ファンタズム・インストーラー
その知らせが来たのは突然だった。
あまりに突然すぎて理解できなかったのを覚えている。
彼――咲須賀 狼の生まれた咲須賀家は代々空錬家を守護してきた。
古くは戦国時代、あるいはもっと昔からその関係は続いてきたらしい。
空錬家の開祖は神人と呼ばれるほどの力の持ち主だった。
必然、その力を狙うものは多かったということだ。
それを守ってきたのが咲須賀の者達だった。
まだ超能力や魔法がスタンダードではなかった時代、空錬は神の血を、咲須賀は死神の血を引くものだと噂され、恐れられていたそうだ。
その咲須賀家に生まれたちょっとばかし他より才能があった少年がロウだった。
同じように空錬家に生まれたちょっとばかし他より才能があった少女がアイナだった。
その能力ゆえに周囲からの期待も大きかったうえに、あまり社交的な性格でも無かったアイナにはあまり友達と呼べる存在がいなかった。
そんなときだった。
ロウとアイナが出会ったのは。
親に連れられて向かった空錬の屋敷の庭で一人本を読んでいたのがアイナだった。
年も同じで境遇も似ていた二人はあっという間に打ち解けた。
気がつけばいつも一緒にいた。
部屋で二人で遊ぶこともあれば外で二人で遊ぶこともあった。
大人たちもよいことだとほほえましく見守っていた。
基本アイナがやりたいようにやってロウがそれにつきあうという形だったが、ロウもそれが楽しかったので誰も文句は言わなかった。
アイナは花のような笑顔が印象的で、それを見るために多少の無茶は平気でやった覚えがあった。
当時はそんな日がいつまでも続くと、そう思っていた。
その知らせが来たのは突然だった。
楽しい日々がずっと続くと思っていた少年にとって、その報は突然すぎた。
理解しがたい、否、理解したくないその知らせに少年が思考を停止させてしまったとて誰が責められようか。
アイナとその両親が事故に巻き込まれた。
アイナは奇跡的に一命を取り留めたが両親は命を落とした。
にわかには信じられない話だった。
アイナの親もまた開祖の再来とまで言われた強大な力の持ち主だった。
殺しても死なない。
そんなイメージがあった。
ロウは知らせを聞いてから5分近く動くこともできずに立ち尽くしていた。
ロウの親をはじめ大人たちがあわただしく動く中、ようやく我に返ったロウは屋敷を飛び出した。
大人たちの制止も振り切って空錬の屋敷に向かった。
止めようとする使用人やアイナの親戚の大人たちを無視してアイナの部屋に飛び込んだロウの目に映ったのは、ともに遊びともに笑った時の面影など微塵も感じられぬ人形のようなアイナの姿だった。
アイナは座敷の中心に敷かれた布団で上半身を起こして、ぼうとした眼差しで虚空を見つめていた。
花のような笑顔を浮かべていた顔は能面のような無表情に固まり、キラキラと輝いていた眼には生気が全く感じられずガラス玉のようだった。
あとからやってきたアイナの叔母から聞けば何と話しかけても一切反応がないそうだ。
ひきつった笑みを浮かべながら名前を呼ぶ。
ぴくりともしないアイナに聞こえていないのだと自分をごまかした。
近づいて行ってもう一度名前を呼ぶ。
アイナは眉ひとつ動かさない。
世界が崩れるようなそんな感触がした。
しばらく呆然と立ち尽くし、こみあげてくる衝動にロウは口元に笑みを浮かべた。
くつくつと笑いだす。
心配そうに後ろの叔母が口を開くより先に一歩前に踏み出す。
何が世界が崩れるような、だ。
自分の心を笑い飛ばす。
世界が崩れるような悲しみと絶望を叩きつけられたのはアイナだ。
本当につらいのはアイナだ。
友達なら自分は彼女を支えてやらなければならないだろうに。
何をこんなところで立ち往生している。
自嘲の笑みを消して、もう一度笑顔を形作る。
ごく自然な笑顔を。
アイナの隣に腰を下ろすとその手を握りしめ、優しく語りかけた。
ゆっくりとアイナの顔がこちらを向く。
後ろでアイナの叔母が息を呑むのを感じる。
アイナは何を言うでもなくこちらに顔を向けると声にならぬ声で何かを呟いた。
一言だけ呟くとまた視線を虚空に戻してしまう。
だが反応はあった。
ロウはアイナに一言告げて立ち上がると、後ろで控えていた叔母に声をかけた。
「通わせてもらっていいですか。アイナが元気を取り戻すまで」
叔母が頷く。
ロウは決意とともにアイナへと振り返った。
「……必ず……」
それ以来ロウは毎日アイナのもとへと通いつめた。
毎日いろんな話をしたし、いろんなものを持ってきた。
アイナがよく読んでいた本。
アイナとともに遊んだおもちゃ。
少しずつ。
本当に少しずつだが彼女は回復していった。
回復の過程で彼女が喋れなくなっていることがわかった。
ショックではあったが筆談を使ってコミュニケーションをとり続けた。
しばらくして彼女は話しかければ普通に返事をするレベルまで回復した。
しかし、自分から何かをしようとすることはなかった。
無気力になってしまった彼女の興味をひけるものはないかと、あの手この手を尽くし、さまざまなものを用意した。
そしてついに彼女が興味を示すものを見つけた。
ロウはここぞとばかりにそれに関するものを彼女に与えた。
ずっとそれに付き添った。
毎日毎日可能な限り、彼女に付き添った。
次第に彼女は気力を取り戻していった。
完全に元通りにはならなかった。
全体的に暗くなったし、笑うことも少なくなった。
だが、それでもたまにだが笑うようになったし、紙とペンを使って普通に会話もするようになった。
それでよかった。
これでよかった。
ロウは今でもそう思っている。
ただ、ひとつだけ。
元気を取り戻したあとは彼女の興味を示したソレを少し抑え気味にすればよかったかなと思わないでもない。
空錬愛菜がどんな少女かと周囲に聞けば、十中八九暗い少女だと答えるだろう。
口の悪いものなら藁人形に五寸釘をうっていそうな、と答えるかもしれない。
だが、確かにそういったイメージがあるのも事実だった。
軽くウェーブのかかった黒髪を長くのばしており、その眼はいつも半ばまで閉じられている。
好きな色は黒で、私服は上も下も黒一色しか着ないらしい
いつもどんよりとしたダークオーラを背負っていて、話しかけずらいイメージがあるのだ。
さらには喋らない。
全くと言っていいほど喋らない。
ただでさえ話しかけずらい彼女に意を決して話しかけると驚愕の事実が待っている。
彼女は返事を口では言わず、手に持ったスケッチブックにマジックで書くのだ。
話しかけたものは彼女が喋らないのではなく喋れないのだという事実に行きつく。
同じクラスのものともなれば大抵のものが彼女が喋れないことを知っているが、結局話しかけずらさを生んでしまっている。
結果、彼女は孤立気味だった。
ネギ・スプリングフィールドは真面目な少年だ。
彼は10歳という若さでありながら一つのクラスを任された教師だ。
若いというより幼いながら教師という大役をしっかりこなそうと心に決めている。
教師として生徒のことよく理解し、皆を支えようと考えていた。
今はまだまだだが、クラスの生徒達全員と仲良くなれたらと考えている。
そんなネギにとって空錬愛菜は気がかりな生徒の一人であった。
あまり友達としゃべっている風もなく、いつも一人でどんよりとした空気をまとっている。
孤立気味というだけなら他にも何人か居た。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルや長谷川千雨も周囲と距離を置いているように見える人物だ。
だが彼女らは好きでそうしているように見えた。
自分から周囲と距離を置き、その状況を好んでいるように見える。
本人たちが望んでいるからと言ってそのままでいいとは限らないのだが、急ぐ必要はないように思えた。
アイナに比べれば彼女らは後回しにしていいように思えたのだ。
最初にクラス名簿で「喋れない」という文字を見た時はどういうことかと首をかしげた。
授業のとき彼女を指したとき、スケッチブックに文字を書いて答えられたとき、初めて理解した。
彼女が喋れないことを知ってるがゆえに周囲は話しかけずらく、それを知っているがゆえに彼女も周囲に話しかけずらい。
そのせいだけではないだろうがアイナが自分から人に話しかける姿をほとんど見た事がなかった。
ネギもまた彼女に話しかけるきっかけというものをつかめずにいた。
ところがだ。
最近になって彼女の様子に変化が見られた。
正確にいえばときどき彼女の様子が変わることがあることにネギが最近になって気づいたのだが。
ごく稀に彼女が当人比30%ましで生気にあふれた目でいきいきとしているのだ。
何かの本を読んでいるときであったり何かについて話しているときであったりと、ばらばらだが確かに彼女が楽しそうにしているのを見かけたのである。
彼女には何か好きな事があり、それに関するときは生き生きとしているのだというのがネギの推論だった。
そして今もまたダークオーラを引っ込めて真剣な表情で手元の雑誌に視線を落としている。
チャンスであった。
何を読んでるんですかーとフレンドリーに話しかけ、彼女との会話のきっかけを作る。
そう決めてネギは歩み出した。
そう意気込むネギの様子に気づいた風もなくアイナは雑誌に視線を巡らせた。
何気ないしぐさで雑誌を読みながら懐から金色の洒落た笛を取り出す。
そして思いきり吹き鳴らした。
ピィィィィィィィィィ!
澄んだ音色が響きわたる。
だが、特に変化はない。
何の意味があるのか初見では分からない。
しかし、アイナはそれで満足したように懐に笛を戻すと再び雑誌に視線を戻した。
突然の奇行に眼を丸くしたネギが周囲を見回すが、周囲は一度アイナの方を確認するだけで、またかというように各々の行動に戻っていた。
ネギは初めて見る行動なのだが、周囲にはおなじみらしい。
言葉を失ってしばらく立ち尽くしていたが、気を取り直したように歩み寄った。
「あの。今の笛はなんです?」
彼女の読んでいる雑誌について聞くつもりだったのだが、気がつけばそう問うていた。
アイナは初めてネギに気づいたかのようにゆっくりと顔をあげた。
半分とじられた眼がネギの顔をじっと見つめる。
アイナは雑誌を机に置くと机のわきからスケッチブックを取り出した。
左のポケットからマジックを取り出し、キャップを外す。
次の瞬間、マジックをもった愛菜の手が、信じがたい高速でスケッチブックの上を踊った。
ほとんど一瞬で文字を書きあげ、スケッチブックをこちらに向ける。
<親戚からもらったもので、詳しくは知りません>
「ああ、そうなんですか」
驚異的な速書きに目を丸くしながらとぼけた声をだす。
目の前で見たのに未だに信じられなかった。
ひょっとして魔法使いか何かなんだろうか。
一般人のものとしては今の動きは速すぎた。
自分の中の疑問の声に否定の声を出す。
魔力は全く感じられなかった。
今のは純粋な技術なのだ。
呆けた顔でずっと突っ立っていたためか、アイナはいぶかしげな顔でこちらの顔をのぞいてきた。
いつの間にかいたのかスケッチブックの新たなページを見せている。
<まだ何か用ですか?>
それに我に返ったように、ネギはわたわたと手を振った。
「ああ!大したことじゃないんです。楽しそうに読んでいたので何の本かなあって」
<何の本だと思いますか?>
そう返されてネギは言葉に詰まった。
パッと見たかんじ彼女の読んでいそうなもの、と想像して、呪い大全とか黒魔術入門とかいうおどろおどろしいタイトルが脳裏に浮かぶ。
だが、それをそのまま口にはしない。
さすがに失礼な気がしたのだ。
もっとこうオブラートに包んだような言い方はないだろうか。
「オカルト関連とか……ですか?」
結局出てきたのはそんな言葉だった。
言った後でしまったと後悔する。
アイナは少し不満げに眉を寄せているように思えた。
「だめやえ~ネギ君。人を見かけで判断しちゃ」
そんな言葉が後ろからかけられる。
振り向くといつもお世話になっている近衛木乃香がニコニコと笑いながらこちらを見ていた。
誰に対しても分け隔てなく接する優しさを持っている彼女はルームメイトの神楽坂明日菜とともにアイナと普通に会話できる数少ない人間の一人である。
このかの言葉に頭をかきながらネギは謝罪した。
アイナはすぐに表情を元に戻すと、持っていた雑誌を見せようと軽く持ち上げた。
だが、軽く持ち上げただけで手を止めてしまう。
アイナは雑誌を置いて窓を開けると、しぐさでネギにそこをどくように示した。
ネギはいぶかしみながらもそれに従う。
なんなんだろう。
口に出して問おうとしてこのかに遮られた。
「ああそういえばそろそろやね」
「そろそろってなんなんですか?」
何やら事情が分かっているらしいこのかに問いかける。
このかはふわふわした笑みを浮かべたまま、
「さっきアイナが笛吹いたやろ?」
「ええ、吹きましたけど」
このかはぴっと人差し指を立てると、
「アイナがあの笛を吹くとな」
立てた人差し指を先ほどアイナが明けた窓に向ける。
次の瞬間、
「とうっっ!!!」
掛け声とともに人影が一人、窓から飛び込んできた。
華麗な二回転半ひねりを決めてアイナの前にすたりと着地する。
「この人が駆けつけるんや」
「えええええええええええっ!?」
思わず叫ぶ。
叫ぶしかなかった。
突然窓から人が飛び込んできたらこれくらい驚いてもいいと思う。
改めてみれば、そこに立っているのはネギの生徒であるこのかやアイナと同い年か少し上ぐらいに見える少年だった。
ざんばらの黒髪に同じ色の瞳をしたごく一般的な少年だ。
どこか中性的でカッコイイという表現も可愛いという表現も似合いそうな整った顔立ち。
背も平均よりは少し高いだろうが、ネギのクラスの一部の生徒に見えるような中学生としてはありえないような長身でもない。
着ている服も平均的な魔帆良の男子中学生の制服だ。
普通の少年だった。
その普通の少年が窓から飛び込んできた。
二回転半ひねりを決めて。
しかもこのかの言葉を信じるなら笛の音にこたえて。
「えっ……ちょっ……ここ何階……笛……!」
言いたいことがうまくまとまらず、ぶつ切りに単語が口をついて出る。
少年はこちらの顔を覗き込むと人差し指を口元に充て、笑みを浮かべてきた。
「細かいことは言いっこなし。アバウトに行こう」
とりあえずうなずいてこたえておく。
頷いた後で頭がようやく回転しだした。
普通の笛の音の届く範囲などたかが知れている。
そのたかがしれる距離にずっと控えていたわけじゃないだろうし、ならあの笛も特別製だということだろうか。
離れた距離からこの短時間で駆けつけ、この階の窓に飛び込むなんて一般人にできることじゃない。
ならば彼らは魔法関係者だろうと推測できる。
それにしてはこんな目立つことをするなんて軽率だと思われても仕方ないことだ。
ネギは少年のそばに行くとほかの者には聞こえないよう小さく囁いた。
「あの、あなたは魔法使いですか?」
少年は驚いたように目をまるくしたあと苦笑していった。
「あまりその単語をあっさり出さない方がいいよ。僕が魔法関係者じゃなかったらどうするつもり?」
「す、すいません」
思わず小声で謝る。
謝った後で自分の言いたかったことを思い出して慌てて小声で告げた。
「そ、そうじゃなくて!ダメじゃないですかあんな目立つことしちゃ。魔法使いには秘匿義務っていうものがあって魔法を一般人にばらしたらオコジョにされちゃうこともあるんですから」
少年は困ったように頭をかくとネギを見下ろしていった。
「できればスルーしてくれるとありがたいんだけど。今までだってずっとやってきたんだし。それに……」
少年は悪戯めいた笑みを浮かべ、ネギの鼻先をつつくと、
「就任初日で魔法をばらした君が言えることじゃないんじゃないかな」
「うっ!」
思わず呻く。
どうしてこの少年が知っているのかはわからないが、確かに言う通りだ。
明確な魔法バレをやらかしてしまった自分の方がむしろ問題ありだといえば問題ありだった。
「それは……そうですけど……」
言葉に詰まるネギを眺めていた少年は苦笑すると、ネギの頭をポンポンと叩く。
「わかったわかった。気を付けるよ。アイナにも携帯を使うよう言ってみるさ。まあ聞くかどうかは分からないけどね」
言って少年は腰に手をあててネギの顔を覗き込んだ。
「ふーん本当に10歳の子が先生なんだ。話はアイナから聞いているよ。僕は咲須賀狼。アイナとは幼馴染だ」
「僕はネギ・スプリングフィールドです」
軽く握手して自己紹介する。
手を握っただけでは大したことは分からないが、何か武術でもやっているのか少し硬めの手だった。
少年――ロウはアイナに向き直ると、
「それで?今日は何の用?」
アイナは一瞬でスケッチブックに文字を書き込み、それを見せる。
<今日はあそこに寄りたいんだけど。一緒に行かない?>
「僕は特に欲しいものはないんだけど……わかったわかった。行くよ。行くからそんな目でみないでよ」
降参だと言わんばかりに両手をあげて言うロウ。
いつものことなのかこのかも周りの連中も苦笑するだけで特に何も言わない。
それで話は終わりなのか、アイナは読んでいた雑誌を鞄に入れて背負うと、スケッチブックを片手に立ちあがった。
ひらひらとこちらに手を振って歩み去っていく。
「それじゃあね。ネギ君」
ロウもまたそれに続く。
去っていく二人の背中を見送りながら、ネギは隣のこのかに問いかけた。
「いつもあんな感じなんですか。お二人は」
「うーん。まあそうやな。いつもはもっと時間がたって、ネギ君がいなくなってから呼んどったから、見るのははじめてやったやろ?」
頷いて、驚きましたと返してから二人の去ったドアを見つめる。
それじゃあと言ってこのかが去っていくのを見ながら、ネギは今更なことに気がついた。
「あ、何の本読んでたのか聞き忘れたや」
「見事な桜だね」
ロウは思わずそう呟いていた。
目の前には、ピンクの可憐な花を咲かせた桜並木が一直線に続いている。
女子寮前の桜通りだった。
アイナに誘われ、たまには気分を変えたいとのことで二人でレストランで夕食をとった帰りである。
日も既にとっぷりと暮れ、丸い月が顔を出し、あたりは闇に包まれている。
闇といっても現代の都会の常で、足元は街灯の光に照らされ、物に躓く心配はない。
だが、暗くなれば治安も下がるのが町というものだ。
念のために、というか幼馴染として、男として女子寮の前までアイナを送りに来たのである。
アイナには力があるが、その力はまだ未熟で、アイナ一人では何かと心配だった。
おまけにアイナは喋れない。
なにかあっても助けを呼ぶこともできないのだ。
自分の行動は決して過保護の内には入らない。
……別に友人に「お前って過保護だよな」と言われたことを気にしているわけではない。
自分で納得しながらロウはもう一度満開の桜達に目をやった。
ピンクの花弁が街灯の光に映え、実に美しい。
これだけの規模の桜並木が寮を出てすぐに見られるのだからうらやましい限りだ。
ちなみに男子寮の前の並木は桜じゃない。
なぜだろうか。
男どもには華やかな桜など似合わんとかそんな理由だろうか。
もしそうなら声を大にして言おう、男女差別だと。
桜を眺めていると袖を引っ張られる感触がした。
顔を向けるとアイナが袖を引っ張っている。
逆の手でどこかを指差していた。
指差す先を視線で追う。
洒落たデザインの街灯の上に何者かが立っていた。
山高帽をかぶっているが、おそらく子供ぐらいの体格だ。
黒いボロ布のようなマントに身を包みこちらを見下ろしている。
帽子の影に隠れているため顔は見えないが、心当たりがないこともなかった。
最近噂の桜通りの吸血鬼。
満月の夜になると桜通りに吸血鬼があらわれ、通った者に襲いかかり血を吸って去っていくという話。
実際体中の血液を抜き取られた死体が出たわけでなし、吸血鬼化した者が出たわけでなし。
だが、確かにその噂はあった。
火のない所に煙は立たぬ。
ロウはすでに大体のあたりはつけていた。
アイナのクラスメートに一人吸血鬼がいたのだ。
ちなみにアイナのクラスメートは一通り素性を洗ってある。
当然、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルという名前もその中にあった。
かつては闇の福音、人形使い、不死の魔法使いと呼ばれ恐れられ、600万ドルの賞金が掛けられていたビッグネームである。
今はかの英雄ナギ・スプリングフィールドによって呪いをかけられ、学校への登校を義務付けられ、力も封じられて今に至る。
彼女以外の吸血鬼の存在はこの魔帆良で確認されていない。
必然、桜通りの吸血鬼とエヴァンジェリンはイコールで結びつけられる。
エヴァンジェリンとは別に吸血鬼がいる可能性も完全には否定できないが、そこは蛇の道は蛇。
一族の者に頼んで調べてもらっている。
結論は桜通りの吸血鬼はエヴァンジェリンだということだった。
今までは少し血を吸って、相手の前後の記憶を消して開放していたようだが、今回もそうだとは言い切れない。
魔法使いにとってアイナの能力は貴重なものだからだ。
吸血によって操り人形にしてその力を使おうと考えるかもしれない。
操り人形にされた状態で能力を使えるかどうかは知らないが。
アイナの手を握り、いつでも逃げれれるようにしながら街灯の上の人物に語りかける。
「はじめしてかな。エヴァンジェリンさん。顔は見たことあるけど話したことはなかったよね」
その言葉に口元に不敵な笑みを浮かべ、エヴァンジェリンはマントをたなびかせながら街灯の上から飛び降りる。
「そうだな。こそこそと探りを入れることを会ったうちに入れないのなら初めましてだな」
鋭い犬歯を見せながら皮肉を口にする。
それに苦笑しながらロウはアイナをエヴァンジェリンから隠すように立つ。
エヴァンジェリンはそのさまを眺めながらうすら笑いを浮かべる。
「特に狙ったわけではなかったのだが……面白い得物が網にかかったな。なあ茶々丸」
呼びかけに一人の少女が木々の影から歩み出てくる。
アイナのクラスメートでエヴァンジェリンの従者である絡繰茶々丸だ。
緑の髪と耳のアンテナ、むき出しの関節が特徴的なガイノイドの少女である。
「空錬愛菜様ですね。確かに珍しい能力の持ち主です」
無感情にそう告げるガイノイドを視界の端に止めつつ、ロウはエヴァンジェリンに向かって言葉を放つ。
「特に狙ってなかったんなら見逃してくれないかな。別に僕らじゃなくてもいいんだろう?」
あまり期待しないで言った一言は案の定ぴしゃりと切って捨てられた。
「却下だ。お前も分かっている通り、空錬愛菜の力は手ごまに加えられるのなら加えておきたい貴重なものだ。絶好のチャンスが向こうからやってきたのだ。それを見逃すほど私は甘くない」
言って茶々丸に視線を送る。
それだけで茶々丸はエヴァンジェリンの意思をくみ取り、彼女の隣に控えた。
緊張の汗を流しながらロウはエヴァンジェリンと対峙する。
エヴァンジェリンの性格上不意打ちなどしなさそうではあるが、一応いつでも動けるよう構えておく。
「ククク。まるでナイトだな。そういえば咲須賀は空錬を守ってきた一族なんだったな。それにしても別に取って食おうというわけではないんだ。ちょっと血をもらって、来る時に力を借りるだけだ。そんなに緊張しなくてもいいんだぞ」
「僕は気が弱くてね。それくらいは勘弁してもらえるかな」
エヴァンジェリンはロウの言葉を鼻で笑うと腕を組んで顔を少し上向けた。
若干見下ろされるような感覚を覚える。
「どの口が言う」
その口元の不敵な笑みを見ていると何もかも見透かされているようなそんな不安感が腹の底から湧きあがってくる。
実際ある程度は知られてしまっているのかもしれない。
魔法使い達の力によって、狙われることの少なくなった空錬だが、同時に魔法使い達にその力を知られることになった。
その気になって調べれば空錬と咲須賀の力がどんなものかはある程度わかってしまう。
かたくなにその力と存在が隠されていた昔とは違うのだ。
拳を何かを握るように軽く握り、エヴァンジェリンを強く睨みつける。
そのときだ。
緊張に張りつめたロウの肩を誰かが叩いた。
ロウがゆっくりと振り向くとそこには不思議そうな顔をしたアイナの姿。
手に持ったスケッチブックを掲げてこちらに見せている。
普通ならこんな暗い時間帯ではスケッチブックの文字は見にくいはずだが、彼女の使っているペンは特別製である。
暗い場所でも夜光塗料顔負けにはっきりと見える。
<エヴァンジェリンさんがどうかしたの?>
……
どうやらこの状況を理解していないらしい。
ロウは嘆息しつつ視線をエヴァンジェリンに戻しながら答える。
「彼女が桜通りの吸血鬼で僕らの血を狙っているらしい」
アイナはスケッチブックをめくると素早く新たな言葉を書き込む。
そしてくるりとそれを見せた。
<大ピンチ?>
「中ピンチかな」
彼女のどこか緊張感に欠ける言動に苦笑する。
苦笑するとともに自分の緊張が幾分和らいだのを感じた。
エヴァンジェリンはくつくつと笑うと右手を腰にあてた。
「それで?お前たちはその中ピンチをどう切り抜けるつもりだ?」
「それを問われたからといって答えちゃったら成功するもんも成功しないよ」
腰を低く落として構えながら吐き捨てる。
手がないわけじゃない。
だがその手はあまり使いたくなかった。
エヴァンジェリンに襲われているというこの状況と天秤にかけてしまうほどに。
エヴァンジェリンはこちらの葛藤などどこ吹く風で言い放つ。
「言っておくがいくら力を封印されているとはいえ今日は満月だ。少々のつまらん小細工を潰すぐらいわけないんだからな」
「それは丁寧にどうも。それで何が言いたいの?」
エヴァンジェリンは左手を軽くかかげ、手招きしながら口を開く。
「使えと言っているんだ。空錬の力を。幻想を現実に結ぶというその力を」
やはり知られていたか。
胸中で毒づく。
空錬は幻想を現実に結ぶ。
言いかえればイメージから物体や事象を生み出せるのだ。
魔法使いと違い呪文を唱えることもなしに。
実に強大な力だった。
開祖にたっては天候すら自在に操れたらしい。
「悪いけどアイナはまだ未熟でね。そちらの期待に添えるような超常の力は……」
<お見せしましょう!>
ロウの言葉を遮るようにアイナがスケッチブックを掲げた。
ロウはスケッチブックに書かれた内容を読み上げるとともに視線をアイナの顔に移した。
ダークオーラが薄れ、どこか生き生きとしているように見える。
「姫の方は乗り気なようだぞナイト。どうする?」
からかうように言うがロウはそれどころではない。
あわててアイナに詰め寄ると肩を掴んでまくしたてる。
「ちょちょちょちょっとまったアイナ!今はわりと真面目な事態だしさ。アレは無しって方向で……」
アイナがゆっくりとスケッチブックを見せる。
そこには先ほどと同じ文字。
ぺらりとめくる。
そこにはいつ書いたものやらすでに文字が書き込まれていた。
曰く、
<ダーメ>
アイナの全身から青い電光が走り、光があふれ出した。
それと同時にアイナの周囲に風が渦巻き始める。
「アイナ!待った!だからそれは勘弁!」
こちらの言葉を無視してアイナは力を開放する。
ロウの足元から光の柱が屹立し、ロウの体を飲み込む。
「やめてええええええええ!!」
ロウの悲鳴をよそにアイナがスケッチブックをめくり、新たなページに瞬書で文字を書きなぐった。
<ファンタズム・インストール!!>
光の柱がひときわ強く輝き、一陣の風と共にかき消える。
ひときわ強く、鮮やかに照らされた桜がざわざわとざわめいた。
吹き抜ける風に髪を嬲らせながらエヴァンジェリンは光の柱を見据えた。
期待していないと言えば嘘になった。
600年の長きを生きてきたが空錬の力を目の当たりにするのは初めてだった。
竜巻や吹雪、噴火など天候をも操り、万の軍勢すら生み出したという稀少な力。
その一端を目にし、さらには自分のものにできる。
そう考えると高揚感があるのは否定できない。
ひときわ強い光とともに光の柱が消える。
後に残ったのはロウだけだった。
「なんだ?」
思わず呟く。
そうそこにいるのはロウだった。
何か魔獣にでも姿を変えるのかと思いきやロウのままだった。
顔をわずかに赤らめて頭を抱えている。
そのロウの服が変わっていた。
先ほどまで動きやすそうなジーパンにシャツ、その上にジャケットを羽織った格好だったのが赤と黒で構成された上着を肌の上に直接着、下は白のズボンに変わっていた。
腕や脚の周りなど各所にベルトが配され、腰を回るのはふたつならんだベルト。
大きなバックルの下にはやはり外延部をベルトで縁取りした赤い前垂れがつき、バックルには英語で『FREE』の文字。
髪の毛は茶色に染まって逆立ち、さらには長い後ろ髪を首の後ろで乱暴に束ねていた。
そして額には赤いヘッドギア。
極めつけに手にはどこかジッポーライターを彷彿とさせる鍔も刀身も四角で構成された剣を逆手に握っていた。
「……なんだ?」
もう一度エヴァンジェリンが呟く。
これのどこが『幻想を現実に結ぶ』なのか。
そうこれをやった張本人に問いかけようとして息をのんだ。
知らない奴がそこにいた。
きらめく瞳は生気に充ち溢れ、
あふれんばかりの喜びが顔からにじみ出ている。
誰がどう見てもその顔は楽しそうであり、笑顔さえ浮かんでいた。
無論ダークオーラなど微塵も残っていない。
今にも小躍りしそうな様子で、輝く目で服装の変わったロウの周りをぐるぐると回って様々な角度から眺めまわしている。
「…………なん……だ?」
呆気にとられて三度おなじ言葉を吐く。
恥ずかしがり頭を抱えるロウと、普段の暗さがどこへ行っていしまったのかというぐらいに溌剌としたアイナ。
わけのわからない状況に思わず従者に問いかける。
「なんなんだアレは?」
すぐさま抑揚に欠ける声が返ってくる。
「空錬の力はイメージをもとに現実を描き変える力。それを使って咲須賀さんの服装を変えたものと思われます」
「いやだから服なんて替えてどうするつもりだ?」
茶々丸は軽く首をかしげ、
「さあ。可能性の模索は続けますが、彼らに聞いた方が速いと思われます」
「そうだな」
嘆息して、数歩二人に歩み寄る。
二人で微妙な世界を形成してしまっている連中にも聞こえるようにはっきりとした声で問いかける。
「なんなんだ?それは?」
その問いを聞いた瞬間二人の顔がころりと変わった。
アイナは不満そうに、ロウは嬉しそうにである。
実際ロウは嬉しそうにまくしたててきた。
剣を握ってない方の手をパタパタと振りながら。
「いや知らないんならそれでいいんだ!ホントに!気にしなくていい……」
「データ検索終了。該当一件」
心底うれしそうなロウの言葉を無情なる言葉が遮る。
全員の視線がそちらに集まるのを気にした風もなく茶々丸が続けた。
「あの服装は格闘ゲーム『ギルティギア』に登場するキャラクター、ソル・バッドガイのものと同一です」
エヴァンジェリンは訝しげに眉をひそめて言う。
「ゲーム?」
「はい。つまりアレは……」
ロウが目に見えて落ち込む。
左手を顔にあてて俯いていた。
それを横目にしながらエヴァンジェリンは茶々丸の言葉を待つ。
茶々丸は一度ロウの様子を気にしたようだが、やはり主のため先を言うことにしたらしい。
淡々と告げる。
「コスプレです」