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[1123] マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
『──大尉ッ!!』
 伊隅機に迫る要撃級の前腕。
 しかし間一髪というところで、祷子の87式突撃砲から射出された数発の120mm滑空砲弾が要撃級の前腕の根元に穿たれ、弾け飛んだ。
『──大尉! しっかりしてください!!』
「……すまん風間、助かった。今は余計な事を考えている場合ではなかったな──」

 B33フロア・反応炉ブロック──
 水月の網膜に投影されたスクリーンには『データリンク接続解除』の文字が映し出されていた。
 データリンクから外れ、ほぼスタンドアローンになってしまった今、目視可能範囲にいる築地機との交信しか出来ないような状態になっている。当然ながら、外部の情報は何も入ってこない。
「そっちはどう、築地?」
『──ダメです。どうやっても繋がりません』
「そう……」
『司令部は……α3はどうなっているんでしょうか……まさか、司令部まで棟内に侵入したBETAに……!』
「さすがにそれは……いくらなんでも早すぎる。見て……メインシャフト上層の中継器がやられてるのよ」
 スクリーンに交信有効圏が表示される。それによると、ここから第五隔壁までは有効圏内になっているが、それより上は駄目だった。
『──あ! 有線なら繋がるんじゃないですか!?』
「そうね、やってみましょう。情報端末塔に有線接続するから、あんたも私の機体に繋いで」
『──はい!』

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──ッ!? 副司令ッ──通信が回復しましたッ!」
 ヘッドセットを耳に通信装置と格闘していたピアティフが、夕呼を振り返った。
「──えっ!?」
「──α2健在ですッ!」
「私が出るわ」
 夕呼は通信装置の前に移動した。
「あんた達何やってたのよ!? 遅いじゃない!」
『──すみません! どうやら中継器が破壊されたようです──現在有線で繋いでいます。それで、α1は』
「格納庫は無線も有線もそっち以上のダメージよ。今じゃ通信からネットワークまで全てダウンしているの」
 90番格納庫の戦闘が激化したためだ。もっとも、基地内部はどこも似たようなものである。
『──ッ!?』
 息を呑む水月と築地。
『──じゃ、じゃあ、今どんな状態か、まったく分からないんですか?』
「ええ。B29フロアまでのネットワークは死んでいるのよ。辛うじてモニターできているのは、メインシャフト坑内だけ」
『では、90番格納庫は──』
「ML機関に誘き寄せられて敵がどんどん流入しているはずだから、とんでもない事になっているのだけは確かね」
 ML機関を止めようにも、司令室と90番格納庫の通信が完全に断絶してしまっているため、遠隔操作出来ないのだ。
「このままでは全てを失ってしまう──どんな手を使ってもいいから、とにかく反応炉を止めるのよ!」
『──制御室は敵に制圧されています。制御系を戦術機に直結する事は出来ませんか?』
「…………」
『──副司令?』
「ああ……ごめんなさい。それは設計上無理よ。手っ取り早く反応炉の一部を破壊しなさい」
『──!』
 水月たちの動揺が伝わってくる。守らなければならなかったはずの反応炉を、一部でも破壊しろというのだ。そして反応炉を傷つけてしまう事で、再起動の可能性は限りなくゼロに近くなる。だが、こうなった以上仕方がない。
「今から反応炉の構造データを転送するから、最小限の破壊で──? 速瀬? 築地!?」
 スクリーンに映し出されていた水月たちの画像がノイズに変わる。
「ピアティフ!」
「──駄目です、中継器が破壊されてしまったのではないかと──」
「くッ……打つ手なしか。後は伊隅や速瀬たちを信じて待つしかないわね……涼宮」
「はい」
「白銀のほうはどうなってる?」
「現在、森の台で戦っていると思われますが、通信設備の不調のため状況は把握出来ません。ただ、押し寄せるBETAの数が増加していない事から、未だ健在かと思われます──」

 旧横浜市緑区・森の台近辺──
「チッ……全く、きりがねぇな……!」
 武は襲い掛かってくる要撃級の首を短刀で刎ね飛ばしながら悪態をついた。
 ここに来て既に数十分、撃破したBETAは余裕で四桁に到達している。もっとも全体からしてみれば、それでもほんの一握りでしかないのだが。
「データリンクもなんか調子悪ぃし。もう少し戻れば繋がるかもしれないけど……おっと」
 突進してきた突撃級を躱し、背後に回りこんで36mm弾を撃ち込む。
「残弾も少なくなってきたなあ……最後の手段があるって言っても、あれはやりたくねぇし」
 あれというのはトライアルのBETA襲撃事件の時にやったあれである。今回は全くの丸腰というわけではないので、負荷が掛かる行動と言えば、切り取った要撃級の前腕を小脇に抱えて突撃級の後ろから突っ込むだけなのだが、それだけでも機体に掛かる負荷は格段に増してしまう。この襲撃を無事に切り抜けたとしても、今後BETAがどう動くか分からないので、機体に余計なダメージを残すのは極力避けたい。
 横浜新道に構築されていた第一防衛線跡まで後退すれば、補給用のコンテナがいくつか残っているはずだ。敵に囲まれている状態では補給など出来ようはずもないのだが、もしかしたら長刀程度なら何とかなるかもしれないし、第1、第2大隊が残していった武器があるかもしれない。
「レーザー種はいないし、最悪飛んで逃げられるから気楽って言えば気楽だけど」
 しかし、それは本当に最悪の場合だ。武が逃げれば、ここに引き止めている大群が全て横浜基地に押し寄せてしまうのだ。
「ま、弾薬はともかくとしても、武器に困ってるわけじゃないからいいか」
 今メインに使っている武器は、勿論短刀である。例の秘密兵器……というか、夏休みの自由工作のような新装備が予想以上に効果を発揮していた。
 これまでの間、斬って斬って斬りまくって既に6本ほど駄目にしてしまっているが、それでもまだあと12本残っている。
「でも長刀の方がやべぇよな……こりゃ」
 背部パイロンの片側には例の自由工作が取り付けてあるので、長刀は最初から一振りしか携行していない。
 今回、戦っている相手は六種。要撃級、突撃級、要塞級、戦車級、闘士級、兵士級。レーザー種は不在。
 闘士級と兵士級は短刀で斬るか踏み潰せばいい。戦車級と要撃級は短刀で斬り捨てる。残りの二種だが、突撃級は背後に回って36mm弾もしくは120mm弾で、要塞級は懐に入って長刀か120mm弾でそれぞれ倒していく。
 手持ちの武器で一番汎用的な120mmは万が一の切り札として温存しておく事にして、突撃級相手の36mm、要塞級相手の長刀はほぼ専用となるのだが、弾数制限があったり一振りしか持っていなかったりと使用制限が大きい。
 敵主力である要撃級と戦車級はどちらも大量に保持している短刀で倒せるので、今のところはどうにかなっているが、敵の動きが突撃級や要塞級を前面に押し出して、要撃級や戦車級を素通りさせるように変化してしまったら目もあてられない事になってしまう。
 今は騙し騙しやってはいるが、いずれ補給は必要になってくるだろう……というわけで。
「よし、横浜新道まで退こう」
 武は戦線を後退させる事にした。

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──白銀機のマーカー、復帰しました! 現在は横浜新道跡、第一防衛線付近で戦闘を行っています!」
 モニターを確認していた遙が武の無事を知らせた。
「通信は繋がる?」
「やってみます。──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13、応答せよ! こちらヴァルキリー・マム、ヴァルキリー13、応答せよ!」
『──ヴァルキリー13よりヴァルキリー・マム、どうした?』
「白銀、あんた、こっちには戻ってこられないの?」
『──先生? 何かあったんですか?』
「──まりもが……やられたわ」
『な──!? ……………………そうですか。ヴァルキリーズは?』
 武は一瞬の動揺の後、それを押し殺してすぐに平静を取り戻す。
「わからない。通信設備をほとんどやられててね」
 採用した作戦と基地の現状を武に説明する夕呼。
 現在、水月と築地のα2分隊はB33フロア反応炉ブロックに、残りのヴァルキリーズと斯衛軍第19独立警備小隊はB27フロア90番格納庫で戦っているはずだが、それ以上の情報は分からない。
「それで、戻ってこられそうなの?」
『──厳しいですね。なんでか分からないんですけど、どうも俺の撃墜優先度がまた跳ね上がってるみたいで、ここを通るBETAの半分くらいは俺の方に殺到してきてますから』
 無論、迫ってくるBETAを全て斃してしまう事など出来ない。手が回らなかったBETAたちは、武を墜とそうと近くに留まり続ける事になる。そうやって、かなりの数のBETAがこの場に溜まっているのだが──
『──今動けば、引き付けてるこいつらも一緒に連れて行くことになります』
「そう……そうよね……」
「──副司令! 帝国軍から打診が……!」
 オペレーターの一人が、帝国軍から入った通信内容を夕呼に伝える。
「白銀! 今そっちに……白銀? 白銀ッ!?」
『……………………』
 通信施設のダメージが限界に達したのか、スクリーンに映し出されていた武の画像が消え、音声もサーというノイズだけになってしまった。
「──何なのよ、もうッ!!」
 夕呼は忌々しげに吐き捨てた。
「はぁ……もう、伊隅や速瀬が上手くやってくれる事を祈るしかないの──?」

 横浜新道跡・第一防衛線──
「──先生?」
 突然通信が途切れ、データリンクからも切り離された。
「結構ヤバそうだな…………まりもちゃん……嘘だろ……?」
 今すぐにでも戻りたいところではあるが、この大群を引き連れて戻れば、それこそもっと拙い事になってしまいそうだった。焦りは禁物だ。
 最初から陽動に出ていなければ……と思いたいところではあるが、今、横浜基地が曲がりなりにも耐え続けられているのは、武がここでこうやって敵を引き付けている効果によるところが大きい事は否めない。
「もう少しペースを上げてみるか……よし」
 ここに退いてきた時、残念ながら予備弾倉や突撃砲は見つからなかったのだが、幸運にも落し物の長刀を二振り、確保する事が出来ていた。
 武は襲ってくるBETAに斬りかかっていく。
「クッソ……本当にキリがねぇ……!」
 それから何体くらい斬り伏せた頃だろうか。ピッピッという音と共に、スクリーン端に追いやっていた戦域情報が視界を阻まない程度に拡大されてくる。
「んっ!?」
 突然データリンクが復活し、戦域情報が更新されたかと思うと、18機のAn-225が接近していると示されていた。
「何だ……空挺作戦……帝国軍か?」
 確かに今回の襲撃ではレーザー属種はもういないであろう事が分かっているので、空を飛んでも撃墜される事はない。それに、BETAの進路上にダイレクトに戦力を投入できる事を考えると、極めて有効な策である事にも違いない。しかしそれでも、万が一を考えると無茶である事には違いない。
「どこの部隊だ? 帝国軍671航空輸送隊って……ははは、何だ、どっかで聞いたような数字だよなあ……」
 呆れながら呟いた。どこかで聞いたなどといいつつ、しっかりと記憶に残っている。忘れる事はないだろう。帝国軍671……厚木基地所属の部隊で、12・5事件の際、沙霧率いるクーデター部隊が、最後の賭けとして空挺作戦を実行した際に使用された部隊だ。
「援軍ってわけか……」
 やがて一個大隊──36機の不知火が空から舞い降りてくる。右肩には日の丸のマーク、そして腰部装甲板に『烈士』の二文字──
「だからって帝都の守りを手薄にしてきた……ってわけじゃないよな」
 現れた部隊に全く心当たりがないわけではない。輸送機のパイロットも衛士も、帝都防衛とは関係ないところから連れてきているはずだ。
『──沙霧尚哉以下36名、義によりて助太刀致します!』
「……沙霧大尉」
 武のヘッドセットに入ってきた声は、クーデターで戦った、あの沙霧のものだった。
『──もう、大尉ではありません』
 沙霧は少しだけ自嘲的に言った。彼と共に降下してきた部隊も、同じくクーデターに参加していた者たちなのだろう。
「……殿下が?」
『──は。殿下には償いをする機会を頂きました』
 今、武がいるこの場所は、横浜基地防衛戦における最前線。そんな場所に投入される部隊は、当然ながら生還率が低い。それに大量の敵を食い止めなけばならないので、練度の低い部隊をおいそれと送り込むわけにはいかない。
 だからと言って、精鋭部隊を送り込んで万が一があった場合、それで本来の任務に影響が出てしまうのも都合が悪い。
 つまり沙霧たちは失っても構わない戦力として、ここに送り込まれて来たというわけだ。彼等なら練度も高く、申し分ない。
 提案をしたのは悠陽だろう。悠陽としては危機的状況にある横浜に精鋭部隊を送る事が出来、軍としては万が一があっても打撃を受ける事がなく、そして沙霧たちは汚名を雪ぐチャンスを得られるという、一挙三得の策、というわけだ。
 降下してきた沙霧の部隊はあっという間に展開し、防衛線を構築した。
『──白銀少佐、これを』
 その防衛線の後ろで、沙霧機は白銀機に向かって予備弾倉を差し出してくる。
「ああ……ありがとう」
 武はそれを受け取ってリロード、また機体に収納していく。
『今、日本という国は変わりつつあります──』
「……うん?」
『そのきっかけは我等が作り出したのだと──投獄され、ただ裁かれる日を待つばかりの身ではありましたが──その事をどこか誇りに思っていました。道を踏み外したとは言え、その志までは間違っていなかったのだと』
「……沙霧?」
『ですが……貴殿らが甲21号作戦で成し遂げた事を見て、我が身の矮小さを思い知った次第。今更ながら、出来る事を着実にやっていこうと考えるようになりました。BETAと戦い民を守る……誰に何と罵られようが、それこそが我等に出来るただ一つの償いなのだと』
「……そうか」
 沙霧も色々と考える機会があったのだろう。
 武も営倉に入れられた時、暇で仕方がなかったという経験がある。沙霧が入っていたのは営倉ではなく正真正銘の牢獄だが、特にやる事がないという意味では、どちらも似たようなものだ。
『──司令部からの伝令です。各地から集結した帝国軍部隊により、増援が組織されつつあります。町田からの敵増援は、我々で可能な限り食い止めます。さあ、ここは我等に任せて、早く横浜基地にお戻り下さい!』
 沙霧はどこか懺悔しているような顔から、覚悟を決めた軍人の顔に戻る。その頃には、武の弾薬補給も完了していた。
「分かった……死ぬなよ」
『──無論。我等の罪、ただ死ぬだけで贖えるほど軽くはありません……武運を』
「そっちこそ」
 武は沙霧の不知火と拳を軽く合わせると、第一防衛線を彼らに任せ、反転して横浜基地へと向かった。
「……なんか雰囲気変わってたよなあ……ま、変わりもするか」
 投獄された事で自らの行為を振り返り、自分が周りに及ぼしてきた影響をきちんと認識したのだろう。
 何かを為そうとする時、何者にも影響を与えずに全てをプラスに持っていく事など不可能だ。多かれ少なかれ、どこかに必ずマイナスが生じてしまう。
 沙霧は犠牲を強いられている人たちのために決起したつもりだったのだろうが、何のための犠牲を強いられていたのかという見極めが出来ていなかった事、そして決起すれば新たに犠牲を強いられる者が出てくる事にまで考えが至っていなかった。
 そのあたりの事を、甲21号作戦の成功の報をきっかけとして、きっちりと時間を掛けて考える事で認識出来たのだ。
 そして、ならば自分には一体何が出来るのだと考えた時、それはずっと修練を積み重ねてきた戦術機の操縦であり、命を懸けてBETAと戦う事だった、というわけだ。
「でもま、俺も似たようなもんだよな」
 積極的に関わってきたかどうかは別にしても、夕呼とつるんでやってきた事の中には、表に出ていないだけで、一般人にしてみれば許せないような事も多々含まれている。
 武が背負っているものも、ただ死ぬだけで贖えるようなものでは決してない。だからこそオリジナルハイヴ攻略、そしてその先にあるものに向かって色々とやっているわけだが。
 それはさておき。
 後退を始めた武は、第二防衛線を通過しようとしていた。
「チッ……結構くっ付いてきちまってるな……」
 匍匐飛行で飛べば一気に突き放す事は出来るが、どれだけ防衛線を抜けてくるのか確認する事が出来ないので、BETAの進撃速度に合わせて地表を進んできている。
 沙霧たちが第一防衛線で楯となって後続を食い止めてくれているので、数は確実に減ってはいるのだが、やはり漏れはある。これをこのまま基地まで引き連れて行くわけにはいかない。
「増援が来るって言ってたし、一旦、ここで踏み止まるか……」
 そう思ってスピードを緩め、手近にいた要撃級の首を短刀で刎ね飛ばした時。
『──アルフェッカ2よりヴァルキリー13! 援護するッ!』
「えっ──!?」
 突如、野太い声の通信が飛び込んで来た。それと同時にデータリンクが更新される。そして武の周囲にいたBETAが、躍り込んできた武御雷の集団に斬られ刺され撃たれ穿たれ、武を取り囲むように武御雷の壁が出来上がった。
「……さっきの声……?」
 そのどこかで聞いた覚えのある、それも割と最近聞いた声からワンテンポ遅れて──
「あなたは!?」
 スクリーンには前に城内省で会った、妙な髪型をしたゴツいおっさんの、真紅でピッチピチな零式強化装備姿が映し出されていた。たいそうご立派な胸毛によって強化装備の胸の部分がV字に押し上げられているのを気にしてはいけない。
「……ぐ、紅蓮大佐?」
 それは以前、武が鎧衣課長の紹介で月詠の部隊のレンタルや武御雷を都合してもらった、紅蓮醍三郎であった。
『──うむ。久しい……と言うほどでもありませんな、白銀少佐』
 戦域情報には一個大隊、36機の武御雷。
 七割が真紅、山吹が二割に残りが純白。漆黒は一つも見当たらない。そしてそれらの中心には将軍家縁者の証──蒼天の青。
『──アルフェッカ2より各機、鶴翼複肆陣! 直ちに防衛線を構築せよ!』
『──了解ッ!』
 一糸乱れぬ動きで武御雷が鮮やかに展開、BETA共を蹴散らし、あっという間に戦線を作り上げた。半端ではない練度だ。
 甲21号作戦の折、月詠の小隊が将軍家縁者の率いる部隊に参加した事があったが、その時は赤服で中尉の月詠が部隊の副官を務めていた。しかし今回、副官の醍三郎は大佐。部隊の構成員もほとんどが赤服で、機動を見る限り、全てが指揮官級の手練ばかりで揃えられている。黄色や白とて、将来を大きく期待されている者たちかと思われる。一体どれほどの重要人物を護衛しているのだろうか。
 ありえない話ではあるが、もしも冥夜が悠陽の双子の妹として将軍の縁者を名乗る事があったなら、或いはこのくらい豪奢な隊編成になるのかもしれない。
 戦線は八個小隊で構築し、将軍家縁者を擁する小隊は、白銀機と青い武御雷を中心に、三機の赤い武御雷が円壱型隊形で護衛するように取り囲んでいた。
 そしてアルフェッカ1──青い武御雷と武の不知火の間に回線が開かれ、スクリーンに接続ステータスが表示された。
『──しばらくぶりですね、白銀』
 ヘッドセットから詠うような雅で心地よい声が頭の中に流れ込んでくる。
 武はスクリーンでその声の主を見て、驚きに目を見開いた。
 そこには紫の零式強化装備に身を包んだ、冥夜そっくりな少女の姿が映し出されている。しかし冥夜であろうはずがない。だとすれば、該当するのはたった一人しかいない。縁者どころの話ではなかった。
「でっ、殿下ッ!?」
『ふふふ、どうしたのですか? そんなに驚いて』
 驚く武の様子を見て悠陽は、初めて会った時に驚かされた事の仕返しをしてやったとでも言わんばかりに、楽しそうにクスクスと笑う。
「いや、その……って、そりゃ驚きますよ! 大体、こんなところで何やってんですか!」
『何と言われましても……ただ将軍としての責務を果たしているだけですが……?』
 悠陽は少し首をかしげて、何かおかしい事でもあるのですか、とでも言いたげにキョトンとした顔で答えた。
「そんな無茶苦茶な! 大体、今じゃ将軍自ら戦場に赴くことはないって、殿下、自分でも言ってたじゃないですか!」
『それは過去の話です。12・5事件を経て将軍に実権が戻ると共に、その負った責務も重くなっているのですよ』
「だからって、バカ正直にこんな最前線にまで出てくることはないでしょう! ほら、大佐も何か言ってやってくださいよ!』
 武は醍三郎に話を振る。
『まったく、帝都の目と鼻の先に最前線が出来たとはしゃぎおりましてな、この馬鹿弟子は』
「で、弟子!?」
 その醍三郎の口からは予想外の言葉が飛び出してきた。
『紅蓮には、私が幼少の頃より、武芸百般の師となって頂いているのです』
 武はなるほどと思った。この豪傑に師事しているのであれば、12・5事件での悠陽のあの肝の据わりようも頷ける。
『下手に将軍の実権が回復してしまった今、誰もこの我侭娘を止める事が出来なんだと言うわけでしてな。それならばと、わしらが随伴した次第』
「なるほど……」
 武は納得のいったようないかないような生返事で応えた。
『もっとも、殿下にとっては最前線云々はどうでもよく、ただ横浜に来る口実が欲しかっただけですかな』
「え……?」
『──ぐ、紅蓮!』
『おっと、これは失礼』
 醍三郎は豪快に笑った。
『しかしまったく、一体どこでこのような我侭を覚えてきたのだか……』
 そんな事を言いつつ、どこか呆れたような目つきで楽しげに武を眺める醍三郎。
「え、えっ? ひ、ひょっとして……俺?」
『12・5事件の前と後で変わったのだとすれば、他にありますまいなあ』
「そ……それはすみません」
 ある意味箱入り娘のように育てられてきた一国の長に、好き勝手に振舞う事を教えてしまったと言うのだ。本来なら謝って済む話ではない。
『ふむ……では、それを見逃す代わりに、一つ願いを聞いて頂こうか』
 ニヤリと笑う醍三郎。
「な、なんですか……?」
『いやなに、大した事でもないが……もし迷惑でないのであれば、ここから基地までわしらが貴殿に随伴する間、殿下を少佐の二機連携にして頂きたい。優れた衛士の背中に付くのも、これもまた良い修行となりますからな』
「はぁ……そんな事でいいなら、いくらでも引き受けますけど」
『だそうで。良かったですな、殿下』
 醍三郎はいかつい笑顔で悠陽に話しかける。
『もう、紅蓮!』
 悠陽は少しだけ頬を染め、醍三郎を咎めるように言った。
 何か悠陽の性格が違う……と武は思ったが、考えてみれば、悠陽と醍三郎の師弟関係はもう随分と長く続いているはずだ。そこには厳然としたものばかりではなく、例えば親娘のような良い関係が築かれていても何の不思議もない。
「それじゃ行きます。少し時間を食ったんで、急ぎますよ?」
『心得ました』
 悠陽の小隊に武が加わるような形で槌壱型隊形の更に前方に武は配置され、十字の中央に悠陽が配置されるような隊形──皇帝十字陣、インペリアルクロスとでも呼ぶべきか──を取る。
 そして、斯衛大隊に第二防衛線を任せ、武たちは基地に向けて出発した。

『──白銀……そなた、やはりあの時、私に気を遣って手を抜いていましたね?』
「え?」
 武が隊形の先頭で道を切り開きつつ、基地に向かっている突撃級の尻に36mm弾を見舞っていると、悠陽が話しかけてきた。
『あの時と今の機動、全然違うではありませんか』
「いや、生身に近い状態をこんな機動で振り回しちゃ、いくらなんでもすぐへばっちゃいますって。それに」
『──?』
「俺が派手に動いてたとしても、あの時それに付いて来られたのは、ま……神宮司少佐だけですから。冥夜たちはまだ訓練兵で、搭乗機も吹雪でしたからね」
『そうですか……そう言えば、神宮司軍曹は少佐に昇進されたのでしたね』
「まあ、いろいろあって」
『あの者があの時最後に見せた機動──米軍のF-22Aを、衛士を一切傷つけずに一瞬にして無力化した──あれには鳥肌が立ちました。戦術機で斯様な機動が出来るなど、考えた事もありませんでしたゆえ』
「俺たちの機体にはXM3のテストタイプが搭載されてましたから……っと殿下、そっち行きますよ!」
『──はい!』
 武は突然旋回して襲い掛かってきた要撃級を軽くいなし、悠陽が体勢を崩したその要撃級に36mm弾を撃ち込み無力化する。
「お見事」
『──世辞はよしてください。紅蓮からもまだまだと言われています』
「いや、筋は相当にいいですよ」
 そこらの三下衛士など比べ物にならないほどの操縦技術を悠陽は持っていた。そしてその戦術機動は、どことなく冥夜のものと似通っている。
 戦術機の操縦には、衛士が習得している戦闘技術の特性が現れる。例えば慧なら体術、壬姫なら狙撃というように。
 そして冥夜の戦術機動には剣術による影響が大きく出ている。
 冥夜が預けられた御剣家は現在の将軍家、つまり煌武院家の遠縁だ。煌武院家と同じ剣術が伝わっていてもおかしくはなく、御剣冥夜と煌武院悠陽、二人が同じ剣術を習得していて、それによって戦術機動が似ていても、不思議はないのだ。
 こんなところにも冥夜と悠陽の繋がりを見出した武。いくら表面上の縁を切ろうが、絶対に断ち切れない絆は間違いなく存在するのだ。それが何となく嬉しくて、武は笑顔を見せた。
『──どうかしましたか、白銀?』
「え? ああ、殿下の機動、冥夜のとちょっと似てるなって思って」
『──そうでありましたか』
 双子の姉妹だから……などと口に出していう事は出来ないが、武が何を言いたいのかというのは、悠陽はすぐに察する事が出来た。そして悠陽の顔にも柔らかな笑みが浮かぶ。覚悟を決めて決別したとはいえ、やはり嬉しくはあるのだろう。
『──白銀少佐。申し訳ないが、我等の随伴はここまで』
 演習場に差し掛かってしばらくしたところで、醍三郎からの通信が入る。
 これ以上先に進んだ場合……特にメインゲート前はボトルネックとなって敵が殺到している。ここまでの道程とは比べ物にならない激戦になるだろう。付け加えて今、悠陽の直援は醍三郎を含む三人しかいない。悠陽の練度がどんなものであれ、或いは直援がどんな手練れだったとしても、さすがにそんな戦場にまで悠陽を連れ込むわけにはいかないのだ。
「いえ、本当に助かりました。言うまでもない事ですけど……殿下を頼みます」
『うむ、任されよ。機会があれば、また肩を並べて戦いたいものですな』
「はい」
『白銀……どうか、ご無事で』
「殿下こそお気をつけて」
 悠陽の小隊は青い武御雷を守るような隊形をとり、噴射跳躍からの匍匐飛行で、仲間たちの待つ第二防衛線へと飛び去った。

 やがて武は演習場を通り抜け、第二滑走路に到達する。
 帝国軍経由で接続されているデータリンクで、地上だけではあるが状況が確認出来る。第二滑走路でBETAの侵入を食い止めていた横浜基地の部隊は、ほとんどが撃墜されていた。僅かながら残された部隊は少ない戦力ながらも善戦しているが、しかし多勢に無勢、基地内には次々とBETAが雪崩れ込んでいっている。
 そこでは14体の要塞級が、メインゲートを守るように立ちはだかっていた。
「まずはあれから片付けないとな……」
 ここまで来れば、武器の耐久力など気にする必要はない。弾薬はともかく、短刀は手持ちがまだたくさん残っているし、長刀は撃墜された戦術機が使っていたものがそこらじゅうに転がっている。
「片っ端から行くか……!」
 武は水平噴射跳躍で手近な要塞級に突撃していく。しかし──
「──何ッ!?」
 要塞級の足元に潜り込もうとした時、その脚の影から要撃級の前腕が襲い掛かってきた。
「──くッ!!」
 短縮噴射を使って胸を回転軸とした大きな宙返りで、何とかその攻撃を躱す。そのまま空中で体勢を整え、要塞級の躯の下を抜け出して噴射跳躍。一度距離を取って、仕切り直した。
 要塞級の足元に敵が入り込み、最大の弱点である三胴構造の接合部を守るように連携している。
 空中は自らの触手でカバーし、足元は要撃級と戦車級がカバーする。同時に要撃級や戦車級は、要塞級の堅固な十本の脚による檻に守られる形になる。
 ここに来て、BETAの戦術もまた進化していた。
「なるほどな……道理で要塞級があんなに残ってるわけだ……!」
 だからと言って、放置して先に進むわけにもいかない。確かに避けて進む事は可能だが、それでは基地に侵入するBETAの後続が止まらないのだ。
 沙霧の話によれば、帝国軍の増援が組織されて、じきに戦線に投入されてくる。しかしこの状況をそのまま残しておくと、敵のフォーメーションを崩すのに確実に時間がかかる。そしてその分、基地内部に入り込む敵増援は確実に増えてしまうだろう。
 今すぐにでも突入したい気分だが、それを優先させるわけにはいかない。
「ま、なんとかなるか……」
 とりあえず、要塞級の下に入り込んでいる要撃級は踏み台にでもしてしまえばいい。
 武は再び水平噴射跳躍で要塞級に向かっていった。敵がいる事さえ分かっていれば、不意打ちを受ける事もない。蠢く要塞級の触手を躱し、唸る要撃級の豪腕を払い、集る戦車級の躯を撥ね退けながら、武は要塞級に一撃を加えていく。
 なかなか攻撃のチャンスが得られず、成功しても単発で終わってしまうが、それでも武は着実に攻撃を当てていき、やがて要塞級の躯は崩れ落ちる事となった。だがしかし。
「ちょっと拙いかもな……時間が掛かり過ぎる」
 かと言って、他にこれといって有効な手段はない。時間もないし、それならばもう少し強引に捻じ伏せてしまおうかと考え、次の要塞級に取り掛かろうとしたその時。
 突然、レーダーに所属不明機の反応が現れたかと思うと、戦場に深緑の暴風が吹き荒れた。
「──F-22A!?」
 突如戦場に現れたF-22Aは、その異常なまでな機動力を存分に活かしながら、あっという間に目標の要塞級を包囲する。そして一斉射撃。要塞級の懐に入り込んでいたBETAを容赦なく破壊していく。そして要塞級が丸裸になったところで突撃、弱点目掛けて再び総攻撃。
 米国らしいといえば実に米国らしい、実に力ずくで強引な威力制圧。圧倒的火力をもって敵を薙ぎ払う。
 それと同時に戦域情報が更新され、不明機の所属が表示された。
 米国陸軍第66戦術機甲大隊──
「ウォーケン少佐ッ!?」
『──久しぶりだな、白銀少佐』
「どうしてここに!?」
『ここには積荷の護衛でやって来たのだが、どういうわけか基地が襲撃を受けている。ならば、加勢しないわけにはいかないだろう?』
「積荷……そうか、来たのか……!」
 以前、武が珠瀬事務次官を通して依頼していたものか、それとも夕呼が手配していたものか。或いはその両方か。みちるが出撃前のブリーフィングで、今回は12・5事件の時のように米軍が『偶然』近くにいたりしないといっていたが、正真正銘の偶然が起きてしまった。
 第66大隊は次の要塞級を取り囲む。
『──些か退屈な任務だと思っていたのだが……全く、退屈どころの話ではなかったよ』
 苦笑するウォーケン。
「ははは、それはご愁傷様です」
『なに、直接BETAを討つ機会が得られたのだ、何も悲観する事はない。小さな、本当に小さな一歩ではあるが、BETAを討つ事で人類の勝利に近付くのだからな』
「全くです」
『さあ、ここは我々に任せて、君は早く先に進みたまえ』
 武とウォーケンが会話している間にも、F-22Aで構成された部隊は、もう次の要塞級を撃破してしまっていた。速くて早い。
「──ありがとうございます、恩に着ますッ!」
 武は水平噴射跳躍から超低空の匍匐飛行に移り、メインゲートの中に飛び込んでいった。



[1123] Re:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 B33フロア・反応炉制御室前通路──
「おい、お前のはどうだ?」
「駄目だな。一体どうなってんだか──」
 α3警備隊がB33フロアの通路を確保してから数分、更に伍長たちが制御室にまりもの様子を見に行ってから数分。
 定期報告をするため、中央作戦司令室に通信回線を開こうとしたのだが、いくら呼びかけても、無線機は沈黙したままだ。
「なあ……どう思うよ相棒?」
 かつてまりもを救った東洋系の伍長が、相棒の黒人系の伍長に訊ねた。
「どうって……嫌な予感がするとか、そんなのか?」
「ああ。ひょっとしてお前もか?」
「まあな。あん時……神宮司少佐を助けた時とそっくりだぜ。……こりゃあ、来るかな」
「かもな」
 二人の頬に冷や汗がツッと伝い落ちた。警報を知らせる赤く明滅するランプに照らされて、不気味な光を反射する。
 ともすれば震えそうになる手を無理矢理抑制して、突撃銃の弾倉を確認し、セーフティを解除した。
 そして深呼吸。
 次の瞬間──
「うわああああああッ! べ、BETA、BETAがッ!!」
 通路の先で哨戒にあたっていた歩兵が叫び声を上げた。二人はアイコンタクトを交わし、手にしていた突撃銃を構える。
 しかし他の隊員達はというと、平静を失わなかったものは一人もいなかった。
「なっ……!?」
「落ち着けってお前ら! 落ち着いて狙って撃てばちゃんと倒せる! 奴らだって不死身じゃない、とにかく落ち着くんだ!」
 黒人系の伍長の怒号が廊下に響く。
 それを聞いて多少は落ち着きを取り戻したのか。逃げ腰になりながらも、おぼつかない手つきで突撃銃を構えようとしたのだが──
「ぎゃあああああぁぁ!!」
「──!!」
 その内の一人があっという間に敵に詰め寄られ、象の鼻のような腕で頭を掴まれた。その一瞬の後。
 ぶちり。
 肉が勢い良く引き裂かれる嫌な音と共に、あたりに鮮血の雨が降り注いだ。
 そして血に塗れた闘士級BETAの姿が警告灯の光に照らされて、シルエットがはっきりと浮かび上がる。何と形容していいのか──不恰好なきのこのような形をした大きな頭に象の鼻のような腕が一本。悪魔を髣髴とさせる動物のような二本の脚が、しかし均整は取れておらずどこか歪に伸びている。そして赤く不気味な光を放つ複眼。
 それらが先程噴き上がった、ぬらりどろりとした血に染まり、警告灯の光を反射して出来た赤黒いつやが、死を身近に連想させるような不吉な雰囲気を醸し出していた。
 その姿を見た歩兵たちは一瞬にして恐慌状態に陥り、銃を投げ出し、這う這うの体で我先にと逃げ出そうとする。だが、これまで身体に刻み込んできた訓練がそれを許さなかった。全力で逃げれば、或いは全力で立ち向かえばまだチャンスがあったかもしれない。
 そして。
 反対側の廊下の先から新手が一体、出現する。
「ひっ……た、助け──!!」
 そちらの方に逃げた歩兵がいとも簡単に頭を掴まれた。
「動くなッ、ジッとしてろよッ!」
 東洋系の伍長が突撃銃をガッチリと構えて、その次の瞬間にはトリガーを引き絞っていた。フルオートでおよそ二秒の間に銃口から連続して射出された弾倉一本分、30発の銃弾が闘士級の頭に次々と着弾する。
「ひッ……!」
 闘士級の腕の力が緩み、掴まれていた歩兵が床に崩れ落ちた。
「早く離れろッ!」
 まだ止めを刺せていない。今はそのダメージから一時的に動きが止まっているが、じきに復活してくるだろう。伍長は今のうちに空になった弾倉を外し、新しいものと交換する。
「ちッ……!」
 そして止めを刺そうと銃を構えたが、先程、頭を掴まれていた歩兵が逃げた場所がちょうど射線軸上に入っていた。
 しかし闘士級の動きが鈍っているうちに止めを刺さないと、却って危険が増してしまう。伍長はリスクを承知で闘士級に更に接近し、逃げた歩兵の安全が確保出来る位置まで移動すると、再びトリガーを引き絞った。
 今度は闘士級の胴体に銃弾がめり込んでいく。皮膚の厚い動物と同程度の装甲しか持っていない闘士級は、頭部に受けた攻撃と合わせて躯の機能を維持出来なくなり、その場にどうっと倒れた。
「よし……!」
 再び空になった弾倉を捨て、新しい弾倉を装着した、その時。
「ひいいいいぃぃッ!!」
「なにッ!?」
 先程救出した歩兵が逃げて行った先に、また新たな闘士級が現れ、歩兵の首を捻じ切った。
「あっちにも!? クソッ! 一体どうなってんだ!?」
 一方──
 相棒である黒人系伍長の方も、状況は芳しくなかった。彼自身は相方と同じくBETAと対峙するのは二度目なので、かなりの冷静さを保っている。しかし、他の歩兵達が拙い。
 何とか銃を構えて発砲する事が出来る程度の隊員もいたのだが──そこまで。冷静に照準を合わせて狙う事までは出来なかった。
 闘士級の動きはかなり素早い。頭で分かったつもりになっていても、実際に対峙してみると対応出来ない事があるほどに素早い。しかし、冷静に訓練通りの力を発揮出来れば、手も足も出ないなどという事もない。確かに動きは素早いが、その代わり直線的で単調で、決して勝てない相手というわけではない。
 しかし、それはあくまで冷静に対処できた場合の話。そしてBETAの体力は人間を基準にすると、常識を遥かに逸脱したものだ。突撃銃を弾倉一本分一気に撃ち尽くしても、残念ながら一息に屠る事は出来ない。つまり一対一ではリスクを負うことになり、一方的には倒せないのだ。しかし、人間側の戦力がたったの二人に増えるだけで、それは可能になる。
 とは言っても、今の状況でまともな判断で行動出来るのはこの分隊では二人だけ。しかし伍長の相棒は別の方面の守備に当たっている。冷静な行動が出来るのが隊に二人しかいない以上、致し方がない。敵が二方向から来た事が悔やまれる。
 だが。泣き言は言っていられない。
 偶然にも正気を失った兵の撃った銃弾は敵のいる方向に飛んでいき、威嚇とする事が出来た。その隙を突いて黒人系伍長は確実に狙いを定めてフルオートで一気に攻撃する。そして敵が怯んだ隙に弾倉を交換、間髪入れずに攻撃を再開し、最初に哀れな歩兵の首を引き千切った闘士級に止めを刺すことが出来た。
 そして即座に弾倉を交換した後、状況確認のため、壁を背にして周囲を見渡す。
「──!!」
 曲がり角の向こう側から、象の鼻のような腕が伸びてきているのが見えた。そしてその前には床にへたり込んだ歩兵。
 伍長は威嚇のためにセレクターを三点バーストに切り替え、トリガーを引く。
 それに応じて闘士級が振り向いて襲い掛かってくる。真っ直ぐに走り込んでくる。
 闘士級の最大の武器は、人間の首さえ軽々と引っこ抜いてしまう象の鼻のような腕──と思われがちなのだが、実は違う。確かにそれも脅威には違いないが、本当の脅威はそのスピードだ。そこに人間の体と比較して巨体といえる体躯が加わった時、ただの体当たりが驚異的な威力を秘めた極悪な凶器へと変貌する。確かにそれだけでは必ずしも死に至るわけではないが、掠っただけでも少なからずダメージを受け、その隙を狙って象の鼻のような腕で掴んでくるのだ。そのコンビネーションはまさに必殺。
 故に闘士級と対峙する時は、まず足止めする事を考えなければならない。とは言っても、普通に銃弾をめり込ませるだけでもそれなりの足止めになるのだが。
 走り込んできた闘士級を相手に、伍長は狙いを定めて、まず三点バーストで足止めを試みた。三発の銃弾が命中し、闘士級のスピードが緩む。続けて再び三点バースト。更にスピードが緩む。距離が縮まっている事もあり、ここでフルオートに切り換えて、残弾21発を一気にブチ撒けた。
 動きの鈍った闘士級は、弾を全てその躯で受け止めていく。
 伍長はすぐさま空になった弾倉を交換し、再び全弾発射。闘士級は崩れ落ちた。
「ふぅ……何とかなったか」
 一息つき、そして忘れずに弾倉を交換する。
「おい、大丈夫か……って、あれ?」
 先ほど襲われそうになって腰を抜かしていた歩兵に声を掛けようとしたら、既にその場からいなくなっていた。
 探しにいこうか、それとも相方と合流してからにしようか、と考えた時。
「うわああぁぁぁぁ…………」
 遠くから悲鳴が聞こえてきた。
「……戻ろう」
 一旦、反応炉制御室前に戻る事にした。
「よう、相棒」
 黒人系伍長が制御室前に到着すると、そこには銃を構えた東洋系伍長が立っていた。
「お前一人か……?」
「ああ。一人はやられて、もう一人はどっか行っちまった。多分もう……。そっちも一人か?」
「まあな。二人ともどっか行っちまったよ。あの様子じゃ、こっちも恐らく駄目だろう」
 先ほど聞こえた悲鳴が誰のものかは分からないが、いずれにしてもあれだけ正気が保てていなければ、やられてしまうのは時間の問題だ。
 そして悲鳴が聞こえてきたという事は、敵がまだいるという事だ。
「……なあ。お前、弾あとどれくらい残ってる?」
「今ついてる弾倉で全部。お前は?」
「右に同じ。……9パラは? 俺は15」
「俺もだ。──ヤバいな」
「ああ……ヤバい」
 スムーズに事が運んだとして、突撃銃で倒せる相手はあと一体。9パラ──9mmパラベラム弾──拳銃弾では全弾命中させても当たり所がよければひょっとして斃せるかも……と言ったところだろう。
 現時点で、とりあえず敵が一体以上いるのは確実だ。そして二体目が現れた時、斃せるかどうかは運任せ。可能性は低い。三体目が現れれば完全にアウト。
「どうする?」
「参ったな……」
 彼らの任務はまりもの護衛。よってこの場を確保し続けなければならない。持ち場を離れるなど言語道断だ。しかし、手持ちの弾が少なくなっていて、護衛としての役目が果たせなくなる目算が強い。
 とりあえず、仲間が死亡した位置が二ヶ所までは分かっているので、そこに行けば突撃銃一丁と予備弾倉が四本ずつ手に入る。
 そして行くなら、回収中に襲われた時の事を考えて、二人一組で行動しなければならない。そうすると、制御室の守りがゼロになる。
「しかし、死の八分か……」
「ん、どうした?」
「いや。ああいう事だったんだな、ってさ」
 他の歩兵達がパニックになって、訓練の成果を全く発揮出来なかった事である。
「ああ……何なんだろうな」
 二人は以前、兵士級一体と対峙したが、酷いパニックになる事はなかった。だが今回、闘士級が一体現れただけで、同じ分隊の歩兵五人のうち五人ともがパニックに陥ってしまった。
「そうだな……俺たちの時は神宮司少佐が倒れてたのを見て、絶対に助けなきゃ……って思って無我夢中だったから、動けたんじゃないか?」
「かもしれないな。──行くか」
「ああ」
 制御室の守りを空けてしまう事になるが、武器がなければ、ただ突っ立っているだけで守っていることにはならない。
 二人は警戒しつつ急ぎつつ、まずは最初にやられた仲間の死体がある場所に向かった。
 とりたててトラブルに見舞われる事なく、最初の地点に辿り着く。
 一人が周囲を警戒しつつ、もう一人が予備弾倉と突撃銃、ついでにハンドガンも回収する。そして、そこである事に気が付いた。
「しまった……少佐に知らせておくの忘れてた……!」
「あッ! ……全く、俺たちも相当きてるよな」
「急いで戻ろう」
「ああ」
 そして警戒しながら制御室の方に向かっていると……通路の先から三体の闘士級が新たに現れた。
「ちッ……三体も……ッ!」
「まとめてこっちに引き寄せるしかないか……!」
「──だな」
 今の位置関係は二人と制御室の間にBETAが割り込んできたような形だ。これを制御室側に向かわせるわけにはいかない。
「向こうまで迂回して行くぞ……!」
「分かった……!」
 敵を制御室から引き離しつつ、もう一ヶ所仲間の死体がある場所まで迂回して、そこで一気に殲滅しようというのだ。上手くやれば、今回収したものも含めた現在手持ちの弾薬だけでここを切り抜けられるが、そのあと更に出現すればそこでお終いだ。
 拾い上げたハンドガンで数回発砲し、闘士級たちの注意を引き付ける。
「よっし、かかった! 逃げるぞッ!」
「おうッ!」
 伍長たちは後ろを気に掛けつつも、全力疾走で廊下を駆け抜ける。勿論、両者の速度の差は大きく、みるみるうちに差を詰められてしまうのだが──
「これでも喰らいなッ!!」
 その度に威嚇射撃をして足止めし、その隙を突いては間隔を引き離す。そんな事を数回繰り返して──
「見えたッ!」
 もう一ヶ所の仲間の死体がある場所まで辿り着いた。まずは挟撃を警戒……問題なし。二人は振り返って、もう目と鼻の先まで迫り寄って来ていた闘士級目掛けて、トリガーを引き絞った。
 フルオートに設定された突撃銃から、秒間15発もの弾丸が発射される。弾倉が空になると、すぐさま交換してまた発砲。二本目の弾倉が空っぽになった頃、闘士級の動きは完全に止まり、その躯は床に崩れ落ちた。
「ふぅ……やったか……」
「ちょっと待て! 何で二体しかいないんだッ!?」
 闘士級の死骸を確認すると、そこには確かに二体分しか転がっていない。彼等が発見したのは三体。最初に陽動をかけた時、確かに三体とも追いかけてきていた。
「挟撃かッ!?」
 二人は通路の真ん中で背中合わせになって、前後に伸びる廊下を警戒する。しかし……敵が潜んでいるような気配はない。そして二人同時に闘士級の行き先に気が付いて、顔を見合わせた。
「──制御室だッ!!」
「急げッ!!」

 B33フロア・反応炉制御室──
 嫌な気配がする。有線で直結されているはずの中央作戦司令室との回線が不通となった。
 まりもは緊張して息を呑んだ。
「…………」
 やがて背中越しに、入口の扉の開閉音が聞こえてくる。
 伍長たちが様子を見に来てくれたのであれば、何も問題はない。だが、もしそうでなかったら──
 邪魔だからと鞘から抜いてモニターの脇に立てかけておいたナイフに視線を移す。磨き抜かれたナイフの表面には異形の影が映り込んでいる。人間のシルエットではない。確かに、ナイフ表面の微妙なカーブでそっくりそのままの姿を映し出す事は出来ないが、明らかにそんなレベルは超越していた。
 そして、赤く鈍い光を放っている光点が複数、確認出来るようになる。
 闘士級BETA──
 小型種が最下層に侵入している、という話は夕呼から聞いていた。
 しかし、そのBETAがここにいるという事は、警備隊は全滅してしまったのだろうか。
 まりもはコンソール脇に置いている突撃銃に視線を動かす。一気に殲滅するには、突撃銃を使っても弾倉一本では不足だ。しかし生憎ながら、予備弾倉は持ち合わせていない。
 どうするか少しだけ迷って、まりもはゆっくりと、腰のホルスターに手を伸ばした。
 今はまだ様子を窺っているようで、闘士級はジリジリとまりもに近付いてくる。しかし、大きな動きを見せればたちまち襲い掛かってくるだろう。
 指先がホルスターのカバーに届いた。音を立てないようにそっと開放する。
 H&K P8──
 制式拳銃として支給されている銃で、使用弾丸は9mmパラベラム弾、装弾数は15+1発。兵士級や闘士級が相手なら十分効果があると言われている。しかし確かに効果はあるものの、決定打にはなり得ない。今みたいに一対一で対峙せねばならなくなった場合、心細い事この上ない。
 ただ今回、まりもは以前の教訓から一つだけ手を打っていた。銃自体は勿論何も変わらないが、装填してある銃弾の弾頭がいつもと違うのだ。
 ホローポイント弾──弾頭の先端に穴が穿たれていて、着弾の衝撃で弾頭を広げる事で傷を広げ貫通力を落とし、相手の体内を不規則に掻き回すと同時に変形した弾頭を残留させる事で通常よりダメージを増加させる弾頭。俗にダムダム弾と呼ばれる弾頭の一種で、非人道的だという理由で軍用としては使用禁止とされているのだが、BETAを相手にするのにそんな事にいちいち構っていられない。
 一時はBETAと戦うために解禁されていた時期もあるのだが、その頃はまだ闘士級や兵士級が登場する以前の話で、戦車級が相手では貫通力に劣る軟弾頭ではお話にならなかった。故に使われるのは徹甲弾ばかり。そして時代と共に戦術機や強化外骨格が進化していき、歩兵が拳銃を使ってBETAと直接戦闘することは次第に少なくなっていく。
 結局、拳銃を一番使われる対象は何かという事になると、それは人間であり、やはり非人道的だという理由でダムダム弾は再び禁止される運びとなったのである。
 それはさておき。
 拳銃に伸ばした指をそろそろと動かし、少しずつホルスターから引き上げていく。そしてグリップが手の中に納まった。
 闘士級はゆっくりと近付いてくる。まだ様子を窺っているのか、それとも不意を突こうと忍び寄っているのか。真意は分からないが、とにかくゆっくりと近付いてくる。
 まりもは親指でそっとセイフティを解除し、グリップを握り込む。戦闘準備完了だ。
 ナイフに映り込んだ闘士級の姿は、距離が近くなりすぎたために既にはみ出してしまっている。頃合だ。これ以上近付けても、不用意に攻撃を受ける可能性が高くなるだけだ。
 まりもは銃のグリップを握り直すと、勢い良く立ち上がって後ろを振り返り銃を構えた。
 驚いた、というわけでもないだろうが、一瞬、闘士級の動きが止まる。
 その一瞬の隙を突いてトリガーを引き、まずは先制の一発目──を撃とうとしたのだが、その時迷いが生じた。
 ここは制御室の中。もし機器に当たってしまえば、反応炉を止められなくなってしまうかもしれない。
 だがすぐに考え直す。機器に当てなければいいのだ。そして確実にBETAに命中させればいい。
 そしてトリガーを引き絞ったのだが、思考に擁したその一瞬が明暗を分けた。
「────!」
 まりもがトリガーを引き、銃口から弾丸が放たれた時、既に、闘士級は突進を始めていた。
 銃弾は命中。しかし闘士級の動きは鈍ったものの、その勢いが完全に消えてしまう事はなく、そのまま一直線にまりもの身体に激突。
「────ッ!!」
 そして、いとも容易く吹き飛ばされた。まりもは咄嗟に首を丸めて頭を両腕で抱え込む。それから一瞬遅れて、ミシッという音と同時に背中に衝撃が走る。
「──くはッ!」
 背中に強い衝撃を受けて、呼吸が一瞬止まる。しかし、全く動けないという事はない。激突した先の強化ガラスが割れた事と強化装備を着ていた事で、その衝撃のほとんどは吸収されてしまっていた。
 ホローポイント弾が功を奏したのか、闘士級の動きは鈍ったままだ。しかしモタモタしているとあっという間に回復されて、状況は不利な方に一気に傾く。
 握り締めて放さなかった拳銃を咄嗟に闘士級に向け、続けざまに四発、発砲した。
 闘士級の動きは更に鈍る。
 その間にまりもは立ち上がり、突撃銃を確保した。そして拳銃を捨てて突撃銃を構えて攻撃に転じようかと考えたが……止めた。ここでは拙い。貫通力を落としたホローポイント弾と違って、ライフル弾は貫通力がありすぎる。何かの弾みで機器を傷つけてしまうかもしれない。
 まりもは追い討ちを掛けるように拳銃で更に四回、闘士級に銃弾を喰らわせると、一目散に制御室から飛び出した。

 B33フロア・反応炉制御室前廊下──
 制御室の中から転げ出たまりもは態勢を整え、拳銃をホルスターに納めて突撃銃を構えた。それから一呼吸遅れて、制御室のドアが開く。
 止めを刺すべく闘士級を撃とうとした時──
「──伍長!?」
 闘士級の向こう側に駆け寄ってくる伍長たちの姿が見えた。
 このままでは、流れ弾で彼らを傷つけてしまうかもしれない。まりもは咄嗟にホルスターから拳銃を抜き、発砲する。
 二発の銃弾を喰らった闘士級は、動きが更に鈍る。その隙を突いて脇を通り抜け、伍長たちが駆け寄ってくる方に移動、そして突撃銃を構え、撃つ。秒間15発で射出されるライフル弾が闘士級の躯に突き刺さっていく。僅か二秒で全弾撃ちつくしたまりもは、その場から飛び退いて、敵との間合いを取る。そして拳銃を抜いて構えるが、しかし闘士級の躯は床に崩れ落ち、何度かピクピクと痙攣した後、その動きを止めた。
 まりもは構えていた銃を下ろした。
「──ご無事でしたか!」
 二人の衛兵が駆け寄ってきて、周囲を警戒しつつその場を確保した。
「ええ、なんとか」
「申し訳ありません! 持ち場を離れてしまって──」
「いえ……そっちも大変だったんでしょう?」
 七人いた警備部隊で生き残ったのは、恐らく目の前にいる二人だけ。
「いや、まあ……しかし、これで全部かどうかは分かりません。油断は出来ません」
「そうね、早く仕事を済ませましょう。あなたたちも中にお願い」
「──は!」
 まりもは二人を引き連れて、反応炉制御室の中に入った。
「二人は入口を警戒していて。何かあれば発砲しても構わないけど、機器には絶対に当てないように」
「──了解ッ!」
「さて……仕切り直しね」
 まりもは倒れた椅子を起こし、コンソールに取り付いた。
「……エラー、出てるわね」
 先程、停止コード入力直前まで作業を進めていたのだが、エラーが出て止まっていた。闘士級と暴れまわったのがいけなかったのか、それともコード入力待機時間のタイムアウトか。いずれにしてもまた再起動をかけて、始めからやり直さなければならない。
 一度システムの電源を切断し、最初からやり直す。
「……ダイアログ……ドライブモニター……接続確認……コントロールパネル…………」
 ゆったりとした起動シーケンスが画面上に表示されていく。その待ち時間がもどかしい。やがて、パスワード入力画面が表示された。
「パスワード…………よし」
 そしてシステムはパスワードを受け入れ、画面がけばけばしい色に変わって非常停止プログラムが起動した。
「次は停止コードね……」
 まりもは流れるような手つきで停止コードを入力していく。
「さあ、頼むわよ……!」
 入力を済ませ、アクセスが開始される。スクリーン上の進行状況を示す点が、時間と共に増えていく。そして──
「よしッ、やったわ!」
 停止コードが受け入れられた。
 まりもは席を立ち、窓に近寄って反応炉を見下ろす。ぼんやりと明滅していた光が、少しずつ、だんだんと弱まっていく。
「あら……? あの子たち、まだあんなところに──」

 B33フロア・反応炉ブロック──
『──HQッ!? 応答せよHQ!! ──くッ! 棟内の配線までやられたのかッ!」
 水月は口惜しげに吐き棄てた。
 先程、有線で直接棟内配線に接続して、やっとの事で中央作戦司令室と連絡が取れた。
 そして夕呼に、もう手段がないから反応炉を破壊してでもいいから止めろと言われた。しかし、最小限の破壊で済ませるために反応炉の構造データをこれから転送しよう、というところで、それが切断されてしまった。肝心な情報は何一つ手に入れられないまま。
 通信もデータリンクも完全に死んでいる。
『──築地、S-11を使うわよ』
「──えっ?」
『構造データが手元にない以上、ダメージを最小限に止めるなんて上品な事、やってられないわ』
「でも……」
『私たちは停止コードを知る手段が無いのよ。神宮司少佐が失敗した今、制御室からは操作出来ないし、反応炉の構造もわからないんだから、他に方法はないでしょ』
「あ、いえ、そうじゃなくて……この状況で反応炉を止めると、90番格納庫が……」
『──わかってる。手順を説明するわ。まず、S-11を反応炉にセット──メインシャフトの隔壁を直接制御で開放して、BETAを反応炉に誘導する。たんまり入った頃合に隔壁を閉鎖して、S-11を──?』
 何か様子がおかしいと、水月は築地を見た。その築地はと言えば、まるで中空を見る猫のように、ジッと何かを眺めている。
『──ちょっと築地、あんた聞いてるの!?』
 しかし、築地は見るのをやめない。
「速瀬中尉……反応炉の光、なんだか弱くなったような気がしませんか……?」
『──えっ!?』
『──あなたたちねえ……お願いだから勝手に人を殺すのはやめてくれない?』
 驚いた水月が反応炉に視線を向けたのと同時に、どこか気の抜けた呆れ声が、水月と築地のヘッドセットから聞こえてきた。同時に、二人の強化装備のスクリーンに、まりもの呆れ顔が映し出される。
「じ、神宮司少佐!? ご、ご無事だったんですか!?」
『──私は大丈夫よ。……早とちりしたあなたたちは、罰として腕立て伏せ200回追加ね』
 まりもはちょっとだけ怨めしげにボソッと呟く。
『──はッ! 喜んでやらせていただきますッ!!』
「りょ、了解ッ!!」
 しかし水月も築地も、それを喜んで受け入れた。
『まあ、強化装備を着てたんだし、ガラスも割れてくれたお陰で衝撃はほとんど吸収出来たからね。本当、夕呼や涼宮に来させなくて良かったわ』
 安堵の声を漏らすまりも。
「あれ……でも、なんで通信が」
『割れたガラスに銃で穴を開けたのよ。だから今、回線は直接繋がっているわ』
 制御室にカメラを向けると、先程まりもが激突したガラスに、確かに大きな穴が開いていた。まりもはそこから顔を覗かせて、にっこりと笑って手を振っている。
『さ、あなたたちは90番格納庫に戻って伊隅たちと合流しなさい。反応炉が完全に止まれば、上は大変な事になるはずよ。早く知らせに行ってあげなさい。有線も中継器もやられてるようだから、私は状況を知らせに司令室に向かうわ』
「──了解ッ!」
『そうそう、状況は厳しいとは思うけど、私が行くまで凄乃皇弐型のML機関はそのままにしておいて』
『……えっ?』
『ちょっと、夕呼に確認したい事があるから。最悪、弐型はどうなってもいいわ。四型を全力で守りなさい』
『──は、わかりました』



[1123] Re[2]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 B19フロア・中央作戦司令室──
「──は、反応炉、停止しましたッ!!」
 基地のエネルギー供給をモニターしていたピアティフの興奮気味な声が司令室内に響いた。
「何とかしてくれたのね……速瀬」
 首の皮一枚繋がったと、安堵の色を含んだ声で夕呼が呟くと……その背中越しに、どこか悪戯っぽい声が聞こえてきた。
「残念。やったのは私なのよね」
 驚いた夕呼が、慌てて後ろを振り向くと──
「ま、まりもっ!? なんで!?」
「──じ、神宮司少佐ッ!?」
 まるで幽霊でも見るような視線に刺されながら、司令室内に迎え入れられるまりも。
「もう……なんでじゃないわよ夕呼、ただの早とちりだったの。私はちゃんと生きてます。……さすがに全員無傷ってわけにはいかなかったけどね──警備兵が五人、やられたわ」
「そう……でも、何にしても、良くやってくれたわ」
 あとはML機関を停止させて、BETAが撤退する状況を作り出すだけだ……と夕呼が考えていると。
「ちょっと確認したい事があるんだけど」
 まりもが、真面目な顔で夕呼に訊ねる。
「……なに?」
「白銀が単独陽動に出る前に言ってたんだけどね。反応炉を止めてML機関も止めて……BETAってそれで本当に撤退してくれるの?」
「えっ──?」
「反応炉は止まっただけで壊れたわけじゃない……BETAにとってはすぐにでも再起動できる状態なんじゃないかしら。それで本当に撤退してくれると思う?」
「それは──」
 なぜそんな簡単な事に気が付かなかったのだろうかと、夕呼は首を捻った。言われてみれば確かにまりもの言う通りなのだ。朝鮮半島から何日もかけてここまでやってきて、帰るためのエネルギーはもう残っていないはず。撤退するならば朝鮮半島ではなく、その更に向こう側、ウランバートルかブラゴエスチェンスク、或いは重慶まで辿り着かなければならないから尚の事だ。その状況で、反応炉が、完全に破壊されたならまだしも、ただ停止しただけですごすご引き下がるかどうかといえば、かなり疑問が残る。
「私が90番格納庫に行くまではML機関はそのまま動かし続けておくよう、速瀬には伝えてあるわ。それと、最悪弐型は壊れてもいいから、四型だけは絶対に守りなさい、って」
 凄乃皇弐型は今更必要ない。勿論、予備機としての意味はあるが、四型が無事ならそれでいいのだ。どの道XG-70が複数存在していたところで、それを動かす事が出来るのは純夏だけ。つまり、同時に一機しか運用する事は出来ない。
「……そうね、たしかにあんたの言う通りかもしれない。でも……それで守りきることはできるの?」
 辛うじて確認出来るメインシャフト内の状況を見る限り、今の状態ではBETAは停止した反応炉には目もくれず、第27層リフトゲート──90番格納庫──凄乃皇弐型のML機関に殺到しようとしている。だがML機関を止めると、それが停止した反応炉に再び殺到するかもしれない。或いはしないかもしれないが、それはやってみるまで分からない。
 しかしML機関を止めなければ、90番格納庫に押し寄せるBETAの数は減らない。そしてML機関が敵を引き寄せ続ける限り、勝利条件は敵の殲滅のみ。
 まりもは戦域情報に目をやった。通信設備のダメージが蓄積してデータリンクの動作が完全ではないので、地表の情報だけではあるが、帝国軍経由で若干遅れた情報が入ってきている。それによると帝国軍の増援が組織され、第一、第二防衛線に展開し始めていた。
「帝国軍次第だとは思うけど、後続が減って、その上で弐型を捨てるつもりで完全に囮にして戦えば、90番格納庫からメインゲート前まで押し返す事だって不可能じゃないと思うわ。あとは我慢比べ」
 夕呼はそれを聞いて、しばらく考えてから言った。
「そう……わかった。ML機関は止めない。あんたはヴァルキリーズに合流して、敵を殲滅してちょうだい」
「──了解。……じゃあね」
「頼んだわよ」
 まりもは司令室を出て、ハンガーに走っていった。

 B27フロア・90番格納庫──
「──くッ……キリがない……このままじゃ……!」
 みちるは悪態をつきながら、迫り来る要撃級を長刀で引き裂いた。
 中央作戦司令室との通信が断絶してからどれくらい経っただろうか。殺到する敵は増える一方で、状況は悪化の一途だ。
「せめて情報さえあれば……」
 現状がどうなっているか分かれば、何か打開策も見えてくるかもしれないというのに、完全に孤立してしまっているのだ。或いは地上に出れば切り離されたデータリンクが復旧するかもしれないが、BETAが殺到しているこの場を放り出すわけにはいかない。
 隊員達の不安もそろそろピークに達しつつある。訓練の成果で、それでも戦闘能力が低下する事はないとはいっても、つまらないミスに繋がる危険性は確実に増大しているだろう。
 だがしかし、それでも耐え続けるしかないのだ。
 一時凌ぎではあるが、みちるが部隊長として隊員に発破をかけようとした時。
『──ほ~らほら、待ちなさいよッ!!』
『──いっただきッ!!』
 ノイズに混じって、鈴を転がすような、しかし勇ましい声が耳に入ってきた。
「──!?」
 それから少し遅れて、27層リフトゲートから、二機の不知火が90番格納庫に飛び込んでくる。
『──速瀬に築地、これより原隊に復帰しますッ!』
「二人とも無事だったのかッ!?」
『当~然ですよッ!』
 水月はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら言った。
『早速ですが命令を伝えます。弐型のML機関は止めるな、最悪、弐型はどうなってもいいから、とにかく四型を守れ──以上です!』
「司令部は無事なのかッ!?」
『さっきまでは有線が生きていましたけど、今は確認できません。これは神宮司少佐の命令です』
「──な、なんだって!? 少佐はッ! 無事なのかッ!?」
『ええ、そりゃもうピンピンしてましたよ。反応炉の停止にも成功してます、これも少佐が。ああそれから、後でこちらに来るそうです』
「そうか……! ──ヴァルキリー1より各機、聞いていたな! BC小隊は四型の、AD小隊は弐型の護衛だ。これ以上奴らに好き勝手させるなッ!!」
『──了解ッ!!』

 B2フロア・中央集積場──
「これでも尻すぼみになってるのよね……」
 まりもはメインシャフトに殺到しているBETAを見て、少し呆れて呟いた。
 今、ちょうどハンガーからの隔壁を手動で開放しながら中央集積場へ抜けてきたところだ。集積場の端ではあるが、同じ空間に戦術機が現れたというのに、ここにいるBETAたちはまりもの不知火には見向きもしていない。
 皆、わき目も振らずにメインシャフトから90番格納庫へ突進しようとしている。
 その戦力の中核を成すのは要撃級と戦車級。そしてその隙間を縫うように闘士級と兵士級。通常ならこの二種は無視してしまえと教えられているのだが、この状況ではそうはいかない。本来であれば戦術機で相手にするまでもない闘士級や兵士級を倒すための戦力、機械化歩兵部隊は、既に全滅してしまっているのだ。
 基本的に90番格納庫へと向かっているが、全部が全部必ずしもそうというわけではない。妙な脇道に入り込んでしまう個体も確実に存在している。それらを確実に食い止めるには、ここで叩く必要があった。
「高度が取りにくいから少しやりづらいけど……仕方ないわね」
 とは言っても中央集積場の天井高さは50m程度はある。戦術機の全高はおよそ20m弱で、侵入している中で最大の突撃級でも16m。敵の攻撃をほぼ完全に躱す事の出来る空中を利用しない手はない。
 両腕に87式突撃砲を装備すると、まりもは敵の中に突っ込んでいった。
 一方的な戦いが繰り広げられる。まりもはギリギリまで高度を上げ、空中から攻撃を仕掛けていた。ここにいる中で真上からの攻撃で120mmでもまともに通用しないのは突撃級の装甲殻のみ。しかしその突撃級は、陽動や死骸を楯とする作戦で既に消耗しきっている。それに元々、基地内部での細かい戦闘を想定していたのか、定円旋回能力に極めて劣る突撃級は最初から占める割合が少なかった。
 残りの要撃級、戦車級、闘士級、兵士級は強固な装甲殻を持つなどという事はなく、36mmで十分過ぎるほど効果がある。
 レーザー属種はいない。空中を攻撃出来る触手を持つ要塞級は大きすぎて入ってこられない。食い放題だ。
 そうやってしばらくの間、一方的な攻撃を加えていると、急に敵の動きが変わった。先に進もうか、それともここに留まろうかといったような迷いのような動きをみせ、そしてそれらの約半数が入口のメインゲートの方に反転した。
 まりもは不思議に思ってそちらを向き直ると、一機の国連軍カラーの不知火が突入してきたのが見えた。
 同時に戦術機同士のデータリンクが接続される。
「白銀ッ!」
『──えっ? まりもちゃん!?』
「何よ、そんな死人に会ったような顔で人を見て」
 少し拗ねたような口調でまりもが言った。
『いや、だってやられたって──』
「それは誤報。中継器や有線がやられて、位置がロストしたのよ。それと反応炉停止にちょっと手間取ってたから──」
『それで勘違いされたんですか』
「ええ。築地や速瀬の早とちりもあったんだけどね。まあ、私が闘士級に撥ねられたのは事実だから、仕方ないんだけど」
『──え!? 大丈夫なんですか!?』
「平気よ。今回は強化装備も着てたし、ガラスが割れてクッションになってくれたから」
『そうですか……良かった』
 それから、二人はこの先どう動いていくか軽く話し合った。
 まりもが考えていた通り、まずはこの集積場である程度の間引きを行う。特に小型種に関しては念入りにだ。
 二人の二機連携が復活し、戦闘が開始された。

 B27フロア・90番格納庫──
『──大尉、敵の数が……!』
 戦域を確認していた祷子がみちるに報告する。マーカーを確認すると、確かに祷子が言った通り、敵増援の数が減ってきている。
『──帝国軍の増援が間に合ったのか……いや、それにしては急激過ぎるか……? まあいい』
 みちるはスクリーンの端に戦域情報を追いやった。
『よし……戦線を押し上げて行くぞ。ヴァルキリーズは引き続き凄乃皇の守備、ブラッズは集積場直通リフトから27層リフトゲートに向かってBETAの掃討だ』
『──了解ッ!』
 月詠たちの武御雷が凄乃皇弐型から離れ、格納庫内を縦横無尽に走り回ってBETAたちを斬り割いていく。やがてその半数ほどが屠り去られたとき。
『──お待たせッ!』
『──神宮司少佐ッ!』
 まずまりもの不知火が90番格納庫に飛び込んでくる。そして、それから一息遅れて──
『──タケルッ!!』
「よう、お待たせ」
 武の不知火も飛び込んできた。
「今、帝国軍の増援が続々と集まってきてる。それで後続がかなり抑えられてるから、さっさとここを制圧して、一気に地上まで戦線を押し返すぞ」
『──了解ッ!』
 そして、武とまりもはゲート付近に陣取り、格納庫に侵入してくる敵を手当たり次第に斬り捨てていく。中央集積場に溜まっていた敵を減らしてきたお陰で、ここに殺到する敵の数はかなり減っている。
 武は敵を斃しつつ、スクリーンにサブウィンドウを開いて凄乃皇の状態を確認した。弐型はML機関を起動させっぱなしだったために敵が集り続け、ダメージはかなり酷い。だがその代わり、四型もダメージを受けてはいるものの、どうにか挽回出来そうなレベルだ。これならば後々の作戦に与える影響は最小限に抑えられるだろう。
 やがて90番格納庫の完全制圧が完了した。
『──ヴァルキリー1より各機、これより防衛線を押し上げる。行くぞッ!!』
『──了解ッ!!』


 2002年1月12日(土)

「本当にお疲れ様だったわね」
 最低限の事後処理を済ませ、執務室に入ってきた武に夕呼が言った。
 武たちがヴァルキリーズに合流した後、90番格納庫から進撃したA-01部隊と斯衛軍第19独立警備小隊は、メインシャフト、中央集積場を次々と制圧して、BETAを地表に押し返した。
 その時点で凄乃皇弐型のML機関を停止させたのだが、一時的にBETAの動きに混乱が見られ、撤退するような動きも一部には見られたものの、武たちが予想していた通り、BETAは再び反応炉を目指して攻撃してきた。
 そこからは持久戦となったのだが、帝国軍の増援には甲21号作戦でウィスキー部隊に参加していた部隊が数多く含まれていて、その練度と実績による自信からBETAを確実に食い止め、撃破していった。
 確かに持久力勝負だったものの、その間に士気が落ちることはなく、むしろ甲20号作戦での鬱積を晴らすかのごとき奮闘を見せ、ものの見事にBETAを押し返してみせたのである。
 しかし、基地内部は惨憺たる有様だ。施設は破壊され、そこここが野戦病院のような状態になりながら、全力を挙げて復旧を行っている。
「先生こそお疲れ様でした」
 夕呼に労いの言葉を返す武。
「やめてよ。あたしはなにもしてないわ……できなかった」
「いいんですよ、それでも。先生は後ろで自信たっぷりにどっかり構えてくれてれば、それでいいんです」
「そう……ありがと。ところで、ヴァルキリーズは?」
「救助活動を手伝いたいって言ってましたけど、全員休ませました。今は眠ってます」
 先任たちはともかくとしても、元207はさすがに精神的にきついものがあったのか上手く寝付けないようだったので、彼女達には薬を使わせている。
「……あんたは休まなくてもいいの?」
「こんなのは慣れっこですよ、俺は」
 武はどこか自嘲的に笑いながら言った。
「そ。……さて、これからのことについてだけど」
「はい」
「可及的速やかに……そうね、少なくとも40時間以内にはオリジナルハイヴ攻略──桜花作戦を発動するわ」
「──40時間!? たったの!?」
 驚きの声を上げる武。まだ基地の復旧の目処も立っていないというのに、40時間後には次の作戦を開始、しかもオリジナルハイヴに攻撃を仕掛ける、というのだ。
「……何か分かったんですね?」
「まあね。ハイヴ間の戦術情報伝播モデルが実際はどうなってるのかが判明したの」
 オルタネイティヴ3から得た情報によるこれまでの学説では、各ハイヴに独立した作戦立案機能と指揮命令系統があって、それらが緩やかに統合される複合ピラミッド型、とされていた。
 しかし実際は、オリジナルハイヴを頂点に全てのハイヴがその直下に位置する、箒型構造だったのである。
 これまで考えられていたように緩やかに伝播が起こるのではなく、オリジナルハイヴと直接やり取りしているので、情報はすぐに伝わってしまうのだ。19日間という数字に関しては、得た情報を分析、対策を検討し、対処案を決定するまでの時間であり、情報伝達に必要な時間ではなかった、というわけである。
「あと……もう一つ分かったことがあってね」
 夕呼はそこで一旦言葉を切り、改めて武に向かい直った。
 何が分かったのか、武は考えてみる。色々と手にしている断片的な情報と、今のこのハイヴの情報伝達に関する話の流れ。それらから推測してみるに──
「……ハイヴ間の通信は反応炉を通して行っていた」
 武は夕呼の言葉を引き継いで言った。
「──!?」
 そして驚きに目を見開く夕呼。
「あんた……どうしてそれを……!?」
 まだ誰にも明かしていなかった情報を言い当てられ、夕呼は一瞬、どこか得体の知れないものを見るような恐怖の入り混じった目で武を見るが、すぐさま平静を取り繕う。
「手持ちの情報から推測したんです。順番はバラバラで滅茶苦茶ですけどね。……色々と錯綜したまとまりの無い話になってもいいんなら、説明してみますけど」
「そうね、お願いするわ」
 夕呼は興味深そうに答えた。
「ええと、まずは──」
 武はどう纏めたものかと考えながら、話し始めた。
 甲20号作戦で凄乃皇弐型のML機関を暴走させた後A-01部隊が撤退していた時、武だけがレーザー種に狙われた。空間飛翔体という意味では一緒に飛んでいたヴァルキリーズも条件は同じだったのにも関わらず、白銀機だけが狙われた。もっとも、その時は純夏を同乗させていたから、狙われたのは純夏かもしれないと思っていたのだが。
 しかし、先程の基地襲撃で単独陽動に出た際、確実に武が狙われていた。
 沙霧の部隊が援軍に来た時、武は彼らにその場を任せて後退したのだが、その時に武は明らかにBETAを引き連れたのだ。人間が搭乗した不知火という意味では、沙霧たちも条件は全く同じ。なのに大隊規模の沙霧たちが相手だと突破優先で、単機の武相手だと踏み止まって撃墜を優先した。
 つまり、BETAは白銀武という個を認識して狙ってきていたという事になる。だが、それを確実に判別するためには、武のバイタルデータが必要になる。しかし、XM3の発案者として名が知れ渡っているとはいっても、そのパーソナルデータは変わらず最高機密だ。おいそれと手に入れられる物ではない。BETAはそれをどこから入手したのか。
「次は……BETAが使ってきた戦術です」
「陽動を使ってきたってこと?」
「いえ。それも含めて、もっと広い視野で見た話です」
 BETAがとってきた作戦。
 まず、旧町田から第一波の突撃級、第二波としてエネルギーは切れていたものの、重光線級を投入。それを面制圧させて振動センサーを無効化。
 センサーが無効化されているうちに第二防衛線まで地中を侵攻。更に戦力を投入して、注意を演習場側に引き付けた。
 当然、支援砲撃は演習場方面に向けて撃たれる。その振動に隠れて第一滑走路まで地中を侵攻。そこから更に戦力を投入。
 そして人間側の戦力がある程度減ったところで本命、光線級の投入。そして基地施設内へ突入。
「それがどうしたの……?」
「似てると思いませんか?」
「何に──」
「──軌道降下作戦」
「……!」
 それを聞いた夕呼はハッとして息を呑む。
「最初の陽動は面制圧をさせるためのものです。何のためにそんな事をするかといえば、接近を容易にするため振動センサーの無力化。これは接近を容易にするためにレーザー種にAL弾を迎撃させて重金属雲を発生させるのと同じ。敵の懐深くに侵入するため、相手の力を利用する」
「…………」
「次はそれに隠れての陽動部隊の投入。更なる戦力投入による陽動。相手戦力が分断したところで、よりゲートに近いところに本命を送り込み、突入。そしてメインシャフトを目指し、その目標は──反応炉」
「……」
「まあ、そんな感じで。あとは、ええと……ちょっと話は飛びますけど、純夏が受けたプロジェクションです」
 甲20号作戦の後、武が夕呼に渡した資料に関する事──純夏がプロジェクションを受けた事についてだ。あの時点で純夏に対して負のイメージをプロジェクション出来る人間側の組織はない。純夏の身に何が起きたかを知る事が出来ないからだ。
 逆にあらかじめ知っておくためには、純夏が00ユニットとなる事を予測しなければならない。だがこれも無理がある。
 だが、BETAだけは別だ。
「……ちょっといいかしら」
 夕呼が武の説明を遮って、質問を投げかけてくる。
「はい?」
「あんた、鑑がBETAからプロジェクションを受けたって言ったわね。でも、鑑が何をされたか分からない以上、そう考える根拠は薄いと思うんだけど」
「いえ……根拠はあります」
「……え?」
「12・5事件の後、俺がこの世界の白銀武を気にかけてた事があったでしょう?」
 武はこの世界の武と純夏の事に関して、夕呼に話し始めた。
「答えに辿り着けたのは本当に偶然だったんですけどね。あの事件で殿下と初めて会った時、殿下、俺の顔を見て驚いたんですよ」
 それから、この世界の武が悠陽を人質に取った事。どうして白銀武がそんな行動を取ったのか。それを含めて白銀武に関する調査を美凪に依頼した事を説明する。
「出来れば先生にも知らせたくはなかったんですけど──そうも言ってられません。これがその報告書です」
 手に持っていた封筒から書類の束を取り出し、夕呼に差し出した。
 それを受け取った夕呼は、パラパラとめくって中身を確認していく。その顔は、次第に苦虫を噛み潰したようなものに変化していく。
「……後藤部隊……確かに黒い噂は絶えなかったけど、ここまでやってたなんてね」
「まだ続きがあります。被験者リストを見てください」
「────!?」
 リストに純夏の名を見つけて、夕呼は戦慄した。
「年末に俺が帝都に出かけたのは、それを調べるためだったんですよ」
「そして、鎧衣課長から答えを得てきた……ってわけ。だから社のリーディングをブロックさせたのね」
「はい……これがその時の話をまとめた報告書です」
 武は再び手にしていた封筒から書類を取り出し、夕呼に手渡した。それに目を通し始める夕呼。
「なっ……なによっ、これ……っ!」
 思わず声を荒げる夕呼。
 そこには、およそ予備学校を出たばかりの少女には耐えられないであろう事ばかりが記されていた。
 夕呼とて同性として見ていて気分のいいものではない。その顔が更に険しくなる。
「…………」
「あの時……純夏が暴走した時、純夏はエクスレイ部隊──帝国軍を狙いました。つまり」
「プロジェクションの内容は、後藤部隊──帝国軍から受けた暴虐のイメージだった……と」
 BETAに何かされたイメージを送り込まれたのであれば、狙うのはBETAのはずだというのだ。
「はい。純夏が00ユニットになったのと後藤部隊の被検体にされた順番を考えると、00ユニットの純夏に打撃を与えるためにその情報を使用出来るのは、BETAだけなんです。後藤の始末と後処理をしたの鎧衣課長だから、後から情報漏洩したなんて考えられませんし」
「…………」
「話を戻します。次は……BETAがプロジェクションを使えた理由です」
 リーディングやプロジェクションは、オルタネイティヴ3で研究されていた、元は人間の持つESP能力だ。しかしそれは夕呼の研究、脳の数値化によって、生命体でなくとも使用する事が可能となった。純夏に付加された能力がそれを証明している。
 つまり、その数値化されたデータが手に入りさえすれば、リーディングやプロジェクションの使用も不可能ではなくなる。
「この辺から順番が滅茶苦茶になるんですけど……だからBETAがプロジェクションを使ってきたって事は、情報がBETAに漏洩していたんだって考えられます。それで──」
 脳の数値化という研究は、元々夕呼が進めていたものだ。最初は帝国大学で研究していたのでそこにもある程度のデータは残っているのだが、プロジェクションやリーディングはオルタネイティヴ3から引き継いだものである。それを数値化したデータは00ユニットに使うためのもの、つまりオルタネイティヴ4の一部であり、その情報は、ここ横浜基地にしか存在していない。
 では、その横浜基地からどうやってBETAに情報が漏洩したのか、という事になる。
 通常ではBETAに対する情報漏洩など考えられない。しかし横浜基地は横浜ハイヴ跡を利用して建設されていて、反応炉を稼動させ続けていた事から、横浜ハイヴは健在だったと言い換えることが出来る。そしてまた、ハイヴ同士では情報伝播が行われている。それらに先程の夕呼の話を合わせると、横浜基地とオリジナルハイヴの間で情報の伝播が行われていた事になる。
 ここでBETAの作った設備に注目してみるのだが、B19フロアにある純夏の脳が納められていたシリンダー、そして最下層にある反応炉しか残っていない。あとはただのあなぐらだ。
 純夏が00ユニットになってシリンダーが空っぽになってしまった今、消去法で反応炉しか残らない。
「だから、ハイヴ間の情報のやり取りは反応炉を通して行っていた……と」
「……驚いたわね」
 夕呼は一度深く溜息をついた。
「まあ……でもおかしくもないか。あんた、あっちの世界のあたしに仕込まれて、こういう考え方が出来るようになったんだものね」
「そうですね……で、まだ続きが」
「え?」
「脳の数値化もそうだし、軌道降下作戦も、俺のバイタルデータもそうですけど、そもそもここの反応炉はどうやってその情報を手に入れたか」
「…………」
「純夏──ですよね」
 ODLの浄化。B19フロアにある00ユニットのメンテナンスベッドは、反応炉に直結している。だからこそ反応炉を破壊ではなく停止したのだが、とにかく純夏がODLの浄化を行う際に、ODLを通して純夏と反応炉が接続されるのだ。
 そして純夏は00ユニットとして、例えばセキュリティを突破したりする時に何度も基地のシステムに接続している。作戦等を知らせる時も、直接データを転送するために接続が行われる。
 00ユニットと接続されたシステムは瞬時に掌握され、純夏の身体の一部となり、そこにある記録は純夏の保持する記録の一部となる。純夏が悪意を持っていないから何も問題が起こらなかった、と言うだけの話だ。
 とにかく、その純夏が反応炉とつながっていたという事は、つまり横浜基地のシステム内に存在するデータが全て、反応炉経由でBETAに流出してしまっていたという事だ。
 武が集中的に狙われていたのも、純夏が保持していたたくさんの武に関する情報が漏洩していたと考えれば、裏付けとする事が出来るだろう。
「……参ったわね。まったく、向こうのあたしもやりすぎなのよ」
 そう言いながら、夕呼は苦笑した。向こうの世界の自分を責められない。何せ自分の事、立場が逆なら、きっと同じ事をやるに違いないのだ。
「鑑のことだけは伏せておこうかと思ってたんだけど」
「気を遣わなくてもいいですよ、何となく予想は出来てましたから。俺なんかより純夏がどう受け止めるかです。あいつはこの事を知ってるんですか?」
「もちろん知ってるわ。だって、この話はあの子に聞いたんだもの。だからこそ一人で答えに辿り着いたあんたに驚いたんだけどね」
 夕呼はふんと笑った。
 基地が襲撃を受けている最中、ちょうど武が単独陽動に出た頃、ODLの浄化処置中だったはずの純夏が中央作戦司令室に現れ、この事を知らせに来た。
 いつもはODLの浄化処置は純夏の睡眠中に行っているのだが、今回、中途半端な状態で自閉モードに入り、浄化処置中に意識が回復してしまった事で、情報の流出を察知してしまったのだろう。それで浄化処置を中断し、メインシャフトの充填封鎖をやめさせたのだ。
「本当はね、あの子……反応炉を壊せって言ってきたのよ」
「え……? でも、それじゃ……」
「ええ。今あの子の体内にあるODLが劣化しきったら、そこでおしまい」
 ODLはBETA由来の技術で、人類の技術では代替出来るものは未だ存在しない。反応炉がなければ保存すら出来ないという有様だ。
 浄化処理の際に反応炉を通す事で情報が流出する事が分かったとしても、量に限りのあるODLを使い捨てにする事は出来ない。
 故に、反応炉を破壊する事は、純夏にとって自殺行為に等しい。
「鑑ね、オリジナルハイヴに一人で攻め込むつもりだったのよ」
「……えっ!?」
「何とかやめさせたけどね。仮に凄乃皇四型が完全な状態になっていても、あの子があんな状態じゃ、すぐにやられてお終いだから」
 夕呼はそう言って溜息をついた。甲20号作戦からこちら、純夏はどこか暴走気味で、それを抑えるのにそれなりに苦労しているらしい。
「そう言えばあんた、襲撃前に鑑が倒れた理由に心当たりがあるって言ってたわよね」
「あ……はい」
「鑑があんな事を言い出したのは、多分その辺も関係してるんじゃないかと思うから、教えておいてくれないかしら」
「はい」
 武は純夏やまりもと話した事を夕呼に説明していった。話が進むにつれ、夕呼の顔がだんだんと引き攣っていく。
「……あ、あんたねぇ……」
 全てを話し終わった時、夕呼はまさに開いた口が塞がらないといった状態だった。
「はぁ……そもそもコレに期待するのが間違いか」
 そして深い溜息。
「……すみません」
「でも、大体分かったわ。恐らく鑑は甲20号作戦で受けたプロジェクションをきっかけに、自分が何をされたか完全に思い出してるわね」
「え?」
「だからあんたを遠ざけようとした。あたしにあんたをA-01部隊から外すように言ってきたのもそのためよ。これ以上あんたを戦わせたくないって思ってた部分も当然あるんでしょうけど」
「はぁ……」
「分かってるとは思うけど、今更あんたを作戦から外すなんて絶対に出来ないから。そのつもりでいてね?」
「はい」
「それじゃ、今後の事を考えましょう。情報が漏洩した事を前提に作戦を考えないと」
 夕呼は椅子に深く座りなおし、背もたれに寄りかかった。
「そうですね。まあ、情報が洩れて助かった部分もあるから、微妙な気分ですけど」
「は? ちょっと何言ってるのよ、あんた」
「だって今日の基地襲撃、俺たちが助かったのは情報が洩れてたからですよ?」
「……えっ?」
 夕呼は怪訝そうな顔で武を見る。
「情報が洩れて、BETAは戦術を使ってきました。でも、それはあくまで人類が限られた戦力でBETAと戦うための戦術ですから」
「……! そうか」
「確かに、俺たちが陽動に引っかかったのは連中を甘く見てた結果です。でも、奴らが俺たちの戦術を真似て得たメリットはそれだけ」
「BETAの最大の脅威は変わらずその圧倒的な物量……ってことね」
「はい」
 少数の戦力で圧倒的物量をもつ相手と戦うための戦術を、少数の戦力相手に使用したことで、圧倒的物量の持ち味が消えてしまったのだ。
 例えば一対多の戦いで、一度に対峙する相手を減らすために、路地などに入って常に一対一の状態を作り出して数の不利を打ち消す、という戦術がある。この喩えで言えば、当然人類側が一人の方でBETAが多数の方だが、その多数が一人の方の戦術を真似て、自分達からわざわざ細い路地に入っていったというわけだ。
「今回、連中は陽動を仕掛け、メインゲートに戦力を集中させて突破しました。でも、わざわざそんな事をしなくても、これまで通り問答無用で物量で押してくれば、メインゲートだけじゃなくAゲートやBゲート、他の場所まで手当たり次第に破られてたでしょう」
 BETAが戦力を分割しても、元が圧倒的物量なので、大した戦力低下にはならない。大軍を分割しても、やはり大軍なのだ。
「そして基地内では、メインシャフトだけでなく、あらゆるところにBETAが入り込む……本来ならそうなっていたところを、一点集中してくれたお陰で被害は最小限に食い止められた……そういうことね」
「ええ。しかも、数で劣る人間側の戦術には大量の増援をどう投入するかなんて考えはないですから、増援は従来型の物量突撃に戻ってしまった。でも、その狙いはバカ正直なまでに一点集中。
 ……ヴァルキリーズやブラッズは確かに精鋭です。でも、だからって身体は一つしかないから、同時に何ヶ所も守れるわけじゃないです。一つの部隊だけが勝ち続けても意味はありません。これまで通り、手当たり次第に攻めてくれば横浜基地は陥落していたでしょう」
 考えなしに三本の防衛線を押し潰して、基地に戦力を殺到させられた方が遥かに脅威だった、というのである。
「だから、BETAは戦術を持った事で弱くなったんですよ。人間は今更、大軍で小規模の敵を攻め立てる戦術なんて研究してませんからね」
「なるほどね……そういう考え方もできるか。あんたらしいわ」
「ま、弱くなったって言っても、戦力比1000対1が900対1になったみたいなもので、実質は何も変わってないんですけど」
 武はそう言って苦笑した。
「人間側が混乱するだろう事を考えたら、むしろマイナスよね」
 それにつられて苦笑する夕呼。
「ええ。それにこっちから攻める時は基本戦術の対策を練られるから、そこは大問題なんですけど。特に軌道降下作戦を対策されたりしたら」
「……そうね。でも、他に方法がない以上、やるしかないわ。それに鑑の状態もある。無理をさせるようで悪いけど、現状では反応炉の再起動の目処が立たない以上、あの子が動けるうちに何とかするしかないの。勿論、反応炉の方もなんとかしようと手を打っているところだけど」
 だから少しでも早くオリジナルハイヴを攻める、というのである。理由としては他にも、G元素使用兵器の情報が漏洩した可能性があるので、BETAがG元素を兵器転用してくる可能性がある云々と言ったものもあるのだが、何であろうが純夏の容態に優先するものではない。
 40時間と言うのは、戦力の準備その他諸々の事情を考慮した最低限必要な時間というわけだ。
「ブリーフィングは21時から始めるから、ヴァルキリーズに伝えておいて。あと、あんたとまりもの動きなんだけど……」
 大まかな説明を受けていく武。細かい事に関してはまだ調整しなければならない事が多いので、ブリーフィングが終わってから改めて話す、という事になった。
「それじゃ、お願いね」
「はい、分かりました──」



[1123] Re[3]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 ブリーフィングルーム──
 21時00分、ブリーフィングが開始された。
 部屋に集まっているのはヴァルキリーズにまりも、夕呼、ピアティフ、そして武。
 まずはBETAの動向と友軍の動向から説明される。
 凄乃皇弐型のML機関停止後、再び反応炉を狙ってきたBETAは、帝国軍の攻撃によってその戦力の大半を失った後、撤退を開始。帝国軍部隊がこれを追撃、ほぼ完全に撃破。
 帝国軍の被害状況は、およそ二個中隊分の戦術機が撃墜されたのみ。沙霧の部隊や米国陸軍第66戦術機甲大隊、そして悠陽の率いていた斯衛軍部隊の損耗率はゼロ。
 現在、帝国軍から抽出された一個連隊と米軍第66大隊が、損耗しきった横浜基地の部隊の代わりに基地の防衛に当たっている。
「……次に、基地の現状よ」
 夕呼は説明を続ける。
 死者、行方不明者合わせて、約4500人。負傷者が約3000人。基地に駐留していた人間のおよそ半数を占める数字だ。だが、これはあくまでも現時点での数字で、これから混乱が収まっていけば、もっと増えていくだろう。
 損害は、支援航空部隊が11機。機械化歩兵部隊は四個中隊壊滅。警備歩兵部隊は三個中隊全滅。
 戦術機甲部隊は全て壊滅、戦車等の補助戦力もほぼ全滅。
「現時点で、まともに動く戦術機は十機もないわ」
 基地に格納されていた、元々衛士の数よりもずっと多かった戦術機は、すっかりなくなっていた。と言うのも、戦闘中にベイルアウトした衛士たちが、次々と戦術機を乗り換えて出撃していたからだ。もっとも、そのお陰でより長時間持ち堪える事が出来たわけだが。
「そのうち程度が良いのは白銀とまりもの不知火、あとは斯衛部隊の武御雷ね。白銀たちの不知火はともかくとしても、武御雷はさすがに頑丈よね」
 夕呼はふんと鼻で笑った。
 斯衛という性格上、その搭乗機である武御雷は象徴的な役割も果たしている。将軍専用機などというものが存在する事がそれを如実に示しているだろう。だが、その象徴が易々と壊れてしまうようでは、将軍の威厳に瑕が付く。故に、武御雷は不知火に比べて設計はもとより、部品のひとつひとつに至るまで品質の高いものを使って、その耐久性を極限まで高めているのである。
 当然ながら機体の耐久度を高めるのにも限度はあるのだが、それに加えて、前述のような理由から斯衛部隊も機体に負荷をかけずに戦闘を行う訓練を行っているので、このような結果が導き出されたのである。
 それはさておき。
「後で説明するけど、戦術機に関する問題は既に解決してるから心配しなくていいわ。次に施設の被害状況だけど──」
 現在、基地の稼働率は43%。目下総力を挙げて復旧中である。BETAを基地内から押し出した直後は稼働率は10%を割っていたのだが、幸い地下原子炉が無傷だったため復旧作業に必要な電力が確保されていて、どうにもならない状況だけは回避する事が出来ていた。
「じゃあ、個別の被害状況も、ざっと話しておくわね」
 夕呼はスクリーンの表示を切り換えた。
 敵進攻ルート上にあった演習場は全てが酷い有様で復旧の目処は立たず、復旧は後回し。演習場の地下にある戦術機ハンガーにも被害は及んでいて、稼働率はそれなりに低下している。ただ、収容する戦術機がほとんどないので影響がない。よって、ここも後回し。
 第一滑走路。最初の奇襲にやられたために被害は甚大、高価な電磁カタパルト二基もスクラップ。復旧しようと思えば何とかならないわけでもないのだが、ここも後回し。
 第二滑走路。敵の目的がメインシャフトから反応炉ブロックへの侵入だった事から、シャトル打ち上げ施設は全て無傷。現在は滑走路の死骸の撤去と穴の埋め戻し作業中。戦力が集中していた割に被害が軽微な理由として、支援砲撃がほとんど為されなかった事が挙げられる。戦闘初期はA-01部隊が完全制圧していたため支援砲撃が不要で、それ以降は甲21号、20号作戦と砲弾を立て続けに消費していたために撃ち込むべき砲弾が無かったためである。
 次に地下施設。地上に比べれば被害は限定されているとは言え、メインシャフトのダメージが深刻で、大深度地下施設の55%が停電中。
 中央集積場の復旧は、充填封鎖したゲートが十ヶ所以上あるため、半年はかかる目算だ。
 反応炉ブロックとそれに隣接した研究棟の被害は軽微。目立った被害と言えば通信設備と隔壁がいくつか破壊された程度で、反応炉の再起動を除けば完全復旧は時間の問題。
 90番格納庫はヴァルキリーズ、ブラッズが守っていたため、これも比較的軽微。現在は全力で復旧中。
 これ以外にも小型種の侵入を許した設備が地上、地下共に結構あって、戦闘による被害が出ている。
「これまでの説明でわかると思うけど、地上施設の深刻な被害は主に北西から南西エリア。地下に関しては中央集積場から反応炉に到るメインシャフト周辺部に集中しているわね。
 過去のデータに照らし合わせれば、地上地下問わず、施設は根こそぎ破壊されていなければおかしいはず。これが何を意味するか──」
「…………」
「物量突撃一本槍だったBETAが、今回の進攻では明確な目的と作戦を以て統率されていた、という事なの。それを見る限り……BETAは人類の戦略や戦術を研究し、対策を立て、さらに応用してきているのよ」
「べ、BETAは人間を生命体だと認識していないはずなのに、ですか!?」
 驚いた様子で千鶴が訊ねた。
「そうなるわね」
 例えば、台風や洪水は生命体ではないが、人間に大きな被害をもたらす。それに対応するためには、どんな特質やメカニズムを持っているのかを知らないと、効果的な対策は講じられない。
 極端な例ではあるが、BETAにとって人類とは、そのような存在なのではないか、と夕呼は説明した。
「ここ最近になって初めて、BETAがそういう行動を取り始めた理由を、副司令はどうお考えですか?」
「さあ……なんともいえないわね」
「…………」
「──BETAが人類の戦術や兵器に対して急速に対応し始めているのは、最早疑うべくもない。そして……XG-70や人類の戦略情報が漏洩してしまった可能性がある」
「えぇ──!?」
「じゃ、じゃあ、人類の対BETA兵器も戦略も、全部無力化されちゃうんじゃ……!」
「必ずしもそうとは言い切れないんだけど、可能性はゼロじゃないわ。何にせよ、いくら強力だといっても、XG-70もただの兵器だからね。いつかは無力化されるわ。だから対策を確立する隙を与えないように、一気にケリをつけるつもりだったんだけど。いずれにしても、最悪のケースを想定すれば、それこそ一秒でも早く討って出る必要がある。こちらの切り札が無力化するのを黙って見てるわけにはいかないからね」
 そして夕呼は改めてヴァルキリーズに向き直ると、一息ついた後に続けた。
「前置きが長くなったけど、ここからが今日の本題。『桜花作戦』の概要を説明するわ。本作戦の攻撃目標はオリジナルハイヴ。最優先事項、最深部『あ号標的』の完全破壊」
「──えっ!?」
「作戦は既に発動しているわ。当基地からの攻撃部隊出撃は2002年1月14日午前7時……ああ、0700って言うんだっけ? ──じゃあ、作戦概要を説明するわ」
 前方のスクリーンに概略図が投影され、夕呼の説明が始まる。
 この作戦は、国連が統率する人類史上最大の軍事作戦である。ユーラシア大陸を囲む全国家、アフリカ連合と米国が連携して、全世界のハイヴに一斉侵攻をかける。
 まず、作戦の第一段階。ユーラシアの最前線を一斉に押し上げ、敵支配圏外縁部に存在するずべてのハイヴを同時に攻撃。各ハイヴの攻略パターンは従来型のハイヴ攻略作戦とほぼ同じ。米国航空宇宙艦隊による各ハイヴへの軌道爆撃から始まり、地上部隊の間接飽和攻撃。臨海部はこれに加えて各国海軍の艦砲射撃。その後、戦術機甲部隊が戦域に突入。
 ただし、目的はあくまで陽動なので、各ハイヴへの突入は行われない。各戦線で敵の三次増援を確認次第、作戦は第二段階へ移行。この時点までに、横浜基地を出撃した攻撃部隊は軌道待機を完了。
 ここで国連は全ての、米国は八割の軌道戦術機甲兵力を投入する。
 まず、国連宇宙総軍の低軌道艦隊がオリジナルハイヴへの反復軌道爆撃を開始。重金属雲が規定値に達するタイミングに合わせて国連軌道降下兵団二個師団が強襲降下。
 目標は、オリジナルハイヴの南西87kmに存在する門、SW115。降下後、レーザー属種の位置を特定し、これを殲滅。
 第二段階移行から30分後、米国の戦略軌道軍二個大隊が同地点を目標に一斉降下。先行した国連軌道降下兵団と合流し、敵を掃討。SW115周辺地域を制圧、確保。それに伴って第三段階へ移行。
 軌道待機中の横浜基地部隊は国連軌道降下兵団二個中隊と共に降下開始。それに連動して地表の国連降下部隊がSW115へ突入、攻略ルートを先行する。
 横浜基地部隊は着陸後、随伴二個中隊、残存米軍と共にSW115へ突入。これに伴って先行部隊は陽動ルートAに進攻開始。
 米軍部隊は地下2718mの第53層広間44で陽動ルートBへ進攻、第二制圧目標『い号標的』を目指す。本体は攻略ルートを維持し、最下層到達後、あ号標的を破壊、オリジナルハイヴを制圧する。
「──以上が作戦概要よ。ここまでで質問は?」
 一気に喋り終えた夕呼は一息ついて、質問を受け付ける。
「──副司令」
「なに、伊隅?」
「戦略呼称の説明はしなくてもよろしいのでしょうか」
「ああ……そうだったわね」
 忘れてたわ、といったような表情で、夕呼が答えた。
 あ号標的は、地球上でオリジナルハイヴにしか存在しない、超大型反応炉の戦略呼称。通常は『コア』と呼ばれている。い号標的はBETAの特殊物質精製プラントの戦略呼称。こちらは通常『アトリエ』。
 と言った事を説明していく夕呼。
「──というわけ。他には?」
「差し支えなければ、一足飛びにオリジナルハイヴを標的とした理由を教えて頂きたいのですけれど」
 今度は祷子が質問する。
「言ったでしょ? 情報が漏洩した可能性があるって。ああ……そうだったわ、これを説明しておかなきゃ、わけわかんないわよね」
 そして夕呼は部屋の後ろに歩いていき、ホワイトボードにへたくそな図を書きながら、ハイヴ間の情報伝播モデルについて説明していく。
「情報が漏洩したのであれば、オリジナルハイヴを真っ先に叩かなければならないことは分かりました。ですが……では、情報漏洩は一体どこから……?」
「それはね。反応炉がエネルギー生成機関であると同時に、通信システムやメインコンピュータに相当する機能を併せ持っていたからよ」
「え──!?」
「そんなわけで、反応炉を停止させるまでに取り付いてた固体から情報が漏洩してしまった可能性が高いの。その時既にML機関を起動させてたから、その情報が流出してしまったかもしれない」
「ということは、あの時起動していたのは弐型ですから、四型の存在はともかく、その詳細までは洩れていないと考えてもよろしいのですか?」
「それはどうかしら」
 夕呼は苦笑しながら言った。
「確かに四型の情報は洩れていないかもしれないけど、弐型の情報が洩れた時点でアウトなのよね」
「どういう……ことですか」
「凄乃皇の主機は何型かに関わらず、全てML機関よね。そしてBETAがML機関に引き寄せられるってことは、彼らは凄乃皇じゃなくてML機関を認識してるってことでしょ?」
「……だから、弐型の情報が漏洩したことは四型の情報が漏洩した事に等しい……」
「そういうこと。これらの情報を総合すると、オリジナルハイヴにML機関の情報が洩れた可能性があることになる。もしそれを放置してML機関を無力化されるようなことがあったら、そこでお終い……だから可及的速やかにオリジナルハイヴを叩くってわけ。わかった?」
「はい」
「他に質問は……ないようね。じゃ、話を進めるわよ。わかってると思うけど、少なくともここ数日以内にあ号標的を破壊しなければ、人類の未来はないわ。だから、この作戦には失敗を想定した保険が掛けられている。突入部隊の全滅など、あ号標的の破壊に失敗、もしくはそれが不可能だと判断される状況が確認された場合──桜花作戦はトライデント作戦に即時移行する」
 聞き覚えのない言葉に、武を含めた全員が怪訝そうな顔をする。
「米軍指揮の下、作戦発動から18時間以内に、全ユーラシアのハイヴを目標としたG弾攻撃が開始されるわ」
「──!」
 G弾という言葉が出て、ヴァルキリーズの表情が強張った。
「ただ……勿論、G弾なんてまっぴらゴメンなんだけど……それ以前にこの作戦ね、米国は成功するって信じてるみたいだけど、実際にはやってみたところでまず成功なんてしないのよね」
 呆れたような表情で夕呼が言う。
「え……?」
「さすがにソースは明かせないんだけど、それなりに信憑性のある話よ」
 これは武が前のループから持ち込んだ情報だ。
 現在のところ、甲20号作戦のデータから、複数発のG弾をひとまとめにして効果範囲を広げて炸裂させる事が出来れば、フェイズ6ハイヴだろうが一気に消し飛ばす事が出来るのだが、そこまでやらなくてもハイヴを奪れる、というのが目下のところのG弾推進派の主流だ。それでもフェイズ4ハイヴのいくつかは奪れるだろうが、一ヶ所でも作戦を失敗した時点で、次から対策されてしまうのでアウトである。
「大体、たかだかフェイズ2ハイヴを制圧したくらいで、それで全部のハイヴに通用するだろうなんて考え、甘ったれてると思わない?」
 夕呼は鼻で笑いながら言った。それに加えて、BETAは人類を研究するために横浜を奪らせたという可能性だって捨てきれないのだ。もしそうであれば、G弾の運用が成功する可能性は、更に低下しているだろう。
「とにかく、そういうわけだから。つまりあなたたちの作戦失敗が、そのまま世界の滅亡に繋がるってわけ」
「…………」
「あなたたちは真実をろくに知らされないまま、史上最悪の生還率が予想される戦場に出撃することになるわ。何も知らないまま、死んでしまうかもしれない。色々なものを切り捨て、踏みにじりながら積み上げてきた全てが、無意味になるかもしれない」
「…………」
「それでもあたしは、あなたたちにやれと命令する。……でもまあ、もし重圧に耐え切れそうになかったり、疑問や理不尽を感じるなら、ここで降りて構わないわ」
「…………」
「幸い、基地はこんな状態。生死の確認に2~3日手間取ったことにすれば、いくらでも誤魔化せるからね。他人の顔色を窺う必要はないわ……自分で決めなさい。降りたって、別に誰も責めたりはしないから大丈夫よ」
 夕呼はこれまでA-01部隊に任務を与えてきた時とは打って変わって、ふっと表情を緩めて優しげな笑顔を見せながら言った。そしてヴァルキリーズが沈黙する中、その後ろから声が上がる。
「──夕呼」
「なに? まりも」
「時間の無駄みたいだから、先に進めたら?」
 どこか呆れた様子でまりもが言った。ヴァルキリーズの顔を見ると、全員が覚悟を決めた顔をしている。だからと言って気負った様子もなく、まりもが言ったように、時間の無駄だから早く先に進めてくれ、とでも言いたげな顔をしていた。
「そう……わかったわ。それじゃ全員の覚悟が確認できたところで、あ号標的攻撃部隊について説明するわね。まずは部隊編成と各機体の装備から」
 夕呼の背後のスクリーンに凄乃皇四型が表示される。
「部隊は、XG-70d──凄乃皇四型とその直援機で編成」
「凄乃皇四型……出撃、出来る状態なのですか?」
「まあね。これが無くちゃ話にならないでしょ? 絶対に間に合わせるから、それについては心配しなくてもいいわ。それよりも問題はもっと別のところにあるんだけど……」
「……別?」
「どうせ話す事だから、先に教えておくわね。鑑の容態が良くないの。何とか出撃できたとしても、全力では戦えないでしょう」
「──!?」
「せっかく機体調整や艤装が完璧に近い状態に仕上がりそうだっていうのにね。上手くいかないものだわ」
 夕呼は苦笑しながら言った。
「え……凄乃皇に、武装……ですか?」
「XG-70dはね、近接防衛能力と通常攻撃能力が付加されているの」
 搭載されているのは、2700mm電磁投射砲2門、120mm電磁速射砲8門、36mmチェーンガンを12基。既存兵器を流用した多目的VLSが大小併せて14基。36基の発射筒を持つVLSは12基装備。予備弾倉は自動装填式で、弾頭は状況に応じて選択可能。地下茎構造内でのレーザー使用に備えたAL弾頭、散弾式の広域制圧弾頭、通常弾頭の三種類。16基の発射筒を持つ大型VLSにはS-11を弾頭に使用した硬隔貫通誘導弾頭弾が格納、これは予備弾はなし。
 現在、ありったけのS-11を掻き集めて弾頭に搭載中だ。その内の28発は分散して余剰スペースに格納し、ここぞという時に使えるようにしておく。
 そして最後に、主砲の荷電粒子砲が一基。
「話は戻るけど、鑑の不調で戦闘出力の維持は難しいわ。それで──」
「え? どうして出力と純夏さんに関係が……」
 美琴がつい疑問を口にした。
「ああ、説明してなかったかしら。凄乃皇のシステムは普通の戦術機とは違っていてね。戦術機の機動に間接的な思考制御が使われているのはあなたたちも知っての通りだけど、凄乃皇にはそれを数歩進めたシステムが搭載されているの。そうでもしなきゃ、あんなデカブツ一人じゃ動かせないからね。それでそのシステム、普通に戦術機を動かすよりも衛士に掛かる負担がずっと大きくてね」
 適当にでっち上げた説明をする夕呼。
「では、鑑の代わりに、誰か他の衛士が動かすことは出来ないのですか?」
 美冴が質問する。
「残念ながらそれは無理。それが出来るなら、わざわざ病人を引っ張ってきて衛士に据えたりなんてしないわ。あれを動かすにはちょっと特殊な才能が必要なのよ。だから、いくらあなたたちが操縦しようとしても、満足に動かすことすら出来ないわ。今のところは凄乃皇の操縦に関しては、病気だろうが何だろうが鑑にやってもらうしかないのよ」
「そうですか……」
「そんなわけだから、可能な限り主機に負担をかけないままあ号標的に到達する必要があるの。だから直援部隊の打ち上げに随伴して、わざわざ軌道降下するってわけ。わかった?」
「はい」
「戦闘出力を維持できない以上、重光線級数体による照射にも耐えることはできない。それにラザフォード場に余計な負荷が掛かれば、それだけ鑑にかかる負担も大きくなる。それで気絶でもされたら……どうなるかはわかるわよね。……この作戦の成否に、直援部隊がいかに重要な位置を占めているか理解した?」
「はい」
「それじゃ、その直援部隊について説明するわ」
 スクリーンの表示が切り替わる。
「部隊を編成するのは、武御雷とF-22Aよ」
「──ええっ!?」
 部隊に動揺が走る。確かに先の防衛戦で、ヴァルキリーズの不知火は半分スクラップのような状態になってしまっている。元通り使えるようにするためには、オーバーホールに数日を要する。
 ただ、帝国軍に機体供与を要請すれば、帝都守備隊の不知火を持ってくる事だって不可能ではない。だからみちるたちは引き続き不知火に搭乗するものだとばかり思っていた。
 しかし、蓋を開ければ出てきたのは武御雷にF-22A。確かにスペックは間違いなく不知火の上をいっているが、どちらもそれぞれ帝国斯衛軍と米軍の最新鋭機、おいそれと手に入れられるものではない。
「同じ部隊で機種が揃っていないのはやりにくいかもしれないけど、あなたたちならたいした問題じゃないわよね。本当は微妙な適性とかあるみたいなんだけど、そんな事を調べてる暇なんてないから、まりもや白銀と相談して、こっちで勝手に決めさせてもらったわ」
「…………」
「まず、伊隅は──」
「…………」
「何よ、落ち着かないわね」
「あの、そんな機体、どこから用意してきたんですか……?」
 壬姫が訊ねる。
「まあ……さすがに気になるか」
 夕呼は苦笑しながら言った。
「まず武御雷。去年の暮れに、白銀が休暇をとって帝都に遊びに行ったことがあったわよね。これはその時のお土産」
「お、お土産って……」
「第19警備小隊の機体も紫の将軍専用機も、接収の許可はその時一緒に取ってあるから、何も心配しなくていいわ」
「ええっ、将軍専用機まで!?」
「そうよ。それに管制ユニットも、今みたいな事態を想定して、とっくの昔にXM3対応型に換装済み。いざと言う時すぐに使えなきゃ話にならないからね」
 いくら冥夜が横浜基地にいるとはいえ、将軍専用機の接収の許可など一体どうやって取り付けたのか、と驚くヴァルキリーズ。
「そしてF-22A。結局同じところに話が行っちゃったんだけど、これはあたしと白銀が珠瀬事務次官に頼んで手配してもらったものよ」
「パパが!?」
 壬姫が驚いた顔で武を振り返る。武が単独任務から返ってきた後、ヴァルキリーズと顔合わせをする前に壬姫を訪ねてきて、珠瀬事務次官に取り次いで欲しいと頼んだ事があったのだが、それはこのためだったというわけだ。
 武は薄い笑みを浮かべ軽く頷いて、壬姫に応えた。
「珠瀬のお父さんに感謝しなくちゃね。それじゃ、説明するわよ──」
 まず、みちるが月詠の赤い武御雷。水月、美冴、慧がそれぞれ巽、雪乃、美凪の白い武御雷。祷子と美琴は、武が手配してきた黒い武御雷。そして冥夜が紫の将軍専用機。
 残りの茜、晴子、築地、千鶴、壬姫はF-22Aに搭乗。
「直援陣形は凄乃皇四型を中央において楔型。いつもと同じね」
 スクリーンの画面が切り替わり、隊形の確認に入る。これは今まで甲20号作戦を想定したシミュレーションで行っていたものと同じだ。
 突撃前衛B小隊が前衛、後衛は右翼にA小隊、左翼にC小隊。
「装備はそれぞれのポジションの物を使用。これもいつも通り。F-22Aには日本向けの改修を施してあるから、長刀や87式突撃砲、S-11は問題なく使えるわ」
 説明が続いていく。しかし、千鶴や茜たち元207は言うに及ばず、先任達もどこか落ち着きをなくしてくる。
「直援する際の注意点なんだけど、弐型とはかなり違うわ。ラザフォード場の発生原理や現象は全く同じ。だけど四型では、あなたたちの負担がかなり減る」
 質問しようかどうしようか迷っているような表情で、夕呼の説明をソワソワしながら聞き続けるヴァルキリーズ。
「前の時のように────また落ち着かないわね。今度は何?」
「副司令、あの……」
 みちるが口を開く。
「なに?」
「白銀少佐と神宮司少佐のポジション説明をお忘れのようですが……」
「……ああ、そういう事」
 どこか納得のいったように夕呼が呟く。
「いなくて当然よ。だって二人とも一緒には行かないから」
「ええっ──!?」
「な、何で!?」
 ヴァルキリーズは武とまりもの方を振り向くが、二人は軽く頷いただけだ。
「別の任務に就いてもらうからよ。残念ながら、これ以上は説明できないわ。じゃ、続けるわよ──」
 夕呼はヴァルキリーズの動揺を気にせず、先を進めた。
「まずXG-70の搭乗者。メインパイロットは当然だけど鑑。ただ鑑の調子が優れないから、サポートとして社が同乗するわ。そしてもう一人、戦域管制と火器管制補助に涼宮」
「──えっ!?」
 あらかじめこの事を聞かされていた遙以外、驚きの声を上げた。しかし無理もないだろう。
 衛士でない遙や霞が搭乗する事に問題は無い。凄乃皇のコックピットはラザフォード場で包まれて重力制御されている。強化装備のフィードバックによる誤魔化しとは違い、どんな機動をしたところで、揺れやGを受ける事はない。
「これは甲21号作戦のときの教訓よ。今回のメンバーだと……そうね、伊隅か風間あたりが戦域管制を兼ねることになるでしょうけど、それだと戦術機の操縦の方が疎かになって、死活問題になりかねない。それにあなたたちだって、専門家がいてくれた方が心強いでしょ?」
「──はい」
 そして説明が続いていく。
 直援の注意点。この任務では、機体周辺の重力偏差に気を遣う必要はない。システムの調整は既に完了していて、ラザフォード場の次元境界面を選択的に制御する事が可能になったからだ。
 そうなったからこそ、純夏だけでなく、霞や遙も搭乗出来るようになった……という事にしている。
 場の制御は凄乃皇四型が自動で行うので、急に近寄ろうが何をしようが問題は無い。万が一制御にトラブルが発生してピーキーな出力特性が出たとしても、その時は戦術機側で自動回避する。
「──だからあなたたちは、ある意味自由に戦ってもいいわ。巡航出力のラザフォード場でも、跳弾やBETAの物理攻撃程度なら十分防御できるしね。ただし、さっきも言ったけど、何がしかが干渉して次元境界面に負荷が掛かり続ければ、その分、鑑の負担も増して、機体制御がどんどん不安定になっていくから注意して。ML機関に引き寄せられて、大量の戦車級が集り続ければ、巡航出力じゃ20分もしないうちに機能停止に陥るはずだから」
「──は」
「四型の機体に敵集団を近付けない。一分に十体以内の干渉なら、鑑には何とか我慢してもらう。いいわね?」
「──了解!」
「武器弾薬の補給は、四型の機体に補給コンテナを直に溶接してあるから、事前に位置を確認しておいてちょうだい」
「──了解!」
「さて、と……一通り説明し終わったところで、ここからが本題」
 それまでのやや緊迫した表情を緩める夕呼。
「さっき説明した作戦の流れ……あれはね、国連と米軍を協力させるための建前よ」
「──えっ!?」
 そして、夕呼は不敵な笑みを浮かべ、言った。
「本当の桜花作戦は、オルタネイティヴ4が独自の目標と目的を以て決行するわ──」
 最優先事項は同じ、あ号標的の破壊。作戦そのものも、大筋においては先程の説明と変わりはない。変わるのは、ヴァルキリーズがSW115に突入した後。
 まず下準備として、米軍と国連軍に提供したオリジナルハイヴのマップデータに細工をしてある。これで、最終的に突入部隊を地表に誘導する。
 マップデータは本物。あ号標的やい号標的の位置は衛星データの解析でも分かっているので、嘘は見破られてしまうからだ。しかし、そのデータにはある種のコンピュータウィルスが仕込まれている。
 戦術機の管制コンピュータに侵入して、全ての機体や衛士、司令部すらい号標的に向かっていると信じ込ませるのだ。
 フィードバックプログラムに細工して、実際には登っているのに下っているように知覚させる。シミュレーターと似たようなものだ。ただし、規模は桁違い。国連軍と米軍の司令部まで騙してしまうのだ。
 彼らの正確な位置マーカーを見ることができるのは、この地球上で、今ここにいる人間だけになる。
 ……というのはもちろん建前だ。実際は、純夏がハッキングを仕掛ける。今回は米軍も作戦に参加する事から、米国の最新鋭の偵察通信衛星がオリジナルハイヴ上空にセッティングされている。そのため、基本的にデータリンクが切断されるという事はない。
 純夏は凄乃皇のデータリンク経由で人類の全システムに侵入して、情報を擬装するのだ。
 そして、突入後の流れに従った説明に移っていく。
 スクリーンに地下茎構造マップ概略図と初期設定ルートが表示された。進路は敵出現率の低い、直径400m以上の縦杭と横杭が選択されている。
 だが、時間の経過に従ってBETAはML機関に殺到してくる。よって、状況に応じて最も安全なルートが常に指示される。
 とは言っても、比較的マシという程度だから安心は出来ない。最短ルートでさえ、少なく見積もっても初期配置で20万体は存在している。それに、このデータは甲21号作戦時のものだ。その後、地下茎構造の拡張や配置変更がされていないという保証はどこにもない。
 だが何にせよ、一番重要なのはとにかくスピードだ。最低限かつ最大効率の戦闘と的確なルート選択。そして敵増援の集結を上回る速度で移動し続け、あ号標的に到達する。
 基本的に甲21号作戦の突入時と同じ。これが成功の可能性のある唯一の戦術。故にスピード勝負に慣れているヴァルキリーズにしてみれば、足の遅い国連軍部隊は足手纏いにしかならないのである。
「軍上層部のお偉方は、人類の命運を懸けた作戦の決戦部隊が一個中隊だけっていうのが不満らしくてね。まったく、実績もちゃんとあるって言うのにね」
 夕呼は半ば呆れながら言った。実力から言っても実績から言っても、ヴァルキリーズ以上の適任など世界中のどこを探してもいないのだ。誰が随伴しようと、多かれ少なかれ足を引っ張ってしまう事になるだろう。
「随伴は作戦協力の条件だったから渋々了解したけど……軍人って、数が揃ってないと安心できない生き物なのかしらね。スピードが最も重視されるのに、役に立つかどうかも分からない大部隊引き連れていくなんて、あり得ないわよね?」
「…………」
「というわけで、米軍同様、彼らにも早々にお引取り願うのよ」
 そう言ってニヤリと笑う夕呼。
「さて、すっきり身軽になったあなたたちは、スピード重視で進撃して行くわけだけど──あ号標的の手前で、絶対に避けることのできない、最大の難関に行き当たる。あ号標的の四方に配置された、容積約90億立方メートルの主広間。どのルートを選んでも、このいずれかを通過しなければあ号標的には侵入できないわ」
 そして、ここはBETAの補給施設であるという。故に、常時数万の固体がひしめいている。だから、ここも一気に突破したいところなのだが、主広間の出口とあ号標的の直前に大型隔壁が存在し、更に厄介な事に、この二つの隔壁は初期状態では閉鎖されているのだ。
 つまり、隔壁を開放して凄乃皇四型が通過するまでの間、嫌でも万単位のBETAと戦わざるを得ないというわけだ。おまけにここでは通信に重大な障害が発生する。勿論、それ自体が絶対に不可能と言うわけではなく、近距離であれば問題なくデータリンクも交信も出来る。だが、壁を構成している物質がある種の電磁波を吸収してしまい、距離に比例して通信が困難になっていく。
 BETAのエネルギー交換方法に関係している現象らしい、という事までは判明しているが、それ以上の詳細は不明。対策としては中継器で伝播をブーストする、或いは有線接続する等。いずれも横浜基地の反応炉で有効性が実証されている。
 だが、共に大掛かりで手間がかかる上、戦闘耐久性も低く、使い物にならない。
「──そこで、この最大の難関を克服するための手順から、あ号標的の破壊までを流れで説明するわ」
 夕呼はスクリーンの表示を切り替え、主広間の概略図が表示された。
「まず、主広間手前の横杭でML機関を臨界運転。主砲発射態勢へ移行。となると当然、BETAはML機関に反応して主広間入口へ殺到。そのタイミングを見計らってミサイルを一斉射。だだし、これには硬隔貫通誘導弾頭弾は含まないから注意してね。
 BETAを効率よく吹き飛ばしたら、ラザフォード場を全面展開して主広間へ突入。一気に奥まで進み、直援部隊は隔壁開放作業にかかる。
 実はこの隔壁、新種のBETAであることが判明していてね」
「──えッ!?」
 といっても、攻撃力や思考力は皆無の、生体組織に近い生命体だという。
 この隔壁の脳にあたる部位が異なった電気パルスの刺激を受ける事で二種類の化学物質を分泌し、開閉運動を行う。
「作業は難しくないわ。まず脳と隔壁を繋ぐ補給導管に開放を促す化学物質を注入して強制開放。次に、脳にS-11を仕掛けて待機。ちなみに、起爆タイマーは新型に換装するわ。何の情報が洩れてるか分かったものじゃないから、念のためにね」
 わざわざバカ正直に全て明かす必要はないのでそう言っているが、実際のところはダダ漏れだ。交換しておかないと、タイマーを解除、或いは無効化されてしまうだろう。
「第一隔壁を開放したら直援部隊は二手に分かれ、C小隊は横杭を先行、第二隔壁開放作業にかかる。B小隊は凄乃皇四型の直援、A小隊はS-11を設置して第一隔壁閉鎖準備にかかる。
 この間、凄乃皇四型は作業部隊を支援。臨界運転中は当然、戦闘出力のラザフォード場を展開出来るから、防御は万全というわけ」
 機関の臨界運転が必要になるタイミングは、大気圏突入と主砲発射直前の二回。純夏の容態を考えると、これがギリギリだ。
「C小隊の作業手順は第一隔壁の逆。先にS-11を仕掛け、開放物質の注入準備をする。そっちの準備が完了したら、凄乃皇四型は横杭に進入。次元境界面を隔壁付近まで展開してBETAの侵入を防ぐ。A小隊は閉鎖物質を注入し、S-11のタイマーを起動。隔壁閉鎖前にB小隊と共に横杭へ進入。BETAが進入した場合、B小隊が速やかにこれを排除。恐らくこの辺で第一隔壁のS-11が爆発して脳を吹っ飛ばすわ。
 それによって第一隔壁はしばらく開放不能となり、その間、横杭内の安全は確保される。そして直援部隊は注入作業機を残して機体を放棄。凄乃皇四型は衛士を収容。砲撃準備の完了を合図に開放物質注入開始。衛士は即時機体を放棄して凄乃皇に退避。
 第二隔壁が開放され次第、凄乃皇はあ号標的ブロックに進入。発射態勢のまま砲撃開始地点まで前進。どういうわけか、ここにはBETA群が初期配置されてないわ。段取りよくいけば、戦力は後方に集中できるはず。まあ、仮に配備されていたとしても、臨界出力のラザフォード場は突破できないし、近付く前に主砲の砲撃で木っ端微塵ね。
 砲撃と同時に硬隔貫通誘導弾頭弾を斉射。あ号標的ブロック天井の最も薄い部分を破壊して、主縦杭への退避ルートを確保。あ号標的の破壊を確認した後、退避ルートを通り、主縦杭から孔を抜けオリジナルハイヴを離脱。
 もしあ号標的の破壊に失敗した場合、第二隔壁のS-11を遠隔起爆。次の攻略に備えて隔壁を開放状態で固定。凄乃皇での離脱が困難な場合、ML機関の減速材全てを投棄し、管制ブロックに格納された装甲連絡艇を使いなさい。
 ……ただし。あ号標的ブロックに着く前に任務の達成が不可能だと判断した場合は……わかっているわね?」
「──はい!」
「結構。凄乃皇四型の作戦コードはA-04よ。いいわね」
「──了解!」
「作戦の説明は以上よ。何か質問はある?」
「副司令、この作戦、鑑と社にはもう伝えてあるのでしょうか?」
 みちるが訊ねた。
「鑑はまだ無理できないから休ませてるけど、作戦立案に加われるくらいには回復しているから、心配はしなくていいわ。社にも事前に伝達してあるから大丈夫よ」
「…………」
「じゃ、出撃までの大まかなスケジュールを伝えておくわ。よろしくね、ピアティフ」
「──は」
 夕呼の側に控えていたピアティフが前に出て話し始めた。
 まず、ブリーフィング終了後、ハンガーで機体の調整作業を開始する。武御雷、F-22A共に管制ユニットはXM3対応最新型が搭載されていて、ヴァルキリーズが休息を取っている間に突貫で整備を行っていたので、後は着座調整等、細かい調整を残すのみだ。
 それが終わり次第、90分間の食事休憩。その後は終日シミュレーターによる攻略演習と作戦の確認。
 翌1月13日6時00分、部隊点呼。作戦機の突入殻格納作業が終了次第、シミュレーター演習を再開。この時の演習は、駆逐艦格納庫と90番格納庫を有線接続して行う。
 点呼から搭載作業の終了までに数時間の空きが設定されている。この空き時間が食事と睡眠以外に費やせる休息、いわゆる最後の自由時間となるので、ここで出撃前の事前準備を全て完了させる。
 翌1月14日2時00分、最終ブリーフィング開始。3時30分、各員は作戦機に搭乗して準出撃体勢のまま待機、となる。
 純夏と霞は凄乃皇四型の最終調整が詰まっているから、出撃までほとんど顔を合わせる事はないという。もっとも、実際は純夏の消耗を最低限に抑えるために最大限の休息を取らせておく、と言ったところだ。
「極秘裏に独自プランを遂行する以上、軌道降下以降は全軍の指揮系統から独立して動いてもらうことになるわ。……まあ、甲21号作戦のときは通信どころかデータリンクまで無くてもちゃんとやれたんだから、問題無いわよね」
「──はい!」
「今日のブリーフィングは以上よ。早速、機体の調整作業に取り掛かりなさい」
「──了解ッ!」
「あ、白銀とまりもはまだ話があるから残っててね」
「了解」
 そして、ヴァルキリーズはブリーフィングルームを後にし、機体調整のためにハンガーへ向かった。



[1123] Re[4]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
「さて、ハンガーに行かなくちゃな……」
 ブリーフィングルームを出た武は、ハンガーへと足を向けた。
 ヴァルキリーズが搭乗する予定の戦術機は、既に全機がハンガーに搬送されている。月詠たちの武御雷はもとより、武が手配していた黒い武御雷も、予定を繰り上げて突貫作業を行ってもらった事で全て揃っていた。
 F-22Aも、戦闘が落ち着いた時点で海上を搬送してきた原子力空母エンタープライズが入港、ハンガーへの搬入が行われた。ちなみにエンタープライズはまだ停泊中で、ウォーケンの部隊は基地周辺の警護にあたっている。
 とにかく、搬入された機体の確認と自分の不知火の整備を行うために、武はハンガーに入っていった。
「珠瀬事務次官!」
 ハンガーに入ると、デッキで戦術機を眺めていた珠瀬事務次官の姿が見えた。武は声を掛けて近づいていく。
「おお、白銀君。久しぶりだね」
「ご無沙汰しています」
 最後に顔を見たのは12・5事件の時、顔を合わせて話したのは事務次官が視察に来た時以来となる。
「色々と無理を聞いて頂いて、本当にありがとうございました」
「いや、何……構わないさ。私が君たちにしてあげられる事と言えば、このくらいしかないのだから」
 そう言って事務次官はハンガーの方に視線を動かした。整備兵たちが作業を行っている。そこでは米国からF-22Aと共に派遣されてきた技術者も一緒になって最終調整に当たっていた。
「しかし、あんなものは使わずに済めばいいと思っていたんだが……上手くいかないものだね」
 事務次官は少しくたびれたような笑みを浮かべながら言った。ことがBETAとの戦いになってしまえば、政治を武器に戦う珠瀬事務次官は、何の役にも立てない。勿論、政治によって人心を束ねる事は、BETAとの直接戦闘以上に重要な事ではあるのだが。
「全くです」
 武も、整備の様子に目を向けた。
 そうやってしばらく二人でハンガーの作業の様子を眺めていたのだが──
「では、私はもう行くよ」
 やがて事務次官は武に向き直って言った。
「たま……珠瀬少尉には会っていかれないのですか?」
「今はいい……娘の覚悟が鈍るといかんからな。その代わりあの子が帰ってきたら、その時は思う存分甘やかしてやる事にするよ」
 そう言って、事務次官はハハハと笑った。
「では、後の事は任せたよ、白銀君」
「──はい」
 そして、珠瀬事務次官はハンガーを後にした。
「たまの事が心配じゃないはずはないのに……強いよな、あの人も」
 武はそう呟いて、デッキから降りていった。
「おう、タケル!」
「やあ班長、お疲れ様です。さっき来た時にいなかったから、てっきりくたばったのかと思ってましたよ」
「ワハハハハ、何言ってやがる! この糞忙しい時にくたばってなんてられっかい! 俺がいなくなったら、誰がおめぇらの戦術機の世話するってんだよ!」
 整備班長は投げかけられた軽口を豪快に笑い飛ばし、武の背中をバンバンと叩いた。だが、誰もがそうであるように、やはり班長にも、ほんの僅かではあるが、どこか無理をしているようなところが見受けられる。ハンガーの被害は比較的軽微だったとはいうが、他に比べて被害は少なかったというだけで、馬鹿にならないほどのダメージを受けている事に変わりはないのだ。
 今、ハンガーを見渡してみると最低限の人間しかいない。それは手が空いた技師が全員、凄乃皇四型の整備に回っているからである。だからと言って、全員がそちらに行っているわけでもない。当然ながら、戦闘で命を落とした者もいる。
「しかしまあ……よくもあれだけの数、揃えたもんだよな」
 呆れているような、感心しているような声で呟く整備班長。その視線の先には、都合12機の武御雷とF-22Aがずらりと並んでいた。S-11の搭載も完了し、今行われている着座調整が終わればメンテナンスは全て完了となる。
 月詠たちの機体も、ヴァルキリーズが休息を取っていた間にメンテナンスは終わっているので、問題は無い。
 白銀機と神宮司機に関しては、神宮司機のメンテはほぼ完了している。それで白銀機はというと、まだ手付かずのままだ。もっとも、それほど深刻なダメージがあるわけでもなく、最悪そのまま出撃しても、何とか出来なくもない程度の状態ではある。
 そんなわけで武は自分の機体は自分でメンテナンスすると申し出て、その分の人員を凄乃皇に回してもらうようにしていた。整備の下準備として、S-11を含む武装だけは先に解除してもらっているのだが。
「なあタケル、神宮司機の調整が終わったら俺も90番格納庫に行っちまうが、一人で大丈夫かい?」
 整備班長が少しだけ心配そうに話しかけてくる。もし武さえ良ければ手伝ってやる、というのだ。だが、武はそれを断った。
「ありがとう、でも平気です。それよりも班長はXG-70の方に回ってください」
「そうか。まぁぼちぼちやんなよ」
「はい」
 そして整備班長と武は、それぞれ自分の担当する機体に取り付き、作業を始めた。

「ふぅ……こんなもんかな」
 メンテナンスを始めてから数時間。武は一息ついて、自分の不知火を見上げた。整備から調整まで完了し、取り外した武装も全て新しいものに取り替えた。これでいつでも出撃が可能だ。
 ハンガーの中は既に空っぽになってしまっている。
 ヴァルキリーズはとっくに調整を完了し、シミュレーターによる訓練を終えて既に休息に入っている。整備班も整備すべき機体がないので、班長がまりもの不知火のメンテナンスを終えた時点で、全員が90番格納庫の増援に回っていた。
「これからどうしようかなあ……」
 とりあえず、現状でやるべき事がなくなってしまった。戦術機の整備が出来るからといっても、さすがに本職ではないために応用が利かず、凄乃皇の整備に加わる事は出来ない。
 ヴァルキリーズの訓練に参加する事も出来ない。結局、純夏は出撃する条件として、武を決戦部隊から外せという事を提示してきた。突っぱねても恐らく純夏は最終的に受け入れただろうが、しかし万が一の事を考えるとそれは選べなかった。
 まりもはヴァルキリーズの訓練の補佐として訓練に立ちあい、今はヴァルキリーズ同様休息をとっているはずだ。夕呼は言うまでもなく忙しい。と言うか、今のこの状況で忙しくないものなどいない──武以外は。
 ぽっかりと時間が空いてしまった。
「司令室にでも行ってみるか……」
 武はB19フロアに降りて、司令室に入っていった。それを夕呼が出迎える。
「あら……白銀。どうしたの?」
「暇だったもんで」
「……いいご身分だこと」
 夕呼は皮肉たっぷりに呟いた。
「いや、ヴァルキリーズにはノータッチだなんて言われたら、する事なくなっちゃうじゃないですか。とりあえず自分の機体の整備を自分でやって、その分浮いた人員は凄乃皇に回ってもらってたんですけど、整備も終わっちゃいましたから。……と言うわけで、なんか仕事ください」
「ないわよ、そんなもの」
 にべもなく却下する夕呼。純夏との約束でA-01部隊と関わりあいになれない以上、与えられる仕事がないのだ。
「そんなご無体な」
「少しなら話相手になってあげてもいいわよ?」
「じゃあ遠慮なく。ヴァルキリーズの訓練はどうなってます? 機体慣熟とか」
「シミュレーターレベルなら、もうかなり馴染んでるわ。おまけのデータも多かったからね」
「……おまけ?」
「ええ。武御雷なら月詠中尉たちの蓄積データがあるでしょ。それと、あんたが手配した機体と一緒に、斯衛軍の精鋭部隊の蓄積データも一緒に寄越してくれたのよ」
「紅蓮大佐ですか?」
「ええ。それからF-22Aだけど、こっちも第66大隊の蓄積データ付き」
「ウォーケン少佐が?」
「そうよ。彼、随分とあたし達に協力的なのよね。テスレフ少尉の件がよっぽど腹に据えかねてるのかしら」
 12・5事件の最後にイルマ・テスレフ少尉が沙霧との交渉中に発砲した件、やはりG弾推進派の差し金だったというわけだ。詳細までは伝わってきていないが、どうも市民権を楯に命令に従わせたり、家族の安全と引き換えにと脅迫紛いの事までされていたらしい。
 ウォーケンも聡明な男ではあるので、それが米国の全てではない事は分かっているし、だから米国を見限ってしまうような事もないのだが、オルタネイティヴ4推進派とG弾推進派の対立があれば、どちらが主流であろうが、部下を救われた恩義もある事から、オルタネイティヴ4推進派に協力的になっている、と言うわけだった。
「珠瀬事務次官もその辺の事情を全て把握した上で色々手を回したんでしょうけど。まったく、喰えないおっさんよね」
 夕呼は苦笑しながら言った。
「とにかく、そういうわけだから。今のところ、不知火より高いスペックを選択した事によるトレードオフが機体慣熟不足となって現れてるけど、これは時間と共に解決する問題だからね。現時点でトントンってところだから、あとは訓練と実戦で慣熟が進むに従って、機体性能差が有利に働いてくるでしょう」
「そうですか。あと……もう一ついいですか?」
「いいわよ。なに?」
「ブリーフィングで説明した桜花作戦の突入後の詳細、あれ純夏の立案ですか?」
「そうよ。あたしがあんなぬるい作戦、立てるわけがないじゃない」
「ですよねえ……」
 武はしみじみと呟いた。
「なんか引っかかる言い方ね……まあいいわ。あの子、最初はやっぱり単独で出撃しようとしてね。それだけは絶対にダメだって突っぱねて、A-01部隊を直援に付ける事を承諾させたの」
「国連軍や米軍は?」
「あたしは全部囮にするつもりだったんだけど、それもダメだって言って聞かなくてね。でも、そこらへんはあの子もある程度妥協したのよ。それで今みたいな形になったんだけど……あんたの話になると、もう本当にダメの一点張り」
「何て言ってたんです?」
「もしあんたを同行させるなら、今すぐ凄乃皇に乗り込んで、目に付いたものから手当たり次第、滅茶苦茶にぶっ壊してやる……ですって」
「……そりゃまた」
 過激な事を言うもんだ……と苦笑いする武。
「さすがにただの脅しだとは思ったんだけど……あの子の態度を見てると、絶対にないって言い切る自信がなくなっちゃってね」
「で、俺たちを決戦部隊から外した、と」
「そういうことよ」
 夕呼は軽く溜息をついて、困ったような笑みを浮かべた。
「しかし……もう少し時間に余裕があれば良かったんですけどね」
「仕方ないわよ。鑑の体調の件がなくても、G元素を兵器に転用できるっていう情報が洩れていない保証はないんだから」
 周りに気を遣ってこんな言い方をしているが、その情報は間違いなく洩れている。対外的には反応炉に取り付いたBETA経由で全てが洩れた可能性がある、という事にしているが、実際には純夏経由で全て洩れているのは確実なのだ。
 純夏のリーディングによると、BETAにはG元素を使用した兵器は存在しないらしい。しかし情報の流出によって、BETAがG元素の兵器転用という概念を知った可能性が高い。故に、BETAが人類以上のG元素応用兵器を作る可能性があるのだ。
 だが漏洩が確定事項であろうがなかろうが、漏洩の可能性がある時点で、とるべき手段は同じだ。それならば余計な混乱で作戦成功率が低下しないようにと、上層部の一部以外には可能性の話で通している。
「何にせよ、色々と対策され始めてるのは確実でしょうね」
 だから、G弾もそう遠くない未来に無力化されてしまう可能性がある。
 米国は確実に有効だと思っていたG弾が無力化されてしまう事を極端に恐れ焦っていた。情報漏洩が判明するまでは、G弾を最後の手段とし、それが有効であるのだと思っていたから余裕を持っていたのだが、それが崩れてしまった今では、オルタネイティヴ4に協力的だった議会勢力でさえ、G弾の早期使用を容認し始めている。
 もっとも、それ以前にG弾の運用は既に横浜ハイヴ攻略戦の時にBETAに見られてしまっているので、G弾を抱えて特攻するような真似でもしない限り、確実に運用する事は難しくなっていると思われる。
 しかし、だからと言って手をこまねいているだけでは、BETAに対策する時間を余計に与えてしまうだけだ。やるしかない。
 そしてそれはML機関や00ユニット──量子電導脳に関しても同じ事だ。
 実際のところ、情報漏洩が発覚したのが昨日というだけで、漏洩自体はもっとずっと前から起きている。もう既に対処されている可能性は否めないが、いずれにしても、状況が最悪な事と可能な限り早く作戦を実行しなければならない事に変わりはない。
「こんなところね。少しは暇潰しになった?」
「はい」
「ま、あたしも気分転換にはなったわ。それじゃあたしは凄乃皇の作業に戻るから、あんたはもう休みなさい。じゃあね」
 夕呼は擦れ違いざまに武の肩をポンと叩くと、中央作戦司令室から出て行った。


 2002年1月13(日)

 現在時刻21時28分。出撃まで残り9時間32分。
 今日は午前中は再突入殻への戦術機の搭載作業が行われていたので、そこは作戦前最後の自由時間として割り当てられた。戦術機の搭載が完了すると、それから駆逐艦格納庫と90番格納庫を有線で接続して、訓練を行った。
 ヴァルキリーズは午後、夕方と訓練を行い、その後の休憩に入ったところだ。各員、それぞれの戦術機のコックピットで、連携や機動の確認を行っている。
 やはり機体が変わりスペックが向上した事による違和感は小さなものではなく、慣れるまでそれなりに苦労しているようだ。それでも武御雷はまだ不知火をベースに開発されているうえ、挙動は不知火に比べて随分と素直になっているから順応しやすい。
 F-22Aの方は、武御雷組に比べれば、やはり苦労している。だがF-22Aが割り当てられた五人の内、千鶴と茜は強襲掃討、壬姫と晴子は砲撃支援と、元々F-22Aの設計思想と相性の良いポジションだったので、機体の挙動にさえ慣れてしまえばどうにでもなるだろう。
 残る一人、突撃前衛の築地はと言えば、近接戦闘を極めるには不向きな機体を、見事なまでに操っていた。どうも、元々どこか挙動のおかしかった機動にしっくり来るものがあったらしい。彼女曰く、不知火よりもF-22Aの方がずっと扱いやすい、だそうだ。
 それはさておき。
 武は中央作戦司令室にやってきていた。シミュレーターの制御は、ここからピアティフが行っているのである。その後ろには、まりもと夕呼がついていた。
「あら、白銀。どうしたの?」
 武の接近に気が付いたまりもが声をかけてきた。
「いや……一回くらいは訓練を見せて貰おうかと思って。どんな感じです?」
「主広間突破成功率、97%ってところ」
「損耗率は?」
「15%よ」
 モニターを確認すると、主広間は突破したものの、三機撃墜されたとなっていた。
 ちなみに、あ号標的ブロックのリーディングデータは存在しない。純夏でも読み取れなかったのである。それだけ重要な施設であるという事だ。
「撃墜されたのは……たまと涼宮と柏木か。委員長も結構ヤバい状態だな。やっぱF-22A組は厳しいですか?」
「そうね。まだ性能に振り回されてるって感じかしら。まあ、スペックが不知火とは段違いだから、そこは仕方ないんだけど」
 F-22Aは新型の高性能跳躍ユニットを搭載している。そのため、噴射による微妙な機体制御の勝手が今までと全く変わってしまい、その分ミスが増え、ダメージを受ける機会も増え、撃墜されてしまったというわけだ。
「でも、三人とも主広間までは辿り着けてるから、基本動作に関してはもう問題ないわね。きっと次で細かい調整も完了するわ」
「そうですか。んで残る築地は……って、凄いですね、これ」
 築地のデータに表示を切り替える。それによると、ありえないほどの回避率と築地らしからぬ撃墜数をキープしていた。不知火に比べて高出力でピーキーな跳躍ユニットの扱いも、最初からいきなり完璧に使いこなして見せている。みちるや水月の武御雷にも全く引けを取っていないどころか、今の時点では明らかに上を行っていた。
「たまにあるんだよなあ……こういうの」
 とある衛士を普段と違う戦術機に乗せ、更に設計思想と全くかけ離れた機動をさせた時、相性がドンピシャで合致する事がごく稀にではあるが、あるにはあるのだ。
「今思えば、訓練学校であの子、吹雪を随分と窮屈そうに扱ってたのよね。元々、こういう動きのイメージを持ってたんでしょう。それがXM3とF-22Aのハイスペックで実現した……そんなところかしら」
 次に、武御雷組を見てみる。
 美琴と祷子が乗る黒い武御雷は、見た目は最下級の黒だがチューニングが施されており、美凪たちの白い武御雷と同等のスペックを持っていた。サービスという話らしいが、どうせ悠陽の差し金だ。
 水月、美冴、慧はそれぞれ巽、雪乃、美凪の機体に搭乗。この五人はある意味不知火の延長上にある武御雷を、特に問題なく動かせるようになっている。
 スペックが違うのは、みちるが搭乗する月詠の赤い機体と、冥夜の搭乗する紫の将軍専用機だ。月詠機は指揮官機としてハイスペック仕様に、将軍専用機に到ってはワンオフに近いチューニングが施された特別仕様機となっている。
 その分、当然ながら操縦も難しくなるのだが、みちるに関しては全く問題なし。冥夜も多少振り回されてはいるものの、次のシミュレーションで完全に吸収してしまうだろう。
 遙の戦域管制に関しても、これといって特に問題は無い。最初はヴァルキリーズの搭乗機が変わった事で機動も変わって面食らっていたが、衛士の思考回路まで変わってしまうわけではないので、すぐにいつも通りの戦域管制が出来るようになっている。
「何とか形になりそうで、良かったです」
 武は笑顔を見せて言った。
「ええ。あとは実戦の中で勘を掴んでもらうだけね」
 まりもも笑顔でそれに応える。
 やがて休憩が終わり、訓練が再開された。
 武御雷とF-22Aの連携、戦術機と凄乃皇の連携、各自の操縦、遙の戦域管制と、特に問題なく訓練は進んでいった。最終的に弾き出された主広間突破成功率は100%、損耗率はゼロ。
 だが、実際にオリジナルハイヴに突入すれば、シミュレーション通りに運ぶ事はないだろう。作戦時期は前倒しにしたから別としても、近いうちに桜花作戦でオリジナルハイヴを攻めるという情報は筒抜けになってしまっているのだ。地下茎構造がそのままとは限らないし、敵の配置も変わっているかもしれない。
 しかし、これが今出来る精一杯だ。後はぶっつけでどうにかするしかない。


 2002年1月14(月)

 ──06時50分。
 ヴァルキリーズが最後の訓練を完了し、最終ブリーフィングを経て戦術機の中で待機となってから3時間20分。
 駆逐艦射出まで残り十分を切った。凄乃皇四型も90番格納庫から出され、ロケットブースターを装着した状態で発射台にセッティングされている。
 カウントダウンも既に始まっていた。打ち上げ台の足元に設置された大時計が一秒ずつ時を刻み、射出の時が刻一刻と迫っている事を知らしめていた。
 基地襲撃を生き延びた兵士達は、祈るように六機の駆逐艦と凄乃皇四型を見詰めている。武とまりももその中に混じって、打ち上げの瞬間を待っていた。
「……いよいよね」
「……ええ」
『先のBETA襲撃により、我が横浜基地は致命的とも言える大損害を被ってしまった──』
 残り時間五分。全ての回線、基地中の全てのスピーカーから、基地司令の声が響いてくる。最後の訓示が始まった。
『奮戦虚しく、多くの命と貴重な装備が失われ、正に精も根も尽き果てんばかりであった──』
 その言葉に戦闘の熾烈さを思い出したのか、ある者は悲しそうな、またある者は悔しそうな表情を覗かせる。
『だが……見渡してみるがいい。この死せる大地に在っても尚、逞しく花咲かせし正門の桜のごとく、甦りつつある我等が寄る辺を。
 傍らに立つ戦友を見るがいい。この危局に際して尚、その眼に激しく燃え立つ気焔を──』
 しかし、それも司令の言葉通り、すぐに強靭な意志の光を取り戻す。確かに彼らは待つ事しか出来ない。送り出す事しか出来ない。見ている事しか出来ない。だが、だからこそ、死地へと赴くものたちが安心して笑って旅立てるように、普段以上に毅然としていなければならない。
『我等を突き動かすものは何か。満身創痍の我等が何故再び立つのか――
 それは、全身全霊を捧げ絶望に立ち向かう事こそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利に殉じた輩への礼儀であると心得ているからに他ならない』
 武がふとあたりを見渡してみると、そこには月詠たちの姿も見えた。
 今では晴れやかな顔をしているが、心中複雑なものもあっただろう。
 まるでこの事態を予見していたかの如き命令書で、武御雷を奪われた。前に武が巽や雪乃に、彼女達を横浜基地に残留させたのは、別に彼女達や冥夜の事を思っての事だけではないと言った事があるが、それを身に沁みて理解する事になったのだ。
 怨めしく思う事も無かったわけではないだろう。自分の機体さえあれば、A-01部隊に同行することが出来るのにと。だがその一方で、自分達が凄乃皇と連携を取るのが容易ではないであろう事も理解していた。だから今では、これで良かったのだと思っている。同行して足を引っ張ってしまうよりは、自分たちの武御雷だけでも一緒に戦う事が出来るのだから……と。それ故の晴れやかな顔だった。
 訓示は続く。
『大地に眠る者達の声を聞け。
 海に果てた者達の声を聞け。
 空に散った者達の声を聞け。
 ……彼らの悲願に報いる刻が来た。
 そして今、若者達が旅立つ。鬼籍に入った輩と、我等の悲願を一身に背負い、孤立無援の敵地に赴こうとしているのだ。歴史が彼等に脚光を浴びせる事が無くとも……我等は刻みつけよう。名を明かす事すら許されぬ彼等の高潔を、我等の魂に刻み付けるのだ』
 別の方を振り向いてみると、いつもの白衣を着た夕呼の姿もあった。どこか気の抜けた様子で凄乃皇の方を眺めている。彼女がこんな事を口に出して言う事は絶対にありえないが、やはり、元々軍人ではない純夏や霞を戦場に送り出す事が心苦しいのだろう。
 普段ならそんなそぶりを見せるような事もしないのだが、桜花作戦は既に夕呼の手から離れてしまった。そのためにいくばくか気が抜けてしまっているのかもしれない。夕呼も他の兵達と同じく、もはやこれ以上の手出しは出来ない。
 司令の訓示は続き、それはヴァルキリーズに対しての言葉に変わっていく。
『……旅立つ若者たちよ。
 諸君に戦う術しか教えられなかった我等を許すな。
 諸君を戦場に送り出す我等の無能を許すな。
 ……願わくば、諸君の挺身が、若者を戦場に送る事無き世の礎とならん事を──』
 この場に集まった兵達の総意を代表しているような司令の訓示が終わると共に、駆逐艦のブースターが点火された。残り数秒のカウントが減少し、ゼロに近付くごとに、まるでここにいる者たちの気持ちを代弁するかの如き轟炎を噴き上げていく。
 とうとうカウントダウンが終了し、大時計のデジタル表示にゼロが並ぶ。発射台から解き放たれた駆逐艦は辺りに轟音を響かせながら、その巨体を宙に浮かび上がらせた。
 地上に出ていた兵達は、祈りと願いを託し、決戦部隊を敬礼で送り出す。
 そして凄乃皇と六機の駆逐艦は、白煙の尾を引きながら、遥か天空の彼方へと昇りつめていった。

 しばらくの間、その余韻を残すように見送りに出た兵達は決戦部隊が飛び去った方向を見続けて動こうとしなかったが、やがて誰からともなく歩き始め、人の波が引き始める。やっておくべき事がある……ヴァルキリーズの帰還を信じて、彼女達を迎え入れる準備だ。誰も彼女達が負けるなどとは思っていない。そしてその後も、まだまだ戦いは続いていく。
「──さて、俺たちも行きましょうか」
 大空に描かれていた噴射煙がぼやけて溶け始めた頃、武がまりもに向かって言った。
「──ええ、そうね」
 そして、武とまりもは肩を並べ、発射台に背を向けて歩き始める。
「白銀、まりも──」
 その二人の行く手に夕呼が現れた。その表情にはほんの少しではあるが、普段見せる事の無い不安の色が浮かび上がっている。
 武たちはふっと微笑むと、大丈夫だから、と安心させるような表情で夕呼の肩にポンと手を置き、そして無言のまますれ違ってその場から立ち去った──



[1123] Re[5]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/06 12:42
 地球周回軌道 第三次降下作戦ランデブー点──
 ヴァルキリーズが周回軌道に打ち上げられて数時間、もうすぐ二度目の周回が終わろうとしていた。
 不思議と気持ちは落ち着いている。ただ、そうなるとコックピットの中に閉じ込められているのがもどかしい。
 突入殻に包まれた戦術機からは、外の様子を確認する事が出来ないのだ。せっかく宇宙に出てきているというのに、そんな気分は全くない。無重量状態ではあるが、強化装備とシートががっちり接続されているので身体が浮かんでしまうような事もなく、確かに体重は感じられないが、それにもすぐに慣れてしまい、ただ胃の辺りが何となく妙な感じであるというだけだ。
「……うん?」
 これではせっかくの宇宙を満喫出来ないではないか……と少し残念に思っていたみちるは、コックピット内で怪訝そうな声を上げた。突然データリンクが繋がったかと思うと、スクリーン一面に青く巨大な何かが表示されたのである。
 少し遅れて、それが地球なのだという事に気が付いた。
「──! 綺麗……」
 その雄大な姿にハッと息を呑み、そして自然とうっとりした言葉がこぼれ、見惚れてしまう。
 こうしてぼんやりと地球を眺めていると、地表で熾烈な戦闘が繰り広げられているようには見えない。だが、よく見てみれば、ハイヴが周辺に与えた影響を見て取る事が出来る。BETAの支配地域、特にハイヴの周辺には本当に何もない。ぽっかりと穴が開いたようになっている。
 それが認識出来ると、改めて、意地でもこの地球を取り戻してやるんだと、気持ちが昂ってきた。
「まったく……涼宮の奴め」
 口元に笑みを浮かべながら呟くみちる。勿論、遙にはヴァルキリーズを戦意高揚させてやろうなどという思惑があったわけではないだろう。ただ綺麗だからみんなにも見せてあげたい、その程度に考えて、この映像を配信しているのだ。
 そうしてしばらく、ぼんやりと地球を眺めていると、艦隊旗艦からの音声通信が入ってきた。
『──こちらは第3艦隊旗艦ネウストラシムイ。最終ブリーフィングを開始する』
 まず始めに、桜花作戦の状況が伝えられた。
 ユーラシアの各戦線では、最外縁部のハイヴに対して全軍が一斉に侵攻中。
 現在、作戦は第二段階で、国連軍と米軍の軌道降下部隊がSW115周辺を制圧中。しかし状況は芳しくない。
 部隊の損耗率は予想を遥かに上回っていた。
 BETAの異常な出現率は予測されていた事だが、それでもやはり限定された戦力では厳しいのだ。国連宇宙総軍の軌道戦術機甲兵力全て、それに米軍戦略軌道軍が加わっていたとしても、圧倒的物量を誇る敵と対峙するためには、やはり戦力は絶対的に不足していた。
 今の人類に出来る精一杯……それでも全然足りなかったという事だ。だからと言って、作戦が中止になる事などありえない。
『──従って、作戦司令部は第三段階移行のタイミングの繰上げを決定した』
 つまり、SW115周辺の戦力が健在であるうちに、あ号標的攻撃部隊──ヴァルキリーズを降下させよう、というのである。
『では、再突入の詳細を説明する──』
 ネウストラシムイ艦長は説明を続ける。
 当初予定されていた、再突入殻の降下軌道投入プランは全て破棄。現周回を以て全艦隊は再突入し、降下部隊の地表到達率を高める。次の軌道周回の後では、恐らく地上部隊の全滅は免れないからだ。先行部隊によってレーザー種が減らされているうちに突入するのである。
 まず、爆撃装備の第1、第2戦隊が先行、その420秒遅れで降下部隊を輸送する第3~第5戦隊が続く。
 A-01部隊を輸送する第5戦隊各艦は、凄乃皇四型の更に後方、艦隊最後方に配置となる。凄乃皇のラザフォード場の後ろに付く事で、一番無防備になる再突入時の対レーザー防御を完全にする狙いだ。
 そして再突入シーケンス。先行した第1、第2艦隊が再突入開始900秒前にAL弾を全弾分離。その後、全艦隊形を維持したまま再突入開始。電離層突破後に再突入殻を分離し、各艦は最大加速。侵攻軌道を先行し、エドワーズへと向かう……つまり、先行投下したAL弾の効力が低かった時のために、駆逐艦自身が加速して囮になる。
 この作戦において、現存する艦隊全てが凄乃皇四型とA-01部隊の楯になるというのだ。しかし、たとえそれだけの犠牲を払ったとしても、A-01部隊をあ号標的に向けて送り込まなければならないのである。
『──全艦減速開始! 再突入回廊へ進入せよ!』
 ネウストラシムイ艦長の号令により、降下作戦が開始された。
『減速開始、A-04軌道降下。データリンク正常、軌道制御は艦隊と完全に連動中。ML機関起動』
 遙の通信で凄乃皇四型が降下シーケンスに入ったことが知らされる。
「──ヴァルキリー1より各機、SW115で会おう」
『──了解!』
 そして、各艦は次々と再突入回廊へ飛び込んでいった。
『──大気圏突入、ラザフォード場展開。次元境界面の歪曲率、許容値以内』
 大気圏突入のためにML機関を臨界運転している事から、純夏の容態は些か不安定になってはいるものの、霞のサポートもあって、ラザフォード場の出力は何とか安定していた。
 A-01収容の各艦は、凄乃皇四型の後を追うように同一軌道を降下している。
『電離E層突破。機関正常──』
 その時──凄乃皇四型とリンクしている伊隅機のコックピット内に警報音が鳴り響いた。
「なんだ……!? ヴァルキリー1よりヴァルキリー・マム、状況を報告せよ!」
『──第1、第2戦隊が多数のレーザー照射を受けています!』
「な、なんだって……!?」
『第1戦隊の80%が轟沈、第2戦隊も50%を切りました!』
「重金属雲はどうなっている!?」
『濃度不足です、敵はAL弾をほとんど迎撃していません!』
「何だと!? 先行部隊はそれで成功したと言うのに……もう対処したと言うのか? いや──狙いは最初から凄乃皇……なのか?」
『──ラザフォード場に高出力照射……次元境界面が不安定化しています』
 霞の声が通信に割り込んでくる。
『──数十体の重光線級が焦点を合わせているようです……このままでは……』
「くっ……社、機関出力最大だ!」
『──純夏さんに大きな負担が掛かっています……機関出力安定しません……!』
「頼む、耐えてくれ鑑……ッ!」
 今のみちるに出来るのは、ただ祈る事だけしかない。不安定になった純夏が、重光線級のレーザー集中照射に耐えられるように。
 回避行動を取れればいいのだが、それは出来ない。仮にここで回避をすると、降下コースから大きく外れてしまう事になる。それで下手なところに降下してしまえば、それこそレーザーの餌食になってしまう。
 駆逐艦艦長たちは凄乃皇に回避行動を取らせようとしたが、みちるは前述の理由でそれを拒絶した。
 しかし、重光線級のレーザー照射は一向に止む気配がなく、凄乃皇は相変わらず集中照射を浴びている。
 その状況に耐え切れず、艦長たちが今にも凄乃皇の前に躍り出て楯となろうとしていた、その時。
 伊隅機のコックピット内に響いていた不快な警報音が、突如鳴り止んだ。
「え……!?」
『──ラザフォード場の次元境界面安定。機関出力曲線、定常値へ回復中』
『──レ、レーザーが……!?』
「照射が、止んだだと……?」
『──ヴ……キリ……よりヴ……キリー……聞こ……か……!』
 そして、ノイズ交じりの通信が、みちると遙ののヘッドセットから聞こえてきた。
「これは……涼宮、信号を増幅してみてくれ」
『──了解』

『──ヴァルキリー0よりヴァルキリーズ各機。遅れてすまない! 地上のレーザー種は全て片付けた。安心して降下してこい!』
「じ、神宮司少佐!? どうして!?」
『ふふふ、別の任務があるって言ったでしょ?』
 少し悪戯っぽい声で答えるまりも。
「し、しかし、我々とは一緒に行かないと……」
『だから一緒には来なかったでしょ? でも、行った先で偶然バッタリ出くわして、成り行きで合流するなんて事はあるかもしれないけどね』
「──ひょっとして、白銀少佐もそこに?」
『まあね』
「~~!! まったく、あなたたちという人は……!」
 そういうみちるの顔も、抑えても抑えきれない笑みが浮かんでいた。
 武やまりもは、別にみちるたちを脅かすために先回りしていたわけではない。純夏が武の参戦を拒絶していたので、拒否出来ないような状況を作り出したのだ。今更帰れと言われても、帰る術などありはしない。唯一生還する可能性といえば、あ号標的を撃破した後、一緒に離脱する事のみ。ならば純夏も同行を承諾せざるを得ない、というわけである。
『──ヴァルキリーマムよりヴァルキリーズ各機、SW115まで約2500! 突入部隊各機、強硬着陸準備!』
『──了解ッ!』

 オリジナルハイヴ南西87km地点・SW115──
『あの子たち、大丈夫だったかしら……』
 まりもは襲い掛かってくる要撃級を斬り伏せながら武に話しかけた。
 データリンクでは凄乃皇もヴァルキリーズを乗せた駆逐艦も健在となっているが、直接無事を確かめるまでは、やはり心配なのだ。
「大丈夫ですよ、純夏を信じましょう」
 武は突進してきた要撃級の首を短刀で飛ばしながら返事をした。とりあえず、これで今のところ地表に展開していたBETAは掃討完了だ。
 重光線級がAL弾を撃墜しなかった事で、地表に展開していた国連軍、米軍部隊共に壊滅状態になってしまい、重金属雲も発生せず、凄乃皇がレーザー照射を受ける事になってしまったわけだが、ダメージを受けたのは地表に展開していたBETAとて同じ事。
 重光線級は他のBETAに守られていたからそれなりの数が残ったというだけで、BETA群全体としては、通常の支援砲撃をまともに受けたに等しい状況になっていた。AL弾といっても、使われているのはAL弾頭を使用した多目的弾頭。通常の砲撃支援としても通用するのだ。
 武たちは咄嗟に門に進入してAL砲弾の雨を躱し、その後、まずレーザー照射中の無防備な重光線級を潰し、それから残ったBETAを殲滅していったというわけだ。
「──っと……来たッ!」
 戦域情報に軌道降下部隊のマーカーが現れ、次の瞬間、空を引き裂いて落下してきた突入殻が地面に突き刺さる。その数12。
「降下したのはヴァルキリーズだけか……さすが、いい判断だ」
 大方、みちるがこの状況では足手纏いだとでも言って突き返したのだろう。実際、国連軍部隊を連れて歩いていては、作戦の成功率は確実に低下する。
 最初は、純夏には悪いが、やはりヴァルキリーズ以外の部隊には全て囮になってもらおうと考えていた。しかし予想以上の敵の出現率、そして先程の撃墜されなかったAL弾で、国連軍、米軍部隊とも、既に壊滅してしまっている。
 先行降下部隊で戦闘続行が可能なのは、もはや武とまりもの二人だけだった。
 その状況で新たに国連軍二個中隊が加わったとしても、実際、囮にもならない。そして一緒に行動する以上、ヴァルキリーズや純夏は、必ず彼らのサポートをする。それで進軍速度が遅れるのは目に見えている。だがそこまでやっても、恐らく彼等が全滅してしまうのは免れない。
 それならば、覚悟を決めてきた国連軍の衛士たちには申し訳ないが、最初からいない方がいい。ヴァルキリーズの進軍速度は上がるし、人類は戦力を少しでも多く残す事が出来る。
「さて、サポートに行きましょうか」
『──了解』
 武とまりもは降下の衝撃に備えて取っていた距離を連続噴射跳躍で詰めていった。一番無防備になる、突入殻を離れて地上に軟着陸する瞬間をBETAに狙わせないためだ。
 一番手に降下してきたのは、黒い武御雷──美琴だった。突入殻分離をギリギリまで待ち、通常に比べて遥かに大きな運動エネルギーを、地表に激突する寸前、反転全力噴射でキャンセルしたため、いち早く地表に降り立った。
「よう美琴、お疲れ。宇宙旅行は楽しかったか?」
『──え? あ、うん、凄かったよ~、地球がすっごくきれいでねえ……ってそうじゃないよ! 本当にタケルなの!? どうしてタケルがここにいるの!?』
 鎧衣課長で鍛えられているのか、美琴は武に誤魔化される事なく質問をぶつけてくる。ともかく、この疑問は当然だろう。横浜基地で駆逐艦発射を見送ったはずの武とまりもが、いつの間にかポイントSW115に先回りして戦っていたのだ。
『……何故そなたがここにいるのだ。私はそなたがこのようなところへ来ずともよくなったと、内心喜んでいたのだがな……これでは台無しではないか』
『まったくだわ』
 垂直噴射を使って降下してきた冥夜がポジションにつきつつ、不服そうに言った。千鶴もそれに同意する。口には出していないが、慧も壬姫も美琴も同じくどこか不満げだ。
「まあでも、そのおかげで助かったんだからいいじゃないか。結果オーライだぞ?」
『それはそうだけど……』
 そうしているうちに、凄乃皇四型を中心としてポジションが完成する。
「ま、種明かしってほどでもないけど──」
 武とまりもはヴァルキリーズを見送った後、不知火で陸路を帝国軍羽田基地まで移動、そこから駆逐艦に乗って周回軌道に上がり、第一陣の国連宇宙総軍の後ろにくっ付いて一緒に降下した、というのである。
『は、羽田ですって? どうして駆逐艦が羽田にあるのよ?』
 千鶴が驚いた様子で訊ねてくる。確かに羽田基地には駆逐艦は配備されていない。というか、帝国は宇宙軍を持っていないので、関東一円で駆逐艦が配備されているのは国連軍の横浜基地と横須賀基地だけである。しかし横須賀は国連の基地である以上、純夏に対して情報が洩れてしまう可能性があった。だからわざわざ帝国軍の羽田基地まで駆逐艦を持って行ったわけだ。
 そんな裏事情があるわけだが、さすがにそれを説明するわけにはいかない。と言うわけで、武はわざと論点をずらした説明をする。
「ん? ああ、基地襲撃のケリがついた後、お前らが寝てる間にな……戦車で引っ張って持ってった」
『戦車って……で、でも、そもそも羽田基地にシャトルの発射台なんてないじゃない』
 宇宙軍が無く、駆逐艦が配備されていないのであれば、当然ながらその発射台も存在しない。
「開発中の新型ブースターユニットを使ったんだ」
『新型、ブースター……?』
「それ使ったら発射台なしで水平状態からの発射が出来るんだよ。滑走路のケツにアンカー打ち込んでさ、それと駆逐艦をワイヤーで繋いで、主機の推力が最大になったところでプッツン」
『……それで?』
「艦首部分には斜め下向いたブースターがセットしてあってさ。それで頭を浮かせれば、あとは後ろのブースターで上に加速してくだろ?」
『そんな無茶苦茶な……』
「でもさすがにあの揺れは怖かったな。駆逐艦って艦首にブースターつけるような設計になってないから、本当はそれ用に改修した機体を使わなきゃ拙いんだけど、時間無かったから既存のまま使いまわしてさ」
 武は妙に楽しげな様子でアハハハと笑う。
『そんな危険な事するくらいなら、ボクたちと一緒に来ればよかったじゃないか。そんなつまらないことで死んじゃったらどうするんだよ!』
 美琴が責めるように言う。だがそれも当然の話だろう。武たちが先行したから重光線級の照射を何とか出来たというのは結果論でしかない。二人が作戦に参加するなら間違いなく突入部隊となるのだから、わざわざリスクを冒してまで別行動を取る必要などどこにも無く、一緒に来るべきだった、というのである。
 だが、純夏の目を誤魔化すためだったなどと説明する事は出来ない。
「まあなんだ、お前らの露払いだよ。結果としてこの作戦は正解だったんだから、それでいいじゃないか」
『う、うん……』
 どこか納得がいかなさそうに頷く美琴。
『──白銀。チェック完了したわよ』
 そこにまりもからの通信が入った。降下の衝撃で機体や兵装に異常がないかどうかチェックしていたのだが、全て問題なし。
「よし……それじゃ行こうか。──伊隅大尉、よろしく!」
『──は。ヴァルキリー1より各機、これより進撃を開始する!』
『──了解ッ!』
 A-01部隊は隊形を維持したまま、門に侵入していった。
「──霞」
 地下茎構造に突入してすぐ、武は霞だけに回線を開き、話しかける。
『はい』
「純夏に悪かったって伝えといてくれ。文句は後でいくらでも聞くからって。……でもやっぱさ、放っとけないから」
『──はい』

 オリジナルハイヴ・第24層広間18──
「想定以上か……まあ当然だよな」
 武は呟く。
 進攻開始から四時間弱。未だ半分も進めていない。一応、手持ちのデータで敵の一番少ないルートを選択しているのだが、それが間違っているのではないかといえるほどの敵出現率だった。
 だが、データ自体が使えなくなっているという事はないだろう。桜花作戦の詳細を詰めたのは、情報漏洩が判明して横浜基地の反応炉を止めた後の話だ。よって作戦の詳細までは漏洩していない。
 勿論、プランとしていくつかあげられた中にこのルートも登録されていたが、BETAのこれまでの対応から、それは考えにくい。
 純夏経由で漏洩した情報は、甲21号作戦の時にも既にBETAに伝わっていたが、甲21号、20号作戦とも、戦術、戦略的に何か手を打たれたということはなかった。どちらも純夏に対して何かを仕掛けてきていただけだ。今はバッフワイト素子を使って、霞だけを許可してあとは全てブロックするような設定にしてあるので、純夏がリーディングやプロジェクションを受けてしまうような事はない。その代わり、BETAに対するリーディングやプロジェクションも出来なくなっているが、今更それも必要ないだろう。
 それはさておき。
 BETAが人類側の戦術に対して何かアクションを起こす時は、必ず後手に回っている。横浜基地襲撃とて、軌道降下作戦をBETA流に置き換えていただけだし、突撃級の死骸を楯にした事も人類の研究結果から引用したに過ぎず、予測される可能性に対してあらかじめ何らかの手を打っていたという事はない。
 つまり、時間経過に応じた多少の配置変更はあったかもしれないが、このルートが進攻ルートになる事を予見して、あらかじめ戦力を集中させていたとは考えにくいのだ。
 だとすれば初期配置など関係なく、侵入を察知して戦力をリアルタイムで集中させているという事になる。
 もっとも、その説明も不可能ではない。まず、凄乃皇のML機関に引き寄せられているのは間違いない。
 そしてもう一つ。ここにはML機関の他にもBETAを強烈に引き寄せてしまう要素がある。武の存在だ。横浜基地襲撃の際、反応炉やML機関を目指すBETAを足止めしていた時、その約半数ほどが武に殺到していた。という事はBETAから見た武の優先度は、稼働中のML機関と同等以上という事になる。そう単純な話でもないのだろうが、ML機関と武とで、想定していた倍、敵を引き付けているといえるのではないだろうか。
 だから武は、この状況を当然と言ったのである。
 しかし理由がどうあれ、状況が厳しい事には変わりはない。
「──霞」
『──はい』
 武は霞に回線を開いた。
「純夏の具合はどうだ?」
 白銀機からでも、バイタルデータのモニタリングは出来る。あまり調子が良くなさそうだという事は分かっているが、リーディングやプロジェクションで繋がっている事から、細かい事に関しては霞の方が詳しい。
『──あまり思わしくありません』
「そうか……無理はするなと伝えといてくれ」
『──分かりました』
 通信を切り、武は軽く溜息をついた。
 ここまでのところ、凄乃皇は特に攻撃を受ける事なく進んできている。その代わり直援部隊がその攻撃を引き受けているので、そっちの状況が厳しくなっていて、何度か敵の攻撃を受けてしまうような場面も見られた。
 しかしその都度、純夏は攻撃を受けた機体を包み込むようにラザフォード場を展開し、防御を肩代わりしていた。そうやって敵の攻撃が不自然に弾かれる様子が、後ろにいる武には良く見えるのだ。
 結局、純夏は負担を自分で被っているのだ。だが、それをやめろと言っても、純夏は絶対にやめはしない。最初は一人で出撃すると言っていたほどだ、ヴァルキリーズを危険に直面させ、彼女達を楯にするような形で護ってもらっている事すら、申し訳なく思っているのだろう。
「そうなるとあとはヴァルキリーズの練度次第、って事か……」
 この先、純夏に圧し掛かる負担は、ヴァルキリーズがどれだけ敵の攻撃を受けずに敵を倒せるかに懸かっている。
 だが、あまり状況は芳しくない。
 確かに、ヴァルキリーズはハイヴ内で敵の攻撃を回避しながら進攻するスペシャリスト集団といってもいい。
 今回も勿論、スピード勝負の作戦であるのだが、そうは言っても甲21号作戦の時のように徹底的な回避重視で進む事は出来ない。自分たちが無傷ならそれでいいというわけでもなく、また凄乃皇四型の巨体が故に、どうしても倒さざるを得ない敵の数が増えてしまっているのだ。
 本当なら武も最前線に躍り出てBETAの相手をしてやりたいのだが、それは出来なかった。BETAを引き寄せる武が前衛に留まると、行く手を阻む敵、つまり倒さねばならない敵が増えてしまうのだ。そんな事をすれば、確実に進攻速度は低下してしまう。
 もっとも、その代わりに武が最後尾のさらに後ろに陣取る事で、後続の大半を引き止める事になっているのだが。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13、師団規模のBETA群接近中。5時の方向、距離5500』
 遙から通信が入る。敵の後続が追いついてきたようだ。
「──ヴァルキリー13了解。進攻速度は上げられそうか?」
『少し手間取っています。こちらにも増援が現れていますから』
「そうか……じゃあ、半分はこっちで引き受けるよ。まず──」
 武は作戦の説明を始めた。
 まず、後続が追いついてこないうちに白銀機が最大戦速で凄乃皇との距離を一気に詰める。
 そして凄乃皇に追いついた時点で敵増援に対して攻撃開始。手当たり次第に攻撃して、敵後続が2000まで接近したところで反転、陽動を続けながら後退。恐らく、敵の約半数は武を狙って追撃してくるはずなので、その状況が発生した時点でヴァルキリーズと凄乃皇はその場を威力制圧しつつ前進。
 白銀機との距離が5000を越えた時点で武は陽動を中断、最大戦速でヴァルキリーズと合流。
「……って作戦でいこう」
『──しかし、それでは少佐がBETAの中で孤立してしまう事になりますが──』
「短時間なら大丈夫。当たらなければどうって事ないんだから──それじゃ、作戦説明と移動開始のタイミング、よろしく」
『──了解。ヴァルキリー・マムより各機──』
 遙が手早くブリーフィングを済ませ、部隊に作戦を周知させると、それを合図に武は凄乃皇に向かって飛び立った。
 まずは右──右翼後衛A小隊の戦っているところへ突っ込んでいく。
『──タケル!?』
「たま、サポート頼む」
『──了解ッ!』
 まず、美琴の周辺にいた要撃級に向かって突進し、両手に持った短刀で手当たり次第に斬り付けていく。瞬時に三体の要撃級が倒れると、噴射跳躍からの宙返りをしながら87式突撃砲に持ち替え、目に付いた突撃級の尻や戦車級に向かって乱射。そしてみちるの搭乗する赤い武御雷と背中合わせになるように着地した。
「伊隅大尉、少しの間、臨時で二機連携よろしく」
『──了解!』
 そして、武とみちるは同時に突出した。狙いは右翼側にいるBETA群全て。だが、敵全部を倒す必要はない。とにかく敵の注意を武に引き付けて、一時的に撃墜優先度を上げてやるだけでいいのだ。
 武はみちると背中合わせになってお互いをサポートしながら、敵を攻撃して回っていく。とは言っても勿論、倒してしまうに越した事はないので、攻撃可能な位置に要撃級や戦車級がいれば、そちらを優先する事にはなるのだが。
 そうして手当たり次第に手を付けて敵の注意が武に向いたところで、みちるとの二機連携を解消し、今度はサイドを左に大きく振った。
「涼宮! カバーよろしくッ!」
 今度は茜に背中を預ける武。
『了解ッ!』
 そして左側面の敵に向かって突出する武と茜。
 武は自ら攻撃を仕掛けながらも、揺さぶりもかけて、そこを茜に狙わせる。
 元々、突撃前衛を志望し、特性も突撃前衛向きな茜は、今はポジションの関係で近接戦闘用の装備を短刀しか持ち合わせていない。しかし長刀の代わりに突撃砲を使い、斬り付ける代わりに零距離射撃で次々と敵を撃ち抜いていった。
 少しの間そうやって茜と共闘すると、武は今度は噴射跳躍で中隊の最前列に躍り出る。
「次はそうだな……築地」
『はーい!』
 どこか気の抜けた声で返事をし、B小隊を抜けて白銀機の背中につく築地。
『じゃあ、私が掻き回すね!』
 そう言って築地は突出する。F-22Aの機動力を最大限に利用して、敵の密集している場所を駆け抜けていった。まるで猫が鼠をいたぶって遊んでいるように無邪気な残酷さで容赦なく隙を作り出し、一方の武もそこを確実に突いて敵を仕留めていく。
 その後も、武は凄乃皇の周りを駆けずり回り、その都度二機連携を組む相手を変えながら敵を撃破していった。
 単機で突出して戦うのもいいが、やはり二機連携を組んだ方が殲滅速度は速い。ポジションチェンジするたびに組む相手が変わっていくのは、そうする事によってより武への注目度を高める狙いがあるのだが、それはさておき。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13! 敵後続との距離2000、陽動を開始せよ!』
「──ヴァルキリー13了解」
 ヴァルキリーズを一巡して、まりもと二機連携を組んでいた時、遙から作戦を次の段階に移行させるように命令が入った。
「それじゃまりもちゃん、また後で」
『ええ、気をつけてね』
 武はその場に踏み止まり、少しずつ凄乃皇から離れ、後退を始めた。それに応じて、凄乃皇を取り囲んでいたBETAのおよそ半数が、武に追随する。
 既に凄乃皇はあと少しで広間を出ると言うところまで前進している。武が加わって暴れまわった事でBETAの数も減っている。更に武が残った敵の半分を引き付けた。そこを威力制圧して強行突破する事は、さして困難な事でもないだろう。
 当初の目論見どおり、凄乃皇は敵増援を振り切って広間を抜け、次の広間へと続く横杭に侵入していった。
「さ~て……お前らはここで足止めだぞ、と」
 武はニヤリと笑いながら言った。
 この戦いでは、敵を倒す必要はない。いちいち相手にもしていられない。
 基本的にA-01部隊の進攻速度の方がBETAの追撃速度よりも速いので、追いつかれる事はない。勿論、前方に敵が現れて進攻速度が低下した時には後続に差を詰められる事になるが、そうなった場合に追いつかれてしまわないために、武がこうやって後続を押し止める事で渋滞を発生させ、時間稼ぎをしている。
 そして追いつかれない事を前提に考えれば、敵の数を減らしておく必要などないのだ。
 ちらりと戦域情報に目をやると、そろそろ予定の間隔が達成されようとしていた。そこに正確な距離を表示させようとしていると、その半透明のウィンドウの向こう側から、要撃級の前腕が迫ってきた。
「おっと……」
 短縮噴射でヒョイとその前腕に飛び乗り、そのついでに要撃級の体の上を歩いて短刀で首を刎ねる。
「注意一秒、怪我一生……だな」
 開いていたウィンドウを閉じ、戦闘に集中していると、通信が入る。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13! A-04との距離5000! 陽動を中断して直ちに合流せよ!』
「──ヴァルキリー13了解ッ!」
 武は突撃級を踏み台にし、要塞級の背を蹴って宙に躍り出ると、そのまま跳躍ユニットの出力を上げて匍匐飛行で次の横杭に入った凄乃皇に向かって飛び始めた。
「……涼宮中尉がいてくれてよかったよ、ほんと」
 しみじみと呟く武。
 こういう時は戦域管制の存在が実にありがたかった。作戦遂行時の状況確認や通常の警戒は全て遙に任せておけばいい。余計な確認に気を取られて危険に晒される事が圧倒的に少なくなる。
「さ、急ごう」
 武は更に出力を上げると、最大戦速でヴァルキリーズのところに向かった──



[1123] Re[6]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/06 12:42
 オリジナルハイヴ・第53層広間44──
「ふぅ……さすがに厳しいな」
 武は襲い掛かってくる戦車級を短刀で払い落としながら呟いた。
 ここは最初に立案されていた作戦で随伴する事になっていた米軍部隊がい号標的──アトリエ制圧のために分岐するとされていたポイントだ。そして、ここが最後の分岐で、通過してしまえば後はあ号標的ブロックまで一本道。横杭とも縦杭ともいえないような空間を、主広間に向かって一気に駆け下りていく事になる。
 だが、さすがにそこまで奥まったところに来てしまえば、敵の増援も半端ではない。
 特に、ここで後続を何とかしておかなければ、主広間に配置されている敵との間で挟撃を受けてしまう可能性が大きい。
 武は、最悪一人でここに踏み止まって、後続を全て引き受けようなどと考えていると──
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー1』
 遙がオープン回線でみちるを呼び出した。みちるに対して話しかけてはいるが、しかしこれは全員に聞かせたい話なのだろう。
『──こちらヴァルキリー1。どうした涼宮』
『後続を一気に断つため、地下茎構造を崩落させる作戦を提案します』
『……いいだろう、言ってみろ』
『まず、これを見てください』
 遙は凄乃皇から各機に向けて、とある画像を配信した。
『これは……?』
 スクリーンに映し出されたのは、地下茎構造の断面だ。
『これまでの敵増援時の振動波伝播パターンを逐一チェック、比較していたのですが、それによると、内壁の構造と材質の密度は一律ではないとの観測結果が出ています』
 スクリーン表示が、強度別に色分けされたものに切り替わる。
『このように、複雑な構造パターンを組み合わせて、壁面全体で強度を確保しているんです』
 更に画面が切り替わる。
『強度の低い部位を狙えば、S-11単発の破壊力で内壁に穴を開けることが可能です』
 画面は、広間の出口付近の断面に切り替わり、赤い枠線でいくつかのポイントが示されていた。
『これが低強度の部位ですが、そのうち──』
 ピッピッと音が鳴り、枠線は四つに絞られる。
『この四ヶ所を同時に破壊すれば、広間の出口周辺の地下茎構造は衝撃と土圧で一気に崩壊するはずです』
「…………」
『これを踏まえた上での作戦です。まず──』
 まず後方で単独陽動を行っている武が隊に合流、まりもとの二機連携を復帰させて最前列に配置。二人をツートップとして突破力を上げ、その後ろからB小隊が楔壱型隊形で追随。正面の敵を突破して広間の出口までの進路を確保。A、C小隊はそれぞれ右翼、左翼を守りつつ後方も警戒。
 そして凄乃皇を主広間へと繋がる横杭に送り出し、ヴァルキリーズも凄乃皇の直援として一緒に横杭へ。
 武は陽動班α3とし、単機で広間出口に踏み止まり、敵増援の追撃を阻止、広間出口から2000の位置まで徐々に後退。
 その間に凄乃皇は広間から4000まで前進。ヴァルキリーズは武の陽動から漏れたBETAを速やかに排除。
 凄乃皇の周囲がクリアになった時点で、まりも、美冴、晴子、美琴の四名を爆破作業班α1、水月と築地をその直援α2として臨時編成し、S-11を準備、反転して広間に引き返す。残りはそのまま凄乃皇の直援。
 α1、α2が広間に到着する頃には、BETA群はα3の陽動に引き寄せられて出口周辺がほぼクリアな状態になっているはずなので、その場を速やかに制圧。引き続きα1はS-11設置作業に入り、α2は周囲を警戒しつつ、作業中のα1の護衛。α3は引き続き陽動。
 S-11設置完了後、タイマーを60秒にセット。α1、α2、α3は全速で広間を離脱。そして爆発までに全機、凄乃皇のラザフォード場の陰に入って対衝撃防御──
『──以上です』
『…………』
『──大尉?』
『ああ、いや……即興で良くそこまで考えたものだと思ってな』
『いえ……私は直接戦闘に出られませんでしたから。だから、何かの役に立てばと思って、横浜や佐渡島ハイヴのデータを研究していたんです。それで』
『なるほどな。……しかし、60秒はいくらなんでも短すぎるんじゃないか? それでは白銀少佐が』
『いえ。敵の増援を横杭に侵入させないためには、これが限界です。もし横杭にBETAが進入したとしても対処出来ないわけではありませんが、長ければ長いほど、取られる時間も確実に大きくなってしまいますから』
『──そうか……分かった。白銀少佐、これで構いませんか?』
「OKOK。大丈夫、全然問題ない」
 みちるたちの後方で敵を引き付けている武は、軽い調子で返した。
『──作戦開始は白銀少佐の突出に合わせる。いいな』
『──了解!』
「それじゃ、始めようか」
 武はヒョイヒョイと敵の包囲を突破すると、アフターバーナー全開であっという間に凄乃皇を追い抜き、部隊の最前列に躍り出た。
『おかえり、白銀』
 何時間ぶりかで隊の中に戻ってきた武に言葉をかけるまりも。
「ははは……まりもちゃん、ただいま。さ、行きましょう」
『ええ。──B小隊、遅れるなよ!』
『──了解ッ!』
 武とまりもは横並びになると、先陣をきってBETAの集団に突っ込んでいく。突撃前衛のB小隊も、負けじとそれに続いた。二人を加え、これまで以上の突破力を得た前衛は、みるみるうちに敵を掻き分け、進路をこじ開けていった。
 凄乃皇やAC小隊もそれに続き、瞬く間に広間出口まで辿り着く。
『──α3陽動開始、A-04とヴァルキリーズ各機は最大戦速で前進!』
『──了解ッ!』
 遙の合図で武はその場に留まり、凄乃皇は横杭の先に進んでいく。
「さあ、やってやるか……!」
 武はピョンピョンと跳び回りながら敵を引き付けて、少しずつ広間の中へ後退していった。

 数分後。横杭を先行したヴァルキリーズは、僅かながら追撃してきたBETAを殲滅。
『──距離、前後2000に敵影なし。α1、α2は爆破作業の準備』
『──了解』
 遙の指示で、まりもたちは凄乃皇に溶接されたコンテナから、S-11を取り出した。
『──α1、α2は移動を開始せよ』
『──了解!』
 そして、まりもたちはBETAのいない横杭を進み、広間まで引き返していく。
 武の陽動が完全に機能しているのか、広間の出口付近に到達した時、周辺にBETAは一体もいなかった。
『──α1よりヴァルキリー・マム、広間に到着した。これより作業を開始する』
『──ヴァルキリー・マム了解。α2は引き続き周囲を警戒せよ』
『──α2了解』
 水月と築地は、爆破作業班を護るように左右に展開。同時に、まりもたちが地下茎構造の内壁に取り付いて、作業を開始する。
 やはり、この中で作業スピードが頭一つ抜けているのは美琴だ。鎧衣課長に仕込まれているのか、サバイバル技能の他に工兵技能にも長けている。その能力を存分に発揮し、一番乗りで作業を終えた。
『──ヴァルキリー9、S-11設置作業完了! ヴァルキリー7の支援に回ります!』
 そして、美琴は晴子の作業を補助するために移動した。
『ありがとう鎧衣、助かるよ』
『ううん、急がないとタケルが危ないからね』
『そうだね。慌てずに急ごう』

『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13! 現在距離2100、少し離れすぎています。距離を維持してください』
「──ヴァルキリー13了解。……危ない危ない」
 武はゆっくりと距離を詰めていく。タイマーの60秒と言うのは、ここから敵を躱して凄乃皇の位置に到達するまでの、それなりにギリギリな時間となる。逆に言えば、それに合わせて爆発までの時間が決められている。
 仮に間に合わなかったところで、S-11の爆発の影響を直接受けるわけではないが、衝撃波は伝わるので、万が一を考えると凄乃皇四型のラザフォード場の向こう側にいた方がいい、というわけだ。
 戦域情報に軽く目を通す。美琴とまりもは既に自分の持ち場を離れ、それぞれ晴子と美冴の側についている。作業はすぐに完了するだろう。
「っと……きたか」
 美冴と晴子のマーカーも動き始めた。
『──ヴァルキリー・マムより各機、α1のS-11設置作業が完了。カウントダウン10秒前──』
 武は戦域情報を消し、出口へ抜けるための進路を探す。
『──5秒前……4……3……2……』
 手近なBETAを踏み台にして、要塞級の頭上に駆け昇る。
『──1……ゼロ! カウントダウン開始、S-11爆発まで60秒!』
「よっし──吶喊!」
 遙の合図と共に、武は水平噴射跳躍でまずは広間の出口目指して進攻を開始した。
 後続はともかく、先程引き寄せたBETAは全て前方に位置している。最初にそれを避けて通らなければならない。もっとも、ハイヴ突入からこっち、進攻ルートは全て直径400m以上ある横杭や縦杭が選択されている。ここも例外ではない。
 ハイヴ内ではレーザー種はレーザー照射してこないので、それを除けば、唯一長い射程を持つのが要塞級の触手なのだが、それでさえ触手全長と躯の大きさを合わせても、せいぜい100mが射程の限界となる。それ以上床や壁、天井から離れてしまえば、一切の攻撃を受ける事はない。たまに天井から降ってくるBETAにさえ気を付ければいいだけだ。
 若干フライング気味でスタートしてBETAの包囲を抜けた武の不知火は、アフターバーナー全開の最大速度で広間を抜け、横杭に突入した。ここまでおよそ17秒。残り距離4000、特にトラブルさえなければ余裕で間に合う距離だ。ただ横杭に入ってしまえば、まっすぐ飛ぶだけでいいというわけにはいかない。そしてスピードが出ているだけに、内壁にでも激突しようものなら一発でお陀仏、あの世行き決定だ。
「ま、通路も広いし問題ないか」
 一応、クランク等は存在するものの、最低でも直径で400mの横杭が選択されているだけに、戦術機のサイズから言えばそれなりに緩やかなカーブを描く事になる。いくらスピードが出ているとは言っても、普段やっている機動に比べれば決して困難だというわけではなく、問題なく凄乃皇に辿り着いた。残り時間は6秒。余裕だった。
 そしてラザフォード場の陰に入って待つ。カウントゼロと同時に轟音が響き、あたりはズンと一度大きく揺れ、横杭内を爆風による衝撃波が通り抜けて行った。
『──振動パターンから目標地点の崩落を確認。横杭内に侵入したBETAはいません』
 遙が凄乃皇による計測データから状況を割り出した。作戦は成功。
 これでとりあえずしばらくの間、挟撃を受ける事はなくなるはずだ。いずれは塞がれた通路を越えてやってくるだろうが、それには時間がかかる。そうなる前にあ号標的ブロックに到達してしまえばいい。
 ヴァルキリーズは隊形を整え、進撃を開始した。

 オリジナルハイヴ・主広間手前5000──
『──よし、ここで補給をしておこう』
 みちるの指示で、ヴァルキリーズ各機は最後の補給を開始し、滞りなく完了した。
『ではこれより、ブリーフィングを開始する──』
 作戦の確認がみちるによって行われる。まずは状況確認から。ヴァルキリーズ各機、凄乃皇四型とも、これと言ったダメージは無し。
 確かにヴァルキリーズの練度は極めて高く、実際にフェイズ4ハイヴを攻略したり、シミュレーションではフェイズ5ハイヴ攻略の成功率も100%を叩き出しているが、フェイズ6、それもオリジナルハイヴともなると、それだけで被害をゼロに持っていけるほど甘い場所ではない。ここまで無傷で来られたのは、やはり純夏によるサポートがあったればこそだ。
「──霞」
 作戦の最終確認が進む中、武は霞を呼び出した。
『──はい』
「純夏の具合はどうだ?」
『……純夏さんは大丈夫だといっています……ですが、良くありません』
「最新のバイタルデータ、送ってくれ」
『はい』
 凄乃皇から白銀機へと、純夏のバイタルデータが転送される。
「…………」
 それを見ても、やはり状況は思わしくない。これまでの統計から判断して、いつ自閉モードになってもおかしくないほどの状態だ。
 作戦中、ヴァルキリーズが純夏を護る代わりに、純夏はラザフォード場を展開して、ヴァルキリーズの危機を何度も救っていた。それ故にここまでほぼノーダメージでやってこられたのだ。ラザフォード場による純夏のサポートを受けていないのは、距離を開けて後続を食い止めるための陽動を行っていた武くらいのものだ。
 その代償として純夏に掛かる負荷は増大し、当初想定されていたよりも状況は悪くなっている。
 だがそれだけではない。武の参戦も間違いなく大きな影響を及ぼしている。確かに、武が敵を引き付けていた事で凄乃皇が受けるダメージは大きく軽減され、純夏がBETAから受ける負荷は減った。しかし、そもそも武が戦場にいる事が、純夏にとって非常に大きなストレスになっているのだ。勿論、武はその事に自分で気が付いたわけがなく、夕呼に言われて初めて知った事なのだが、それはさておき。
 とにかくそんなわけで、この先、純夏に掛ける負担を最低限にする必要がある。自閉モードになどなってしまってはお話にならない。
「──伊隅大尉」
 武は作戦を確認し終えたみちるに呼びかけた。
『──は、何でしょう』
「ちょっと作戦を変更しよう。思ってたより純夏の具合が良くない。このまま無理をさせると、意識を失う可能性がある」
『それでは、鑑の状況に応じた作戦を立案しなおして──』
「いや、代案はもう考えてあるんだ。で、その作戦だけど──」
 基本的には夕呼が立案した作戦と大差ない。違うのは、純夏が凄乃皇を臨界出力に持っていくタイミングだ。
 従来の作戦では主広間に入る前に臨界出力にしてBETAを引き寄せ、通常兵器で殲滅するとなっていたのだが、まずここを変更する。元々作戦には組み込まれていなかった、BETAを引き寄せる存在になってしまった武が陽動として主広間に侵入。一度隔壁まで飛んで主広間内の全てのBETAに武を認識させ、BETAを確実に引き寄せられる状態を作り出してから今いる横杭へと引き返す。
 凄乃皇四型は白銀機が隔壁を折り返した時点で主広間入口まで進攻開始、主広間到着と同時に2700mm電磁投射砲で先制攻撃。そしてBETAがミサイルの射程に入ってきた時点で攻撃を切り換えてミサイルを一斉射。ただし、大型VLSの硬隔貫通誘導弾頭弾は使わない。
 集まってきたBETAを殲滅後、隔壁前まで前進。A小隊は先行して隔壁開放閉鎖のための化学物質の注入準備とS-11の設置。
 隔壁の開放と共に、まりもとC小隊は第二隔壁開放準備のために横杭を先行。隔壁が完全に開放されたら凄乃皇は前進を開始。通過を確認後、脳に化学物質を注入して隔壁を閉鎖。
 凄乃皇はそのまま第二隔壁まで前進、A小隊はその直援、B小隊は隔壁閉鎖まで第一隔壁の横杭側で防衛線を構築。武は敵増援がやってきた時のために主広間内で待機。隔壁の閉鎖ギリギリまで主広間内に留まる。
 第一隔壁が閉鎖されて横杭内の安全が確保されたら、B小隊と武は横杭内を前進。
 凄乃皇四型が第二隔壁前に着く頃には、隔壁開放準備とS-11の設置は終えているはずなので、ヴァルキリーズとまりもは機体を放棄して凄乃皇に搭乗。
「──この時点で、凄乃皇は臨界運転を開始する。ML機関が臨界に達したら、開放物質を注入して、俺も凄乃皇に退避する。あとはこれまでの作戦通り、あ号標的を荷電粒子砲で倒して天井ぶっ壊してバイバイっと。そんな感じで」
『──了解』
「手順は基本的に変わらないから、確認は省略するけど……大丈夫だよな?」
『──はい!』
「それじゃ、始めよう」
『──了解』
「じゃあ凄乃皇の護衛、よろしく」
『少佐もお気をつけて』
 そして武は水平噴射跳躍で主広間へ突入していった。

「敵の数は15万か。ま、一気に相手するわけじゃないし……ていうか相手しないし」
 主広間に突入すると、振動センサーが敵の動きを捉え、白銀機に向かって殺到しつつある事を示していた。周囲を見渡すと、どこを見てもBETA、BETA、BETA。床から壁、天井に到るまで、全てBETAの絨毯でびっちりと覆い尽くされている。
 そこを素通りして隔壁の方に進んでいくと、BETAも反転して武を追い始めた。
「ちゃんと付いて来てるな……よしよし」
 BETAが白銀機を追ってきている事を確認すると、武はスピードを上昇させた。あまり悠長な事をやっている暇もないのだ。とにかく、一度奥まで行って、確実に武を認識させなければならない。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ各機、ヴァルキリー13の隔壁到達を確認。A-04機関起動、前進を開始する!』
『──了解ッ!』
 隔壁に到達すると同時に、遙の通信が飛び込んでくる。後は予定通り、入り口の方に敵を引き連れていけばいい。
 即座に反転して、BETAを誘導しながら入り口の方に戻っていく。
「凄ぇな……まるで津波だ……!」
 後部カメラに映し出された映像を確認すると、そこでは定円旋回能力が最低な突撃級や、それに引っかかった後続の反転が追いつかず、どんどんと積み重なって雪崩が起きていた。その塊のまま白銀機を追い縋ってくる。
 そして主広間入口が確認できる場所まで戻った武は、不知火のカメラで凄乃皇四型を捉えた。既に攻撃準備が完了している。
『──A-04、砲撃開始します』
 遙の合図によって砲撃が開始された。まずは両腕に据え付けられた二門の2700mm電磁投射砲から巨大な砲弾が発射され、白銀機の脇をすり抜けていく。
 折り重なったBETAが壁になっていたところを、超音速で射出されたトレーラーサイズの砲弾が貫通していく。
 その後も立て続けに二射、三射、四射……と攻撃が続き、その都度BETAの壁に衝撃波によって大穴が穿たれ、更にその向こう側では地下茎構造内壁に激突した砲弾によってBETAが弾け飛ぶ。
『──BETAの先頭集団まで距離500、ミサイル攻撃に切り換えます』
 遙の宣言を合図に、ここまで温存されてきたミサイルが、目的、サイズ取り混ぜて一斉に射出された。凄乃皇四型のボディの各所に装備されたVLSからBETAに向かって光の糸が伸び、一瞬遅れて爆発音と共に主広間内に轟炎が噴き上がる。
『──第二射、発射!』
 予備弾倉がセルに押し出され、再装填が完了するとすぐさま斉射される。大小併せて14基の多目的VLSは撃ち切りなので、数の上では二射目の方が少ないが、今度の弾頭は広域制圧用の散弾式だ。そのため、先程と比べて威力が劣るという事はない。
『──第三射、発射!』
 さらに続けざまにミサイルによる攻撃を加える。
『──敵戦力の97%を撃破。攻撃手段を近接兵器に変更』
 凄乃皇四型は微速前進しつつ、機体の各所に取り付けられた12基の36mmチェーンガンと8門の120mm電磁速射砲をBETAに向けて発砲する。
 特にレールガンから撃ち出された、通常よりも遥かに加速された120mm砲弾は、絶対的な硬度を持つはずの突撃級の装甲殻でさえ、いとも簡単に貫き通していく。
 二種類の砲弾がまるで集中豪雨のように容赦なくBETAに降り注ぎ、残ったBETAは成す術もなく、その全てが地に伏す事となった。
 遙の攻撃には躊躇も容赦も全く無い。考えてみれば、CP将校である遙がこうやって実戦で敵を攻撃するのは初めてだ。そういう意味では加減が分からず、結果的に容赦がなくなったと言えなくはないところなのだが、しかし残存敵数が3%を切ったところで微速前進しながらの近接戦闘に切り換えたりするあたり、全て分かった上での冷静な判断を下したと考えた方が、より自然だ。つまり、あの躊躇や容赦の無さは意図的なものだった、というわけだ。
 ふと、接続されている凄乃皇のコックピットから送られてくる映像による遙の表情を覗いてみると、それはまさに冷徹そのものだった。だがそれでいて、どこか愉悦のようなものも感じられる。心なしか、口の両端が吊りあがっているようにも見える。今まで自ら最前線に出る事がなく、直接BETAと遣り合うことが無く溜まり続けた鬱積が一気に晴れたのかもしれない。
 その一方では、各種センサーから得られる戦域情報に集中しているのか、焦点が合わず、虚ろな目をしているように見える。それらを合わせると──
「涼宮中尉……怖ぇよ」
 武は思わず呟いた。いつの日か、みちるが遙の事を怖い女だと言っていたような気がするが、実際、初めての実戦でBETAを冷静に躊躇なく叩き潰し、殲滅したBETAの残骸の山を虚ろな目で眺めながら、薄っすらと笑みを浮かべる美女の姿がそこにある。なるほど確かにこれは怖い。
『──白銀少佐、何か?』
 武の呟きが届いたのか、遙が聞き返してきた。
「い、いえ! なんでもないであります!」
『はい……?』
 遙はなんだかよく分からなかったが、時間に余裕があるわけでもないので作戦を進めた。
『──主広間の制圧を確認、作戦は次の段階に移行。A小隊は先行して隔壁を開放、残りはA-04と共に前進』
『──了解ッ!』

 武は作戦通り、隔壁の後方1200の位置に陣取っていた。A小隊は美琴の働きもあって隔壁開放作業、S-11設置作業、隔壁閉鎖準備まで終え、隔壁が完全に開ききって凄乃皇が通過するのを待っているところだ。C小隊とまりもは、既に第二隔壁の作業に向かっている。
「ん……?」
 作業が完了するのを待っている武は、音感センサーに妙な反応がある事に気が付いた。しかし、戦術機のセンサーでは詳細は分からない。
「──ヴァルキリー13よりヴァルキリー・マム」
 武は遙を呼び出した。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー13、どうしました?』
「音感センサーに微妙な反応があるんだけど、不知火のセンサーじゃ拾いきれないんだ。そっちで解析してもらえないかな」
『──了解しました』
「──よろしく。……ま、どうせ増援が来たとかそんなんだろうけど」
 遙との通信を一時切断し、凄乃皇から回ってきたデータに目を通す。
「問題はどこから来るか、だよなあ……この波形……」
『──解析完了しました。崩落させた手前の広間の出口が復旧されたようです。音源数から、およそ10万の固体がこちらに向かっています』
「……隔壁の状況は?」
『──あと少しで通過可能になります。完全開放まで約五分、閉鎖にも同等の時間が掛かると思われます』
「まずいな……閉鎖は間に合うとしても、10万に殺到されて耐えられる保証もない……か。霞」
『──はい』
「純夏の具合はどうだ?」
『……もう、ギリギリです』
「そうか……また作戦変更かな、これは。──冥夜」
 武は冥夜に回線を繋ぎ変えた。
『──なんだ?』
「悪いけど、凄乃皇からS-11を二つ持ってきてくれ」
『それは構わぬが……何に使うのだ?』
「敵の足止め。向こう側の横杭にセットしてくれば、いくらかは減らせるだろ」
『あ、ああ……わかった』
 冥夜は待機中の凄乃皇に取り付くと、コンテナからS-11を二本取り出して、白銀機に近付き、それを手渡した。
『これでいいのだろう……だが、無理はするでない』
「分かってるよ、ありがとう」
『え……!?』
 急に礼を言われて面食らう冥夜。
「いや、心配してくれてありがとう、ってさ」
『わ、私がそなたの心配をするのは当然のことだ』
「そうか。──あと少し、気を抜かずに頑張ろう」
『うん。……ではな』
 冥夜は自分の配置に戻っていった。それと同時に、隔壁の開放が完了し、凄乃皇が移動を始める。
『──白銀さん』
 武が時間稼ぎのためにこの場を離れてS-11をセットしてこようとした時、霞が呼びかけてきた。
「ん? どうした、霞」
『あまり凄乃皇から離れないで下さい。純夏さんが不安がってます』
「えっ?」
『……純夏さんは、本当は白銀さんを戦わせたくないんです。あなたがこれまでどんな想いでずっと戦い続けてきたかを知っていますから……だから』
 リーディングによって純夏の思考の影響を受けてしまっているのだろうか、霞は酷く不安そうな表情で言った。
 純夏が武を最終決戦に参加させないようにしていた理由は、そういう事なのだろう。調律中に純夏がリーディングで読み取ったイメージの大半は、戦いの、それも死を強く連想させるものばかりだったのだ。
「そっか……そりゃそうだよなあ、さすがにお前らまでは騙せないよな。好きにリーディングさせてたんだから、全部筒抜けか」
 勿論、戦いが楽しかったわけがない。それで武の心を支配していた、次々と仲間を失っていった時に感じていた空虚な気持ちまで全て伝わってしまっていたのだ。
 今はリーディングがブロックされていて、武がどう思っているのか分からないのだが、それまでに伝わってしまったイメージだけでも、純夏や霞が武をもう戦わせたくないと思わせるのに十分過ぎるほどだったのだろう。
「でもさ、これだけは俺も譲れねぇよ。俺の頭からイメージを読み取ったなら、俺が何のためにこの世界で戦ってるのかも分かってるはずだよな」
『それは……』
「心配すんなって、俺は大丈夫だから。純夏にもそう伝えといてくれ。じゃあ時間が無いから俺はもう行くぞ? また後でな」
『──あっ、白銀さん!』
 武は呼び止める霞を振り切ると、水月に隔壁が半分閉まったら知らせるように頼んで、主広間を挟んで反対側の横杭へ飛んでいった。



[1123] Re[7]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/06 12:42
 オリジナルハイヴ・あ号標的ブロック隔壁前──
 凄乃皇が第一隔壁を通過してから数分が経過している。
「──社。鑑の様子はどうだ?」
 直援についているみちるが霞に訊ねた。
『……かなり悪いです』
「主砲発射まで、なんとかいけそうか?」
『……わかりません』
 先程、隔壁を通過する前に武に聞かれた時と比べても、更に状況は悪くなっていた。
 主広間とあ号標的ブロックを繋ぐこの横杭は、内壁を構成する物質やBETAのエネルギー交換の影響で通信が不全になってしまう。実際、その間に障害物がないはずの主広間側の隔壁に張り付いているB小隊とも、距離があるためにほとんど通信出来ないような状態だ。
 つまり今現在、主広間の向こう側の横杭へ陽動に出ている武の状況は、ここには全く入ってこない。それが純夏に更なる影響を与えていた。
 別に今に限った事ではなく、ここに来るまでもそうだったのだが、武が離れた場所にいるストレスは純夏にとって非常に大きなものだった。
 武が決戦部隊に加わった事は百歩譲って認めるとして、そうなると純夏としては、武に出来るだけ凄乃皇の近くにいて欲しかった。それならもし万が一があったとしても、ラザフォード場で白銀機を包み込めば護る事が出来るからだ。
 しかし、SW115から突入してからこちら、武は後方での陽動ばかりで、それが出来ない状況がずっと続いていた。
 心を痛めながら武に嘘をついて上手く騙したつもりでいたのが、いざ蓋を開けてみれば反対に騙されていて、先行降下部隊への参加、凄乃皇から距離を開けての単独陽動と、純夏にとってその都度選びうる最悪の展開が待っていたのである。
 ODLの劣化は、肉体に負荷が掛かるよりも、むしろ精神に負荷が掛かる方が、その劣化度合いは激しくなる。武が陽動として参戦した事で戦闘が優位に進み、戦闘における純夏の消耗が抑えられた事は疑うべくもないが、その代わり純夏の精神的負担は確実に増えた。部隊全体を見れば、武やまりもの参戦は確実にプラス方向に働いているが、こと純夏の精神状態に関してはマイナス面の方が大きい。
 それがここに来て、一気に噴き出そうとしていた。
「そうか……。とりあえず、C小隊の作業終了と、B小隊や白銀少佐が合流するまでの短い時間だが、それまで鑑には休んでおくように伝えてくれ」
『……了解』
「ふぅ……」
 みちるは霞との通信を切断すると、一度溜息をついた。
 今現在遂行中の武のプランから、更なる変更もやむを得ないだろう。
 だが、主砲の荷電粒子砲が使えなかったとしても、ML機関の減速材を投棄して暴走させれば、凄乃皇を持ち帰ることは出来なくなるものの、あ号標的を破壊する事は出来る。
 最悪、純夏の意識が失われたとしても、手動制御でML機関を暴走させる事は可能だし、戦闘出力のラザフォード場を張れず、ラザフォード場の多重干渉というリスクは生じるものの、人を乗せて航行する事も出来る。
『鑑にはここまで散々無理させてきたからな……』
 みちるとて、純夏にラザフォード場で庇ってもらったのは一度や二度の話ではない。
「……うん?」
 純夏に負担を極力掛けないような──とは言っても、半自律航行であ号標的ブロックに進入してML機関を暴走させるだけ──というプランの手順を練り直していると、振動センサーが一際大きな波形を拾った。それはS-11の爆発を示すものだった。

 オリジナルハイヴ・主広間──
 武は横杭にS-11を仕掛けて、主広間まで戻ってきていた。BETAよりも戦術機の移動速度の方が圧倒的に速いので、後続はまだここまで到達していない。後はこちら側にS-11を仕込んで、爆風で挟み込むようにしてしまえばいいのだが──
「どうも気になるんだよなあ、これ……何だっけ……?」
 振動計の波形を見て呟いた。先程から映し出されているこの波形、どうもどこかで見た事があるような気がしてならない。それもつい最近の事だ。武はデータを照合しながら記憶を掘り下げてみる。
「……ああ、そうだ」
 武はあることに思い至った。
 スクリーンに、先日の横浜基地襲撃に先んじて高崎と秩父で観測された、BETAが地中を侵攻してきた時のデータを呼び出してみる。
「これを増幅して、っと……ビンゴだなこりゃ。……って事はどっか穴掘ってんのか……音源は……あっちの方か」
 呆れた様子で呟くと、武は出現予測地点──隔壁の脳から800ほどの地点まで匍匐飛行で移動した。
 センサーの感知する波形は、時間と共に大きくなってくる。
 BETAも既に手段を選んできていない。地表側の出入り口を一つしか作っていなかった主広間の土手っ腹に風穴を開けてでも侵入者を排斥しようとしている。
「ははは……凄ぇ結果オーライだよ。俺にも00ユニットになる素質があったりしてな」
 武は苦笑しながら言った。
 もし武が凄乃皇に同行していれば、或いはあ号標的ブロック側の横杭に直接BETAの増援が現れたかもしれない。もしそうなっていれば、作戦はそこで終わっていただろう。
 スクリーンに表示された振動波がメーターを振り切ってしまうほど大きくなる。
「──ヴァルキリー13よりヴァルキリー2」
『──こちらヴァルキリー2。どうしたの、白銀?』
「隔壁の状況は?」
『あと90秒で戦術機が抜けられなくまで狭くなるわ。早くこっちに来て』
「いや……敵の増援がすぐそこまで来てるから、ギリギリまで引き付てから行く」
『──増援? どこから!?』
「ああ、えっと──ゴメン、説明してるヒマなくなった」
『──え?』
 水月が怪訝そうな声を上げたのと同時に、主広間の壁を突き破って、シールドマシンのバケモノのような巨大なBETAが姿を現した。胴体直径はおよそ170m、武も初めて見るタイプで、当然ながら詳細なデータはない。
 どうやって増援が現れるのかと思っていると、その新種のBETAが口を開き、中から大量のBETAが吐き出されてくる。その中には要塞級も混じっていたが、その巨体が小さく見えてしまうほど、新種のBETAは巨大だった。
「さすがにアレが来たら、隔壁なんて簡単に破られちゃうよなあ……」
 地下茎構造の内壁をいとも簡単に突き破ってしまうほどの貫通力だ。仮に隔壁がそれ以上の耐久力を持っていたとしても、さして時間をかけずに突破してしまうだろう。或いは隔壁を突破せずとも、横から迂回路を掘る事だって可能だ。
「まあ、どうにでも出来るか」
 武はフンと鼻で笑う。都合のいい事に、今、白銀機の右手にはS-11が握られている。これの直撃に耐えられるBETAなどそうはいないはずだ。反応炉級の耐久力を持っていれば話は別だが、さすがにそこまではないだろう。
 隔壁の通過可能タイムリミットまで残り50秒。武はS-11のタイマーを数秒遅らせてセットしなおした。
 ここから隔壁まで、最大戦速でおよそ15秒。余裕を見て20秒前に飛び出せば、無事に横杭に進入する事が可能だろう。
 それまでの30秒間、隔壁にBETAを近寄らせないために、この場で陽動を行う。
 25秒前。陽動を中断して新種の掘削機のようなBETAに接近し、その大きな口の中にS-11を放り投げる。
 リミット20秒前。武は空中で方向転換して、隔壁に向かって飛び出した。
 アフターバーナーの尾を引きながら、一直線に飛ぶ白銀機。通過まで残り数秒になったところで──
『──白銀ッ! 長刀が!!』
 慌てた様子の慧の声が武の耳に飛び込んできた。
「やっべ! パージ!」
 慧に言われて、隔壁通過の際に長刀が引っかかってしまう事に気が付く。慌てて背中のパイロンに保持されていた二振りの長刀を切り離す。
 それでほんの僅かながらバランスを崩してしまい、閉鎖途中の隔壁に機体を擦ってしまった。
 しかしながら通過には影響がなく、機体は無事に横杭に進入。
 そして、まずは遠くからの爆発音が一つ。先に仕掛けた主広間の向こう側の横杭のS-11が爆発した。それから遅れる事数秒、今度は新種のBETAの口に放り込んできたS-11が爆発。
『──第一隔壁の完全閉鎖確認』
 更に数秒後、隔壁の閉鎖を知らせる築地の声が響く。それにワンテンポ遅れて、隔壁の脳に仕掛けた三つ目のS-11が炸裂した。
「カッコ悪ぃなあ……アンテナ折っちまったよ」
 床上に降り立った武がボソリと呟いた。
 隔壁通過時に擦った部分──頭部についている二本のアンテナのうち、右側が根元からポッキリと折れていた。
『──白銀でも失敗するんだ』
 酷く驚いたような顔で武に話しかける慧。
「おいおい……人のこと何だと思ってたんだよ」
『……………………変態?』
 慧は数秒の沈黙の後、どこか悪戯っぽく、にやけた表情で言った。
「クソッ、柏木の奴だな……あの女、後で憶えてやがれ」
『──さあ、みんなのところに合流しましょ』
『──了解』
 B小隊と武は、前進を開始する。

 オリジナルハイヴ・あ号標的ブロック隔壁前──
『──白銀』
 武たちが凄乃皇に合流するや否や、まりもが秘匿回線を開いて呼びかけてきた。どこか雰囲気がおかしい。
「……何かあったんですか?」
『鑑が……自閉モードに入ったわ。みんなには単に気を失ったって説明してるけど』
「……そうですか」
 どこかそっけない返事をする武。
『──驚かないのね』
「バイタルデータを見て、ある程度予想はしてましたから。実際、主広間に突入したあたりで、もう限界だったんですよ。……まあ、良かったって言えば良かったかな」
 武は薄く笑った。
『……え?』
「いや、これ以上純夏に無理させずに済みますから。あの状態じゃ横浜まで飛ぶなんて無理だから、どの道、凄乃皇は破棄して行く事になります。どうせ凄乃皇を失うなら、無理して荷電粒子砲を撃つ必要もないでしょ」
『それはそうだけど……』
「で、どんなプランで行くつもりです?」
 まりもは武に、みちるの考えたプランの説明を始めた。
 まず、純夏のコントロールがなくなって事実上戦闘能力を失った凄乃皇を護るため、直援としてみちる、水月、美冴、祷子の四人で臨時小隊を編成し、残りはここで機体を放棄して凄乃皇に乗り換える。
 凄乃皇は手動制御に切り替え、隔壁解放後、半自律航行であ号標的ブロックに進入。砲撃予定地点まで前進して減速材を投棄、ML機関を暴走させる。その時点でみちるたちは機体を放棄して凄乃皇に搭乗、その後、大型VLSから硬隔貫通誘導弾頭弾を発射。管制ブロックに格納された装甲連絡艇で脱出。
『この際、凄乃皇の自律航行時のラザフォード場の多重干渉によるリスクには目を瞑ることにしたわ』
「…………」
『──白銀?』
「ダメですね……それじゃ。俺のプランで行きます。秘匿回線、切りますよ」
 武はまりもとの秘匿回線を切断し、オープンチャンネルに固定した。
「作戦を説明する──」
 武は新たなプランの説明を始めた。
 とは言っても、基本的にみちるのプランと変わらない。違うのは、直援がみちるたち四人ではなく、武一人だけだという事だ。
『しかし、それでは……せめて我々も直援に──』
 みちるが武のプランに反対する。いくら武が優れた衛士だと言っても、単機での直援には無理がある、と言いたいのだろう。
「ダメだ。大尉のプランには問題点がある──」
 まず一つ目。凄乃皇が純夏のコントロールを失ってラザフォード場の自由な制御が出来なくなった事で、ML機関の暴走が始まれば凄乃皇への搭乗も凄乃皇からの脱出も不可能になるが、直援機が多ければ多いほど移動に時間がかかり、脱出する機会を失ってしまう可能性が増大する。だからと言って移動のタイミングを早くすれば、もしあ号標的ブロックに敵がいた場合、一方的な攻撃を許すことになってしまう。直援機もラザフォード場も無い無防備な状態を最小限にするため、ギリギリのタイミングで機体を乗り移らなければならないとすると、精々一人が限度。ならばこの場で最強の駒である武が行くべきである。
 そして二つ目。あ号標的ブロックに敵がいた場合、直援機が囮としての役割を果たせるかどうか。ここに来るまでにも分かっている通り、武が凄乃皇とほぼ同程度の優先度で狙われていたのは明白である。戦術機とセットになった状態の武が狙われているならまだいいが、もし生身の白銀武を狙ってきているのだとしたら、ML機関を搭載し、かつ武が搭乗する凄乃皇が、敵を強烈に引きつけてしまう事になる。逆にもし武が直援になれば、敵の狙いを確実に分散出来、凄乃皇が撃墜される可能性も確実に低下、ひいては作戦成功率の向上に繋げられる。
「──とまあ、こんなところかな。だから俺が一人で直援に付くのがベストだ。代案があれば聞くけど」
 確かに、あ号標的の撃破という事だけを考えるなら、みちるのプランの方が成功率は高いかもしれない。だが恐らく、ほぼ間違いなく直援に付いた四人は犠牲になってしまうだろう。みちるたちは最初からそのつもりだったのかもしれないが、武はそんな事を認められるはずがなかった。
『──それでもやはり、直援は複数つけるべきです』
 意を決したようにみちるが言った。
「……それは、死んでも構わないって事?」
『ありていに言えばそうです。無論、自分から死ぬようなことはしません、最後まで諦めることもしません。作戦遂行と自らの生存に死力を、そして最善を尽くします。ですが、あ号標的の破壊は全てに優先します』
「最優先、か。俺はちょっと違うんだよなあ……」
『──?』
「冥夜たちには言ったっけ』
『え──?』
 突然名前が出てきて困惑した顔をする冥夜。
「甲21号作戦が始まる前に最上の甲板で話した時の事だよ。柏木たちも聞いてたんだっけな」
『それは……そなたが何のために戦っているか……という話の事か?』
「ああ。護りたい人がいる……って言ったけど、正確には護りたい人たちだ」
『……』
「まあなんだ、こうして話すのはちょっと気恥ずかしいんだけど……ここにいるみんなや夕呼先生たちの事だよ。それで、こうも言ったっけな。世界を救うのはただのおまけだって。極論だけど、護りたい人が誰か一人でも欠けた世界なんて、俺にとっちゃ護る価値なんてねぇんだわ」
『しかし、それは……』
「別に俺も死ぬつもりはないし、みんな揃って助かるなら、そっちの方がいいだろ?」
『…………』
「知らなかったか? 凄ぇ強欲なんだよ俺は。全部手に入れなきゃ気が済まないんだ」
 そう言って武は屈託無く笑って見せた。
「さ、そうと決まればさっさと始めよう。後続を食い止めて来たからって、それも時間稼ぎでしかないんだからさ」
 武はパンと一度手を打って、それからみちるたちに凄乃皇への搭乗を促した。代案が無いからなのか、それとも説得は無理だと悟ったのか。皆、極めて不満そうな顔をしていたが、みちるたちはどこか諦めた様子で大人しくそれに従った。
 そして武は隔壁の脳に開放物質を注入し、あ号標的ブロックへの扉を開く。

『──各BETA種の固有音源、震源共に反応なし。あ号標的ブロックにBETA群の存在は認められません』
 半ばまで開いた隔壁から、各種センサーであ号標的ブロックの状況を探る。初期配置で何も配置されていなかったのと同じく、今もBETA群はそこには存在していない。
 この先は地球に降り立ったBETAの総司令部とも言える場所だ。そこに何も配置されていないと言うのは甚だ不可解ではあるが、武たちにとっては好都合だ。
 しかし油断は出来ない。直援を置いていない理由は、それが必要ないから──つまり敵方の最強の駒があ号標的だと言う可能性もゼロではないからだ。
 そして、隔壁が通過可能な段階まで開放されると、凄乃皇と白銀機はそこを通り抜けた。
『──あ号標的確認……12時方向、距離5400。砲撃開始地点まで距離220』
 戦術機のカメラでは距離がありすぎて拡大しきれない。凄乃皇から武の強化装備のスクリーンに送られてきた映像で、武はその姿を確認する。
 しかしBETAは何を考えているのか……その形はどう見てもいきり立った男性器そのものだった。おまけにその先端からは眼球のような器官が複数ついたモノが生えているのだが、両者のサイズの比率から、これがまた我慢しきれずにピュッと漏れてしまった白濁液にしか見えない。
「あれがあ号標的だって!? あれじゃまるで、ちん──」
 あ号標的の卑猥な形に思わず不穏当な発言をしてしまいそうになる武。しかし途中で、この場にいる自分以外は妙齢の女性や少女ばかりなのだという事を思い出す。
「げふんげふん……あ、いや、その……ま、マツタケみたいな形してるよな?」
 咄嗟に抑えて誤魔化そうとしたが、動転して声が裏返ってしまった。
『白銀、最低』
『下品だね』
 晴子と慧が微妙に頬を染め、武を非難する。他の者も口に出していないだけで、似たような表情をしていた。
『……何が最低で下品なのだ?』
 しかし、それが何の事だか分からない者もいる。冥夜である。
「俺が最低で下品というのは敢えて否定しない。でも、そうだと断言したお前らも同類だ。君たちも少しは冥夜君を見習いたまえ」
『くっ……』
 しまったと悔しそうに顔を歪める慧と晴子。
 そんなおバカな会話を交わしていた時。
『──あ号標的から触手状の物体が伸びてきていますッ!』
 遙が叫んだ。
「おっと、ふざけてる場合じゃねぇか」
 武は左腕の87式突撃砲で120mm弾を撃ちながら、右腕で先程補充した長刀を背中から抜き、斬りかかっていく。
 あ号標的から伸びてきた触手は二本。片方は凄乃皇、もう片方は武の不知火を狙っている。
「ふん、やらせるか!」
 自身を狙ってくる触手を躱しつつ、凄乃皇を狙った触手に長刀を叩き付けた。触手は一刀両断され、赤黒い粘液を撒き散らす。
「涼宮中尉、ML機関の暴走を!」
『──今、手動制御を確保したところです! これより減速材を投棄します!』
「よし……! ギリギリまで粘るから、乗り移るタイミングよろしく!」
『──了か……えっ!?』
 返事をしようとした遙の声が裏返る。
「どうした!?」
『む、ML機関、停止しました……!?』
「──なんだって!?」
 遙の困惑した声がヘッドセットを通して武の耳に飛び込んでくる。
 武が慌てて凄乃皇のステータスを確認すると、暴走どころか、ML機関そのものが停止してしまっていた。
「──そうか、情報が……ッ!」
 恐らく、純夏を経由して凄乃皇やML機関に関するデータまで漏洩していた、という事なのだろう。
 どんな手を使ったのか知る由も無いが……元々、ML機関の燃料はグレイ・イレブン──BETA由来の元素。つまり、凄乃皇の心臓部はBETAから鹵獲した技術を応用して使っているようなものだ。それにML機関は甲21号作戦、20号作戦、横浜基地襲撃時と、その稼動状態をBETAに見られてしまっている。そこに構造データが加わっていれば、何らかの対策を取られてしまったとしても別におかしくはない。
『──か、隔壁がッ!?』
 慌てたような遙の声。後ろを確認すると、まだ開放物質は注入され続けているはずなのに、隔壁が凄いスピードで閉まっていった。
『──くッ、万事休すか……!』
 既に装甲連絡艇に移動していた冥夜が、思わず口に出す。このまま脱出する事だけなら出来るかもしれない。だがそれでは意味が無い。しかし硬隔貫通誘導弾頭弾であ号標的を攻撃しても、恐らくそれだけでは破壊出来ないだろう。
 誰もがそう思っていたが、しかし武は、迫り来るあ号標的の触手を斬り捨てながら言った。
「……まだ手はある。使わずに済めばよかったんだけど」
『なっ──!? ま、まさかそなた、自爆するつもりではあるまいな!?』
 武の言葉に、冥夜が怯えたように表情を強張らせて叫ぶ。
「……そのまさかだよ」
『なりません少佐! 反応炉はS-11一発程度では機能停止すら出来ないと言ったのは、少佐ではありませんか!』
 みちるが武を諌めようとする。
 確かに凄乃皇の各所に溶接されたコンテナにはまだS-11が残っている。ここに来るまで8発しか使っていないので、凄乃皇にはまだ20発残っているのだが、それを全てあ号標的の目前で炸裂させられれば、そしてそれに加えて硬隔貫通誘導弾頭弾を全弾撃ち込めば、或いは機能停止くらいなら叶うかもしれない。
 だが、当然ながらS-11を回収、セッティングしている余裕などなく、今のこの位置からあ号標的までは距離があるので、結局、間近で爆発させられるのは、武の不知火に搭載されている一発だけ、というわけなのだ。
 しかし武は、落ち着いて触手を打ち払いながら、慌てる様子もなく言った。
「ま、S-11ならそうだけど」
『えっ……!?』
「俺の不知火に積んでいるのはS-11じゃないからさ」
『まさかあなた、メンテナンスしていた時に積み替えていたのは……』
「なんだまりもちゃん、見てたんですか?」
『な、何なんですか、一体!?』
 千鶴がまりもに詰め寄っていく。が、その質問には武が答える。
「うん、そうだな……G-11とでも呼んでみるか」
『G-11? Gって…………そんな、まさか!?』
「そう、そのまさか。G弾だよ、弾頭二発分のな」
『────!?』
「正真正銘、これが最後の切り札だ」
『でも、そんなもの……どうやって!?』
 壬姫が疑問を口にした。この期に及んでG弾を否定するような事は勿論ないが、そもそも何故そんなものが今この場にあるのかが分からない。
「……たまの親父さんには感謝してもしきれないよ。凄い無理聞いてもらったから」
『パパが!? で、でも、それってF-22Aの事だったんじゃ……』
「F-22Aか……あれはいい目眩ましになってくれたよ。まあ親父さんの事だからそっちに目が向くようにって、無理して都合五機も融通してくれたんだと思うけどな。でも、おかしいとは思わなかったか? いくらF-22Aが米軍内でもまだろくに配備が進んでいない程の最新鋭機だからって、たかだか戦術機五機程度の搬送に、わざわざ護衛を一個大隊もつけて海上輸送してくるなんてさ。普通なら輸送機を飛ばせば済む話だろ?」
『…………!』
「ウォーケン少佐たちが到着したのがBETAの襲撃を受けてる最中だった、ってのもタイミングが良かったな。少佐たちが強力な援軍になってくれたお陰で、第66大隊が存在する事自体の不自然さがうやむやになったから」
『…………』
「種明かしはこんなところだ。さあ涼宮中尉、緊急脱出プログラムを起動して」
『駄目よ涼宮。白銀、他に方法はないの!?』
「まりもちゃん……他に方法があれば、とっくにそっちを選んでます。でも、俺には思い浮かびませんでした。何かいい案があれば教えてください。30秒くらいなら待ちますから」
『そ、それじゃ、G弾を起動してからこっちに乗り移って……!』
「残念だけどそれは無理です。動くのをやめたらやられてしまいますよ。さすがにこの状況じゃ乗り移ってる余裕なんてないし、それに──奴にG弾を解析させるわけにはいかない」
 あ号標的の触手の動きは、不知火を墜とそうとする動きから拿捕しようとする動きに変貌を遂げていた。
 そして捕まえにきているという事は、何かを察知している可能性が高い。武の不知火がML機関と同じグレイ・イレブンを搭載している事は既に掴んでいるだろうから、それに類するものとして鹵獲に来ているのかもしれない。
 もし万が一、ここであ号標的を倒せなかったとして、その時にG弾を鹵獲されてしまうと、運用出来る出来ないのレベルではなく、G弾そのものをいきなり完全無効化されてしまう。後に控えているトライデント作戦で、運用上の対策を練られていたとしても、確かに勝利の可能性は低いもののゼロではない。しかし、ここでG弾の情報を与えてしまうと、それが確実にゼロになってしまうのだ。
『じゃ、じゃあ……!』
「…………」
『…………』
「もう、ないみたいですね。それじゃ、硬隔貫通誘導弾頭弾で天井に穴を開けて、装甲連絡艇で離脱してください」
『でも!』
「…………上官命令だ。さっさと離脱しろ」
 武は軽い溜息をついた後、冷たく吐き捨てた。
『────!』
 命令を下したが、それでも凄乃皇四型に動きはない。
「はぁ……仕方ないなあ。出来ないなら、こっちでやってあげます」
『えっ!?』
 指揮官機である白銀機には、凄乃皇四型の緊急遠隔操作システムが組み込まれている。甲20号作戦での教訓を活かして、万が一の時、凄乃皇内部での作業を最低限にするための措置が取られ、ML機関と関係ない部分の操作は、00ユニットを通さずとも外部からかなりのコントロールが可能なように改良されているのだ。
 武は緊急操作用のコンソールを開き、セキュリティコードを入力、一連の緊急脱出プログラムを実行する。
 直後、凄乃皇四型から弾頭にS-11を使用した硬隔貫通誘導弾頭弾が発射され、天井を貫いて主縦杭に抜けるための道がぽっかりと口を開けた。続いて凄乃皇の頭部が開き、装甲連絡艇の射出準備が整う。
「──それじゃみんな、またな。まりもちゃん、純夏を……頼みます」
 そして間髪入れずに装甲連絡艇が飛び立った。
『ちょっと白銀、待っ……────』
 まりもの叫び声は、すぐにサーというノイズとなって掻き消えた。
「これでよし……と」
 武はボソッと呟いた。
 BETAの司令塔であるあ号標的は、今や武にご執心だ。ML機関はこの場に残っているし、純夏は自閉モードだしで、BETAにとって優先すべき存在がここにしかない以上、離脱していく装甲連絡艇がレーザー属種に撃墜されてしまうような事はないだろう。
 少なくとも純夏や霞、そしてまりもたちが死ぬ事はなくなる。もっとも、武が死んでしまった時点で、全てがなかった事になってしまうのだが。
 そんな事を考えているうちにも、あ号標的から生えている触手の攻撃は休む事なく続けられ、武は機械的にそれを打ち払いながらジリジリと前進していく。
「また、やり直しか。今度はどこまで覚えていられるか──結局、条件ってのも分からずじまいだったし」
 向こうの世界で夕呼と話した事を思い出す。
「ああ……そっか、それじゃ向こうの世界はあのままか……」
 結局、向こうの世界の純夏やまりも、そして武に与えてしまった影響は、そのままになってしまうのだ。
「全く──何がこれでいい、だ…………いいわきゃねぇよなあ……」
 襲い掛かってくる触手を、八つ当たり紛いに短刀で次々と引き裂いていく。
「あっはははははっ! G弾を解析させるわけにはいかないなんて笑っちまうよな! 俺が死んだらそんなもん関係ねぇってのに!」
 触手に短刀を弾き飛ばされる。だがその一瞬後、すぐに持ち替えた87式突撃砲から36mmチェーンガンでフォローを入れ、触手を打ち払った。
「はぁ……みんなを見殺しにしてでも俺が生き延びなきゃいけないってのは頭じゃ分かってるつもりなんだけどなあ……やっぱ納得出来るもんじゃねえわ。結局、楽な方選んじまったか……これじゃ夕呼先生の事とやかく言えなえな。でもなぁ……またやり直しになるんだって言っても……この場のカタだけは、きっちりと付けさせて貰うぞ──!」
 人を射殺せるような視線というのは、このようなものを言うのだろうか。武は殺意の篭った視線であ号標的を睨みつけると、弾の切れてしまった突撃砲を投げ捨て、背中から長刀を抜き放った。
「どうせ過去に戻っちまうんだから、確かに無駄かもしれない。でも、この気持ちは……この気持ちだけは、何があったって絶対に次に持ち越してやる…………みんなの気持ちまでなかった事になるなんて、絶対に認めない……認められるわけがない──!」
 武は咆哮をあげ、迫り来る触手を全て斬り伏せながら、あ号標的に向かって突き進んだ。
 そして、触手の弾幕が薄くなった一瞬の隙を突き、跳躍ユニットをフル出力、あ号標的に向かって全開噴射突撃を仕掛ける。
 一瞬のうちにあ号標的を目前に捉え、そのまま突撃して長刀を突き刺そうとするが、しかし他の反応炉同様、耐久力が半端ではないのか、刃先でほんの少し傷を付けたと思ったら、逆に長刀の方が耐えきれずに砕けてしまった。
 それを嘲笑うかのように、あ号標的の触手が蠢く。
 だが……勿論、こんなものは本命ではない。前座ですらない。
 そして武が自決装置のボタンを叩き付けようとした時──
「──あん?」
 武の脳裏になんだかよく分からないイメージが閃いた。次々と現れては消えていく。
「なるほどな、プロジェクションか……必死だねぇ、お前も」
 武はふっと表情を緩める。
 純夏にしたのと同じパターンで、武にも何か仕掛けてきているようだった。過去に純夏が武をリーディングした際に得た昏いイメージを投影しているのだろうか。だが今更、そんなものが通用するわけでもなし、そもそも生身の脳しか持たない武には、送られてきたイメージを翻訳する能力などない。
「多分リーディングもしてるんだろうけど……意味ねぇよな」
 鼻で笑う武。
 プロジェクションで意味のあるイメージを投影出来ないという事は、つまり、あ号標的は翻訳という作業が出来ないのだ。リーディングで武の思考を読み取っても、翻訳が出来ない以上、何を考えているか理解出来ない。
 武は口の端を吊り上げ──
「人類を、無礼るな……ッ!」
 自決装置のボタンを叩き付けた。
 その異変を察したのか。白銀機を取り巻く触手は慌てて不知火を拘束しようと躍起になってきたが、もう手遅れだ。それに武の方も、捕まってやるつもりなど毛頭無い。
 G弾がML機関のスピンオフ技術とグレイ・イレブンを使っているからといっても、完全に同一のものではない以上、先程、凄乃皇のML機関の暴走を止めたような真似は出来ない。
 武は夕呼がG弾を毛嫌いしていた事に感謝した。横浜基地にあるG弾に関連する資料と言えば、使用後の土地が人体や動植物にどのような影響を及ぼすかというデータだけだ。無論、夕呼が頭の中や紙の資料で個人的に情報を所有している事は考えられるが、少なくとも基地のデータベースには、オルタネイティヴ4には必要ないものとして、その情報は存在しなかったのだ。
 純夏は基地に保管された情報を無意識のうちに閲覧して、それが全てあ号標的に流出してしまっていたわけが、元々無い物を流す事など出来ない。つまり、あ号標的はG弾の情報を持っていない。
 いくら凄乃皇のML機関を解析済みだといっても、G弾まで解析されているわけではない。
 BETAは人類の戦術をBETA向けにアレンジした事はあったが、基本的にそれは猿真似に過ぎず、人類の戦術を元に新たな戦術を生み出したというわけではない。
 あ号標的に情報を与え続ければその限りではないかもしれないが、少なくとも今の段階では、ML機関の事を知っているからといって、そこからG弾の構造を推測して解析してしまうような類の応用力は無いのだ。
 故に、今なら確実にG弾を炸裂させる事が出来る。あ号標的が必死になってその触手で武を捕らえようとしている事が、それを如実に証明しているだろう。
 スクリーンには自決装置作動の警告が映し出され、不知火のコックピットの中に、警報音が鳴り響く。
 やがて、暴走専用ML機関とでも呼ぶべきG弾の稼動が始まる。これは通常の爆弾と違って、スイッチを押した瞬間に爆発すると言うわけではない。暴走が臨界に達するまで、少しだけ時間が掛かる。だがその代わり一度暴走が始まれば、現時点では爆発を止める手立ては無い。
 誰の悪戯か、スクリーンには猫がネズミを追いかけている米国産のアニメーションが映し出され、そのコミカルな動き──主に猫がネズミにやり込められる場面を十秒の区切りとしてカウントダウンが進行するようなギミックが仕込まれていた。
 武も見覚えのあるアニメだ。元の世界のテレビの再放送で見た記憶がある。この世界にも同じ物があったんだなあと漠然と考えながら、残りカウントを確認していた。
「シャレの分かる技術者もいたもんだな……って言うかやりすぎだろこれ。ふふ、思わず見惚れて撃墜されちまうっての。……ま、これはこれで好都合だけどさ」
 触手の攻撃を躱しながら、武はどこか呆れた様子でフンと口元を歪めた。どこかの誰かが仕掛けた悪戯のお陰で、爆発の瞬間に、確実にあ号標的に張り付く事が出来るのだ。
 そしてカウントダウンが進み、残り秒数が一桁になると、武は覚悟を完了し、再びあ号標的に取り付いた。
「これで終わりだ、くたばりやがれ……!」
 3秒前……2……1──ゼロ。
 カウントゼロを迎えた瞬間、武の視界はくすんだ黒紫色の閃光に包まれた──



[1123] Re[8]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/03 12:42
 2002年1月15日(火)

 国連軍横浜基地・第二滑走路──
 凄乃皇四型の頭部から射出された装甲連絡艇は、オリジナルハイヴの主縦杭から孔を潜り抜け、ブースターで加速上昇して周回軌道まで到達。そのまま自律制御で横浜へ降着するための再突入回廊へと向かい、大気圏突入。そして横浜に降り立った。
 14人分の座席を詰め込んだ連絡艇の艦橋。
 コックピットまで含めても、空席はたったの一つだけ。
 甲1号目標──オリジナルハイヴに突入し、あ号標的を破壊するという極めて困難な任務を達成したにも関わらず、これだけの生還率を達成しているのは、まさしく奇跡以外の何物でもない。
 だが、誰もが一番この場にいて欲しかったと思う人は、ここにはいなかった。
 武のために用意された座席が、帰る事の無い主の帰還を待ち続け、寂しそうに佇んでいる。
「………………」
 まりもは完全に放心し、虚ろな目で、本来なら武が座っているはずだった椅子をぼんやりと見下ろしていた。
「私……あなたに助けてもらってばかりで、何も返してあげられなかったわね……」
 ポツリと呟くまりも。それを聞いて、ヴァルキリーズの表情が一様に曇る。任務では武の一番近くにいたであろうまりもが何も返せていないと言うのなら、誰一人として、何一つとして返せていない事になる。
 彼女達が今こうして生きていられるのは、武の持ち込んだ概念やXM3の存在があったからに他ならない。もしそれが無ければ、きっとどこかで力尽き、野垂れ死に、BETAによって屍を晒す事すらも出来ずにいた事だろう。
「あの時、あなたが何をしているのか問い詰めて、せめて私の機体にG弾を積んでいれば……」
 今思い返してみれば、不自然なところは多々あったのだ。いくら他にやることが無く、そして出来るからと言って、凄乃皇の整備をダシに人払いをしたハンガーで、衛士である武が一人で不知火を整備してみたり。F-22Aの搬入にしても、武に指摘されるまで誰も気が付かなかったが、戦術機の搬送に一個大隊もの護衛が付いていたり。
「神宮司少佐、それは──」
「ごめん……今更、だったわね」
 前にも、こんな風に後悔しようとしていたところを、まりもが無事だったんだからそれで良かったんだ、と武に諭された事を思い出すまりも。
「そうよね……こんな事してても、あなたは喜んではくれないわよね……」
 一度俯いて大きな溜息をつくと、顔を上げた。
「ごめんね、私だけ呆けちゃって」
 まりもは気を取り直したように笑顔を見せ、努めて明るく言った。
「いえ。私たちは部屋に帰って一人になったら存分に取り乱しますから」
 みちるがそれに柔らかい笑みを浮かべながら返す。
「ふぅ……ぼんやりしてみたら、少しだけすっきりしたかな」
 そうは言っているものの、誰がどう見ても強がりだ。しかし、それは他の者とて同じ事。
「外には出迎えの人たちが待っているんだものね。しっかりしなきゃ、白銀に笑われちゃう」
 今、外では機体の冷却と浄化が行われている。それが終われば、いよいよまりもたちは凱旋を果たすのだ。武がいない今、まりもは指揮官として先頭に立たなければならない。
 外部カメラの映像で確認したところ、地上要員どころか、基地中の全ての人間が集結しつつある。その、ヴァルキリーズの凱旋を信じて待ってくれていた人たちに泣き顔など見せるわけにはいかない。辛くても、悲しくても、満面の笑みで喜びを分かち合う。
 それが死んでいった者達への弔いだ。
 それが衛士の流儀だ──
『──冷却、浄化処理完了しました』
 コックピットにいる遙から、外に出る準備が整った事が知らされた。そして外部にタラップが用意された事が確認されると、ハッチが開放される。
「……さあ、行きましょう」
 まりもを先頭に、ヴァルキリーズは誇りに満ちた表情でタラップに踏み出した。

 連絡艇からまりもたちの姿が現れると、あたりは爆発的な歓声に包まれた。そこには横浜基地の国連軍兵士だけでなく、ところどころに基地襲撃以来防衛の任に当たってくれていた帝国軍や米軍の衛士の姿も見受けられる。
「みちるちゃーん! おーかーえーりー!!」
 その中で滑走路の警護を受け持っていた帝国軍カラーの撃震のハッチが開き、ショートカットの娘が手をぶんぶんと大きく振りながらニコニコ顔で叫んでいた。
「あ、あきら!?」
 大声で自分の名前を呼ばれて驚くみちる。
「大尉の一番下の妹さんでしたっけ?」
 水月がみちるに話しかける。
「ああ。全く、どこで嗅ぎ付けて来たんだか……もう、みっともないったら……!」
 みちるは頬を染めて恥ずかしげに呟いた。
 横浜基地が襲撃を受けた際、帝国軍からの増援には甲21号作戦でウィスキー部隊に参加した衛士も数多く含まれていたわけだが、みちるの末妹、あきらもその一員で、そのまま国連に貸し出されて基地防衛に就いていたというわけだ。
 表向き、ヴァルキリーズは在日国連軍の教導部隊、みちるはその部隊長という事になっている。しかし基地襲撃を受けた時にかなりゴタゴタな状態になっていたから、その時にヴァルキリーズが教導部隊ではなく特殊任務部隊である事が知れ渡った可能性はある。
 もっとも、オルタネイティヴ4の総決算とも言えるオリジナルハイヴ攻略に成功した今、実行部隊の存在を明らかにしてしまっているのかもしれない。
「ご苦労だったわね……本当に良くやってくれたわ」
 タラップを降りたところで、少しよれた白衣姿の夕呼がまりもたちを出迎えた。
「──A-01部隊、神宮司まりも少佐以下16名、只今帰還致しました!」
 タラップの下で純夏を除く全員が揃ったところでヴァルキリーズは横二列に整列、まりもが一歩前に出て夕呼に報告をする。
「あら、まりも。あんた、また堅苦しいのに逆戻り?」
「さすがに……今だけは」
「まだまだねぇ。白銀なんてどんな大規模作戦でも、公にはろくな報告もしないで、作戦が終わったらあたしの部屋に入ってくるなり『お疲れさま~』なのよ? で、その白銀は?」
 夕呼はキョロキョロとあたりを見渡す。だが……当然ながら、武の姿は無い。
「白銀は……いないわ」
「あっそ。まあいいわ」
 武が帰ってこなかった事を、夕呼はまるで興味がなさそうなリアクションで軽く流した。
「な!? ま、まあいいわ、って……それだけなの?」
「そうよ。他に何かあるの? 泣き喚いたって喜んだりしないでしょ、あいつは」
 何を馬鹿なことを、とでも言いたげな口調で返す夕呼。
「それは、そうかもしれないけど……」
 確かに正論ではあるが、夕呼の態度はそんなものは超越しているように見える。まりもはその態度に感情で納得しきれないところが多々あったが、軍人としてそれを無理矢理抑え込んだ。
「ああ、そうそう。まりも、あんたには鑑の件で手伝ってほしい事があるから、もう少し働いてもらうわ。白銀にも頼まれてるとは思うけど」
「……わかったわ」
「それじゃみんな、本当にお疲れ様。ゆっくり休んでちょうだい」
「──了解。では総員、解散!」
「──敬礼!」
「だから敬礼はいらないってば……」
 みちるの号令にゲンナリした顔で呟く夕呼。こんな時でもマイペースだった。

「……それじゃ、情報交換といきましょう」
 夕呼とまりもは今、B19フロアの夕呼の執務室に降りて来ている。夕呼はまりもをソファーに座らせ、コーヒーを二杯用意すると、カップをテーブルの上に置いて自身もソファーに深く腰掛け、まりもと向かい合う。
「まずはあたしの方からね。とりあえず反応炉の再起動には成功したわ」
「────え!?」
「そんなに驚くことでもないわよ。あんたたちが戦ってた間、あたしたちだって遊んでたわけじゃないし……それにまりも、あんたのお陰で反応炉を無傷で止められたからね。そこまでお膳立てして貰ったのに、再起動が間に合わなくて鑑を失いました……じゃ、それこそこれまでの苦労と犠牲が全部水の泡でしょ? そりゃ死に物狂いにもなるわよ」
 酷く疲れた、それでいて一仕事やり終えて満足したような顔で、夕呼は苦笑しながら言った。
 良く見なくても、夕呼の目の下には濃い隈が出来ている。恐らく基地襲撃の決着から不眠不休で、そして全身全霊を懸けて作業を続けていたのだ。
 純夏は今、ピアティフに連れられてメンテナンスベッドに横になり、ちょうどODLの浄化処置が始まったあたりだろう。霞は傍についていると言い張っていたが、夕呼は無理にでも休ませた。
 あ号標的が消滅した今、もはや純夏から情報が漏洩する心配はない。
「まあ、そんなわけだから。それに合わせて、XG-70dの再建造計画も進行中。あんたたちが持ち帰ってくれたデータで、更に計画は進むでしょうね。後は……そうね、横浜基地の戦力も再編中、場合によっては基地稼動時みたいに帝国に人材供与を申し入れる……ってところかしら」
 伊隅の妹あたりを引っ張ってくるなんてのも面白いかもしれないわね──などと笑いながら言い、夕呼はコーヒーを口にして一息ついた。
「はぁ、やっぱり本物はいいわねえ……」
 しみじみと呟く夕呼。PXで出されるコーヒーモドキではなく、正真正銘、本物のコーヒーだ。銘柄は不明だが。
 そして今度はまりもの番だった。報告すべきは四点。まずは作戦全体の顛末から始まり、凄乃皇に関する事、純夏に関する事、そして新種やあ号標的を含むBETAに関する事に至る。
「──なるほど。あれはそういうことだったのね」
 夕呼は納得のいったように頷いた。
 あ号標的の反応の消滅を確認した時、凄乃皇のML機関を暴走させたにしては爆発の規模が小さすぎたのを疑問に思っていたのだが、まりもの話を聞いて、その答えが武が密かに持って行ったG弾によるものだと分かったからである。
「ふっふふふふっ……まったく、白銀もやってくれるわね。とうとうあたしまで騙されちゃったわ」
 たばかられたというのに、酷く楽しげに笑う夕呼。
「さて。話は変わって、これからの予定だけど……とりあえずあんたたちは、少なくとも新しい機体が揃うまでは休暇にするわ。でも、あんたには社と一緒に鑑のサポートについてもらうつもりだから、完全な休暇ってわけにはいかないけど」
「白銀のことも話さなきゃいけないのよね……」
 まりもは少し気落ちした様子で言った。純夏はあ号標的ブロックに突入する前に自閉モードになってしまったので、武がどうなってしまったか、まだ知らない。
「そこはあたしから説明するわ。当事者に説明させると、また何か余計な問題が起こりそうだし。ま、何にせよODLの浄化には時間が掛かるから、これは明日以降の話。──とりあえず、今はこんなところかしら」
「……わかったわ」
「じゃあ、あんたも休みなさい。……さすがにあたしも疲れたし、もう休ませて貰うから」
 二人は席を立つと執務室から出て、それぞれの自室に帰っていった。


 2002年1月16日(水)

 ヴァルキリーズとまりも、月詠に巽、雪乃、美凪の斯衛軍第19独立警備小隊、それに純夏と霞、ピアティフ、そして夕呼は、基地正門前の坂道にある桜並木に来ていた。ここは様々な事情で大っぴらに弔う事の出来ない兵士たちの魂を葬り、祀っている場所である。
 まりもやヴァルキリーズの提案で、武もこれからここに祀られようとしている。武には身寄りもないし、その肉体も喀什のオリジナルハイヴでG弾によって消滅してしまっているし、ここに葬るのが一番いいだろう、という判断だった。
 そして厳かな雰囲気の中、武の追悼式を行おうとしていたところ──
「あのさあ、まりも……こんな陰気なの止めにしたら? こんな事したって、白銀は喜ばないわよ?」
 夕呼は半眼のウンザリした顔で、まりもに話しかけた。
「あなた、まだそんなこと……!」
「だってさあ……せっかくオリジナルハイヴを潰したのよ? 世界中でお祭り騒ぎやってるっていうのに、それなのにここだけお葬式。あーやだやだ、辛気臭いったらありゃしないわ」
 本気で嫌そうな表情を見せている夕呼。
「夕呼……いくらあなたでもそれ以上は許さないわよ……!」
 まりもの声のトーンが下がり、底冷えのするものに変わる。
「ちょ、ちょっと、そんな怖い顔で睨まなくてもいいじゃない。わかった、わかったから落ち着きなさいってば! でも、あたしはちゃんと忠告したからね? いいわね!?」
 まりもは機嫌の悪さを隠す様子もなく、夕呼からぷいっと顔を背けた。
 夕呼はやれやれとでも言いたげな表情で肩を竦めると、墓標とされている桜の木の、道路を挟んだ反対側へと退がっていく。

「国連太平洋方面第11軍、オルタネイティヴ第四計画所属──白銀武少佐の英霊に対しッ! 敬礼ッ!!」


「…………ここ……俺の部屋か?」
 武が目を覚まして周りを見渡すと、そこは柊町の自宅の、自分の部屋だった。
「そっか……あ号標的と相打ちになって、また──」
 最後の記憶が蘇ってくる。万が一のための切り札として用意していた二発のG弾を炸裂させ、あ号標的を、オリジナルハイヴを沈黙させた。
「……記憶が、ある……!?」
 随分と長い時間──少なくとも丸一日以上は寝ていたような気がする。そのためか頭がぼんやりしていたのだが、それが次第にすっきりしてくると、記憶が次々と頭の中に浮かび上がってきた。
 桜花作戦、横浜基地襲撃、甲20号作戦、甲21号作戦。向こうの世界に行った事、そこで起きた出来事。そして12・5事件。
「憶えてる……全部憶えてるぞ……! これで前よりももっとずっと上手くやれるはず……って、そうだ!」
 ここが本当にループしているあの世界なのか確かめなければならない。武は窓に掛かっていたカーテンに手を掛け、外の様子を確認した。
 窓越しに見える光景は、壊れた撃震に押し潰されて崩壊している純夏の家。間違いなく同じ世界だ。
「よし、一つずつ確認していこう。まずは身体から……って、あれ?」
 怪訝な声を上げる武。とは言っても肉体は至って正常だ。身体の感覚は以前と何も変わっていない。違っていたのは服装だった。前にこの世界に現れた時は、記憶にある二回とも元の世界で寝巻きにしていた服だったのだが、今はどういうわけか国連軍の作業服。しかも、その妙にくたびれた着心地の良さには憶えがある。
「これ……前に向こうの世界に行った時に着てた奴じゃないか。失くしたと思ってたのに……まあいいや」
 そんな事より、今はこの世界の事である。
 どんな出来事が起こるか、それにどう対処すればいいかという事に関しては、今更特に改めて考える必要もないだろう。オリジナルハイヴ完全攻略にあと一歩という所までこぎつけたのだ。ならば、言うほど簡単ではないにしても、これまでよりはずっと容易に達成出来るはずである。
「と、なると……」
 次に考えなければならないのは、因果導体に関する事だろう。そもそもBETAを地球から駆逐したところで、武にまつわる問題は何も解決しない。ただ、最大の障害になっていたから、そちらを優先的に排除しようとしていただけだ。が、そちらの目処が立ってしまった今なら、根本的な原因を追究して解決を目指す事が出来る。
「まずは俺を因果導体にした原因……先生は向こうから流出した記憶が俺に関する事だったのと、流出する条件が俺を強く想い俺に想われる事だってのが手掛かりになるって言ってたよな──いてッ!」
 武が考えを巡らせようとすると、一瞬、原因不明の激しい頭痛が襲い掛かってきた。
「まあいい……そうだな、だとすれば、俺に関係の深い事柄が原因になってるんだろうな……。関係が深いって言えば、冥夜たち……いや、この世界じゃ元々俺と冥夜たちに接点はなかったから……って事は消去法で──純夏? アハハハハ、いやそんなまさか」
 何となく思い浮かんだ事を武は笑い飛ばす。
「次は……記憶か。先生は何か条件があるはずだって言ってたけど……今回と前回、どっちも記憶を失くしてないって事は、そこに共通点があったって事だよな……あいたッ! 何だ……?」
 再び、武に激しい頭痛が襲い掛かる。
「なんか落ち着かねぇな……で、何だっけ……そうだ、共通点だ」
 ふと、横浜基地襲撃の前に、誰かを好きになった事があるとかないとか言う話をまりもとした事を思い出した。
「そうだなあ……誰か特定の相手を好きになったり付き合ったりしてないってのは、共通してるって言えばしてるけど……前は十年で今度は三ヶ月だから、アテにはなんねぇか」
 前回はともかく、今回は期間が短すぎた。これをサンプルとして扱ってしまってよいものか、いまひとつ自信が無い。
「あとは……俺がどうやって因果導体になったかって事かな。原因が分からなくてもプロセスが分かれば、そこから何とか出来るかも……って、いてッ、痛てててててッ! 何だよもうさっきから……!」
 三度、武を激しい頭痛が襲う。回を増すごとにその痛みは酷くなっている。
「クッ……そうだ、俺が因果導体になった手順だよ……えっ? 何だ……G弾?」
 突然、G弾の事が頭に浮かんでくる。
「ええと……G弾の爆発で発生した高重力潮汐力の複合作用と反応炉が共鳴して、時空間に深く鋭い歪みが発生。その時ほんの一瞬、比較的分岐が近い世界との道が繋がった──って、何を言ってるんだ俺は?」
 自分の口から出てきた言葉がいまひとつ理解出来ない。これではまるで夕呼の言葉だ。
「ああもう、わけ分かんねぇ! よし、頭痛くなるから、とりあえず因果導体とか考えるのは止め! そうだな、じゃあ今日の日付だ。基地に行かないと確認は出来ないけど、先生の仮説が正しければ、また10月22日に……って、痛ッ! なんでだよ!? ぐ、ぐおおぉ……あ、頭痛ぇ……!」
 更に酷い頭痛が武を襲う。
「ぬおおおぉ……こ、こいつはやべぇ……頭が割れそうだ……ッ!」
 武は頭を両手で抱えて床にうずくまる。しばらくすると、その痛みはスーッと引いていった。
「はぁ、はぁ……なんだってんだよ……10月22日……重い因果情報……ループの基点……運命の日……そうだ、冥夜が来た日だ……負の思念波が逆向きのスピンで過去に向かう……やり直したい? 誰が? 俺……いや、純夏──?」
 今回は頭痛が長かった分、その後に浮かんでくる記憶も多かった。
「俺が純夏以外の奴と結ばれる世界群が発生……その大元……白銀武の統合体……G元素と交換……」
 断片的なイメージが次々と武の脳裏を駆け巡る。
「はぁ……はぁ……そうだ、この症状……どっかで見た事あると思ったら、純夏だよ……」
 武は乱れた呼吸を整えながら言った。
 三度目の向こうの世界から帰ってきて、その後、純夏の調律をしていた時、度々純夏が酷い頭痛に悩まされていた事があった。武はそれを虚数時空間から因果を引き寄せて関連付けや欠落情報の補完をする際、脳が情報を処理しきれていないから起きる現象だと推測したが、今、武の身に起こっている現象がまさにそれだった。
 処理中に記憶を認識しているのか、頭痛の直後に出た言葉は自分でも何を口走っているのか分からない事も多いが、今思い返してみれば、もう既に元々持っていた記憶か新たに得た記憶なのか明確な区別が付かない。
 夕呼と話し合って仮説を立てた記憶があるから、それを元に、新たに流入してきたものを推測する事は出来るが、感覚としては元来持っていたもののようにしか感じられなくなっている。
「でも、何で……そもそも俺にそんな記憶を受け取るための受け皿なんてないはず……って、しまったあッ!」
 迂闊にも考えてしまった武。それに気が付いた一瞬の後、武はこれまでで最低最悪の頭痛に見舞われる。
「うげっ……き、気持ち悪っ……! の、脳がッ、脳が犯されるぅ……っ!」
 痛みに耐えられず、武は頭を抱えながら、床の上をゴロゴロと転がり始めた。
 しかし、武の部屋がそんなに広いはずもなく。
「ま゛っ!!」
 あっという間に壁に行き当たり、あまつさえ柱に向かって力一杯ヘッドバットをかましてしまう。そして、部屋がぐらりと揺れた。
「ぐ、ぐおおおぉぉ……!」
 ぶつけたせいで、余計に痛みが酷くなる。白目を剥きながら床の上をのた打ち回って苦しむ事、十数分──
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
 ようやく痛みが治まってきた。
「す、純夏の奴はこんなのに耐えてやがったのか……凄ぇ、純夏マジで凄ぇよ……! と、とにかく一気に考えるのはヤバい……ゆっくりだ、そうだ、ゆっくりだぞ……?」
 いつの日か純夏にそうさせたように、因果の流入量を抑えるために思考速度を緩めようとする。しかし、量子電導脳を持つ純夏ならいざ知らず、生身の脳である武にそんな器用な真似が出来るはずがない。むしろそうする事で、余計に意識して考えを巡らせてしまった。完全に逆効果である。
「うへっ、ま、また来た……ッ!」
 更にそこから小一時間もの間、苦しむ事になった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
 息も絶え絶えな武。何とかベッドまでずるずると這っていき、トドのようにぐでんと横になった。
「はぁ……はぁ……もう打ち止めか……? 考えをまとめるぞ……? いいんだな……?」
 恐る恐る考えを巡らせてみる。しかし、もう先程のように頭痛が襲い掛かってくる事はなかった。
 本当なら苦しい思いをして無理にまとめる必要は無いと言いたいところなのだが、どのみち夕呼には説明せねばならなくなるので、ある程度簡潔に説明出来るようになっておかなければならない。そのためにはまず、自分自身が理解しておかなければならないのだ。


「……で?」
 夕呼は寄り掛かっている桜の木の反対側にうずくまって隠れている人影に向かって言った。
「いや、一応、俺の身に何が起こったのか、一通り分かったつもりなんで……その報告に」
 その、鍛えこまれた大きな体躯を木の陰に縮こまらせて隠している男──白銀武は、夕呼に答えた。
「あ、そ。じゃあ……質問に答えてもらえるかしら」
「わかりました」
「あたしの仮説が合ってるかどうか、聞いてちょうだい。まずは……そうね、あんたがどこの世界からやってきたのか。答えは……そんな世界はない、ね。あんたにとっての元の世界は、どの確率分岐を探しても、どこにも存在しない。かと言って、厳密に言えば、その全ての確率分岐が元の世界である。……合ってる?」
「はい」
 つまり、武がこの世界に現れた事によって武が存在しなくなってしまった世界など存在せず、そして今ここにいる白銀武は、武が元の世界と呼んでいた世界と、そこから分岐した世界に存在している白銀武たちから少しずつ抽出された因果によって、無から構成されたという事になる。
「だから……あんたの帰るべき世界は、あんたのいるべき世界はこの世界。そう言ってしまってもいいのかもしれないわね」
「そう言ってもらえれば、俺も嬉しい……かな」
「ふふっ、どういたしまして。次はね……あんたを因果導体にした原因。……鑑、なんでしょ」
「……ええ」
「本当は、桜花作戦の前にはもう仮説を立ててたんだけど、さすがにあんたに説明するのは憚られて。……今更、隠しても仕方ないけどね。きっかけは明星作戦、G弾──」
 横浜ハイヴ攻略戦の折、米軍が強引に投下した二発のG弾。それらが炸裂した時──爆発で発生した高重力潮汐力の複合作用と反応炉が共鳴して、時空間に深く鋭い歪みが発生した。その時ほんの一瞬、比較的分岐が近い世界との道が繋がってしまったのだ。
 当時、横浜ハイヴには、脳だけの姿にされてしまった純夏がいて……たった一つの強い思念、武に逢いたいという想いのみで生きながらえていた。そして彼女の脳は、ODLを通して反応炉と繋がっていた。
 反応炉に変換、増幅された純夏の思念が、時空間の深く鋭い歪みに作用した結果──大量のG元素と引き換えに、武が召喚されてしまったのである。
「横浜ハイヴを制圧した時に見つかったG元素が少なかったのは、あんたに逢いたいという鑑の願いを叶えるために世界を捻じ曲げた代償として失われたから、ってところね。それで、あんたが因果導体になってしまった理由だけど──」
 純夏が願い、G弾爆発で時空間の歪みが発生して条件が揃った時には、この世界の武はまだ生きていたわけだが──しかし叶った願いはこの世界の純夏一人の意志だけによるものではなく、そのため、Xデーは2001年の10月22日に設定されてしまった。もしもその時、この世界の武が生きていれば、その武が純夏の前に現れる事になったのかもしれないが──しかし、10月22日の時点で、この世界の武は既に死亡してしまっていた。
 そこで、白銀武が存在しない世界に、召喚なり誕生なり、白銀武という存在が新たに加わる事になってしまったのだが……白銀武が死んで存在しない世界になっていたために、そのままでは武はこの世界に存在する事が出来なかった。
「量子電導脳にデータをコピーすると生身の脳の情報が抜け落ちてしまうって話……憶えてる?」
「はい」
「あれと似たようなものだわね。ただ、あの時は存在が重複しないようにしてやれば良かったけど──」
 武の場合、無から有になるわけだから、存在しないはずの武がこの世界に存在するためには、矯正力を働かせないために、世界そのものを騙してやる必要があった。本来であれば、世界の記憶を改竄するだけで存在する事が出来るようになるのだが、純夏の願いには、確率分岐世界の純夏たちの思念が作用していた事から、この世界だけで帰結するその方法は使えなかった。
「だから、あんたはこの世界に存在するために、因果導体になってしまったのね」
 それならば、元来この世界の存在ではなくとも、この世界に存在する事が出来る、と言うわけである。
「次は……あんたがループし続ける理由。これも鑑……よね」
「はい」
「あんたがループした時、この世界に現出するのは決まって2001年10月22日──元の世界で、この日、鑑にとって運命を変えるような、何かとても大きな出来事があったはず。でき得ることなら、この日に帰ってやり直したい……と強く願わせてしまうような何かがね」
「はい──」
 10月22日──元の世界で、武が冥夜と再開した日。この日を境に全てが変わり、動き始めた。この日には、武と結ばれなかった世界の純夏が持っている『あの日に戻ってやり直せたら』という負の思念が、確率分岐の数だけ集約していた。それが、この世界の純夏の思念と強く結びついていた。
 故に、武が純夏と結ばれる事なく力尽きてしまったら、その『あの日に戻ってやり直したい』という思念によって、10月22日に引き戻されていた、というわけだ。
「でも、やり直したいのは純夏なのに、何で俺が10月22日に戻ってたんでしょうね」
「鑑にとっては、彼女自身がやり直したいんじゃなくて、白銀にやり直してもらって自分を選んで欲しかった、ってことなんでしょう。何度やり直したところで、鑑が白銀を選ぶのは絶対でしょうから」
「……これまでずっとループし続けていたって事は、つまり一回も純夏に辿り着けなかったって事なんですよね。それも情けない話です」
「それは仕方ないわよ。あんたはループするたび、記憶を含む因果を虚数時空間にばら撒いてたんだから。どうしてそんな事が起こっていたか──これは鑑の独占欲、嫉妬……ね。もちろん、無意識下での話だけど。今回、あんたがほとんど因果を失わずに、ほぼ完璧な形でループできたのは、前のループは戦闘続きで余裕もなくて、あんたは誰とも結ばれず、誰にも恋愛感情を抱かなかったから。そうよね?」
「……はい」
「これまでばら撒いてきたそのへんの記憶、一通り回収したの?」
「それは……まあ」
「ふうん。ね、あくまで興味本位の話なんだけどさ。あんた、これまでのループで誰と付き合ってきたの? やっぱり御剣や榊、彩峰に珠瀬に鎧衣とか、そのへん?」
「あー、その……」
「なによ、別に話してくれたっていいじゃない」
「えっと……ですね、とりあえず目立つところは207B分隊で……」
「他には?」
「まりもちゃんとか……」
「へぇ……」
「夕呼先生とか……」
「あ、あたしっ!?」
「後は、まあ……霞とか」
「社まで!? あ、あんたって……」
「それと……」
「まだいるの!?」
「月詠さんに、神代、巴、戎の3バカに……ピアティフ中尉とか柏木とか……ああ、祷子さんなんてのもあったなあ」
「とうこさん? ……風間?」
「ほら、HSSTが落下してきたって話、したじゃないですか。あの時、たまの代わりにスタンバイしてた正規兵ってのが実は祷子さ──風間少尉で。たまを説得出来なくて、代わりに俺がOTHキャノンを撃とうとしたら、そこで少尉と俺、どっちが撃つかでひと悶着あって。結局はたまが出てきて二人ともお払い箱だったんですけど、それからお互いに妙に意識し合うようになっちゃったりとか。
 ……他にも、今回のループで会った事のない人だったり。あと珍しいって言えば……殿下かな」
「殿下って……煌武院殿下? 政威大将軍の? あ、あんた一体なにやらかしてるのよ!?」
「ちょ、落ち着いてください先生。……国連軍を脱走して帝国斯衛軍に拾ってもらったりとか、冥夜と間違えて殿下を拾ってきちゃったりとかあったんですよ。で、必ずしも相手は一人じゃなかったりとか……」
「……………………」
「あの、先生?」
「…………ケダモノね」
「否定はしません……て言うか出来ません。隠された自分の性癖を見せ付けられただけでもアレな気分なのに……この記憶、今の俺の思考回路と全然噛みあってないんですよ! そんな手当たり次第に手を出すような真似、俺に出来るはずないのに、そのうち記憶に引っ張られてそんな事をやり始めるんじゃないかって思うと、お、俺はもう」
「…………」
 武は頭を抱え込み、夕呼はそれに白い目を向けた。二人の間に、実に気まずい空気が漂い始める。
 それを何とかしようと、武は話題の転換を試みた。
「……と、ところで、みんなしてあそこで何やってんですか?」
 武の指差した先には、武と関わりの深かった人たちが集まっている。何をやっているのかと言う疑問は、最初からあった。あの桜の樹は身寄りのない衛士の魂を祀る墓標の代わりとされていたはずで、誰か死んだのかと思っていたのだが、夕呼から返ってきた答えは──
「ああ……お葬式よ」
「誰の?」
「あんたの」
「……マジで?」
「マジよ……って、だからそれ何語なのよ」
「いや先生、ちゃんと意味分かって使いこなしてるじゃないですか……」
「……まあとにかく。あんたの心と身体が誰かと深く結ばれれば、鑑の無意識領域の独占欲がそれに反応して、あんたが誰かと結ばれた因果を濾し取っていたのね」
 たとえ心が結ばれなくとも、恋愛感情があれば、或いは身体だけでも結ばれてしまえば、部分的にでも因果を濾し取られてしまうだろう。もし誰かと深い絆で繋がってしまえば、それに関連付けられて、ループする際にほぼ全ての因果を濾し取られてしまう事になる。
 元々この世界の人間ではないという認識のあった武は、誰かと結ばれると、その相手が心を占めるウェイトが非常に大きくなってしまっていた。この世界で生きていられるのはその相手がいるからだ、と言い換えてもいい。そんな状態でループすれば、この世界で生きる理由を、そして、そのために研鑽してきた事の全てを奪われてしまう。つまり、何もかも忘れて初めてこの世界に現れたのと同じ状態になってしまう。
 前回のループの出発点である10月22日、このBETAに侵されている世界に初めてやってきたのだと武が思ったのは、向こうの世界の夕呼に聞いてきた通り、全ての因果を濾し取られてしまっていたからだと言うのは分かっていたが、それはその更に前のループで誰かと深い絆で結ばれていたから、と言うわけだった。
「……このことで鑑を責めたりしちゃダメよ?」
「分かってますって」
「ふふん、今のあんたには無駄な言葉だったわね。──じゃあ、次。あんた、膨大な記憶を一気に受け取ったみたいだけど、関連付けやきっかけだけで記憶を得ることはできない。と言うことは、あんたは記憶の受け皿を持っていたことになる。誰かと結ばれたと言う記憶に関するものならともかく、因果導体に関しては、そもそもそれがなんだかよく分かっていなかったんだから、受け皿なんて存在しないはず。それを得た理由ね」
 夕呼は言葉を続ける。
 武があ号標的の目前でG弾──五次元爆弾を炸裂させた時、その強烈な威力によって時空間に歪みが生じた。
 ただでさえ因果導体として虚数時空間、そして世界の記憶との因果のやり取りがずぶずぶだった武に、歪んだ時空間から濁流のように、一斉に白銀武に関係する因果が押し寄せてしまい、一挙に受け皿が完成してしまった。
「そういうこと……でいいのかしら?」
「はい」
「それじゃ、次で最後。あんた……もう、因果導体じゃなくなって、ループからも抜け出してる……のよね?」
 さすがに確信までは持っていなかったのか、少しだけ自信なさげに、夕呼は言った。
 しかしその言葉に、武は驚いたような表情を見せた。ここまでの話なら、夕呼ならさほど悩む事もなく推測が可能な内容だったと思っていたのだが、さすがにこれに関しては情報が少なすぎて、仮定を立てるどころの話ではないと思っていたからだ。
「そんな顔するってことは……あたってるってことよね」
「はい。あの……なんで分かったんですか?」
「天才を名乗る以上、このくらいのことは……ってのは冗談。本当は、仮説に根拠の無い仮説を積み上げていったのがたまたま……ね」
「たまたま……ですか」
「まあ、聞いてちょうだい。あんた、あ号標的ブロックでG弾を爆発させたんでしょ? 普通に考えれば、その状況で生きていられる方がおかしいわよね。まりもからはあんたは死んだって聞いたけど、でも、あたしはちゃんと意思を持ち続けていた。それはつまり、ループは起きていない、あんたは死んでいないってことになるわ」
 では、あの状況からどうやって武は生き延びたと言うのか。
 二つのハイヴ攻略作戦のデータから、あ号標的もリーディングやプロジェクションを使用出来るであろう事は予測されていた。だからこそ桜花作戦に際して、純夏のバッフワイト素子を霞以外の全てのアクセスから遮断するように設定していたのだが……それはさておき。
 とにかく、甲20号作戦で純夏がリーディングによって大打撃を受けた事からも、武があ号標的からプロジェクションとリーディングを受け、武の思考と超巨大反応炉であるあ号標的が接続されるであろう事は、夕呼にとっては予想の範疇内であったのだ。
「つまり、G弾炸裂時のエネルギー、大量のG元素、反応炉によって増幅された強靭な意志……あの時あの場所には、全てが揃っていたのよ。そしてあんたは、世界を──捻じ曲げた」
「……根拠、ちゃんとあるじゃないですか」
「ここからよ。全ての条件が揃った時、あんたが何を望んでいたか。こればっかりは根拠じゃなくて……想像と願望ね、あたしの」
「先生は、どう思ったんです?」
「あんたは三度目の向こうの世界から帰ってきた時、この世界で何を成さなければならないかを完全に理解してた。BETAを何とかするだけじゃダメ、それじゃこれまでに影響を与えてしまった客体世界は救えない。本当に世界を救うには、あんた自身が因果導体やループから解放されなくちゃいけないってことをね」
「……」
「鑑が深層で願っていたのは、白銀と一緒にいたい、結ばれたい──そんな感じのことよね。言い方を変えれば、この世界にあんたを縛り付けるってこと。その結果としてあんたは因果導体となり、ループするようになったんだから、あんたとあの子の願いは、真っ向から対立していた。
 それで、どっちの願いが勝つかって話だけど……まず、世界に干渉するための条件としては、あんたの時の方が絶対的に上。G弾爆発の中心点にいて、オリジナルの反応炉に地球最大のアトリエがあったんだから。エネルギーも反応炉もG元素も、その全てが、量においても質においても、あんたの時の方が確実に勝ってる。
 あるいは、意志の質の違いもあったのかもしれないわ。鑑は脳の無意識領域でしか望んでいなかったけど、あんたは表層意識でも強く願っていた。
 それとも……あんたとあの子、二人で意地を張り合って、あの子の方が先に折れたのかもしれないわ。『タケルちゃんはワガママだから仕方ないよね──』なんてね。
 どんな理由かはあたしの知るところじゃないけど……とにかくあんたの意志が勝って、だからあんたは因果導体やループから解放された。……そういうことでいいのよね?」
「──はい」
「どうしてあんたは、この世界に残ろうとしたの?」
「それは……」
「あんたは全てを清算し終えるまで死ぬつもりはない。……違う?」
「──違いません。……やっぱ凄いですね、先生。何でもお見通しなんですね」
 心の中を見透かされて苦虫を噛み潰したような、それでいて心の中を見抜いた夕呼の洞察力を感心しているような表情で答えた武。
「違うわよ。そこんとこはあたしと同じなんじゃないかって、勝手にそう思ってただけ。ま、あたしは途中で投げ出そうとしちゃったんだけど……ねぇ?」
 夕呼は指で銃の形を作って、苦笑しながら答えた。
「00ユニットが完成したとき……自分のやってきたことを振り返って、どうしようもないほど怖くなったわ。このあたしが、よ。信じられないでしょ?」
「別におかしくはないですよ。だって先生、優しいし」
「ちょ、ちょっとやだ、もう……やめてったら、そういうの……」
 この時、夕呼の頬が軽く紅く染まっていたのに、武は当然ながら気が付かなかった。
「とにかく……ね。ずっと昔に覚悟は決めてたつもりだったんだけど、全然足りてなかったみたい。思えば、あれほど事に深く関わってる当事者と接触したのは、あんたが初めてだったの。
 でも……あたしが自分から逃げ出すことなんて許されるはずがないし、それで、あんたならあたしを手に掛ける資格もあるし、楽にしてくれるかと思って──ま、気弱になってたのは確かなんだけど──苦しみながらあんたが戻るまでの数日をやっとのことで過ごして……そしたらあんたは帰って来るなり、ちくちくちくちく痛いところばかり突っついてくれるし」
「いや、その……あ、あれはあっちの夕呼先生がやれって……」
「分かってるわよ。でも、あの後であんたが、あたしに死んで欲しくないって言ってくれたのは……本当に嬉しかったのよ。あんたはあたしがどんなことをやってきたのかを知ってる上、事態の中心にいる当事者だったのに、そんな──」
 と、そこで不意に言葉を切る夕呼。
「……?」
「ゴメン今のなし、忘れてちょうだい」
「はぁ……」
「あんたにはまだまだやって欲しいことがたくさんあるんだし、あたしとしても、この世界に残留してくれたのは本当にありがたいわ。……あんたがこの世界以外に順応できなくなってるってのは、分かってたことなんだけどね」
「……え?」
「最初に向こうに行って帰って来た時、あんたってすごく寂しそうな顔してたのよね。最初はそれを見て、本当に実戦で使いものになるのか……なんて考えたりもしたわ。意味を取り違えちゃってたのね。あの時あたしは、量子電導脳の論文をあんたに否定された後だったから、周りが見えなくなっちゃってたのよ」
「先生でも、そういうの気になるんですか」
「そりゃ、ね。もちろん、そんなもの普段は表に出さないけど、あの時は相当堪えたわよ。全身全霊をかけて進めてた研究が、一番最初の、根本の部分がいきなり間違ってるなんて言われたんだから……って、そんなことはどうでもいいのよ。今は、あんたが寂しそうな顔をしてた話」
「……向こうに合わないってのは今更ですけど。あの時はズレを思い知ったって言うか。まあ、俺がいた元の世界なんて本当はどこにもないんじゃないかって、薄々感じてましたから。それに、仮に元の世界に帰るとして、どんな形になるかを考えたら、やっぱりどれも選べなかったんですよね」
 そもそもが様々な並行世界から要素を寄せ集めて構成された武にとって、帰る事の出来る元の世界など存在しないのだが……それを考慮せず、無理に帰ろうとしても、最初のようにもう一人の別の自分がいる状態になってしまうか、その世界の白銀武の肉体を乗っ取ってしまうかのどちらかだ。前者ならその世界に武の居場所はなく、後者ならその世界の武を犠牲にしてしまう。
 或いは、抽出された構成要素が全ての世界の白銀武に還り、今ここに存在する白銀武は存在を維持出来なくなって消滅してしまうか。それも認められない。武は消えたいなどと思っているわけではないし、何より、この世界でのBETAとの戦いはまだ終わってなどいないのだ。
 それとも、この主体世界以外に干渉した世界──つまり、武の構成要素が抽出された全ての確率分岐世界が全てなかった事になって、10月22日に再構築されてしまうか。これも駄目だった。他の世界で精一杯生きてきた人たちの想いまで消えてなくなってしまうし、やはりここにいる白銀武は、この世界から消えてなくなってしまう。
「ま、後半の理由はさっき分かったばかりの事で、後付けなんですけど……何にしても望むところじゃないです。それに……今はG元素と引き換えに俺を生み出してくれた純夏のいるこの世界が、俺の居るべき世界だと思ってます。だからさっき、先生が俺の世界はここだって言ってくれた時、本当に嬉しかったんですよ」
 そう言って、武は笑った。
 だが何にせよ、武の願いは叶い、一度、確率の状態まで戻って再構築され、同時に因果導体やループから開放、それによって影響を与えてしまった世界は修復され、そして武は引き続きこの世界に留まる事になり、そして、今ここにいる……というわけだ。
「でも、まとめてみたら随分とまあ都合のいい話よね。あたしたちにとって都合が良い分には一向に構わないし、願ったり叶ったりだけどね。……とにかく、事情は呑み込んだわ。それにしても──」
「何です?」
「あんたって、00ユニットの素質……鑑以上にあるのかもね。内緒で手配したG弾は最後の決め手になってるし、G弾で自爆しながら生き延びて、あまつさえ世界を都合の良いように捻じ曲げちゃったんだから」
「ははっ、かもしれません」

「さ、おしゃべりはこのくらいにしましょう。あれ……なんとかしちゃいなさい」
 夕呼は寄り掛かっている桜の樹の裏側に、相変わらず小さくうずくまって隠れている武に向かって言いながら、道路を挟んで反対側の桜の樹の方を指差した。その先には……深刻な顔をしたまりもたちがいた。言わずと知れた、武の葬式の真っ最中である。
「いや、その……なんか無茶苦茶出ていきづらい雰囲気って言うか……」
「あたしはちゃんとやめろって言ったのよ? でもねぇ、まりもが意地張っちゃってねぇ?」
 そういう夕呼の口調には、悪戯の色が多分に含まれていた。どこまでちゃんと説明してやめろと言ったのか、分かったものではない。
 説明出来ない事が多すぎるのは確かだが、どう考えてもそんな問題ではなさそうだ。
「まったくもう……先生がまりもちゃんに意地を張らせた、の間違いじゃないんですか?」
「さあ、どうかしら?」
 ふふん、と笑う夕呼。
「なんにしてもあまり引っ張らない方がいいと思うわよ? こういうのは時間が経てば経つほど、気まずくなっちゃうものだからね」
「そ、そうですよね……分かりました、行きます」
「それじゃ白銀、頑張ってね~」
 こそこそと桜の木の陰から出てきた武は、涙が出そうなほどありがたい夕呼の言葉を背に、ゆっくりとまりもたちの方に近付いていった。
「…………」
 ヴァルキリーズの後ろまで歩いて行ったのだが、誰も気が付かない。
 いきなり声を掛けるのもどうかと思ったので、ちょうど目の前で背を向けていた美琴の肩を、ちょんちょんとつついてみた。
「…………?」
 ちょっと目に涙を溜めたりなんかしていた美琴が何事かと思って後ろを振り向くと、そこには──
「よ、よう」
 今まさに葬式をされている最中の武が、実に気まずそうな困ったような笑みを浮かべて立っていた。
「うわああぁぁっ!?」
 死んでしまったはずの人間がいきなり現れた事に驚いて、後ずさろうとして足を絡ませ、尻もちをつきながら叫び声を上げる美琴。集まっていた一同は何事かと、揃って後ろを向く。そして、そこにあったのは死んだはずの武の姿。
「お、お化け!?」
 壬姫が叫ぶ。
「いや違うって」
 苦笑する武。
「ほ、本当にタケル……なのか?」
「……足、ちゃんとついてる」
 信じられないというような顔でふらふらと近付いてきて、冥夜が顔を、慧が足をぺたぺたと触ってくる。
「だから生きてるってば」
「ど、どうやってG弾の爆発から生き延びたの? それにどうやってここまで帰ってきたの!?」
 千鶴が訊ねてきた。だがそれも当然の疑問だ。
「まあ……なんだ。G弾ってのは重力に影響を及ぼすだろ? それでだな、こう……重力のせいで空間がぐにょっと歪んで、びょーんってな具合で」
「びょーんって……」
「で、気が付いたらどういうわけか柊町の自分の家で寝てて、基地に向かってみたら、ここで俺の葬式をやってて出るに出られなかったと」
「だからやめときなさいって言ったのにね」
 武の後ろから声が聞こえてくる。そこには、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた夕呼が立っていた。
「夕呼……あなた、白銀がいるの知ってて黙ってたわね!」
 ぷるぷると身体を震わせながら夕呼に詰め寄って行くまりも。
 本当は夕呼も武を見つけていたわけではなく、自分の意思が維持されていた事からループが起こっていない、つまり武は生きているのだと結論付けていただけだ。そして生きているなら、必ず帰ってくると信じていた。
 だがしかし、まりもがそんな事を知る由もなく。そして夕呼も説明するつもりはない。
「だからぁ~、やめときなさいってぇ、言~ったのにねぇ~?」
 先程と同じ台詞を、今度は口の端を先程よりも吊り上げて言った。目も完全に笑っている。
「──夕呼、いくらあなたでもそれ以上は許さないわよ…………ぷっ」
 夕呼はにやけ顔で先程のまりもの物真似をして、笑いを堪えながら、その場から逃げ出した。
「ゆ、ゆ、ゆ、夕呼……ッ! ま、待ちなさいッ!!」
 まりもは顔を真っ赤に染めて、嬉しいのやら腹立たしいのやらよく分からないような表情で夕呼を追いかけ、あっという間に捕まえてしまう。そして力任せに夕呼を振り回していたが、それはどう見ても二人でじゃれあっているようにしか見えなかった。
「……あんなはしゃいでる先生見たの、初めてだ……」
 武はその様子を見ながら呟いた。
 元の世界で温泉に行った時の記憶で、酒を飲んで弾けていた夕呼に近いものがあるが、今の夕呼はそれの数段上をいっている。
「嬉しいんですよ」
「──ん?」
 武の隣に霞がやってきて言った。
「まあ、オリジナルハイヴを潰せたわけだし、そりゃ嬉しいだろうけど、あれはちょっとやりすぎなんじゃ──」
「いえ……そうじゃなくて。白銀さんが無事に帰ってきてくれたことが嬉しいんですよ」
「俺が? そんなもんかなあ……」
「はい、そんなものです」
 霞は笑顔で答えた。
 そして、ヴァルキリーズや月詠たちが武の側にやってきて人の輪が完成し、バンバンと背中を叩いたり頭を小突いたりして、その無事を祝福する。しばらく武はそうやって揉みくちゃにされていた。
 荒っぽい歓迎がひと段落つくと、武はその輪から離れたところに歩いていく。
「よう純夏、ただいま」
 純夏だけは、その輪に加わっていなかった。そして武が近付いていっても、地面に視線を向けたまま、目を合わせようとしない。
「…………」
「なんだ、まだ怒ってるのか? 悪かったよ。うん、俺が全面的に悪い」
「…………」
「開き直ろうってわけじゃないけどさ、どうも俺は筋金入りの鈍感みたいだからな。これからはそれも直すように努力する……って言っても、今更治る保証もないんだけど──」
「……違うよ、悪いのはわたしの方だよ……タケルちゃんは何も悪くない……」
 純夏は俯いたままぼそりと呟いた。
「ん? なんで?」
「だって、わたしがタケルちゃんをこの世界に呼び付けて、縛り付けて……わたしのせいでタケルちゃん、いっぱい傷ついて、いっぱいいっぱい辛い思いをして──!」
「何だ、お前も気付いてたのか。基地襲撃の前に倒れた時……だよな」
「……うん」
 純夏が知る、武が戦う大きな理由の中に、純夏のためと言う理由も存在していた。これはリーディングで読み取っていた事なので間違いない。故に、純夏は自分が00ユニットとしての使命を果たそうとする限り、武は純夏を護るために戦い続けるであろう事も理解していた。だから武をこれ以上戦わせないようにするためには、武と決別しなければならないと思っていた。
 それで純夏はサンタウサギを突き返そうとしたり、またA-01部隊から外そうとして、武を戦いから遠ざけようとしてみたのだが、武の態度を見る限り、効果があるようには思えなかった。
 そこに来て武のあまりのデリカシーの無さが炸裂して、純夏は武を拒絶するような態度を取ってしまった。
 感情的かつ衝動的な行動ではあったが、それをきっかけに純夏は武に甘え切っている自分に気が付き、このとき初めて武と本気で決別する覚悟が出来たのだ。
 そう覚悟を決めた事によって純夏の心にぽっかりと穴が開き、そして武を独り占めにしたいという本心に気が付いてしまった。それは純夏の無意識領域の望みと同じ。これをきっかけに閉ざされた無意識領域に綻びが出来、そして虚数時空間から流入してきた因果によってその綻びは大きくなり、芋づる式に無意識領域が開放され、因果導体にまつわる真実まで知る運びとなったのである。
 自閉モードになって倒れたのは、この一連のストレスが極めて甚大なものだったから、というわけだ。
「そっか。辛かったな」
「──っ!」
 武は俯いたまま顔を上げようとしない純夏の頭にポンと手を置いて、慰めるように優しく撫でてやった。
「ま、俺の事は別に気にしなくていい。もう因果導体でもなければ、ループも終わったんだからさ」
 事も無げに言う武。
「……え?」
「あ号標的の前でG弾ぶっ放した時にそうなったんだ。だからお前が気にする事なんて何もない」
「でも……でも……!」
「いいんだって。じゃあそうだな、こう考えてみろよ」
「……?」
「お前が望んでくれたから、俺はこの世界に存在する事が出来るようになった。お前が縛り付けてくれていたから、俺もこの世界も、より良い未来を掴む事が出来た……ってさ」
「…………」
「俺は元々この世界の存在じゃなかったけど、俺がこの世界に存在するようになった事で及ぼした影響なんて、本当にたかが知れてるんだよ。今回はオルタネイティヴ計画にかなり深く関わって、その分影響力も大きくなって何とか上手くいったけど、影響力が小さかった場合は成功とか失敗とか言う以前の問題だったんだ。
 それでだな。俺が世界に与える影響力が小さいと問題外だって事は、俺がいない場合は影響力は当然ゼロなんだから、勿論上手くいかないよな? だから俺って存在がなけりゃ、この地球には滅びの未来しかなかったってわけだよ。どんな滅び方をするかって選択肢くらいはあったと思うけど。
 そう考えてみればさ、何回もやり直せるシステムを作って、俺っていう異分子をこの世界に取り込む事で逆転のきっかけを作ったお前は、この地球にとって勝利の女神様って事になるんだぞ? 凄ぇじゃん」
「…………」
「それに、俺が今こうしてここにいられるのも、お前のお陰って事になるだろ? そんでもって、俺も因果導体じゃなくなって、この世界から因果を送り込んで影響を与えちまった世界も修復されてるんだし、こうやって良い未来を掴み取ったんだから、言う事ないじゃないか。結果オーライだよ。だからいいんだ、お前はもっと胸を張ってろ。な?」
「でも……」
「でもは無しだ。俺が気にしないって言ってるんだから、お前も気にするな」
「わかったよ……ありがとう、タケルちゃん……」
 赦された事で心が軽くなったのか。純夏は顔を上げ、目に涙を溜めたまま、とびきりの笑顔を見せる。
「いや、俺の方こそ礼を言わなくちゃな。俺を生み出してくれて本当にありがとう、純夏」
 武は純夏の頭の上に乗せていた手で、純夏の頭をぐりぐりと撫でた。

 あ号標的という頭脳を失ったBETAが地球上から完全に駆逐されるのは、もはや時間の問題だ。だがその後は月、そして火星のBETAを駆逐していかなければならない。
 夕呼の見立てでは、火星圏までのBETAを駆逐するのに少なくともあと20年。だが、それまでに解決しなければならない問題は山積みだ。根本的に解決出来ないような問題も多い。
 オリジナルハイヴの攻略で地球の奪還が現実味を帯びてきた今、危機感を失くし、権利を楯に自分勝手な事を考える輩が必ず出てくる。これから先、これまで以上に人間同士の争いは増していくだろう。
 そう考えると、むしろこれからの方が大変だ。常に自滅の可能性を孕んだまま戦い続ける事になる。敵は内にありとはよく言ったものだ。
 確かに大きな区切りがついたとは言え、まだまだ先は長い。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
「──でも、今だけはゆっくり休みなさい」
「え? ……先生?」
 夕呼が傍にやってきて、そして武の心を見透かしたかのように、優しげな表情で言う。
「あんたにはまだまだやってもらわなきゃいけないことが山ほどあるからね、こんなところでくたばってもらっちゃ困るのよ」
 しかし、すぐにいつもの不敵な表情に戻り、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ねえ白銀? 夕呼がこんな物言いをする時って、ただの照れ隠しだからね。言葉通りに受け取っちゃダメよ?」
「ちょ、ちょっとまりも!?」
 まりもがやってきて、さっきの仕返しだと言わんばかりに、くすくすと笑いながら夕呼の意図を暴露する。
 武がそんな二人の様子を呆気にとられたぽかんとした顔で眺めていると──
「ねぇねぇタケル! ボクたち、これからPXでタケルの好きなものをみんなで食べる予定になってたんだけどさ、タケルも一緒に行こう!」
 美琴が手を大きく振りながら、坂の上から大きな声で呼びかけてきた。夕呼とまりも、そして武以外は、もう全員そこに揃っていて、武たちが来るのを待っている。
「私たちも行きましょ」
「そうね。さ、白銀」
 武はまりもと夕呼に背中を押し出される。
「はい──」
 そして武たちは、抜けるように青い空を見上げながら、仲間が待つ場所へと向かって歩いていった──


 マブラヴオルタネイティヴ(偽) 完



[1123] マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
「全く、キリがねぇよなぁ……」
『──そう言うな。これでもいつもと比べれば、随分と楽をしているであろう?』
「まあ、そうなんだけどさ……ッ!」
 宥めるような口調の冥夜に武は苦笑しながら、突進してくるBETAの群れに向かって36mm弾を乱射した。突撃砲から射出された砲弾はライフリングによって旋条痕を刻み込まれ、旋回運動を起こしながら、迫り来る要撃級や戦車級BETAに次々と自らの躯を螺子込ませていく。
 今、武たちが背にして守っているのは、国連太平洋方面第11軍佐渡島基地。かつて甲21号目標──佐渡島ハイヴがあった地で、白銀武以下207小隊は、BETAの侵攻を押し止めるべく敷かれた防衛線の一翼を担っていた。
 何故このような場所に基地など作ったのかといえば、表向きは佐渡島ハイヴの地下茎構造を有効利用するため、という事になっているが、実際のところはアトリエ──BETA由来の人類未発見元素、通称G元素の精製プラント──があるからに他ならない。ここは基地とは名ばかりの研究用施設なのだ。
 だが勿論、基地と名が付く以上、基地としての体裁は整っている。しかし、そこに配備された戦力は人類の領土を守護するためのものでも、人の命を守るためのものでもなく、あくまでこの施設を防衛するためだけのものだ。もっとも広義で見れば、研究を進める事が人類勝利への道でもあるので、そういう意味では人類を守護していると言えなくもない。
 そして国連の名を冠してはいるが、その実態は米国そのもの。横浜と同じ太平洋方面第11軍というのも名ばかりで、横浜基地との横同士の連携など無く、有事の際には、オルタネイティヴ4の頓挫によって存在意義のほとんどを失ってしまった横浜の戦力は、全て佐渡島基地の下に組み込まれるのだ。

 2003年12月、オルタネイティヴ5の移民船団がラグランジュポイントから外宇宙に向けて出発。
 翌2004年1月、G弾運用による地球規模の大反抗作戦──バビロン作戦が発動。武たち207小隊も大陸に出陣し、前線を転戦した。
 そして2005年3月某日。国連軍、帝国軍、米軍が共同で、佐渡島奪還作戦──甲21号作戦を展開、佐渡島ハイヴを奪取。この戦いには、各地を転戦して名を挙げつつあった武たち207小隊も横浜基地部隊として招聘され、その高い練度から、ハイヴ突入部隊として軌道降下兵団に編入された。
 そして、作戦は成功。
 当初のプラン通り、エネルギージェネレーターである反応炉、G元素精製プラントのアトリエを無傷で入手。ちなみに207小隊は反応炉制圧部隊に組み込まれ、任務を見事達成した功績から、その際に全員が中尉に昇進している。
 武たちが今再び佐渡島に招聘されたのは、佐渡島基地の直轄である横浜基地の部隊で、かつ練度が高いという理由の他に、かつて甲21号作戦でハイヴ突入部隊だったから、という要素が大きかった。万が一、基地施設内部での戦闘に発展した場合、ハイヴ内戦闘の経験があるとないとでは、やはり大違いなのだ。
 そんな理由で、207小隊は佐渡島防衛線に参戦しているのである。
 しかし、そもそも世界規模の大反抗作戦を展開して攻勢に出ていたはずの人類が、何故、今になって防衛戦などやっているのか。
 これは、BETAの対処能力が人類の想定を凌駕していたからに他ならない。
 1999年8月5日に開始された本州島奪還作戦──明星作戦。その作戦の第一手、横浜ハイヴ攻略戦で、米軍が無理矢理投下した二発のG弾。色々と問題は残されたものの、その比類なき威力によって、ハイヴの占領が現実のものとなった。その占領した横浜ハイヴの地下茎構造をそっくり利用して建造されたのが、国連軍横浜基地なのだが、それはさておき。
 他のハイヴに比べて横浜ハイヴの規模は小さかったものの、ハイヴの攻略、占領という人類史上初の快挙に、G弾を使えばBETAに勝てる、という神話が出来上がってしまった。
 先に行われた大反抗作戦──バビロン作戦は、元を辿ればその神話に基いたものである。
 だが、その神話には大きな間違いがあった。至極当たり前の事ではあるのだが、『G弾を使えば勝てる』のではなく、『G弾を上手く機能させられれば勝てる』だったのだ。
 地上でのBETAとの戦闘が開始されて30余年。その間、開戦当初に航空戦力を無効化されて以来、BETAの人類戦力に対する対応は非常に緩やかなものだった。比較的大きな変化といえば、闘士級や兵士級と言った小型種が確認されるようになった事くらいだろうか。
 ──だがしかし。それはただ単に、人類の持つ戦力の脅威度が低かったからに他ならない。そこにG弾という超々高威力の兵器を持ち込めば、当然ながらその脅威度は最高レベルにランキングされ、優先的に対処してくるようになる。
 BETAが地球に降着した後、たったの19日で人類の航空兵力をほぼ完全に無力化した時のように。
 それを忘れていた、或いはそんな悪夢のような事実を忘れたいという願望だったのか──ともかく人類は、G弾も戦術機等の従来の戦力と同様、即座に無力化されてしまうような事は無いのだと勘違いしてしまった。
 BETAがとってくる人類の戦術に対する対処法も研究されていたから、本当に19日で完全無力化されてしまったというわけではない。しかし対応出来ないのであれば、次の方法を考えてくるだけだ。
 人類がG弾をハイヴで炸裂させれば、次の時はBETAはその方法に対処してくる。人類は新たな方法を行使し、BETAはそれに対処する。そんないたちごっこを繰り返し──先に音を上げたのは人類の方だった。
 そして、もとより砂上の楼閣であったG弾神話は脆くも崩壊し、そこから人類は一気に劣勢に転じた。攻略、占領したハイヴは次々と奪還され、今度は昔のようなG弾という希望も無いまま、ただひたすら敵の攻撃を凌ぐだけの、絶望の日々が始まった。
 佐渡島基地も、研究用途として反応炉やアトリエと言ったハイヴの機能はそっくりそのまま残しているから、それでBETAが奪い返しに来た、というわけだ。
 この戦いの勝利条件は敵の殲滅。それを達成出来るかどうかは、BETAがどれだけの物量を投入してくるかで決まってくる。
 現在、米軍のA-6イントルーダーが日本海に展開し、海中でBETAを迎撃している。彼らから入ってきた情報によると、BETAの数は師団規模。容易ではないし、総力を挙げてかからねばならない事に変わりはないが、しかし彼我の戦力比を考えれば決して殲滅が不可能な数だと言うわけではなく、十分に勝てる見込みのある戦いである。
 武たちも、厳しい戦いにがなるだろうが、しかし問題なく勝利出来る戦いだ、と楽観視している部分があった。
 彼らがこれまで経験してきた戦闘の中で一番過酷だったものといえば、やはり甲21号作戦でハイヴに突入した時の事だ。それに比べれば、所詮地上戦など遊戯めいたものだ──などという驕りがあったのかもしれない。
 敵が殲滅可能な程度の数であったとしても、たとえ戦力の質の差で戦況をひっくり返せるのだとしても──BETAは殲滅が確認出来るまで気を抜く事が許されないような、生半可な相手ではないというのに。

 現在、戦況は極めて順調に推移している。
 元々、反応炉とアトリエを擁する佐渡島基地は、世界でも類を見ないほどの最重要拠点とされているのだ。そしてその立地条件は、より前線に近い。
 そんな状況であるが故に、佐渡島基地には対人、対BETA共に人類最高峰と言ってもいいほどの戦力が集結されていた。
 しかしながら、武たちはその枠からは外れている。元々佐渡島基地に所属する部隊ではないという事に加え、その精鋭たちと肩を並べるのに練度が不足しているわけではないが、今日の今日まで攻める戦いしか経験した事がなかったからだ。
 初めての防衛戦で、いまひとつ勝手が掴めなかった開戦直後。しかしそこは、207小隊には指揮官が実質二人いるという事を活かして、何とか巧みにカバーしていた。
 普段は前衛のA分隊に小隊長の白銀武以下、御剣冥夜、彩峰慧。後衛のB分隊に分隊長の榊千鶴以下、珠瀬壬姫、鎧衣美琴というオーダーになっている。それを今は、前衛に冥夜と慧、中盤に武と千鶴、後衛に壬姫と美琴、というように組み替えていた。従来のA、B分隊の指揮をそれぞれ武と千鶴が執ると同時に、それとは別に、状況に応じて左翼を武、右翼の指揮を千鶴が執る事で、より多種多様な局面に柔軟な対処が出来るようにしていた。
 普通こんな事をすれば、船頭多くして船山に登る、などという事になりかねないのだが、武を中心とした部隊内の信頼関係が半端ではなく、誰と誰がどう組もうが誰の指揮であろうが、キッチリと連携を取れるほど部隊の練度は高くなっている。その結果、武と千鶴がダブルボランチとして機能し、部隊の戦闘力は不慣れな防衛戦でも決して普段に引けを取ることは無かった、というわけだ。
 そして開戦から数時間。守る戦いにも次第に馴染んで勝手が分かってくると、各個が普段通りの実力を発揮出来るようになり、フォーメーションによる効果の分だけ戦力は向上した。

「たまッ! 10時方向距離3200要撃級2!」
『了解ッ! ──05、フォックス3!』
 小隊内の戦域管制も兼ねている武の命令に従って、壬姫の搭乗する陽炎が87式支援突撃砲を構え、即座に36mm弾を発射する。ここまでの戦闘で風の影響を完全に読みきっているのか、難なく命中、そして撃破。
 もっとも、彼女がまだ訓練兵の時、横浜基地目掛けて墜落してくるHSSTに対して、シャトルの発射台に固定した1200mmOTHキャノンで、まさに毛穴を通すような超高精度の精密狙撃を成功させた事に比べれば、本当にどうという事も無いのだが。
 壬姫は訓練兵だった当時から既に極東一位のスナイパーなどと言われていたが、HSST狙撃の一件で一皮剥けたのか、ただでさえ非凡だった才能が更にメキメキと伸び始め、今や人類の頂点に君臨するスナイパーと呼ばれるまでに成長していた。
 どこの誰が言い始めたのか、『狙撃のお姫様』などと呼ばれたりもしている。『女王』ではなく『姫』であるところが、壬姫らしいと言えば実に壬姫らしい。また、それを短縮したのか、それとも名前から一文字取ったのか、或いはその両方か……単に『姫』とか『姫様』などと呼ぶ者たちもいる。壬姫自身はそんな呼ばれ方をするのは恥ずかしくて堪らないので、割と本気で勘弁して欲しいと思っているのだが。
 ともあれ、今もその才能を存分に発揮していた。
「よし……とりあえずこれで次の波が来るまで、しばらくはゆっくり出来るかな」
 戦域情報を見て、BETAを示す光点が消滅しているのを確認した武は呟いた。
『──戦闘中にあまりのんびりしすぎても、いい影響は無いんじゃない?』
 回線を繋ぎっぱなしにしていたため、その独り言に千鶴が反応する。
「それはまあ……そうだよな」
 武は苦笑しながら千鶴に返した。
 実のところ、今日の戦いでは近接戦闘は数えるほどしか行っていない。襲い掛かってくる敵の大半を狙撃によって討ち滅ぼしているからだ。勿論、これは壬姫の力によるところが非常に大きい。
 今日の207小隊の撃墜数の六割ほどが壬姫の狙撃によるスコアだ。数が多い時、或いは基本的に36mmが通用しない突撃級や要塞級が含まれている時は、どうしても接近を許してしまい、近接戦闘を行わざるを得ない。しかし要撃級や戦車級が50体程度なら、2kmも距離が開いていれば壬姫一人の手によって接近される前に殲滅してしまう。100体までなら部隊全員で狙撃する事で、やはり接近される前に殲滅出来る。
 まさに人類最高峰の技術を持つ壬姫に他の隊員たちの技術もグイグイと引き上げられ、全員が全員、他の部隊に行けば狙撃手として十二分に通用するほどの技量を身に付けていた。
 中でも、武の成長には目を見張るものがあった。元々何の経験もなかった事が幸いして、まっさらの白紙の状態に壬姫の手ほどきを受ける事が出来たからだ。生まれ持ったセンスによる部分はどうやっても遠く及ばないが、武が自分自身を厳しく律して錬成した事もあり、壬姫が努力して身に付けた事は、キッチリと学び取って身に付けた。結果、小隊で壬姫に次ぐ狙撃能力を手に入れたというわけだ。
 しかし、そんな武でも、壬姫と比べれば足元にも及ばない。爪先の影すら捉えることが出来ない。雲泥万里、などいう言葉が生ぬるいほどの極めて大きな隔たりが、両者の間にはある。
 単純に狙撃の能力を比べただけでもそれだけの差があるが、砲撃支援としての能力を比べると、更にその差は大きく開く。
 壬姫は狙撃能力が高いという特性を活かし、そのポジションはずっと砲撃支援だった。そのため、支援に必要な眼が身に付いている。その眼と狙撃能力が非常に高い次元で融合し、故に207小隊は戦闘中、極めて的確な支援が得られるのだ。
 207小隊が初陣を経験してからこれまでの二年間、誰一人として死者を出していない事の裏には、少なからず壬姫の活躍がある事は間違いない。まさに攻守の要であった。
 戦術機を駆る衛士の花形といえば、部隊の最前列で常に敵の矢面に立って戦う突撃前衛、と言うのが一般的だ。
 しかし207小隊の存在を知っている者たちにとっては、それは少し違ってくる。無論、突撃前衛を目指すものは少なくないが、それ以上に、壬姫に憧れて砲撃支援を目指す者が多い。墜落してくるHSSTを狙撃して撃ち落とす……それも訓練兵の身で成し遂げた──などという伝説の如き逸話も、それに拍車をかけていた。
 それはさておき。
「──でもまあ、今日はたまのお陰で随分と楽させてもらってるよな」
 武は穏やかな笑みを浮かべながら、小隊内回線で話しかけた。
『全くだわ。でも、これじゃ腕が鈍ってしまいそうね』
 少しだけ呆れた風に、千鶴が答える。
『そだね』
『それじゃあさ、ボクたちが弱くなったら、壬姫さんのせいだね』
 相槌を打った慧に続いて、美琴がちょっとだけ意地の悪そうな笑顔を浮かべながら言った。
『えぇっ!? わ、私がいけないんですか!?』
 その本気だか冗談だか分からない美琴の口調に、壬姫は目を丸くして驚き、その声は上擦ってしまう。
 千鶴も慧も美琴も口元をどこか悪戯っぽく歪め、笑みを浮かべて壬姫を見ていると──
『そなたたち、あまり珠瀬を苛めてやるでない』
 冥夜が救いの手を差し伸べた。冥夜もどちらかといえば弄られる側なので、人事ではなかったりするのである。
『ふふ。もう、冗談に決まってるでしょ。珠瀬には随分と助けられているし、本当に感謝しているわ』
『そうそう』
『そうだよね。本当にありがとうね、壬姫さん』
 今度は一様に持ち上げるような感謝の言葉が飛んでくる。壬姫は気恥ずかしさから、そのぷっくりとした頬を真っ赤に染めていた。
 戦闘中だと言うのに、とてもそうとは思えないほど和やかな雰囲気を作り出す207小隊。
 他の部隊であれば軽口を叩いたりして、ともすれば悲壮感によって沈みがちになってしまう雰囲気を無理矢理盛り上げるところなのだが……これは訓練学校からずっと一緒のメンバーでやってきている、彼女たちならではのやり方だった。
 しばらくそうやって和んでいると──
『──HQより207リーダー。12時よりBETA群が接近中、警戒せよ』
 中央作戦司令室からBETA発見の報が飛び込んできた。
「っと──207リーダー了解」
 武は気を引き締めると、脇に追いやっていた戦域情報をスクリーン中央に動かし、拡大表示させた。基地のレーダーが捕捉したBETAが赤い光点となって、スクリーン上にポツポツと点灯し始めている。
「距離4500敵影79か……いけるか、たま?」
『まかせて、たけるさん!』
 壬姫はきりっと表情を引き締めると、力強い声で返事をした。
「頼む。──隊形は05を前衛中央に槌参型、敵が距離500まで突破してきたら三角弐型に移行して各自接敵。いいな?」
『──了解ッ!』
 武たちは即座に陣形を作り上げる。それから間髪入れずに、壬姫が87式支援突撃砲を構えた。
 出現した敵は要撃級と戦車級のみ。これはもう少しで敵殲滅が完了するであろうことを示している。
 突撃級は全て第一波に投入されているので、後続には存在しない。光線級、重光線級のレーザー属種は他に比べて絶対数が少ない上に、やはり初期段階に集中して投入してくるので、これも存在しない。要塞級もレーザー属種ほどではないにしろ数が少ないので、やはりもう既に存在しない。
 残る闘士級と兵士級だが、これはそれなりに数が多く、大型BETAの隙間にまんべんなく混ざって突撃してくるのだが、敵主力はあくまで要撃級と戦車級であり、数は後者の方が多い。
 よって、出現する敵が要撃級と戦車級に限られた時点で、先は見えてきている、という事である。
 現存する敵の要撃級と戦車級は、どちらも正面からの36mm弾が十二分に通用する。つまりは──壬姫の独壇場だ。
『いきますッ!!』
 壬姫の高らかな宣言と共に、ショウが始まった。
 ダン、ダンと、重厚でありながらも小気味良い砲声が周囲に連続して響きわたる。壬姫の駆る陽炎によって構えられた87式支援突撃砲の、通常の突撃砲よりも長いバレルの先から、次々と砲弾がバラ撒かれた。
 一見すればただ乱射しているように見えて、しかしその実、壬姫は一発一発着実に狙いを定めて発砲していた。彼女に狙われているBETAのいるエリアの映像を確認した者たちは、そこで繰り広げられている、BETAの躯以外に着弾しないという異様な光景に目を剥いている事だろう。
 BETAを相手にする際の狙撃で重要なのは、照準合わせのスピード、そして判断のスピードだ。迫り来る敵を撃つわけだから、照準合わせにまごついているようでは、いつまで経っても狙いを定められない。また素早く照準を合わせられたとしても、相手の動きを即座に予測してトリガーを引かなければ、やはり命中させられない。
 とにかくスピードが肝要だ。モタモタしていれば、その分BETAを近くに引き寄せてしまい、危険が増大する事になる。
 壬姫は自分自身を磨きに磨き抜く事で、それらを極限まで高めた。
 そして得たものは──
 未来予知と言い換えられるほどの鋭い読み。
 何も考えていないのではないかと思わせるほどの瞬時の判断力。
 経験に裏打ちされた技術と生まれ持った才覚を総動員する事で、発射時の反動から次弾装填によって起きるほんの僅かな銃身のブレまで完全に把握し、更にそれらを全て吸収してしまう事で、弾薬が続く限り、一射目と同じ完璧な精度による狙撃が、しかも連射で永劫繰り返される、無限狙撃術──アンリミテッドスナイプ──そんな神業。
 人間という枠を明らかに逸脱し、遥かなる高み──まさに神の領域にまで到達していた。
 そんな壬姫を見て武は、これじゃそのうち『狙撃の女神』なんて呼ばれるようになるなあ、などと言って本気で嫌がられた事があるのだが、それはさておき。
 ともあれ、フルオート……とまではいかずとも、指切り点射による連射と見紛うばかりに連続して放たれた36mm弾は、一発たりとて無駄弾を使う事なく、狙いを違わず確実に敵の躯に突き刺さっていく。もしBETAが死や恐怖という概念を持っているのなら、今の壬姫の勇姿はさぞ死神のように見えている事だろう。
 ……三分後。
『──ラストッ!!』
 壬姫が叫び、最後の砲弾が発射される。そして距離2000を残し、最後の一体が崩れ落ちた。壬姫は一歩も動く事なく、たった一人で79体ものBETAを殲滅してしまった。
「お疲れさん、たま。……相変わらず凄いな」
『そ、そうかな……えへへ』
 武に褒められた壬姫は、嬉しそうにはにかむ。
「とりあえずは、連中もこれで打ち止めかな。──06より各機、警戒態勢のまま待機」
『──了解ッ!』

 そして、207小隊が担当区域の敵を殲滅してから数分。
『──HQより各機。敵戦力の殲滅を確認した。全部隊は引き続き最終確認に移行せよ。繰り返す、全部隊は──』
 中央作戦司令室からBETA殲滅の報が入った。ただし、それが確定するのは、衛士の目視による最終確認が完了してからとなる。レーダーでの索敵は、最後の最後では信用出来ない。万が一があった時に、取り返しの付かなくなる事態に繋がっていく可能性があるからだ。それを避けるためには、最終的に人間の目がモノを言う。
 武たち207小隊はフォーメーションを組みなおして、索敵に向かおうとしたのだが……20703──美琴が付いてきていなかった。
「どうした美琴、何かあったか?」
『え? あ、その……ううん、なんでもないよ、大丈夫』
「そうか?」
 武たちは、どことなく美琴の様子がおかしいとは思ったものの……ではどこがおかしいのかといえば、誰もそれを指摘出来なかったので、大した事ではないのだろうと深く追求しなかった。
 美琴も美琴で、レーダーには異常が無かったし、深く追求されなかったために、抱いた違和感を気のせいだと思ってしまった。
『……うん。多分、気のせい』
「そっか。それじゃ、殿を頼む」
『──了解』
 美琴は拭いきれない妙な違和感を抱いたまま、索敵のために行動を開始した。
 それから数分──
 207小隊はBETAの残骸を掻き分けながら前進している。隊形はいつもと違いワントップの武、少し退がった位置の両翼に冥夜と慧。その後ろに千鶴と壬姫が続き、殿に美琴。
 その異常にいち早く気が付いたのは、最後尾を警戒していた美琴だった。
 壬姫がBETAの残骸の脇を通り抜けようとした時、その残骸だと思っていたモノがもぞりと動いたのを確かに見た。見たのだが──しかしレーダーの表示と見比べて、見間違いなのではないかと自分の目に疑いを持ってしまったのが拙かった。
 美琴の本能は、索敵を始める前から、違和感という形でずっと警鐘を鳴らし続けていたのだ。ただそれに従って注意を促すだけで良かった。
 今まではずっと攻撃部隊にいて、激戦を潜り抜けた後の殲滅確認はバックアップ部隊が行っていたので、戦闘後の確認などしたことがない。だからと言って、それを言い訳にする事など、とても出来やしない。出来るはずがない。
 一体、何のために戦術機に乗った衛士が最後にわざわざBETA殲滅の確認をするのか。それは、機械とて所詮人間の作ったものであり、ミスを犯す可能性がゼロではないからだ。最終確認を機械任せにして、その際に万が一が起きてしまうと、大問題に発展する可能性が増大する。だから最後の一線では機械だけではなく、人間の目による確認も行う。なのに美琴は自分の勘を信用せず、レーダーの表示に頼ってしまった。それも二度も。
 そのため判断が遅れた。絶望的に、取り返しが付かないほどに。
 残骸だと思っていたモノは、音も無く立ち上がった。立ち上がって、片腕になってしまっていたが、しかし変わらずモース硬度15以上を誇る堅固な前腕を後ろに引き絞った。奇しくも、こことは別の世界の珠瀬壬姫が、矢を番えた和弓を引き絞るように。
 そして──
『壬姫さん危ないッ!!』
 美琴が叫ぶ。が、しかし。
『えっ?』
 それに、壬姫が怪訝そうな声を返す。
 たったそれだけが、壬姫の最期の言葉となった。
 一際大きな、ドガン、という衝撃音がヘッドセットを伝わって207小隊各員の耳に飛び込む。後はいくら呼びかけようが、サーというノイズしか返ってこない。
 一瞬送れて、耳障りな警報音と共に、各人の視界がコード991の朱に染められた。そして珠瀬機を振り返ると……要撃級の前腕に管制ユニットを貫かれ、機能を完全に停止した陽炎が無残に佇んでいた。
「た……たまァァァァァ──────ッ!!!!」
 絶叫する武。
 ショックで身体が固まってしまいそうになるところを、しかしこれまで訓練してきた成果が武の身体を勝手に動かした。87式突撃砲を構え、即座にトリガーを引き発砲、そして命中。トリガーを引く、弾が出る、命中。トリガーを引く、弾が出る、命中──
 堅牢な楯でもある前腕を壬姫に突き刺したままの要撃級は、放たれた36mm弾を防ぐ術を持たず、その活動を完全に停止した。
 動かなくなった要撃級の前腕を伝って赤い液体が零れ落ち、大地を朱に染め上げていた。

 それからどうやって基地まで帰ったのか──207小隊は全員、ハッキリとは覚えていなかった。気が付いたらハンガーに戻っていて、そこでぼんやりとしていた。本来なら珠瀬機が納められているはずの、ぽっかりと空いた空間を眺め、無意識のうちに壬姫の帰還を待ち続けていた。
 207小隊を担当していたオペレータの話によると、コード991が発報され、すぐさま即応部隊が到着。それから残敵確認をその部隊に引き継ぎ、武たちはそのままハンガーに帰還したらしい。壬姫の陽炎は更に別の部隊によって基地に運び込まれ、浄化処置を受けているとの事だ。
「──あのぉ、白銀中尉はいらっしゃいますか?」
 呆けている武のもとに、二十台の後半にさしかかったくらいだろうか、右目の下の泣きボクロが何とも言えない色気を醸し出している──白地に赤十字の、衛生兵の腕章を着けた女性がやってきて、少しだけ間延びのした声で呼びかけてきた。
「はい……なにか」
「珠瀬中尉の遺体の浄化が完了しましたので、中尉に確認していただきたいんですけど……」
「そっか……分かりました」
 武はゆらり、とその場から歩き始めた。冥夜たちもそれに続こうとしたが、しかし衛生兵の声がそれを遮った。
「えっと、そのぉ、確認は白銀中尉だけでいいと言われていますので、皆さんは」
「何故……タケルだけなのだ?」
 覇気の無い声で冥夜が呟く。
「その、あまり見られた状態じゃないですから──」
 考えてみれば、壬姫は要撃級の前腕の直撃を、あの小さな身体で受けとめているはずなのだ。原形を留めて……というレベルの話ですらないのかもしれない。
 それにしても、武はどこか淡々と話す衛生兵の態度が気に障った。他の皆もその表情を見る限り、似たような気分らしい。だが、ここで声を荒げたところで何の意味も無い。それに彼女がどんな態度を取っていようが、どうせ腹が立つ事には違いないのだ。もし沈痛な面持ちと声で話しかけてきても、壬姫に対する想いの違いから、それが上っ面だけのように感じてしまうだろう。それならば事務的に対応してくれた方が、まだありがたい。
 しかし考えてみれば、彼女は衛生兵という職務上、それこそ何度もこのような状況を経験してきているはずで、それが故のこの態度なのかもしれない。そう思うと、怒りはみるみるうちに萎んでいく。一方で、壬姫に対する想いはその程度のものだったのか……などとショックを受けながら。
「──分かりました。それでは、わたしからはなんとも言えませんので、とりあえず皆さん一緒に来ていただいて、それから先生に聞いてみてください」
 衛生兵は冥夜たちの申し出に少し考え込んだが、結局、彼女にどうこう決める権限は無いので、見るか見ないかは別として、検死室までは一緒に行こう、という事になった。
 武たちは葬儀に参列しているかのような酷く気落ちした──いや、ただの葬儀なら、その方がまだ幾分かマシな──そんな様子で、衛生兵の後に続き、歩き始めた。

「先生」
「ああ、ご苦労様……って、そんなにゾロゾロ引き連れて、どうしたの?」
 検死室に入ると、衛生兵の呼びかけに、白衣を着た人影が振り返った。
 彼女が先生と呼んだ相手は、三十台の半ばを過ぎたかという歳の頃の、メガネをかけた知的な女性だった。戦闘中はさぞかし忙しかったのだろう、邪魔にならないようにと後ろでまとめてアップにした、解けば恐らく背中ほどまであろう髪はところどころほつれ、ピンピンと跳ねている。
「そのぉ……皆さん、どうしても立ち会いたいって言うんで、それで先生の指示を貰おうかと思って」
「そう……まあいいわ」
 その女性の軍医はぺたぺたとビニールのサンダルを鳴らしながら、武の前まで歩いてきた。
「君が白銀中尉ね。後ろの子たちは……同じ隊の?」
「はい」
「立ち会いたいって話だけど、私はお勧めしないわ。それでも、どうしても……って言うなら、私は別に構わない。構わないけど……覚悟だけはしておいて」
 女医が物憂げな表情を浮かべながら、武の肩越しに言った。
 どのみち小隊長である武だけは、壬姫の死亡を確認しなければならない。武は一応、その覚悟は出来ている。本当は出来ていないのかもしれないが、しているつもりだ。が、他の皆はどうだろう。
 最期のお別れがしたい、などという軽い考えでここまで来ているのではないだろうか。だが、それを確認する余裕など、今の武のどこにもありはしなかった。
 壬姫が寝かされていると思しき寝台には、白いシーツが被せられている。しかし、その盛り上がり方はあからさまに不自然だ。盛り上がっている部分があまりにも小さい。壬姫の身体がかなり小柄だった事を考えても、小さすぎる。否、小さいというよりは──足りない。
「最後にもう一度だけ聞くわ。本当にいいのね?」
 表情を崩さないまま、女医が冥夜たちに問いかける。
「──はい」
 その問いに、四人を代表して千鶴が返事をした。
「……どうなっても知らないわよ、私は」
 女医は物憂げな表情を浮かべたまま溜息をつき、壬姫の亡骸に被せられていたシーツをゆっくりとめくり上げる。
「────ッ!」
 そこにあった壬姫の変わり果てた姿を見て、絶句する武。
 原形を留めているのは右脚と右腕、腰が右半分に腹が右半分、胸も右半分なら肩も右半分。そして頭部も……右半分のみ。身体の左側を構成するパーツは要撃級の前腕によって削られ、すり潰されて肉片と化し、骨さえ粉々に砕かれて残っていない──のだそうだ。
 今ここにある躯と失われた躯の境界面は、目の粗いヤスリのような要撃級の前腕にこそぎ取られて見るも無残な有様だ。これでも可能な限りの処置が施されていて、幾分かはマシになっているらしいのだが、どうしてもほぼ無傷の綺麗な右半身と比較してしまい、その惨さが嫌でも強調されてしまう。
 血の一滴も出ていないのは、浄化の際に汚染したであろう血液を抜いてしまったのか、それとも撃墜された時にその全てを大地に吸われてしまったのか。いずれにしても、全ての血液を失った壬姫の肌からは色素が抜け落ちてしまって、見る影も無いほど不吉な白に変貌を遂げていた。
「……形が残っていたのはこれで全部。出来得る限りの復元はしてみたけど、さすがにこれ以上は……ね。要撃級の前腕に持っていかれたものは原形を留めていないし、浄化のしようもないから、そっちは諦めてもらうしかないわ。──それで、この子は珠瀬壬姫中尉で間違いないわね?」
 相変わらず物憂げな表情を崩さずに、淡々と事務的に言葉を重ねる女医。仕事柄そんな表情が貼り付いて、もう二度と取れなくなってしまっているのではないかと思わせるほど、その表情には揺らぎが無い。
「…………」
「……白銀君?」
 ショックを抑えきれない武が黙りこんでいると、女医に先を促される。
「────はい。珠瀬壬姫中尉で、間違い……ありません」
 武は女医に応じ、奥歯をギリギリと噛み締めながら、ギュッと握りこんだ拳に血を滲ませながら──無理矢理搾り出したような、酷く掠れた声で答えた。
 半歩退いたところに並んでいた冥夜たちは、口をパクパクしたまま言葉が出てこない。予想を遥かに超えた壬姫の状態に、武以上にショックを受けているようだった。皆、どうにかして気丈に振舞おうとしていたが、それは明らかに巧くいっていない。
 彼女たちを軽く一瞥しただけでも、膝の力は抜け、脚はガクガクと震え、顔からは血の気が引いて唇は紫色に、肌の色は蒼を通り過ぎて真っ白になっている事が見て取れる。その顔色は寝台に寝かされている、半分になってしまった壬姫の顔色とそう変わらない。
「さ、もういいわね」
 その様子を見て限界だと判断したのか。女医は無言で壬姫の亡骸にスッとシーツを被せた。

 実戦に出て二年と少し。その間、ずっと前線で戦い続けてきて、武たちは人の死というものには厭と言うほど立ち会ってきた。そしてそれを乗り越えた、或いは割り切ったつもりでいたのだが……ただ、そんなつもりになっていただけに過ぎなかった。
 人の死に立ち会ってきたと言っても、近しい間柄の者の死に立ち会った事など、一度としてない。
 唯一の例外といえば、壬姫が父親──珠瀬事務次官をテロルで亡くした事だけだが……その経験を活かして皆を支えられたはずの壬姫が死んでしまったのでは、どうにもならない。
 初めての経験に、武たちの思考はどんどん袋小路へと突き進んでいく。冥夜たちなどは壬姫の酷い状態が余程ショックだったのか、生ける屍のように脱力してぐったりと俯いたまま、目は虚ろで茫然自失となり、顔を上げようともしない。
 それを見かねたのか。女医が落ち着いた口調で、とある言葉を口にした。
「──時間が一番残酷で優しい」
「……えっ?」
 どこかで聞いたフレーズに、武はハッとして女医の顔を見る。同時に、どこかでその言葉を聞いた時のビジョンが脳裏に浮かび上がってきた。そして思い浮かんだのは、なぜか一緒に温泉に入っている、不敵な笑みを浮かべた香月夕呼の懐かしい顔。それが目前の女医の顔と重なる。
 似ている──
「時間があれば、心の傷を癒すこともできるでしょうけど……残念ながら、君たちにはそんな時間の余裕はない」
「…………」
「でもね。私の妹に言わせてみれば、その時間を優しくするのも残酷にするのも、所詮は人間なんだそうよ?」
「…………」
「だから、君たち自身の持っている人としての力で這い上がってみせなさい。……一つだけ忠告。この結果を自分の責任だなんて思ってはダメよ? それはただの思い上がりだから。大切なのは、これをどう次に活かすかということ。それを良く考えなさい。でないと珠瀬さんの死は無駄になって──次は君たちがあの寝台に横たわることになる」
 彼女はその顔に張り付いていた物憂げな表情を、少しだけ厳しいものに変えて言った。その口から出てきたのは、本気で武たちの身を案じて出てきた言葉。
 だが、武はその厳しくも優しい言葉をほとんど聞いていなかった。ほんの少しでもいいから、気持ちを切り替えるための切っ掛けになれば……と、心から投じられたその言葉を。ちゃんと聞いていれば、それを道標に、違う未来を選択する事が出来たかもしれないというのに。
 しかし、それも無理もない事だったのかもしれない。なぜならば、彼女の妹が言ったというそのフレーズにも聞き覚えがあったから。時間が一番残酷で優しいという言葉も、その時に一緒に聞いた──夕呼から。この世界の、ではないけれど。
 武は湧き上がってきた疑問を抑えきれず、息を呑んだ後、女医に向かって質問を投げかけた。
「あの、先生の妹さん……って、その、ひょっとして……夕呼先生……ですか?」
「──え?」
 武の思いがけない言葉に、女医は目を見開き、一瞬物憂げな表情が崩れたが、しかしそれはすぐに元に戻り、言葉を続ける。
「……ああ、そう言えば君たち、所属は横浜基地だったわね。知っててもおかしくはない、か。
 自己紹介がまだだったわね。私は香月モトコ、専門は脳外科。君たちの上司だった香月夕呼は私の妹よ。軍には……まあ、人手不足で駆り出されてるってところ。ここには応援でやってきたんだけど。君たちと同じね」
 改めて武に向かい直い、ほんの僅かな笑みを浮かべながら喋るモトコ。
 姉妹だと言われてみれば、なるほど確かに、どこかしら夕呼と似通った雰囲気を持っている。モトコの方が、夕呼よりもずっと柔らかで丸い印象だが。
「その、お姉さんは夕呼先生がどこに行ったのかは……」
「残念だけど、それは私も知らないわ。あの子……命を狙われてても何もおかしくない立場だからね。でも、素直に消されたなんて想像もできないから、どこかで一人で野垂れ死んだか、それとも別人になったか──」
「…………」
「なんにしても、私の妹の香月夕呼なんて人間は、もうこの世に存在しないでしょうね」
 既に諦めているのか、それとも二度と会えない事すら気にならないほどの深い絆で繋がっているのか。モトコはいとも簡単に、あっさりと言った。
「そう……ですか」
「会いたかった?」
「それは、まあ。誰にもなんにも言わずにいなくなっちゃいましたから」
 武はもとより、任務では一番近くにいた社霞や、親友であった神宮司まりもでさえも、何も知らされなかった。夕呼は本当に誰にも何も言わず、最初からそこにいなかったかのように、一切の痕跡を残さずに掻き消えてしまったのだ。
「……ごめんなさいね、自分勝手な妹で」
 モトコは少し呆れているような口調で苦笑しながら言った。彼女も夕呼が行方不明になった事を後で聞かされたクチなのだろう。

「──さて。珠瀬さんの遺体は私が責任を持って横浜まで送り届けるわ。……彼女のご親族は?」
 壬姫の父親──珠瀬事務次官は、国連に対するテロルに巻き込まれて命を落とした。そして母親は壬姫が小さい頃に亡くなったのだと聞いた覚えがある。
「……誰もいないはずです」
「そう。それなら軍の規定に従って葬られる事になるわね。君たちは引き続きここに駐留する事になるから、葬儀には参列できないでしょうけど……そうね、君たちは妹の部下だったんだから、私が代わりに参列しておくわ」
「でも、それは」
「気にしないで、ここで君に会ったのも何かの縁だから。それに、妹は君のことを随分と気に入ってたみたいだし……ね」
 そう言ってモトコは薄く微笑んだ。
「……え?」
「ふふ、見れば分かるわ。君、あの子が構いたくなるようなタイプだから」
 モトコが言うんだから因果律量子論的に興味があるというわけではなくて、だとすると好みのタイプだったのだろうか……などと考えてみたが、武はそれを打ち消した。年下は性別識別圏外だと言っていたし、元の世界での経験を鑑みるに、からかって遊びたくなるタイプだとしか思えない。
「さ。君たちはもう行きなさい。戦いは終わったんだから強化装備は脱いで、熱いシャワーで汗を流して、それからゆっくりと休んで……明日に備えなさい」
「……はい」
 そして、武は未だ茫然自失としていた冥夜たちを連れて、検死室を後にした。

 翌日。
 207小隊は申し合わせたわけでもなく、誰からともなく、壬姫に割り当てられた部屋に集まっていた。そして、壬姫の私物の整理を行っている。とは言っても、佐渡島には応援に来ているだけで、ホームグラウンドはあくまで横浜であるから、私物などほとんど存在していない。
 所持品の整理などあっという間に終わってしまい、やることの無くなった武たちだったが……誰一人として、部屋から出て行こうとはしなかった。しかしだからと言って、他にやることがあるわけでもなく……部屋の中は悲痛な沈黙で包まれる。
 やがて、その重苦しい空気に耐えられなくなったのか。
「──ボ……ボクの、せいだ……一番後ろにいたボクが、もっと、もっと気をつけていれば……」
 美琴はガクガクと震える身体を両腕で抱きしめて無理矢理押さえつけながら言葉を発した。
「ボクのせいで壬姫さんは──!!」
「やめろ、美琴」
「でも、だって!!」
「それを言うなら……責任は小隊長の俺にある。俺があの時、みんなに注意するように促していれば……油断してた。ああ、油断してたんだよ……畜生ッ!」
 武は心の底から忌々しげに吐き捨てた。
「何のために最後にわざわざ人間の目で確認するのか……こんな事が起こらないようにするためだったのに。その意味を全然考えてなかった、理解してなかった。一番警戒しなきゃならない時に気を緩めてた……俺の責任だ」
 自分の責任だと言う武の言葉を否定する者はいない。だが無論、ここにいる武以外の全員が武に責任があるなどとは思っていない。武が言った、最後に人間の目で確認する意味を理解していなかったのは、なにも武に限った事ではなかった。冥夜も、千鶴も、慧も、美琴も、頭では分かったつもりになっていても、本当の意味までは理解していなかったのだ。
 それが、壬姫という仲間を失った事で、ようやく理解出来た。
 今ここにいる誰もが、自分だけでもその事に気が付いて警戒していれば、壬姫はあのような事にならなかった、つまりこれは自分の責任だ──と考えている。それはある意味では正解かもしれないが、しかしその一方では大間違いだ。
 冷たい言い方かもしれないが、壬姫が死んだ責任は壬姫自身にある。武たちが理解していなかった事を壬姫が理解していたのかと言えば、そんな事はない。理解していなかったからこそ、このような結果を招いてしまったわけだ。
 条件が同じである以上、今回はたまたま壬姫の身に災難が降りかかったというだけの話で、今この場にいないのが壬姫以外の誰であっても、何もおかしくはなかったのだ。
 だが、悲しみにくれる武たちは、そんな事にも気付けない。そして残念ながら、教え諭してくれる者もいなかった。それでも、昨日モトコが武に忠告してくれていたのだが、彼女が夕呼の姉であった事が災いして、武はその忠告を完全に聞き流してしまった。一緒にいたはずの千鶴たちは、あの時は茫然自失としていたために、武がモトコと何を話していたのかすらも憶えていない。
 もっとも、あの場にいたのがモトコではなく他の誰かだったら、そもそもそんな忠告など最初から無かっただろう。どの道、武たちは同じ運命を辿る事になっていたのかもしれない。

 壬姫の死から、一週間が経過した。
 武たちは壬姫を失った心の傷も癒えぬまま、相変わらず佐渡島基地に駐留している。
 幸いにもその間、BETAの襲撃は無かった。
 最初の数日は、それは酷いものだった。頭では分かっているのに、心が壬姫の死を認めたがらない。そんなアンバランスな状態で訓練などいくらやっても身が入るわけもなく、それどころか無為に戦術機を傷付けるだけだった。
 そうして一週間が過ぎた頃、ようやく心が壬姫の死を受け入れ始めたのだが──そこで分かった事が一つ。
 全員、自分が死ぬ覚悟は出来ていた。しかし、親しい仲間を失ってしまう事に対する覚悟は誰一人として出来ていなかった、という事だ。それ故、壬姫を失ったショックが想像以上に大きかった。
 通常なら、こんなことはまずありえない。それはなぜか。
 初陣を経験した衛士の大半が『死の八分』──初陣の衛士がBETAと直接戦った場合の平均生存時間──において、少なからず仲間をいきなり失ってしまうからだ。勿論、熟達した部隊に補充要員として配属されるような状況もあり得る。その場合は『死の八分』による仲間との死別は無いが、しかし二年以上も戦い続けていれば、死人の五人や六人出てくるのが当たり前なのだ。それだけ戦い抜いても死人を出さない部隊は、極めて稀であると言える。
 そういう意味で見れば、207小隊はまさに異端中の異端だった。
 まず、訓練分隊がそのまま繰り上がった新任だけの小隊であるにもかかわらず、全員が初陣で『死の八分』を無事に乗り越えた。
 そしてそれから二年、前線を転戦しつつ、またある時にはハイヴ突入部隊にまで抜擢され、常に激戦の中に身を置きながら、ただ一人の離脱者さえ出さずに戦い抜いてきた。
 通常では考えられない戦績だ。
 そも、207小隊は生い立ちからして少し特殊な状況にあった。政治的な事情によって集められたメンバー。或いは武のように別の世界から飛ばされて来た者。そんな相性など全く関係なしに集められた者たちが、オルタネイティヴ4という極秘計画の頓挫によって訓練途中で投げ出され、そのまま一つの隊にまとめて配属されたかと思えば、初陣に出たのはそれから二年も過ぎた頃。
 だが、そうであったが故に、普通に編成された部隊に比べて、部隊内の絆はありえないほど強固なものとなり、幾度もの危機を乗り越えて来る事が出来た。勿論、個人の才覚によるところが大きかった事も決して否定出来ないが。
 しかし、今こうして仲間の一人を失って、これまでプラスに働いてきた要素が、マイナスに転じている。なまじ絆が強かっただけに、仲間を失う事に対する恐怖が一気に増大してしまった。有事の際に冷静な判断を下せなくなってしまうほどに。だが、それに気が付いている者は……まだいない。
 時間が全てを解決してくれるまで待つことが出来ればよかったのだが──そういう時に限って、悪い事は続く。
 ようやく前に進み始め──否、前を向いた──それも違う……前を向こうとする事が出来た、207小隊。
 武は千鶴と共に、壬姫の抜けた穴をどう塞ごうかと、検討しあっていた。
 壬姫がいなくなってからこれまでの訓練は、訓練とは名ばかりで、目的も無くただ戦術機に乗っていただけの、ハッキリ言って無駄な時間だった。まずはそこから変えていかなくてはならない。
 ポジションの改良案を作り、訓練でそれを試す。上手く機能しなければ、更に改良して、また試す。それを繰り返して──壬姫がいた頃と同等の力を取り戻す事など、もはや絶対に叶わぬ事なのだが──戦力を可能な限り高めていかなくてはならない。
 具体的な案としては、今のところ二案。
 美琴を砲撃支援にコンバートし、更に武を後ろに下げる事で、前衛と中盤の層は薄くなるが、支援を補強するA案。
 ポジションの変更は無しに、砲撃支援は不在のまま、小隊を丸ごと突撃前衛型に転換するB案。
 どちらにしても、大幅な戦力ダウンは避けられない。
 武はレポート用紙と睨めっこするのをやめて、ポリポリと頭を掻きながら溜息をついた。
「──まあ、どっちも似たようなもんか」
「とりあえず、あなたの好きな方に決めてしまっていいんじゃない? いずれにしても、両方試さなければいけないんだし」
「そうだな。じゃあ……A案にしとくか」
 少しだけ悩んで、武はより守備的なA案を選択した。
「あら。あなたなら攻撃的なB案を選ぶと思ってたけど」
 千鶴が少し意外そうに言う。
「ああ……それな。B案だと委員長と美琴の役割がいきなり変わりすぎるから。どっちにしても、前より攻撃的になる事には違いないからな。それなら段階を踏んでいったほうがいいだろ?」
「……悪いわね、気を遣わせてしまって」
「気にすんなよ。それに俺が後ろに下がって一番負担が増えるのは委員長なんだからさ。文句言ってもいいんだぞ?」
「言わないわよ」
「そっか、ありがとう。……さて」
 武は散らばっていたレポート用紙をまとめて、トントンと揃える。
「みんなにもこれ、伝えとかないとな」
 そう言って武が立ち上がった瞬間、けたたましく鳴り響く警報音が基地の全てを包み込み、ふた呼吸ほど遅れて、スピーカーからアナウンスが流れ始めた。
『──防衛基準態勢2発令──全戦闘部隊は30分以内に即時出撃態勢にて待機せよ! 繰り返す──防衛基準態勢2発令──全戦闘部隊は30分以内に即時出撃態勢にて待機せよ──!』



[1123] Re:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 武と千鶴は、突然の警報にも特に慌てる事は無かった。警報が鳴るのはいつも突然の事だが、いずれBETAが攻めて来るであろう事は、あらかじめ分かっていたからだ。
「もう来たのか……」
「タイミング、悪いわね……」
 千鶴も不安そうに呟く。
 前回の襲撃から一週間。これが早いか遅いのかは分からない。が、千鶴の言う通り、タイミングが悪い事だけは確かだ。
 壬姫の抜けた穴を塞ごうと、ようやく動き出した矢先にこれだ。
 こんな事になるなら、もっと早くに立ち直って、新しいフォーメーションを研究しておけば良かった──などとついつい考えてしまうが、それも詮無い事だ。愚痴ったところで今更どうにもならない。
「さ、行こう……すぐ着替えて直接ハンガーだ。さっきのA案でいくから、みんなにも伝えといてくれ」
「──分かったわ」
 作戦前のブリーフィングは特に行われていない。BETAが攻めてくる事は分かっているので改めて作戦を立案する必要もなく、あらかじめ各部隊の配置は決められている。それに従って防衛線を構築し、BETAと戦うだけだ。作戦に変更があればその都度、中央作戦司令室から命令が下るので、何も問題は無い。
 先程決めたばかりの隊形をいきなり使うのにも、問題は無い。否、無いわけではないのだが……今の207小隊には、そもそも問題の無い手段というものが存在しない。フォーメーションを変えようが変えまいが、壬姫が抜けた穴を埋めるために各個の役割はどうしても変わってくる。ならば不慣れであっても、一番効果のありそうな手段を選択するしかない。
 武と千鶴は部屋を飛び出すと、更衣室に向かって走り出した。

 小仏峠跡・第1防衛線──
 武たち207小隊は、最前列の第1防衛線に配置されていた。攻守の要であった壬姫を失ったとは言え、それでもその戦闘能力は他の部隊を凌駕している、という判断からだった。
 これまで六人いたところを、五人で守るのは心許なくて仕方がない。だが、どうしようもない事であるのもまた事実。
 壬姫の代わりの補充要員を申請する事も考えてはみたのだが、それはやめておいた。207小隊の砲撃支援は壬姫でないと駄目だから……などという子供じみた理由では当然ない。
 前回の戦い、確かに勝利したとは言うものの、全部隊を見渡してみると、被害は決して軽微というわけではなかった。犠牲者が一人に留まった207小隊などは、むしろ被害が少ない方だ。被害が大きくなりすぎて再編された部隊もあるが、207小隊は元々六人で構成される小隊である。
 本来、小隊は二機連携が二組、つまり四機で編成されている。数の上だけの話だが、207小隊は一人失ったとしてもまだ五人残っていて、通常の小隊より数が多いのだ。
 そして、佐渡島基地がG元素精製プラント研究施設であるという特殊性を考えると、おいそれと外部から──例えば帝国軍に要請する等で──補充要員を連れて来る事も出来ない。
 別の理由もある。207は武の持ち込んだ機動概念で戦術機を操縦しているのだが、他の衛士からしてみれば、かなり癖のある動きをするので、連携が取りづらいのだ。特に、二機連携の二人が違う機動概念で連携しようとすれば、死活問題にもなりかねない。
 武たちの知る中で、この機動概念にすんなりと合わせられるであろう衛士が一人だけいるにはいるのだが──彼女は今、米国の空の下だ。
 ともかく、壬姫の抜けた穴は部隊内で何とかして埋めるしかなかった。
『──来たよッ!』
 美琴が叫んだ。と同時に、地平線の向こうから土煙が上がり、BETAの先鋒──突撃級の姿が捉えられた。
 まずは後方からの支援砲撃で、AL弾の雨がBETAの頭上に降り注ぐ。それが光線級や重光線級のレーザー照射によって撃墜され、蒸発したAL弾頭によって重金属雲が発生する。
『──重金属雲の発生を確認、これより面制圧を開始する』
 オペレーターの通信によって、通常弾頭による砲撃に切り替えられ、面制圧が始まった事が知らされる。
「これでレーザー種が全滅してくれりゃ、楽なんだけどな……」
 武が呟いた。楽になるなどと軽口を叩いてはいるが、本当のところは壬姫がいなくなった事で部隊の攻撃力、防御力共に低下していて、レーザー属種が残っていると危険度が跳ね上がってしまうから、不安になっているのだ。そして他の隊員たちの表情を見る限り、この強がりが成功したとは決して言えなかった。
 だが、そんな事を指摘する者など、誰もいない。全員が全員、武と同じように、壬姫がいない事による不安に苛まれているのだ。
 詮無い事だが、壬姫がいれば、この段階からガンガン敵を減らしていけるのに──などと、どうしても考えてしまってならない。
 突撃級はモース硬度15以上を誇る装甲殻を持ち、前面からの攻撃はほぼ無効化してしまう。しかし、この『ほぼ』と言うのがポイントで、目のような器官や脚まで装甲殻で覆われているわけではない。そこをピンポイントで叩けば、動きを封じる事は不可能ではない。
 レーザー属種も、照射にこそ気を遣わなければならないが、光線級なら普通に狙撃して屠り去る事が出来るし、重光線級にしても、脚を狙って転がしてしまえば、レーザー照射の危険性が格段に減る。
 要撃級や小型種に関しては36mmで何の問題も無く、遠距離からどうにか出来ないのは、正面から弱点を狙えない要塞級のみだ。
 ──と言うのが壬姫がいた時の話だが、それらは彼女の神懸り的な狙撃技術があったからこそ可能だった事であり、ちょっとやそっと腕に覚えがある程度ではどうにもならない。武たちがいくら頑張ったところで、精々、要撃級の頭を撃ち抜くのが関の山だろう。それも、壬姫がやっていた半分以下の距離で。
「ま、やれるだけやってみるさ──美琴」
『──うん』
 そろそろ面制圧を突破してくる敵が現れる頃だ。武と美琴は迎撃の準備を始める。
 防衛戦である以上、補給用のコンテナがあらかじめ配置されているので、弾切れを心配する必要はあまり無い。
 さすがに壬姫のように支援突撃砲一挺で敵を次々と屠り去っていくような神懸かった真似は出来ない。武たちがそれをやろうとしてもまず間違いなく失敗して、徒にBETAを近づけてしまうだけだ。そこで92式多目的自律誘導弾システム──ミサイルポッドの登場となる。
「20706、バンディットインレンジ……エンゲージオフェンシヴ──フォックス1!」
『20703、バンディットインレンジ……エンゲージオフェンシヴ──フォックス1!』
 武と美琴の、ミサイルによる先制攻撃が開始された。白煙の尾を引いて空高く舞い上がり、そこから一気に地上目掛けて急降下していった。
 重金属雲に阻まれながらも、レーザー属種のレーザーは次々とミサイルを撃ち落としていく。だがしかし、重金属雲の効果も確実に出ていて、対処しきれなかったミサイルがBETAに直撃して弾け飛んだ。
 ミサイルを撃ちつくした武と美琴は、ミサイルポッドをパージして機体の軽量化を図る。
「さあ、こっからが正念場だ──」
 今回は前回の戦いのように、狙撃主体で距離を取った上での戦いは出来ない。勿論、手をこまねいたまま接近を許すわけではなく、そうなる前に可能な限り敵の排除を試みるが、それでも、どうしても敵の接近を容易に許してしまうだろう。
 だがしかし。その距離は攻める戦いで散々経験してきた戦闘距離でもある。支援砲撃の質の低下や、前衛・中盤の層が薄くなった事によるリスクの増大はどうしても避けられないが、現状の207小隊が最大の戦闘力を発揮出来る状況である事には違いない。
 やがて狙撃による迎撃を突破した敵の先陣が第1防衛線に到達、207小隊も戦闘状態に突入した。

 第1防衛線を突破していくBETAも存在するが、それは後方に展開されている第2、第3防衛線の戦力に任せてしまえばいい。第1防衛線に展開した戦術機甲部隊の任務は、あくまで敵の数を減らす事だ。勿論、最終的には殲滅が目的に切り替わっていくが、最初から迫り来る敵を全部倒そうとする必要など無い。
 ただ可能であるなら、ここで殲滅するに越した事はない。そして前回の防衛戦がそうだった。後方からの支援砲撃と珠瀬壬姫の狙撃で先制し、そこから漏れたBETAを近接戦闘で叩くという戦術が実にカッチリと嵌まり込んで、207小隊が後方に敵をやり過ごす事は無かった。
 だが──防衛戦が初めてだった207小隊にとって、それはあまり良い経験とは言えなかった。
 今回、手の回らない敵をスルーさせて後方の部隊に任せる、という状況に初めて遭遇したわけだが……そうするにおいて大事な事が一つ、頭から抜け落ちていた。
 無論、普段の武たちなら、どんな状況にも冷静に対応出来ただろうが……しかし。壬姫の事で心に深い傷を負い、それが癒えぬ今の状態では、『通過させた敵にも警戒を怠らない』という、ごく当たり前の事にすら気を回す余裕がなかったのだ。

 戦闘が始まってしばらくすると、207小隊は壬姫による支援が無いという状況にも慣れ始め、フルメンバーだった頃には及ぶべくも無いが、少しずつ戦闘能力を取り戻していった。
 そして、あと少しで敵の第一波──突撃級を主体に構成されたBETA群──の攻撃を凌ぎきろうかとしていた時。
『──なッ!? しまったッ!!』
 冥夜が叫んだ。
 彼女は壬姫を失ったショックを戦闘に集中する事で忘れようとした。そうしなければ著しい戦闘能力低下を引き起こし、部隊の存続にまで関わってくるからだ。そして、それは上手くいっていたのだが──上手くいき過ぎてしまった。
 戦闘に集中すればするほど感覚は鋭く研ぎ澄まされ、訓練や経験に裏打ちされた機動に揺らぎがなくなっていく。それがあるレベルを超えてしまった時──冥夜は何の迷いも無く、壬姫の支援がある事を前提とした機動をしてしまったのだ。
 だが当然、そこには支援など来ない。来るはずがない。壬姫はもういないのだ。
 かくして隙だらけになった冥夜の駆る陽炎に、要撃級の前腕が唸りを上げて迫る──
『くぅッ──!』
 冥夜はコックピットの中で、要撃級の前腕の尖った先端が迫り来る様子を、まるでスロー再生のように捉えていた。一コマ一コマを確実に認識しながら、しかし身体は動かず、管制ユニットが貫かれるその瞬間を、何も出来ずにただ待つ事しか出来ない。
 諦めの感情がどんどん大きくなっていく。スローモーションに見えても、それは死に直面した事で感覚が異様に研ぎ澄まされているだけで、実際にはほんの一瞬の間の出来事であり、今から戦術機を動かそうとしても、どうやっても間に合う事は無い。
 ゆっくりと近付いてくる要撃級の前腕を見続ける事で、否応なしに恐怖の感情が膨れ上がっていく。冥夜はそれに耐えられなくなって眼を閉じようとして、しかしそれすらも叶わぬ事に気が付いて、心が絶望に支配されようとした……その瞬間。
『──御剣ッ!!』
 水平噴射跳躍で一気に距離を詰めてきた陽炎が振り下ろした長刀によって、その要撃級の前腕は打ち払われ、軌道を変えて御剣機の脇を通り過ぎた。
『──えっ? あ、やみね……?』
 間一髪のところで事無きを得た冥夜。
 しかし今度は、無理な体勢で突っ込んだ彩峰機の姿勢制御が間に合わない。いくら慧が常人を超越するバランス感覚を誇っていても、戦術機の制御システムが自動で受身を取ろうとして、僅かな時間とはいえ、搭乗者の意思が切り離されてしまっているのだ。そこに別の要撃級が迫り始める。
「──美琴ッ!!」
『──分かってるッ!!』
 美琴の構えた87式支援突撃砲から射出された36mm弾によって、慧に迫りつつあった要撃級は頭部を次々と撃ち抜かれる。
 同時に、武がまだ動きの取れない冥夜のサポートのためにオーバーラップして、御剣機の周囲にいた要撃級を一息に蹴散らした。
「大丈夫か、冥夜ッ!?」
『ああ……すまぬ、大丈夫だ。彩峰も、助かった』
 生きた心地を取り戻し、安堵の声を漏らす冥夜。
 そうして危機は去ったかと思われたのだが──武が前衛に出て、美琴も前衛の支援に集中した事で……千鶴が完全に孤立するような形になってしまった。
 無論、そうなる事を承知の上での武のオーバーラップであり、美琴の支援だったのだが……冥夜と慧が無事だった事でほんの少しだけ、気の緩みが生じてしまった。しかし戦場では、そのほんの少しが命取りになる。
 BETAは孤立してしまった千鶴を見逃す事なく、千鶴の陽炎を取り囲むように動き始める。防衛線を突破していったはずの突撃級も、そこに含まれていた。だが、武たちはそれに気付かない。当事者の千鶴ですら、安堵による気の緩みから、気付くのが遅れた。
 そして──
『──きゃあああぁぁぁぁッ!!』
 耳をつんざく千鶴の悲鳴。
「──!?」
 一瞬の後、武たちの注意は一様に千鶴に向かう。カメラのフォーカスを榊機に合わせると、一度やり過ごしたはずの突撃級から攻撃を受け、宙に舞い上がっている陽炎の機影が確認された。
 しかしこれまで積み重ねてきた厳しい訓練の成果か──千鶴は激突の瞬間、咄嗟に噴射を行って自分から跳ぶ事で、多少なりとも衝撃を和らげていた。
 武たちはその事実に気が付いて、千鶴の命が失われなかった事に安堵した。そう……またしても安堵して気を緩めてしまったのだ。
 一度目はまだ何とかなっていた。確かに千鶴は吹き飛ばされて、全くの無傷と言うわけにはいかない。だが、ここで気を取り直せていれば、被害はそこで留まっていただろう。
 しかし、同じ事を二度、繰り返してしまった。そして……それは取り返しの付く事ではなかった。
 千鶴に意識が向いてしまった事で、周囲への警戒が疎かになった。
 武は冥夜のところに駆けつけたため、二人は同じ場所にいる。美琴はもとより後衛に位置していて、周囲に敵影は無い。その美琴から支援を貰った慧は、冥夜をサポートするのに水平噴射跳躍で突進したため、その勢いで冥夜から離れた位置に着地した。つまり、前衛で孤立してしまっていた。
 それを見逃してくれるほど、BETAは生易しい相手ではない。
 武のオーバーラップや美琴の支援砲撃でBETAたちの進攻は一時的に止まり、その時に一緒に足を止めた突撃級が、慧の乗る陽炎に向かって方向転換していた。
 当然、その後は突撃を開始する。
 その事に一番最初に気が付いたのは、慧自身だったのだが──しかし最初に気が付いたからと言って、対処が間に合うかどうかというのは全くの別問題だ。
 慧は冥夜の危機を救うべく無謀な突撃をした。それで冥夜は助かったものの、今度は自分が危機に陥り。
 壬姫を失ってしまった事による爪痕は慧の心にも深く刻まれていて、慧はこれ以上、仲間を失う事に耐えられなかった。だから冥夜を救えたのなら、それで自分は命を落としてしまっても構わないと、そう考えていた。
 その場は美琴の支援もあって事無きを得たのだが……それに安心して、千鶴が孤立している事にまで気が回らなかった。気が付いたのは、千鶴が突撃級に撥ねられた後。
 慧は後悔した。
 千鶴が無防備になった理由の一端は、美琴に支援をさせてしまった自分にある──そう思った。
 仲間を助けるために無理をして、それで別の仲間を危険に晒していたのでは、何の意味も無いじゃないか──そう思った。
 自分を犠牲にしてでも仲間を失いたくないと思って無理をした。でもそれは皆も同じで……自分が無理をして危機に陥れば、その愚かな自分を救うために、仲間も無理をして、危険に飛び込んでくるに決まってるじゃないか──そう思った。
 慧は後悔した。
 結局、慧は自分勝手な想いで仲間を危険に晒し、傷付けてしまった。
 酷く後悔した。戦闘中に。自分の置かれている状況も忘れて。
 それから数拍の後、慧は我を取り戻した。だがしかし──気が付いた時には既に手遅れになっていた。
 右手から迫り来る突撃級。咄嗟に身を引こうとして、退路を確認するために周囲のカメラ映像をスクリーンに投影させると……左手からも別の突撃級が迫って来ているのが目に入った。
 退路を探す。前に出れば要撃級の群れの中に突っ込んでしまう。これは駄目だ。後ろは……モタモタしているうちに要撃級に回り込まれた。これも駄目。そして当然、右も駄目。左も駄目。
『……くっ……!』
 だとすると残るは上空。だが、それをやるには抵抗が大きすぎた。武ならば何の迷いもなく、いとも簡単に跳躍してしまうのだろうが──この世界に生まれ育った者にとっては、空と言えば何より、BETAの支配下であるのだ。
 跳べば、レーザー照射を受けて蒸発してしまうかもしれない。
 だが、逃げ道はもうそこにしか残っていない。
 覚悟を決める。
 しかし、やはり拭いきれない抵抗があるのか──跳躍する前に一瞬の逡巡が生まれた。
 致命的だった。

『──────ッ!!』
 ヘッドセットから武の耳に、声にならない悲鳴が飛び込んできた。しかしそれは一瞬の事で、すぐに通信は途切れてしまう。
「え……?」
 一瞬、何が起きたのか分からなかったが……その僅かに聞こえてきた声が、慧のものである事に思い至る。
「……彩峰……?」
『────────』
 呼びかけてみるが、何も返って来ない。ノイズすら返って来ない。回線は完全に途切れていた。
 武は震える手でコンソールパネルを操作し、スクリーンに戦域情報を表示させる。そして、20704──彩峰機の識別コードを探すが……どこをどう探しても見つからない。
 役に立たない戦域情報をスクリーンの脇に追いやり、カメラ映像による目視で直接、彩峰機を探し始める。そして、先程まで慧がいたはずの場所に目を向けてみると……。
「あ……彩峰ぇぇぇぇッ──!!」
 絶叫する武。目の中に飛び込んできた光景に、頭の中は真っ白になる。
 そこには、二体の突撃級の強固な装甲殻に左右から押し挟まれ、無残に潰れてしまった……慧の陽炎があった。同一作用線上の両側から突撃を受けてしまい、力を全く逃がす事が出来ずにその全てを機体で受け止めたためか、管制ユニット周りのフレームはグシャグシャに潰れていて見る影も無い。このような状態では、搭乗者はとても生きてはいられまい。
 撃震の重装甲ならば或いは、何とか攻撃に耐えて──無論、戦闘能力は失ってしまうだろうし、搭乗者だって五体満足でいられなくなるかもしれないが、それでも──命だけは助かったかもしれない。
 しかし、第二世代機である高機動型の陽炎は、軽量化のために装甲は主要部分を覆うだけに留まり、撃震に比べて遥かに軽装甲になっている。
 実用レベルでBETAの攻撃を受け続けても耐えられるような装甲を戦術機に装備させたりしようものなら、それだけで身動きが取れなくなってしまう。だが、それとて無限に耐えられるというわけではない。
 ならば中途半端な装甲など限界まで薄くしてしまって、その分機動力を上げて攻撃を回避してしまえば、ダメージはゼロだ。BETAの攻撃を受け続ける事などナンセンス以外の何物でもないから、進化の形としてはこれで正しい。正しいのだが──今だけは、搭乗機を撃震から陽炎に換えた事を後悔してやまなかった。
「クソッ……テメェら、よくも──ッ!!」
 怒りに駆られた武は咆哮しながら、水平噴射跳躍で慧を潰した突撃級の背後に回りこみ、構えた突撃砲から36mm弾を見舞う。あっという間に一体を屠り去ると、すぐさまもう一体の後ろに回りこみ、再び36mm弾を喰らわせる。
 止めを刺した突撃級の巨体を押し退け、既に原形を留めていない慧の陽炎を解放した。フレームのひしゃげた陽炎は管制ユニットをプレスされたため、機能は完全に停止し、ただ立ち続ける事すら出来なくなっていた。歪んだフレームが擦り合わされ、ぎぃぃ、という耳障りな音と共に機体がぐらりと揺らぐ。股間ジョイント部のダメージが酷かったのか、少し傾いただけで左脚部が分離し崩落し、それをきっかけに、一気に機体が崩壊した。
 武は慧の遺体の確保をしようと、陽炎の残骸を掻き分けて、完全にスクラップと化した管制ユニットを掘り起こした……のだが。極限までダメージを受けた彩峰機の管制ユニットは自重すら支えられないほどに脆くなり、武がマニピュレータで掬い上げると同時に崩れ落ちた。
 そして外部マイクからヘッドセットを通して耳に入ってくる、金属部品が落ちるガラガラという音の合間に、ベシャッという粘ついた水音が割り込んできた。
 歪んだ管制ユニットの中に溜まっていた液体が零れ、地面に落ちた音だった。
 音のした方をカメラで確認してみると……放射状に広がる赤い染みがあった。
 それが何なのか。理性では既に理解していながら、しかし感情は頑なにそれを受け入れることを拒絶し否定する。そうであるはずがない、そんなはずはないのだと。目に見えているモノを否定するために、ソレが何かを確かめようと、カメラの映像を拡大する。
 そして、そこに武が見たものは……飛び散った数多の肉片に混じって、赤黒く染まった99式衛士強化装備の欠片。それは紛れもなく──これ以上もないほどに──慧の成れの果てだった。
「────ッ!!」
 後頭部をハンマーでガンと殴られたかのような衝撃を受ける武。手は震え、眩暈を覚え、口の中はカラカラだ。胸は悪く、ともすれば吐気を及ぼしてしまうような陰惨な光景に武は粟立ち、可能であるならば今すぐにでもここから逃げ出したいような気分になった──だが。
 悲劇はまだ終わらない──
 今の207小隊にとっては、やられてしまった慧から意識を切り離せ……などと言うのは、どだい無理な話だった。
 突撃級の突進を喰らって吹き飛ばされた千鶴。機体にダメージを残しつつ、それでも何とか噴射を制御して地面に激突する事だけは避けられた。避けられたのだが……激突の衝撃で制御システムにエラーが生じ、着地した時点で身動きが取れなくなってしまっていた。
 そして、周りには味方がいない。
 既に手遅れになってしまった慧に構わず、すぐさま千鶴の救援に向かっていれば、決して間に合わないなどという事はなかっただろう。しかし、それが出来なかった。
 どうしても慧をそのままにしておくことが出来なかった武は、慧を襲った突撃級を屠った。冥夜と美琴もそれに続き、周りにいた要撃級を蹴散らした。
 当然ながら、千鶴の事を忘れていたわけではない。だが、とりあえず無事だった千鶴より、慧を優先した。戦場では逆であるべきだったのに。
 千鶴自身、頭では生者よりも死者を優先する事が決定的な過ちだと分かっていても、感情では死んでしまった慧を優先した武たちを肯定していた。自分も動けるのであれば、真っ先に慧の下に駆けつけていただろう。武の取った行動は間違ってはいたが、千鶴の望んでいた事だった。だから彼女は、武たちの行動を咎める事はしなかった。
 武がその事に気が付いたのは、千鶴がBETAに完全に取り囲まれてしまった後だった。
「──ッ! 委員長、無事かッ!?」
 包囲の突破を試みつつ、武が千鶴に呼びかける。
『ふふっ……』
 その武の呼びかけに対して、千鶴は自嘲的な笑みを返してきた。
「……?」
『ダメね、私も。自分が生き残ることより、彩峰の敵を討つ方を優先させちゃった。彩峰がそんなこと……望むはずないのにね」
「すぐそっちに向かう、それまで何とか耐えて──」
『今ちょうど戦車級に取り付かれ始めたところ。もう間に合わないわ、あなたたちのいる場所からじゃ……ね」
 武の言葉を遮り、諦観とも取れるような穏やかな笑みを浮かべながら、千鶴が言う。
 極めて冷静な判断だった。武たちが包囲を突破する頃にはもう、千鶴は陽炎もろとも戦車級の腹の中、だろう。
「ばっ……なにバカなこと言ってんだよ! 間に合わないなんて、そんな!」
『バカじゃないわよ、客観的事実を言っただけ。だからあなたたちは私に構わず、自分の身を守りなさい』
「ふざけんな! なに諦めてんだよ!! そうだ、ベイルアウトして何とか離脱すれば……!」
 機体から管制ユニットを分離して、強化外骨格になれば、少なくとも身動きの取れない現状よりは、生き残る可能性はある、というわけなのだが……しかし。
『──残念ながらそれも無理。さっきの激突でフレームが歪んじゃったからね、ハッチも開かない』
 それが出来るならもうやってるわ、と千鶴は付け加える。
「くッ……なんか手はねぇのか……!?」
 千鶴の言う通り、この包囲網を突き崩して彼女のところに辿り着くのは不可能だ。
 武たちの腕は決して悪くはないし、搭乗している陽炎の機体性能だって決して悪いわけではないのだが……足りない。仮に搭乗している機体が第三世代機の不知火や、或いは武御雷で、操縦技術が今の一段上を行っていたとしても……それでもまだ足りない。
 だが。それでも諦めるわけにはいかない。
 慧の死に衝撃を受けて、千鶴の危機に焦燥を感じて──武は酷く回らない頭で必死になって考える。
 何かあるはずだ……と考え抜いて──単純な事に思い至っていなかった事に気が付いた。
 包囲網を突き崩す必要など無い。飛び越えて、躱してしまえばいいのだ。
 ──空だ。
 噴射跳躍で空に跳び、そこから水平噴射跳躍で一足飛びに千鶴のもとへ向かえばいい。
 そうと決まれば、武は包囲を一気に越えるために一瞬の躊躇も無く、迷わず噴射跳躍を試みた。
 だがしかし。宙に舞い上がった直後……不快な警告音と共に、武の強化装備のスクリーンがレーザー照射警報の赤で満たされた。
「チィッ──!」
 搭載された緊急回避システムが働き、乱数回避で空中を跳ね回る武の陽炎。光線級の後続が到着していたのか、いつまで経っても回避運動は収まらない。やがて痺れを切らした武は緊急回避システムを切断し、即座にマニュアル操作による反転噴射跳躍で地表に降り立った。
 周りには数体の戦車級。65式近接戦闘短刀を抜き放ち、取り付かれてその大きな口で薄い装甲を食い破られてしまう前に、片っ端から斬り裂いていく。
「クソッ、時間がねぇってのに……どけよッ、こいつら……ッ!」
 次々と集ってくる戦車級を斬り倒しながら、焦りから怨嗟の言葉を吐き捨てる武。そして無理に包囲の突破を図ろうとしていた武に、千鶴がそれを諌めるように言葉を投げかけた。
『──危険なことはやめて、白銀。私のことはもういいから……お願いだから、自分の身を守ることだけに専念して』
「バカ野郎、諦めるなよッ!!」
『……無理よ、もう。外の光が射し込んできてるもの……』
「────ッ!」
 絶望的だった。
 開かないコックピットに外の光が差し込んできたという事は、つまりそこまで装甲が喰い破られたという事だ。もう、後ほんの僅かの時間しか残されていないのは明白だ。武も覚悟を決めざるを得なかった。
 そして千鶴からの通信に、装甲を蝕まれる音の他に、戦場からのノイズも乗り始める。いよいよ最期の時が迫っていた。
 スクリーンに映し出された千鶴の顔を見ると、パッと見ただけでも、その唇がわなわなと震えているのが分かる。衝撃で飛ばして壊れてしまったのか、トレードマークともなっていた大きなフレームの眼鏡は外されており、いつも強い意志を感じさせていた太めの眉が、今はどこか自信なさげに、ハの字に垂れ下がっているのが良く見えた。
 怖くないはずがない。納得しているはずがない。それでも精一杯強がって、無理をして笑っているのだ。これから先も生き続けていかねばならない者たちに、不安を与えないために。
 それは、とても上手くいっているとは言いがたかったが……だが、それでも千鶴の気持ちは、武たちには十分過ぎるほど伝わっていた。
『ね、白銀』
「なんだ……?」
『私たちはやり方を間違ったの。珠瀬の死を引き摺っちゃいけなかったのよ……これは、それが出来なかった報いだわ』
「………………」
『犠牲は、私で最後にしてね?』
 少し寂しげに、千鶴が言った。
「……ああ」
 武は無理に搾り出したような声で、短く答える。
『御剣、鎧衣……白銀のこと、頼んだわよ?』
『榊……』
『千鶴さん……!』
『……向こうでは彩峰とちゃんと仲良くするから、だから……白銀は仲裁なんてしに来ちゃ、ダメなんだからね……?』
「ああ……分かってる」
『……じゃあね、みんな。白銀──────さよなら』
 千鶴は最後まで笑顔を崩さないまま……しかしカタカタと震える手で、通信回線を切断した。それからすぐに戦域情報から千鶴を示す識別コード──20701と表示された光点がフッと消滅した。

 初陣から二年と少し。そのさなか、ハイヴ突入という大任も果たしながら、誰一人欠ける事なく戦い抜いてきた207小隊だったが──前回の戦闘でほんの少しの気の緩みから、壬姫を失った。
 それによって仲間を失う事に対して過大な恐怖を抱いてしまい、それが普段の冷静な行動の妨げになった。決して仲間を信用していないというわけではないのだが、皆、必要以上に戦闘中の仲間の無事を気にかけるようになってしまっていた。
 だが……その結果がこれだ。今回の戦いでは千鶴と慧、二人を同時に失ってしまい、結局、たったの一週間で、207小隊はその数を半分にまで減らしてしまった。
 ともすれば、いとも簡単に絶望に飲み込まれてしまいそうなこの状況に、しかし千鶴との最後の約束を守るため武たちは心を殺し、殺戮マシーンと化す。
 これまでの経験に裏打ちされた動きでありながら、だが先程の冥夜のような凡ミスを犯さないために、今現在入手可能な情報だけを判断材料として動き続ける──

 戦闘が終結したのは、それから数時間の後。今回もやはり、佐渡島基地が受けた被害は決して小さなものではない。客観的に見る限り、あと一度、襲撃を凌げるかどうか──というような状態だった。
 増援を要請すればその限りではなくなるが、G元素研究施設という基地の性質上、おいそれと一般の部隊を入れるわけにもいかない。それに、数が揃っていればいいというものでもない。
 そんな状況で──これはさすがと言うべきか──米国政府上層部はこれ以上の研究の続行は困難であると判断して、いともあっさりと佐渡島基地の破棄を決定してしまった。
 もっとも、反応炉とアトリエを破壊してすぐに撤収、というわけにもいかない。そんなに大それた研究成果があるわけでもないのだが、しかしそれでも、それらをキッチリと回収しなければならないし、そこに付随する設備等の搬出もある。
 よって207小隊も、撤収が完了するまでは引き続き佐渡島基地に駐留する事となった。
 前回の襲撃から今回までのインターバルは一週間。それを元に様々なデータを加味して解析、次回襲撃までのインターバルも一週間であるものだと算出され、それに従って工程を決め、佐渡島基地撤収計画が実行された。
 そして、BETAが襲撃したのは予測通り一週間後。どんな基準で判断したのかは不明だが、米国の読みは見事的中していたというわけだ。ただ、残念ながら撤収作業の方に若干の遅れが出ていて、限界まで基地を防衛しながらの撤収作業が続き、最終的には作業は間に合わず、研究施設は反応炉やアトリエもろとも、高性能爆弾S-11で吹き飛ばされた。
 207小隊も当然ながら撤退戦に参戦し──三人だけになってしまってはいたが、亡くした仲間の分まで生き抜いてみせるという覚悟が固まったためか──低下しているはずの戦力をものともせず獅子奮迅の働きを見せ、撤収に大いに貢献した。
 この撤退戦での活躍により、白銀武、御剣冥夜、鎧衣美琴の三名は大尉に昇進。なお榊千鶴、彩峰慧、珠瀬壬姫の三名は戦死による二階級特進で少佐に昇進した。



[1123] Re[2]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 国連太平洋方面軍第11軍、横浜基地──
 佐渡島基地が放棄されてから、もうすぐ一年が経過しようとしていた。
 武たちは佐渡島から撤退した後、横浜基地に帰ってきた。それからすぐに、内輪で千鶴たちの追悼を行い……それからはずっと、訓練の毎日だ。
 その間、BETAの襲撃は無い。
 横浜基地は横浜ハイヴ跡を利用して建造された基地なので、そこには当然BETAの作った施設──反応炉が存在し、今現在もなお稼働中である。よって佐渡島基地が陥落した今、BETAが次に狙ってくるのは当然ながら、ここ横浜基地という事になる。
 しかし佐渡島を撤退する際、アトリエと反応炉を完全に破壊してきた事で、BETAが再利用出来るのは地下茎構造だけという状況を作り出した。そのため復旧に時間がかかり、その分、侵攻を遅らせる事が出来ている、というわけだ。
 後は間引き作戦をどれだけ機能させられるかだが、佐渡島の観測データをこれまでの統計データに参照して推測すると、あと半年もすれば進攻は再開されるだろう、と言う見方が目下の主流だ。
 それまでに可能な限り戦力を整え、BETAを迎撃する態勢をより完全なものにしなければならない。 
 現在のBETAのトレンドは、ハイヴを取り戻すために動く、という事に終始されている。つまり、佐渡島から横浜を結んだ侵攻ラインは例外としても、横浜が墜ちない限り、他の都市はまず安泰であるという事だ。無論、それに保証などありはしないのだが。
 ともあれ、現状では横浜が文字通り最後の砦となり、横浜を守ることこそが帝都を、そして日本を守る事に直結している。
 故に、オルタネイティヴ5が発動して以来、疎遠になっていた横浜基地と日本政府は復縁し、連携を強化していた。
 ──オルタネイティヴ計画とは……乱暴に言ってしまえば、BETAに勝つための方法を模索する国連の極秘計画である。しかし、国連のプロジェクトではあるのだが、その計画は加盟国から上がってきたものであり、国連内部で協議して発案するものではない。そのためプロジェクトが確定すると、発案者の所属する国が主導となって遂行される。また通例として、人材や物資はその国から供与される事になっていた。
 オルタネイティヴ4の発案者は、香月夕呼だった。武が先生と呼んで慕っていた、あの夕呼だ。よって計画は日本が主導で行うものとなり、横浜基地は国連の基地でありながら、半分は日本政府の管轄でもあった。配備されていた戦術機が撃震や陽炎という帝国軍仕様の機体、或いは吹雪という日本で独自開発された機体だったのは、このためだ。
 だがしかし……オルタネイティヴ4は頓挫。日本政府が横浜基地を支援するメリットは消滅し、横浜に国連を招聘した当時の首相──千鶴の父親でもある──榊是親は責任を追及され失脚。
 このような事情があり、横浜基地と日本政府のパイプは一時断たれていたのだが……ここに来て横浜基地防衛の重要性が跳ね上がってしまったため、今再び、横浜基地と日本政府は手を結んだと、そういうわけである。
 もっとも、そもそもオルタネイティヴ4は極秘計画であった事から、横浜基地と日本政府のパイプは完全に水面下のものとして機能していたため、事情を知らない者にとっては何ら状況は変化していない。両者の関係が薄れていた間も、変わらず撃震や陽炎が使い続けられていたのは、そういった理由からだ。
 ともかく。佐渡島ハイヴが復活した事で、状況は武がこの世界に現れた時とほぼ同じ状態に戻ってしまった。違うのは、横浜基地がBETAの次の狙いである事がほぼ確定している、という事だ。そのため、今の横浜基地の衛士たちは、ここが後方であるなどという緩みなど皆無で──原因を考えるとあまり喜ばしい事でもないのだが──活気に満ち溢れている。
 そして今日も、基地に駐留する部隊は、訓練にいそしんでいた──

 本日の実機訓練を終えた207小隊は──といっても、冥夜と美琴の二人だけなのだが──休憩も兼ねて、PXでティータイムを楽しんでいた。
 207小隊はその戦闘経験を活かして、教導部隊の真似事をやっている。いわゆる仮想的部隊というやつだ。そのリーダーである武は、講義等も行っているのだが……その相手は国連軍だけに留まらない。
 横浜基地が陥落すると、横浜ハイヴが復活し、目と鼻の先にある帝都はこれ以上もないほどの危機に見舞われる。
 1999年の侵攻時は、未だ解明されないBETAの不可解な行動があったために、帝都が戦火に晒される事はなかった。が、次はそうはいかないだろう。
 もし横浜を奪われれば、そこにBETAの前線基地が出来上がるという事であり、そうなった場合、帝都防衛の難度は飛躍的に上昇し、帝都壊滅が極めて現実的な数字となってくる。
 故に最後の一線として横浜を死守しなければならず、横浜基地防衛は帝国軍との共同作戦を取ることとなり、その一環として共同演習を行っているのだ。
 その際、佐渡島で実際に基地襲撃を受け、それを生き延びた者の視線から見た意見は大いに参考になる……という事で、佐渡島基地防衛戦や撤退戦を経験した207小隊は仮想的部隊に抜擢されているのだが──更にその小隊長である武は、拠点防衛時に有効な戦術や機動等を、座学で講義する羽目になっていた。
 今、休憩しているのが冥夜と美琴だけなのは、そういうわけなのである。

「──でもさ、階級が上がったのはいいんだけど……やってることって前とほとんど変わらないよね。中尉になった時もそうだったけど、いいように動かすためのエサを与えられてるみたいでやだな、ボク。なんかさ、責任ばかり押し付けられてるような気がしない?」
 美琴は憂いを帯びた表情で伏し目がちに視線を落とすと、両手に抱え込んでいたグラスを、武と初めて出会った頃に比べて少しだけふっくらと艶やかになった形のいい薄桃色の唇に当て、注がれていた合成オレンジジュースをちびりとすすった。
「気持ちは分かるが……だがそれでも私たちは、タケルよりはまだマシであろう。あの者は今まさに仕事を押し付けられている最中なのだからな」
 苦笑しながら、こちらは合成宇治茶をすする冥夜。
「そうだね。でもタケルは小隊長だし、すごく頼りになるから……仕方ないよ。一緒にいられる時間が少なくなっちゃうのは寂しいけど」
「そうだな……」
 冥夜は再び湯飲みを口許に持っていき、一度溜息を吐くと、少しだけ重くなった口を開いて言葉を続けた。
「タケルは……変わったな」
「うん。佐渡島で千鶴さんと最後の約束を交わした時から……だよね」
 瞳に寂しげな色を浮かべながら答える美琴。
「ああ。とても強くなった。いや、別にタケルを弱いだなどと思ったことは一度たりとてないのだが……弱みを表に出さなくなったように思う」
「でも、強がってる、ってワケでもないんだよね。……もう少しボクのことも頼って欲しい、っていうのは、ワガママなのかな」
「そんなことはあるまい。それにタケルはああ見えて、ちゃんとそなたを頼りにしておるぞ? 他の者と接する時は全く隙がないが、そなたが相手だと、だらしがないほど隙だらけになりおるからな」
「そっか……そうなんだ。冥夜さんはよく見てるんだね、タケルのこと」
「それは鎧衣、そなたとて同じであろう」
「あはっ、まあね」
「ふふふっ」
 美琴が笑顔を見せ、それにつられて冥夜も穏やかに笑う。
 と、そこに座学を終え少しくたびれた様子の武が、肩でも凝ったのか、首を回しながら歩いてきた。
「なんだお前ら、二人して嬉しそうに笑って。なんかいい事でもあったのか?」
「あ、タケル。おかえり、お疲れさま」
 美琴が破願しながら武を迎え入れる。
「で、なに話してたんだ?」
「それは……女同士の秘密だ」
 冥夜がやんわりと拒絶した。が、武はそれを気に掛ける様子もなかった。
「そっか、まあいいや。それにしても参ったよ、もう質問攻めでさ」
 武はやれやれと言った表情で椅子を引いて席に着くと、ここに来る前にカウンターで貰ってきたラムネを一気にあおる。
「なにを訊かれたの?」
「何でもかんでもだよ。ほら、今日訓練つけた中に、来月着任する予定の女の子たちが混ざってたろ? 戦術機の操縦とか戦術なんかは当然として、どのポジションが一番好きだとか、基礎訓練はどんな事やってるのとか。それでだんだん話がズレてってさ、しまいにゃ好きな食べ物とか好みの女の子のタイプを教えてくれなんて訊いてくる子もいて────ん?」
 話している途中で雰囲気がおかしくなっている事に気が付いた武。まわりを見ると、二対の瞳から、じっとりとした視線が武に向けられていた。
「な、なんだよ」
「それで……タケルはその質問には何と答えたのだ?」
「ん? ああ。合成クジラの竜田揚げって」
 アッサリと答えてのけた武。
 無意識のうちに身を乗り出していた冥夜と美琴はその答えを聞くと、脱力して思わずテーブルに突っ伏しそうになった。武の好きな食べ物が何かなど、いつも一緒に食事をしている二人が一番良く知っている。訊きたいのはそんな事ではなかったのだが……だが、武にそれを期待するのも酷な話だった。
「いや、そうではなくて、その……もう一つの方の」
「好みの女の子のタイプの方か? そっちは保留にしといたよ。今はそんな余裕無いからってな」
 武は苦笑しながら言い、ビンの中に二割ほど残っていたラムネを一気に飲み干して一息ついた。
 これはある見方をすれば、余裕を失くしているという事に他ならず、危険な状態だと言わざるを得ない。
 しかしその一方で、武の態度を見る限り、無理をしているという様子など微塵もなく、極めて自然体でことに当たっている。生き延びるために必要な事を最大効率で行っているとも言え、その是非は後になってみなければ分からないだろう。もっとも、これが間違いだったとしても、もう片方が正解という事にはならないのだが──それはともかく。
「まあこんなご時勢だ、俺をネタに盛り上がってみんなが元気になるんだって言うなら、それはそれで構わんだろ」
 そして武は、あの子たちは未来に希望が持てないはずなのに、それでも軍に入って未来を掴もうとしてるんだから……と付け加えて、この話を締めた。
「さて……それじゃ明日の訓練計画を固めとくか」
 冥夜と美琴に手持ちの資料を配付する武。明日からは帝都守備隊が訓練に参加してくる予定になっているので、あまり生ぬるい訓練では効果が無い。
 最初のうちは武も、どうして自分たちが他部隊の訓練計画まで面倒見てやらなけりゃいけないんだ……などと愚痴る事もあったのだが、最近は諦めたのか、それとも慣れて気にならなくなってしまったのか──可能な限り細かい部分まで配慮の行き届いた計画を立てるようになっていた。
 もっとも、だからこそ余計に仕事が回ってくるようになってしまったのだが……当人はそれを全く気にしている様子がなかったりする。
 ……それから小一時間。計画がまとまったところで、ちょうどいい時間になったから、これから夕食にしようか……と、立ち上がったとき──
 あたりに警報が鳴り響いた。
『──防衛基準態勢1発令──戦闘員は完全武装にて待機せよ! 繰り返す──』
 遅れて、少し慌しい様子のオペレーターのアナウンスがスピーカーから流れてきて、PXは困惑のざわめきに包まれる。今更、警報ごときに慌てふためく横浜基地ではないが──
「……どういうことだ? いきなり防衛基準態勢1などと……それに、戦闘員は完全武装で待機だと? 出撃態勢ではなく?」
 冥夜が怪訝そうに武に問いかける。今更警報如きに動揺する207小隊ではないが……このタイミングでの警報には疑問があった。
「俺だってなんも聞いてねぇよ。でも、BETAが来るにはまだ早すぎるし、そもそも防衛基準態勢2をすっ飛ばして、ってのもおかしいよな。まあ、とにかく話を聞いてくる。お前らは先に準備を済ませてブリーフィングルームに行っててくれ」
「──了解」
 冥夜と美琴は席を立つと、更衣室に走っていった。

 数分後──
 強化装備に着替えた冥夜たちが、207小隊に割り当てられた第5ブリーフィングルームで突撃銃と拳銃、ナイフを確認をしていると、厳しい表情の武が部屋に入ってきた。
「──お待たせ」
「なにが起きてるの? BETA?」
 武を迎え入れた美琴が訊ねた。
「いや、違う。相手は人間……テロだ。人類解放戦線なんてふざけた名前の武装勢力が攻め込んできたんだと。連中、ハンガーと中央作戦司令室に直行したらしいから、このエリアは安全なはずだけど」
「そう……」
 冥夜も美琴も、二人とも特別驚いたという様子はない。
 佐渡島でBETAに襲撃を受けた時に比べてあまりにも違う今の状況から、何となく想像はついていたようだ。
「しかし……この基地のセキュリティは一体どうなっておったのだ……?」
 みすみすとテロリストを招き入れてしまった事を嘆いてか、冥夜が半ば呆れ混じりに言った。
「夕呼先生がいなくなってからは、滅茶苦茶もいいところだった……って事だよ」
 冥夜の問いに対して、こちらも呆れながら答える武。
 初めて横浜基地に来た時、夕呼に貰ったセキュリティパスがある。夕呼の呼び出しにいつでも応じられるようにと与えられた、非公式のS4レベルのパスだ。
 そのパス、オルタネイティヴ4が頓挫してから二年後に社霞が地球を脱出するまで、B19フロアにいる彼女に会うためにずっと使い続けていたのだが……これは即ち、二年間それが放置され続けていたという事になる。
 だがしかし。そこから更に三年以上が経っている現在でも、未だに使えてしまうのだ。どれだけ杜撰な管理をしているか良く分かる。
「まあ、オルタネイティヴ4が終わって、オルタネイティヴ5の駆逐艦打ち上げも終わったから、拠点としての重要度は急落しちまったわけだし……それに単純な戦力なら横須賀や厚木の方が上だったからな」
「ここの地下には反応炉があるのに……か?」
 大尉に昇進した際に開示された情報を挙げて、冥夜が問う。
「ああ。解析は夕呼先生がいた時に終わらせちまったらしいし、あれを使って何かしようたって、結局はG元素がないと話にならなくて、今のままじゃただの大出力ジェネレーターとしてしか使えないんだ。でも、その大出力を使って何かをやるにしても、原発を何基も束ねれば同じだけの出力は出せるから、それならわざわざ極東の絶対防衛線だなんて呼ばれてる危険な場所より、米国でやった方がずっと安全だろ?」
 だからって、ここが重要施設である事に違いはないと思うんだけどな……と、武は呆れ顔で続けた。
「とにかく、今はセキュリティの是非はどうでもいい。で、現状なんだけど」
 脱線した話を戻し、武は状況説明を続ける。
「結構拙い事になってる。内通者がいたみたいでな──」
 その内通者が、司令部にまで食い込んでいたらしい。先程の防衛基準態勢1が発令されたアナウンスを最後に、司令部との交信はぷっつりと途絶えてしまった。
 中央作戦司令室と戦術機ハンガーは完全に敵の支配下に落ちている。内通者に衛士が含まれていなかった事、そして敵方には衛士が存在していない事から、鹵獲されたはずの戦術機や強化外骨格が動いている気配はないのが、せめてもの救いだ。
 現状の基地の被害は、皮肉な事ではあるが、内通者が組織上層まで食い込んでいたが故に制圧がスムーズに進み、それほど大きいものは出ていない。それがいつまで続くかは分からないが。
 現在、横浜基地に常駐している戦術機甲連隊の指揮官を中心にして、基地奪還作戦を立案中だ。武たちも、合流した後はそこに加わることになる。
 作戦は中央作戦司令室奪還を目的とするA隊と、ハンガー奪還を目的とするB隊に二分して行われる。まずA隊が陽動を仕掛け、その隙にB隊が格納庫を攻撃して強化外骨格を奪取。ハンガー制圧後、A隊と合流して、ハンガーを拠点に中央作戦司令室を制圧……という流れをとる。単純な作戦だ。

「しかし、その人類解放戦線とか名乗っているテロ組織、一体何者なのだ?」
 冥夜が怪訝そうな表情を浮かべながら、武に訊く。
「ああ。元、反オルタネイティヴ勢力の中の過激派が母体になってる組織だそうだ」
「では、目的は横浜基地の占拠……か?」
「そうらしいな。占拠してその後どうするか……ってのは、考えてなさそうだけど」
 ふんと鼻で笑いながら、武が言う。
「どうしてそんなことするんだろうね……?」
 美琴が、理解出来ないよ……と言った風に武に訊ねた。
「まあなんだ、言っちまえば単なる逆恨みだよ──」
 武は聞きかじった事情の説明を始めた。
 反オルタネイティヴ勢力は、その内部に大きく分類して二派存在していた。G弾推進派──G弾による大反抗作戦、つまりバビロン作戦を目標に動いていた勢力と、計画反対派──目標もなく単にオルタネイティヴ計画に反対する事を目的としていた勢力だ。
 バビロン作戦が発動するまでは、その二派の目的は同じ。オルタネイティヴ計画に対する反抗だ。
 G弾推進派なら、オルタネイティヴ4の間はバビロン作戦を少しでも早めるため、5に移行してからは移民計画に割り振られた予算を少しでも奪い取るために。
 計画反対派はその名の通り、ただ計画に反対しているだけだった。こちらは武装組織を持ち合わせており、壬姫の父親──珠瀬事務次官が巻き込まれたテロルを起こしたのは、この勢力である。
 だが、バビロン作戦が発動してしまうと、オルタネイティヴ5とG弾推進派は手段も目的も同じとなる。勿論、内部での勢力争いが絶える事はないだろうが、どちらも米国の組織であったし、そういった理由から両者は統合された。
 と言うか、元々米国には大反抗作戦推進派という主流派が存在し、その中で国連に顔を立てて移民計画を並行して進める事に対する是非が問われていただけで、頓挫にしろ完遂にしろ、移民計画がなくなってしまった時点で、元々一つの組織である両者が併合するのは至極当たり前の話なのだ。
 とにかく、そうしてG弾推進派は反オルタネイティヴ勢力から離反し、オルタネイティヴ計画の反抗勢力は瓦解した。
 残された計画反対派だが……これがオルタネイティヴ計画にただ反対するだけで、その代案など持ち合わせた事は一度としてなく、将来的なヴィジョンも持っていない、誰かの足を引っ張るだけしか能がない、いわゆる能無し集団だった。
 G弾推進派と組んでいたのは、ただG弾推進派が目的を達成するためにオルタネイティヴ計画と対立していて、表面上、自分たちの仲間に見えたから……というだけの話だ。そういった観点から見れば、G弾推進派の尻馬に乗っていただけに過ぎない。
 勿論、G弾推進派はそんな事は百も承知で、逆に計画反対派をいいように利用していただけなのだが。
 しかし、こうなると当然、計画反対派は腹の虫が収まらない。
 というような状況でオルタネイティヴ5による大反抗作戦は失敗。そして計画反対派の手元には武装組織が残っていた。
「で、反攻作戦が失敗したのはオルタネイティヴ計画のせいだ、だから反対してたのに……なんてアホな事を言い始めてな。それで、作戦を失敗させた連中は悪だ、悪は成敗しなくちゃならない……って話らしいぞ」
「なんだそれは。ふざけおって、まったく……開いた口が塞がらんな」
 冥夜が心底呆れた様子で言った。

「──さて。それじゃ、俺たちも連隊長んとこに合流して、さっさとハンガーを取り返すか」
 武は立ち上がって突撃銃のベルトを肩に掛ける。
「ねえタケル。内通者は司令部にも食い込んでたんだよね?」
 そこに美琴が、少しだけ心配そうな顔で質問を投げかけた。
「ん?」
「衛士は……本当に大丈夫なの?」
「ああ、そっちは問題ないよ。ほら、佐渡島が陥落してBETAの次の目標がここに確定した時、帝国軍と共同戦線を張るってんで、部隊が再編されただろ?」
「……その時に全員更迭されている……ってこと?」
「まあ、そういう事だ」
 内通者が全員更迭というか……横浜基地の戦術機甲部隊は、その時に207小隊以外、全員が挿げ替えられている。
 BETAの次の目標が横浜基地であると判断された以上、腑抜けた衛士はいらない。それどころか、ここが墜ちれば帝都壊滅という、文字通り日本最後の砦となっているこの横浜基地には、最精鋭を揃えておかなければならない。
 それが成されなければ、日本政府や帝国軍からの突き上げも大きなものとなる。横浜基地は半分日本政府に寄りかかって成り立っているようなものなので、そちらの意向を無視するわけにはいかない。
 また世界的視野から見ても、横浜が極東の絶対防衛線であることに変わりはなく、いずれBETAが攻めて来ることが分かっているこの基地に腑抜けた衛士を配置しておく事など、やはり出来ない。
 と言うわけで部隊再編が行われ、BETAとの戦闘のために全精力を注げるような衛士ばかりが集められている。BETAと戦い抜く覚悟も出来ず人間相手に当り散らすようなテロリストなど、入り込む余地がないのだ。
 もっとも、今のところはまだ、気合が入っているのは衛士たちだけだ。だからむざむざテロルなどを許してしまっているのだが。

 武たちは他の衛士たちと合流し、基地奪還作戦が開始された。
 207小隊はB隊、ハンガー奪還に参加。作戦は実にスムーズに進み、あっさりとハンガーを確保した。
 と言うのも、この横浜基地は広すぎるのだ。
 オルタネイティヴ4が健在だった時、この基地には常時一万人を超える軍人や職員が詰めていた。それでも、キャパシティにはまだまだ充分過ぎるほどの余裕があった。ハイヴとはそれほど広大なのだ。今は研究ブロックが完全稼動していないので、夕呼がいた頃に比べれば確実に人は減っているのだが、それでも千人単位で人が詰めている。
 それを完全制圧しようなどと思えば、生半可な人数では成せない。
 だからこそ、テロリストは制圧場所を中央作戦司令室とハンガーに絞った。
 しかし、中央作戦司令室は、確かに横浜基地の司令塔ではあるのだが、そこから全てを網羅出来るというわけではない。情報を一極集中しても、夕呼のような天才ならいざ知らず、常人には処理しきれないのは目に見えているからだ。
 つまり……中央作戦司令室だけを占拠したところで、基地内を完全に把握する事は出来ない。
 そこでザルな警備の基地内を易々とハンガーまで進み、戦術機や強化外骨格を奪還して一挙に制圧した、というわけだった。

 武たちはハンガーの一角で、作戦会議を執り行っていた。今この場にいるのは戦術機甲連隊の連隊長に大隊長が二人、武、冥夜、美琴、それにテロリストのハンガー制圧班のリーダーと思しき男だ。
 もっとも、その男から入手すべき情報は既に聞きだしてしまったので、拘束して壁際に転がしている。
 そんな状況で、武たちは作戦立案していたのだが──

 両手両脚を縛られ、壁際に転がされていたテロリストは、もぞりと身体を動かした。靴の踵に仕込まれていたナイフが姿を現し、男の手足を拘束していたロープが切断される。
 だが、中央作戦司令室への突入作戦を練っている武たちは、その事に気が付かない。
 男は先程取り上げられ、作業台の上に置かれていた拳銃に向かって手を伸ばす──

 美琴は視界の端で、何かが動いたのを見咎めた。即座にそれを確認すると……両手両脚を縛られて身動きが取れなくなっていたはずのテロリストが、何故か拘束から解放され、作業台の上に置きっぱなしになっていた、男から取り上げた銃に手を伸ばしているところだった。
 あんなところに銃を置きっぱなしにしたのは誰だ──などと考える間などなかった。男の指は引き金に掛けられ、その銃口は武の方に向けられていたのだ。

「タケル、あぶないッ!!」
 美琴が叫ぶとほぼ同時に、その小さな身体が勢い良く、武にドン、とぶつかってきた。その直後。
 ズドンという轟音と共に、美琴の身体が武に向かって押し込まれ……そして、力なくずるりと崩れ落ちた。
「……え?」
 美琴の身体を受け止めた手に、何かぬるっとした液体が纏わりついていた……血だ。
 強化装備の高い防弾性能が故に、弾丸は貫通する事なく美琴の体内に留まり、後ろにいた武は無傷だった。美琴がそこまで計算していたのかまでは分からないが……とにかく、武は美琴に命を救われた。彼女の命を犠牲とする事で。
 美琴の胸には、人差し指ほどの穴が穿たれ、そこからドクドクと血が流れ落ちていた。顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。どうしようもないほど致命傷だった。
「美琴……?」
 呆然と呟く武。
 武に名を呼ばれた事が嬉しかったのか。それとも、武が無事だった事が嬉しかったのか。美琴はうっすらと力なく微笑み、そして……呆気なく逝った。
「よーしテメェら、動くんじゃねえぞ……動けば次はそこの男があの世行きだからな……」
 テロリストが武に銃口を向けたまま言う。
 しかし、武はそれを全く気にかけず、ゆっくりと美琴の亡骸を横たえた。
「おいコラ、動くなっつってんのが聞こえねえのかよ!」
 テロリストは銃を構えたまま、イラついた表情で、武に向かって近付いてくる。
 武は男が不用意に近付いてきたところを狙い、手首を強烈に打ち据えて、まずは拳銃を叩き落した。そして撫でるような動きでヌルリと背後に回りこみ、右腕を掴み捻り上げて関節を極めると……躊躇なく力を加え、破壊した。
 続けて左腕も同様に、関節を極めた直後に容赦なく破壊する。
 苦痛によって潰れたヒキガエルのような歪んだ顔で悲鳴を上げながら、床の上をのた打ち回るテロリスト。武は汚物でも見ているかのような冷酷な眼でその姿に一瞥をくれると、先程叩き落した拳銃を拾い上げた。
 イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ製、デザートイーグル。50AE弾を使用し、装弾数は7+1発。世界最強の自動拳銃といわれる大型拳銃だ。
 人間相手に使うような代物ではない。武たちが使っている9mmパラベラム弾でも、人間相手なら十分過ぎるほどの殺傷力があるし、使い勝手では後者の方が圧倒的に上だ。
 かと言って、BETAに使おうなどと思っても、やはり拳銃は拳銃。確かに9mmに比べれば生存率は高くなるかもしれないが、突撃銃には及ばない、今となっては微妙な武器だ。BETAを相手とする際のサブアームとしては有効な選択肢ではあるだろうが、生身の歩兵が拳銃でBETAと対峙しなくなって久しい今、わざわざこの拳銃を選択する意義は薄い。
 それに、本気でBETAと戦おうと言うのであれば、こんな大きな拳銃は置いて、突撃銃の弾倉を余分に携行した方がよっぽど有効だ。
 結局のところ、このテロリストがデザートイーグルなどを使っていた理由は……ただの趣味だろう。
 武は一度、深呼吸とも取れるような大きな溜息を吐き、のたうっているテロリストに近付いていく。そして──
「うるさいよ……お前」
 ボソリと呟くと、喚く男の鳩尾を爪先で強かに蹴り込んだ。
 男の呼吸は一瞬止まり、同時に悲鳴も止み、代わりに呻き声が上がり始めた。関節を破壊されてだらりとした両腕は動かす事が出来ず、たった今ダメージを受けた腹部を押さえる事も出来ない。それでも何とか痛みを抑えようと、脂汗を流しつつ、大きく口を開け、ぜいぜいと呼吸していた。
 武は、その大きく開かれた口に、拾い上げたデザートイーグルの銃口を差し込んだ。
 その瞬間、男は身体を苛む激痛すら忘れ、ピタリと動きを止める。そして小刻みな痙攣を始め、やがてそれは傍目にも明らかなほど大きくガクガクと震え始めた。
 口の中に銃口を突っ込まれ、人差し指をほんの少し動かされただけで頭が吹き飛んでしまう状況……そして、その銃を握る武の、情け容赦が微塵も無い冷酷極まりない目付き。それに耐えられず、男は見ていて滑稽なほど怯えている。
 無理もない……とも言えなくはない。実際、この光景を周りで見ている者たちでさえ、自分に向けられているのではないのに、今の武の、いつ暴走しても何らおかしくないと感じさせる、狂気とも取れる雰囲気には、少なからず恐怖を感じていた。
 だが、そんな男の怯えを見れば見るほど、武ははらわたが煮え繰り返りそうになる。結局、この男の覚悟はその程度だったのだ。そのくせ、平気で他人に銃口を向け、引き金を引いたのだ。こんなつまらない男に、美琴は殺されてしまったのだと。
 しかしそれ以上に、武は自分自身に対して腹を立てていた。このテロリストの挙動に気を配っていれば、こんな事にはなっていなかったはずなのだ。
 ──不甲斐ない。
 そんな自分自身への怒りが高まれば高まるほど、テロリストはそれが自分に向けられているのだと勘違いして、怯えが更に酷くなる。見ているだけで鬱陶しくなるほどに。
「……チッ」
 武は舌打ちすると、男の口から銃口を抜き、握っていたグリップの底で男のテンプルをガツンと強かに打ちつける。脳を揺さぶられ、また腕の激痛に耐えられなくなっていたのか、男は意識を手放し、ぐったりと動かなくなった。
 武は表情を消してスッと立ち上がると、改めてテロリストを拘束しなおす。同じ轍を踏まないために、身包みを剥いだ後にワイヤーでがんじがらめにして。
 どこか機械的に作業をこなす武の姿に、それを見る者たちの顔に苦渋の表情が浮かぶ。
 そしてしばらくすると、連隊長がどこか苦々しげに言葉を発した。
「──白銀。我々は先に行っている。戦えるのならば追いついて来い。それが出来そうになければ……ここを守っていろ。いいな」
 厳しくもあるその言葉の中には、看過出来ないほどの気遣いが含まれていた。彼らにとっても、美琴はこんな事で失っていいような人材ではなかったのだ。そして、これ以上犠牲を増やすわけにもいかない。こんな状態の武や冥夜を戦闘に駆り出すのには抵抗があるのだろう。
「……了解」
 武が少しだけ感情を取り戻した声でそれに返事をすると、連隊長たちは連れ立って部下たちの待つエリアへと立ち去っていった。

「タケル……」
 美琴の亡骸の側にぼんやりと座り込み、その小さな頭を膝に乗せて、乱れた髪を梳いてやっていた武の側に、冥夜が今にも泣き出しそうな顔で近付いてくる。武はそれに力ない笑みで応じると、ポツリと口を開いた。
「心のどこかでさ……人類の敵はBETAだから、人間はみんな味方なんだって……そんな風に考えてた」
 武は自分に呆れ返るように、溜息を吐いた。
 少し考えてみれば、人間同士の大きな確執などいくらでもあったのだ。例えば千鶴の父親が失脚した事。壬姫の父親がテロルに巻き込まれて亡くなった事。慧の父親が民を想うが故の命令違反で投獄された事。そしてオルタネイティヴ4が突然の終焉を迎えた事。
 オルタネイティヴ5の移民計画に反対する勢力が基地に攻撃を仕掛けてくる、などという話を耳にした事もある。これだってそうだ。だが、横浜基地は標的になる事がなかったが故に、武たちはその事実に直面する事がなく、敵は内にあり、という事を身を持って理解する機会が無かった。
 それに加えて武は、これまでそのような悪意の渦に巻き込まれることは無かった。常に見えない何か──恐らくは夕呼の残していったもの──に守られていたと、そういう事だったのだろう。
「話せば分かり合える……なんて甘い事、考えてたんだろうな」
 自嘲的な色を多分に含んだ声で、武は言う。
 煮ても焼いても喰えない奴は、どんな情勢のどんな時代にも、間違いなく存在するのだ。時間をかければ、相互理解も不可能ではないのかもしれないが……しかし、今のこの世界でそんな事をやっている余裕など、どこにもありはしない。
 ならば、それを力ずくで従わせたり、或いは容赦なく切り捨てる事だって必要になってくるだろう。その事実を正面から受け止めなければならない。
「人間同士で戦う時が来る……か」
「えっ……?」
 ボソリと呟いた武に、冥夜が怪訝そうな顔で問いかけた。
「いや……俺がここに来てすぐの時に、彩峰が言ってたんだ。いつか人が相手のときが来るから、体術は覚えておいたほうがいい、ってさ。あいつ、こんな事になる可能性を考えてたのかな。せっかく忠告を受けてたのに……無駄にしちまった」
 酷く申し訳なさそうな瞳で美琴を見つめる武。
 武も冥夜も、人間相手に戦う事など、考えてもみなかった。
 当然だ。武たちはBETAと戦うために錬成を重ねてきたのである。相手は人間ではなく、BETAなのだ。
 訓練学校時代の基礎教練には人間相手を想定したものが存在していた。とは言え、それは軍という組織に慣れるために従来の訓練プログラムをそのまま流用しているだけに過ぎなかった。その訓練の成果がBETAとの戦闘において直接役に立つなどという事はまずありえないし、それが期待されているわけでもない。人殺しの技術は叩き込まれるが、その心構えまでは教わらない。
 確かに、BETAと戦って死ぬ覚悟は出来ていた。戦いのさなか、BETAに仲間を殺される、という事に対する覚悟も出来た。だが、それだけだ。
 相手が人間である事でしなければならない覚悟など何も無かった。人と戦う覚悟、そこで殺される覚悟、殺す覚悟……その罪を背負って生き続ける覚悟、生き続けていつかその罪を清算する覚悟──何もかも。
 BETAを相手取る時なら、今更武たちが甘さを見せる事は無いだろう。だが人間相手ではそうはいかなかった。その、ある種の甘えとも取れる甘さで、美琴を死なせてしまったのだ。
 武はしばらく美琴の亡骸を抱きかかえたまま俯いていたが……やがて顔を上げる。そこには、強い意志の光を携えた瞳と、決意に満ちた表情があった。
「──さて。俺は連隊長たちを追いかけるよ」
「大丈夫……なのか?」
 心配そうに訊ねてくる冥夜。
「ああ。……まあ、さすがにいつも通りってわけにはいかないけどさ」
 冥夜に不安を与えないようにするためか。武は鼻でふふんと笑いながら、わざとおちゃらけたような風に言った。
 そして立ち上がり、装備の確認をしようと、ホルスターから拳銃を抜いて弾倉をリリースしたのだが──
「……っと」
 カタンという乾いた音が響いた。
 手を滑らせ、落ちてきた弾倉を受け止められず、床に落としてしまったのだ。その手元を見ると、滑稽なほどカタカタと小刻みに震えていた。
「…………タケル、そなた」
「悪ぃ。見なかった事にしてくれ」
 武は数度、拳を握ったり開いたりして馴染ませた後、それから床上の弾倉を拾い上げ、拳銃に装着する。
 そして拳銃をホルスターにしまうと、武は重い口を開いた。
「……怖いんだ。人間を守るために戦ってるってのに、これからその人間を撃とうってんだからな。その一方で、美琴の敵を討つために連中を根こそぎぶっ殺してやりたいとも思ってる。でもそれをやっちまうと、何か大切なものを失くしちまいそうでさ──正直、殺した後に元の立ち位置に戻って来られる自信がない。……お前だってそうだろ?」
「……ああ」
 その返事を聞いて、武はどこか満足そうな、それでいて寂しげな薄い笑みを浮かべた。
「だから冥夜はさ……美琴を連れて退がってくれ。ここもいいから、その後は医療班を手伝うんだ。前には来なくていい、来るな」
「なッ、馬鹿を申すな! それではタケル、そなたが……!」
「俺は一人でも大丈夫だよ。それに……冥夜、お前に人殺しなんてして欲しくない」
「だが、しかし……!」
「お前はこっちに留まっていてくれ。そうしてくれれば……多分、俺は向こうに行っちまっても、またこっちに帰って来られそうな気がするから」
「…………」
「我侭だってのは分かってる……けど。でも頼むよ、冥夜」
「────わかった……だが、そなたは絶対に死ぬでないぞ」
 頼む、などと言いながら、自分の考えを曲げる事など全く感じさせない武の強い意志を秘めた視線に射抜かれると、冥夜も説得を諦めざるを得ず、その無事を祈る事しか出来なかった。

 戦闘準備を整えた武は、先行した部隊の後を追って、B19フロアへと降り立った。先にハンガーを制圧して強化外骨格を持ち出したのが功を奏し、抵抗するテロリストを制圧しながら、中央作戦司令室に追い詰めている。
「遅れてすみません」
 武は突入の準備をしていた連隊長と横並びになった。
「白銀……いいのか?」
「──ご心配おかけしました」
「そうか……期待している」
「はい。それで作戦は」
 ここから先は、強化外骨格を使うことは出来ない。生身の人間が使うための施設に強化外骨格で踏み込んでいては、そこにある機器を破壊してしまう可能性が高いからだ。
 同様の理由で、貫通力の高いライフル弾が装填されている突撃銃も使えない。
 使用するのは9mmパラベラム弾、それも通常使っている、弾芯が合金で包まれ貫通力が高くなっているフルメタルジャケットではなく、柔らかい鉛をそのまま露出させている軟弾頭弾となる。
 扉の開放と同時に音響閃光弾を投入し、その轟音と閃光で相手の身動きを封じたところに突入、テロリストを射殺する。生け捕り……などと温い事は言っていられない。中央作戦司令室という施設の重要性を考えると、その室内での戦闘行為は極力避けなければならず、戦闘を長引かせる可能性のある方法は採用出来ない。
 それに、下手に生かして自爆でもされようものなら、それが直接基地の防衛力の低下に繋がってしまう。生かすのは首謀者一人だけ。後はその場で即射殺となる。
「まあ、装備の方はどうとでもなるんだが……一つ困った事があってな」
 連隊長は少し情けなさそうに苦笑した。
「扉が開かない。私のセキュリティパスを使って認証をパスするつもりだったのだが……先に対処されてしまったんだ」
「他にS4レベルのパスの所有者は?」
「いない、私だけだ。それで今、第二司令室からシステムへの介入を試みているんだが──」
「じゃあ、俺が試してみます」
 説明に割り込むように、武が言った。
「……なに?」
「S4レベルのパス、俺も持ってるんです。一般には知られてないはずだから、多分通ると思いますよ」
「そんなもの、一体いつ……?」
「夕呼先せ──っと、香月博士の事は知ってますよね」
「ああ。昔ここの責任者だったって事くらいだがな」
「訓練兵の時にちょっとあって、それで」
「なるほど……では頼む」
「──了解」
 武はまず音響閃光弾の安全ピンを抜き、そして認証システムにアクセスする。思惑通り、パネルのランプが施錠を示す赤から開錠を示す緑に切り替わり、僅かなモーター音と共に扉が横にスライドして、中央作戦司令室への道が開かれた。
 間髪入れず、武は手に持っていた音響閃光弾を室内に投げ入れる。そして数秒。
 ドン! という爆音が空気を震わせ、同時に眩い閃光が室内を包み込む。
「──突入!」
 部屋の中は死屍累々とした有様だった。いや……まだ誰も死人は出ていないのだが、これからそうなる。
 データベースに登録されているセキュリティパスを弾いて、これで時間が稼げると安心していたテロリスト達は、まさかこんなに短時間でセキュリティを突破されてしまうとは思っていなかったらしく、中にいた人間全員が音響閃光弾の餌食となっていた。
 衛士たちは強化装備の網膜投影スクリーンに映し出されたデータベースの顔写真を参照しながら、首謀者だけを残してテロリストを片っ端から撃っていく。
「…………」
 武はテロリストの口に銃口を差し込んだ。確実に、一撃で止めを刺すためだ。
 音響閃光弾によって視覚と聴覚を奪われたテロリストだが、しかし触覚や味覚、嗅覚までは失われていない。口の中に突っ込まれた銃身の硬い感触、鉄の味、鉄の臭いは確実に伝わっていた。
 五感のうち二つを奪われた事によってその他の感覚が鋭敏になっているのか。テロリストは自分がどのような状況に置かれているのかを悟り、次第に怯えが顕現し始めた。
 ここに来て、まだ無抵抗の者を撃つのに抵抗があった武は、やらねばならない事を分かっていながら、そうしなければまた美琴の時のような悲劇を繰り返すことに繋がっていくと分かっていながら、躊躇して、他の仲間はどう考えているのかと、辺りを見回した。
 しかし、この期に及んで躊躇している者はいない。しかし考えてみれば成程、今ここにいるのは米軍から抽出された衛士がほとんどなのだ。彼らは元々、BETAを駆逐した先にあるものを見据えていたわけで、だから世界の顔色を窺うためにG弾推進派が二つに割れていたわけだが……ともかく、当然の如く人間同士で権力争いによる戦いを繰り広げる事が視野に含まれていたわけだ。故に、武ほど大きな葛藤を持たないまま、割と平然とテロリスト達を撃ち殺していく。
 だが、武としては、人間同士の戦争を肯定しているわけではないので、それを見習って、機械的に人を殺すマシーンになるわけにはいかない。
 武は決して心を殺さず、機械的にもならず、あくまで自らの意志で自らの手で、自分の心が傷付くのも厭う事なく、無抵抗のテロリストに対して引き金を引いた。
 そして、数分も経たずに中央作戦司令室の制圧は完了した。テロリストは首謀者を除いて全員射殺。先のハンガー奪還の際に内通者の情報を手に入れていたので、そちらは全員拘束。いずれ軍法会議にかけられる事になるだろう。
 こうして、テロリストによる横浜基地占拠事件は、僅か数時間のうちに幕を下ろした。冥夜と、そして武の心に大きな傷跡を残して。



[1123] Re[3]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
「なあ冥夜……これ、使うのか?」
「……ああ。なりふり構っている場合ではないゆえにな」
「そうか」
 武と冥夜は今、ハンガーに来ていた。その二人の視線の先にあるものは……紫色の武御雷。武たちがまだ訓練兵だった頃、練習機の吹雪と一緒に搬入されてきた機体だ。それ以来、定期的な整備は行われてきたものの、そこから一歩も動く事なく、ずっと宙を睨み続けてきた。
「タケル。私はこの機体に相応しい実力を身に付けられているであろうか……?」
「大丈夫だよ。今のお前の腕は、横浜で上から何番目、ってとこなんだし」

 美琴の死から九ヶ月。佐渡島基地陥落から数えて、一年九ヶ月の月日が流れていた。
 佐渡島の施設を破壊してきた事と間引き作戦によって稼げる時間は一年半と予測されていた通り、佐渡島陥落から約一年半後に、BETAの侵攻は再開されている。
 今はそれから更に三ヶ月ほどが経過しているのだが、横浜基地はまだBETAの脅威に直面していない。これは帝国軍が構築した防衛線が機能していたためだ。
 前線の衛士たちが頑張ってくれている間、武たちは厳しい訓練に時間を費やしていた。しかし横浜は後方だと言う意識が一般的なのか──無論、基地に詰めている兵士たちは気を緩める事なくBETA迎撃の準備を着々と整えていたのだが──何度かテロリストの襲撃を受ける事があった。
 以前の教訓から、そんなところに労力を割きたくないというのが本音だが、対人の防御態勢を整えていた事で、全て事無きを得ていた。だがテロ集団はあまりにもしつこく懲りる気配が全く無かったので、終いにはテロリストの本拠地を割り出してこちらから破壊工作を行い、武力制圧して壊滅させたりなどしたのだが……それはさておき。
 帝国軍の敷いた防衛線は、以前と同じく海上の第一防衛線、内陸に入って第二防衛線、そしてその更に後方に甲信越絶対防衛線と北関東絶対防衛線である。しかし度重なるBETAの侵攻によって、それら全てが完全に瓦解するのも時間の問題だった。
 第一海上防衛線は、既に崩壊していて機能していない。第二防衛線も損耗が激しく、これも事実上ほとんど機能しなくなっている。そして絶対防衛線の損耗も決して小さなものではない。
 故に、現在は甲信越・北関東絶対防衛線を解体して第二防衛線の残存部隊を組み合わせ、それを新たに南関東最終絶対防衛線として再編されている。これを抜かれれば、後は横浜基地まで何の障害もなしに一直線、という事になる。
 防衛線を縮小して反撃の目処は立たず、未来に希望など持てずにただ横浜を守り続ける事で滅びるまでの時間稼ぎをするしかないような状況だが、しかしこれが今の日本に出来る精一杯だった。
 だが世界的に見れば、横浜と言う決まった襲撃ポイントがある日本はまだマシな方だ。
 この二年ほどで、地球の勢力図は大きく塗り替えられている。
 まず、バビロン作戦でいくつか占領出来た外縁部のハイヴだが、佐渡島を含め、それらは全て奪還されていた。そしてそのままの勢いでBETAの侵攻は拡大し続けている。
 ヨーロッパは完全にBETAの支配下に落ち、水際作戦……とは逆なのだが、今は水際でBETAの西進を何とか抑えようと躍起になっている。ここを抜かれてしまえば、グリーンランドのEUや米国本土が直接侵略を受ける事になってしまうからだ。
 アラスカ・ソビエト軍は、ベーリング海峡を越えて東進してくるBETAを水際で食い止めるのに手一杯。
 アフリカ連合も侵攻を受けるたびに撤退を繰り返し、今やアフリカの九割がBETAの支配地域となっている。完全に支配されてしまうのは時間の問題だ。
 大東亜連合は東南アジア方面に南下撤退を余儀なくされ、現在はスマトラに本拠を置き、BETAの南進を何とか水際で食い止めている。
 未だ本土にBETAの侵攻を許していない米国やオーストラリア、南米諸国も、それを許させないために世界各地に兵力を派遣していて、決して余力のあるような状態ではないのだ。

「タケルの方こそ、次からはあれを使うのだろう?」
 冥夜が武御雷の鎮座している隣のスペースに視線を向けた。
「……まあな。さすがに陽炎じゃ武御雷の脚を引っ張っちまうからな」
 それに応じて武も視線を動かす。そこには整備が終わったばかりのF-22A──ラプターが格納されていた。
「よもやあの状態から修復できるとは思っておらんかったな……」
 感心したように冥夜が呟いた。
 この機体、元は佐渡島基地で米軍母体の国連軍部隊が使用していたもので、佐渡島から横浜に撤退してきた際、スクラップ同然になっていた機体が破棄された物だ。
 勿論、通常はこんな事はない。機密保持のためにスクラップ同然ではなく正真正銘のスクラップにしていくのだが、そこは横浜基地が日本政府と深い関係にありながら、米国管轄下であるとも言える状況下にあり、戦術機甲部隊再編の際には帝国軍と米軍の両方から人材や物資の供与を受けていたため、実質的米軍であった佐渡島の国連軍に配備されていた機体の一部がそのまま残された、というわけだ。
 現在、横浜には戦術機甲部隊は一個連隊常駐しているのだが、その内、第1大隊がF-22A、第2大隊が不知火、第3大隊がF-15Eという編成になっていた。衛士も基本的に戦術機の属する国から抽出された。
 再編前に使用されていた撃震や陽炎はそのまま残され、全て予備機として扱われている。
 元々横浜基地所属だった衛士は、今や武と冥夜の二人しか残っていない。二人が属する207小隊は独立小隊として扱われており、その高い戦闘技能から最前衛に配置される事が決定しているのだが、搭乗機は第二世代機の陽炎だった。だが他の前衛は第三世代機であるF-22Aと不知火で構成されていて、このままでは足を引っ張りかねない。
 そこで冥夜は、それを持ち出すのは憚られたのだが、横浜を奪られる方がもっと拙い事態を引き起こしてしまうので、ずっと置きっぱなしにしてあった紫色の武御雷に搭乗する事を決意した。それに応じて、武も修復がようやく完了したF-22Aに乗機を変更する事にした、というわけなのである。

「機体慣熟は問題ないのか?」
 冥夜が武に問いかける。
「……何とかなるだろ。お前の方は大丈夫だよな、基本は吹雪と一緒なんだし」
「まあな」
 武御雷という機体は、純国産戦術機である不知火をベースに開発されている。その不知火は練習機である吹雪の前身がベースになっているわけで、吹雪と武御雷は同系統に属する機体というわけだ。よって、吹雪で訓練して憶えた操縦技術がほぼそのまま通用する。
 練習機である吹雪を降りて撃震、陽炎と乗り換えてきた事から、慣熟には多少の時間はかかるだろうが、今の冥夜の腕なら、特に問題なく乗りこなしてしまうだろう。
 そして、二人とも強化装備に着替えて、着座調整から実機訓練に移ろうとしていた時──
『──防衛基準態勢2発令──全戦闘部隊は20分以内に即時出撃態勢にて待機せよ──! 繰り返す──』
 けたたましい警報音と共にスピーカーから流れてくるオペレーターのアナウンスが、基地内を包み込んだ。
「とうとう来たか」
「ああ……」
「──行こう」
 武たちはそれぞれF-22Aと武御雷に乗り込むと、機体を起動してデータリンクに接続した。即座に入ってきた戦域情報によると、現在、絶対防衛線の帝国軍がBETAと交戦中だが、抜かれてしまうのは時間の問題だ。
『実機に慣熟する暇などなかったな……もっと早く決断しておれば良かった』
 少しだけ不安そうな笑みを浮かべて言う冥夜。
「まあ、仕方ないさ。シミュレーターだとちゃんと動かせてるんだから、あとはぶっつけで何とかすりゃいい」
 それに武は少し肩をすくめて、軽い調子で応えた。

 防衛線は三枚。まず最前列の第1防衛線に、横浜基地部隊の第1・第2大隊。その後方に帝国軍の戦術機甲二個大隊で編成された第2防衛線、その更に後方には横浜基地の第3大隊と帝国軍戦術機甲一個大隊の混成部隊による第3防衛線が構築されていた。
 武たちは第1・第2大隊と共に、第1防衛線の一翼を担っている。ポジションは突撃前衛、最前列の更に一番前衛だ。
「──来たぞ」
『──ああ』
 街の残骸を踏み越えて迫り来るBETA群。それを構成しているのは要撃級と戦車級、闘士級と兵士級。その向こう側には、何体かの要塞級の影も見て取れる。
 第一陣の突撃級と第二陣のレーザー属種は絶対防衛線で食い止められているので、ここには到達していない。
『要塞級は……少し厄介だな』
「連中が到達する前に、どれだけ要撃級や戦車級を減らせるかが勝負だな」
 要塞級の撃墜優先度は高くない。だからと言って無視する事は決して出来ない。その触手先端の衝角による攻撃はいとも簡単に戦術機の装甲を貫き、激突時に分泌される強酸性の溶解液の溶解力も決して小さなものではない。また、その強固な脚による踏みつけ攻撃は、戦術機などただの一撃で串刺しにしてしまう。
 そちらに注意を払えないほどに要撃級や戦車級が残っていれば、あっさりと攻撃を受ける羽目になってしまうだろう。
 ならば先に倒してしまおうなどと思っても、その防御力は非常に高く、要撃級や戦車級を相手にしながらの片手間では非常に困難な作業となる。
『──最善を尽くそう』
「分かってる……行くぞ」
『──了解』
 敵の先陣が近付いてくるタイミングを見計らって突出する武と冥夜。それを合図に、戦闘が始まった。

 それから数十分が過ぎ──横浜基地の部隊は特に大きな損害を出す事もなく、襲い来るBETAを何とか食い止めていたのだが──
 ピピッという戦況の大きな変化を知らせる警告音が、ヘッドセットから武の耳に入ってきた。
 戦闘の邪魔にならない程度に、スクリーン上の戦域情報を拡大する。その情報によると、南関東最終絶対防衛戦の一部が完全に崩壊し、多数のBETAが流入してきた事が示されていた。
「──20706よりセスタス1」
 武は第1大隊を率いている横浜基地部隊の連隊長に通信を繋いだ。
『──こちらセスタス1。どうした白銀』
「即時後退を進言します」
『──理由は?』
「はい。情報によると、絶対防衛線を突破したBETA群には要塞級が多数含まれています。それを一緒に突破してきた大量の要撃級や戦車級と同時に相手取るのは得策ではありません。一旦第2防衛線まで後退して、BETAの進軍速度差を利用して要塞級を後回しに出来る状況を作り出すのが最善かと思われます」
『──いいだろう。司令部に話をつけてみよう』
「ありがとうございます」
 すんなりと武の案は呑まれた。もっとも、彼は佐渡島基地部隊の生き残りであるので、一度に大量のBETAを相手取る愚は身を持って知っている。
 先行してくる要撃級や戦車級をここで一気に食い止め、対処しきれない状況に要塞級まで加えるなど愚の骨頂だ。後退すればスピードのある要撃級が突出し、その後に戦車級、要塞級と続く事になり、一気に相手をする必要はなくなる。加えて後方の部隊と合流する事で、より大きな戦力でより少ない敵に当たる事が出来るのだ。
 問題があるとすれば、この作戦を司令部が呑むかどうか、と言ったところだった。
 そして武は、司令部がこの案をすんなり呑むとは思っていなかった。
 今まさにBETAと戦っている武たちにとっては、前進しようが後退しようが、BETAとの距離は変わらない。結局は近接戦闘を行うために必ずゼロとなる。しかし、基地に詰めている者たちにとっては違う。前線が後退すれば、その分、BETAとの距離が確実に縮まる事になる。
 BETAと直接対峙し『死の八分』を乗り越えた者は、BETAに対する恐怖の感覚が大なり小なり麻痺してしまう。故にいくら基地に近づけようが、最終的に接触させずに殲滅すればそれでいいのだと考える事が出来るようになる。
 しかし、そうでない者たちは、可能な限りBETAに近付かれたくないと考える。
 BETAに対する恐怖の度合いが、BETAとの直接の戦闘経験があるかないかで、天と地ほども違うのだ。
 理想論を言えば、最前線で全てのBETAを食い止め殲滅するのが、誰にとってもベストである事には違いない。そしてそれが明らかに無理な状況であったなら、司令部も即座に後退を認めざるを得ない。
 では、今のような中途半端な状況ではどうだろうか。
 大方、可能な限りここで食い止めて、状況が拙くなってきたらその時は後退を認める、というような話に行き着くだろうと、武は予測していた。
『──セスタス1より各リーダー』
 連隊長から各部隊へ向けての通信が入る。
 通信内容は武が予測していた通り、限界までここでBETAを食い止め続けろ、と言ったものだった。
 だがしかし……それで構わない。無論、ベストは即時後退が認められる事だが、最初からそれが望めない以上、先にその作戦を周知させ、後退を可能な限りスムーズに進める準備をするのがベターだ。
 戦闘中にそんな余裕は無いが、もし仮に司令部と議論を交わしても、考え方の元になっているBETAへの恐怖の感じ方の温度差から、話が平行線を辿るのは目に見えている。はっきり言って時間の無駄だ。そんな事をしている暇があるなら、BETAの一体でも倒した方がいい。
 大した交渉もせずに連隊長が引き下がったのも、同じ理由からだろう。
「……ってわけだ」
『──了解』
 武は冥夜に作戦を伝え、敵の到着を待ち構える。
 それからしばらく──武たちにとっては第二陣、絶対防衛戦を破壊して抜けてきた大量の要撃級と戦車級、そしてその後方に多数の要塞級が現れた。
「行くぞ冥夜──要撃級からだッ!」
『──了解ッ!』

 先程までとは比べ物にならない敵の物量に激戦が繰り広げられ、横浜基地の部隊は苦戦を強いられ始める。
 そして敵の本隊とぶつかって小一時間もしないうちに、要撃級や戦車級の中に、要塞級の巨体が交ざり始めた。
 最初は後方に位置していたが、それが次第に前へ前へと押し上げられてくる。
 確認された要塞級、その数51。第1防衛戦に展開している部隊、一個小隊あたり二体から三体の要塞級が張り付く計算となる。
 その動作は比較的緩慢などと言われているが、この『比較的』と言うのが実に曲者だ。何と比較しているのかといえば、敵主力である、定円旋回能力が高く小回りの利く俊敏な要撃級だ。
 しかし単体としての脅威度なら、弱点を狙わなければ120mmすらロクに効かない程の高い防御力や、触手や脚から繰り出される一撃必殺の攻撃力を持つ要塞級の方が、むしろ要撃級よりも高い。ただ数が要撃級の方が圧倒的に多いために、総合的に要撃級の方が脅威となっているだけで、要塞級が弱いというわけでは決して無い。
 そんな高い戦闘能力を持つ要塞級だが、本当の恐ろしさは、一撃必殺の攻撃力や、120mmをも弾いてしまう防御力ではない。その大きな躯にある。ただ存在するだけで戦術機の進路を塞ぐ壁となってしまうのだ。
 その壁に囲まれた空間に要撃級や戦車級がぎっしりと詰め込まれ、しかも、更にその壁が全長50mにも及ぶ触手を使って、攻撃を仕掛けてくるのである。
 戦術機が要撃級に囲まれる場合、せいぜい三体がいいところだ。それ以上はとても収まりきらない。しかしその程度の状況であれば、それなりに高い技術を持つ衛士が戦術機の特性である三次元機動を駆使すれば、容易ではないにしても切り抜ける事は可能だろう。
 では、そこに要塞級の触手による攻撃が加わってくるとどうだろうか。
 地面の上には要撃級がいるので、当然、触手の攻撃は空中からやってくる。これは同時に、戦術機の三次元機動を封じる事にもなる。そして平面的な動きは要撃級がカバーする。
 死角が無い。
 無論、宙に躍り出て、そこで要塞級の触手をいなせるだけの変則機動が出来れば、何も問題は無い……が、それは出来ればの話だ。
 開発時に思い付かなかったから制御システムにその動きが無いのか、それとも機体のスペックを超えた動きだから出来ないのかは分からない。が、いずれにしても、とにかく今のままでは無傷で切り抜ける事は出来ないだろう。
 マニュアル操作でどうにかしようと思えば全くの不可能というわけでもないが、それには特殊な訓練が必要になってくる。いきなりやれといわれても、この世界で最も変則機動に慣れているであろう武なら何とか成功させられるかも、と言ったようなレベルの話だ。
 つまり、いかに冥夜や武であっても要塞級に壁を作られた時点で、相当に危機的な状況に陥るというわけで、それはなんとしてでも回避する必要があったのだが──

 F-22Aと武御雷を背中合わせにして、お互いの背中を庇いながら戦っていた武と冥夜。高い操縦技術と第三世代戦術機の高い性能で、二機連携で二個小隊にも匹敵する働きを見せていたのだが……それは唐突にやってきた。
 いくら武たちの練度が高いと言っても、207小隊がフルメンバーだった頃とは比べるべくも無い。当然、他の部隊との連携をとって、支援砲撃を貰う事になる。
 しかし今、それが出来る状況ではなかった。攻め寄せてきた要塞級が壁となって、部隊同士の連携が分断されてしまったのだ。当然、武たちが貰っていた支援も届かなくなる。
 そして207小隊は今、武と冥夜の二人しかいない。よって小隊内からの支援も望めない。
 要塞級はその長く鋭い脚でジリジリと壁を押し上げ、武たちに迫ってきた。その間には要撃級が六体。二体は武の正面、二体は冥夜の正面に立ち塞がり──そして残りの二体は横に回り込んだ。その横の二体が武と冥夜を分断するかのように、堅固な前腕で攻撃を仕掛けてきた。
 武と冥夜は合わせていた背中を離し、一時的に二機連携を切り離した。無論、すぐに二機連携を復帰させるつもりだったのだが──
 二人が分断されたタイミングでBETAの動きが偏り、一斉に冥夜に向かって押し寄せた。
『なんだと……ッ!?』
 武の周囲には要撃級と戦車級が数体。しかし冥夜の周囲には多数の要撃級に戦車級、そして三体の要塞級が壁となって立ち塞がった。
「冥夜ッ!」
『くぅッ……!』
 包囲された途端にBETAの攻撃は激しくなる。冥夜は長刀と短刀を巧みに使い分けながら要撃級の攻撃を受け流し、集る戦車級を払い落としていく。しかし、BETAの攻撃の手は一向に緩む気配がない。
 平面的にこの包囲を抜けるのは不可能だ。可能性があるとすれば上空に躍り出るしかない。だが……周りには要塞級が三体。その触手による攻撃を全て凌ぎきらなければ離脱出来ないが……現実的ではない。一体ならもしかすると──と言ったところだろう。
 武は周囲を取り囲んでいる戦車級や要撃級を長刀で斬り捨て、要塞級の壁までの距離を少しずつ詰めながら、冥夜に呼びかけた。
「俺がそっちに行くまでどうにか持ち堪えてくれ!」
『…………』
「冥夜……?」
『……済まぬ、さすがにそこまでは保ちそうにない』
「でも、他に方法が──」
『こうなったら、もう跳ぶしかなかろうな……』
「なっ……無茶だッ!」
『それでもやるしかなかろう……! レーザー属種がおらぬだけ、まだマシと思わねばな──ゆくぞッ!』
 冥夜は気合一閃、噴射跳躍を試みた。腰部に取り付けられた跳躍ユニットが唸って轟炎を噴き、紫の武御雷は宙高く舞い上がる。
 と同時に、要塞級が動いた。三本の触手が、互いに干渉しないような巧みな動きで冥夜の乗る紫色の武御雷を追尾してくる。
 初撃。空中で噴射し、ギリギリのタイミングではあったが、回避成功。
 二撃目。初撃を躱した先を予測するかのように、うねりながら迫り来る触手を、何とかバランスを整えて長刀を叩きつける事で軌道を逸らし、事無きを得る。
 三撃目──空中で長刀を振って崩れたバランスを回復する前に、要塞級の触手が襲い掛かってきた。
『ぐッ──!』
 冥夜は機体のバランスが崩れたままの状態で噴射を試みた。受身は地上に降り立つ時に取れればそれで問題ない……といった理由から、地上よりは空中の方がオートバランサーの効きが甘い。武御雷の管制システムは冥夜の入力を受け入れ、触手のボディへの直撃は避けられたが──だがしかし、完全に避けきる事までは出来なかった。
 左主腕を抉るように掠め、突撃した衝角から強酸性の溶解液が飛び散り、それが降りかかった部位からシュウシュウと白煙が上がる。
 そして四撃目──左腕に攻撃を受けた事でバランスを完全に崩し、戦術機が姿勢制御運動に入ったところを、一撃目を外した触手が機体を真横から振り払うように襲い掛かった。
 ガン、という大きな衝撃音と共に武御雷は大きく弾き飛ばされ、続けて地面に激突する。
『ぐ……あッ……!!』
「冥夜ッ! 大丈夫かッ!?」
『くッ……ああ、なんとか──ッ!?』
 武にちゃんとした返事を返す間もなく、BETAの追撃が降り掛かってきた。スクリーンに、右前腕を大きく振り上げた要撃級の姿が映し出される。
『────ッ!』
 ギリギリのところで機体制御を取り戻し、コックピットへの直撃だけは避けた。だが……先程、要塞級の触手の衝角に抉られ、溶解液で溶かされて脆くなっていた場所に鋭い前腕が突き刺さり、それは地面まで貫通して、左主腕の肘から先が千切れてしまう。
 要撃級は続けざまに左前腕を振り上げ、追撃に移ろうとする──
『させるかッ!』
 冥夜は右腕の短刀を抜き、武御雷の上体を起こして、今まさに攻撃しようと振りかざしていた要撃級の前腕を根元から断ち切った。そのままの勢いで立ち上がり、返す刀で首を刎ね飛ばす。
『とにかく、タケルと合流を……ッ!』
 噴射跳躍で空中に出れば、また要塞級の触手による攻撃が待っている。先程の回避運動でさえ神懸っていたというのに、機体に大きなダメージが蓄積してしまった今、とても回避する事など出来やしない。とすると……突破の可能性が一番高いのは、低空での水平噴射跳躍、と言ったところだろう。
 そして、敵が集結してくる前に離脱して武と合流しようと、噴射ユニットに点火しようとしたのだが──ピーという警告音と共に、スクリーンに管制システムがエラーを起こしたと表示されていた。
 要塞級の触手の直撃を喰らって強い衝撃を受けた影響だった。
「どうした、冥夜!?」
『システムがエラーを吐きおった……身動きが取れぬ』
「今そっちに向かってる、それまでどうにかして耐えてくれ!」
『──了解した』
 だが、何とかして耐える、などとは言ったものの……どうしようもない。どうにもならない。どうにも出来ない。が、来るのが戦車級であれば、チャンスは残る。要撃級や要塞級が必殺の一撃を浴びせてこない事を祈るのみだ。
 その祈りが届いたのか──武御雷の周りに集り始めたのは、戦車級だった。

 武は背部パイロンから長刀を抜き放ち、F-22Aの周囲を取り囲んでいた要撃級や戦車級を切り裂く。さすがに一瞬のうちにとはいかなかったが、それでもこれまでで一番の殲滅速度だった。しかし……。
「チッ、どうもしっくりこねぇな……クソッ」
 元々F-22Aは長刀を振るう事が考慮されていない設計だからなのか。もっともそれを言うなら、F-15ベースの陽炎やF-4ベースの撃震にも同じ事が言えるはずなのだが、F-22Aに限っては特にしっくりこない。
 武は長刀をパイロンに戻すと、突撃砲に持ち替えた。
 36mm弾をバラ撒いて真ッ正面に道を抉じ開け、そこを一直線に突き進む。
 そして武の駆るF-22Aは冥夜に向かおうとしている要塞級の隙間を超スピードで掻い潜って、集ってくる戦車級や要撃級を蹴散らしながら、倒れた武御雷が待つ場所まで辿り着いた。
「離れろよ、テメェら……ッ!」
 F-22A持ち前の高速機動で撹乱しながら周囲の要撃級を36mm弾で撃破すると、続いて短刀を抜き、武御雷に纏わり付いていた戦車級を片っ端から斬り捨てていく。
「大丈夫か、冥夜!?」
『ああ……さすがに武御雷は頑丈だな。だが……そなたはここに来るべきではなかった……』
「なに言ってんだよ、諦めんな!」
 冥夜の弱気な発言に、武が叱咤する。
 戦闘能力を失った武御雷の隣には一機のF-22A。その周りに要撃級に戦車級、そして要塞級。武がいくらか倒したBETAも、絶対防衛線を越えて次々と押し寄せてくるBETA群によって、すぐに補充されてしまっていた。
 先程冥夜が単機で抜ける事の出来なかった包囲を、中破した武御雷を抱えて突破するなど、到底無理な話だ。機体を捨てて冥夜だけ武のF-22Aのコックピットに乗り移れば何とかなる可能性もないではないが、そんな事をしている余裕などありはしない。
 生身の冥夜をマニピュレータで掴んで、などと言うのも無理がありすぎる。片手が塞がって武器を使えなくなれば、その分突破の可能性が減少するし、それ以前に変速機動に耐え切れず、すっぽ抜けて地面に叩きつけられるのがオチだ。だからと言って強く握るなど以ての外。
 結局のところ時間稼ぎしか出来ず、しかし包囲の外から支援が来る見込みは無い。武たちだけでなく、他の部隊も同様にして攻撃を受けているのだ。そして武が冥夜を背中に戦っても、360度全ての攻撃を防げるわけではなく、ダメージはどんどん蓄積していく。
 ジリ貧だった。
 武はそんな冥夜を完全に守りきれないような状況で、他部隊が敵包囲を切り抜けて支援しに来てくれるという可能性に一縷の望みを懸けて、ただひたすらBETAを切り伏せていると──
『──HQより各機、第1防衛線を即座に破棄し後退、第2防衛線の部隊と合流し、部隊を再編せよ。繰り返す、第1防衛線を即座に破棄し後退、第2防衛線の部隊と合流し、部隊を再編せよ──』
 司令部からの通信が飛び込んできた。
 そして、これで援軍を期待する事も出来なくなってしまった。即時後退という事はこの場で敵を倒すのをやめるという事で、他部隊が包囲を突破して救援に来ようとしても、躱したBETAを倒さなければ武たちの下に辿り着く事が出来ず、つまり倒さねばならない敵の数は何ら変わる事が無い。
「クソッ、今更遅ぇんだよ……ッ!」
 怨嗟の呪詛を吐き捨てる武。
 頭では理解していても、どうしても感情が納得しようとしない。出来るはずがなかった。絶対防衛線崩壊の報が入ったときにすぐ、武の提案が受け入れられていれば、こんな事にはならなかったのだが……しかし。
 軍とはそういうところだ──
 オルタネイティヴ4が終焉を迎えた時、基地司令が言った言葉が脳裏に蘇ってくる。
 あの時、まだ訓練兵だった武は、何故夕呼の計画が頓挫したのか、感情的になって基地司令に詰め寄った。しかし当然、その答えは返って来なかった。そもそも、あの時にオルタネイティヴ計画の存在が明かされた事自体、まりもが基地司令に対して強く進言したからであって、当時の武たちに情報を知る資格があったわけではない。
 そして未だに、オルタネイティヴ4がどのような計画だったのか、武は知らない。着任して少尉となり、中尉に昇進し、更に大尉にまで昇進した今でも、明かされない情報などいくらでもある。それを望んでも手に入らない。
 同様に今の武が何を言っても、余程の事がない限り提案がすんなり通る事はない。前線と司令部の温度差を覆す事は出来ない。
 権力があれば、即座に後退するという作戦を採用させ、このような状況が作り出されるような事は無かった。或いは戦闘技術がもっと高ければ、動けない冥夜を連れてこの状況から抜け出す事も可能だったろう。
 だが、そのどちらも今の武には出来なかった。
 実力が足りない。実績が足りない。地位が足りない。階級が足りない。権力が足りない。何もかも足りない──

 途切れる事なく押し寄せてくるBETAを何とかして押し返そうとする武。
 しかし多勢に無勢、その上、弾薬には限りがある。そして支援は期待出来ない。このままここで戦い続ければ、武までやられてしまう事になる。
 それを悟った冥夜が、武に呼びかけた。
『もうよいタケル、早く離脱するのだ。そなたさえ生きておれば……私はそれでよい』
「なっ、馬鹿言ってんじゃ──」
『馬鹿なものか!!』
 武の言葉を遮って、冥夜が咆えた。
『馬鹿なことであるものか……』
「冥夜──」
『このままここで戦い続ければ、そなたまで命を落としてしまう。それは私の望むところではない。そなた程の実力があれば、一人でここから抜け出す程度のこと、容易いであろう?』
「でも……!」
『私だけではない。鎧衣や榊もそうであったし……彩峰や珠瀬だって、今の私と同じ状況であれば、きっと同じことを言う』
「…………」
 それでも一向に退こうとしない武に対して、冥夜は引き締まった、それでいてどこか苦笑しているような表情で語り始めた。
『207B分隊が、特殊な事情を持った者たちが集められた部隊であったことは、そなたも気が付いているな?』
「? ああ」
『では、オルタネイティヴ4が頓挫して、我らが国連軍に入隊することになった原因が消滅したことも、分かっておるな?』
「……ああ」
『最終的には自分の意志で選んだこととは言え、他に選択肢があったわけではないのだ。だがそれは言い換えれば、我らを差し出すしかない状況だったと言えよう。では何故、その理由が消え去った際、我らを呼び戻そうとする動きが無かったのだと思う?』
「…………それは」
 苦虫を噛み潰したような渋い顔で、その問いに答えあぐねる武。理由は分かっている。だが、それを口に出して言ってしまうのは、どうしても憚られる。
『意地の悪いことを申した。そんな顔をせずともよい、たとえ呼び戻されていたとしても……私たちは全員、それに応じることは無かったゆえにな』
「え……?」
『離れたくはなかったのだ……そなたや仲間たちと。何もかも失った我らが、何故ここまでやってこられたのか。それは……そなたがいてくれたからだ。だからそなたには、本当に感謝している』
 冥夜は諦め──とは違う、覚悟を決めた顔で微笑を浮かべた。
『どういった経緯でそなたが207訓練小隊に配属されてきたのか私は与り知らぬし、この世界のどこにそんな場所があるのか想像もできぬが──そなたと接していて、そなたが争いとは無縁の世界に生まれ育ったであろうことだけは分かった。そして戦いを重ねるうちに、改めてそなたが戦いに身を投じるべきではない人間なのだと感じた。そんなそなたを戦いに駆り出してしまったこと、本当に申し訳なく思っている』
「…………」
『今更だが、本当はそなたには地球を脱出して欲しかったのだがな。これはそなた以外の207小隊全員の意思だったのだぞ?』
「しかし、あれは」
『せっかく月詠に無理を言って、私に割り当てられたIDをそなた名義に書き換えてもらったというのにな』
 少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる冥夜。
「──なんだって?」
 その言葉に驚く武。しかし考えてみれば、そもそも存在自体が非公式同然だった武にIDが回ってきた事自体、極めて不自然な事だったのだ。それと冥夜の生い立ちとを照らし合わせて考えてみれば、推測出来た事かもしれないが……そこまで思い至らなかった。
『それを再度、名義変更してしまおうとは思ってもみなかった。しかもそのID、名前が空白だと言うではないか。五人で相談して地球を脱出する者を一人決めよといわれた時……皆、開いた口が塞がらなかったぞ』
 冥夜はその時の事を思い出しながら、懐かしむように言った。今となってはそれも良い思い出だった。
 オルタネイティヴ5と言っても、やはり利権だのと言ったものは確実に絡んでいた。移民者は基本的に優秀な者だけが選ばれるはずだったのだが、中にはそうでない権力者も存在していた。もっとも、それは計画遂行を潤滑にするために必要な事だったのだが。
 とにかく、そういった者たちを自在に動かすためのエサとして、極秘に無記名のフリーチケットが用意されていた。
 武はまりもに依頼して、自分の名が記録されたIDを、そのフリーチケットに書き換えてしまったのだ。
『だが……本当に驚いたのはその後だったな。私たちが全員揃ってそなたの提案を拒絶し、そなたを外宇宙へ旅立たせようとしたら……IDカードをバターナイフの代わりに使ったら油塗れになったから捨てた、などと抜かしおって。あの時は本気で正気を疑ったぞ?』
「あれは……その、まあ、なんだ」
『ふふっ。だがその結果、そなたと離れ離れにならずに済み……それがとても嬉しかったのもまた事実でな。皆もそれは同じだったようで、ならばタケルだけはなんとしてでも死なすまいと、皆で誓い合ったのだ。
 ……狡いな、私は。残される者の苦しみは、私も身を持って知っているというのにな。だが、それでもやはり……そなたには生きていて欲しい』
「冥夜……」
『私の部屋に一振りの刀が──皆琉神威が置いてある。それを形見として受け取っては貰えないだろうか。……今際の際の我侭、聞き届けて貰えると嬉しい』
「………………分かった」
『ありがとう、タケル』
 冥夜は、悔いがないはずがないのに……本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「なあ、冥夜……もう、無理なのか……?」
 しかし、それでもまだ諦めきれない武は、苦渋に満ちた表情で声を絞り出す。
『それはそなたが一番良く分かっているであろう? 私が傘としての役割を果たせなくなれば……ここにいるBETA共は全てそなたに向かうことになる。そうなれば、いかにそなたとてただごとでは済むまい。手遅れになる前に退くのだ』
「クソッ……俺は……なんて無力なんだ……!」
『己を責めるな。私はこれまで、そなたから本当にたくさんの大切なものを貰ってきた。そなたは決して無力などではない。私はそなたに出逢えて幸せだった……本当に幸せだった。
 ──もう行くがよい。そなたの顔など当分見たくない。私の前に現れること、まかりならんぞ……よいな。──さらばだ』
「冥夜? おい、冥夜ッ!?」
 一方的に通信が途切れる。それから何度呼びかけても、応えてもらえなかった。
 指揮官権限を行使すれば、強制的に回線を接続する事は可能だが……しかし、それは冥夜の望むところではあるまい。決意が鈍るからなのか、それとも死に直面して錯愕としている様を見られたくはないのか。一番の理由はそれによって武を迷わせてしまう事を恐れているのだろうが──とにかく、冥夜は武との交信を拒絶し、武はその冥夜の気持ちを踏み躙るわけにはいかなかった。

 武は身動きの取れない冥夜の武御雷にBETAが集る一瞬の隙を突いて強引に包囲を突破し、第1防衛線から転進して後方の部隊と合流した。
 第1防衛線が完全に破棄されたとは言っても、その程度で横浜守備隊の士気が落ちるような事はあり得ない。そして武たちが最後まで第1防衛戦に踏み止まった事から敵が密集し、それによって支援砲撃が最大効率で機能するようになり、第2防衛線を最前衛としたフォーメーションで戦力が完全に立て直されて戦況は優位に推移。初めての横浜基地防衛戦は、人類側の勝利で終結した。
 ハンガーに戻り、戦術機から降りた武は、ぐったりとした足取りで更衣室まで歩き、シャワーを浴びて汗を流した後、いつもの作業服に着替えて冥夜の部屋へと向かった。彼女の残した遺言に従って……皆琉神威を貰い受けるためだ。
 冥夜がこの刀を持っている姿を、武は見た事がない。元の世界では肌身離さず持っていたと記憶していたのだが、この世界では鞘袋に収められたまま、常に彼女の部屋の机の脇に立てかけられていた。
 武は鞘袋を手に取り、中身を取り出すが……何かが足りない。
「──って、そうか……鍔は俺が貰ったんだっけな……」
 六年前、オルタネイティヴ4が終焉を迎えた日──クリスマスイブ。
 まだ何も知らない、知らされる事のない訓練生だった207小隊は、オルタネイティヴ4のタイムリミットを目前に基地中が慌しくなっている理由など知る由も無く、何も知らされない事による不安を解消しようと、武の提案で気分転換を兼ねてクリスマスパーティを行った。そしてプレゼント交換などもやってみたのだが、運命の悪戯か──誰かの手に渡るはずのプレゼントは、それぞれ皆自分のところに舞い戻ってしまった。
 皆琉神威の鍔は、その後で冥夜に貰ったものだ。元々プレゼントにするつもりだったのだと言われて。
 鍔を武に渡してしまった事で完全な形を失い、それで持ち歩く事がなかったのだろうか。今となっては分からない。
 自分の部屋に戻り、引き出しの中に大切に仕舞ってあった鍔を取り出して、皆琉神威に取り付ける。こうして六年もの歳月を経て、皆琉神威は本来の姿を取り戻した。
 冥夜を語る上で、その剣術は切っても切り離せない。それを振るうための刀、皆琉神威は、冥夜の精神が形になったものだと言っても過言ではない。
 その研ぎ澄まされた刀身を見ていると、己を責める必要などないのだと言ってくれた、冥夜の言葉が思い起こされる。
 しかし、冥夜はああ言ってくれたが、力があれば、あの状況を二人で無事に切り抜けられた事もまた事実。武はそれが悔しくてならなかった。
 確かに武は強くなった。この世界に初めて現れた時と比べると、本当に比べ物にならない。だが……それでもまだ、全然足りていなかった。それがこの結果だった。

 生きる望みを失いそうになる事もあったが、しかしそれは冥夜たちと交わした約束が踏み止まらせた。だが、BETAと戦って人類を救うなどという大それた理由だけでは、モチベーションを維持する事は難しい。
 それでも戦闘になると、気持ちを無理矢理にでも切り換えなければ生き残ることが出来ない。そして経験を積み重ねる事で、戦闘技術は向上していく。
 冥夜の死から半年──
 仲間を全て死なせてしまった不甲斐なさからか。武は、比喩ではなく文字通りの命懸けで訓練し、戦い、また訓練し、戦って戦って戦い抜いて、半年前とは比べ物にならないほどの力を手に入れ──それは基地防衛の際の多大な功績によって大尉から少佐に昇進するほどで、それに応じて発言力も相応に大きくなった。
 だが……力を手にすればするほど、心を支配する虚しさは大きくなっていく。どこまで強くなればいいのか……全く先が見えない。
 今の実力であれば、半年前のような状況など、鼻歌交じりで軽々と切り抜けてしまうだろう。だからと言って、あれよりももっと危機的状況に見舞われれば、今の実力では耐え切れない。際限がないのだ。
 そして武は、常に矛盾を孕み続けてきた。
 武が強さを求める理由。この世界で戦い続けてきた理由が何かと言えば──それは身近な仲間を守りたったからに他ならない。しかし、武が必死で守ろうとした207小隊の乙女たちは、もうこの世にはいない。
 その矛盾が武の心を蝕み続ける。
 武は自分がこの世界に存在している理由が分からない。まるで思春期の少年のような疑問だが、ある日突然この世界に振って湧いた武には、思春期の少年が行き着くような答えはどれもこれも当てはまらない。ただの偶然の巡り合わせなのか……それとも何か大きな力が働いていて、この世界で成さねばならない事があるのか。
 たった一人、その答えを因果律量子論で導く事が出来たかもしれなかった夕呼は、もういない。
 夢で片付けようにも、元の世界からこの世界を想像するなどとても出来ないし、逆もまた然り。
 仲間が健在だった頃は良かったが、冥夜を失い仲間が皆いなくなってから、生きる目的を完全に見失ってしまっていた。
 危険な兆候だった。
 戦闘になれば、気持ちを切り換えて戦う事は出来る。だが、やはり日々精神が蝕まれ磨り減っていけば、冷静な判断力も確実に毟り取られていく。
 冥夜を失ってからこれでもう何度目の出撃だろうか──武は今日も最前衛で戦っていた。
 搭乗機は不知火に変わっていた。
 F-22Aは過酷な使用にも良く耐えてくれていたのだが、前回の戦いで疲労が限界まで高まり、とうとうスクラップ同然となってしまった。修繕して使おうにも、元々スクラップ同然のものを再生した機体だったために、再度の再生は強度的にもコスト的にも無理があるという結論になり、機体変更に至った、というわけだ。
 後継が不知火なのは、米国から取り寄せるF-22Aよりも国内から持ってくるだけで済む不知火の方がずっと早く手に入るから、というだけの理由だった。しかし実際に乗ってみると、F-22Aよりもスペックが劣るはずなのだが、設計思想の違いからか、武にとってはこちらの方がしっくりくる。
 ともかく、そうして搭乗機を変更した武。通常なら安易な機種変更は二機連携の妨げになる事が多く敬遠されるのだが、その問題は発生しなかった。と言うのも、武には二機連携の相手はいないからだ。
 横浜基地が擁する精鋭部隊の衛士たちでも、ここ半年間の武の操縦技術の異常なまでの伸びに誰も追随する事が出来ず、二機連携を誰とも組めなくなってしまったのだ。
 ──否、組んで組めないと言う事はないし、実際、最初のうちは組んでいた。が、機動概念と操縦技術の差から、武が大きく足を引っ張られてしまう形となり、二機連携を組んで相手に合わせた場合と武が単機で戦う場合とで、後者の方が総合的な戦闘能力が高かった。それならば武は一人で戦った方が、部隊全体の戦闘能力の向上にも繋がるというわけだ。
 二機連携の相手がいないというのは、背中を守ってくれる相棒がいないという事で、不安ではあるのだが……その一方で、組んだ相手の背中を守る必要もないという事で、ある意味気楽ではある。
 そんな状況で気が抜けていたのかもしれない。以前ほどの必死さがなくなっていたのかもしれない。
 ふと気が付くと、武の駆る不知火の背後にはその堅固な前腕を振りかざした二体の要撃級。正直、油断していた。だが攻撃を喰らってはしまうが、即座に躱せば、致命傷になると言うほどでもない。
 そして武は臆する事なく、攻撃を回避するために噴射跳躍をしようとした瞬間──
 突如、天空から舞い降りてきた一機の国連軍カラーの不知火が、右手に持った長刀と左手に持った短刀を同時に振るい、一瞬にして二体の要撃級の首を刎ね飛ばした。
「な──!?」
 突然の出来事に驚きを隠せなかった。
 武の変則的な機動の元となっている概念は、既存のものに比べて非常に三次元的で、そしてとにかく良く動く。それ故に一度にたくさんの敵を引き受け、その動きを阻害しないようにと、基本的に味方の戦術機は近寄って来ない。稀に援護射撃を貰う程度だ。
 それはこの数ヶ月、ずっと徹底され続けている。何の通信もなしに、味方が近付いてくる事などありえない。そういう連携なのだ。しかしこの不知火は、その領域にいとも簡単に踏み込んできた。
 だが、その事以上に驚いたのは……この不知火に搭乗している衛士が只者ではないという事だった。あっという間に二体の要撃級を葬り去ったその機動──通常のものとは一線を画し、武が行っているそれにずっと近い。
 この種の機動が出来る衛士と言えば、武以外にはかつての207小隊だが──彼女たちはもういない。それに今、この不知火が見せたほどのキレなど、とてもではないが持ち合わせていなかった。明らかに格が違う。それも桁違いにだ。
 この半年間で急激に伸び、精鋭揃いの横浜基地部隊ですら全く付いて来られなくなった程の武の腕前に匹敵する、半端ではない練度の高さ。
 一体誰が──
 そう思って戦域情報をスクリーンに展開すると、そこにはありえない数字が表示されていた。
 207──
 武の所属する207小隊は、小隊とは名ばかりで、今では隊員は武一人しかいない。そのため広域情報でも小隊としての表示ではなく、『20706』という武のコールナンバーが直接表示されるように設定されている。
 しかしそこには、小隊を示す『207』と表示されていた。つまりこの不知火は新たに配属された207小隊の隊員という事になる。
 だが、武は補充要員の申請などしていないし、そんな話も全く聞いていない。
「…………」
 ほんの少しの混乱と共に考え込んでいた武の耳に、その不知火からの通信が入る。
『──油断が過ぎるわよ、白銀』
「──!?」
 酷く懐かしく、そして心地のよい優しい声。
 同時に、スクリーンには懐かしい顔が映し出される。
 その名は──神宮司まりも。



[1123] Re[4]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 武はハンガーまで戻ってきていた。今日もまた、何とかBETAを退ける事に成功した……思いがけない援軍を得て。
 不知火から降りると、隣の格納スペースに視線を動かしてみる。そこではちょうど一機の不知火が格納されたところだった。
 207小隊に割り当てられたハンガー。ここを使っているのはこの半年間、武一人しかいない。メインで搭乗する機体──前回の出撃まではF-22A、今回からは不知火──の他に、予備機として陽炎と撃震が一機ずつ置かれていたが、それ以外は空きスペースとなっていた。
 それが半年振りに、武以外が使う機体が格納されている。
 その機体の搭乗者は……神宮司まりも。武の訓練学校時代の教官であり恩師である。オルタネイティヴ5が発動してからすぐに米国の本部勤務となり、それに見合った階級──少佐に特進していた。その後の昇進はないようだが……後方勤務で実戦には出ていなかったためだ。
 とは言っても、先程の戦闘での機動を見た限り、厳しい訓練を自らに課していたであろう事は想像に難くない。
 最初からあれだけの腕を持ち合わせていたのか、それとも訓練で手に入れた力なのかは分からないが、維持したにしろ成長したにしろ、生半可でない事だけは確かだ。
 そんな事を考えながら隣の不知火を眺めていると、そのハッチが開き、中からまりもの姿が現れた。
 ──懐かしい。
 直接顔を合わせるのは実に六年半ぶりとなる。見たところ、印象は昔と何も変わっていない。もっとも彼女は元々大人なのだから、極端に変わっているのも、それはそれでおかしくはあるのだが。
 武は自分の方に向かって歩いてきたまりもに話し掛けた。
「まりもちゃ──あ、いえ……神宮司少佐、ご無沙汰しています」
「本当、久しぶりね。でもどうしたの白銀? そんなに畏まっちゃって」
 武の印象が、まりもの知るものと随分と食い違っていたのだろう。まりもは少し驚いたような顔で、微笑みながら応えた。
 そして昔に比べると、彼女には厳しさがほとんど見受けられなかった。あれは訓練学校の教官としての顔で、既に訓練兵と教官の関係ではないから仮面を被るのをやめたのか。
 今のまりもから受ける印象は、武の良く知る元の世界のまりものイメージに重なる。が、それとも少し違う。厳しさはないが、甘さも全くない。武を一人前の衛士として、対等に接しているというのが一番近いだろうか。
「別にいいわよ、まりもちゃんでも。階級は同じなんだし、ここじゃあなたの方が先任なんだから」
「ですが、いくらなんでもそれは──」
 昔みたいに振舞おうとしても……武も年を経て少しは大人になっているわけで。さすがに昔と同じ行動を取るのには抵抗がある。もっとも、だからと言って、まりもの事をまりもちゃんではなく神宮司少佐と呼ぶのにも、それはそれでどこか抵抗がありはするのだが。
「いいのよ。軍規も私がここにいた頃に比べて、随分と緩くなってるんだし」
 まりもは柔らかな笑みを浮かべたまま言った。
 確かに以前に比べると、軍規は緩くなっている。境目は、バビロン作戦の失敗が明らかになってからだ。
 そうは言っても無論、最低限の規律の確保は為されている。しかし未来に希望が持てない今、規律で縛り付けて人を従わせるという行為は、大きな危険を孕んだものとなってしまっていた。
 いかに軍人と言えど、その前に人間だ。ただ単に軍人だから命令に従っている、というわけでは当然ない。ただ命令に従うだけの軍人など、高度に柔軟な思考が要求されるBETAとの戦闘において何の役にも立たない。BETAと戦う戦士は、あくまで人間でなければならないのだ。
 そもそもが未来に希望を見出していたからこそ、厳しい環境の中で規律を守って戦い抜いて来られたわけだ。それが、世界の命運を賭けたバビロン作戦を完遂する事が出来なかった時から、状況は一変した。
 バビロン作戦──オルタネイティヴ5には次がない。4がダメだったから5に移行したように、6に移行すればいい、などという都合のいい話はない。人類にはもう余力がないのだ。
 つまり……未来に希望はない。
 これまでは『勝つためにはやむを得ない』と思わせ、厳しい規律に従わせていたのだが、それが全く通用しなくなってしまった。あまりがんじがらめにしてしまうと、どうせ人類は滅びるんだから……と、投げやりになって暴発してしまう可能性があるというわけだ。実際、そのパターンで自棄になってテロに加担する兵も少なからず存在している。無論、全てがそうであるわけではないのだが、そういった因子が確認出来る以上、放置するわけにはいかない。
 と言うわけで、昔と比べて危機的状況でありながら、暴走を許さない程度には軍規が緩くなっているのである。
 ちなみに、規律だけで組織を維持出来なくなった現状では、カリスマの存在が組織を束ねる鍵となっている。よって、どこの基地でもそういったカリスマが一人は存在していた。
 ここ横浜基地では、武もその一人である。これは勿論、防衛戦での活躍の結果だった。
 どんな作戦であろうが常に最も危険な場所に立ち続けて確実に戦果を挙げ、名実共に守りの要となっている武が、周囲に認められないはずもなく。今では戦術機甲部隊の実質トップと言っても過言ではないほどの発言力を、武は手にしていた。
 しかし、武がそれを鼻にかけたりする事はない。そして影響力が大きい事を認識していながら、自分がカリスマ的存在であると言う自覚は毛ほどもなく、『いや、ありえねえだろ』などと鼻で笑っていたりするのだが──それはさておき。

「立ち話もなんだし、ここじゃ整備の邪魔になるから……着替えて移動しない?」
 格納された機体に整備兵が取り付き始めたところで、その様子を見ていたまりもが言った。
「そうですね。じゃあ……俺の部屋にでも行きましょうか。場所、憶えてます?」
「ええ。前と変わっていないのよね?」
「はい。それじゃ、また後で」
 武はまりもと別れ、更衣室に入り、シャワーで汗を流して作業服に着替えると、ほんの少しだけそわそわした足取りで、自分の部屋へと歩いていく。
 そして部屋に戻ってから数分──コンコン、というノックの音が入口から響いてきた。
「はい」
「こんばんは」
 武がドアを開けると、衛士用のジャケットを羽織ったまりもが立っていた。この格好は初めて見る。考えてみれば、これまで武は訓練学校の教官としてのまりもにしか会ったことがなく、衛士としてのまりもとは初対面だ。
「……どうしたの?」
 固まって黙り込んでしまった武に対して、まりもは不思議そうに、少し首をかしげて言った。
「あ、いや、その……衛士のジャケット着てるとこ見るの、初めてだったんで」
「そう……よね。あなたたちには、最後まで教えてあげられなかったから──」
 フッと少し寂しげな笑みを浮かべるまりも。
 その表情にドキリとして、少ししどろもどろになりながら、武はまりもを部屋に招き入れる。
「と、とにかく、中へどうぞ」
「お邪魔するわね」
 そしてまりもは武の脇を通り抜けて部屋の中に入ってきた。
 すれ違いざまに、酷く心地よい、仄かに甘く優しい香りがフワリと武の鼻腔をくすぐり、一瞬、脳みそが蕩けそうになる。
 彼女もシャワーを浴びてからここに来ているはずで、だから最初は石鹸の香りなのかと思ったが……しかし考えてみれば、武と同じ支給品の石鹸を使っているはずで、それはない。
 では化粧品かとも思ったが、これも基本的に支給品であり選択の余地がなく、皆同じものを使っている。教導官などをやっている武は、座学等で他の衛士たちと接する機会が多いのだが、国連軍、帝国軍合わせて該当する匂いは記憶にない。
 と、そこまで考えたところで、部屋に入ったまりもがジャケットを脱ぎ、ハイネックの半袖アンダー姿になった。艶かしく柔らかな身体のラインが露になると同時に甘く優しい匂いが強くなり、それで答えに思い至った。
 これは──まりも自身が発している匂いだ。
 その事実が武の心を酷く昂奮させ、心臓がドクンと跳ね上がる。無意識のうちに、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
 武もこの世界に来て、国連軍に入隊して既に六年以上の時間を過ごし、女性に対する免疫は出来ている。でなければ、女性が普通に徴兵されているこの世界では存分に戦えない。
 それは基本的にどんな相手でも変わる事はないのだが……しかし、まりもは数少ない例外の一人だったのだ。
 元の世界でも良く知った相手だったために、どうしても割り切る事が出来ない。
 同じ事は冥夜たちにも言えそうだが、武は幼馴染の鑑純夏と一緒に成長したため、この世界に来た時から同年代以下の少女に対するある程度の免疫は持ち合わせていた。……が、それ以上の年代になるとそうもいかない。特にまりもは武にとって、年上の女性の象徴とも言える存在だった。
 昔は教官としてのキリッとしたまりもしか知らなかったから、特に意識するような事はなかったのだが……久しぶりに会ったまりもからは表面上の厳しさが消え、元の世界の彼女とイメージが重なり始めた。──否、武が成長し対等な立場となっている事から、元の世界よりも二人の距離はずっと縮まっている。
 207小隊最後の一人、冥夜を失ってから約半年。武はどこか孤独に苛まれるような日常を過ごしてきた。
 この世界に馴染んでいないわけではない。それどころか、もう元の世界には馴染めない身体になっているのが自分でも良く分かる。それでも、帰れるものなら帰りたい──と思う気持ちは、未だに心のどこかに燻っていた。
 この世界に骨を埋める覚悟がないわけではない。が、冥夜たちを失ってしまった事で、積極的にそうする理由もなくなっていた──つい先程までは。
 また……戦う理由が出来た。
 色々な意味で、まりもとの再開は武の心を熱く震わせた。
 が、そんな武の気持ちを知ってか知らずか、まりもは無防備に武の心に踏み込んでくる。

 武はまりもを椅子に座らせ、自分はベッドに腰掛けた。
「それにしても、あの白銀が随分と真面目になっちゃったわね。……でもそうよね、あなたが訓練兵だったのって、もう六年以上も前の話になるんだものね」
 まりもはその事が可笑しくてたまらないのか、酷く愉しそうに笑いながら言った。
「いや、まあ……その、俺だってちっとは成長してるって言うか」
「わかってるわよ。でも、あの白銀がねえ……ふふっ」
「そ、そう言えばまりもちゃん、本部を離れちゃって良かったんですか……?」
 何か話が妙な方向に行きそうで気恥ずかしさがこみ上がり、話の方向転換を図ってみる武。
「うん? 別にいいのよ。オルタネイティヴ5が失敗に終わって、もう本部もほとんど機能しなくなっているの。これから何かを研究してもう一度反抗しようにしても、まずはBETAの進攻を食い止めなければ話にならないから。だから戦える者は、世界各地に散っていった……ってわけ」
「じゃあ、まりもちゃんはどうして横浜に?」
「あなたがいたからよ」
「……ほえ?」
 まりもの思いもよらぬ返答に武は面食らう。それを見たまりもはクスッと笑った後、少し寂しげに口を開いた。
「私の教え子で、消息がはっきりして生き残ってるのって……もうあなただけだから」
「そう……だったんですか」
「あとは──そうね、故郷に帰りたいって気持ちもあったんでしょうね」
「そう言えばまりもちゃんって、ここの出身でしたっけ」
「ええ。それに横浜は極東の絶対防衛線だから、私の異動先はここ以外には考えられなかった、ってわけ。でも……」
 ほんの僅か、まりもの表情が寂しげに曇る。
「……でも?」
「うん、白銀も私の手の届かない遠いところに行っちゃったみたいで、少し寂しいかなって」
「は? 何言ってんです?」
「だってあなた、『極東の守護神』なんて呼ばれてる凄い衛士じゃない」
「ぶふぅっ!? な、なんすかそれ!?」
「やだ、きたない」
 まりもの言葉に耳を疑い、噴き出してしまった武。そんな恥ずかしい二つ名が付けられているなど、一度として聞いた事がない。しかしそれは、武がこの半年間、あまり外向きにアンテナを伸ばしていなかったから、それを聞く機会がなかっただけの話だったりするのだが。
「他にもほら、名前をもじって『銀の護り手』とか『武神』とか」
「は──」
「……は?」
「恥ずかしすぎですよ! 誰が言ってんですか、そんな恥ずかしい事!?」
「誰って……みんな言ってるわよ?」
「みんなって誰!?」
「本部の人たちとか。日本は横浜に守護神がいるから大丈夫だ、みたいに」
「マジで!?」
「あら白銀語。懐かしいわね」
 まりもはくすくすと笑いながら続けた。
「別に悪い事じゃないんだし、それはそれで受け止めてあげたらいいんじゃないかな。まあ、珠瀬のことを散々からかった報いね」
「へ? たま……?」
 どうしてそこで壬姫が出てくるのか分からず、素っ頓狂な声を上げてしまう武。
「そうよ? あの子も狙撃技術で『お姫様』だなんて言われてたでしょ。それで一度、相談を受けたことがあるのよ。『たけるさんが私のことを『女神様』なんて呼ぼうとしてるんですけど、どうしたらいいんでしょう』ってね」
「ぶっ! あ、いや、あれは……」
「分かってるわよ、ただの冗談だったってことくらい。でも、珠瀬は本気で悩んでたからね。因果応報」
「……返す言葉もございません」
 ガックリとうなだれる武。
「まあとにかく、あなたの活躍は聞いているわ。でも本当、もう白銀なんて気軽に呼べなくなっちゃったわね、少佐殿?」
「ちょ、だからそういうのはやめてくださいよ!」
 武は本気で嫌そうな顔で抗議した。まりもには、まりもだけには、そんな風に呼んで欲しくない。
「だってあなたの実績って、本当に凄まじいじゃない。大陸を転戦して名を上げて、甲21号作戦では反応炉を制圧。佐渡島撤退戦でも活躍して、横浜基地防衛では名実共に護りの要になってるわけだし。客観的に見て、『極東の守護神』なんて呼ばれても何もおかしくないような事をやってのけているのよ? 別にあなた一人で日本を護っているとは言わないけど、でもあなたがいなければ、日本はとっくの昔に滅亡してたでしょう?」
「いや、だから、それは……」
「ふふっ……うふふっ……」
 武が酷く困ったような表情で、どう説明すればいいのか、などと考えていると……こらえきれなくなったまりもが、悪戯っぽい顔で笑い始めた。
「……まりも、ちゃん?」
「うふふふっ……冗談、冗談よ。もう、莫迦ね、そんな顔しないの。……少しは元気、出た?」
「あ……」
 そう言われて、出撃前に比べて随分と心が軽くなっている事に気が付いた。
「随分と思いつめた顔してたからね、白銀。御剣がいなくなってから、誰かとこんな風に話すこと……なかったんでしょう?」
「……はい」
「まあ、仕方ないかもね。私から見ても、あなたたちの絆はとても深かったもの」
 昔を想い、懐かしそうに笑うまりも。しかし、やがてそれは消え、優しげな微笑みだけが残る。
「色々、あったのよね」
「はい。色々……ありました」
 武はぽつりぽつりと、仲間たちの最期をまりもに語り始める。一人ずつ順番に、丁寧に、ゆっくりと時間をかけて。辛い思い出ではあるが、とても大切な思い出だ。精一杯戦い抜いて死んでいった彼女たちの事を、武は誇らしげに語っていく。
 そしてまりもも、この数年で経験してきた事を武に語る。
 しばらくふたりでそうやって話を弾ませていた。そして、話す事が無くなったと言うわけではないのだが──ふと話が途切れ、部屋の中を優しい沈黙が包み込む。
 まりもはどう思っているか分からないが、少なくとも武にとって、冥夜がいなくなってから初めて訪れた、心安らぐ時間だった。
 甘い空気に支配された部屋の中で、安寧の底無し沼にずぶりずぶりと沈み込んで身動きが取れなくなるような錯覚に囚われる。だが、それが酷く心地いい。
 ともすれば、この状況に酔って溺れてしまいそうになるところを、今のこの世界ではそれは決して許されない事なのだと、でなければ明日を生きる事すら叶わなくなるのだと、必死に自分を律しようとしてみたのだが──しかし、これまで酷使しすぎて疲弊しきっていた精神と肉体では、到底抗いきれるものではなかった。
 ウトウトして意識を手放しかけてはハッとする……という事を何度か繰り返した後、武の意識は完全に闇に呑み込まれていった。

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。武はぼんやりと意識の制御を取り戻し始める。
「…………?」
 そして自分の頭が、なにかとても柔らかで暖かく気持ちの良いものの上に乗せられ、髪をゆるゆると梳かれている事に気が付く。その感触がまた、この上なく心地よい。
 脱力してうっとりとした表情を浮かべながら、その酷く心地よいものに身を委ねていたが……やがて意識が明瞭になり始めると、自分の頭を包み込んでいる暖かで気持ちのよいそれが何であるかに思い至り、慌てて眼を見開いた。
「あら……気が付いた?」
 上から優しげな声が降り注いでくる。
 そちらに視線を動かすと、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた、武を覗き込んでいたまりもの顔が瞳に飛び込んできた。
「────!?」
 椅子に座っていたはずのまりもは、いつの間にかベッドまで移動しており、座ったまま横に倒れ込んだ武の頭を脚の上に乗せて膝枕していた。何が愉しいのか、その白く細くしなやかな指を武の髪の毛に絡ませて、するすると梳いてはまた絡ませ、武の頭を優しく撫で続けている。
 武はハッとして咄嗟に身体を起こそうとしたが、まりもの手がそっと額にかざされると、大した力も入っていないのに、それだけで身動きが取れなくなってしまった。
「……あの……これ、すっげぇ恥ずかしいんですけど……」
 されるがままの状態で、微妙に頬を染めながらボソリと呟く武。
「ふふっ、もう少しこのまま……ね。それにしても気が緩んじゃったのかしらね? 最近、ちゃんと眠れてる?」
 さすがと言うべきか。まりもは武の、特にメンタルな部分の疲労に良く気が付いていた。
 ここのところ、武はストレスのためか、睡眠をとってもいまひとつ疲労が抜けきれなかったのだが……まりもには全てお見通しだったようだ。もっとも、いくら話が途切れたからと言って、穏やかな空気に浸かって寝こけてしまっているようでは、見破られても致し方ないのだが。
 武は自分で思っていたよりもずっと疲労を溜め込んでいたようで、まりもと再開して気が緩んだ事で、それが一気に噴出してしまった。意識がはっきりしてきた今でも身体は鉛のように重く、軽く押さえられただけで、いとも簡単に動きを封じられてしまうほどだ。
「たまにはこうしてゆっくるしてみるのも……悪くないんじゃない?」
 愉しげな微笑みを絶やさず、相も変わらず武の頭を撫で回しながら、どこか諭すような調子でまりもは言った。
 武は少しだけ迷い、そして少しだけその好意に甘える事にした。
 初陣から四年半。207小隊の小隊長として立ち止まる事なく激戦の中を駆け抜けてきた武にとって、これが初めての羽休めだった。
 が、それは長くは続かない。続けてはいけない。どっぷりと浸かりこめば、ここから抜け出せなくなってしまう。
 それはつまり、戦えなくなってしまうという事で……何も護れなくなってしまうという事。
 ゆえに武はこの状況を長続きさせるつもりはなかった。まりもの優しさに甘えて、そこに溺れてしまうわけにはいかない。だが──この温もりを、度し難いほど離したくない。
 もう少し──
 今だけ──
 あとちょっと──
 そんな言い訳を頭の中で繰り返しながら……しかし、今の武には護るべきものがある。それを思い出すと、きっぱりと覚悟を決め、最後の甘えを断ち切った。
 やがて、武の眼に強靭な意志の光が戻り始めると、それに呼応するようにまりもの手が武の頭から離れていく。温もりを失い、まるで氷雪吹き荒ぶ極寒の地に単身放り出されたような、身体の芯から凍えそうな不安に襲われると同時に、護り抜くためには甘えなど決して許される事ではないと言う強烈な克己心が蘇り、武の心から揺らぎが消え、あっという間に磐石なものとなる。
 そうして、ほんのひとときの安らぎの時間は幕を下ろした。
 離れ難い暖かさを振り切って、武はゆっくりと身を起こす。
 信じられないほど身体が軽くなっていた。ほんの僅かの睡眠ではあったが、その質はこれまで経験した事のないほどの極上のもので、心にもたらされた癒しは絶大なものだったのだろう。
「少しは楽になった?」
「はい……あ、いえ、すごく楽になりました」
「そう、それはよかったわ。……さて!」
 まりもは膝に手をついて立ち上がり──
「んっ……」
 指を絡ませた両手をゆっくりと天にかざして、どこか悩ましげな吐息を漏らしながら、大きく伸びをした。
 反り返った身体にぴっちりと密着したアンダーウェアが作用し、リビドーを揺さぶり動かすような蠱惑的な肢体のシルエットが浮き彫りになる。
 鍛え上げられた筋肉が、肉食獣を思わせるしなやかで躍動的な印象を抱かせながら、その身体に描かれた曲線は同時に酷く扇情的でもあった。突き出された二つの豊かな乳房が、ふるふると震えながらその存在を主張している。
 それを見てしまった武は、今更そんな光景は強化装備姿で慣れきっているはずなのに、思わず顔を赤く染め、咄嗟に視線を下に動かした。
 そして目に飛び込んできたのは、少し力を加えれば簡単に折れてしまいそうなほど細い腰。が、しかしその反面、アンダーウェアに浮かび上がった陰影によって極限まで錬成されている事が見て取れ、繊細さと強靭さが同居する事による矛盾が、得も言われぬ艶態を醸しだしている。鍛え上げられた腹筋の起伏が、まりもの柔らかなイメージとの大きなギャップをもたらし、これ以上もないほどエロティックに感じられた。
 その刺激が武の脳髄に突き刺さる。ここも直視出来なかった。一瞬パニックになり、更に視線を下げればあらぬ想像をしてしまいそうで、じゃあまりもの身体のどこを見ればいいのか分からない、などと考えてしまう。単にまりもから目を離せばいいという事にも気が付かず。
 数瞬の後、それに気が付いて、慌ててまりもから視線を外すが……見たいという誘惑に抗う事が出来ず、惹き付けられては視線を外す、という事を繰り返した。
「……どうしたの?」
 キョロキョロと落ち着き無く部屋の中を見回していた武を見て、怪訝そうな表情を浮かべたまりもが訊ねた。
「えっと、いや、その──なんでもないです」
「そう……? それじゃ私、そろそろ自分の部屋に戻るわね。久しぶりの実戦で、さすがに少し疲れちゃった」
「あ、はい」
「部隊編成やなんかは明日また詳しく教えてね。じゃあ、また明日。おやすみ」
「はい、お疲れ様でした。おやすみなさい」
 まりもは椅子にかけてあったジャケットを羽織ると、入口のドアを開け、そこで武を振り返って、ばいばい、と小さく手を振って武の部屋を後にした。
「……はぁ」
 しばらくの間、武はまりもが消えていったドアを見つめていたが、やがて緊張が途切れて大きな溜息を吐いた。
「中学生じゃあるまいし……何やってんだろ、俺……」
 自己嫌悪に陥る武。いくら相手がまりもでも、ああまで動揺してしまうとは思ってもみなかった。確かに武が成長した事で、まりもが武を一人の男性として接するようになった部分は間違いなくあるのだが……だからと言って、男女の差を気にしていては戦えない軍において、しかも訓練兵でも新兵でもなく、散々慣れきっているはずなのに、あれだけの醜態を晒してしまったのは不本意極まりなかった。
 これまで蓄積され続けてきた疲労を解消するきっかけは掴めたが、別の意味で余計疲れてしまった。もっとも、それは悪い疲れ方ではないから、何も問題は無いのだが。
 しかし、だからと言って、今疲れていることには変わりはない。武は脱力してベッドにバタリと倒れこむと、途端に強烈な睡魔が襲い掛かってくる。それに抵抗する事に何の意味も無いので、アッサリと受け入れ意識を手放した。そうして武はまりもの残り香に包まれて、久しぶりの深い眠りに就く事が出来たのであった。



[1123] Re[5]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/06 12:42
 武がまりもと再開を果たしてから、三年の月日が経過した。
 その間に、世界情勢はまた大きく変遷している。
 大東亜・オーストラリア連合軍は南への後退を繰り返し、オーストラリア大陸は戦場と化した。既に国土の半分以上がBETAの支配下となり、完全に支配されてしまうのも時間の問題だろう。
 そして開戦以来、一度も国土を戦火に晒した事がなかった米国だが、とうとうBETAの侵攻を許してしまっていた。
 まず、アフリカ大陸が完全にBETAの手に落ちた。南極大陸も喜望峰から南進したBETAによって支配下となっている。また、敵は同時に大西洋にも進出し、南アメリカ大陸が侵攻を受ける事になった。
 南米へと後退したアフリカ連合は南米連合と共に迎撃を試み、しばらくは凌いでいたのだが、しかし南極経由でホーン岬からBETAが上陸してくるようになると、戦力の分散を余儀なくされ、徐々に侵攻を許すようになってしまった。そしてハイヴを建造されたが最後、BETAの勢いは一気に増し、連合軍は北へ北へと後退を繰り返す事になり、戦線はメキシコを縦断し、米国との国境を越えるまで後退した。
 また、ユーラシアからベーリング海峡を渡ってくるBETAを食い止めていたアラスカ・ソビエト軍も戦線を維持出来なくなり、こちらもアラスカからカナダを縦断し、米国との国境を越えるまで後退している。
 通常なら、米国がそんな事態を見逃すわけもなく、支援なり何なりを差し向けるはずだったのだが……それが出来ない状況に陥っていた。
 ヨーロッパから大西洋への進攻を食い止めていたEU軍が度重なる戦いに疲弊し、とうとう戦線を抜かれてしまったのだ。そうなると間に遮るものは何もなく、北アメリカ大陸の東海岸に次々とBETAが上陸し始めた。
 そのために米国は侵攻を水際で食い止めるために特に東海岸に注意を向けねばならず、しかしそれでも完全にBETAの上陸を防ぐ事など出来ず、南、北、東からの侵攻を受け入れざるを得なかった……というわけだ。
 それに応じて、米国の首都機能と国連本部は西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコに移され、そこを取り囲むように防衛線が敷かれている。が、突破されるのももう時間の問題だ。
 米国の国力が低下し始めた事で、戦線を維持するのが世界中で極めて困難になっている。そして世界のほとんどが敵の手に落ちているが故に、資源採取もままならない。
 破滅へのカウントダウンなど、とっくの昔に始まっていた。
 そんな絶望的な状況の中、日本はどうなっているのかというと──奇跡的に三年前と変わらず、苦しいながらも極東の絶対防衛線を維持し続けていた。横浜基地は未だ健在で、それが故に帝都も依然、健在である。
 ただ、全てが前と同じ状況、と言うわけでもない。
 朝鮮半島の甲20号目標も奪還されている事から、九州に上陸したBETAが東進してきていた。九州戦線は瓦解し、中部地方以西は既にBETAの支配域となっている。九州戦線の残存戦力は関東に引き上げ、今は絶対防衛線の一部として機能していた。
 横浜基地を攻めてくる勢力は佐渡島から南進してくる勢力と、朝鮮半島から九州を抜けて東進してくる勢力の二つ。
 連携が取れているのだかいないのだか、これまでは単発の襲撃しかなかった。だが──

「ちょっと待てよ、冗談だろ……おい?」
 武はやつれた顔に愕然とした表情を浮かべながら掠れ声で呟き、仰ぐように天井を見上げた。その視線の先には、赤い光を放つ回転燈。スピーカーからはけたたましい警報音が鳴り響き、あたりを包み込んでいる。臨戦態勢に移行せよとのアナウンスも入った。
「どうなってんだよ、一体──」
 信じられん……と言った風に頭を掻き毟りながら言葉を漏らす武。出撃を終えて更衣室で強化装備から作業服に着替え、自室に戻って休息を取ろうとしていた矢先の出来事だった。しかし警報が鳴ったのは事実で、ならば何もしないわけにもいかず、疲弊しきった身体に鞭を入れて、後にしたばかりの更衣室へと引き返した。
 まるで鉛でも纏わりついているかの如く重くなった身体を無理矢理動かし、新しい強化装備を引っ張り出して袖を通す。そして着替え終わった武は、重たい足を引き摺りながらハンガーへ直行した。
「…………」
 深い溜息を吐きながら、ハンガーで戦術機を見上げている武。どの機体に搭乗すべきかを考えている。
 普段、メインで使っているのは不知火。それとは別に予備として陽炎と撃震が用意されている。通常であれば、迷わず不知火を選択するところなのだが──しかし、今はどの機体も馬鹿にならないほどのダメージを被っていた。

 二年半ほど前に帝国軍の九州戦線が完全に崩壊してからは、少なくとも週一回以上のペースでBETAの襲撃が続いていた。全力を挙げてそれを迎撃して、未だに横浜基地は健在ではあるのだが──だからと言って、全くの無傷であるはずも無い。
 襲撃のインターバルが短くなって間もない頃、戦力の再編が間に合わず、たった一度だけ、基地施設への到達を許した事がある。その時BETAは演習場方面から攻めてきたのだが……演習場の地下には戦術機ハンガーが存在していた。
 ハンガーでは、攻撃間隔が短くなったが故に損傷してしまった戦術機や強化外骨格を修復するため、整備兵たちが総出でメンテナンスに当たっていて……そこを襲撃されてしまったのだ。
 衛士たちが出払っている状況で、むざむざと攻撃を受け入れるわけにもいかず、本来非戦闘員であるはずの整備兵たちが戦術機や強化外骨格を駆り、BETAを迎撃した。その甲斐あって、増援の戦術機甲部隊が到着するまで何とか持ち堪え、基地壊滅に繋がる事だけは避けられたのだが……しかしその被害は甚大だった。戦いに出た整備兵たちはほぼ壊滅、整備班が全く機能しなくなるまで損耗してしまった。
 勿論、その犠牲が無ければ横浜基地は墜ち、そこから日本は壊滅していたので致し方ないとは言えるのだが──技術者の不足は、戦術機甲部隊の弱体化に直結する。そして戦術機甲部隊が弱体化すれば、BETAの攻撃を凌ぐ事が出来なくなる。
 他の地域から技術者を呼び寄せる事も検討されたが、技術者を余らせているような基地など世界中のどこを探しても存在しない。
 そこで衛士たちは僅かに生き残った整備兵に教えを乞い、自分たちの機体は自分たちで面倒を見るようになった。が、それにも限度と言うものがある。整備が間に合わない時は、横浜基地に残されていた陽炎や撃震を使い、出撃していく。
 元々、夕呼がいた時代には七個大隊もの戦術機甲部隊が常駐していたわけだが、基地に格納されていた戦術機の数は、それを更に超えていた。そしてオルタネイティヴ4のために用意された日本仕様の機体である撃震や陽炎は、オルタネイティヴ5に移行しても他に行く当てが無く、ずっと横浜基地に眠ったままになっていた。
 それが功を奏し、技術者不足を何とか補って、ここまで耐えて来られたわけだ。
 しかしその一方で、整備しなければならない機体は確実に増えてしまう。そうして整備が間に合わずにダメージが限界まで蓄積してしまった機体は次々と破棄されていく事になる。
 そういった理由で、横浜基地には破損した戦術機が多数格納されているのだが……今、武が眺めている陽炎や撃震はがダメージを受けている理由は、それだけではなかった。
 なぜならば。
 先ほど発令された警報──あれは今日だけでもう四度目の警報なのだ。
 武も既に、三度出撃している。一度目は不知火、二度目は陽炎、三度目は撃震に乗って。他の衛士たちの機体に比べれば、激戦を潜り抜けた割りにダメージは軽微なのだが……しかし整備をしている暇など、あろうはずが無い。
 基地は既に極限状態にある。
 最初の襲撃は、いつも通りに食い止めた。
 そこから数時間のインターバルを置いて、二度目の襲撃。予備機を最大限に駆使して、これも何とか食い止めた。
 しかし、更に数時間後……三度目の襲撃がやってきた。が、二度ある事は三度ある──などという諺があるように、三度の襲撃もやむなしという考えの下に、気力を振り絞って迎撃に出た。三度目の正直になる事を願いつつ。
 二度目の襲撃で予備機はほぼ全て使い果たしていたのだが、そんな中で状態のマシな戦術機を選び出し、スクラップ覚悟で大きな被害を出しながら、どうにかして押さえ込んだ。
 それがつい先程の話。
 この時点で、衛士も装備も満身創痍だった。後方支援要員の疲労も馬鹿にならない。
 しかし、BETAがそんな事情など考えてはくれるはずが無かった。
 今度は一時間も経たないうちに、まさかの四度目がやって来たのだ。

「──白銀」
「あ……まりもちゃん」
 機体性能と被害状況を考慮しながら、時間ギリギリまでどれに乗ろうかと決めあぐねていた武の隣に、強化装備に着替えたまりもがやってきた。
 やはり彼女も限界まで疲労が蓄積しているようで、明らかに精彩を欠いている。だがそれでも、身体は限界に達していようが、その瞳から意志の光は失われていない。
 ともすれば容易に絶望に呑み込まれてしまいそうな状況だったが、武もまりもも、二人とも諦めているような様子は全く見られなかった。
「まりもちゃんは、どれで出ます?」
 武は搭乗機についてまりもに訊ねた。
 彼女も武と同じく、メイン機に不知火、予備機に陽炎と撃震を使っている。そしてこれも武と同様、最初の出撃に不知火、二度目に陽炎、三度目に撃震を使い、やはり、どの機体にも馬鹿にならないほどのダメージを被っていた。そのダメージは全般的に武の機体よりも大きい。
「どうしようかな……。トライアルで使った機体、どれでもいいから残ってれば良かったんだけどね──」
 無いものねだりとは理解しつつ、それでも愚痴を口にしてしまうまりも。
 世界各国で前線が次々と崩壊し始めた頃──そこまで追い詰められてようやく、国家同士の諍いが軽くなった。その影響が一番顕著だったのが、秘匿技術の公開だ。
 公開された情報の中には、それまで国家機密であった各国の第三世代戦術機の技術が存在していた。
 時既に遅し……と言えるような状況ではあったのだが、それでも有効な打開策を見つけるために積極的な技術交流が行われ、その一環として、その土地や衛士たちに合った戦術機を模索すると言う名目で、世界規模の第三世代戦術機トライアルが実施されたのである。
 参加した機体は四機種。米軍からF-22A・ラプター、EU軍からEF-2000・タイフーン、アラスカ・ソビエト軍からSu-47・ベルクート、そして帝国軍からは94式戦術歩行戦闘機・不知火。
 例外的に、日本でのテストでだけ、更に比較用として帝国斯衛軍の00式戦術歩行戦闘機・武御雷が参加していた。
 不知火よりも高性能である武御雷がトライアルの対象にならなかったのは、コスト上の問題だ。
 そもそも戦線によって扱う戦術機を選べるようにする、などという事をしている時点でコストは度外視なのだが、それでも導入を見送らざるを得ないほどに、武御雷にかかるコストは大きかった。
 武御雷は不知火をベースに開発された機体で、共通パーツも数多いのだが、帝国斯衛軍が将軍家を護るための機体という性質上、全てにおいて高品質のパーツが使われていた。それを全機種に、などという事をすれば、当然コストは跳ね上がってしまう。
 では品質を不知火レベルまで落とせば良いではないか、などと言う話もあったのだが、それをやってしまえば、そもそもパーツのひとつひとつが高品質である事を前提として設計開発された武御雷のバランスを崩してしまう事になり、下手をすれば不知火以下のスペックになりかねない事が判明した。
 と言った理由で量産に向かない武御雷は検討の対象から外されていたのだが……それはさておき。
 横浜では元々不知火とF-22Aの混成部隊が稼動していた事から、選ばれたのはその二種だった。
 突出した前衛が敵を引きつけ、そこから漏れた敵を後衛が撃つ、という戦術を多用していた横浜部隊は、近接戦闘を重視した不知火と銃撃戦を重視したF-22Aがちょうどよかった、と言うわけだ。
 EF-2000にしろSu-47にしろ悪い機体ではなかったのだが、その設計思想は不知火やF-22Aに比べれば些か中途半端であり、スペックもF-22Aほど突出したものは持たず、更にSu-47に至っては、戦術機以外の乗り物と言ってもいいほど操作系統の癖が強すぎる機体だったために、慣熟訓練に時間を費やせない状況下において選ぶ余地は全く無かった。
 そうして横浜では無用の長物となったEF-2000とSu-47だったが、しかしトライアルで使用した機体は他の戦線に回される事なく、そのまま重要拠点である横浜基地の予備機となった。
 そんなわけで、通常使われない第三世代戦術機数機がハンガーに眠っていたのだが……しかしそれも先程の三度目の襲撃の際に全て使われてしまっていたので、出撃出来る状態ではなかった、というわけだ。
「まあ、無いものねだりしても仕方ないわね。私は不知火で出るわ。三機ともダメージは大きいし、それなら一番性能の高い機体を選ぶしかないから」
「そうですか。じゃあ俺も不知火かな。さて──」
 武は表情を引き締め、仕事人の顔になる。そしてその顔に、周囲の不安を掻き消さんばかりの不敵な笑みを浮かべると……気合を入れるために顔を両手でバチンと挟み込んだ。
「──行きますか」
「──ええ」

 横浜基地の部隊は迫り来るBETAを撃破するべく、本日四度目の……そして、これまで何度となくやってきたように防衛線を構築する。
 現在、横浜基地に常駐している戦術機甲部隊は二個連隊。横浜が標的になった事が明らかになった時に編成された一個連隊に、帝国軍からも一個連隊。勿論、編成された当初そのままの部隊が維持されているはずはなく、度重なる戦闘によって出た死傷者によって、衛士の数は減る一方だ。
 しかし、その補填のために帝都守備隊が切り崩されて配備される事によって、戦力は維持され続けてきた。
 その結果、帝都は無防備になっているが……そこは完全に博打だ。BETAの狙いが横浜一本であると言う大前提で話を進めているのだ。
 もっとも、たとえ帝都守備隊がフルメンバーだったとしても、横浜を奪われれば横浜ハイヴが復活する事となり、帝都を守り抜く事など到底出来はしない。
 万が一、直接帝都が狙われた場合──と言う状況も当然考慮しなかったわけではないが、そうやって戦力を分散させていては、横浜も帝都も、どちらも守れない……と言う事になってしまうが故に、ある意味余剰戦力であった帝都守備隊は解体され、横浜基地や絶対防衛線に配属された、というわけだ。
 通常なら最後の砦として、全盛時とほぼ同数の、練度に関しては比べ物にならないほどの部隊を擁していた横浜基地だが……しかし今は連戦で死傷して戦線を離脱してしまっている衛士も数多く、今日の一戦目に比べると、その数は三分の一にも満たない。加えて、皆どこかしら損傷を負った戦術機に搭乗している事を考えると、戦力は更に下回る。
 厭になる程の波状攻撃で、そして、極めて効果的な攻撃だった。BETAはここに来て圧倒的物量を最大限に活かし始めている。
 苦しい戦いになるが、ここは何としてでも防ぎきらなければならない。さもなくば、この戦術が効果的である事をBETAに知らしめた結果……世界中で同じ戦術が使われる事になるだろう。その時、人類はどうなるか。滅亡へのカウントダウンが急激に加速する事は想像に難くない。──否、そこであっという間に勝負がついてしまう可能性が高いのではないか。
 とは言っても、この戦いに勝利したところで、もし五度目が来ればその時は、今度こそ耐えられない。そうでなくとも、傷が癒えないうちに次の襲撃があれば、やはり同じ結末に辿り着くだろう──が、しかし。
 僅かでも可能性があるならば、希望は絶対に捨てられない。諦めてしまえば、そこで全てが終わってしまう。
 圧倒的不利など関係ない。嘆いても何も始まらない。
 どんな状況であろうが、最良の未来を引き寄せるために死力を尽くす。それが武たち横浜基地部隊の行き着いた答えだった。

 白銀機と神宮司機を先頭に布陣した横浜基地部隊は、敵先陣の到着を待っている。
 既にレーダーには敵影が捉えられ、後方からの支援砲撃が開始されていた。武たちの頭上をAL弾が超音速で突き抜け、BETA群に向かって飛んでいく。それに呼応して、敵第二陣に配置されていたレーザー属種がレーザー照射でAL弾を撃墜し、それが蒸発して重金属が発生。その濃度が規定値に達したと同時に、武とまりもの二機連携は、水平噴射跳躍で敵の第一陣、突撃級の群れの中に突進していった。
 武はいつものように回避運動を取りながら、機体のステータスをチェックする。とりあえず今のところはどこも問題なく動いている。が、故障していないとは言っても、確実に損耗している事には違いない。限界がどこにあるか──それを常に配慮しながら戦わなければならなかった。
「ま、撃震よりは楽に動けるから、何とかなるか……」
 そうポツリと呟いた。確かに撃震と不知火では、その機動性は雲泥の差だ。先程の三回目の出撃の時は、整備済みの撃震とダメージを受けた不知火との選択で、機動性ではなく安定性を選んだために撃震に搭乗したが、同程度のダメージがあるならば、より高性能な不知火を選択するのは当然だ。もっとも、実際にはダメージにいくらかの差があったため、だから出撃前どれに搭乗するか迷っていたわけなのだが。
 武たちは敵先陣の突撃級に接敵し、適当に36mm弾をばら撒いた。
 当然ながら、堅固な装甲殻相手に36mm弾など全く通用しない。が、注意を引くのが目的なので問題はない。そして突出した武たちの陽動に合わせて、突撃級はバカ正直なまでに動きを止めた。
 武たちがそのまま突撃級の波を乗り越えていくと、それにつられて短い脚をのそのそと動かしながら、突撃級が旋回を始める。
「──20706より各機、突撃級の反転が確認出来次第、突撃を開始せよ」
『──了解ッ!』
 いつもと同じに指示を飛ばす武。
 突出した武たちと防衛線の部隊の間に、突撃級が挟まるような格好になっている。突撃級が陽動につられて旋回すれば、後続部隊が柔らかい尻に36mm弾をブチ込んで一気に殲滅する。旋回しなければ、後方に回り込んだ武とまりもが36mm弾をばら撒いてやはり一気に殲滅する。
 今のところ、この作戦が破られた事はない。単純であるが故に対処法が無いのだ。先陣に突撃級が来なければ使えない作戦ではあるが、もし仮に、120mm弾すらまともに通用しない装甲殻がずらりと並ばなくなったとなれば、それはそれで好都合だ。
 横浜が未だに健在である理由の一つがこれだった。敵第一陣の突撃級を殲滅するのに、ほとんど損害を受けずに済む。無駄弾を使う事もなく、第二陣以降の、レーザー属種や主力である要撃級や戦車級に備える事が出来る。
 しかし、この作戦は横浜でしか使われていない。どうしようもないほど大きな欠点があるからだ。この作戦の肝は、敵の真っ只中に突出する陽動の存在なのだが……変則機動が出来なければ、まず敵の攻撃をいなす事が出来ないのである。
 横浜では白銀武と神宮司まりもという、変則機動を自在に使いこなす卓越した技能を持つ衛士がいるからこそ、この作戦は成立しているが、他の戦場ではそうはいかない。
 それはともかく、いつも通りに突出し、いつも通りに突撃級を引き寄せた武とまりも。それに呼応して、後続部隊が突撃を開始し、数分も経たないうちに、敵先鋒の突撃級は一体残らず屠り去られる事となった。
「さて……ここからが正念場だな」
 不知火のコックピットの中で独りごちる武。
 戦域情報を示すウィンドウには、敵の後続が映し出されていた。
 現存する味方機は全てこの防衛線に集中している。二個大隊まで減ってしまった戦力を分散しても効果が得られないのだ。即ち防衛線はこの一枚きりしかない。ここを抜かれてしまえば、後は基地まで一直線。抜かせるわけにはいかない。
 だが通常の、防衛線を三枚、武とまりもを防衛線と数えれば四枚構築している時でさえ、第一防衛線を抜けるBETAは存在する。と言うか、抜かせなければ被害が大きくなりすぎて戦線を維持出来なくなってしまう。
 敵の数はいつもと比べて特別多いと言うわけではないのだが……いかんせん、味方の戦力がいつもの三分の一以下となっているために、今の位置で正面から受け止める事など出来ようはずもなかった。
 部隊の再配置が必要だった。
 武はオープンチャンネルを開き、全部隊──と言っても、ここにいる二個大隊で全てなのだが──に呼びかけた。
「──20706より各機、即時6000後退だ。急げよ」
『──え!?』
「俺たちがここで陽動を続けて敵を引き寄せる。そこから漏れていくBETAを、後方で確実に撃破しろ」
『ですが……それでは少佐たちが!』
 再編された第二大隊を率いていた、武よりも五つほど若い衛士が、不安そうな表情を浮かべながら言った。
 武たちが突出して敵を引き付けるというのはいつもやっている事なのだが、しかし万が一の時、味方が近くにいなければ支援は届かない。そうなった時、支援の得られなくなった武たちがどうなるか。そこを抜けて基地に突撃するBETAを食い止めることが出来るのか。二人が倒れた時点で、横浜の陥落は必至だ。もっとも、この若い衛士は、基地よりも武やまりもの身を案じて発言しているのだが。
 そんな気遣いに武はフッと表情を緩め、穏やかでありながら、しかし強気な笑みを浮かべた。
「心配するな。……他に方法はないんだ。どのみちあれだけの数、正面からぶつかれば簡単に飲み込まれてそこでお終いだからな。まあ、俺が何とかしてやるから、精々上手くいくように祈っててくれ」
『…………』
「返事はどうした?」
『──りょ、了解』
「よし、作戦開始だ。全機後退ッ!」
『──了解ッ!!』
 一旦決まってしまえば、その動きは素早い。ここまで生き残ってきたつわものたちは、迷いや不安が敗北を呼び寄せる事を良く理解していた。
 そうして、最前線には武とまりもの駆る、二体の不知火だけが残される。
 どこから攻め入ってくるかにもよるが、直線移動速度に秀でた突撃級で編成された第一陣と、それ以外の、レーザー属種や要撃級、戦車級によって構成された第二陣の間隔はそれなりに大きなものとなる。従って今この場で動いているものは、白銀機と神宮司機の二つだけ。
 その片方、まりもの不知火から、武の不知火に向かって秘匿回線が開かれた。
『俺が何とかしてやる……か。うふふっ』
 どこか悪戯っぽい、それでいて眩しそうな瞳でまりもが微笑みかけてくる。武はそれが酷くくすぐったい。
「な……なんすか」
『ううん、別に? ただ、本当に頼もしくなったなって思ってね』
「そんな事ないですよ」
『謙遜も度が過ぎれば嫌味になるわよ。さっきのあの子たちの顔、見たでしょ? あなたの一言で迷いも不安も、一瞬で吹き飛んじゃってたじゃない』
「それは──」
『かくいう私も、その一人なんだけどね』
「へ?」
『もう、間の抜けた声を出さないの。あなたはこれまでずっと実力で実績や人望を積み重ねてきて……だから、ものすごく人を安心させる力を持っているのよ?』
「はあ……」
『短い間だったけど、こんなに凄い子の教官を私がしていたなんて……本当、鼻が高いわ』
 そう言って、まりもは嬉しそうに笑った。
 だが武に言わせてみれば、それは全くの逆だった。
 武がこの世界に放り出されて間もない、まだ何も出来ない無知で愚かな子供だった頃。
 207小隊に夕呼にまりも、誰が欠けても今の武は無かっただろうが、その中でも特にまりもには戦術機の操縦という、戦場で生き抜くために最も大切な事を叩き込まれた。
 仮にまりも以外の教官に師事して戦術機の操縦を習ったとしても、衛士にはなれていただろうが……もしそうであったなら、初陣で戦死していてもおかしくはなかった。
 技術面においては 武の極めて変則的な機動概念は元の世界でよく遊んでいた対戦型ロボットゲーム、バルジャーノンの操作体系が元になっているのだが、この世界の常識から見れば、それは異端もいいところだ。娯楽の歴史が積み重なった末に生まれたバルジャーノンと、BETAが襲来した事で娯楽が全く発展しなかったこの世界の常識が、噛み合うはずもない。
 そんな思考回路の持ち主であった武がこの世界の普通の枠に収まるはずもなく。規律を乱す存在になりかねない武をどうするかと言えば、通常であれば、無理矢理枠に嵌めてしまう事になる。武の思考を理解しようにも出来ないのだから、至極当然な方法だ。
 が、まりもはそうはしなかった。問題がある事は認識しつつ、しかし武の機動概念が既存のものよりも優れている事を見抜き、芽を潰さないように育てた。他の教官であれば、そうはいかなかっただろう。
 また精神面においても、例えば佐渡島からBETAが南進した時に気を失ってみたり、或いはシミュレーターでBETAのシルエットを見ただけで異常な興奮状態に陥ってみたりと……原因は不明だが、とにかく武がBETAに過剰反応していた時、それを否定せずに、臆病でもいいから生き残って最後の最後に人としての強さを見せてくれればそれでいい、と言って励ましてくれた。それが無ければ開き直る事が出来ず、戦場で重圧に押し潰されていたはずだ。
 どれが足りなくても、初陣で『死の八分』に喰われていたに違いない。
 武はまりもにこの世界で生きる術を教えて貰った。武が今まで生きてこられたのは、紛れもなくまりものお陰なのだ。その恩師を尊敬していないはずがなかった。
「俺の方こそ、神宮時教官の教え子だって事、誇りに思ってますよ」
 だから武は、心の底から、本当に誇らしげな顔で、言った。
『や、やだちょっと白銀……それ、反則』
 まりもは武の表情と言葉に面食らって唖然とした後、湧き上がる喜びを隠し切れないのか、顔中を真っ赤に染めてしまう。
 だが、武はそれに追い討ちを掛けていく。
「207B分隊の連中もみんな同じ気持ちでしたよ。他にも、俺は会った事ないですけど、A分隊に先輩たち、衛士になれた人なれなかった人、とにかく神宮司教官の教え子だった人たちは、みんな同じ気持ちだったんじゃないかと思います」
『うぅ……』
 目を白黒させながら両手で真っ赤になった頬を包み込み、言葉を詰まらせるまりも。
「俺は、まりもちゃんは最高の教官だったって思ってます」
『やだもう……お願いだからやめてってば……!』
 まりもは酷くくすぐったそうな表情で、どう切り返していいか分からなくなって落ち着きなく視線を泳がせながら懇願した。
 これまでまりもは、かつての教え子にこのような教官冥利に尽きるような事を言われた経験は無い。
 それを言った相手が、教えた期間は二ヶ月にも満たず、しかも基礎教練は途中から、戦術機教程は途中までと、実に中途半端な状態で投げ出さざるを得なかった武だった事も、まりもの精神を揺さぶるのに拍車をかけている。
 動揺するまりもに、武は三年前、彼女と再開した時の話を持ちかけて、笑いながら話しかけた。
「あははは、守護神だなんて妙なあだ名を付けられた俺の気持ち、少しは分かってもらえました?」
『──! ……もう、からかってたのね』
「まあ、尊敬してるのは大マジなんですけどね。本当に感謝してるんですよ、俺」
『……ありがと』
 まりもがフッと笑みをこぼしながら礼を言ったのと同時に、ピピッという発信音が二人の間に割り込んだ。
「──っと、お喋りはこのくらいにしときましょう」
『ええ、そうね──』
 話を打ち切り、二人の表情が引き締まる。
 スクリーン上の戦域情報に、敵第二陣の接近が示されていた。

 ここからが本番だ。
 武とまりもは二機連携が崩れない程度の距離を取って、BETAを迎え撃つべく位置取る。
 たったの二機で敵を迎え撃つなど無謀の極みではあるのだが、防衛線の前方に陽動を置く事には、大きなメリットが二つある。
 まず一つ目、後衛部隊との間に距離が出来る事で、移動速度に差のあるBETAを縦に分断する事になり、それによって後衛は混成部隊を相手にせずに済み、その数も一気に相手取るよりはずっと少なくなる。
 そして二つ目、陽動が極少数である事から、支援砲撃による誤射の危険性が激減し、最大効率の面制圧が行える。
 少ない戦力で敵を押し留めるためには非常に有効な策と言えるが、しかしこの作戦を採用しているのも、世界中のどこを探しても横浜基地以外には存在しなかった。メリットを得るためのしわ寄せが全て突出する陽動部隊に集まってしまい、生半可な腕の衛士ではいとも簡単に決壊してしまうからだ。
 それをクリアするためにはどうしても武のような、アクロバティックでより三次元的に変態した変則機動が必要になってくる。が、それが出来る衛士が存在しない。
 訓練レベルでなら武の変態機動を再現出来る衛士も存在していたが、実戦レベルでそれを実現出来ている衛士は、神宮司まりもただ一人だった。
 そのまりもとて、卓越したセンスに加えて訓練学校の教官時代に直接武から機動概念についての説明を受け、更に本部勤務の際、厳しい自主訓練に数年を費やしてようやく習得出来たのであって、じっくりとレクチャーを受けられる時間があればまた話は変わってくるだろうが、実戦のさなか武の完成された機動を見ながらそれをモノに出来るかと言われれば、ノーという答えを返さざるを得ない。
 まりもでさえそんな状況であり、常に武と共に出撃してその機動を目の当たりにしてきた横浜基地の精鋭部隊でも、下地のなさはいかんともしがたく、その機動概念を習得する事は出来なかった。
 まして操作ログしか見る事の出来ない他基地の部隊では、その結果は推して知るべし、だ。
 そんなわけで、この場にとどまる資格があるのは、世界中で武とまりもの二人だけ。
 武たちの役割はあくまで陽動であり、敵を倒す事ではないが、レーザー属種に関してはその危険性から優先的に叩く。それ以外の敵に関しては無視だ。弾薬には限りがあるし、長刀や短刀を使用した際の反動でさえ、今の状況では致命傷に繋がりかねないので、最低限に留めるより他ない。しかし、それすらどこまで保つか……といったような、最悪の状況だ。
 基本的に、敵を倒すのは補給が容易な後衛の部隊に任せることになるが、だからと言ってただ単純に敵を引き寄せ続ければいいというわけでもなく、勿論全ては不可能だが、後ろに漏らす敵の数を可能な限りコントロールしていかなければならない。
 もっとも、それはこれまでずっとやり続けてきた事。違うのは後衛までの距離だけ。いくら難度の高い作戦であろうが、二人にとっては今更だった。
 やがて、BETA第二陣の先鋒が射程内に到着する。それを構成している固体は重光線級、光線級、要撃級、要塞級、戦車級の五種。
「──20706バンディットインレンジ──フォックス3!」
『──20700バンディットインレンジ──フォックス3!』
 武とまりもは87式突撃機関砲から36mm弾を発射した。当たればそれで良し……外れても、そもそも敵に自分の位置を知らしめるのが目的のため問題はない。
 発砲と同時に、二人は移動を開始した。が、レーザー照射を警戒しなければならず、積極的な三次元機動を取る事が出来ない。まずはレーザー属種の殲滅からだ。
 幸いにも、第二陣に要塞級が含まれていたため、レーザー属種の殲滅にはそんなに手間取らなくて済みそうだった。
 要撃級は数は多いが、全高が12mしかないため、20m近くある戦術機が隠れる盾としては全然向いていない。小型種である戦車級など問題外。突撃級は戦術機とちょうど同じくらいの高さを持ち、サイズ的にはちょうどいいが、直線移動のスピードがあるため、やはり向いているとは言いがたい。そもそも今この場にいない。その点、要塞級なら移動速度も大して速くなく、触手の動きにさえ気を配っていれば、ある程度の噴射跳躍だって可能となる。
 二人は迫り来る要撃級を躱しながら、光線級と重光線級を追い詰めては、撃破していった。
 そうして要塞級を盾に光線級や重光線級を撃破しつつ、要撃級や戦車級を後ろにやり過ごしていると──
『──HQより207各機! 支援砲撃着弾まで30秒、警戒してください!』
 中央作戦司令室からの通信が飛び込んできた。
「20706了解。──06より00、着弾五秒前に噴射跳躍」
『──00了解』
 武とまりもはすぐさま戦域情報をスクリーンに表示させ、砲弾の射線と予想着弾地点、そしてBETAの位置を再確認する。
 狙いは……レーザー属種、重光線級に光線級。
 無論、無闇に飛び上がればレーザー照射によって簡単に撃墜されてしまうのだが……しかし、支援砲撃が着弾する瞬間だけは別だ。
 レーザー属種の撃墜優先度は、まず第一に空間飛翔体、次に性能の高いコンピュータ、そして人間の搭乗する兵器、という調査結果がある。
 しかし空間飛翔体と一口で言っても様々。空を切り裂く砲弾と跳躍する戦術機、同時に光線級の前に現れたとき、果たしてどちらの撃墜が優先されるのか。
 誰もこんな事を考えた事がなかったのか、そんなデータは存在しなかった。とにかく飛べば何でも問答無用で墜とされるのだと考えられていた。そこで武は、リスクを承知でこれを試した。
 結果は、砲弾の方が優先して撃墜されるという事実。それまでの常識から判断すれば、空間飛翔体であり、かつ高性能のコンピュータを搭載し、更に人間が搭乗している戦術機が優先的に狙われるべきであるはずである。しかし、実際に優先されたのは砲弾だった。
 武がそこから導き出したのは、空間飛翔体だから優先して狙われるのではなく、BETAは独自に脅威度のランク付けを行っていて、それに従い、結果として空間飛翔体が優先されているのだという結論だった。勿論これは推測でしかなく、何の確証もないのだが。
 だが何にせよ、戦術機と砲弾では、砲弾が優先して迎撃される。即ち砲弾が飛び交っている間は、噴射跳躍しても撃墜される危険性は少ない、という事だ。
 ただ、だからと言って安易に空中に躍り出る事は出来ない。砲弾の射線に入ろうものなら、レーザーと砲弾、両方の巻き添えを食らい、一撃でお陀仏だ。
 空中で自在に動き回るためには多段噴射跳躍や噴射跳躍のキャンセル等、高度な機体制御が出来なければ話にならず、結局、これが出来るのも世界中で武とまりもの二人きりだった。
 それはともかく。二人は戦域情報から割り出した跳躍地点に移動し、襲い来るBETAを適当にいなしながら、レーザー照射の緊急回避システムをオフにした。
『──カウントダウン着弾まで十秒、噴射跳躍五秒前……四……三……二……一……』
「──ゼロ」
 合図と共に、二機の不知火の跳躍ユニットが火を噴き、宙高く舞い上がった。
 と同時に、地上の光線級、重光線級が照準のために不知火の機影を捉え、二人の網膜に投影されたスクリーンがレーザー照射警報の不吉な赤に染まったが──その次の瞬間、更に上空から支援砲撃の砲弾が降り注ぎ始め、武とまりもの不知火に合わされた照準が外れて警報が消えた。
 再度、砲撃の射線を確認。迎撃、爆発による戦術機への影響は無し。
「──06より00、光線級頼みます、俺は重光線級を」
『──00了解』
「20706、フォックス2!」
『20700、フォックス3!』
 両腕に構えた二挺の87式突撃砲から、それぞれ120mm弾と36mm弾が射出され、支援砲撃の砲弾を狙って無防備になっていた重光線級と光線級に次々と吸い込まれていった。
 一呼吸遅れて、迎撃されなかった砲弾がBETA群の中に突き刺さり、爆発してBETAを容赦なく吹き飛ばしていく。たった二機の不知火に殺到し密集していたBETAに対し、その効果は絶大だった。
 更に武たちは、照射インターバルで完全に無防備になった光線級と重光線級に次々と追撃を加え。それから地表に降り立った。BETA群をかき回し、その動きをコントロールしながら密集隊形を作り上げていく。
 そこに支援砲撃を知らせる通信。
 武たちはタイミングを合わせて再び空中に躍り出て、レーザー属種を討つ。

 そんな事を数回繰り返し、敵の後続からレーザー属種が消えてなくなり、後は支援砲撃を受けながら時間を稼ぎ続けるだけ、という状況になった頃。
 突如、武の強化装備のスクリーンに、機体損傷を示す警告が表示された。とうとう限界が来たか──武はチッと軽く舌打ちし、機体の詳細ステータスチェックを行おうとすると……一つのステータスウィンドウが自動的に展開された。
 その右上に表示されていた識別コードは20700──自分の機体ではなく、神宮司機を示すものだった。
『────ッ!!』
 そして、ヘッドセットから聞こえてきたまりもの押し殺した悲鳴が、武の鼓膜を震わせる。
「まりもちゃん!?」
 メインカメラの映像で状況を確認する武。
 そこではまりもが噴射を巧みに使って咄嗟に機体を捻り、要撃級の前腕による攻撃を、掠らせながらも何とかいなしたところだった。
 同時に、僚機──神宮司機のステータスを示すウィンドウが、強化装備のヘッドセットから武の網膜に投影される。そこに表示されたのは両主腕制御不能の警告。カメラの映像を見る限り、外部的な損傷は見受けられないが、その両腕はだらりとぶら下がってしまっていた。常日頃から完全な機体状態で戦える事はなかったのだが、そうやって少しずつ蓄積してきたダメージが、ここに来てとうとう噴出してしまったのだ。
 これは攻撃能力を失ってしまったという事に他ならないが……それよりも、もっと深刻な問題がある。
 戦術機の姿勢制御は、何も跳躍ユニットによる噴射だけで行っているわけではない。例えば人間が躓いて転びそうになった時、腕を振り回してバランスを取ったりするが……戦術機も同様の機動制御を行っているのだ。無論、それで全てをカバー出来るわけではないのだが、限りのある推進剤を温存するために、噴射による姿勢制御は最低限に抑えられている。
 両腕の機能を失って、それが出来なくなったと言うことはつまり……機動に大きな制限が出るという事であり、そしてそれは、機動力が命の陽動において、間違いなく死活問題となる。
 一方で白銀機のステータスは、各所に馬鹿にならないほどのダメージが計上されてはいるものの、しかし戦術機を戦術機たらしめている基幹部分の機能に関しては、無傷と言っていいほどの状態だった。
 敵の攻撃を受けないという前提で見れば、駆動系にダメージを与える要因は武器を使用したときの反動で、特に長刀や短刀を振るった時の衝撃が大きい。
 武に関しては、多少なりとも冥夜に剣術を手ほどきされていた事が、刀を使うに当たって機体に跳ね返ってくるダメージを軽減する事となり、それが神宮司機との蓄積ダメージの差となって現れたのかもしれない。無論、まりももただ力任せに刀を振り回していたというわけではないが、曲がりなりにも剣術をかじった武の方が、より洗練された剣を振るっていたという事なのだろう。
 が、今はそんな分析をしている場合ではない。機動力を失った機体で陽動を続けるなど、自殺行為以外の何物でもないのだ。
「拙いな──まりもちゃん、すぐ戦域離脱を!」
『分かってる、けど──』
「けど!? まだ何か──」
『さっきの衝撃で本格的にガタが来たみたい』
「なっ!?」
 データリンクで神宮司機のステータスが転送され、表示が更新される。先程までは両主腕部分が赤くなっていただけだったのが、辛うじて全てのパーツが繋がっているものの、その全てが朱に染まっていた。
 戦うなどとんでもない。普通に動かす事すらままならないような状態だった。このままでは間違いなく、まりもをむざむざ死なせてしまう事になる。武は陽動を中断してまりもの側に駆けつけようと、機体を方向転換させる。
「くッ……俺が今そっちに──」
 が、しかし。
『駄目よ! あなたが陽動をやめれば、ここにいるBETAが一斉に基地に押し寄せてしまうわ』
 それを拒絶するまりも。
『大丈夫、片方だけだけど跳躍ユニットはまだ生きてる。何とか自力で脱出してみるから』
 そして、ほぼスクラップと化した不知火を、生き残っている機能を総動員させてギリギリのところで何とか動かし、噴射跳躍の姿勢を整える。武はそれをサポートするために、陽動を更に派手なものに切り換えた。それに応じて、BETAが武の不知火の方に集まり始める。
『でも……チャンスは一度きりになると思う。もし私が失敗したら、その時はすっぱり見捨てるのよ。いいわね?』
「…………」
 武は口篭った。頭では分かっているのだが、しかし感情が認めたがらない。千鶴の時も、冥夜の時も、似たような経験をしてきているのだが……だからと言って慣れる事などあるはずがないのだ。
『──いいわね?』
 そんな武に、まりもは先程よりも強い口調で、まるで駄々っ子を諭すかのように言った。
「………………はい」
 武は納得などいくはずもなかったが、しかし他に選択肢があるわけでもなく、渋々ながらそれを了承した。
 まりもはフットペダルをグッと踏み込む。それに呼応して、かなり反応が鈍くなっているものの、跳躍ユニットの噴射口が青白く発光し始める。
『よし……行くわよッ!』
 掛け声と共に、ペダルを一番奥まで踏み込んだ。
 跳躍ユニットの噴射口が豪炎を吐き出し、不知火が浮遊する。そして、そのまま匍匐飛行に移行しようとした時──
『────ッ!!』
 轟音と共に、強い衝撃がまりもに襲い掛かる。
 とても強化装備のフィードバックで誤魔化しきれるような衝撃ではなく、コックピットのまりもはガクガクと激しく揺さぶられた。
「まりもちゃん!!」
 絶叫する武。
 まりもの不知火は跳躍ユニットによる噴射で、宙に浮かび上がった。そこまでは良かったのだが──良く見ていなければ分からない程度に、跳躍ユニットがぶれた。最初は気のせいかとも思われたが、しかしそれは次第に大きくなり、パッと見ただけであからさまに震えが分かるようになる。そして──限界がやってきて、跳躍ユニットが神宮司機から切り離された。噴射を続けながら。
 制御を失った跳躍ユニットの炎は、漏れ出した推進剤に一気に引火し、爆発を起こした。
 フェイルセーフが作動して本体側からの推進剤供給がシャットアウトされたため、戦術機本体への誘爆は防ぐことが出来たが……果たしてそれは幸運と言えたのか。
 翼を失った神宮司機は、なす術もなく地表へと落下していく。制御を失った機体は、ほんの少しの緩衝動作を取る事も出来ず、地表に強かに叩きつけられた。そして、その衝撃で半壊した不知火に、戦車級が集り始める。
『ッ……くうッ……! ……ここまで、みたいね……』
 まりもはどこか諦めたような口調で言った。
「ちょ、なに言ってるんですか!!」
『さっきの爆発と落下の衝撃で制御システムが完全にダウンしたわ。生きてるのは、今使ってるこの回線だけ』
「じゃあ、ベイルアウトは!?」
『それもダメ。強化装備の機能は生きてるんだけどね、管制ユニット側が完全に沈黙してる』
「そんな……ッ!」
『ごめんね、白銀』
「は? な、なに謝ってるんですか……!?」
『ねえ白銀。三年前、私がここに帰ってきた時……あなた、自分がどんな顔してたか、憶えてる?』
「──えっ?」
 飛び飛びの話にまりもの意図を掴めず、怪訝そうな表情を浮かべる武。陽動を続けつつも、まりもの言葉に耳を傾ける。
『私の中じゃ、あなたって訓練兵の時の無邪気なイメージが強かったのね。もちろん悪い意味じゃなくて、それはとても大切なもので……こんな世界じゃ誰でも諦めみたいなものを持ってるんだけど、あなたは常に未来への希望を持ち続けていたんじゃないかって、そう思ってた』
「…………それは」
 それは自分が本当はこの世界の人間じゃないから──と言いかけて、やめた。今更明かしても仕方のない事だし、今は黙ってまりもの話を聞くべきだと思った。
『移民計画が動いていた時、ID書き換えの件で、直接じゃなくても何度か顔を合わせたじゃない? その時もね、少しずつ大人の顔になってきてたけど、無邪気さはちゃんと同居してたのよ。でも』
「三年前は、それがなくなってた……って事ですか」
『うん。まあ、なくなってたっていうか、色々な経験をして、表に出せなくなっちゃってたんだと思う。なんだかね、それがとても痛々しくて。本部での残務処理に半年もかけずに、御剣の訃報を聞いた時、全部投げ出してすぐにでも帰ってくるべきだった……って、すごく後悔した』
「今は……どうなんですか」
『完全に昔と同じってわけにはいかないけど。でも、白銀もちゃんと大人になって、頼りがいのある男の人になったからね。子供っぽい部分が抜けてて当たり前だし』
「そう、でしょうか」
『世界中の戦線が後退して、ハイヴも奪還されていった中で、横浜だけが未だに健在なのは、あなたの決して希望を捨てないって姿勢がもたらしたことなのよ? もっと自信を持ちなさい』
「…………」
 こんな時にそんな事を言われても──と、やるせない表情を浮かべる武。
『ほら、そんな顔しないの』
 絶望的な状況でありながら、穏やかに微笑んでみせるまりも。
 もう、どうにもならなかった。
 武が陽動を止めてまりもの救出に向かえば、彼女はこの状況から脱し、助かるだろう。
 だがしかし。陽動を止めるということは即ち、基地にBETAが押し寄せてしまうという事。そしてそれは、横浜基地の陥落を意味する。そうなれば、結果、誰一人として生き残る事は出来なくなる。武やまりもとて例外ではない。
 まりもを選んで基地を潰し、その後、自分たちもろとも全滅するか。それともまりもを見捨てて基地を救うか。武の力では両方救う事は出来ない。だとすれば答えは明白だった。
「俺がもっと、もっと……もっと強ければ、まりもちゃんは──!」
 強くなったつもりでいた──否、確かに強くなった。だが……それでもまだ全然足りなかった。武は歯噛みして、悔恨の念にまみれた声を絞り出した。
 だがしかし、まりもは。
『……いいのよ、もう。私の戦いもここで終わるんだって思ったらね。そりゃ悔しいのは悔しいけど、でも……ああ、これでやっと戦いから解放されるんだ、もう戦わなくてもいいんだ……って、ホッとする気持ちの方が大きかった』
 酷く申し訳なさそうな、多分に諦めを含んだ声で、言った。
 武には、まりもは本当は学校の先生になりたかった……と言うような話を聞いた記憶がある。
 まりもは決して戦いたくて戦っていたわけではない。そして、目的と手段が直結していない以上、その心は常に矛盾を孕んでいたのだろう。
 確かに訓練学校の教官を経験してきてはいるが、本当の夢と比べれば、代替品にすらなっていなかったのではないだろうか。
 そして、世界情勢が巻き返しを図れないほどに窮まってしまった時、教師になりたいという彼女の夢は完全に潰えた。
 他に戦う理由を見つけていたのかもしれないが……だからと言って、まりもは夢を簡単に忘れてしまえるほど軽薄な女性ではない。夢破れて、それでもなお戦い続けてきた彼女が、死に瀕した状況で死に救いを求めるような結論を出したと言うのであれば──そしてどの道、もう救いようのないこの状況では──武はそれを受け入れざるを得なかった。
『……本当にごめんなさい。人は死ななければならない時に、その時の精一杯で恥じない死に方を探すべきだ……なんてあなたに偉そうなことを言っておきながら、自分はこれだものね』
 自嘲的な笑みを浮かべるまりも。
「別にそれでもいいじゃないですか。まりもちゃんは俺の倍近い時間、ずっと戦い抜いてきたんだ。それを精一杯やってないだなんて言う不届きな奴がいたら、俺がぶちのめしてやりますよ」
『……ありがと。ね、白銀……私ね、あなたには、本当に感謝してる』
「……え?」
『あなた以外の私の教え子は、みんな逝ってしまったけれど……でも、あなたは生き続けてくれたから、私のやったことは無駄じゃなかったんだって、ちゃんと意味のあることだったんだって、そう思わせてくれたから、だから……ありがとう』
「…………」
『あなたは、私の誇りよ』
「────!」
 武がこれまで生きてきた中で、一番嬉しい言葉だった。だが……その直後、まりもと別れなければならない。それが悔しくてならない。せっかくまりもが誇りに思ってくれているのに、尊敬する師に力があると認められたのに、その力を以てしてもまりもを救う事が出来ない。
 無力感に打ちひしがれている時にそんな事を言われても、情けをかけられているようにしか思えなかった。が、しかし……武はすぐに、そんな風に考えるのをやめた。それは、まりもに対する冒涜だ。彼女が認めた自分自身を認められないというのは、それは彼女に見る目が無いのだと言っているのに等しいから。
 武の頭の中を、色々な想いがよぎっては消えていく。恐らくは、まりもも同じなのだろう。だがその時間はすぐに過ぎ去り、やがて最期の時がやってきた。
『もう時間みたい。ごめんね……先に逝く』
「──はい。さよなら、です……まりもちゃん……今まで、本当にお世話になりました──」
 最後の一瞬、ほんの少しだけ寂しそうな笑顔を見せ、まりもは回線を切断した。
 やがて、強化装備の反応も消えてなくなった。
 白銀機のメインカメラに映し出されていた神宮司機に、赤い物体が幾重にも積み重なり……そして、それが散った時には、一片も残さず跡形もなく完全に消えてなくなっていた──



[1123] Re[6]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード
Name: USO800◆b329da98
Date: 2007/02/07 12:42
 まりもの死から半年──
 世界情勢は更に困窮し、滅亡まであと一歩と言うところにまで到達していた。世界中で人が住んでいる都市は、国連本部の移転先である米国のサンフランシスコと、日本は帝都東京の二ヶ所だけ。そして、そのどちらも既に瀕死の状態だ。
 横浜基地も、最低限の戦闘と生活に関する部門以外は、全て稼動が停止している。もっとも、人を回す余裕などありはしないのだが。
 物資の補給もままならず、それどころか生産すら出来ず……備蓄してある資源を切り詰めて使いながら、滅びの時を刻一刻と待ち続けている。しかし皮肉な事に、人材の消耗の方が激しいために、物資が完全に枯渇してしまう事は無いものとの見方が強く、切り詰めなければならないわりには贅沢が出来ていたりする。
 ここに来て、移民計画にもっと力を入れておくべきだったとか、オルタネイティヴ4を打ち切るべきではなかった、などという意見が飛び交っているが、それも詮無い事だ。
 人類滅亡と言う具体的なヴィジョンが明確に捉えられるようになり、絶望に取り憑かれながら、それでも残された人類は戦い続けていた。
 巻き返しの可能性はゼロではない。とは言っても無論、自力では絶対に不可能だ。だが、BETAが突然地球から撤退したり、或いは天変地異でBETAが全滅する可能性がゼロだとは言えない。限りなくゼロに近くはあるが。
 そんな奇跡に縋るしかないような抜き差しならない状況ではあるのだが、諦めてしまえば、十澗に一つの奇跡に出会う可能性を手放してしまう事になる。だから戦い続けている。
 だがそれも、もう限界を迎えつつあった。
 ここまで戦い抜いてなお生き残っている人類は、皆が皆、例外なく紛れもないつわもたちばかりだ。しかし、その彼らをもってしても、根拠の無い希望を持ち続ける事など出来ず、既にそのほとんどが絶望に支配されてしまっている。
 それでも横浜基地の軍人たちが戦い続けるのは、常に先陣を切って戦う武の姿に不屈の闘志を見て、挫けそうな心を鼓舞されていたからだ。だが……それにも限度はある。
 そして、その武のやる気も日に日に萎え続けていた。

 どんな情勢であろうがお構いなしに時間は流れ、絶望と言う日常の中で日々は変わらずやってくる。
 前線から横浜基地に帰還して六年弱。大陸でキャンプを張っていた時は、朝の柔らかな陽射しに包まれて気分良く目覚める、などという事もあったが、兵舎が地下にある横浜基地では、いつも味気ない蛍光灯の光で目を覚ます。
 外に出るのは襲撃を迎え撃つ時だけ。後の時間はほとんどが戦術機の整備に費やされる。陽光の射し込まない地下での生活は体内時計が狂いがちだ。
 以前はそんな事が気になって、時間が取れれば出来るだけ外に出てみるような事もしていたのだが……最近はそれも億劫で、どうでもよくなった。
 そしてそれは、生活環境に限った事でもない。何に対しても興味が持てなくなってきている。
 最近では、戦闘と整備と休息、風呂にトイレに食事以外の行動は取った覚えがなかった。任務以外で誰かと話した記憶も無い。
 朝起きたらハンガーに行って自分の機体を整備、それが終われば休息。BETAが攻めてくれば迎撃……といったような日常を反復し、また新しい朝がやってきた。
 起床ラッパと共にベッドからもっさりと身を起こした武は、半目で頭をぼりぼりと掻きながら、酷く気怠げに呟いた。
「一人じゃ半年が精一杯、って事か……情けないんだかどうなんだか──」
 どうしようもなくモチベーションが低下しているのが自分でよく分かった。もう限界だ。このまま出撃すれば、ただでは済まないだろう。
 今の武にとっては戦闘も整備も休息も何もかもが、ただのルーチンワークと成り下がっていた。
 もっとも戦闘に関しては、最前線の更に前方に突出して暴れ回って、とにかく敵を引き寄せて避け続けるという事ばかりやっていたので、難度はともかく、昔から反復作業には違いなかったのだが。
 襲い掛かってくる敵を正面から受け止めるだけの戦力は、とっくの昔になくなっている。支援砲撃もままならない。誰かが派手に陽動を行って敵を分断しなければ、あっという間に戦線を抜かれてしまう。
 その囮の役割は、かつてはまりもとの二機連携で行っていたのだが……まりもを失って以来、それは武一人の役目となっていた。
 だが、背中に基地を丸ごと背負うと言うのに、気は楽なものだった。確かに陽動は作戦の肝であるのだが、結局、基地防衛は後続部隊の働きに懸かっているからだ。そして武が任務を完璧に遂行しようが、基地が墜ちてしまう可能性は決して小さくない。
 あからさまに責任感が薄くなっている武だったが、しかし、その事で誰かに口出しされるような事は無かった。
 そもそも半年前の波状攻撃による襲撃で大打撃を受けて以来、武の突出が無ければ横浜が、そして日本が確実に陥落していたのは明白だ。今もなお、曲がりなりにも日本が健在なのは、武の働き無くしてはあり得ない事だった。皆がそれを理解しているが故に、横浜基地の在日国連軍をはじめ、帝国軍や日本政府に至るまでが、運命を武と一蓮托生とする覚悟が出来上がっていた。
 もっとも、余計な重圧を与えてしまうと言う配慮から、それが武に知らされる事は無かったし、武も武で外の世界に興味を示す事がなくなっていたので、その事を知らない。
 思えば冥夜を失った時も、半年ほどで積極的に戦う事が出来なくなっていた。あの時は突然まりもが現れて、彼女の存在を支えに気持ちを維持する事が出来たのだが──もう、誰かがやって来るというような事はない。
 武と関わりの深い人たちは、もうこの世界にはいない。
 社霞は外宇宙に旅立った。
 香月夕呼は音信不通の行方不明。何年か前に会った彼女の姉によれば、『香月夕呼』なる人物は既にこの世界には存在しないだろうという話だ。もっとも、世界がこんな状態では、もはや生きてはいまい。
 207小隊の仲間──御剣冥夜、榊千鶴、彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴も、全員戦死した。
 恩師であり、本部勤務から前線に復帰してきた神宮司まりもは、三年もの間、武の相棒を務め続けたが……しかし彼女も半年前に戦死した。
 見知らぬ世界に放り出された武が、この世界で特に親しくなった八人は、みんないなくなってしまった。
 勿論、この世界で十年間生き続けてきた今では、知り合った仲間はたくさん存在している。だが、これまで会った中で、武が本当に、命を賭して、心の底から本気で守りたいと思ったのは、この八人だけ。
 霞を除いて、元の世界で親しかった人ばかりだ。しかし霞にしても、元の世界で常に武の近くにいた少女の面影が──外見ではなく、その行動に──あったから特別だった、という事は否定出来ない。
 身内と呼べる者ばかり気にしていたから、だからそれが悪い方向に働いてこのような結果を招いたのか……などと思わなくもない。傲慢な事この上ないが。
 しかし何にせよ、今の武は抜け殻同然だった。もう心が熱く震える事も無い。惰性で戦い続けているに過ぎない。それがいつまで持続するかも分からない。
 仲間を奪っていったBETAに復讐したいと言う気持ちはあるし、世界滅亡の秒読み段階に入ったこの期に及んでも、まだ諦めていないフシはあるのだが──いかんせん、気魄が足りなかった。
 そんなわけでやる気は無いのだが……しかし既に習慣になってしまっているので、何もしないと言うのは、それはそれで気持ちが悪い。
 いつも通りに起き上がって、手早く作業服を着込む。
「さて、と。とりあえずはハンガーだな……」
 部屋を出た武は、自分の機体を整備するために、ハンガーに向かって廊下を歩き始める。そしてあと少しで格納庫エリアに差し掛かろうとした時──
「…………ん」
 武は周囲の空気が冷たく張り詰めたのを肌で感じ取った。即座にスイッチが切り替わり、更衣室に走る。
 それから一拍挟んで、廊下が赤い光に包まれ、スピーカーからアナウンスが流れ始めた。
『──防衛基準態勢2発令──全戦闘部隊は30分以内に出撃態勢にて待機せよ! 繰り返す──』


 マブラヴオルタネイティヴ(偽)プレリュード  end


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