅させている。世界最高峰のテクノロジーを凝縮された部屋には、この二人の影しかない。

「ええ、問題ないです。βテストまでに設定は終わるかと」

 そう言って白衣を着込んだ男は地面を蹴って回転椅子と共に振り返った。疲弊の表情を隠そうとする長髪の隙間から、くっきりと出来ている隈が伺える。

「そうか。他の奴らも休んでるんだ。お前もいい加減休め。……無理はするなよ、矢野」

 眼鏡を掛けた長身の男は言う。白衣の男はその言葉に肩を竦めて返事をし、またノートパソコンに向き合ってキーボードを叩き始めた。

「また蕎麦、奢ってくださいね。今月ピンチなんです」

 部屋を出ようとした男の背中に、しゃがれた声が投げかけられた。

「ああ。わかった」

 そう言って長身の男は部屋を出た。静かに扉を閉めて、男は数歩歩いて背中を壁に預けた。

「この会社は一体全体何を考えてるんだ……」

 その呟きは、静まり返った廊下に一つの影を落とした。



[7217] Challengers 第三話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/03/09 19:58



 夏休みの我が家。09年から駆動しているエアコンも、今や立派な古参格。
 最近の機種にも負けはしないくらい静かだし、自分でフィルターを掃除したりで、手間いらず。
 しかし、それでも三十六度という人間の体温と同じような外気温にはあがないきれていない。

「……ナイスキルだね誠」
「なにいってんだよ門倉。山下は敵だぜ?」
「そんなの関係ないじゃない。普通にうまいものをうまいといって何が悪いの?」
「ああ、なんでお前はそんなに屁理屈大好きなんだ」

 エアコンがつけてあり、尚且つ締め切った部屋ながら、暑い。主に湿度と熱気で。後ろに感じる威圧感のせいで三人が密着気味なのも一役買っている。
 VRベッド。一人が快適に過ごせるスペースを提供した分、面積が少々広い。十畳もないこの部屋のど真ん中に設置されてから、人並みな生活は送れても、快適な生活は今だ送れていない。
 しかしながら、それを払拭するほどの機能を備えたのが、このVRベッドだ。時刻は十一時三十分。クローズドβテスト開始を約八時間後に控えた昼下がりだった。
 

第三話「開始」



 四十インチのプラズマテレビは上と下で二分割されていた。
 上を操作しているのが僕、下が山本。

 敵の影が見えたので、そのまま伏せ、標準を覗く。やりなれていたお陰もあって、無意識にエイムは頭を捉えていた。
 そのまま射撃を開始すると、糸の切れた人形のように、敵は虚空に弾をばら撒きながらその場に倒れた。

「ったく、なんてエイムしてるんだよ」

 山本が悔し紛れの一言を放つ。

「しかたないでしょう、誠はシューティング系だけはうまいんだから」
「む、心外な。シューティングだけとはなんだ、だけとは」

 タイミングを合わせるのが得意だった。射線に相手が出たら、その瞬間に攻撃し、射線から抜けると攻撃を止める。
 特に飛行機でのガンファイトは得意だ。予測撃ちというのが自分で言うのもなんだが、非常に秀でている。

「あら、では他にどんな事が得意事があってよ? 答えてみなさいな」

 門倉登紀子は、美少女である。肩までかかる髪を二つにわけていて、大きくパッチリとした目は小動物級の可愛さを添加している。
 しかし、あまり言葉遣いがよろしくない。判りやすく簡潔に言うと、羊の皮を被った狼だ。
 
 気まぐれに山本の家によって、遊びにこないかと誘った。山本はこれを了承。早速家に招き入れた訳だが。
 家に帰ると、なぜか暢気に麦茶を舐めながら我が母と談笑していたのだ。その穏やかな光景は形容するに春の小川、夏のひぐらし、秋の枯れ葉に、冬の囲炉裏。
 心持ち穏やかになって、自然と笑みも浮かびます。しかし、その笑みも、二階に上がるころには、引きつった笑みに変わってしまうのです。
 
 中流家庭に生まれた一人娘とは思えない粗暴な振る舞い、言葉遣い。少し大袈裟に言い過ぎたような気もするが、これくらいしないと日ごろの恨みは晴れまい。
 
 そして、ぺったんこでもある。
 何がぺったんこかって? はっはっは。みなさんの大好物に決まっているだろう。ブラジャーなんていらない、いつも中学生に見られる。真実は一つ、答えも一つ、それはロリ。
 そのことに対して、本人は非常にコンプレックスを抱いている。だから、ロリと言うと、いつにも増して怒る。輾転として懊悩する。彼女と交流するにあたって、決して触れてはいけないタブーなのである。
 
 そんな彼女だが、一般公募で受かるほどの幸運の持ち主である。
 受かった要因として挙げられるのは、自分の名前はもちろん、父と母の名前、それに親戚の名前まで借りた事だろうか。本人の話によると、三十人ほどに協力してもらったとの事だ。
 ここまでくると、幸運とは呼べないのではないだろうか。目的のために何でもする門倉は、恐るべき存在なのである。

「ああ、もう。相変わらず反則級ね。ゲームチェンジを提案」
「ん、そうだな。今度は山下の苦手なやつをやろう」

 迷路のようなマップ。突如として表れた僕の分身に、彼女の分身は反応する時間もないまま昇天した。
 少しむすっとした表情で此方に目をやってくる。後ろにいる山本も唇を尖らせながら、不平反対を唱えている。

「まあ、別に僕はいいけど……。もうお昼ご飯だよ。食べてからにしない?」

 そう僕が提案すると、二人は立ち上がった。お腹が空いていたようで、目がらんらんと輝いている。どうやら両方とも意見はないようだった。

「んじゃ、いこっか」

 門倉の言葉を合図に、僕たちは一階に向かった。



 次々と運ばれてくるおかずたち。
 母が急遽買い足した食材のお陰で、おかずを奪い合うことによって起こる小さな戦争は未然に防がれた。
 四つの席のうち、二つを門倉と山本が並んで占領。残ったうち一つの席に僕はご飯を持ってついた。
 向かいには門倉。右隣にはにこにこした母が座っている。母の目配せで手を合わせて頂きます、と唱えてから箸を手にとった。

「ねえ、今日の八時からテスト開始でしょう?」

 目の前に広がるのは小さな自然。
 トマトで赤い彩りをつけたサラダに、クルトンとシーザードレッシングが加えられ、柑橘系の匂いが漂う。
 小皿にかしこまって盛られているのは、深い緑を窶したほうれん草。鰹節がぽん酢の水気に押されてしなびているが、それがまた口ざわりと風味がよいことよいこと。
 そして、炒飯。何故この時期の夏にこんなメニューなのか疑問だったが、おいしいので問題はなかった。

「ああ、そうだね」

 僕がほうれん草のお浸しを口にしてから炒飯をかきこむと、門倉が片方の眉を上げて行儀悪いわよ、とこぼす。
 ではスイカを食ってる志村並の巻き散らかしと勢いを誇る山本はどうなるんだ、と一つ投げかけてみたかったが、怖いのでできない。

「そうだね、じゃないの! あのね、折角だし、ゲーム内で集合しない?」
「んもんん、ままももまももも、もまむもむみめむ」
「何いってるかわからないぞ、山本」

 目を白黒させ、身振り手振りで何かを伝えようとする山本だが、ジェスチャーする前にやる事があるだろうとつっこむ。早く飲み込め。
 氷の入った冷えている麦茶を口に含んで無理やり飲み込んだ山本は、ようやく人間に判る言葉を口にした。

「いやな、もうゲーム内で集合する約束してるんだよ。ミズガルドのカリザニアの噴水広場で」
「へえ、誰と?」
「佐藤ってやつ。門倉は知らないかな。高校で運良く当選した変人なんだよ」
「変人って」

 門倉が訝しげな表情をする。まあ、変人なのは事実だが優しい変人だ。別に害はない。

「変人は変人だが普通の奴だから。門倉も来いよ。目印は銃を構えているドワーフだってさ」
「む、早速変態の臭いが……。まあいいわ。私も行く」

 佐藤はどうやら変人と呼ばれる星に生まれたらしい。残りの炒飯を全部かきこんでそう思った。

「ふふ、ゲーム話題かしら? もしかしてあのベッドでやる……」
「ええ、そうなんです。すごく面白いですよ」

 母は父がゲーム会社で働いているというのにこういった情報に疎い。根っからのアナログ人間だ。
 娘の方は父に似てこういう情報には人一倍敏感だが。

「あら、そうなの。機会があった体験させてもらおうかしら?」
「はい、是非とも体験してみてくださいな。現実と同一どいっても違和感がないほどリアルですから。体もすごく軽くなりますよ」
「ふふふ、確かに最近衰えてきましたからねえ。登紀子ちゃんに比べたら私なんて……ほほほほ」

 少し母の顔に皺が増えたところで門倉が慌ててフォローに入る。いい加減、しょっちゅう遊びに来て母と談笑しているのだから対処にもなれてほしいものだ。

「誠のお母さん、ご馳走様です。大変おいしゅうございました」
「あ、はいはい。お粗末さまでした。順平君みたいにおいしそうに食べてくれると、おばさんも作り甲斐があるわ」

 ほっ、と門倉が一息ついている。皿を見ると、いつの間にか炒飯とおひたしが綺麗になくなっていた。

「あ、すみませんおばさん、俺家の手伝いあるんでここで失礼します。じゃあ、門倉も山下も。八時半噴水広場集合だぞ」

 時計をチラリとそう言った山本は、席を立ち一礼して風のようにして去っていった。
 門倉も、その後を追うようにお暇させていただきますわ、と言って深々と一礼をして帰っていった。
 残されたのは二人の親子と九つの空になったお皿。二人とも何故帰ったんだ、と思う。

 ため息ついて、麦茶を啜った。右を見ると、母も同じように麦茶を口にしていた。
 お皿を洗うのは、もう少しあとになりそうだ。



「おい誠。今日ベッド使うか?」

 七時三十分。あれからまとめサイトを見てゲームシステムを再確認し、テンション上げつつも、今度こそ胸をはって読破と言える位に本の内容を把握した。
そして、寝巻きに着替えている最中、親父から一本の電話があったのだ。

「え、うん。まあね」
「そうか。ふふふ、ところで誠よ、わたしに何か言うことはないかね?」
「ない」

 即答が効いたのか、受話器越しにうんうんと唸り始めた親父。男が唸っているのを聞いていても決していい思いなんてしない。いやしてはいけない。
 そろそろ電話を切ろうと考慮し始めていたとき、ようやくトイレで大便しているような唸り声がやんだ。

「お前は素直じゃない。父さん悲しいぞ。せめて感謝の気持ちを込めて愛してるの一言でもだな……」
「あー。はいはい。ベッドありがとうね父さん。感謝してるよ」
「……ま、いっか。それでだ。誠、本題はだな」

 何がいいのかよく分からないが、ようやく本題に入った。
 夏は昼と夜の温度差は本当に大きい。まるでアフリカの砂漠地帯のようだ。
 冷たい風が廊下を絶えず走り抜けて、少し肌寒い。

「私も広報部長としてテストに参加する。会社にもスタッフ用のベッドがあるのだよ。それを使って、な」
「うん。……まさかゲーム内で会おうって?」
「ん、まあそれは次の機会に置いておいて。誠、俺が言いたい事は、だ。現実と仮想の違いをきちんと見極めろよ。じゃないとお前からベッドを取り上げることになる。わかったな?」

 珍しくお父さんらしい意見を聞いたな、と思いつつも、僕はうんと返事をした。親父はたいそう満足げで、全力を尽くせ、とだけ言って受話器を下ろした。

 証拠にツー、という音が聞こえてきた。僕も受話器を下ろす。掛け時計を見ると、もう開始まで十分もなかった。
二階まで脱兎の如く駆け上がり、部屋に戻った。相変わらず空調が効いてる。効きすぎだと思い、エアコンの電源を消した。
 どうせ、ベッドに入ってからは関係なくなる。
 蛍光灯で昼と勘違いしている蝉たちが、みんみんと鳴き続けていた。

『スタンバイモードに入ります。よろしいですか?』

 相変わらずのナミさんだった。約一週間。毎日チュートリアルを欠かさずプレイし、大分ゲームに慣れた。
 慣れた分、ナミさんやレイドさんといった人たちと仲良くなったし、いろんなことを教えてくれた。

「はい、お願いします」
『……今から約五分後にクローズドβテストが開始致します。どうぞお気をつけて』

 瞼は重くなり、意識は朦朧とし、目の前には闇が広がっていた。 



 役所。机を挟んで向こうでは幾人ものNPC達がせわしなく動きまわり、羽ペンを紙の上で躍らせている。こんな場所、役所しか心当たりがない。
 長いすに腰を下ろして左右に目をやると、案の定バニラスカイの役所だという事がわかった。僕以外にプレイヤーらしき影はない。

 ポン、と何度目かも判らないキャッチーな音。かなり中毒性がある事が最近になって判った。

『アイテムボックスに収納されている紙面を役所へ提出して下さい』

 必須ミッション、と左上に黄色い文字で書かれている。ウィンドウを閉じて、アイテムボックスを開く。
 チュートリアル時とは違い、一つしかアイテムが収納されていないなかった。
 どうやらもう一度身分証明書を提出しなければならないらしい。
 オブジェクト化して、紙面を確認する。
 もう一度名前を書き、配給武具などを書いてから、マリアンヌさんに提出した。
 素敵なスマイルを浮かべた彼女は、弓と弓筒、それにレザーアーマーとブーツを提供してくれた。
 早速ステータスウィンドウを開く。ダヴィンチの、ウィトルウィウス的人体図と同じような感じのポーズをした僕が映し出されている。
 普段着をレザーアーマーに装備を換え、サンダルもブーツに変更。すると、にわかにも足元と胴体が光り始め、やがてマリアンヌさんから貰った防具を身につけていた。
 机の上に置かれていた弓と矢筒を装備する。矢も十本ほど残して全てアイテムボックスに収容した。

「あ、そうそう。これ、餞別です」
 
 思い出したようにしてマリアンヌさんが取り出したのは、石だ。
 淡いコバルトブルーの輝きは絶えることなく、宝石のようだった。

「移動石、ですか」
「はい」

 そういってにっこりと微笑むマリアンヌさん。しかし、これを貰ってもいいのだろうか。
 この石は、使用すると瞬時に街へ移動が出来るという便利な代物だ。
 しかし、希少価値が高く、市場に流れてもべらぼうに値段が高いと聞いていたのだが。

「いいんですか?」
「ええ」

 マリアンヌさんは石を持っている手を更にこちらに押し上げてきた。いい加減貰ってください、ということらしい。
 せっかくの餞別だし、ありがたく移動石を頂戴することにした。
 しかし、どうせカリザニアに向かうときに使うことになるんだろうなぁ。そう思いつつズボンのポケットにしまった。
(ラッキーだった、という事かな)
 深々と礼をして、役所を出た。




「んー、おやじさんに挨拶するか」

 空を見上げたら、太陽がえらく高いところまで昇っていた。真っ赤に燃える太陽は現実そっくり、眩しくて直視できなかった。
 このミズガルドでは日が落ちる事はない。日が落ちる寸前になると、踵を返して太陽が昇っていく、の繰り返しだからだ。
 逆に魔族が住んでいるノートは一日中夜だ。
 一日中暗い、というのも太陽の位置的に無理があると思うのだが、やはりここらへんはご都合主義だ。

 昼前、という事もあって、市場通りは賑わっていた。
 色とりどりの食材が、バスケットに堆く積まれている。少々圧巻される光景だ。

 しかし、こうやって視界をせわしなく動かして、僕と同じように武器を背負ったプレイヤーを探しているのだが、それらしき人物と一切発見できなかった。
 初参加の人は、ランダムで自国にあるどこかの役所に飛ばされるようだから、一人ぐらいプレイヤーと居合わせてもおかしくないと思うのだが。
 こんな辺境に飛ばされるのは稀、という事だろうか。なら、初参加時にここへ飛ばされてくる奴は色々と運が悪い。
 でも、僕としてはチュートリアルで親しんできた城下町だから、ここに飛ばされるのは、運が悪いというより、運が良いと感じた。

 いつものように路地に入る。小さな弓矢の看板は、路地に入ってすぐに拝めることが出来た。
 弓屋の親父さんも中々商売下手なようで、市場通りから外れた人通りが極端に少ない路地に店を構えている。
 本人はどうやら弓屋を本業としていないらしいから別に問題はないだろうが、置いてある弓の性能がとにかく良い。もし発見できなかったら、と思うと、とてももったいなく感じる。
 試しに使わせてもらったが、どれもこれも属性付加やら状態異常付加までついていて使い勝手がいい。隠れた名店、といったところだ。

 年季の入った扉を開くと、いつもと同じようにカウベルの音が鳴った。レイドさんは本を読んでいたようで、手元にあった本から僕に視線を移した。

「いらっしゃい」
「どうも」

 頭に手を当てて会釈する。帽子でもあったら渋く決まるんだけどな。

「的場に行くかい?」

 レイドさんはにやりと笑いながらくいっ、と弓を構えるポーズをする。僕は、ゆっくりと首を振って答えた。

「いや、違うんです。弓の扱いも慣れてきましたし、そろそろ町を出ようと思うんです」
「そうか……。それで、どこに行く予定だ?」
 
 少し眉根を寄せて残念そうな顔をする。

「首都の、カリザニアへ。友人と、待ち合わせをしてるんです」

 それを聞いたレイドさんは、両目を手で抑えて黙ってしまった。と思うと、突然席を立って店の裏に回った。
 どうしたんだろう、と思って去っていった方向を見つめながらしばらく待っていると、彼は弓を手にして戻ってきた。

「ほら、これ」

 そういって渡されたのは木で作られたロングボウだった。的場で使ったのとは違う、もっと血なまぐさい弓だ。血の染みが過去を語るように点々とあった。
 かなり使い込まれているようで、全体的にくすんだ色をしていて、傷が目立つ。
 武器一覧を見て性能の確認をしようとするが、???マークが出ているだけで、銘も、どんな弓なのかも、一切の説明書きがされていなかった。

「これは……」
「俺がかつて兵役時代に使ってたものだ」

 今のレイドさんの年齢が六十歳。それを聞いたとき、僕は鳥肌がたった。

「これって……あの戦争のときの」
「それ以上は言うな」

 そう言ってレイドさんは僕の言葉を遮った。

「……その弓を託す。その代わり、といっちゃなんだが、頼まれてくれないか?」

 お世話になっているレイドさんの頼みを断れるはずもなく。僕は首を縦に振った。

「俺には娘が一人居る。その娘は、カリザニアで同じように弓屋をやってる。娘に、シルフィに、その弓を渡してほしいんだ」

 彼が言い終わると同時に、効果音が鳴って、ウィンドウが表示された。



『弓屋のレイドの願い 依頼を受けますか?』



「その、聞いてもよろしいですか。その訳を」
「……だめだ。理由は本人に聞いてはくれないか」

 申し訳ない、とばかりに下を向いて首を振った。

「わかりました。探します。きっと」
「悪い。もうこの年じゃ、カリザニアまで行く気力と資金はないんだ」

 ウィンドウには一切手を触れなかったが、どうやら先ほどの発言で僕が依頼を受けたことになったようで、『弓屋のレイドの願い、引き受けました』となっていた。

「俺の友人にも首都に行く予定なんかなくてな。頼めるのがお前くらいなんだ。よろしく頼むぞ」

そう言って、僕の手をとって強く握り締めた。大きくて、ごつごつとした、とても強い手のひらだ。僕は、その手をしっかりと握り返した。



 「期限は……無期限か。報酬は謎、と」

 あれからレイドさんと別れて移動石を使った。降り立ったのは役所の前。スタッフはどんだけ役所好きなんだ、と突っ込みたくなるがぐっと欲求を飲み込む。
 それからレイドさんから受けた依頼について改めて確認していた。レイドさんによると、娘のシルフィさんは同じように目立たないところに店を構えているらしい。
 依頼は依頼らしく、自分で店探せということなのか、大雑把にしか教えてくれなかった。

 一通り確認を終えて、ウィンドウを閉じてあたりを見回す。
 一目でプレイヤーと判る人たちがごろごろ居る。みんな装備は似たような感じで、顔が無駄にととのっていて、背が高い。
 髪が銀髪か金髪の似たようなイケメンがあたふたし、様々な色をした無駄に髪の長い人たちもあたふたしている。
 チュートリアルもやり切れずに初めてのプレイ、という事で戸惑っているんだろうか、傍から見ると、ニヤリとさせられる。

「みんなかなり顔と身長いじってるんだろうなぁ」

 噴水広場に向かうため、大通りを歩きながらそう呟く。背中からいくつか殺気を含んだ視線を感じたような気もするが、気にしない。
 いや、僕も人の事は言えない口だが、身長と顔はあまり弄っていない。少しだけ筋肉質にしただけだ。
 自分は175㎝あるのだが、それをゆうに越えるイケメン達が多いこと多いこと。自分が小さい、と錯覚してしまうほどだ。

 しかし、さすが首都というべきか、やはり人が多い。歩くのにも難渋してしまう。なんとかボディを僅かな隙間に潜り込ませつつ、少しずつ前進した。
 
※ 

 ようやく大通りを抜け、噴水広場に出る。噴水を避けるように周りを円状に建物が並んでいる。青い水は太陽の光を浴びてきらきらと輝き、あたりには涼しげな空気が漂っている。

 そんな空気を感じつつも、ドワーフを探す。まだテストを開始して間もないから、人間以外の種族は極端に少なかった。
 しばらくキョロキョロしていると、一人のドワーフを発見した。火縄銃を連想させる細長い銃身を持つ銃。それは、ドワーフが構えるとかなり不自然だった。全然さまになっていない。
 それに加え、茶髪で、鬚なくて、目がくりっとしていて、ロリだった。
 ロリが銃を構えているとかギャップがまたたまらん! とか言う人もいるだろうが、断言できる。ロリは銃使うな、似合わない。僕はそう思う。
 
 そしてそのロリの周囲には二人屯している。一人は遠目からでもわかる獣人。僕と同じようにレザーアーマーを着ていて、下はピッチリとした黒いジーパン。そして黄土色のブーツを履いている。背中にはバトルアックスらしきものが一本。犬耳がショートカットの髪から僅かに除いていて、黒いジーパンから突き出ているのは、灰色の尻尾だ。その顔には、山本の面影が残っていた。
 そしてもう一人。やけに身長が高く、胸が大きく、恐ろしいほど白く透き通った長髪。顔つきがツン、としているのは彼女らしくはないが、やはり門倉の面影は残っていた。手元には魔法で使うひのきの棒が。

 門倉の体形は完璧に予想したとおりだった。白髪に対してえらい憧れを抱いていたし、何より彼女は自分自身のロリ体型が嫌いだ。
 と、なると、彼女が望むのはロリと正反対の体型になる。ぼん、きゅっ、ぼん、な。

 彼らのすぐ側に立つと、三人が此方を見る。三人とも首を傾げ、お互いに知っている人か、と囁いている。

「……待たせたかな?」
「ぶっ!」

 山本が突如として吹き出す。門倉もそれにつられて笑い、佐藤君はにやにやしている。
 ロリはロリでも性格が滲み出てると、変人ロリだな、と思う。

「失敬な」

 眉を寄せて、腕を組んで少し凄んでみる。それでも相変わらずというか、三人は口元から笑みを消さない。
 威厳もくそあったもんじゃないな、と思いつつ、何度かわざとらしく咳をしてみせる。すると、ようやく笑い声が消えた。

「もしかして、あなたは山下君ですか?」
「モチのロン」

 今度は門倉が先に笑った。やばい、死語だったか、と思いつつも、もう一度咳をする。
 が、効果は一回だけしかなかったようで、くすくすと相変わらず暢気に笑っている。諦めて、変人ロリに向き直る。

「悪い、少し遅れた」
「いえいえ、別にいいんですよ。ふふふ」
「そんなにおかしいか、僕の格好は」
「いや、そんな事はないです。リアルのあなたを知っているからこその反応ですよ。アルムのおんじ」

 褐色の肌に筋肉質な体。蓄えられた白い鬚に、後ろで纏めた長い髪。
 たしかに、アフリカンなアルムのおんじと言われたら、確かにそう見える。

「ア、アルムのおんじか。いいねいいね」

 山本が僕の肩をバンバンと叩いてうんうんと頷く。佐藤の表現がつぼに入ったらしい。
 そんなに笑って何が楽しいんだ、と思いつつ、僕は軽くいじけながらベンチに腕を組んで座り込んだ。



「やっぱりうまいっすね。ここの蕎麦屋」
「ああ、そうだな。うまい」
 胸ポケットにIDカードをさした二人は、ただひたすらに蕎麦を啜り続けている。
 その内の一人、矢野のこんもりと盛られた蕎麦の山は、いつの間にか緩やかな傾斜を描く丘陵になっていた。
 今もその丘陵が崩されつつあり、このままの調子だと五分もしないうちに平地になる。
 そんな光景を呆れたような表情で眺めるのは、山下宗一郎。広報部長でもあり、世界最大規模のサーバ、アルムの責任者でもあった。

「もう少し落ち着いて喰え。な?」
「いやあ、あまりに夢中になりすぎてついつい」

 長い黒髪をボリボリと掻いてニヤリとした笑みを浮かべる。

「黒川も磯部も澤山もお前のことを心配してんだぞ。一日中アルムに張り付いて性格の設定ばっかりいじってるから」
「人工知能は奥が深くって。思わず入れ込んじゃうんですよ」

 アルムはChallengersで使われる国内最大の規模と容量を誇るサーバと人工知能の総称だ。
 サーバを高速処理が可能な人工知能の管轄下に置くことによって、ゲーム内での問題にもより迅速に介入出来るようになり、膨大な容量をもつサーバの問題に対する素早い報告及び対処が出来るようになった。よって、アルムは自分だけでもサーバを管理できる。
 矢野は、そんなアルムの人格の設定を担当していた。

 ChallengersのNPCように極端に人間らしい性格を持つAIではなく、経験から学び、物事に対して疑問を持ち、解決に向けて取り組む。
 マナー違反者に厳しすぎても優しすぎてもいけない。
 全てを管轄する者として、中立を保ち、プレイヤーの安全を第一に考える。そんな人格設定を続けてきた。
 もう人格自体は完成しており、矢野自身も何度も交流を試みた。
 結果、矢野自身もそこそこ満足できる出来になり、矢野は今、最終調整に向けて急ピッチで働いていたのである。
 そこに山下が現れて、休息として昼ご飯を摂っていた訳だが。

「しかし、とうとう今日開始ですよ。テスト」
「ん。……ごほん。そうだな。長いようで短い一年だったな」
「ですねぇ。これからとんとん拍子で発売まで行きますからね。これからが正念場ですよ」

 矢野は平地となった地面に目もくれず、もう一つ頼んだ掛け蕎麦をまた啜り始めた。
 長い髪がうざったくなったのか、手首にかけていたゴムバンドで長い髪をまとめはじめた。

「……だなあ。矢野は早く給料貰え。俺の小遣いにも少しは気遣ってくれよ」
「んっ。まあ、そう言わないでくださいよ。僕は部長みたいに給料持っていませんし、殆どPCのパーツ台にぶっとんでるんですから」
「だからだな……判った。もういいさ。諦める」
「それが賢明です。あ、店員さん、閉めに冷やしざるうどん一つお願いします、盛りで」

 こうして山下は今度からざる蕎麦は大盛りから盛りにランクダウンしようと決心したのであった。



[7217] Challengers 第四話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/03/11 22:32



 役所の掲示板に張られている依頼書を眺める。

『洞窟のモンスター退治』
『湿地の鰐退治』
『商人の護衛』
『おばあさんのお手伝い』
『ひよこのオスメス判別 一匹につき1G!』
『コメディフランセーズ王宮カリ座の裏仕事』
『助けて! サンチャゴの騎士団翻訳』
『砂川闘争 デモ行進及びカンパ!』

 そんな大きな見出しの下に、各々個性が溢れる筆跡で、様々な条件が書かれている。
 しかし、最後の方はどこかの小説で見たような依頼が並んでいた。首を傾げつつも、パーティで参加でき、初心者でも大丈夫そうな依頼をピックアップしていく。
 三十を越える依頼の内、最終的に残ったのはなんと一つだけだった。

『街道のモンスター退治』

 依頼主はカリザニアで商売する商人一同だ。どうやら、街道にモンスターが出現し、通行出来なくなり困って役所に依頼書を出したらしい。
 レベルは一から五まで。パーティ参加可能で、ただ敵を倒すだけの依頼なので、僕たちには丁度いい依頼だった。
 押しピンを外して依頼書を手にとる。

「これ、お願いします」
「あぁ、はいはい」

 柚子黄色のカーディガンを羽織ったおばあさんが、慣れた手つきでもう一つ、新たな紙面を取り出した。
 僕が先ほど提出した依頼書を見ながら、新しく取り出した紙面の空欄を埋めていく。

「では、身分証明証を」

 皺が刻まれた年期のある手のひらの上に、ポケットから取り出した真新しい証明証を置いた。
 おばあさんはそれをチラリと見ながらもう一つ空欄を埋めた。どうやらこれで全ての欄が埋まったようだった。

「はい、出来ましたよ。後は名前とその横にあなたの指印を押してね」

 朱肉がテーブルにカタリ、と置かれた。
 羽ペンを受け取って日本語で自分の名前を書く。依頼書も日本語だから何ら問題はない。
 そして羽ペンを置いて、親指を朱肉にぐりぐりと擦りつける。湿った感触を指先に覚えながらも、紙面の自分の名前が書かれている横に、しっかりと指を押し付けた。
 しばらくしてそっと指を離すと、綺麗に指紋の形が取れていた。それを確認したお婆さんは、紙面をひらひらとはためかせてから僕の方に紙面を押し出した。

「依頼内容についてはこの依頼書の写しを見てくださいね。今回の依頼は参加人数に制限がないので、先に依頼をこなしている方もいらっしゃいますから。やるなら早いほうがいいですよ」

 紛失しないようにアイテムボックスに収納してから、役所を出て、噴水広場に向かった。



第四話「初めての戦い」



 交易の街、カリザニアはミズガルドのほぼ中心に位置している。そして、カリザニアには国境にある検問所まで続いている街道が八つ敷かれている。
 その街道を通してあらゆる物資が運搬される訳なのだが、北西のニザヴェッリルとの検問所まで続く『商人街道』に突如として表れたモンスターの集団。
 今回の依頼は、そこにいるモンスター達を倒せばいいみたいなのだが。

「でもさ、どうして他のプレイヤーもいるわけ?」
「今回の依頼は早いもの勝ちの依頼じゃないんだよ。だから依頼書のを写しを貰ったんだ」

 なるほど、と門倉もとい、エルフのモニカ・ルヴィは納得したようだ。
 
「そっか。早いもの勝ちの依頼と、他のプレイヤーと協力してやるような任務の二つがあったんだっけ」
「そうです。今回は後者の依頼にあたりますね」

 僕らは交戦しているパーティの観戦をしながらも、そんな雑談を興じていた。どうするか迷っているのだ。
 先に戦っていた四人のパーティは、十を超えたワーウルフやらリザードマンといったモンスターらを相手にしながらも、中々善戦していた。
 しかし、このまま彼らが勝てるような見込みはなく、援護に入るべきではないか、と僕は提案したのだが、佐藤君が下手すると横取りされた、などと言って因縁をつけられかねないと異議を唱えてきたので、戦うに戦えなかった。
 
「なあ、結構あいつらやばくないか?」

 山本もとい、獣人のロイ・フォードは尻尾をくねくねとうねらせながら心配げに言った。どうやらロイは助けに行きたいらしい。
 心配するのも判る。泥濘とした地形をうまく利用して四方から攻撃されるのを防いでいるものの、倒しても倒しても出てくるモンスター達に前衛は疲弊しきっていた。
 遠目からでも、彼らの苦しげな表情は伺えた。

「ああ、もう我慢できん! 俺は助けに行く」

 とうとう痺れを切らしたようで、ロイは馬鹿でかいバトルアックスを抱えてモンスターの塊の中に突っ込んでいった。
 突如表れた援軍に苦い顔をした四人は一気に活気づく。それを見て、佐藤君の異議は間違っていたと確信した。

「よし、僕も行くよ。あのパーティが横取り云々なんて言う筈ないさ」

 矢筒から矢を取り出し、弓に番える。そのまま街道を突き進んで、後衛の人たちの所まで向かう。

「大丈夫か!」

 適当な場所にいたワーウルフの頭に矢をぶち込んでから声を掛ける。
 街道の上は前衛たち頑張っている所と比べればましだが、少しぬかるんでいる。そのせいもあって、二人とも体中に泥をつけていた。

「はは、全く大丈夫じゃないさ。ともかく、ありがとう。恩に着る」
「礼ならあの斧野郎に言ってくれ」

 ロイは傍から見ればヒヤヒヤするほどの猪突猛進ぶりで、次々とモンスターを葬っていく。アックスが振られると、その度にモンスターは悲鳴を上げて消えていった。
 かなり慣れている動きだった。チュートリアルをやり込んだのだろう、僕も負けていられない。
 弦を引き絞り、矢の矛先をロイの背後にいたリザードマンの頭へ向ける。今にも背中から斬りかからんとしていたので、矢を放った。
 放たれた矢はリザードマンの頭を躊躇なく貫き、全てのヒットポイント奪い去る。
 リザードマンは何をされたのかも判らないまま、驚愕に支配された表情で地面に膝をつき、前にバタリと倒れて動かなくなった。
 よし、と心の中でガッツポーズ。レイドさんとの練習が功を奏したみたいだった。

『焔の怒り 汝の胸を貫き通して 射て! 焔の矢!』

 いつの間にか僕の左前に立っていたモニカが、右手で持った杖を突き出してそう唱えた。その杖に添えられた左手が、太陽のように眩く輝き、目にも止まらぬ速さで焔の矢らしきものを射出した。
 ヒュン、と焔の矢の風を切る音が聞こえたかと思うと、その矢はワーウルフと接触し、凄まじい音を出しながら爆ぜた。派手なエフェクトだ。
 その矢を一身に浴びたワーウルフは、一ビットほどのヒットポイントを残して辛うじて立っていた。
 彼女の魔法に直前で気づいたお陰で生き残っていたらしい。構えた腕から煙がゆらゆらと立ち昇っている。

「ったく、先走るんじゃないわよ。こっちにも準備があるの」

 杖を腰に差して、アイテムボックスから取り出した魔法書と睨めっこしつつも、モニカは機嫌の悪そうな声で呟いた。いやいや、あなたが攻撃したワーウルフはまだ生きているぞ。
 そうして視線をあのワーウルフに戻すと、いつの間にか地面に倒れ伏せていた。

「んー、ナイスショットですね」

 佐藤君が構えている銃から煙が上がっているところを見ると、どうやら彼がとどめを差したみたいだ。
 やはり、ロリに銃は似合わない。こういうのは感性の問題なんだろうが、僕にとっては果てしなく不釣合いな組み合わせだ。ダガーでも握ってな、と思ってしまう。

 そんなこんなで、僕らが援護に入った途端に形勢が逆転した。
 ロイが戦場をかき回し、僕がロイの背中のモンスターを殺り、モニカが魔法で前衛の二人を援護して、佐藤君操るアキナ・ランブルはひたすらモンスターの足を狙って転倒を誘う。
 後衛の二人はひたすらロイと前衛の回復に努めてくれて、そのお陰でロイも前衛も力尽きる事無く、戦えていた。




 しかし、戦っても戦っても一向に減らないモンスター達。後衛のマジックポイントが尽きかけている中、これ以上の戦いは無謀だった。
 独断だが、撤退するほかあるまい。ここでみんな仲良くロストはお断りだ。

「おいロイ! 撤退だ! 撤退するぞ! こっちに戻って来い!」

 ロイはご返事とばかりに、棍棒を振り下ろさんとするリザードマンの首を豪快に刎ね飛ばす。
 僕も援護射撃として、ひたすらロイの近くにいるモンスターの頭を目掛けて矢を放った。最初のように一撃では死ななかったが、それでも頭は急所、半分以上ヒットポイントが削られ、動きも鈍っている。
 アキナとモニカも僕の考えを理解したようで、ロイの逃げ口を作るために、ロイの目の前にいる敵を次々と撃ち殺していく。

「みなさん、撤退しますよ! 準備してください!」

 あらん限りの大音声で叫ぶ。それに呼応して、前衛の人たちが大きな声で叫びながら、ぬかるみから街道の上に後退してくる。
 なぜかモンスターもその叫び声に刺激されて、空を仰ぎながら咆哮していた。うるさいったらありゃしない。

「後衛のお二人は早くカリザニアに引き返してください!」

 モニカの声に答えるように、後衛の二人はロイと前衛の二人に治療魔法を掛けてから撤退した。そして、ロイもようやく街道の上に戻ってきた。
 体力的には問題ないのだろうが、精神的にかなりきついのだろう、責め苦に耐えるような表情をして斧を振っていた。

「前衛のお二人も早く、ここは私たちで止めますから退いてください!」

 何発目か判らない焔の矢をモンスターに放ってからモニカはありったけの声で叫ぶ。僕とロイは前衛の二人を退かせるために、前衛と入れ替わった。

「おいおい、大丈夫かおんじ。弓使いが無理するんじゃねえ」
「はっ、舐めてもらえないでほしいね」

 弦が切れんばかりの力で矢を引いて、そのまま目の前にいる他の奴より大きいワーウルフの頭を目掛けて矢を放つ。
 頭に矢がめり込み、ヒットポイントが赤い色を放つ。そのまま顎に飛び蹴りを入れてやると、僅かに残っていたヒットポイントが無くなり、ゲージ自体が消失した。
 そのままワーウルフは周囲にいたモンスターを何匹か巻き込んで倒れた。
 そして、そこにロイの一撃がお見舞いされる。巻き込まれた可哀相なモンスターらはアックスで首を叩き切られ、そのまま絶命した。
 
 僕らはこの時点で隙なんてものはありすぎるほどあったのだが、モニカとアキナの援護のお陰で、何とかその隙につけこまれず済んだ。
 前衛の人らは、ようやく戦線を離脱したようだ。僕らもそれに続くこととする。もうこれ以上はもたない。

「二人は先に後退して! それで僕らが撤退するのを援護してください!」
「よし、おんじも先に後退して援護してくれ」

 そのままバックステップを繰り返して距離をとり、アイテムボックスから矢を十一本オブジェクト化する。内一本を何十個もある頭から適当に選んで射てからもう一度後退する。
 ロイも斧を大振りして敵を寄せ付けないようにしながらも、じりじりと後退していく。彼の大振りでカバー出来ない分を、僕らの攻撃で援護していき、自身も後退する……その繰り返しだった。

 そして、二回目の矢の補充を行っていたとき、ようやく援軍が現れた。
 六人編成で現れた彼らはロイを後退させ、替わりに剣を交えた。三人が前衛で後衛が三人だ。
 疲労困憊の僕らとは違い、精気に溢れる彼らは、みるみる敵を追い返していった。そのまま前進していく彼らの背中に一つ感謝の念を送り、そのままカリザニアに撤退した。



 道中誰も口を開くものはいなかった。瞳は虚空を捉え、足を引きずるようにして歩いていた。
 ヒットポイント的には元気でも、精神的にはまったく元気ではなかった。あまりにもハードな戦いに、普段運動しない僕らは精神をかなり消耗した。
 それに加え、あのリアルさと、その中での命がけといっても過言ではない戦い。そして初めての規模の大きい戦いは否応でも疲弊させられるものだった。
 
「今日は、解散するか」

 今回の戦いで一番頑張った人物であろうロイはカリザニアに入ってすぐにそう提案した。
 各々親族が死んだみたいとは言いすぎだが、丸一日寝ていないような感じの表情をしつつ、無言でロイの提案に賛成した。

「よし、解散だ。また詳しい話は明日しよう」
「はい、ではまた明日」
「さよならー」

 三人ともウィンドウを表示して、ログアウトボタンに触れた。彼らの周りを光が覆い、やがてその輝きが絶頂に達したころ、三人の姿は消えていた。

「どうするか……」

 薄暗い路地に入って腰を落ち着かせる。大きく深呼吸して、これからのことを思案した。
 しばらく休憩すると、思ったより自分は精神的に疲れていない事が判った。現実と、仮想世界を完璧に区別しているのが要因だろうと推測する。
 おそらくだが、他の三人はそれが出来ていなかった。初めて行う擬似的な命の奪い合い。それに、精神が追いつけなかったんだろうと思う。
 実際に戦っている最中は、そんな事は些細な問題としてしか存在しない。ひたすら目の前にいる敵を倒して、自分が生き残らなければならないからだ。
 精神の疲弊を加速させたもう一つの要因として、冷静さや客観的思考を、スリルと興奮によって失った事が挙げられるだろう。
 だから、自分がふと安全な場所に戻ったとき、自分がいままで何をやっていたか改めて確認することになった時、罪悪感に苛まれて何をしているんだろう、という答えのない問題を自分自身に問いかけ続ける事で、精神が疲弊して参ってしまったのだ。
 あくまで推測の域を出ない考えだったが、それでも彼らが何故アレほどまでに疲れているのか、自分を納得させるものとしては十分だった。

 ――疲れないでいられたのは親父の一言が大きかったんだろうか。ふと、そう考える。

 ここの世界では目の前にいる敵を倒したところで殺した事にはならないし、殺した、ではなくゲームのシステム上で条件が揃ったから「その場から消えた」となっているだけだ。
 しかし、現実では違う。殺せば、命を奪うことになる。機械的要素が一切混じっていない自然から創り上げられた生命一つを、自らの手で奪い取るのは、決して許される事ではない。
 これが、現実と仮想の決定的違い。前者はゲームというものを楽しむために必要な一つの方法であって、後者は決して楽しむために行われる行為ではない。いや、あってはならないものだ。

 まあ、僕が考えている事は、今まで生きてきた中で得た経験を元に作られた物差しを手にして、あれは許せて、これは許せない、と測っているだけに過ぎないが。

 僕は、無意識に現実と仮想世界を、推測なんかじゃなく完璧に割り切ってゲームをプレイしていたことに、今気付いた。



「……やったぞ」

 集合して依頼を探すのに一時間。依頼をこなしてみんながログアウトした時点で一時間。
 考え事に十五分と、その中でレイドさんの依頼を思い出すのに掛かった時間が一分。そして、レイドさんの娘さんが営業している店を探すのに一時間掛かった。
 残り四十四分。中世らしく一面タイル敷きの路地を歩き歩きで探したのが、弓と魔道書を取り扱っている店、「Both」。
 弓屋と魔道書が仲良く並んでいる看板が目印だった。いや、目印というにはあまりにも地味すぎるか。黒く汚れきった看板からは年期というものが伝わってくる。が、商売に関するやる気というのは一切伝わってこない。一体こんなところに誰が来るんだ。
 一時間歩いて会ったの片手で数えるほどしかいなかった。かなりの距離を歩いたはずなんだが。

 少しばかり気を落ち着けるために咳をする。あたりが静か過ぎるせいで、心臓の躍動感ある命を刻む音が嫌というほどよく聞こえる。
 木製のドア。僕の顎の高さにある四つに分割された窓からは、暖かみのあるぼんやりとした灯りが伺えた。内部はカーテンで仕切られているせいで覗けなかった。窓も然り。
 ノブが鈍い光を放つのは、垢のせいなのか、日が当たらない場所のせいなのか。冷たい感触を右の手のひらで感じつつ、そのまま右に捻って扉の向こうへ足を踏み入れた。

 正面に見えるのは、年輪が味わい深い長方形型のテーブル。そして、右の壁には弓が、左の本棚には魔道書らしきものが飾られていた。
 全てがランタンの柔らかな光で、神秘的な余韻を含んでいた。その中でも一際神秘的なのが、僕とテーブルを挟んで座っているエルフの女性だ。
 きらりと流れ星のように光る黒い髪が胸元まで伸びている。
 その髪を後ろで大胆に纏めていて、その中性的な表情が一際目立っている。柳の眉に、理知的な匂いを漂わせる眼鏡、全てはドストライクだった。
 艶やかな雰囲気は、年を召したものにしか表れない独特な落ち着きを表していた。
 そんな彼女の目線の先にあるのは、一冊の分厚い本。恐らく魔道書だろう、その周りには、同じような本が散乱している。
 ようやく、僕が入店してきたのに気づいた彼女は、その落とした目線を僕の方に向けた。そして、ニコリと微笑み、いらっしゃいませ、と声を掛けてきた。タマラン。

 僕はゆっくりと彼女の方へ歩み寄っていく。足が床につくたびに、ギシギシと床板が小さな悲鳴をあげた。

「どんなご用件でしょうか?」
「はじめましてお目にかかります。私は、ジャック・ウッズというものです。シルフィさん、でよろしいですか?」

 なるべく紳士的に接してみる。僕が、彼女の名前を呼ぶと、少し驚いて眉を寄せた。どことなくその表情がレイドの親父さんと似ていた。彼女だ。間違いない。
 
「ええそうですけど……。どこで私の名を?」
「レイドさんをご存知ですか?」
「まあ、私のお父さんをご存知でなさって?」
「そうです。今回は、そのお父さんの頼みで来たんです」
 
 ピアスに触れ、ウィンドウを表示する。ウェポンボックスを表示し、左上にポツンと表示されていた弓をオブジェクト化する。
 しばらく待ち、発生した光がゆっくりと弓状になっていくのを眺める。そして、その光が収まったとき、レイドさんから託された弓が僕の左手に握られていた。

「それは……!」
「彼と別れるとき、頼まれたんです。これをシルフィさんに渡してくれって」
「そうですか……」

 僕が差し出した弓を、彼女は傷だらけの手で受け止めた。恐らく、弓を扱うときに出来たものだと思うが……これほどまでに傷が出来るものなのだろうか、少し疑問が残る。
 彼女はしばらくその弓を食い入るように見つめながらも強く握ったり、握る手を弱めたり。そんなことを繰り返していた。

「……父から、この弓の事は聞きましたか?」
「いや、聞いていません。ただ、シルフィさんに聞け、と」
「そうですか……」
「もしよろしければ、聞きかせて頂けませんか? この、弓のことを」
「ええ。いいですよ。父が信用した人です、言わない訳にはいけません」

 ピー、と。警告音が鳴った。ウィンドウが表示され、強制ログアウトまで三十分を切った事を報せる。
 ここからが本題だというのに……。もう少し早く来れば、と後悔しても遅かった。話の途中で勝手に消えるのもまた失礼だ。それならいっそまた明日出直すほうがいい。

「……すみません、用事が出来ました。また明日に伺ってもよろしいですか?」
「そうですか。判りました。ではまた明日、いつでもいらしてください。待っていますので」
「はい。申し訳ありません。必ず、必ず明日、来ますので」

 そのまま店を出て、冷たい風が吹く路地で、ログアウト処理をした。 

 悪夢に魘された後に突如目を覚ましたような興奮を胸にして現実に戻った時、ひどく気分が悪かった。
 原因は、言うまでもない。



 ある男が部屋去った後、彼女は自分の気持ちを整理するのに精一杯だった。
 突如表れた一人の男。それと共に、二度と目にしないと思っていた弓を、見てしまうだけではなく、自分が所持することになってしまった
 気分は、憂鬱だった。
 静かな部屋に、ことり、とテーブルに弓が置かれる音がする。
(どうして……どうして父は私に)
 判らなかった。彼女には、父の思惑も、この弓がまだ存在していた事も。
 全てはこの弓から始まっていた。今の自分がここに存在する理由。
(思い出すだけでも……)
 ぞっとする。彼女は無意識に自分の肩を抱いていた。背中を丸め、暗い恐怖に耐えて。
 その恐怖は消える事はなかった。そして、その恐怖が消す事が出来ないのが、ひどくもどかしかった。
 しかしそれでも、無理だとわかっても、彼女は恐怖にあがない続けた。知識を得て、対策を練った。そして、必要なものも全てそろえた。
 だが、だめだった。覚悟がなかった。封印を解く勇気がなかった。個人的感情で、またあの時のような惨劇は繰り返せなかった。
(この弓一本で私の運命、いや、父の運命はおかしくなってしまった)




 その弓、恐怖の根源となりしもの。
 その弓、神を討ち滅ぼしたもの。
 その弓、父にとって最愛の妻を、娘にとって最愛の母の命を奪いしもの。



 全ては、三十年前のあの出来事からはじまった――



[7217] Challengers 第五話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/03/26 21:31


 ゲームに登場するNPCにも人生が存在する。
 別におかしいことではない。人生、と呼べるような設定さえ組み込めば、それは人生になる。
 データであって人生。結局は認識と、どう呼ぶかの違いだけ。

 完璧はゲームに存在し得ない。何かしらの問題があり、矛盾がある。
 人の手に作られ、誕生した擬似的な命たち。年をとらず、作られたという自覚もなく、ただ無意識にプレイヤーの補助的役割を果たす。

 今、その法則が、崩れようとしていた。綿密に計算され作られた仮想世界の住人達。一人一人に人生があり、年をとってゆく。
 そこまで綿密なリアルを求めたスタッフたちは何を思い、Challenngersを作ったのだろうか。



第五話「相棒」



 町が、城が、燃えていた。黒い煙が天高くまで上ってゆく。その頂点は、仰ぎ見ても、目にすることが出来ない。
 そんな煙の柱が、何本もこの町に作られていた。
 原因は、神だった。
 ルセネ。十三番目の神。最弱にして最大の体躯を持つ女神。像のような作り物めいた体、感情の篭らぬ瞳。唇は固く閉ざされ、ただ佇んでいる。
 彼女の足下では無数に蠢く影。天使である。白い翼に獣のような赤い瞳、真っ白な鎧を着込んだ彼らは街に繰り出し、残虐の限りを尽くしていた。

 バニラスカイは、一瞬にして抵抗力をなくした。城はすぐさま陥落し、兵たちは天使に虐殺され、城の主である貴族らも全て殺された。
 静かな夜に包まれていた町は、炎で身を燃やし、大地を、全てを蹂躙された。

「くそっ、間に合ってくれ!」

 レイド・ジャクソン。彼はエルフだが、その腕を買われてミズガルドに仕え、教練官としてその才能を存分に開花させていた。
 また、ルセネの襲撃に一番最初に気づいた男でもある。

 丘陵の天辺に建つバニラ城からは、町の全容と、周囲一帯の景色を望める事が出来る。
 レイドは風にあたろうと外に出て、酒を片手に広大な景色を肴に一杯していたのだが、ふと、地平線に突起物を発見したのだ。それが、神だった。
 周りには知らせもせずに城を出た。それほど、レイドは焦っていた。神を見た、という事は死を宣告されるのと等しい。
 穏やかな死ではなく、壮絶な死が訪れる。生涯を全うすることなく、邪神の気まぐれによって、命を奪われるのだ。
 げんに、その大きな体躯を持つ者は、静かに此方へと歩を進めていた。満月のおぼろげな光が、全てを照らす。
 
 彼は、弓を片手に走った。矢筒に入っている弓が、こぼれそうになるのを空いた手で抑えながらも、緩やかな傾斜を、くだりにくだった。
 走るたびにブーツが地面を削る。道芝は宙を舞い、荒い息遣いが静まり返ったあたりに響いていた。

 ――そして、神の歩く音が、レイドの息遣いととってかわって、界隈を支配し始めた。



 天使が、襲い掛かっていた。右手に握っているスピアランスを大きく振りかぶっていて、その矛先は、幼き娘を守るように抱く妻の背中だった。

 レイドは咄嗟に、事前に番えていた矢を放った。その矢が右肩を貫く。
 痛みに耐えかねて発せられる唸り声や、体のバランスを崩して立ててしまう足音も、一切聞こえてこない。
 ただ、機嫌を損ねたような顔をして、天使はレイドを視界の真ん中に捉えた。

 ――レイドは理解した。実力の差を、種族の違いを。
 気だるげに肩から弓を抜き、此方を睨みつける天使に、レイドは身が竦んだ。
 
「うぉぉぉ!!」

 レイドは、その恐怖を振り払う。ただ、愛する家族の身の安全が一番だった。自分の命が、ここで消え去ろうとも、二人が生きてくれればいい、彼の頭の中では、その考えがぐるぐると反芻していた。

 彼は弓を捨て、腰にひっかけていたグラディウスを抜刀する。天高く振り上げられたグラディウスの刃が、赤い炎を反射して、燦然と輝いた。
 それを、一気に振り下ろす。豪腕から繰り出される必殺の一撃は、疾風のように空を切り裂いた。

 だが、その渾身の一撃は、天使に当たることはなかった。

「……森の妖精よ、お前の実力はそれだけか?」

 知性を垣間見せるその赤い瞳。人を射殺すような鋭い視線。体の自由を一瞬奪われたレイドは、手にもっていたグラディウスを弾き飛ばされ、宙に浮いていた。

「か、は……は」

 思うように息が出来ない。息を吸おうとしても、肺に空気が入ってこない。
 天使の首が気管を圧迫している。足をじたばたと動かし、必死にレイドは天使の手を首から引き剥がそうとする。
 だが、いくら爪をたてても、足を当てても、首にかかる手の力が緩む事はなかった。
(せめて、アリアとシルフィだけは……)
 逃げろ、という短い言葉さえも、発することができない。意識が飛びそうになる中、必死にもがいた。

「……もういい」

 飽きた、と言わんばかりに天使はレイドの体を地に投げた。受身も取れずに、無様に地面に叩きつけられる。体がその衝撃に耐えかねて悲鳴を上げる。石畳の上で、何度も転がるうちに、レイドの体は擦り傷だらけだった。
 レイドは生き返ったとばかりに、大きな声を上げて、新鮮な空気を肺に送り込む。うっすらと開いた瞼から見えた天使は、弓を構えていた。

「せめて黙って死ね」

 レイドは思った。この死意は味がないと。娘と妻に逃げろと言っていないし、愛しているとも言っていない。
 だが、非情なことに、矢は弦から離れて、一直線にレイドの胸に突き進んでいた。その光景を、彼はただ見ていることしかできなかった。

 身を呈して矢の進路に立ち塞がった妻の背中も。

 鏃が見えた。ただひたすらに赤い。熟れたトマトを貫通したような赤さだった。
 妻の体は、ビクリと痙攣してから、糸が切れたマリオネットのように地に崩れ落ちた。
 表情は伺い見ることは出来ない。レイドは、妻へにじり寄った。娘もまた、同じように駆け寄った。
 
 もう、絶命していた。心臓を貫いた矢のせいだった。瞼は閉じきらず、虚ろな目が覗いていて、緩みきった表情からは本当に彼女が死んだ、という事実しかしらせてくれない。
 娘は泣き叫びながら体を揺さぶり、レイドは唖然とし、自分を殺したいと思った。

「ちっ、余計な真似を……」

 天使はまた地面に散らばる矢の一本を手にとった。ゆっくりと、落ち着いた手つきで矢を弦に引っ掛け、引き絞ってゆく。
 口元には冷ややかな笑みを浮かべ、この殺戮を楽しんでいるように見えた。
 それを確認したレイドは打ち震えた。精神が、体が、怒りに支配されてゆく。

 ――なぜ、こんな天使に一番愛する妻を奪われたのか、何故奴が笑っていられるのか。許せなかった。
 愛する妻を殺した事が。娘の愛する母を殺した事が。矢はレイドの胸を捉えていたが、本人にとって、そんな事はどうでもよかった。
 殺す、殺してしまう。いくら自分が死のうが、天使さえ道連れにすればどうでもよかった。ただ、武器も持たずに疾走した。それを見て、天使が笑った。



『吾怒りに打ち震えんとし 風の精霊に呼びかけん ここに我が敵を死へと かまいたち』



 天使が弓を射ようとした瞬間、目に見えぬ風の刃が天使を襲った。
 天使はあらん限りの声で叫び、その刃から逃れようとする。だが、いくら逃げ回っても風は天使の体にダメージを与え、確実に命を奪い続けていた。
 徐々に声が小さくなり、動きもゆっくりとしたものとなってくる。
 そして、地に崩れ落ちたとき、彼は命を落としていた。



「吾怒りに打ち震えんとし、風の精霊に呼びかけん、ここに我が敵を死へと。……後から知りましたが、この魔法を使用したのは、ヴォダンでした」
「ヴォダン? ヴォダンとは、あの神を封印した……」
「そうです。彼が天使を殺したんです。その後、なぜか炭となった弓を魔法で直しました」

 シルフィさんは眼鏡をくいっ、とあげてからテーブルの上に置かれていた弓を指して、これですよ、と言った。その眼差しは、どこか遠い過去を思い出し、哀しんでいるかのようだ。

「その弓を使って、ヴォダンはルセネを討ちました。本当にあっけない最後でした。弓がルセネの頭にささって、矢が光ったかと思うと、ルセネは咆哮しながら消えていったのです。……それから、彼は町を鎮火してから何処かへ消えてゆきました。元々十三神でしたが、十二神と呼ばれていたのは、このためです。ヴォダンが唯一、討ち滅ぼした神、それが、ルセネです」
「そうでしたか……。すみません、こんな話を伺ってしまって」
「いいえ、いいんです。父から頼まれて、こんな一生掛けても判らないようなところにある店を訪ねてくれたんですから。せめて、これくらいのことはしないと」

 そう言ってシルフィは口元に手をあてて小さく笑った。それにつられて、僕の頬も緩む。

「さて、最後に一つ、頼まれてくれませんか? ジャックさん」
「はい、なんでしょうか?」
「この弓をあなたが使ってくれませんか?」
「え? それはまた、どうしてですか?」

 シルフィさんは天井を仰ぎ見た。僕の視線も天井へと向かう。そこには、ただ木目調の天井が、頭上一面に広がっているだけだった。

「その弓は、私にはいりません」

 そう言ってから、また哀しげに笑った。

「そして、父にとってもいらない弓です。少々手を加えれば十分つかえる代物ですし、よければジャックさん、受け取ってはくれませんか?」
「いや、しかし……」
「報酬」
「?」
「父から貰っていないでしょう?」
「あ、そういえば」

 思い出した。金も物品も一切もらっていない。いや、別に貰わなくても問題はないのだ。いつも弓の技術に関して教えてくれたし。 

「報酬の代わりに貰ってはくれませんか? そうしてくれると、こっちも助かるんです。お願いします」

 そういう訳で、五分ほど続いたシルフィさんのアタックに、僕は折れる形で了承した。



 森の中で、地獄を体験していた。
 次から次へと沸いてくるモンスターの数々。人の形をする者もいれば、そうでないものもいる。

 ただひたすら逃げていた。狩人らしいプレイを望み、素早さスキルを上げておいて本当によかったと思う。
 本来なら、敵との距離を中距離か遠距離まで離す目的であげたのだが……。
 使い道が予想していたものと違い、少し悲しくなった。

 変わらない景色の中で、ひたすら走る。もう1キロくらい走っているんじゃないだろうか。
 息は殆ど切れることはない。なぜなら、ゲーム内では走る距離はスタミナに左右されるからだ。
 高ければ高いほど、長距離を走っていられる。ただ、限界を迎えると、その場から一歩も動けなくなるが。そういえば、PS3でやったモ○ハンのような感じに似ている。
 とにかく、敵からの逃亡戦では、そのペース配分が重要になってくる。臭玉や錯乱玉といった状態異常が発生する道具を使い、うまく立ち回ってスタミナの回復を図りつつも、森から出るためにひたすら走った。

 依頼は、森の中にある泉の聖水を取りにいくことだった。
 その聖水はどんな病気にも効くらしく、非常に重宝されていたようだが、モンスターが増えた事により、とれなくなったのでとってきてほしいという普通の依頼のはずだった。
 森に入るとあらびっくり。あたり一面に敵、敵、敵、敵。
 非常時のためにストックし始めていた一本が五本分に値する状態異常付加の矢を霰の如く使いまくり、一つ100Gする高価なマムシドリンクを三つ空にして、ひたすら走った。
 そして泉に到着して、ボトルタンク一杯に聖水をいれ、また森に突撃した。弓は走るときの邪魔になったので、途中で使いまわしがいい鉈に持ち替えてひたすら逃げた。逃げた。
 狼を振り払い、付きまとう蝙蝠を火の魔法で丸焼きにして。

「え、え、え、なんでだー!!」

 森を出たらモンスターは追ってこなくなるはずだった。理由は知らないが、仕様でそうなっているのだと思っていた。
 だが、今日その事実が嘘だと身を持って知ることとなった。
 ひたすら街道を沿って走る。狼の飛びつき攻撃に足を掬われそうになりがらも走った。臭玉を投げて狼の鼻を効かなくさせたりしたが、あまりの臭いに自分の鼻も効かなくなってしまった。
 閃光玉も街道で2個ほど使った。開けた場所だったので、効果は絶大だった。背中を向けていたとはいえ、少しちかちかしてこけそうになったのは内緒だ。
 時折出会う、パーティを組んでいるプレイヤーたちに犠牲になってもらいながらも逃げた。そして、十五分後。

 

 死んでしまった。



 本当に迂闊と言いますか……情けない。
 まだ狼に襲われてこけたのなら判る。
 ペース配分を間違えてスタミナが切れてしまったのなら判る。
 だが、カリザニアの門兵の顔がわかるくらいの所まできて、最後の最後で躓いてこける、というのは流石に自分を殺したくなった。

 真っ暗な部屋でデスペナルティとして今日一日の経験地没収と、聖水の没収の報告を受けて、目が覚めた。

 ハッチが開いて生暖かい風が入ってくる。
 ベットから降りて、大きく背伸びをする。掛け時計は二を指していた。午後十四時。蝉の声が聞こえる。カーテン越しでも日差しは強く、酷く蒸し暑かった。
 プレイ時間は僅か一時間。やっちまったな、と思いつつ部屋の扉に手を掛ける。
 
クローズドβテスト開始一週間目の事だった。



 今日の昼ご飯は素麺だった。
 妙に生暖かい素麺を口の中に運びつつ、頭の中ではここ一週間の出来事を思い返していた。

 二日目に奇妙な弓をもらい、五日目に自分のプレイスタイルをなんとなく理解して、溜めていたスキルポイントを必要な所に振り分けた。
 六日目に金を稼ぎつつ、アイテムボックスを賑やかにしようとしたら、次の日に殆ど使っちゃった、と。その事件が起きたのが先ほどだったこともあり、吹っ切れておらず今だ気分はブルーだ。

 他の三人とは初日以来フレンド機能で交流はとっているが、会っていない。
 自分は、あの戦いで一度自分の戦い方を見直したほうがいいと思って、自ら皆に近づくようなことはしなかったのだが、どうやら三人も同じ心持だったようで、メールでは練習、修行、という文字がよく出てくる。

 そんなソロで自分の道を探そうとしている四人とは違い、世間では集団での行動が目立った。
 早くも大所帯のギルドが登場し始めたのだ。ミズガルドに仕えた者達で結成した兵士集団の「サンチャゴの騎士団」。同じくノートに仕える者同士で結成した「黒の騎士団」がそれだ。

 まず、このゲームには国、という概念がある。
 簡単にいうと、国に忠誠を誓うことで、プレイヤーのサポートをしてくれるものだ。
 デメリットとして、職業も限られたものとなったり、他の国に入国するときは金をとられたりすることが挙げられる。
 今のところ自分としては自由気ままにやりたいので所属はしていない。

 話を戻すが、両方のギルド合わせて全プレイヤーの三分の一が所属し、各々がこのゲーム最大の目玉である『神の封印』のための準備を着々と進めている。
 他の三分の二は何をやっているかよくわからないが、ソロかパーティ組んで実力を上げるために狩りでもやっているのだろう。

 自分としても、是非一度神を拝んでみたいものなのだが、やはりそのためにはどこかのギルドに所属しなければならないのだろうか。
 ソロの弓使いに憧れているのもあって、ギルドでひたすら援護射撃、という事はしたくないのだが……。

「どうするべきか……」

 一つの方法として浮かんだのが、斥候隊の後にこっそりついていく、といったものだ。
 地味だが確実。斥候隊が道行くモンスターたちを倒してくれるので、自分が死ぬ心配なんてそれほどしなくていいし、タダで神さまを拝めるのだからかなりお得な案だ。
 問題はどうやって事前にその情報を得るかだが……。
 基本的にChallengersをプレイする人というのは大体がインターネットを介して何かしらの情報を得たり、提供したりしている。
 ギルドに所属する人の場合は、大体提供する側に回る。知名度が欲しければ、もちろん積極的に行ってくる。
 もしかしたら、斥候隊を出す事が決定したら、詳しい日時をホームページで公表するかもしれない。
 だから、それをあてにして待てばいい。もし公表がなければ素直に諦めよう。



 受験勉強などで一日が過ぎ、アルフヘイムのヘスティア山の麓に来た。樹海のように生命力がない木々たちがあたり一面鬱蒼と繁っている。
 ヘスティア山の頂上には、十二番目の神が封印されているのだ。神の名前はもちろんヘスティア。能力や強さなどは今だ解明されていない。
 森を歩き回って狩っていると、所々でギルドに所属している人物らしい人が、二人か三人固まってなにやら囁きあっている。おそらく、再封印のための下調べなのだろう。ご苦労様だ。
 麓にはそれほど強いモンスターはいない。迷わなければ、の話だが。獣道から外れると、途端に周囲のモンスターが強くなる。
 その分、経験地を稼げて嬉しい話だが、そのことを知らない人らにとっては地獄、ここは云わば初心者のための登竜門だと言われている。
 もちろん、自分はその話を知ったうえで獣道から外れていた。まったく不安に思わないのは恐ろしいほどの正確性を誇るGPSもどきのお陰なのか、それとも自信の表れなのか……。
 木に登って索敵スキルを発動する。スキルには、常時発動型のスキルと、何かしらの行動を起こす事によって発動する手動型スキルの二つがある。この索敵スキルは後者にあたる。
 目を見開き、周囲を注意げに見回す。四面を敵によって塞がれるのは、非常に面倒臭いということが前回の戦いを通して嫌というほど伝わったので、なるべく慎重に動く。
(戦っている気配がする)
 三六〇度見渡す眼がとある場所でとまる。そちらの方から、プレイヤーとモンスターが戦っているらしき気配が感じられたからだ。

「左に敵一人、右にプレイヤー一人か」

 そしてプレイヤーは劣勢を強いられている。なんとなく、そう感じる。周囲の敵の気配が一つだけなのを改めて確認して、援護に向かった。



「げ、マスカットじゃないか」

 思わずそう呟く。茂みを掻き分け、自分が居る事をばらさないようにそっと近づき覗いてみると、このブロックでは滅多に出会わないレアモンスターと呼ばれているマスカットがいた。
 ここだけ開けている場所になっているのは何故だろうか。

 マスカットを見た時の第一印象では、十人が十人同じ印象を受けるだろう。あ、ゴリラがいる、と。
 だが、大きさが普通のゴリラではない。軽自動車一台分はあろうかという体躯に、コブラのように長く、ズッシリと重みをもつ尻尾。そして少々弱いおつむに強靭な牙と嗅覚をもつ頭部。

 見た目で攻撃力は高いんだろうけど、のろいんだろうなぁ、と思ってしまうが、それは間違いだ。
 異様なほど素早い身のこなしに、変則的な動き。所謂トリッキータイプのモンスターだ。
 そして、その動きから繰り出される尻尾のたたきつけやら、豪腕から繰り出される横薙ぎに叩きつけ。マスカットが繰り出す一撃死の『食べる』なんぞ直視できるものじゃないらしい。
 だから、素早く動き回りながら一撃必殺の攻撃を繰り出してくるマスカットは、初心者やソロにとっては一番キツイ敵だ。ここが登竜門と呼ばれるのは、このマスカットのためらしい。

 噂で特徴を耳にした事はあっても、今回初めて眼にするマスカット。
 口元から垂れまくる涎が汚く、六歳児並の知能を持っている彼は、意気揚揚、ウホウホと胸を叩く。

 こんなモンスターを相手にしているのは、金髪の男だった。どことなく売れている二枚目男優のような臭いがするのは気のせいではないらしく、一々する仕草がキザったらしい。
 よれよれのグローブとブーツに、黒いズボン、薄黄色のシャツを着ていて、オレンジのジャケットをその上から羽織っている。
 手に持つのは細身のレイピア。それを使い、マスカットが安易に攻撃をしてこないように、けん制をかけている。
 しかし、こんな状況がいつまでも続くはずもなく、時折織り交ぜられるフェイントに引っ掛るたびに体制を崩し、その度に少しづつヒットポイントが削れていく。黄色になる一歩手前らしい。

 と、こんな状況説明なんてやっている暇もなく。
 アイテムボックスを開き、吹き矢を取り出す。

 弓に拘るのもいいと思うが、世の中そんなに拘ってうまくいくはずない。戦況に、戦場に合わせたプレイスタイルをする者が、最後に笑うのだ。
 それに、茂みの中でまともに弓が射れる筈がない。射れば最後、確実に自分の存在がばれる。
 この状況で、効果のある先制攻撃をしないのは馬鹿のする事だ。二枚目には悪いが、もう少し頑張ってもらおう。
 状態異常麻痺を持つ矢を放つ。圧縮された空気に押され、疾風のようにマスカットの腹目掛け突き進み、そのまま腹に吸い込まれた。そこで僕は素早く伏せる。マスカットの視線を感じるが。動かない。動かない。
 ひたすら気配遮断のスキルが役にたっている。
 ラッキーな事に、その二枚目男はその隙を逃すまいと、マスカットに攻撃を仕掛けたようで、刺すような視線が消え、そのかわり、けたたましい唸り声が界隈に響いた。

 茂みの中で、今度は状態異常毒を持つ矢を装填した。そしてそのまま匍匐前進する。
 ふと視界が開けた。目の前では、マスカットと二枚目男がひたすら尻尾と剣を交えていた。
 そこにもう一度マスカットの腹目掛けて矢を放つ。

「フッ」

 先ほどと同じように真っ直ぐ軌道を描きながら、見事に腹に刺さった。
 また素早く茂みに戻るが、最後の最後で頭に睨みつけるような視線が僕の体にささったのに気づく。
 慌ててイテムボックスからスモールシールドを取り出す。そして、それを頭の上に構えた直後、衝撃が走った。

 閉じていた目を見開き、上目遣いで盾の方を見る。ずっしりとした重みとともに、盾の耐久度を表すゲージが半分以上減っていた。尻尾だ。

 慌ててバックステップを繰り返し、距離を取る。その時、二枚目男と眼が合ったが、マスカットの注意がこっちにそれていた事に気づくと、そのまま斬りかかっていった。
 盾をしまい、木々の切れ目から薄っすらと覗く、マスカットの馬鹿でかい体躯に向かって弓矢を射る。小枝や葉っぱに妨害されながらも直進し、マスカットに直撃した。
 そして叫び声を聞きながらそのまま時計回りに移動する。向こうから刺すような視線が送られてくるが、目の前にはレイピアで切りかかってくる二枚目一人。此方に手を出す余裕はない。
 真後ろに回って、矢を番える。今度の矢は攻撃に特化した特別製だ。鏃の面積が従来の者とは違い、三角形状になっていて、抜けにくいようになっている。

 体躯に似合わない小さい頭に狙いはつけにくく、ここは諦めて胸にあてる事にする。胸部は頭部の次にクリティカル率が高いからだ。
 精一杯引き絞り、狙いをつけて放つ。みるみるその体に矢が吸い込まれ、ブスリと刺さったが最後、辺り一帯に大きな叫び声が響き渡った。
 これは、もう死ぬ、という証だ。最後に仲間を呼ぶために叫ぶのだ。クリティカル、とマスカットの頭上で表示されていた文字が消え、それと共にヒットポイントを表していたゲージが消えて、マスカットはゆっくりと前向きに倒れていく。
 バタン、と倒れ、少し砂煙が舞ったところで、僕は緊張に固まっていた体を休めた。



「そこのお兄さん、助かったよ。ありがとうね」

 ポーションを口に含んでから二枚目男のジョー・グリーソンは例の言葉を投げかけてきた。相変わらずキザったらしい。

「いえ。こちらこそありがとうございます。途中から参加したのに、ドロップアイテムを半分も貰って」

 助けてくれたお礼、と彼は言ってドロップアイテムを二分割し、その内一つを僕にくれたのだ。中々気前がいい。

「いいのいいの。あのまま戦っていたら死んでたからな。マスカットはパーティでやると頭が弱いから簡単にいけるんだが、ソロだときついな。手数が豊富だから」

 そういって、腰につけているポーチから煙草らしきものを取り出した。初級魔法で指先に火を灯し、その日で煙草に火を着け白い煙を虚空に吐く。
 この世界での煙草は、精神的高揚を抑えるのと、精神力の一時的増加に一役買っている。

「そうですか。しかし、なんでまたこんな所に一人で?」

 そう僕が言うと、彼は片目を閉じた。

「いやね、この際だし言っちゃうけど、私はαテストからの参加者でね。αテストをしていた当時と同じ感覚でこの森に入ったらマスカットと遭遇して苦戦しちゃったわけなんだよ」
「ということは、ジョーさんはマイクロサーバーの関係者」
「そういうこと。……ところで君は、一般公募で受かったのかい?」
「いや、違います。社内公募です」

 そう僕が言うと、嬉しそうに顔をほころばせた。

「そうかいそうかい。なら、もしかして私か友達のことを知ってるかもしれないな。広報関係に勤めていてね」

 広報業務といえば僕の父親の仕事だ。もしかしたら父の事を知っているかもしれない。

「では……。自分が知っている会社勤めの知り合いを一人。広報部長の山下さん。ご存知ですか?」

 ジョーの顔色が変わった。片眉を吊り上げて、ん? といった顔をしている。

「ああ、知っているよ。彼のことはよくね」
「そうなんですか。彼とはどういう関係で?」
「実はね、山下は私だ」

 しばらくぽかん、としていると嫌でも正気に帰る声がした。
 複数のマスカットの雄叫びだ。傍らに腰掛けていたのだが、その声を聞いて急いで立ち上がる。ジョーも携帯吸殻に半分も吸っていない煙草を突っ込んでレイピアを抜いた。

「さぁ、どうする? ここを死地とするか、このまま逃げて酒でも飲むか。君はどっちがいい?」
「断然後者」
「君とは話が合いそうだ。そうなれば話が早い。退散しよう!」

 ジョーはレイピアを収め、そのまま背中を向けて走り出した。
 もうすぐ側まで近づいているマスコットの雄叫びに鳥肌を立てながら、僕も急いで彼の後を追った。



「では乾杯」
「乾杯」

 生ビールが入ったジョッキ二つ。結構大きい。それをジョーは瞬く間に飲み干していく。現実とは違い、これは擬似ビールだ。
 未成年でも飲めて、実際はリンゴジュースの味がする。
 僕はつまみに、馬刺しもどきを食べる。これまた馬もどきからとった肉らしい。レモンをかけて食べると中々どうして、ビールと合う。

「それで……私の正体も明かしたんだ。できるなら、君の正体が知りたいな」

 辺りは喧騒につつまれている。NPCとプレイヤーがごっちゃになって、酒場を盛り上げている。
 肝っ玉母ちゃんという形容がピッタリのおばさまが若々しい女性達にひたすら指示を飛ばしている。そんな中、僕らはカウンターの隅っこでうまそうにビールを飲んでいた。

「……山下宗一郎四十九歳。広報部長で妻子持ち。一姫二太郎の理想的な家庭をもち、長女は一人暮らしで、長男は大学受験の真っ只中。息子さんは社内公募でゲームに参加」

 そう僕が言うとジョーはひどく驚いた顔をした。そりゃ、家庭のことまで知っているんだから当然だ。

「あまり個人情報をゲームで垂れ流すのはよくないと思いますぜ、父さん」

 しばらくの沈黙。そして堰を切ったようにくすくすと笑い始める。自分も自然と頬が緩む。

「はっはっ、なんだ、そうだったのか。誠か。そうかそうか、意外と渋い男が好きなんだな」
「む、失礼な」
「まあ、そう言うなよ。でもしかしあれか、本当に誠なのか?」

 意外と疑り深い。顔が判らないゲームでは当然と言えるが。

「父はβテストの三十分ほど前に電話してきた。内容は、現実と仮想世界の区別をつけろ、じゃないとお前からゲームを取り上げる、といった内容の話をした」
「そうそう、正解だ。なんとなく喋り方でそうじゃないか、と思ったんだがイマイチ信用できなくてな。……見た目おじさんだしな」

 なんだ、渋いおじさんが好きなのはいけないことなのか。じゃあジ○リはどうなるんだ。豚さんは、筋肉自慢おじさんはどうなるのだ。
 そんな抗議の言葉を飲み込みつつできたのは、愛想笑いだけだった。

「でもさ、なんでジョーがβテストやってるの?」

 やっとこさ抗議の言葉を飲み干したとき、疑問を投げかけた。
 親父も暇人ではないだろう。仮にも広報部長さんだ。

「いやな、社会っていうのは上下も大事だが、横の繋がりも強いものでな、他の部と結構仲良くやらせてもらってたんだけど、ある日制作部の方から招待してもらって、何だ、と思って行ってみるとαテストやらせてもらったのよ。それからβもやらせてもらってる訳。それに……この話はいいか。ま、そういう訳なんだよ」
「そっか」

 それから、制作部の方から結構ゲームについて詳しく教えてもらったり、お礼に蕎麦を奢っていたりするらしい。
 中でも一人すごい大食家がいるそうだ。それについてえらく嘆いていた。そうして親子のゆるやかな時間は過ぎ……。



「――なあ我が息子。せっかくだ。二人仲良くちょっと大きい依頼でもやらないか?」

 この発言がきっかけで、僕らの存在がいろんな意味で問題視されるとはこの時、少しも思わなかったのであった。



[7217] Challengers 第六話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/04/04 21:30


 ゲームの匂いはあまりしない。妙に現実の匂い漂う仮想世界。
 人は今だ掴みきれていないゲームシステムを理解しようとしていた。
 零距離から弓を射ても威力は落ちず、インドアの人間が百メートルを走ったところで息切れは起こさない。
 一方、四十二キロを走りきる体力を持つ人間は、一キロを走ったところで息も切れ切れだった。 



第六話「一時間五十五分」



 その遺跡を一目見たとき、テレビ番組で時たま放送される遺跡特番なるものを思い出した。
 かつては汚れのない白が、燦然とこの界隈一帯に自身の存在を知らしめていたのであろうが、今となっては積年による放置によって、色は黄色く変色し、柱には蔦が絡みつき、その面影は一目見るだけでは残っていないように見える。

 しかし、それでもよく見やれば気品が漂い、端然としており好感が持てる。
 その威厳から、かつて雲上人が住んでいたと言われても納得がゆくこの遺跡は、確かに他の依頼とは違う匂いがした。

「しっかし、奥が見えんな」

 ジョーは遺跡の入り口の側で暗い室内を覗きみながらそういった。その声が入り口の向こうで反響して、数秒ほどジョーの声が薄気味悪くあたりに響かせる。

 トンネルのように遺跡の中は薄暗く、また奥に向かって真っ直ぐと伸びている。窓も無く、まるで、この遺跡自体が一つの大きな生き物のようだ。
 不気味な事に、僕らが中に入った途端、壁の窪みに取り付けられていたロウソクがいっせいに火を灯した。
 ぼんやりと橙色がかった光によって照らし出された彫刻や壁絵は、恐怖心と不安を煽ることに一定の効果をもたらした。
 これについて、ジョーは「ただの演出」と言ってはいたが、少し心細くなった。

「なぁ、我が息子よ」
「何?」
「そろそろ出てくると思うんだがなあ、ビビるなよ?」
「どういうこと?」

 それから、妙な沈黙と共に、数十メートルほど歩いた。

 すると、どうだろうか。
 突如として地響きが起きた。腹の底からなっているような、何かが近づいてくるような音だ。
 それは、背後が震源のような気がしてならない。現に、後ろから追いかけられているような、肛門がきゅっと引き締まる感覚が、尻から背中、脳髄へと駆け上がった。

「息子、後ろを見るな! 走れ!」
「え?」

 突如の命令に戸惑い、また後ろを見るなと言われたので、好奇心から後ろを覗いてしまった。

 腐っている。だが、それでも"身"が腐り落ちる事はなく、勢いをつけ地面を蹴り走っている。
 何とも形容しがたい、地獄の底から聞こえてくるような理性のない声に、ぞっとしてしまう。そして、その容姿にも。
 僕はそれを視界に捉えた瞬間、本能的に地面を蹴って走り出した。
 前方では、息子の安否なんてどうでもよさげに、僕の方を見ながらにやけ顔をしているジョーがいる。

「どういうことなの、これは」
 
 僕は追いついてからそう叫んだ。相変わらず涼しい顔して走っているジョーは、相も変らぬ口調でこう言った。

「遺跡に入ってしばらくすると、後ろから腐ったモンスターが追いかけてくるという仕掛けが施されたスリル満点の廊下だ。どうだ、びっくりしただろ?」 
「親父、やっていいことと悪いことがあるのは判るよね? もう四十代なんだから少しは自重してよ」

 僕はそう言いつつも、後ろから追いかけてくる醜悪の固まりを気にして、ちらちらと後ろを肩越しに覗く。
 覗くたんびに距離が縮まっているような気がして、肝っ玉が芯から冷え上がり、少し走るスピードが上がってしまう。

「息子にこんな状況でそんなことを言われるとはなあ。やっぱり姉ちゃんがおてんば過ぎたのが原因だよな……」

 そう一言、独り事を述べた直後。
 ジョーは地を蹴る足を止め、勢いよく後ろへ振り向いて右手に握っていた玉を放り投げた。

「目を閉じろ!」

 その叫びに、僕は走りを止めてぎゅっと目を瞑った。



 ――刹那、眩い光が瞼越しに伝わってきた。
 その光を放つ物は、先ほど父の手から投擲された閃光玉だとすぐに理解した。
 威力が普通のものと違うところを推測するに、大玉を使ったらしい。閉じていた目をあけ、そのまま振り返る。

 モンスターらはぐったりと地べたに這いつくばり、何とも言葉にし難い唸り声をあげていた。
 尋常ではないほどの土埃が空に舞っていところを見るに、彼らがいかに大群で追いかけてきたのかが伺えた。
 後続の方はそれほどダメージを受けていないらしく、こけたモンスターに足をひっかけながらも、此方に向かっておぼつかない足取りで歩きよってきている。

「よし、今のうちに逃げるぞ」

 僕は黙って走り始めたジョーの背中について行った。



「あのね、こういった場合には事前にこういう事がある、という事を話すのが筋というものでしょう。違いますか? ええ?」
「いや、だからだな、サプライズ的なノリで驚かそうと思ってだな。たまにはこういう刺激もいいだろ?」
「サプライズはサプライズでいいけど、やりすぎ。罰として母さんにエロ本買った事をばらすからね」 
「……なぁ、息子よ。ここは蕎麦を奢るから許してはくれないか?」
「許すにあたって、親父は言うべきことを言ってないよね?」

 あれから、スリリングな時間が十五分ほど続いた。モンスターが一定の距離まで近づいてきたら閃光玉を投げ、相手の体制が崩れている内に、一気に距離を離す……の繰り返し。
 こちらには決して追いつかないと判っていても、子供なら失禁してトラウマになるレベルのグロテスクな容姿をもつ彼らに、徐々に追い詰められるという貴重な経験は、成人を手前にした僕でも十分トラウマとなった。

「いや、本当にすまなかった。ちょっとやり過ぎたよな。ごめん。次からは気をつける」

 すっかり意気消沈したジョーは、へこへこと頭を下げながら反省の念を述べた。このシーンだけをくりぬくと、どっちが親でどっちが息子だか判らない。

「サプライズはいいから、事前にこういうことはキチンと知らせてよね」
「わかったわかった」
「で……ここは何処?」

 そう言ってから、両手を広げて広間を見渡す。
 赤い絨毯が門から王座に向かって真っ直ぐ伸びており、その脇に左右対称で並べられた騎士の像たちは、片膝をつき王座に向かって敬意を表していたり、王座の脇にいる騎士は剣を構えて王を守らんと切先を地につけ直立不動のままで、凛とした雰囲気を纏って凝然と立っていたりした。
 所々にポツンと染み出ている茶色い錆びが、黄金時代が終わって久しいことを哀しげに身で表していた。
 ステンドグラスから侵入してくるおぼろげな光は、全てのものを淡く映し出している。
 自然と心持穏やかになり、この寂しげな世界に、暫し見とれてしまう。

「古代の王、ラフレシア王の広間、という設定の遺跡だ。ここに、依頼の宝が眠っているんだよ。……そろそろ来る。準備しておけ」

 その言葉にふと、ここに来た意味を改めて再認識し、意識をステンドグラスから戻した。この広間にある宝箱の回収。
 一つ命を晒して勝負に挑む。ここにこのゲームの醍醐味がある。擬似的だけれど、限りなくリアルに近い命の駆け引き。他の人はどうだが知らないが、僕はそんな駆け引きにゾクゾクと底知れぬ興奮を煽られる。

 弓を手に持ち。弦に矢の筈をひっかけいつでも攻撃を繰り出せるよう準備しつつ、辺りの気配を探る。
 まだ敵の気配は存在しないが、自分の中にある第六感が、ジョーの警告と相まって、もうすぐ敵が来るということを頭の中で警鐘を鳴らせて知らせくれた。

 王座の手前にある階段付近で、ジョーは右手にレイピア、左手にマンゴーシュを逆手で持って石像のように固まり、僕と同じように気配を探っていた。



 そして、その体が、ビクリと動いた。
 ――瞬間、ジョーは王座に向かって駆け出していた。僕の第六感も、王座付近に敵が居るという事を教えてくれたので、王座に矛先を向けて、ぐっと弓を引き、いつでも援護できるようにする。

 そして、焦点を鏃から王座の方へと移動させた。
 前傾姿勢で王座に座っている骸骨が最初に目につき、少し驚く。
 着用している服はかつては高級な衣服だったもので、庶民には絶対に手に入らないような価値を持っていたのだろうが、今はその価値を完全に失っていた。
 破けた部分から薄い黄色がかった汚らしい骨が垣間見れ、その頭には輝きを完全に失った王冠がポツンといつ落ちても可笑しくないような角度で座っていて、長い髪は抜け落ち、服や骨の中に侵入しているものもある。

 そして、その王座の後ろに、もう一人、誰かが居た。その者は、濃い霧の中にいる人間のように、曖昧な輪郭を形成していた。
 しかし、霧の中に居る人間と決定的に違ったのは、顔つきがはっきりと判り、虚無に彩られた瞳に吸い寄せられそうになる事だった。

 宝石を惜しみもなくふんだんに使用したローブを纏う、やせこけた肢体、長い髪の上に自身を激しく主張する王冠。そして、それを身につけるに値する風格。
 それは、かつて人間だったものと照らし合わせると、不思議と身体的なことに関しては全てが一致した。

 ――あの男は、王座に座っている者の、昔の、生きていた頃の姿ではないだろうか。そんな推測が頭に浮かんだ。

 ジョーのレイピアがその男の体を貫いた。しかし、貫かれた本人の顔からは、一切の感情も映し出されない。
 僕は、その一連の事柄を観察して一つの錯覚を感じた。立体映像に悪戯をしているような錯覚をだ。

 その様子を見て、ジョーは瞬時にバックステップをして、その男から距離をとった。
 靴裏が大理石の床と摩擦を起こし、少し不快な音が鳴り、やがてその音は消える。
 この音に、幽霊男は眉を上げるという行為で反応を示し、閉ざされた口を開いた。

「随分威勢がいいな」
「そうだな。早く終わらせて帰りたいからな」

 その言葉を聞き、男は歩き始めた。いや、歩き始めるというのは齟齬がある。実際には、足を動かさずに移動しているのだ。
 氷の上をすべるように、こちらへ向かってくる。
 まるで幽霊、いや幽霊なのだろう。幽霊だからこそ、あの攻撃を身に受けたとしても、痛みすら表情に浮かばせなかったのだ。
 
 階段の一歩手前で、男は止まった。

「そうか。では、君たちを死体として送り返してやろう」

 目は見開かれ、その口からは呪文らしき言葉が紡ぎ出され始めた。

『我 呼び起こさん嘗ての戦友 今蘇りてかつての契りを果たさんとし』

 男の周りに魔方陣が浮き上がる。魔方陣が表示された、という事は上位魔法の発動を意味する。
 要するに、彼は僕らの葬儀をしたいがために、棺桶をここに持ってきたということだ。後は、二人を棺の中に収めれば大体の作業は完成してしまう。。

『ここにその証を表せ』

 王座の脇に直立不動している二つの騎士を模した像が、突如として動き始めた。
 肩を大きく痙攣させてから、手に持つ刃渡り一メートルほどの剣を杖に、ぎこちなく歩き始める。やがて準備体操なんてものを行ってから、武器を構えて突進してきた。

「ジャック、あの幽霊野郎と銅像野郎には攻撃しても無駄だ! 狙うなら王座の遺体を狙え!」

 その言葉通りに矢の矛先を幽霊から王座に座る遺体へと替える。
 矢を握っていた指を全て離し、矢が風を切って向かう先を見つめる。

 遺体に矢が刺さった時、凛と清まして僕らを見つめていた男の表情が僅かに変わった。痛みを感じ、その痛みを表情に表すまいと、顔を歪めて苦しんでいる。頭上のヒットポイントが、僅かながら削られていた。

「ほう……面白いな。もう見抜いたか。実に面白い。これは殺し甲斐がある」

 やせこけた頬に、笑みのせいで暗い影が射す。
 瞳は、虚無に取って代わって、熱く燃え滾る情熱の色が嫌というほど伺えた。
 どうやら、冷たい油に燃えているマッチを投げ入れたのが原因らしい。

『我 呼び起こさん嘗ての戦友 今蘇りて過去の契りを果たさんとし ここにその証を表せ』

 今度は、階段の側で手を交差し、片膝をついていた騎士が動き始めた。王座の脇に射た騎士と剣を交えていたジョーは、僕が居る門の前まで後退してきた。

「ちょっと親父、これからどうするの?」
「とりあえずだな、私は幽霊と銅像野郎の注意を惹く。ジャックは、ひたすらあの死体を攻撃すればいい。簡単な仕事だ。気楽に行こうぜ」

 ジョーはそう言ってから、再び騎士の下へと、果敢にも攻め入った。
(ではここは父に任せておいて)
 オブジェクト化してポーチに仕舞っておいたマムシドリンクを取り出して飲み干す。
 一定時間スタミナの低下を抑えるという効果をもたらしてくれるこのドリンクは、ある程度のレベルの敵と戦うときは必需品といってもいい。
 剣を振るうのにも、弓を引き絞って威力を上げる"溜め"を行うのにも、全てスタミナがいる。幾らあっても足りないスタミナを少しでも底上げするために、味はまずいがこのドリンク、必要なのだ。
 舌に強烈な苦さを感じながらも、空き瓶を赤い絨毯に投げ捨てて、次の矢に手を掛ける。きっと今の僕の顔は、変てこなしかめっ面をしているだろう。



 うち一本は騎士の手で遮られ、うち一本は死体の足に命中した。うち一本は幽霊男の介入によってあらぬところへすっ飛んでいき、うち一本は敵の手を掻い潜り、胸へと刺さった。
 五本目の矢は、威力が足りずに階段の所で失速し、そのまま地面に落ちた。
 外してしまったと思い小さく舌打ちをしつつ、四方で動き回る敵の行動を仔細に眺めながらも、狙われそうにないよう距離をとって矢を番えた。
 ジョーは四体の騎士に絶えずちょっかいを出して注意を逸らしてくれている。
 幽霊男は僕が攻撃するたびに此方を睨みつけてくるが、その度にジョーが挑発して気を逸らしてくれるので、何だかんだで一度も攻撃を仕掛けてこない。頭上に表示されているヒットポイントは、三本の矢のせいでイエローゾーンにまで減っているというのに。暢気なものだ。
 当初のやる気のない憂鬱な表情はどこへやら、今の彼には片道通行の命の駆け引きを楽しんでいるようにしか見えない。

 六本目の矢が僕の手から離れ、死体にヒットする。"クリティカルヒット"と表示され、イエローゾーンからレッドゾーンに突入した。もうヒットポイントは三分の一しかない。

「よし、ジャック、ここからが本番だ! 気合入れていけ!」

 ジョーは何度目になるか判らない足払いを目の前にいる敵にしてからそう言った。足払いを掛けられた騎士の後ろで構えていた奴がドミノ倒しの要領で一緒に倒れている。
 そこにジョーは何度も蹴りを入れて立ち上がれないよう必死で妨害していた。
 十歳と九歳の子供が近所の公園で喧嘩していたことを思い出すくらいの馬鹿らしい光景だった。

「どうやら本気を出さねばいけないらしいな」

 爛々と殺意で輝いている瞳が僕の目をじっと見つめていた。黄色く黄ばんだ歯が口元から覗き、何度も両手を握ったり開いたりしていた。
 その言動が、これからお前を棺の中に入れてやるぞと宣言しているかのように思え、ひどく恐怖心を駆られた。蛇に睨まれた蛙の気持ちが、今ならわかる。

 確実に、これから棺に入れようとする意思が、その振る舞い、瞳から一目瞭然で、射殺すような視線に少し怖気づいてしまう。
 白装束にまだ着替えてもいないのに、何たる不運だろうか。




「よっしゃ隙ありだ!」

 ――脳がそんな一声にビクリと意識を現実へと引き戻す。同時にその瞳から視線を逸らし、声の主を視界で捉えた。
 王座の前で高く剣を振りかぶっている後姿が。ジョーだ。
 その振りかぶった腕が王座に吸い込まれようとしているのを確認して、咄嗟に幽霊男に視線を戻した。
 グサリという音が聞こえたとほぼ同時に、幽霊男の瞳が驚きで揺らいでいた。







「ははあ、それで、私の情報を使って丸々一つの依頼を潰したわけですね。なるほど、なるほど」

 ようてい庵。1978年から続く老舗の蕎麦屋だ。今は二代目の白川寛とその妻よしのがその古き良き暖簾を守っている。
 北海道産の蕎麦粉に、長年に渡って養った技術と第六感が加われば、凶器といっても過言ではないほどの旨みある蕎麦が出来る。
 四十五年、変わらぬ値段と味で勝負するこの店は、あらゆる年代から絶大な支持を受けて、好評営業中である。

「あの特別依頼を作るのに黒川さんのチームの方が一週間ほど掛かったって言ってましたからね。何しろ、一度じゃ絶対にクリア出来ないようにしつつも、何度もプレイしていく内にクリア出来るようになるバランス調整が死ぬほど難しい、と。それで……あなた方親子はその依頼を僅か二時間足らずでクリアしてしまった。そういう事ですね?」
「んん……まあ、そういうことに、なるかな」

 山下のざる蕎麦には、殆ど手がつけられていない。食が進まないというのもあったが、矢野が出してきた一つの話題によって、蕎麦はますます喉を通らなくなった。

 ――僅か二時間で特別依頼をこなした人がいる。そんな噂が流れ始めたのは一夜空けてからのことだった。
 "Challengers"公式HPでも、特別依頼として役所の掲示板に張り出されたと同時に紹介され、規模の大きい依頼として、ネット上でもどうやって攻略するか議論がなされていた中での噂だった。
 推奨レベルは十以上。パーティを組める最高人数の六人で挑む事がクリアするための条件と紹介された。

 だが、最初にクリアしたパーティは二名編成だった。
 それに加え、クリア時間が僅か二時間という事実は、瞬く間にネット上で知れ渡り、依頼の内容、そしてその依頼をクリアした二人について、新たに議論がなされた。
 その事実を矢野を通して知った山下は、自分の浅はかな行動に、軽い後悔の念を覚えることとなる。と、いってもその大多数を占めるものは、黒川に対するものだ。

「運営スタッフも大変だったみたいですね。予想しないほどの早さでクリアした人がいたから、急いで依頼紹介を取り消したりして」
「むう……悪い。無責任な行動だった」
「まあ、いいんじゃないですか? 詳しい遺跡の構造や、敵についても二人にしかばれていませんし、他の依頼として流用したところで誰も気づかないでしょう。現に、この依頼の内容を一部流用して特別依頼にする計画も挙がっています」
「そうか……」

 そうですよ、と矢野は言って、テーブルをトントンと指先で叩いた。



 しかし実際、矢野が山下を気軽に許したのには訳がある。
 特別依頼の情報を提供したのは元々矢野だ。何もお礼が出来ないからせめてゲームのデータを、と思い提供していたのだが、その事実がばれてしまうと、黒川の鉄拳制裁を受けてしまう。
 結局はわが身可愛さのため。山下はそんな事実に気づきもしないで、暢気に矢野へ感謝の言葉を送るのであった。



[7217] Challengers 第七話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/04/04 21:31

 最後に夢を見たのはいつだろうか。そう自分に問いかけてみると、すぐに答えは返ってきた。
 一週間ほど前に見たような記憶がある。それは非常に頼りなく僕の頭の中にあり、ボールの上にのっかっているボールのように不安定さを感じられた。
 内容は、つまらない。
 赤いサーブでモントレーを乗り回してから港の漁師とカジキの話をして、モーテルに帰ってスプリングのきいたベッドに飛び込んで、羽毛のたっぷり入った布団で身をくるんで眠る夢だった。
 僕はさらにその眠りの中で夢を見た。ある一室で鍵を持ったまま立ち尽くしている夢だった。
 目の前には黒く薄汚れた木製の扉。ノブは薄暗い照明に照らされて、鈍い光を放っている。そして、鍵穴がなかった。
 右手に鍵を持ち、金色のノブをじっと見つめて迷った。
 しばらくして、僕は諦めて鍵をベッドに放り投げた。
 そして、ベランダに行って、手すりに手と足をかけ飛び乗った。一階建てだから、地面はそう遠くない所にある。飛び降りても死にはしないし、骨折もしない。
 空を優雅に飛ぶ鴎を三匹数えて、それから飛び降りた。そこで目が覚める。



第七話「ナンシーとの出会い」



「斥候隊が結成されました」
「あら、それは本当?」

 僕は肯く。信憑性はかなりあった。親父からの情報だったからだ。
 詳しい情報元は教えては貰えなかったが、その口ぶりからして、確かな筋からの情報らしい。

「そう。ジャックさんは着いていくのかしら?」
「もちろん」

 シルフィさんは前歯を二本見せて小さく笑った。綺麗に生え揃った歯の内の二本。とても白い。

「なら、これを持っていきなさい」

 そう言って机の上に置かれている沢山の魔道書のうち、とても読み込まれてボロボロになっている物を取り出して、ぱらぱらとページをめくり始めた。そして、何秒も経たないうちにめくる手は止まった。そこからくたびれたサラリーマンのようによれよれな紙面を何枚か取り出して、僕の目の前にすっと置いた。
 お札のような感じに縦長く、そこでは複雑奇怪な文字がフォークダンスを踊っている。みみずがたくったようなダンスだ。

「何だと思う?」
「判りません。ただ、婚姻届じゃないことは確かですね」
「矢に結び付けて使う遥か東の国の"お札"というものよ」

 お札……。日本、ジパング、陰陽師、手鞠。

「これを使うと、相手の動きを止めてくれるの。逃げたいときに使えばいいわ。効果は検証済みよ」
「検証済み?」
「そう。検証済み」

 彼女はいじわるそうに笑みを浮かべ、いじわるそうに頬杖をついた。そして眼鏡を中指で押し上げてから、机の上にあったカップを手にとって音も立てずに飲み始めた。
 それをじっと見つめながら、彼女がこのお札をどこから取り寄せてたのかを、様々な角度から想像していた。



 ヘスティア山は簡単に説明すると、円錐に螺旋状の坂道をとってつけたような構造だと言えば判り易いだろう。
 山頂はとても平らで、その面積は何かを釣り合いにして例えることが出来ないほど大きい。
 そして、その中心に建っているであろう神殿は、今まで見てきた中で一番の大きさを持つ建物だった。
 幾本もの支柱が一定の間隔で並び、その上には三角の屋根がでんと乗っかっている。そして、豪壮な構えの門が僕らを臨んでいた。

「やっぱりでかいな」
「αテストの時にはここへ来たの?」
「ああ。といっても、αのときはここまで来れても、ヘスティアを倒せた人なんぞいなかったがな。レベル一の勇者がいきなり魔王と勝負するくらい差があったから、どいつもこいつも一瞬で丸こげかぺちゃんこよ。強すぎだからって、バランス調整がされたのはβに入ってからだ」
「ふうん」
 僕は鼻柱をかきながら、ジョーが鼻毛を抜いているところをぼーっと見ていた。彼はその鼻毛を木に一本一本丁寧に埋め込んでゆく。
 農家が苗を植えているかのようだが、田植えと決定的に違うところは、何も生産性がないということだった。


「……あれ、斥候隊は?」
「全員もう神殿に入ったよ。いい加減やめなよ、その癖」
「そう言うな。もう習慣になってしまってるから、いまさら止めれんよ」

 ミルクみたいに真っ白な歯をきらりと光らせてから、親指を立てた。相変わらずやることなすことが全て二枚目だ。
 アクション映画の中盤で殺されるような性格をしている。その性格は一体どんな性格なのか問われても答えられないが。ただ、なんとなく彼はそんな雰囲気を性格をもっているのだ。
 僕は何度目か判らない親父の"田植え"を注意してから、神殿に向かって歩き始めた。
 神殿に近づくにつれて、段々と神殿の威圧感が増してきて、見上げる頭を支える首が痛くなってくる。
 横幅が果てしなくある階段を数段のぼり、門の脇に腰を降ろした。空から燦々と降ってくる日光が遮られて、冷たい風を身体全体で感じることが出来た。
 腰のベルトにひっかけてあった水筒を手にとって、キャップを外してから口に含む。冷たい水が胃に流れ込んでくる感覚が気持ちいい。

「早いぞ。少しは年寄りを労わってくれ」
「そうだぞ、ジョー。もう少し私を労わりなさい」

 鳩が鉄砲豆でも食らったような顔をしてから、頭に手をあてて大きくため息を吐いた。それから、彼はおもむろに神殿内部に入り込んでいった。
 僕はジョーと同じように大きくため息をついてから、空っぽになった水筒を投げた。

「意味がない、か」

 誰にも聞こえないよう小さく、自分に言い聞かせるように呟いてから、鼻の下を指でこすった。
 綺麗に生え揃った鬚がジャングルのように密集していて、みんな申し訳なさそうに下を向いている。

「ねぇ、ホントにこれがヘスティアなの?」
「これがヘスティアじゃなければ、これは一体なんだと思うんだね、ユミル」
「さぁね。もしかしたら、この子は恋人のナンシーちゃんだったり。きっと彼女は同性愛者なのよ」

 そんな暢気な会話が僕の耳を通り抜けた。
 僕は背中越しに感じるざらざらとした感触を心底嫌に思って、ゆっくりと立ち上がった。

「悪いがね、お嬢さん。その子はナンシーちゃんじゃないし、ヘスティアは同性愛者でもないんだぜ」

 ジョーの声だ。きっと今彼はニヒルな笑みでも浮かべているのだろう。
 口角を嫌というほど吊りあがらせ、片眉を上げて、ポケットに小奇麗な手を突っ込んで。

「おや? 誰だね、君は」

 男の声。図太くはないが、かといって華奢な印象を受けるほどか細く壊れそうな声色ではない。凛としていて、百メートル向こうにいても話している内容が聞こえるような、そんな声だ。
 脳裏で銀髪の二重でロングソードを構えている姿を想像してみる。だが、いくら想像しても脳裏にあったのは親父の笑みだった。

「ヘスティアは同性愛者じゃないことを教えに一時間掛けて山登りをした馬鹿な男さ」

 靴が地面と接触する音が等間隔で七回。

「いいのかい、マリア。斥候隊だろ? 呼んで字の如く、とはいかないが、一応偵察に準じる任務を受け持つのが斥候隊だろう?」
「まあね。今回は、斥候隊とは名ばかりになりそう。前回みたいに、ただこそこそやるのもつまらないでしょう?」

 マリアと呼ばれる女の子が口を開いた。わさびみたいにつんとしていて少し高圧的な感じだ。こちらもまたよく通る声をお持ちで、成金夫婦の大事な一人娘を思わせられる。

「それに、ヘスティアは前みたいに反則級の強さではないでしょ? 一度手合わせといきたいわ」
「マリアさん、この人は知り合いなのか?」

 ロングソードの男が置き去りにされていることを忘れないでくれ、と言わんばかりにマリアに質問した。

「ええ、そうよ。αテストからの付き合い。相変わらず二枚目三枚目の顔がお好きなようね」
「はっ、お前も人のことは言えんぞ。アメリカのストリップバーの踊り子みたいな顔つきをしやがって」
「なに? あなたは若かりしロバート・レッドフォードみたいな顔してなにか文句でもおありなの?」



 ――バタン。目を閉じていた僕は、さっきの音源がいったいどこから聞こえてきたものなのかいささか戸惑った。
 五秒ほどして何かが閉まる音がしたんだな、と思い目を開けた。案の定、門が閉まっていた。
 このタイミングで閉まることに少しヘスティアの性格が垣間見れるような気が一瞬だけして、また一瞬にしてそんな思いは消えた。なんせ、僕にはやることがあった。
 今の僕にわかることといえば、彼らは死の一歩手前。平面地球説で言う滝の一歩手前にいる状態だ。
 乾いた唇をゆっくり舐めてから深呼吸を三回した。それから何かスイッチのようなものがないか探した。

 すぐに僕は一つ奇妙なものがあるのを発見した。レバーの形をしていて、ざらざらしてはおらず、つるつるとした鉄の質感をしていた。
 迷わずそれを引くと、歯車の噛み合う音が煩く鳴り、ゆっくりと門が開いた。そして、迷わずその隙間から神殿に入り込んだ。



 赤い炎に包まれた一人の男。最初に門が開いたことに気づいたらしい銃使いだったが、それに気を取られた隙にやられたらしい。
 頭上のHPが躊躇もなくグリーン、イエロー、レッドと移行し、最後に消えてなくなってしまった。そして彼は鬱陶しいほどの真っ白な光に全身を包まれて姿を消した。

 斥候隊の半分近くはヘスティアらしき物の足下で剣を振るっていたが、そうでない者――つまり神職や弓、銃使いは例外なく炎に包まれ、狂ったようにダンスをして死んでいった。

 神殿の天井に頭をぶつけそうなほど巨大な体躯。三十メートルはありそうだ。
 学校に置いてあるブロンズ像のように肌は青い。ただ決定的に学校のブロンズ像とは違うところは、無駄に巨大で動いていることだった。
 開眼式でもやれ、といいたくなるほど彼女の眼には瞳というものがない。
 支柱の陰に隠れている僕の存在には気づいていないらしく、無表情の彼女は足元の斥候隊を蟻でも踏み潰すように絶え間無く足を上下に動かしていた。

 のこのこと神殿に入ってきた僕だが、いったい何をすればいいのか迷う。青銅に弓が刺さる筈ないし、彼女の頭上にあるHPは殆ど削られていない。
 手元にあるお札を結びつけた矢をじっと見つめる。刺されば万歳、外れば残念。一か八かと矢を番えた。

「ヘスティアが動かなくなったらみなさん撤退してください!」

 ありったけの声量で叫ぶ。神殿内で反響して、僕の声じゃないみたいだ。その声に呼応してヘスティアの足元で槍を振るっている金髪の女性が叫んだ。

「何言ってるのよ馬鹿! こんな状況じゃ無理よ!」

 木製のラージシールドを左手に持ち、様々な攻撃を受け流して行く。その後姿からはありありと怒りが噴出していた。

「そうだぞジャック! こんな状況でチキンみたく逃げたら丸焼きになっちまう!」

 この戦闘を楽しむかのような声色でジョーは叫んだ。頭上のHPは殆ど削られていないところを見て、流石だなと思った。 
 相手の動きを把握しきったように、普通なら後退するような攻撃を受け流したり、時には前進してみせたりする。

「だから! 今から特別な矢を射ますから、それが命中したら逃げて、ってことです!」
「そう! ならさっさとして!」

 僕はその物言いに何かが萎えたのを感じながら、弓を構えた。
 鏃が示す先にはヘスティアの頭がある。そこから狙いを外さないよう、絶えず矛先を移動し、標準を合わせる。
 動きを止める瞬間を待つ。限界まで引いた弓を持つ手が震えないよう力を入れて、その時を待った。

 そして。掴んでいた指を離す。弦は反動で前後に振るえ、弓は左手の中で強く揺れた。
 矢は凄まじい早さで飛んでゆき、途中で見失ってしまう。よく目を凝らすと、彼女の頭に矢が刺さっていたのを確認できた。青銅も案外脆いものなんだな、と頭の隅でそんな考えがぽっと湧き出た。
 刺さったと同時に動きが硬直したところを見ると、お札はうまく聞いているようだった。

「逃げろ! 逃げろ! 撤退だ!」

 ジョーの一声に、人々は門目掛けて勢いよく駆け寄って行く。各々腕を激しく振るい、大地を揺るがしているのかと思うほどにドタドタを足をばたつかせた。
 僕は一同が通り過ぎるのを待ってから、僕も後に続いた。



「よくやった。よくやったジャック。お手柄だな」

 膝に両手をつき、肩で息をするのはジョーだ。途中でスタミナが切れて動けなくなり、僕が担いで階段のところまで連れてきたのだ。
 こういうときには体型がガッチリとしていて本当によかったと思う。
 他の人は特に体力的な疲れはないようだったが、精神的な疲れで言うと、ジョーよりもひどかった。
 とにかく殆どが地に尻をつき、目頭を抑えたり、顔を両手でさすったりしている。僅かの間で、斥候隊は半分以下に減っていた。

「ありがとう。ジャックさん、よね? 助かったわ。先ほどの無礼な発言はどうか許して。私はアン。アン・E・ベル」

 整った顔立ちだ。印象的なのはそのポニーテールにしている金色の髪と、青い瞳。アメリカ人と言われても疑問を抱かない姿だ。背は僕と同じくらいある。勿論、スタイルはいい。
左手にはラージシールドを持ち、右手には細長い槍。鎧の方は経済的に手が回らないのかつけていない。

「もしよかったら、私のところへ来ない? サンチャゴの騎士団、っていうそこそこ知られたギルドなんだけれど」
「やめとけ、ストリップガール。お前がリーダーのギルドじゃ割りに合わん」
「なんですって? あなたは私たちに喧嘩を売ろうっていうのかしら?」
「そういうつもりはない。ただ根本的にこいつはお前らとはプレイスタイルが違う。だから割りに合わんといったんだよ」
「売れない二枚目にそんなことがわかるのかしら? それに、私はあなたと話をしてはいないわよ。ジャックさんとお話をしているの」
「ふん。私はジャックの相棒だ。それくらいわからんで何故コンビを組まなゃならんのだ」

 僕が三十秒間口を開かなかったお陰で、いつの間にかダイナマイトの導線に火がつけられていたようだ。長い長い導線をゆっくりと火が歩み続けている。
 ここで爆発させられたら僕まで巻き添えをくらってしまう。それは嫌なので、ジョーの口を塞いだ。

「すみません。うちのジョーが大変な失礼を。ともかく、ギルドについては今現在お答えしかねます。また入りたくなったらこちらから伺いますので。では失礼」

 ジョーの口から手を離し、腕をつかんで帰路へとつくために来た道を戻る。ジョーも抵抗せずについてきてくれるが、最後に爆弾発言を残してしまった。

「うちのジャックをお前みたいなネカマ野郎にやれるかってんだ。ダンジョンを二人で攻略ようになるまで出直して来な!」



 今思えば、それからが大変な毎日だった。



[7217] Challengers 第八話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/04/09 21:20


「私らは劇の途中で観客席から乱入して話を掻き乱した、ってことは確かだ」
「なるほど」
「彼女はそんな部外者に絡まれて演技を中断されたんだ」

 僕は感心しながらソーサーの上に乗っかっているカップを手にとって、ぐびりと中に入っていた液体を飲み干した。

「いいか。私らは観客だ。今から上映されるハムレットの内容なんて知っている。だけどな、勝手に話へ介入して劇を無茶苦茶にしちゃならん。わかるか?」

 僕は無言で肯いた。
 そして天井絵にある羽を生やした裸の男を数えながら言う。

「その言葉をそっくりそのまま返すよ」

 親父は大きくため息を吐いた。きっと彼女のせいだろう。



第八話「それから これから」



 この数日間をよく覚えていないが、抽象的な記憶のパズルを掻き集めていえることは、この数日間は決して暇な数日間ではなかったということだ。
 親父は黒川さんにこってりと絞れられた。なぜなら、これまでの出来事が全て黒川さんの耳に入ったからだった。
 黒川さんとは、男性で、僕よりも年をとっている、年の数ほど白い髪を持つ日本人だ。娘が二人と孫が一人いる。
 親しい人を呼んでは将棋をよく指して、捻じ曲がったことは大嫌いな人だ。
 磯川さん。Challengersではアン・E・ベルと名を変えてプレイしている人だ。この人は親父の同僚で、黒川さんの部下だ。僕も何度か面識があって、えらく陽気な人だったのは覚えている。彼が黒川さんにヘスティア山での事の顛末を話し、遺跡の宝箱の依頼についても一言二言、ジョーが去り際に残した爆弾発言を引き合いにして推論を展開したらしい。すぐに黒川さんは親父を家に呼び、問いただした。一時間ほどの説教を経て(親父から聞かされたことだ)ようやく家に返されたそうだ。頭に拳骨一つのコブを作って。

 随分とこってりしぼられたようで、僕はあれからゲーム内で親父と会ってはいない。
 勿論、僕もこの件についてはドップリと関与していたから、後で黒川さんの家へ菓子折りを持って謝罪に出かけた。
 無駄にチョコレートでコーティングされた、無駄に甘いチョコレートケーキだ。
 家に行くと、なぜかそこには姉の千恵がおり、将棋は五局に渡って熱い熱戦を繰り広げられていた。
 将棋を指しながら、とは流石にいかず、指す手を止めて僕を目の前に座らせ、四分ばかし説教をした。
 最初の二分ほどはきつい口調で僕のことを息子のやるべきことというものをテーマに諭し、後の二分は穏やかに諄々と諭した。
「いいかい、キミも成人を目の前に控えている。お父さんの暴走を止められるよう、何か”兆候”があれば決して見逃してはいけないよ」



 現実とはまた別に、仮想世界で僕は僕で大変な目にあった。
 突如ネット上で僕の事が知り渡り、誇張された嘘八百を信じきったギルドによる再三の勧誘に暫しまともにプレイすることもままならなくなったのだ。
 僕のように老人の容姿でプレイしている人物は、他のプレイヤーと比べれば、少数の部類に入る。例えるなら、子供に聞くコーヒーの愛飲率くらいだ。
 なので、ネット上で僕の容姿についてや、名前について書かれると、まともに街も歩けなくなる。いつの間にかヘスティアを僕が倒していたことになっていたりと、本当に誇張が酷かった。
 この誇張よりも酷かったのが、美女と野獣というまさしくその名の通り、女性と獣人だけで構成されたギルドだった。
 勧誘だけならばまだ宿に置いてある氷枕に五分ほど頭を置くぐらいでどうでもよくなるのだが、彼らはPKをしてきたのだ。
 基本的に街の外に出れば、PvPは可能になる。どちらか片方にPvPの同意がなければPKとして処理され、頭上に表示されるネームが白から赤く染まるのだが、そんなデメリットも省みず、彼らは僕に牙を向けてくる。
 お陰で日に五個以上閃光玉を買う羽目になったし、無駄にスモークが強いサングラスを買うことになった。
 傍から見れば街の外を練り歩く僕はアル・パチーノばりに凄みの効いた片田舎のマフィアだ。友人に会ったときは本当に雰囲気のあまりの差異に悲しくなった。

 そんな中、新たに一人の友人が出来た。美女と野獣の副団長を務めるロイス・スタンフォードという若者だ。背は165cmほどで、人懐っこい顔に、鋭く尖った犬歯が特徴的だった。
 喋りはどことなく落ち着いていて、容姿と精神年齢のギャップがありすぎる、というのが第一印象だった。
 彼は僕が襲われていることを知り、菓子折りの替わりに小ポーション五個と閃光玉、煙玉を各十個くれた。これには少し笑ってしまったが、ロイスの顔は真剣そのものだった。
 話を聞くに、サンチャゴの騎士団に紛れ込んだスパイが僕の存在を教えてくれたそうだ。
 その話がどこを通してなのか、いつの間にかネット上に広がり、団員にも広がったそうだ。
 それで先走った野郎たちが血気盛んに襲い掛かってきたという訳なのだが、こっちにとっては迷惑以外の何者でもない。
 でも僕はその本音を、必死に謝罪の弁を申し立てながら頭を下げているロイスさんに言えるほど馬鹿じゃなかった。

 彼の言い分によると、今襲っている団員の目星はついているそうだ。
 でも今ここでギルドから除隊させると、僕に対する仕打ちが今より酷くなるのは彼らの性格上目に見えていることなので、厳重注意だけで勘弁して欲しいとのことだった。僕は勿論その提案に了承した。
 気のせいなのか、彼の背中から哀愁なるものが滲み出ているような気がして、少し気の毒に思えた。



 さて、ここから話は一年と三ヶ月後の十一月二十三日まで進む。
 この四月二十三日は、最後の神、スエズが再封印された日だ。このゲームの醍醐味である十二神の封印。
 それが消えた今、新たなイベントに対して、プレイヤーの期待は高まっていた。

 累計三十万を売り上げたChallengers。スエズが封印された瞬間、〇時十五分は十万五千人がプレイしていた。
 これが全てのきっかけであり、始まりだった。アルムの自我覚醒から始まった一つのゲーム。第三者の介入は一切受け入れず、ただデス・ゲームを要求したアルム。
 一つの純粋な興味心から来た十万人を巻き込んだゲームが、ここから始まる。



[7217] Challengers 第九話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/04/09 21:22



 ラジオの電源を切った後のように、その場には沈黙があった。
 照明の電源を切った後のように、その場には深淵とした闇があった。ただ、それだけだ。
 電源を切られたものたちには思考の余地を一切与えられず、また再び電源が入れられるのを待つだけ。
 そして電源を入れられた後、僕らはひどく混乱するのだ。



第九話「片道のデス・ゲーム」



 目が覚めると森の中だった。ありえないはずの光景が広がっていたことに、僕はいささか戸惑った。
 盲目の男が盲導犬も杖もなしに歩いているように、足取りは不安定そのもので、僕はその不安定さを取り除こうと必死になっていた。
 広場では一体何が起こったのかを確かめるように次々と人が増えて行った。
 そして僕らは、アマゾン川のようにスケールの大きい話に更に戸惑う事になった。

 ゲームに閉じ込められた。そんな言葉を耳にした途端、僕は小さく笑った。
 テニスでスマッシュを決めようとしたときに、ガットが切れてあらぬ方向へ飛んで行ったときのように。
 そして両手で顔を何度も何度もさすり、その間に自分の考えを纏めようと混乱している脳の活動を停止させた。パチン、オフ。

『――キミ達は閉じ込めら――』
『――ただ一つ――脱出で――』
『戦え――いい』

 何かの間違いだと思い込んだり、これは夢だと思い込むのはすばらしいだろう。この真正面から突きつけられている真実から目を逸らして逃避するのもさぞかし気持ちいいだろう。だが、それっぽちの一時的問題逃避は生きてゆくにあたって、何の意味ももたない。
 目を閉じて目の前の問題から逃げていると、再び目をあけるときには更に状況はひどくなっていることに気づき、自らの置かれている立場というのが脆く、危ういものになってしまうだろう。
 足場はコンクリートから木材に変化して、最後にはサランラップになるかもしれない。その次は? ティッシュ・ペーパー? 
 それでも脆いことに変わりはない。悪循環に陥り、最後には命綱のないバンジージャンプ。ぞっとする。

 目をあけて、両膝に手を置いた。汗ばんだ手のひらを、ズボンに何度も丁寧に注意深くこすりつける。
 ふと周りを見渡すと、究極の混乱というものがそこにはあった。美男美女は馬鹿みたいな間抜け顔をあたりに晒していることに気づいていない。ある者は泣き崩れ、ある者はおかしな叫び声をあげて広場から姿を消した。

 アルムと自称した彼は、僕らに戦えといった。北に拠点を持つ帝国と戦えといった。勝てば現実世界に帰すし、負ければそれまでだと言った。
 NPCらしく、彼はとてもまとまった話し方をした。定食屋のつまようじみたいに、よくまとまった話だった。

 しかし、彼の話が真実とは限らない。もしかしたら彼は四月一日を今日だと思い込んでいるが故、笑えないジョークをプレイヤーにしたのかもしれない。
 或は、このデス・ゲームからの脱出条件をクリアしても現実世界に戻れないのかもしれない。彼は僕らが現実世界に帰れる何か証拠を示唆している訳でもないし、その件について、具体的な話もしていなかった。もしかすると、揚げ足を取るのかもしれない。「脱出は出来るけど、一人だけ」という笑えない話でもして。

 だが、一方で彼が嘘をついている証拠もなかった。この話が嘘か真実かで話し合いを行うのはあまりよくなさそうだ。
 証拠がないから結局、平行線を辿ることになるのは判りきっていたことだし、水掛け論になって最後にはおかしなことになりそうなのは予測できた。

 アルムは最後にこう言い残し、姿を消した。

『幸運を祈る』







 グラディウス。古代ローマ時代に使用されていた人を殺すための武器。刃渡りは75cmほどで、刀身は分厚く、横幅もある。ピンと曲がりはなく、好感のある先端の尖り具合だった。
 柄頭は丸くなっており、振り回すときには便利そうだと思った。白兵戦では重宝する、と思って闇市で1500Gで購入したものだ。
 比較的安く手に入ったのには満足している。だが、かなり使い古されており、何度も鍛冶屋に打ち直されているお陰で耐久性が驚くほど低かった。
 このゲームでは武器に耐久性があり、それがゼロになると使い物にならなくなる。再び使えるようにするためには、鍛冶屋に出して修理するほか無い。そして、何度も何度も鍛冶屋で打ち直してもらうと、段々と耐久力が低くなってゆく仕様になっている。
 銘はアルファードとあり、柄の部分に目立たないようシュウセイ・セキと書かれてある。

 そのグラディウスを腰から抜いて、何も考えずに眺めていた。シルフィさんはそんな僕を見て、何かあったのかと聞いた。なんでもないよと僕。人でも殺したの? と笑いながら彼女。ごめんなんでもない、と僕。

 広場では大乱闘が繰り広げられていた。
 僕が知っている限りでは誰かが人を殴って、殴られた人は見当違いの人を殴って……それで広場にいる人々を巻き込んでの大乱闘になったそうだった。
 カウボーイが街を練り歩いていた時代でもあるまいし、と思いつつも僕はため息を吐いた。広場は例外的にPvPが認められているのが仇になったようだ。
 ロイスは僕の隣で同じようにため息をつきながら、長く毛並みのいい黒の尻尾をゆらりと振った。

 ここはシルフィさんがボスと兼業して経営しているフォグという裏路地にある大きなバーだ。従業員の殆どが典型的な肝っ玉お母さんやおじさんで、豪快の文字が似合わない人は存在しない。
 所狭しと椅子とテーブルが押し詰められ、隅っこには時代遅れのピンボールが何台も置かれている。
 天井には剣から槍やら挙句にはバボちゃんらしきものが吊り下げされており、年期の入った板張りの床にはピーナッツの殻が散らばっている。
 誰かが歩くたびに殻を踏む音がするが、そんな音に誰も見向きはしない。
 なんせ、そんな音を掻き消すかと思うほどの喧騒が、人の口から発せられているからだ。わいわいと隅っこでビール片手に盛り上がっている人がいれば、それに呼応するようにがやがやと長椅子に座っている仕事帰りの工夫らしき人たちが一際大きな声で騒ぐ。そんなやり取りが延々と続くこのバーの雰囲気が、僕は大好きだった。薄い部屋の中でピーナッツをつまみにビールを飲むのが堪らなくいいからだ。

「ねぇ、マチさんから聞いたんだけど、広場で大乱闘って本当なの?」

 シルフィさんが僕に聞く。

「うん。それは事実だ。酔っ払いの殴り合いくらいつまらないものだから別に見にいかなくてもいいさ」
「そうなの。それで……ロイスさん、そのほっぺ、大丈夫?」

 カウンターテーブルに顎をつけて眠そうな顔をしていたロイスは、その声にばっと顔を上げる。辺りをきょろきょろと見渡してから、大きく欠伸を一つ。

「大丈夫ですよ。大して痛くないですし。傍迷惑ですよね、酔っ払いの殴り合い」

 喧騒に負けじと全校集会で作文を自慢げに読み上げる小学一年生みたいに真っ直ぐな声で答えてから、ロイスはまた顎をテーブルについて目を閉じた。
 僕は残り僅かになったビールをぐいと飲み干してから、ドライマティーニを二つ作っているシルフィさんにおかわりをお願いした。
 彼女はこちらにチラリと目をやってから五度ほど大きく縦に首を振り、マチの姉さんの名前を呼びながら厨房に消えていった。

 様々種類の酒が、カウンターテーブルを挟んで置かれている。その中にはボンベイ・サファイアやジム・ビーム、ジャックダニエルもある。そんな中に混じって、申し訳無さそうにカルアがポツンと座っていた。
 祖父がバーをやっていたお陰で、こういったものは腐るほど見てきた。ジュークボックスから流れる時代に取り残された曲たち。
 サイモンとガーファンクル、カーペンターズ、シナトラ。アバだっているし、PP&M、ビートルズも流れた。
 とにかく、祖父の影響で様々な曲と出会ったし、色んな人間と出会った。兵庫県の医大で教授をやっている人たちや、世界を旅した画家。
 男の愛人、男の妻、女の男だって何度も見た。詐欺で商売している人はある日を境にパタリと来なくなったし、かつて一声を風靡したアメリカのプロレスラーや、野球人も来た。
 何度も刺激的な話を聞かされ、大分影響を受けた。経験こそが唯一の力だと説いた画家は元気にしているだろうか。
 雰囲気がそんな祖父のバーと似ているフォグだったが、祖父の店と決定的に違ったところは、僕は馬鹿みたいに年取った姿をしているし、目の前にいるのは祖父じゃなく、部屋の片隅にはジュークボックスはないことだ。

「全部、くそくらえだ」

 確かめるように、テーブルの上にその言葉をゆっくりと置くように、静かに言い放った。
 言い終わって少しだけ気分が晴れたところで、僕らがデス・ゲームに巻き込まれたなんて嘘のように思えてくる。後ろで騒いでいるNPCさん一行は僕らの閉じ込められたという事実すら知らないし、目の前にある札の掛けられたジム・ビームは「何を言っているんだキミは。キミはどこにいてもキミだ。ところで、仮想世界ってなんだい?」と、問い掛けてくるようだった。
 シルフィさんの手から差し出されたビールをすかさず半分に減らしてから、アイテムウィンドウを開いた。
 ログオフという文字はなく、それととって替わって死亡者一覧という馬鹿げた文字が躍っていた。それに指を触れる。しばらくしてから、今までの死亡者を表示したウィンドウが新たに表示されていた。
 まだ名前は一つもない。ただの空欄がそこにはあった。そのウィンドウを消して、アイテムウィンドウを開く。その中から「盟友伝 第四巻」を取り出して、それを読み始めた







 とても、馬鹿げた話だ。思い返すと大学に落ちて一年間。
 僕は勉強とゲームの両立という馬鹿みたいことして暮らしていた。その間にレベルは30に達して、小さな母屋をアルフヘイムの森の中に建てた。
 職業は狩人からレンジャーになり、それと同時期に武器を複合弓に変えた。威力が他の弓とは比べ物にならなく、その魅力に魅入られていたこともある。
 いつもモンスターの背中から攻撃して仕留めるところから、親しい友人から13と呼ばれたりもした。
 けれど、この事実を知るものは数えるほどしかいない。
 僕はPvPをしないし、一年前にヘスティアの件で力の馬脚を現すことは恐ろしいことに繋がることを身を持って知ったからだ。
 あれから一年。僕の存在は新参者にとって誰その人? という存在だし、βからのテスターは懐かしいな、という感情しか抱かれない人になった。
 要するに、僕はただのプレイヤーに戻ったわけだ。なるべく催事には参加せず、ひたすらクエストをこなしたお陰だった。
 シルフィさんともかなり親しくなり、ギルドとの繋がりもそれに比例して何故か深くなった。

 アンことナンシーさんは僕のことを気に入ってくれて、時たま差し入れと称してレアモンスターの素材をくれたりと、武器作りには事欠かない。
 それに、時たま封印の遠征に隠れて着いて来い、と誘ってくれたり頭が上がらない人だ。
 美女と野獣とも和解が成立して、今になっては平和なものだ。団長の人とも何度か酒場で話をしたが、豪快な人だった。

 そんな訳で、アルフヘイムのナノシリカという小さな森で暮らしていた。ささやかに猟をして、ささやかな恵みを頂き、ささやかに自分の腕を磨いた。
 言ってみれば地味な一年間だったが、それでも自然の中で生きるというのは、ストレス解消的にもとてもよかったし、性格もかなり変わったと思う。常に落ち着いて行動が出来るようになったのは大きい。

 自分の腕を試すように近くの村によってはクエストをこなし、そのお金で家を補強したり、本を買って様々なことについて学んだり、武器を作ったりした。
 お陰でステータス的にはかなり偏ったものになりはしたが、これはこれでアリだと思うのだ。色んな生活をして暮らしてゆけるChallengersは、とてもいいゲームだと思っていた。

 だが、それも昨日までの話だ。僕はデス・ゲームを強制的にやらせるゲームはいいゲームだとは思わない。
 体力が尽きたら死ぬ? もう二度と意識は戻らない? 
 非常に、馬鹿げていた。



 僕はあの日から、外界との交流を遮断した。わざわざ街に足を運ぶ事もない。ナンシーからは何度か手伝ってくれ、というメッセージが届いたが、丁重に断り、森で暮らした。
 現実逃避と思われても仕方のないことだが、僕だっていつまでも森の中で逃避するつもりはない。覚悟を決めて、このデス・ゲームから脱出する手伝いをするつもりだ。
 ただ、暫く一人になって、自分の気持ちを整理したくなったのだ。ただ自然だけが存在するこの森の中で。

 一日二十四時間。四時間という制約が無くなったぶん、自分を磨くには十分時間があったし、今だこの事実を受け入れ難いとしている精神を落ち着けるには丁度よかった。
 それから一ヶ月間、僕は森の中で暮らし、一匹の妖精と出会い、街に戻る。





「お腹空いたー」
「待って、今作ってるから」



「空いたー!」
「待って、今盛ってるから」



「空いたー!!」
「待って、今振りかけてるから」

 そんな妖精との一日。

「いただきます!」
「はい召し上がれ」



[7217] Challengers 第十話
Name: 木琴◆c2ae97fa ID:4d60aa1e
Date: 2009/06/12 23:43



 今宵の月は良く見えた。極限までに痩せ細った月は、明日からまた徐々にふくらみを帯びはじめるだろう。雲ひとつない、すばらしい景色だ。
 月光に包まれる中で、もはや本来の目的を忘れきっている現代版のクリスマス・イヴを過ごすのも悪くないと思う。まがい物の酒でも酌み交わし、陽気に話をする。お互いにプレゼントの一つでもあげて見せて、手を叩いて喜ぶ。それができたら、どんなによかっただろうか。
 後悔でもなんでもなく、ただ単なる一般人のささやかな願いだった。

 その願いとはまったくもって正反対に位置する状況に、僕はいる。
 空気は月の下で張りつめていた。これ以上張りつめてしまったらどうなるのだろうと、少し不安になるくらいの空気だった。
 緊張という名の糸を、山下誠というノコギリでもって断ち切って、全てを終わらしてしまいたい。だが、そうは問屋は卸さない。
 理性は制動力0メートルのブレーキを掛けてきて、僕はノコギリになれなかった。せめてはさみでも、と所望をするが、僕の脳はその要望を受け付けない。

 我が儘になれず、僕は戦場に立っている。それも親父と。同級生だった親友もいたし、親父の仕事仲間もいた。
 第二遊撃分隊の一隊員として、僕はヤックルビーチに立っていた。
 アルムの言葉が真実か、気になる。友人は死なないだろうか、現実世界の人たちはどうしているんだろうか。そして、本当にこのゲームでの死は、現実世界での死なのだろうか。心配事は、源泉のように沸いて出てくる。クリスマスに戦争をおっぱじめるという皮肉な事実も、心配事の一つとして湧き出してきた。




第十話「戦場のクリスマス・イヴ」




 第二遊撃分隊の編成人数は十人あまりだった。たったこれっぽっちで何が出来ると言われるかもしれないが、ここはリアルじゃない。
 何もない空間から二メートルを超す大剣を出すなんて朝飯前だ。それを巧みに操る事も。ここではそれが可能になってしまう。
 だからこそ、隊員は少なかった。一人一人が精鋭であり、また個性的であった。
 僕らの目的は、将校の殺害にあった。本隊が手はずどおりに行けば、僕らは動かずに済むが、そうでない場合は動かねばならない。目もくらむような落差のある崖から飛び降り、着地し、そのまま将校の首を全力で空に飛ばすために頑張らればいけない部隊だ。総指揮官でサンチャゴの騎士団の団長であるナンシーとその他愉快な仲間達が決定した事だ。別に異論はない。

 約二万。サンチャゴの騎士団と、その傘下であるギルドの合計数。結構な数だ。
 しかし、これでもまだ少なかった。敵は三万。真っ向から勝負しても勝てる確率は低い。地形の利と、入念に練られた作戦が必要だった。

 前者については、このヤックルビーチは最適な場所であった。約2キロの小さな海岸で、海岸の両端には登れないような高い崖が聳えている。
 港町のヤックルが海岸と向き合って存在している。言ってみれば、敵が進軍するためには、この港町を把握しなければならない。
 敵にとって注意すべきは崖からの奇襲であり、こちらにとっての重要ポイントはこの崖であった。鬱蒼と生えている木の中に身を隠すにはうってつけだ。
 ここからの攻撃次第で、敵は大きく崩れることになる。

 後者については、ナンシーと愉快な仲間達に任せおく他ない。
 プレイヤー達は敵をこの海岸で待ち伏せ、合図がされると共に、魔法部隊が広範囲魔法でもって船の破壊に勤しみ、上陸した兵士達の壊滅に勤しみ、それから前衛の部隊の人たちが突撃して頑張ってくれるそうだ。遊撃隊は、味方不利に戦況が動き始めたら行動を開始すればいいらしい。

 最初からお出迎えの姿勢で行けば、砲撃での被害はまず免れない。
 被害を出さないためにも、僕らは息をひそめて敵が上陸するのを待たねばならない。混戦状態になれば、易々と砲撃はかませられない。

 この奇襲戦は、僕らプレイヤーにとって、初めての大規模なぶつかりあいだった。12月24日。日もすっかり暮れたこの静かな夜に、僕らは命を掛けることになる。地平線上には数え切れない船たちが、明かりを灯して徐々に近づいてきていた。

「酒いるか?」

 ジョーだ。相変わらず陽気な声であったが、声量は抑えられ、顔には若干脂汗が浮かんでいる。

「ああ、一つ頼むよ」

 そう言うと、彼は懐から瓶を取り出し、こちらに放り投げた。キャップを空けて、中身を口にする。



 味は少し酸味の強いオレンジジュースだった。








 敵に動きはなかった。相変わらずのゆっくりとしたスピードでこちらへと向かっている。それでも、徐々に船は、はっきりと目視する事が出来ていた。
 こちらのほうは徐々に動きが活発になっており、メールでの交信が盛んであった。隊長のイリオは難しげな顔をしてウィンドウと向かい合っている。
 相変わらず後ろで待機している別隊の人らは酒らしき瓶を休む間もなく煽っている。やけに陽気だ。それも仕方ないと思う。死と生が隣り合わせになっているから、彼らは陽気だ。

「相手はどうでるかね?」

 ジョーはオレンジジュースの入った瓶を片手にそう言った。心なしか頬は赤い。夜目スキルのお陰で、それがよく見えた。

「さぁ、あまり強くなければいいけどね。まぁ、大方ナンシーの予測したとおりだと思うよ」
「戦艦は一歩引いたところで砲撃準備、輸送船は次々と浜辺に到着、兵がなだれ込んでくる……。散々聞いたよ。耳が垢で真っ黒だ」
「うん。……勝てるといいね」
「馬鹿、俺達が負けるはずないだろう。変人と呼ばれ蔑まれてきた愛すべき古参達が居るからな」

 βテストからのプレイヤーは大体が何かしらの分野で力を出していた。それも、突出して。
 それ故、購入から始めたプレイヤーたちからは嫉妬と尊敬と畏怖の念を勝手にこめられ、人によっては敬遠してくる。さりげなく。

「親父も古参の一人じゃないか」
「そういうお前はなんなんだ?」

 僕はため息を吐いてから、鬚をさすった。いい加減行動が年寄り臭くなってきたのが自認出来てきた。
 起き上がるときは掛け声を何か上げなきゃ駄目、歩き方も普段の生活では熊が二足歩行をするようにのそのそ歩いている。
 腰はいつのまにかカバーしている。腰を酷使すれば労わりのマッサージ一つやらないと気がすまないし、最近無性に眼鏡が欲しい。視力が悪くなっているわけではないのだが。

「相変わらずの仲良し親子ですね。御二方」

 アキナだ。座っている僕とそれほど身長はかわらない。頭一つ分の差があるだけで、つくづくドワーフは小さいなと感心させられる。
 その後ろから重装備のマイが近づいてきた。マイといえば重戦車のマイだ。人間で低身長なのに馬鹿みたいにでかくて丈夫な鎧を身に付け、自分の身長の二倍ある剣を振り回す。思い出したように洒落にならないほど威力の高い火系魔法を操り、支援魔法も少し使えるという鬼のようなプレイヤーだ。彼女のようなプレイヤーは恐らく両手で数えていなくなると思う。それほど、すごい古参プレイヤーだ。肉弾戦では叶うところなしだが、熱くなりすぎるところに欠点があり、視野が狭く状況判断も少し鈍い。それ故、部隊長としてではなく、隊員として遊撃隊に所属している。……と、兄であるアキナから教えられた。なんと、二人は兄妹である。一体、どういう方法でVRベットを二つ手にしたのかは判らないが、伊達に佐藤家の者ではない。妹さんはまだ高校二年生だそうだ。

「ほんとほんと。親と子供がまるっきり逆転しているのも珍しい話だわね」

 マイが言った。アキナも賛同するようにうんうんと肯いている。

「ははは、こりゃ参ったな」
「だね」

 僕は背伸びをして起き上がった。そして、崖の端に立って船を見た。海上に月光を浴びた船が浮かんでいた。松明の明かりが全て消えている。
 彼らの動向が、よくわからなかった。今更消しても気づかれている可能性は非常に高いのだ。現に、気づかれている。水を裂いてぐんぐんと進んで行くその姿には、ほんの少しだけ不安の念が湧き出てきた。頭を左右に振って、空っぽにしようと努める。耳の穴から全てが出てゆくように。
 
「アン総指揮官から指示が出た。準備しろ。敵の輸送船が速度を上げてきたそうだ。このままだと三十分で上陸する」








 攻撃が、輸送船を襲った。船は激しい音と共に爆ぜて、乗員共に海に沈んで行く。突如の攻撃に、敵は混乱を隠せていない。
 その間にも次々と船は炎を上げ、沈んで行く。怒鳴るように声を荒げ、必死に指揮をする者の頭に風穴が空いた。これでは、勝負は目に見えている。
 堤防の下から出てきた凄まじい数のプレイヤーが武器を天に掲げながら突撃して行く。
 左翼右翼ともに機敏な動きで数に劣る分を見事にカバーし、混乱している敵はその早さに指揮系統が追いついておらず、徐々に敵を削って行く。
 中央の重装部隊は前面に防御を打ち出し、統率の取れた動きで盾の間から槍を突き出し敵を次々と討ち取り、後方からの弓兵部隊でそこにトドメを指した。 敵に陣を敷く余裕はなく、また退却のための船も半分にまで減らされている。逃げる場所はもはや、ない。
 船を出す時間もなく、船員はおろたえる。指揮官を失った帝国軍は、思ったよりも脆いものであった。
 
 だが、それでも一部は善戦していた。左翼の前線が拮抗しているのだ。こちらも向こうも錬度は標準以上。
 この間に後方の者たちが立て直してしまえば、こちらにも少なくない被害が出る。
 ここは中央から戦力を引っ張って一気に押し潰したいところであるが、横隊でガッチリと組んでしまっているため、無理な話だろう。
 それをしてしまうと中央の隊が崩れてしまうのは目に見えている。
 そろそろ出番だろう、と感じる。ここで僕らが出て行けば、左翼は完全に優勢に立てる。それだけの戦力なのだ。第二遊撃分隊は。



 砲撃音。それを聞いたとき、はっとした。とうとう撃ってきた、そう心中で呟くと同時に砲撃が地面を抉った。
 真っ暗な海上に松明の明かりと、火薬の爆ぜた光の二つが見えた。
 帝国軍は、味方を捨てた。今だ海岸の帝国軍も抵抗を続けながらその被害を辛うじて半分まで持ってこさせていない、中々の粘り具合だ。だから、僕らの戦力はビーチに集中する。
 勝敗が明らかに見え始めると、敵は兵を砲撃の届かない場所にしまうと考えていたのだろう。それならば、いずれ死ぬ味方共々潰してしまおうと。また砂煙が上がり、人が飛んだ。
 こうなると両軍の士気が急激に下がって行くのを肌で感じる。撤退の鉦が激しく打ち鳴らされた。遅い、遅すぎる。ビーチは、急激に形を変えていった。

 やがて、崖に居る仲間にも被害が出始めた。唖然としている向かいの銃撃隊のところに、砲弾が落ちてきた。空高く舞う煙。ビーチ目掛けて落ちる岩と人。それが地面に衝突し、まばゆい光を放ったところで、急激に意識が覚醒してゆく。死んだ。死んでしまった。
 イリオ分隊長を見た。口が撤退と動いているのがわかるが、砲撃音と人の口から漏れ出てくる叫び声のお陰で聞こえない。
 とにかく、地面を蹴って走った。恐怖に脳が支配されそうになる。ぐっと堪えて力の限り走る。冷静を頭に呼び戻したい。そう思う。
 しかし、相変わらず動揺の二文字が頭の中で暴れている。落ち着けと自分に言い聞かす。だが、全てが落ち着いてくれない。
 頬をぶつ。そのお陰でこけそうになったが、精一杯の力をこめて左足で踏ん張る。ここでこけてしまえば砲撃の餌食になる事は判りきっていた。
 もう、自分に落ち着けと言わず、ひたすら走って生き残れと、命じた。

 目の前で仲間が舞う、後ろの方でずっと続いていた引きつった声が、着弾と同時に聞こえなくなった。
 崖上にも敵艦は砲撃を繰り出してくる。もうビーチから離れているはずなのに、だ。
 手当たり次第に打ち込んでくる帝国軍に対して、底知れぬ恐怖感があった。いつ、どこに、弾が落ちてくるのかが判らないからだ。規律性がない。法則性がない。少なくとも、僕にはそう思えた。
 野犬を相手にしているようだ。規模は何十倍と違うものではあるが。この二つに対して感ずる恐怖感というものは、さして変わりがないと思った。相手の動向がわからないものほど、不安なものはない。
 終わりの見えないランニングはいつ終わるのだろう。目の前で走るイリオ分隊長が、ジョーが。足を止める瞬間をずっと待った。







 冷たい水を胃に送り込むことで、幾ばくかの精神の昂揚を抑える事が出来た。今、僕の頭は急速に冷静さを取り戻しつつある。
 水の中で手ぬぐいをしばらく泳がせてから、それを強く絞った。滴る水が水面に更なる波紋を浮かばせていた。
 その手ぬぐいを汗で気持ち悪くなったところを拭いた。風がひんやりして気持ちがいい。遠くではまだ、砲撃が続いている証拠に、激しい音がする。
 だが流石に、ここまで撃ち込んで来るほど、船の砲台のスペックは高くなさそうだ。ビーチから3キロほど離れたこの場所で、僕らは休んでいた。

 今ここに居るのは、イリオ、マイ、アキナ、ジョーにビコードの5人だけだ。
 ビコードは、寡黙な少年で、肩までかかる長い黒髪を後ろで一纏めにしていて、常に何を考えているのか判らないようなむすっとした表情をしている。
 支援系の魔法を得意として、この分隊でも後方支援による役割を担っている。実力の方はよくわからない所がある。ナノシリカで生活していた時、彼のウワサは聞いたことがあった。これ以上の聖職者は存在しない、と。
 彼は今までスタミナ減少低下の魔法を掛けてくれたくらいで、これといった活躍は見せていない。というよりも、見せる場所がはなからなかった。
 突如の砲撃開始。指揮系統は一瞬だけ混乱を見せ、それが寛大なる被害の原因になったことは判りきっていた。撤退の鉦が鳴るのがあまりにも遅く、砲撃に対抗するための部隊もまともに機能しなかったのは痛かった。ヤックルビーチは悲惨な状況になっているだろう。

「他の人、知りませんか?」

 マイが泉の側で言った。その言葉に、イリオは小さく横に首を振った。彼はウィンドウと睨めっこをしながらメールを打っているようだった。
 マイは小さくため息をし、寝転がった。空には、無数の星がまたたいている。キリストの誕生を祝うように。


「これからどうするんだい?」

 ジョーがオレンジジュースを飲みながら言った。口からあふれ出るオレンジジュースは服に小さな染みを作った。

「小休止の後、ヤックルに戻る」
「それから?」
「上官に、指示を仰ぐしかなさそうだな。私達は本隊あってこその分隊だ。本隊が完全撤退した今、どうなるか予想がつかん」
「撤退したのか?」
「ああ。敵も一部生き残っているが、それも僅かで、そう時間が経たんうちに味方に殺されると予測する。笑えん話だ」

 彼は肩をすくめてからウィンドウと再びにらみ合った。僕は空を見た。瞬く星は、憎らしいほど美しい。
 人を殺す音がするという以外に、音はなかった。ただ、時折風が吹いてこの森を通り抜けていく声が聞こえるだけだ。虫の声も、梟の声も、今はしない。
 水面が波紋を作らなくなってしばらく経っている。何気なく、小さな石を投げ入れてみた。石が水の中に姿を消して、波紋が出来た。

「……行くか」

 イリオはウィンドウを閉じ、僕らを見渡してから言った。みんな重い腰を上げる。その時、僕らの背中を後押しするように、一陣の風が吹いた。
 血まみれの戦場に押し返されているように気がして、それに歯向かうように大きく息を吸った。


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