聖アナスタシア女学院は広大な敷地面積を誇る有数のお嬢様学校である。一定以上の裕福な家庭のものしか入学することは許されず、
通学には寮に住み込むか車での送迎が義務付けられている。
構内には緑が溢れ、自然と人工物の調和した美しい光景は多くの警備員、各種専門家を含む、学校関係者によって維持されている。
そのお陰もあって学園内は四季によって、大きく顔を変えながらも常に美しく保たれ、生徒たちには『楽園』とよばれて愛されている。
───それはさておき、夕刻構内の一角にて───
「掃除といってもゴミ落ちてないな。」
このお嬢様学校に就職し、今日が初日……俺は主任に言われたとおりに、掃除……といってもゴミは全く落ちていないので枯れ落ちた落ち葉を箒で集めていた。
初めての就職。28歳にもなって。
「勝手が全くわからん。」
顔をしかめ、呟く。この年まで代々受け継がれてきた武道一本で生きてきた俺にとって、それ以外の仕事ということははじめてのことであった。
そんな俺が何故ここで働いているかというと、致命的なほどに人に教えることが下手であり、経営も出来ず、ごつくはないが明らかに
実践向けの引き締まった身体と研ぎ澄まされた刃のような表情を持っていたために誰も怖がって弟子入りしなかったからであった。
要するに単純に食っていけなくなったのである。
ひょっとしたら人望がないだけかもしれん。
ついには、受け継いだ道場の維持すら難しくなったために手当たり次第仕事の当てを探し、ここがようやく見つけた職であった。
「ひょっとしてこれは……掃除とは何かという禅問答なのか?」
むむ、と手を止めずに考え込む。わからないとはいえさぼるという選択肢は無い。そう思われるのは恥辱だ。
だが、このままではそう思われてしまうかもしれない。
「今日の仕事が終わったら聞くべきだろうな。」
暫く考えていたことに結論を出して頷く。そのときにはもう、半径300m以内には塵一つ落ちていなかった。
次の場所にうつろうとしたそのときである。
「きゃぁぁぁぁっむぐっ!!」
「大人しくしろ。」
数人の黒いスーツを着ている男達に捕まっているのはこの学校の女生徒であろう。周りには彼女の護衛らしき男たちが気絶している。
なんとか生きてはいるようだ。この学校には相応しくない、明らかに人攫いの現場である。
俺はそんな光景を見ても眉一つ動かさずに見ていたのだが天啓が閃き、一つ頷く。
(主任は用務員の仕事はこの学校の美しさを守ることだと言っていたがこういうことか。確かにこれは美しくない。)
「待て。」
突然現れた作業着姿の俺の短い制止に、男達の動きが一瞬止まる。
「誰か知らないが見なかったことにすれば今なら見逃すぜ?」
黒服の男達が下種な笑いを浮かべる。だが、俺はそれを軽く受け流す。
「この学校を美しく保つのが俺の仕事だ。」
なるほど、主任は正しい。いろいろな人達が知恵と労力を使い、頑張って保っている綺麗な場所にこのようなものは相応しくない。
『用務員』とは、俺の天職かもしれない。ゴミというのはこのような輩の隠語だったのだ。
なるほどこれは確かにゴミ掃除だ。
構える。
全てを費やしてきた俺の人生。それを生かすための職場。父……いや、師は人は誰でも天命というものがあるのだといっていた。
俺にとってはこの仕事こそが天命なのだろう。
「やっちまえ!」
そこそこの修練を積んだ黒服たちの動き。恐らく元々は軍人か何かだったのだろう。
だが甘い。
「はっ!!!」
一人目を左の寸剄で打ち倒し、二人目を右の掌底で吹き飛ばす。小さな動きで隙を見せず最大の効果を。それが我が流派の特徴。
三人目の攻撃はかわして背後を取り、手刀であっさりと気絶させる。
後は女生徒を捕まえている一人だけだ。
「き、貴様何者だ!?お前も九上院の護衛か!動くな!動くなよ!!」
人質を取っているにも関わらず、パニックになっている黒服。自分たちの実力に余程の自信があったのだろう。
実際に強かった。だがそれ以上に俺は強かった。
「俺はこの学校の新しい用務員。主任からはゴミの掃除が今日の仕事だといわれている。」
流派の教えにより、用心から数個は常に持ち歩いている小石をズボンのポケットから取り出し、指弾で飛ばす。相手の額に当たり、
隙が出来る。それで十分。
一瞬後、女生徒を相手から引き剥がし自分のほうへ抱え込むと、相手の後頭部に蹴りを決めて沈めた。
「あ、有難う御座います。危ないところを助けて頂いて……」
泣きそうになっているが泣いてはいない。気丈な女性だ。長い黒髪の品のよさそうな美少女。裕福な家庭で良い教育を受けてきたのだろう。
子供が見るだけで泣く俺の顔を見ても丁寧な御礼を忘れないとは。いい子だ。
「気にすることは無い。生徒が気持ちよく過ごせるようにするのが俺の仕事だ。」
だが、給料分働くのが社会人というものなのだから礼を言われるのは筋違いというものだ。気絶している護衛たちに喝をいれ、叩き起こす。
護衛たちに事情を説明し、伸した男達を任せていると仕事に必要だからと主任から渡された携帯が鳴った。
「もしもし。そろそろ定時だから上がれよー。」
「わかりました。」
「この学校広いだろ~ゴミ掃除は出来たか~?」
意味を含んだ言葉にはっと驚く。主任はこうなることを知っていたのだろう。さすが先輩だ。掃除の年季が俺とは違うのだ。
だが、俺は俺なりに上手く掃除できたと思う。
「問題なく。今後ともご教授お願いします。有難う御座いました。」
「わはは!かてーやつだな!!用務員の仕事は掃除だけじゃないぞ!がんばれよ。」
掃除だけではない……だと!?
戦慄が走る。用務員の道はどれだけ厳しいのだ。一体何をするというのだ……楽な道などないということか。だが俺は負けん!
俺は主任を含め、用務員の先輩たちの持つ底知れない実力に驚きながらもそんな男達と同僚になることができた幸福を噛み締め、
明日からも頑張ろうと決意を新たにするのであった。
おまけ
「主任~いくらなんでも説明せずに掃除しろって可哀想ですよー。」
「わはは。この学校の広さを身をもって知ってもらうには一番じゃねえか。落ちてないゴミを捜していれば色んな場所をまわるだろうしな。」
「まあ、そりゃそうなんですがねえ。」
「だけど、あいつ掃除したっていってたな。どっかゴミ落ちてたのかなあ?」