2001年10月22日00時00分 日本帝国
――はて?ここはどこだ。日課の鍛錬を終え、金に飽かせて買った柔らかいベッドに眠った筈なんだが……
気が付いてみたら、八神和麻(やがみ かずま)は薄暗い個室らしき空間に閉じ込められ、シートに腰掛け、両手は何か航空機の操縦桿のようなモノをがっちりと握り締めていた。
『和麻ぁあああッ!!ぼさっとしておる暇などないぞ!!』
突然の野太い濁声に、体が反応してペダルを踏みしめ、機体を後ろに下がらせながら、右の操縦桿のトリガーを引いた。
視界に写る赤く機械的なフォルムの右腕に構えた銃から弾がばら撒かれ、目の前で棍棒のような前肢を空振りした白い筋肉の化け物を蜂の巣にしていく。
それを見やりながら、次は左の操縦桿を捻ってトリガーを引く。左手からも突っ込んできた白い奴を左腕の大太刀モドキが切り捨て、更に足元に群がらんとする赤い蜘蛛のような奴らを薙ぎ払った。
その後も、目の前に迫る脅威に意志と関係なく、体が対処していく。手は操縦桿をガチャガチャと操作し、足はペダルを踏んだり戻したりした。
そうして目の前で蠢いていた化け物たちを一通り駆逐したところで、跳躍ユニットを噴かせて後ろにジャンプ。そこでようやく一息つけた。
(これってロボット……か何かだよな。動かし方なんか知らん筈なんだが、何故か動かせたぞ、俺)
『どうしたのだ和麻。戦闘中に忘我するなど、おぬしらしくもない。』
視界の端に突然、厳つい中年オヤジの顔が小さく現れた。
印象に強く残り過ぎて覚えのある顔だ。確か、紅蓮醍三郎(ぐれん だいざぶろう)とかいったか。
御剣財閥から引き受けた依頼で出会った、常人のクセして色々と規格外な性能を誇るオッサンだ。普通の人の手に負えないからこそ綾乃と共に呼ばれた筈だったのに、結局この紅蓮が
「反重力のおおおッ…あぁらああしぃいい!!」とかなんとか咆哮を上げながら、某ロボット紛いの離れ業で獲物を退治してしまったのである。
そんな人外武人だが、一応は剣術流派の師範で、弟子が今は綾乃の高校の先輩だという。
しかし、今はそんな事はどうでもいい事だ。
何故紅蓮がここにいる。
自分はここで何をしている。
この化け物共は何なんだ。
そもそもここはどこだ。
加えて、目がおかしなことになっている。いくら首を振っても、訝しげな紅蓮の顔は離れないし、視界の両端にある、武器がなんだの、弾数がなんだの、機体ステータスがなんだのという表示も消えてはくれない。
自分はどうやらロボットらしきモノに乗っているようなのだが、当然その操縦法は知らない筈だ。なのに、戦っているらしい。
薄暗くて窓のない小部屋の中かと思ったが、何故か外の風景が目に映っている。以前、弟の煉に連れられていったゲーセンでプレイしたロボットゲームがあったが、まるでその筐体の中にいるようだった。
「え…あ、いや……」
何と返したものか迷い、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。普段なら絶対こんな声は出さないのだが、唐突過ぎた状況の変化に、常に余裕の振る舞いを見せる和麻も対応しきれなかった。
状況を直ぐにも掴まねばと思い、視界を巡らせる。色々とある表示はそういうもんだと割り切った。そこでようやく、表示の中に時計がある事に気付いた。
00:15 10/22 2001
記憶してる最後の日付と明らかに違ったのだが、和麻はもう深く考えない事にした。
まずは情報だ。
思考を切り換えて風の精霊に知覚を繋げてみた。和麻の周囲を舞う精霊と直ぐに繋がった。
このロボットも気密されているわけではないようだった。さっきまで風術をすっかり忘れていたのは何だったのかと考える間にも、探査の風はあっという間にロボットの外へと広がり、その探査半径はあっという間に200kmにも達する。
親しい人間、例えば再従妹の綾乃なら100km、弟の煉なら200kmの彼方に居ようとも、和麻はその存在を探知することが出来る。周囲の地形を探る程度の精度の低い探査なら、半径200kmをカバーするのは難しいことではなかった。
そうして得られた情報を元に、頭に周辺の地図を思い浮かべた。
現在地は最短5kmで海に面する沿岸部。
南から西にかけて海岸線が複雑に入り組んだリアス式海岸が広がっており、その西には大小様々な島が列なっている。
およそ南東の方角には広大なカルデラの中にある活火山がある。
北西には島が二つ列なり、コチラ側とその島を挟んだ向こう側にも半径のギリギリだが、陸地があった。
現在地を確認し終え、次は探査半径を狭めながら、精度を上げていく。
火山の周囲には緑が窺えたが、それ以外の場所では軍事施設が散見される以外は全くの荒野であるようだ。
そして眼前に骸を晒す化け物は自分たちの位置する沿岸部の離れた場所にも群れており、まだ蠢いていた。他にも人型のロボットがいて、ロボット大の火器と刃物を手にまだ生きている奴を戦っていた。
箱を人型に整形したような重厚感のあるロボ
それよりも幾分スマートで頭部に何の飾り気のないロボ
もっとスマート且つ俊敏で耳の部分から二本角の生えたロボ
そして自分も乗っている、鎧兜を纏った鬼武者を想起させるロボ。
その背後には戦車や自走砲、コンテナ車が並び、化け物に向かって砲弾を順次撃っていた。その砲弾の何発かは化け物側から伸びる光の筋によって撃ち落されているようだ。
『今日の和麻はおかしいのう。霧香よ、おぬしは何ぞ知っておるか』
『いえ、心当たりがありません、大将。和麻、貴方さっきから本当にヘンよ。敵中に飛び込んだ瞬間呆けるなんて、具合でも悪くなった?』
丸々一分、黙り込んでいる和麻に返事を期待するのを諦めたのか、紅蓮は僚機に問い掛けた。それに応えて、紅蓮の下に顔を連ねたのはなんと橘霧香(たちばな きりか)だった。反射的にそれらの声を逆探知し、探知出来た方に和麻は機首を巡らせた。
大将だという紅蓮は赤い鬼武者ロボに、霧香は黄色い鬼武者ロボに乗っていた。二機とも和麻の側で小休止といった風情で突っ立っていた。
事ここに至り、和麻は意味が分からなかった。最凶最悪な師兄の仕業を一瞬疑うくらいに理不尽な意味不明さを誰かに大声で訴えたくなったが、仮にも知人の手前でそれをするのは憚られた。
自堕落な自分、無気力な自分、尊大な自分、そんな己を曝す事には何の躊躇いも感じない和麻であるが、プロの術者としての信用を損なうような事は出来ないのであった。
まずは無理矢理、現状を暫定してしまおう。
八神和麻はコンクリート平原のど真ん中に聳える御剣家の離れで開かれた令嬢の誕生日会でただ飯を食らった筈なのだが、
何故か二ヶ月近く遡って
2001年10月22日00時17分。食後は横浜のマンションに帰ってきた筈なのだが、
南は有明海を挟んで東にカルデラ火山の阿蘇山、西に雲仙普賢岳。その西に浮かぶのは五島列島で、北に浮かぶのは朝鮮半島との交易中継地点だった対馬。つまりは九州北部沿岸部――県境は細かく知らないが――
福岡と佐賀の中間辺りにいて。就寝前の鍛錬を済ませ、心地よい疲労感を噛み締めながらベッドに倒れ込んだ筈なのだが、
妙に和風感漂う鬼武者ロボのコクピットの中で、パイロットスーツらしきものを体にピッタリ貼り付けて、ゾンビとエイリアンを粘土で捏ね合わせたような
化け物相手に戦争している………らしい。
(――――――って、どんなロボットSFだ。だが、無理矢理にでも仮説を立てるなら――――)
結論。これは平行世界というヤツではないだろうか。
和麻も魔術師である。第二魔法によって平行世界間の移動が不可能でない事は知っている。しかも、帰国して以来、魔術師の本拠地ともいうべき英国でも滅多にお目にかかれない神秘の数々に遭遇し、かの“宝石翁”の弟子が第二魔法の真似事をした場面にも立ち会った。
平行世界が存在するのは最早疑うべくもない。
『ふむ、担当区域のBETA群を殲滅出来たのは未だ我等だけか。どうやら他部隊に比しても思いの外、敵の数が少なかったようだな。他はまだ交戦中……おお、西の第8大隊が崩れ出しておるわ。ここは片付いておるし……よし、これより我々は』
『ぐ、紅蓮大将ー!震動センサー、音紋に感アリ!!連隊を超える規模のBETAが地下より、せ、接近中です!!』
黙りこくったままの和麻を放置して、紅蓮が他の戦線に加勢しようかと考えた瞬間に同じ部隊らしき黒い鬼武者の誰かが、悲鳴のように警告を発する。紅蓮が渋面を作って唸るが、すぐさま大声で怒鳴り返す。
『ぬぅ……奴らはいつ、どこに姿を現すのだ!!』
『残り500秒ほどです!!場所は………!わ、我ら斯衛第1大隊直下と予想されます!!』
問い返されて答える声はもう今にも泣きそうなくらいに怯え、うろたえてしまっている。
『大将、第8大隊には耐えてもらう他ありません。これほどの規模であれば、我らとて無傷では済みません。』
『……仕方あるまい。HQ!こちらクリムゾン1、増強連隊規模のBETA群接近を感知した!他の戦線に援軍は回せん!!』
『HQ了解、クリムゾン各機はその場で 「いや、待った」 ……え』
唐突に、さっきまで沈思黙考の体でこちらの呼び掛けにろくすっぽ応えなかった和麻が通信に割り込んだ。人外な強さの紅蓮が渋い顔をし、状況の把握をきっちり出来る霧香は『我らは無傷では済まない』と言った。
つまり、紅蓮や霧香といった和麻の知る実力者でも死に得るという――状況は最悪らしい。彼らにとっては。
異邦人・八神和麻にとって己を知るらしい人物は、この平行世界で行動する上で必要な要素だ。死なれては困ってしまうから、手助けすることにする。
恩を売れれば尚良い。自分の思うように行動できる。
「さっきの化け物―――ベータが連隊規模なんだろ?なら話は簡単だ。こっちは俺が相手してやるから、霧香たちは他の奴らの援軍に回ってやればいい」
『なッ―――!!』
余りの大言壮語にHQのCP将校ですら、すっかり声を失くしてしまった。紅蓮はさっきまでとは打って変わって不敵な表情を浮かべる和麻に目を丸くしている。ただ一人、霧香だけはそのどちらにもならなかった。
『か、和麻!?貴方、どうしたっていうの?幾ら武御雷でも、これだけの相手を向こうに回して凌げるものではないわ!さっきのだって中隊規模だからこそ無傷でも勝てたのよ!』
「そんな事よりも確認しておきたい事がある。」
『そ、そんな事って………何?』
霧香はタケミカヅチとかいうロボットで戦う事を前提に戦力評価をしている。敵の接近を感知するのも機械式センサー頼りだ。それだけでも、分かったようなものだが、
最終確認。
「紅蓮大将、霧香、風術・炎術・陰陽道―――これらの言葉に心当たりは?」
『フージュツエンジュツ?』
『何じゃ藪から棒に。………陰陽道といえば、篁一族が平安の昔にやっとったとかいう占い稼業のことじゃろうが、他は知らんぞ』
『そうね、確かにウチの本家にはそんな伝説もあったけど……それを言えば、貴方の一族だって炎の神様の末裔だとかいう伝説があるじゃない。
―――で、それが今の窮状に何の関係があるっていうの?』
「やっぱ、そうか」
『??……一体、何だっていうのよ?』
これで決まった。ここには魔術に類するものが存在しないようだ。霧香の篁のみならず、和麻の実家である神凪も神秘に関わっていないようだ。後は……彼らを騙して自分の大言壮語を信じ込ませる演出をするだけだ。
「ぐっ、ぅううう、おおおおおおおおおっっ!!」
和麻は頭を抱えながら呻き出し、何かに苦しんでいるような咆哮を上げた。管制ユニットの中では突風が巻き起こり、和麻の髪が吹き散らされて乱れる。マイク越しに、風の吹き荒れる音も聞かせる。
『か、かか、和麻!?急にどうしたの』
『おい、和麻しっかりせい! 苦しいのならば、一度下がるのだ。不調で戦われても敵わんぞ。
………和麻?ど、どうしたのだ、その目は!!』
「………」
苦しげな様子に紅蓮も霧香も、やはり和麻は体調を崩したらしいと見て、慌てて下がるように言った。そこで和麻は不意に叫び声を止め、頭を抱える腕を下ろし、機内カメラの方を向き直った。それを見た紅蓮は信じられない物を見たような声を上げた。それもその筈――――――
和麻の瞳が透きとおるような蒼穹の輝きを放っていたのだ。
通信で映像の繋がっている相手が充分に驚いている事を見て取った和麻は今までに出会った超自然存在の振舞いを思い出しながら、早々に演技で畳み掛ける。正常な判断力を失っている内に、自分のペースに持っていく為だ。
「我、日ノ本ノ空ニ吹ク者、風ノ神ナリ。汝、人ノ子ラヨ。疾ク同胞ノ助ケニ赴クガ良イ。我ハコノ者ヲ我ガ依リ代トシテ一時借リ受ケ、コノ場を預カロウ。」『え、和麻!?……ちょ、ちょっと―――ッ!!』
「時間ガナイ。詮議ハ無用ゾ。今ハ武人ノ本懐ヲ遂ゲルガ良イ―――ホレ」『―――っ!!――――ッ!?』
『――!!―――――ッ――――ッッ!!!!』
先程の警告から、既に450秒近く過ぎていた。和麻は約20mのタケミカヅチ35機を風術で問答無用に持ち上げると、戦線を崩されそうな箇所にそれぞれ、適当に割り振って放り投げた。
あそこまで超常の力を見せられれば、信じるかどうかは兎も角、逆らうことはないのか、けたたましく抗議の声を上げていてもこちらに戻る様子はない。霧香たちは大人しく他部隊の援護に回るようだ。
和麻はタケミカヅチ毎、空に浮かび上がると、その頭の上に風の精霊を呼び寄せる。
BETAとやらの出現まで、もう30秒もない。風で震動を感じる限りでも、センサーは確かなようだ。
さあ、邪魔者は追い払った事だし、存分に力を揮ってやろう。エーテルフィスト程度では足りないだろうから、特大のダウンバーストをその鼻っ面に叩き込んでやるのがいいだろう。
「まだ諦めるんじゃない!今回は紅蓮閣下もいらしてるんだぞ、ここで踏ん張ってこその帝国衛士だろうが!!」
帝国陸軍九州方面軍第4師団の前島正樹中尉は小隊の部下を叱咤しながらも半ば諦めていた。先程までの上陸数程度ならば、これまでの散発的な遭遇戦と大差なかった。
しかも、九州視察中の帝国斯衛軍第1大隊――――かの有名な紅蓮醍三郎大将率いる紅蓮大隊が戦列に加わっているのだ。こちらが負ける道理などなかった。
だが、それもさっきまでの話。戦線の危うい戦場へと斯衛を援軍に回してもらおうと師団本部が要請したのだが、BETA増援の報でそれも叶わなくなった。増強連隊規模のBETA群が相手では、斯衛も全力を傾けて応戦しなければならないし、それでも防ぎきれるか分からない。
各戦線とも、応援を出せない以上、帝国陸軍が崩れるのが先か、斯衛軍が飲み込まれるのが先か。先の見えなくなった戦いに、新兵を中心に士気が低下していく。
「くそッ………!」
流石に呆然自失の体で蛸殴り、だけは回避させられたが、どれだけ叱咤しても、機動には精彩を欠き、自分たちの中隊が崩れるのも時間の問題だろう。
そうなった時、自分たちはどこまで保つのだろうか。
仲間はどれだけ生き残るのか。
自分は生きて帰られるのか。
彼女たちに会う事は出来るのか。
『前島!右手だ!!』
「……!!」
言われて、正樹は咄嗟に右側に目を向けて操縦桿のレバーを引く。搭乗機である陽炎が右腕の長刀を逆袈裟に振るい、振り上げられた要撃級の腕を切り落とす。そこへ横合いから飛んできた36mm砲弾が次々と突き刺さる。蜂の巣になった要撃級が地に伏した隙に、バックステップで下がり、後続のBETA共に、左腕の突撃砲をばら撒いて行く。
そのまま、意識を目の前の戦闘に向け、手を休めることなく、長年の同僚に感謝した。
「すまん、福津。助かった。」
『すまんではないぞ。お前は小隊背負ってるんだ、考え事は後にしてほしいな。B小隊が倒れたら、こっちまで共倒れになる』
「お、おう。」
同僚のC小隊長、福津吉武中尉は少し嫌味げに言うと、陽炎の向きを変えて、次の標的に向かって、120mm砲弾を撃ち放つ。一瞬置いて、僚機に背後から近付こうとしていた要撃級の首のような器官が付け根から吹っ飛んだ。
『もうしばらく持ち堪えれば、司令部も撤退命令を出すだろう。俺たちは殿軍にされるかもしれんが、それも堪えれば、援軍と合流して反撃に転じられる筈だ。俺はここで死ぬ気はないから、死ぬのなら一人で、遺言遺すなら今の内に教えてくれ』
吉武は部隊全体を見渡して援護の手を打つ後衛に相応しく、戦況の把握が上手い。その上、煽って挑発する事で士気を高揚させるのが得意なタイプで、それに簡単に乗せられ易い正樹は、状況判断と援護を吉武に任せっきりにして存分に暴れる事が出来た。
序でに口も悪くなる。
「誰がお前なんかに遺言を遺すか。お前の方こそ、遺言を遺したいなら、今の内に言っとけよ!来年には休暇取って横浜へ面会に行くから、その時、つ・い・で・に伝えてやる」
『お前のような姉妹丼万歳野郎とは断じて引き合わせん。あの娘は純粋なんだ、前島菌なんぞに触れれば、あっという間に感染してしまうだろうが』
正樹は以前の合同演習で再会した四姉妹の三女から、吉武は相手の母親が送ってくれた手紙で、それぞれ親しい人が国連軍横浜基地の教導部隊に所属しているのだと聞いていた。
「な―――ッ!!――だから、それは違うって何度も言ってんだろうが、この晩生チェリーめっ!!」
『ふん。どこぞの爛れた四つ股ジゴローに比べれば、遙かに健全だ。俺たちのプラトニックな愛も貴様には分かるまいよ』
「てんっめーーーッ!!言うに事欠いてジゴロだとぉおおっ!!後で覚えとけよ!」
ふと気付いてみれば、先程までの諦観もどこへやら。吉武との口論ですっかり熱くなった正樹は、吉武の小憎たらしい澄まし顔を一発引っ叩くという未来を強く心に思い描き、その勢いのままにB小隊の部下に号令を掛けた。
「てめーら、絶対生きて帰んぞ!!こいつを一発ぶん殴ってやらねーと気が済まねぇからなッ!!」
『C小隊各機、ここでB小隊の戦果を上回って帰還すれば、前島中尉御自慢の幼馴染美人姉妹を中尉殿より直々に御紹介してもらえるそうだ。各員奮闘するように』
吉武は真面目くさった顔でそう言いながら、正樹が持ってる筈の四人が写った写真を懐から取り出した。
『『『う、ぅおおおおおおおっっっ!!??』』』
「誰も、んな事言ってねぇえええーーっ!?つか、福津ぅうう!それどっから持ってきやがったぁああっ!?」
『安心しろ、コピーだ。本物ではない。』
口の達者な吉武に見事にやり返され、正樹が少し凹んだところで、切りがいいと見て取ったのか、ハスキーな女性の声が部隊内通信に加わった。
『オラ、アンタたち。その辺にしときな。後一分程で斯衛の処から、BETA共が沸いて出てくるんだ。今の内にちょいと下がっておくよ』
「坂元大尉、斯衛はどのくらい保つでしょうか」
どんなに頑張っても後衛に前衛を超える戦果はまず上げられなかったなと思い直し、正樹は気を取り直して第138中隊長・坂元菜々子大尉に話を振った。
中隊各機が前線から一斉に距離を取る中、就寝前の出撃のせいで整えられなかったというボサボサ髪を掻き回しながら、坂元は間を置かず答えてくれた。
『保つも何も、すぐにかなりの数がこちらに浸透突破してくるぞ。斯衛に出来る事は突破してくるBETA共を少しでも減らす事だけだ』
『大尉?……その斯衛ですが、増援予測地点から分散してますが……』
『なにぃ!?』
「斯衛が………BETAから逃げた!?」
接近してくるBETA共を射撃で牽制しながら戦術マップを見れば、大隊36機の内、35機が各部隊へと向かっているようだった。それだけでも唖然としてしまうのだが、斯衛のいる方角に目をやって更に驚いた。信じられない光景があった。
脚を前にして飛んで来る者
上下逆さまに飛んで来る者
背中から飛んで来る者
側転よろしく回転しながら飛んで来る者
両手足をじたばたさせながら飛んで来る者
帝国斯衛の象徴たる最新機種・武御雷が、勇壮で、優雅で、雄大で、帝国衛士なら一度は憧れる戦術機、あの武御雷が、まるで何かにぶん投げられでもしたかのように各々無様な格好で飛んで来た。
(武御雷が投げ飛ばされた人形みたいに――――)
出撃後すぐに光線属種を叩きに行ったお陰か、空高くから飛んで来た武御雷は一機として撃ち落される事なく、オートバランサーが作動して何事も無かったかのように綺麗に着地した。
『おい!そこの武御雷!!斯衛が持ち場を放棄するなんてどういうつもりだ!?』
『こちらも分からない!急に機体が浮き上がって、飛ばされたんだ!!』
仮にも斯衛衛士に対して、開口一番、即座に遠慮なく問い詰めようとする坂元も大概だが、それに素直に応じる黒の斯衛も結構、動揺しているようだった。
『訳の分からない事言ってんじゃないよっ!!これじゃあ、戦線は――――ッ!?』
到達予測のカウントダウンに5秒先行して、戦術マップでは、持ち場に一機残ったcrimson03のマーカーの前方3箇所がBETAの識別マーカーを示す赤い点で続けざまに塗り潰された。
横揺れの振動に叩きつける様な轟音がよく響く。
もう生還は難しいかもしれない。正樹はマップを見ながら、漠然と思った。お世話になった伊隅夫妻を思い、幼少より共に過ごした伊隅姉妹を思い、傍らの仲間を思う。
(ああ、俺じゃあ、こんな修羅場は無理だなぁ―――――あれ?)
しかし、奇異な点に気付いて、突撃砲の弾倉を交換しながら、マップ表示を操作する。
拡大表示してみたが、10秒経っても20秒経っても、BETA群を示す大きな赤丸は三つとも、周囲に分散することなく、不揃いな点滅を繰り返し、crimson03は未だにBETA群に飲み込まれることなく、健在であった。表示をもう一度変えてみると、斯衛の撃破カウントがもの凄い勢いで回っていた。そして、注意をマップから、外部映像に切り換えた瞬間――――――
上空から伸びてきた太い光の筋が三本、目にも止まらぬ速さで奔り回り、眼前のBETA群を焼き、切り裂いていった。
正樹はゆっくりと視線を巡らせ、映像を拡大していく。先程の光源は地上から伸びる、何本もの光線を捻じ曲げ、各戦術機部隊が相対しているBETAだけを正確に舐め取っていく。
やがて光線が細くなり、消え去ると、そこには赤い武御雷が浮いていた。一機だけ戦域に残った赤い武御雷は跳躍ユニットを全く噴かす事なく宙に浮き、腕を組んで、BETAの開けた大穴を見下ろしていた。
その様子がいかにも余裕綽々、傲岸不遜といった体で――――
(何だか……すっげぇエラそーだな)
衛士の顔も知らないのに、正樹はふとそんな事を思った。
非日常である戦場に現れた非常識は更に激しさを増していく。
大穴から照射粘膜を覗かせる光線属種たちが、第二射を放つと、透明な卵の殻のような障壁が、武御雷を包んでいるのが分かった。放たれた大小10近い光線は又も武御雷の装甲に届くことなく、障壁に屈折させられ、正樹たちの頭上を通り過ぎて、最も遠い戦域に展開するBETA群を薙ぎ払っていき、一条の光線は、大穴に反射し、照射インターバル中の光線属種を残さず焼き払っていった。
光線の雨が止むと、叩きつけるかのような轟音が再び鳴り響くと共に、後続のBETA群は穴の中へと問答無用に押し込まれ、何かに押し潰され、穴の外に運よく飛び出した個体は鎌鼬に襲われたかのように次々と寸断されていく。
斯衛の撃破カウントは依然、止まらず回り続け、密集したBETAがマップの中に作る三つの赤丸は不恰好な点滅から徐々に虫食いの穴が開き始めた。やがて鎌鼬の群れが切り裂いたような痕跡だらけになった二つの大穴から、赤点が完全に消え去った。
残った大穴に向かって天空から降りて来た竜巻が潜り込んでいった。程なくして、その渦の中ほどから、バラバラになったBETAの肉体が巻き上げられて、地上に降り注いだ。
竜巻が霧散した後にはBETAの反応が一切検知されなくなっていた。
まるで、魔法か神風か。
科学全盛の世の中で、都合の良過ぎる超常現象を見せ付けられた将兵たちは、総計で旅団規模を超えたBETA群の侵攻を20機に満たない損害で乗り切った戦果に気付くことなく、自分たちが生き残った事実に湧き上がることもなく、師団本部から帰還命令が出るまでただ呆けていることしか出来なかった。