チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[1972] マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 2011年12月24日(土)

 敵対的地球外起源生命体──BETAによって地球は今にも滅びようとしていた。
 人とBETAの邂逅から四十余年。状況を打破すべく、人類はあらゆるな手段を講じてきたのだが、それも全てが徒労に終わってしまっている。
 人類全体が一丸となって事に向かっていれば、或いは何とかする事が出来たかもしれない。だがしかし、様々な思惑が交錯してお互いの足を引っ張り合い、結果、BETAの侵略をむざむざと受け入れる羽目になってしまったのだ。
 最終的にオルタネイティヴ5──外宇宙の地球型惑星に移住する、というプランが実行される事となったが、総人口十億のうち地球を脱出出来るのは多く見積もっても十数万。もっとも、脱出すると言っても、生き延びられる確証など、どこにもありはしないのだが。
 脱出計画の裏では、米軍の開発した対BETA用弾頭、通称G弾の大量運用で殲滅作戦が行われる事になっていたが……結果的に、それも最後の悪足掻きに過ぎなかった。

 外宇宙に逃れる人類を乗せた、最後の駆逐艦を打ち上げから数週間。白銀武以下207小隊も殲滅作戦に参加する事となった。
 隊から死者こそ出さなかったものの、その成果は芳しくなかった。が、これは別に207小隊が初陣だったためだとか、練度が低かったから、というわけではない。
 地球脱出計画のメンバーは、政治的判断を除外すれば基本的に優秀な人材が選ばれている。そのため、国連軍内部でも正真正銘のエリートは、それなりの数が引き抜かれて地球を脱出している。
 それ故に緒戦では各国の軍同士の横の繋がり、また各軍部の命令系統に混乱が生じた。そして、そのために全体的に戦果を上げられなかったのである。
 そんな中、初陣で全員が『死の八分』を乗り越え、一人の犠牲も出さなかった武たち207小隊は、むしろ優秀であった。
 そして207小隊は通常では考えられないほどの華々しい戦果を挙げていたのだが……いくら精鋭部隊として名を上げていたと言っても、度重なる戦闘で一人、また一人と犠牲者を出す事だけは避けられず……八年が過ぎた今では、武一人を残すのみとなってしまっていた。

「ちっ、また来やがったか」
 武はぼやく。
 オルタネイティヴ5で人類は、G弾を使った殲滅作戦を実行した。その威力から、最初は各方面でハイヴをいくつか攻略する事にも成功した。しかし、戦いが続くうちにBETAの行動パターンは次第に変化し、一度の作戦でハイヴ攻略が出来なくなっていった。
 ハイヴ攻略作戦の度にG弾を使わざるを得ず、それでも攻略出来ず……というような事を繰り返しているうちに、やがてG弾の運用が困難になっていき、ついにはG弾そのものを無力化されてしまったのである。
 それに加えて戦力、特に衛士の損耗が著しく、消耗戦を続けているうちに、結局、どの戦線も攻撃してくるBETAを迎撃するだけの、その場凌ぎの戦いしか出来なくなっていった。
 国連太平洋方面第11軍は奇跡的に極東方面の最前線を維持していたが、しかし他の戦線が破られては意味がない。
 結局、時間と共にBETAの勢力圏は際限なく広がっていき、人類は滅亡寸前まで追い込まれたのである。
「白銀武、20706不知火、出撃する」
『了解しました。白銀少佐、お気を付けて』
 オペレーターの返事を聞くと、武は気だるそうに、戦術機をハンガーから開放して単機で出撃した。
 戦術機は二機連携が基本だが、武があえて単機で出撃したのには理由がある。
 武の変態的な機体の挙動に合わせられる衛士がいないのだ。武が相手に合わせていると、相方の実力に足を引っ張られてトータルの戦闘能力が著しく低下してしまうのである。
 と言っても、元々武の、従来の操縦概念を根底から覆すような変則的な操桿に合わせられた衛士は少ない。武がこれまで組んだ中で十分に実力を発揮出来た相手は、一緒に訓練をした207小隊のメンバーと、その教導官であった神宮司まりもくらいのものだ。
 数年前、207小隊がとうとう武以外に誰もいなくなってしまった時は、それと入れ替わるように、まりもが前線に復帰して、それ以降はずっと彼女と二機連携を組んでいたのだが、しかしそのまりもも、半年前の戦闘でついに命を落としてしまった。
 そんなわけで、武はそれからはずっと一人で出撃し続けている。
 武が一人で突出し、囮となって大量のBETAを引き付け、こぼれたBETAを他の部隊が潰していく……という戦術で辛うじて戦線を維持し続けていた。支援砲撃に費やす物量も既に無く、正面きってBETAを受け止められるだけの戦力も無い今、武の陽動がなければとっくに基地は陥落していただろう。
 そんなわけで、今や横浜基地はほとんど武一人に護られていると言っても過言ではないような状況だったから、その事に関して意見出来る者など、誰もいなかった。
 ともかく、そうして今日もまた横浜基地から出撃してBETAを迎え撃つのだ。
 基地を出撃してしばらくすると、コックピット内に警報音が鳴り響いた。レーダーを確認すると、BETAのマーカーが大きな塊となって、武の機体に向かって来ている。どれほどの数がいるのかなど、想像も出来ない。
「また増えた……よな」
 前回の出撃に比べ、BETAを示す光点の塊は、ひと回りほど大きくなっていた。攻めても攻めても墜とせない横浜基地相手に、BETAも業を煮やしているのか。
「さて……と」
 兵装に87式突撃砲──36mmチェーンガンを選択し、敵の先陣、突撃級の到着を待つ。
 搭乗機は不知火だ。撃震と違って敵の攻撃に耐える事は考えられていないので、基本的に攻撃は全て回避しなければならない。もっとも、撃震とて敵の攻撃に身を晒してしまえば不知火と同じ運命を辿る事になるが。
 そんな事を考えているうちに、突撃級は武との距離をどんどん縮めてくる。
 武はタイミングを見計らって突撃級の真っ只中に飛び込んだ。超低空で突撃級の装甲殻を掠めるようにして頭を飛び越すと、それと同時に突撃級の塊が急制動を掛け、白銀機に向かって旋回しようとする……が、いかんせん定円旋回能力のあまりにも低過ぎる突撃級は、咄嗟に振り返る事が出来ない。
 そこを狙って、36mmの劣化ウラン弾を突撃級の柔らかい尻へと片っ端から見舞っていく。
「2……1……ラストッ!」
 旋回し終わったところをすぐに後ろに回りこむ事で、武は突撃級唯一の攻撃手段、衝角突撃戦術を繰り出す事を許さない。同じ場所でくるくる回り続ける突撃級を一方的に攻撃し、第二陣が到着するまでの間にどうにか殲滅を完了した。
 同時に、ピッというBETA接近を知らせる警告音がヘッドセットから鳴り響いた。
 ここからが本番だ。
 第二陣──そこには敵戦力の主力を成す要撃級と戦車級、そして何よりの脅威、光線級や重光線級といったレーザー属種が含まれてくる。
 既に支援砲撃に割く物資が枯渇しかけている現状、レーザー照射を防ぐためのAL弾は最初の一撃だけ。
『──HQより20706、支援砲撃二十秒前』
 敵の到着に合わせるように、司令部から砲撃の合図が入る。一瞬遅れて、超音速の砲弾がBETA群に向かって突き刺さろうとしたところを、レーザー種の迎撃によって撃ち落された。
 以前の、まだ砲撃を潤沢に使える頃であれば、戦術機よりも砲弾を優先して撃墜する事を楯にとり、砲撃着弾のドサクサに紛れて噴射跳躍によって宙に躍り、そこから狙撃をしていたのだが……最低限の申し訳程度にしか支援砲撃が出来ない今、砲弾の方が敵レーザー種よりも数が少なく、レーザー照射を受けてしまう事になってそれは出来ない。
 次善の策として、武は重金属雲の発生と同時に、水平噴射跳躍で敵が密集する中へと飛び出した。
 勝負は十二秒、そして三十六秒間。それぞれ光線級と重光線級の再照射までのインターバル。レーザー属種に対して一方的に攻撃出来るチャンスは今しかなく、そのため要撃級や戦車級は無視して、とにかくレーザー属種を狙う。戦域情報にフィルタを掛け、光線級と重光線級を絞り出し、集中攻撃を仕掛けていく。
 八秒──レーザー種を示す光点は、おおよそ半分ほどにまで減少。
 十二秒──光線級の再照射が開始される。が、未だインターバルの最中である重光線級の陰に隠れつつ、攻撃を続行。
 十九秒──光線級殲滅完了、重光線級残数三。
 二十八秒──
「……チッ」
 舌打ちをする武。重光線級を一体残し、120mm滑空砲弾が弾切れとなった。36mmは重光線級相手にほとんど効果がない。
 突撃砲をパイロンに戻し、代わりに長刀を抜き放った。
 と同時に、重光線級と武の不知火の間にいた要撃級や戦車級BETAが、波が引くようにスーッと動き、両者の間を阻むものが何も無くなる。
 再照射まで二秒。重光線級の瞼が開き、照射粘膜が露出。
 楯に出来る物はない。そもそも今周りにいるのは全高12mの要撃級に3mの戦車級。陰に隠れる事が出来ない。そしてこの至近距離であれば、重金属雲があろうがなかろうが、重光線級のレーザーは一撃必殺の威力を秘めている。そして躱せる場所も無い。
 しかし武は全く慌てる事なく、長刀を構えると、跳躍ユニットを出力全開にして全力噴射突撃を仕掛けた。
 そして三十六秒目。
 不知火は照射を探知し、コックピット内がレーザー照射警報に包まれる……が、照射は来ない。
 重光線級の照射粘膜には、不知火が突き出した長刀が深々と突き刺さり、行き場を失ったエネルギーが重光線級の躯をドロドロに溶かし始めていた。
 レーザー属種の殲滅を完了した武。が、その表情は不満げに歪んでいる。
「クッ……」
 レーザー照射とほぼ同じタイミングで長刀を突き刺したためにその刀身が高密度のエネルギーを受け、ボロボロに崩れ去ってしまったのだ。
 武は刀身がなくなってしまった長刀を投げ捨てた。
 残る装備は短刀が二、長刀が一、そして36mm弾が都合七千発程度。
 弾薬はそれなりにありはするがしかし、これから対峙する敵の数を考えると、全くもって足りるはずがない。そうなってくると長刀や短刀に頼らざるを得ない。長刀は特に、120mm弾を使いきってしまった今、要塞級を倒す事の出来る唯一の武器であるのだが……その貴重な武器を一振り、失ってしまったのだ。
「まあ……どうでもいいか」
 武は面倒くさげに呟いた。ここまで来れば、もうなるようにしかならないのだ。
 ここで食い止められる分は食い止める。が、それが出来ない分に関しては、数量をコントロールしつつこの場を通過させ、後方で防衛線を構築している部隊に任せるしかない。
 いくら武が自分の仕事を完璧に果たしたところで、侵攻を凌ぎきれるかどうかは分からない。
 レーザー種のいなくなった敵の第二陣、要撃級や戦車級を相手に、武は36mm弾をバラ撒いていく。
 回りはどこを見ても敵だらけ。つまり、どこに撃っても必ず命中する。そんな中で武は、乱射しているようで敵の急所を的確に打ち抜いていった。が──
「ち……もう弾切れか」
 無駄弾は全く使わずに戦ったが、あえなく弾切れになってしまう。
「……後はこいつでやるしかないか」
 武は二挺の突撃砲をパイロンに戻すと、両腕のシースから短刀を抜いた。
 敵はまだまだいくらでもいるが、武なら戦い方次第でどうにか出来なくもない。しかし、やる気がないというわけではないのだが、今の武は以前に比べて生への執着が薄かった。もっとも、これは仲間を失った衛士に多く見られた事だ。
 G弾による反攻作戦が失敗に終わった今、地上で戦っている者たちにはもう未来はないに等しい。では何のために戦うか──勿論、人類のためという大きな理由はあるが、突き詰めれば、身近にいる大切な人のために戦う者がほとんどである。
 武とてそれは例外ではない。だが、武にとってこの世界で護るべき身近な存在と言えば、207小隊の五人に社霞、香月夕呼、そして神宮司まりもだけだった。無論、横浜基地内には多くの知り合いはいるが、本気で命まで懸けて護るべき存在とまでは言えなかった。
 そして、武が護りたかった八人のうち六人は戦死、一人は消息不明、そして一人は外宇宙に向けて旅立っている。
 そのため、少しでも長く生き延びてBETAに復讐を果たしたい気持ちと、死ねば仲間のところへ行けるという気持ちがせめぎ合い、戦いに疲れて生への執着が薄くなってしまっているのだ。

 武は半ば自棄っぱちな動きで間合いを詰め、BETAに斬りかかる。
 次々と斬り捨てていくが、いくら耐久力が高いと言っても、長刀や短刀にも使用限度はある。それらも刃が零れ、或いは折れるなりで使い物にならなくなり、とうとう丸腰同然となってしまった。
「せめて短刀だけでももっとたくさん持てればなあ……」
 それなら敵の主力である要撃級と戦車級に、貴重な弾薬を費やさずに済む、というわけだ。無論、機体に負荷をかけない操縦を前提としての話だが、それはここまで戦い抜いてきた武にとって、全く問題は無い。
 そして短刀ならコンパクトなために、たくさん携行出来ない事もないように思っているのだが……しかし今それを言ったところで、無い物ねだりでしかなかった。
 驚異的な機動で攻撃を躱し続けてはいるものの、武からは一切手が出せない状況になり、完全に包囲されてしまう。
「一点突破で武器補充、奇跡の逆転勝利……てのはどう考えてもありえないよなあ、やっぱ」
 溜息をつき、苦笑する武。
 武がここを離れるという事は、この場での陽動がなくなるという事であり、つまりここにいるBETAが一斉に基地に押し寄せてしまうという事だ。そうなった場合、とてもではないが残された戦力でこの侵攻を押し留める事など出来ようはずもない。
「ま、ギリギリまで粘ってみるかな」
 まるで他人事のように呟くと、武は標的を決め、残されたボロボロの短刀で斬りかかっていった。一瞬のうちに数体のBETAが血祭りに上げられる。しかし多勢に無勢、まるでそびえ立つクソが圧し掛かかってくるかの如きBETAの津波を全て躱す事などさすがに出来ず、やがて少しずつ攻撃を受け始め、とうとう戦車級に取り付かれてしまう。
 ばりばりと装甲を毟られる音と共にコックピット内は耳障りな警告音で包まれ、ディスプレイに表示されている機体損傷率は、加速度的に上昇していく。
「ここらへんが潮時かな……」
 武は覚悟を決める。が、せめてあと一矢、報いてやろうとも思った。
 コックピットがこじ開けられたら、一太刀あびせてやろう──
 座席脇に常に置いていた日本刀──戦友であった御剣冥夜から託された皆琉神威──を手に取る。刀身を抜き放ち、正眼に構えた。
 やがて装甲が引き剥がされ、外の景色とともにBETAの姿が肉眼で確認出来るようになると、武は装甲を齧っている戦車級に向かって斬りかかっていった──



[1972] Re:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/04 12:42
 2001年10月22日(月)

「…………ここは……俺の部屋か?」
 目を覚まして周りを見渡すと、武は元の世界の自分の部屋にいた。
「……俺はBETAに喰われたはずじゃ」
 最期の記憶だけがはっきりしない。赤い物体に圧し掛かられたような気はするが、夢のようにも感じる。
 身体を確認してみたが、それらしい傷も見当たらない。ここに運ばれて誰かに手当てされた、というわけでもなさそうだ。
「夢、か……?」
 それにしては記憶が鮮明すぎる。
 ついさっき死んだばかりだと言う記憶があるのに──否、むしろそのせいか──頭の中は妙に澄み、心は凪の水面のように落ち着き払っていた。
 武は覚えている出来事を、一つ一つゆっくりと思い出しながら確認していく。
 あの世界に純夏は見当たらなかった。いたのは冥夜、委員長、彩峰、たま、美琴。そしてまりもちゃんに夕呼先生。月詠さんに3バカ、霞、京塚のおばちゃんに──
 と、そこまで考えて、拭いようの無い違和感に気が付いた。もしあれが夢であるならば、美琴はともかくとしても、元々知らなかったはずの霞や京塚曹長の存在は有り得ない。想像の産物というには、あまりに存在がはっきりしすぎていた。
「とにかく、まずは現状を把握しないとな」
 ベッドから降りると、カーテンを開け、窓から外の様子を眺めた。
 純夏の部屋があるはずのそこには何もなく、その向こう側には瓦礫が積みあがっている。
「最初の世界に戻ってきたって訳じゃないのか……」
 ほんの少しの落胆と共に、武は軽く溜息を吐いた。だが何にせよ、現状は現状として受け入れなくてはならない。外の様子も確認するために、武は着替えて外に出た。
 そこにあったのは一面の廃墟。だが、武はその風景に見覚えがあった。始めてこの世界に武が来たときと全く同じ状況だ。純夏の家は破壊され下半身を失った戦術機……撃震の残骸に押し潰されている。
「やっぱりな……」
 確証など勿論ありはしないのだが──武は時間を遡ってしまったのだと考えていた。非現実的ではあるが、それを言うなら武がこの世界にいる事自体が非現実的なわけだし、今更何が起こってもおかしくはない。
 根拠はなかったが、しかしその感覚は、武に十年前のあの日に戻ってきたのだという確信を与えていた。それを証明しろと言われても、武にはどうしようもないが、夕呼ならきっと怪しげな理論で証明してしまうに違いない。

 いつまでもここに留まっていても仕方がない。本当にあの運命の日に舞い戻ってきたのかどうかは、誰かに会って確認しなければ分からない。あの日……つまり2001年の10月22日に戻ってきたのだと仮定して、この近辺で人がいる場所となると──横浜基地以外に存在しない。
 武は街の様子を確認がてら、そこへ向かう事にした。
 まず街に出た武は、憶えている限り前と同じルートを歩いてみた。ざっと見たところ、瞳に映し出される光景は、記憶にあるものと寸分の狂いもないように思える。
 とりあえず、初めてこの世界に来たときと同じ時間に戻ってきたものとして、今後の身の振り方を考える事にした。
 このまま前と同じ行動をとれば、恐らくまた同じ結末が待っている事は想像に難くないが、それだけは絶対に御免被りたい。漫画やゲームじゃあるまいし……などと思いもするが、時間を遡ったのであれば、あの最低で最悪な未来を避ける事だって不可能ではないはずである。あんな思いをするのはもうたくさんだった。
 だからと言って、まるっきり違う行動をとるのも、それはそれで問題があった。今の武の強みと言えば、避けるべき未来を少なくとも一つは知っている事だ。しかし、完全に違う行動をとれば、その記憶を生かす事が出来なくなる。
 それならば──ある程度は前と同じ行動をとりながら、要所要所で行動を変えていけばいい、という結論に至った。行動を大幅に変えることについての影響は、その都度考えればいい。もっとも、ちょっとやそっとの事では何も変わらないような気がしないでもない。
 正解の無い問いの答えとして、前と同じ行動を取るか、それとも大胆な行動に出るかは、その時その時の直感に頼るしか無いだろう。
 今更、街の様子など確認するまでもなかったが、一応、前と同じルートを歩いて基地に向かう事にした。その時間を利用して考えをまとめておけば、無駄な時間を過ごす事はない。

 まずはこの世界。
 完全に廃墟と化した街の様子を見る限り、BETAの侵攻を受けている事は間違いない。だとすると武が成すべき事は、BETAの殲滅、人類の勝利──それはオルタネイティヴ4の完遂──つまり夕呼の手助けだ。無論、同時に大切な人たちを護り生かす事が、最優先課題になる。
 今の武にとって十年前、つまり今年のクリスマス。オルタネイティヴ4が何の成果も残せずに、計画はオルタネイティヴ5に移行した。だが反攻作戦は失敗したのだから、オルタネイティヴ4が頓挫した時点で同じ未来を辿ってしまう目算は高い。それを回避するためには、嫌われてしまおうが何だろうが、とにかく夕呼には何としてでも結果を出してもらわなければならない。
 あの日、彼女は150億個の半導体を手のひらサイズに出来なかったと言っていた。そして、あと一歩だったとも。
 その辺りの事は詳しく調べてみなければ──もっとも、夕呼が相手ではそんな機密を調べられるかどうかすら怪しいのだが──とにかく、彼女の言葉が正しければ、150億個の半導体を手のひらサイズにすればオルタネイティヴ4は次の段階に進む事が出来、同時にオルタネイティヴ5への移行も防ぐ事が出来る。
 次に、自分自身──
 武がこの十年の間に経験した訓練や実戦の記憶は間違いなく残っている。そして肉体は鍛え上げられたまま。つまり意識だけでなく、身体も時間を遡ってしまったという事になる。
 もっとも、鏡に自分の顔を映してみた時は非常に驚いたものだった。そこに映し出されたのは、戦いに疲れて拭いきれない絶望を刻み込まれた、見慣れた青年の顔ではなく、十年前の、まだ少年の面影を色濃く残した顔であった。鍛え上げた肉体はそのまま、しかし年齢だけ若返っているというのはいかにも不自然だが、そもそも時間を遡ったりしている時点で、何が起きてもおかしくはないだろう──そう自分を無理矢理納得させた。
 だが何にせよ、肉体と精神がそのまま、つまり能力がそのままであるのは、今後、何をするにしても極めて有利に働いてくる事は間違いない。微妙な違和感はあるが、すぐに馴染んでしまうだろう。
 そしてもう一つ……武と言えば、元々この世界にいたはずの白銀武の事だ。十年前、確かにその事で月詠たちに絡まれた記憶があるのだ。死人が何故ここにいるだとか、国連軍のデータベースを改竄しただとか、政府のデータには手が回らなかったのか、とか。もう一度死んでみるかなどと、物騒な事を言われた憶えもある。
 データの改竄云々は、恐らく夕呼の仕業で間違いない。それなりの地位と能力があれば、その程度の事は至極簡単に出来てしまう。夕呼なら本当に片手間でやってしまうだろう。問題はそこではなく、改竄元のデータがあったという事だ。月詠の話が正しければ、この世界にも白銀武は存在していたが、しかし既に死亡しているという事になる。
 死因や、武が危険視された理由等は一切不明。しかし、ただ死人の名を使っていて身元が不明というだけで、ああまで過敏に反応するものだろうか、とも思う。今思い返してみれば、ただそれだけではないように感じる。あのときの視線には明らかに殺意が込められていたのだ。
 そして最後、鑑純夏──
 前の世界でずっと気に掛かってはいたものの、答えを探す事すら出来なかった問題。
 夕呼は鑑純夏なる人物はこの世界に存在しないと言った。武はこの世界で純夏を見つけられなかった。しかしだからといって、夕呼の言葉が真実とは限らず、そして腑に落ちない点も多い。そもそも純夏のいない世界で十年もの時間を過ごしてきたのに、彼女の事がこうも気に掛かっているのは何故か。それは純夏の面影を感じさせた、社霞という少女の存在があったからだ。
 振り返ってみれば、不自然な点が多い事は否めない。武が冥夜たちに純夏の事を聞いて回った時、夕呼は咎めるようにそれを止めさせた。女々しいだとかどうとか言われて挑発された覚えがあるが、幼馴染の安否を気遣う事のどこが悪いのだろうか。それにあの時はまだこの世界に馴染んでいなかったために気が付かなかったが、ここでは身近な人の安否を気遣わない方がむしろ異端なのだ。
 そうやって隠し誤魔化したという事は、つまりそれを知られる事が夕呼にとって何らかの不都合をもたらす事であるのだと思われる。怪しい。
 そして霞。毎朝起こしに来たり、戦術機の訓練はゲームより楽しいかなどと聞いてきたり。教えてもいない武の誕生日を知っていて、わざわざ営倉までプレゼントと言ってゲームガイの絵を持ってきたり。武の事をタケルちゃんと呼んだ事もある。
 これは、武の知っている純夏の行動と重なる。今の武が知っている──つまり、武が元いた世界の純夏。全くの無関係だとも思えない。
 もし霞と純夏に何らかの繋がりがあるのだとすれば……霞があれだけ執着していた脳──横浜基地B19フロアで、シリンダーに納められぷかぷかと浮いていた──あれとて全くの無関係というわけではないと、今更ながらそう思う。あそこから離れたらダメだとか、自分が分からなくなる、などと言って縋り付いていた程だ。
 そして、純夏を感じさせる霞がオルタネイティヴ4の研究材料であるなら、夕呼が純夏の事を知らないなどという事は絶対に有り得ない。
 あくまで武の勝手な憶測でしかないのだが──半導体150億個の並列処理回路。元の世界で夕呼が授業の時に言っていた、現実的ではないが、そこまで半導体を集積すれば人間の脳を再現する事も不可能ではないという。つまり、この世界の夕呼は、オルタネイティヴ4であの脳を再現しようとしていたのではないだろうか。
 武の脳裏に最悪の展開がよぎる。まさか……とは思うが、覚悟を決めておく必要がある。
 夕呼の事だ、全て世界を救うために必要だからやっているのだろうが──しかしその真意が明かされるまでは、この件に関しては、敵ではないにしろ、少なくとも味方でもないと考えておいた方がいいのかもしれない。もっとも、あの十重二十重に策を巡らせて蜘蛛の如く獲物を糸で絡め取ってしまうような夕呼の手練手管にどこまで抵抗出来るのか、分かったものではないのだが……。

 とりとめもない事を考えながら歩いているうちに、桜並木の坂道を上りきり、武の目の前に見慣れた横浜基地が現れた。
 建物の上にはくるくる回っているアンテナ、ゲートの前には見覚えのある二人の衛兵。十年の内の大半を過ごしてすっかりお馴染みとなった、記憶通りの風景がそこにはあった。回るアンテナを見て大笑いしたのも、今では懐かしい思い出だ。そして武が突っ立っていると衛兵が近づいてきて、フレンドリーに話しかけてくる。これも記憶通りだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
「外出していたのか? 物好きな奴だな。どこまで行っても廃墟だけだろうに」
「隊に戻るんだろう? 許可証と認識票を提示してくれ」
 衛兵は自らの職務に忠実に、身分の照会を求めてくる。が、もちろん武は許可証なんて持っていないし、それどころか認識票も認識番号もなく、身分を証明するものは何も無い。だがしかし、ここでトラブルを起こすのは考え物だ。適当に誤魔化すしかない。
「ああ、いや、許可証はないんだ。って言うか俺、まだこの基地の人間じゃないし」
 武が軽い調子でそう言うと、衛兵たちは一瞬呆気に取られた後に厳しい顔つきになり、一歩退がって銃を構える。
「まあ落ち着けって伍長。そして人の話は最後まで聞いてくれ」
 両手を上げて降参のポーズをとる武。銃を突きつけられながら全く動揺する事なく暢気に対応しているその姿に毒気を抜かれたのか。衛兵たちは一旦銃を降ろした。
「それで、お前は一体何者だ……?」
「名前は白銀武。夕呼先せ──っと、香月博士に会いに来たんだ。悪いけど、これ以上は機密だから話せない。そういうわけだから、博士に取り次ぎを頼みたい」
 衛兵たちは再び銃を構える。
「いきなりそんな与太話を信用しろとでも言うのか? 貴様、目的は何だ」
「だから極秘なんだって。どうしても聞きたいって言うなら話してもいいけど、そうしたら多分、二人ともクビ飛んじゃうぞ?」
 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、武は手刀にした右手を首筋にスッと滑らせた。
「……」
「で、では何故、徒歩でここに現れた? 何かの重要任務でここに来たというのなら、護衛も付けず、単独でやってくる事は無いだろう?」
 別の男が質問してくる。
「本当は機密なんだけど……まあ、これくらいなら大丈夫かな。俺が夕呼先せ……じゃない、香月博士に接触するのを嫌う連中がいてさ。だから、あんまり表立って行動出来ないんだよ」
 武はやれやれと言った風に、苦笑しながら仕方なさそうに言った。
 全くの出鱈目というわけでもない。未来を知る武の存在がオルタネイティヴ4の成功の鍵になれるとすると、反オルタネイティヴ勢力やオルタネイティヴ5推進派にとっては、夕呼に一番接触して欲しくない存在である事には違いない。
 もっとも、今の時点で対抗勢力が武の存在を知っているなどという事は絶対に有り得ない訳だが。
「……だ、だからと言って、歩いてくる事はないだろう」
「ちょっと懐かしくってさ。俺、一応この街の生まれだから……里帰りってヤツになるのかな、だから街の様子を見て回ってたんだ。どこもかしこもボロボロになっちまってたけど」
「……」
「何も今すぐ先生をここに連れて来いって言ってるわけじゃないよ。でも、あんたたちには俺をどうこうする権限はないだろ? いや、あんたたちだけじゃなくて香月博士以外の誰にもないな。でもって、先生絡みの事はどんな小さな事でも報告しろなんて言われてると思うけど。どうしても信用出来ないってなら、トリガーを引いて貰っても構わないけど、その後に比喩じゃなく文字通り首を切られても、さすがにそこまでは責任持てん。その前に香月博士に連絡するくらいしてみてもいいんじゃないかな?」
 その脅しだか忠告だか良く分からないような武の言葉に、衛兵たちは顔を見合わせて少しの間考えていたが、やがて頷きあうと、一人が詰所に向かった。そしてしばらくすると、連絡を終えて戻ってくる。
「そんじゃま、夕呼先生と話をさせてもら──」
「動くな! 香月博士は貴様の事など知らんと言っている!」
「だから話して説明するんだ。さっきも言ったけど俺が有害か無害か、有益か無益かを判断するのは香月博士だからな。でもまあ心配しなくていい、俺は先生の味方だし、多分それ以上にあんたたちの味方だよ」
 それだけ言うと、武は詰所の方に向かって歩き始めた。もちろん背後には注意を払っている。妙な気配を感じた時はすぐさま無力化する準備をしていた。だが脅しが効いているのか、衛兵たちに発砲する気配はない。武はそのまま詰所に入ると、内線で夕呼の執務室を呼び出した。

『──もしもし?』
 武の耳に、隠しきれない程の知性をにじませた、酷く懐かしい声が聞こえてくる。あの時のクリスマス以来……実に十年ぶりだ。が、感傷に浸っている暇など一秒たりともない。
「白銀武です。一応は初めまして……です、香月博士」
『……あたしに何の用かしら?』
「用というか……先生の手助けをしたいと思いまして」
『……先生? あたし、教え子を持った憶えはないわよ?』
「それは後で説明します。今は俺の話を聞いて下さい」
『──あなた、何者?』
「白銀武、先生の味方です」
『……いきなりそんな事を言って、それをあたしに信じろ、と?』
「はい」
『…………』
 武の意図を量りかねているのか、沈黙する夕呼。しかしここで沈黙すると言う事は、興味を引いて交渉に乗せたと言う事でもある。今、彼女の脳は、いかに有利に交渉を進めるかを考え、フル回転しているに違いない。
 が、当然と言えば当然の反応だ。武は少し揺さぶりをかけてみる事にした。
「ときに……計画は順調ですか?」
『……何の事かしら』
「あまりのんびりしていると手遅れになりますよ」
『…………』
「お空の上じゃあ、今頃必死こいて作ってんでしょうねえ」
『──!!』
 僅かに息を呑む声が聞こえてくる。更に追撃を掛けていく武。
「霞は元気にしてますか?」
『……』
「いくら時間が無いからって、無理させちゃ駄目ですよ? まだほんの子供なんだし、たまには外に出して遊ばせてやんないと」
『……もういい。分かったわ、少し待ちなさい』
「はい」
 まずは第一関門クリアというところだった。恐らく今頃は、データベースを漁って武の事を調べているのではないだろうか。

 やがて衛兵の一人がやってきて武に付いて来るように言い、一緒に基地内部に入った。それから厳重な身体検査を受け、とりあえず安全な事が証明されると、夕呼の秘書官の案内を受けて彼女の後ろを付いて歩く。勝手知ったる基地の中、今更案内される必要など皆無なのだが、ここに初めて来た事になっている以上、断るわけにもいかない。一歩踏み出すたびにさらさらと揺れる秘書官のショートカットのブロンドを眺めながら、武は機密エリア直通エレベーター前に到着した。
「このエレベーターを降りたら、左にまっすぐ進んでください。突き当たりにある左側の扉が香月博士の執務室です」
「……案内、ありがとう」
 武は秘書官と別れ、エレベーターに乗り込んだ。
 B19フロアでエレベーターを降り、慣れ親しんだ廊下を進んで夕呼の執務室の前に辿り着く。自動扉を潜り抜け、武は夕呼の部屋に入った。

「……あなたが、シロガネタケル?」
 部屋に入るなり、夕呼は不審な目を武に向けて言った。
 ここからが正念場である。武は夕呼を信用していないわけではないが、不審な点がいくつもある以上、無条件に全てを鵜呑みにするわけにもいかないのだ。気を抜けばあっという間に呑み込まれてしまうだろう。夕呼の足を引っ張るつもりはさらさら無いが、しかし相手を信用させつつ、情報を引き出していかなければならない。
「はい、白銀武です」
「あなた……何者?」
「白銀武。それ以上でもそれ以下でもありません。ま、そんな事はどうでもいいんですけど」
「……あなたの目的は?」
「BETAの殲滅、人類の勝利……ってのは、厳密に言えば手段になるのかなあ。まあ、当面はオルタネイティヴ5の阻止と、それにオルタネイティヴ4の遂行ってとこです。先生と同じでしょ?」
「……」
「時間はもうあまり残されてません。あと二ヶ月。クリスマスまでに何らかの成果を出せなければ、残念ながらオルタネイティヴ4はそこで打ち切り終了です」
「…………」
「半導体150億個の並列処理回路。難航してるんですよね?」
「──!?」
 武を探るように窺っていた夕呼の顔色が変わった。いくらなんでもこれは効いたらしい。しかしさすがは夕呼。うろたえた表情をあっという間に取り繕って厳しい表情を作り出す。
 そして、白衣の中から銃を取り出し、右手に持って武に向けて構えた。
「……何が目的なの?」
「BETAの殲滅と人類の勝利、オルタネイティヴ5の阻止とオルタネイティヴ4の遂行。……他に何かあるとでも?」
「……あなたが反オルタネイティヴ派の工作員である──って話の方に、より信憑性を感じるんだけど」
「ふふっ、あっはははっ」
 武は笑った。
 こんな馬鹿げた事をする工作員がどこにいるものか──と思う。勿論、夕呼が本気で言っていない事は分かっている。揺さぶりを掛けて来ているのだ。だが、笑わずにはいられない。あの夕呼がこんな事を言うなんて……と。正面ゲートで衛兵相手にどこまでも能天気な対応をしていた事で、この手のハッタリが有効であると勘違いさせてしまったのだろうか。
 と同時に嬉しかった。そんな事が言えてしまうという事は、この世界はまだ窮まった状況は迎えておらず、まだまだ余裕はあるのだと。
 本当に時間を遡ったんだな、と実感した。多分この世界で一番危機感を持っているはずの夕呼がこんなだったから。
 だから笑った。嬉しくて。でも先生がそれを言っちゃ拙いよな──などと思いつつ。
「何が可笑しいの?」
「ああ、すみません。でも可笑しいですって。いや、先生も結構平和ボケしてたんですね」
「──何ですって」
「だってそうじゃないですか。先生は俺の事、工作員かもしれないなんて言うくせに、わざわざこの部屋に招き入れてるんです。護衛も監視も付けずに、たった一人で、ね」
「…………」
「俺がその気なら先生、もうとっくにあの世に行ってますよ。計画を潰すんだったらそれで十分でしょ? 俺がこの部屋に入った時点で勝負は決まってます。もしそうならわざわざ話し合う理由なんてどこにも無いですから」
「……銃を突きつけられているって言うのに、随分と余裕なのね?」
「まあ、当たんなきゃどうって事ありませんし」
 肩をすくめて見せる武。
「そう。なら、試してみましょうか……?」
 そして夕呼はトリガーに指を掛けようと、人差し指を動かしていったのだが──
「ああ、ダメダメ、ダメですよ、そんな構え方じゃ絶対に当たんないです。先生、力ないんだから」
 そんな事を言いながら武は銃口を突きつけられたまま夕呼の下へ、どこまでも無防備に、しかしその実、全く隙を見せずに歩いて間合いを詰めた。呆気に取られている内に夕呼は武に懐を取られ、グリップを握る手を掴まれてしまう。
「……えっ!?」
 思いも寄らぬ武の行動に面食らい、なすがままになってしまう夕呼。
「まだトリガーに指を掛けちゃダメです。こうやって……」
 武は、力仕事などまるでした事の無いような、スッと伸びた白魚のような夕呼の綺麗で柔らかな指を、訓練で荒れに荒れた無骨で節くれだった指で包み込み、一本ずつしっかりとグリップの上に巻きつけていく。
「ほら、左手も使ってちゃんと両手で持つ、こうグリップをしっかり握りこんで……」
 今度は彼女の後ろに回り込んで左手を取ると、その指をグリップを握り込んだ右手の上に巻き付けていった。それが終わると、今度は夕呼の細く華奢な肩の上にポンと手を置く。
「足は肩幅、右足を少し下げて。肩の力は抜いて、指に力を込めて……そうです。そうしたら今度は、肩の力は抜いたまま、右手はグッと前に突っ張って、左手をギュッと手前に引っ張るようにして──」
 夕呼は武に後ろから抱き包まれるような格好で右手に右手を、左手に左手を添えられたまま、唖然とした、そして憮然とした表情で、しかし訓練をしていないから片手どころか両手で構えても当てられないのは自分自身が一番良く分かっているのだろう、武のレクチャーに従って銃を構えた。
「いいですよ……そうしたら、照門の谷間から照星を覗き込んで……」
 武は包み込むようにしていた夕呼の身体から離れて、最初に立っていた位置まで戻り──
「はい、狙うのはここ。胴体の真ん中」
 右手の親指で、自分の胸を指差した。
「…………」
 しかし、夕呼はどこか呆然とした顔のまま、動こうとはしない。
「どうかしましたか?」
「あ……あなた……バカ?」
 そう言った夕呼の目は本気だった。
「なんでです?」
「自分に銃を向けた相手に、正しい銃の構え方を教えたりして……正気?」
「知っといた方が何かの役に立つかもしれませんからね。まあ、それでも命中率は一割もあれば上出来ですよ。先生、基礎訓練とか全然やってないんだし」
「……試してみる……?」
 馬鹿にされた──とでも思ったか。それを機に夕呼は先程までの剣呑なやり取りを思い出したのか、どこか呆けていた表情を引き締め、銃口を武に向けた。
 しかし武はそれに一つも慌てる事も無く。
「別に構いませんけど……でもそれ、セーフティかかったままですよ?」
「えっ……!?」
 夕呼の意識が、一瞬、銃の方に向いた。
「嘘です。でも俺がその気なら、先生、今のでまた死んでましたね。……それ以前に、さっきのレクチャーの時に十回は死んでますけど」
「…………」
 今更ながらその事実に気が付いて、ばつの悪そうな顔をする夕呼。
「ま、くだらない駆け引きはやめましょう。今はそんな事をしている場合じゃないです」
「……そうね」
 夕呼は溜息を吐きながら銃を下ろし、セレクターをセーフティに入れて白衣の中へとしまいこんだ。
「質問させて貰ってもいいかしら?」
「どうぞ」
「じゃ、まず……オルタネイティヴ計画の事、一体どこで知ったの?」
「一番最初に聞いたのは……12月24日です。基地司令から」
「12月24日? 一体いつの12月?」
「今年です」
「……はぁ?」
「実は俺、未来から来たんですよね」
「…………」
 武の突飛な発言に、思わず黙り込んでしまう夕呼。
「質問は終わりですか?」
「……いえ、続けましょう。基地司令は何て言ったの?」
「たいした事は聞いてません。この横浜基地がオルタネイティヴ4のために建設された事、それにプロジェクトリーダーが夕呼先生だった事くらいです」
「……」
「で、その日にオルタネイティヴ4は接収されて、オルタネイティヴ5に移行するんです。理由は至極簡単、オルタネイティヴ4は何の成果も上げられなかったから」
「……それで、あと二ヶ月……?」
「そういう事です。多少は余裕、見といたほうがいいと思いますけど。……他には?」
「あなた、さっきからあたしの事を先生って呼んでるけど、それは?」
「実は俺、この世界の人間じゃないんですよ。俺が元いた世界だと、香月夕呼は俺の通ってた学校の先生だったんです」
「……はぁ?」
「ま、そう言うわけで。先生なんですよ」
「未来から来ただの、他の世界から来ただの……あたしにそれを信じろって言うの?」
「俺にはよく分かりませんけど……でも、因果律量子論で説明つけられるんじゃないですか?」
「…………!」
 因果律量子論、という言葉に反応して、夕呼の表情がほんの僅かだけだが強張る。
「他に質問は」
「…………」
 思わぬ単語が飛び出してきて、これは迂闊な事を言えないと判断したのか。夕呼は口をつぐんでいた。
「ま、いくら俺の事を調べたところで何も出てきませんよ。元々こっちの人間じゃないですからね。俺としては無条件に信用して貰えれば有難いんですけど……それも無理な話ではありますから。話半分に聞いといて役に立ったらラッキー、くらいに考えといて貰えれば」
「……あなたが秘密を暴露しないという保証は……あるのかしら?」
「それは大丈夫です。こんな機密事項、外でぺらぺらと喋ってたら、それこそ消されかねません。さすがにそうはなりたくないですからね。それに──いくら何かを知っていたところで、この世界に何のコネもない以上、俺一人じゃ動きようがない。先生の協力は絶対に必要なんです。だから先生に不利になるような事は出来ない」
「あたし達は……ある種の利害が一致している……そういう事かしら?」
「はい、そういう事です」
「……そう。分かったわ」
 夕呼は深い溜息を吐くと、改めて武に向き直った。
 それから武は質問攻めにあった。並列処理装置の事、霞の事。元の世界に前の世界、そこでの人間関係。
 武の方も交渉材料を一気にぶち撒けるわけにはいかないので、適当に誤魔化した部分もあるが、それに関してはお互い様だった。

 一通りの質疑応答が終わり、話は武の今後の身の振り方に移っていた。前のように訓練兵から始めるのが手堅いのだろうが、散々実戦の中に身を置いてきた武にしてみれば、今更それも面倒な話だった。それに何より、そんな悠長な事をやっていては時間切れになる可能性がある。それは選ぶべきではないと、そう判断した。一分一秒でも早く権力を手にしたい。する必要がある。そのためには……否定出来ないほどの力を誇示してやればいい。
「それじゃ、あなたの処遇だけど、前の時みたいに訓練兵として──」
「ちょっと待ってください」
 武は夕呼の言葉を遮った。
「なに?」
「訓練兵なんてかったるくてやってられません。てなわけで衛士に配属して下さい」
「あのね……そりゃ、能力的には問題ないんでしょうけど……こっちにも事情があるのよ」
「それって、元々この世界にいたはずの白銀武が死んでるって話ですか?」
「……そうよ」
 夕呼は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。これは、この世界に元々いた武の死因を知っている……のだろうか。しかし表情からは判断が付かない。
 恐らく、夕呼にとって武の存在は有用だが、同一人物でないにしてもこの世界に白銀武が生きている事が知れると拙い、という事なのだろう。手続きの関係で、正規兵に配属すればすぐさま身元を明かさねばならないからか。それともこの世界の武が問題児だったからなのか。それをネタに探られたくない腹を探られる可能性があるということか。
 しかし、ここは武も退くわけにはいかない。
「どのみち、この基地に駐屯してる帝国斯衛軍にはバレちゃいます。でも気にする事はないと思います。どこを探したって俺がこの世界の白銀武である証拠なんて無いんだし、疑いの目を向けられたところで、それ以上の追求は不可能なんですから。あとはまあ……俺の方で何とか適当に誤魔化してみます」
「……」
「とりあえず、衛士として使えるかどうかをテストしてみてください。先生がそれを見た上で使い物にならないって言うなら、その時は歩兵でも訓練兵でも掃除係でも何でもやりますよ」

 というわけで武は、テストとしてヴォールク・データ──ハイヴ攻略シミュレーションを実行した。
 単機だったので連携は一切考えず、ただ敵の攻撃を避けて奥に進むだけで良い。当然ながら命の危険はないし、そして何より誰も護らなくていい。シミュレーターなので危険ゼロ、故に緊張感もゼロ。実にお気楽なテストで、今の武にとってはまさにゲームだった。
 仮想ハイヴ内戦闘と言う事で、空間の使い方に制限はあるのだが……しかし地下茎構造は広大で、制限と言っても大した事はなく、しかもハイヴ内ではレーザー属種はレーザー照射してこないので、やりたい放題だった。
 気を抜いてお遊び感覚でやったのが功を奏したのか。単機でありながら、精鋭揃いの中隊ですら突破が困難な中階層を、育て上げた強化装備のフィードバックデータもなしに、あっさりと越えてしまった。
「あ……あなた……本当に人間?」
 真面目にやればもうちょっとは進めたかな──などと信じがたいことを呟きながら飄々とシミュレーターから降りてきた武を、畏怖と恐怖と呆気の入り混じった表情の夕呼が出迎えた。武はこんな顔の夕呼を見るのは初めてで、それが新鮮ではある。
 もっとも、夕呼を驚かせたからと言って、いい気になる事など出来ない。武が前にいた世界では、過酷な戦いの中、武以上に戦える衛士の噂を耳にする事も無いわけではなかった。それにこの世界で武一人の能力だけが突出していたところで、圧倒的物量を誇るBETAには絶対に勝てない。絶対にだ。一人だけ飛び抜けて強くても、あまり意味はない。
 とにかく、役に立つ立たないは別としても、フィードバックデータが無く、機動に相当の制限を受けている状態でこれだけの事をやってみせた武を、もはや訓練兵として扱う事など出来やしなかった。
 そして思惑通り、武は訓練兵をすっ飛ばして衛士になった。
 階級は少佐。
 勿論、いきなりそんな階級が与えられたのにはわけがある。余程の事がない限り、今の武は戦場に出る事がない。夕呼にとってはそれ以外の使い道の方が多いからだ。そして夕呼の直下で働くと言う事は、それに応じた様々な特権が与えられるという事でもある。
 なのに階級が低いと、色々なやっかみが出てくる事は想像に難くない。それでいざと言う時に動きが制限されてしまうのは、夕呼にとっても望むところではない。
 実力の一つでも見せ付けてやれば間違いなく黙らせる事は出来るが、あれだけの腕があればどこに引っ張られてもおかしくは無く、それで武を手元から失ってしまったのでは本末転倒だ。
 今はまだ、出てくるであろう悪意は階級で押さえつけるしかない。だから夕呼の手持ちの枠から少佐という階級が与えられた、というわけである。

 シミュレータールームを出た武たちは、夕呼の執務室に戻って、今後の色々な調整を行った。
「それじゃ、IDとパス、制服やその他諸々は後でまりもにでも届けさせるわ。あなたはあたし直属の特務兵、任務は有事の際のあたしの護衛と基地の防衛。それでいいわね?」
「……あと、出来れば207B分隊を俺に預けて欲しいんですけど」
「どうして?」
「あいつらを死なせたくないんで。出来る限り強くなっといて欲しいんです。まあ、先生にとっても使える駒が増えるんだから、その方がいいでしょ?」
「……そうね。でも、だったらまりもは用なし?」
「まさか。まりもちゃんは現役に復帰して貰おうと思ってます。俺の二機連携の相方が務まる可能性があるの、今のところまりもちゃんだけなんですよね。207B分隊が卒業するまでは、教官を続けてもらいますけど」
「そう。……ま、その辺はあなたの好きにしていいわ」
「ありがとうございます」

「じゃあ俺はこれで。何かあったら遠慮なく呼んで下さい」
「そうさせてもらうわ」
 夕呼は、さっさと出て行ってくれとでも言いたそうな、少し疲れた表情で返事をした。
 あの夕呼がそんな表情を見せるという事は……実際は相当疲れているという事だろう。申し訳なく思いもするが、しかし、それは武が曲がりなりにも夕呼と対等にやり合えた、という事の証明でもある。
 そして武は執務室を後にした。

「いきなり前と違う行動を取っちゃったけど……ま、平気だよな」
 自室に戻った武は、ベッドに倒れこんで呟いた。
 前と同じく訓練兵から始めていたのでは、どうにも時間が足りそうにない。やらなければいけない事は、決して少なくはないのだ。
 さあどこから手を付けたものか……と考えていると、入り口のドアからノックの音が聞こえてきた。
「どーぞー」
「は、失礼します」
 ベッドから身体を起こすと、そこにはまりもが立っていた。どうやら制服とID、パスを持って来てくれたらしい。
 武は懐かさを感じていた。
 今、眼前にいるまりもの方が、当然ながらあの時よりも随分と若い──でも、その魅力はいつでも変わらず輝いて──中身の年齢は逆転したかもしれないけど、相変わらず大人で──などと取りとめのない事を考えつつ……神宮司まりもと直接顔を合わせたのは、半年前の出撃前以来の事だった。
 そう言えば、あの時の戦闘で、戦術機がたくさんの戦車級にかじられてるとこまでは見たんだっけな。その後はBETAに喰われちゃって──
 二度と死なせたりするものかという想いと共に、前の世界での彼女の死に様がふと頭の中に浮かんだ時──
「!!?」
 突然、ノイズ混じりの、真紅に染められた不吉な画像が脳裏に閃いた。

 何か硬いものに皮膚を丸ごとこそぎ取られ、すり潰されてしまった顔面。
 零れ落ちる目玉、滴る脳漿。
 飛び散る肉片、朱に染まる身体。
 そして、その向こう側には何かを噛み砕いた兵士級BETAののっぺりとした顔、虚ろな瞳、黄ばんだ歯。
 抜け殻となった躯が、ゆっくりと倒れてきて──グチャグチャになった彼女の顔を元に戻そうとして、飛び散った肉片を必死に掻き集めて──なのに、いくら頑張っても元に戻らなくて、手は血でだんだん赤黒く染まっていって──

「あの、どうかされましたか……?」
 優しげなまりもの声が、武を不吉なビジョンの連鎖から現実に引き戻した。
「……え、あ? ああ、いや……な、何でも……ない、です」
 言葉が上手く出ない。まさか白昼夢と言うわけでもないだろうが、しかし妙に現実じみていて、それでいて夢のようでもある。わけが分からない。
「顔色が優れないようですが……もしよろしければ、医務室までご案内──」
「いや……大丈夫です。ありがとう、まりもちゃん」
「ま、まりもちゃん!?」
「──しまったッ!」
 いきなりやっちまった──と武は額を押さえた。
 この世界では武とまりもは初対面だ。それでいきなり『まりもちゃん』はないだろうと、武は自分でも思った。もっとも、今は武の方が階級が上なので、それが問題になるというわけではない。
 ただし上官とはいえ、初対面で、しかも年下という事になっている、見た目だけではあるが少年に、いきなり名前にちゃん付けで呼ばれたまりもの心証は全くの別問題だ。
 ともかく、武は今後の身の振り方をまりもに説明し、翌日からの行動に備えて休むのであった。



[1972] Re[2]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/04 12:42
 2001年10月23日(火)

「小隊集合!」
 訓練校のグラウンドにまりもの透き通った声が響き渡ると、グラウンドで走っていた四人がまりものところまでやってきた。
「紹介しよう。こちらが本日から207B分隊の特別教官に就任された、白銀武少佐だ。敬礼!」
「あ、俺に敬礼はしなくていいよ。敬語も要らないし、俺を呼ぶときはタケルでも白銀でもいいから」
 訓練兵から見て少佐といえば雲の上の存在だ。その武から発せられた突飛な言葉に面食らって目を白黒させている訓練兵たち。そしてそれを見て、どこか楽しげに笑みを浮かべている武。
 武にとって207B分隊はあくまでも同期の戦友である。十年分の経験の差があったり、階級に差がついてしまっていても、それだけは変わらない。
 初対面からいきなりこれはどうかと思わなくもないが、武は昨晩、まりもの事をうっかりまりもちゃんと呼んでしまった事で、完全に開き直っていた。
「少佐、いくらなんでもそれは……」
「……ダメですか?」
「ダメに決まってます」
「……どうしても?」
「どうしてもです!」
「じゃあ上官命令。敬語は使うな、俺を少佐と呼ぶな、俺の事は白銀と呼ぶ。オーケー?」
「……ぜ、善処させていただきます」
「そのうち慣れますって」
「もう……分かりましたよ。それじゃあ訓練兵の紹介を──」
「ああ、それは必要ないです。そっちから順に御剣冥夜、榊千鶴、珠瀬壬姫、彩峰慧。んでもう一人、入院中なのが鎧衣美琴……でしょ?」
「あ、ええ……良く知ってるわね。資料は渡してなかったと思うけど……?」
「えっと……夕呼先生に聞きました」
 勿論嘘だったが、こういった時に夕呼の名前を出せば、すんなり納得されるのは武にとってありがたい限りだった。あまり乱発して夕呼にバレたら、それはそれで後が怖そうではあるが。
「で、俺は戦術機応用教程の一部を担当する。まあそんなわけでさっさと先に進めたいんで、総戦技演習は美琴が退院次第やるから、そのつもりでな」
「ええーっ!?」
 武の言葉に驚く207B分隊とまりも。
「なんでまりもちゃんまで驚いてるんですか?」
「そ、そんな話、私聞いてないわよ!?」
「あれ、昨日言いませんでしたっけ……?」
「言ってません!」
「あー、えっと、じゃあ……今言いました」
 呆れるまりもをよそに、確か美琴が退院するのは……と、日付を数える武。
「多分、11月3日あたりから始める事になると思う。美琴は退院明けで大変だろうから、みんなちゃんとサポートしてやるんだぞ?」
「りょ、了解」
「じゃあ俺はこれで。みんなは訓練続けてくれ。まりもちゃん、あとよろしく~」
 そう言うと、武は手をひらひらとさせながら、グラウンドを立ち去った。
「さてと、次は……夕呼先生のところだな」

「戦術機の新OS開発ぅ?」
 執務室の椅子にふんぞり返っていた夕呼は、武の提案に、実に面倒くさそうに答えた。
「はい。なんて言うか……今のシステムって、戦術機のポテンシャルを全然引き出せてないように思うんですよ。あとついでに、操作の簡略化って言うか、サポートシステムみたいなのが充実されたらいいかな、と」
 前の世界では、戦況が悪くなるにつれ整備兵が不足していった。勿論、最初のうちは衛士の消耗の方が激しかったのだが、反攻作戦が失敗に終わってBETAが優勢になると、非戦闘員の被害も徐々に拡大し、とある時から整備兵不足が浮き彫りになってきた。
 世界的にそんな状況に陥っていた中、横浜も例外ではなく。それ故に、武も自分で一通りの機体整備を出来るようにならざるを得ず、数少ない整備兵に教えを請うたものだった。
 自分で整備をするという事は、つまり戦術機のスペックについて熟知する事だ。それを知ってから戦術機を動かしてみると、どうにもスペック通りの性能が出ていないのではないか、という事が見えてきたのである。
 最初は戦術機のスペックバランスに偏りがあるのではないかと思って調べてみたが、実際のところは実に絶妙なバランスで設計されていた。実際、武が搭乗してきた吹雪を初めとする全ての戦術機が、その変則機動に充分すぎるほど応えてくれていたのが、いい証拠だ。
 ハードウェアに問題が無いなら、管制システムに問題があるのではと考えた武だったが、それに気が付いた頃には、武の回りには新しい制御システムを構築出来るような技術者が存在せず、検証する事は出来なかった。
 というわけで、武はその経験を踏まえた上で、夕呼に戦術機の新しい管制システムの開発を持ちかけたのである。
「それをあたしに作れっての? やーよ、このクソ忙しいのに」
「別に先生が自分で作らなくてもいいですけど。誰か優秀な技術者をつけてくれれば」
「で、それ……いつまでに欲しいの?」
「早ければ早いほどいいですけど、遅くともプロトタイプを一週間以内に」
「何よもう。それじゃあたしにやれって言ってるようなもんじゃない」
「じゃあやっぱ先生でお願いします」
「あのね。あたしがそんな事に時間を割いて、何のメリットがあるっていうの」
 夕呼は不満げに言った。
「うーん……今よりも楽に戦線を維持出来るようになる……ってのは、先生にとっては大したメリットじゃないですね。それじゃ、そうですね……新OSに十分な効能が……昨日俺がやったような機動が、誰にでも比較的簡単に再現出来るようになると仮定しましょう」
「で?」
「それだけの物を開発すれば、世界中が欲しがるでしょ? あんま出し渋ってBETAにやられちゃ本末転倒ですけど、それでも何か交渉のネタに使えると思うんです。それでOSの性能が高ければ高いほど、材料としての価値がある、と」
「…………少し待ちなさい」
 夕呼は端末に向かってデータを呼び出すと、それを睨んで思案し始める。しばらくそうやって考えに耽っていたが、やがて顔を上げて言った。
「……分かったわ、やってあげる。プロトタイプが完成したら、データの蓄積はあんたにやってもらうけど、いいわね?」
「もちろんです」
「じゃ、仕様を詳しく教えて?」
 そして、武はキャンセルやコンボ、先行入力だのを盛り込んだより三次元的に変態した操縦概念を夕呼に説明すると、終わった途端に邪魔だからどっか行けと執務室から追い出されてしまった。
「もう、追い出す事ないのになあ……」
 仕方ないので、武は隣の部屋にいるはずの霞の所に向かうのだった。


 2001年10月24日(水)

 武がPXに入ると、ちょうど訓練が終わったのか207B分隊が食事を摂っていた。武はこの食堂を仕切っている京塚曹長に合成クジラの竜田揚げ定食を注文して、彼女たちの所に向かった。
「よう、ここ座るぞ」
「あ……」
「ストップ」
 武は立ち上がろうとする四人を手で制し、席に着いた。
「敬礼はいらないって言っただろ。楽にしてくれよ」
「は、はい……あの、何か御用でしょうか」
 千鶴が訊ねた。
「ん、ああ、いや。特別用があるってわけじゃないんだけど、ちょっとお前らと話そうと思ってさ」
「はあ……そうですか」
「あと敬語禁止な」
「しかし……」
「一応、同い年なんだから気にすんな」
「え……ええーっ!?」
「俺、そんなに老け顔してるかな」
 冥夜たちの反応に、武は自分の顔を両手でぺたぺたと触ってみた。確かに前の世界では、おっさんに片足踏み込んだ程度の顔にはなっていたが、この世界に現れた時には、しっかりと十年分若返っていた。中身が歳を喰っている分、滲み出る子供っぽさは消えているだろうが、それでも冥夜たちと同い年で通用するはずだ……と思っている。多分。
「い、いえ、そういうわけでは……」
「我々と同い年でありながら、既に少佐という地位を得ている事に驚いたのです」
 答えあぐねていた千鶴に、どこまで本音か分からないが、冥夜がそんなフォローを入れた。
「そっちか。まあ、それも半分はインチキなんだけどな」
「インチキ?」
「おっと、これ以上は企業秘密だ。で、いきなり話は変わるが……お前ら、護りたいものは、ちゃんとあるか?」
 年齢や階級に関しては明かせないことがあまりにも多すぎるので、その話はそこで打ち切って突然真面目な話に移る武。その瞳には先程までの緩い色は無い。そのギャップに困惑する四人だったが、その言葉の意味を真っ向から真摯に受け止め、一様にコクリと頷く。
「何でもいいんだけどさ。出来れば身近なものの方が色々と都合がいいかもな」
「どういうことです?」
「質問を質問で返すようで悪いけど。前線でBETAと戦ってる衛士は、何のために戦ってると思う? 御剣」
「──は。国のためであります」
「珠瀬、お前は?」
「え? わ、私ですか? ……えっと、その……」
「深く考えなくてもいいよ」
「じゃあ……家族のため」
「彩峰は?」
「…………恋人?」
「うん、一般的にはそんなところだろうな。でも残念ながらハズレだ。米国の調査結果にもあるし、俺の実体験でもそうなんだけど……身近な戦友のために戦うのがほとんどなんだよ。勿論、最初は国や家族、恋人のためとか思ってるけど、それがだんだん変わってくる。中隊の仲間のため。小隊の仲間のため。二機連携組んでる相棒のため……ってな」
「家族や恋人がどうでもよくなってくる、ということですか?」
「そういうわけじゃない。仲間ってのは自分の命を預ける相手だからな。長く戦ってれば、文字通り生命で結ばれた絆になるんだ。でも、絆が強くなればなるほど、違和感が出てくる。恋人や家族と戦友、果たしてどっちが大事なんだろう、ってな」
「だから、身近なものの方が都合がいい……」
「そういう事。ま、今はどうやっても実感出来ないだろうから、そういう事実があるって事だけ頭に入れておけばいい。実際にそうなった時に多少は戸惑わなくて済む。そんなので動揺して戦死するなんて馬鹿馬鹿しい事この上ないからさ。な?」
「は、はい」
「じゃあそういう事で、護りたいものをちゃんと護れるように、頑張っていこう」
 武はその言葉を口にしながら、自分自身にもそれを言い聞かせる。過去に失ってしまい、もう二度と取り戻せないと思っていたものが、再び目の前に現れたのだ。
 前の世界で失った仲間と今この世界にいる仲間は同一人物でありながら、しかし違う存在でもある故に、この世界の彼女たちを前の世界の彼女たちの代替品として扱おうとしているのではないか……などと思う事もないではないが、それはそれ、これはこれ。
 失くしてしまったものは取り返せないが、今あるものを失うわけにはいかない。何より、もう二度とあんな喪失感に苛まれるのはゴメンだった。
「とまあ、マジメな話この辺で終わりにして……榊千鶴」
「は、はい、何でしょう」
「お前は今日から委員長だ!」
 ズビシと千鶴を指差しながら叫ぶ武。
「……はぁ?」
「それに冥夜、たま、彩峰というのが俺の希望だな」
「……は?」
「いや、呼び方だよ、呼び方。お前らの。ニックネーム」
「そう言えば、神宮司教官の事も、名前にちゃん付けで呼んでおったな……」
「なんか、私猫みたいですねー」
「……私だけ普通」
「じゃあ、お前だけ特別にヤキソバって呼んでやろう。ミスヤキソバ、もしくはヤキソバガール」
「────! ………………それはとてもすごく死ぬほど嫌」
 慧は物凄く嫌そうな顔で否定した。
「そうそう、たまは俺の事はたけるさんって呼んでくれ。その方がしっくりくる」
「は、はい、わかりました」
「敬語は禁止」
「あ……う、うん、わかったよ、たけるさん」
「よろしい。じゃあ決まりな。今後ともよろしく!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「なんだ、委員長は名前で千鶴って呼ばれる方がいいか?」
「千鶴ってゆーな! ……って、そうじゃなくて! これでは他の兵たちに示しがつきません!」
「他の奴? ほっとけほっとけ、そんなの気にすんな。いいんだよ、お前らは特別なんだし」
「特別……」
 武が言った特別という言葉に反応して、冥夜たちの表情が一様に曇る。
「おっと、特別って言っても俺にとって特別なだけで、別にお前らの親父さんたちがどうこうってわけじゃないからな。それだけは勘違いしてくれるなよ? じゃあ、俺はもう行く。訓練頑張れよ」
 武はいつの間にか空っぽになっていた食器をまとめて席を立つと、慧の頭の上にポンと手を置き髪をくしゃっと撫でて、その場を立ち去った。


 2001年11月3日(土)

 総戦技演習一日目。
「またこの人は……」
 武たちは今、総合戦闘技術評価演習を行うために、南の島に来ている。が……武の目の前には、きわどい水着姿で丸出しになった艶かしいボディラインをビーチチェアの上に投げ出して、優雅にシャンパングラスを手にしている夕呼の姿があった。
 とりあえず武はそんな夕呼には取り合わず、回れ右。
「ちょ、ちょっとぉ~、無視しないでよぉ」
「後でいくらでも構ってあげますって……全くもう」
 武は苦笑しながら、まりもと207B分隊のいるところまで歩いていった。

「今回の作戦は、戦闘中に戦術機を破棄、強化外骨格も使用不可という状況下で、いかにして戦闘区域から脱出するかを想定したものだ──」
 武によるブリーフィングが始まった。
 従来の演習では、後方撹乱任務があったり対人トラップが仕掛けられてたりするのだが、今回はそういった要素はすべて排除してある。というのも、BETA相手にそんな状況はありえないからだ。
 実戦でベイルアウトして離脱せねばならないような状況だと、小隊単位で作戦行動を取るなどと言う状況もまず考えられない。大抵は一人で行動する事になる。そして、戦闘区域を一秒でも早く離脱するに越したことはないのだが、そのためには対人探知能力の非常に優れた小型BETA共を振り切らなければならない。
 というのは名目だ。武は夕呼の手助けをすると決めているが、だからと言って他の者を蔑ろにするつもりはない。特に夕呼と霞以外は戦術機を駆って戦場に出るので、少しでも早く、少しでも長く戦術機に触れさせる必要がある。
 総戦技演習に一週間も費やしているのでは、時間が勿体なさ過ぎるのである。
「そんなわけでだ。各自バラバラに逃げてもらって、一定時間、追跡の手から逃れられるかどうかを主眼に置く。お前らが逃げ始めてから六時間後、仮想敵としてまりもちゃんが追尾を始める。ま、要は鬼ごっこだな。
 どんな手を使ってもいいから、72時間、一人でも逃げ切ればお前らの勝ち。まあこれは無理だろうけど、追ってきたまりもちゃんを返り討ちにして無力化してもお前らの勝ち。で、全員捕まったらお前らの負け。ルールはこれだけだ。簡単だろ? 童心に返って頑張れ。
 じゃ、各自時計合わせ……3、2、1、ハイ! ──状況開始」
 6時00分、207B分隊は各自思い思いに散らばっていき、その場には武とまりもだけが残された。
「ちょっと白銀? あんな話、私聞いてないんだけど?」
 まりもが凄く呆れた顔で、武に話しかける。
「……言ってませんでしたっけ……?」
「言ってないわよ、もう……あなたって結構抜けてるのね」
「い、いいじゃないですか。まりもちゃんだって、たまには思いっきり体動かしたいでしょ?」
 武はニヤリと笑いながら言った。勿論、元々衛士であるまりもは、常日頃の自主鍛錬は欠かしていないのだが、教官職をやりながらでは、それもなかなかままならない。思う存分暴れ回れない事によるストレスは、多少なりとも溜まっているのである。
「それにしたって、準備だってあるんだからね。いきなりあんなこと言われても……」
「ハンデですよ、ハンデ。まりもちゃんが下準備までしてかかったら、今のあいつらじゃ相手になんないでしょ」
「もう……分かった、分かりました! でも、追跡開始までの六時間は準備に当てていいのよね?」
「それは勿論です」
「やるからには当然本気で追いかけるけど、それで全員捕まえちゃっても構わないのね?」
「構いませんよ」
「分かったわ」
 そう言い残して、まりもは追跡の準備にかかり始めた。

「さて、夕呼先生は……っと」
 あとは結果を待つのみとなった武は、これから三日間、はっきり言って暇人となる。と言うわけで夕呼の所に向かった。
 本来、オルタネイティヴ計画を遂行中の夕呼が、どうしてこんなところまで来ているかというと……それは研究が滞っているからに他ならない。気分転換しに来ているのだ。
 武もそのくらい察することは出来たのだが、さすがに演習の指示を放り出してまで、夕呼の相手をするわけにもいかなかった。
「お待たせしました、先生。俺でよければ、話し相手くらいにはなりますよ?」
「…………」
 夕呼は武の呼びかけに応えず、不満げな顔でそっぽを向いて口を尖らせていた。
「そう拗ねないでくださいよ……って言うかそれ、あんま似合ってませんから」
「はぁ……分かってるわよ」
 深い溜息をついて、武に向き直る夕呼。
「元気ないですね。……研究、行き詰ってるんですか?」
「さあ、どうかしらね」
 そう言ってはぐらかす夕呼だが、表情には明らかな疲れが見え隠れしている。
 207B分隊は既に散開した後だし、まりもも追跡準備に取り掛かっていて、周りには誰もいない。内緒話をするには絶好のシチュエーションだった。
「そっち方面で俺が役に立たないことは理解してます。だから俺が首を突っ込めば上手くいく、なんて事は言いませんけど……少なくとも前の世界じゃ俺は何も出来ず──先生も目的を達成出来ませんでした。何かを意図的に変えようとしなければ、多分また同じ結末に向かうんじゃないかと思います」
「…………」
「きっと、何か力になれる事があるはずです。お願いだから、一人で抱え込むのは止めてください」
「……どうしてそう思うの?」
 夕呼は探るような眼で武を見て、言った。
「どっちがですか?」
「両方よ」
「そうですね……前の世界で、俺は衛士としてBETAと戦いました。でも、本来俺がいないはずのこの世界の未来で辿る結末と、何も変わってないと思います。たかだか俺一人、この世界に衛士が増えたところで、戦況がひっくり返るはずがありませんから」
「……それで?」
「これは一度終焉を見た俺の主観ですけど……もし仮に、俺がこの世界に何も干渉しなかったとしても、多分同じ結末を迎えるでしょう。俺が戦わない分、それはほんの少しだけ早くやってくると思いますけど」
「……」
「もし俺という異分子の存在が戦況を覆すトリガーになり得るのだとしたら……それは戦術機に乗ってBETAをちまちま倒すなんてみみっちい事じゃなくて、もっと大きな──例えばそう、オルタネイティヴ計画の根幹に食い込むような事が必要になってくるんじゃないかと思います」
「……」
「俺がオルタネイティヴ計画に深く関わらなかった世界では、計画は失敗しました。だから、少なくとも俺が関わらなきゃ、上手くいく可能性はゼロなんじゃないか、って事です」
「……もう一つは?」
「もう、先生のあんな姿は見たくないですからね」
 武はふっと顔を優しく緩めながら言った。
「あんなって……どんな?」
「オルタネイティヴ4が接収されたクリスマスの日──先生は酒を浴びるほど飲んで、ベロンベロンに酔っ払って……悔しがって、泣き喚いてました。それも、まだほんのガキだった俺の前でですよ?」
「……」
「先生は誰かに寄りかかれるような立場じゃない……ってのは分かってます。でも、そうやって色々なものを溜め込んでいって……とうとう爆発してしまった。そんな先生を見るのは辛いです。俺でよければ愚痴ぐらいはいくらでも聞きますから……無理はしないでください」
「……何よそれ。ひょっとしてあたしのこと、口説いてるの?」
「さあ、どうでしょうね? でも先生が年下は性別認識圏外ってのは知ってますから。ま、とにかく考えるだけ考えてみてください」
「……そうね、そうさせてもらうわ」


 2001年11月4日(日)

 総戦技演習二日目。
 武は、今日一日でほとんど勝負は決まってしまうのではないかと考えていた。
 まりもは近所の優しいお姉さんのような風貌をしていながら、しかしその外見に反して極めて優秀な軍人である。前の世界での話だが、数年間相棒を務めていた武は、それを嫌と言うほど知っていた。才能もあれば努力する事も決して怠らない。
 いくら207B分隊が才能に恵まれているとはいえ……そのポテンシャルがまだ開花していない状態で彼女の相手をするのは、はっきり言って荷が重過ぎる。無謀以外の何物でもない。
 あいつらどれだけ保つかなあ……などと考えながら朝食の準備──と言ってもレーションを温めるだけだが──をしていると、早速、その背後から小さな影が近付いてきた。
「あ、あの~」
「よう、たま。おかえり。お疲れさん」
 武が振り返ると、そこには申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、少し落ち込んだような顔をした壬姫が立っていた。
 昨夜、まりもに夜襲を掛けられ、なす術もなく捕まってしまったらしい。
「一番手はたまだったか」
「はうあうあ~……わ、私、ひょっとして不合格になっちゃうんですか~?」
「ん? そんなことないぞ」
「で、でも……たった一晩も逃げ切れなかったし……」
「まりもちゃんもかなり気合入れてたからな、そんなもんだろ。ま、ゆっくり休んでくれ」
「はうぅ~」
 ガックリとうなだれながら、壬姫は武に指示されたテントに引っ込んでいった。
 その数分後。
「よう冥夜、おかえり」
「むう……不覚を取った」
 冥夜が姿を現した。
 一晩中警戒していたまでは良かったが、明け方にほんの少し気が緩んだ瞬間を狙われたのである。
「はぁ、私が一番手か。丸一日すら持たなかったとは……気が重いな」
「いや、たまはもう帰ってきてるぞ」
「な、なんと!? ……どうやら神宮司教官を甘く見過ぎていたようだ……」
 驚愕する冥夜。
「まあ冥夜もゆっくり休んでてくれよ」
「……分かった」
 冥夜も肩を落としながら、テントに入って行った。
 それから半日。
「大体、あなたがあんなところに出てくるから、私まで一緒に捕まっちゃったのよ!?」
「……それはこっちのセリフ。榊が来なければ、私は逃げられてた」
 千鶴と慧が一緒に帰ってきた。
「何だお前ら、二人で仲良くご帰還か?」
「仲良しって言うな!」
「分かった分かった。で、一緒に捕まったのか?」
 元々二人とも全くの別行動を取っていたのだが、綿密な作戦と本能による行動が同じ結果に辿り着き、そこで一気に頭を抑えられてしまった。
 千鶴も慧も、結果的に同じ事を考えていたというのに加えて、まりもに似たもの同士だなどと言われたものだから、余計にムキになっているのである。
「はぁ……私の手で合格を決めたかったのに……」
「仕方ないね。でもまだ三人残ってるはずだし、大丈夫」
「残ってないぞ?」
「え!?」
 武の言葉に目を丸くする二人。
「捕まったのは、お前らを合わせて四人だ。あと残ってるのは美琴だけだな」
「う……嘘でしょ? だって私達が捕まった時、教官が追跡を始めてから、まだ24時間も経ってなかったのよ……?」
「まあ、まりもちゃんだからな。冥夜とたまはテントの中で休んでるよ。とにかく、お前らもゆっくり休んどけ」
「……」
 二人ともガックリと肩を落としてテントの方へ歩いていった。しかし、それも無理はないのかもしれない。
 もちろん、千鶴たちは美琴を信用していないわけではなかったが……たったの24時間で四人を捕縛してしまったまりも相手に、一人で残りの42時間逃げ切れ、というのはどう見ても分が悪い。
 このままいけば207B分隊の敗北は必至であると思われるが、しかし千鶴たちはもう手出しをする事が出来ないのだ。


 2001年11月6日(火)

 総戦技演習四日目・最終日。
 5時55分。
 圧倒的不利と思われた状況の中、未だ、鎧衣美琴発見の報は入っていなかった。
 必死に逃げ回っているのか……それともどこかで息を殺し、潜んでいるのか。
 いずれにせよ、あと五分で207B分隊の勝利が決まる。
 冥夜も、千鶴も、壬姫も、慧も、固唾を呑んで時計を見詰めていた。
 しかし、その一秒一秒が途方もなく長く感じられる。
 ──五分。たったそれだけの間、逃げ切ってくれるだけでいい。そうすれば207B分隊はまとめて衛士になれる──
 そうは思うものの、反面、もし万が一、美琴が捕らえられてしまった場合……その時点で207B分隊の敗北が確定する。その先にはどのような未来が待っているか──想像したくなかった。
 残り四分。
 三分。
 二分。
 一分。
 刻一刻と時間は過ぎていく。が、周囲に動きは見られない。冥夜たちは警戒するようにあたりを見渡したが、美琴の気配もまりもの気配も、感じることは出来なかった。
 三十秒。
「あ、あそこ! 何か動いたよ!」
 視力の一番良い壬姫が、ジャングルの一部を指差した。他の面々が一斉にその方向を振り向くと、確かに生い茂った葉が揺れている。
 十秒。
 ガサガサという音と共に、美琴が現れた。
 ここで捕まれば全てが水の泡だ。そう思って一同はまりもの姿を探すが、どこにも見当たらない。
 勝った──
 207B分隊は勝利を確信して、美琴の元に駆け寄って行く。
 そして、美琴も笑顔でそれに応えて走り出そうとしたその時。
 残り時間三秒──
 逆光の中、美琴の後ろにそびえていた崖の上から、一つの影が飛び出した。言わずもがな、神宮司まりもその人である。
 その纏っている気配は、普段の草食動物を思わせる温厚なものとはかけ離れている。かと言って獰猛な肉食獣のそれとも違う。野生など欠片もない。そこにあるのはどこまでも理性。
 まりもは完璧な狩人と化し、哀れな獲物が油断するのをただひたすら待ち、その一瞬の隙をついて猛然と襲い掛かったのだ。
 砂浜の上に五点接地で着地して体を回転させながら衝撃を逃がしつつ、その勢いを利用して瞬時に美琴の背後に取り付く。
「詰めが甘かったな、鎧衣」
「えっ? うわあっ!」
 そしてまりもは、あっという間に美琴を砂浜の上に組み伏せてしまった。
「一秒前……私の勝ちだ」
「え、えぇ~っ!?」
 武が呈示していた、制限時間一秒前で止められた時計を見て、まりもはニヤリと笑った。

「小隊集合!」
 まりもの号令で、207B分隊が集合する。しかし全員士気は低く、まるで葬式のようだ。
「どうした貴様ら、もっとシャキッとせんか!」
「…………」
 まりもの檄にも反応が薄い。
 無理もなかった。美琴は最後の最後で油断して勝利を逃してしまった。後悔してもしきれないのだろう。しかし美琴だけではない。むしろ他の四人が美琴の油断を誘ったと言えるような状況だったので、全員揃って落胆しているのである。
 衛士になる最後のチャンスを失ってしまった──という思いが、彼女たちの背に重くのしかかっていた。こんな状態で、カラ元気でもいいから出せと言われたところで、絶対的な経験不足の彼女たちにはどだい無理な相談だった。
「まあまあ、まりもちゃん。あいつらも疲れてるんだろうから」
「しかし……」
「構いませんって。じゃ、先に明日からの予定を説明しとくぞ」
「……!」
 207B分隊の表情が硬くなる。普段、あまり表情を表に出すことのない慧でさえ、まるでこれから死刑台に上る前の囚人みたいな顔をしていた。
「明日は丸一日休み。今日までの疲れをゆっくり取ってくれ。特に美琴、お前病み上がりなのに最後まで粘ったんだから、しっかり休んどけよ?」
「……はい」
「んでもって、明後日からは早速シミュレーター教習を始める。最初はゆっくり……と言いたいところだけど、あんま余裕もないからな。実機訓練もすぐ始めるし、結構なハードスケジュールになると思う。てなわけで、体調には特に気を使っとくよーに。以上」
「…………」
 なんともいえぬ微妙な表情で武を見詰める冥夜たち。
「──ん?」
「…………」
「どうした?」
「あの……私たち、不合格だったんじゃ……」
「なんで?」
「なんで、って……だって、私たち全員教官に捕まって……」
「うん。だから鬼ごっこはお前らの負けで、まりもちゃんの勝ち。でも負けたら不合格だなんて言った覚えはないぞ?」
「……えぇーっ!!」
「ぶっちゃけて言えば、前線でベイルアウトしなきゃならないような状態になった時点で、もうほとんど手遅れだからな。こんな演習いくら上手くこなしたところで、実戦の役には立たねえんだわ。普段やってる総戦技演習なんて、人間相手の破壊工作だからもっと役に立たん。そんな事してる暇があったら、一秒でも早く、一秒でも長く、戦術機に触った方がいい。
 能力的な事なら……そうだな、まりもちゃんの追跡から三時間も逃げられりゃ、それで十分だよ」
「で、では……合格、なのか……?」
「ああ、合格だ。て言うか、適正有り素質有り覚悟有りの人材を、いつまでも遊ばせておくほど人類に余裕はない。不合格になんて出来るわけないだろ?」
 武のその言葉に、脱力してぺたりと座り込む者、飛び跳ねて喜ぶ者、感極まって涙を流す者、無表情を装いながら湧き上がる嬉しさを隠しきれない者、安堵の笑みを浮かべる者と、各自、それぞれが思い思いの反応を見せていた。



[1972] Re[3]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
 2001年11月8日(木)

 207B分隊は総合戦闘技術評価演習をパスし、戦術機教程に駒を進めた。
 武は横浜基地に来てすぐに訓練カリキュラムを大幅に変更し、207B分隊が卒業するまでの間、シミュレーターの最優先使用を取り付けている。同時に練習用の実機も手配を済ませ、総戦技演習期間中には既に練習用の戦術機、吹雪の搬入も完了していた。
 今日は衛士特性検査から始まり、実際にシミュレーターを操作しながらの操作説明が行われる予定だ。
 これはシミュレーターが既に開発中の新OSに換装されており、少しでも早くそれに慣れさせようという配慮からだった。
 武の提唱した新OSは、プロトタイプであるα版でのデータ取得とバグ取りを完了し、既にテストタイプのβ版が完成している。
 これを発案者の武の他、ベテラン衛士のまりも、訓練兵の207小隊、それから前線の特務部隊に試験配備し、そのデータを元に細かい修正を加えて、量産型がリリースされるのである。
 それはさておき。
 武は基本操作に類する部分はまりもに任せ、搬入された実機を確認するためにハンガーに出向き、ずらりと並ぶ、思いのほか状態の良い戦術機を見ながらぼんやりとしていた。
 通常、新規に導入される戦術機が新品であることはまずない。ほとんどが中古で、その上、大幅な改修が必要な破損機に手を入れなければならない。しかし今回搬入された機体は、基本整備さえ済ませればすぐにでも実戦に耐えられるほど、程度の良いものだった。
「へぇ……随分と状態の良い機体が回って来たんだな……」
「そーよ、あたしに感謝なさい」
「うわっ!」
 武が独り言を呟いたら、背後からそれに返事が返ってきた。
「ゆ、夕呼先生……脅かさないでくださいよ」
「ふふん。あんたでも驚くことあるんだ」
「そりゃ、俺だって人間ですからね」
「本当かしら?」
 疑り深い眼差しを武に向けて言う夕呼。
「……それで、何をぼんやりしていたの?」
「いや、こんなに良い状態の機体が並んでるのを見るのも、久しぶりだなって思って」
「そ、良かったわね。……にしても、数多くない? 不知火二機はあんたとまりもので、吹雪五機があの子たちのでしょ。撃震が二機余ってるじゃない。新型OSも積んでないし、他のハンガーから余りものを持ってきただけだから、別にどうだっていいんだけど」
「それも俺とまりもちゃんのです。実機訓練で仮想敵やるのに新型OS搭載の不知火じゃ、どれだけ手を抜いたって勝負になりませんから」
「ああ、そういうこと」
「それで……ちょっと話は変わるんですけど」
 武は少しだけ表情を引き締めて、夕呼に向き直る。
「なに?」
「近いうちにBETAが佐渡島から本州に上陸する……って言ったら、どうします?」
「…………」
「先生?」
「……場所、変えましょう」
「はい」
 夕呼と武はハンガーを後にして、B19フロアの夕呼の執務室へと向かった。

「それで、近いうちって言うのは……いつ?」
 執務室に入った二人は、ソファーに座って向かい合っていた。
「三日後です」
 武の記憶によると……11月11日朝、佐渡島ハイヴから侵攻してきたBETAが新潟に上陸。第二防衛線を突破され、北関東絶対防衛線にまで到達。増援が間に合うかどうか分からず危険な状態であったが、苦戦の末、これを撃退。BETAの目的地は……横浜基地。
「上陸地点の詳細までは憶えてなくて申し訳ないんですけど……中越・下越・新潟地域の帝国軍に防衛基準体制2あたりを発令しておけば、大丈夫だと思います」
「白銀……ひとつ確認するけど」
「何でしょう」
「今の話が真実だって言う証拠はあるの?」
「そんな都合の良いもの……あると思います?」
 武はふん、と鼻で笑いながら言った。
「……そりゃそうよね。でも、それじゃ動けないわよ。あたしはあんたの情報が信憑性のあるものだと仮定して接してきたつもりだけど……そこまで話が大きくなると、さすがに……ね」
 夕呼の領分である横浜基地の部隊を動かすのであれば、それほど問題は大きくならない。だが今回動かさなければならないのは帝国軍だ。命令を差し込んでも結果オーライであればまだ誤魔化しようはある。それでも問題は残るが。しかし何も起きなかった場合、大問題に発展する可能性は否定出来ない。
「はい。だから、今回のこの件で試してください」
「試す……? 放っておいて、現実に起こるかどうか様子を見るの?」
「──別にそれでも構いませんけど」
 武はどこか酷薄な笑みを浮かべながら言った。
「余計な死人が出るからダメだ、なんて青臭いことでも言うと思ったら。結構冷徹なのね」
「それが必要であれば、そうしますよ。先生には負けますけど」
「あら、言ってくれるわね。で、どうするの?」
「BETAが動けば、それが証拠になるんでしょうけど……恐らくその時点で発令しても手遅れです。だから賭けてください、BETAが来る方に」
「……ちょっと」
 何を言ってるんだこいつは、とでも言いたげな表情で、夕呼は武を睨む。
「は?」
「は、じゃないわよ。じゃあ何、結局あんたはあたしに危ない橋渡れっての?」
「ありていに言えばそうです。まあ……勝算は十分あると思いますけど」
「……根拠は?」
 勝算はある、という武の言葉に興味を覚えたのか。夕呼は不機嫌そうに歪めた表情をいくらか和らげて聞き返した。
「俺がこの世界に来て今日まで、結構色々な面で前と違う事をやってるんですけど……俺と関係ない部分の大きな流れは変わってないと思うんですよね。変わった事と言えば、俺が積極的に関わった、まりもちゃんや207小隊だけ」
「へぇ……なるほどね。つまり、あんたが干渉しなければ、歴史は変化しない……そういう事?」
「はい。勿論、俺個人ではBETAの動きに干渉なんて出来ません。それは昔も今も変わりません。それなら、俺の提案で佐渡島ハイヴに攻めて出るような事でもしない限り──受身に回っている限りは、前と同じようにやってくるはずです」
 武の根拠を聞いた夕呼は、しばらく思案に耽っていたが、やがて顔を上げて言った。
「…………いいでしょう。あんたの指示通り、防衛ラインの帝国軍には10日付で防衛基準体制2をねじ込んどくわ」
「ありがとうございます」
「はぁ……なんだかあたし、最近あんたにいいようにこき使われてるわね」
「やだなあ、気のせいですって」
「まあいいわ。それじゃ私は忙しいから。出て行ってちょうだい」
「はい、失礼します」
 武は夕呼の執務室を後にした。


 2001年11月11日(日)

 現在時刻、7時45分。
「さて、どうなってることやら……」
 いつものように霞に起こされた武は、B19フロアにある中央作戦司令室へと足を向けた。
 もし佐渡島のBETAが動き出していれば、その情報は既に入っているはずだが、警報が鳴るのは、BETAの目的地が横浜基地と判明してからになる。
 それならば、わざわざ警報を待つよりも、作戦司令室に出向いて確認した方が手っ取り早い。
 武が司令室に入ると、そこはいつもより少しだけ慌しい雰囲気に包まれていた。
 とは言っても、それは本当に少しの差で、とてもBETAの侵攻が開始された状況下であるとは思えない。対岸の火事を見ているような、と言った表現が一番しっくりと来るだろうか。佐渡島と横浜の間に渡れない川などありはしないのだが。
 各種モニターを確認すると、佐渡島から侵攻してきたBETAが本土に上陸したことが見て取れた。武は現状を確認するため、司令室中が浮き足立ちつつ緩みきっている中、ただ一人だけ冷静に気を引き締めていた、夕呼の秘書官のイリーナ・ピアティフ中尉に近付いていった。
「ピアティフ中尉は……っと、いたいた。おはようございます、中尉」
「おはようございます、白銀少佐」
「今、BETAはどこまで来てます?」
「現在、旧国道沿いに展開していた帝国軍第12師団と、中越・下越・新潟方面で交戦中です。第14師団が増援に加わりましたので、戦況は優勢、殲滅は時間の問題と思われます」
「目標地点は?」
「いえ、それはまだ……えっ!?」
 モニターを確認していたピアティフが、驚きの声を上げた。
「どうかしましたか?」
「あ、す、すみません、BETAの最終目標地点の分析結果が出ました。……横浜基地です」
 ピアティフは少しだけ強張った声で堪えた。とはいえ、あらかじめ帝国軍に仕込んでおいた防衛基準態勢が機能しているので、BETAがここまで進攻してくる事はまず無いだろう。
 そして、これで武の知っている歴史とこの世界の未来が、大きく変わっていないことが証明された。だが逆に言えば、今まで武がやってきた事は、世界に対してほとんど影響を与えていなかったという事だ。
 しかし更に裏を返せば、武が多少何かをしたところで、世界には大した影響がないという事の証明でもある。ならば、個人レベルの話なら、もっと大胆に前と違うことをしても、大きな問題になることは無いという事になる。
 だがいずれにせよ、今回の結果が今後の行動の指標になる事は間違いない。今のところはそれが分かっただけでも十分だろう。
 さて、BETAの目的地が横浜基地だということが判明した以上、防衛基準体制2へ移行しなければならない……と思って、武はあたりを見渡してみたが、中央作戦司令室の中には、司令も副司令もいなかった。それどころか、今この場にいる佐官は武ひとりだけという体たらく。
「えーっと……司令と副司令は?」
「あ、はい。既に連絡はしてありますので、こちらへ向かわれていると思います」
「……ま、いっか。そんじゃ中尉、防衛基準体制2を発令してください」
「──は」
「じゃあ俺はこれで。ないとは思いますけど、もしBETA全滅の報が入るまでに司令も副司令も来てなかったら、その時は防衛基準体制を平時に戻しちゃって構いませんから。よろしくお願いします」
「了解しました」
 ピアティフに指示を出すと、武は中央作戦司令室から立ち去った。

 武がブリーフィングルームに到着すると、まりもが207B分隊に現状を説明しているところだった。
 BETAの侵攻ルート、目的地、帝国軍の対応、戦況……と、その程度の情報は訓練兵にも与えられる。BETAの目標が横浜基地なので、最悪のケースでは出撃する事になるからだ。
 もっとも、今回は横浜基地まで攻め入られる事は考えられない。
 そのため、207B分隊は警戒態勢が解除されるまで自室待機を命じられ、各自、部屋に戻っていく。
 ブリーフィングルームにはまりもと武だけが残された。
「──まりもちゃんは、この基地の体制……どう思います?」
「どうしたの? やぶからぼうに」
「いえ、さっき中央作戦司令室に行ってきたんですけどね……なんて言うかこう、平和ボケってわけじゃないんですけど、危機感が足りないって言うか浮かれてるって言うか……緩んでません?」
「そう……かもしれないわね。この基地は最後方に位置しているから──」
「それですよ」
「……?」
「いくら最後方って言ったって、極東の絶対防衛線って言う最前線の中で後ろってだけなんですよね。佐渡島からここまで防衛線は三本、一つは海上防衛線だから、実質二本しかないんです。今は間引き作戦が上手くいってはいますけど、もしBETAが本腰入れてきたら……あっという間に抜かれますよ」
 今回の件でも、あらかじめ防衛基準態勢を仕込んでおいたから第二防衛線で食い止められたわけで、そうでなければ前の世界の時のように、絶対防衛線まで到達されていただろう。もしBETA群の規模がもっと大きければ、それを抜かれてしまう可能性だってある。
「それは……確かにそうね」
「何とか出来ないもんですかねえ……」
「でも、こればっかりは……口で言ってもどうにかなる問題じゃないからね……」
「……」
「……」
『──総員に通達。防衛基準体勢2は解除されました。繰り返します──』
 スピーカーから流れて来たアナウンスが沈黙を破る。BETA全滅が確認されたようだ。
「それじゃ、俺は行きます。何か良いアイデアがあったら教えてください」
「わかったわ。またね」
 武はブリーフィングルームを後にして、事後報告のために夕呼の執務室へと向かうのだった。



[1972] Re[4]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/04 12:42
 2001年11月19日(月)

 午前中の実機訓練を終えた207B分隊と武は、戦術機をハンガーに戻し、デッキに上がっていた。
 色々と教習課程をすっ飛ばしながらの進行ではあるが、訓練の成果は日に日に上がってきている。実機に触れてまだ十日足らずだというのに、旧OS仕様の撃震とはいえ、武やまりもの操る戦術機を、数本に一本は落とせる程までに上達していた。
 まりもは既に更衣室に戻り、ここにはいない。
 この後、演習評価があるのでブリーフィングルームに集合しなければならなかったが、シャワーを浴びて一休みするくらいの時間の余裕はあるので、先にここで休憩を取っていた。
 デッキの下では吹雪と撃震に整備兵が取り付き、チェックを始めている。
 武が手摺にもたれかかってその様子を眺めていると、隣に冥夜がやってきた。
「どうした……?」
「……いや、何でもない」
 そうは言いながらもどこか上の空の冥夜を不審に思った武は、その視線を追ってみると……ハンガーの一番奥に新しい戦術機が一機、運び込まれているところだった。
「ああ、武御雷か」
 いともアッサリと言い放った武を、冥夜は驚きの目で見つめ返した。
「──!? そなた、知っていたのか……?」
「ま、人並みにはな」
 帝国城内省直属……斯衛軍正式の特別仕様機。その中でも、更に冥夜のためだけの紫色の特別機。
 前の世界でも、冥夜が戦術機教程に進んだ際に、こうやって搬入されてきた。その時は吹雪と同時に搬入されていたが、今回は武が総戦技演習や吹雪搬入をかなり前倒しにしているので、手配が間に合わなかったのだろう。
 武たちはデッキから降り、武御雷の所に歩いていった。
「……そなたは不思議な男だな」
「なにがだ?」
「あれを武御雷と知っても……そなたの態度は自然だ」
「何だお前。ひょっとして不自然な方が良いのか?」
「ば、ばか、そうではない!」
「はは、分かってるって。……で、これ、乗るのか?」
「……いや、乗らぬ。己の分はわきまえているつもりだ。一介の訓練兵には、吹雪でも身に過ぎる」
「そうか。ま、こんなハイスペック機、今のお前にはまだまだ早いからな。乗りたいって言っても乗せてやるつもりは無い」
「それでよい」
「なんか、こんなもの必要ないって顔してるな。でも……ここに置いておくくらいは認めてやれ」
「…………」
「冥夜?」
「……そう……だな。うん、分かった。そなたがそう言うなら」

「うわぁ~武御雷だー!」
 壬姫がカンカンカン、という軽快な音を響かせつつタラップを駆け降りてきて、物珍しそうに見上げながら、武御雷に近付いてきた。
「たま!」
 今にも武御雷の装甲をぺたぺたやりだしそうだった壬姫を、武は慌てて呼び止めた。
 このまま何もしなければ……武御雷に触った壬姫は月詠に手の甲でベシッと殴られる。今は強化装備を着ているから、殴られた程度でどうにかなるわけではないが、むき出しの顔を殴られれば腫れもするし、黙って見過ごすわけにはいかない。
「……? どうしたのー、たけるさん?」
「いいから、ちょっとこっち来い」
「なあにー?」
 武御雷から離れ、武の側にやってくる壬姫。とりあえず武御雷から離しておけば、殴られる事はない。
 壬姫は何の用で呼ばれたのかと、キョトンとした顔で武を見上げている。しかし、もちろん用事など無いし、まさか冥夜がいる前で、武御雷に触ったら殴られるから呼び戻した、などと言えるわけがない。
「何か用? たけるさん」
「ん、ああ……」
「タケル……?」
 どうしたものかと思った武は、苦し紛れに、壬姫の頭の上にポンと手を置いて、ぐりぐりと撫で始めた。
「なっ……!」
「にゃっ!? ……あ、あの、たけるさん……?」
「えっと……うん、あれだ。たまは今日、凄く頑張ったから、ご褒美に頭を撫でてやろう」
「はうあうあ~」
「…………」
 頭を撫でられ、目を白黒させながら頬を染めて恥ずかしそうにもじもじとしている壬姫の様子を、冥夜は無言でジッと眺めていた。
「ん? どうした冥夜」
「な、なんでもない! ……たっ、珠瀬? そろそろ行かねばミーティングに遅れてしまうぞ?」
「え? あ、そ、そうだね。たけるさんも、一緒に行こ?」
「あー、すまん。俺、ちょっと他に用があるんだ。評価はまりもちゃんに任せてあるから」
「え~、そうなんだ……残念。それじゃ私たち、行くね」
「ああ。またな」
 武は冥夜たちを見送り、見えなくなってしまったのを確認すると、武御雷の方を振り返る。
 そこには先程までは姿が見られなかった、帝国斯衛軍の制服を着た女性仕官が四人、立っていた。
「月詠さん──」
「……!」
 月詠たちの表情が、一瞬にして険しいものに変わった。
 考えてみれば、この世界では武は月詠とはこれが初対面だ。にもかかわらず、名前を呼んだのは拙かったかもしれない。だがしかし、呼んでしまったものは仕方がない。
「……何故、私の名を知っている……白銀武」
「後ろの三人も知ってますよ。神代巽に巴雪乃、そして戎美凪。……でも、それはお互い様でしょ?」
「貴様……何者だ?」
「白銀武……としか、言いようがないですね。月詠さんっだってそう言ったじゃないですか。……正直な話、俺が何者かなんて、俺の方が知りたいくらいなんですけどね」
「……とぼける気か?」
「まさか。本気ですよ。……で、次は『何故死人がここにいる?』でしたっけ?」
 前の世界の記憶を頼りに、巽の台詞を取ってしまう武。
「なっ──!?」
「それと、『国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ目的は何だ?』だったかな」
 今度は雪乃の台詞を取る。
「…………っ」
「あとは……城内省の管理情報までは手が回らなかったのか、とか、追求されないとでも思ったのか……とか」
「…………」
「ああ、そうそう、冥夜に近付いた目的でしたね。返答次第では、俺、ここでもう一度殺されちゃうんでしたっけ?」
「──!? き、貴様、一体……」
 月詠たちは、まるで得体の知れない化け物を見るような、恐怖の入り混じった目で、武の事を見ていた。
 無理もない。武は前の世界での記憶を元に吹かしているだけだが、月詠たちにとっては、詰問しようとしていた事をことごとく先読みされてしまっているのだ。
「答えられる範囲でいいなら、先にそっちの質問に答えましょう。
 俺の目的はBETAの殲滅。そのためにここでしか出来ない、ここでやらなくちゃいけない事がある。だからここにいる。冥夜に近付いたのは、あいつ──って言うか冥夜に限らず207B分隊全員なんですけどね、あいつらもいずれは戦場に立つわけですし、その時に命を落とさないように、少しでも強くなっていて欲しいから……ってのが理由ですね。そんなところです」
「…………」
 月詠たちは無言のまま、値踏みするような視線で武を窺っている。
「それじゃ、今度は俺の質問にも答えてもらいましょうか。俺を死人だと言い、危険視する理由……教えて欲しいんですけど。返答次第ではぶっ殺すなんて言うくらいだから、ただ単にデータベース上で死人になってただけってわけでもないんでしょ?」
 この世界に元々いた白銀武が既に死んでいるという事は、武がこの世界に来て初めて夕呼と話した時に、カマをかけて確認済みだ。ただ、その死因までは把握していない。
 そして武が何者かを見極められなかったからといって、あの冷静な月詠が、ここまで短絡的な行動に出るのはいかにも不自然だ。
 武が横浜基地に来て冥夜と接触してからこれまで、ずっと武の人となりを見てきているが故の、階級の差などお構いなしの高圧的な態度なのかもしれないが、しかしありえない話ではあるものの、もし武が猫を被っていて冥夜に危害を加えようとしているという可能性を考えると、余計な刺激を与えた事で武が先走って冥夜に危害を及ぼしてしまう可能性だって考えられなくはない。
 いくら先程の会話で武にイニシアティヴを取られたからと言って、この一指しだけでこうも冷静さを欠いてしまったのだとは到底思えなかった。
 だとすると、月詠が焦って強引な手段に出てしまうほどの何かを、この世界の武がやらかしたのであろう、という事は推測出来る。が、それが何なのかは全く想像がつかない。
 仮に夕呼が真相を知っていたとしても、この件に関しては口篭っていた様子から、武が何か、彼女の大きなメリットになるような材料を提示出来なければ、答えが返ってくる望みは薄いだろう。だが、今の武に交渉材料は無い。
 夕呼に聞けないのであれば、あとは今のところ月詠に聞くしかない。
 しかし、月詠の口から答えが出てくる事はなかった。
「……そのようなこと、貴様に答えてやる理由などない」
「ちぇっ、ズルいなあ……って、別にいいですけどね。そのうち教えてもらえれば」
「…………」
 そして、武の雰囲気が酷く真剣なものにスッと切り替わった。
「──月詠さんたちが冥夜を護るためにここにいるって事は俺も知ってます。俺みたいな得体の知れない奴が冥夜の近くにいる事が心配なのも、良く分かります。でも、俺が冥夜に危害を加える事はありませんし、冥夜を利用して何かをしてやろう、なんて事もありません。これは絶対です。……まあ、だからっていきなりは信用出来ないでしょうけど」
「…………」
「それじゃ俺、あいつらと昼飯の約束があるんで。もう行きますよ?」
 苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くす月詠たちを残し、武はハンガーを後にした。

「いよう、お待たせ」
 PXに来た武は、カウンターで注文した合成鯖味噌定食を受け取って、207B分隊が座っているテーブルにやってきた。
「白銀、遅い」
「悪いな。ちょっと調べ物が長引いちゃってさ」
 武はトレーをテーブルに置くと、上着を脱いで椅子にかけ、ハイネックの半袖アンダー姿になって席に着いた。
「なにを調べてたの?」
「それは教えられないな。いい男には秘密が付き物なのだ」
「もう、それを言うなら、いい女には、でしょ」
「そうだっけか? ……じゃあ夕呼先生は凄くいい女だな。あの人、秘密だらけだし」
「…………」
 五人が五人とも、武をじっとりとねめつける。
「な、なんだ? どうした?」
「……タケルは、香月博士みたいな人が好きなの?」
「どうしてそうなる」
「だって……博士の事、いい女って」
「物の例えだろ。そりゃ夕呼先生は確かに美人だけど、あれで結構いい性格してるからな。同じ美人なら、どっちかって言えば俺はまりもちゃんの方が──」
 まりもとは前の世界でそれなりに長い間、二機連携を組んでいたので、夕呼に比べればまりもの方がずっと馴染みが深いのである。
「…………」
 しかし、そんな事情は関係なく、武に突き刺さっていた視線が、先程に比べてより鋭くなった。
「な……なんだよ」
「……たけるさんは、年上のひとがいいの……?」
「だからどうしてそうなる」
「だ、だって今、神宮司教官も好きって……」
「いや、だから夕呼先生と比べてだってば。別に年上とか年下とか関係ないだろ」
「な、なにぃ!? ではそなた、女ならば誰でも良いと申すのか!?」
「……白銀、ケダモノ」
「あのなあ……はぁ、まあいいや。どうせ俺はケダモノですよーだ。さ、メシだメシ、サバミソだ、いただきまーす」
「開き直った……カッコ悪い」
「ほっとけ」
 武は合成鯖味噌定食をむしゃむしゃと食べ始めた。

「……ねぇねぇ、タケル」
 武の右隣に座っている美琴が、武の右の袖をくいくいと引っ張りながら言った。
「なんだよ、まだなんかあんのか?」
「違うよ、そうじゃなくて……ほら、あそこ」
「あん?」
「さっきから、正規兵の人たちが、こっちをチラチラ見てるんだけど」
 美琴の指し示した方を見ると、そこでは確かに正規兵が二人、武たちの方を窺っていた。
「ん……? あいつら……」
 武は、どこか見覚えのあるその姿に、記憶の糸を手繰り寄せる。
「あ」
 それが、前の世界で冥夜に絡んできた衛士だという事を思い出した。
 なんというか、口を利くのも馬鹿馬鹿しいような、つまらない連中だ。
「……ねえ、どうしよう」
「どうしようって……別にわざわざ構ってやる必要なんてないだろ。放置プレイだよ」
「でも、なんか目つきが」
「……確かに見てますねー」
「そんなに気になるか?」
「……う、うん」
 武は仕方ないか、とでも言いたげな表情は隠して、立ち上がった。
「ど、どこいくの?」
「ちょっと遊んでくる。ついてくんなよ?」

 そして、武がカウンターの前を通り過ぎようとした時、近付けば向こうから勝手に接触してくるだろうと予想していた通り、男の衛士が横柄な態度で話しかけてきた。
「おい、そこの訓練兵」
 その声に応じて、武は後ろを振り返った。そこには誰もいない。わざとらしくキョロキョロしてみせる。
「いや、お前だよお前」
「はあ、俺?」
「お前以外にいないだろ?」
 その後ろに控えていた、女性衛士が口を開く。
「……何か?」
「お前らの隊はあそこにいるので全部か?」
 あそこにいるの……とは、勿論207B分隊の連中だ。武は一応207の教官だから、207が武の隊と言っても別に語弊はどこにもない。だから否定はしない。
「……それが何か?」
「ハンガーにある特別機……帝国斯衛軍の新型は誰のだ? お前らの中の誰か用だと聞いたが」
 さてどうやってからかってやろう、と考えていたら──
「──少尉、私の機体です」
 冥夜が横から割り込んできた。
「ぶっ! ちょ、おい! ついてくんなって言ったろ!」
「……お前の名は?」
「御剣冥夜訓練兵です」
「おまえ……あれ? ……なんか……」
「ああ……どうなってる? 何であんなモンがここにあるんだ?」
 冥夜の顔を見た衛士たちの表情が、怪訝なものに変わる。
「…………」
「答えろ」
「少尉」
 出てきたはいいが、言葉に詰まっていた冥夜を差し置いて、武が言葉を挟む。自分が相手なら階級の差などどうでもいいが、冥夜を責めると言うなら容赦はしない。からかうのは止めにして、冥夜と衛士たちの間に割って入った。
「あ? なんだ」
「それは、あんたの個人的な趣味を満足させるための質問か?」
「なんだと……?」
「それとも、『あの機体に搭乗する衛士を探せ』という雑役でも遂行中なのか?」
「おまえ……誰に口聞いてるか、わかってんのか?」
「お前以外にいないだろ?」
 武は不敵な笑みを浮かべながら、先程ぶつけられた言葉をそっくりそのまま返してやった。
「随分と生意気な口を聞くヒヨッコだな」
「まったく……やれやれだな。お前らがやらなきゃいけない事は、もっと他にあるだろうに」
「……なんだと?」
「少なくとも、訓練兵相手に粋がるより有意義な──」
 武の言葉を遮って、男は武を殴り、胸倉を掴んできた。
「たけるさん!」
「タケル!」
 遠巻きに見ていた壬姫や美琴たちが、心配そうな表情で駆け寄ってくる。
「ふん……大丈夫だ、撫でられただけだよ」
「ああ? ……まだわかんねえの、かっ!」
 男は左手で胸倉を掴んだまま、右の拳を武のボディ目掛けて突き出した。武はグッと腹筋を締め、それを真っ向から受け止める。男の拳には、トラックのタイヤでも殴ったような感触が伝わっているだろう。
「……気は済んだかい?」
「カッコイイねえ……少しは骨があるじゃないか」
「この野郎……」
「もういいだろ。階級を楯に、個人的な憂さ晴らし──」
「──ふん!」
 男の右拳が武の顔面に直撃した。
「……あんたたちに与えられた権限や力は、人類を護るためにあるんじゃないのか? 全く、こんなだから……」
 溜息交じりの呆れ声を上げ、侮蔑の目で衛士たちを見下す武。それが気に障ったのか、男は更に粋がる。
「わけわかんねえ事言ってねえで、いいからかかって来いよ。階級は関係ねえ……」

「──騒々しいな」
 その時、凛として透き通った声が聞こえてきた。そちらを振り向くと……帝国斯衛軍の紅い制服を身に纏った、月詠中尉が立っていた。後ろには神代、巴、戎の姿も見える。
「お……」
「あ……」
 衛士たちは、突然現れた斯衛たちの迫力に怯み、動きを止める。
「国連軍の衛士は、衆人環視の中、そのような恥知らずな振る舞いをしても良いと教育されているのか?」
「い、いえ……中尉……これは、国連軍内部の問題ですので……」
「国連軍に身を置いているとはいえ、貴様らも日本人であろう? その者の言う通り、権力とは、それを利用して己の欲望を満たすものではないぞ!? ──恥を知れ」
「いえ……あの……」
「彼の武御雷は、日本政府と国連軍司令部の合意の下、さる事情により配備されたものだ。ここは確かに国連直轄地であり、治外法権下であるが……かと言って一介の衛士如きが興味本位で首を突っ込んでよい事ではないぞ!」
「くっ……」
「これ以上、要らぬ詮索を続けるのであれば、国連軍に正式な抗議をしなければならないが……よろしいか?」
「う……」
「武御雷を愚弄する事は、我ら城内省斯衛部隊を愚弄するも同じ……ひいては将軍を冒涜する行為であるぞ?」
「あ、あ……な、何もそこまでオレら……なあ?」
「あ、ああ……別に武御雷を愚弄したわけじゃ……ましてやその……」
「そうか。ならば、武御雷の件は不問にしてやろう。しかし、いずれにせよ貴様達が処罰を受けることに変わりはないがな」
 月詠はニヤリと笑った。
「えっ? ……それはどういう……」
「先程、貴様が殴っていたその男はな。そこにいる訓練兵たちの特別教官で……階級は少佐だ」
「なっ……!?」
「あーあ、酷いですよ月詠さん。いつバラそうかと思って楽しみにしてたのに、先にバラしちゃうなんて」
 やれやれとでもいうように、武は言った。
「ま、そういう事だ、少尉殿」
「そ、そんな事、一言も……」
「俺は自分が訓練兵だなんて言った覚えはないな。誰かさんが勝手に勘違いしただけだ。……さ、ごちゃごちゃ言ってないで、いいからかかって来いよ。階級は関係ないんだろ?」
 ニヤリと笑う武。
「ほう……良かったな少尉。お許しが出たぞ」
 しかし、衛士たちは萎縮したまま、その場から動けなかった。
「なんだ、来ないのか……つまらん。まあいいや、あんたらの処分は追って通達が行くと思うから、楽しみにしといてくれ。それじゃ、もう行っていいぞ」
「は……」
 衛士たちはションボリと肩を落としながら退場した。

「事態を事前に察知したまではよいが……まったく、貴様も意地の悪い男だな」
 月詠が呆れ顔で武に向かって呟いた。
「いや……まあ、冥夜が苛められてるの見たら、ついカッと来ちゃいまして……ね」
「タケル──」
「……では冥夜様、私共はこれにて失礼いたします」
 そう言い残して、月詠たちは去っていった。

「タケル……本当に大丈夫か……?」
「ん? ああ、何ともない」
「……なぜ避けなかった……そなたなら容易に出来たであろう」
「ああいう手合いは一度へこませてやらないと、いつまで経っても同じ事ばっか繰り返すからな。これでいいんだよ」
「そ、そうか。しかし、そなた……あの者達が何をしたがっていたか、知っていたな?」
「さあ、どうだろうな。……ま、どっちにしろああいう手合いの考える事はワンパターンだから、いくらでも予想は出来るよ」
「たけるさん、大丈夫ですかっ!?」
「白銀……」
「はは、大丈夫だって。ちゃんと受け流したから、ダメージはないぞ? ほら、腫れたりしてないだろ」
 と言って、武は殴られた場所を撫でてみせる。
「さて! 午後は座学だったな。もうそろそろ準備しとかないと、まりもちゃんに怒られるぞ?」
「え? あ、本当! みんな、急ぎましょ」
 千鶴の号令で、207B分隊は午後の講義のため、教室へと急ぐのだった。

 武がPXを後にして廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから月詠が現れた。
「あ……月詠さん、さっきはどうも」
「名前を呼ぶことを許した覚えはないがな……まあよい。冥夜様に対する心遣い、感謝する。……だが、貴様の嫌疑が晴れたわけではない……それを忘れるな」
「何の嫌疑か、聞いてもいいですか?」
「説明の必要はない。貴様と馴れ合うつもりもない」
 にべも無く拒絶されてしまう武。が、気を取り直して追いすがってみる。
「つれないなあ……じゃあ、ひとつだけでいいから、教えてくださいよ」
「……言ってみろ」
「俺……って言うか、白銀武って、何かとんでもない事をやらかしたとかで、有名人だったりするんですか?」
 武は無知を装って、一つだけと言いながら、同時に二つの質問を投げかける。
 しかし、敢え無く見破られてしまった。
「質問が二つに増えているが──まあいいだろう。一つ目の問いの答えはイエスだ。二つ目は……そうだな、ごく一部の人間にとってはそうだ、とだけ答えておこう」
「一部の人間って言うのは……斯衛軍とか?」
「む……質問の時間は終わりだ。元々はひとつだけという約束だからな」
「分かりました」
「……」
 無言で武を見つめる月詠。
「……?」
「貴様が何者かは知らぬが……冥夜様が貴様を頼りにされていることは確かだ」
「そう……ですかね?」
「私個人として、貴様に頼みたいことがある」
「何です?」
「人として、冥夜様のお気持ちを裏切ることだけはしてくれるな。……無駄な言葉なのかもしれんがな……」
 そう言い残して、月詠は去っていった。

「さて、どうしたものかな……」
 視界から月詠が消えたのを確認すると、武は自室に戻って考えを巡らせ始めた。
 これまでに分かっていた事は、この世界に元々いた白銀武が既に死亡しているという事、国連軍のデータベース上では白銀武の記録が改竄されている事、城内省のデータはそのまま残っていて死亡扱いになっている事、データベース情報の不一致から武の身元は証明されない事、という程度だ。
 この世界の白銀武の死因に関する手がかりは、全く掴めていない。が、先程、月詠に投げた質問の答えから、僅かながらも状況は見えてきた。
 白銀武が何か重大な事件を起こしたという事は間違いない。
 だが、大きな事件を起こしたにもかかわらず、有名になっているのはごく一部の人間にとってだけ、という事は……事件は隠蔽され、公表すると都合が悪い類のものだと推測出来る。
 一部、というのがどこまでの範囲を示すのかは分からないが、恐らくは城内省や政府首脳、軍上層部とか、そのあたりだろう。
 現在手元にある情報からでは、これ以上の事は分からない。
「月詠さんもどこまで知ってるんだろうな……また夕呼先生にカマ掛けてみるか……」

 と言うわけで、武は夕呼の執務室にやってきた。
「失礼します」
「何か用? あたし今、忙しいんだけど」
 その言葉の通り、夕呼は忙しそうにしている。
「先生が忙しいのはいつもの事じゃないですか。で、何かあったんですか?」
「これからあるのよ。明日、事務次官が視察に来るの。その準備」
「事務次官って……珠瀬事務次官? たまの親父さんの?」
「あら、よく知ってるわね……って、そりゃ知ってるわよね。そうよ、だから忙しいの。分かったらさっさと出て行って──」
「明日……珠瀬事務次官…………マジで!!?」
「ちょっと、大きな声出さないでよ。…………まじで、って何語?」
「あ、明日、珠瀬事務次官が視察に来るんですか!?」
「だから、さっきそう言ったじゃない」
「た、大変だ!!!」
「何が大変なの?」
「あ…………いえ、取り乱してすみません」
「それで?」
「珠瀬事務次官が基地内を視察中、HSSTが落ちてきます。この横浜基地目掛けて」
「……へぇ。どんな感じだったの?」
 武は状況の説明を始めた。
 エドワーズから那覇基地に向かっていたHSSTが、最終突入シーケンス直前で通信途絶。遠隔操作による突入角変更を試みたが、失敗。自爆コードも受け付けず、ハッキングも失敗。高度なクラッキング対策が裏目に出て、海に落とすことも自爆させる事も不可能。
 通常の手順で落下してくるHSSTの運動エネルギーは大したことものではないが、再突入後、加速するようにプログラムされていた上、カーゴ内には海上輸送が原則の爆薬が満載されていた。
 少なくとも事故ではなく、誰かに仕組まれた事だというのは間違いない。
 予測被害は、突入の衝撃と積載していた爆発物の威力で地上施設は壊滅、地下施設も四階まで確実に吹き飛ばされる。
 そして防衛基準体勢2が発令されて、非戦闘員は全員退避。
 1200mmOTHキャノンをリニアカタパルトの先端部に固定、間接照準による極超長距離精密狙撃を、当時訓練生ながらも極東一の狙撃技能を持っていた珠瀬壬姫が見事成功させて、難を逃れた。
 ──と言うわけである。
「なるほどね……その時事務次官、どんな顔してた? 当然その場にいたでしょ? 自分は視察が目的だからどうとか言って」
「はい」
「どんな顔してた?」
「いえ……そこまでは覚えてません。あまり表情の読みやすい人でもありませんし。……そう言えば、事故の原因が故意か偶然かは、事務次官が何か知らないなら、誰にも分からない……なんて言ってましたね」
「へぇ。そんな事、誰が言ったの?」
「先生ですよ」
「あら、そ。でもまあ、なんていうか……面白そうね。見ものだわ」
「見ものって……」
「だって、今の話を聞く限り、もの凄いイベントじゃない。そんな緊張感溢れる状況なんて、なかなか経験できないわ。ね! 取りあえず様子を見てみるって言うのは、どう?」
「うーん……」
 どう、と言われた武は腕を組んで俯き、唸りながら思案に耽り始める。その反応が予想外だったのか。夕呼は少し意外そうな表情で武に呼びかけた。
「ちょっと、白銀……?」
「…………」
「ねえ、白銀?」
「…………」
「白銀ってば!」
「え? ああ、先生。何ですか?」
「何ですかじゃないわよもう。なによ、急に黙り込んじゃって」
「いえ、見ものかどうかは別としても、どっちがいいのかな……と」
「どっち、って?」
「この件を見逃すかどうかですよ」
「……珠瀬の命が危険に晒されるから絶対にダメだ、って言うのかと思ったけど」
「本音は勿論そうです。ただ……この一件を乗り越えたらあいつ、極東一どころか人間のレベルを余裕で飛び越えたレベルまであっという間に駆け昇っちゃうんですよ。成長を望むなら、避けるべきじゃないのかもしれない、って。それに……」
「それに?」
「緊張感溢れる状況ってのは、今のこの基地に必要なものですからね。この間、佐渡島からBETAが南進してきた時なんて、そりゃもうでれんでれんに弛みきってましたからね。朝イチで中央作戦司令室に行った時、俺より上の階級の人が誰もいなかったりとか」
「…………」
「ただ、リスクが大きすぎるんですよね。この件に関しては、あの子一人の力でやり遂げなけりゃいけません。でも、たまがやりたがらなかった場合、この基地で次に狙撃がいけてるのは多分俺だと思いますけど、はっきり言って俺の腕じゃ無理です。賭けてもいいです、絶対に失敗しますから」
 それどころか、結局はこの狙撃の成功は素質によるところが大きいから、たとえ今の自分よりも高い位階にある狙撃手でも、壬姫以外では恐らく成功することはない、と武は付け加えた。
「でも、前は成功したんでしょ? だったら今回だって大丈夫じゃない?」
「……たまに関しては、干渉しまくってますからね。事実、事務次官の視察は俺の記憶よりも随分と前倒しになって、歴史が変わってます。あの子に技術がないとは言わないし、俺が関わった事で実力は前の世界の同じ時期よりもずっと上を行ってるのは間違いないですけど、この件は技術がどうこうじゃなくて、たまが才能を開花させられるか否か、って問題なんです。前の時は俺が頼りにならなかったからこそ何とかなりましたけど──」
「今のあんたは頼りになりすぎるから、珠瀬はあんたに任せた方が成功する可能性が高いと本気で思ってしまう……だから覚悟を決められないかもしれない……そういうこと?」
「まあ、そんな感じです」
 そして夕呼も思案に耽り始めた。成功する見込みがないのなら、それはただの自殺行為だ。勿論、基地下層にいれば被害を受ける事はないが、基地全体としては確実に被害が計上され、そして確実にオルタネイティヴ4の足を引っ張ってくる。
 そのリスクを負う価値があるか。
「ねえ白銀、あんたはどうしたいと思う……?」
「……俺はやっぱり、事前に回避した方がいいと思いました。リスクが大きすぎます。たまを信じてないわけじゃないけど……いや、こんな荒療治をしなくても、あいつならちゃんと成長してくれるって信じてます」
 それを聞いた夕呼は、どんな考えを巡らせていたかは分からないが、結論を出した。
「わかったわ。今回は……いえ、今回もね。手を打つことにしましょう。……HSST落下、必ず阻止するわよ。いいわね?」
「──はい」
 その翌日、珠瀬事務次官が来訪した際に、HSSTが墜落してくる事はなかった──



[1972] Re[5]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/04 12:42
 2001年11月21日(水)

 HSSTの落下を阻止して一晩が経過した。
 武の記憶に残っている、次の大きな出来事と言えば……天元山の噴火だ。しかし、これこそ全くの自然現象で武の影響力など皆無だから、BETA侵攻の時と同じく、噴火の日にズレは見られないだろう。
 避難警告を早める事は出来るかもしれないが、いずれにしても、もう少し先の話だ。
 珠瀬事務次官の来訪が早まったのは、207B分隊……と言うか、壬姫の訓練が前倒しになり、その進捗状況によって事務次官が動いたためだと考えられる。後出しの結果論でしかないが。
 他にやる事と言っても、207B分隊の訓練も順調に進んでいるし、まりもの現役復帰の準備にも余念がない。
 そんなわけで手持ち無沙汰になった武は、ふらりと夕呼の執務室を訪ねてみたのだが──
「せんせー? 入りますよー?」
 武が執務室に入ると、照明は落とされ、非常照明だけになっている薄暗い空間が広がっていた。
「何だ、いないのか。無用心だなあ……」
 取りあえず中で待たせてもらおうと、部屋の中に立ち入った。
「おっと……掃除くらいすればいいのに……きったねえなあ」
 床の上に散乱している本だの書類だのゴミだのを避けながら、先に進んでいく。足元に気を付けながら歩いていると、ふと、夕呼の机の側に落ちていた、一片の書類に目が惹き付けられた。
 何となしにそれを拾い、手にとってみる武。
「これは……?」
「主の不在をいいことに、女性の部屋を物色するのは感心しないな」
 何の前触れもなく、武の背後から渋い声が聞こえてきた。
「うわっ!」
 驚いた武が後ろを振り返ると、先程までは何の気配もなかったその場所に、スーツ姿の謎の紳士が立っていた。
「はじめまして」
「え? ああ、こちらこそはじめまして…………って、違う! あんた誰!?」
 武はこの部屋で霞や夕呼以外に会うのは初めてだ。
 が、その事よりも……夕呼が不在であるにもかかわらず、部屋に誰かいるというこの状況の方が気になっていた。明らかにおかしい。
 武はこの部屋に入るためのパスは持っていない。夕呼が施錠を忘れたというのも考えにくい。という事は、目の前に立つ男が開錠し、先に部屋に入っていた事になる。
 しかし、あの夕呼が、オルタネイティヴ計画の研究資料が山盛りのこの部屋に、他人が勝手に立ち入るような事を許すだろうか……?
「驚かせて済まなかった。いやはやしかし……まさか、本当に君がいるとはなぁ」
 男は何気ない動きで、武に近付いてきた。その身のこなしには一分の隙もなく、武はあっさりと懐に入られてしまう。その事実に驚愕している武をよそに、男はおもむろに武の頬をむにっと摘み、左右にびろーんと伸ばした。
「作り物にしては精巧だな……う~ん、良く出来ている」
「あいでででででででいいいいだいいっだい!!」
「わははは……面白い男だ」
 武は男の手を振り払う。
「おおお面白いのはあんたですよ! いきなり何するんですか!」
「シロガネタケル……本物か……」
「…………!」
 ひりひりする頬をさすっていたら突然名前を呼ばれ、ギョッとする武。
 顔を引っ張って作り物かどうか確かめ……そして、白銀武という名を知っているこの男。
 わざわざ本物かどうか確認したという事は、偽者だと思っていた、或いはその可能性があると考えていたという事だ。
 ではそれが、何の偽者かといえば……元々この世界にいた『白銀武』以外には考えられない。
 この世界で何かをやらかして、そして死んでいった白銀武を知っている──
「どうしたね、シロガネタケルくん? そんなに怖い顔をして」
「え? ああ、いや……なんでも」
 武は強張ってしまった表情を取り繕って、言った。
「えっと、失礼ですが……どちら様で?」
「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀だよ、シロガネタケルくん」
「あっと、これは失礼。俺は……って、さっきから俺の名前、バンバン連呼してるじゃないですか」
「ふむ、そういえばそうだったな。私は……」
「私は……?」
「騒がしいわよ。人の部屋で何やってるわけ?」
 夕呼が部屋に戻ってきて、照明を点けた。
「あ、先生」
「こんばんは、香月博士」
「……帝国情報省ってのは礼儀がなってないわね。入室の許可……どころか、面会の予約をもらった覚えもないけど?」
「帝国情報省?」
 武はなるほど、と得心した。
 それなら、この世界の『白銀武』の事を知っていても、別に不思議はない。
 気になるから教えて欲しいなあ……でも無理なんだろうなあ……などと、武がボンヤリ考えているうちに、夕呼と情報省の男は話を進めていた。もっとも、特に内容のある話でもなく、男の飄々とした態度に、夕呼がイラつきを募らせているだけのようだったが。
「えっと、すみません」
 はい、と手を上げて二人の会話に割り込む武。夕呼がイライラしていると、そのとばっちりが武に飛んでくる可能性が高いのである。これ以上夕呼をイラつかせるのは得策ではない。
「おっと、そうだった。自己紹介の続きだったな。私は帝国情報省外務二課の鎧衣だ」
「鎧衣……って、ひょっとして美琴の……?」
「息子がいつも世話になってるね、シロガネタケルくん」
「息子!?」
「ん? 娘のような息子……違うか、息子のような娘、うん、そうだ」
「…………」
 武は呆れ顔で鎧衣課長を見る。なんと言うか──誰がどう見ても紛れもなく美琴の父親だった。
「ははは……いや、済まない。私は息子が欲しかったんだよ、屈強な息子がね……だからつい──」
「──はいストップ! で、本当は何しに来たわけ?」
 脱線していた話を、イライラしつつある夕呼が無理矢理レールに戻した。
「XG-70の件ですよ。……ご興味ない?」
 XG-70……武には聞き覚えのない単語。
 話を聞いていると、どうやらそれは、開発が頓挫した米軍の兵器のようだった。
 夕呼はそれを再利用するために手に入れようとしているが、国連加盟国であるにもかかわらず、米軍は国連を煩わしく思っている。そこで、帝国情報省の鎧衣課長が交渉の仲介に入った。
 だが、その話の雲行きが怪しくなってきた……という事らしい。
 という話を、さっきの調子でのらりくらりとずらしながら、鎧衣課長は話していた。
「……で、そろそろ本題に入ったらどう? つまらない話はもうウンザリ」
「おや……つまらなかったですか?」
「ええ、面白くないわ。さっさと本題に入ってちょうだい」
 ならば……と言って、ドードー鳥の生態がどうとか言い始める鎧衣課長。速攻で夕呼に却下されてしまう。
「帝国軍の一部に不穏な動きがあるようでして……」
「…………」
「実は最近、戦略研究会なる勉強会が結成されましてね」
「──興味ないわね」
 夕呼はその一言で一刀両断する。出来ればもうちょっと話を聞きたいな……などと武は思ったが、しかし放っておけば鎧衣課長が勝手に喋りそうで、そして実際にその通りだった。
「……それで済まないことはわかってらっしゃるでしょ? 香月博士。もし彼らが事を起こせば、日本に政治的・軍事的空白が発生してしまうのですよ?」
 しかしそれにしても物騒な事を言うものだ──と武は思う。軍内部の不穏分子が事を起こし、その結果、政治的・軍事的に空白が発生する……となれば答えは一つ、クーデター。
「当然、横浜基地もその影響を免れる事は出来ない。そうなれば、国益に聡い彼の国がどう動くか……反オルタネイティヴ勢力や国連内部の別勢力も、黙っちゃいないでしょうなあ。まして、オルタネイティヴ計画を秘密裏に誘致した現政権が倒れてご覧なさい……ああ、恐ろしい」
 国連内部の別勢力……とは、当然オルタネイティヴ5推進派の事だろう。
 クーデターが起きてしまえば、基本的に日本という国から分離されているとはいえ、横浜基地も混乱は免れない。敵対勢力に付け込む隙を与えてしまう。
 その上、現政権──千鶴の父親がオルタネイティヴ4を日本に誘致したのは、前の世界の記憶から武も知っている──が倒れてしまえば……オルタネイティヴ4は、日本という国のバックアップを失ってしまいかねない。
「そこまで掴んでいるのに何も出来ないなんて……帝国情報省は張子のトラってワケね」
「いや、お恥ずかしい限りです。裏は取れていませんが……帝国国防省と内務省の一部、それに……」
「……それに?」
「国益を最優先する国家の諜報機関の影がチラホラと……」
「ふふん、なるほど……そこに繋がるワケ」
「さすがは香月博士……XG-70の件、無関係ではありませんよ?」
 国益を最優先する国……米国が、クーデター画策に関わっていると言う事だろうか。情報が断片的過ぎて、武には判断が付きかねた。
「どうですか、今の話は、なかなか面白かったでしょう?」
「まあまあね。けど、そんなこと興味ないわ。あたしの邪魔にならないんだったら、何だっていいのよ。……で、本当は何しに来たわけ? どれも、わざわざ足を運んでまで知らせる問題じゃないでしょ」
 夕呼は話を斬り捨てる。考えてみれば、そのどれも最新の情報というわけではない。既に夕呼の耳に入っていても、何もおかしくは無いのだ。であるなら、夕呼にとっては今更聞いても仕方の無い話ばかりなのだろう。
「そこまで期待されては仕方がない。本題に入りましょうか?
 実はここ最近、奇妙な命令が何度か発令されてましてね。正規のルートからではない最優先命令が、帝国軍内と国連軍に一度ずつ発令されたんです」
「…………」
「一度目は11月10日。帝国陸軍総司令部宛。二度目は昨日の朝。国連の宇宙総軍北米司令部宛でね」
 佐渡島からのBETA南下と、HSST落下を阻止した件だ。
「帝国軍内部のキナ臭い動きの件もありますし……皆、ピリピリしているんですよ」
「へえ……それで関係ない外務二課が刑事のまねごと?」
「まあ、しがない飼い犬ですから……はっはっはっ。──で、香月博士なら何かご存知かと思いましてね。報告ついでに伺った次第です。穏やかじゃないですな……自軍のHSSTを見張れとは」
「…………」
「しかも、座標まで的確に指示が出されていた。そのポイントで国連軍のHSSTを監視しろと。万が一、不穏な動きを察知した場合は、撃墜も厭わず……とも。ああ、恐ろしい」
「ずいぶんと物騒な命令を出したヤツがいたものね」
 しらばっくれる夕呼。
「おかげでエドワーズは一時、大混乱に陥ったらしいですなぁ……面子が大事なお国柄……そりゃあ、ガラクタでも出し渋りたくなるでしょうよ」
「……」
「昨日の件、何かの予防措置のような気がするんですがねぇ……いったい何が起ころうとしていたんです?」
「……まるで、あたしが関係しているみたいな言い方ね?」
「香月博士の他に、そんな真似が出来るものは……そうはいないでしょう?」
「よしてちょうだい。いくらあたしでも、何もかも予測できるワケじゃないわ」
「ほう……では先日のBETA上陸の際……彼らの動きを正確に予想し、的確な部隊の増強を指示出来たのはなぜです?」
「……さあ? 指示した人に聞いてよ」
「…………神の御業か悪魔の力か……そのどちらかでも、手にされたのですかな? 初めは社霞かと疑ったが……死んだはずの男がここにいる」
「……え、俺?」
 鎧衣課長の睨むような視線に刺され、武はキョトンとした顔で自分自身を指差した。やった後で、ちょっとわざとらしかったか……などと思った。
「是非ともご説明いただきたいものですな」
「仕事熱心なのは結構だけど……少し脇道に逸れすぎじゃない? あなたにお願いしたのは、仲介と調停だったはずだけど?」
「先生」
「……なによ」
「ここらが潮時じゃないですかね」
 なおも誤魔化そうとする夕呼に、武はどこか諦めの色を含んだような口調で言った。
「なに言ってるの?」
「鎧衣課長。BETA上陸やHSSTの件……予測して命令を差し込んだの、実は俺なんですよ」
「……ほう? それは聞き捨てならないな」
「ちょ、ちょっと白銀!?」
「俺……普通の人間じゃないんです」
 武はいつもより低く抑えた声で、まるで怪談でもするように語り始めた。
「白銀ッ、止めなさいっ!!」
「実は…………米国、ネバダ州の砂漠にエリア51っていう秘密基地があるんですが……国連軍はそこで極秘の計画を進めているんです」
「エリア51……」
「スーパーエリートソルジャー計画──SES計画。俺はそこで生まれた九番目のスーパーエリート、SES009」
「SES009?」
「ゼロゼロナンバーを持つ、最後のスーパーエリート──それが俺の真の姿!」
 どこからともなく聞こえてきたキュピーンという効果音と共に目を光らせる武。
 しかし。
「…………」
「…………」
「…………」
「おお、そろそろ次の調査に向かわなければ」
「あたしも研究の続きしなきゃ」
 緊迫していた場が一気に白けてしまった。……武の思惑通りと言えなくもないが。
「……あ、あの~」
「君にはガッカリだよ、シロガネタケルくん」
「あんたねぇ……もうちょっとマシなこと言いなさいよ」
「す、すみません……」
「では香月博士、私はこの辺で失礼させていただきますよ」
 と言って、鎧衣課長は帽子を被りなおす。
「あれ、美琴には会っていかないんですか?」
「……そうだ、忘れていた。かの娘の動向を探る名目でやってきたのでした」
「……どっちの?」
「この場合、どちらが面白いと思いますか?」
「……さあね」
「では、さらばだ。またの機会に会おう、シロガネタケルくん」
 そう言い残して、鎧衣課長は夕呼の執務室から出て行った。

「なんと言うか……掴みどころのない人ですね」
「あんたも人のこと言えないでしょ? なによもうSES009って。一瞬、鎧衣課長が二人に分裂したのかと思ったわよ」
「勘弁してくださいよ……でもまあ、いいじゃないですか。誤魔化せたみたいですし」
「ああ、もう……いやになるわ、本当」
 夕呼は疲れた顔で、椅子に深く沈みこんだ。恐らく徹夜続きなのだろう、目の下にはうっすらと隈が出来ている。
 疲れているところを申し訳ないと思いつつも、どうしても気になることがあった武は、夕呼に話しかけた。
「あの、夕呼先生──」
「──ストップ。……お願いだから、今はやめてちょうだい」
「すみません。でも、なるべく早いうちに済ませた方がいいと思う事なんで」
「……なによ」
 武は鎧衣課長がいた間、ずっと手に持っていた一枚のレポートを夕呼に差し出した。
「これなんですけど……」
 武の差し出した紙片は、何かの論文の一部のようだった。へたくそな絵でいくつかの図が描かれている。
「ちょっと。何であんたがこんなもの持ってるのよ」
「いえ……床に落ちてましたよ?」
「えっ? ……はぁ。相当参ってるみたいね、あたし……拾ってくれてありがとう。さ、もういいでしょ、出て行ってちょうだい」
 部屋を出て行けという夕呼の言葉に、しかし武はその場を動こうとしなかった。
「いえ、話はここからです。それ……今研究中の並列処理装置の論文ですよね」
「!!」
 夕呼の表情が一瞬強張るが、またすぐに元の疲れた表情に戻った。
「……はぁ……前の世界のあたしも相当キてたみたいね。……偶然見たの? それとも見せてもらったの?」
「いや、そうじゃなくて……元の世界で」
「えっ!?」
 今度こそ本当に驚きを隠しきれない夕呼。だがそれも当然だった。
 武の主観ではもう十年も前になるので、かなり曖昧な記憶になってはいるが……テスト前の物理の授業を受けていた時、夕呼がプレスタ2のクソつまらないRPGをやっている時に思いついたと言って、その後に黒板に図を描き始めた。
 そして、夕呼はこれは没、古い! と言ってその図にでっかい×印をつけ、その脇に新しい数式を書き始めたかと思うと、論文にまとめるべきだと言って教室を出て行ってしまったのである。
 と言うような事を何とかひねり出しながら、夕呼に伝えた。話が進むにつれて記憶を呼び起こすのが苦しくなっていく武とは対照的に、だんだんヒートアップしていく夕呼。
「たどり着いたんだわ……あたしがそんなこと言うって事は……もう理論は完成したって事じゃないの! その理論、あたしは完成させてるんだわ! 少なくとも、今より現実的な理論が……実験の一歩手前まで完成している……」
「はあ……そうですか」
「……何とかしなさい!」
「は?」
「は、じゃないわよ! 何とかして思い出しなさい!! 一部でもいいわっ! 何とかしなさいよ!!」
「いや、いくらなんでも無理ですって。俺にとってはもう十年以上も前の話なんだし……そもそも何が書かれてあるか全く理解出来なかったし……うわっ!?」
「なんですってぇ!!? ううん、わかんなくてもいいから、とにかく思い出すのよっ! そうだ、叩いてみれば、なんか出てくるかもしれないわ!」
 夕呼は武に掴みかかると、武の頭をぺしぺしと叩き始めた。
「いた、痛いですって、ちょっ、頭を叩くのは止めてくださいっ! そんな事しても何も出てきませんって! これ以上バカになったらどうするんですか! 少し落ち着いてください!」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 寝不足がたたってハイになっているのか、いつになく夕呼のテンションが高い。こんな夕呼も新鮮で、そしてこれはこれで魅力的ではあるのだが、しかしテンションに比例して被害も大きくなりそうだったので、武は夕呼を何とか落ち着かせた。
「とにかく……もう一つ気になってる事があるんで、それを先に聞いてください」
「なに!?」
 武に詰め寄る夕呼。
「……本当に落ち着いてます?」
「いいから早く!!」
「えっとですね、俺、元の世界で、先生にその論文のコピーを取らされた事があるんです」
「──それで?」
「それを頼まれた時、夕呼先生の頼みなら仕方ないって言ったら、どっちかって言えば俺の頼みなんだけど、って」
「…………」
「コピーしてる時は、それがその論文だって知らなくて、後でそれを教えられて、思いっきり私用じゃないですか、って文句を言ったんですけど──そしたら、それはこっちの台詞だって言われました」
「…………」
「で、俺の手にマジックで『しろがねたける』って書いて、消したらテスト欠席だ、って脅されたんです」
「………………で?」
 いつもの夕呼なら話を先読みしてテンポ良く会話の応酬が始まるところなのだが、疲れているためなのか、実にキレが悪い。
「先生……寝不足で全然頭回ってないんじゃないですか?」
「……なによ」
「だから。向こうの先生が俺の手に『しろがねたける』って書いたのは、そうやって区別しなきゃ分からないような誰かがいたって事で──」
「……そうか。つまり、あんたが元の世界にいた時、あたしの論文を取りにきた別のあんたがいたって事ね?」
「はい。まあ実際に会ったわけじゃないし、先生に聞いたわけでもないから、微妙なところなんですけど……その区別しなきゃ分からない誰かっていうのが、ひょっとして今の俺だったりするのかなー、なんて」
 いまひとつ信じがたい話ではあるが、状況証拠を見る限り、そうとしか考えられなかった。
「なるほど。考えられない事じゃないわね…………よし、そのセンで攻めましょう。理論は出来てるから、後は装置を作って実験をするだけ──そうね、二日もあれば完成させられるから、その時はよろしく」
「分かりました。って、それはいいんですけど……ちゃんと寝てくださいよ? さっき俺が言った事だって、いつもの先生ならスパッと出てくるような事でしょう? 先生、きっと自分で思ってるよりずっと疲れてますよ」
「……分かってるわよ」
「……いくら疲れてるからって、変なクスリに手を出すのだけは止めてくださいね」
「出さないってば」
「おなか出して寝ちゃダメですよ? 風邪でもひいたら大変──」
「ああもう、うるさいっ! さっさと出てけ!」
「はいはい」



[1972] Re[6]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/04 12:42
 2001年11月26日(月)

「ここって、校舎裏の丘……だよな」
 気が付くと、武は白稜大付属柊学園の裏手にある丘の上に立っていた。
 そこから一望出来る景色は、すっかりお馴染みの風景になってしまった見渡す限りの廃墟、ではない。自宅があった方を見てみると、その周りはぽっかりと空き地になっていて、武の家と純夏の家、冥夜の御殿がぽつんと建っている。
 別の方を見ると、遠くには橘町の観覧車も見えた。間違いない。
「戻ってきた……か」
 夕呼の理論を基に作られた装置で、数回の実験を経た後、武は一時的に元の世界に来ていた。
 タイムリミットは三時間。その間にこっちの世界の夕呼と会って、向こうの夕呼から預かってきたものを渡して事情を説明し、新しい並列処理装置のための数式を渡して貰えるように、頼まなければならない。
 その時、校舎の方からチャイムの音が聞こえてきた。
「太陽があそこだから……大体16時くらい……もう放課後だな。物理準備室にいてくれればいいんだけど」
 武は丘を駆け下り、校門前に到着した。
 帰宅するもの、部活に行くもの。白稜柊の学生たちが、思い思いに歩いている。武はその枠から外れてしまって久しいが、ノスタルジーに溺れている場合ではない。
 時間に余裕があるわけではないのだ。しかし、だからと言ってあまり目立つわけにもいかない。武は仕方なく、少し人が減るまで様子を見る事にした。
「まてー!!!」
 武がコソコソと植え込みの陰に隠れた時。
「止まれー! 待てー! ていうかまってよ~~!! んもー! クツ投げるぞ~~!!」
 懐かしい声が武の耳に飛び込んできた。
「待ってったら待ってったら待て────!!」
「この声、って……純夏、だよな……?」
「うりゃああっ!!」
「──あいたっ! ……な、なんだ?」
 物陰からこっそりと顔を出して、武が感傷に浸ろうとしていると、飛んできた何かが額に激突し、痛みから戦闘が連想されて気分が切り替わったのか、その思考はすっぱりと中断された。
「ありゃ……失敗……えへへ」
 状況確認。武のすぐ側に、ローファーの革靴が片方だけポツンと転がっている。純夏が宣言通り、靴を投げたらしい。
「ああ、なんかこれ記憶にあるな……そうだ、確かこの後、純夏に靴を取りに行かされて……そしたら靴が投げ返されてきたんだったよ。俺がやってたのかあれ……って事は、そこに俺がいるって事か?」
 考えてみれば、この世界に武がいるのは当然の話だ。今この場にいる事は別にしても、そもそも夕呼の論文のコピーをとった後、手に名前を書かれたという事は、白銀武が同時に二人存在していると言う事に他ならない。
 だとすると、なおさら迂闊に姿を見せるわけにはいかない。本人同士でご対面など、何が起きる分かったものではないからだ。
「──マジで投げるバカがいるかよ……ったく」
 聞き馴染みのない声が聞こえてくる。だがしかし、聞いた事がないわけでもない。自分の声を録音してを再生した時と同じものだ。
「これ、俺の声……だよな」
「タケルちゃん、クツ持ってきて」
「なにおう!?」
「持ってきてったら持ってきて!」
 武の記憶は曖昧ではあったが、憶えている範囲内で、まったくその通りに話が進んでいく。
「えーっと……クツはとこまで飛んでった?」
「本当に来たよ……ここで投げ返せばいいんだよな……よっと」
 武は純夏の靴を軽く放り投げる。上手い具合にこっちの武の足元に転がっていった。
「……ん?」
 草むらの中から転がり出てきた靴を見て、怪訝そうな表情を浮かべるこの世界の武。
「頼むから、こっちに顔突っ込んだりしてくれるなよ……?」
「どうしたの?」
「…………いや……おまえのクツ、犬の糞まみれだと思って……」
「え──!?」
「ほ~れ!」
「うわっわっわっ!!」
「わははは……ばーか! 嘘に決まってんだろ~~」
 そして、やがて冥夜が合流してきて、三人で連れ立って帰っていった。
 純夏たちの姿が見えなくなってから、武は植え込みの中から姿を現した。
「…………はぁ」
 武は複雑な気分だった。はしゃいでいる昔の自分の姿を見て、気恥ずかしいのである。確かに犬の糞のくだりの記憶はしっかりと思い出したし、間違いなく武自身も経験している事なのだが……いくら今の武にとっては十年前の話だとしても、ちょっとコドモすぎやしないかと。
「まりもちゃん、苦労してたんだろうなあ……」
 向こうの世界で、曲がりなりにも教官をしている武は、自分の事ながらあんなのに教えるのは大変だろうなあ……と、まりもに深く同情するのだった。
 それはさておき。
 武は任務を遂行するために、校舎の中へ入っていった。
「──あら? 珍しいのが残ってるわね。ひとり? ……で、なに、その格好。なんかの罰ゲーム?」
 校舎の中を物理準備室に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。振り返ると……そこには夕呼が立っていた。
「あ、夕呼先生……」
 丁度良かった、と続けようとしたところで、武は夕呼の訝しげな視線に気が付いた。
「……?」
 別におかしいところはないはずだ、と武は考える。話せば違いに気付かれるかもしれないが、まだ、まともに言葉すら交わしていない。
 外見がこの世界の武と大きくかけ離れているという事もないだろう。夕呼の方から話しかけてきた事が、それを証明している。
 じゃあ服装は……と思って、上から下まで見回してみた。これも別段おかしなところは見当たらない。武がいつも着ている、何の変哲もない、ごく普通の国連軍仕様の作業服だ。
「…………」
「……?」
「…………し、しまったぁ!!」
「えっ、な、なにっ!?」
 今頃、作業服のまま来てしまった事に気が付く武。道理ですれ違う人がみんな振り返っていくワケだと納得したが、まさに手遅れ。
「あ……い、いえ、なんでも……」
「そ、そう……? それじゃ、早く帰って暖かくして寝なさい。お大事にね」
 関わり合いになりたくないわ、とでも言いたげな引き攣った笑顔で、そそくさとこの場を立ち去ろうとする夕呼。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 武は夕呼の腕を掴んでクイッと軽く引っ張った……つもりだったが、思いのほかその力は強かったようで、夕呼の華奢な身体は武の胸にすっぽりと納まってしまった。
「きゃっ! ちょ、ちょっと白銀あんた、なにすんのよ!」
「あ、す、すみません! あの……話したい事があるんですけど」
「わ、分かったから! だから、離しなさい!」
「はい。でも、ここじゃちょっと……」
「そうじゃなくて! もう、話は聞いてあげるから、さっさと解放しなさいって言ってるの!」
「え? ……あ」
「……もう」
 武は慌てて夕呼の腕を解放する。
「物理準備室でいいわね」
「はい」
 と言うわけで、夕呼と武は連れ立って物理準備室に入っていった。

「で……あんた、誰?」
「え? 誰がどう見ても白銀武でしょ?」
「あたしの知ってる白銀は、もっと貧弱な坊やなんだけど」
「酷いなあ……まあ、今はその事はいいです。とりあえず、これ。読んでみてくれませんか?」
 武は向こうの夕呼から預かった、封印された書類の束を取り出した。
「なに? ラブレター?」
「こんな分厚いラブレターはないと思いますけど……開ければ全部分かるはずです」
 夕呼は訝しみながらも封印を解いた。その表紙には、『因果律量子論に基づく多元宇宙の実証考察』と書かれてあった。
「………………何よこれ。からかってるの?」
「別にそういうわけでは……ていうか俺、それに何が書かれてあるか知らないんですけど」
「ふぅん…………っ! これは……いえ、少しだけ違う……? ……え? ま、まさか!?」
 ぺらぺらと書類をめくりながら、中に書かれていることを読み取っていく夕呼。
 やがて、その顔はみるみる厳しくなっていく。
 ある意味当然だ。これが向こうの世界だと、銃を突きつけられるような展開になる事は間違いないだろう。と言うか、似たような事をやって突きつけられた。
「──白銀! ……なのよね?」
「はい」
「これ、どこで手に入れたの? あんたがまとめたなんて事言ったら、速攻車で轢き殺すわよ?」
「それは……遠慮したいですね。ちょっと長くなりますけど、構いませんよね?」
「いいわ。話してちょうだい」
 そして、武は順を追って事情を説明し始めた。武が向こうの世界に飛ばされたところから始まり……向こうの世界情勢、オルタネイティヴ4の頓挫、オルタネイティヴ5の発動。戦って、戦って、戦い抜いて……そして敗れた事。
 死んだはずなのに、気が付いたらまた最初に飛ばされた日に戻って……再び戦いに身を投じている事。そして、逆転の決定打になるはずのオルタネイティヴ4には、こっちの夕呼の数式が必要な事。
 余計な感情を排除して、武はそれらを淡々と話し続けた。
「……とまあ、こんな感じです」
「…………」
「……?」
「ふふっ……あ~はははっ!」
「……先生?」
「あたしの因果律量子論に間違いはなかったのね! ──最高よ、白銀! ご褒美にキスしてあげるっ! ん~~~~っ!」
 突然武に抱きつき、キスの嵐を降らせ始める夕呼。
 あまり乱暴な事は出来ないので、武は形だけの抵抗を見せたが、効果がなかったので、仕方なくそのまま夕呼のやりたいようにやらせておいた。
「はぁ……そうだったのね。うん、そうよ、これよ、これ! いやー! さすがあたしねっ、やっぱり天才だわっ! 新理論の数式なら、すぐ用意してあげるから安心しなさいっ! そんなの幾らでもやってあげる!」
「はあ、ありがとうございます」
「……久しぶり。そう言えばいいのかしら?」
「……そうですね。お久しぶりです」
「……ふふ……何よ、あんたもちゃんと立派になれるんじゃないの……顔つき、全然違うわよ?」
「そんなに違ってますか? いっぺん死んだ時に若返って、この世界の俺と同い年になってるはずなんですけど」
 武は自分の顔をぺたぺたと触ってみる。
「歳は一緒でも表情が全然違うわよ。凄く大人っぽくなってる。それで、どのくらいぶりなわけ?」
「そうですね、十年ってとこですか」
「…………」
「どうかしましたか?」
「…………十年? ……マジで!?」
「マジです」
「認識圏外にしちゃ妙な感じだと思ったら……そういう事……」
「……先生?」
 ぶつぶつと呟いている夕呼に、怪訝そうな声で問いかける武。
「え? ああ、なんでもないわ。まあ、あたしも一応教師やってるから、今まで何人も教え子を持ったし、色んな子を送り出してきたけど……でも、さすがにあんたみたいなケースは初めてよ。違う世界に行って戻ってきたねえ……」
「そりゃ、そうですよね」
「……で、いつ戻るの? この世界には長くはいられないはずよ」
「あと一時間もないですけど、用事も終わったし、どこかでゆっくりしてますよ」
「そう? あまり干渉しちゃいけないって言われてるとは思うけど、一時間くらいなら街を見て回ってきても構わないわよ? 人に会うのは避けた方がいいけど」
「そうですか……じゃあ、そうしてみます」
 武は夕呼の提案に従って、久しぶりの、壊れていない柊町を見て回る事にした。
「それがいいわね。さて、とりあえず頼まれたものは……そうね、三日後には何とかしておくわ」
「了解です……っと、今日は何月何日ですか?」
「11月26日よ」
「わかりました。それじゃ、俺はこれで失礼します」
「ええ、またね」
 武は物理準備室を後にした。
 校舎を出てグラウンドを通りかかるが、人はほとんど見当たらない。確か……と、今の時期がテスト前だった事を思い出して納得する。もっとも、あまり人に干渉出来ない身としては、その方が都合が良かった。
 そして、そのまま校門をくぐって校外に出る。桜並木の坂道を下って、柊町の町並みに踏み込んだ。
「この辺も全然変わってないな……って当たり前だよな……」
 時間が経ったのは、武の中でだけの話だ。
 特に行き先も定めずに、ふらふらと町の中を歩き回る。
「結構忘れちゃってるなあ……そうだよな、十年だもんな……」
 BETAがいない、と言う安心感からだろうか。なんと言うか、向こうの世界に比べて空気が圧倒的に柔らかい。
 無論この世界でも戦争は行われているし、どこかにある戦場に行けば、ピリピリした緊迫感に包まれる事だろう。しかし、それでもBETAに侵略されているあの世界にいるよりは、温い空気なのではなかろうか。
「……タケルちゃん?」
「そうだ、あいつらに何かお土産でも買って……ってダメだ、財布持って来てないよ」
 最初に着ていた、こちらの世界の白稜柊の制服なら、ポケットの中に財布が入っていたはずだったのだが。しかし今着ているのは作業服。財布など持ち合わせていない。
「……タケルちゃん?」
「あー……でもその前に、そんな事したら先生に怒られるかな……」
 こちらの世界の物を向こうの世界に持ち込む事自体が、何かを引き起こす可能性も考えられないわけではない。しかし、もしそうでなかったとしても、向こうの世界の誰かに何かを渡した時点で、武が世界間を移動できる異質な存在と言う事が明るみになる可能性が出てきてしまう。
「ターケールーちゃーん?」
「いや……でも、霞なら知ってるわけだし、問題ないかな。ついでに夕呼先生も。今度聞いてみるか」
「タケルちゃ~ん! わたしの話を聞~い~て~~~っ!」
「うわああっ! な、何だ!?」
 耳元で炸裂した大声で、思考から解き放たれ、我に返った武。
「へへへっ! 何度も呼んでるのに、無視するタケルちゃんが悪いんだよ~?」
 声のした方を向くと、そこには武を脅かした事に満足でもしたのか、少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべた純夏が立っていた。
「す、純夏!?」
「そうだよ?」
「…………」
「どうしたの?」
「…………」
「もー、失礼だよボーっとしてさ」
「ん、ああ……済まん」
 生返事をする武。
 武は今すぐこの場から逃げ出すべきか考えていた。この世界の人間に深く干渉すると、どんな影響があるか分からない。そして武自身を除けば、この世界で武の一番近くにいるであろう純夏は、その筆頭だ。
 だが、こうして言葉を交わしてしまった以上……今ここで逃げ出すと、その方が純夏を傷つけてしまいかねない。その事を思うと、武はどうしてもこの場から離れる事が出来なかった。
「ねえ、どうしたの、その格好……コスプレ?」
「え? いや、その……なんだ、ちょっと夕呼先生にな……」
「あー、そうなんだ。ふふふっ、香月先生にも困っちゃうよね」
 咄嗟に夕呼先生、と言って誤魔化してみたが、その神通力は、この世界でも有効だった。と言うかこの世界の方が効力は多分大きい。
 ともあれ、実に十年というブランクがあったものの、何とか会話を成立させる事は出来たようだ。そして、一度会話のキャッチボールが出来たら、武の心にも若干の余裕が生まれた。
 落ち着いた武が改めて純夏の姿を眺めてみると、スーパーで買い物をしてきたのか、その両手に重そうなビニール袋がぶら下がっている。
「買い物に行ってたのか。荷物持ってやるよ。ほら、貸してみな?」
「…………えっ?」
「何だ、どうした?」
「…………」
「おーい、純夏ー? ……何だよ、ボーっとして。お前、それじゃ人のこと言えないだろ」
 武は純夏の手から、ビニール袋を奪い取った。
「……えっ? あ!」
「ほら、行くぞ?」
「あ……うん……」
「何だお前、顔紅いぞ? 熱でもあるのか?」
 武は左手に袋を持ち替えると、いつか霞にしてやったのと同じように、右手で純夏の前髪をかき上げ、純夏の額に自分の額を当てた。
「ひゃっ!?」
「んー……熱はないみたいだな。でもダメだぞ? ちゃんと気をつけてなきゃ」
「う、うん……」
 そして、二人は家に向かって歩き出した。家に着くまでの間、純夏は武の方をチラチラと見ては顔を紅くしていたが、武がそれに気が付くことはなかった。
 家の前に着くと、武は純夏に買い物袋を渡す。さすがに、家の中にまで上がるわけにはいかない。
「じゃあ俺、まだちょっと用事あるから、行くぞ」
「え? あ、タケルちゃん!?」
「じゃあな」
 武は純夏の頭をぐりぐり撫でると、その場から走り去った。
 そしてやってきたのは近所の公園だ。家の周りは、冥夜の御殿が建つ時に、そのほとんどが更地になってしまったので、身を隠せる場所と言えばここしかない。
 辺りはすっかり暗くなっている。タイムリミットも、もうすぐそこまで迫っていることだろう。
「ふぅ……何とか、上手くやれたのかな……」

「──ん?」
 気が付くと、武は夕呼の実験室にいた。
「ああ……帰ってきたのか」
「お疲れさま。……首尾は?」
「三日後までに用意しておいてくれるそうです」
「向こうの日付、ちゃんと聞いてきたんでしょうね?」
「それはもちろん。こっちと同じでしたよ……おっと」
 武はふらついて倒れそうになっていた霞を抱きとめた。実験中にも同じように倒れた事があったが、その時と比べても随分顔色が悪い。
「先生……霞、大丈夫なんですか? 無理させてるって事は……」
「…………」
「先生?」
「全く無理していないかどうかって言えば、答えはノーね。でも……今の私たちには社の力を借りる以外、方法がないのも事実よ」
「──そうですか。なら、次できっちり決めちゃいましょう」
「あら。無理させちゃダメだ、なんて答えが返ってくるかと思ってたけど」
「だからこそ、次、一発で決めるんでしょ? そうやって俺を試すの、もう止めてくださいよ。見た目通りのガキってわけでもないんですし」
「……そうだったわね」
「ま、向こうに行って腑抜けて帰ってきたんじゃないかって心配は、分からなくはないですけど……大丈夫ですよ。俺、この世界でやらなきゃいけないことが山ほどありますから」
 武は少し自嘲気味の笑顔を浮かべた。
 確かに、元々は武は向こうの世界の住人ではある。だが、血生臭い世界に肩までどっぷりと浸かり込んでしまった今の武が、向こうの世界に帰って、また昔と同じような暮らしを営めるかどうかと言えば……ノーと答えざるを得ない。
 分かりきっていた事ではあるが、今回、実際に向こうの世界を歩き回ってみて、その事を強く実感してしまった。
 元の世界において自分が異質な存在であるという事をはっきりと認識してしまった武が、その世界に触れて腑抜けてしまうような事があるはずもなかった。
「それじゃ俺、霞を部屋に送ってきます。その後はどうしましょうか。先生の部屋に行った方がいいですか?」
「……いえ、今日のところは、そのまま休んでもらって構わないわ」
「そうですか。では」
 武は霞を抱きかかえて、実験室を後にした。


 2001年11月29日(木)

 武は再び、元の世界に来ていた。今回もまた、校舎裏の丘に現出している。あれから三日、新しい並列処理装置の論文を受け取るためだ。
 現在時刻は6時00分。今度のタイムリミットはおよそ18時間。丁度、日付が変わるくらいまで滞在する事が出来る。
 装置の出力を上げる事で滞在時間の長期化が実現した。しかし、それに伴って霞の負担も大きくなっている。任務を確実に達成出来るように、との配慮からだったが、霞のためにも必ず成功させなければならない。
「さて……どうしよう」
 とは言っても、出来る事はほとんどない。ここで時間を潰して、夕呼が出勤してくる頃を見計らって学園内に潜入し、物理準備室に行って論文を受け取るだけだ。
 武はしばらく時間を潰した後、物理準備室へと向かった。潜入任務開始だ。
 しかし学校という建物、人がいる割には隠密行動は取りやすい。と言うか学生たちが教室に入っている時間なら、例え姿を見咎められようと、堂々としていれば騒ぎになるような事もない。そんな特殊な場所でもある。今の時間は朝のホームルームを行っているので、武は悠然と歩いて物理準備室前に辿り着いた。
 ただ、見つかるよりは見つからない方が都合がいい事には違いない。武は回りに人目がないのを確認すると、物理準備室の扉を開けて中に滑り込んだ。当然ながら、部屋の中に夕呼はいない。ホームルームが終わるまで、しばらくここで待たせてもらうことにした。
 そして数分後。物理準備室に夕呼が戻ってきた。
「あ、先生。おはようございます」
「……白銀?」
「はい。論文を受け取りに来ました」
「そう。ま、座んなさいよ。あたし今日、午前中は授業ないから。相手したげるわ」
「はい、失礼します」
 武は実験机の前に置かれていた丸椅子に腰を下ろした。
「今日はどのくらいいられるの?」
「多分、日付が変わるくらいまでは」
「ふぅん。でも、そんなに時間があっても、やる事ないんじゃない?」
「そうなんですよね。もう目的はほぼ達成しちゃいましたし。だからって、あまりウロウロするわけにもいきませんし」
「…………」
「どうかしましたか?」
「なんかこう、あんたが礼儀正しいと調子狂っちゃうのよね……っていうか気色悪い」
「酷いなあ、もう。これでも相当砕けてる方なんですよ?」
「……マジで?」
「マジです。ま、軍ってこういうの特にうるさいですしね。TPOに合わせて使い分けはしますけど、そっちに引っ張られちゃってる部分は大きいと思います」
「へぇ。やっぱさ、嫌な上司とかいるの?」
「そりゃいますよ。むしろ軍規って縛りがある分、それだけで階級が下の者には居丈高に出られますからね。その辺、勘違いしてる奴も結構多いんじゃないですか? 階級が上がっただけで人間としての格が上がった、みたいな」
「向こうのあたしは、そういうのに厳しいんだ?」
「いえ全然。まりもちゃんに言わせると、夕呼先生にかかったら軍規も何もなくなる、だそうです。俺は、今は夕呼先生の直属の部下やらせてもらってますから、その点は本当に気楽なもんですけど」
「ふふ。あたしらしいって言えば、そうなんじゃない?」
「ま、色々と気苦労が多い立場ですからね。そういうところで気を抜かないと、やってられないんじゃないですか?」
「あっちのあたしって、大変なのねぇ」
「俺も出来るだけサポートしたいんですけどね。でも研究の分野だと俺は完全に門外漢ですし、政治の分野で先生の肩代わりが出来るほど、能力も経験もありませんし。結局、足引っ張っちゃう事の方が多いんですよね。突き詰めれば、俺なんて所詮ただの戦闘員ですし」
「そうかしら。それなりには頼りにしてると思うけど?」
「だといいんですけどね。そういうの、表に出さない人だから」
「まあ、そうよね」
「なんだかんだ言っても、階級の差ってのはどうしても付き纏ってきますからね。そこに天才って事を加えれば、向こうで先生と本当の意味で対等に話せる人なんて、誰もいなくなっちゃいますよ」
「まりもはどうしてるの?」
「まりもちゃんとは確かに親友ですけど、でも対等な立場ってわけじゃないですから。仕事抜きで話す時はいいんでしょうけど、先生の抱えてる問題はほとんど仕事絡みですし」
「なるほどね。じゃあ、あんたが一番近い位置にいるんだ」
「今のところはそういう事になるんでしょうね──」

 取りとめのない話が続いてゆく。そうしているうちに、本日午前の授業終了を知らせるチャイムが鳴った。
「あら、もうこんな時間なのね。そう言えばあんた、お昼はどうするの?」
「なんか適当に探して食べようと思ってますけど」
「探すって、何を?」
 夕呼に質問された武は、少しだけ考え込んで答えた。
「………………へび?」
「ちょっとやめてよ、食欲なくすじゃない。……わかった、あたしが奢ったげるから、ちょっとここで待ってなさい」
「はあ……分かりました」
 夕呼は物理準備室から出て行った。
 結局、武はこの日は外を出歩く事はなく、昼食をご馳走になったあとも、夕呼が授業やホームルームでいなくなる時間を除いて、ずっと話し込んでいた。
 そして、0時を回ってしばらくすると……武の視界が曖昧になり始める。
「もうそろそろ時間みたいです」
「そう。論文はちゃんと持った? 手放しちゃダメよ?」
「はい、大丈夫です」
「……あんたとは、多分これで最後になるわね。色々と複雑な事情があるんでしょうけど、あたしはあんたと話せて良かったと思ってる。あっちに戻ったら、辛い事もたくさんあるでしょうけど……しっかり頑張んなさいよ」
「……はい。本当にありがとうございました」
「いいのよ。じゃあね」
「はい──」

「──ん?」
 歪んだ視界が元に戻ると、そこは夕呼の実験室だった。
「おかえり。上手くいった?」
「あ、はい……これです」
 武は持っていた書類の束を夕呼に手渡した。
「ありがと。あたしは部屋に戻るから、あんたは社を部屋に送ってからあたしの部屋まで来てちょうだい」
「わかりました」
 武は意識を失ってしまった霞を抱きかかえ、部屋まで送り届けて寝かしつけると、夕呼の執務室に向かった。
「じゃ、早速確認させてもらうわね?」
「お願いします」
 夕呼は論文をぺらぺらとめくりながら、中身を読み解いていく。最初はどこか難しい表情をしていたが、やがてそれはパッと明るいものに変貌を遂げた。
「そうよ、そう! これが言いたかったのよ!! あたしの求めていた物をちゃんと出してくれるなんて、さすが向こうのあたしね! 凡人にはこれがわからないのよねぇ。もう最高よ! ン──っ」
「!? ちょ、ちょっと……!?」
 興奮のあまり、武に抱きつき、キスの嵐を降らせる夕呼。向こうもこっちもやはり夕呼は夕呼、やる事は同じだった。もしかして本性は抱きつき魔でキス魔なのかもしれない。
 武は振り払おうとも考えたが、やはり乱暴な事は出来ないので、仕方なく、夕呼のやりたいようにやらせておいた。抱かれ心地がとても気持ち良かったからでは決してない……多分。
「……落ち着きましたか?」
「うん、うん! 落ち着いてるわよっ!」
「……まあいいか」
 武は、これのどこが落ち着いてるんだ……などと思いつつ、話を先に進めるべく、切り出していった。
「これで、オルタネイティヴ4は前に進むんですね?」
「そうよ。これで00ユニットが完成する──」
「00ユニット?」
 初耳だった。この世界でも、前の世界でも聞いた事がない。
「あら、あんたでも知らない事があるんだ」
 武が知らなかったのが嬉しかったのか、夕呼はにんまりと笑った。
「そりゃ、その辺は俺の領分じゃないですし」
「あ、そ。……00ユニットは、オルタネイティヴ4の中心に位置するものよ。これがなきゃ始まらないの。今はまだ、これだけしか言えないわ」
「それで十分ですよ。必要になった時は教えてくれるんでしょ?」
「まあね」
「今日はこれから他にやっておく事、ありますか?」
「いいえ。ゆっくり休んでちょうだい。……あ~そうそう、顔、拭いておいた方がいいわよ。そのまま歩くと独り身の兵士に恨まれるから」
「誰のせいですか、誰の」
 武は顔を忘れずに拭いてから、夕呼の執務室を後にした。



[1972] Re[7]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 2001年12月4日(火)

「よう、おはよう。……お前らだけか?」
 武が朝食を摂るためにPXに来ると、いつも207小隊が座っている席は歯抜けになっていて、そこには壬姫と美琴の二人しかいなかった。
「あ、おはよう、タケル」
「たけるさん、おはよー。えっとね、御剣さんと彩峰さんはもうすぐ来ると思うよ。榊さんは、もう行っちゃったけど」
「昨日の模擬戦で負けたのが悔しかったみたいだよ」
 言いながらふふっと笑う美琴。
 昨日の模擬戦というのは、二機連携同士で行った二対二の市街地演習の事だ。千鶴はその時、慧の組に負けてしまったので、それが悔しいのである。
「なるほどな……」
 その時、点けられていたテレビから、ニュース速報が流れてきた。
「……ん?」
「──火山活動の活発化に伴い、昨夜未明、帝国陸軍災害派遣部隊による不法帰還者の救出作戦が行われました。現場では大きな混乱もなく、14名全員が無事に保護されたと──
 ──を含む中部地方は、第一種危険地域に指定されており、民間人の居住は許可されていません。しかし、確認されているだけでも、帰還を強行した元住民が──
 ──再三の避難勧告にも応じない不法帰還者の扱いに関し、内務省の一部からは、放置やむなしとする意見も上がりましたが、帝国議会は国民の生命財産の保護を第一とする立場を、あくまで貫くべしと、これに応じず──」
「──ふむ」
 今から二日ほど前、中部地方の火山活動が活発化し始めた時……武は夕呼にその事を知らされ、災害救助活動に参加したかどうか訊ねられた。
 本来なら正規軍が出動するところだが、現状ではそこまで手を回す余裕がなく、このままでは各地の訓練学校の訓練兵たちにお鉢が回ってくる可能性が高い。そうなると当然、この横浜基地からも207小隊が駆り出される事になる。
 夕呼としては、それは避けたいところだった。207小隊は新OSのテスト部隊でもあるし、もし出動するとなると、訓練兵だけでというわけにはいかないから、そうなると教官であるまりもと武も基地を空ける事になる。
 現状では、武には夕呼関連の特殊任務は割り当てられてはいないが、いつ何が起こるか分からない状態で、オルタネイティヴ計画に比べると、それこそ雑務ともいえるような出動に応じて武を使うわけにもいかなかった。
 武の記憶によると、結局は訓練兵に出動がかかることになり、余計な時間をとられてしまう。仮に207小隊が出動しなかったとしても、代わりにどこかの訓練兵が出動する事になるだろう。そして、将来BETAを倒しうる戦力を危険に晒すのだ。
 と言うわけで武は、そこに滞在していた不法帰還者を強制退去させるよう、夕呼に提案したのだった。

 武がテレビ画面を見ながら、とりあえずこの件はひと段落ついたかな、と少し満足げな笑みを浮かべていると、いつの間にかPXに来ていた冥夜が、むっつりした顔で話しかけてきた。
「なんだ……そなた、嬉しそうだな」
「そうか?」
「……まさか、あのニュースを見ての事ではあるまいな?」
「ん? ああ、とりあえず事態に収拾は付いたみたいだな。別に悪い事じゃないだろ」
「そなたは本気であのような報道を信じているのか? 今の日本政府が、ありのままを発表すると思うのか?」
「何だよ、やけに突っかかってくるな。何が言いたい」
「そのままの意味だ。今の帝国軍に人道的な救助活動をする余裕などあるわけがなかろう」
「まあ、そうだろうな。大方、寝込みを襲って麻酔銃でプスリ……ってとこだろ」
「なっ!? そ、それが分かっていながら、何故そなたは笑みを浮かべる?」
「そうだな……一番の理由は余計な労力が消耗されなかったから、だな。不法帰還者が強制退去させられた。それだけの事だ」
「何だと!? 元々、その土地に住んでいた者達を、政府や軍が自身の都合を優先させて強制退去させただけではないか!」
「少し落ち着け。……それじゃあさ、冥夜はどうすればよかったと思うんだ?」
「リスクを承知で戻ったのだ。避難するかしないかの選択は、彼らに委ねるべきであろう」
「そうは言っても、放置するわけにもいかないのは分かるよな。放置したらしたで、また別のところが騒ぎ出すから。とすると、どのみち軍が動く事になるが、救助に向かう兵士の命が危険に晒されるわけだ。その辺はどう思ってる?」
「帝国軍人は国民の生命財産を守るために在るのだ。そのために危険を冒すのは当然だ」
「ま、平時ならそれでも構わないけど、でも今はBETAと戦争の真っ最中だ。それで戦力を目減りさせてBETAに付け込まれてちゃ本末転倒だろ?」
「そうやって誰もが国のためだと言いながら、力無き者に負担を強いてきたのだ。力ある者が力の使いどころを弁えておらん!」
「そうかなあ……こういう時、他にいい方法があるかな」
「だからそれがそもそも──」
「そもそもだな、リスクを承知で不法帰還したんなら、強制退去させられるかもしれないというリスクだって十分承知してたはずだろ?」
「……!」
「それに、力無き者に負担を強いたって言うけどさ。当たり前だ、そんなのは。力がなかったら何も負担しなくてもいいって事にはならないだろ。そいつらの我侭で、BETAと戦って人類を護るための戦力を無駄に浪費させてもいいのか?」
「……」
「座学でコスト意識の事、習ったよな。災害救助活動ったって、軍を動かせば当然金がかかる。その金はどこから出てくる? そこらからじゃぶじゃぶ湧いて出てくるわけじゃない事は分かってるな。そうやって浪費したツケはどこに回っていくのか。そこまでちゃんと考えたか?」
「…………」
「力のある者はBETAと戦うって言う、とんでもなく大きな負担を強いられてる。お前も衛士を目指してるんなら、そこんとこは分かるよな」
「…………」
「……俺が生まれ育った家な、柊町にあるんだ。今も何とか形だけは残ってる。俺がここを抜け出して、そっちに住み始めたとしたら……どうなるだろうな」
「……」
「そうだな。強制連行されて……軽くても営倉送り一週間ってとこか」
「…………もうよい」
「ニュースでやってた連中は良くて、俺はダメなのか。なんでだ。俺が軍人だからか」
「……もうよいと言っている……っ!!」
 冥夜はガタン、という音を立てて席を立つと、PXから走り去ってしまった。

「こんなの、今更話し合うような事でもないんだけどなあ……」
「たけるさん……御剣さん泣いてたよ……? ちょっと言いすぎだったんじゃ……」
「……かもしれないな。後でフォローしとく」
 とは言ったものの、だからと言って、武は自分の主張を折るつもりは毛頭無い。勿論、自分の主張が唯一絶対の正解だ、などと言うつもりもないが。
 前の世界では、最後の望みだったG弾を使った反攻作戦が失敗した時点で、世界中が恐慌に陥った。ただでさえ一枚岩ではなかった人類が、更にバラバラになっていったのである。
 それぞれの国が勝手な思惑で策謀を張り巡らせ、お互いに足を引っ張り合う。BETA侵攻の責任は軍にあると話をすり替え、侵攻を促進させるだけという事にも気付かず、国家に向け攻撃を繰り返すテロ集団。そして、終末思想の新興宗教が跋扈し、酷いものになるとBETAは神の使いだなどと言って、軍に対してテロを起こす始末。
 破滅的な状況に追い込まれてもなお、BETAとの戦いの裏では、常に人間同士の争いが蔓延っていた。
 そうなってしまう前にBETAを撃破するには……やはり人類が一丸となって戦うしかない。だが、仲良く協力して敵を倒しましょう、などと言うのは事実上不可能だ。ありえない。
 ではどうするか──人間同士の争いを勝ち抜き、或いは陥れ、利用し、無理矢理にでもまとめ上げるしかない。それも、本来BETAと戦うはずの直接的な戦力は極力使わずに。
 いま夕呼がやっている事が、まさにそれだろう。そしてそれは、手遅れになった前の世界で、武が戦い続けて得た解の一つでもあった。
 冥夜のような主張をするのも、決して悪い事ではないが……今の追い込まれた世界でそれを押し通せば、世界の滅亡に繋がっていく事になる。

「まあとにかくだ。民間人の我侭を優先した結果、作戦が失敗しようが人類が滅亡しようが構わない……みたいな事を言ってるとだな、そのうち自分や仲間の命を危険に晒す事になる。そうやって俺たち衛士が傷つき倒れたら、その時民間人はどうなるか──分かるよな。お前らもそれは覚えていておいてくれ」
 その時、ガシャンという大きな音が聞こえてきた。音のしたほうを向くと、朝食の載ったトレーを床に落として呆然としている慧の姿があった。
「…………」
「──慧さん大丈夫!?」
「……彩峰?」
「……っ!」
「あっ、彩峰さんっ!」
 落としたトレーはそのままに、慧はPXから走り去ってしまった。
「すまん美琴、俺は彩峰を追いかけるから、これ片付けといてくれ」
「うん、わかったよ」
 武はその場を美琴に任せると、慧を追ってPXを出て行った。

 PXを出る時には既に姿を見失っていたので、取りあえず適当に廊下を歩き回って慧の姿を探す武。そして、同じ場所を何度か回ってみた時、廊下の曲がり角から人影が飛び出してきた。
「きゃっ!」
「おっと」
 武は、ぶつかって倒れそうになったその人影の、左腕と腰に咄嗟に手を回して、抱きかかえるようにして転倒するのを防いだ。
「あ……す、すみません」
「ん、ああ……彩峰?」
「…………っ!?」
「あ、おい、ちょっと待て、逃げるなって! ……やれやれ」
 慧は自分を抱きとめた相手が武だという事が分かると、また一目散に逃げていってしまった。
 武が頭を下げて溜息を吐くと、床の上に一枚の封筒が落ちているのが目に入った。そこに書かれていたのは、津島萩治という名前。どうやら差出人らしい。
 それを拾って裏返してみると、宛名には彩峰慧様と記されてあった。
 だが……どこか違和感がある。そう思って改めてみると、切手が貼られていない事に気が付いた。しかし、国連軍宛の手紙が切手免除などと言うのは聞いた事がない。
 そしてもう一つ、決定的なことがあった。検閲済みの判が押されているにもかかわらず、手紙の封は手で破られていた。検閲するのに封筒をいちいち手で破って開封するなどという非効率的な事はしない。開封には専用のカッターを使うのだ。
「…………悪いな、彩峰」
 武は封筒から手紙を取り出すと、その中身を読み始めた。

   日に増し寒さがつのる時節、極月ともなれば雪催いの日々。
   庭に目を向けるたび、寒松千丈の念深まるばかり。
   綴るにつけ語るにつけ、まこと言葉というものは無力。
   いかな彩りも見ずば気づかず、櫛とて峰で髪は梳けぬ。
   されど慧心に優れた君なれば、それもまた故ありと思う。

   氏曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。
   萩の季節に後れながらも閣の如くあらんと、志持てここに集う。
   国を憂い、民を憂いし彼の御方の無念晴らさんと、
   義憤に燃ゆる魂を見守り給え。

   これが最後の手紙となろう。
   君よ、願わくば、幸多き未来を歩まん事を。
                                   津島萩治

「これは……」
 小難しい手紙だが、気になる表現がいくつかある。何らかの意図が含まれた手紙である事は、パッと見ただけでも読み取れた。前半部の不自然な表現の中に埋め込まれた彩峰慧の文字。そもそも慧宛に出された手紙に慧の名を埋め込む事に何の意味があるのかは分からないが。
 そして後半部分。志持てここに集う、無念晴らさん、義憤に燃ゆる魂……などなど。なんとも穏やかではない。
 彼の御方──というのは恐らく、慧の父親の事だろう。詳細に関しては分からないが……記憶によれば、作戦行動中に命令無視の撤退を行ったために、敵前逃亡罪で投獄中……だったはずだ。無念と言うのはその事だろうか。
 そして、これが最後の手紙となると言うのは、これから先、手紙を出せなくなる、つまりそうなるかもしれないような事をするというのだろう。普通に考えれば遺書と言うことになるのだろうが、これを遺書と言うには、表現があまりに物騒だ。
「……とにかく、確認はしないとな」
 武は慧を探すために、廊下を進んだ。
 しばらく歩くと、すぐに慧の姿は見つかった。うろうろしながら床を見てはキョロキョロしている。恐らく、今武が持っている手紙を探しているのだろう。
「……彩峰」
「…………!?」
「待てって。逃げるな」
 咄嗟に逃げようとする慧の腕を掴んで、その場に踏み止らせる武。
「……なに」
「落し物。ほら」
「…………!」
 武は拾った手紙を手渡した。
「……見たの?」
「ああ、見た。悪いとは思ったけど、ちょっと気になる事があったんでな。で、お前はどうするんだ?」
「……え?」
 責められるとでも思っていたのか。慧はキョトンとした顔で武を見つめた。
「いや、その手紙。色々とキナ臭い事や物騒な事、書いてあったろ?」
「…………」
「まあいいや。でも、仲間の気持ちを裏切るような事だけはするなよ?」
 そう言い残して武はその場を立ち去った。
 あの手紙がこれから起こる何かを示唆していたとしても、慧のところにまで伝わって来るような情報を、今更夕呼が入手していない、などという事はまず考えられない。だとすれば何が起きようと、それに対処するための策は既に用意してあるはずだ。
 武はあえて気にしないことにした。


 2001年12月5日(水)

 4時00分。いつもより早い時間に武の部屋にやってきた霞は、寝ている武を起こそうと、その小さな手を武の身体に乗せ、ゆさゆさと揺さぶっていた。
「……ん……?」
「おはようございます」
「ああ……おはよう、霞。なんだ、今日はやけに早いな」
「……博士に起こせと言われました」
「先生に? 何だろ……行ってみれば分かるか」
「はい……ばいばい」
「ああ、ありがとう。ばいばい」
 武は霞を送り出して着替えを済ませると、部屋の外に出る。すると、扉の前をウロウロしていた冥夜と出くわした。
「……た、タケル!?」
「ん? 冥夜……」
 昨日の朝の事があったので、お互いに気まずい。だからと言って、いつまでもこのまま気まずい関係を続けるわけにもいかなった。武は覚悟を決めて切り出した。
「昨日は済まなかったな。強く言いすぎた」
「あ……」
「冥夜?」
「い、いや! 私の方こそムキになって済まなかった。許してほしい」
「別に怒っちゃいないよ」
「そ、そう……か?」
「ああ、気にするな。……そういえば、何でこんな時間に起きてるんだ? まだ点呼には余裕があるだろ?」
 いつまでも引き摺っていても仕方がないので、武は話題を変えた。
「あ、ああ。先程、総員起しが掛かったのだ。準即応体制で自室待機だと」
「そうか。そのうち、まりもちゃんからなんかあるだろ」
「……そなたからは何もないのか?」
「俺も何も聞いてないからな。さっき起こされたばかりだし。これから先生の所に行って来るから──」
 その時。突然、警報音が辺りに鳴り響いた。
『防衛基準体制2発令。全戦闘部隊は完全武装にて待機せよ。繰り返す、防衛基準体制2発令──』
「!?」
「何かあったか……冥夜たちはブリーフィングルームに集合しててくれ」
「わ、分かった。……タケルはどうするのだ?」
「俺か? 俺は取りあえず中央作戦司令室だな。じゃあな、後よろしく」
 武はそう言い残して、エレベーターに走った。
 何が起きたのか……一瞬、オルタネイティヴ5かとも考えたが、それはまずありえないだろう。既に武の働きで新しい並列処理装置の論文を入手し、オルタネイティヴ4の核である00ユニットの完成の目処は立っている。いくら反抗勢力の横槍が入ったところで、今更計画を中止する事など出来ないはずだ。
 しかし、武には他に心当たりはなかった。
「ま、行けば分かるか」
 深く考えるのは止めて、エレベーターを降り、警告燈によって朱に染められている長い廊下を潜り抜けて、中央作戦司令室へと到着した。
 武が部屋の中に入ると、そこでは夕呼とラダビノッド司令、そして珠瀬事務次官が舌戦を繰り広げていた。
「何だ……?」
 防衛基準体制2が発令されているという事は、それなりの非常事態であるという事だ。武はそんな状況で、三人に口を挟んで話を掻き回す事は避けたかった。そして何より状況が知りたかった武は、ここは黙って三人の話に耳を傾ける事にした。
 色々と物騒な単語が飛び交っていたが、その中でも一際危なそうなのが『クーデター』という単語だ。
 どうやら日本国内でクーデターが発生したらしく、それの鎮圧のために国連軍や米軍の介入をどうするか、と言った話らしい。
 珠瀬事務次官は非公式だろうが何だろうが、すぐにでも国連軍と米軍を介入させて、利用出来るものは何でも利用して早々にクーデターを鎮圧すべき、という考えだ。
 それに対して夕呼と司令は、介入は時期尚早な上、やるならば正式な手続きを踏め、と反論している。
 と言うのは建前で。
 日本で内乱が起こると極東の防衛線が崩壊する可能性が高まり、それは同時に米国本土が戦場になる可能性の増大を意味する。米国としてはそれは避けたいところだ。
 そのため日本国内で内乱が続くのは都合が悪く、さっさと収めてしまいたい。それに加え、あわよくばアジアにおける発言権を取り戻したい。と言うのが米国の本音だ。
 そのために、もう既に段取りを済ませ、相模湾沖に展開した米国太平洋艦隊が、いつでも介入出来るような体制を整えているらしい。
 だが、夕呼がそんな事を簡単に認めるはずがない。オルタネイティヴ4実行責任者という立場の夕呼が米国の戦略を迂闊に認めてしまうと、オルタネイティヴ計画米国案──オルタネイティヴ5を認めたという事に繋がりかねないからだ。
 米国全てがオルタネイティヴ4に反対していると言うわけではないが、少なくとも今、相模湾に展開している米軍は、反オルタネイティヴ4勢力の息が掛かっている事は間違いないだろう。それらを横浜基地に受け入れる事になった場合、なし崩しに基地を占領して、オルタネイティヴ4そのものを接収してしまう可能性だって考えられないわけでもない。故に、夕呼は米軍など極力受け入れたくないのである。受け入れるにしても、準備する時間が欲しい。夕呼が事務次官の案を突っ撥ね、正式な手続きを踏めといっているのは、そのためだろう。
 一般的な国民感情を交え、果てはオルタネイティヴ4の進捗状況にまで及び、お互いに牽制し合いながら話は続いたが──しかし結局は物別れに終わった。
 どう見ても狐と狸の化かし合いだった。どちらが狐でどちらが狸かは言うまでもない。
 しかし、夕呼と対等に渡り合っているあたり、珠瀬事務次官もやはり只者ではない。鎧衣課長といい珠瀬事務次官といい、夕呼に関わっている大人たちは皆、魑魅魍魎の跋扈する悪意渦巻く世界を生き延びてきた化物揃いだと武は思う。
 それはさておき。
 珠瀬事務次官は中央作戦司令室を出て行った。安全保障理事会の正式な決定を受けに行ったのだ。米国の機嫌を損ねたくない安保理は、それをすぐにでも認めるだろう。所詮、日本政府の意向が、全人類の利益と同じ秤の上に乗る事はありえない。米国の狙いも、最初からそこにあったという事だ。
 珠瀬事務次官を送り出したラダビノッド司令は、夕呼と二、三、言葉を交わすと、後の事を夕呼に任せ、発令室に戻っていった。

「こんなところで何をしている、白銀武」
 夕呼たちの様子を見ていた武の真後ろで、突然声が上がった。
「うわっ!?」
 先程まで何の気配も感じ取れなかったその場所を振り向くと、どうやって近付いてきたのか、いつやってきたのか。神出鬼没、そこには鎧衣課長がいた。
「よ、鎧衣課長?」
「あんたたち……こんなところで何やってるの?」
「いや、何って……」
「まあいいわ。どこから聞いてたのかしら?」
「それを言うわけにはいきませんね。まあ、あえて言うなら、全てかと……」
「言ってるし……」
「……騒がしいぞ、白銀武」
「へいへい、大人しくしてますよ」
「それより、白銀がなんでここにいるわけ? ここまでのセキュリティ──って、そうか。ここってあたしの部屋より機密レベル低かったんだっけ……」
 どこかわざとらしく、呆れた様子で呟く夕呼。
「私が入れるくらいですからなあ……はっはっはっはっ」
「いや、なんでって……俺、一応士官なんですけど……」
「あら、そうだったかしら?」
「先生の直属じゃないですか。酷いなあもう。それで、状況はどうなってるんですか?」
「まあ……日本国内でちょっとした面倒が起きてるだけよ」
「さすがですな。帝国軍が必死に情報封鎖を行っている最中だというのに……どこまでご存知なんです?」
 鎧衣課長が夕呼に訊ねる。
「大本の栓を抜いたのはあなたでしょ? 大体、この前来た時だって、べらべら喋ってたじゃない」
「決起の目的、決起した部隊と、その裏にいる人物……さて、どこまでご存知ですかな?」
「楽しそうね? 八方美人も度が過ぎると……消されるわよ?」
 武をそっちのけで、今度は夕呼と鎧衣課長の化かし合いが始まった。
 こういう時は黙って話を聞いているに限る。無理に割り込んでも、無駄に話を掻き回すだけで、肝心の情報は手に入らない。それに放っておけば、どうせ夕呼が勝手に情報を引き出してくれるだろう。
 その武の思惑通り、鎧衣課長が喋り始めた。
 現在の状況は、帝都守備隊を中核としたクーデター部隊が首相官邸、帝国議事堂、各省庁等の政府主要機関を完全に制圧。各政党本部と主要な新聞社や放送局も占拠し、帝都機能の殆どを掌握。
 主要な浄水施設と発電所も確保しており、その手際は決して悪いとは言えない。
 将軍のいる帝都城は斯衛軍の精鋭が固めているが、帝都守備部隊全てを敵に回しては、戦闘が始まればそれこそ時間の問題……という事だった。
「まるで……思い通りに事が進んで、はしゃいでいる子供のようね。本当に楽しそう」
 夕呼が皮肉交じりに言った。
 どうも鎧衣課長は国連や帝国を相手に情報操作を行い、このクーデターの流れをある程度操作しているらしい。とは言っても、元々の脚本を用意したのは、国連上層部のオルタネイティヴ5推進派と米国諜報機関との事。
 反オルタネイティヴ勢力の米国と、国連のオルタネイティヴ5推進派が手を組んだ──と言うことになるが、その点には別に不思議はない。
 そもそもオルタネイティヴ5は米国案だし、地球脱出計画の裏にはG弾によるBETA殲滅作戦がある。そして、反オルタネイティヴ勢力が掲げている戦略も、G弾による殲滅作戦。
 その違いと言えば、地球脱出計画が含まれるかどうかの一点のみ。両者はある意味表裏一体だ。最終的には地球脱出計画にかかる莫大な予算を巡って争う事になるのだろうが、これらの現時点での共通の敵はオルタネイティヴ4……という事になる。
 さて──そのオルタネイティヴ4は、日本主導の計画である。つまり計画には日本政府の多大なサポートがあるわけで、日本の情勢が悪くなればなるほど、オルタネイティヴ4も危うくなっていく。
 そこで、米国は日本国内の不穏分子に目を付けた。そしてその裏で暗躍し、情報をばら撒いていたのが鎧衣課長だった、という事なのだろう。
 では何故、鎧衣課長がクーデターが起こるように情報を操作しているのを、夕呼は見逃していたのだろうか。
 オルタネイティヴ4が日本主体の計画である以上、日本国内に不穏分子が存在するという状況は、夕呼にとって非常に好ましくない。
 不穏分子がいても何も起こらないのであれば問題はない、という考えもあるかもしれない。しかし計画を進める上では、不安要素として常に計上し、妨害される可能性を考慮し、そちらにリソースを割かなければならなくなる。
 ならば、コントロール出来る時にしてしまった方がいい。つまり、どうせクーデターが起きるならばあえて勃発させ、それをコントロールしつつ鎮圧してしまえば、不安要素は消えてなくなるというわけだ。
 鎧衣課長としても、日本国内にクーデターを画策するような勢力は存在して欲しくないのだろう。
 クーデターが起きれば、このご時勢、それが国内だけの問題で済むわけはなく、国連や諸外国……特に米国の介入は免れない。情報省外務二課課長という立場から、その事は誰よりも良く理解しているだろう。
 だが、現時点で不穏分子はもう既に存在してしまっている。故に、今何も起きなかったとしても、今後ずっとクーデターの可能性は付きまわってくる。いつか起きる事ならば、やはりコントロール出来る今どうにかすべき問題だ、というのだ。
 不穏分子の一掃という一点において、両者の思惑は合致している。そこで、お互いに情報と兵力を提供し合おう、というのだ。

 鎧衣課長はひとしきり話し終えると、改めて夕呼に向かい直って言った。
「では今度はこちらが質問する番です」
「あなたが勝手に話したんじゃない」
「先程、珠瀬事務次官に随分と勇ましい事を言っておられましたね……ここに来て順調、というわけですか? オルタネイティヴ計画は」
 と言いながら、武の方に視線を向ける。
「……俺?」
「白銀武のおかげ……といったところですか?」
「程々にしなさいって、さっき忠告しなかったかしら? 便利な駒が他人の都合で無くなるのは困るけど、自分の都合で無くなるのは……割と納得できるモノよ?」
「おお怖い……つれないですなあ。私は博士のために粉骨砕身しているというのに」
「よく言うわ……自分の目的のためでしょう?」
「ええ、もちろん……。商売柄、目的遂行のためには手段を選びません。それはあなたも同じでしょう……香月博士? 例えそれが、将軍家所縁の者だろうが、首相の娘であろうが、実の娘であったとしても──犠牲は厭いませんよ。そして、都合の悪いものは……始末するだけです」
 鎧衣課長の雰囲気が急に厳しいものに変わる。
「鎧衣課長──」
「なんだね? 白銀武」
「………………いえ」
「安心したまえ……その犠牲を無駄にするような事はしないさ……。その犠牲を最大限に生かす方法とタイミングは、十分心得ているつもりだよ……私も、香月博士も。そうですね? 博士」
「…………」
「将軍家の血縁者に、国連事務次官、珠瀬玄丞斎の娘。そして内閣総理大臣、榊是親の娘……さらには元陸軍中将、彩峰萩閣の娘……最後に私、情報省外務二課課長、鎧衣左近の娘。君はこれだけの豪華メンバーが、偶然ここに集まったとでも思っているのかい?」
「──まさか」
 美琴の父が帝国情報省外務二課勤務だというのは、この前初めて知ったことだが、それ以外は前の世界から知っていた事だ。何故それだけのメンバーが集められていたのか、本当の事情を知る機会はなかったが……それでも想像はついた。今更言われるまでもない。
 そして、武は改めて鎧衣課長に向き直ると、その目を相手の目にしっかりと据えて言い放った。
「鎧衣課長……あなたが信念を持って目的を達成しようとしている事は理解しました。ただ、俺にも譲れないものはある。もしあなたが目的のためにあの子たちを犠牲にしようとするなら──その時は、俺はあなたの前に敵として立ちはだかります。それだけは憶えていてください」
「承知した、肝に銘じておこう。……さて、お喋りが過ぎたようだ、私はそろそろお暇するとしようか。白銀武、これをやろう」
「……?」
 鎧衣課長はどこからともなく上半身が鳥の人形を取り出した。
「ムー大陸のお土産だ。君を護ってくれる。持っているといい」
「はあ……」
「捨てると呪われるよ。気をつけろ」
「は!?」
「さらばだ」
 武が人形を持って唖然としているうちに、鎧衣課長は中央作戦司令室から出て行った。

「──さ、急ぐわよ」
 夕呼と武は中央作戦司令室を後にして、ブリーフィングルームへと向かっていた。
「さっきの話、聞いてたでしょ?」
「クーデター、ですか?」
「そうよ。あんたの記憶にはないのよね?」
「はい。憶えてる限りでは、次はクリスマスのオルタネイティヴ5です」
「素晴らしいわ……確実に未来を変えているという証拠よ。それに……この事態はあたし達にとっては好都合よ」
「……上手く立ち回れれば、の話でしょ?」
「まあね。だから、あんたにもひと働きしてもらうわよ」
「分かりました」



[1972] Re[8]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
「みんなおはよー」
 既にブリーフィングルームに集合していた207小隊とまりも、それにピアティフ中尉に、夕呼は気の抜けた挨拶をする。
「──敬礼」
「敬礼はやめてって言ってるでしょう……なによもう、白銀にはしないくせに……。まあいいわ、はいこれ。つかめている限りの現在の状況よ。白銀も、はい」
 夕呼はまりもと武に、現状の詳細な資料を渡した。それを見て、訓練部隊になぜこのような詳細なブリーフィングを……と驚くまりも。
「あんたたちはもう、ただの訓練部隊じゃないのよ? 副司令であるあたしの直轄部隊なんだから、そのぐらい知っていてもらわなきゃね」
「……分かりました」
「あ、そうそう。この騒ぎが終わるまで、白銀はあんたたちに貸したげる。よろしくね」
「はい」
「香月副司令。太平洋方面第11軍司令部からです」
 連絡を受けたピアティフ中尉が夕呼を呼ぶ。
「──なによ……っ! まりも、白銀、ちょっと」
「何です?」
 武たちが夕呼の所に行くと、在日国連軍の対応が決定した、と知らされた。
 国連安全保障理事会は、相模湾に展開中の米国第七艦隊を国連緊急展開部隊に編入する事を決定。正式発表は約二時間後、7時00分。
 それに伴って、同時刻より横浜基地は米軍受け入れを開始する……という事だ。
「まさかこんなに早いとはね、まったく。……ピアティフ中尉、ラダビノッド司令につないで」
「お待ちください」
 そして、状況説明をまりもに続けるように指示すると、夕呼は受け入れ準備を固めるために司令と相談を始めた。対策を取っておかないと、何をされるか分かったものではないのだ。
 それらを横目に、武は手元の資料を読み進めていった。
 現在、帝都はクーデター部隊によって、ほぼ完全に制圧されている。最新の情報によると、最後まで抵抗を続けていた国防省が先程陥落。未確認ではあるが、帝都城の周辺で斯衛軍とクーデター部隊との戦闘が始まったという情報もある。
 仙台臨時政府の発表によると、将軍と帝都奪回のための討伐部隊を集結中。
 クーデター首謀者は、帝都防衛第一師団・第一戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉と判明。
「…………」
 沙霧尚哉という名前──武はどこかで聞いたような覚えがあった。しかし、それがいつ、どこで聞いたものなのかまでは思い出せない。
 しかし考えていても仕方がないので、更に資料を読み進める。
 臨時政府はクーデター部隊により、榊是親首相を初めとする内閣閣僚数名が暗殺された事を確認。沙霧大尉自ら、首相以下の閣僚を国賊とみなし殺害した……らしい。
「国賊ねえ……」
 心底呆れた様子で声を漏らす武。
 今の武からしてみれば、オルタネイティヴ4を誘致した榊首相を殺害した沙霧の方が、余程国賊と言えるのだが。
 少なくとも、榊首相は人類の未来を見据え、オルタネイティヴ4で世界を救う事で、同時に日本をも救おうとしていたのは間違いない。しかし沙霧の行動からは、世界を救うというビジョンは見えてこなかった。世界が救われなければ、当然、日本も救われないというのに。
 オルタネイティヴ計画は極秘計画であるから、それを知らない沙霧がこのような行動に出たのは仕方がない、と言えばそうかもしれないが、そこに辿り着けないあたり、少なくとも指導者たる資格は無い。実行部隊の現場指揮官程度なら出来るかもしれないが、それ以上の指揮官や政治家としての素養はゼロ。それが武の受けた印象だった。
 ……やがて、榊首相が殺害された事が、まりもによって207小隊に説明される。
 絶句する千鶴。
 色々と思うところはあるだろう。しかし今は任務中だといって、気丈にもそれを押し込めていた。
 しんと静まる207小隊をよそに、通信装置の側では、夕呼が米軍受け入れ態勢の準備を進めている。そこに、ピアティフ中尉の声がかかった。
「副司令、始まるようです」
「回線開いて。──まりも、始まるわよ?」
「クーデター部隊の声明が放送されるようだ」
 まりもが207小隊に説明すると、その直後に放送が始まった。
 沙霧尚哉の姿が画面に映し出される。
「親愛なる国民の皆様、私は帝国本土防衛軍帝都守備連隊所属、沙霧尚哉大尉であります──」
 演説をする沙霧。しかしその内容は……詭弁でしかなかった。
 今、この世界における最優先課題はBETAの殲滅である。
 沙霧はまずこれを主張した。将軍や国民、ひいては人類社会を守護すべく戦う、これが政府と軍に課せられた責務であると。
 それは間違いではない。BETAを何とかしなければ、人類に未来はないからだ。
 しかし、話は天元山災害救助作戦、不法帰還者たちの強制退去に及ぶ。無論、彼らが不法に帰還していたという沙霧たちにとって都合の悪い事には言及しない。不法滞在することがさも当然の権利であるような言い方で、強制退去させた事を非難する。
 そして、法を犯したものたちが受けた仕打ちを、あたかも一般国民全てが受けているかのように話をすり替え、同時に、根拠の説明もなしに、政府や軍の全てが自身の効率や安全のみを優先し、国民を蔑ろにしているのだと断定する。勿論、同じ軍でも自分たちだけは例外なのだ、と言わんばかりの態度で。
 とどめに将軍だ。
 軍や政府が勝手をするために、実情を将軍に伝えていないという。そうやって我らが将軍殿下を騙す軍や政府は悪、と言う単純な図式を作り上げ、思考停止に陥らせようとする。
 だが、将軍とて無能ではあるまい。情報収集は独自に行っているだろう。にもかかわらず、その可能性を完全に無視し、将軍が無知であると断定し、将軍の心の裡を己の勝手な願望で決めつけた。
 そうやって都合のいいように作り上げた将軍像と、国民が分断されれば、遠からず日本が滅びると断言せざるを得ない、などと聞く者の不安を煽る。
 しかしその将軍像というのは、実のところそれを作り上げた沙霧たちの意思に他ならない。今まさにクーデター部隊が帝都城、つまり将軍を包囲しているのだから、沙霧が将軍に会って聞いた事を代弁しているのではありえない。
 つまり、自分の主張と国民が分断されれば日本が滅びる、などと言っているのである。一体何様のつもりだろうか。自分たちはそれを正すために行動しているのだと嘯いているが、一体何を正すのだろうか。
 そうして将軍をダシに自分たちを正当化すると、今度は国連軍や米軍に話の矛先が変わった。
 自分たちで事を起こし、国連軍や米軍を介入させる原因を作っておきながら、BETAと戦うためにある戦力を切り崩してクーデターを起こした事は棚に上げ、これは帝国の内政問題で混乱は収束に向かいつつあるから手を出すなという。
 この放送で沙霧が何をアピールしているかといえば、やれ政府が悪い、国連が悪い、米国が悪い、という事だけ。ただ恨み言を並べているだけだ。自分たちが起こした行動によって発生したリスクやデメリット等、都合の悪い事に関しては完全に無視している。
 今こうしているうちにBETAが攻めてきたら、沙霧は一体どうするつもりなのだろう、と武は思う。こんな事をやっていて、本気で人類を護れるとでも思っているのだろうかと。

「…………もういいわ、切ってちょうだい。どんなことを言うのかと思えば……がっかりね」
 夕呼が心底呆れた様子で言った。
 それには武も同感だった。色々と美辞麗句を並べたててはいるが、何の事はない、結局はただの自己弁護に過ぎない。そして、沙霧をはじめクーデターに賛同した者たちが、目先の、しかも自分の利益しか見えていないという事が、これではっきりした。彼等が私利私欲で行動を起こしたのではない事は感じ取れるが、しかしそれだけに余計たちが悪い。
 成程、これでは米国の脚本に踊らされて、クーデターなどを起こしてしまうのも頷ける。純粋、と言えば聞こえはいいかもしれないが、悪く言えばただのバカだ。夕呼や鎧衣課長が早々に何とかしたいと思うのも無理はないだろう。
 しかし、まりもやピアティフはともかく、207小隊の面々は皆が皆、動揺を隠し切れないでいた。だが彼女たちの経験値を考えると、それもやむを得ない話だ。
 まりもは動揺する207小隊に、入隊宣誓を斉唱させる。そうやって初心を思い起こさせる事で、何とか落ち着きを取り戻させた。

 現在、横浜基地では第一機甲大隊、第五航空支援大隊を即応部隊として待機、残りは基地の防衛に当てる予定にしている。それに加えて先程決定された米軍の受け入れ。
 出撃の可能性はゼロではないが、恐らく訓練部隊の出る幕などない、とまりもは言う。
 しかし、それはありえないだろう。既に、夕呼にひと働きしてもらうと言われた武が207小隊に編入されている。何かしらの重要な局面で実戦投入される事は、まず間違いない。
 だが、今の段階でそれを明かす必要はないので、武は黙っておいた。
「──即応態勢で待機せよ。以上!」
「──敬礼!」
 まりもが話を締め、千鶴の号令でその場は解散となった。

「委員長」
 周りに誰もいない事を確認すると、武は更衣室に向かう途中の千鶴を呼び止めた。
「……なに?」
「親父さん、気の毒だったな。本当に惜しい人を亡くしたと思うよ」
「ありがとう……気にしないで……。気を遣わせてごめんなさい。でも、放っておいてくれるのが一番ありがたいわ」
 気持ちの整理が付かないのか──それも当然だろう──千鶴は虚勢を張って武を突き放すように言った。
「そうしたいのは山々なんだけどな」
「……なによ。何か言いたい事があるなら言ってよ」
「あんま我慢すんな」
「べ、別に我慢なんて……!」
「してるよな」
「してない!」
「してるよ」
「だったら、どうすればいいの? 泣き叫んで、みんなを困らせればいい? すがり付いて、泣きわめけば、白銀は満足なの?」
「そうだな。我慢してるよりは、そっちの方がよっぽどいいと思うぞ」
「な……!?」
「今のうちに思う存分悲しんどけ。これから出撃しようって時にそんな気持ち抱えてると……死ぬから」
 武はあっさりと言った。
 出撃する時に気持ちをスパッと切り替えられるのなら問題はないが、今の千鶴にはそれが出来るだけの経験はない。それならば、泣き喚いてでも……気持ちを軽くしておかなければならない。
 前の世界ではそれが徹底出来なかったために、207小隊は最初の一人を失った次の戦いで、その数を一気に半分まで減らしてしまったのだ。
 今回の事件がそこまで苛烈な戦いに発展するとは考えていないが、それでも、不安要素は極力取り除いていた方がいい。
「……で、でも、教官は私たちの出る幕はないって……」
「そんなの真に受けるなよ。あれはお前らの動揺を抑えるために言ったんだ。この騒動の間だけ、俺が207小隊に配属された意味……考えてみろ」
「…………!」
 千鶴の表情がはっとしたものに変わる。確かに出撃しないのであれば、わざわざ武が隊に配属される必然性が無い。果たして夕呼がそんな無駄な事をするだろうか……と考え、それを否定した顔だった。
「ま、そういう事だ。……今は別に任務中ってわけじゃないんだから、いくら悲しんだっていいんだぞ?」
「……どうして」
「ん?」
「どうして、そんなに構うの?」
「そりゃまあ、いつもの委員長と全然違ってるからな」
「そんなに違う……かな」
「自分でも分かってるだろ」
「…………そうね。ショックなんて、受けないと思ってたのに。元々、距離置いてたし……ほとんど会ってもいなかったから」
「いつからだ?」
「憶えてない……私が志願する前が最後かもしれない」
「そっか」
「…………」
「…………」
「…………ねえ、本当に泣いてもいいの……?」
「俺の胸でいいならいくらでも貸してやるよ」
「ごめん、なさい……っ……うぅっ……っ……!」
 強がってはいたが、しかし限界などとっくに越えていたのだろう。千鶴は武の胸に縋り付くと、武のジャケットをギュッと握り締め、声を殺して泣き始めた。
 二人以外は誰もいない廊下に、千鶴の嗚咽だけがしんみりと響く。
 武は千鶴を抱きとめ、落ち着くまで頭を優しく撫でてやった。
 それから数分。
「…………ぐすっ」
 決壊して一気に爆ぜた感情が落ち着いてくると、やがて握り締めていた拳を開き、千鶴は武から離れた。
「少しは落ち着いたか?」
「……うん」
「そうか。いきなりは無理だろうけど、気持ち、ちゃんと切り替えておけよ?」
「……わかった」
「よし。それじゃ、強化装備に着替えてハンガーで着座調整だ」
「うん」

 8時23分、16番整備格納庫──
「……うわっ、凄いにおい。こんなんで着座調整してたら、窒息しちゃうよ」
 ハンガー中に漂う溶剤の臭いに、美琴が顔をしかめた。
 先程まで、戦術機に施された目立つマーキングを塗り潰したり、機体番号を目立たない色で書き直すための塗装作業が行われていたのだが、その影響だ。
 BETAを相手にするなら、そんな必要はない。むしろ味方機を認識しやすくするために、より目立つ方が都合がいいのだが、今回の相手は人間だ。目立たないに越した事はない。
 もっとも、元々明るいブルー系統の色で塗装された国連軍の戦術機にそんな小細工を施しても、大した意味はないかもしれないが。
 それと同時に、兵装の交換も行われていた。全機実弾装填だ、という整備兵の怒号が聞こえてくる。
「実弾……」
 慧がぼそりと呟いた。
 武やまりもはともかく、207小隊はこれが初めての実戦となる。いくら戦場は選べないからといって、これまで、BETAと戦うために訓練してきたというのに、その最初の相手が人間だというのは、複雑な心境だろう。
 そこに、今まで席を外していた壬姫が、血相を変えて走りこんできた。
「たたたた大変です~! 外が大変なことになってます~!」
「大変って?」
「基地のまわりに帝国軍が……ど、どうしよう、たけるさん!?」
「落ち着けよ、たま。別に放っておいたって害はないよ」
 と言って、武はデッキを離れて歩き出した。
「あっ、タケル! どこ行くの!?」
「外。ちょっと見物してくる」

 ハンガーから抜け出した武は、周囲を見渡した。すると、横浜基地をぐるりと取り囲むように、帝国軍の戦術機甲部隊が展開しているのが見て取れた。
「──なにをやってるんだか」
 武は呆れ顔で呟く。その隣に冥夜がやってきた。
「…………完全に包囲されているな」
「ん? ……冥夜、お前も来たのか」
「……その、なんだ。そなたを連れ戻しに来た」
「下でなんかあったのか?」
「いや、そうではない……そなたの姿が見えぬと、皆が不安がるのだ」
「そうか? ま、戻るのはもうちょっと状況を確認してからだな。しっかし、いくら米軍が入ってきたからって、何考えてんだかね……」
「国連軍の基地内とはいえ、他国の軍隊が無断で上陸してきたのだ。主権国家としては当然の措置であろう」
「そりゃわかるけどさ。こんな所に部隊をよこす余裕があるなら、さっさとクーデターを鎮圧しろっての」
「そういう問題ではない。既に米軍は、この基地に進駐している。その事態に対する当然の反応だと言っているのだ」
「いや、そうじゃなくてだね。こいつらがここに来られたって事はさ、これだけの戦力がクーデターの鎮圧に出てなかったってことだろ? 悠長な事やってるよなあ。そりゃBETAにも勝てねえって」
「……目的が同じであっても、重んじるものが違えば、道を違える事もある」
「道を違えたって、BETAとの戦いを放り出していいって道理にはならないよ。BETAを倒せなきゃ、何もかもがパァだ」
「……それは」
「だろ?」
「貴様の言う通りだ……だが、それだけではないのも事実だ」
「ん? ああ、月詠さん」
 声のした方を見ると、深紅の零式強化装備に身を包んだ月詠中尉が立っていた。その後ろには例の如く、神代、巴、戎の三人が控えている。こちらは純白の零式強化装備を着用していた。
「月詠……そなた何をしている! 殿下の危機を知りながら、何故ここにいるのだ!」
 冥夜が月詠たちに食って掛かった。
 月詠たちの所属は斯衛軍。今は冥夜の護衛として国連軍横浜基地に駐留しているが、本来、斯衛の任務は将軍の警護である。
 現在、将軍のいる帝都城は、斯衛の精鋭が守りを固めているが、帝都守備部隊全てを敵に回すとなると、少しでも多くの兵力があるに越したことはない。
 それなのに、月詠たちは将軍ではなく冥夜を守護するために横浜基地にとどまっている。だから冥夜はそれに反発した。
「冥夜、もうその辺にしとけ。月詠さん困ってるだろ」
「しかし……!」
「冥夜」
「……わかった。……月詠、許すがよい。私がどうかしていた」
「いえ……決してそのような事は……」
「神代、巴、戎……そなたたちも、許すがよい」
「滅相もございません! ……私共こそお許しを」
「貴様達はもう下がれ。ハンガーにて待機せよ」
「──はい。冥夜様、失礼致します」
 月詠の命令で、神代たちは下がっていった。
「……つい取り乱してしまった。許すがよい」
「気にするな。……で、月詠さん。殿下はご無事なんですか?」
「──! ……どうなのだ?」
「現在、斯衛軍第二連隊と決起部隊が堀を挟んで睨み合っています。決起部隊は帝都城に背を向け、銃口こそ殿下に向けておりませんが、包囲部隊の数は徐々に増えている模様です」
「では、殿下はご無事なのだな?」
「はい。警護を預かる第二連隊は精鋭中の精鋭です。ご安心ください」
「月詠さん、あの帝国軍部隊は?」
 武が基地を包囲する戦術機に目を向けながら、月詠に訊ねた。
「恐らく甲信越絶対防衛線から派遣されている部隊であろう。帝都奪還作戦の主力は、北関東絶対防衛線と第二次防衛線から抽出されたと聞いている」
「二次防衛線も崩したのか。思い切った事をやったもんだ……正直アホだな。これでBETAが攻めてきたら傑作だよ。国家の主権がどうこう言ってる場合か……くだらん」
「国家の主権が下らぬとは……聞き捨てならんな」
 月詠の目がスッと細くなる。
「くだらないですよ。人類が滅ぼされて何が国家主権ですか。こうなってしまった以上、国連でも何でも利用して、さっさと鎮圧すればいいんです」
「では貴様に訊ねる。例えば国連の方針が、特定の国家の世界戦略を色濃く反映するものであったとしよう……そして、その国家が、多様性を認めない自国中心主義であったとしても、貴様の答えは同じなのか?」
「もちろん」
「ほう……。では、BETAとの意思疎通が可能になったとして、人類の生存が叶うなら、彼らの支配を受け入れると言うわけか」
「まさか。BETAの支配なんて受け入れられるわけがない。最低でも対等である事が前提です」
「では、別の例えをしよう。貴様の部隊が敵と交戦中に、部隊内部でトラブルが発生し、窮地に陥ったとしよう。
 偶然その付近に展開していた私の部隊から、トラブルの解決に協力したいとの申し出が来る。提案を受け入れなければ、貴様の隊は全滅……受け入れれば、トラブルは解決し勝利する可能性が高い。だが、受け入れれば、貴様の部隊は強制的に私の部隊に編入され……全ての精神的肉体的自由を奪われ、私に隷属する事を強制されてしまうとしよう。
 それでも貴様は、私の提案を受け入れるかな?」
「そりゃ受け入れますよ。まずは生き延びられなきゃ話になりませんからね。当たり前じゃないですか、何を今更」
 即答する武。これで言いくるめられると高をくくっていた月詠は、絶句してしまう。
「な……!?」
「──ただし。条件を飲む裏では、何考えてるか分かりませんけどね」
 武はニヤリと笑った。
「最優先目的が任務遂行にしろ部隊の存続にしろ、何もしなければどちらも達成出来ない。ならばまずそれを果たすために、月詠さんの部隊を利用してでも、最大の脅威を打ち払う。それが済めば、次に大きな脅威は月詠さんの支配……って事になりますね。最初からそれが分かっているなら、黙って大人しく隷属するわけがない。尻尾を振るフリくらいはするかもしれませんけど」
「……」
「全ての精神的肉体的自由を奪い隷属させる……なんて事を考えてる人なら、反逆されるくらい覚悟の上でしょ? 自分の事は棚に上げて仁義に欠けるなんて事、当然言えませんよね?」
「…………」
「こういうのは、助けてもらわなきゃどうにもならなくなった時点で、一度リセットして考え直すべきなんですよ。
 さっきの月詠さんの例えでいえば、あの場合、隊を危機に追いやった俺は無能、その無能な俺に従ってきた部下達も無能です。でも、その無能を棚上げして不平不満をいくら漏らしたところで、何も始まりません。それどころか事態は悪くなる一方です。
 どうにもならない状態に陥って最善の策は選べなくなりました、さあどうしましょう。次善の策を採るか……それとも、自分たちの無能がゆえに実現出来なかった理想に固執して、まわりに無能をアピールしながら朽ち果てるのを待つか。答えは明白でしょう? 月詠さん」
「…………っ」
「──もうよい、やめてくれ、タケル」
 冥夜が武を制止しようとするが、武はそれを振り切って話し続ける。
「屈辱の中では生きられないとか、誇りを持って潔く散る、なんてのが日本人の好みなのかもしれませんけどね、そんなの俺は絶対に認めませんよ。いくら言葉を飾ってみたところで、それってただの逃げじゃないですか。そんな事で何かを護れるっていうなら、BETAなんてとっくの昔に駆逐出来てる。でも、現実は違いますよね?
 BETAとの戦いが辛いからって、言い訳した挙句の現実逃避。それだけならまだしも、BETAと戦って世界を護ろうとしている者たちの足まで、八つ当たり紛いに引っ張る。それが月詠さんの掲げる正義ですか?」
「タケルッ! お願いだからやめてくれ……っ!」
「…………分かったよ」
「月詠も、よいな?」
「──は」
「それで、そなた達はここにいるとして、斯衛軍はどう動くのだ?」
「それは──」
 ちらりと武の方を見る月詠。
「……ん?」
「……なんだ、タケルが情報を漏らすとでも言いたげだな」
「この者の言動は国連……ひいては米国寄りです」
「あーあ……言っちゃった。ていうか、米国と一緒にしないでください。国連イコール米国としか考えられなくなってる時点で、思考停止しちゃってますよ」
「二人ともよさぬか! はぁ……月詠、そなたは帝国斯衛軍。私達は日本国民ではあるが、今は国連軍に属している……タケルの考えはその意味で間違ってはおるまい」
「それでは差し障りのない程度に……」
「それでよい……タケルと同じく、私も部外者だからな」
 そして、月詠はある程度の情勢を話し始めた。
 城内省は帝都城敷地内に存在しているので未だ健在。そのため、斯衛軍の統制は失われてはいない。
 首謀者の声明にあった、『殿下に仇なす所存無し』という言葉も、今のところは遵守されている。
 帝都民も、今は被害は無いが、帝都城を包囲する部隊は増強されつつあるので、いつ戦闘状態に発展するか、予断を許さない。
 決起部隊は自身の正当性を証明するために、将軍の直命を欲している。しかし将軍の重臣を殺害した事から、直ぐに直命が発せられる事はあり得ない。
 だが、時間が経てば経つほど決起部隊の態勢が整い、米軍が介入し、帝都が戦場になる可能性も生まれてくる。それに備えて、帝都圏に散在する斯衛軍駐屯地の各部隊は、帝都城に集結中。目立った妨害は今のところはない。
 そして、月詠たちのような独立警護部隊は、将軍家所縁の者を警護する任務に就いている。
 ……という事だ。
「そうか、わかった。そなたに感謝を……下がってよいぞ」
「──は。何かございましたら、いつでもお呼び下さい」
 月詠は武を一瞥し、その場から去っていった。

「タケル……許すがよい。あの者は職務に忠実であろうとしているだけなのだ」
「気にしてない……ていうか、俺もちょっと言いすぎたよ。それに、月詠さんの立場ならあれで当然だ」
「そう言ってもらえると助かる……」
「すっかり長居しちゃったな。さ、ハンガーに戻ろう。着座調整やんないとな」
「……うん」

 17時44分、国連横浜基地出撃要員待機所──
 207小隊に即応態勢での待機命令が出されてから、何もないまま既に半日以上が経過していた。武も今だけ207小隊に組み込まれているので、一緒に暇をもてあましている。出来れば情報を手に入れたいところだったが、夕呼は各方面への手回しのために、非常に多忙にしているので、それは出来ない。
 中央作戦司令室にでも行けば、ある程度の情報は手に入るのだろうが、そんな質の低い情報はいつだって手に入る。今の情緒不安定になっている207小隊を放ってまで手に入れるほどの価値はない。
 そんなわけで武は207小隊と同室で待機しているのだが……そこで見られる冥夜たちの表情は、皆一様に重い。初めての実戦を控え、しかも相手は人間──という事もあるが、それだけではない。
 冥夜はクーデター部隊の旗印に担ぎ上げられようとしている将軍の血縁者。千鶴は殺害された首相の娘。壬姫は米軍を引き入れた珠瀬事務次官の娘。美琴はこの騒ぎの裏で暗躍している鎧衣課長の娘。もっとも鎧衣課長の仕事の性格上、その職務内容までは知らされていないと思われるが、それでも207小隊の中にいるだけで気は重くなるだろう。
 そして慧は……例の手紙。タイミングを考えると、あれは恐らく、このクーデターの事を示唆していたと見て間違いない。その相手がクーデター部隊のどの位置にいるのかまでは分からないが。
「……結局、何だかんだ言ってみんな関わってるんだよなあ……」
 武はボソリと呟いた。
 改めて見渡してみると……千鶴は一度泣いたのが良かったのか、気持ちの切り替えはそれなりに上手くいっているようだ。冥夜も、今のところの話だが、月詠を通して将軍の無事を知っているので、沈痛というほどではない。壬姫は、米軍介入に父親が一枚噛んでいるのではないかという疑惑を捨てきれないでいる、と言ったような状態だ。美琴は今、まりもに呼ばれてハンガーに行っているので何とも言えないが……鎧衣課長の本職までは知らないだろうから──それでも安否を気遣ってはいるようだが──他の四人に比べれば、まだ余裕はありそうだ。
 特に酷いのは慧だった。
 先程からずっと、待機室のベランダで、虚ろな目をして星空を眺めている。
 武は立ち上がると、ベランダに出て、慧の隣に並んだ。
「…………なに」
「彩峰、元気ないと思ってさ」
「そんなことないよ」
「そうは見えないけどな」
「……」
「なんだ、手紙の事でも気にしてるのか?」
「……!?」
 図星を指されて驚きの表情を見せる慧。
「どうして知ってるんだ、って顔してるな。でもま、そのくらいしか心当たりがないからな。タイミング的に」
「…………」
「抱え込んでたって、何もいい事はないぞ? 話してみろよ、内緒にしといてやるから」
「…………」
「俺、そんなに信用ないかな」
「…………違う、そうじゃない」
「じゃあ話してくれ」
「…………」
「彩峰?」
「…………あの手紙の内容……どこまで知ってるの?」
「ん……? そうだな、お前の親父さんの無念を晴らすために有志が集まってクーデターを起こすとか、そんな感じだったと思ったけど。ま、確信したのは実際にクーデターが発覚してからだな。しかし、なんでまたそんな手紙がお前の所に届くんだ?」
「……この手紙を出した人の名前……沙霧尚哉……」
「沙霧尚哉って……あのクーデター首謀者の沙霧……?」
「うん……。私の父さんのこと……知ってるでしょ? 光州作戦の悲劇……有名だもんね。卑怯者とか友軍を見捨てて逃げたとか、父さんのせいで負けたとか」
 武は前の世界の記憶で、慧の父親が陸軍中将で、敵前逃亡罪で投獄された事は知っていた。この世界に来る前に起こった光州作戦の詳細までは知らないのだが、それは黙っておいた。
 にしても、慧が塞ぎ込んでいた理由がこれでハッキリした。クーデターを示唆するような手紙まで送ってくるくらいだから、慧と沙霧はかなり親しい仲なのだろう。その沙霧が、榊首相……千鶴の父親を殺害しているのだ。
「父さんの部隊に、あの人もいた」
「……その沙霧が、どうして計画が発覚するリスクを負ってまで、お前に手紙を?」
「あの人は父さんを尊敬していて……父さんもあの人を自分の子供のようにかわいがっていた……。私が小さい頃から、よく家にも来ていた……。あの人は、まっすぐな人だったから……罪に問われ投獄される父さんを、黙ってみてるしかなかった自分を……今でも責めている」
「なるほどなあ。でも、じゃあなんでそんな要注意人物を、軍は帝都守備隊に……?」
「光州作戦の前に、あの人は負傷して内地送還になっていた……」
「しかし、いくらなんでも、それだけじゃ軍の追及はかわせないな」
「うん……でも、優秀な人だったから」
 とは言え──いくら優秀な人材であっても、それだけでマークが外れるとは思えない。と言うか、逆に優秀であればあるほど、マークはきつくなるはずだ。沙霧はそれを承知の上で逆に利用した、と言うのも可能性としては考えられなくはないが、それらを全て取り込んでクーデターを起こしたとは、武にはとても思えなかった。
 夕呼と鎧衣課長の話、今の慧の話、そして声明放送を聞いた限りでは、沙霧は決して権謀術数に長けた人物ではない。どちらかなどと言うまでもなく騙される側の人間だ。
 だとすると、沙霧は帝都守備隊に配属になった時点で、既に何者かが敷いたレールの上を走らされていた、と言うことになる。
 しかしいずれにせよ、米国、国連、帝国情報省、帝国軍上層部……どこかは分からずとも、どこかしらの勢力の、何かしらかの思惑が働いていた事は間違いない。
「私は父さんがやった事を恥じている。敵前逃亡なんて……許されない」
 慧は本当に悔しそうな、そして悲しそうな表情を見せる。それだけ父親の事を深く敬愛していたのだろう。
「……」
「最近、私に面会に来る人がいる」
「うん?」
「父さんに世話になったとか、助けられたと言う大東亜連合軍の人達。手紙は……その人達が直接持ってくる。
 その人達は、父さんは悪くないって言う。父さんは民間人の避難と警護を優先して、司令部の即時移動命令を無視する事になってしまったって」
「……そうか」
「……人は国のために出来る事を成すべきである。そして国は人のために出来る事を成すべきである。……父さんがよく言ってた言葉」
 武もこの言葉には聞き覚えがあった。前の世界で、同じように慧から聞いた事がある。
「父さんには失望したけど、その言葉には……従える。でも私には、軍の発表とその人達、どっちの言ってる事が正しいのかなんて……わからない。だから……もういいのに……」
「……彩峰」
「後悔の綴られた手紙なんて、欲しくない。だから開かない……だから読まない」
 酷く辛そうな、今にも泣き出しそうな表情でポツリと呟いた。
 慧の立場では、これは確かに辛い。父親に失望した慧の下に、昔父親に世話になったとか、助けられたとかいう人が訪ねてくる。そして後悔の綴られた手紙が届けられる。真実はどうであれ、そのたびに慧の心は揺れ、さぞ惑わされた事だろう。
「しかし、それでもお前にあんな危険な手紙をよこしたのは……なんでだろうな。お前の立場だって危うくなるかもしれないのに」
「わからない。私の同意が欲しかったのか、それとも巻き込まれないように警告したかったのか……」
 いずれにせよ甘い事だ。
 前者だった場合……それは、自分の行動の責任の逃げ口を作ると言う事だ。尊敬する彩峰中将のご息女のお許し……免罪符を得たのだから、このクーデターは間違っていないのだ、と。例え本人にその自覚はなくとも、単なる責任逃れでしかない。
 もし後者なら……認識が甘いと言わざるを得ない。クーデターなど起こせば、このご時勢、何をどう主張しようが日本国外からの干渉は免れない。そうなると国連軍の軍人である慧も、事態に巻き込まれてしまう可能性は増大する。その時、このような手紙の存在が発覚したらどうなるか。完全に逆効果だ。
「もっと早く読めばよかった……。おととい、その手紙を届けに来た人が、これが最後だって言ってたから封を開いた。でも……もっと早く読んでいれば……」
「……?」
「少なくとも、死ななかったかもしれない……。あの人が手をかけた人達………………もう手遅れ」
「それはどうだろうな」
 武は慧の言い分を否定した。
「……え?」
「仮にお前が通報していたとしても、調査には時間がかかる。やっぱり、クーデターは起きたと思うぞ」
 と言うか、そうなった場合でも事件は起きただろう。そうなるように鎧衣課長が裏で動き回っていたのだから。それに夕呼だって、慧から情報が上がってきたところで、握り潰してしまうに違いない。
 もっとも、それを慧に説明する事は出来ないが。
「……どうかな」
「起きてたの。俺が保証する。少なくとも、お前が何もしなかったから起こったわけじゃない」
「……」
「あのなあ。そうやって後悔して人の死を背負って生きて……なんて事したって、誰も喜ばないぞ?」
「……」
「あーもう! まったく、あったまにくるなあ」
「…………ごめんなさい」
「違う違う、お前じゃないって。沙霧だよ、サ、ギ、リ!」
「……?」
「やっぱ俺、アイツ嫌いだわ」
「え?」
「いや、お前の親父さんの教え、全然分かってねぇじゃん。親父さんは、今回あいつがやったみたいな人殺しをして国や民を救えるなんて事、言ってたか?」
「……ううん」
 慧は首を振って否定した。
「手紙には無念を晴らす、みたいに書いてあったけどさ。親父さん、本当に無念に思ってると思うか? 軍人なら命令違反したらどうなるかなんて承知の上だろ。命令違反を犯してまで自分の信念、自分の正義を貫き通して民衆を救った事を、むしろ誇りに思ってるんじゃないか? 投獄されて、やっぱり助けなきゃ良かったなんて後悔してると思うか?」
「…………」
 少しの沈黙の後、やはり首を横に振る慧。
「結局、沙霧って奴は物事の上っ面しか見えてない、しかも、都合のいいように捻じ曲げてばっかでさ。要は自分の事しか考えてないんだよ。そんな奴に国が救えるかよ。何が憂国の烈士だ、ふざけんなってんだ。…………それにな」
「それに……?」
「お前にそんな悲しそうな顔させてるってだけで、大罪人に決定だ」
「…………」
 武の顔をじーっと眺める慧。
「なんだよ」
「白銀…………キザ」
 慧はふっと笑みを浮かべた。
「ほっとけ! ……でも、やっと笑ってくれたな。それでいいんだよ。お前が気に病む事なんて、何もないんだ」
 そう言って武は慧の頭に手を乗せて、ぐりぐりと撫でた。

「彩峰、タケル!」
 ちょうど武が何とか話を無理矢理まとめ終わったところで、慌てた様子の冥夜がベランダに飛び出してきた。
「ん、どうした冥夜。なんかあったか?」
「わからんが、すぐにブリーフィングルームに集合せよと……!」
「そうか。それじゃ行くか、彩峰」
「……うん」



[1972] Re[9]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
 18時28分、ブリーフィングルーム──
 全員が集合するなり、まりもの説明が始まった。
「国連軍の軍事的支援を、仙台臨時政府が正式に受け入れた──」
 珠瀬事務次官と臨時政府の全権特使との会談の結果、今からおよそ10分前に発表された事だ。
 国連軍の支援受け入れに対して、臨時政府は将軍の安全と保護を絶対条件として提示。そして、これが今後展開される全作戦の最優先事項となる。
 ちなみに、クーデター軍はこの政府の決定を、将軍の御心を蔑ろにする逆賊と国連に加担する売国奴の共謀だと激しく非難している。
 もっとも、武に言わせて見れば……既成事実を積み上げて、将軍の保護を餌に事後承諾させた国連──米国と、現時点で将軍の御心という奴が明らかにされていないにも関わらず、それを蔑ろにしていると決め付けて臨時政府を売国奴と罵るクーデター軍、どっちもどっちだった。
 それはさておき。
 相模湾に展開中だった米軍第7艦隊は、既に東京湾に向けて航行中。横浜基地に上陸した第132戦術機甲部隊は態勢が整い次第、帝都に向けて出撃する。
 横浜基地からも、第1戦術機甲大隊、第5航空支援大隊が既に出撃、第4、第5戦術機甲大隊と、第2航空支援大隊が出撃準備中だ。
 そして、第3戦術機甲大隊が、帝国軍部隊の抽出で手薄になった第二次防衛線の支援部隊として出撃準備中。それ以外の部隊は敵の後方霍乱を警戒し、戦闘態勢を維持したまま待機する。
 第3戦術機甲大隊の出撃予定時刻は19時40分。これに合わせて207小隊も出撃、後方警備任務にあたる、との事だ。
「任務の重要度、戦力バランス等、様々な用件を考慮した結果、我が隊も出撃せざるを得ない状況だと判断された」
 などとまりもは言っているが、どう考えても夕呼の差し金である。
 任務内容は搭ヶ島離城の警備、作戦区域は芦ノ湖南東岸一帯。ちなみに搭ヶ島離城というのは、言ってみれば将軍の別荘のようなものだ。
 武は、さてそこに何があることやら……と思ったが、この作戦の最優先事項を考えてみると、自ずとその解が導かれる。
 それを踏まえると、夕呼がこの状況が好都合だと言った意味にピンときた。
「──尚、当任務には、横浜基地駐留の帝国斯衛軍第19警備小隊も随伴する」
 これは月詠たちの事だ。元々の任務は冥夜の警護だし、本作戦でも将軍の離城警護となるし、恐らく本命になるであろう任務の事を考えると、おあつらえ向きだ。
「我々は米軍が進駐している横浜基地所属の部隊だ。その上、貴様らは日本人だ。余計に帝国軍の反発を買う可能性がある。作戦区域では厚木基地の帝国軍部隊が周囲を固める事になっている。作戦行動中に何か言われるかもしれんが、絶対に挑発には乗るなよ。
 それに、殿下を取り巻く状況が不透明だ。帝国軍将兵の苛立ちは相当なものだろう」
 そんな話が出たところで、千鶴がまりもに質問をした。
 実際に武力による挑発や攻撃があった時、防衛行動は認められるのか……と。
 これに対してまりもは、この作戦は米軍のゴリ押しがあったとは言え、正式な手続きを踏んだ国連軍の作戦だから、それに手を出せばどうなるかくらい簡単に想像がつくはずだ、と答える。
 結局のところ、帝国軍兵士の理性を信じるしかないらしい。ただ何かあった時は、武は存分に暴れてやるつもりではある。
 それから、移動経路や補給計画等の詳細が説明されていった。
 そして。
「──最後に、本任務では実戦が想定されている以上、私が戦術機で直接指揮を執る。コールナンバーは00だ」
 隊編成に話は移る。
 当然ながら、まりもも出撃する。階級を考えると武が指揮官になるところだが、もともと207小隊所属ではないし、面倒くさいから嫌だと拒否したのでこうなった。
 とはいえ、名目上は、やはり武が小隊長を務める。そして副隊長はまりも。まりもはCPも兼ねて支援車両も彼女の指揮下に入る。隊編成は、コールナンバー01千鶴を分隊長として03美琴、04慧をA分隊、02冥夜を分隊長として05壬姫がB分隊。
 武は斥候兼遊撃要員としてある程度自由に動き回る。基本的には全員のサポートを受け持つ事になるだろう。コールナンバーは馴染みの深い20706。
 そして、各自30分以内に火器管制装置の調整を済ませてハンガー前に集合するように指示が出て、解散となった。

 21時42分、箱根新道跡──
 武たちは芦ノ湖、搭ヶ島へ向けて進軍していた。
「箱根か……箱根って言えば温泉か……?」
 そう言えば確か……と、ずっと昔、元の世界で、みんなで温泉に行った事を思い出す。その模様はまさに乱痴気騒ぎ。普段なら一番はしゃぎまわっているはずの武が、一番理性的だった。
「俺以外みんな酒飲んで酔っ払って、暴れまわってたんだよな」
 クラスの綺麗どころが勢揃いしていたのに、色気も何もあったものじゃなかったな……と苦笑する武。
 その時。ピピッと言う電子音が情報の着信を知らせた。
「──ん?」
 回線を開いてモニターをオンにする。それは、帝都で戦闘が開始した事を知らせるものだった。
「……」
 未確認ではあるが、帝都城を包囲していた歩兵部隊の一部が、斯衛軍部隊に向けて発砲した事が発端のようだ。
 それに対して斯衛軍第2連隊が全力で応戦、沙霧の戦闘停止声明も発表されたが、混乱は収拾出来ていない。
 横浜基地から先発していた第1戦術機甲大隊は米軍第117戦術機甲大隊と共に品川埠頭に強襲上陸、現在敵部隊と交戦中。同時に帝国軍の討伐部隊が埼玉県境から帝都に侵攻を開始、との事だ。
「……なんともまあ」
 武は呆れ顔で呟いた。
 クーデター軍は将軍の直命が欲しいわけだが、帝都城を包囲しているという、その事だけでも斯衛や城内省、将軍に相当のプレッシャーを与えている。ただでさえすんなり直命を得られないような状況なのに、その上、攻撃まで加えたら、ますます将軍の直命など手に入らなくなる、という事は子供でも分かりそうな話だ。
 クーデター軍としては、自分たちに正義がある事を、将軍を取り込む事で証明したいわけだが、将軍を護る斯衛に戦闘を吹っかけるというのは、将軍に弓を引くのと同じ事だ。
 それで力ずくで将軍を強奪したとしても、誰も納得はしないだろう。そんな事をすればクーデター軍こそが逆賊と言う烙印を押され、それこそ本末転倒だ。
 にもかかわらず、なぜ攻撃を加えたのだろうか。勿論、斯衛軍との睨み合いのプレッシャーに耐えられなくなって……と言うのは考えられる。だがそれよりも、戦闘が勃発した方が都合のいい勢力の存在を無視する事は出来ない。
 クーデターが勃発した事自体、どこぞの自国の利益を最優先する国の筋書き通りなら、沙霧たちがどう出ようと、結局は同じ事になっていたのではないだろうか。戦闘を起こさせておいて、それを鎮圧して感謝させようという。
「ま、どうせその辺りの差し金だろうな……」
「00より207各機──」
 武が一応の結論を出したあたりで、まりもから各機に、状況を知らせる通信が入った。
 任務に変更はない。当然だ。夕呼にとっては、帝都で戦闘が起きようが起きまいが、そこはある意味どうでもいい事なのだから。

 22時25分、搭ヶ島離城──
「……静かだな……」
 搭ヶ島離城に到着し、部隊を展開してしばらくすると、ふわりと雪が舞い落ちてきた。帝都の戦闘による喧騒もここまでは届く事もない。敵に察知されないようにと、戦術機の主機は落とし、最低限のレーダー類だけを稼動させている。第一種危険地帯であるこの地には民間人もいない。今この付近にいるのは武たちの部隊だけ。そのため、辺りはしんとした静寂に包まれていた。
 武の位置取った場所からは、離城が良く見えた。
 本州にBETAが侵攻した際、ここも占領されている。本来ならばBETAの支配地域は自然が根こそぎやられてしまうのが通常なのだが、この辺りの山間部の自然は全くの手付かずで、建物も綺麗に残されている。
 珍しいケースではあるが、前の世界で行った事のある天元山周辺も、同じように民家や自然が残されていた。
 BETA日本侵攻における最大の謎と言われる二つの事例。
 北九州や山陰地方への上陸から侵攻を始めたBETAは、日本海沿岸部は新潟中部までを、中部から太平洋側も熱海から海岸沿いに北上し、一気に横浜まで占領した。しかし、横浜まで来たBETAは、なぜか進路を変更し、三浦半島方面へ向かった。これが一つ。
 もう一つは、中部山岳地帯の被害が、東に行くにしたがって小さくなっている事だ。
 なぜそんな事になっているのかは、BETA以外、誰にも分からない。
『とうとう降ってきたな……』
「……ん? 冥夜か。どうした?」
 冥夜が回線を開いて呼びかけてきた。
『…………』
「……冥夜?」
 いつになく呆けた様子を見せる冥夜。見せまいとはしているが、やはり帝都の戦況が気になっているようだ。だが、武のところにも続報は何も入ってきていないので、なんとも言いようがない。
「しかし……BETAの占領下だったのに、よくここまで建物が綺麗に残ってるな」
『……BETA本州侵攻の際、帝国軍が多摩川より東に撤退した後も、この搭ヶ島城には斯衛軍第24連隊が踏みとどまったのだ。本州が奪回されるまでの数ヶ月間、幸いにも小規模な戦闘が数回発生したのみだったそうだ』
「数ヶ月か……なるほど」
『だが……いかに斯衛軍が、将軍の守護をその任としているとは言え、離城を守るためにだけに踏みとどまるとは……いささか度が過ぎていよう。そもそも……殿下が、そのようなことをお望みになるはずがない』
「それはどうだろうな」
『…………えっ?』
 忠誠心のあまり、将軍自身が望んでいない事をやった部隊の話──恐らくはクーデターに重ねているのだろう。しかし、この場所を護る理由に何となく心当たりのあった武は、それを否定した。
 ここが本当にただの古城なら、将軍を護る事を至上命令としている斯衛が、それを放り出すなど考えられない。一番大切な事を見失って勝手な行動を起こしてしまうような者は、斯衛軍入隊試験の適性検査で間違いなく弾かれ、他の能力がいくら秀でていようが、斯衛にはなれない。
 だとすると、今回の件で月詠たちが冥夜を守護せよと言う命を受けているから将軍の下に駆けつけなかった、というような事情になっているはず。
「この場所に護るだけの価値があった……いや、この場所はそうまでして護らなきゃならない程の重要拠点だった。そうは考えられないか?」
『……』
「ま、じきに分かるかもな。で、俺になんか用だったのか?」
『いや、その……』
 話しづらい内容なのだろうか、口篭ってしまう冥夜。武は先を促すかのように、秘匿回線を開いた。秘匿と言ってもレコーダーには記録が残るから、完全な内緒話にはならないのだが、しかし気休めにはなる。
「ほら、これでいいだろ」
『……』
「ひょっとして、昨日の朝お前と、今朝月詠さんと話した事の続きか?」
『…………うん』
「俺の言い分も理解出来るけど納得はいかない、何が正しいのか分からなくなった……って顔してるな。例え目的が同じでも、重んじるものが違えば、道を違える事もある……とか、その辺か?」
『……うん。そなたにとっては結果が全てでも、そうでない者もいる……』
「んー……やっぱ違うよなあ」
 武は少し思案顔を見せてから言った。
『何が……違うというのだ……?』
「目的。クーデター部隊はもちろんそうだし……多分、お前や月詠さんもそうだな。俺とは違ってる。どこかに必ずBETA殲滅ってのが入ってくるから、一見同じようには見えるけどさ。
 お前らのはまず日本……ていうか、将軍の実権回復ってのが最前面に出てるような気がする。
 なにはともあれ、まずは将軍の実権回復が最優先、そしたら日本の主権も確立される。そうなって初めて日本は一丸となって世界を救うために戦える。だからまず日本が救われなきゃ、世界は救われない……みたいな。順番が逆なんだ。志としては、別に間違ってるわけでもないだろうけど」
『……』
「あと、俺が考えてる結果とお前が考えてる結果ってのも違ってるな。お前、BETAを殲滅する事が出来た時、世界の覇権を握ってるのは米国だなんて思ってるだろ。BETA殲滅は人類の最重要課題だけど、それが果たされると同時に米国が世界の覇権を握ってしまう。そうなる前に、何としてでも日本の主権を確かなものにしておかないと……みたいにさ」
『……それは』
 夕呼の計画──オルタネイティヴ4、つまり日本主導による計画が世界を救えば、同時に日本の発言力は、主権の確立など遥かに超えたところまで爆発的に跳ね上がるのは間違いない。一気に世界のリーダーになると言っても過言ではない。オルタネイティヴ計画を日本に誘致した榊首相の目指すところも、そこにあったという事だ。そして、それが分かっているからこそ米国も横槍を入れてきている。
 が、オルタネイティヴ計画は極秘計画であり、ほんの一握りの人間にしか知られていない。それを知らない者が、今の冥夜みたいに考えてしまっていても無理はない。ただ、じゃあ無理はないから、知らず調べず何をやってもいいか、と言えばそれは全くの別問題なのだが。
「──図星か。これも米国の半属国政策の成果なんだろうけど……まあいいや。何が大切なのかは人それぞれだからな。でもな、それを捨てろなんて事はもちろん言わないけど、現実から目を逸らして夢見がちな事ばっか言ってるとさ、米国みたいな強かな連中にいいように付け込まれて、利用されるだけされて、それでおしまいだ。それこそお前たちの望むところじゃないだろ?
 確かに、今の政府の有りようには思うところがあるかもしれん。でもな、それが気に食わないからと言って、力ずくで叩き潰そうなんて事がまかり通ってるようじゃ話にならん。そんな幼稚な事しか出来ないんじゃ、いつまで経っても誰かの支配から逃れられない事だけは確かだよ」
『…………』
「ふふん、余計わけが分からなくなったって顔してるぞ? まあ存分に悩め。そうやって悩み抜いて自分自信で導き出した、誰かの受け売りじゃない答えを、信念を持って貫けば、誰に何を言われても揺らぐ事はなくなる」
『…………うん』
「あ、でも作戦が動き始めたら、ちゃんと頭を切り替えろよ。いいな? それじゃ回線切るぞ」
『……うん、わかった……』
 武は冥夜との秘匿回線を切断した。
 それと入れ替わるように、今度は壬姫が通信してきた。
『……あの……たけるさん』
「ん? どうした、たま」
『……えと……定時連絡なんですけど……』
「ああ。こっちは異常なしだよ。そっちはどうだ?」
『はい……異常なしです』
 スクリーンに映し出された壬姫の表情は沈んだものだった。声にも元気がない。
 やはり、国連軍介入に珠瀬事務次官が一枚噛んでいたのをブリーフィングで知ってしまった事が、心に翳を落としているのだろう。
『じゃあ……また後で……』
「ちょっと待て」
『……え?』
「お前の親父さんはな、ちゃんと人類全体の事を考えて、この騒動を少しでも早く収拾するために国連軍を介入させたんだ」
『え? ……はい……でも……』
「切り崩してしまった防衛線をそのまま放置するわけにはいかないだろ。事務次官が動いてなかったら、防衛線に穴が開いたままになってたところだ。もしそこにBETAが攻めてきたらどうなると思う?」
『……それは……』
「事務次官だって日本の国民感情は百も承知だ。でも、それでも誰かがやらなくちゃいけないから、自分が非難される事を覚悟の上で、内乱を起こした連中の尻拭いをしてるんだ。とても立派な事だよ」
『…………』
「みんなその事は分かってる。だからさ、誰もたまを責めたりしてない。俺たちは国連軍なんだから胸を張ってろ。そして、この地球のために頑張ってる親父さんを誇りに思っていいんだぞ? 俺は誇りに思ってる」
『……はい』
「ま、いきなり気持ちを切り替えろって言っても難しいだろうけどさ。いつまでもそんな顔してると、親父さんだって悲しむぞ? たまー!! とか叫んじゃってさ。こういう時こそ、明るくいかなくちゃ」
『えへへ……そうですね……』
 壬姫の顔に少しだけ笑顔が戻る。とは言ってもさすがにこれ以上望むのは無理な話だろう。今はこれで十分だ。
「それじゃあな、また後で。なんかあったら遠慮なく呼んでくれよ」
『はい』


 2001年12月6日(木)

 01時47分、搭ヶ島離城──
「……………………暇だ」
 武はコックピット内で呟いた。搭ヶ島に到着して三時間強、定時連絡以外に何もすることがない。
 データを更新してみても、これと言って目新しい情報も無い。もっとも、武が今ここにいるのは夕呼の特殊任務のようなものなので、それに関わるような情報がデータリンクで流れてくるはずもないが。
 とりあえず、武は通信回線を開いてみた。
「──06よりCP……おーい、まりもちゃ~ん、聞~い~て~る~?」
『ちょ、ちょっと、白銀!? ……少佐、そういう呼び出し方はやめて下さい』
「また少佐って言った。やめてって言ったじゃないですか」
『……作戦行動中は仕方ありません。我慢なさって下さい』
「……どうしても?」
『どうしてもです! それで……何のご用ですか?』
「え? あ、いや……なにか面白い情報でも入ってないかなって」
『これと言って目新しい情報は入っておりません。それに、少佐には指揮官権限でこちらに入る情報と同じものがデータリンクで全て伝わっているはずですよ?』
「いや、まあ……それは分かってるんですけど」
『用が無いなら切りますよ、少佐殿?』
「ちぇ……分かりましたよ。とりあえずついでに報告もしときます。こっちは異常なしです」
『了解。では、また後ほど』
 CPとの通信が切断された。
「……………………暇だ」
 武は辺りを見回して、何か思いついたような表情をすると、今度は冥夜と壬姫に対して回線を開いた。
「冥夜、たま。……起きてるか?」
『どうした?』
『──はい』
「休憩は十分に取れたか?」
『うむ』
『はい』
「そうか。俺はちょっと斥候に出るから機体を離れる。バックアップよろしく」
『……そんな事を言って、本当は暇だから散歩にでも行こうというのであろう?』
『えー? そうなんですか?』
「………………そんな事はないぞ?」
『その間が非常に怪しいのだがな……まあよい。了解した』
『気を付けてくださいねー』
 武は不知火のコックピットから出て、地上に降り立った。
 雪の降る中、強化装備を着ているおかげで寒くはないが、剥き出しの顔と頭には冷気がひしひしと伝わってくる。
 戦術機から離れて、離城の方に近付いていく武。
 その時、パキリ……という、枯れ枝を踏み折った音が聞こえてきた。
「…………」
 遠隔制御で不知火の暗視モニターにリンクして相手の姿を確認する。
 人影が二つ。武装はしていない。輪郭からして二人とも女性のようだ。武の予想通りなら、そのうちの一人は、夕呼が武をこの地によこす理由となった人物のはずだ。
 しかし、万が一……という事もあるので、いくらなんでもバカ正直に真正面から近付いていくわけにもいかない。
 武は気配を消し、音を立てないように二人の背後に回りこんだ。
「こんばんは」
「きゃっ……!?」
 突然現れた武に声をかけられた少女は、驚きのためか、僅かに飛び上がってバランスを崩す。
「おっと……」
 武は、その華奢な身体をそっと支え、細い肩越しに顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか…………め、冥夜……!?」
「…………めい……や?」
 一瞬見間違えたが、もちろん、今武の目の前にいるこの少女は、冥夜なわけがない。
 冥夜によく似た少女はキョトンとした顔で武を見上げ、そして、その表情が驚きの色に染まった。
「……そ、そなたは!?」
「──え?」
「い、いえ……なんでもありません。その黒い強化装備……そなたは国連軍の衛士ですね?」
「はあ……」
「──誰かと思えば、白銀武」
「うおっ!? ……よ、鎧衣課長!?」
 急に背後から聞こえてきた声に驚く武。またしても鎧衣課長の接近を感知する事が出来なかった。これでもう三度目だ。ちょっとショックである。
「お、脅かさないでくださいよ」
「はっはっは、君も人のことは言えないだろう? しかしこの場所に君たちがいるとは……いやはや、さすがは香月博士だと言うべきか……」
「鎧衣……この者、そなたの知り合いですか?」
 少女が鎧衣課長に訊ねた。
「はい。白銀と申しまして……無礼な変わり者ですが、平にご容赦を」
「いや、その……無礼なのは否定しませんけどね……鎧衣課長に変わり者と言われるのは、ちょっと心外ですよ。で、皆さん、こんなところで何やってるんです?」
「ほう……君はこの御方を知らないと言うのかね……?」
「はい?」
 言われて、武は改めて少女の顔をまじまじと見る。髪形は違うが、全てのパーツが冥夜と生き写しだった。が、冥夜よりは随分と雰囲気が柔らかく、それが表情の違いとなって現れている。
「うーむ……………………かわいい」
「え?」
「煌武院悠陽殿下に在らせられるぞ! 無礼者!!」
 無遠慮にジロジロ顔を眺めていたのがまずかったのか、少女の側に控えていた侍従の女性が武に言い放った。
「──こうぶいんゆうひ……ゆうひ……ああ、政威大将軍の」
 ああ、それじゃこの娘がそうなんだ、と武は納得した。
 メディアなどを通して顔を見る事はなかったが、さすがに武も、前の世界でその名前くらいは聞いたことがある。思い出すのに時間はかかったが。
「日本帝国国務全権代行である政威大将軍殿下を呼び捨てかね……白銀武?」
「えーっと、その……あれですよ、ほら、普通の女の子の格好をしてたから」
「やはり、おかしいでしょうか……?」
「ああ、いえいえ、とてもよく似合ってますよ」
「そうでしょうか……?」
「ははは……この者、なにぶん国連軍所属です故、お許しを。ときに白銀武、HQはどこだね?」
「小田原西インター跡です」
「まずいな……CPは?」
「旧関所跡です」
「…………ふうむ」
 鎧衣課長の表情が若干厳しいものに変わる。何か思案しているようだ。
 話が途切れたのを機に、武も考え始める。
 まず、悠陽がこの場所に現れた理由……BETA侵攻の際、数ヶ月もの間ここが護られていた事、護り続けられた事を含めて考えると、ここと帝都は繋がっている。恐らく地下で。その抜け道を通ってここにやってきたのだ。
 この場で悠陽の身柄を預かって、そのまま横浜基地に帰還、というのが武……というか、オルタネイティヴ4推進派にとってはベストだ。悠陽の身柄の安全を確保して護送したとなれば、日本政府や帝国軍には大きな貸しが出来、国連に対する国民感情の改善にも一役買うだろう。
 そして、現在の戦力配置を考えると、そうなる可能性は高い。夕呼はそこまで見越していたのだろう。
 今回の騒動は、既に『将軍争奪戦』に発展している。参加者は国連軍、帝国軍、米軍、クーデター軍。その中でも国連軍は、更にオルタネイティヴ4推進派とオルタネイティヴ5推進派に分かれる。
 大きな図式としてはクーデター軍対その他、と言うことになるが、オルタネイティヴ4推進派の武は、特に国連軍と米軍に注意しなければならない。
 武が考えをまとめ終わるのとほぼ同時に、鎧衣課長も結論を出したようだった。
「畏れながら殿下、どうかこの者とご一緒下さい。多少窮屈ではございましょうが、緊急事態故ご容赦の程を……」
「わかりました……白銀とやら、面倒をかけます」
「──鎧衣課長、何をお考えです!?」
 侍従の女性が鎧衣課長に抗議する。当然だろう。どこの馬の骨かも分からない男に、将軍殿下を託すというのだ。
 予想していた事で、なおかつ自分の事とはいえ、武もさすがにそれはどうかと思った。特に、鎧衣課長はこの世界の武が既に故人だという事を知っている。そして今ここにいる武が何者なのか知る由もない。それを知っているのは夕呼と霞だけだ。
 なのに、武に悠陽を預けるとあっさりと言い放った。……これまでのやり取りで、信頼を勝ち取ったのだと言えなくもないが。
「本当に俺でいいんですか?」
「戦術機のコックピットなら、殿下をお乗せする事は可能だろう? この状況で、戦術機のコックピット以上に安全な場所はないと思うがね、白銀武?」
「そうですか──分かりました」
 というわけで、武は不知火に悠陽を同乗させて、横浜基地まで連れ帰ることになった。鎧衣課長はこのまま帝都に舞い戻って、もう一仕事あるらしい。大方、米国に対する妨害工作と言ったところだろう。
 その時、ヘッドセットから武の耳に、ピピッという情報更新を知らせる電子音が飛び込んできた。
「……すみません、ちょっと失礼」
 悠陽たちに断りを入れ、武はスクリーンに表示させた最新情報に集中する。
 今から五分ほど前、国連第11方面司令部に帝国城内省から直々に情報が入った。
 それによると、帝都及び、帝都城周辺での戦闘が激化した事態を受け、城内省は昨夜、将軍の帝都脱出を決定。
 将軍派帝都城地下に極秘建造された地下鉄道を使い、帝都を脱出。これが約90分前。目的地は関東圏の鎮守府及び城郭。攪乱のための囮も、同時に何組か脱出したようだ。
 しかし30分ほど前、何者かによってこの情報がリーク。
 現在クーデター側は、各地の城へと部隊を移動させつつある。その結果、帝都での戦闘はほぼ終息。帝国軍、斯衛軍及び国連軍が、移動中の各部隊を追撃中との事。
「今入った最新情報によると、皆さんの情報がリークされたらしい……んですが、これって鎧衣課長ですよね?」
「うむ、計算通りだ。決起部隊が帝都城で戦闘を始めなければ完璧だったんだがね」
「殿下自ら囮……ですか。ではやはり、戦闘を収めるために?」
「ああ。殿下は数名の側近と斯衛の司令官だけに真意を伝え、ご自身で脱出のご決断をなさったのだ」
「……うん? でも、城内省から直接、国連司令部に情報が入ったって」
「殿下の脱出を知って、城内省上層部の連中が大慌てで体面を取り繕ったんだろう」
「なるほど。護衛も付けずに殿下を帝都城から脱出をさせたなんて知れると、また面倒な事になりますか」
「そういう事だ」
「でも……いや、何でもありません」
 武は、どうして悠陽は戦闘中止を命じなかったのか……と訊ねようとして、その言葉を飲み込んだ。深く考えるまでもなく、今の将軍には実権がない。当然、戦闘中止命令は出したのだろうが、それが全軍に行き届くことはなかったのだろう。
 だからこそ、起こってしまった戦闘が激化する前に、自らを囮とする事を決断したのだ。もっとも、クーデター軍はどう見てもやる気満々だったから、いずれにしても結局は戦火を避けられなかったような気もするが、しかし実際に戦闘が開始されてからの行動だった以上、その決断は遅すぎたと言えなくもない。
 だが何にしても……悠陽を目の前にして話すような内容ではない。
「……ひとつ確認してもいいですか?」
「何だね?」
「最初に発砲したという歩兵、所属は明らかになりましたか?」
「君の考えている通りだろうね」
「そうですか」
 という事は……やはり米国の手の者だろう。米軍とは今後、作戦を共にする事も十分考えられる。注意するに越したことはない、と武は改めて思い直した。
「さて、君たちはもう行きたまえ。殿下を横浜基地にお連れするのだ」
「鎧衣課長」
「なんだね、白銀武」
「横浜基地には米軍がいますが……よろしいんですね?」
「そのために私は行くのだ」
「なるほど」
「私と侍従長はまず旧関所のCPへ行く……早く連絡を」
「わかりました、どうかご無事で。美琴を悲しませるような事だけはしないでくださいよ?」
「わかっているさ」
 そう言ってふっと笑うと、鎧衣課長は侍従長と一緒にこの場から立ち去った。武は鎧衣課長を見送ると、CPに回線を開いた。
「──06よりCP、最優先処理の必要を認む」
『CPより06──秘匿回線の使用を許可する。報告せよ』
「煌武院悠陽殿下以下、帝国情報省外務二課の鎧衣課長と、侍従の女性を確保」
『…………は?』
「鎧衣課長と侍従の女性がそちらへ向かったので、詳細はそちらで確認せよ。殿下は、戦術機のコックピットが一番安全という鎧衣課長の提案で、俺の不知火に同乗する事になった。以上」
『え、あ、ちょ、ちょっと白銀──』
 武は秘匿回線を切断した。
「これでよし、と。……それじゃ殿下、こちらへどうぞ」
「はい……世話になります」
 悠陽は別段警戒する様子もなく、武の後をついてくる。大した肝の据わりようだ。それが世間知らずゆえの事なのか、武を推挙した鎧衣課長に全幅の信頼を置いているのか、それともこの短時間で武の人となりを理解してしまったのか。表情から読み取る事は出来なかった。

 悠陽をコックピットに招き入れた武は、シートの後ろに身体を突っ込んで、そこから何かを取り出した。
「これに着替えてください」
「……?」
「強化装備です。フィードバックデータの蓄積がないから、効果はほとんどないと思いますけど……何もないよりはマシなはずです。俺の予備だから、サイズは全然合わないと思いますけどね。……それじゃ俺は外に出てるんで、着替え終わったら呼んでください」
「はい」
 武は戦術機から少し離れたところに歩いていった。
「さて、現況はどうなってるかな……」
 更新されたデータリンクを確認する。
 鎧衣課長がリークさせた情報を元に帝都を離れたクーデター軍は、各地の鎮守府及び城郭に確実に迫ってきている。この搭ヶ島城も、もちろん例外ではない。その展開速度は、決して遅いものではなかった。クーデター部隊の練度は低くはないようだ。
 耳を澄ませば、少し離れたところから戦闘音が伝わってくる。
 データによると、帝国厚木基地からの通信は拒絶し、小田原西インター跡に設置されたHQの反応もない。ここからふた山ほど向こう側では、既に帝国軍部隊が敵と交戦中であり、今届いてきているのはその音だろう。
 厚木方面が既に敵に制圧されていることから、このまま正面突破で横浜基地に辿り着くのは困難だ。だとすると、伊豆半島を南に突っ切って、海路から帰還する、といった経路を辿るのだろう。
「相手ものんびりはしてくれないだろうし、スピード勝負になるか……あんまゆっくりしてる暇はないなあ……」
『──CPより207各機、状況を説明する』
「おっと、もうブリーフィングか。殿下は着替え終わったかな……」
 まりもから作戦説明のための通信が入った。武がそろそろ大丈夫かなと不知火の方に戻ると、丁度、着替え終わった悠陽が、コックピットから顔を出したところだった。
「もうそっちに行っても大丈夫ですか?」
「はい」
 武がコックピットに入っていくと、そこには、武の強化装備に身を包んだ悠陽が待ち構えていた。が、二人の間には十数センチもの身長差がある上に、身に纏っている筋肉の量も全く違う事から、ある程度は強化装備側で吸収出来るとは言うものの、しかしヘッドセットを除いたあらゆる部分が余ってだぶだぶになっていた。肩は落ち、袖は余り、一見すればだらしない印象しか与えないようないでたちだ。
 だが、それは装備の部分だけを見た時の話。露出している顔やその表情、そして仕草や立ち居振る舞いまで合わせると、だらしなさなどどこかへ霧散してしまい、一片たりとも感じられない。
 かと言って悠陽が元来持ち合わせている上品さや高潔さは当然ながらスポイルされてしまっていて、残されていたのは、男物のワイシャツを羽織って朝日を浴び、陽光で身体のラインが透けている少女のような、健康的でありながらしかしどこかしら淫靡さを匂わせるような印象だった。
 これはある意味失敗だった、無理にでも女性用の強化装備を何サイズか用意しておくべきだったか──などと、武が微妙な表情で顔をしかめていると、その表情の意図を測りかねた悠陽がキョトンとした顔で小首を傾げ、それがまたコケティッシュな事この上ない。
 しかし相手が男の場合なら、これはある意味成功なんじゃないか、いや、何が成功なんだろう──などと考えつつも、武は何とか気を持ち直した。
「……やっぱ、俺のじゃ大きすぎましたね」
「ふふ、構いませんよ」
「それじゃ、俺の膝の上に乗っかって……」
「この4点式ハーネスを使うのですね?」
「はい。それと……この錠剤を飲んでください」
「スコポラミン……加速度病対策ですね。揺れは覚悟します」
 そんな会話をしているうちにも、ブリーフィングは進んでいく。
 武の想定した通り、経路は伊豆スカイラインを南下。途中、米軍の支援も加わり、最終的に国連軍横須賀基地の第209戦術機甲大隊が伊豆半島南端の旧下田市内に上陸し、武たちはその支援の下、白浜海岸で横浜基地所属の第11艦隊と合流、海路で横浜基地に帰還となる。
 まだ各地で小規模ながら戦闘は継続中で、帝都での睨み合いも続いているので、支援攻撃の類は一切期待出来ない。
『進撃隊形は06を中心に楔参型だ。両側面と後方を厚く取る。さらに斯衛第19独立小隊が槌壱型隊形で後方を固めてくれる』
「……第19独立小隊……?」
 まりもが隊形の説明に入って、月詠の部隊の配置を説明をした時、悠陽がそれに反応した。何か聞きたそうな表情をしていたが、しかしブリーフィング中だという事で疑問を口にする事はなかった。
 本任務の最優先目標は、悠陽を無事に横浜基地まで送り届ける事だ。したがって06の安全が最優先とされる事となる。それが全員に伝えられ、まりもがブリーフィングを閉じようとしたところを、武が呼び止めた。
「あ、まりもちゃん」
『何でしょうか、少佐』
「ここからは一応、俺が指揮を取ります。米軍との協力作戦なら、その方が都合がいいでしょう」
『了解しました。……聞いての通りだ。いいか貴様ら、作戦行動中は言葉遣いに気をつけろよ? 間違っても米軍衛士の前で少佐をいつものように呼んだりしないようにな』
『了解!』
「いや、俺は別に構わないんだけど……」
『ダメです! それと、作戦行動中はまりもちゃんもダメです!!』
 えらい剣幕で怒鳴るまりも。さすがに他国の部隊と行動する時にまりもちゃんと呼ばれるのは抵抗が大きいようだ。いや、それ以前に将軍殿下を前にまりもちゃんと呼ばれる方により大きな抵抗があるのか。どう考えても既に手遅れではあるが。
「わ、分かりましたよ。じゃあ、三十秒後に出発って事で」
『了解』
 というわけで、ここからは武が小隊を率いる事になった。
「本当に……面倒をかけます……」
「別に気にする事はないですよ。それよりも殿下のような立場の人は、みんな私をしっかり護れ、おー! くらいにどっしり構えてた方が、みんなも安心しますって」
 元の世界の3バカのようにおバカな調子でおどけて見せる武。
「…………ふふっ」
「俺、なんかおかしな事言いました?」
「いえ……ふふ、ふふふっ」
 何か笑われてしまったが、どこか悲壮感を漂わせていた悠陽が笑顔になったので、武には何の不満もなかった。
『207戦術機甲小隊……全機発進ッ!!』
「おっと……じゃあ、いきます」
「はい」
 武たちは搭ヶ島離城を後にし、伊豆スカイライン跡へ向けて出発した。



[1972] Re[10]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
 02時55分、伊豆スカイライン跡・山伏峠付近──
 搭ヶ島離城を発進してから三十分強。一行は山伏峠の手前までやってきている。
 初めての実戦というのが重荷になっているのか、207小隊は訓練通りの戦術機動が発揮出来ていない。しかし、これは仕方がないだろう。
 それで進行が遅れているから、と言うわけではないが、周辺地図を確認すると、追撃を阻止しているはずの帝国軍部隊のマーカーが消えてなくなっていた。
『00から各機! 落ち着いて隊形を維持しろッ!』
 まりもから207各機に檄が飛ぶ。帝国軍部隊が突破されたのは、やはり動揺を誘っている。
『01より06、速度をもっと上げられないのですかっ!?』
「出来ればこのくらいで留めておきたいんだけどなあ……」
「──構いません白銀、速度をお上げなさい」
 悠陽が口を挿む。
「無茶ですよ。いくら強化装備着て酔い止め飲んだからって、本当に気休めにもならないんですから」
「──早くなさい」
「……分かりました。でも、一度スピードを上げたら減速はしませんよ?」
「構いません」
「06より各機、次の谷を噴射跳躍でショートカット……ん?」
『──4時方向より機影多数接近! 稜線の向こうからいきなり──!!』
 美琴が叫ぶ。地図を見ると、多数のマーカーが増えていた。
「仕方ないか。全機兵器使用自由、各個の判断で応戦しろ。でも、こっちからは無闇に仕掛けるなよ? 向こうは迂闊に手出しは出来ないはずだからな」
『了解!』
 そして宣告通り、谷を噴射跳躍を使ってショートカットしていると……クーデター軍がオープンチャンネルで通信を入れてきた。
『──国連軍及び斯衛部隊の指揮官に告ぐ。我に攻撃の意図非ず。繰り返す、我に攻撃の意図非ず。直ちに停止されたし。貴官らの行為は、わが日本国主権の重大なる侵害である』
「勝手な事言っちゃってまあ……止まれと言われて止まるバカがいるかっつのな……ん?」
 正面にアンノウンの機影が多数出現した。武はカメラを最大望遠にして確認する。
「あのシルエット……F-15EにF-22A……米軍か」
『こちらは米国陸軍第66戦術機甲大隊──』
『──速度を落とすんじゃない! 早く行け、ここは任せろッ!』
「207リーダー了解」
『作戦に変更はない、安心して行け』
「207各機、隊形を維持して最大戦闘速度」
『了解!』
「ちょっと飛ばしますよ、殿下」
 クーデター軍の追撃を増援の米軍部隊に任せて、武たちは先を急いだ。

「思ったより敵の展開が速いな……それはそうと殿下、お身体は大丈夫ですか?」
「はい、心配は要りません。操縦の心得は多少あります。飾りとは言え、軍の最高司令官なのですからね」
「操縦って……戦術機の?」
「そうです。まだ実機で96時間ほどですが。故あって今は手元を離れていますが、私専用の機体もあるのですよ?」
「へぇ……結構乗ってますね」
 207小隊とほぼ同じ搭乗時間だ。ただ、207小隊はカリキュラムを相当詰め込んでいるので、実際に戦術機に触れた時期は悠陽の方が先だろう。
「そういえば、そなたの操縦はどこか変わっていますね。先程から感心していました」
「……俺のはほとんど我流ですからね」
 武の操桿が変だという事に気が付くほどの技量はあるようだった。
 将軍自ら戦術機を駆る……というのは、別におかしなことでもない。
 本来、将軍家に生まれた者は、戦場で先頭に立つ責務がある。もちろん、今の時代に将軍自らが戦線に赴く事はないが、将軍家の縁者が戦場に出る事は、今でも珍しい事ではない。そして、彼らを護るために、斯衛軍は存在しているのだ。
「ところで白銀。この部隊に随伴している斯衛の指揮官は……月詠真那中尉でありましょうか?」
「え? ああ、はい。それが何か?」
「だとすれば……おかしいですね。白銀、そなたに訊ねたいことが──」
『──207戦術機甲小隊に告ぐ。私は米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、ウォーケン少佐だ──』
 悠陽が何かを訊ねようとした時、ヘッドセットから通信が飛び込んできた。
 この先の亀石峠で補給の準備が整っており、現在、ウォーケンの部隊のA中隊がそのための時間を稼いでいるので、可及的速やかに合流せよ、との事だった。
「補給か……ありがたい。で、何でしたっけ?」
「いえ……よいのです。米軍衛士達の生命が懸かっていましょう。先をお急ぎなさい」
「……分かりました」
 本当なら、武はあまり悠陽に負担が掛かるような事はしたくなかったのだが、悠陽の瞳に宿る強い意志は、それを断固拒否していた。
「06より各機、亀石峠まで連続噴射跳躍、500刻みで行く」
『00了解──各機500刻みでリンク、タイミングは06に同調──遅れるなよ?』

 03時37分、伊豆スカイライン跡・亀石峠──
「補給中くらいは外に出られれば良かったんですけどね」
 武は膝の上の悠陽に話しかけた。
 亀石峠に到着した武たちは、現在、補給を受けている最中だ。
「構いません……気遣いは無用です」
「そうですか? 顔色、良くないですよ?」
「……」
 そして、改めて悠陽の顔を眺める武。やはり、あまり顔色は良くない。強化装備を着ていてもフィードバックデータの蓄積はゼロ、それでいきなりの実戦機動、そして噴射跳躍と着地の繰り返しだったので、いくら衛士の心得があるからとは言っても、こうなってしまうのも無理はない。
 出発前に服用させた酔い止めも、一日の安全服用限度に達しているから、これ以上は薬に頼る事も出来ない。
「なにか?」
 それにしても冥夜によく似ている──と思いながら悠陽の顔をまじまじと見詰めていた武に、悠陽が声をかける。
「ああ、いえ、何でも」
「白銀、もしやそなた……足が痛いのではないですか? 私がずっと腰掛けているものですから」
「そんな事はありませんよ。ベルトにテンションが掛かってますから」
「そうですか……痛くなったら遠慮なく申すのですよ?」
「はは、大丈夫ですって。むしろ柔らかくて気持ちい──」
「……はい?」
「い、いえ! なんでもないであります!」
「……?」
 怪訝そうな瞳で武を見詰める悠陽。
「そ、そう言えば、さっきの話なんですけど──」
「先程の話? そうであった。そなたに訊ねたいことがあったのです」
 武は何とか誤魔化して話をすり替える事に成功した。
「月詠中尉が随伴しているということは……そなたの部隊にも武御雷が配備されているはずなのですが……」
 ああなるほど……と、武は納得した。先程悠陽が言っていた、故あって今は手元に専用機がない……という事。恐らく、その専用機というのが、先日搬入されてきた紫の武御雷なのだろう。
 であれば、冥夜と悠陽の関係は──顔が瓜二つである事からも分かるが──遠縁どころの話ではない。
「武御雷ですね? 紫の」
「はい、先程話した私の専用機です。見当たらないようですが、何故でしょうか」
「……」
 武は迷っていた。冥夜が武御雷を素直に受け取らなかった事を話しても良いものか、と。今回は月詠との接触の際、冥夜の横槍が入るのをを避けたため、冥夜が月詠に食って掛かる事はなかった。だが、前の世界でそうしたように、その気持ちは今回も同じものだろう。武が、ここにおいておくくらい認めてやれ、と言った時の彼女の微妙な表情も、それを雄弁に物語っている。
 そして冥夜は武御雷に乗るつもりはないと、きっぱり言い切った。それを正直に伝えるべきか。冥夜の気持ちを楽にさせるために話した、まだ未熟だからこんなハイスペック機には云々、という話でお茶を濁すべきか。
「白銀」
「──はい」
「そなたは……搭ヶ島で私に会ったとき、私を冥夜と呼びましたね。冥夜が……御剣冥夜がこの部隊にいるのでしょう?」
「はい」
「ではなぜ、武御雷が見あたらないのですか?」
 武は悠陽の目を見た。適当な言い逃れが通用する雰囲気ではない。冥夜の技量がまだまだ未熟だから、と言うのも間違いなく正当な理由の一つではあるのだが、悠陽が求めている答えはそれではないだろう。正直に、本当の事を話すしかなかった。
「あの機体は、冥夜が特別扱いは無用だと言って使っていません」
「……そうですか。ふふふ……あの者らしい……。あの者は今まで一度たりと、私の贈り物を素直に受けてくれたことがないそうです……」
 悠陽は寂しそうに笑った。
「ときに白銀、あの者は、日頃どうなのですか?」
「普段の冥夜ですか?」
「はい」
「そうですね──頑固で堅苦しいところはありますけど、強さの中にもちゃんと優しさを持っていて、隊での信望も厚いです。責任感や使命感も強くて、全体の調和を誰よりも考えているので、一人で余計な事を抱え込んでるんじゃないかって思う事もあります。でも、そんな事は全然表に出さないで、常に自分に厳しくあろうとしています。本当に立派ですよ」
「…………」
「今は色々悩む事も多くて、ちょっと迷ってるみたいですけど……でも、それもちゃんと乗り越えてくれると俺は思ってます」
「……悩み?」
「ああ、この前ちょっとお互いに意見をぶつけちゃいましてね。その時少しキツく言いすぎて……泣かしちゃったんです。それから、何が本当に正しい事なのかぼやけてしまったみたいで……まあ、他にも色々抱えてるものは多いんでしょうけど」
「上官であるあなたと意見をぶつけ合うのですか……?」
「え? ああ、俺が相手の時はそうさせてるんですよ。命令には理由は無い、上官命令には絶対服従だ──みたいな事をやってると、現場でいざって時に情報を元に自分で判断して行動、ってのが出来なくなって、危機から抜け出せなくなるなんて事もありますから」
「……そうですか」
「あとは……そうだな、元々少し物事を深刻に考え過ぎるきらいがありますから、肩の力を抜いて、もう少し自分に甘くなってくれればいいとは思ってますね。……こんな感じですか」
「……そうですか……ふふっ」
 悠陽は少し安心したような表情で微笑んだ。
「殿下?」
「ふふふっ、あの者は相当そなたに甘えているようですね」
「……そうですか?」
「はい。私が聞き知る限り、あの者はそのような弱さを人に気取られる事すら、良しとしないはずです。まして、人前で涙を見せるなど」
「……」
「されど……そなたとこうして話をしていると、それも理解できるような気がします。鎧衣が言ったように、そなたが変わり者だからなのでしょう……ふふふ」
「変わり者……ですか? そうかなあ……」
 微妙に納得がいかない様子で呟く武。自覚はないわけではないが、それを鎧衣課長に言われるのは、やっぱり心外だった。
「……本当に不思議な男ですね……そなたは」
 武が少しわざとらしく憮然な顔をしていると、それを見た悠陽は楽しそうに微笑んだ。
 少しの間、そうやって笑顔を見せていた悠陽だったが……それはやがて寂しげなものに変わり、そしてスッと消えてしまった。
「……殿下?」
「あの者は、己が身の上をそなたに何と申しましたか……?」
「……え?」
「冥夜から私たちのこと、聞いているのでしょう?」
「いえ、将軍家と遠縁の者だ、って事くらいしか聞いてませんけど」
 状況証拠から予測出来る事は多々あるが、そうだと冥夜の口から聞いた事は無い。それはこの世界でも、前の世界でも同じ事。
「そうなのですか……?」
 少し意外そうな顔で武を見上げる悠陽。
 そして、悠陽は自分と冥夜の身の上を、ぽつりぽつりと話し始めた。

 自分たちが血を分けた双子だという事。
 煌武院家には、古くから双子は世を分ける忌児だとするしきたりがあり、冥夜は生まれてすぐに、遠縁の御剣家に養子に出された。
 それゆえに、悠陽と冥夜は、直接話をしたことも、一緒に遊んだこともない。
 冥夜も、その生まれと無関係に生きる事が出来たのであれば、それなりに平穏な暮らしを送ることも出来たかもしれない。
 しかし、冥夜は幼少の頃から、事あらば悠陽の身代わりとなるべく教育され、常に周囲からそう扱われてきた。
 冥夜という名は、彼女に刻まれた忌児である証。冥という字は闇を意味しており、そして、悠陽の名にある陽は日の光を意味する。つまりはそういう事だ。
 冥夜はその生まれ故、忌児として家を追われ、身上を語ることを禁じられながら……その生まれ、悠陽の妹であるが故に、政治の道具として扱われてきた。
 今、彼女が国連軍に在籍している事もそうだ。冥夜は国連に対する、日本の信義の証として横浜基地にいる。ありていに言えば、ただの人質なのだ。
「情けない事ですが……私がそれをあの者に強いてしまっているのです。私は……あの者を失望させたのかもしれませんね」
「失望?」
「そうです」
「それは絶対にあり得ませんよ」
「そうでしょうか……」
「ていうかですね、そんな事、絶対に言っちゃダメですよ。
 冥夜は、自分の往く道は自分で決める、そんな奴です。今の境遇だって、たとえ他に選択肢がなかったのだとしても……周りに流されて決めたんじゃなくて、その一つしかない選択肢を自分で選んで自分で決めて、その道を全力で歩んで来たんでしょう。
 そして、あいつはその事に誇りを持っている。それを端から否定するような事を言ったら……殿下は自分自身だけじゃなくて、冥夜まで貶めることになります。だから絶対に言っちゃダメです」
「……そう……ですか」
「ああもう、ほら、そんな沈んだ顔しないでくださいよ」
「……白銀」
「はい?」
「そなたに頼み事があります。これを……これをあの者に渡してください」
 と言って、悠陽は随分と古びた、小さな人形を取り出した。
「……これは?」
「これが……あの者と私が共に過ごした証なのです……例えほんの数日でも……。此度、身の回りの品で持ち出せた唯一のものです……」
 肌身離さずに持っていたのか、それともいつでも持ち出せるようにしていたのか。いずれにせよ、相当大切な物に違いない。
「俺が渡してもいいんですか?」
「……あの者が心許すそなたから渡して欲しいのです。そなたからであれば……きっとあの者も、快く受け取ってくれるでしょう」
「…………」
 武は、直接渡す事は出来ないのかと聞こうとして、止めた。無駄な事だからだ。それが出来るくらいなら、最初からそうしている。
 二人が引き離された理由……双子が世を分けると言うのも、あながち間違いでもない。現代においては些か時代錯誤ではあるが。
 普通に歳の離れた兄弟でも、跡目争いは生まれるのだ。それが将軍家で、しかも双子であるならなおさらだ。もし放置すれば、当の双子が何も分からないうちに、権力争いに巻き込まれてしまう事は想像に難くない。そして暗殺の手が──などという事になる。
 そう言った意味では、双子を引き離すという事は即ち、生まれてきた双子を護る、という事でもある。
 だが……悠陽が冥夜に会って、二人の繋がりを示すようなものを直接手渡したりなどすると、そうやって争いを避けた事が水泡に帰してしまうのだ。悠陽も、そして冥夜も、そんな事は今更言われるまでもなく、十分承知しているだろう。
 本当は逢いたいに違いない。しかし、二人がきっちり覚悟を決めている以上、武の我侭で、その覚悟を覆すわけにはいかない。
「……分かりました。必ず冥夜に渡します」
「よろしく頼みます」
 武は悠陽から人形を預かった。
『──207戦術機甲小隊に告ぐ』
 その時、ウォーケンから通信が入った。
 現在、敵の動きは想定の範囲内に収まっているらしい。よって、作戦及びルートの変更はない。
 武たち207小隊は補給が完了次第、現隊形を維持して出発することになる。そして、合流した米軍第66戦術機甲大隊が両翼と最後尾を固める。
『尚、これ以降、207戦術機甲小隊は、我が第66戦術機甲大隊の指揮下に入るものとする──以上だ』
「ま……妥当だな」
 武もウォーケンも階級は少佐だが、向こうは大隊長、武は今は小隊長である。しかし……最終的な決定権はないとはいえ、面倒な指揮をしなくて済むと思えば、それはそれで気楽だった。それでいて、向こうは同じ階級である武の発言を、決してなおざりにする事は出来ないのだ。
 武たちは補給を終えると、再び伊豆スカイライン跡を南下し始めるのだった。

 04時04分、伊豆スカイライン跡・沢口付近──
 武が地図を確認すると、クーデター部隊は既に、武たちが先程補給した地点、亀石峠にまで到達していた。
 今の段階では、それなりに距離は稼げている。仮に後続の米軍が突破されても、このまますんなりいけば、無事に逃げおおせる事が出来るだろう。すんなりいけばの話だが。
「でもなあ……こういう時って、大抵なんかあるんだよなあ……」
 移動速度を上げられれば問題はないのだが、それは無理だ。
 武は膝の上の悠陽の様子を見る。
 かなり気分が悪そうだ。顔色も良くない。時間と共に強化装備にフィードバックデータが蓄積されていくとはいえ、はっきり言って焼け石に水だ。薬の効果もどれほどあるのか怪しい。
「大丈夫ですか、殿下」
 悠陽に声をかける武。
「……私は大丈夫です。かまわず任務を遂行なさい」
「俺は本音が聞きたいんですけどね……。ま、米軍のおかげで距離は稼げてますから、少し減速するように進言しましょう」
「なりません! 白銀、そなた私の話を聞いていませんね?」
「その言葉、そっくり返しますよ。どう見ても全然平気じゃないです。これ以上は保ちません」
「お黙りなさい。何が保たないと言うのです」
「殿下の身体に決まってます」
「ならばよい……如何ほど酷くなろうと、加速度病ごときで命を落とすことはありません。されど、もし速度を減じれば……また多くの将兵の命が、失われることになるやも知れません」
 そうは言っているが、加速度病による嘔吐に伴う脱水症状で、死に至る可能性は十分にある。衛士訓練学校の戦術機課程の最初の座学で習う、衛士にとって常識的な事だ。それを知らぬわけでもあるまい。武がその事を知らないと思っているわけでもないだろう。どう見ても強がりだ。
「殿下に何かあった時の方が、もっと影響は大きいんですけど」
「なりません……」
 驚異的な精神力で持ちこたえてはいるものの、かなり意識も定まらなくなってきている。
「仕方ないなあ……分かりました。今はこのままでいきますけど、俺が限界だと判断したら、その時は従ってもらいますからね」
「……」

『──ハンター1より各機』
 ウォーケンからの通信が入る。武はデータリンク情報に注意を向けた。
 それによると、冷川料金所跡に敵軍が出現、現在、米軍第174戦術機甲大隊が交戦中、と示されている。確かに、敵の別働隊が他ルートを通り、ここに到達することは予測されていたが、それにしても展開が速い。
 先程の補給で時間を取られ、こちらの行動が遅れた事を考慮したとしても速い。速すぎる。
「……どうしたもんかな」
 追撃部隊の別働隊が全速で追撃してきたのか、或いは全く別の部隊が増援として加わってきたのか。それは分からない。
 分からないが、しかし……いずれにしても、この異常なまでの展開の早さ──玉砕覚悟で突出するにせよ、増援をよこすにせよ──まるで、武たちが悠陽を護送している事を前提としているかのようだ。状況から判断しようにも、各地で陽動作戦が行われているわけで、ここに悠陽がいる事を特定する事は出来ないだろう。
 だとすると──
「これは……洩れたかな」
 仮にそうだとして、どこから漏洩したか。
 可能性があるのは帝国軍、国連軍、米軍……要するに友軍は全部怪しい。除外出来るのは、まず鎧衣課長。帝都からクーデター部隊を引き離した以上、これ以上の漏洩に何のメリットも無い。そして、後はオルタネイティヴ4……それも夕呼直属の部隊だけと、極めて限られる。
 しかし、そもそも悠陽がこの部隊に護送されているという事は、そう広くは知られていないはずだ。少なくとも、そこらの一衛士ごときが知りうる類の、機密性の低い情報ではない。
 だとすると、まず帝国軍は除外してもいい。この手の機密性の高い情報を入手できる立場にいる者でクーデターに賛同したものは、とっくにクーデター側に付いている。あらかじめスパイを潜り込ませていた可能性はゼロとは言えないが、そこまで徹底するくらいなら、そもそも帝都城での発砲事件──鎧衣課長によると米国の工作員が起こした──などは、最初から防げているはずだ。沙霧たちにそんなシビアさは無い。
 次は国連軍だが……オルタネイティヴ5推進派と、米軍は同列に見てもいい。ここは米軍とひとまとめにして考える。
 もし仮に、何の問題もなく207小隊が悠陽を横浜基地に送り届けたとすると、米軍は特に大きな働きをする事もなく、当然ながら手柄は207小隊、そして夕呼のものとなる。
 これだと米国は戦力を投入したのに何の手柄も得られず、日本での発言権も取り戻せない。ではどうするか。
 手柄を得られる機会がないなら、作ってしまえばいい。やはりマッチポンプだ。
 情報をリークし、それによって悠陽を窮地に追い込む。そして、そこに救いの手を差し伸べて恩を売る。
「とりあえずこのセンで考えとくか……気にしても仕方ないけど。でも本当、現場はいい迷惑だよな」
 ウォーケンに同情する武。
『──という状況だ。全機現隊形を維持、最大戦闘速度で冷川を突破する』
 武が思案しているうちにも、ウォーケンの作戦説明が続いていた。
 現在174大隊と交戦中の相手は、富士教導隊──実験開発部隊を擁する帝国軍の最精鋭部隊と判明している。174大隊が長時間持ちこたえられる保証はない。
 状況から考えると、恐らく、富士教導隊はクーデター軍の切り札だ。だが逆に武たちが冷川を突破してしまえば、クーデター軍には打つ手はなくなる、という事でもある。
 悠陽の体調が不安ではあるが、最大戦速で突っ込むのは妥当なところだ。
「もう少し我慢してくださいね、殿下」
「白銀……私に、気を遣うでありませんよ……」
 消え入りそうな声で、悠陽は武に応えた。

「06より207各機。聞いてたな? ここからは時間との戦いだ。隊形、コースを維持、最大戦速」
『了解』
「さて、突っ込みますか……」
 冷川まで残りおよそ1500メートル──時間にして二十秒強。
 米軍は押されている。そして、あと一歩というところで、コックピット内に警報音が鳴り響き、スクリーンには敵機接近の警告が表示された。クーデター部隊が料金所跡に取り付き、頭を押さえられたのだ。
 174大隊はその被害が大きくなりすぎて、戦線を維持することが出来なくなっていた。
 しかし、ウォーケンは部下に指示を出してF-22A三小隊で防衛線を再構築、戦線の立て直しを図る。武たちの直援はウォーケンの小隊だけになってしまったが、しかし極めて冷静な判断だ。
『──ハンター1より各リーダー。このままのコースを維持し、中央を突破する』
「──了解」
 全速で乱戦模様の戦場に突っ込んでいく。
 地図に映し出された敵マーカーの数は異常なほど多い。だがしかし……抜けられないという事はないだろう。ここを越えれば、とりあえずは一安心出来るはずだ。
 そして、戦域に突入した。
 悠陽が搭乗している可能性のある戦術機を擁する部隊には攻撃出来ないだろうと言う目算通り、ほぼ素通りするような形で戦闘域を駆け抜ける。
 そんな中、武は悠陽の方に視線を動かして、様子を確認する。先程まで辛うじて保っていた意識は、既に朦朧としていた。
「まずいな……少し時間稼ぎしとくか……」
 そう呟いた後、武は突如、全開噴射跳躍で宙高く舞い上がった。
『06、何をしている!? 隊形を崩すな!!』
「援護射撃ですよ──20706、エンゲージオフェンシヴ!」
 武は空中で噴射を巧みに使い、前宙にひねりを加えながら戦術機を逆さにして戦闘区域に向き直る。それと同時に、携行している87式突撃砲二丁をパイロンから抜き放った。
「──20706、フォックス2!」
 武の不知火の突撃砲が火を噴いた。曲撃ちでただ乱射されただけかのように見えた弾倉二本分の120mm徹甲弾は、露軍迷彩仕様の戦術機──富士教導隊の不知火に次々と突き刺さっていく。
「撃墜6……こんなもんか」
 武は再び噴射で体勢を立て直すと、噴射降下で自分のポジションに着地して、隊形に復帰した。
『──20706、白銀少佐、貴様何を考えている!』
 ウォーケンの通信が飛び込んでくる。
「ちょっとした時間稼ぎです。それよりもほら、早く離脱しなきゃ」
『──言い訳は後でじっくり聞かせてもらうぞ。全機隊形維持のまま最大戦速。このまま追撃部隊を引き離す。富士見台跡を通過後、匍匐飛行に移行。谷側に──』
 武はウォーケンに離脱を促すと、悠陽の様子をもう一度確認した。相変わらず意識は朦朧としている。呼吸にも乱れが見られ、心拍数も増加していた。今のところ嘔吐はないが、一旦嘔吐し始めると、止まらなくなる恐れがある。そうなれば、それに伴う脱水症状で死に至る、という最悪のケースも考えられなくはない。
「さすがにもう限界だな……。──06よりハンター1、最優先処理の必要性を認む」
『ハンター1より06、秘匿回線の使用を許可する』
 そして、回線が切り替わった。
「殿下の容態が悪化、重度の加速度病です。即時停止を進言します」
『何だと!? 診断に間違いはないのか?』
「強化装備のバイタルデータを送ります。そちらでも確認してください」
『……了解した。──ハンター1より部隊各機。約2マイル先の谷まで匍匐飛行で移動。高度制限は100フィートとする。到着後、06以外の各機は、散開して周囲の警戒に当たれ──』
「………………」
 悠陽の苦しそうな喘ぎ声が武の耳に入ってくる。
「殿下……あと少しだけ、頑張ってくださいね──」



[1972] Re[11]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/01 12:42
 武たちは匍匐飛行で、両側を山に囲まれた谷へと移動した。
 各機、散開して白銀機を護るような配置に付き、武の不知火の側にはウォーケンのF-22Aと、直援としてまりもの不知火だけが残された。
『──白銀少佐、殿下のご容態はどうだ』
 ウォーケンが訊ねてくる。
「あ、ちょっと待ってください。先に応急処置を済ませます。それ以外に質問があれば、神宮司軍曹にお願いします」
『了解した』
 武はまず、ハッチを解放して外気を取り入れる。そしてハーネスのテンションを緩め、悠陽に楽な姿勢をとらせた。
「……はぁ……はぁ……」
 開放されたハッチの外からは、冷川の戦闘音が微かに聞こえてくる。通り抜けざまに何機か撃墜した事と、その後の匍匐飛行で、それなりの距離と時間は稼げているはずだ。
『──これは侍従長が言っていたのですが、殿下はこの争乱が始まってから、一睡もされていないそうです──』
 まりもの声が武の耳に入ってくる。
 言われてみれば、悠陽なら臣下同士が殺しあったり帝都の安全が脅かされている時に、眠れるような性格はしていないだろう。その上、相当悩んだり考えたりして、ストレスを溜め込んでいたのはまず間違いない。
 そんなコンディションで実戦の、しかも武のある意味出鱈目な戦術機動では、こうなってしまうのも無理はない。むしろ、ここまで保ったことが驚嘆に値する。
『──白銀少佐』
「はい?」
『殿下にトリアゾラムを投与しろ』
「……それは出来かねます」
 武はウォーケンの命令を拒絶した。
 トリアゾラム、催眠鎮静薬──要は精神安定剤兼睡眠薬だ。
 重加速度病に対して精神安定剤を投与する事は通常の処置である。ただ今回の場合、このまま安静状態を維持出来るわけではなく、戦術機での移動が続く。
 トリアゾラムは筋弛緩作用も有しており、それらの条件を合わせると、睡眠状態での嘔吐により窒息死に至る可能性が浮上する。その危険性を見逃すわけにはいかない。
 といった事をウォーケンに説明する武。だが、ウォーケンはそれに反論した。
『なるほど……可能性は否定できない。だが、それはあくまで可能性の話だ。殿下の容態を鑑みれば、一刻も早く戦域を離脱するのが、最良の選択だ』
 米軍部隊が敵の追撃を阻止している間に、匍匐飛行で高速移動し、移動時間を短縮すれば、リスクは小さくて済む……というのだ。
 しかし、武の見立てでは、悠陽は今、精神力だけで耐えているような状態だった。だとすると、眠らせてしまう事でそれが途切れ、状況が一気に悪い方に傾いてしまう可能性が高い。
「この場合、トリアゾラムの投与は適切な処置とは言えません。殿下の回復のため、十分以上の休息時間を取るべきだと進言します」
『キットにある精神安定剤はトリアゾラムのみ。これは現状取りうる最良の選択だ。加えて、短時間の休息で殿下が回復する保証はない。180秒後に移動を開始する』
「承服しかねます、休憩時間の再考を進言します──なんて言っても、納得出来ないでしょうね。だからこうしましょう。先程、冷川を通り抜ける際、俺は敵機──富士教導隊の不知火を六機撃墜しましたが、それにより少なくとも十分以上は、余計に戦線を維持出来るようになったと考えられます。しかし、元々そんな時間はなかったわけですから、その分の時間を俺にください」
『む……』
「確かに作戦遂行と言う側面だけを見れば、少佐の考えは間違っていません。ただ……殿下に関する事はそのお立場上、必ず政治的な問題に発展していきます。
 今、我々が殿下を横浜基地に送り届けるという任務を、手段を選ばずに達成したとしても、その過程が拙ければ──もし仮に殿下がトリアゾラムの投与を望んだのだとしても──後々、任務は失敗だったと言わざるを得なくなります。それはお互いに望むところではないでしょう」
『…………』
「少佐の部下たちには申し訳ありませんが、もうひとふん張りして貰ってここで休息を取り、任務を本当の意味で成功させるか。それとも、見せかけだけの成功に満足して、最終的に作戦失敗と言う泥をかぶるか。これ以上は政治的な話になりますので、俺の口からはもう何も言えません」
 武の発言にウォーケンは少しの間思案していたが、やがて重い息を吐いて、それから口を開いた。
『…………分かった。全くもって口惜しいが、確かに君の言う通りのようだ。……こうも簡単に自分の意見を改める事になるとは思ってもみなかったがな』
「いえ。少佐が理解のある方で助かりました」
 ウォーケンも色々と思うところはあるのだろうが、ただ悠陽を横浜基地に連れて行けば良いというわけではない、という事は理解していたようだ。
 結局、ここでとりあえず十分間の休息を取り、それから悠陽の様子をもう一度確認して、その上で出発するかどうか判断する、と言う事で落ち着いた。
『では、これから十分の休息を──』
 その時、開放したハッチの外から、轟音が飛び込んできた。
「……何だ?」
 ピピッという警告音と共に、モニター上に航空輸送隊が接近している事が表示される。両側の山が死角を作っていたため、レーダーでの発見が遅れたのだ。
『帝国軍671航空輸送隊? 作戦参加は聞いていないが……』
 ウォーケンが怪訝そうな声を上げる。
『帝国軍……671……!?』
 まりもが驚愕の声を上げた。
 帝国軍671航空輸送隊は厚木基地所属の部隊だ。だが、厚木基地は武たちが箱根を出発する前に、既に陥落している。
 という事は──
『──空挺作戦だと!? ばかな……あり得んっ!』
 An-225……全長、全幅共に80mを超える大型輸送機。戦術機を二機搭載して輸送する事が出来る。しかしその大きな図体ゆえ、匍匐飛行など出来ようはずもない。
 現在、太平洋側の安全な航路は、国連軍や米軍が押さえている。つまりBETAに撃墜されるリスクを冒してまで内陸を飛んできたという事だ。全滅の可能性だって、十分過ぎるほど考えられる。
「ここまで来たら、もうメリットデメリットの問題じゃないな。どうせ引っ込みが付かなくなってるだけなんだろうけど……」
 これは、クーデター軍が危険を承知の上で空挺作戦に出なければならないような状況にまで追い込まれているという事だが、だからと言ってそこで本当に実行してしまう辺り、沙霧たちは明らかにBETA殲滅を軽んじているいう事の証明と見て良い。
 そして、地図上に示された武たちの青いマーカーは、敵機を示す赤いマーカーに取り囲まれた。
『──国連軍指揮官に告ぐ』
 オープンチャンネルで通信が入る。この声は……沙霧だ。
 色々と突っ込みどころは多かったが、要は、一時間待つ、殺されたくなければ大人しく悠陽を引き渡せ、といった内容だった。

「反乱の首謀者が最前線に現れ、60分の休憩を通告……どう考えても罠だ。状況から考えて不自然過ぎる」
 ウォーケンが発言した。
 今、武の不知火の足元には、ウォーケン、月詠、まりも、そして武が集まり、先程の沙霧の通告について話し合っている。
 ウォーケンはこの状況を罠だと言う。歩兵部隊によって奇襲をかけ、悠陽を奪取しようとしている、と言うのだ。
 普通の軍人なら、当たり前のように導き出される結論だろう。
 しかし、まりもと月詠はそれに反論した。
 というのも、通告を悠陽の名に懸けて履行する、と沙霧が口にしていたからだ。帝国軍人が将軍の名において発した言葉を翻すことは恐らくない、と言うのが、まりもと月詠の見解だった。
 同じ結論なのであえて口には出さなかったが、武も同意見だった。もっとも、その理由は帝国軍人云々などではなく、単に沙霧がバカ正直だからという事なのだが。悪い事ではないとは思うが、しかし人間同士の争いでそれを貫くのは賢い事ではない。
 それはともかく、結局ウォーケンもこの説を受け入れ、休戦に応じる事に決定となった。
 207小隊は歩兵の襲撃に備えると言う名目の元に休憩を与えられ、そして悠陽は不知火のコックピットから降ろされ、この場は月詠たち斯衛に預けられることになった。

「さてと、どうやって切り抜けたもんかな……」
 武は不知火のコックピットに戻って、これからの事を考えていた。
 とりあえずは目前の敵……沙霧たちを何とかしなければならない。直接話し合えば、舌先三寸で丸め込んで論破する自信はあったが、それでは根本的な解決にならない。説得するのが武では、後でやっぱりあれは違ったんだ、などという事になりかねないからだ。
 では、誰が説得すれば納得するのかと言えば、それはやはり、悠陽以外には考えられないが──
「片っ端からぶった斬るって手も無くはないんだけど……」
 マーカーで表示された情報が正しければ、敵機は30。今の武ならどうにでも出来る数だ。情報が間違っていて多少増減があったとしても、それは変わらない。また、まりもと二機連携を組んで臨めば、もっと効率良く、より短時間で撃破することが可能だろう。
 しかし、それはこちらが単機、或いはまりもとの二機連携だけだった時の話だ。
 今回の場合、悠陽を護りながらの戦闘になる。となると、単純に数の差が問題になってくる。いくら武やまりもが強くても、攻撃、或いは防御は、一人当たり一方向に対してしか出来ない。それ故に、手薄になったところを抜かれたらアウトだ。
 仮に武たちの手が届かないとしても、米軍に斯衛、207小隊が控えているが、207小隊には可能な限り対人戦闘など経験させたくない。
 それに反乱の芽を摘むという意味では、この方法は決して望ましくはない。余計に不満を募らせるだけだ。
「実力行使は最後の手段だな。やっぱ、強行突破して逃げるのがいいのかな……」
 今のところ、悠陽の乗機は特定されていないはずだ。これまでの隊形から、かなりの可能性で白銀機に乗っていたという事は分かっているだろうが、それも、この休憩でシャッフルされてしまうので、結局は特定出来ない。
 将軍の搭乗機が不明な故に迂闊な攻撃は出来ないというメリットを活かして、敵包囲網の一点を強行突破、当初の作戦通り、伊豆半島を南下して海路で横浜基地に逃げるのである。
「後は……米軍の動向か」
 ウォーケン少佐とは直接話し合った結果、彼が優秀な指揮官であり、信頼の置ける人物だという事が既に分かっている。だが、他の衛士たちはどうなのかまでは分からない。
 米国とすれば、穏便にまとまるのは都合のいい話ではないだろう。兵力を投入しているのに、最終的に話し合いで解決してしまえば、武力介入なんて必要なかったじゃないか……という事になる。米軍のおかげでクーデター軍を殲滅し、将軍を無事救出できました……という結末が米国にとってはベスト。次点で、このまま悠陽を横浜基地まで送り届ける、といったところだろう。
 帝都城で発砲した歩兵の事もある。考えたくはないが、悠陽を護送しているこの部隊にまで工作員が紛れ込んでいたとしても不思議はない。警戒するに越した事はない。
「結局、根本的に解決するには、殿下に説得してもらわなきゃダメなのか……まいったな。でもま、なるようにしかならないか」

「とりあえずはこんなとこかな。……あいつらの様子でも見ておくか。こっから一番近いのは……」
 そして、武は207小隊各員のところを回ってみた。
 冥夜だけは捕まらなかったが、千鶴や慧、壬姫は、事件勃発後もそれなりに話していたので、もちろん完全にとはいかないが、気持ちの切り替えはちゃんと出来ている。壬姫などは、表面上ではあるが、米軍衛士のフィンランド人のお姉さんと談笑出来ていたほどだ。
 残る美琴はというと……鎧衣課長は職業上、美琴には諜報員だという事を伝えていないはずだから……という理由で、事件後にまともに話していなかった。
 というわけで、美琴の所にやってきた武。だが美琴は、心ここにあらず、といった感じでボンヤリと立ち尽くしている。
 今のところは、美琴は鎧衣課長と事件とのしがらみを知らないので、そこから来る重圧はないといっても、初の実戦が対人戦闘だという事は、やはり美琴の心に陰を落としているようだった。
「なんかあいつ、ぼーっとしてるなあ……」
 武は美琴をちょっと驚かせてやろうと、気配を消して、音を立てないように背後に忍び寄って行った。
「美琴」
「うわああぁぁ!!!」
 いきなり背後から呼びかけられた美琴は、大声を上げて、ビクリと跳ね上がる。
「ちょ、おい、大丈夫か?」
「え!? あ、タケ……じゃない、白銀少佐……」
 そして武の顔を見た美琴は、その場にへたり込んでしまった。
「今はタケルでいいよ。それより、大丈夫か?」
「……もう、脅かさないでよ。心臓が止まるかと思っちゃった……」
「そりゃ悪かったな。でも、緊張は取れただろ? ちゃんと休んでたか?」
「うん……でも、いつの間に後ろに来たの? ボク、全然気付かなかったよ」
「お前の親父には負けるよ」
「え? タケル、父さんに会ったことあるの!?」
「ああ、何度かな。で、会うたびに今みたいに後ろ取られるんだよ。何者だよあの人。忍者か?」
「もう、そんなわけないじゃない。役所の下請け会社で働いていて、しょっちゅう外国を飛び回ってるんだよ」
「……そうか」
 やはり、美琴には情報省で働いている事は伏せていたようだ。が、それで正解だろう。
「向こう見ずな人でさぁ……すぐ危険な場所に飛び込んで行っちゃうんだ。それで、まわりの人も危険な目に遭わせちゃうんだよね……ほんと、困った人だよ。だから、タケルも巻き込まれないように気をつけてね?」
「はは、俺は大丈夫だよ。それにあの親父さんなら、何やっても平気だろ」
「けどね……変にロマンチストだから、それしか見えなくなっちゃう時があるんだよ」
「そういうところはお前とそっくりだ」
「え、え~? そ、そうかなあ……?」
 それから数分間、武は美琴と雑談を交わした。
「タケル……ありがとうね」
「なんだよ、やぶからぼうに」
「……なんかね、近くにいてくれるだけで、とっても安心できるんだ。だから……ありがとう」
「そうか。俺が役に立ってるっていうなら、それは何よりだな。……それじゃ、俺はそろそろ行くぞ?」
「え……? もう行っちゃうの……?」
「あんま機体から離れてるわけにもいかないからな。まだ時間はあるから、ゆっくり休んどくんだぞ」
「……うん」
 武は美琴と別れ、自分の戦術機に向かって歩き始めた。

「白銀……少佐」
「……ん?」
 不知火に戻る途中、武を呼ぶ声が聞こえてきた。声がした方を振り向いてみると、そこには戎美凪の姿があった。やはり彼女もこのような人間が相手の戦いは初めてなのだろう、隠しきれない疲労がその幼く見える顔にありありと浮かび上がっている。極めていつも通りの表情を浮かべていた武とは対照的だった。
「ああ、戎……少尉。どうかしたか?」
「捜しましたわ。休憩とはいえ、この状況でうろつき回るだなんて……国連軍の程度が知れますわね」
 どこか虚勢を張ったような態度で武を非難する美凪。未だ正体を計りかねていると言ったところだろうか。
「手厳しいなあ。どうせ沙霧たちが動くまでは暇なんだから構わないだろ。で、なんかあったの?」
「まあいいです。付いて来てください」
「なんだ、こんな時にデートのお誘いか? お前も好きだな」
「ちっ、ちちち違いますっ!!」
「冗談だよ、真に受けるな」
「うぅっ……で、殿下がお呼びです。急いでください」
 武は顔を真っ赤にした美凪に連れられて、悠陽の下に赴いた。
「──殿下、白銀少佐を連れてまいりました」
「ご苦労でした、下がりなさい」
「……は」
 悠陽に命令され、美凪は下がっていった。

 武が悠陽の様子を見ると、先程に比べれば顔色は良くなっていた。やはり横になって休んでいるためか、それなりの回復は見せているようだ。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいるが、しかしだからと言って、辛くないと言うわけではないだろう。そして恐らく、まだ戦術機の機動に耐えられるほどには回復していない。
「──白銀、ここへ」
「はい、失礼します」
 悠陽に呼ばれ、近付いていった武は、そのまま横になっている悠陽の隣に腰を下ろした。
「このまま話す非礼を許すがよい……身を起こすと、少々辛いゆえ……」
「気にしないでください。それを言ったら俺なんか非礼尽くしじゃないですか」
「ふふ……本当にそなたは面白い男ですね」
「そうかなあ……?」
「……私が不甲斐ないばかりに、そなたにはいらぬ苦労をかけました……」
「気にする必要なんてありませんよ。俺の方こそ、もっと揺らさずに操縦出来れば良かったんですけど」
「……そう言ってもらえるのは助かります」
「それで、何のご用でしょう?」
「戎から状況は聞きました。時間が来る前に、そなたと少し話がしたかったのです」
「はい」
「そなたはどうなのです? 疲れていますか?」
「いえ、俺は元気ですよ。これでもれっきとした正規兵ですからね」
 笑いながら答える武。
 今の武にしてみれば、人間同士の戦闘の方が、BETAと戦うより余程気楽だった。なんと言っても絶望的な物量差がないし、それに話し合いで解決出来る可能性だってゼロではない。勿論、そんな考えを表に出すつもりは無いが。
 とにかくそんな事情があり、かつ作戦行動自体も、武にとってはさして負担の掛かる類のものではなかったので、大して疲れていないのである。
 それはさておき。
「さすがですね。しかし、そなたの卓越した操縦技術や戦術機機動における突出した発想と柔軟性……鎧衣がそなたの機体を推した由、得心しました」
「そうですか? ……ありがとうございます」
「礼を言わねばならぬのは私です。そなたの心よりの感謝を……」
「とんでもない。当然の事ですよ」
「……当然……ですか?」
「はい」
 悠陽は武の当然という答えを聞いて、若干、表情を曇らせる。
「本来ならばそなたの技能……人類の仇敵、BETAを打ち滅ぼすために用いられるべきもの。そなたのみならず、此度の争乱に用いられている全ての将兵、物資も然り。それが、このような形で失われていくのは……残念なことだとは思いませんか?」
 悠陽のその言葉に、武は一度、まるで何かのスイッチを切り替えるかのように深い息をつく。そして、改めて悠陽に向かいなおり、語り始めた。
「……確かに残念ではあります。ですが、ある程度は仕方のない事だと思っています」
「なぜ、そう思うのです?」
「何をどう頑張ろうと、想いだけで人類が一丸になる、などという事は不可能だと考えているからです」
「…………」
「例え目的が同じでも、重んじるものが違えば、道を違える事もある」
「……?」
「冥夜が俺に投げかけた言葉です。しかし、一度道を違えた者たちは、はたして同じ場所に辿り着く事が出来るのでしょうか」
「……それは」
「BETAに侵略されつつあるこの世界──ほとんど全ての人がBETAの殲滅を願っている、それは間違いないでしょう。ですが、BETA殲滅という巨大な願望の陰に、それぞれの思惑が隠れています。中には米国のように、それが表に見えている国もありますが」
「……」
「一見、BETA殲滅という大きな目標が掲げられているように思えますが、それはあくまで一つの通過点に過ぎません。大きなところでは国を復興させたい、また身近なところでは大切な人を護りたい……誰もがそんな想いを抱えています。
 いくらBETAを倒すために集結したとはいえ、結局のところ、それぞれ全く別の思惑を持っている者たちの集まりですから、ひとつの意思に統一することなど到底出来ません。必ず派閥が生まれ、そして争いが生まれる」
「…………」
「俺は人間はそういう生き物だと理解しています。だからそれを前提とした上で、自分の目的を達成するために今出来る全力を尽くします。
 BETAと戦うための戦力は多い方がいいのは当然です。しかし、その先に見据えているものが違うために、いざBETAと戦おうという時に互いの足を引っ張り合ってしまうようでは、たとえ数字の上で戦力が温存出来ていたとしても意味がありません。
 少数であっても統制の取れた部隊と、数だけは多い烏合の衆。どちらかしか選べないと言うなら、俺は数を切り捨てでも前者を選びます。俺が目的を達成出来る可能性を、少しでも高めるために」
「……」
「先程、殿下に当然だと答えたのも同じ事です。無礼だとは思いますが、あれは別に殿下の事を第一に想って言ったわけではありません。今は殿下を護る事が俺の目的に繋がっていく。だから俺にとってはそれが当然ですし、殿下が礼を言う必要もありません。あくまでも、俺が俺自身のためにやっている事ですから」
「…………」
「とまあ、こんな感じです。殿下が聞きたかった事の答えはありましたか?」
 武は硬くしていた表情を緩めて言った。
「白銀……」
「はい?」
「そなたは、強いのですね……」
「はは、そんな事ありませんよ。俺はただ割り切ってるだけです。本当に強いのは殿下の方でしょう?」
「どうして、そう思うのですか……?」
「さっき言った、BETAを倒した向こう側って奴ですよ。俺は殿下みたいにたくさんのものを背負ってるわけじゃありませんし、背負うつもりも覚悟もありませんから」
 武は苦笑しながら言う。自分の器の大きさは分かっているつもりだった。例え今のこの世界では上手くやれているのだとしても、前の世界で全てを失ってしまった事は紛れもない事実。
 そして、だからこそ、自分の身近な事以外を背負えるなどとは思ってはいない。
「……もしよろしければ、白銀がBETAを倒した後に成したい事が何なのか、教えていただけませんか?」
「ええ、構いません……って言っても、ただ身近にいる人を護りたいだけなんですけどね。冥夜たち207小隊に、神宮司軍曹、香月博士に……まあ、横浜基地で俺が家族みたいに思ってる人たちですね。そのみんなが穏やかに暮らせればいいな、って。あ、俺がこんな事言ったって、冥夜たちには内緒ですよ? ちょっと恥ずかしいですし」
「…………」
 武の回答を聞いた悠陽は、少し沈んだ表情で黙り込んでしまった。なんだろう──と思いはしたが、武にはその理由は分からなかった。
「殿下?」
「──えっ?」
 武に呼びかけられ、ハッと意識を取り戻した悠陽。
「あの……ひょっとして、まだ具合が良くないのに無理してたんじゃ」
「いえ、それは大丈夫です……」
「ならいいですけど……」
「…………」
「…………」
 二人の間に微妙な沈黙が漂う。
 悠陽の沈黙に武は、今の話はさっきの受け答えで一応決着は付いたんだよな……と考えた。すると、今度はずっと気になっていた、別の疑問が湧き上がってくる。
「どうかしましたか、白銀」
 話が途切れた時、武が小難しい顔をしていたのを、悠陽は見逃さなかった。
「……何か、申したいことがあるのではないですか?」
「──いえ」
 確かに気になる事はある。初めて悠陽と会ったときの事が、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。恐らく、ここ最近で武が知りたかった真実のひとつに近付くチャンスだろう。しかし、それを聞いてしまっても良いのかは分からない。
「偽るでない。そなた、私を侮っていますね。そのような難しい顔をして、何もないと申すのですか? ……今更、何を遠慮しているのです?」
「いや、その……」
「そなたのような態度で私に接したものは、これまでひとりとしていませんでした」
「それは……すみません」
「よい。私はそなたのその気安さが、逆に心地よいのです。冥夜も、そなたのそういった所に気を許すのでしょう。此度そなたの世話になった分、冥夜が世話になっている分……ささやかですが返させては貰えませんか?」
「……分かりました。でも、言い辛かったら答えないでくれて構いませんから」
「はい」
「搭ヶ島離城で初めて会った時……殿下、俺の顔を見て驚きましたよね。ひょっとして、見覚えのある顔だったんですか?」
「──!」
 武の言葉に驚く悠陽。
「あ、いや、やっぱいいです」
「いえ……構いません」
 そして、悠陽はその理由を語り始めた。
「あれは、今年の初夏のことでした──」
 とある日、執務を終わらせた悠陽が自室に戻って休んでいると、そこに一人の怪我をした青年が侵入してきた。
 青年は悠陽を人質に取り──無論、乱暴な真似などはしなかったのだが──それを楯に何かを要求した。どうやら誰かを捜している様子だったが、それがどこの誰かまでは、悠陽は把握していない。
 そして、その探し人は既に帝都にはいないらしいという事が分かると、悠陽に詫びを入れて逃亡、その後は行方不明になったらしい……という事だった。
「その青年というのが、俺と同じ顔を?」
「はい。深い哀しみを秘めた瞳が酷く印象的な方でした。その後、行方知れずになったと聞き、気にはなっていたのですけれど……」
「それがいきなり国連軍の衛士として現れたから驚いた、という事ですか?」
「はい。もっとも……そなたと話して、別人である事は分かったのですが」
「なるほど。そいつの名前は分からないんですか?」
「いえ、そこまでは。どうやら偽名を使っていたようですので」
 ダメで元々と思いつつ、一応聞いてみたが、返ってきた答えは予想した通りのものだった。もし知っているのならば、鎧衣課長が最初に武の名を呼んだ時に、何らかの反応があったはずだ。
 だが、ほぼ間違いなく、この世界に元々いた白銀武の仕業だろう。どんな目的があったのかは分からないが、だからと言って将軍を人質に取るとは……いくらなんでもマークされるわけだと思う。
 そんな要注意人物が、今度は冥夜の側に近付いてきたのだから、もう一度殺したくもなるというものだ。
 しかし、白銀武が既に故人だったという事は、この一件が原因で殺されたという事になるのだろうか。
 この騒動が落ち着いたら夕呼に確認してみよう、と武は心に決めた。

「では、俺はそろそろ戦術機に戻ります」
 とりあえず聞きたい事は聞いてしまった武は、立ち上がって言った。今考えなければならない事は、この包囲をどうやって切り抜けるかだ。この世界の武の事ではない。
「待ちなさい、白銀」
 立ち去ろうとする武を、悠陽はどこか深刻な表情で呼び止めた。
「……はい?」
「皆をここへ集めてください」
「全員、ですか?」
「そうです。国連軍、米軍、斯衛軍、全ての者です」
「──分かりました」
 武は悠陽の、何かを決断したかのような真剣な表情を見て、その要求に応じた。
 恐らく、この状況を打破するために、何らかの行動を起こす事を既に決意していたのだろう。そしてそれは多分、最初に現況を聞かされた時から考えていた事に違いない。
 武は通信でウォーケンを呼び出し、その旨を伝える。
 数分後、この場所にはほぼ全ての衛士が集まった。全員集めろと言われたものの、さすがに警戒をゼロにするわけにもいかない。戦術機での警戒待機に米軍から一人、斯衛軍からは神代、そして国連軍からは冥夜が警戒任務に就いた。
 本来なら訓練兵に任せるような任務でもないのだが、冥夜は自ら志願してきた。冥夜と悠陽の関係や、冥夜にも色々と思うところがあるのだろうという事を考えると、武も無下に却下する事は出来なかったのだ。
 ともあれ、そうして衛士たちが一堂に会したわけだが……悠陽は集まった衛士たちに詫びを入れると、自らクーデター部隊を説得してくると言った。
 その言葉に一同は一瞬凍りつく。だが、それも無理からぬ事だ。悠陽を敵の手に落とさないようにと、今まで戦い続けてきたのだ。それを、わざわざ敵の前に出て行くような事をすれば、どうなるか分かったものではない。
 当然ながら、指揮官であるウォーケンはそれに反対した。
 彼自身が米国の思惑をどこまで知っているのかは分からない。恐らくは何も知らされていないのだろうが、しかしそれでも、悠陽がクーデター軍の手に落ちるような事があれば、当然任務は失敗、ここに来るまでに犠牲になった米軍兵は全て無駄死に、という事になる。それどころか、軍事介入した意味さえ失ってしまう。
 だが確かに、なるべく穏便に事を収めるためには、それが現状で最善の方法である。悠陽が危険に晒される、という事を度外視すればの話ではあるが。
 しかしリスクとは言っても、相手が将軍の直命を欲しがっているのだという事を鑑みれば、それだけでもかなり小さくなる。沙霧たちがやけっぱちの破滅願望に囚われていないのであれば、悠陽を傷つけるような事は考えられない。それをやってしまった時点で全てにおける支持を完全に失ってしまうからだ。
 残ったリスクを武自身が出張る事で解消してしまえば、無理に包囲を突破して逃げるよりも、むしろ安全であると言えるだろう。
 今、意見を求められた月詠が悠陽の意見に賛成して、ウォーケンと意見をぶつけ合っている。
 武はとりあえず成り行きを見守って、こじれたところをなんとか上手い具合に誘導しようと思っていたのだが……そこに悠陽が口を挟んだ。
 これは承認を求めているのではないと。自分を曲げる意志は無いのだと。そして──
「──月詠、武御雷を持て!」
 と、確かにそう言い放った。
 はっきりと明言したわけではない。しかし恐らく、悠陽は自らの手で沙霧たちを討ち取るつもりなのだ。
 現在、武たちはクーデター部隊に包囲されてはいるが、本当に追い詰められているのは相手方だ。沙霧が首相を始めとする政府要人を斬った時から、もうとっくに後には引けない所に来ている。
 クーデター部隊は将軍の直命を得ない事には、その行いが正当化されることは無い。
 しかし重臣である榊首相たちを斬った沙霧に対して、悠陽が直命を出す事など考えられない。例え悠陽が沙霧たちの手に落ちたとしても、それは同じ事。
 つまり、どう転んでも沙霧たちに未来は無い。騒乱を起こした罪を問われ、裁かれるのみ。
 ならば、せめて悠陽自身の手で意味のある死を与えてやろう、というのだろう。
 甘い事だ……と武は思う。こんなところで楽にしてやる事も無いのにと思う。しかし、それは悠陽の信念に基づく行動だ。それに対して武は異を唱えるつもりは無かった。
 しかし、だからと言ってこの馬鹿げた騒ぎの結末を、悠陽ひとりに背負わせるわけにはいかない。いくら彼女に手を汚す覚悟があったとしても、それをさせるわけにはいかない。この事件に深い関わりがあるとはいえ、悠陽とて被害者なのだ。
 それならば……と、直援を申し出ようとした時。
「──お待ち下さい!」
 武の背後から声が上がった。
 戦術機での警戒待機に就いているはずの冥夜だった。
「国連太平洋方面軍第11軍、第207衛士訓練部隊所属、御剣冥夜訓練兵であります──」
 悠陽の前に傅いて名乗りを上げる冥夜。だが、傅いたまま頭を上げようとしない。
 そして悠陽の心境を配慮するような発言をした後、自分が悠陽の替え玉になる事を提案した。
 勿論、双子の姉妹だなどという事は表には出さないが、二人がそっくりなのは一目瞭然なので、髪形を変え、服を交換すれば見分けは付かないだろうと言う。
 なるほど、冥夜であればそれも不可能ではないだろう。外面はもとより、内面も将軍の予備として育てられてきたのだから申し分ない。二人の違いは多少の経験と、政威大将軍という肩書きを持っているかいないか、という事だけだ。
 だが、これにはさすがに悠陽も面食らった。
 悠陽がこの一件に責任を感じている事は間違いない。だが悠陽にとって冥夜は、この件に関しては、巻き込んでしまった無関係の人間だ。そんな相手に泥をかぶらせるわけにはいかないのだ。
 しかし、冥夜も頑として退かなかった。
 そして、ろくに話してもいないのに、冥夜に沙霧たちを討とうとしている事を指摘され、今将軍としてせねばならないのはそんな事ではないだろう、などと言われてしまっては、悠陽もその提案を受け入れざるを得なかった。
「ウォーケン少佐、いかがでしょう。この者の案であれば、そなたにもご助力願えますか?」
 改めてウォーケンに問いかける悠陽。
 しかし。
「畏れながら殿下……改めて反対させて頂きます」
 返ってきた答えは、相変わらずノーだった。
 確かに悠陽が直接の危険に晒されるという最大の問題は回避できるが、説得が成功する確証はないと言う。悠陽と冥夜の関係を知らないウォーケンがそう考えるのも無理はないが、だからと言って、本当の事を明かすわけにもいかない。
 更に問題になるのが戦力の分散、そして将軍搭乗機露見の確率が高まる事。そして、偽者だとバレた場合の沙霧たちの反応が予測不能な事だった。
 しかし、これは月詠によって翻された。冥夜を完全に囮として扱えば悠陽の安全は確保出来ると言うのだ。その提案を聞いたウォーケンは、替え玉作戦を受け入れ、そして、それが実行される事となった。
 こうなってしまえば、武のとる行動はもう決まっている。
 このままいけば、冥夜は悠陽の代わりに沙霧たちを討つ事になる。冥夜もそのつもりで替え玉を申し出ている。しかし、こんな事で冥夜の手を汚させるわけにはいかない。
「ウォーケン少佐、少しよろしいですか?」
「なんだね、白銀少佐」
 武は作戦を都合のいいように変更すべく、話に割り込んだ。
「この作戦の気になる点をいくつか。まず、いくら衛士技能を修得しているとはいえ、殿下自らが戦術機で説得に向かわれるのは、状況からしていかにも不自然だという事」
 無論、これは口実だ。説得にいくのが悠陽だろうが冥夜だろうが、武は彼女たちに沙霧たちを討たせるような事をさせるつもりは無い。
 それが分かったのか、冥夜が口を挟んでくる。
「──なッ、タケ……白銀少佐、それはッ!」
「御剣訓練兵、貴様に発言を許可した憶えはないが」
「あ……」
 しかし別人かとも思えるような武の態度に気圧され、冥夜は何も出来ずに引き下がった。
 この場は横槍を入れさせるわけにはいかないのだ。
「続けます。決起部隊に安心感を与える……いえ、相手の油断を誘うという意味でも、今まで通り俺の機体に御剣を同乗させて説得に向かうべきです。これまでの移動隊形から、俺の機が高確率で将軍搭乗機としてマークされているのは間違いないでしょうから。
 そして説得が失敗し替え玉だと見破られた場合。その場合は御剣が陽動として敵の注意を引き付ける事になりますが……いくら武御雷とはいえ、はたして訓練兵の御剣にその役回りが務まるかどうか。彼女の教官として言わせて頂けば、それはまだ無理だと言わざるを得ない」
「…………」
「ただ単に説得が失敗した場合も同じ事。殿下が戦術機で抵抗するなど、これもやはり不自然です。その点、俺の機体に同乗するのであれば、陽動は全く自然な形で遂行出来ます。ただ逃げ回ればそれでいい。俺だって捕まりたくはありませんから、本気で逃げます。そしてそれが、真実味を持たせる事になる」
「…………」
「加えて、俺の機体には既に簡易ベルトが敷設されてるから、即応が可能です。戦力を分散させる事にはなりますが、妥当なところかと思われます」
「…………ふむ」
 考え込むウォーケン。が、すぐに首を縦に振らせるまでには至らない。メリットの提示がこの混成部隊内に留まっているのが原因か。武は更なるダメ押しを仕掛けるため、話を国家レベルまで膨らませていく。
「沙霧大尉たちの、国民や殿下への想いは本物です」
「…………?」
 突然変化した話に怪訝そうな表情を浮かべるウォーケン。しかし武は構わずに先を進めた。
「確かに彼らは方法を間違えました。それは認められる事ではありませんが……その行為がいくら拒絶されても、多くの日本人はその志にはどうしても共感してしまうでしょう」
「…………」
「俺は国連軍の衛士で、自分の事は地球人だと思っています……が、その前にやはり日本人です。だから、その気持ちが分かります。恐らく、ここにいる19小隊や207小隊も皆、同じ気持ちでしょう」
 ぬけぬけと言ってのける武。周囲から寄せられる視線の質が変わる。特に月詠たちからの視線が、探るようなものになった。
「そういう意味では、沙霧大尉たちの目論見の大半は、既に達成されているのかもしれません」
「…………」
「ウォーケン少佐。もしこのままこの場を乗り切って殿下を横浜までお連れしても、それでは本当の解決にはなりません。決起部隊を武力制圧すれば、いつかまた同じ事が繰り返されてしまいます」
「…………」
「ただでさえ良く思われていない国連や米国の力がそこに加わる事で、彼らの志は逆に人々の心により深く刻み込まれてしまうでしょう。確かにBETAとの戦いの最中に人間同士の争いを起こした日本は愚かです。こればかりは言い訳のしようがない。ですが極東の絶対防衛線──日本はBETAとの戦いの最前線なんです。国民は皆、すぐ目の前にある死の恐怖に怯え、おののき、身も心も極限まで追い詰められています。本当にいつ暴走してもおかしくないほどに」
「…………」
「そんな危機に晒されながらも、日本人が暴走してしまわないのは……殿下と言う大きな心の支えがあるからなんですよ。でも──」
「…………」
「その殿下が、義憤に駆られ決起した者たちから逃げ回った挙句、米国と協力して彼らを不名誉な死に追いやった、などという事になれば、近い将来その志を継ぐ者たちが、今回以上に周到な用意をして事を起こすでしょう。そうなれば再び米軍が動かざるを得なくなりますが──今回など比較にならない程の血が流れる事になるでしょう。日本人だろうが米国人だろうが、関係なしに……ね」
「…………」
「今回の件で将軍の信用が失墜してしまえば、誰もそれを止める事は出来ません。その結果、極東の絶対防衛線は崩壊し……そこから人類の滅亡が始まってしまう事になる」
「…………」
「日本が墜ちれば、次はアラスカです。それまで極東方面に割かれていた戦力がベーリング海峡に投入されていくでしょう。その結果、アラスカ・ソビエト軍は抜かれ……米国は本土を危険に晒す事になる。そうならないようにと米国はアラスカ方面の戦力を増強せざるを得ず……そしてその代わりに米軍の支援に頼るしかなかった地域が、次々と墜ちていく事になります。そうなったらもう本当にすぐです。BETAの支配域が増えるという事は、同時に人類の資源庫が無くなるという事。そして連中の増えるスピードは半端じゃない。ユーラシアはもとより、アフリカも、オセアニアも、南極も、南米も、そして北米も。奴らはどこまでも平等で、例外は……ない」
 辺りはしんと静まり返る。
 実際に世界の終焉を見てきた武の語り口は、興奮しているわけでもなく、しかし冷徹だというわけでもなく。ただただ事実を語っているように聞こえ、その話を耳にした者の脳裏には、それぞれが考える最悪な形の絶望的な未来の光景が浮かび上がっていた。
「──話を戻しましょう。だから、ここで選択を誤ってはいけない。無論、説得に失敗した時の事も考えなくてはなりませんが──しかし、説得に成功すればここで全てが食い止められる。ならば、そのために出来る事を全力でやるべきです。俺が出来る事と言えば、冥夜……御剣の背中をしっかり守って、彼女が安心して説得に臨めるようにサポートしてやる事だけ。……俺からは以上です」
 言い終わると、武は退がった。
 誰もが黙って武の言葉に耳を傾け、その意味を考えていた。今、武が語ったのは、あくまで可能性の一つでしかない。どこかでシナリオが狂えば、別の未来に辿り着く事になる。が、しかし……世界の終焉を見た武の言葉は重かった。重すぎた。他の可能性をことごとく打ち消し、考えられなくしてしまうほどに。
 結局、あらゆる事情を考慮した上で、武の提案は受け入れられた。単機で向かうのは不自然だと言う事で、直援として月詠機が随伴する事にはなったが。
 そして、各自戦術機にて待機するためにこの場は解散となり、武、まりも、月詠の三人は、作戦を検討するため、部下に指示を出した後、ウォーケンの所に集まる事になった。

「まったく、俺もいつからあんな心にもない事を平気でべらべらと語れるようになったんだろうなあ……」
 まりもが207小隊に指示を出しているのを横目に、武は自嘲気味にフンと鼻で笑いながら呟いた。
 先程の発言は事実ではあるが、武自身は別段尊重などしていないし、それどころか、くだらないと思っているフシさえある。もちろん事実は事実として受け止めてはいるが、それ以上でもそれ以下でもない。
 そんな事を考えながら自嘲的な笑みを浮かべていると、そこに指示を出し終えた月詠が近付いてきた。
「ん? 月詠さん」
「…………」
 月詠は黙って武をじっと見詰めていた。
「あの、何か?」
「例の話……殿下からお聞きになられたそうですね」
「例のって……ああ、人質で逃亡がどうのって、あれですか?」
「はい。殿下に説明して頂くまで、私は貴方が彼の者だとばかり……」
「別に気にしなくていいですよ。同じ名前で、顔まで同じなんだから、仕方ないです」
 沈痛な面持ちの月詠に対して、武は事も無げに言った。
「でも、あれを聞いた時は、さすがに俺も驚きましたよ。あんな事した奴が今度は冥夜の側にいるっていうんですから、そりゃ殺したくもなりますって」
「ですが……っ! ……冥夜様が貴方に絶対の信を置かれていたにも関わらず、貴方を懐疑の目で見続けてきた事……今思えば恥じ入るばかりです。白銀少佐……これまでの非礼、重ね重ね申し訳御座いません……!」
 そう言って、月詠は深々と頭を垂れた。
 確かに、武が未だ身元不明の要注意人物である事に変わりはない。しかし、データの内容から来る先入観に囚われて、月詠が白銀武という人間を色眼鏡を通して見ていたのもまた事実だった。
 冥夜が、そして悠陽が自らの目で、武は信頼に値する人物だと判断したのに、それをいくら怪しかったとはいえ、記録だけで判断して否定してしまった。つまり、主の目よりも、いつ誰が改竄したか知れない記録の方を信用してしまっていた。
 悠陽からこの武と事件を起こした武は別人だという事を聞いて、それに気が付いてしまったのだろう。
「俺は別に気にしてませんし、それに謝る必要もないです。頭を上げてください。月詠さんは自分の責務に忠実だっただけ、そうでしょ?」
「は、そう言って頂けると、助かります……」
「じゃあ、この話はこれでおしまい! 今は任務に集中しましょう」
「そう、ですね。どうか……冥夜様を、お頼み申し上げます」
「了解です」
 武は月詠に向かって挨拶代わりに手をひらひらとさせながら、指示を出し終えたまりもの方へ歩いていった。



[1972] Re[12]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/01 12:42
 武は、207小隊に指示を出し終えたまりもと共に、ウォーケンの下に赴いた。
 これからの作戦の詳細を検討するためだ。
 各隊員達の配置を決めて、作戦に組み込んでいく。
 プランは沙霧が交渉に応じた場合と応じなかった場合の二通り。とは言っても交渉のタイムリミットは30分。制限時間内に交渉が成功しない限り、いずれにしても脱出プランに移行する。そうなった場合は武と冥夜が囮となり、その隙に悠陽を戦域から脱出させる、という手筈だ。
 そして、細かい摺り合わせが終わると、各自、自分の戦術機に戻っていった。

「ま……神宮司軍曹」
「は、何でしょう」
「ちょっとこっちに」
「……?」
 作戦がまとまった後、戦術機に戻る途中に武はまりもを呼び止めた。
「実はですね……」
 武はこの60分の休憩に入ってから色々と想定していた事をまりもに話し始めた。
 考えていたベストのパターンは、やはり悠陽自らが沙霧を説得して戦闘を収める事だ。全てが予想通りにはならなかったが、しかし冥夜が替え玉となる事で、ほぼ理想通りの展開になると期待される。
 だとすると、やはり米軍の動向が気になる。勿論、ウォーケンが何か仕掛けてくるとは思っていない。彼に与えられた任務は悠陽を横浜基地に送り届ける事で間違いないだろう。
 しかし、米国が帝都城を包囲したクーデター軍部隊に工作員を潜入させていたという事実は見逃せない。自国の利益になる事なら他国で内戦すら引き起こす国だから、何だってやってくるだろう。ウォーケンの頭を飛び越えて工作員を紛れ込ませているという可能性は否定出来ない。
 米国にとってのベストの結末は、やはり和解ではなく殲滅なのだ。
 仮に交渉が上手くいった場合、それを御破算にして武力制圧せざるを得ない状況を作り出したとして、クーデター軍を殲滅出来るかどうかは、彼我の戦力比を考えると微妙なところではある。
 だがそれだけに、何かを仕掛けてくる可能性はゼロではない。そして仕掛けるのであれば、ここが最後のチャンスとなる。警戒するに越した事はない。
「……と言うわけなんです。でも、俺は冥夜を乗せるから身動きが取れません。だから、ま……神宮司軍曹は、米軍機の動きに警戒してください。配置もちょうどいいですし」
 今、武たちがいる谷を挟むようにそびえている二つの山のそれぞれの頂上に米軍機が、その中間辺りに神宮司機が配置されるようになっていた。
「何か動きがあった場合、即座に撃墜してください」
「しかし、それは……」
 渋るまりも。だが勿論、一応は味方である機体を撃墜する事を躊躇しているわけではない。軍人である彼女は、命令があれば仕方なく思いながらでもやるだろう。そうではなく、人間同士で諍いを起こして対立しているこの状況で、更に味方まで疑わねばならない事に辟易しているのだ。
「俺だって工作員なんていなければいいと思いますけど、でも可能性だけは考慮しておきませんと。何もなかったらそれはそれでいい事ですし、その時は取り越し苦労しちゃったね、って笑えばいいじゃないですか」
「……そうですね、了解しました」
 そして、二人は自分の不知火に戻っていった。

『ハンター1より各機、これより作戦を伝える──』
 ウォーケンによるブリーフィングが始まった。
 各隊の衛士たちは既に自分の戦術機に搭乗して待機している。
 冥夜も着替えを済ませ、武の膝の上に乗っていた。悠陽の服に着替え、髪型も悠陽に合わせているので、本当に瓜二つだ。それなりに長い時間、膝の上に悠陽を乗せていた武から見ても、パッと見では区別が付かない。
「……」
「寒くないか?」
「よい、大丈夫だ」
 さすがに緊張しているのか、顔が少し強張っている。しかし、その表情に迷いの色はなかった。
「答え、出せたのか」
「……うん」
「そっか……頑張れ」
「うん」
 やがてブリーフィングが終了し、それぞれ受け持ちの地点へと散開した。
 それから十数分後、作戦は開始された。

『──沙霧大尉に告ぐ。私は帝国斯衛軍、第19独立警備小隊の月詠中尉である』
 作戦通り、月詠から沙霧への呼びかけから作戦が開始された。
 沙霧は当然のように悠陽の引渡しを要求してきたが、悠陽が望まなかった以上、それは絶対にありえない。他にも色々条件を出してはいたが、月詠が、これは殿下のご意向である……と言えば、それが真実であろうが虚偽であろうが、沙霧は従わざるを得ないような状況だった。
 とはいえ、それは分かりきっていた事だ。故に、謁見の場が持たれる事は、最初からほぼ決定している。
 後は、いかに有利な形で冥夜を沙霧と引き合わせるか、だ。
 月詠は、沙霧を極力刺激しないように言葉を選び、上手く誘導しながら話を進め、当初の作戦通りの状況を作り出す事に成功した。
「月詠さんも口が上手いよなあ……向こうは向こうで単純だけど」
 その交渉模様を聞いていた武がポツリと呟く。
「……タケル」
「おおっと」
 冥夜の咎めるような視線に、武は肩をすくめて見せる。
 そして、白銀機と月詠機は謁見のポイントへと向かった。
『──1901より20706。沙霧大尉機と随伴機の接近を確認、06正面20mにて停止、沙霧大尉が機外に出て『殿下』をお迎えする』
 月詠から通信が入る。
「20706了解。……殿下、沙霧大尉が接近中です。ご準備願います」
「聞こえていた……イヤホンの感度は良いようだ」
「向こうも戦術機の集音マイクで殿下の声を拾いますから、普通に話して頂いて構いません」
「……分かった」
 コックピットの中は更なる緊張に包まれたが、相変わらず冥夜の表情には一片の曇りもない。これならば問題はないだろう。
 やがて沙霧機と随伴機が目標地点に着地してきた。
「噴射跳躍からのダイレクトランディングで誤差21センチか……やるね」
 さすがに帝都を守る精鋭部隊だけの事はある。もっとも、その力をもっと別の方向に使ってくれればいいのにと武は思う。
『──1901より20706、大尉の準備が完了した。『謁見』を開始する』
「──20706了解。では殿下、参ります。……気楽にいけよ」
「……うん」
 武は不知火のハッチを解放する。そして、冥夜はコックピットから出て行った。
「……そなたが沙霧か?」
 そして、沙霧に対する『殿下』の『謁見』が始まった。
 武は冥夜の背中越しに、醒めた目でその様子を眺めていた。
 二人とも綺麗事を言っているのだと武は思う。ただ、冥夜と沙霧のそれには大きな違いがある。冥夜の話は確固たる信念に基づいてきっちりと筋を通しているのに対し、沙霧のそれは一見信念を持っているように見えて、その実、何かを正当化するために別の何かに責任をなすり付けようとしているようにしか聞こえなかった。
 やれ仙台臨時政府のせいだ、やれ米国のせいだ、やれ殿下のためだなどと言って、一体何が言いたいのかと言えば……結局のところ、全てが騒乱を起こした自分たちを正当化する事へと繋がっていく。
 帝都で戦闘が始まるきっかけを作った歩兵が米国諜報機関の工作員だったという情報は、沙霧も掴んでいた。そして、それは極東での復権を望む米国が米軍派遣の口実を作るために行った事だと言い、米軍を容易く引き入れ、かつ悠陽の戦闘停止命令を握り潰した仙台臨時政府こそが帝都を戦火に晒した張本人だと言った。それはある側面から見れば間違いではない。
 しかし、そもそもが国連軍や米軍介入の口実など、最初に沙霧が事を起こし、対BETAの防衛線を崩さざるを得ない状況を作り出した時点で、とっくに出来上がっているのだ。それを作ったのは誰がどう見ても沙霧たちだ。そして帝都を制圧する事で戦火に晒す可能性を作ったのも沙霧たち。付け加えれば、クーデターなど起こして米国に付け込む隙を与えたのは沙霧たち、或いは米国の思惑に見事に踊らされてクーデターなどを起こしてしまったのは沙霧たちである。
 元々隙だらけだった連中がその隙を突かれて、散々嵌め込まれたというのに、この期に及んでまだ隙だらけな事に気付かず、卑怯だの、ずるいだのと文句だけは一丁前。この期に及んでまだそんな事を……と武は思う。
 戦闘停止命令にしてもそう。沙霧は信頼できる筋──恐らくは鎧衣課長のリークによるもの──から下命の内容を入手していた。だから、臨時政府からの偽命が出るより前に、戦闘停止を命じたと言った。
 だから何だと言うのだろう。結果が出せずとも努力が評価されるのは中学校までだ。
 いくら本物の戦闘停止命令を手に入れたところで、それを徹底させる事が出来なければ何の意味も無い。結果として沙霧は戦闘を収められず、帝都に戦火を広げたわけで、その事実が消える事はない。
 帝都での戦闘が収拾したのは悠陽が独断で秘密裏に帝都城を脱出し、なおかつ鎧衣課長にその情報をリークさせて自らを囮としたからだ。沙霧など全く関係ない。
 これでは沙霧は自身の無能さを必死になってアピールしているようなものだ。しかし、当の沙霧はそれに全く気が付いていない。恐らく、自己弁護しているだけだという自覚もない。大儀に酔って視野狭窄を起こしている、と言うのが一番しっくり来る状態だろうか。

 沙霧の話から思わぬところで裏事情を知ってしまった冥夜だったが……その信念は、今更揺らぐようなものではなかった。
「優しいな……冥夜は」
 口元を優しげに歪ませながら、誰にも聞こえないように、武はポツリと口の中で呟いた。
 肉眼では冥夜の背中しか見えないが……不知火のカメラが捉えている映像には、目に涙を溜め、それが少しずつ膨らみ、そしてツッと白く艶やかな頬を伝わせた冥夜の姿が映し出されていた。
 沙霧の覚悟を聞き、それに共感して零した涙……などではない。
 ただひたすら、どうにもならないほどに悲しかったのだ。
 悠陽の想い、民の想い、そして決起した者たちの想い。皆が皆、大切に想っているものは同じはず。なのに道を違え、お互いに殺しあう。それが悲しい。それを見ているだけで何も出来ない自分自身が悲しい。
 武も、沙霧の言い分を理解出来ないわけではない。何故そのような思考に辿り着いたのかという理由は、分析し理解しているつもりだ。勿論、認めるつもりも共感するつもりも毛頭ないし、理解しているなどと吹聴するつもりもない。
 だがしかし、だからこそ冥夜の流した涙の意味に心当たりはあった。
 泣くのがいけない、などとは言わない。始めから裏事情を知っていた悠陽がこの場に立っていたとしても、理由の違いはあれど、恐らく同じように涙を流していただろう。沙霧の歪んだ覚悟を直接受け止める事で、そんな覚悟をさせてしまった自分を悔いて。何も出来なかった自分を悔いて。そして何もしてこなかった自分を悔いて。
 冥夜を悲しませた沙霧には、憤りを感じなくもない。勿論、沙霧一人だけが悪いなどと言うつもりもない。
 誰もが少しずつ悪い。
 困窮した世情で自分勝手を行う民衆。
 我侭を認める前例を作ればどんな事になるかも考えずに、民衆が虐げられていると言って決起する軍人。
 そんな軍人を輩出する軍組織。
 民衆に対して有効な政策を示せず不満を募らせる政府。
 権力を奪われ、何も出来ない飾り物の将軍。
 誰もが少しずつ悪い。
 しかしその中で、武自身の責任は特に重いだろう。沙霧が決起するに至った理由は多々あっただろうが……しかし最終的に決起を決意させた最後の一押し。それは多分、天元山不法帰還民の強制退去だ。そして、それを夕呼を通じて命じたのは他ならぬ武自身。当然ながら夕呼と思惑が一致していたからこそ、彼女はその提案をすんなり通したわけだが、そんな事は言い訳にはならない。そこには間違いなく、武の意志も反映されている。
 いつか必ず清算しなければならないな──と誓いを立てつつ、武は冥夜の言葉に耳を傾けていた。
 もはや何も心配する事はなかった。全ては冥夜に任せておけば、沙霧は説き伏せられ、クーデターは終焉を迎えるだろう。
「そこまで……そこまで国を……民を……この煌武院悠陽を思うのならば──何故そなたは人を斬ったのですかッ!?」
「……殿下」
 冥夜の叫びに、今初めて気が付いたような顔で、沙霧が目を見開く。
「血は血を呼び、争いは争いを生みます。そのような仕儀をもたらしたそなた達の此度の行い……それは私や民の心を汲んだものだと……本当に言えるのでありましょうか? 将軍の意志を民に正しく伝えることが、そなた達の本意であったとしても……それが伝わらぬ者、それを阻む者を排除することが許される道理があろうか……。
 それを許すのであれば、天元山の人々を力尽くで排除した政府を非難する資格……そなたに在ろう筈がない。民の意志を語る資格が在ろう筈がない……」
 冥夜の言葉に、ほんの少しだけ苦笑してしまう武。耳が痛い。綺麗事に過ぎない──それは確かだが、反面、どこまでも正論である。だが、それだけでやっていけないことは、武はよく知っている。身に沁みて知っている。現実として、海千山千の悪意の塊を相手に闘っていかなければならないのだ。
 既にこの状況が物語っている。強かな米国相手に、崇高な志だけで一体何が出来ただろう。
 沙霧は状況を打破する事が出来ず、結局は武力行使に走り、榊首相を斬った時……つまり一番最初に、自ら正義を地に投げ捨て踏み躙った。
 悠陽は、権力を奪われていたとはいえ、手をこまねいて見ている事しか出来ず、ようやっと動き始めた時は、既に事態は大きくなりすぎていた。
 綺麗事だけで何とかするのは、不可能と言うわけではない。絶対的な力があればいい。しかし残念ながら、そんな力を持つ者などこの世界のどこにも存在しない。そんな英雄がいれば、世界はとっくの昔に一つに纏まって、一丸となってBETAに立ち向かっている。
 それが出来ない以上、矢面に立とうとする者を、悪意から守る者が必要だ。
 正論を手に王道を往く者を、守護する盾が必要だ。
 冥夜たちが王道を進むかどうかは、その時になってみなければ分からない。が、もしそれを望むのであれば、武はそのための盾となるつもりだった。もっともそうでなくとも、彼女たちに汚れ仕事をさせるつもりなどない。
 それは同時に、汚れ仕事は武が一手に引き受けるという事でもある。が、武自身は手を汚す覚悟など、とうの昔に出来上がっている。前の世界で色々やってきた事で、既に汚れきっている。
 しかし、それを正当化するために、勝てば官軍、結果オーライ──などと言う言葉で自分を誤魔化すつもりは無い。だが、それを分かっていれば、それでいいと思う。そして一番最後に全てを清算すればいい。救われる事のない茨の道ではあるが、それでいいと思う。
 武は冥夜の言葉を耳にしながら、自分がこの世界でなすべき事を再認識していく。
「日本を守るというのは即ち、民を守るということ……民のない国など、ありはしないのです。そなたがそれを一番分かっていながら……道を誤ったのです……」
「…………」
「されど、未だそなた達に残された正道があります。そなたの過ちを雪ぐ道が。一刻も早くこの争いを終わらせ、民を不安から解放せねばなりません。そして、そなたの志に賛同する者達を、ひとりでも多く救えるのはそなただけなのです。今ここで、帝国軍や米軍、国連軍の将兵をひとりでも多く救えるのは、そなたしかいないのです」
「…………」
「日本の行く末を憂うそなたの想い……そなたの志はこの私がしかと受け取りました。これより後は、常に此度の件を戒めとし、民のため、日本のために尽瘁する所存です。
 煌武院悠陽の名にかけて──そなたに誓います」
「殿下……有り難きお言葉の数々、我が身には過ぎる栄誉にございます。殿下……我が同志の処遇……くれぐれも宜しくお願いいたします」
 冥夜の言葉を受け、沙霧が覚悟を決めた顔で答える。
 その表情を見て、武は思わず呟いた。
「……あのバカ」
 何も分かっちゃいない……とまでは言わないが、しかし一番簡単で一番手っ取り早い手段を選ぼうとしているのが目に見えていた。
 このあたりが関の山か──と思いつつ、いずれにしてもこの場はこれで決着が付いて収まるなら、それはそれでいいか、などと考えた……その時。
「──!?」
 厳かな雰囲気を打ち破るように、辺りに砲撃音が響き渡った。沙霧機とその随伴機の周辺に、36mm弾が着弾した。
 すぐに各種センサーで砲撃地点を割り出す。武たちのいる西側、丸野山山頂付近……ハンター2が待機している場所だ。
『少佐、『殿下』を!』
 月詠が不知火の楯になるように、武御雷を射線上に割り込ませる。
『──ハンター2ッ!? なぜ撃った!? ハンター2ッ!』
 ウォーケンが叫ぶ……が、ハンター2──イルマ・テスレフ少尉からは何の応答もない。
「まりもちゃん!」
 武はまりもに回線を開いて叫ぶ。が、その時既に、まりもの不知火は噴射跳躍で空高く舞い上がっていた。
 まりもの駆る不知火はまず87式突撃砲を抜き放ち、イルマのF-22A目掛けて36mm弾を連射した。敵味方識別システムによって直撃はないものの、しかし味方機からの砲撃を受けて怯んだのか、一瞬、F-22Aの砲撃が止む。
 その隙を狙ってまりもは全開噴射で突撃を開始した。F-22Aの位置まで僅か数秒。その間、36mmチェーンガンで牽制を続け、そしてあと一息で接敵という所まで迫ると突撃砲をパイロンに戻し、代わりに背中に保持されている74式近接戦闘長刀を抜き放った。
 減速する事なしにF-22Aに迫った不知火は、通り抜けざまに長刀を振り抜いてF-22Aの左主腕を断ち切る。
 そしてすれ違った直後、ザックリと地面に長刀を突き刺して、それを軸に方向転換、長刀が地面を切り裂く摩擦力と全開噴射による急制動であっという間に慣性を殺し。
 噴射はそのままに長刀から手を離し、再びF-22Aに向かって、今度は背後から突撃した。両主腕のナイフシースから65式近接戦闘短刀を抜くと、右腕のナイフをF-22Aの腋の下から右主腕付け根のジョイント部へ、続けざまに左腕のナイフを頭部メインカメラに突き立て、主腕の機能と視界の大半を奪い去る。
 一瞬の間の出来事だった。
 イルマのF-22Aはまりもの不知火によって戦闘能力を完全に失った。だがしかし、その管制ユニットは無傷。
 戦場にいる武以外の誰もが、そのまりもの機動に見惚れ、戦慄し、そして呆気に取られていた。
 ほんの一瞬の事ではあったが、一瞬だからこその異常で、ありえない機動だった。しかも、撃墜した戦術機に搭乗していた衛士は一切傷つけていない。いくら第三世代機と言っても、通常の不知火ではあの動きは再現出来ない。出来るはずもない。
 まりもの不知火に搭載されている、テストタイプではあるが新型OSによって、機体のポテンシャルが完全に引き出された結果だ。無論、操縦者であるまりもの腕も尋常ではない。
 ハンター2の発砲に応じて動こうとしていた決起部隊も、米軍も、斯衛軍も、207小隊も……その一瞬の出来事に気勢を殺がれ、悪い夢でも見ているのかと動く事も忘れ、その場に呆然と立ち尽くしている。
 F-22Aを任されているのだから、イルマの腕が決して劣っているわけではない事くらい、ここにいる衛士たちは良く理解している。それを何もさせずに一瞬にして打ち破った力。動けば次は自分の番だ……などと言う強迫観念に駆られてしまう。
 熱い想いも悲壮な覚悟も、何もかも一撃で薙ぎ払ってしまうような、純粋で、そして圧倒的な力だった。
「殿下」
 呆然としていた冥夜に、当のまりもを除いてただ一人冷静さを保っていた武が、背中から声をかける。
「……え? あ、ああ……」
 そして、冥夜は呆然としたまま、沙霧への説得を再開する。沙霧もまた唖然としたまま、それを受け入れた。

 米軍衛士が攻撃を仕掛けた事は、帝都城を包囲した際に発砲した歩兵と結び付けたのか、沙霧もどこの思惑か見当が付いていたようだが、それを国連軍であるまりもが墜としたために、言及してくる事はなかった。
 結局、沙霧は冥夜の、即ち悠陽の意を汲んでこの場で全面降伏。クーデター部隊全隊にそれを通達し、旧下田から駆けつけた増援に連行されていった。
 今後沙霧たちはどうなるか……勿論、一度は投獄される。しかし、恐らくこのクーデター事件から世論は将軍の実権回復を望む方向に動き始め、悠陽は実権を取り戻すことになる。
 それを機に恩赦が出され、そして沙霧たちは最前線に送られる事になるだろう。それも事実上の死刑ではある。本来ならば問答無用で処刑されるところだが……今回の内乱で日本は今まで以上に疲弊してしまい、更に余裕をなくしてしまった。同じ死ぬなら少しでも多くのBETAを倒し、そしてBETAに殺されろ……と言う名目の悠陽の計らいによって、汚名を雪ぐチャンスを与えられるのではないだろうか。
 交渉中発砲に至ったテスレフ少尉は、ウォーケンに預けられる事になった。だが恐らく、真相が明らかにされる事はないだろう。
 ただ……イルマが実はフィンランド人で、米国の市民権を得るために戦っていると言う事を、壬姫との会話から武は知っていた。憶測でしかないが、それを楯に取られていた可能性も考えられなくはない。
 その辺りの事情を、武は一応ウォーケンに進言しておいた。イルマの処遇がどうなるかは分からないが、ウォーケンも杓子定規な軍人と言うわけではないし、何より部下思いの男であるようだから、彼女一人がスケープゴートにされてしまうような事はないはずだ。
 大局的に見れば、将軍とクーデター軍が歩み寄ろうとしているのを妨害した米軍、という事実は、今後必ず米国について回る事になる。マッチポンプは完全に失敗だ。これがオルタネイティヴ4にとっての追い風になる事は間違いないだろう。

 沙霧たちの連行を見送った武たちは、当初の予定通り、今度は悠陽に負担が掛からないようにのんびりと、伊豆半島を白浜海岸へ抜け、そこから海路を辿って横浜基地に帰還した。
「一応、これでひと段落ついたかな……」
 戦術機をハンガーに戻した武は、地上に出て、すっかり明るくなった空を眺めながら呟いた。
 まだ一部に抵抗を続けている勢力が残ってはいるが、それが鎮圧されるのも時間の問題だ。後は武たちの関与するところではない。
 207小隊は今日明日と基地内待機となる。もっとも、武だけは夕呼の下で動き回ることになるかもしれないが。
 抵抗勢力の出方次第ではあるが、悠陽は半日ほど休息を取った後、恐らく夕方には再び海路で帝都へと帰還する事になるだろう。月詠以下斯衛軍第19独立警備小隊も、それに随伴する事になっていた。

「とりあえず夕呼先生の所に顔を出しとくか……」
 武は更衣室で強化装備からいつもの作業服に着替えると、夕呼のいるB19フロアへと向かった。
「先生、いますかー?」
「あら白銀、ご苦労様」
「先生こそお疲れ様です」
「大体の状況は聞かせてもらったわ。よくやってくれたわね」
 夕呼はそう言って笑顔を見せた。この事件が夕呼にとってほぼベストに近い形で決着が付いたのは、さすがに嬉しいようだった。
 強引に介入してきた米国やオルタネイティヴ5推進派は完全に貧乏くじを引いた。
 オルタネイティヴ4推進派……日本の国連は日本政府や帝国軍に大きな貸しが出来、また日本人だけで構成された207小隊が悠陽を保護し、その意を汲んだ事から、国連に対する日本の国民感情は事件前に比べて格段に良くなった。
 以前と比べて、政治的にかなり動きがとりやすくなったのは間違いない。
「それにしても……よくクーデター部隊を抑えられたわね。謁見中に発砲されたんでしょ? 決起部隊が頭にきて暴れ始めてもおかしくないと思ったんだけど」
「ああ、それはまりもちゃんがですね……」
 武はまりもがF-22Aを墜とした事を説明する。
「……と言うわけです。それで、それを見た連中は全員固まっちゃって。唖然としてるところを説得したらすぐでしたよ」
 武は苦笑しながら言った。
「なるほどね」
「で、今後はどう動くんですか?」
「そうね。まずは……あの子たちの任官かしら」
「任官って……207の?」
「そうよ? もう訓練兵として置いとく理由はなくなっちゃったんだし」
「冥夜……ですか?」
 今回、冥夜が悠陽の代役を見事に演じきった事は、米国も知るところとなった。しかし、ただ顔が似ているというだけで、将軍の代役など務まろうはずがない。だとすれば、その真相を探るために米国諜報機関は冥夜の出自を調査する事になり、そして悠陽と双子だという事まで明らかになってしまうだろう。
 今までこの事をひた隠しにしてきた城内省にしてみれば、これは頭痛の種だ。双子は産まれてすぐに引き離すという煌武院家のしきたりの出来た原因、双子が世を分けるという事が現実のものになる可能性が出てきた。無論、冥夜が何かを企てたりするわけはないが、陰謀に巻き込まれ、再び内乱が起きる可能性はゼロではない。
 ではどうするか。城内省は冥夜を切り捨てる決断を余儀なくされたのだろう。
 そこで任官だ。
 任官して正式な衛士になれば、当然、前線に赴く機会が生まれる。そして出撃すれば、常に死の危険が付きまとう。つまりはそういう事だ。
「御剣だけじゃないわ。今回の一件で、あの子たちの政治的な利用価値はほとんど失われているのよ。だったらさっさと任官させて、役に立ってもらわなきゃね。任官式は……明日は休みで明後日はクーデターの事後処理もあるでしょうから……そうね、休みの日だけど9日にしましょう」
「分かりました。それで任官先は?」
「全員A-01部隊よ……って、知らなかった?」
「はい」
 A-01部隊。それはオルタネイティヴ4における、夕呼の直属部隊である。当初は連隊規模だったが、今では中隊をひとつ残すのみだ。
 任務内容は、計画に関わる事なら何でもする。基本的に楽な任務などは無く、部隊の損耗率も極めて高い。
 前の世界で武が聞いた、207小隊はオルタネイティヴ4に組み込まれている、と言うのはつまり、第207衛士訓練小隊──横浜基地衛士訓練学校が夕呼の直属部隊を育成するための機関だったという事だ。
 ちなみに、新型OSのテストをしている前線の特務部隊というのも、このA-01部隊である。
「そんな事情があったのに、まりもちゃんを現役復帰なんてさせちゃって良かったんですか?」
「別に構わないわよ。クリスマスがタイムリミットだって言ったのはあんたよ? それに間に合わないんだったら、新人育成もなにもあったもんじゃないでしょ? そうなると今必要なのは即戦力だからね。まりもを現役復帰させるっていうあんたの提案は、まさに渡りに船だったってわけ」
「はあ……」
「あと、ついでだから新OSの事も話しておくわね。量産型がロールアウトしたわ。名前はXM3。で、そのトライアルを10日にやるわよ」
「そんな急に?」
「別に急でもないわよ? クーデターがなければ、今日にでも終わってるはずだったんだから」
 XM3のインストールには、それに対応する管制ユニットへの換装が必要だが、クーデターが起きたために、交換作業が出来なかったのだ。
 これからトライアルまでの間、横浜基地にある戦術機はトライアルで使う撃震十数機を残し、順次、管制ユニットを全てXM3対応型へと換装していく事となる。
「しかし、よくそんな予定、入れられましたね」
「ふふん。β版が完成した時に捻じ込んでおいたのよ。最初にテストした時、まりもがこれは凄い、使えるって言ってたでしょ? 戦術機に関する事なら、まりもが言う事に間違いはないからね。
 ま、とにかくそんなわけ。207小隊とまりもはテストパイロット、あんたも発案者兼テストパイロットとして参加してもらうから、そのつもりでいてね」
「分かりました……あ、そうだ」
 武は騒動がひと段落ついたら夕呼に聞こうと思っていた事を思い出した。
「ちょっと聞きたい事があるんですけど」
「なに?」
「この世界の俺の事なんですけど。死亡記録ってどうなってました?」
「……そんなこと聞いてどうするの?」
 怪訝そうな顔で聞き返す夕呼。
「いや、まあ……気になるじゃないですか。一応は自分の事なんだし。それにほら、俺は今データ上じゃその白銀武って事になってるわけで」
 何か聞かれて誤魔化す時のために、自分に関する情報はなるべく知っておいた方がいい、というのである。もちろん建前だが。
「まあいいわ。そうね、あたしが確認した限りだと、99年のBETA横浜侵攻の際に死亡、ってなってたわよ」
「99年……? それじゃ、BETAに喰われちゃったんですかね?」
「そんなところでしょうね」
「政府のデータベースも?」
「ええ、同じよ。改竄する時に確かめたから、間違い無いわ。まあ、そっちのデータは書き換えるのにちょっと手間取ったから、誰かに見られちゃってるかも知れないけど」
「…………」
「それがどうかした?」
「ああ、いえ……ありがとうございます」
 ここまで話し終えたところで、今のところはお開きとなった。
 夕呼も暇というわけではなかったので、今後の詳細に関してはまた後で、と言うことになり、武は執務室を後にした。

「……どういう事だ……?」
 夕呼の執務室を出た武は、廊下を歩きながら考えていた。
 悠陽に聞いた話だと、この世界の武が事件を起こしたのは今年の初夏。悠陽は知らないようだったが、月詠の話を聞く限り、その後に殺されているのは間違いないだろう。とすると、死んだのは今年の初夏。
 だが、データベースの記録では二年前に死亡した事になっている。
「……分からん」
 いくら考えても心当たりは出てこない。もっとも、材料が無いのだから、当然といえば当然だが。
「月詠さんに聞くしかないか……っていっても、今は殿下の側に付きっ切りだから会えないし……でもって、そのまま帝都まで付いて行っちゃうんだよなあ」
 どうしよう、と考えてみても選択肢はほとんど無い。武の知る人間で、真相を知っていそうだったのは夕呼、鎧衣課長、月詠。次点で神代、巴、戎。
 しかし、夕呼は先程の様子から、どうも本当に知らないようだった。
 確実に知っていると思われるのは鎧衣課長だが、目下のところ行方知れず。そして月詠には会えない。
 となると残る選択肢は……神代か巴か戎を捕まえるしかない。
「……殿下の部屋の近くまでいけば、誰かしら歩哨に立ってるよな」
 そう考えた武は、悠陽が休んでいるエリアに向かう。
 そして思った通り、廊下には美凪の姿があった。
「よう、戎」
 軽く右手を上げながら美凪に近付き、その横に並んだ武。
「あっ、白銀少佐……殿下は今、お休みになっておられますので、お会いにはなれませんよ?」
「いや、そうじゃなくて。ちょっと頼みたい事があるんだけど、いいかな」
「わ、私に? なんですか……?」
「実はだな──」
 武はキョロキョロとあたりを見回して周りに人がいない事を確認すると、屈みこんで、武よりも随分と小さな身体の美凪に顔を寄せた。
「ひゃっ!?」
 その行動にビックリして素っ頓狂な声を出す美凪。
「……どうした?」
「かっ、かっ、かっ……」
「……か?」
「顔が近いですっ……!」
「え? あ、悪ぃ」
 美凪に言われて、その白磁の肌に唇が触れてしまいそうなほどに接近していた事に初めて気が付いた武は、悪びれる様子もなく、スッと顔を引いて少しだけ距離を取った。
「もう……そ、それで、お話ってなんですか?」
 美凪は火照って紅くなった頬を小さな手で挟んでさすりながら、武に先を促した。
「ああ、白銀武が起こした事件のことなんだけど」
「……事件?」
「ほら、殿下の寝所に忍び込んで人質に取ったっていう、あれ」
「えぇっ!? で、殿下を人質に……むぐっ!?」
「ちょ、声が大きい」
 大声をあげそうになった美凪を咄嗟に後ろから抱え込み、その口を手で塞ぐ武。
「なんだ、知らなかったのか。まずかったかな……まあいいか」
「ど、どういうことですか?」
 武は、この世界の武が引き起こした事件と、自分はその武とは別人で、それは悠陽の保証付きだという事を、美凪に説明する。
「それでだ。国連や政府のデータベースだと、99年のBETA横浜侵攻の時に死んだ事になってたらしいんだ。でも実際は、少なくとも今年の初夏までは生きてたわけだろ? それがただの記録ミスだったのか、それとも改竄されてそうなっていたのか……」
「それを私に調べてきて欲しい、と?」
「その辺も含めてかな。事件を起こすに至った理由とか……とにかく、白銀武が死ぬまでの数年間、何をしていたのか知りたい。出来る限り詳しく」
「…………」
「ダメかな」
 捨てられた仔犬のような瞳で美凪を見つめる武。
「うっ……ま、まあ、あなたには殿下や冥夜様がお世話になっていますから、そのお礼として調べてあげます」
「そうか、助かる……んだけどさ、なにせ殿下に関わる事だからな。多分、機密レベルはかなり高いと思う。危なそうだったら、すっぱり投げ出しちゃって構わないからな?」
「だ、大丈夫です。それじゃ、次にここに戻ってくる時に何とか間に合うように調べておきますね」
「ありがとう。でも、本当に無理はしないでくれよ? じゃあ俺はこれで」
 武は美凪に別れを告げて、その場を立ち去った。

 それから半日。
 武の予想していた通り、昼過ぎには全てのクーデター部隊が投降し、仙台臨時政府は事件の終息を宣言した。
 これを受けて帝都の戒厳令も解除され、悠陽は海路で帝都に帰還する事になる。
 武たちは今、悠陽の拝送のために、港に来ていた。
 悠陽を送り出す際の儀仗をとり行うため、横浜基地の軍人達がずらりと並んでいる。悠陽がその姿を現すと、国連軍士官の号令によって捧げ銃が行われた。
 悠陽の側には武が搭ヶ島離城で会った、侍従の女性が控えている。箱根を発つ時に囮の支援車両に同乗したのだが、どうやら無事だったようだ。
 厳かな雰囲気の中、儀礼は進む。それが終わりに近づくと、悠陽は207小隊のところへやってきた。
「日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽殿下に対し──敬礼!」
 まりもの号令で敬礼が行われる。
 悠陽は207小隊に感謝の意を表し、その想いを乗せた言葉を賜った。
 そして、最後に一瞬だけ、冥夜と目を合わせ──
 そなたに心よりの感謝を──
 たったこれだけの言葉を、小さな声で投げかけた。
 恐らく、冥夜と悠陽がこうやって面と向かって会えるのはこれが最後になるだろう。しかし今更、この二人に多くの言葉は必要なかった。クーデター軍に包囲され、冥夜が悠陽の替え玉を志願した時にお互いの意志をぶつけ合い、お互いを深く理解しあったのだ。
 やがて悠陽は背を向け、207小隊の前から去っていった。

 悠陽を乗せた艦が出航すると、式の後片付けが始まった。207小隊はこれから基地内待機となる。そのためにまりもがこの場を解散させようとしていた時、MPが近付いてきた。
「……鎧衣」
 美琴にMPからの出頭要請が伝えられる。
 何かと言えば、鎧衣課長の一件に決まっている。まりもは箱根で鎧衣課長と会っているために、どんな用件かは察しは付いていたようだ。
 だが恐らく、こんな事態に備えて、鎧衣課長は美琴に何も伝えていなかったのだろう。いくら聴取したところで、美琴から何かが出てくる事はない。
 何かあったとしても、訓練兵風情がMPの世話になる事なんてたかが知れていると、まりもは皆を安心させる。
 そして、千鶴の号令で、その場は解散となった。
 皆元気が無い。が、それも仕方ない。もちろん体力的な疲れも残っているだろうが、それ以上に精神的に参っている。全員が何らかの形で今回の事件に関わっていたのだ。この事件が彼女達の心に残した傷痕は、決して浅いものではない。それが、悠陽を見送った事で事態の収拾を実感し、今まで張り詰めていた緊張感が無くなった事で、一気に圧し掛かってきたのだろう。
「行こう……か」
「……うん」
 壬姫の呼びかけに応じて慧たちが歩き始める。
「冥夜」
 武は、千鶴たちの後に続こうとしていた冥夜を呼び止めた。悠陽に託されたものを渡さなければならない。
「……なんだ?」
「預かり物だ。ほら」
 武はそう言って、悠陽から託された、古びてはいるが、とてもとても大切にされてきた小さな人形を、冥夜に差し出した。
「え? ──こ、これは……!」
 悠陽は冥夜も同じものを持っていると言っていた。二人にとって、それは同じく、とても大切なものなのだろう。だとすると、悠陽がいる時に渡してしまうと、冥夜が受け取らない可能性も考えられた。
 だから武は、悠陽が発った今、冥夜にそれを渡したのだ。
「今回の騒ぎで持ち出せた唯一のもの……たった数日でも、昔二人が一緒に過ごした証……そう言ってたよ」
「っ……」
 このクーデター事件で、冥夜の存在が米国に知れた事で彼女の政治的価値は完全に消失した。これから先、冥夜は将軍家との関係を完全に失くし、ただの御剣冥夜として生きていく。恐らく悠陽は、作戦中に米軍と合流した時からそれを予見していたに違いない。
 それ故に、武にこの人形を託したのだろう。
「じゃあな、俺は先に戻ってるぞ」
「やはりそなたは……知っていたのだな」
「何をだ?」
「いや……なんでもない……」
 武は堪えきれず涙を流している冥夜を背にして歩き始めた。



[1972] Re[13]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 2001年12月9日(日)

 クーデター事件が終息してから三日。本来なら休みの日であるはずの今日、207小隊は急な召集命令を受け、講堂に集まっていた。
 事件が終息した際、MPに連行されて取調べを受け、営倉に入れられていた美琴も、そこから解放されてこの場に来ている。
 三日ぶりに再び207小隊が全員集合した事に、どこか安心した様子を見せている五人だったが、さすがに何の用事で集められたのかも分からず、その場所が通常、衛士の訓練で使う事の無い講堂だったため、皆どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。
「よう、集まってるな?」
 講堂に入った武は、そう言いながら207小隊に近付いていった。
「あ、たけるさん……これから何が始まるの?」
 壬姫が訊ねてくる。
「もう少し待てば分かる……っと、来た来た」
 武が入り口の方を向くと、まりもとラダビノッド司令が講堂に入って来るところだった。
「小隊整列!」
 まりもの号令で、ステージの前に五人が並び、そして司令が壇上に上がると、再びまりもの号令で今度は敬礼をする。
 武はまりもの隣に移動すると、マイクに向かって喋りだした。
「突然ではあるが、只今より国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊解隊式を執り行う」
 本当に突然の出来事に驚く冥夜たち。そんな彼女たちをよそに、司令の訓示が始まった。
 武もその司令の言葉を、今更ではあるが、横から真摯な姿勢で受け止めている。と言うのも、武にはこうやって訓練学校を卒業して任官した記憶が無い。前の世界ではオルタネイティヴ4が頓挫した事で横浜基地の重要性が暴落し、またオルタネイティヴ5への移行のゴタゴタの中で、紙っぺら一枚にサインしてそれでおしまいだったのだ。
 やがて訓示が終わり、極めて異例ではあるが、と断りを入れた上で、日本帝国政威大将軍──悠陽から祝辞が寄せられている事が伝えられ、司令によってそれが読み上げられた。
 全員、その祝辞に感銘を受けていたが、最後に語られた『そして我が心は如何なる時も、そなた達と共に在ります』という言葉は、恐らく冥夜に向けられたものだ。特に冥夜の受けたそれは人一倍大きなものだっただろう。
 引き続いて、衛士徽章の授与が行われた。
 ラダビノッド司令がそれぞれの前に立ち、一人ずつに徽章を受け渡す。それを以て207衛士訓練小隊解隊式が終了した。
「──207衛士訓練小隊……解散ッ!」
「ありがとうございましたっ!」
 そして、まりもの号令を最後に、207訓練小隊は本当の解隊となった。

 ラダビノッド司令とまりもは講堂から退出し、広い講堂内には冥夜たちと武だけが残された。
「それじゃ、午後のスケジュールを伝えるぞ……」
 と言いながら、武はポケットの中からくしゃくしゃに折り畳まれた紙を取り出して広げる。
「えーっと、新任少尉は13時00分に第七ブリーフィングルームに集合、そこで配属部隊の通達と軍服の支給方法、それに事務手続きの説明を行う……以上だな。それじゃ、遅れるなよ?」
 そう言い残して、武は出口に向かって歩き始める。
 途中、後ろをちらりと振り返ると、冥夜たちは一箇所に集まって、喜びを分かち合っていた。
 本当なら自分もその場所いたのだと思うと、少し寂しくはあったが、それは仕方がない。元々、存在自体がイレギュラーなわけだしな、と自分を納得させて、武は講堂を後にした。

「あれ、まりもちゃん?」
 武が講堂の外に出ると、そこにはまりもが立っていた。
「あいつらの事、待ってるんですか?」
「ええ。昇任のご挨拶をね」
「そうですか。それじゃ俺がいると邪魔ですね。ちょっと引っ込んでしょう」
 武はそこから少し離れた木の下に歩いていく。それと入れ替わるように、冥夜たちが連れ立って講堂から出てきた。
 千鶴、冥夜、美琴、慧、壬姫の順にまりもの前に出て、それぞれまりもに感謝の言葉を残し、その場から立ち去っていく。それを眺めながら、武はしみじみと呟く。
「こういうのも無かったんだよなあ……俺の時は」
 武が書類一枚にサインするだけの味気ない昇任をした時は、オルタネイティヴ5が本格的に稼動し始めていて、まりもは既に横浜基地から転任した後だったのだ。
 まりもの前から壬姫が姿を消し、冥夜たち全員がいなくなると、入れ替わるように武はまりもの前に歩いていった。
「…………」
「…………」
「…………」
「な、なに? じっと見て」
「いや、俺にもなんかありがたい言葉は無いのかな~、なんて」
「……はあ?」
「軍曹の錬成を受けた事を生涯誇りに思う。今俺がこうしていられるのも、軍曹のおかげだ」
 急に顔を引き締めて喋り出す武。半分以上は本心であるのだが。
「あの……少佐殿?」
 しかし、それを醒めきった目で見るまりも。
「うわ。そんな『この子、頭がとっても可哀想なのね』みたいな視線はやめて下さいよ。少しくらいノってくれてもいいのに……」
「いきなりそんな事を言われても……」
「まあいいや。それじゃ飯にして午後の準備をしちゃいましょう」
「ええ、そうね。わかったわ」

 第七ブリーフィングルーム──
 13時00分、任官手続きの説明が始まった。
 説明しているのはまりも。武は部屋の隅に椅子を持っていって座っている。
 まず最初に事務手続きや書類の作成が行われた。
 それが終わると、今度は軍服についての説明に移る。国連軍C型軍装──正規兵用の黒い軍服──は、各個人に合わせたセミオーダータイプになるため、少し納期がかかってしまうわけだが、クーデターの決着が付いてから急遽決まった任官のため、納品が間に合っていない。急がせてはいるので一両日中には用意出来るだろうが、それまでは引き続き訓練兵用の白い制服を着ることになった。
 正規兵用の黒い強化装備は、規格品で、ある意味消耗品だから、山ほど抱えている在庫から引っ張り出してくれば済む話なので問題は無い。
「では続きまして、配属部隊についてご説明します」
 説明は配属に移った。とは言っても、全員揃って12月10日の0時00分付けで、横浜基地司令部直轄の特務部隊、A-01部隊に配属される。
 元々、A-01部隊員を育成するために横浜基地衛士訓練学校が存在していたのだから、当然の結果だ。
 司令部直轄……と言うか、この場合は事実上の夕呼直轄だが、オルタネイティヴ4のための部隊をわざわざ自前で一から育成するというのは、完全に信頼の置ける部隊を育成しようという意味合いも含まれているのだろう。
 武がそんなことを考えているうちにも、まりもの説明は続く。
 現在、A-01部隊は作戦行動中のため、横浜基地を離れている。そして、冥夜たちは翌日に行われるXM3のトライアルに参加することになっているので、正式配属はそれが終了した後となる。
 と言うわけで旧207訓練小隊はトライアルが終わるまでの間、XM3開発部隊、A207小隊として臨時編成される事になった。このあたりは夕呼の指示だ。
 搭乗機は吹雪。本来ならA-01部隊は不知火に搭乗する事になるのだが、やはり任官が急だったために、手配が全然間に合っていない。そのためA207小隊はトライアル以後も、不知火が搬入されるまでの間は吹雪に乗り続けることになる。
 トライアルの詳しいブリーフィングに関しては当日行われるので、今日のところの説明はここまでとなり、説明会はお開きとなった。

「お疲れ様でした」
 207小隊の退出していった部屋に、武とまりもの二人が取り残された。
「そう言えば、まりもちゃんは明日の準備とかしてますか?」
「え? 準備って?」
「いや、だからトライアルの。俺たち、テストパイロットとして参加するでしょ?」
「……えっ?」
「まさか、聞いていないとか……」
「そんな話、私聞いてないわよ!? ……もう、また夕呼ね」
「あはは……仕方ないですよ。夕呼先生だし」
「そうね……夕呼だもんね……」
 少しぐったりとした表情を見せるまりも。
「まあ、既存OSから新OSに乗り換えて、そっちに慣れた衛士のデータは欲しいでしょうからね」
 新OS──XM3に十分な性能があるとして、導入検討する際に欲しいデータは二種類。既存OSに慣熟した者、つまり現役の衛士と、そうでない者──初めて戦術機を操縦する訓練兵──がどれだけXM3に順応出来るのか。
 本来ならA-01部隊がその前者の役割を果たすはずだったのだが、今は任務で基地から離れているため、トライアルには参加出来ない。その代わりをまりもにさせようと言うのだろう。
 もっとも、まりもが普通の現役の衛士に当てはまるかと言えば、実戦経験が豊富とはいえ、今は前線を退いている身なので現役とは言えないし、操縦技術を見れば明らかに普通の枠から突き抜けているので、サンプルとして適しているかどうかはかなり微妙なところではある。
 しかし、仮にA-01部隊が任務で基地を空けていなくとも、XM3の性能を見せ付けるために、まりものトライアルへの参加は確定していただろうが。
 そんな事をまりもに説明する武。
「でも、トライアルの件を聞いてなかったって事は、昇進の話も……って違うよ、これは俺が頼まれたんだった」
「……はい?」
 武は一通の封書を取り出し、怪訝そうな顔をしているまりもに手渡した。
「……これは?」
「辞令です」
 まりもはその封を切り、中に入っていた書類を取り出す。そして、それを見た瞬間、まりもの顔色が変わった。
「ど、どういう事なの、これは!?」
 そこには、まりもが12月10日0時00分付けで少佐に昇進、所属は武と同様、夕呼直属の特務兵になるというような事が書かれていた。
「簡単に説明しときますね。まず、横浜基地衛士訓練学校ですけど、さっきの207訓練小隊解隊式を境に休校となります。つまり、まりもちゃんは教官をクビになって、衛士に復帰すると」
「じゃ、じゃあ、この少佐って言うのは……?」
「まりもちゃんはここに来る前、帝国軍にいた頃は中尉だったでしょう? 教導隊にいたんでしたよね」
「ええ、そうだけど」
「夕呼先生はまりもちゃんを国連軍に呼んだ時、大尉に昇進させるつもりだったんだそうです。でも、国連軍の教官職の最高位が軍曹だったとかで、それは出来なかったと」
「……それで?」
「だから元々、夕呼先生としてはまりもちゃんを大尉にって考えてて、あとはA-01部隊の育成とか、この前のクーデターの時の功績でもう一つ昇進と。それで少佐って事らしいです」
「そんな無茶苦茶な……」
「夕呼先生のやる事ですからね。細かい事じゃなくてもあんま気にしない方がいいですよ。それに、何だかんだ言っても先生はまりもちゃんの事を一番信頼してるから、だから出来るだけ近くにいて欲しいんだと思います」
「はぁ……だからって、こんないきなり」
「先生がこれを自分で持ってきて、驚いた顔を見ようとしなかっただけ、まだマシじゃないですか」
「うっ……確かに」
 げんなりとするまりも。
「とにかく、そんなわけです。任務内容は基本的にA-01に準じるそうです」
「はぁ……わかったわ。でも、なんか気恥ずかしいわね」
「何がです?」
「だって、あの子たちを送り出した次の日に、今日からまた上官になった、だなんて……」
「はは、いいじゃないですか。どっちかって言えば喜ぶと思いますよ、あいつらは」
「そうかしら……」


 2001年12月10日(月)

 ブリーフィングルームにはA207小隊が集合していた。本日行われる、XM3のトライアルの説明を受けるためだ。
「みんなおはよう」
 武はその部屋の中に入っていった。
「これからトライアルのブリーフィングを始めるんだけど……その前に、今日からお前らの上官になる人を紹介する」
「あの……それって、A-01部隊の人?」
 千鶴が疑問を漏らす。
「厳密に言えば違うけど、まあ一応は、そういう事にもなるのかな。──どうぞ」
 武が部屋の外に呼びかけると、扉が開き、そこからまりもが少し気まずそうに入ってきた。上官に当たる人、というのとまりもが結びつかないのか、冥夜たちは揃って怪訝そうな顔をしていた。
 そんな中、まりもが口を開いた。
「神宮司まりも、階級は少佐だ。貴様達がA-01部隊に正式編入されるまで面倒を見る事になった。短い間だがよろしく頼む」
「…………えぇーっ!?」
 まりもの挨拶に驚くA207小隊の面々。しかし無理もない。
 少尉に任官した事で階級の上下関係が入れ替わってしまったのが昨日。解隊式後の事務手続きの説明等でまりもの態度が豹変してしまった事に困惑し、しかしそれでも、軍とはそういう所なのだと無理に納得させたところだったのに、一晩明けてみれば、その覚悟を固めるきっかけとなったまりもが再び上官となって現れたのだ。
 そんなわけで冥夜たちは微妙に複雑な表情をしていた。だが考えてみれば、これはこれで落ち着く配置だという事に気が付き、結局はすんなりと受け入れたようだった。
 そして、何事も無かったよかのうに、話はトライアルのブリーフィングに移っていった。

 今回のトライアルは、横浜基地の各部隊から任意に選ばれた代表がXM3搭載機で、A207小隊がβ版搭載の吹雪で、武とまりもはβ版搭載の不知火で参加する。
 新品のXM3には開発中のデータのみが反映され、武たちのβ版のように、実戦データが反映されているという事はない。
 運用評価試験は、単機による反応速度、機動制御負荷試験と、連携実測の三種類が行われる。
 前二つの試験では、あらかじめ旧OS搭載機で計測しておいたデータと比較してXM3を評価、同時に新品XM3とデータを蓄積したβ版との比較を行う。
 連携実測は、前線から呼び寄せたエース級衛士の乗る旧OS搭載の撃震と小隊単位での模擬戦を実行。XM3搭載の小隊は、通常四機のところを三機に制限されるが、これはOSの差を埋めるためのハンデだ。こうする事で機体の性能差を吸収し、条件を互角に近づける。そうなれば勝敗は衛士の練度の差で決まるという事になり、結果、旧OSのエースたちに軍配が上がるだろう。
 そんな条件で、初搭乗のXM3搭載機でどれだけ戦えるかを評価するのである。
 というのは建前で。
 本当の目的はXM3の性能を見せ付ける事だ。
 基本的に現場の人間は、新型を嫌う傾向が強い。実績の無い新型に自分の命は預けられないと言う。
 そして、対戦スケジュールはA207小隊が最後になる。
 つまり、実績のある兵器、すなわち旧OS搭載型撃震──それも前線のエース級衛士たちが駆る部隊を、XM3の機動に慣れさせた上で、つい先日まで訓練兵だったA207小隊が、それも相手よりも少ない機体数で破って見せて、実戦証明主義偏重の現場連中の鼻を明かしてやろう、と言うのだ。
 武とまりもも、基本的にやる事は同じだ。ただ連携実測だけは、二機連携で一個中隊を相手にする。これは搭乗機が不知火である事を考慮した結果によるハンデとされているが、やはりこれも建前だ。
 一個小隊だったら相手にならないだろうし、どうせならこのくらいやった方がインパクトがあるでしょ、という夕呼の差し金だった。
 小隊単位の模擬戦では新任衛士が古参兵を打ち負かし、二機連携対一個中隊の戦力差をひっくり返す事で、現場の衛士たちが持っている、旧OSへの信頼を木っ端微塵に打ち砕くのである。
 A207小隊以外の部隊は、はっきり言えばただの前座だ。単に、XM3に慣熟させるための訓練と考えても差し支えはないだろう。
 このトライアルの本当の意味はこのような感じなのだが、勿論、それが表立って伝えられる事はない。が、ある程度の事情を知っている者がテスト条件を見れば、思い当たるような事でもある。経験不足のためか、A207小隊がこれに気が付く事はなかったが、さすがにまりもにはお見通しだった、
「ちなみに、貴様達がXM3の開発部隊で、かつ、つい先日まで訓練兵だった事は、既に各部隊に通達してある」
「えっ!?」
「当然、正規兵達は、訓練兵風情がテストパイロットをやる程度のもの、とXM3を見下して掛かってくるだろう。その慢心を完膚なきまでに叩き潰してやれ」
「…………」
 まりもの言葉は、言い換えれば前線から来たエース相手に完全な形で勝て、という事だ。それを聞いてA207小隊は戸惑ってしまう。
「返事はどうした!?」
「──りょ、了解!」
「ふん、言ったな? 撃墜されたり成績が悪かったりした奴は、後で腕立て伏せ200回だ。覚悟しておけ?」
「は!」
「では各自、時間までに強化装備に着替えてハンガーに集合だ。以上、解散!」
「──敬礼!」
 そして、冥夜たちが部屋から出て行ったのを確認すると、武はまりもに話しかけた。
「さて、模擬戦の作戦はどうします?」
「どうって?」
「どっちがが突っ込んで囮になったところを、もう片方が狙撃するか、それとも二人で突っ込むか……。まあ、これは基本的に行き当たりばったりでいいと思いますけど。あと装備は突撃前衛仕様にするか、強襲掃討仕様にするか……とか、その辺ですね」
「そうね……」
 二人であれこれ話し合ってみたが、結局、一番自分に馴染みのあるものがいいだろうという事で、とりあえず武は強襲前衛装備で囮役を、まりもは迎撃後衛装備でバックアップ兼狙撃役をやる、という事になった。

「あれ、夕呼先生? 何やってるんですか、こんなところで」
 強化装備に着替え終わった武が、ハンガーのデッキから着座調整に行こうとした時、そこに夕呼が現れた。
「ちょっと様子見。それと、あんたの自信の程を聞かせてもらおうと思ってね」
「別に自信たっぷりってわけじゃないですよ。負けるつもりも無いですけど」
「そう? 頼もしいわね」
 夕呼は武の返事を聞いてフフッと笑う。
「そういえば、俺の名前と発案者だって事、公表したんですね。良かったんですか?」
「その方が正規配備になった時に色々とやりやすいでしょ?」
「確かにそうですけど……じゃなくて、こっちの俺が死人だって事。知ってる奴は知ってるんだし、そっちの方で」
「別に大丈夫でしょ。あんた、クーデターの時、殿下にも斯衛にも随分と信頼されてたみたいだし。あ、ついでに鎧衣課長にもね」
「はあ」
「大体、あんたには殿下を救い出した功績があるんだから、今更、国内からは雑音なんて出てこないわよ。国連内部の問題なら、あたしの下にいる限りはどうにでもなるんだし……あとはどうだっていいでしょ? どうせ調べられたって何も出てこないって、あんただって言ってたじゃない」
「それは、まあ」
「ま、タイミングとしちゃ今がベストでしょうね。XM3の発案者は、実は将軍殿下を救い出した衛士だった。その功績の裏には開発中の新OSの姿が……ってね。あとは、このトライアルであんた自身の実力を見せ付けてやれば言う事ないわ」
「ああ、それで二機連携対一個中隊ですか」
「そういうこと。でも、単純に比較は出来ないけどF-22Aだって撃墜比7:1って数字を叩き出してるんだから、これでも足りないくらい。だから分かっているでしょうけど、勝ち方も重要よ?」
「はい」
「ま、あんたとまりもが組むんだから、心配はしてないけどね。でも気を付けなさいよ? 何が起きるのか分からないのが世の中なんだから」
「分かってますよ」
「じゃ、頑張ってね~」
 夕呼は意味深な事を言い残して、ハンガーから去っていった。

 第二演習場、トライアルエリア2──
 武たちは今、二度目の模擬戦に臨んでいる。
「──06ターゲットロスト。そっちは?」
『こっちもロストしたわ。……さすがにもう一筋縄じゃいかないわね』
 一度は敵を発見したものの、仮想敵部隊は正面衝突は不利と見るや否や即座に後退、武たちはその位置を見失った。
 第二演習場は市街地跡だ。廃墟と化した街は建物の残骸や瓦礫が積み上がり、そのためレーダーはほとんど役に立たない。目視で姿を見失ってしまえば、パッシブセンサーで振動や音、熱源を探知して位置を割り出すしかない。しかし、そこは出撃回数20を越えるエースたち。その辺りは巧妙に誤魔化し、完全に姿を眩ませていた。
 午前中に行われた一度目の模擬戦の時と比べて、仮想敵部隊の気合の入れようは、明らかに違っている。
 というのも、この模擬戦を通して、仮想敵部隊のエースたちは、全くいいところを見せられていないからだ。
 最初のうちの、横浜基地の各部隊のXM3に初めて触れる衛士たちを相手にしている間はまだよかった。相手がXM3に不慣れという事もあったし、衛士としての練度にも差があったから、辛勝ではあったが、彼らは勝利を重ねてきた。
 その後、腹いせ紛いに冥夜たちA207小隊を相手にしたわけだが、新任のペーペーだと思って無礼ていた相手が、新OSに慣熟している上に練度も決して低くない、それまでで一番手強い相手で、結局、一機も墜とせずに負けてしまった。
 そして最後に、今度は一個中隊で武とまりもの二機連携を相手にした。相手は新OSを搭載した不知火という事で警戒はしていただろうが、それでも2対12という戦力差に油断したのか、成す術もなく武たちに惨敗を喫してしまったのである。
 午後になると一般衛士たちもXM3に慣れ始め、仮想敵部隊は更に苦戦を強いられた。もちろんXM3の機動データは蓄積され、対応する態勢は整いつつあったものの、XM3に慣れるというアドバンテージはそれ以上に大きく、一般の部隊との差は広がる一方だった。それでも何とか勝利を譲らなかったのは、流石といえるが。
 例外的にA207小隊だけは既に新OSに慣熟していたので、XM3の機動を学習する事で午前中に比べてマシな戦いが出来るようになったものの、A207小隊の方も二度目という事で最初よりリラックスしていたのか、戦績がひっくり返る事はなかった。
 午前中は、確かに相手の事やXM3を軽く見ていたところがあっただろう。しかし、それを全て踏まえた上での午後の演習でも、苦戦に次ぐ苦戦、そしてやはり新任少尉には負けるという、散々な結果だった。
 今更、XM3の性能を軽く見たりするような事はない。しかし、だからと言って、このままやられっ放しというのも、プライドが許さないのだろう。
 そんなわけでこの最後の勝負には、相当入れ込んでいるのである。

 前線からやってきたエースたちは、伊達に死線を潜り抜けてきたわけではないようで、急遽編成された中隊であっても小隊同士の連携は完璧に機能している。
 午前中の模擬戦では相手が油断していた事で、連携の際に生じた一瞬の隙を突いて一気に畳み掛けたのだが、その手はもう使えない。
 そこで武は当初の予定通り、自分が囮になってまりもが狙撃をする、という作戦を取る事にした。
「06より00、G-17に囮に出る。サポートよろしく」
『00了解』
 G-17地点は、演習中にまりもが動き回っている間に発見した、防御がしやすく極めて狙撃に適したポイントだ。
 相手側も恐らくはそのポイントに気が付いて、砲撃支援を配置していると予測される。だが、それが単機で配置されているという事はないだろう。小隊同士の模擬戦ならまだしも、武たちが二機なのに対して向こうは十二機。直援を置く余裕は十分にある。或いは、一個小隊を丸ごと配置しているかもしれない。
 もっとも、そうあってくれれば、武たちにとっては探す手間が省けるから、それはそれで都合がいいのだが。
 武は無防備を装いながら、連続噴射跳躍でそのポイントに近付いていく。これに呼応して姿を現せばそれで良し、そうでなくとも目標ポイントに潜んでいるのを発見できれば、それもまた良し。
 今のところは仮想敵部隊は陽動に掛かる事無く、息を潜め続けている。
 一方、まりもは別のポイントに移動して待機していた。そこは戦術的には別に重要でもなんでもない、それどころか攻められやすく攻めづらい、ここに追い込めば勝負は決まるという、棺桶のような場所だった。なぜそんなところに待機しているかというと……このポイントからG-17地点への狙撃が可能で、その地形特性から、恐らく敵部隊はその事に気が付いていない、というメリットがあったからだ。
 武たちがG-17を確保しなかった理由がここにある。いくら守りやすいポイントだからといって、柔らかい脇腹を晒しているのでは意味が無いのだ。
 両方同時に確保してしまえば問題は無くなるが、それは出来ない。守り続けているだけでは敵は倒せないから、片方が狙撃するためにもう片方が囮に出ざるを得なくなるが、そうなると、どうしても決定的な隙を見せてしまう。
 だが、決定的な隙を見せているという事に関しては、今の状況も同じだった。武の陽動で敵が引き摺り出されるまで、まりもは無防備な姿を晒し続ける事になる。
 さすがにこの状態では、発見され次第、撃墜されてしまう可能性は高い。
 しかし、ある程度の時間は大丈夫だろう。人間相手にしか通用しないので多用すべきではないが、クーデター事件の際、沙霧の空挺作戦を予測出来なかったのと同じ事だ。自分からわざわざ棺桶に入ったりはしないだろう、という思考の死角を突いている。
 だが、仮想敵部隊もバカではない。単独でふらふらと姿を現した武が囮だという事には、当然気が付いているはず。そして、姿を現したところを狙撃しようと、まりもがどこかから狙っている事にも。
 だからこそ、仮想敵部隊は武の陽動に呼応せず、沈黙を守っている。
 既に別動隊がまりもの捜索を開始しているであろう事は想像に難くない。いくら盲点を突いているからといって、長時間騙し続ける事は出来ないだろう。
 仮想敵部隊は武をこのまま放置し続ければ、いずれ発見され、墜とされてしまう事は理解している。新型OS搭載の不知火が相手では、正直、四対一でも分が悪い。しかし、先制攻撃を仕掛けて何とかしようと試みた瞬間、まりもに狙撃されてしまうのも目に見えていた。結局、時間が経つにつれて武のプレッシャーが増し続ける中、別動隊がまりもを発見して撃墜するまで、じっと息を潜めて身を隠し続けなければならない。

 まりもはトリガーに指を掛けたまま、じっと狙撃の機会を窺っていた。マップのマーカーを見ると、白銀機はもうすぐ目標地点に到達しようとしている。そこまで達してしまえば、恐らくは潜んでいる敵も姿を現すだろう。
 しかし、先程から神宮司機の音感センサーは、戦術機特有の駆動音波形を示していた。もうすぐそこまで敵機が迫っているのは間違いない。
 だからと言って、今更この場所から飛び出していくわけにはいかない。今はまだ発見されていないが、まりもから動けば即座に発見され、撃墜されるのは目に見えている。
 武が相手方の狙撃手を誘き出し、それを狙撃し、その時に生じる一瞬の隙を突かなければ、まりもはこの場所から無事に抜け出すことは出来ない。
 もっとも、そんなのは最初から分かっていた事だ。まりももまた、圧し掛かるプレッシャーに耐えているのだ。
 やがて、武が目標地点に到着し、目視による索敵を開始した。
 神宮司機の探知している戦術機駆動の波形は、先程よりもはっきりと確認出来るようになり、敵機が更に接近した事を示していた。ひょっとして今飛び出せば、まだ逃げおおせるのではないか、という考えがまりもの頭に一瞬浮かびはするが、その考えはすぐ否定する。それはただの希望であり願望だ。実際にはそんな都合よく事は運ばない。
 恐らく、武に接近されている相手方の狙撃手も、同じような事を考えているだろう。
 これは、どれだけプレッシャーに耐えられるかという我慢比べだ。だがそうなってくると、仮想敵部隊はかなり分が悪い。彼らがいくら20回以上の出撃経験を持つベテランだと言っても、その三倍を優に超える実戦経験を持つまりもと比べるのは酷というものだ。
 まりもがこの追い詰められた状況に対しても全く動じず、深く静かに待ち続けたのに対し、ポイントG-17に潜んでいた相手は堪えきれず、ついに武の迎撃に出てしまった。
『──00、フォックス2』
 そうやって姿を見せた敵を、ここぞとばかりに狙撃するまりも。87式突撃砲から撃ち出された120mmペイント弾が撃震のボディを染め上げる。
『──バンディット6スプラッシュ』
 まずは一機。そして、バンディット6の撃墜に動揺した直援機を、武は音感センサーと振動センサーから位置を割り出し、混乱に乗じてチェーンガンで狙い撃った。
「──06エンゲージオフェンシヴ、フォックス3──バンディット5スプラッシュ」
 そして二機目。
 この時まりもは既に狙撃地点から脱出し、迫っていた別動隊に対し、逆に奇襲を仕掛けていた。
『──00エンゲージオフェンシヴ──フォックス3』
 狙撃のために配置していた砲撃支援が狙撃された事に注意を取られている一瞬の隙を突いて敵機の前に躍り出たまりもは、間髪入れずに36mmチェーンガンを撃ち込んだ。狙われた撃震は成す術もなく機体をペイント弾で染められていく。
『──バンディット7スプラッシュ』
 三機目。
 その時、神宮司機のコックピット内では接敵の表示と共に警報が鳴り響いていた。建物の陰から撃震が現れ、ちょうど背後を取られるような形になる。しかしまりもは慌てず、即座に噴射でひょいと浮かび上がって撃震の上に飛び乗ると、そのまま撃震を踏み台にして飛び上がった。
 バランスを崩す撃震。
「──06、フォックス2」
 そこを今度は、G-17を確保した武が120mm滑空砲で狙撃する。発射された120mmペイント弾は、寸分違わず撃震のボディに吸い込まれ、インクを撒き散らしながら弾けた。
「──バンディット8スプラッシュ」
 四機目。武たちは仮想敵部隊のB小隊の殲滅に成功した。
『あとの二小隊は、この近くにはいないみたいね』
「そうみたいですね。とりあえずそっちに合流します」
『了解』
 武は確保したポイントを放棄してまりもと合流する。
 そして、一個小隊を片付け、さてここからが正念場だ……と言う時、突然、どこかでドカンという爆発音が響いた。
「……何だ?」
『何か爆発したみたいね。R-3あたりからみたいだけど……事故かしら』
「とにかく、データリンクで確認を」
『そうね』
 武がデータリンクに接続した直後、コックピット内に警報が鳴り始める。
 そして、慌しい通信が飛び込んできた。
『──コード991発生、繰り返す、エリア2にコード991発生!』
『──HQよりホーネット3、詳細を報告せよ』
『──ホーネット3よりHQ、第二演習場、トライアルエリア2にコード991発生、目視確認で三体、それ以上は不明ッ!』
『──HQよりホーネット3、現在、即応部隊が出撃準備中、敵の進攻を阻止せよ』
『──バカ野郎、こっちは丸腰なんだ! ハンガーまで退がらせろッ!』
『──HQよりホーネット3、繰り返す、現在、即応部隊が出撃準備中、敵の進攻を──』
『──分かったから早くしろッ!』

『──HQより各部隊へ。防衛基準体勢1へ移行。繰り返す、防衛基準体勢1へ移行──』



[1972] Re[14]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 コード991──
 BETA出現を知らせるコードである。
 それがなぜ、この時、この場所に出たのかは分からない。
 広域的に見れば極東方面の最前線とはいえ、横浜基地はその中では最後方に位置している。そこに至るまでの防衛線が突破された、などという情報は全く聞こえていない。
「…………」
 いくらBETAの行動が予測できないとはいえ、この状況はあからさまにおかしかった。佐渡島から防衛線を突破してここに出現するまで、その存在を誰にも察知させなかったなど、到底考えられない。
 もし隠密行動でここまでやってきたのだと仮定すると、何かの目的があって防衛線の戦力をことごとく回避してきた事になるが、そんな隠密行動を取ってきたにもかかわらず、丸腰とはいえ戦術機が集まっている演習場に現れたのも不可解だ。これではまるで、演習場に来ることが目的だったかのようだ。
 この状況に作為的なものが感じられないわけではない。武はまさかとは思ったが、オルタネイティヴ5推進派か、或いは──
 しかし理由はどうあれ、こうやって基地のごく近くにBETAが出現した事は紛れもない事実。今は考えていても仕方がない。
 スクリーンに投影されたマップ上には、BETAを示す赤い光点が次々と増え続け、それは武たちの周辺にもぽつぽつと現れ始めた。
 とにかく武器が必要だ。演習用のペイント弾や模擬刀では役に立たない。
「俺が連中を引き付けている間に、まりもちゃんは冥夜たちを連れてハンガーに退がって、武器を補給してきてください」
『分かったわ。あなたも気をつけて』
「了解」
 武はBETAの真っ只中に突っ込んで行った。それに呼応するように、周辺のBETAが武の不知火に群がり始める。
「今です、まりもちゃん!」
『了解ッ!』
 まりもが水平噴射跳躍で戦線を離脱してゆく。それを確認すると、武は噴射跳躍で空中に躍り出た。上空からBETAの種類を確認しようというのだ。
 もし光線級がいたとしても、とりあえずは緊急回避で避けられるので問題は無い。
 上空からざっと地上を見渡すと、確認できたのは光線級、要撃級、突撃級、戦車級、闘士級、兵士級の六種。厄介な重光線級と、図体のでかい要塞級は見当たらない。
 市街地跡での戦闘になるので、突撃級の優位は若干薄れるだろう。その代わり、小回りの効く戦車級には気を付けなければならないが。
 次に友軍機を確認すると……やはり、突然の出来事に混乱している。
 特に横浜基地の部隊の展開が鈍く、XM3の優位性を活かせないまま、撃破されてしまうケースが見てとれた。
「いくらXM3を搭載してても、使う奴が腑抜けてちゃ話にならない、か……」
 悪態をつく武。と同時に、対光線級の緊急回避プログラムが作動し、それまでいた場所に光線級のレーザーが通り抜けていく。武はマニュアル操作で噴射降下を行い、地表に降り立った。
「光線級は厄介だけど乱戦に持ち込めば……いや、そうなると今度は味方が邪魔になるか……仕方ない」
 武は通信回線を開いた。
「20706よりHQ、エリア2の友軍機を全機ハンガーに後退させて武器の補給に向かわせろ。その間は俺が囮になる」
『──HQより20706、後退は認められない。繰り返す──』
「そんな事、言ってる場合じゃ──」
『──構わないわ、白銀。思う存分やんなさい』
「夕呼先生、ナイス!」
『副司令!? 一体何を!?』
『いいから言う通りになさい!』
『りょ、了解しました……。
 ──HQよりエリア2に展開中の各機。即時ハンガーへ後退せよ。繰り返す──』
「これでよし……と」
 エリア2に展開していた戦術機甲部隊と入れ替わりに、武の不知火が手持ちのペイント弾でBETAを撹乱しながら戦域に突入していく。BETAたちはその陽動に引っかかり、武を敵と定め、方向転換して追い始める。
 友軍機がエリアからいなくなる頃には、武はすっかり孤立する形でBETAに囲まれていた。
 ……しかしこの状況こそ、武が狙っていたものだった。
 この手の戦いなら、もっと不利な状況を、前の世界で嫌というほど経験してきている。時間稼ぎをするくらい、どうという事はない。
 だからと言って、武はそれだけで終わらせるつもりはなかった。
 テストタイプとはいえ新開発のOSを搭載し、不知火は昔と比較にならない程の機動力を得た。間違いなく、出来る事は昔よりも格段に多くなっているのだ。
「──さあ、やるか」
 完全な乱戦になっているので、地上戦では光線級を無力化したも同然だ。しかし、だからと言って無視できる存在でもない。光線級がいる限り立体的な戦闘が出来ず、機動力が激減してしまうからだ。
 戦術機に対レーザーの緊急回避運動がプログラミングされている事からも分かるように、光線級が狙いを定めてからレーザーを発射するまで、若干のタイムラグがある。そこが狙い目だ。
 武は対レーザーの緊急回避機能をオフにすると、噴射跳躍で宙に舞い上がった。
 それに光線級が照準を合わせ、照射体勢に入る。この場には武しかいないので、狙ってくるタイミングはバカ正直なまでに見え見えだ。そのタイミングを計りながら噴射跳躍をキャンセルし、すぐさま水平噴射跳躍で光線級の一体に向かって突進した。
 レーザー種には絶対に味方を誤射しないという性質がある。そのため、地表に降り立って他のBETAを楯にする事で射線を著しく制限し、また逆に光線級以外のBETAの動きも、ある程度コントロールする事が出来る。
 それを利用して武は正面の敵に集中した。
 レーザーが照射される瞬間、武は光線級の頭上をすり抜けて背後を取る。そのまま光線級の躯を後ろから拾い上げると、照射中のレーザーを別のBETAに向けた。ありえないはずの味方誤射を誘発出来ればそれで良し。そうでなくとも、手中の光線級を建物の残骸や地面に叩き付ければ撃墜数プラス1だ。
 他のBETAの攻撃を躱しながら、そのパターンを何度か繰り返し、まずは把握している限りの光線級を駆逐して、とりあえずの制空権を確保した。
「光線級は大体今ので全部か。後はよりどりみどり……だな」
 敵戦力の中核を成す要撃級が、不知火に向かってきた。
「まずはおまえからか」
 武は要撃級の前腕から繰り出される攻撃を巧みな動きで避けながら、一瞬の隙を突いて噴射跳躍で、要撃級の尻尾のような頭に取り付いた。脇に抱え込んで主腕でがっちりとホールドすると、間髪入れずに跳躍ユニットの出力を最大まで持っていく。
 するとホールドした箇所を軸に不知火は回転を始め……そして、要撃級は頭を捻じ切られ、その活動を停止した。
 要撃級に止めを刺した武に、間髪入れず突撃級が突進してくる。
 それをひらりと躱し、先程斃した要撃級の前腕を持ち上げて抱え込んだ。その付け根を軸にして、機体をくるりと急回転させる。ぐちゃり──という、まるで感触まで伝わってきそうなほど嫌な粘着音と共に、硬質な腕が根元から千切れる。
 武はそれを脇に抱え、再び突進してくる突撃級に向き直った。
 高速で突進してくる突撃級をギリギリまで引き付ける。そして激突の直前に噴射跳躍で跳び、ひらりと躱しながら空中で方向転換、突撃級の背後に降り立った。
 そして要撃級の前腕を右脇に構え、突撃級目掛けて、全開噴射突撃を仕掛けた。
 旋回能力の低い突撃級は方向転換する間もなく、一瞬のうちに両者の間合いはゼロとなる。武が抱えていた要撃級の前腕は、突撃級の柔らかな後部に深々と突き刺さっていた。
 そうやって大物を撃破していくと、今度は建物の陰から戦車級がわらわらと集り始めてきた。それを要撃級から引き千切った前腕で叩き潰していく。やがてその数が増え、要撃級の前腕を使った鈍重な攻撃で対処しきれなくなってくると、今度は纏わり付いてくる戦車級を建物の残骸にぶつけて振り落としながら、その中の一体を掴み、既に斃した突撃級の残骸の装甲殻目掛けて勢いよく突き出した。
 不知火に掴まれた戦車級は、モース硬度15以上を誇る突撃級の装甲殻に強烈に叩き付けられ、柘榴のように弾け飛んだ。

 丸腰であるにも拘らず、新OSによってもたらされた驚異的な機動を武器に、武は次々とBETAを撃破していく。そうやってしばらく戦っていると、ハンガーに補給に戻っていたまりもが、武器を携えて戻ってきた。
『ごめんなさい、待たせたわね!』
「まりもちゃん!」
 武は87式突撃砲と65式近接戦闘短刀を受け取り、まりもと二機連携を組んで、改めてBETAに向かっていく。その殲滅速度は先程までの比ではない。
 光線級は既に全て排除している。重光線級と要塞級はもとより存在していない。空中を攻撃出来る固体は存在せず、つまり空中にいれば一方的な攻撃が可能。喰い放題だった。
 二人の容赦ない攻撃によって、レーダーに記されたBETAのマーカーが次々と消えてゆく。
 そして、担当エリア内の敵を九割方撃破した頃、武はまりもに訊ねた。
「まりもちゃん……あいつら、大丈夫でしたか?」
『安心して。多少のショック症状は見られたけど、みんな無事よ。『死の八分』……ちゃんと乗り越えたわ』
「そうですか……良かった」
 武は安堵の表情を見せた。
 しかし、まだ依然として戦闘は続いている。武はすぐに緩んだ気を引き締めた。
 とはいえ、データリンク情報で戦況を確認したところ、エリア1方面も、あらかた片がついている。
『さ、お喋りは終わりにして、残りを片付けちゃいましょ』
「了解です」
 そして、武とまりもは残存BETAを虱潰しに狩り、まもなく戦闘は終了した──

 武は夕日を浴びながら、戦場となった演習場を歩いていた。BETAの死骸は既に撤去されている……が、そこかしこに散らばった戦術機の残骸は、未だ残されたままだ。それは戦闘の熾烈さを物語っていた。
 残骸の中には、XM3を搭載していたはずの機体が数多く含まれている。
 演習中の無防備なところを突如襲われたのだ。そんな状況下、丸腰の戦術機でどれほどの衛士が難を逃れられたのか分からない。
 仕方がないと言えば、そうなのかもしれない。
 しかし、納得出来る結果でもなかった。
 XM3を搭載した戦術機は、機動性が非搭載機に比べて格段に跳ね上がる。いくら旧式の撃震だからと言って、数分程度なら、丸腰でも機動だけで時間稼ぎ出来るくらいのポテンシャルはあるはずなのだ。
 にもかかわらず、実際はこうして斃されてしまった戦術機が多い。
 これがXM3の性能不足で起きた事なのか、それとも衛士たちの練度が低かったために起きた事なのか、武には分からない。
「ま、どっちにしろ、この有様じゃなあ……」
 話にならない……と思いながら、武は歩みを止め、改めて周囲を見渡した。
「ん……?」
 武の脳裏に妙な既視感が生まれる。
「こんな光景……見たことある、よな……。いつだったか……」
 記憶の糸を手繰り寄せていく。
「そうだ、そのあたりに壊れた吹雪があって……俺は撃墜されたんだっけな……おかしいな、俺は吹雪でBETAと戦ったことはないはずなのに……まあいいや、それで落ち込んでこの辺に座ってて……まりもちゃんが来て慰めてくれて……それで、後ろを向いたら……まりもちゃん、まりもちゃんが──」

 何か硬いものに皮膚を丸ごとこそぎ取られ、すり潰され、清麗な美しさが見る影もなくなってしまった顔面。
 零れ落ちた眼球、滴る脳漿。
 飛び散る肉片、朱に染まる身体。
 そして、その向こう側には何かを噛み砕いた兵士級BETAののっぺりとした顔、虚ろな瞳、黄ばんだ歯。
 抜け殻となった躯が、鮮血を噴き出しながらゆっくりと倒れてきて──グチャグチャになったまりもの顔を元に戻そうとして、飛び散った肉片を必死に掻き集めて──なのに、いくら頑張っても元に戻らなくて、手が赤黒く染まっていくだけで、そして──
 ──そして、降り注いできた36mm弾によって全てが肉片と化し、世界は朱く染まった。

「──ッ!!?」
 ハッとして武は我を取り戻した。
「今の……こっちで初めてまりもちゃんに会った時も見た……やっぱあれ、まりもちゃんだ……一体、どうなって……?」
 妄想と呼ぶには生々しい。確固たる経験と呼べるほどの現実味はない。色々なイメージが混ぜ合わさった夢を見ていたのか、はたまた予知夢なのか。現実と虚構の境界が酷くあやふやで、何がなんだか、わけが分からない。
「……もっと陽が落ちたような感じだったな。少し待ってみるか……」
 現実ではない、と完全に否定する事も出来ず、ならば確認してみるのもいいかもしれないなどと考え、それまでどう時間を潰そうかと思った時。
「あっ、いた! タケル~!」
 美琴が駆け寄ってきた。その後ろには他のA207隊員の姿も見える。
「ん……? どうした、美琴」
「もう、どうしたじゃないよ! タケル、戦術機降りたと思ったら、すぐにいなくなっちゃうだもん。探したんだよ!」
「そなたには、礼を言わねばならぬと思ってな」
「なんでだ?」
「教官……じゃなくて、神宮司少佐に、私たちの所に来てくれるように言ったの、たけるさんでしょ?」
「それがどうかしたのか?」
「助かった、すごく」
「恥ずかしい話だけど、私たちあの時、パニックを起こしかけていてね」
「別に恥ずかしい事じゃないよ」
「そ、そうかな~? でもね、そのままだったらBETAにやられてたところを、少佐に助けてもらったんだ」
「そうか。良かったな」
 武は無意識のうちに美琴の頭にぽんと手を置き、ぐりぐりと撫で回した。
「……あっ……」
「…………」
 冥夜たちは、頬を染め目を細めて武にされるがままになっている美琴を、じっと見詰めている。
「ん? どうかしたか、お前ら」
「……な、なんでもないぞ?」
「なんでもないなんでもない」
「なんでもないよねー?」
「え、ええ。なんでもないわよ?」
「……そうか?」
 武は美琴の頭から手を離した。
「あ……」
「それはそうとお前ら。BETA相手の初陣の後ってのは、自分で思ってるよりもずっと疲れが溜まってるからな。良く休んどけよ」
「うん……ありがとう、タケル」
「じゃあ、今日はもう部屋に戻って休め。いいな?」
「うん」
 冥夜たちは去って行った。

「さて……どうしよう」
 先程フラッシュバックした映像について考えた。あれが事実であるかどうかなど分からない。ひょっとして覚えていないだけで、過去に実際に体験した事なのかもしれないし、不埒な話ではあるが妄想なのかもしれない。
 ただの妄想と斬って捨てるのは容易い。だがしかし、もしあれを自覚がなくとも過去に体験しているのだとしたら、何となくではあるが、放っておけば同じ事になる可能性があるのではないかと思う。それだけは避けなければならない。
 戦闘は終わったのに強化装備を着たままにしているのも、その事が頭の片隅に引っかかっていたからだろう。
 と、考えたところで、武はまともな武器を携行していない事に気が付いた。
 手持ちの武器は……コンバットナイフ一本と、H&K P8が一丁だけだ。予備のマガジンは持っていないので、残弾は16。もしあのビジョンが本物だとすると、兵士級BETAを相手にしなければならず、ハンドガン一丁では心許ない。ましてやナイフなど論外だ。
「しまったな……突撃銃くらい携行しておけば良かった……」
 しかし……今から武器を取りに戻っている時間は、もう残されていないだろう。
「どうしたの? 難しい顔して」
「! まりもちゃん……」
 どうしたものかと考えていた時、まりもが現れた。
「ふふ、あなたがそんな顔してると、あの子たちまで落ち込んじゃうわよ?」
「……」
「着替えもせずにこんなところまで来て……何か悩み事?」
「えっと……まあ」
 まさか、まりもがここで兵士級BETAにかじられる夢を見て、それが正夢かもしれないから、なんてことはとてもではないが言えなかった。それを言ってしまうと、頭がおめでたい人に認定されてしまいそうだ。
 武は少し考えて、最初にここに来た時に考えていた、XM3の話をする事にした。一応、これに関しても悩んでいなかったわけではない。
「いえ、実は……ですね。ひょっとしてXM3って、本当は大して意味がなかったのかな……なんて」
「どうしてそう思うの?」
「実際、これだけやられちゃってますしね」
 と言って、肩をすくめながら回りを指し示す。そして、まりもに背を向けて喋り始めた。
「練度の低い衛士にこそ、効果があって欲しかったんですけど。でも、最初にBETAが現れた時に演習場に出ていた衛士たちで生き延びたのは、XM3非搭載の撃震に乗っていた、古参連中がほとんどです」
「207隊のあの子たちは、丸腰で、しかも初陣って状況だったのに、ちゃんと生き延びたでしょう?」
「……それは、まりもちゃんの助けもありましたし。あいつら言ってましたよ? 神宮司少佐に助けてもらったって」
「別に私、大した事はしてないんだけどな。ほんの少し緊張を取り除いてあげただけよ? 後は全部、あの子たちの実力」
「ま、あいつらの才能は本物ですし、ちゃんと訓練もやってきましたから。練度が低いってのは当てはまらないんですけどね」
「でも……それでも、XM3に効果があることは、あなた自身が充分過ぎるほど示したじゃない。丸腰の戦術機であれだけのBETAを撃破したなんて知れたら、世界中が震撼するわよ?」
「はは、あれはダメですよ。試しにって思ってやってみたんですけど、機体に掛かる負荷が大きすぎました。あんなの繰り返してたら整備班長に殺されちゃいます」
「まあ、いずれにしても、あなたの考案したXM3が、衛士たちの命を一分一秒でも長く生かす事は間違いない。それだけは確実に言えるわ。今はそれで良いんじゃない?」
「そう……ですかね」
 武の頭に、ふと、これと同じような雰囲気のやりとりが思い浮かんだ。前にもこうやって、まりもに優しく慰めてもらった事があるような気がする。だが、その後は……。
 言いようのない不安を感じて、慌てて後ろを振り向くと……まりもの後ろで、白い異形の物体──兵士級BETAが、大きな口を開け……今にも彼女の頭を飲み込もうとしていた。
「まりもちゃん!!」
「え?」
 武は咄嗟に、ホルスターから銃を抜きながら、まりもに向かって駆け寄った。そして、左腕でまりもの腰を抱いてグイッと引き寄せるのと同時に、大きく開かれた兵士級の口の中に右手ごと銃を突っ込んで、トリガーを引いた。
 パン、パンという乾いた銃声が連続して六回、辺りに響く。
 口の中に銃弾を喰らって怯んだ兵士級の一瞬の隙を突いて、兵士級の身体を蹴り、武はまりもを抱えて距離をとる。そして続けざまにまた、四回発砲した。
「大丈夫ですか、まりもちゃん?」
「えっ……あ……?」
 突然の出来事に、まりもは一瞬何が起こったのか分からなくなる。しかし、さすがに歴戦の勇士だけあって、すぐに冷静さを取り戻した。
「BETA……討ち漏らし!?」
「そうみたいです。……俺が注意を引きますから、まりもちゃんは基地に戻って増援を呼んできてください」
「でも、あなた一人じゃ!」
「討ち漏らしがいたのに警報がないって事は、司令室はまだこの事に気が付いていない可能性が高い。ここからじゃ強化装備の通信は届かないから、誰かが知らせに行かなくちゃいけない。だとすると、ここは強化装備を着ている俺が残るのが筋です。二人してここに残ったって、状況は良くなりませんし」
「……そうね。それじゃ、私の銃もあなたに預けるわ」
「それはダメです。あれ以外にも、まだ討ち漏らした奴がいるかもしれない。それはまりもちゃんが持っていてください」
「…………分かった。でも、絶対に死んではダメよ」
「そっちこそ気を付けて」
 武は兵士級の横に回り込むように走ると、牽制に二発、発砲する。それにつられて兵士級が武の方に向かうのを確認すると、まりもは基地に向かって走り出した。

 兵士級BETAと対峙する武。
「まさか、本当に出るなんてな──」
 残弾は四。全てを命中させたところで、恐らく対象を無力化する事は出来ない。とすると、通常なら戦術機の残骸や地形を利用して、増援が来るまで逃げ回るのが、生き残る可能性が高い方法と考えるだろう
 しかし、武の頭にはその案はなかった。
 兵士級とはいえ、その機動力は人間のそれを遥かに凌駕する。そして兵士級の持つ対人探知能力は極めて高く、確認されている全BETA中で最高だ。いくら地の利があって、障害物を上手く利用出来たとしても、恐らくはすぐに発見されてしまうだろう。
 それでも逃げるというのであれば、全力疾走しなければならない。もっとも、そうしたところで振り切る事など到底出来ない。例え振り切れるだけのスピードで走れたとしても、全力疾走などが長時間続けられるはずもなく、息切れした時点で一巻の終わりだ。
 仮に何らかの手段を使って振り切れるのだとしても、いずれにせよ武にはその選択肢は選べない。もし兵士級を振り切って、武がそのターゲットから外れてしまうと、今度はそれがまりもに移る可能性がある。それではわざわざ囮になってまりもを逃がした意味が無い。
 結局、増援が来ることを信じて、時間を稼ぎ続けるしかないのだ。
 兵士級が動いた。
 武に向かって一直線に突進してくる。
 その攻撃手段は、太い両腕による打撃と、強靭な顎による噛み付きだ。特に顎は、硬い頭蓋をも一瞬で砕いてしまうほど強力なものだ。かじられた時点で、その部位を呆気なく毟り取られてしまうだろう。
 武は兵士級の突進を横っ飛びに躱しながらトリガーを引いた。弾丸は頭部に命中したが、取り立てて堪えたという感じはなかった。
 拳銃による攻撃は、一応効果があるとは言われているのだが……目前の兵士級を見ている限り、あまりそんな様子は見られない。
「ハンドガンじゃ厳しいか……まあ仕方ないな」
 戦術機に乗っている時はあまり考えたことはなかったが、こうやって生身で対峙してみると、歩兵がBETAと戦う時の気持ちがよく分かる。最弱と言われている兵士級の相手でさえ、この有様だ。
「ま、だからと言って、素直に殺されてやるわけにもいかないけどな」
 武は戦術機の残骸を背にして、兵士級に向かって一度、トリガーを引いた。それに応じて向きを変え、再び武に向かって突進してくる。武はギリギリまで引き付けて、残骸の上に飛び登った。
 兵士級はそのまま戦術機の残骸に激突する。その隙を狙って、武は兵士級の頭の、落ち窪んだ目のような器官を狙って、トリガーを引き絞った。
 そこから赤黒く粘っこい汁を噴き流しながら、兵士級の動きが止まる。しかしそれも数秒の事で、再び武めがけて襲い掛かってきた。
「人間相手じゃないんだし、そう上手くはいかないか、やっぱ」
 武は弾切れになった銃をホルスターに仕舞うと、代わりにシースからナイフを抜いた。磨き抜かれたステンレスの刀身が、夕陽を反射してギラリと輝く。
 ナイフの攻撃に一撃必殺など期待出来ない。そもそも有効打を与えられるかどうかすら疑わしいのだが、それでもチマチマと敵の体力を削り取る事以外、今の武には選択肢は残されていなかった。
 最弱のBETAと言えども、その膂力は優に人間の数倍はある。勿論、武は強化装備を着ているので、人間の数倍程度の力による打撃なら何とか受け流せるのだが、それが掴んでくるとなると、話は変わってくる。
 闘士級のように首を引き千切るほどの力はないとはいえ、骨を折ったり、或いは関節を砕いたりする程度なら十分に可能であろう。そして、一度そうなってしまえば、その向こうに待つのは死、あるのみ。つまり、掴まれた時点で終わりである。
 兵士級の最大の脅威が噛み付き攻撃にあるとはいえ、腕による攻撃もまた、必殺に繋がる威力を秘めているのだ。
 その腕による攻撃が始まった。
 それは、コンビネーションなどは全く見られず、まっすぐ掴みに来たり、ただ振り回すだけの稚拙な攻撃だ。時折、噛み付きによる攻撃が織り交ぜられては来るが、単調な攻撃である事には違いない。
 だが、その攻撃に秘められた威力、そしてスピードは半端なものではなかった。強化装備を着ていなければ、掠っただけでも大きなダメージを受け、間違いなくそこから連鎖的に畳み掛けられていただろう。
 腕の振りの速度もさることながら、そのずんぐりとして鈍重そうな下半身の見た目に反して、フットワークも極めて軽い。
 モーションだけを見れば隙だらけなのだが、そのほとんどが持ち前のスピードでカバーされてしまっているので、なかなか反撃の機会を見出せない。カウンターを狙おうにも、速すぎてタイミングが合わせられない。
 それでも武は諦めるわけにはいかなかった。
 だからと言って、ただ闇雲に攻撃を仕掛けても効果はないだろう。
 ではどうするか。
 狙いは肩口……肩腱板だ。
 武の見たところ、なぜだかは分からないが、兵士級の首から上を除いた上半身、特に肩から腕にかけての骨格や筋肉の付き方が、人間のそれと比較して非常に酷似している。ならば、恐らくは存在しているであろう肩の腱を断ち切ってしまえば、腕そのものを無力化出来るのではないか、と考えたのだ。
 武は全神経を集中させて、ギリギリのところで兵士級の攻撃を躱し、或いは避けられそうにない攻撃は強化装備で受け流してダメージを最小限に抑え、兵士級の長いリーチを掻い潜りながら、ほんの僅かな隙を見つけてはナイフで斬りつけていく。
 それを何度も何度も繰り返し、本当に少しずつではあったが、ダメージを与えていった。
 神経をすり減らしながら攻撃を続ける武。兵士級のダメージは蓄積していっているはずなのだが、その動きに変化は見られない。それでも他に方法は無く、武は肩口のみを執拗に狙って攻撃を続けていく。
 そうして30分も攻撃を繰り返した頃だろうか。兵士級の腕の動作は次第に緩慢になってきた。更に攻撃を続けると、やがて武の目論見通り、その腕は完全に脱力して、だらりとぶら下がるだけの存在になった。
 こうして何とか兵士級の片腕を奪った武。しかし武の方も、相当に体力を消耗してしまっていた。
「はぁっ、はぁ……っ、ここまでやって……やっと、片腕か……っ」
 30分以上もギリギリの集中力を維持させたまま全力で動き続け、大きく肩で息をつき始めた武。それに対して、兵士級は片腕の機能を奪われたというのに、その機動力は全く衰える様子がない。
 そして……これだけ時間を稼いだというのに、増援が来るような気配もなかった。
「まりもちゃんは何やって────っ、まさかっ!?」
 最悪の予想が脳裏をよぎる。
 他にも討ち漏らしたBETAがいるかもしれない……とは、他ならぬ武自身が言った事。それが現実になってしまったのかも──
 この場所から基地まで、まりもの脚なら10分もあれば辿り着くはずだ。それから色々手間取ったとしても、それにあと10分も足せば、戦術機や強化外骨格が到着していてもいいはずだった。
 にもかかわらず、武がまりもを送り出してから、もう既に30分以上が経過している。という事は……まりもの身に、何らかのトラブルが発生した、と考えるのが自然な流れだろう。
 だがトラブルと言っても、対人関係や命令系統のトラブルであるはずがない。もしそうであったとしても、まりもなら強引にでも戦術機なり強化外骨格なり、或いは自ら武装した歩兵となってでも駆けつけてくれるに違いない。
 しかし、ここには誰も来ない。
 だとすると────
「クソッ、集中しろ!」
 いくら兵士級がBETAの中で最弱だからと言って、考え事をしながら立ち回れるほど、甘い相手ではない。
 しかし、いくら忘れようとしても、一度湧き上がった疑念を払拭することは出来なかった。
 そして。
「!? しまっ──」
 戦闘中、他の事に頭を回したのは明らかに失策だった。集中力の途切れた武は、疲労が限界近くまで蓄積していたこともあり、地面の窪みに足を取られてバランスを崩してしまう。
 兵士級はその隙を逃す事なく、片方になったその太い腕をぶん回して、武の身体を吹き飛ばした。
「ッ……!」
 撥ね飛ばされた武の身体は、戦術機の残骸に勢いよく叩きつけられた。強化装備を着けていたおかげで衝撃はかなり軽減出来たものの、それでもそのダメージは決して少なくはない。
「……ゲフッ、ガハッ……!」
 身体を強打した衝撃で一瞬、呼吸が止まる。そして、何とか息を吸い込もうとすると、胸に激痛が走った。
 どうやら肋骨が二、三本、折れてしまったらしい。だが幸いな事に、それが肺や臓器に刺さったりというような事態は回避出来た。
 武は何とか体勢を立て直そうと身体を起こしたが、しかしその時既に、目前には大きな口を開けた兵士級が迫っていた。
 頭に噛み付いてこようとする兵士級を、咄嗟に左腕で払い除けようとする。相手の方が重かったため、動いたのは武の身体だったが、何とか頭部への直撃だけは避ける事は出来た。
 だがしかし。
「────────!!!」
 その代償として、払い除けるために使った左腕のちょうど肘のあたりが、兵士級の巨大な口の中にすっぽりと入り込み、その回りには、がっちりと黄ばんだ大きな歯が食い込んでいた。
 武の左腕に激痛が走る。そして痛みが脳に伝わるのと同時に、ドス黒い感情が全身を支配し、だんだんと正気が失われ、代わりに憎悪と憤怒が膨れ上がってゆく。
 ──これはチャンスだ。
 ──ほら、奴は腕をかじるのに夢中で、動きが止まっているぞ……?
 ──今のうちに奴の首を掻っ切ってやれ!
 そんな思考が脳内麻薬に侵された頭の中を駆け巡る。そして、今の武には、それを拒絶する理由はなかった。
「やってくれたな……!」
 狂気に身を任せた武は、右手のナイフを逆手に持ち替えると、兵士級の長い首筋目掛け、その鋭い刃を何度も何度も、狂ったように突き立てた。
 一撃を加えるたびに兵士級が暴れ、左腕と胸に激痛が走るが、そんな事はお構いなしとばかりに、攻撃の手は決して緩めない。
 武は狂ったように嗤いながら、兵士級にナイフをザクザクと突き立て続けた。
 しかし、運が良いのか悪いのか……正気を失いながらも、敵の攻撃を受け続けてでも躊躇せずに攻撃を加えて相手を殲滅する──という、この状況で唯一生き延びる事が出来る選択肢を、武は選び取っていた。
 ナイフを突き立てる毎にその傷口は大きく広がり、やがて兵士級の首が千切れ始める。そして暴れていた兵士級の動きが鈍くなっていき、完全に動きを止めると、武の左腕に噛み付いていた口から力が抜け、その頭はずるりと滑り落ちた。

「……ぐっ……痛ッ! BETAは!?」
 左腕を圧迫する感触が消えた事と、そこから走る抜ける激痛に、武は正気を取り戻した。そして足元を見ると、首の千切れた兵士級の死骸が転がっていた。
「……そうか、斃せたのか……」
 武は、かじられた事を思い出し、急いで自分の身体の容態を確認する。
 強化装備を着用していたおかげで、辛うじて繋がってはいたものの、左腕には痛み以外の感覚がない。歯型が付いているのは肘を中心に一の腕と二の腕の両方で、どちらもおかしな形にひしゃげている。恐らく、骨までグシャグシャになっているのだろう。強化装備に隠されて生の状態が見えないのが、せめてもの救いだ。
 それに比べれば、胸の骨折は大したことはないとはいえ、こちらも決して軽傷ではない。
 とにかく、痛む身体を無理矢理動かし、なんとか左腕の止血処置をする。そして、体力の限界から死骸の側にへたり込んだ。
「やべ……目が霞んできた……」
 やがて上体を保持する事も出来なくなり、ぐったりと兵士級の死骸に沈み込んでしまうと、武の意識はそのまま闇の中に落ちていった──



[1972] Re[15]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
「……ここは……?」
 武が目を覚ますと、質素なベッドに寝かされているのに気が付いた。周囲を見回してみると、どうやらここは、病室のようだった。
 壁に掛けられた時計を見ると、短針が4の文字を通り過ぎようとしている。
「そうか、あれを倒した後、気絶したんだっけな……」
 身体を動かそうとしてみたが、どうにも動きが鈍いし、感覚もおかしい。特に左腕。
「……ああ、そうだったっけ」
 BETAにかじられた事を思い出して、左腕を確認すると、ギプスでガチガチに固定されていた。
 感覚はない。
「治るのかな……無理か……まあ、ダメなら義肢付ければいいかな……全く便利な世の中だよな……」
 そんな事をぼんやりとしながら呟いていると、入り口の扉が開き、衛生兵が部屋に入ってきた。
「あっ、少佐。お気付きになられましたか?」
 長い三つ編みにカエルの髪留め、細フレームのメガネをかけた優しげな瞳のチャーミングな女性が、落ち着いた声で、武に話しかけてきた。
 まるで聖母のように、全てを包み込むような慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。今は軍用の作業服に衛生兵を示す腕章という格好だが、世が世なら純白の看護服に身を包み、間違いなく白衣の天使と呼ばれている事だろう。
「少佐の看護を担当させていただくことになりました、穂村愛美と申します。よろしくお願いしますね」
「ああ、はい、俺は白銀武です……って、知ってますよね。こちらこそよろしくお願いします。それで……えっと、穂村さん、聞いて良いですか?」
「はい?」
「これ……中身、どうなってます?」
 と言って、武は左腕を指差した。
「ああ……そうですね。その、落ち着いて聞いてくださいね」
 愛美は一呼吸置くと、続きを話し始める。
「一応、手術は成功しました。所々、骨が粉々に砕けていましたので、その部分は人工物で補っています。
 手術は二時間前に終わったばかりですから、今はまだ麻酔が残っていて、感覚はないと思います。夜になったら痛みが出てくるかと思いますが、ちゃんと神経が繋がっているかの確認を痛みがあるかどうかで判断しますので、その時は麻酔で痛みを抑えることは出来ません。
 ただ、もし深夜になっても痛みが出ない場合、神経の接続が上手くいかなかったという事になりますから、その場合は再手術となります。
 ……ええと、こんなところでよろしいでしょうか?」
「あ、はい。それとこれ、完全に元通りになるかどうか、先生に聞いてたりします?」
「それは……」
 愛美は言い辛そうに口篭る。ということは、言い出し辛い結果を知っている、ということだ。
「構いません、言って下さい」
「はい……。その、完全に元通り、というのはやはり難しいそうで、順調に回復したとしても、三割も戻れば上出来だそうです」
「そうですか……分かりました」
 武は、それならいっその事、義肢に取り替えてしまおうかな……とか、でもそれだと筋力とかどうなるのかな……みたいな事を、麻酔の影響の残った頭で、ぼけっと考えていた。
「そう言えば……何か大切な事を忘れてるような気がする……なんだっけ……?」
 ボンヤリとした頭で必死に考えてみるが、どうにも頭が回らない。
 でも、思い出せないなら大したことじゃないかな……と思ったら、急に、そう言えば昨日の昼から何も食べていないということを思い出し、急激に空腹感が増してきた。
 その時ちょうど、愛美が食事を用意してくれていたので、食べる事にした。
 そして、箸でおかずをつまみ、口に放り込むと……武は固まった。
 特別美味くはない……というか、むしろ不味い。
 しかし、いつもPXで食べている京塚曹長の作る食事と比べるのは酷というものだ。素材は同じだがこちら病院食、その上、調理の腕があまりにも違いすぎるのだ。
「京塚のおばちゃん、すげぇ、本当にすげぇよ……」
 とは言ったものの、空腹に勝る調味料なし。腹を空かせていた武は不味い病院食を貪り始めた。
 あっという間に平らげてしまい、やっと人心地がついた武。このままゆっくり眠ってしまいたかったが、しかしその前に現在の状況を知りたかった。
 となるとやはり、一番手っ取り早いのは、夕呼の所に行く事だろう。
「あのー、穂村さん?」
 武は食器の後片付けをしていた愛美に話しかけた。
「はい、どうしましたか?」
「ゆう……じゃない、香月博士の所に行きたいんですけど、表を出歩いても構いませんよね?」
「だ、ダメですよ! さっき手術が終わったばかりなんですよ!? これからが大変になるんですから、今はゆっくり休んでください」
 怒られてしまった武。まあ、仕方ないといえば仕方がない。今は麻酔で痛みが抑えられているとはいえ、動かせば、気が付かないだけでダメージはどんどん蓄積されていくのだ。
「はぁ……そうですか。じゃあ、明日なら大丈夫ですか?」
「え、え? あ、はい。車椅子で、少しだけなら……」
「分かりました、それじゃ、今日はゆっくりと休む事にします」
 と言って、武はベッドに横になって目を閉じる。
「…………」
「………………」
「…………………………」
「………………………………………………お、思い出したぁ!!」
 しばらく大人しくしていた武だったが、急にカッと目を見開き、顔色を変えて大声を上げると、ベッドから跳ね起きた。
「きゃっ! しょ、少佐、ダメですっ、そんな激しく動いちゃいけませんっ!」
「すみません穂村さん、俺、どうしても行かなくちゃいけないんで!」
「あっ、少佐!」
 武はハンガーにぶら下がっていた制服の上着を引っ掴むと、愛美を振り切って病室から飛び出した。
 エレベーターに向かって走る。
「クソッ、何忘れてんだよ俺は……まりもちゃん……!」
 戦闘中は、致命的なミスに繋げてしまうほど気にしていたというのに、逆上してしまったせいか、BETAに止めを刺した時にはもう、綺麗さっぱり頭の中から消えていたのだ。
 エレベーターに飛び乗り、B19フロアを指定する。到着して扉が開くと、今度は飛び降りて廊下を猛ダッシュし、夕呼の執務室へ飛び込んだ。
「先生っ、先生先生先生先生っ!」
「えっ? し、白銀? あんた、なんでこんな所にいるのよ? 手術終わったばかりでしょ!? じっとしてなきゃダメじゃない!」
「俺の事なんかどうでもいいんです! まりもちゃん、まりもちゃんは!? まりもちゃんは無事なんですかっ!?」
 夕呼に詰め寄って行く武。
「ちょ、ちょっと、とにかく落ち着きなさい!」
「あ……は、はい、すみません」
「まりもは……無事よ。今は入院してるけど」
「えっ? 入院って……」
「全然大した事ないわよ、あんたに比べたらね。全身打撲で全治三日、ってところ」
「そ、そうですか…………よかった」
 武は脱力してその場にへたり込んだ。
「でも全身打撲って……何があったんですか?」
「その話は病室に戻ってからね。さ、行くわよ。立てる? 手、貸そうか?」
「…………」
 どこか胡散臭そうな目を夕呼に向ける武。
「何よ」
「先生が優しい……」
「……あ、あんたねぇ」
「大丈夫、一人で立てます」
「そ。じゃ、行きましょ」
 武は立ち上がると、夕呼と一緒に執務室を出て、病室に向かった。

「で、まりもちゃんに何があったんですか?」
 ベッドの中に戻った武が、病室備え付けの椅子に座った夕呼に訊いた。
「まりもね、あんたと別れてから基地に走ってる途中、あともう少し、ってところで兵士級に出くわしたの。噛み付かれそうになって……それは銃で何とか防いだんだけど……」
 それを聞いて武はゾッとした。もしあの時、銃を受け取っていたらどうなっていたかと思うと、背筋が凍る。
「その代わりに腕で弾き飛ばされてね、壁に激突して気絶したの。それで全身打撲ってわけ。
 基地の近くだったのが幸いして、通りかかった警戒中の歩兵がBETAを射殺。
 まりもはそのまま病院へ収容、それから20分くらいで意識を取り戻したわ。そこで初めてあんたがBETAと交戦中なのが判明して、慌てて不知火が飛んでったってわけ。一足遅かったんだけどね」
「そうだったんですか……」
「この基地の警備体制は相当腑抜けてるって事が分かっちゃったわね」
「これを教訓にして、いい方向へ向かって行けばいいんですよ」
「……そうね」
「……」
「……」
 病室の中を、穏やかな沈黙が包む。
 二人とも、しばらくその静寂を楽しんでいたが、それは夕呼によって破られた。
「……ね、白銀」
「はい?」
「怪我人をこき使うようで悪いんだけどね……少し落ち着いたら、もう一度あっちの世界に行って欲しいの。いいかしら」
「はあ……それは構いませんけど。今度は何ですか?」
「ちょっと、あっちのあたしに渡して欲しいものがあるの。今回も渡せば分かるようにしておくから。……それじゃ、あたしもう行くわね」
「あ、はい、お疲れ様でした」
 夕呼はばいばい、と小さく手を振って、病室から出て行った。
「今日の夕呼先生、なんか変だったな。妙に優しかったし……まあいいか、寝よ」
 その日の夜、走り回ったツケが回ったのか、病室では麻酔が切れて激痛にのた打ち回る武の姿が見られるのであった。


 2001年12月12日(水)

 武は夕呼の実験室に来ていた。昨日夕呼と約束した通り、これから、三度目の向こうの世界に行くところだった。
 本当なら絶対安静にしていなければならないほどの大怪我だ。
 神経が完全に接続されるまで三日。本来であればその間、神経接続を確認するため、麻酔なしで痛みに耐え続けなければならないところなのだが──長期にわたるリハビリを経た上で、回復して良くて三割程度、更に少なからず後遺症も残る──というのならば、いっその事、義肢に付け替えてしまえと武は判断した。
 後は体力の問題だが、向こうの世界なら余程の事でもない限り危機的な状況に陥る事もないと判断し、それなら早く済ませた方が良いと、麻酔を打って痛みを消し、今日決行する事に決めたのだった。
 これに関しては夕呼も賛同している。もっとも、そうでなければ重傷患者が病室を抜け出す事など出来ないわけだが。
 今、武は転移装置の中に、夕呼はコンソールの前に陣取っている。
 無論、近くには観測者としての役割を果たす、霞も同席していた。
「…………」
 霞は不機嫌そうな、不満そうな、それでいて酷く不安そうな表情で武を見詰めている。
「どうした、霞?」
「…………」
「ああ、なんだ。これか?」
 そう言って武はガチガチに固められて吊られている左腕を指差した。
「大丈夫だよ。ちょっと大げさな事になってるけどさ。……先生、始めちゃいましょうよ」
「分かったわ。社」
「…………はい」
 武は転移装置の中で、夕呼が装置を操作するのを待つ。
「……今度の制限時間は24時間よ。多少前後するかもしれないけど、そのくらいはいけるはずだから」
「分かりました」
「それじゃ、いくわね」
「はい」
 夕呼がコンソールを操作すると、武の視界がぼやけ始め、やがて意識が飲み込まれていった。


「……ここは」
 武が目を覚ますと、見覚えのある天井が見えた。
「俺の部屋……か」
 上体を起こして周囲を見渡す。間違いなく武の部屋だ。そして、首を右に向けると、机の向こう側の壁に、まだ新しい扉が見えた。冥夜の部屋と繋がっている扉だ。
 時刻は……6時30分。
「ちょっと待て、なんで俺はここに……この世界の俺は……?」
 とにかく、それは確認しなければならない。この時間なら、もうキッチンには月詠さんがいるはずだ……と考えた武は、部屋の入り口のドアノブに、左手をかけた。
「……え?」
 そこで異常に気が付いた。左手でノブを掴んだのだ。怪我をして、動かせなくなってしまっているはずの左手で。
 武は自分の左腕を見た。兵士級にかじられてグチャグチャになってしまったはずの腕が、すっかり元通りに戻っている。ギプスなど影も形も見当たらない。手を握ったり開いたりしてみたが、完全に思い通りに動く。
「治ってる……なんで……そう言えば胸も痛くない」
 折れてしまったはずのアバラも、何ともなかった。精神だけこの世界の武の身体に乗り移ってしまったのか──と思いもしたが、しかし肉体は鍛え上げられたままだった。明らかにゴツい。
 この時、直感で理解してしまった。この世界の武と同一化してしまっている事に。
「とにかく、確認だけはしないと」
 武はキッチンに降りていった。
「あら……武様?」
 月詠がいた。メイド服を着て、長い髪を頭の後ろでお団子にまとめている。そして、柔らかい笑顔を浮かべていた。向こうの月詠中尉とは、纏っている空気が全然違う。とにかく柔らかい。
「月詠さん……」
「はい?」
「あのー、変な事訊きますけど……俺、昨日自分のベッドで寝ました?」
「……?」
「外泊とかしてませんよね?」
「うふふ……武様ったら寝ぼけていらっしゃいますのね?」
「……はは、そうかも」
「さあ、お部屋に戻りましょう。お布団で暖かくしてお休み下さい」
「……そうですね、わかりました」
 武はキッチンを出て、自分の部屋に戻った。
 先程の月詠の言葉──寝ぼけている、と言ったのは、つまり武は昨日、普通に部屋で寝たという事なのだろう。
 やはり、完全にこの世界の武と同一化してしまっているらしい。
「って事は……授業を受けるのか? 参ったな、何やってたか全然憶えてない」
 武の主観では、学校に通っていたのは十年も昔の話だ。無理もない。
「まあ……仕方ないか。適当に誤魔化すしかないな」
 とにかく、今日一日の辛抱だ。ただ、どんな影響があるのか分からないので、なるべく波風立てないように過ごさなくてはならない。とりあえず向こうとこっちの違いをいちいち気にしていたら身が持たないし、感情に流されて行動してもろくな事にならない。色々と戸惑う事はあるだろうが、まずはそこを極力気にしないようにすると心に決める。
 あとは、事情を知っている夕呼の所にでも入り浸っていればいいだろう、という結論に至った。
 そして時計を見る……6時45分。登校するにはまだ早すぎる。しかし、これまでの習慣からか目はバッチリ開いてしまい、二度寝などとても出来そうにない。武はまず向こうの夕呼から預かってきた書類を鞄に入れて、それから登校する準備をすると、制服に着替えてダイニングに降りていった。
「あら、武様……今度はどうされたのですか?」
「いえ、目が覚めちゃったもんで」
「そうでございますか。では、なにかお飲み物をお召し上がりになられますか?」
「それじゃ、ご……煎茶を」
 うっかり頭に『合成』と付けそうになってしまったのを無理矢理押さえ込む。
「…………」
「……どうかしましたか?」
「武様……なんだか趣味が急に渋くなられてませんか……? それに、雰囲気もいつもより研ぎ澄まされているような……」
 さすがに鋭い。が、本当の事など話すわけにはいかないので、とにかく誤魔化し通すしかない。
「き、気のせいですよ」
「そうでしょうか……?」

 不振な視線を投げかけてくる月詠をやんわりと躱しながら、武がダイニングでまったりと茶をすすりつつテレビのニュースを見ていると、そこに純夏が入ってきた。
「う、うそっ……タケルちゃんが、起きてる……っ!?」
「お前はまた朝っぱらからいきなり失礼な奴だな」
 そこに、階段を駆け下りてきた冥夜が飛び込んでくる。
「た、大変だ月詠! タケルがいなくなった!! ……な、なぜタケルがここにいるのだ」
「お前もか冥夜」
「まあまあ、武様」
「はぁ……別にいいですけどね。じゃ、みんな揃ったことだし、ご飯にしましょうよ」
「はい、かしこまりました」
 月詠がキッチンに引っ込み、美凪と共に配膳の仕度を始めた。
 それを見た武はボソッと呟く。
「……しまったな」
「なになに、どうしたの?」
「え? ああ、いや、なんでもない」
「……?」
 思わず零してしまった言葉に純夏が反応するが、適当に誤魔化した。
 それで、何がしまったのかというと……向こうの世界で美凪に調査を依頼した事についてだ。どうせ調査してもらうなら、純夏の事も一緒に調べてもらえばよかったのだ。
 前の世界では、夕呼に女々しいとか言われてそれ以上の追求が出来なかったが、もし本当に純夏が存在していないのであれば、わざわざそんな理由など付けずにそう言うだろう。取引条件にするために話を逸らしたというのも考えにくい。その頃の武はそうする必要がないほど単純だったから。
 だからと言って、今聞けば教えてもらえるかと言えば、そんな事はない。取引のために話を逸らしてくる事はあるかもしれないが、武側にこれと言った交渉材料がない以上、夕呼から真実を知る事は出来ないだろう。
 そんな理由で、今回は夕呼に純夏の事は聞いていない。他の者に聞いても、前のように夕呼の耳に入ることになるので、誰にも聞けなかった。そして、その状況は基本的に今でも変わっていない。
 それを考えると、斯衛という立場の美凪たちは、夕呼に知られないように何かを調べて貰うのにうってつけだった。一緒に鑑純夏について調べてもらっても、その結果が夕呼の耳に入ることはない。しかし、あの時は白銀武の事で頭が一杯で、純夏の事はうっかり失念してしまっていた。
 という事に、同じ空間内にいる純夏と美凪の姿を見て、気が付いたのである。
「──ケル、タケル!」
「……ん?」
「なんだ、さっきから惚けおって」
「ん、ちょっと考え事してた。で、どうした?」
「うん、せっかくのご飯が冷めてしまうと思ってな」
「そうか。ありがとう。……それじゃ、いただきます」
「いただきまーす」
「いただきます」
 きっかり三分後。
「ふう、ご馳走様」
「うわっ、早! もう、もっと落ち着いて食べなよ」
「別にいいだろ。で、俺ちょっと用事があるから、先に出るぞ」
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ~」
 純夏は急にご飯をかきこみ始めた。
「おいおい、そんなに慌てると……」
「──!!!」
 飯を喉に詰まらせるぞ、という武の言葉を遮って、お約束通り純夏は飯を喉に詰まらせた。
「なにやってんだかなあ……ほら、水」
 武は純夏に水の入ったコップを差し出し、背中を優しくさすってやる。
「んっ、んっ、んっ……ぷはぁ。……あ~、死ぬかと思ったよ」
「落ち着いて食べないからだ。それじゃ人のこと言えないぞ?」
 そして、小さな子をあやすように、純夏の頭をぐりぐりと撫でてやった。
「うぅ~」
「…………」
 冥夜はそんな武と純夏のやり取りをじっと見ていた。
「ん? どうかしたか、冥夜」
「な、なんでもないぞ?」
「……そうか?」
 武は純夏の頭の上に置いていた手を離す。
「それじゃ、俺は先に行ってるからな」
「えぇ~」
「夕呼先生に呼ばれてるんだよ。すっぽかすと何されるか分からないからな」
 呼ばれているというのは嘘だが、夕呼に用事があるというのは本当の事だ。
「じゃ、また後でな」
 武は手をひらひらさせながらダイニングから出ていった。

「おはよーございまーす」
 一人で登校した武は、物理準備室の扉をガラッと開けて中に入っていった。
「あら白銀、珍しいわね。あんたがこんな時間に来てるなんて。それで何の用?」
「お届け物です」
「あんた、白銀……よね?」
「ええ。向こうのですけどね。これを届けにきました」
 そう言うと、武は手に持っていた封印された書類の束を手渡した。
「これは?」
「さあ? 何かは俺も聞いてません。渡せば分かるって言ってました」
「そう、なにかしら?」
 夕呼は武に渡された書類の封を解いて中身を取り出してパラパラとめくり始めるが、その表情が怪訝なものに変わる。
「…………これ、何の冗談?」
 手に持っていた紙の束を武に返す夕呼。そして、それをめくって中身を確認する武。
「白紙……ですね」
「渡せば分かるって言ってたのよね」
「はい」
「……どういう事?」
「何でしょうね……日光に一時間当てると地図が浮かび上がってくるとか」
「誰の挑戦状よ」
 一枚ずつ改めてみたが、結局、全部ただの白紙だった。
「何の意味もないのに、わざわざあんたを送り込んでくる理由が分からないわ。心当たりはないの?」
「……そう言えば」
 武は、この世界の武と同一化してしまっている事を夕呼に説明した。
「俺、向こうで結構酷い怪我したんですけど……こっちに来たら綺麗さっぱり治ってたんです」
「なるほどね。じゃあ、これはただの口実で、本当の目的はあんたをこっちに送りんで治療する事だったのかもしれないわね」
「それって拙くないですか? 俺が向こうに帰った時、こっちの俺は……」
「ある程度は体力を吸い取られるでしょうけど。でも足して二で割るようなもんだから、今あんたに後遺症が残ってないなら、こっちの白銀にも影響が残るなんて事はないはずよ」
「それならいいんですけど……」
「ところで、怪我したって、どの程度の怪我だったの?」
「えっと……アバラが三本折れて、あと左腕のこの辺と、この辺が千切れそうになりました」
 武はサラッと言いながら、一の腕と二の腕の、兵士級にかじられた辺りを指差した。
「………………それ、マジ?」
 唖然とする夕呼。
「……マジです」
「何でまた、そんな事に」
「いや、その……生身でBETAと戦う羽目になって。一番弱い奴だったんですけど、本当に一杯一杯で。二度とゴメンですね」
「BETAって、そんなにヤバいの?」
「そりゃもうヤバいですよ。俺が生き延びられたのだって、ほとんど運ですし」
「ちょっと想像できないわね」
「それでいいんだと思います。……この世界の人間は、あんな世界に深入りしちゃダメです」
「……でも、あんたは」
 夕呼の表情が曇る。武はそれに、少し自嘲的な笑みで応えた。
「いいんですよ、俺は。今更ですからね。でも先生は違う」
「あたしの事こそ気にしなくていいわ。これは研究の一環でもあるんだからね」
「そう言って貰えると助かります」
「……それで、あんた今日は、これからどうするの?」
 武は、こっちの世界の武の代わりに授業に出るつもりだった。
 今回の制限時間はおよそ二十四時間。とりあえず一日だけ何とかやり過ごせば、翌朝には向こうの世界に戻れる。武はどうしようかと考えていたが、こちらの武にあまり影響は与えたくないので、何とか身代わりを務めようとしていた。
 しかし、夕呼はそれに賛成しなかった。
 どうせ一日だけなんだから、それなら極力他人と接触しない方がいいと言うのだ。
 どちらの言い分にも理はあったが、武は影響が武一人に抑えられるならそれもいいと考えて、今回はこちらの武に貧乏くじをひいてもらう事にした。
「それじゃ、授業が始まるまではここにいなさい。一限目が始まったら、抜け出して帰ればいいわ」
「はい、そうします」
 授業が始まってしばらくすると、武は物理準備室から出て帰途についた。一度は登校したが体調不良のため早退、という事を夕呼が伝えてくれているはずなので、今後に及ぼす影響は最小限に抑えられているだろう。
 家に帰った武は月詠の追求を、体調が悪いけど寝ていれば治る、と躱して、自分の部屋に戻った。
 そして、特にする事もなくベッドの上でゴロゴロしていたら、しばらくすると眠りについてしまった。

「………………?」
 武が目を覚ました時には、辺りはすっかり闇に包まれていた。時計を確認すると既に1時00分を回っている。帰ってきて横になったのが10時00分頃だったから、15時間も眠り続けていた事になる。
「いくらなんでも寝すぎだろ……やっぱ怪我でかなり体力を相当消耗してたんだろうな……うん?」
 ベッドの脇で、もぞりと動く影があった。そちらに目を向けると、長い髪と黄色い大きなリボンが目に入る。
「……純夏?」
「う……ん、ん……すぅ」
 そこには、ベッドに突っ伏して居眠りをしている純夏の姿があった。武が体調不良で早退したという話を聞いてここにやって来たら、死んだように眠っていたので、心配になって側についていたのだろう。
「純夏、起きろ。風邪ひくぞ」
「……んっ、んぅ……」
「熟睡してるなあ……仕方ない」
 ベッドから降りて、純夏の身体をヒョイと抱きかかえると、さっきまで自分が寝ていたベッドに寝かせる。
「とりあえずこれでいいか」
 武は机からベッド際に椅子を引っ張ってきて座った。
 そして純夏の穏やかな寝顔を眺めながら、ぼんやりと考え事を始めた。
 向こうの世界の純夏の事だ。他の知り合いがみんないるからと言って、純夏だけいなくても、別におかしい事ではない。しかし、前の世界での夕呼の態度がどうしても引っかかっていた。
 そして霞。
 並行世界間転移実験の際、霞がオルタネイティヴ3によって、BETAの思考を読み取るという目的で人工的に産み出された超能力者であると知った。その能力はリーディング──他人の心のイメージを読み取る能力と、プロジェクション──他人の心にイメージを投写する能力。
 つまり、毎朝起しに来たり、ゲームガイの絵を持ってきたり……と、純夏っぽい行動をしていたのは、リーディング能力で武の心を読み取っていたからなのではないかと推測は出来る。
 しかし、なぜそんな事をしたのかという理由までは分からない。霞が純夏の行動をなぞる理由が。
 霞が武に一目惚れをして、武の心を読んだ。その時たまたま武の心を占めていた純夏の行動をトレースした……などというのは、あまりにも無理がありすぎる。
「だとしたら……霞は元々、あっちの世界の純夏や俺を知ってたって事になるのか……?」
 だが、霞はオルタネイティヴ3の接収後、すぐに4に組み込まれている。それが1995年。それから霞は、ずっと夕呼と一緒にいたはず。
 向こうの武が死んだのが今年の初夏、記録上では横浜にBETAが侵攻してきた1999年。どのように改竄されているかは分からないが、少なくともBETA侵攻前までの記録は残されているはずだ。
「その間に会った事があるってことなのか……分からんな。霞に聞いても答えては貰えないだろうし、夕呼先生は問題外だし……戎の調査待ちか……?」
 結局、美凪に頼んだ調査結果待ちという事に行き着いた。
「さて、それじゃもう一眠りして……起きたら向こうの世界だな。じゃあな、純夏。元気でな」
 武は純夏の頭をそっと撫で、それから床にごろんと横になって目を閉じた。



[1972] Re[16]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/06 12:42
 2001年12月13日(木)

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~っ!!」
「なんだ、うるさいな……」
 騒音で武が目を覚ますと、ベッドの上で純夏が吼えていた。
 上体を起こして時計を見ると、時刻は7時28分。恐らく純夏は寝坊してしまったのと、武のベッドに寝ていた事で、混乱しているのだろう。
「……7時28分だって……!?」
 改めて時計を見直し、凍りつく武。
 昨日、こちらの世界に来て目が覚めたのが6時30分。この世界に現出したのは、少なくともそれより前のはず。そして制限時間は24時間前後という話だったから、もう向こうの世界に戻っていなくてはおかしい。
 しかし、それから一時間も経過してしまっているのに、未だにこの世界に留まっている。
「どういうことだ……?」
「それはこっちの台詞だよ、タケルちゃん! どうしてわたし、タケルちゃんのベッドで寝てるの!?」
 独り言に純夏が反応してきたので、武は一時的に思考を切り替えて対応する。
「……ああ、いやお前、昨日そこんとこに突っ伏して寝てたろ。そのままじゃ風邪ひくと思ったから」
「えっ? あ……」
「思い出したか?」
 純夏はみるみるうちに顔を真っ赤にして萎んでしまった。
「う、うん……」
「ベッドに移した時間、結構遅かったからな。寒気とかしてないか?」
「ふぇ……?」
「熱とか出てたら大変だろ?」
 武はそう言いながら純夏の前髪をかき上げて、額と額を合わせた。
「~~!!」
「うん、大丈夫そうだな。それじゃ自分の部屋に戻って支度して来いよ」
「…………」
「純夏?」
「あ……うん……」
 純夏はぼんやりとしておぼつかない足取りで部屋を出て行く。武はそれを見送ると、自分自身も出かける準備を始めた。
「とにかく、今日も夕呼先生のところに直行だな……」

「ごちそうさま」
 今日も三分で朝食を摂り終え、席を立つ武。
「だから早すぎるってば~!」
「そうか?」
「……また香月先生のところに行くの?」
 純夏はどこか不安げな表情で武を見上げて言った。
「まあな。じゃ、俺は先に行くぞ」
「あ、待ってよ、わたしも一緒に行く!」
 そう言うと、純夏は勢いよくご飯をかきこみ始める。
「また喉に飯詰まらせるぞ? いいからゆっくり食ってろ」
「やだ、行くったら行く! わたしもタケルちゃんと一緒に行くの!」
「……年頃の娘が朝っぱらからイクイク叫ぶのはどうかと思うぞ、俺は」
「なっ!? た、タケルちゃんのエッチ!」
「ははは、冗談だって。いいから落ち着いて食え。待っててやるから」
「ほ、ほんと?」
「ああ。冥夜もそれでいいな?」
「…………」
 冥夜は武に呼ばれたのにも気が付かず、純夏と武のやり取りをぼんやり眺めていた。
「どうした、冥夜?」
「あ……い、いや、なんでもない」
「……?」
 武は再び椅子に座ると、純夏と冥夜が食事を終えるのを待つ。
 そして二人が食べ終わったら、三人一緒に家を出発した。

「待ってよ~、タケルちゃん! ふぅ……はあ…………ひぃ~」
 学園前の心臓破りの坂に差し掛かってしばらくすると、純夏がひぃひぃ言いながら武を呼び止めた。
「……なんだ、どうした?」
「はぁ……ふぅ…………タケルちゃんが……」
「俺が?」
「タケルが速いのだ……」
 息切れして言葉の出てこない純夏の代わりに、冥夜が状況を説明する。
「……そうか?」
「上り坂でも全然スピード落ちないんだもん! もうついていけないよー」
「そんなに急がずともよいではないか。何かあったのか?」
「別に急いでるつもりはないぞ」
「うぅー、嘘だ!」
「嘘じゃないって。じゃあこうしよう、お前らが俺の前を歩け。俺はそれに合わせてついていくから」
「え?」
「それならいいだろ」
「…………」
「どうかしたか?」
「……タケルちゃん、ヘン」
「何が」
「だって、いつものタケルちゃんなら絶対、ついてこられない方が悪い、って言うもん。ヘンだ!」
「確かにそうだな。今日のタケルは……いや、昨日からか。その言動に看過できぬほどの深い優しさを感じる」
「冥夜までそんな事を言うか……まあいいや。ほら、先に行けよ」
 そう言うと武は、純夏と冥夜の後ろに回って、どこか釈然としない様子の二人の背中を押した。
「ま、たまには珍しい俺を堪能するのも悪くないだろ。俺は後ろで、お前らの尻が揺れるのを堪能してるから」
「…………」
「…………」
 純夏と冥夜は同時に振り返って、武を白い目で見た。
「な、なんだよ」
「タケル……今のそなたの発言はセクハラだ」
「なっ!?」
「タケルちゃん、なんかオヤジっぽい」
「ぐっ!」
 武はショックを受けつつ、今度はゆっくりと坂を上り始め、校門をくぐり、そして三人は教室まで辿り着いた。出発する時間も早かったし、歩くのも途中までは速かったために、教室の中には誰もいなかった。
「お、一番乗りか」
「もう、早すぎるよ。まだ誰も来てないじゃない!」
「たまにはいいだろ」
「あら? みんな、おはよう。珍しいわね、三人揃って今日は随分と早いじゃない」
 武たちが教室に入ってしばらくすると、千鶴が登校してきた。
「あ、榊さんおはよー」
 教室に入ってきた千鶴の顔を、武はじっと見詰めた。別に珍しいと言うわけではないが、どうしても向こうの千鶴と比べてしまう。
 考えてみれば、こっちの世界に来てちゃんと顔を合わせて話した相手は夕呼と純夏の二人だけ。論文を回収しに来た二回目などは、夕呼以外の誰にも会っていない。
「……よう」
「……なに? 私の顔に何かついてる?」
「あのね、タケルちゃんがヘンなんだよ!」
「白銀君が変なのは、別に今に始まった事じゃ……」
「またお前らは失礼な事をサラッと言いやがりますな。……まあいい、それじゃ俺は夕呼先生のところに行ってくるから」
 武は席を立って教室を出た。
「ふぎゃっ!」
「おっと」
 廊下に出た瞬間、何かが勢いよくぶつかってくる。武はそれを咄嗟に抱きとめた。
「……たま?」
「あ……たけるさん」
「おはよう。大丈夫か?」
「え? あ……はい」
「ああ────っ! タケルちゃんと壬姫ちゃんが抱き合ってる!!」
「え……あ!」
 廊下に出てきた純夏の叫び声を聞いて、壬姫は弾かれたように武から離れる。
「朝から破廉恥だね」
「け、慧ちゃん!?」
「よう、彩峰」
「おは」
「今日は早いじゃない?」
 教室から出てきた千鶴が言った。その後ろを見ると、冥夜まで一緒に付いて来ている。
「やれやれ……揃いも揃って何やってんだかなあ」
 武はぞろぞろと集まってきた面々を、多少呆れながら見渡した。
 向こうの世界の冥夜たちに比べて、みんな無邪気な表情をしている。それは武の目には眩しくすらあった。しかし、BETAなどいない平和な世界で育ったのだし、背負っているものの重さも全然違うだろうから、当然ではある。
 だが、それがいい。
 武は血生臭い世界にどっぷりと漬かりこんで、その純粋さ、無邪気さを失ってしまったが、だからこそ、その大切さをとてもよく理解出来た。武が昨日、夕呼に言ったように、こちらの世界の人間は向こうの世界の事など知らないに越したことはない。知れば、このかけがえのない無邪気な純粋さは失われてしまうだろう。それだけは何としても避けたい。
 そのために武は、一刻も早く向こうの世界に戻らなければならなかった。この世界に留まり続ける限り、どんな影響を及ぼすか分からないからだ。
 武はこの世界に留まってしまった理由と、向こうの世界に帰る方法を捜すために、夕呼に会うべく物理準備室へ向かった。

「おはようございます。入りますよ、先生」
「あら、白銀……よね。向こうの」
 夕呼は怪訝そうな顔で言った。
「はい、向こうの俺です」
「あんた……帰ったんじゃなかったの?」
「そのつもりだったんですけどね」
 一晩経っても戻れなかった事を説明する武。
 武が一時的にこちらの世界に留まっていられるのは、向こうの世界の夕呼の実験室に置かれている転移装置の機能に加え、霞がリーディング能力を使って武を観測しているからだ。そのどちらかが途切れれば、強制的に送還されてしまう事になる。それは最初の実験の時に実証済みだ。
 しかし、今回はそうなっていない。
 霞の精神力にも限界はあるから、今も観測し続けているという事はまずありえない。だとすると……何らかのトラブルで転移装置が故障して、引き戻す機能が働かなくなったと考えられる。
 何にしても、こちらからはその問題は解決する事が出来ない。
 夕呼によると、霞による観測が途切れてしまった事で、向こう側からは武の位置を見失っているという。だから今後、装置が正常に戻ったとしても、武の存在を掴めていないから、向こうから武を引き戻す事は出来ない。
 つまり、こちら側からアクセスして、何とか向こうに飛ばなければならないという事だ。
「でも、そんな事……出来るんですか?」
 仮説を聞いた武は、夕呼に訊き返した。
「出来ないわけじゃないけど……少し時間がかかるわね」
 と言うのも、一番最初に武が持ってきた書類の中に、こういったトラブルが起こった時のための対処法が記されていたのだ。具体的には転移装置の材料と制作方法、使用方法が書いてあったわけだが、ただし、向こうの夕呼のように権力や予算、設備を潤沢に使えるわけではないから、必要な材料を集めるのにも、その組み立てにも時間がかかる。
 それに装置を動かすための膨大な電力を得るのにも一苦労だ。内部に原子力発電施設等を持っている横浜基地とはわけが違う。
「装置も電力もアテがないわけじゃないから、何とか出来るとは思う。でも……そうね、どう早くても来週の頭まではかかっちゃうわ」
「……まあ、仕方ありませんね」
 冥夜を通して御剣財閥の協力を得れば、もっと簡単に事が運ぶのは間違いない。しかし、冥夜を巻き込むわけにはいかないので、その方法は選べない。
「さて、それじゃ俺はそれまでどうしましょう? あまりこっちの世界に干渉するわけにもいきませんし……それでも何か手伝える事があったら、何でも言ってください」
「そうね。あたしは向こうのあたしみたいに転移実験を目の当たりにしてるわけじゃないから、その辺り、あんたの主観で構わないから聞かせて貰えると嬉しいわ。あとは……話し相手にでもなって貰おうかしら? 手配が済めば納品までは暇だからね。あたしも色々聞きたい事はあるし、あんただって悩み事くらいあるでしょう? 良かったら相談に乗ってあげるわよ?」
「じゃあ……昼休みと放課後、ここに来ればいいですか?」
「ええ。そうしてちょうだい」
「わかりました」
 話が終わったところで、武は物理準備室を後にして、3-Bの教室に戻った。

「あ、タケル、おはよう!」
「よう尊人、おはよう」
「……あれ? タケル、背伸びた? なんかもう、十年も会ってないような気がするけど」
 その尊人の言葉にドキリとする武。野生の勘だろうか、さすがに鋭い。……再会するたびに似たような事を言われ続けていた気がしないでもないが。
「あははっ! 鎧衣君なに言ってるの? も~、相変わらずわけ分からないよ~」
「でもさー、何か雰囲気変わったよね。どっか遭難とか漂流してきたの?」
「一昨日も会ってるだろ?」
「うーん……」
「いや、実は昨日から、私も鎧衣と同じ感覚を味わっている」
 尊人に賛同する冥夜。
「そういえばぁ……ちょっと前にもそういうことあったよね? ほらあ、買い物帰りに会ったじゃない? いつだっけあれ……」
 最初に論文を頼みに来た日、街中でばったり会った事を思い出す純夏。
「あの時はお前だっておかしかったじゃないか。なんかぽーっとしちゃってさ」
「うぅ~……だ、だって、あれはタケルちゃんが……」
「俺が?」
「な、なんでもない!」
「……?」
「じ~~~~」
 今度は慧が、武をじっと見詰めてくる。
「何だよ彩峰。擬音を口で言うな」
「じ~~~~」
「じ~~~~」
 武は仕返しとばかりに、慧をじっと見詰め返した。
「…………ぽっ」
「頬を染めるな」
「う~ん、確かにどこかおかしいわね……」
 そんな武の様子を見て、千鶴も違和感があると主張する。
「気のせいだろ。俺がおかしいのはいつもの事だって、さっき委員長だって言ってたじゃないか」
「そ、それはそうだけど……」
「だろ? 気にする事ないって」
 どこか釈然としない顔で、千鶴は引き下がった。
「それだタケル。いつもならそなたはどこかムキになって返すのに、今日はそれがない。今のそなたには、昨日までなかった大人の余裕のようなものがある」
「そうか? ほらあれだ、男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言うからな。成長したんだろ」
「だとしても、あまりに急過ぎると思うのだが……」
「ま、まあいいじゃないですか! たけるさんだって気にするなって言ってるんですから」
「うんうん、たまはいい子だなあ……よし、ご褒美に頭を撫でてやろう」
 武は壬姫の頭に手を置くと、ぐりぐりと撫で始めた。
「はうあ! は、恥ずかしいです……」
「でも、そうなると、俄然温泉が楽しみになってくるよね」
 いきなり話を切り替える尊人。なにが『でも、そうなると』なのか、話が全く繋がっていない。しかし、これこそが尊人だった。
 こっちの世界では能天気でいられる分、向こうの美琴と比べて、そのマイペースっぷりに磨きが掛かっている。鎧衣課長に匹敵しそうだ。でも、だとするとこっちの鎧衣課長、つまり尊人の父親はどれだけマイペースなんだと思うと、武は背筋がゾッとした。
 それはさておき。
「そうか。温泉か……」
 武は昔を思い起こしてみる。温泉に行ったのは冬休みに入ってからだから、来週の頭にでも向こうの世界に帰る武は行く事が出来ない。もっとも、仮にこのまま留まり続けたとしても、さすがに行くつもりはなかったが。
 どんな事があったっけなあ、と記憶を探ってみる。
 確か酒盛りが始まって、みんなべろんべろんに酔っ払って、何か怖い目に遭ったような気がする……と考えたところで突然武の頭に浮かんできたのは、据わった目で浴衣をはだけて裸で圧し掛かってくるまりもの姿。そのイメージがまた妙にリアルで艶かしい事この上ない。
「──!?」
「タケル、どうしたの?」
「……ああ、いや、なんでもない」
 さすがにまりものいやらしい妄想をしてしまったなどと言えるはずもなく、生返事で誤魔化す。
 その時、ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴った。
「さ、みんな席に着きましょ」
 千鶴の指示で、それぞれの座席に散らばっていく。そして教室にまりもが入ってきて、ホームルームが始まった。

「……ふう」
 午前中を何とか切り抜けた武。しかし久しぶりの、そして今となっては慣れない授業に少し疲れてしまった。
「座学なら教えられるくらい理解してるんだけどなあ……さすがにこっちはさっぱりだよ」
「タケルちゃん、お弁当食べよー」
「タケル、食事の時間だ」
 純夏と冥夜が武の所にやってきた。しかし、武には教室でゆっくり食べている暇はない。
「いや俺、夕呼先生に呼ばれてるから。適当にパンでも買って、物理準備室で食べるよ」
「えぇー! またなの!?」
「悪いな」
 武は席を立って、ポンと純夏の頭に手を置くと、そのまま教室を出て行った。

「失礼します」
「あら白銀、いらっしゃい」
 武は物理準備室に入ると、実験机の前に置かれていた丸椅子に腰掛けた。
「早速だけど、現状を報告しとくわね。食べながらでいいから聞いてちょうだい」
「はい」
「まず、転移に必要な電力についてね。来週の火曜、白稜大の原子力研究施設で実験があるの。それで月曜には炉に火が入ってるから、その日の深夜、施設に忍び込んで転移を行うわ」
「はい」
「それで、転移装置の材料なんだけど、全部揃うのは早くても日曜の昼過ぎ。だから日曜は一日中、装置の組立調整になると思う。手伝ってもらう事もあると思うから、その日は終日空けておいてちょうだい」
「わかりました」
「とりあえずはこんなところかしら。あとは……そうね、あたし以外の人間との接触はなるべく避ける事。特に鑑や御剣に接する時は注意しなさい」
「何か分かったんですか?」
「分かったって言うか、これは初めから分かってた事なんだけど──」
 そう切り出して、夕呼は説明を始めた。
 武がこの世界に存在する事で及ぼす影響。それは武と接触した人間から、白銀武に関する因果情報が──まずは記憶から抜け落ちていく、という事だった。最初から分かっていたと言うのは、最初に武がこの世界に持ち込んだ、向こうの世界の夕呼の論文の中に、その事が記されていたからだ。
 夕呼自身は対策として、これも向こうの夕呼に指示されていた事なのだが、白銀武に関する知りうる限りの情報を書き出し、武とのやり取りは全てレコーダーで録音し、抜け落ちた記憶をそれらで常に補完し続ける、という事を実行していた。
 つまり、夕呼は対策を採っているから、とりあえずは武にある程度まで干渉しても大丈夫だが、他の人に事情を説明するわけにはいかないし、対策があるとはいえ他にどんな影響があるか分からない。それ故に極力干渉しないほうがいいのである。
 ちなみに、何がトリガーとなってその事象が引き起こされるのかは、まだ明らかになっていない。
 純夏と冥夜と接する時、特に注意しろと言うのは、二人は武と深い関わりを持っているので、記憶が抜け落ちてしまう可能性が他に比べて高いからだ。
 今まで武にこの事を教えていなかったのは、すぐにこの世界からいなくなってしまう武に、余計な心配をかけないためだった。しかし、さすがに滞在が数日間ともなると、そういうわけにもいかないので、知らされる事となったのである。
「──とまあ、そういう事だから、なるべくここにいるのがいいと思うわ」
「はい」
「それと、放課後は……そうね、晩ご飯はあたしが奢ったげるから、家には寝に帰るだけになさい」
「分かりました」
 そして、ここで決めた通り、武は放課後になると物理準備室に赴き、夜遅くまで夕呼と一緒に過ごすという生活が始まった。



[1972] Re[17]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月14日(金)

「んー……もう朝か」
 窓のカーテンを通して差し込んでくる柔らかな陽光に、武は目を覚ました。
「日光を浴びて起きるってのも悪くないな」
 横浜基地の兵舎はB4フロアにあるので、基本的に陽に照らされて目を覚ますという事はない。もっとも、野営した時はその限りではないが。
 時刻は6時50分。武は準備を済ませ、月詠に用事があるから先に行っていると言付けをすると、純夏や冥夜を待たずに登校し、物理準備室に赴いた。
 今日も午前中の授業が終わると物理準備室に直行、そして放課後も物理準備室に直行である。

「夕呼、いる~?」
 武が夕呼と話していると、まりもが物理準備室の中に入ってきた。
「あ、白銀君、ちょうど良かった……って、どうしたの? そんなに深刻な顔して」
「えっと……まあ、ちょっとした悩み相談みたいな」
「………………」
 武の答えを聞いて、まりもは少し不服そうな顔を見せた。
「どうかしましたか?」
「担任のまりもを差し置いて、あたしに相談してるのが気に食わないんでしょ」
 夕呼が少し悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。
「そ、そんなことは……」
「ないわけじゃないでしょ?」
「あうあう……」
「ね、白銀。思い切ってまりもに相談してみたらどう?」
「それはちょっと……」
 さすがに向こうの世界の事情を知らないまりもに相談するわけにもいかない。本当は、夕呼に相談する事だって心苦しく思っているのだ。
「白銀君~、私ってそんなに頼りない~?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「詳しい話はしなくてもいいじゃない。例え話でも十分通じるわよ。それにまりもなら、鑑や御剣よりはよっぽど安心でしょ?」
 純夏や冥夜たちと比べて武との関わりが浅い分、まりもなら記憶の脱落は最小限に抑えられるというわけだ。それに、夕呼が何らかのサポートを入れるにしても、まりもとそれ以外では難易度が全然違う。
「でも……」
「ほら白銀、あんまり渋ってると、まりもが泣くわよ」
「な、泣きません!」
「……分かりました。それじゃまりもちゃん、お願いしてもいいですか?」
「え、本当? む、無理に相談してくれなくてもいいのよ?」
「そんな嬉しそうな顔して言っても、説得力ゼロよねぇ」
「もう、夕呼!」
「はいはい、それじゃ晩ご飯でも食べながら話してきなさいな。白銀も、今日はここまででいいから」
「はぁ……」
 周囲に影響を与えたくないなら、全ての接触を断ち切ってしまえばいいが、それでは武が向こうの世界に帰った時、元々この世界にいた武に残る影響が大きくなる。しかし、何をどうすればどうなるかと言うのがさっぱり分からないため、その辺の加減もさっぱり分からない。
 結局、夕呼が言うなら問題はないんだろうと判断して、それに従う事にした。

 そして武とまりもは、橘町のファミリーレストラン、すかいてんぷるにやってきた。
「それで、白銀君は何を悩んでるの?」
 テーブルに案内され、背が低く目つきの悪いウェイトレスに注文を出し終わると、まりもが訊ねてくる。
「えっと……」
 武は向こうでの状況を説明した。もちろん、詳細については伏せたままだ。
 とりあえず、社会勉強のためにアルバイトをしていて、その仕事先での人間関係が上手くいっていない、という事に置き換えている。
「会社としては、もうかなり危機的な状況に陥ってまして。今から巻き返そうにも、全社員が協力しても上手くいくかどうか分からない……と言うような感じなんです」
「黙って倒産するのを見てるわけにもいかないのよね?」
「はい。表面上は一応、立て直しってお題目を掲げてはいるんですけど。でもそれぞれに別の思惑があって、お互いに足を引っ張り合ってる……ってのが実情です。
 個々に思惑があるのは当然ですから、それは一向に構わないんですけど、それが表に出過ぎてて大人の仕事が出来てないんです。最大の脅威を乗り越えるための協力くらい出来そうなものですけど、いい大人が雁首揃えてそれが出来ない。
 本当はじっくりと話し合って、お互いの信用を積み重ねていけばいいんでしょうけど、もうそんな事をしている猶予はないんです」
「…………」
「いずれにしても組織を一つに束ね上げなきゃならないんで、最終的には実力行使に出ざるを得ないんですけど、それもやりすぎると組織自体が疲弊して自滅しかねません。その辺のさじ加減をどうすればいいか、って話だったんです」
 一通り説明し終えた武は、話している間に配膳されたコーヒーを口にして一息ついた。ファミレスの安っぽいコーヒーでも、向こうの世界のコーヒーモドキよりは余程美味く、一瞬感動を覚えたが、顔に出るのを何とか封じ込める。
「け、結構複雑な状況に置かれてるのね」
 まりもが引き攣った笑みを浮かべながら言った。さすがにここまで深刻な状況が飛び出してくるとは予想していなかったらしい。
「やっぱ、そうなんですかね。それで、正解の無い問題だとは思うんですけど、まりもちゃんは今の話を聞いてどう思いましたか?」
「そうね……月並みだけど、やっぱり自分を信じてもらえるように、相手の事も信じてあげるしかないんじゃないかしら……。でも、これじゃダメだから悩んでるのよね……はぁ」
「いえ、それも一つの解ですよ。要は、限界ギリギリまで交渉に当たるって事でしょ?」
「そう……なのかしら……?」
「でも、色々考えてみたところで、あんま役には立たないんですよね。結局は全てを織り込んだ中途半端な妥協案になっちゃったりして」
 武はあはは、と少し自嘲的に笑った。
 こうやって武なりにあれこれ考えてみても、恐らく夕呼の手助けは出来ず、それどころか足を引っ張ってしまうであろう事が容易に想像出来るからだ。
 武は夕呼の考えに賛同してはいるが、100パーセント全く同じと言うわけでは勿論ない。
 そして武が向こうの世界に何か干渉しようとする時は、基本的に夕呼を通さなければならない。僅かながらコネがないわけではないが、それは極めて限定的なものだ。
 つまり、武独自の考えを押し通そうとすると、必然的に夕呼と衝突してしまうのだ。
 そうなってくると、武自身の考えをねじ込むためのカードが必要になってくるが、現時点で武が使えるカードは全く無いといってもいい。
 これまでは未来の可能性の一つを知っているという事から、夕呼に対してそれなりの材料を提示出来ていた。しかし、クーデターやXM3トライアル、そして並列処理装置の論文回収等、既に武の辿った未来とはかけ離れてしまっているので、それはもう役に立たない。
 前の世界で経験してきた事が、似たようなケースで役に立つ事はあるだろうが、それはまた別の話だ。
 強いてあげれば、武が作戦行動に参加することで、作戦成功率を僅かながらでも上げられる事くらいか。しかしそれだけで夕呼に主張を通す事など、とても出来ないだろう。
 しかし、武にも譲れないものはある。もし夕呼と意見が対立してしまえば、それを叶えるために強硬策でゴリ押しする事になるだろう。そしてそれは、夕呼の足を引っ張るという事に他ならないのだ。
「で、でも、こうやって一生懸命考えてる白銀君の気持ちは、きっと届くはずよ?」
「そうですね。望みが薄いからって、そこでやめちゃったら何にもなりませんからね。俺は俺の出来る精一杯をやるしかないです」
「…………」
「どうかしましたか?」
「なんか私、全然役に立ってない……」
 まりもはガックリと肩を落としながら言った。
「話を聞いて貰ってるだけでも、凄く助かってますよ」
「でも……。白銀君は、やっぱり夕呼の方が頼りになる?」
「そんな事ありませんって。この件は、あまり人に言えるような事じゃないんです。夕呼先生は多少なりとも関わってるんで、だからですよ」
「…………」
「そりゃ、夕呼先生はまりもちゃんにないものをたくさん持ってますけど、まりもちゃんだって夕呼先生にはない、良いところをたくさん持ってるじゃないですか。
 こうして面と向かって話してるだけで、とても楽な気持ちになります。俺にとっては、それだけでも凄く大きな助けになってるんですよ?」
 こちらの世界の人間が、向こうの世界の事情を知らないのは当然の事だ。だから、とかく何も事情を知らずに無責任なアドバイスを押し付けているように受け止めてしまいがちだが、武もその辺りの分別は付いている。
 それどころか、武にとってはむしろ、向こうの世界の悲観的な思想に染まっていない意見は貴重で、かけがえのないものだった。血生臭い世界にどっぷりと漬かりこんで、ともすれば人間性を容易に失ってしまいそうなところを、最後の一線を踏みとどまるための楔となってくれているのだ。
 武のそんな想いが届いたのか、まりもは少し寂しげながらも、柔らかな笑みを浮かべた。
「お待たせしたのさ」
 その時、背が低く、目つきどころか口まで悪いウェイトレスが、注文していた料理を運んできた。
「おっと、じゃあ料理も来たことだし、食べちゃいましょうよ」
「……うん」
「ほら、元気出してくださいよ。まりもちゃんがそんなじゃ、クラスの連中も元気なくしますよ?」
「そ、そうよね」
 そして、武とまりもは夕食をとり始めた。
 ファミレスの半分インスタントな料理でも、向こうの世界の合成食材を使用した料理に比べたら、比較にならないほど美味しい。
 しかし、食材だけでこれほどの差がついているのにも関わらず、京塚曹長の作る食事がそれなりに食べられる味になっているという事は、彼女の料理の腕が尋常ではないという事を示していた。
 それじゃあ京塚のおばちゃんが普通の食材を使ったら、一体どれ程のものが出来上がるんだ……?
 などというような事を考えながら、武は目の前のハンバーグセットを黙々と平らげていった。

「今日はありがとうございました、まりもちゃん」
「もう、神宮司先生でしょ? ……全然役に立ってあげられなくてごめんね。なんだか最後は私の方が励ましてもらってたし」
「いえ、付き合って貰えただけで十分です」
「ありがとう……白銀君。──そろそろ帰りましょうか」
「はい」
 武とまりもはすかいてんぷるを出て、繁華街を駅に向かって歩き始めた。
「それじゃ、私はこっちだからこの辺で別れましょ。明日、遅刻しちゃダメよ?」
「…………はい」
「また明日ね、白銀君」
 そう言い残して、武に背を向けて去っていくまりも。その背中に、向こうの世界のまりもが重なる。
 XM3のトライアルがBETA闖入というハプニングで終了した後、演習場で兵士級BETAと遭遇して、武はまりもを一人で送り出し、そして怪我をさせてしまった。
 もちろん、まりもと二人で兵士級に遭遇してしまったあの状況では、そうする他に方法はなかったのだが、そもそも状況を回避する事も出来たはずなのだ。
 今更ではあるが、もっと上手く立ち回っていれば──例えば、あらかじめ突撃銃を携行していれば、兵士級と遭遇しても、すぐに殲滅出来ただろう。或いは、まりもがやってきた時点で話し込んだりせず、すぐに基地に戻っていれば、無駄な戦闘を避けられたのではないか──という思いは捨てきれない。
 確かにこの世界は平和だ。向こうの世界よりは遥かに安全だろう。しかし、何が起きるか分からないのが世の中だと言うのは、別に向こうに限った事ではない。だが、少なくとも武が一緒にいれば、その間に何か起こっても回避出来るかもしれない。
 だんだんと小さくなっていくまりもの背中に言いようのない不安を覚えた武は、自分でも気が付かないうちに走り始めていた。
「まりもちゃん!」
「え……? どうしたの、白銀君」
「あ、いや……その、送っていこうかと思って」
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ? 私だって子供じゃないんだから」
「でも」
「……分かったわ。じゃあ、お願いしようかな」
 まりもは武の真剣な表情を見て、それがどういった理由から来るものかは分からなかったが、それでも本気で心配しているのだという事を察して、武の同行を承諾した。
 そして、二人は並んで歩き始めた。
 最初のうちはどこか気まずい雰囲気があったものの、まりもと今の武の精神年齢が近いということもあるのか、それはやがて消えてなくなった。
「…………」
「…………」
 二人の間に穏やかな沈黙が流れる。二人は少しの間、それを楽しんでいたが、それをまりもが破った。
「白銀君って……なんだか急に大人っぽくなったよね」
「どうしたんですか、やぶからぼうに」
「なんて言うのかな──そう、立ち居振る舞いがね、凄く落ち着いてるのよ。一昨日、体調不良で早退したって言ってたけど……ひょっとして、その時に何かあった?」
「いえ……別に何もないですけど」
「でも、鑑さんが心配する気持ち、分かっちゃうな」
「純夏が何か言ってたんですか?」
「あなたが夕呼の所に入り浸ってるって教えてくれたの、鑑さんなのよ? 一昨日から、朝も昼休みも放課後も、ずっと夕呼の所に顔を出してるそうじゃない」
「まあ……ちょっと研究の手伝いをしてるんで」
「白銀君、いきなり大人っぽくなっちゃったからね。そしたら鑑さん、白銀君が夕呼と釣り合うように思えてきて、夕呼に取られちゃうんじゃないか、って心配になったんじゃないかしら?」
「はは……まさか。それはないでしょう」
 どの道、武がこの世界にいるのはあと三日だ。それは夕呼も承知している。もし万に一つ、夕呼が武に惹かれているのだとしても、彼女ならその辺りの分別はきっちり付けるだろう。
「そうかしら? 案外、いい線いってると思うんだけどな。それに見た感じ、夕呼の方も満更じゃなさそうなのよね。夕呼ってば年下は性別認識圏外だ、なんて言ってるけど、今の白銀君、私たちより年下に見えないもの」
「ま、まりもちゃんまで何言ってるんですか!」
「ふふっ、いつも夕呼にからかわれてるお返し」
「もう、それは俺じゃなくて夕呼先生にしてくださいよ」
「だって、私が夕呼にからかわれるのって、白銀君絡みが多いんだもの」
 まりもはそう言ってフフッと笑った。
 それからしばらく、他愛のない会話をしながら、まりもの家に向かってゆっくりと歩いていった。そして繁華街から二区画ほど離れた頃。
「……?」
「どうかしたの?」
「いや……なんでもないです」
 武は一瞬、妙な気配を察知したものの、それはすぐに感じられなくなった。それで気にするのを止めてしまったのだが、しかしこの判断は間違っていた。この世界の柔らかな空気に触れて、武の感覚は一時的に鈍っていたのだ。
 再び前を向いて歩き出そうとした時、一つ手前の曲がり角の陰から人影が飛び出し、猛然と駆け寄ってきた。
 タッタッという足音に気が付いた武が後ろを振り返った時には、その人影はもう武たちのすぐ後ろに迫り、その手に握った鈍色の刃を、まりもの身体目掛けて一直線に突き出そうとしていた。
「まりもちゃん……っ!」
 武は咄嗟にまりもと人影の間に身体を滑り込ませた。
 ドン、とぶつかった衝撃を受けてよろめく武。もっとも、相手の方は武に弾き飛ばされて完全に尻もちをついている。あと数年もすれば中年に差し掛かるくらいの男だった。
「…………」
 武は無言でその男に向かって歩いていく。その威圧感に、男は本能的に敵わないと感じ取ったのか、迫力に怯んで無様に後ずさろうとしていた。武はそんな事はお構いなしに、男の胸倉を掴み上げる。
 男は武の殺気を孕んだ、全く容赦のない底冷えのする視線に晒され、正気を失ってわけの分からない言葉を口走っていたが、武は構わずにその男の顔を一発ぶん殴る。そして、男は脳みそをシェイクされて昏倒した。
「なんだよ……こいつは」
 武は男の上着とズボンのポケットを探り、そこから財布を見つけ出すと、中に入っていた免許証を取り出した。
「川本実、34歳……か」
 そして、次に男のベルトと上着を剥ぎ取って、それで両手足を身体の後ろで拘束する。
「とりあえずはこれでよし……と。まりもちゃん、大丈夫でしたか? 怪我はないですか?」
「し、白銀君……それ、血……血が……」
 まりもは蒼ざめた顔で、武の脇腹の辺りを見ていた。その視線の先では、川本の持っていたナイフが突き刺さり、白い制服に赤い染みを拡げている。
「え? ああ、大丈夫ですよ。それよりもMPと衛生兵──じゃない、警察と救急車を呼んで下さい」
 決して軽い怪我と言うわけではないが、あまりまりもに心配をさせるわけにもいかないので、武はやせ我慢をして、怪我についてはあえて軽い調子で適当に流しておいた。
「わ、分かったわ」
 まりもは震える手で携帯電話を操作して、警察と消防に連絡する。
「にしてもコイツ、まりもちゃんを狙ってたみたいですけど、心当たりはあるんですか?」
「…………」
「まりもちゃん?」
「……多分、ストーカー……だと思う」
 震えるか細い声で、まりもは答えた。
 話を聞くと、最近まりもは誰かに付け回されいるような気配を感じていたという。それがこの男だったのだろう。これまで直接的な被害はなかったと言うが、放置しておけばどうなっていたか分かったものではない。
 武は地面に転がっているストーカーの所に行き、胸倉を掴み上げて顔を二、三発、パンパンと平手で打った。
「おい、起きろ」
「……ううっ……」
「川本実、なぜ彼女を狙った」
「ひ、ひぃっ……!」
 殺気に塗れた武の顔を見て、狼狽する川本。武はもう一度川本の顔を、今度は正面から殴る。鼻が折れたのか、どろりと鼻血が流れた。
「質問に答えろ。なぜ彼女を狙った」
「ひっ……」
「質問に答えろと言っている。もう一度殴られたいか?」
「い、言う、言いますから!」
「だったら早く言え……!」
 そして、武はこの男の犯行に至る動機を聞き出した。
 まりもを付け回していたのは、偶然街で見かけたことがきっかけで、それからは後を付け、家を探り……という、お決まりのパターンだ。
 それで、今日まりもを刺そうとしたのは、武と一緒に食事をして楽しそうにしていたからという、実に短絡的な理由からだった。頭の中で作り上げた理想像──とは言っても、何でも言う事を聞くとか、そんな勝手な妄想──を現実のまりもと混同し、まりもが武と食事をした事で、自分以外の男と食事をするなんて、こんなのまりもじゃない、あれは偽者だ、偽者なんて消えてしまえばいい──という事らしい。これもお決まりと言えばお決まりだ。
「全く、狙うなら俺の方だろうが……」
 武は呆れ返りながら川本を睨みつける。
「ひぃっ」
「うるさい黙れ。俺の許可なしに勝手に口を開くな」
 口を閉じてこくこくと頷く川本。
「では今後一切、彼女には関わらないと誓え」
 川本はぶんぶんと首を縦に振る。
「よし、約束したぞ……? もしそれを破ったらどうなるか……分かってるだろうな?」
 凄みを利かせて川本に迫る武。それに対して川本はガタガタと震えながら、コクリと頷いた。
「ふん……もう用はない。寝てろ」
 武はまた川本を殴って、今度は昏倒させた。
 少し待つと、パトカーと救急車のサイレンの音が近付いてきた。警官が到着すると事情を説明して川本を引き渡す。
 武は刺された脇腹を治療するために、救急車に乗って病院に直行する事になったが、まりもにも付き添いで一緒に来てもらう事にした。警察の事情聴取があったが、今の情緒不安定なまりもを一人にしておくのは拙いと判断したからだ。
 そして、病院で治療を受けている間に夕呼に来てもらって、まりもが落ち着くのを待ってから事情聴取を受け、それぞれの帰途に着いた。



[1972] Re[18]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月15日(土)

「痛てて、さすがに一晩じゃくっつくわけないよなあ……」
 ベッドから身を起こした武は、傷の具合を確かめてみた。
 まりもを庇ってナイフで刺されたのが昨日の夜。その後、病院に行って診断を受けた結果、七針も縫う羽目になってしまった。やはり、ナイフを刺したまま川本を殴ったりと、平気なフリをして普通に動き回ったのが良くなかったらしい。
「でもまあ、あの場合は仕方ないか……」
 クローゼットに入っていた予備の制服を取り出し、それに着替えた。昨日着ていた血塗れの制服は、深夜に帰宅した際に月詠たちに気付かれないように何とかした。とは言っても、ゴミ袋に入れて隠しているだけではあるが。
 武は登校する準備を済ませると、今日も一人で家を出た。
 そして学園に到着するとすぐに、物理準備室に顔を出す武。勿論、この世界への干渉を最低限にするという理由はあるが、今日はそれだけではない。
 一晩明けて、昨日のストーカー事件の影響が出てくる事は想像に難くない。その対策を、あらかじめ練っておこうと言うのだ。
「おはよう、白銀。よく眠れた?」
「まあ、そこそこには」
「そ。あらためてお礼を言うわ。まりもを護ってくれて……本当にありがとう」
「いえ、いいんです。当然の事ですから」
「当然……か。ふふっ、言ってくれるわね。……さて、それじゃ起こりうる問題について考えておきましょう」
「はい」
 武と夕呼は頭をすっぱりと切り替えて、今後の対策を検討し始めた。
 今回の一件で発生する勢力で気をつけなければならないのは、事件にかこつけて、まりもを貶めようとする連中だ。何が楽しいのか武たちにはさっぱり理解出来ないが、恐らくまりもを貶めて喜ぶ連中が出てくる。
 やれ女性教諭が男子生徒を連れて食事に行くなど何事だ、とか、ストーカーに狙われるのは隙があるからだ、などと言いだす連中は、ほぼ間違いなく現れるだろう。
 これがもし一緒に行ったのが夕呼なら、他の教職員連中の弱みを色々と握っているから、こんな話は絶対に出ない。事実、ここ数日武は夜遅くまで物理準備室に入り浸っているのに、咎めるような声は全くない。
 しかし、まりもだとそうはいかないだろう。そして、まりもが夕呼の親友という事で、普段、夕呼にぶつけられない不平不満を、八つ当たり紛いに撒き散らしてくるのは容易に想像出来る。そんな連中から、まりもを護らなくてはならない。
 それらの問題を全て片付けて、初めて事件は終了したと言える。ただストーカーを撃退しただけでは、本当の解決ではないのだ。
「それで、あんたも生活指導室に呼ばれる事になると思うけど、大丈夫よね」
「ええ、全然問題ありませんよ。MPの尋問に比べたら、赤子の手をひねるようなもんです」
「ま、あたしも裏でカバーはするから」
「お願いします」
 と、こんなところで話はまとまった。まりもを責めようとする連中以外は、深く詮索しようとでもしない限り、とりあえずは放っておいてもいい。後は状況に応じて臨機応変に動いて対処する、という事になった。
「それじゃ、俺は教室に戻ります」
 武は物理準備室を出て、3-Bの教室に向かった。

「た、タケルちゃん! 大丈夫なの!?」
 武が教室に戻ると、蒼ざめた顔で純夏が駆け寄ってきた。
「……何がだ?」
 すっとぼけてみるが、怪我のことに決まっている。大方、御剣経由で情報が漏洩しているのだろう。
「神宮司先生をかばって、ケガしたって……」
「……大したことはないよ」
「だが、無茶をするでない。そなたの身にもしもの事があったらと思うと、私は……」
 純夏の後からやってきた冥夜が、心配そうに語りかけてくる。こちらもあまり顔色が優れない。
「無茶だろうが無理だろうが、結果オーライだよ。まりもちゃんは助かった、俺も怪我だけで済んだ。それでいいじゃないか。もっと上手い方法はあったかもしれないけど、今更だしな」
「それはそうだが……」
「ほら、もう席に着け。ホームルームが始まるぞ?」
「……うん」
 武は純夏と冥夜を席に着かせると、自分も席に戻った。そしてチャイムが鳴って、まりもが来るのを待っていたのだが……教室に入ってきたのは、学年主任の師岡だった。
 さすがに昨日の今日なので、精神的ショックが抜けきっていないのか。或いは、もう既に槍玉に挙げられつつあるのか。
 師岡はまりもの代わりに連絡事項を伝えると、最後に、武に生活指導室まで来るように告げ、教室から出て行った。
「タケルちゃん……」
 純夏は心配そうな瞳で武を見詰めていた。
「そんな顔すんなって、大丈夫だから」
「白銀君、あなた……朝っぱらから生活指導室に呼ばれるなんて、一体何をやったの?」
 千鶴が武の席にやってきて言った。他にも冥夜、壬姫、慧、尊人の姿も見える。
「別に悪い事はしちゃいないよ。ちょっと人助けをしただけだ。……それじゃ行ってくる」
 武は席を立って、教室を出た。

「失礼します」
 武が生活指導室の中に入ると、そこには先程武のクラスに現れた学年主任の師岡、生活指導担当の川副、他に数名の教員と、そして暗い表情のまりもの姿があった。さすがに昨日の今日なので無理はない。
「そこに掛けなさい、白銀」
「はい」
 師岡がまりもの隣の椅子を示し、武はそこに座った。
「白銀、どうしてここに呼ばれたか、わかっているな」
「さあ……なんでですか?」
「白銀ッ!」
 武の答えに川副が威嚇するように叫ぶが、武はそれを軽く受け流す。
 この川副、偏見に凝り固まった体育会系で、生活指導という立場にありながら、因縁に近い難癖ばかりつけてくるような男だ。もっとも、これは武の昔のイメージでしかないので、実際のところはどうなのか分からない。大きくかけ離れているというわけでもないだろうが。
「場を和ませるためのちょっとした冗談ですよ、そうカリカリしないで下さい。昨夜の件でしょう?」
「……うむ」
「要するに、神宮司先生にストーカー行為を働いた挙句に危害を加えてこようとした男を俺が排除したのが気に食わなかったから呼び出したと」
「なっ……!?」
 まくしたてる武の言葉に、驚く川副たち。
「おっと……すみません、間違えました。俺が夜遅く、神宮司先生と二人仲良く楽しそうに繁華街を歩いていた……こっちの方ですね」
 しれっと訂正する武。
 誰の差し金かは知らないが、わざわざ頭数まで揃えて武やまりもを威圧してきているという事は、昨夜の一件に関する何かを責めようとしていると見てまず間違いない。
 武はどんな出方をしようかと考えたが、しかしここは徹底的にやり込める必要は無いという結論に至った。この場さえ凌いでしまえば、今後、まりもが責められるような事も無いだろう。所詮はその程度だ。
 それに、あまりやりすぎると、この世界の武に大きな影響を残してしまう。それは避けたい。
 武やまりもの行動が必要不可欠であった事、二人を責めてもデメリットにしかならない事を示してやれば、それなりに丸く収まるだろう。
 この手の陰謀は、もっと酷いものをクーデター事件等で散々見てきたので、今更この程度でどうにかなるような武ではない。
「とりあえず、俺の方から先に報告させて貰おうと思いますが……構いませんね、師岡先生」
「ああ、分かった」
 武には、いつ聞いた事なのか良くは思い出せないが、まりもや夕呼が師岡の教え子だという記憶が、朧げにだがあった。故に、向こう側に座っているとはいえ、師岡の気持ちはまりもを守りたいという、武に近いものであると思われる。
 それを見越した上で名指しで師岡に確認をとった武。師岡も、武に何か策があるらしいという事を察したのか、発言の許可が出る事となった。
 武は一呼吸置いた後、報告を始めた。
 今、とある問題を抱えている武は、それに関してここ数日、ずっと夕呼に相談相手になって貰っていた。
 しかし、たまには違う人の意見も聞いた方がいいという事で、まりもに話を聞いて貰う事になった。だが、武の抱えている問題は、のんびりと考えている猶予などなく、相談するなら極力早いほうが良い。ちょうど夕食時だったので、それなら食事をしながら話そうという事に。
 そして相談と食事が終わり、また明日学校で……と一度は別れたが、武は何となく嫌な感じがしたので、まりもを送って行く事にした。
 武の悪い予感は的中し、ストーカーの川本と遭遇、これを撃退。警察に連絡して川本を引き渡し、武は病院へ。怪我の治療後、警察で事情聴取を受けた。
「とまあ……大体こんな具合です」
「……」
 事実確認は今の武の説明で十分過ぎるほどだろう。
 後は、何らかの思惑を通したい連中が、武やまりもの行動は学園の品位を落とすだとか難癖をつけてくる事になるわけだが、ここで最初に仕掛けておいた布石が効いてくる。
 結局のところ、武がまりもと食事をして、結果的に囮捜査のような状況が作り出されたからこそ川本は逮捕され、まりもに対する脅威が無くなったわけだ。もしそうしていなければ、まりもは未だにストーカーの脅威に晒され続けていた事になる。
 つまり、例え正当な批判であっても、武やまりもの行動を咎めた時点で、まりもの身の安全より学園の名誉の方が大事なのだと言っている事になり、最初に武が言ったような理由でここに呼び出した事になってしまう。
 だが、ストーカーの被害者に追い討ちを掛けるような真似をしていては、それこそ名門白稜の名を汚してしまう。
 学園の名が墜ちるということは、そこに勤める教職員たちの評価も失墜するという事だ。あわよくばまりもを責めよう、などと考えるような利己的な連中にしてみれば、それこそ望むところではない。
 この状況から学園の名誉を守ろうとするのであれば、まりもは親身になって生徒の相談を受ける心優しく熱心な教師、武は危険を顧みずストーカーを撃退した勇敢な学生、という事にするしかない。処罰などもってのほかだ。
 結局、武の牽制で、勝負が始まる前に全てが決まってしまい、当然ながら武たちは何のお咎めもなしという事になった。正式な結果はこの後の職員会議に委ねられるが、その結果も同じだろう。

「平気ですか? まりもちゃん」
 武たちは生活指導室を出て、物理準備室にやってきていた。夕呼は今は授業に出ているので、ここにはいない。
「ええ……ありがとう、白銀君」
「まあ、コーヒーでも飲んで落ち着いてください」
 武はビーカーに注いだコーヒーを、まりもに手渡した。
 まりもはそれを受け取ると、両手で抱え込むように持ってずずっと啜る。
「はぁ……だめな先生ね、私」
「そんな事ないですよ」
「さっきだって白銀君がいなかったら、私……」
「今は仕方ないです。昨日のショックだって、まだ抜けてないでしょう?」
「でも……」
「あまり気に病まない方がいいですよ。もうストーカーはいなくなったんだし、後はいい方向に向かうだけ。それでいいじゃないですか」
「でも、白銀君に怪我までさせて……!」
「気にしなくていいです。妙な気配を感じたのに気が緩みっぱなしで、警戒を止めちゃったのは俺ですから、自業自得です。
 俺はあの時、まりもちゃんを護るためにあそこにいて、そして護る事が出来た。ストーカーも逮捕されて今後の憂いもなくなった。これ以上、望む事はないですよ」
 武は満足げな笑みを見せながら言った。
「……白銀君が一緒にいてくれなかったら、私どうなってたか……」
「俺が怪我をするくらいでまりもちゃんが助かるって言うなら、怪我くらいいくらでも喜んでしますって」
「でも……」
「でも、は無しです。まあ、いきなり元気を出せって言うのも無理な話ですし、少しずつ、ゆっくりでいいから、気持ちを切り替えていきましょう」
「うん……ありがとう……」
「どういたしまして」
 その時、一時限目の授業終了のチャイムが鳴った。
「おっと……それじゃ、俺は教室に戻ります。また後で」
「ええ……白銀君、本当にありがとう。……また後でね」
 武は一旦、物理準備室を後にした。

「白銀、ちょっと」
 3-Bの教室に向かっているところを呼び止められた武。後ろを振り向くと、夕呼が立っていた。
「ああ、夕呼先生」
「首尾は?」
「問題なしです。糾弾するとデメリットが膨れ上がる事を示唆しておきましたから。今後、まりもちゃんや俺が責任を追及される事は無いと思います」
「そう。それじゃ、職員会議で無罪が確定すれば、この一件は解決ね」
「はい。後はよろしくお願いします」
「任せときなさい」
 夕呼は不敵な笑みを浮かべる。
「そうそう、今日はこれから緊急職員会議で、全授業自習になるから。あんたはホームルームまで物理準備室に隠れてた方がいいわね」
「え? もう会議やるんですか?」
「まあね。こういうのは無責任な噂が広まる前に、きっちりと片を付けちゃった方がいいのよ」
「分かりました」
 夕呼の提案通り、武は物理準備室に引き返した。だが、これはこれで都合がいい。
 教室に戻れば、どうしても詮索を受けてしまうのは避けられない。授業が自習に変わってしまったなら尚更だ。勿論、いちいち説明する必要は無いのだが、少なくとも純夏と冥夜は武が怪我を負った事を知っている。当然、二人は説明を求めてくると思われるが、それを教室でやってしまうと、余計なところにまで情報が拡散してしまう。
 ここが軍なら、余計な詮索はするな、の一言で済むし、そもそも余計な詮索などしてこないのだが、そういうわけにもいかない。
 武が物理準備室に到着した時、まりもは既に職員会議に向かった後で、部屋の中は無人だった。
 そして、帰りのホームルームを知らせるチャイムが鳴るまで物理準備室で待機し、それから教室に戻った。

「あ、タケルちゃん!」
 武が教室に向かって廊下を歩いていると、教室前の廊下に純夏の姿が見えた。
「大丈夫だった? 怒られたりしなかった?」
 駆け寄ってきた純夏が、心配そうに訊ねてくる。
「何も問題ないって。別に悪い事をしたわけじゃないんだし。今頃、職員会議で無罪判決が出てるよ」
「それならいいけど……」
「ほら、教室に入ってろよ」
「タケルちゃんも、行こ?」
「俺はまりもちゃんに話があるから、後でな」
 純夏はそれを聞いて一瞬驚いた顔をした後、あからさまに不機嫌になった。
「う、うぅ~、じゃ、じゃあ、わたしも一緒にいる!」
「ダメだ。ちょっと立て込んだ話があるからな」
「やだ! 一緒にいる!」
「我侭言うな。俺の話なら、別にいくら聞いたって構わないけど、まりもちゃんの話だぞ? 俺は当事者だから仕方ないけどさ、他の誰かが興味本位で首突っ込んでもいい話じゃないってのは分かるだろ?」
「う……」
「ほら、教室入ってろ」
「……うん、わかった……」
 武は純夏の背中を押す。純夏はまだどこか不満げにしていたが、まりものプライベートに関わる話だという事は理解していたので、渋々ながら従い、教室に入っていった。
 それからしばらくして、まりもが教室に向かって歩いてきたので、武はまりもを呼び止めた。
「お疲れ様です、職員会議の方は問題なかったですか?」
「……え? 問題って……?」
「いや、朝の生活指導室での続きって言うか、まとめの話し合いがあったはずですけど」
「生活指導室……? 白銀君、あなた、生活指導室に呼ばれたの……?」
「え? いや、まりもちゃんも一緒にいたじゃないですか。昨日の件で」
「昨日、って……何かあったの?」
 武は最初、まりもは何の冗談を言っているのだと思ったが、その目を見ると、本気で言っている事が分かった。
「え……あれ? あなた、しろがね……くん、よね……?」
「はい、そうです。…………ちょっと質問してもいいですか?」
「え、ええ」
「あいつ、誰か分かります?」
 武は教室を覗き込んで純夏を指差した。
「鑑さんね」
「あっちは?」
 今度は冥夜を指差す武。
「御剣さん」
 その後も、壬姫、千鶴、慧、尊人と指差しては、名前を訊ねる武。まりもはそれに淀みなく答えていく。
 そして。
「じゃあ、俺は?」
「え? あ、えっと……あの、その……」
 まりもは口篭ってしまい、今度は武の名を口に出す事も出来なかった。
 それで武は確信した。武に関する記憶が抜け落ちていくという、夕呼が言っていた症状が、まりもの身に起こっているのだと。ストーカー騒ぎで深く関わってしまった影響に違いない。
「……参ったな」
「あら……あなた、何組の子? もうホームルームが始まるわ。早く自分のクラスに戻らないと、担任の先生に怒られちゃうわよ?」
「…………はい」
 武に関する記憶が完全に抜け落ちてしまったまりもに、搾り出したような、掠れた声で返事をする武。
 可能性としては考慮していた事とはいえ、実際に状況が起こってしまうと、やはりキツいものがある。だがそれよりも、向こうの世界に帰った後、元々この世界で暮らしていた武がどうなるかを考えると、心が重い。
 しかし、それに嘆いているばかりでは仕方がない。とにかく状況を夕呼に説明して、対策を練らなければならなかった。
 武がこの場を立ち去って、夕呼のところへ向かおうとした時。
「ねえ、タケルちゃん! まだなの!?」
 なかなか姿を現さない武に業を煮やしたのか、純夏が教室の扉を開けて、廊下に飛び出してきた。
「……純夏」
「あら? 鑑さん、どこに行くのかな~? ダメでしょ、もうホームルーム始まっちゃうわよ~?」
「あ、神宮司先生」
「はい、教室に入ってね~。ほら、あなたも自分のクラスに戻りましょ?」
「な、なに言ってるんですか、先生?」
 武に対して自分のクラスに帰れなどと言うまりもを見て、当然ながら純夏は、なぜそんな事になっているのか、状況が全く掴めない。
「どうしたの、鑑さん?」
「タケルちゃんのクラスはここじゃないですか。先生、なに言ってるんですか?」
「え? ……鑑さんこそなにを言ってるの? その子、他のクラスの子でしょ? 私は受け持った事がないから、何組までかは分からないけど」
「ほ、本気で言ってるんですか!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて? ね、鑑さん」
「落ち着いてます! なんでタケルちゃんがうちのクラスじゃないなんて言うんですか? タケルちゃんは……白銀武は、わたしたちB組の一員じゃないですか!」
「しろがね、たける……くん? ごめんなさい……ちょっと覚えがないわ。白銀君……だっけ、あなたも早く自分のクラスに戻りなさいね?」
「先生、それ酷いです! タケルちゃんは先生のためにケガまでしたのに……!」
「純夏、よせ。いいから」
「だって!」
 純夏には、まりもが武をクラスから追い出そうとしているように見えてしまったのかもしれない。武がクラスからいなくなってしまうのが耐えられない純夏は、まりもに食って掛かっていく。
 それを武は無理矢理引き剥がした。
「まりもちゃん、昨日のショックで記憶が飛んでるみたいなんだよ。だから下手に刺激するな」
「でも……!」
「俺は平気だから。な?」
「……わかったよ、タケルちゃんがそう言うなら……」
「俺はこの事を夕呼先生に話してくるから、純夏はこっちを適当に誤魔化しといてくれ」
「え……香月先生のところに行くの? だ、だったらわたしも一緒に行く!」
「だからダメだって。さっきも言ったけど、興味本位で首を突っ込んでいい話じゃないんだ。それに、クラスのみんなを誤魔化す役目も必要だからな」
「うぅ~」
「頼むよ。あと、それなりに時間かかると思うから、冥夜と先に帰っててくれ。──それじゃ、ま……神宮司先生、俺はこれで」
「ええ、急いでね。あ、でも、廊下は走っちゃダメよ?」
「はい」
 武はぐずる純夏の頭を軽く撫で、そのまま夕呼が担任をしているD組の教室へ向かった。

「白銀、何かあったの?」
 D組の教室の前の廊下に立っていた武に気が付いて、夕呼がホームルームを中断して教室から出てきた。
「……まりもちゃんの記憶が消えました」
「なんですって!? ……分かった、先に物理準備室に行っててちょうだい。あたしもすぐに行くから」
 武は物理準備室に移動する。しばらくしてホームルームが終わると、すぐに夕呼も駆けつけてきた。
「それで、どういう状況だったの?」
 説明を始める武。
 職員会議から帰ってきたまりもにその様子を訊ねたら、職員会議のこと自体を認識していないようなフシがあり、朝に生活指導室に呼ばれた事や、その原因となった昨夜の事だと言っても、それもやはり憶えていない。
 そうしたら、今度は武の名前があやふやになったようで、まりもはそれを確認してきた。
 不審に思った武は、純夏や冥夜たちの名前を訊ねてみたが、これは全て顔と名前が一致していた。しかし最後にもう一度武の名前を聞くと、その時にはもう、武の名前はまりもの頭から抜け落ちていた。
「とまあ、こんな感じで。それで最後は、あんた誰? みたいな」
「…………」
「やっぱり、ストーカー事件が発端ですか」
「でしょうね。……確認するけど、まりも以外でこの兆候が見られたケースはあった?」
「いえ。こっちに来てからは、ほどんどここにいましたから」
「鑑や御剣はどう?」
「冥夜とはあまり話してませんけど……まあ、大丈夫だと思います。純夏も、結構話しかけてはきますけど、今のところは」
「そう……材料が少なすぎてなんとも言えないんだけど……まりものケースから見ると、あんたが誰かに深く関わる事がトリガーとなって、あんたに関する因果情報──記憶の流出が始まったんじゃないかと考えられるわ。そして一度流出が始まったら、あたしがやってるみたいに記憶の補完を行わない限り、連鎖反応で流出がどんどん加速していって……最後の数分で一気に失われる」
「じゃあ、極力接触を抑えれば?」
「そうね。あと二日半、なんとか持ちこたえれば」
「……先生は大丈夫なんですか? いくら記憶を補完してるって言っても、こうも一緒にいると──」
「あたしは平気よ。確実に抜け落ちてはいるけど、それはきっちり補ってるからね。……コーヒー、飲む?」
「あ、いただきます」
 夕呼は立ち上がって、コーヒーを自分の分と武の分をビーカーに注ぐと、片方を武に手渡した。
 二人はそれを一口すすって、一息つく。
「ふぅ……言っても仕方ないけど……あの時、まりもに相談すれば、なんて軽々しく言った自分に腹が立つわね」
「それは言いっこなしです。もしそうしなかったら、記憶が残る代わりにストーカーもそのままだったんですから。それに比べたら、今の状況の方がまだいくらかマシですよ」
「それはそうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」
「一番危険なファクターを取り除けたって事で良しとしましょうよ」
「でも、あんたは……!」
「俺は別にいいんですよ。どうせ三日後にはいなくなる人間ですから。それより、一番影響が残るのはこの世界の白銀武です。そいつから見れば、俺は間違いなく一方的な加害者ですからね。それを棚に上げて俺がとやかく言えません」
「……そうね」
 そして、今回の実例を元に、これからの方針を決めていった。
 もっとも、基本的には今までと同じ、他人との干渉を極力避けるという事に変わりはない。ただ、その基準をこれまでよりも厳しくすると言うだけだ。
 今日はこれからずっと物理準備室に入り浸っていればいいし、明日は転移装置の組立等、終日夕呼の手伝いに付く事になり、そうなると必然的に他人との接触は抑えられる。
 問題は月曜日だが、一日程度ならどうにでもなるだろうし、場合によっては姿を眩ませてしまってもいいだろう。
 とにかくそんなわけで、より一層の注意を払って行動しよう、という事になった。



[1972] Re[19]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月16日(日)

 今日は予定通り、武は早朝から夕呼の所に赴いて、転移装置の組立作業の手伝いをしていた。
 とは言っても、装置の組立自体はほとんど完了していて、あとは今日届くパーツの組み込みを残すのみだ。ここ数日の間、夕呼が随分と頑張っていてくれたらしい。
 なので、組立の手伝いというよりは、組立が完了した後の、調整のためのデータ取りが主な仕事となる。
 取りたてて重労働ではないが、実験、検証の繰り返しになるので、時間はそれなりにかかるだろう。
「それで、転移装置って……これですか?」
「そうよ?」
 武の目の前に置かれているのは、電子レンジとプレスタ2が組み合わされた謎の物体。
「なんか、ものすごく手作り感に溢れてますね……」
「し、仕方ないじゃない……! あたしはしがない物理教師なのよ? 向こうのあたしみたいにお金も設備も権力もないんだから。あんただって分かってるでしょ?」
 武の言葉に頬を染める夕呼。
「それは、まあ……」
「な、なによ、文句あるの?」
「……いえ、別に」
「なんか引っかかる言い方ね……まあいいわ。後は今日届く材料で最後の仕上げをするだけだから。それから試運転と調整を繰り返して、本番までにはちゃんと完成させるわよ」
「そうですか」
「そんなに信用ない?」
「いえ、そんな事はないですけど」
「けど、何よ。大丈夫だってば。自力で作った旧型でも、猫を招いた事ぐらいはあったのよ?」
「……猫?」
「そ。今回はそこに向こうのあたしの設計を、ちゃんと検証した上で加えてるんだから──」
「猫…………築地?」
「な!? 何であんたがそんなこと知ってんのよ!?」
「いや、なんか俺が拾った子猫を、先生が築地って呼んでかっさらっていったような記憶が……」
「忘れなさい。今すぐ忘れなさい」
「はぁ……まあいいですけどね」
「っと、もうじき資材が届くわ。校門まで受け取りに行ってちょうだい」
「分かりました」
 武は校門で荷物を受け取って戻ってきた。
 夕呼は早速装置の仕上げに入り、それが終わったら動作検証を始める。

 そして実験と検証を繰り返し、後は夕呼一人で最終調整すれば完成、というところまで何とかこぎつけたので、武は作業から解放されて帰途についていた。
 時刻は既に0時00分を回っている。
 でも逆にここまで遅くなってしまえば、人に会う心配もないだろうし、後は寝るだけ。むしろ好都合。
 そう思って武が家の門を潜り抜けると、玄関扉の脇に、小さくうずくまっている人影を見つけた。
「…………純夏?」
「タケルちゃん……」
「こんな時間にこんなところでなにやってるんだ? ほら、立てよ」
 武は純夏を立たせるために手を貸してやる。そうして握った純夏の華奢で小さな手は、すっかり冷え切っていた。
「お前、こんなに冷え切って……いつからここにいたんだ。ダメじゃないか、身体壊すぞ」
 しかし、純夏はその質問には答えず、ポツリと呟いた。
「タケルちゃん……また香月先生のとこに行ってたの……?」
「え……? あ、ああ。ちょっと研究の手伝いをな」
「せっかく、みんなで誕生日の準備をしてたのに……」
「そうか……それは済まなかったな。誰の誕生日だったんだ?」
「タケルちゃんの誕生日だよ!!」
 純夏は目に涙を溜めながら、ヒステリックに叫ぶ。
 武は言われて初めて、今日が自分の誕生日である事に気が付いた。
 前に祝ってもらったのはいつだっただろうか……と振り返ってみても、最近の記憶で該当するものはない。十年前、天元山に災害出動した際の命令違反で営倉に入れられた時、霞がゲームガイの絵を描いて持って来てくれたのが最後だろう。それ以降は戦ってばかりで、とてもそんな事を考えている余裕などなかったのだ。
「ねぇ、タケルちゃんは、香月先生や神宮司先生みたいな大人の人がいいの?」
「何を言ってるんだ?」
「だってタケルちゃん、この前からずっと香月先生に用があるって言ってばっかりで、朝も昼も夜もいつもわたしとは一緒にいてくれない」
「……それは」
「なのに、神宮司先生とは晩ご飯を一緒に食べに行ったりしてるもん」
 まりもの場合は、あの時は夕呼が大丈夫だと判断して、武もそう思ったから一緒にいただけだ。結果的にその判断は間違っていたが、それによってある程度、武がこの世界に及ぼす影響が見えてきた。その犠牲を無駄にする事は出来ない。だからこそ、余計に純夏を避けていたのだ。
 理由を説明したかったが、ある程度突っ込んだ事情に踏み込む事になるので抵抗がある。
「タケルちゃん、急に大人っぽくなって……わたし、自分が凄く子供みたいに思えて、そしたら、わたしなんかより香月先生や神宮司先生の方がお似合いなんじゃないかって……」
「…………」
「わたし怖くなって、物理準備室をこっそり覗いてみたら……わたしには難しくてよく分からなかったけど、タケルちゃんと香月先生、楽しそうにお話してたよ。それで多分、先生の研究のお話をしてるんだろうなって思ったら、そしたら先生ってああいう人だから、研究のために学校なんて辞めちゃって、タケルちゃんを連れて行っちゃったりして……このまま香月先生にタケルちゃんを取られちゃうんじゃないかって……!」
「…………」
「わたし、なんでもするから。タケルちゃんが子供っぽいのが嫌なら、一生懸命頑張って大人になるから、だから……!」
「……」
「だから、いなくなっちゃ嫌だよぉ……」
 純夏はぽろぽろと涙を流しながら、武に縋り付いていた。
「……」
 純夏は武がいなくなってしまうのではないかと、本気で怯えている。
 しかし、無理もないだろう。純夏にしてみれば、武は表面上の態度は軟化したとはいえ、接触を避けるようになり、その代わりに夕呼の所に入り浸り始めたのだ。
 そして武はこの世界に影響を残さないためにと、可能な限り早く向こうの世界に帰ろうとしている。そんな考えが朧げにでも伝わってしまった可能性は否めない。
 その二つを結びつければ、武が夕呼と一緒にどこかへ消えてしまうのではないか、と考えてしまっても仕方がない。これが夕呼ではなく、例えば冥夜たちのうちの誰かだったら、純夏もここまで追い詰められる事はなかったのかもしれない。武が夕呼やまりもに用があると言った時に、一緒にいたがったのはそういう事なのだろう。
 純夏と武の立ち位置を考えると、何をどうやっても影響が出るのは予見出来た事で、何らかの先手を打つ事も不可能ではなかったはずだ。しかし心のどこかで、純夏なら何も言わなくてもきっと分かってくれる……という甘えがあったのだろう。それがこの状況を招いてしまった。
 武はこんなに弱々しくボロボロになった純夏を見るのは初めてだった。今の武にしてみれば、随分と長い間、純夏と会っていなかったとはいえ、ここまで酷い姿は記憶にない。
「……あのさ。明日の夜で全部終わるんだ。だから、明後日の朝まで待っててくれないかな」
「……え?」
 武は今トラブルを抱えていて、黙っていたのはそれに巻き込みたくなかったから。そのトラブルは夕呼の研究と関係が深いので、それで夕呼に協力を仰いでいる。そして、明日の夜には全ての問題が解決するはずなので、明後日からは元通りの関係に戻れるという事。
 このままでは向こうの世界に帰る前に、純夏の心がどうにかなってしまいそうだと思った武は、これらの事を、もちろん詳細はぼかしながらではあるが、ある程度まで話して聞かせていった。
「じゃあ……じゃあ明後日になれば、タケルちゃんと一緒にいられるようになるの? 一緒にいてもいいの?」
「ああ」
「……ほんと?」
「本当だ」
「ほんとにほんと?」
「本当に本当だ」
「ほんとにほんとにほんと?」
「ん……俺、そんなに信用なくしちゃったかな」
「──!? ち、違う! 違うの、そうじゃないの!」
 不安げな表情が途端に怯えたものに変わり、純夏は必死で否定する。
 武はそんな追い詰められた純夏を見ていられなかった。
「……分かった。それじゃとりあえずだけど、手始めにまず、明日は一緒に学校に行こう。それでいいかな」
「え……? い、いいの……?」
「もちろんだ」
「絶対だよ! 約束だよ!?」
「ああ。寝坊するなよ?」
「うん!」
 武は少々無責任で軽率な行動かと思いもしたが、ここはやむを得ないだろう。そして純夏を家まで送ると、自分も家の中に入った。
 シャワーを浴び、自分の部屋に戻って寝る支度をする。
「戦闘とか陰謀とかなら、もっとこう容赦なくスッパリ割り切れるのになあ……」
 仕方ないか、とでも言うように武は大きな溜息を吐いて、ベッドに潜り込んだ。


 2001年12月17日(月)

「今日でこの世界も最後だな……」
 目を覚ました武は、最後だからと言って気を抜かないようにしないとな……と気持ちを引き締める。そして登校する準備をして、ダイニングに下りていった。そんな武を月詠が出迎える。
「あら……おはようございます、武様。今日は朝食を食べていかれるのですか?」
「え、ああ、お願いします」
「はい、かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」
「えっと……煎茶で」
「はい。少々お待ちくださいませ」
 武が月詠に出されたお茶を啜りながらテレビでニュースを見ていると、そこに冥夜がやってきた。
「タケル……おはよう」
「おはよう、冥夜」
「き、今日は一緒に学校に行けるのか?」
「ああ。……純夏の奴、遅いな」
「そうだな。いつもならもうとっくに顔を出していると言うのに……」
「仕方ない。先に食べてようか」
「うん、分かった」
 朝食を摂り始める武と冥夜。しかし、二人が食べ終わっても、純夏が姿を現す事はなかった。
 冥夜が傍に控えていたメイドの神代に言いつけて、純夏の様子を見に行かせたが、玄関から純夏の靴がなくなっていて、既に登校した後のようだった。
「なんだ、鑑は先に行ってしまったのか。せっかくタケルが一緒に登校してくれるというのに」
「…………俺たちも出よう」
「……うん」
 武は言いようのない不安を抱えながら、冥夜と共に家を出発した。
 そして街並みを抜け、心臓破りの坂を上って校門をくぐり、昇降口に到着すると、そこには靴を履き替えている途中の純夏が立っていた。
「純夏……おはよう。今朝はどうしたんだ?」
「え? あ、おはよう白銀君。御剣さんもおはよう。今日も一緒なんだね」
「──!?」
「な、何を言っているのだ、鑑!?」
「なにって……どうしたの、御剣さん?」
 キョトンとした顔で応える純夏を見て愕然とする冥夜。武も一瞬驚き、そして苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、それを無理矢理噛み殺し、努めて平静を取り繕う。
「それはこちらの台詞だ。そなたこそ、一体どうしてしまったのだ!?」
「よせ、冥夜」
「しかし!」
「いいから。な?」
 武は純夏に食って掛かろうとする冥夜を引き剥がした。
 そんな二人を見てじゃれあっているとでも思ったのか、純夏が微笑む。
「ふふふっ、白銀君と御剣さんって仲いいよね。あーあ、わたしにも早く誰かいい人が見つからないかな~?」
「なっ……鑑ッ!?」
「どうかした?」
 純夏が不思議そうな顔で覗き込んでくる。
「ああ……いや、なんでもないよ」
 武は冥夜を強引に後ろに下げて、純夏に答えた。
「そう? 白銀君、なんか辛そうだけど大丈夫? 保健室、行く?」
「いや、大丈夫だ……」
「ならいいけど。気を付けてね? 最近は随分と冷え込んでるからね」
「そうだな、ありがとう」
「それじゃ、わたし行くね?」
「ああ。また後でな」
 純夏に掴みかかろうとする冥夜を無理矢理押さえ込んで、武は純夏を見送った。
「タケル!!」
 態度が豹変してしまった純夏を武がすんなり受け入れた事で、冥夜は今度は武に食って掛かる。
 しかし、武は純夏の変化を受け入れざるを得なかった。まりもと時の同じ轍を踏むわけにはいかない。まりもの時は、武の事を認識させようとしたら、記憶の流出が激しくなったような気がした。
 純夏もあのまま追求を続ければ、恐らくまりもと同じように連鎖反応を起こして、一気に記憶が抜け落ちてしまうのは想像に難くない。
 もっとも……それも焼け石に水だろう。先程の冥夜のように、周囲には純夏に武の事を訊ねる者が必ずいる。そればかりはどうにも防ぎようがない。
 だからと言って何も手を打たないわけにもいかないので、武は冥夜に、周囲の人間に純夏の武への態度が変わってしまったことをなるべく追及させないように、と頼むと、物理準備室へ向かった。

「先生……いますか?」
「あら白銀、おはよう。……どうしたの、何かあったの?」
 出すまいとしていても、やはり表情に出てしまっていたのだろう。武の顔を見た夕呼は、心配そうに訊ねてくる。
「純夏の記憶も……消えかけてます」
「なんですって!?」
 武は今朝の出来事と、昨夜の約束の事を話した。
「……なるほど。聞いた限り、まりもの時ほど深く接触したってわけじゃなさそうね。……つまり、あんたと深く関わることが流出の決定的なトリガーになるって仮説は間違ってたわけだ。……悪かったわね、適当なこと言っちゃって」
「いえ、気にしないで下さい。俺だって他に考えがあったわけじゃないんですから」
「そう……ありがと。……じゃ、次考えなくちゃね。今のところ記憶の流出が確認できてるのはまりも、鑑、そしてあたし。この三人の共通点は……白銀から曲がりなりにも向こうの世界の話を聞いたって事かしら。いや、違うか……あたしが白銀の話を一番多く、そして詳しく聞いてるのに、補完しきれないほどの勢いで記憶が抜けるなんてなかったし……」
「先生の記憶の抜け方に、何かパターンは見られなかったんですか?」
「え、あたし? ……大体あんたと話した時間に比例してたと思うけど。でも、そういえば……そうね、あんたがまりものストーカーを捕まえた日は、一緒にいた時間が少なかった割に、いつもよりたくさん抜け落ちてたような感じだったわ……」
「その時に何かいつもと違った事は?」
「……あの時はあんたがストーカーに刺されたって聞いて、それを心配して……そうか、これだ」
「はい?」
 夕呼は何かに思い至ったような表情を見せ、武に向かい直った。
「まあ、確証はないんだけど……多分ね、どれだけ深くあんたの事を想い、考えたかに比例して、記憶の流出が起こってるんじゃないかしら。 あたしの場合、あんたの怪我を心配して、それでいつもより多く記憶が抜けた。まりもはストーカー事件に加えて、気弱になってるところを他の教職員連中からの追求から守って貰い、そして励まして支えてもらった事で、あんたを強く想った。鑑もまりもと似たようなものね。限界まで追い詰められた状況であんたに優しくされて、あんたの事しか考えられなくなった。決定的なトリガーは……そうね、鑑のケースから考えて、何らかの形であんたがその想いに応えることじゃないかしら」
「じゃあ……純夏が記憶を失くしたのは、やっぱり俺が話をしたから」
「それは違うわ。いずれにしても、鑑は今朝の段階で記憶を失くしていたはずよ。昨日の夜、鑑はかなり追い詰められた精神状態だったんでしょ? そんな状態であんたにそっけなくされでもしたら、ますますあんたの事ばかり考えるようになって、やっぱり同じ結果になってたと思うわ。
 だからって、最初からきちんと向き合っていたとしても、その分接触は増えるからね。つまり、鑑だけはどうにも出来なかったって事でしょう」
「……そうですか」
「でも、話はそれだけにとどまらない。もし今の仮説が正しいなら、記憶の流出は白銀を知る全ての人間に起こり得る事になる」
「……それは気付いていないだけで、冥夜や尊人たちにも記憶の流出は起きてるって事ですか」
「そうなるわね」
「……じゃあ、今更隠れ回るのは逆効果ですね。あいつらにとって普段通り、自然体の白銀武を演じて、極力相手に俺を意識させないようにするしかない」
「その通り。……出来る?」
「分かりません……でも、やってみます」
 武は物理準備室を後にして、3-Bの教室に戻った。
 昇降口で予想した通り、やはり周囲の詮索は止められなかったようで、純夏は武の事を綺麗さっぱり忘れてしまっていて、武は純夏に棄てられてしまったのだ、という話になっていた。
 教室に入って席に着いた武の所に、沈んだ表情の冥夜がやってきた。
「すまぬ……タケル。私には止められなかった……」
「いや……いい」
「そなたは、余計な詮索をすれば鑑がああなるということを知っていたのだな……」
「まあ、起こってしまった事を悔やんだって仕方ない。……それよりもほら、もう席に着け。チャイムが鳴るぞ?」
「……うん」
 やがてホームルームが始まり、授業に移っていく。休み時間になると、白銀君可哀想──という顔をしたクラスメイトがぞろぞろとやって来たが、その度に適当にあしらっておいた。そうやって平気である事をアピールしておかないと、新たな犠牲者を生み出してしまうかもしれないのだ。

 そして三時限目。体育の授業が始まった。
 グラウンドでは男子生徒たちによってサッカーの試合が行われている。武は川本に刺された怪我があるので、制服のまま見学をしていた。
 ちょうどいいといえばちょうどいい。着替えるために裸になると、体格がこの世界の武とあからさまに違っている事が明らかになってしまい、更に余計な詮索をされるのは間違いないからだ。
 武はぼんやりとボールの行方を追いかけながら、物思いに耽っていた。
 この世界の武の事だ。
 随分と酷い目に遭わせてしまったと思う。最初の怪我の治療で体力を奪い、またナイフで刺された事で、全てとは言わないが、そのダメージも残留する事になるだろう。そしてまりもと純夏からは、武に関する一切の記憶が失われてしまった。
 確認する術はないが、他の人間からも多かれ少なかれ、記憶が流出しているのは間違いない。
「侘びようがないよな……これは」
 卑怯ではあるが、直接会って謝れない事を、ある意味幸運だとも思ってしまう。その代わり夕呼に泥をかぶってもらう事になるが、それもどうしようもない。
 純夏やまりもにしてもそうだ。失ったのは武に関する記憶だけだが、それが周囲に及ぼす影響は武一人に止まらない。それをきっかけに、人間性がどうのと責められてしまう事だってあるだろう。
 武がそんな事を考えていた時。体育館の方から、ズシンという何かが落下したような衝撃音と、一呼吸遅れて悲鳴が聞こえてきた。
「何だ……?」
 悲鳴は途切れる事無く上がり続けている。それに混じって、助けて、早く助けて──と言う声が武の耳に飛び込んでくる。
「…………」
 武は立ち上がって走り出した。後ろで体育教師の川副が何か叫んでいたが、無視して体育館に向かう。
 到着するとそこは、阿鼻叫喚の様相を呈していた。
 バレーボールの授業を行っていたはずのその場所には、コートの中央に鉄パイプで出来た何かの残骸が横たわっている。天井を見上げると、そこにあったはずの吊り下げ式のバスケットボールのゴールが消え、無残に千切れとんだワイヤーがぶらぶらと揺れていた。
「あれが落ちたのか……」
「──救急隊が来るから入り口は開けておきますッ! ──おらッ、お前ら邪魔だ! 教室に戻れッ、早くッ!!」
「救急隊……」
 辺りでは教師達が躍起になって野次馬の生徒達を教室に追い返そうとしていたが、武は構わずに落下地点に視線を移す。
 バスケのゴールの下は、赤い液体が染みを拡げていた。……血だ。
 そして、そこには長い髪の毛と、血に染まった大きな黄色いリボン……。
「純夏……!」
 何となく、予感はあった。
 そして直感ではあるが、恐らく純夏が記憶を失った事とも無関係ではないのだと。
 純夏が記憶を失ったのは武がこの世界に来たから……つまり、純夏がこんな目に遭ったのも、武がこの世界にやってきたからだ。
 武はギリギリと歯を軋ませ、握り締めた拳を震わせていた。
 しかし、後悔するよりも先にやらねばならない事がある。武は一度、大きく息を吸って、パン、と両手で頬を叩くと、ここは戦場なのだと自らに言い聞かせて、それから純夏に近付いていった。
「──おいコラっ白銀、近付くんじゃない!」
 教師の一人が事故現場に近づけまいと、武の肩を掴んでくる。
「退け、邪魔だ」
 それを腕で振り払う武。その教師は武の放つ気迫に飲まれたのか、よろめいて尻餅をついた。
「…………」
 武は純夏に近付いて状況を確認し始めた。
 両手足は、パイプの下敷きになって妙な方向に折れ曲がり、白いジャージには血が滲み出ている。それ以上はジャージに隠されていて分からない。骨折で済んでいればいいが、骨が皮膚から飛び出していたり、更にそれが神経等を傷つけている可能性は否めない。いずれにせよ、容易に動かしていいような状況でない事だけは確かだ。
 更に酷いのは胴体だ。落下してきたゴールのボードに押し潰されている。ボードは見たところ木製なので質量自体は大した事はなさそうだが、落下時の運動エネルギーをモロに受け止めてしまっていた。内臓が傷ついている可能性も十分にあるだろう。
 頭部は無傷だったが、倒れた時に強打しているかも知れないので、これも迂闊に動かせない。
 次に武は純夏の首筋に指を当てた。脈はあるが、かなり弱まっている。そして意識もなく、呼吸も弱くなっていた。あまり長時間は保ちそうにない。
 事故が起こったのがついさっき。それからすぐに救急に連絡していたとしても、救急隊の到着にはもうしばらく時間が掛かる。このまま放っておくわけにはいかない。
「何とかするしかないな……クソッ」
 まずはこのゴールをどかさなくてはならない。全体を見ればそれなりに重さはあるが、丸ごと持ち上げる必要はない。吊り下げ式のため長さがあり、その端を少し持ち上げて動かすだけなら、武一人でも何とかなりそうだ。
 ただ、ゴールがなくなると同時に圧迫もなくなり、手足からの出血が酷くなる恐れがある。撤去次第、迅速に応急処置を施すための準備をしておかなくてはならない。
 必要なものを捜そうと立ち上がった時、後ろから声を掛かった。
「タケル……」
「ん……?」
 武が振り向くと、そこには蒼ざめた顔の尊人と慧、その少し後ろに千鶴と壬姫の姿があった。
「尊人か……ちょうどいい。悪いけど彩峰と一緒に医務室まで走って、包帯にガーゼにテーピング、それとハサミに止血帯と、あと副木になりそうなものを持ってきてくれ」
「え、え……?」
「急げ、時間がない!」
「わ、分かった。彩峰、行こう」
「……うん」
 慧と尊人は体育館を走って出て行った。武はその間に、落下のショックで溶接やボルトにガタがないかチェックして、持ち上げるのに最適なポイントを探し出す。
 そして、尊人たちが体育館に戻って来たのを確認して、ゴールに手を掛けた。
「ふっ……!」
 武はゴールのボード裏あたりのパイプを掴んで、一気に持ち上げた。川本に刺された傷口が痛むが、気にしてはいられない。
 そのまま横に移動して、純夏から離れたところにゴールを下ろす。
「よし……尊人、ハサミくれ」
「あ……うん。はい」
 武は純夏のジャージの前を開け、下に着ていたシャツを尊人から受け取ったハサミで切り裂いた。
 とりあえず胴体に外傷はない。しかし肋骨の骨折や、内臓の損傷、最悪内臓破裂も考えられるので予断は許さない。
 ジャージの前を閉めると、今度は上着の袖やズボンを切り裂く。
 ざっと見た限り、両手足併せて七ヶ所の骨折。もっと細かい部位も損傷している可能性があるが、そこまで調べている時間はない。骨が皮膚を突き破って、神経を傷つけているのではないかと思われる部位もある。
 それと落下の衝撃で溶接が弾け飛んだ鉄筋に切り裂かれたのか、太腿から酷い出血が見られた。このまま放置しておくと、失血によるショック死に至ってしまう可能性がある。
 とにかくまずは止血だ。圧迫で間に合わせている余裕はないので、止血帯を使う。
「彩峰、手伝ってくれ」
「うん」
 武が純夏の脚の付け根に止血帯を巻き付けると、慧が短い棒を差し出した。それを止血帯の隙間に差し込んで回してゆっくりと絞り込むと、やがてドクドクと流れ出ていた血が止まる。武は学生手帳からページを一枚破り、それに現在の時刻を記入して止血帯に貼り付けた。
「次は……他の部分の止血からだ」
「……ん」
 慧からガーゼと包帯を受け取り、傷口にガーゼを当て、その上に包帯を巻く。
「……はい」
 止血が終わったら、慧が副木と包帯を差し出してきた。武は慧に副木を押さえてもらい、患部を固定する。そして、骨折した箇所全ての処置を済ませた。
「あとは救急待ちだな……」
 血塗れの姿で呟く武。声からは張りが失われ、その表情もさすがに憔悴している。
 それから数分経つと、救急車のサイレンの音が近付いてきて、救急隊員がストレッチャーを引いて駆け付けて来た。
 武は救急隊員に分かっている限りの純夏の容態と、施した応急処置の内容を伝える。
 そして、純夏はストレッチャーごと救急車に乗せられ、それにまりもと師岡が付き添いで同乗して、病院に連れられていった。



[1972] Re[20]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
「一緒に行かなくて良かったの……?」
 救急車を見送った後、疲れた顔で慧が訊ねてくる。
「……これ以上、俺が一緒にいても出来る事は……。それに……まりもちゃんが、付いててくれてるし……」
「そう……」
「ありがとう……彩峰」
「……え?」
「手伝ってくれてさ。助かったよ」
「ううん、当然」
「……そう言えばさ、冥夜はどうしたんだ?」
「御剣は……事故があってすぐに出て行った。どこに行ったのかは知らない」
「そうか……」
 それから武たちは教室に戻った。
 緊急校内放送で教師達は一度職員室に集められ、それから全校生徒に今日の授業はここで終了だということが伝えられる。そして、まりもの代わりにD組のホームルームを済ませた夕呼がやってきて伝達事項を伝えると、その場で解散となった。
「……白銀、ちょっといいかしら」
 沈痛な面持ちでクラスメイト達が教室から出て行く中、夕呼が武に近付いてくる。
「……何でしょう」
「ここじゃちょっと……物理準備室までお願い」
「分かりました……」
 武は教室を出て、物理準備室に足を向ける。そして、そこで今後の予定を聞かされた。
 夕呼はこれから行われる緊急職員会議に出席する。それが終わり次第、純夏の収容された病院──欅町総合病院に立ち寄り、その足で白稜大の原子力研究施設に向かい、武の転移を行うことになった。
 夕呼が職員会議に行っている間、武は転移装備の準備をして、それ以降は物理準備室内で待機という事になる。

「待たせたわね……行くわよ」
 緊急職員会議を終わらせてきた夕呼が、物理準備室に戻ってきた。
「……はい」
 武は必要な機材を詰め込んだ鞄を担ぎ上げると、重い足取りで夕呼の後を付いていく。
 職員駐車場に辿り着くと、夕呼は愛車のストラトスのトランクを開け、そこに転移装置を入れるように指示する。
「さ、乗って」
「はい」
 武が助手席に乗り込むと、夕呼はストラトスを発進させた。
「……病院に行くんじゃなかったんですか?」
 学園前の坂を下り、病院とは違う方向にハンドルを切った夕呼に、武は訊ねる。
「先に鑑の家に行くわ」
「病院から何か連絡が……?」
「ええ」
 今、純夏の両親は海外旅行に行っていて、日本にはいない。御剣の手配したチャーター機で日本に向かってはいるが、到着まではしばらく掛かる。
 その代わりに、色々な必要なものを揃えて、両親の代わりに病院に届けるというのである。
「純夏の容態については聞いてますか?」
「今はまだ分からないわ。病院と御剣のスタッフとで手術中だから」
「御剣の? ……そうか、冥夜が……」
 純夏の事故があった直後、その場からいなくなったという話だったが、恐らく自ら指揮を取って医療チームを手配していてくれたのだ。
「……着いたわよ」
「香月教諭、お待ち致しておりました。入り口の鍵を開けたのみでございます」
 車を降りた夕呼と武を、月詠が迎え出る。
「武様……」
「行きましょうか?」
 月詠が話しかけてくるが、今となっては迂闊に応えるわけにもいかない。それが分かっている夕呼は、武に先を促した。
「はい」
 武は夕呼と共に純夏の家に上がり、階段を昇って純夏の部屋の中へと入っていった。
「これは……」
 そこに広がっていた光景……それは、床一面に散らばった本。それは全て純夏の日記だった。ざっと見た限りでも、少なくとも十年分以上の記憶が、そこには残されている。
 それを何冊か手に取って、パラパラとめくってみた。
 タケルちゃんと一緒に──
 タケルちゃんに聞いたら──
 タケルちゃんが来て──
 そこに書いてあったのは、どこを見ても武の事ばかり。
「これ……全部あの子の日記よね。凄い量…………白銀のことばっかり」
 武と同じように日記を拾い上げて目を通していた夕呼が言った。
「……はい」
 武は一番新しい日記を手にとって開いてみた。

 11月26日(はれ)
 きょうは、なんかすっごくヘンなタケルちゃんに会っちゃった。ヘンっていうか、すっごくやさしかった。
 いつもはいくらお願いしたって聞いてくれないくせに、今日はなにも言ってないのにタケルちゃんの方から、買い物してきた荷物を持ってくれた。
 それでわたしがビックリしてぼーっとしてたら、熱でもあるんじゃないかとか言って、おでこをおでこにくっつけてきたりして。すっごく恥ずかしかったよ~。でも……うれしかったな。わたしのこと心配してくれて。
 それから一緒に帰ったんだけど、やっぱりすっごくやさしくて。なんかタケルちゃんなんだけどタケルちゃんじゃないみたい。
 晩ごはんの時は、もういつものタケルちゃんだったけど。
 ……なに書いてんだろ、わたし。
 もう寝よ!

「…………」
 最初に武がこの世界にやってきた日の事だ。
 武は更にパラパラとページをめくって、ここ数日のところを開いてみる。

 12月12日(はれ)
 朝、タケルちゃんを起こしにいったら、ダイニングでお茶を飲んでてビックリした。それで、今日はゆっくり出来ると思ったのに、タケルちゃんってば三分でご飯を食べ終わって、すぐ出ていっちゃった。たったの三分だよ? ありえないよ!
 香月先生に呼ばれてるから、早く行かなくちゃいけないんだって。
 なんだよ~、昨日はそんなこと言ってなかったじゃないさ~!
 わたしも一緒に学校に行こうと思って慌てて食べたら、ご飯を喉に詰まらせて、タケルちゃんに笑われちゃった。うぅ~!
 それで、何の話だったのか学校で聞こうと思ってたのに、ホームルームが始まってもタケルちゃん来なくて、おかしいと思ってたら香月先生が来て、タケルちゃんは具合が悪くなって帰ったって言った。
 学校から帰ってすぐにタケルちゃんの部屋に様子を見に行ったけど、タケルちゃん、なんか死んだみたいに眠っててピクリとも動かなかった。それでわたし怖くなって、このままタケルちゃんが消えてなくなっちゃったりしたらどうしようって……今日はずっとタケルちゃんのそばに付いていようと思う。

 12月13日(はれ)
 朝起きたらタケルちゃんのベッドに寝かされていてビックリした。タケルちゃんがベッドを貸してくれたみたい。昨日あのまま寝ちゃったんだ……ちょっと恥ずかしい。
 タケルちゃんは今日もやっぱり先に行くって言うから、イヤだって言ったら、それを受け入れてくれた。わがまま言ってごめんね。
 なんか、タケルちゃんがすっごくやさしい。前もこんなことあったよね。
 それはいいんだけど、出かける前とか学校の前の坂でセクハラみたいなことを言ってきた。何かオヤジっぽいって言ったら、タケルちゃんはショックを受けてたみたいだけど、でも本当にオヤジっぽかったんだもん。だから、タケルちゃんが悪いんだからね!
 学校に着いてみんなと会ったんだけど、やっぱりみんなもタケルちゃんはどこかおかしいって言ってた。御剣さんが、タケルちゃんには大人の余裕があるって言ってたけど、言われてみればそうかもしれない。
 その後はタケルちゃん、また香月先生のところに行っちゃった。
 昼休みに一緒にお弁当を食べようと思ってタケルちゃんに声をかけたら、用事があるって香月先生のところに行っちゃった。
 放課後、一緒に帰ろう、って誘っても、やっぱり香月先生のところに行っちゃった。
 夜になってもタケルちゃんは帰ってこなかった。ずっと香月先生と一緒にいたのかな……。

 12月14日(はれ)
 朝、タケルちゃんを起こしに行ったけど、もう学校に行った後だった。
 学校に着いたら、タケルちゃんはまた香月先生のところに行ってた。話しかければちゃんと返事してくれるけど、わたしから話しかけてばかりで、なんか避けられてるような気がする。さみしいよ……。わたし、気が付かないうちになにか怒らせるようなことしちゃったのかな……。
 昼休みと放課後も、タケルちゃんはやっぱり香月先生のところに行っちゃった。
 どうしたらいいか分からなくて、神宮司先生に相談したら、先生が様子を見てきてあげるって言ってくれたけど、わたしどうしても気になって、物理準備室をのぞきにいった。
 そしたら何の話かはよく分からなかったけど、タケルちゃんと香月先生が楽しそうにお話ししてた。タケルちゃんは背中しか見えなかったからどんな顔をしてるのか分からなかったけど、香月先生はすごく楽しそうな顔してた。あんな香月先生、初めて見た。
 タケルちゃんがわたしの前からいなくなっちゃいそうで怖い。このまま香月先生にどこかに連れて行かれちゃいそうで怖い。
 ……何か最近忘れっぽい。タケルちゃんとお話できなくておかしくなってるのかな。
 日記を見ると書いてあるから、私が忘れてるんだ。タケルちゃんの言ったこと忘れるなんて、私ヘン! もっとしっかりしなきゃ!

 12月15日(はれ)
 タケルちゃんは昨日も夜遅く帰ってきて、今日も朝早く出かけちゃった。
 学校に行くと、神宮司先生の代わりに師岡先生がきて、タケルちゃんを生活指導室に呼び出した。
 御剣さんの話だと、タケルちゃんは昨日、神宮司先生と晩ごはんを食べに行って、そのとき先生をストーカーからかばってケガをしたんだって。多分そのことで呼ばれたんだと思う。
 先生が無事だったのはうれしいけど、でも、どうしてタケルちゃんがケガをしなくちゃいけないんだろう。どうしてその事をわたしに教えてくれないんだろう。
 タケルちゃんが生活指導室から帰ってきて、これでやっと一緒にいられるって思ったら、今度は神宮司先生に用事があるって言った。わたしも一緒にいたいって言ったけど、ダメだった。
 ……わたしとは一緒にいてくれないのに、神宮司先生ならいいのかな。わたしが子供だからダメなのかな。
 それからしばらくタケルちゃんは先生とお話をしてたみたいだけど、わたし、もう待ちきれなくて廊下に飛び出していったら、神宮司先生がタケルちゃんはわたしたちのクラスじゃないなんて言いだした。
 ひどい! タケルちゃんは先生を助けるためにケガまでしたのに……タケルちゃんは、先生は昨日のショックで混乱してるだけだって言ってたけど、だからってあんなのひどすぎるよ!
 そのあと、タケルちゃんは、また香月先生のところに行っちゃった。わたしも一緒に行きたいって言ったけど、ダメだった。
 やっぱりわたしなんかより、香月先生や神宮司先生の方がいいのかな。わたしじゃあの二人にはかないそうにない。どうしよう。
 でも、わたしだってわたしなりに出来ることをやるんだ!
 明日はタケルちゃんの誕生日。みんなでこっそりパーティの準備を進めてきた。ビックリさせてやるから覚悟しろ~!

 12月16日(はれ)
 今日はタケルちゃんの誕生日。でも、朝タケルちゃんを迎えに行ったら、もう家にいなかった。月詠さんに聞いても、どこに行ったか、いつ出て行ったのかも分からないんだって。
 みんなで準備したパーティが無駄になっちゃった。今日は御剣さんの誕生日でもあったから、一緒にお祝いしようって話だったけど、そんな雰囲気じゃなくなっちゃった。
 それからわたしはタケルちゃんの家の前で、タケルちゃんが帰ってくるのをずーっと待ってて……真夜中になったらやっとタケルちゃんが帰ってきた。
 わがままを言っちゃダメだって分かってたのに、そんなだからタケルちゃんに避けられちゃうのに……でも、どうしてもこらえきれずに聞いちゃった……。
 今日も香月先生のところに行ってたの……って。
 タケルちゃんはそうだって答えた。それでわたし、もうどうしたらいいか、わけが分からなくなって、取り乱して、こんなこと言ったら嫌われちゃうかもしれないのに、でも我慢できなくて、タケルちゃんに詰め寄って、なんでもするから、だからいなくなっちゃイヤだ……って泣きわめいてすがりついた。
 そしたらタケルちゃん、少し辛そうな顔して、最近どうして香月先生と一緒にいることが多いのか教えてくれた。詳しいことまでは話してくれなかったけど、それはわたしを巻き込みたくないからなんだって。
 明後日の朝になったら全部終わってるから、そうしたら一緒にいられるようになるよって。それまで待ってくれって。
 わたしはそれを聞いても不安で、何回もほんとう? って聞き返した。タケルちゃんを疑っちゃった。わたし、どうしようもないばかだ。
 タケルちゃんに、そんなに信用無いかな、って言われたとき、今度こそほんとうに嫌われちゃったと思った。
 でもタケルちゃんは、それなら明日、一緒に学校に行こうって言って、約束してくれた。
 わたし、あんなに取り乱しちゃったのに、わがまま言ったのに、でもタケルちゃんはありのままのわたしを受け入れてくれて、すごくうれしかったよ。わたしはわたしのままでいいんだって思ったら、すごく気持ちが楽になったよ。
 ありがとう、タケルちゃん!
 明日が楽しみ! すごく楽しみ! タケルちゃんと一緒! これからもずっと、ずーっと一緒にいられたらいいな!

 武は昨日の日付で終わっている日記を閉じた。
「……俺、あいつにこんな寂しい思いさせてたんだな……」
「白銀……」
「ははっ、何やってんだかなあ俺は……まったく……」
 今更ながら、自分の事しか考えていなかった事に気が付いて、自らを嘲るように嗤う。
「でもそれは、仕方が──」
「本当に仕方がない事だったんですかね……もっとあいつの事を考えてやってたら、こんなに追い詰める事はなかったはず……」
「それは……」
「……すみません、今更でした」
 武はボソッと呟いて、床に散らばっている純夏の日記を集めだした。そしてパラパラとページをめくり、目を通していく。
「……鑑はきっと……自分の様子がおかしいことに気付いていたんだと思うわ。毎日毎日読み返して……必死に記憶を補完していたんでしょう。辛かったでしょうね……自分が忘れてはならないものを、忘れていることに気付いてしまったんだから」
 夕呼の言う通りだと武も思う。だからこそ、日記が部屋中に散乱していたのだ。しかし、最後はそれでも追いつかなくなってしまったのだろう。
 武も夕呼も沈痛な面持ちを見せ、暗鬱とした空気が純夏の部屋の中に漂う。
 しばらく部屋の中は沈黙に支配されていたが、やがて武が重い口を開き、静寂を破った。
「…………病院、行きましょう。俺がこの世界で出来る事はもう……ありません」
「……そう、分かったわ」
 夕呼は病院への届け物をまとめて鞄の中に放り込む。
 そして、二人は純夏の部屋を後にした。

「──お待たせ」
 病院から戻ってきた夕呼は、運転席に乗り込むと、車を発進させた。
「先生……純夏、どうでしたか?」
「……一時はかなり危険な状態だったんだけど、御剣の医療チームの協力もあって、奇跡的に助かったそうよ。でも、応急処置がなかったら、まず失血死してただろうって、あんたに感謝してたわ。今は手術後の麻酔で眠ってるけど、容態は何とか安定してるって」
「そうですか、よかった……いや、いいわけがないか…………なんでこんな事になっちゃったんでしょうね……」
 武は疲れた声で呟いた。
「そんなの、あたしだって知りたいわよ。……今回の事故、ちょっと出来過ぎたタイミングだと思ってね、改めて理論を洗いなおしてみたのよ。そうしたらね……こっちで記憶が抜け落ちると、向こうの重い因果が流れ込んでくるんじゃないか、って仮説に行き着いた」
「重い……因果?」
「人の命に関わるような事柄よ。例えば……向こうのあたしが死んで、あたしからあんたの記憶が抜け落ちて、それを補完をしないでいると……その隙間を補うように『香月夕呼が死んだ』って因果が流れ込んできて、あたしも死ぬの。……でも間違ってたみたい。向こうには鑑、いないのよね。……天才が聞いて呆れるでしょ?」
 夕呼は自嘲の笑みを浮かべる。
「それなんですけど……」
「なに?」
「…………」
「白銀?」
「いえ。……純夏の容態……もしかして、脳だけで生きているような状態なんじゃないですか……?」
「……今は御剣の協力で人工器官を繋ぎ合わせて、何とか命を繋ぎ止めているような状態。まあ、脳だけで生きていると言えなくもないかしらね」
「そうですか……」
「よく分かったわね。あんた、医学の心得もあったの?」
「いえ、実は──」
 武がその結論に至ったのは、横浜基地B19フロアの一室にある、シリンダーの中に浮いていた脳と脊髄が、もしかして純夏のものなのではないかという疑念を抱いていたからで、それを先程の、夕呼が立てた仮説に当てはめてみただけだ。
 その事と、半導体150億個の並列処理装置、そしてこの前受け取りに来た数式の事を、夕呼に説明した。
「なるほど。向こうのあたしが、その脳を再現しようとしたのは間違いないでしょうね。もしそれが向こうの世界の鑑だと言うなら、あんたを送り込んでこっちの白銀と同一化させた理由……想像できなくもないわ」
「どういうことです?」
「ね、白銀。人を人たらしめてるものって、なんだか分かる?」
「……いえ」
「色々あるけどね、最大の要素は人としての容姿なのよ。それが失われるほど、人は自分を人として認識できなくなっていくの。普通の人間は、脳だけの姿になんてされたら、とても生きてはいられない」
「……」
「向こうの鑑が人の姿を失って、脳だけになって……それでもなお生き続けていたのだとしたら……人の姿というアイデンティティを失いながらも、生きる力の源になった何か……恐らく、途方もなく強い想いがあったんでしょう。
 でも逆に言えば、それしか残っていない。そして、その脳の情報を人工脳に移して……それをアンドロイドのようなものに入れて、普通に生きていた頃の姿を再現してみたとしても、元の人格が戻ってくるわけじゃないわ」
「それが、どういう……」
「この世界では、あんたを通じて、あんたに関する記憶が失われていくわよね」
「はい」
「じゃあ、向こうの世界では……この世界から抜けていった記憶を、あんたを通じて受け取る事が出来るとしたら……?」
「……向こうの純夏の人格を取り戻すために、こっちの純夏の記憶を奪った……?」
「厳密には、人格を取り戻すためのきっかけを得るために、ね。それ以外に考えられないのよ。
 まず、この世界の白銀とあんたを同一化させた。これは装置の出力の調整次第でどうにでもなるから、問題は無いわね。
 そして、あんたが向こうのあたしから預かってきた書類はただの白紙。滞在時間は一日だけだと知らされていたのに、次の日になっても帰れなかった。
 装置の故障でもなんでもなく、最初からあんたをしばらくこっちに滞在させるのが目的だったんでしょう。勿論、あんたは向こうの世界に帰ろうとするでしょうけど……あたしがその準備を整えるまでに、少なくとも数日はかかる」
「じゃあ、俺が純夏と接触せざるを得ない状況を作って、それで……?」
「でしょうね。そして恐らく、こっちの記憶が抜けるとその隙間を埋めるように、向こうから重い因果が流れ込んでくる事も分かっていたはずよ。つまり、鑑があんな目に遭うだろうって事もね。……まったく、我ながら胸糞悪い話だわ。
 ついでに言うとね。あんたが最初に持ってきた資料、さっきの仮説を検証するために全部洗いなおしてみたんだけど、あれも巧妙に嘘が織り交ぜられていた。肝心なところに、ほんの少しだけね。まんまと騙されたわ。世界転移の原理と問題点、そして対処法は、理屈的には矛盾なく組み立てられていた。因果の誘導が現実に起こるまで……あたしは何も気付かなかったのよ」
 夕呼は不快な感情を隠すことなく吐き棄てる。
「ちゃんと調べれば、たったの数時間で嘘だと見抜けた事なのに、あたしがその可能性に思い至らなかったせいで、鑑は……!」
「やめましょう先生。それ以上は」
「……そうね」
「…………」
「…………」
 そして、会話が途切れたのを機に、武は夕呼の話を加味して、分かっている事を纏めてみた。
 なぜ向こうの純夏があんな姿になってまで生き長らえる事が出来たのか……勿論、夕呼の言う通り、途方もなく強い意志の力があった事は間違いないだろう。だが恐らく、それだけではない。
 霞の存在。
 リーディングとプロジェクション。
 その能力を使って、脳だけになってしまった純夏と会話し、純夏の精神を繋ぎ止めていたのだ。その過程で、霞は純夏から武の事を知ったに違いない。
 そして、オルタネイティヴ3による人工ESP発現体という出自を考えると、霞には普通の子供時代などなく、当然子供らしい思い出もない。それは夕呼の所に来てからも同じだろう。ならば、純夏の思考を読むことでそれに引っ張られ、模倣していたのではないだろうか。
 そう考えると、全てに説明が付く。
 霞が異常なまでにあの脳に固執していた事や、武があの世界では得体の知れない異質な存在だと知りながら、最初から抵抗なく接していた事。
 そこまで考えたところで、別の問題の答えに思い当たった。
「……なるほどな」
 武は独りごちる。
「なに、どうしたの?」
「いえ……今回の一件、向こうの先生が仕組んだ事だと確信出来ました」
「どういうこと?」
「霞の話はしましたよね」
「ええ」
「霞は、向こうの純夏を生かすために、能力を使ってずっと純夏に語りかけてくれていたと思うんです。その過程で俺が現れて、そして俺の心を読んで、また純夏に語りかけて。それを繰り返していたと」
「……それで?」
「霞が読み取った、俺の中の純夏に関するイメージは、当然、向こうの先生にも伝わっていたでしょうね」
「なるほど、そういうこと」
「はい」
 つまり、武と純夏がどういう関係だったのか、向こうの夕呼も知るところであり、武をこの世界に送り込めば純夏の記憶が得られるであろう事を、最初から予測出来ていたのだ。
 賭けである事には違いないが、勝算は相当高い。事実、この世界の純夏の武に関する記憶はごっそりと流出してしまった。
「……まったく嫌になるわね。あたしってば自分で思ってたよりもずっと冷血女だったみたいだわ」
「それは違います」
「どうしてそう思うの? 向こうのあたしが出来たって事は、あたしにだって出来るって事よ?」
「出来ませんよ。この平和で優しい世界で育った先生には。それに」
「……?」
「向こうの先生だって、やりたくてやってるわけじゃないと思います。他にいい方法があれば、迷わずそっちを選んでるでしょうし」
「……あんただって嵌められたクチなのに、随分と向こうのあたしの肩を持つのね」
 今回は武は比較的夕呼の近くにいたので、彼女の覚悟や苦悩をずっと目の当たりにしてきている。それを知った上で彼女の覚悟を否定する事が出来るかと訊かれれば、出来ないと即答するだろう。
 それにこれだけの覚悟をしていても、地球からBETAを駆逐するには恐らくまだ足りない。絶望的な戦いを経験してきた武には、それがよく分かっている。確かに純夏の一件は許せる事ではないが、一概に夕呼ばかりを責められない。
「……だからって、こんな方法を認められるわけじゃありませんけど」
「そ。…………白銀」
「はい?」
「今回の一連の現象について、あたしがまとめた推論を話しておくわ。何かの役に立つかもしれないから」
「……お願いします」
 今更なんだけどね……と前置きをして、夕呼は話し始めた。
 夕呼の提唱する因果律量子論では、並行世界間で、因果も水のように高位から低位へと流れる……という仮説がある。
 何もしない状態でも、より低位へと向かって世界の記憶から因果情報が漏れているというのだ。
 同じ系を基点として分岐した並行世界──例えば、武が今いるこの世界と、BETAの侵攻を受けている向こうの世界──の間では、その情報をやり取りする事が出来る。その時、受容体として機能するもの……それを因果導体と言う。
 本来、因果情報を導く因果導体は、世界の記憶であると、夕呼は考えている。
 しかし、今回の純夏の身に起きた事例から考えると、その因果を運んだのは武……つまり、武自身が因果導体になってしまったのだという事らしい。
 では、なぜそんな事になってしまっているのか。
 武が世界間を転移した事例を挙げてみると、最初に向こうの世界に現出した時。そして十年の戦いを経て戦死した後、再び向こうの世界の10月22日に現れた時。並列処理装置の数式を得るために、この世界で過去に経験した時間に転移した時。
 これらは全て、向こうの世界が起点になっている。
 武が転移する度に違う世界に現れているならばこの限りではないが、常に向こうの世界が軸になっている以上、これは確定だ。
 つまり、向こうの世界が主体──より高位の世界であり、武を因果導体にした原因は、向こうの世界にあるという事だ。それが何なのかまでは分からないが。
 次に記憶が抜けるプロセスだが、まず因果導体である武と接触する事。そして深い関わりを持ち、武の事を強く想い、何らかの形で武がそれに応えると、流出が一気に始まってしまう。
 そして、記憶の流出が起きた後、その空白を補完する事が出来なければ……あちらの世界から重い因果が流れ込んでくる、というわけだ。
「まあ、まとめてみれば、たったこれだけのことなんだけどね」
 話し終わって、少し自嘲気味に微笑む夕呼。
「いくつか質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「まず……この世界から抜けるのは記憶で、向こうから流れてくるのは死に関わるような事なのは?」
「世界の位置には高低差があるって説明したわよね。今回の場合、向こうが主体世界なわけだから、つまり、向こうが上でこっちが下。
 だから、この世界の上澄み……記憶のような軽い因果が向こうの世界に吸い上げられ、そうやって出来た隙間に向こうの世界の澱み……死を司るような重い因果が流れ落ちてくる」
「こっちから流出するのが、俺に関する記憶なのは?」
「あんたが因果導体だからとしか言いようがないわね。その理由が分かれば、あんたを因果導体にした原因に近付けると思うけど」
「……向こうで俺を通じて、こっちから流出した記憶を受け取れるって言いましたよね」
「ええ、言ったわね」
「俺を通じて受け取るって事は、まだ受け取ってないわけですよね。今、その記憶はどうなってるんですか?」
「そうね、受け取り手が見つかっていない状態だから……虚数時空間を漂っているんじゃないかしら」
 虚数時空間というのは、噛み砕いて言えば世界の外側、世界と世界の隙間の事だ。
「それじゃあ、向こうで記憶を受け取る事による影響は?」
「基本的に悪影響はないと思うわ。向こうは主体世界だし、あんたが向こうに戻れば、向こうの世界だけで完結してしまうでしょ? だから変な因果を受け取ってしまうこともないはずよ」
「そうですか」
「記憶を受け取るって言っても、まず認識出来ないわ。それなりのきっかけが必要になるから。仮に何かの拍子で認識出来たとしても、この世界の事を知らないと、よくて夢程度にしか思えない。その上、因果が移動する時に起きる情報の欠落を補完出来ないと、その記憶は復元出来ない。だから漠然としたものしか残らないはずよ。記憶を認識出来る可能性があるのは、この世界の存在を知り、あんたと頻繁に接触する事で欠落情報の補完が可能な、向こうのあたしだけ。もっとも、それでもあたしから抜け落ちた記憶だと明確に区別することは出来ないはずだけど」
「ん? ……でも、純夏は」
「鑑の場合、白紙同然の状態に、こっちの記憶がごっそりと入るわけだから、他とは状況が違うわ。それに、そんな状態ならこっちの世界の事を話しても、すんなり受け入れてしまうでしょうからね。だから比較的容易に関連情報の欠落を補完出来る。恐らく向こうのあたしは、向こうの鑑の人格を取り戻させるために、あんたと積極的に接触させるはずよ」
 そう言って夕呼は軽く息を吐いた。やはり、向こうの夕呼の行動には釈然としないものがあるようだ。
「……他には何かある?」
「こっちで記憶を流出してしまった人たち……例えばまりもちゃんにも、向こうから何らかの因果が流れ込んできてるんですか? 特に何も起こってはいないようですけど」
「とりあえず、向こうのまりもは無事なんでしょ?」
「はい。俺がこっちに来る前日に全治三日の怪我を負いましたけど……こっちのまりもちゃんの記憶が抜けたときには、もう完治していたはずです」
「だからよ。目に見えて分かるような重い因果がないから、何も起こってないように見えるだけ。まあ分からないだけで、何らかの因果は受け取ってるはずだわ」
「…………」
「質問はおしまい……で、いいのかしら」
「あ、はい。ありがとうございました」
「じゃあ、今度はあたしから質問させてもらうわね。いい?」
「はい」
「…………」
 質問すると言った夕呼だったが、少しばつが悪そうに視線を逸らし、少し頬を染めて口篭っていた。
「夕呼先生?」
「その……あんたってさ、あたしに特別な感情を抱いちゃったりしてるわけ?」
「……特別?」
「ほら、記憶が流出する条件で、あんたがどう応えたか、ってのがあったじゃない。まりもや鑑の記憶が根こそぎ持っていかれたのは、分からないでもないのよ。でも、あたしからだってそれなりに流出してるでしょ?」
「ああ、えっと、みんなを護りたいとは思ってますけど……」
「まもる?」
「ええ。俺は前の世界で、誰一人として護れませんでしたからね。だから今度こそはって」
 武は自嘲的な笑みを浮かべ、そしてそれは決意に満ちた表情に変わる。
「ああ……そういうこと、ね。それに反応して記憶が流出してたってわけだ。じゃあ、やっぱりあの子たちにはあたしと同じ方法を取らせなくて正解だったわ」
「俺の情報をあらかじめ記録しておいて、後から補完するってやつですか?」
「ええ、そうよ。もしそれをやってたら、あらかじめ記憶の関連付けが行われて、因果導体の影響を助長させてしまうから」
「普段から俺の事を必要以上に意識するようになる……と?」
「その通り。そしてあんたは御剣たちに対しても、護りたいっていう特別な感情を抱いてるでしょ? つまり接点を持った瞬間、記憶をごっそりと持っていかれ、その代わりにたんまりと向こうの世界の因果を送り込まれる。完全に逆効果ね」
 それを聞いて、武は違和感に気が付いた。純夏の事だ。
「でも、それじゃなんで純夏は普通に俺の事を憶えてたんですか? あいつが日記を使って先生みたいに俺に関する記憶を補完してたのは分かりますけど、今の話からすると補完が間に合わなくなってるはずじゃ……」
「そうね……鑑はあの日記を見た限り、あの日初めて、あんたに対する自分の想いに自信が持てたんじゃないかと思うわ」
「……どういう事です?」
「思考の深層では、あんたのことが好きで好きで堪らないのに、表層ではあんたに迷惑を掛けたくないとか、あんたの負担にはなりたくないって強く考えていて、あんたに自分を合わせようと一生懸命だったんじゃないかしら。
 でも、あんたは急に大人びてしまった。それも、あたしやまりもと余裕で釣り合ってしまうほどにね。いくら頑張って背伸びしてみても、さすがにそこまでは届かない。それに加えて、あんたはあたしの所に入り浸り始める。
 自分は子供っぽいから愛想を尽かされたんだ……なんて考えちゃったんでしょうね。それで昨日の夜、もうどうにも堪らなくなって、なりふり構わずあんたに縋りつき、そしてそれは受け入れられた。その結果、無理に合わせようとしなくても、正面からぶつかれば、あんたはちゃんと応えてくれるんだという事が分かって、障害になっていた表層思考が解決された」
「じゃあ、あの時俺が受け入れていなければ、純夏は」
「言ったでしょ、結果は同じだって。むしろ、その方がずっとあんたの事ばかりを考えるようになってたでしょうね。まあいずれにせよ、あんたへの想いはより一層強くなって、そして日記を読んでも記憶の流出に追いつかなくなった」
「…………」
「ま、あたしの責任も大きいわね。実際、あんたを独り占めしてたんだから」
「それは仕方が──」
「白状するとね、あたしがあんたを手放したくなかったのも事実。実体験が元になってるとはいえ、あたしの理論に曲がりなりにもついてこられたのは、あんたが初めてだったのよ? だから、あんたと話してる時は本当に楽しかった。それを見た鑑があんなふうに考えたのも無理はないわ」
「……? じゃあ、先生から記憶がごっそり抜けなかったのは……?」
「可能性としてはもちろんあったわよ。でもあたしは、あんたが今日この世界からいなくなる事を知っていた。それが最初から分かっているなら、その程度の感情のコントロールくらい出来るからね」
「…………」

 それから、しばらく車内を沈黙が支配した。
 武には今ひとつ理解しきれない話の連続だったが、夕呼が言った、何かの役に立つかもしれない、という意見には同意だった。
 今回の一件、そしてオルタネイティヴ4は、因果律量子論の上に成り立っている。
 甚だ不本意ではあるが、武はこれから向こうの世界の夕呼とやり合わなくてはならない。そのためには因果律量子論による理論武装は絶対に必要になる。だが、因果律量子論を理解しているのは、どの世界においても香月夕呼のみ。つまり、ここでこの世界の夕呼に話を聞いて、出来得る限り理解を深めておかないと、またやり込まれてしまう可能性は否めない。
 そして武が夕呼に聞いた話を反芻して咀嚼していると、夕呼が話しかけてきた。
「……白銀。向こうに戻ったら、あんたを因果導体にした原因を探しなさい」
「え……?」
「その原因を排除した時、その時こそあんたは……あんたの言っていた元の世界──確率時限ループの発生点、10月22日に帰れるのよ」
「…………」
「手掛かりはゼロじゃない。こちらから流出した因果があんたに関する記憶だったという事。流出の条件が、あんたを強く想い、そして想われる事。これらは決して無関係ではないはず」
「…………」
「本来なら分岐しなければならない確率時空を白銀がループしてしまっている原因。それを除去すれば……あんたのループによって世界にもたらされた影響や結果は全て、もたらされなかった事になる」
「……純夏の怪我や、まりもちゃんの記憶が全て元通りになる……って事ですか?」
「そうよ」
 武が身を置いている、閉じてループした時間軸上では、未来に進んで行けば過去に辿り着き、逆に過去に遡れば未来に到達する。武は今回、過去を変える事で未来を変えてきたが、それは見方を変えれば、未来を変える事で過去を変えた……という事になる。
 つまり、ループの中において武が因果導体でなくなれば、それによって一番最初の出来事であり全ての基点でもある、武が因果導体になった、という事実も消失してしまう。
 そして、武が因果導体になった事で起きた事象は、全てなかった事になる、というのだ。
「……もし仮に、俺が目的を達成出来ないまま死んだら、どうなりますか?」
「どうにもならないわ。あたしの推測では、あんたは死ねない」
「死ねば、また10月22日に戻る……?」
「そうなるでしょうね」
「なるほど……そういう事か」
「何か心当たりでもあるの?」
「ええ。はっきりとしたものじゃないんですけど、身に覚えのないイメージがいくつか。……つまり、俺が憶えていないだけで、何度もループしてるって事ですね?」
「その通りよ。死ぬ度に同じ世界で目覚め、同じ時間を繰り返す。そしてループの終点はあんたの死」
「じゃあ、前のループより前の記憶が無いのは……」
「そこまでは分からない。時間を遡った時に欠落したのだとは考えられるけど。でも、今のあんたは前のループの記憶をほとんど持っているのよね?」
「はい」
「だとすると、何か条件があるんでしょうね。前のループであんたはそれをクリアした。だから因果を失わずに済んだ」
「でも……おかしいな。俺の記憶だと、前回のループが一回目だって事になってるんですけど」
「その更に前のループで、そのあたりを認識するための因果が欠落してしまったのよ」
「前は身体が鍛えられてなくて、今回は鍛え上げられたままだったのは?」
「それも記憶と同じ。欠落するのは記憶じゃなくて、あくまでも因果だからね。ループした事を認識出来ないという事は、それは初めて向こうの世界に現れたのと同じ。つまり、身体を鍛えたという事も含めて、向こうの世界で得た因果を全て失って、あんたが初めてあの世界に現れた時と同じ状態に戻ってしまったのよ」
「じゃあ、身体は鍛え上げられたままなのに、肉体が若返ってるのは?」
「身体を鍛えることと年齢を重ねることに因果関係は無いからね。別に歳をとったからって身体が強くなるわけじゃないし、身体を鍛えると老けてしまうわけでもないでしょ?」
「なるほど……」
「このあたりの話……でもないか。記憶のやり取りとかその辺の話になっちゃうんだけど、まとめておきましょうか」
「お願いします」
 武が死んで時間をループする際、何らかの条件で因果をばら撒いてしまい、そしてその因果は虚数時空間を漂うのだと言う。
 虚数時空間にばら撒かれた因果を回収するには、主体世界で因果導体と接触し、関連付けを作ればいい。この世界から記憶が流出するのと同じプロセスを踏めば、主体世界である向こうの世界では、逆に因果を引き寄せる事になると言うわけだ。
 もっとも、人の生死に関わるような重い因果を引き寄せられるかと言えば、それは事実上不可能だ。
 重い因果を引き寄せるには、それだけ確固とした関連付けが必要になってくる。例えば、死という重い因果を引き寄せるためには、実際に死ぬくらいの事をしなければならない。
 事象を引き起こすために因果を引き寄せたいのに、そのためには先に事象を再現しなければならないのだ。これでは意味が無い。
 つまり、基本的に拾って来られるのは、記憶に代表される軽い因果だけだ。
 武の場合、自身が因果導体のため、記憶の関連付けさえ出来れば虚数時空間に漂う記憶を認識出来る。もっとも、今の武が知らない事まで都合良く拾って来られるわけではない。このループで初めてまりもと出会った時に突然イメージがフラッシュバックしたように、コントロールが出来ない事を考えると、むしろ不便な面の方が大きい。
 先のまりものイメージの例の場合、前のループでまりもが戦車級に食べられたであろう事を思い返して記憶の関連付けが完成、別のループで経験した、まりもがBETAに食べられてしまったという記憶を引き寄せてしまったのだ。
 これまで、古い記憶をやけに鮮明に思い出せていたのも、実際には思い出していたのではなく、思い出そうと深く考えた事で記憶の関連付けが出来て、虚数時空間から因果を引き寄せていたのだろう。思い出したように認識していたのは、引き寄せた記憶と元々持つ記憶を明確に区別する事が出来ないからだ。
 武以外の場合だと、因果導体である武と接触し、記憶の関連付けを作る事で、それが浮かび上がってくる。
 もっとも、それを別世界の自分の記憶だと認識出来るのは、あちらの世界の人間では夕呼だけだ。
 夕呼以外の人間ははこちらの世界の事は知らないので、より明確な関連付けを作る事が出来ず、流入した記憶をきちんと認識出来ない。先程夕呼が言った、良くて夢程度にしか認識出来ない、というのはこの事だ。

「本来、あんたが死んだ場合と死なない場合……それ以外にも無限に分岐して行くはずの世界が、あんたを基点に閉じてしまっているの。あんたは自分でその原因を取り除かない限り、絶対に解放される事がない確率時空の牢獄に囚われ続ける。それを自分で成さない限り……絶対に許されない存在になってしまった……」
「じゃあ、色々憶えている今のループで、何とか出来るように頑張らなきゃいけませんね。もし失敗したら、次にまた記憶を持ち越せるかどうかは分からないから」
「そうね。それもあるけど……それ以外でも、あまり時間に猶予があるわけじゃないわ」
「どういう事です?」
 夕呼によると、こうしている間にも武の持つ因果情報は、この世界そのものが持つ世界の記憶に書き込まれ続けているらしい。
 無論、武が向こうの世界に帰る事で、その書き込みは一時中断されるのだが、しかし、この世界の記憶に因果情報が書き込まれてしまった事で、武は既にこの世界の一部として認識されてしまった。
 そして武の存在によって引き起こされた事象、つまり純夏の事故という因果がこの世界に残される以上、この世界から立ち去ったとしても、武はこの世界の一部として認識され続ける。
 そうなると、この世界は欠けた白銀武という存在を求め始めてしまうのである。
 同じ系を基点とした並行世界間では、因果のやり取りが可能だ。それ故に、この世界の記憶が向こうの世界から、武の因果情報を次々と受け取ってしまう事になる。
 そして時間が経過すればするほど、世界の記憶に書き込まれた因果情報がこの世界に元々いた白銀武に収斂し、最終的に、この世界は向こうの世界の因果に支配されてしまう可能性があるのだ。
「つまり、あまり時間が経過してしまうと、純夏やまりもちゃんたちはずっとこのまま……それどころか、もし向こうで冥夜たちが死んだりでもすれば、その因果すら受け取ってしまうと」
「それだけじゃないわ。あんたは確か、向こうの世界には10億人しか人間がいないって言ってたわね」
「……って事は、結果的にこっちの世界の50億を、俺が殺してしまうって事ですか。……さすがに重いかなぁ……?」
「…………」
「ま、どうでもいいか。どの道、純夏やまりもちゃんの事はどうにかしなくちゃいけないんだし……そっちが解決すりゃ、その他大勢の問題も解決するんだし」
 重圧を感じていないはずはないのに、武は至極軽い調子で返事をした。
「…………世界を……頼むわ」
「……分かりました。ところで、俺を向こうに転移させる手筈はどうなってますか?」
 とりあえず得られるだけの情報を得たと判断した武は、話を半ば無理矢理方向転換する。
 これ以上この話を続けても、それは夕呼の心を抉る事にしかならないからだ。いくら夕呼が平静を装っていても、この一連の事件で彼女が負った心の傷は、決して小さなものではない。
 そんな武の気持ちを察した夕呼も、頭を切り替えて、これからの計画を話し始めた。とは言っても、今向かっている白稜大の原子力研究施設に忍び込み、そこから電力を拝借して転移装置を稼動させるだけだが。
 研究施設の内部構造に関しては、夕呼の手によって全て事前調査済みだ。
 やがて夕呼のストラトスは研究施設へと到着する。
 武と夕呼は車を降りてトランクを開け、転移装置を取り出した。
「それじゃ、俺は忍び込めそうなところを捜してきます」
「お願いね」
 守衛に見つからないように、武は施設の外側を一周する。
 原子炉を扱う施設だというのに、メインゲートには守衛が一人だけ、巡回はなし、監視カメラもなしと、その警備の甘さは武から見てありえないようなレベルだった。
 もっとも、それがこの世界と向こうの世界の決定的な差であるのだろうし、施設に潜入しようとしている武たちにとっては、むしろその方が都合がいい。
「裏口の錠を外しましたから、そこから入りましょう」
 武は裏口に掛けられていた南京錠を外し、夕呼と共に敷地内に潜入した。
 さすがに開口部には開放センサーが取り付けられているので、迂闊に開けると発報して守衛が駆けつけてくる。まずはそれを何とかしなければならないが、ドアの内側に設置されたセンサーを外から無効化することは出来ない。
 だとすると狙いは窓だ。武は手頃そうな窓を捜し、あらかじめ用意していたターボライターと冷却スプレーを使ってガラスを破り、その窓のセンサーを無効化して建物内部に潜入した。
 そして夕呼の待機しているドアに回り込んで、そのセンサーも無効化し、夕呼を内部に招き入れた。
「さ、行きましょう」
「分かったわ」
 武たちが廊下を進んでいると、曲がり角の向こうからコツ、コツという靴音が聞こえてきた。二人は物陰に身を隠し、守衛をやり過ごす。そして守衛が背中を見せたところに、武は音も無く背後から忍び寄り、首元に腕を挿し入れてそのまま裸絞めに持ち込む。首筋にガッチリと食い込んだ腕に頚動脈を圧迫され、脳への酸素供給を断たれた守衛は、声を上げる暇もなく絞め落とされた。
 ぐったりと倒れた守衛の手足を拘束、目隠しをして猿轡をかませると、死んでしまわないように処置をして意識を取り戻させる。そして、近くにあった清掃用具室の中に放り込むと、モップを一本掴んで夕呼のいるところまで戻った。
「やけに手際が良かったけど……軍隊って、こういう泥棒みたいな事も教えるんだ」
「いや、普通は教えませんって。……俺は色々と機会がありましたけど」
「ふぅん。ところでそれ……何に使うの?」
「え? まあ武器とかつっかえ棒とか、色々です」
「そ。じゃ、急ぎましょ」
「はい」
 そして、二人は原子炉の制御室に到着した。武はくすねてきたモップを使って、入り口のドアに閂をかける。
「それじゃあ、あのケーブルをこの紙の説明通り繋げてくれる?」
「分かりました」
 武がケーブルを接続している間に、夕呼は鞄の中から転移装置を取り出し、セッティングを始める。
 装置の最終調整が終わり、電力線と信号線、全ての接続が完了した。
「よし、繋がった。後は電力だけね。さて……これで本当にお別れになるわね。なにか言っておきたい事はある?」
「……この世界の俺や純夏のこと……よろしくお願いします」
「分かってる。あたしからは……そうね、向こうのあたしに吠え面でもかかせてもらいましょうか」
「はは、分かりました」
「よろしくね」
 武は向こうの世界の事──成さねばならない使命をイメージし、強く念じる。
 すると、武の身体の回りにぼんやりと白いモヤのような光が輝き始めた。
「パラポジトロニウム光よ。──いけるわ!」
「夕呼先生……色々、ありがとうございました」
「さようなら、白銀……元気でね。世界を頼んだわよ!」
「はい──」
「──しっかりやんなさいよっ! 白銀武!」

 武の視界がぐにゃりと歪み、意識が真っ白な闇に飲み込まれた。やがてそこに色が付き始め、それから歪んでいた視界が少しずつ元に戻っていく。
 そして、視界が完全に元通りになった時、武は自分が横浜基地B19フロアにある夕呼の実験室に立っている事に気が付いた。
「戻ってきた……か」



[1972] Re[21]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
 この世界はかれこれ五日ぶりだった。
 ただの気の持ち方の違いかもしれないが、やはりこちらの方が、漂っている空気に何かピリピリとしたものを感じる。
 武は転移が及ぼした影響を調べるために、まずは自分の身体の状況をチェックしてみた。BETAに噛み千切られそうになった左腕は、完璧に治癒したままだ。
 次に上着をめくって腹部を確認してみたが、川本に刺されたはずの脇腹も、傷跡すら残っていなかった。
 転移の時に虚数時空間に因果を落としてきたのか、それとも向こうの武の身体にそっくり置いてきてしまったのか。それは分からないし、確認する術もない。ただ向こうの武に影響を残していない事を願うばかりだ。
「ま、考えても仕方ないか……さて。気は進まないけど、とりあえずは先生の部屋かな……」
 無人の実験室を後にして、武は夕呼の執務室へと向かった。
「入りますよー」
「……!」
「白銀武少佐、特殊任務より只今帰還致しました! これより通常任務に復帰致します!」
 机に着いていた夕呼に対し、直立不動の姿勢でビシッと敬礼をして報告をする。
「……何よそれ。帰って来るなり嫌味?」
 武を騙すような形で向こうの世界へ送り出した罪悪感からだろうか。夕呼はどこか後ろめたそうな、くたびれた表情でそれに応えた。
「あれ、先生は俺に嫌味を言われるような事、何かやったんですか?」
「…………」
「まあいいです、話を進めましょう。早速ですけど、00ユニットはもう完成してるんですよね」
「…………あんた……どこまで知ってるの……?」
 探るようにして武を見詰める夕呼。武はそれを軽く受け流す。
「俺は何も知りませんよ。聞いても教えてくれなかったのは先生じゃないですか。そんなわけで、そろそろ俺も00ユニットが何なのか知りたいんですけど」
「…………」
「先生?」
「……分かったわ」
 そして、00ユニットの解説がなし崩しに始まった。
 それを理解するには、まずオルタネイティヴ計画の全貌を知らなければならない。
 武は転移実験中に聞いた説明の記憶を掘り起こした。
 乱暴に言えば、オルタネイティヴ1はBETAに関する調査全般、2は生態の研究解明、3は人工ESP発現体のリーディングとプロジェクション能力による、BETAとのコミュニケーション。
 オルタネイティヴ2ではBETAが炭素系生命体である事が判明。オルタネイティヴ3では、BETAには思考はあるものの、人類を生命体と認識していないという事が判明した。
 しかしBETAが人類を生命体と見なしていない以上、人工ESP発現体のコミュニケーションはそれが限界で、よってオルタネイティヴ3は頓挫。
 そして、BETAも人類も同じ炭素系生命体であるのに、BETAは人類を生命体と認識していないと言う事実を踏まえ、それまでの計画の成果を全て接収して、夕呼の提唱した案を元に始まったのが、オルタネイティヴ4である。
 さて、ここからが本題だ。
 そのオルタネイティヴ4の要、00ユニットの00とは、生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロ、という事を示している。
 つまり、00ユニットは人間ではない。
 BETAが炭素系生命である人類を生命体と認識しないのであれば、その逆──非炭素系擬似生命──00ユニットを作り出し、それをBETAに生命体と認識させる事で、コミュニケーションを図ろうと言うのである。
 この考えの根拠は、開戦当初、BETAが人間よりも機械に多くの反応を示した事に由来している。
 そして、00ユニットによって収集された情報を元に、BETA殲滅作戦を展開する。
 そのため、00ユニットにはリーディング能力とプロジェクション能力が備えられているのだが、その受け取ったイメージを言語に翻訳するためには、機械ではなく、人間の思考が必要になる。
 00ユニットの核となるのは、武が持ち帰った数式によって完成した人工脳──量子電導脳。それを非炭素系元素から作り上げたボディにインストールし、人間の脳の情報をそっくり移して、人としての魂を吹き込むのだ。
 その00ユニットは、武が持ち帰った数式を元にして、武が向こうの世界に行った翌日に、完成していた。
「……こんなところかしらね」
 夕呼は深く溜息をつく。
 武は説明を受けて、00ユニットとオルタネイティヴ4の全貌が見えてきた。しかし、まだ肝心な事が説明されていない。
 だが、そこから先は手持ちの情報から既に推測出来ている。
 向こうの世界の夕呼と話した通り、シリンダーに納められていた脳髄は純夏のもので、00ユニットはその脳の情報を量子電導脳に移し変えたものだろう。
 今のところ分からないのは、なぜ純夏が00ユニットの素体に選ばれたのか、そしてなぜ純夏があのような姿にされてしまっていたのか、という事だ。
「……大体分かりました。で、純夏はどこにいるんですか?」
「──!? ……なによ、やっぱり知ってるんじゃない……」
 夕呼は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに疲れた顔に戻ってしまう。
「状況から推測したに過ぎません。まあ材料はそれなりにあったんで、それを向こうの先生と検討したら……到達出来る結論はそんなに多くありませんでしたよ」
「…………」
「純夏、霞と一緒にいるんでしょ? 今までもずっと霞が面倒を見てくれてたんですよね。いつもの部屋ですか?」
「……ええ」
「じゃ、行きましょうよ」
「……分かったわ」
 武と夕呼は執務室を出て、シリンダーのある部屋へと向かった。
 通り慣れた薄暗い廊下を潜り抜けて、その向こう側にある扉を潜り抜ける。そこには、床に座り込んで一緒にあやとりをしている霞と純夏の姿があった。

「ただいま、霞」
「……白銀さん……おかえりなさ……い……!?」
 霞は武の姿を見て凍りついた。考えてみれば、武は向こうの世界で純夏の応急処置をした後、着替えていない。血に塗れた白稜柊の制服を見た霞は、心配そうな、申し訳なさそうな瞳を武に向けていた。
「ん、どうした? って、ああ……これか。大丈夫だよ、俺はどこも怪我してないから」
「……ごめんなさい……!」
「なんで謝るんだ……って、イメージ見ちゃったのか。別にいいよ。霞が悪いわけじゃないんだから」
 恐らく、武を向こうの世界に送り出した時の事を言っているのだろう。思い返せばあの時、霞は酷く不安そうな顔をしていた。夕呼のやろうとしている事を全て分かっていて、口止めされていたとはいえ、黙って見過ごした事がどんな結末を招いたのか知ってしまったのだ。止めようと思えば止められたのに、そうしなかった事を後悔しているのだ。
「霞が気に病むことじゃないよ。気にしなくていい」
「でも……」
「いいから。な?」
「…………はい」
「それでいい」
 霞から離れ、純夏に近付いていく武。向こうの世界の夕呼が言っていた通り、身体を取り戻しても人格が戻ってくるわけではないようで、その顔には表情が見られない。
「この世界じゃはじめましてかな、純夏。……でもないか。ここでずっと会ってたんだよな」
 武はフッとシリンダーの方に視線を動かした。そこには既に脳髄はなく、空っぽになっている。脳の中身を量子電導脳へ移植した際、機能が停止してしまったのだと推測出来た。
 因果律量子論によると、世界は安定を求める。
 量子電導脳に人間の脳の中身を全てコピーし、00ユニットを作るという事は、同じ世界で同一の存在がいきなり二つになるという事だ。元々存在し得ない、生まれてくる予定もないものが突如発生するわけで、つまり世界はより不安定な状態へと傾く。
 恐らくはその矯正力の影響で、あらかじめ数値化しておいた脳のデータを入力しても転送は成功せず、生きた脳から直接転送を行うと、元の脳の情報が全て抜け落ちてしまうのだろう。
 回避する方法はあるかもしれないが、実際にここから脳髄がなくなっているという事は、そのメカニズムは夕呼もまだ解明出来ていないのだ。
 武は純夏に視線を戻す。相変わらず、表情のない顔でぼんやりしている。
「…………」
「まだ上手く考えがまとまらないか?」
「……殺してやる…………」
「純夏?」
「……皆殺しに……してやる……」
「先生、これは──」
「──どう?」
 武が夕呼を振り返ると、霞に何か確認を取っているところだった。純夏の心をリーディングさせて、武と対面した事による変化を読み取らせていたのだろう。
「……だめです」
「そう、残念ね。白銀を見せれば、少しは変化も起こるかと思ったけど……」
「記憶の関連付けですか?」
「……まあね」
「いくら変化があるにしても、すぐには無理だと思いますよ。向こうの世界で起きた記憶の流出とは逆のプロセスを辿るわけでしょ? それなら最初はほとんど変化が見られないはずです」
「そう。まあいいわ、改めて紹介するわね。オルタネイティヴ4の最大の目的にして成果……人類に勝利をもたらす存在──00ユニットよ。これこそがBETA殲滅の鍵となる存在……あんたとあたしが──」
 その時、純夏の様子が急変した。
「……BETA……ッ! ──敵だっ!! ……殺す……殺す……殺してやる!! ──皆殺しにしてやるぅッ!!!」
「純夏!?」
「──あああぁッ!! BETAッ──殺してやる……殺す…………殺すッ……」
「……一度こうなると、落ち着くまでが面倒なのよねぇ」
「面倒って……なに言ってるんですか先生」
 暴れ始めた純夏を、どこか醒めた目で見下ろす夕呼。
 わざと挑発的な態度を取って、武から平常心を奪ってコントロールしやすくしようとしているのか。或いは他に目的があるのか。
 いずれにせよ、それに乗るわけにはいかないが。
 それよりも、今は純夏だ。
「……私が……殺す……BETA……殺す……」
「大丈夫だ、純夏……ここにBETAはいないよ」
 武は暴れる純夏を優しく抱きとめて、落ち着いた声で語りかけた。
「あ……う、あぁ……?」
「ほら、大丈夫だから。な?」
「うぅ……」
 むずがる子供をあやすように、優しく頭を撫でてやる。
 しばらくそうやって、落ち着いたかと思ったのだが……。
「──ぐあっ!」
 純夏は突然両手で頭を抱え込んで、再び暴れ始めた。武は抱きしめる力を強め、純夏を押さえつける。
「落ち着けって。大丈夫、怖くない」
「へぇ……これは……」
 その様子を、夕呼が興味深そうに見詰めている。
「……あ、ああっ…………いやあっ……!!」
「純夏?」
「ううぅ……ああああ……ああぁ……い、いやああああぁ────っ!!」
「純夏!!」
「──!!」
 何かが焼き切れてしまったかのように、純夏はぐったりと脱力して武にもたれかかり、気を失ってしまった。
「……今までに無い反応ね。やっぱり……特別という事かしら」
「よく言いますね。それが分かってたから、俺を向こうの世界に飛ばしたんでしょうに」
「────っ!」
 純夏の事をまるで実験動物でも見るかのような夕呼の目つきに、武は苛立ちを抑えきれず、ほんの僅かながらそれを表面に出してしまう。
 しかし、どんなつもりなのか分からないが、迂闊に夕呼の挑発に乗るわけにもいかない。武は一度深呼吸をして、気持ちを切り替えた。
「先生。質問、いいですか?」
「その前に……社。00ユニットを休ませてきてちょうだい。それが終わったらあなたも休んでいいわ」
「……はい」
「……二人ともお疲れさま。おやすみ」
「はい、白銀さん……おやすみなさい」

 霞が純夏を連れて出て行くと、部屋の中には武と夕呼の二人だけが残された。
「さ、どうぞ」
「まず00ユニットの素体に純夏が選ばれた理由。それと、なぜあんな姿でここにいたのかを教えてください」
「そうね……1999年8月5日に始まった明星作戦──」
 大東亜連合軍による本州奪還作戦は、2発のG弾によって、人類の勝利に終わった。その結果、人類は初めて敵のハイヴを占領する。
 横浜基地がその上に建設されていて、ハイヴの核となっている反応炉は未だ機能中、という事は武も知っている。前の世界で階級が上がるにつれ情報が開示されて──と言うよりは、責任と一緒に情報も押し付けられていただけだが。
 それはさておき。
 横浜ハイヴ内に残存するBETA殲滅のために、最深部を目指して突入した部隊が、BETAの捕虜になっていた人間達を発見した。
 正確に言えば、人間だったものを。
 そこには青白く光る無数の柱……その中には、恐らく捕虜になっていたと思しき人間達の脳と脊髄が納められていた。
 そして、何百とあった脳髄で、生命反応があったのはたったひとつ──それが純夏だった。
 名前が判明したのは、作戦から数週間後、霞がリーディングで読み取ったからだ。
 現状では、人間を脳と脊髄だけの状態で生かしたままにしておく技術は、人類には無い。横浜基地にあるハイヴとしての機能が稼動状態のまま維持されているのは、純夏を生かしておくためだった。勿論、エネルギー取得のためという理由もあるが、それはおまけに過ぎない。
 何のためにBETAがそんな事をしていたのかは不明。霞の集めたイメージから推測出来るのは、人間の何かを研究していたらしいと言うことだけである。
「とにかく、BETAが人間に興味を持ち始めていたのだけは事実……そして、BETAと直接コンタクトしていながら生存した人間……鑑純夏の存在は、あたし達を狂喜させた」
「……それが、純夏が選ばれた理由ですか」
 00ユニットはBETAに生命体と認識されるように創らなければならない。だとすれば、BETAの研究材料になっていた純夏は、他の人間に比べて、その可能性が高いだろうと言うわけだ。
 他にもある。生身の脳の情報を量子電導脳に移植して00ユニットの身体に取り込む際、一旦、脳以外の身体機能全てを失った状態を経験する事になる。人を人たらしめているものは人としての姿……それを一度に全て失ってしまうと、アイデンティティが一気に崩壊し、人としての自我を維持出来ずに、死に至ってしまう。だが、脳髄だけの姿になっても生きていた純夏なら、それに耐えられる目算は高い。
 そして、作戦の成功率を高めるために、00ユニットには因果律量子論で言う、より良い確率分岐を引き寄せる能力が必要不可欠だが、BETAの捕虜になりながら死以外の未来を引き寄せた純夏は、この条件も申し分ない。
 つまり、純夏は全てにおいて、00ユニットとして文句のつけようがない、極上の適性があったという事なのだ。
「元々はね、00ユニットの素体候補者を養成するためにA-01部隊が編成されたの。この基地の衛士訓練学校も、その前の段階である候補者の選抜をする機関として設立されたのよ」
「なるほど……。だとすると、そんな部隊に危険な任務をさせる理由は……振るい落としですか」
「…………」
「たかだか任務如きで死ぬような未来しか掴み取れないような奴は必要ない、って事ですね」
「……そうよ」
「政治的背景は抜きにして、冥夜たちにも適性が?」
「もちろんよ。全員に素体適性はあるわ」
「量子電導脳とかその辺の事、もう少し詳しく説明して貰っていいですか?」
「構わないわよ」
 00ユニットの頭脳、量子電導脳とは……BETA由来の高温超電導物質、グレイ・ナインで作られた人工の脳髄だ。
 グレイ・ナインとは、ウィリアム・グレイ博士が発見した、九番目の人類未発見元素。これはアサバスカに落とされたユニットを調査して発見されたものだ。今回、量子電導脳の材料となったグレイ・ナインは、横浜ハイヴ制圧の際に手に入れたものである。
 いくら量子電導脳が物理的に完成したからと言って、そこに人格や人間性が宿らなければ、00ユニットの完成とは言えない。ただの機械と同じだ。
 素体候補者の経験や記憶、技能や性格がそのまま量子電導脳に移植されなければ……00ユニットは人類でなければ意味が無い。
 00ユニットは地球の命運を握る存在であり、BETAに対する諜報員でもある。それ故に、様々な事を衛士訓練学校で徹底的に叩き込んでいたのだ。
 戦場に出ても死なずに済むように高度な戦闘技術。救世主に圧し掛かる重圧に押し潰されてしまわないように強靭な精神力。そして、人類を裏切る事の無いように、絶対的な忠誠心や使命感を。
 純夏には当然、軍人の素養などは無いのだが、そこで本来の役割が無くなったA-01部隊がその面をサポートし、肩代わりする事になる。だからと言って、A-01から純夏のスペアの役割がなくなってしまったわけではないが。
「だけど、鑑純夏が完全稼動すれば、これ以上の犠牲は出さなくて済むわ。00ユニットになるという事は、人間と言う生物ではなくなる事を意味する」
「A-01部隊が連隊から一個中隊まで減った理由が、それですか?」
「そうね。心臓を動かす、呼吸をする……そういう情報も全て、ごっそり移植するからね。脳から全ての情報を失った生物がどうなるか……分かるわよね。00ユニットに、外見だけじゃなく人間と寸分違わない擬似器官や生体機能を与えているのはそういう理由……。
 存在すべき器官がなくなると、脳の生理バランスが崩れて精神崩壊を起こし、最終的には人間だった部分が死んでしまうのよ。それを維持する機能だけは、未だにBETAの技術に頼らざるを得ない」
「…………」
「定義や解釈は色々あるけど、ある意味、鑑純夏はあの状態で生きていた。そして今、鑑純夏だった脳髄の生命活動は既に停止している。残っているのはただの標本。
 鑑純夏を殺したのはあたし。BETAは生きたままバラバラにしただけ。
 あんたはその片棒をあたしに担がされただけ。
 それだけじゃないわね。この世界の因果が流れ込むことを承知の上であんたを向こうの世界に送り込んで、グチャグチャに掻き回させたのもあたし。向こうの世界の鑑純夏はこっちの鑑純夏の因果を受け取ってどうなった? この世界じゃ、BETAの技術によって脳髄だけの姿でも生かされ続けてきたけど、向こうにはそんな技術ないわよね。死んじゃった?」
「……生きてますよ、一応ね」
「あ、そ。……あたしが許せない?」
 夕呼は白衣に隠されていた拳銃を取り出して、机の上に置いた。
「貸してあげるわ。向こうから帰ってきたばかりじゃ、武器なんて持ってないわよね。許せないならあたしを撃ちなさい、遠慮はいらないわ」
「…………」
 武は銃には目もくれず、夕呼の様子を窺っている。
「どうしたの? 鑑純夏を殺し、その片棒をあんたに担がせた張本人が、目の前にいるのよ?」
「片棒……ですか。まんまとしてやられましたね。まさにこの時のために俺を懐柔し続けてきたんでしょう? 考えてみれば……クーデターを鎮圧した時、ほぼ理想通りの展開になって気が緩んだのか、ぽろっと本音が出てたんですよね」
「……何のことかしら」
「まりもちゃんの進退の事ですよ。現役復帰が渡りに舟で好都合だった……なんて事、いつもの先生なら言うはずがない。たとえ好都合だったとしても、あんたの言う通りにしてあげてるんだから目一杯感謝しなさい、って態度を取ります。実際、最初の時はそうだったわけだし」
「…………っ」
「そうやって俺は勝手に先生に借りを作ったと思い込むと同時に、何だかんだ言いながら要望を聞き入れてくれる先生の事を、無条件で信頼するようになっていった。それが積み重なって、向こうの世界に行く事をあっさりと了承してしまった。さすがとしか言いようがないですよ」
「…………買い被りすぎよ」
「それはどうでしょう?」
「……そんなにあたしが憎いなら、それ、使ったら?」
 夕呼は机の上の拳銃を指し示す。
「…………」
「もうあたしを殺しても、オルタネイティヴ4は達成されるわ。そういう段取りは付けてある」
「その前に、俺の仕事について教えておいてくれませんか?」
「……そうね。あんたにはこれから00ユニットの──」
「純夏の感情と人格を取り戻せと」
「…………ヤな奴ね、あんた」
「ふふっ、先生には負けます」
「……まあいいわ。後は00ユニットの調律だけ。次の作戦が25日に控えてるから、それまでにある程度は形にしてもらわなくちゃならないけど、あんたなら大丈夫でしょ」
「……調律?」
「デバッグと調整作業のことよ。あたしはそう呼んでるの。……もういい?」
「そうそう……純夏の事を00ユニットって呼ぶの、やめにしましょうよ」
「……あれは00ユニットよ。鑑純夏の姿形をしているだけ」
「らしくないですね。純夏を純夏と認めて接するのがそんなに怖いですか?」
「……なんですって」
「00ユニットが完成したの、俺が向こうに行った次の日でしたっけ。向こうで純夏が事故にあったのは今日。これが何を意味するか、先生ともあろう人が分からないはずないですよね。
 この世界の純夏は、00ユニットになった時点で生物学上の死を迎えている。にもかかわらず、それより後に因果を受け取った向こうの純夏は死ななかった。
 つまり因果律量子論的には、この世界の鑑純夏は死んではいない……違いますか?」
「……まったく、やりづらいわね。そうよ、あんたの言う通り。あたしの負け。これで満足? さ、もういいでしょ、早く終わらせて頂戴」

 夕呼は先程から自らの生殺与奪の権利を投げ出し、武に全てを委ねていた。先程から武を挑発するような態度を取っているのも、ここで楽になろうとしているからなのかもしれない。
 真意は分からないが、オルタネイティヴ4がまだ途中で、BETA殲滅も達成されていない以上、少なくともやるべき事が終わったから清算しよう、というのではない事だけは確かだ。
 さすがに今回の一件は、さしもの夕呼でも耐え難いほどに、心にずしりと圧し掛かっているのだろう。本来この世界とは無関係のはずの武が、全てを真正面から受け止めて平気なフリをしている事も、それに拍車をかけているのかもしれない。
 恐らく、夕呼は本気で言っている。自分がいなくなってもオルタネイティヴ4が達成される……などと言ったのが何よりの証拠だ。
 これが賭けであるはずがない。もしそうであれば夕呼は死ぬつもりなどなく、それはつまり、まだ成すべき事が残されているという事だ。夕呼がいなくては出来ない事が残されているような状況で、自分の命をチップにする……一つ負ければそこで全てが終わってしまうような勝負に出るなど、考えられない。
 もし万が一ここで夕呼が死んでしまえば、これまで積み上げてきた努力は全て無駄になる。何の策も弄せず、そんな博打に出られるような情勢でないのは、夕呼自身が一番良く理解しているだろう。
 にもかかわらず、自分がいなくなっても問題は無いとまで言い切ったという事は、つまり本当にそうなのだ。
 しかし夕呼が何を望もうが、武を因果導体にした原因を捜すために、因果律量子論を熟知する夕呼の協力は絶対に必要不可欠だ。
「銃、しまってください。必要ないです」
「……そうだったわね。あたし如き、あんたなら素手で十分よね」
「別にそんなことはしませんよ」
「なによ、人を殺すのが怖いの? 自分の手は汚せないって事?」
「何を今更。俺の手なんて、とっくの昔に血で染まりきってますって」
 武は肩をすくめてみせる。
「じゃあ何だって言うのよ。言ってご覧なさい、何だって言うの?」
「そんな怖い顔しないでくださいよ。それに、どうして俺が先生を殺すだなんて話になるんですか」
「………………それは」
「冗談じゃないです」
「白銀……」
「俺が先生を殺したりするはずないじゃないですか」
「……あんたはそれでいいの……?」
「良いも悪いもありません」
「…………」
「そんな事をしたらこれから先、俺の負担が思いっきり増えるだけじゃないですか。先生は俺を過労死させるつもりですか?」
 武は、何を馬鹿な事を、とでも言いたげな薄ら笑いを浮かべる。
「──っ!」
「大体、こんな中途半端なところで楽にしてもらえるだなんて、先生にしちゃ考えが甘すぎますね。最後まできっちり苦しみ抜いて下さい。途中で逃げ出すなんて絶対に許しません」
「……っ……」
「…………」
「…………」
 会話が途切れ、部屋の中を重苦しい沈黙が包む。二人の間に緊張が走り、お互いに相手の真意を探るような疑いの眼差しで視線をぶつけ合い、間に漂う空気は次第に険悪さを増していく。
 一触即発の空気は更に張り詰め、今にも暴発しそうな気配を醸し出す中、先に耐えられなくなって沈黙を破ったのは、武の方だった。
「うが~~~! もう限界じゃああああ~~~~!!」
 突然吼える武。そして、纏っていた重い雰囲気はさっぱりと消えてなくなり、いつも通りの軽いものに戻る。同時に、部屋中を覆い尽くしていた険悪な空気も一気に霧散してしまった。
「な、なに!?」
「色々と酷い事を言っちゃって、ごめんなさいっ!」
 夕呼を正面に捉え、ぺこりと頭を下げる武。
「……な、なによ、いきなり」
「向こうの先生に頼まれたんですよ。吠え面かかせろって」
「は?」
「だから、さっきから意地悪な事ばかり言ってたのは、向こうの先生に頼まれたからで」
 夕呼は呆気に取られた顔で武を見て、そしてそれは苦虫を噛み潰したようなものに変わった。
 武の意図が伝わったようだ。
「…………やられた」
 こめかみを押さえて深い溜息をつく夕呼。
「いや、あははは……」
「はぁ……ホント、嫌になるわね。あんた、前より性格が酷くなったんじゃない?」
「酷くなったって……それじゃ前から俺の性格が悪かったみたいじゃないですか」
「あら、違ったの?」
「もう、酷いなあ……」
「ふふん、お返しよ」
「……向こうじゃほとんど先生と一緒にいましたからね。多分そのせいです」
「む……あんたも言うわね」
 先程までの重苦しい雰囲気が嘘のように消え去り、酷く疲れ果ててはいるものの、二人は微笑を浮かべ、その間には穏やかな空気が流れ始める。
「……お願いですから、冗談でも死んでもいいみたいな事……言わないで下さい」
「どうしたのよ、急に」
「半分以上は本気だったでしょう? 我侭でしかありませんけど、先生に死んで欲しくないってのは俺の本心ですから。もちろん、利用するとかしないとか、そんなのは一切関係なしですよ?」
 武にとっては、夕呼もまた護るべき存在の一人である。それは一度死んで、この世界に再び舞い戻ってきた時に誓った事だ。勿論、夕呼が裏で色々と動き回っているであろう事は承知の上でだ。今更何があったとて、その立脚点とも呼ぶべき誓いを覆すつもりは毛頭なかった。
「やめてよ、そういうの。真顔でそんなこと言うなんて……反則じゃない」
「……? 何が反則なんですか?」
「なんでもないわよ。……悪かったわね、あたしらしくもなかったわ。気が付かないうちにあたし、あんたに相当甘えてたみたい」
「構いません。前に愚痴くらいなら聞くって言いましたけど、別に寄りかかってくれたって構わないんですよ? それに今回の一件は、俺も知らなかったで済まされるような問題じゃないです。だから、一緒に背負っていきましょう」
「ああもう……調子狂っちゃう」
 夕呼は憮然とした面持ちで、どこか照れくさそうに言った。その頬は僅かに紅く染まっている。
「先生……なんか顔が赤いみたいですけど、ひょっとして熱でもあるんじゃ──」
「はぁ……こういう奴だったわよね、あんたは。別になんでもないわよ」
「そうですか? まあ、大丈夫ならいいです。さ、これからの事を考えましょう。後ろばかり見てても前には進めません」
「分かったわ」
 確かに支払った代償は大きなものだ。しかし、それを後悔して前に進むのをやめる事だけはしてはいけない。でなければ、払った犠牲が全て無駄になってしまう。それらを悔いて清算するのは、全てが終わった後だ。
 それに、全てを取り返すチャンスはまだ残されているのだ。後ろなど向いている場合ではない。
 武と夕呼はこの部屋を出て、場所を執務室に移した。



[1972] Re[22]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
「それで、これからどう動いていくんです?」
 武は夕呼に訊ねた。
 00ユニット──純夏の感情を取り戻し、BETAの情報を集めて反攻作戦を開始するという話は聞いたが、具体的にどんな作戦を展開していくかまでは、まだ聞かされていない。
「オルタネイティヴ4の次のフェイズが、00ユニットの運用評価試験──リーディングによる諜報活動だということは理解してるわよね? おっと……ごめんなさい、00ユニットじゃなくて鑑純夏って呼ばなきゃいけないんだっけ」
「どっちでもいいですよ。先生の呼びやすい方で」
「構わないわ。それでね、鑑がBETAに対してリーディングをする事になるんだけど、その作戦名は甲21号作戦。ターゲットはもちろん、甲21号目標」
「……佐渡島ハイヴで?」
「そうよ。突出してきた下っ端相手にリーディングしても、大した情報は得られないでしょうからね」
 だから出来るだけハイヴに近付いて、ハイヴを丸ごとリーディングして大量の情報を取得しよう、というのだ。
「あんたとA-01部隊には鑑の直援に付いてもらう事になるわ」
「純夏も戦術機で?」
「いいえ。XG-70……って、憶えてる?」
「前に鎧衣課長が言ってた? 確か米軍の兵器とか……」
「ええ、それ。XG-70は開発の中断された欠陥兵器だったんだけど、鑑を搭乗させる事で実用レベルまでこぎつけられるの」
 XG-70──1975年にスタートした米軍のHI-MARF計画で、米ロックウィード社が開発した戦略航空機動要塞。今回純夏が搭乗する予定になっているのはXG-70b──試作二号機だ。改めて日本で命名されたコードネームは、凄乃皇弐型。サイズは全高で戦術機のおよそ七倍という、実に巨大なものになる。
 戦略航空機動要塞は、単独で敵支配地域の最深部まで侵攻し、短時間でハイヴを破壊するという、夢のようなオーダーを叶える兵器だ。
 搭載されたムアコック・レヒテ型抗重力機関から発生する重力場──ラザフォード場でレーザー兵器を含むBETAの攻撃を無力化し、重力制御の際に生じる莫大な余剰電力を利用した荷電粒子砲でハイヴを攻撃する。
 しかし、87年に計画は頓挫。
 元々有人兵器として設計されながら、人間が搭乗出来ない代物になってしまったのだ。
 XG-70の機動には重力制御が行われ、理論上、在来兵器では考えられないほどのものになるはずだった。故に、コックピットにはラザフォード場を展開して、操縦者を急激な慣性の変化から隔離する方法を採用したのだが、人間の生理機能を100%トレースする技術が確立出来なかった。
 当初はその辺りが楽観視され、ラザフォード場で包んでさえいれば60%程度で十分だと考えられていたが、実戦を想定した高機動時の荷電粒子砲運用を想定したテストで、搭乗したテストパイロット12人がコックピット内にぶち撒けられたシチューのようになってしまった。
 荷電粒子砲は光学兵器ではないので、発射時に反動が発生する。それを押さえ込むために機体底部と後方にラザフォード場を複数発生させるのだが、その多重干渉の影響をキャンセル出来ず、巻き込まれてしまったのだ。
 更に調査を進めた結果、実戦機動だけでなく、通常機動でもパイロットの安全が保証されない事が判明した。
 よって、仕方なく無人化して自動制御で運用する事になったのだが、状況判断をプログラム任せにした事で柔軟な対応が不可能となり、結果、米軍の要求仕様を満たす事が出来なくなった。
 頓挫した理由はまだある。
 ムアコック・レヒテ機関──ML機関のスピンオフ技術から、お手軽で量産も簡単な兵器──G弾が開発されたのだ。
 そしてXG-70……ML機関の燃料になるのはグレイ・イレブン。量子電導脳の材料になったグレイ・ナインと同じく、BETA由来の人類未発見元素。
 極めて希少性の高いグレイ・イレブンを、完成されたG弾という兵器と、完成の目処の立たない欠陥兵器のXG-70のどちらにつぎ込むか。結果は一目瞭然だ。
 そんなわけでお蔵入りになっていたXG-70だが、00ユニットの持つ処理能力なら、先にあげた欠陥を全てクリア出来る。
 夕呼がXG-70を接収した最大の目的は、純夏を守る鎧とする事。もちろんXG-70は兵器なので、色々と攻撃能力が付随してくるが、それはあくまでおまけでしかない。
 もっとも、リーディングが成功して本格的な反攻作戦に移行すれば、その時は鎧としてだけでなく、敵を断つ剣としての力も振るう事になる。
 オルタネイティヴ4としてはG弾を派手に使われるのは迷惑なので、その辺りの理由を全てひっくるめて、計画権限でモスボール処置されていた機体を接収したと言うわけだ。
 前に鎧衣課長に話を聞いた時は、米国は渋っていたようだったが、恐らく00ユニットの完成で手のひらを返したのだろう。

「作戦には極東国連軍と帝国軍も参加するわ。鑑の直援はあんたたちだけど、大局的に見れば、鑑のための露払いと楯は、全て彼らにやって貰おうってわけ。まあ、表向きは佐渡島ハイヴ制圧作戦って事になってるから、凄乃皇弐型とA-01部隊以外はセオリー通りのハイヴ攻略戦を展開するんだけどね」
 つまり、宇宙総軍の装甲駆逐艦隊による軌道爆撃から始まって砲撃による面制圧、陽動作戦でBETAの戦力を分断し、そこに宇宙総軍の軌道降下兵団が再突入し、ハイヴ内部へと突入を開始、制圧を目指す。
「作戦はこんな感じだけど、BETAを排除するという意味において、出撃する戦力は全て鑑の護衛だといっても過言じゃないわ」
「極東国連軍と帝国軍は、それを承知してるんですか?」
「もちろんよ。ま、エサをチラつかせたんだけどね」
「エサ……ああ、XM3ですか」
「ええ、そうよ。あんたがトライアルで大暴れしてくれたおかげで、XM3の商品価値は天井知らずで未だに暴騰中。喉から手が出るほど欲しかったみたいで、なりふり構わず二つ返事で飛びついてきたわ。
 それに、帝国軍にはクーデターでの貸しもあるからね。あの事件を機に、帝国軍は国連に対する態度をかなり軟化させたし、何といっても煌武院殿下に絶大な信頼を寄せられているあんたがここにいる、ってのは大きいわ。
 まあ、佐渡島ハイヴは帝国軍にとっても最優先排除目標だからね。XM3もタダで手に入ることだし、いい機会だと思ったんじゃない?」
「そうですか。……ところで、横浜基地の部隊は、やっぱり使えませんか?」
「残念ながら問題外。トライアルの時のあのザマを見ちゃうとね。もっとも、ここの守りを薄くするわけにもいかないから、どちらにしてもA-01以外に横浜基地の兵力は割けないんだけど」
「一つ確認してもいいですか」
「……何?」
「トライアルの時、BETAを放ったのって先生ですよね?」
「……!?」
「やっぱそうですか」
「…………」
 あの時にも色々と不審な点に思い当たっていたが、BETA殲滅を優先したので深く考える事はなかった。だが、後から思い返してみれば、やはり腑に落ちない点がいくつも浮かび上がってきた。
 横浜基地近辺に何の前触れもなく突然BETAが出現した時点で、これは人の手が関わっているものとほぼ断定出来た。防衛線にも監視網にも引っかからず、何の予兆もなくBETAが出現する事など、まずありえないからだ。
 BETA側の戦力にも不審な点はあった。確かに脅威ではあったが、それでもBETAが侵攻して来たにしては数が少なすぎたのだ。かと言って、実験用に捕獲したにしては、多すぎる。通常、いつ侵攻してくるか分からないBETA相手に、あれだけの数を捕獲する作戦など展開する事は出来ない。
 最初はオルタネイティヴ5推進派の妨害工作かとも思ったが、よくよく考えてみればそれはありえない。
 人為的なものだという事は、捕獲したBETAを解き放ったという事になるが、そのためには、どこかにBETAを捕まえて隠しておく場所が必要になる。横浜基地近辺で言えば、基地内しかない。元々ハイヴだった場所なのだから、これはうってつけだ。
 だとすれば、オルタネイティヴ5推進派ではありえない。他のどこの勢力でもないだろう。横浜基地内で夕呼の監視を逃れる事など出来ないからだ。例外はただ一人、夕呼自身。
 そして、それだけの量のBETAを捕獲するチャンスもあった。11月11日の佐渡島からのBETA南進。それを事前に知っていたのも、武を除けば夕呼だけ。つまりはそういう事だ。
「別にBETAを放った事に関してはどうだっていいですよ。ただ気になってたから確認しただけです」
「でも、あんたはそれで怪我を──」
「はいストップ。綺麗さっぱり治ったんだから、何も問題はありません。あ、今更向こうの世界がどうとか言うのも無しですよ?」
「……そうだったわね」
「損耗した部隊に関しても……問題はないでしょう。あの程度を切り抜けられないようじゃ、そのまま前線に出たって味方の足を引っ張った挙句に死んでいくだけですから。勿論、訓練次第で改善の余地はあるでしょうけど、あの一件がなければ本気で訓練に打ち込む事もなく腑抜けたまま。でも、今は改善されつつあるんでしょう?」
「ええ」
「なら問題ないです。基地全体としてはどうです? 前に佐渡島からBETAが南進して来た時は、かなり腑抜けてたように見えましたけど」
「手厳しいわね。そっちの方も何とか改善しつつあるわ」
「そうですか。……あと、話は戻ってハイヴ攻略についてなんですけど」
「ん?」
「凄乃皇と純夏を出す以上、絶対に陥落させなきゃ、後々よろしくない事になる可能性が大きいんじゃないかと」
「……何かあるの?」
「BETAの戦略や戦術について……というか、前のループでG弾を無効化されていった事とか、その辺の経験を踏まえての話なんですけど」
「いいわ、言ってみて」
「はい」
 前のループで、G弾の運用が対策されていった事を改めて説明する武。
 反攻作戦初期は、勿論、G弾の対策がされているというような事はなかった。転機が訪れたのは、一度の作戦でハイヴ攻略を成功させられなかった事があってからだ。
 G弾の運用法自体は、基本的に通常砲撃と同じ。対レーザー弾──AL弾をレーザー種に迎撃させる事で重金属雲を発生させ、一時的に対空戦力を無効化したところに撃ち込むだけだ。通常砲撃と異なっているのは、破壊力が桁違いであるという事だけだ。
 そのG弾だが、一度の作戦でハイヴを墜とせずに存在を知られてしまうと、脅威度によるレーザー種の撃墜優先順位が変わってしまい、G弾を優先的に迎撃してくるようになった。
 無論、あの手この手で重金属雲を発生させようと戦術を変えていったのだが、最終的には重光線級が連携を組み、常に同一箇所を照射し続ける、或いはレーザーを束ねて出力を飛躍的に上昇させる事で、重金属雲を貫通させる事が可能となったため、G弾の運用が不可能になってしまった。
 そんな事があったので、いきなり無効化されてしまうわけではないだろうが、凄乃皇も何らかの手を打たれる可能性は否定出来ない。
「なるほどね……」
「だから、鹵獲されるされないに関わらず、連中には極力情報を与えない方がいいんじゃないかと思って。それで、今の作戦はどうなってます?」
「突入部隊による制圧が成功すれば、凄乃皇とA-01部隊はそのままハイヴ内に侵入して情報収集。失敗した場合は凄乃皇の攻撃で相手戦力の無効化、その後、帝国軍部隊がハイヴ内に突入して残存BETAを掃討……ってところ」
「凄乃皇の荷電粒子砲……でしたっけ。威力はどのくらいになるんですか?」
「そうね……一撃でハイヴの地表構造物を吹き飛ばせるくらいはあると思うけど」
「G弾と比較した場合は?」
「単純に威力だけならG弾でしょうね」
「荷電粒子砲の発射回数制限は?」
「ODL劣化の事を考えれば……最大でも一桁に留めておきたいわね」
「……ODL?」
「あら、説明してなかったっけ」
「はい」
 ODLとは、純夏の頭蓋内に満たされている液体で、あらゆる観測から量子電導脳を隔離するためのものだ。冷却剤としての役割もあり、放熱のため、血液のように体内を循環している。
 それはさておき。ODLは量子電導脳の稼働率や時間経過によって劣化していく。通常72時間以内に交換、或いは浄化しなければならない。それを越えると、良くて機能停止、最悪、再起動しても人格と記憶の再現が出来なくなり、00ユニットは人型をしたコンピューター以下のものになってしまう。
 今度の作戦では、純夏の役目はリーディングによる諜報活動だ。あくまでもそれがメインだから、戦闘行為でODLの劣化を促進させるのは可能な限り避けたい、というのである。
「まあ、7~8回も撃てれば問題はないか……」
「……?」
 武は少し考え込んで、口を開いた。
「軌道降下部隊の突入作戦をやめさせる事って、出来ませんか?」
「どういうこと?」
「その兵力も陽動に回すんです」
「根拠は……あるのよね」
「はい。俺が昔、佐渡島ハイヴに潜ったときは──」
「──えっ!?」
 驚く夕呼。
「どうかしたんですか?」
「あ、あんた……ハイヴに突入した事があるの!?」
「そう言えば話してませんでしたっけ。ええ、ありますよ。国連軍と帝国軍の共同作戦で、横浜基地からも突入部隊を出すことになりましたから。まあなんていうか、養ってやってるんだから兵くらい出せよ、みたいな。戦術機とか払い下げてもらったりしてましたから」
「制圧は……出来たの……?」
「はい、何とか。もっとも、G弾がなければどうにもならなかったでしょうけど」
「…………」
「その時、投下されたG弾は六発。BETAを目一杯地上に誘い出して、それをG弾で一掃。それを六回繰り返しました。そこまでやっても、突入後はかなりギリギリの状態でした」
「…………」
「あの時は、佐渡島ハイヴはフェイズ5に成長してましたから、BETAの総数は今よりも多かったはずですけど、そこからG弾六発で排除した分を引いた数と、今の佐渡島から今回の作戦の通常砲撃で排除出来る分を引いた数を比べれば、どう考えても今回の方が圧倒的に多いです。
 だから現状では、どんな精鋭部隊が突入したとしても制圧はほぼ不可能でしょう。そして、その後には凄乃皇弐型の荷電粒子砲が控えているから、完全な無駄死にに終わります。最終的には突入しなきゃいけませんが、凄乃皇を待たずに突っ込むのは全くの無意味かと」
「……分かったわ。何とか手を打ってみましょう。今更、あんたの話を疑う理由もないからね」
「お願いします」
「一つ聞いていい?」
「何ですか?」
「……あんたが突入した時の佐渡島ハイヴ、フェイズ5だって言ったわよね」
「ああ、待ったんです。成長するのを」
「……アトリエね?」
「はい」
 アトリエとは、ハイヴ内にあるBETAの特殊物質生成プラントの通称だ。そこでは、グレイ・ナインやグレイ・イレブンと言った、人類未発見元素が精製されている。ただし、アトリエはフェイズ5以上の成熟したハイヴにしかない。
 つまり、その技術を鹵獲したいのであれば、フェイズ5以上のハイヴを制圧するしかない。その時、一番制圧しやすいのは、アトリエが完成した直後の、フェイズ5としては一番若いハイヴだ。
 そのため、フェイズ4だった佐渡島ハイヴが成長するのを待ったのである。
「あと……そうですね。アトリエやG元素の有無に関係なく、ハイヴは制圧じゃなくて破壊するのがいいと思います」
「どうして?」
「制圧したハイヴに向かってBETAが攻めてくるからです。多分、取り戻そうとしてたんじゃないかと思うんですけど」
 11月11日、佐渡島ハイヴからBETAが南進してきた時の目的地が横浜基地だったように、武の記憶でも、日本国内においてBETA侵攻時の目的地はハイヴを占領した場所、つまり佐渡島と横浜基地だった。
 人類が攻勢に出ている間は問題なかったのだが、一度劣勢に転じてしまうと、それは絶対に防衛しなければならない拠点が増えてしまったという事に他ならない。
 日本としては絶対に守らなければならない場所は帝都。横浜は帝都に隣接しているようなものなので、防衛線を構築する場合、両者を同一箇所と見ても問題は無い。だが、佐渡島ほど離れてしまうと話は別だ。
 佐渡島を奪還した事で、国内の絶対防衛線は押し上げられたのだが、帝都や佐渡の守りを手薄にするわけにもいかない。それで首都圏と佐渡島、二ヶ所に対して新たに最終防衛線を構築することになり、それは同時に戦力の分散を意味していた。
 最終的には佐渡島を放棄することになったのだが、それが決定されるまでの間に、徒に戦力を消耗してしまったのだ。
「まあ、今の佐渡島ハイヴならアトリエもないですし、純夏のリーディングさえ上手くいけば、破棄してしまっても問題ないでしょう」
「そうね」
「あと、反応炉を破壊した時点での残存BETAですけど、横浜基地か甲20号目標に向かう事になると思います」
「生きてる反応炉を目指すってことね?」
「はい。それを殲滅する準備も必要かと」
「分かったわ。で、あんたはどうするの?」
「……何がです?」
「ハイヴに突入するのか、ってこと」
「そうですね……やるにしてもA-01部隊の練度次第、ってところです。俺一人で突っ込んだって、反応炉の破壊なんて出来ませんし」
 武は肩をすくめてみせた。
「じゃ、場合によっては突入するってことで、作戦に組み込んでおいていいわね?」
「構いません」
「分かったわ。……でも、上の連中を納得させるのが大変そうね、これは」
「XM3はエサに出来ませんか?」
「一応、そのつもり。と言うか、今のところそれくらいしか交渉材料がないのよね。連中にXM3を渡したら、米軍にも行き渡ることになるでしょうけど、それは仕方ないわ」
「普及するのは結構ですけど、米国との交渉のネタがなくなるのは拙いんじゃ──」
「それは大丈夫よ。今度の作戦が成功すれば、もっと大きな材料になるから」
「リーディングしたデータが、ですか?」
「もちろんそれもあるけど、作戦の成功そのものが、ね。今回投入するのは凄乃皇弐型と鑑──00ユニットでしょ? つまりこの作戦は、あたしの提唱した計画にとっての試金石なわけ。作戦の成功が、そのままあたしの計画が有用だという事を証明するのよ」
「なるほど……それでシンパが増えれば、今後の交渉にエサは必要なくなる、と」
「そういうこと」
「失敗した時は?」
「状況が厳しくなるだけよ」
 夕呼は先程の武のように、肩をすくめた。
「これまでだって、なんだかんだ言いながら綱渡りの連続だったんだし、今更でしょ?」
「はあ……」
「あと、話しておかなくちゃいけないのは、あんたの所属のことかしらね。一応、正式には今までと同じで、あたし直属の特務兵ってことでお願いするわ。それと同時に、A-01部隊にも所属してもらうことになる。任務内容はA-01部隊と同じだけど、鑑の調律とか、あんたじゃなきゃ出来ないような任務がある時は、そっちを優先」
「部隊での俺の位置付けは?」
「好きなようにしていいわよ」
「……は?」
「あんたとまりもを含めても14機編成にしかならないけど、白銀大隊とか神宮司大隊にしちゃってもいいし。中隊のままで、それをあんたやまりもが率いてもいいし、伊隅に押し付けたままでも構わないわ」
「……伊隅?」
「ああ、会ったことないんだっけ。伊隅みちる大尉。今のA-01部隊を指揮してる娘よ」
「はあ……」
「この辺はまりもとでも話し合って、決まったら教えて頂戴。その通りにねじ込んであげるから」
「分かりました」
「それじゃ、今日はもう休みなさい。さすがに疲れてるでしょ?」
「はい、そうさせて貰います」
「…………色々と悪かったわね」
「いえ……いいんです。その代わり、絶対に勝ちましょう」
「ええ」
 武は執務室を出ようと扉に向かって歩いていく途中、ふと気が付いたことがあって夕呼を振り返った。
「あ、そういえば……斯衛の月詠中尉たち、帰ってきてますか?」
「ん? 数日前に戻ったわよ。それからはXM3に慣熟するために、ずっと訓練してるみたい。さすが斯衛ともなれば、そこらの衛士とは心構えが全然違うわよね」
「へぇ……もうXM3を使い始めてるんですか」
「彼女達だけじゃないわ。今回ばら撒いたXM3は、もう末端にも配備され始めてるはず。だから、甲21号作戦に参加する部隊は、XM3搭載機で来るんじゃないかしら」
「そうですか……戦況をひっくり返すほどの力はないにしても、死人が減るといいですね」
「そうね」
「じゃあ、今度こそ失礼します」
「ええ、おやすみなさい」

「……し、白銀!?」
「あれ……まりもちゃん」
 夕呼の執務室を後にして、自室に戻ろうとB4フロアの廊下を歩いていると、後ろからまりもに呼びかけられた。
 武が立ち止まって振り向くと、その姿を見たまりもはギョッとして目を見開く。
「あなた、いつ帰って──だ、大丈夫なの!?」
 制服に染み込んだ血に気が付いたまりもが、武を気遣うように、心配げに訊ねてきた。
「ああ、平気ですよ。俺の血じゃないですから。……どうかしましたか?」
「あ……」
「あ?」
「あんな大怪我してたのに、単独で最前線へ特殊任務に行くなんて! あなた、一体何を考えてるの!?」
「いや、あの……?」
「まったく、夕呼も夕呼だわ!」
「お、落ち着いて、まりもちゃん……」
「あっ…………ご、ごめんね」
「いえ。心配してくれてありがとうございます」
「……何があったのか……教えては貰えないのよね」
 少しだけ寂しそうな笑みを浮かべるまりも。
「すみません。一応、機密なんで」
「分かってるわ。馬鹿なこと聞いちゃったわね、ごめんなさい」
「とにかく、場所を変えましょう。俺もこの格好、あんま人に見られたくないですし」
 今、武が着ているのは、向こうの世界の白稜柊の制服で、そのデザインはこの世界の国連軍の訓練兵の制服と同じものだ。その事を問われても任務の一言で片付いてしまうのだが、正規兵である武が訓練兵の制服を着ているとか、それが血に染まっているとかで、余計な詮索をされてしまうのは間違いない。
 当然、真実など話せるわけがないし、一応、特殊任務でこうなった事になっているので、理由をでっち上げて説明する事も出来ない。
 そうなると相手が勝手に想像する事になるのだが、武に怪我がないとなれば、これは誰か他の人間の血という事になる。どこかで殺し合いでもしてきたのだと思われても不思議はない。
 武は必要であれば他人を手に掛ける事を厭うつもりはないのだが、BETAとの戦争中、人間同士の殺し合いを彷彿とさせるような生々しい姿を見せて、冥夜たちに余計な心配を与えるような事はしたくなかった。
 勿論、単純に詮索されたくないという武のエゴも、多分に含まれてはいるのだが。
 まりもは……見られてしまったものは仕方がない。だがしかし、彼女ならそのあたりは心得ているので、余計な詮索をする事も無いだろう。
 そして、二人は武の部屋に向かって歩き出した。
 基地を空けていた間、状況がどう動いたのか知っておく必要があるので、それをまりもに教えて貰おうというのだ。
 夕呼に聞いたのは戦略レベルの話であり、衛士として戦場に立つ武は、戦術レベルの情報も把握しておく必要がある。
 今の武の任務は純夏の調律、そしてA-01部隊と共に純夏を護ること。予定されている甲21号作戦で作戦行動を共にする事になるので、隊員の特性は知っておきたい。そのための情報収集だ。

 部屋に到着した武は、血塗れの制服を脱ぎ始めた。
「すみません、先に着替えちゃいます。そこに座って待っててください」
「ええ」
 まりもを椅子に座らせると、武はロッカーの方へ歩いていく。
「向こうに行く前に着てた作業服、どこに行っちゃったんだろうな……いい感じにくたびれてて着心地良かったんだけどなあ」
 ぶつぶつとぼやきながら、ロッカーの中から別の作業服を取り出して、それに着替えると、先程まで着ていた白稜柊の制服を廃棄処分にするためにゴミ袋に突っ込む。
「ふう……。やっぱ、これが一番落ち着くよ……お待たせしました」
 武はベッドに座ってまりもの方を向いた。
「……あらためて聞くけど、怪我は大丈夫なのね?」
「はい。まあ、任務の中には一応、怪我の治療も含まれてましたから」
 副次的な事ではあるだろうが、夕呼はそういった側面がある事を理解した上で、武を向こうの世界に送り出したのは間違いないだろう。向こうの世界の武には悪いが、これに関してだけはありがたく思っていた。
 ほぼ再起不能になった左腕が、たったの五日間姿を消しただけで完治しているのはあからさまに不自然だが、幸いな事に武が負った怪我の詳細を知るものは少ない。知っているのは夕呼と霞、衛生兵の愛美を始めとする医療スタッフと、あの場に駆けつけた不知火の衛士だけだ。まりもだけは夕呼から無理矢理聞き出して、知っているかもしれないが。
 もっとも、誰に知られていようが、夕呼の計画に関する特殊任務、で全てが済まされてしまうので、楽なものである。
「……本当に、大丈夫なのよね?」
「ええ。ほら、この通り」
 武は左腕をぐるぐると回して見せた。
「どんな方法で治療したのかは聞かないわ。でも……本当に良かった。あの時、私が銃を渡さなかったせいで、あなたがあんな大怪我を──」
「──ストップ」
 まりもの言葉を遮る武。
「確かにあそこで銃を受け取っていれば、俺が傷を負う事はなかったかもしれません。その代わり、まりもちゃんがどうなってたかも分かりません。だから、あれで良かったんです」
「そう……ね。……ありがとう」
「いえ。じゃ、本題に入ります」
 武はA-01部隊の現在の状況について、質問していった。
 まずは部隊構成。A-01部隊が連隊規模で発足し、今は一個中隊を残すのみ、と言うのは、武も夕呼から聞いて知っている。
 この最後に残された部隊は伊隅ヴァルキリーズ、或いは単にヴァルキリーズと呼ばれている。これは発足以来、この中隊が常に女性だけで構成されている事、そして隊長が伊隅みちる大尉である事から付けられた愛称だ。ちなみに、隊員は全員まりもの教え子である。
 A-01部隊の損耗がここまで激しいのは、任務が過酷であることに加え、00ユニットの素体候補であったことが関係している。不可解な単独特殊任務で戦死した事になっている隊員も多いのだろう。
 最近では、先月11日のBETA新潟上陸の際に一名が戦死、二名が重傷で病院送り。これは言わずもがな、トライアルの時に夕呼がけしかけたBETAを捕獲しに行った時の事だ。
 そしてクーデター事件では一名が死亡、トライアルのBETA奇襲では一名が病院送りとなっている。
 確かに横浜基地で最も損耗が激しい部隊ではある。しかし、任務の頻度や過酷さを考えると、これだけの損耗で済んでいる事はある意味奇跡だ。BETA新潟上陸の時からA-01部隊の不知火に搭載されている、XM3のβ版の存在がプラスに働いたのは疑いようがないが、それでも一般の部隊と比べれば、練度は遥かに高い。まりもの教え子の名は伊達ではない。
 現在の隊員は衛士12人にCP将校が一人。作戦行動ではそこに武とまりもが加わることになる。
「今の部隊編成は?」
「突撃前衛のB小隊に、後衛両翼には迎撃後衛、制圧支援、砲撃支援、強襲掃討からなるA・C小隊。オーソドックスな中隊編成ね」
「実力はどうです?」
「そうね……精鋭部隊とは言っても、やっぱりまだまだかしらね。あなたがいない間に何度かヴォールク・データをやらせてみたんだけど、フェイズ4の中階層を突破出来るかどうか、って言ったところ。伸びしろはまだまだ十分にあるから、鍛え直してる最中なんだけど」
「んー……それだとちょっと厳しいかなあ……」
「何が厳しいの?」
「今度の作戦で、ハイヴに突入する事になった場合の話です」
 先程夕呼と話し合って決めた、甲21号作戦の変更プランはまだ話す事は出来ない。しかし元々のプランでも、軌道降下兵団の突入が成功した場合、A-01部隊は凄乃皇弐型と共にハイヴに侵入する予定になっていたので、ハイヴ突入を前提に話を進めても問題はない。
 それに将来的には、A-01部隊は間違いなくハイヴに突入する事になる。今から先を見据えて、ハイヴ内戦闘の訓練を行っていても、何らおかしな事はないのだ。
「A-01部隊、まりもちゃんから見てどのくらい伸びそうですか?」
「そうね、シミュレーションでの話だけど、中隊で反応炉破壊後、生還が可能になるくらいまでは割とすぐなんじゃないかしら。今のままでも連携さえ上手く繋がれば、ヴォールク・データで最下層到達くらい普通に出来ると思うけどね」
「連携……?」
「ええ、先任と新任の。ほら、榊たちは戦術機の操縦、ほとんどあなたに見てもらってたじゃない? だから機動がどこかあなたに似てて、操縦概念も私が教えた伊隅たちとは随分と違っちゃってるのよね。ハイヴ内戦闘では、三次元機動による回避を重視するあなたの概念の方が優れてる事は伊隅たちも理解してるから、先任が新任に合わせようとしてズレが生じてるってわけ」
「なるほど……。でも、そんな状態で中階層を突破出来るなんて、凄いじゃないですか」
「でもね、ハイヴ攻略は反応炉を破壊して半分、生還して初めて完遂でしょ? だからまだまだよ。まあ、私も人の事は言えないんだけどね」
 今のところ、まりもの記録は単独行で仮想フェイズ4ハイヴの最下層到達止まりだ。
 これはXM3開発時に、まりもがこれまで身に着けてきた既存の操縦概念を全て捨て去り、XM3に適応した操縦概念を新たに叩き込んだ結果である。クーデター時、F-22A相手に見せた戦術機動も、その成果のひとつだ。
 従来の操縦概念でも、XM3を使えばそれだけでレベルアップは出来る。しかし、更に上のレベルには、習得した従来の操縦概念では絶対に到達出来ないあろう事を、まりもは一緒にXM3のテストをしていた武の機動を見て悟ったのだ。
 ちなみに、武はフィードバックデータの蓄積やXM3の搭載で、その記録を前人未到のフェイズ4ハイヴ反応炉到達まで伸ばしていた。
 これらは確かに異常な記録ではあるが、別におかしな事でもない。ハイヴ内ではBETAの数が増えると言っても、密度まで比例して増えるわけではないからだ。BETAもそれぞれが連携して動いているので、お互いの動きを阻害するほど戦力が集中する事はない。BETAの総数がいくら増えたところで、一度に相手をしなければならない数はある一定数で頭打ちになる。
 極端な話、それを凌ぐ事が出来る腕さえあれば、ミスを犯さない限り、撃墜される事はないのだ。
 もっとも、一機や二機が反応炉に到達したところで、それを破壊する事は出来ない。
 反応炉の破壊にはS-11という、戦術核に匹敵するほどの破壊力を持つ超高性能爆弾を使用するのだが、これはハイヴ突入時の自決用の装備でもあり、基本的に戦術機一機に付き一個しか搭載されない。
 だがS-11二個程度では、精々、反応炉を停止させられるかもしれないというレベルでしかない。反応炉はそれほどまでに強固なのだ。弱点でも分かればその限りではないのだろうが、やはり完全に破壊しようと思えば、二個小隊から一個中隊程度の数は必要になるだろう。
 一機でたくさんのS-11を持ち込むという手もないではないのだが、そのためにはパイロンを潰してしまう事になる。そうなると携行出来る兵装が確実に削られていくわけで、そのせいで先に進めなくなったのでは本末転倒だ。
 ハイヴ攻略時の勝利条件は、反応炉の破壊または敵の殲滅。
 明星作戦の時のようにBETAの大半をG弾で一掃出来れば、残存BETAを駆逐し、ハイヴを完全制圧する事も可能ではある。だが、佐渡島ハイヴでそれをやるのは事実上不可能だと武は考えている。凄乃皇の荷電粒子砲を使って、それでやっと突入作戦が現実的になるまで数を減らせる、という程度だろう。
 そうなると、勝利条件は反応炉の破壊に限られる。だが、例えば武やまりもだけが反応炉に辿り着いて中途半端にダメージを与えても、後続がなければそのハイヴはいずれ息を吹き返してしまう。
 故に、中隊が全員揃って反応炉に辿り着き、確実に反応炉を破壊しなければ意味が無いのだ。
「……でも、まりもちゃんは凄いですよ。一度完全に構築した概念を壊して新しいものを身に付けるなんて、普通は出来る事じゃないです」
「そう? ありがと」
「それで、A-01はどのくらいXM3に順応出来てるんです?」
「やっぱり、経験が浅い子ほど既存の概念が身についていないから、元207A分隊の三人は覚えが早いわね。でも残りの先任四人も、それから一歩遅れる程度で大きな差はないわ。順応度ではみんなもう少しで元207B分隊のレベルに追いつくかな、ってところ」
「そうですか。作戦まで一週間ありませんけど、モノになると思いますか?」
「大丈夫よ、あの子たちなら」
 まりもは全く迷いのない表情で答える。
 そして、訓練スケジュールを立てて詳細を詰めると、話し合いはこれでお開きとなった。
「現役に復帰したのに、まさかまた教導官をやる事になるとは思わなかったわ。しかも、これまで送り出してきた子たちを相手にね」
 作成した資料をまとめながら、まりもが言う。
「はは、いいじゃないですか。先生になるの、夢だったんでしょう?」
「ええ……って、私、白銀にそのこと話したかしら……?」
「聞いたような気はしますけど……あれ、いつ聞いたんだろ……?」
「きっと、何かと一緒に話したんでしょうね。別に秘密にしてることでもないんだし」
「そうですね。でも、みんなもう一度まりもちゃんに教わる事が出来て、喜んでるんじゃないですか?」
「もう、なに言ってるのよ。それじゃ私、そろそろ部屋に戻るわ」
「はい。お疲れ様でした」
「じゃあね、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
 まりもが部屋から出て行くのを確認すると、武はシャワーを浴びて汗を流した。
 そして数分後、シャワー室から出てきた武がタオルで頭を拭きながら、ふと机の上に目をやると、以前、鎧衣課長に貰ったムー大陸のお土産、身を護ってくれるが捨てると呪われると脅された、上半身が鳥の人形が視界に入る。だが、武はそれに違和感がある事に気が付いた。
「……割れてる……」
 確認してみると、左の翼が割れ落ち、それはさらに二つに分割。胸と脇腹辺りにはヒビが入っている。それはここ最近で武が怪我をした部位と見事に一致していた。
 嫌な汗が武の背中を伝って流れ落ちる。
「ぐ、偶然だよな……あは、あはは…………捨てなくて良かった………………寝よ」
 武は乾いた笑い声をあげ、蒼ざめた顔でそそくさとベッドに潜り込むのだった。



[1972] Re[23]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月18日(火)

「どこから手を付けたもんだろう……」
 やるべき事を纏めてみると、ヴァルキリーズの錬成、純夏の調律、そして美凪に依頼した調査結果の回収。
 更に先まで考えると、戦術機や兵装等の充実もあげられる。政治的な事に関しては、全て夕呼任せで問題ない。むしろ口出しすると足を引っ張るので、何もしない方がいい。
 とりあえず、今日は一度ヴァルキリーズの方に顔を出さなければならない。純夏は純夏で日中は調整や訓練をしているので、会えるのは基本的に夕方以降になる。美凪……斯衛は恐らく冥夜警護の任を解かれているはずなので、訓練が空いた時間を狙って会いに行けばいいだろう。
 訓練まではまだ時間があるので、その時間を利用して、武は兵装等に関しての考えを纏める事にした。
「一番威力があるって言ったら、G弾だよな、やっぱ……」
 オルタネイティヴ4推進派としては、G弾は絶対に認められるものではない事は分かっている。その理由は、土地に重力異常を引き起こし、植物は自生出来なくなり、人体にもどのような影響があるかわからないからだ。
 だが、武は前のループで十年間横浜基地に住み続けたわけだが、これと言って身体に異常を感じたことはなかった。
 もっとも、影響を感じられなかっただけで、気が付かないところで何かが蓄積していたのかもしれない。それに、もっと長いスパンで重大な影響が出る可能性もある。
 そのあたりはオルタネイティヴ5が発動した事で、人体へ及ぼす影響の検証が中断されてしまったので、武の記憶の中に残っているデータは、現在記録されているデータとほとんど変わらない。
 そんなわけで、G弾は依然として問題を抱えているわけだが、兵器として有用であるのは確かだ。そして、武はその事を身をもって知っている。
 それ故に、武がオルタネイティヴ5を否定する理由は、夕呼のそれとは違う。
 夕呼の場合、様々な側面からG弾そのものを否定している、と言うのが大きな理由だ。しかし武の場合は、G弾だけに頼っていると人類が敗北してしまうから認めていないだけで、なにもG弾という兵器そのものを完全否定しているわけではない。
 環境に与える問題はもちろん理解しているし、使わないに越した事はないが、武はそれを補ってなお大きなメリットがあると考えている。
 凄乃皇だけに頼りすぎていれば、やはり武が経験した未来と同じ轍を踏んでしまう可能性は否定出来ない。そこでG弾を併用出来れば、BETAに対処され難くなるだろう。要は使い方次第なのだ。
「とは言っても、無いものねだりしても仕方ないよな。それにこればっかりは、先生は絶対に使わせてくれないだろうし。そうなると……あとは戦術機か」
 A-01部隊は、今は全員が不知火に搭乗しているが、戦術機と人には相性というものが存在する。確かに違う機体同士では連携しづらいが、練度が高くなれば、それはあまり関係なくなる……と言うのが、前のループで色々な戦術機に乗ってきた武の持論だ。
 単純にスペックだけで言えばF-22Aが最高の機体という事になるのだが、機体のバランスや前提とされる基本戦術等、設計思想が衛士の肌に合っていなければ、突き詰めていった時に限界まで性能を引き出す事は難しい。
 武が体感した限りでは、不知火は純国産戦術機らしく侍のイメージが投影されているのか、F-15を研究分析して生まれた機体にしては、刃物を振り回してなんぼ、というような思想に偏りが見られ、結果論ではあるのだろうが、その能力は近接戦闘に向いている。
 逆に米国産のF-22Aは、機動力は高くても近接戦闘は重視されておらず、銃を使ったドンパチに向いている。これもらしいと言えばらしい。
 武御雷は格闘戦能力、特に長刀を使った近接戦闘を重視された設計になっているが、そもそも戦術機というものが米国で生まれたものであり、近接戦闘をやや軽く見ている事から、そこを伸ばしてやった事と、そして不知火と比べて全体的な品質とスペックの底上げによって、かなり素直な特性となっていて、近接戦闘も銃撃戦もそつなくこなせるような優等生タイプとなっていた。
 この三種が対極と中庸にあり、他の第三世代戦術機は、その間を取るような形になっているが、日本のように事実上のリバースエンジニアリングを行ったわけではなく、米国企業から技術供与を受けた事から、その思想は元々銃撃戦寄りであり、しかしソ連やEUは国土奪還のためのハイヴ攻略における密集近接戦闘能力を欲した事から、その思想を組み込んだ事でバランスが崩れ、些か中途半端な印象は否めない。
 勿論、不知火に銃撃戦が出来なかったり、米国生まれの戦術機は近接戦闘が苦手、というわけではない。機体性能を限界まで引き出した時、他の機体に比べてほんの少しだけその分野の能力が突出するという程度だ。
 それらの機体特性に衛士の癖や操縦概念、隊形のポジション等を加味することで、一番適した機体を割り出せる。通常、これは極端な差として表れる事ではないが、衛士の技量が上がれば上がるほど、その影響は無視出来なくなってくるのだ。
 一番合った機体を見つけるためには、やはり最終的には実機に乗って試すしかない。
 武は基本的に何でもOKだが、弾薬節約のために長刀や短刀による近接戦闘を多用するし、何より慣れているので、やはり不知火が一番しっくりくる。しかし、A-01の他の隊員たちはそうとは限らない。
「武御雷とF-22Aくらいは何とかしたいなあ……。でもま、俺が使えるコネなんてほとんど無いに等しいからな……」
 武は壬姫の部屋に足を向けた。今ならまだ部屋にいるはずだ。ノックをして呼びかける。
「たま、いるか~?」
「……たたた、たけるさん!? いい、いま開けます、すぐ開けますっ……ふぎゃっ!」
 ガタガタと慌しい音がして、ゴン、と一際大きな激突音が聞こえてきた後、壬姫が部屋から飛び出してきた。
「おはよう、たま」
「たけるさん、いつ帰ってきたの!? それに、酷い怪我したって!」
 壬姫は涙目で赤くなった額を押さえながら、武を見上げて言った。
「まあ落ち着け。見ての通り無事だよ。それで、帰ってきたのは昨日の夜遅くだ。ただいま」
「あ……おかえりなさい」
「話せる事に関しては、後でみんなの前で一緒に話すよ。で、ちょっと個人的なお願いがあるんだけど……」
「な、なんですか……?」

「……とりあえずはこれでいいか。後は向こう次第、と……」
 壬姫の部屋を出た武は、ぶつぶつと呟きながら一度自室に戻り、それからブリーフィングリームに足を向けた。ヴァルキリーズとの顔合わせがあるのだ。
 ブリーフィングルームに入ると、既にヴァルキリーズとまりもは部屋の中に集まっていた。
「貴様達も話には聞いていると思うが、XM3の発案者であり、207訓練小隊B分隊の特別教官も務めておられた白銀武少佐だ。少佐は昨日まで単独で副司令直々の特殊任務に出ておられたのだが、今日から我々A-01部隊に合流される事となった」
 大尉の階級章を付けた、落ち着いた雰囲気の、他の隊員たちに比べると少しだけ年かさの女性が前に立って話している。恐らく彼女がこの中隊の部隊長、伊隅みちる大尉なのだろう。
 隊員の方に視線を移すと、元207B分隊の五人以外にも、見覚えのある顔がいくつかあった。
 元の世界でクラスメイトだった柏木晴子。そして夕呼が受け持っていたD組の涼宮茜、それに築地。この二人は球技大会の時、ラクロスのD組メンバーだったという記憶がある。
 見た限りの彼女達の印象は、元の世界で受けたものと大差ない。築地とは特別交友があったわけではないが、夕呼の実験に巻き込まれた哀れな被害者だったのでしっかりと覚えている。改めて見ると、因果をやり取り出来るほど近い確率分岐に彼女が猫の世界があるというだけあって、どこか猫を髣髴とさせるような雰囲気を醸し出している。
「あの……少佐? 就任のご挨拶をして頂きたいのですが……」
 ぼんやりと晴子たちの方を眺めていた武は、みちるに声を掛けられ、我に返った。
「え? ……ああ、すみません」
 武は先程までみちるが立っていた所まで歩いていく。
「えーっと、白銀武、階級は少佐。堅っ苦しいのは苦手なんで、敬礼とか敬語とかは出来るだけ無しの方向で。あと、俺を呼ぶときは白銀でもタケルでも好きな呼び方でどーぞ。……おわり?」
「白銀、もう少し何かないの?」
 まりもが呆れた顔で話しかけてくるが、無いものは無いのだ。さすがに戦歴等は話せない。それに今度のループの分なら、まりもが全て知っているはずなので、話せるような事なら話してしまっているだろう。
「何かって、何がです?」
「色々あるじゃない? 例えばほら、好きな女の子のタイプとか」
「!?」
 その言葉を聞いて顔を強張らせる元207B分隊の五人。だが、それに武が気が付くことはない。
「あははは、もう、何を言ってるんですか、まりもちゃんは」
「…………」
 武の答えを聞いたヴァルキリーズが揃いも揃って、朴念仁とか甲斐性無しとか言いたそうな呆れ顔をしていたのにも、武は当然気付くはずがなかった。
 それはさておき。
「伊隅、そろそろ隊員の紹介をしたら?」
「──は。了解しました」
 まりもが隊員の紹介を促し、みちるが端から順番に紹介を始めた。
 涼宮遙中尉。207小隊の三期先任。軍人らしからぬ、妙に優しげな雰囲気だが、芯は強そうだ。みちるの話によると怖い女らしい。本人はもちろん否定しているが。彼女はCP将校なので戦術機には搭乗せず、指揮車両からの戦域管制が仕事となる。ちなみに茜の姉だ。
 速瀬水月中尉。前衛B小隊の小隊長で突撃前衛長。遙とは同期で、こちらは妙に軽くて押しの強い性格だ。もっとも、突撃前衛長という部隊一の操縦技能の持ち主が就くポジションにいることから、それが作り物である可能性は否めない。武も経験があるから分かるのだが、そんなポジションにいる者が自信なさげにしていると、部隊全体の士気に関わってしまうのだ。
 宗像美冴中尉。左翼後衛C小隊を指揮する。207小隊の二期上だ。外見はクールと言うか、なんだか鋭いような感じだが、やはり彼女もイメージ通りの人間と言うわけではなさそうだ。みちるに男嫌いだと言われると、男が嫌いなのではなく気持ち良ければ何でもいい、などと公言するあたり、それがありありと窺える。もっとも、これとてどこまで本気なのかは知れたものではないが。
 風間祷子少尉。C小隊の制圧支援を担当。207小隊より一期上だ。衛士らしくない、しっとりとした落ち着きを持っている。お嬢様という呼び方がしっくり来る、そんな雰囲気だ。その立ち居振る舞いを見る限り、本当にお嬢様なのかもしれない。
 茜と築地、晴子は元々207A分隊で、任官はB分隊よりも二ヶ月早いだけ。作戦参加はクーデター事件が初めて、BETA相手の初陣はトライアルの時と、B分隊と変わらない。ポジションはそれぞれ左翼強襲掃討、突撃前衛、左翼打撃支援。
 おなじみの207B分隊は、今更紹介の必要も無い。ポジションは冥夜と慧がB小隊突撃前衛、千鶴、壬姫、美琴は右翼後衛A小隊の、それぞれ強襲掃討、砲撃支援、制圧支援となる。
「そして、私が中隊長の伊隅みちる大尉です。中隊全体とA小隊の指揮を執っています」
「よろしく、大尉」
「は。こちらこそよろしくお願いします」
「それじゃ、自己紹介も終わった事だし……早速で悪いけど、戦闘訓練を始めましょう」
「了解しました。──聞いての通りだ。各自、強化装備に着替えてシミュレータールームに集合。以上、解散!」
「──敬礼ッ!」
 水月の号令によって敬礼が行われ、各自散らばっていった。

 武は強化装備に着替え、シミュレータールームに赴いた。
 今回行われる訓練プログラムはヴォールク・03。遙が起動を完了させると、各自シミュレーターに搭乗する。武とまりもは制御室で、遙の後ろから見物する事になった。
『涼宮、ハイヴの内部構造略図を表示しろ』
「了解」
 みちるの指示で遙が略図を各隊員に転送し、ブリーフィングが始まる。
 転送されたデータだが、本来の意味でのヴォールク・データには中階層までのデータしか存在しない。
 23年前、東欧州大反攻作戦──パレオロゴス作戦の際、ワルシャワ条約軍とNATO連合軍が約二ヶ月の激戦の末、ミンスクハイヴに到達した。人類史上初めてハイヴに突入し、地下茎構造のデータ収集がなされたのだが、その時の最深到達点が中階層だったからだ。
 この時、全欧州連合軍のを陽動の元、ハイヴ突入に成功したのが、ソビエト陸軍第43戦術機甲師団のヴォールク連隊だった。故に、このデータはヴォールク・データと呼ばれるのである。
 存在しない中階層より先のデータは、横浜ハイヴの構造を参照して組み立てられているので、シミュレーションデータが中途半端ということは無い。
 本実習の作戦目的は、ハイヴ最深部にある反応炉を可及的速やかに破壊する事。
 ミンスクと横浜でのハイヴ内におけるBETA出現率の統計と、携行弾数、兵站の限界を考慮すると、戦闘継続限界はおよそ90分。出現するBETAをいちいち相手にしていたら、あっという間に丸腰になってしまう。故に、排除すべき障害と避けるべき障害を如何に選別するかが決め手となってくる。
 90分と言うのはその選別が上手く出来た場合の数字だが、排除すべき障害も避けてしまえば、弾薬を節約し、活動限界時間を更に延ばす事が可能になるだろう。
 普通ならそんな事をすれば、逆に敵に追い詰められてしまう結果になるが、そこで登場するのがXM3。つまり、XM3によって得た機動力で、本来なら撃破しなければならないはずの敵もやり過ごしてしまうのである。
 従来の操縦概念に比べ、三次元機動により回避を重視する武の操縦概念が優れているというのは、このためだ。
 夕呼に開発を依頼した時、何だかんだ言いながら最終的に了承した理由の中には、こういった事も含まれているのだろう。
 武がそんな事を考えているうちにもブリーフィングは続いていく。
『……簡単に死ぬ事は許さん。だが、唯一貴様達が死ぬ事を許される場所がここだ。よ~く憶えておけ』
 みちるの言葉と同時に、スクリーン上のマップの一部が赤いマーカーで示される。そこはハイヴの最深部、反応炉が存在する場所だ。
『一番奥だし静かでいいわね~。ゆっくり眠れそう』
『ふふふ……どのハイヴも、入り口あたりはとっくに満員でしょうからね』
 そして、水月と美冴がみちるに軽口を返す。それを聞いたまりもの眉が、ピクリと動いた。
「伊隅、速瀬、宗像」
『は、何でしょうか』
「貴様達はハイヴをたった一つ潰した程度で満足して逝くつもりか?」
『…………』
「どうやら私の錬成は違う形で実ってしまったようだ。残念だよ」
『──!?』
「その程度の覚悟しか無いのなら訓練などやるだけ無駄だ、やる気のある連中の足を引っ張る前に、衛士などさっさと辞めてしまえ。今なら退職金くらいは出してやる。それが貴様達ウジ虫どもの選び得る最善の未来だ。そうだろう?」
 突然、蔑むような態度でみちるたちを見下すまりも。
『いいえ! 教官殿!』
 その真意に気が付いたのか、みちるたちの表情は途端に引き締まる。まるで教官に絶対服従を誓う訓練生に戻ったかのようだった。
「衛士は許可なく死ぬことを許されない! 分かったか、ウジ虫!」
『はい! 教官殿!』
「我々の敵は何だ?」
『BETAであります!』
「ふざけるな! 聞こえんぞ!?」
『BETAであります!!』
「我々の使命は何だ!?」
『BETAを地球上から駆逐する事です!!』
「よろしいッ! ではクソ忌々しいBETA共のケツに劣化ウラン弾をたらふくブチ込んでやれ! 状況開始ッ!」
『了解ッ!』
 急に態度が豹変したまりもに合わせて、これまた態度が豹変するみちると水月と美冴。その様子を、祷子はなんとも形容しがたい微妙な表情で、残りの元207小隊はぽかんと呆気に取られた顔で、それぞれ眺めていた。どうやらまりもは祷子の代までは鬼軍曹で通していたらしい。冥夜たちの代でそれをやめたのは……政治的な理由からだろうか。
「うわ~……冥夜たち引いちゃってるよ、ドン引きだよ……」
 スクリーンに映し出された元207訓練小隊の顔は、明らかに引き攣っている。
 武はこっそりと遙の方に近付いていった。
「……あの、涼宮中尉」
「な、なんですか……?」
「中尉たちの時って、まりもちゃん、ずっとあんな感じで……?」
「……え? あ、はい」
「大変だったんだなあ……」
「……白銀、聞こえたわよ?」
「申し訳ありません、教官殿!」
 直立不動の姿勢で声を張り上げる武。
「ちょ、ちょっと白銀、やめてったら、もう」
「あははは……つい」
「私だって正規兵相手に今更あんなこと言うのは不本意なのよ。でも仕方ないじゃない、軽口を叩くのは構わないけど、ここでなら死んでいい、みたいなのはまずいでしょ? おまけにそれを言ってるのが揃いも揃って指揮官なんだから」
「……確かにそうですけど」
 もし仮に死んでもいい場所があるとすれば、それは最後に残されたハイヴの反応炉の前だけだ。もっとも、まりもはそれさえも認めないだろうが。
「まあ、儀式みたいなものだから、あまり気にしちゃダメよ?」
「はぁ……」
 そして演習が始まった。
 部隊編成やポジションは武が昨夜まりもに聞いた通り。装備も標準的な突入戦兵装が選択されている。
「ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー1──作戦開始五秒前」
『ヴァルキリー1了解。全機起動、敵を殲滅しつつ前進せよ』
『──了解!』
「ヴァルキリー・マムより中隊各機──大隊規模のBETA群接近中。一時の方向距離4500」
 突撃前衛のB小隊が楔壱型隊形を組み、進攻に備える。
『ヴァルキリー4、バンディットインレンジ』
『ヴァルキリー9、バンディットインレンジ』
 92式多目的自立誘導弾システム──ミサイルポッドを搭載した風間機と鎧衣機の直線距離の射程内に敵が入ってくる。勿論、横杭は曲がりくねっているので、そのまま撃っても命中はしない。BETAが横杭から顔を出すタイミングで、先頭を狙うのだ。
「ヴァルキリー・マムより中隊各機──中隊規模のBETA群接近中。十時の方向距離2000」
『──ヴァルキリー1より全機に告ぐ! H-48の縦杭からB-7の広間に抜ける。ミサイル攻撃を合図に噴射跳躍──以降兵器使用自由!』
『──了解』
 敵の進攻とミサイル攻撃のタイミングに突撃を合わせるため、B小隊が突出する。
 やがて横杭の向こうからBETA群が姿を現した。
『──ヴァルキリー3より制圧支援全機、攻撃開始ッ!』
 そして、美冴の指示で美琴と祷子が発射したミサイルを合図に各機噴射跳躍、ハイヴ最深部目指して進攻が開始された。

 各機体のメインカメラの映像を自分の強化装備のスクリーンに表示させて、各隊員の戦い方を見る武。
「……どう?」
 その感想をまりもが訊ねてくる。
「うーん、悪くはないですけど、まだBETAをいちいち相手にしすぎてるかな……。あと、全体的に銃を使いすぎですかね。もうちょっと上手く短刀や長刀を使わないと」
「アドバイスしてあげられそうな事はある?」
「どうでしょうね……俺なんかより、まりもちゃんのアドバイスの方が、ずっと役に立つと思いますけど」
「そうかしら?」
「俺の操縦概念って、結局のところ完全に理解出来るのは俺だけなんですよ。まりもちゃんは自分なりに咀嚼してモノにしましたけど、俺の考え方をそっくり理解してるわけじゃないでしょう?」
 操縦概念に限らず、武とこの世界の人間とでは思考回路そのものが根本的に違う。
 武の操縦概念の根底にあるものは対戦型ロボットゲーム、バルジャーノンの操作法だ。
 しかし、元の世界でもバルジャーノンは突然ポッと出てきたわけではなく、当然ながら、登場するまでにはそれなりに長い娯楽の歴史が積み重なっている。その世界で育った記憶がある武は、ゲーム的な考え方を容易く受け入れる事が出来るが、娯楽の発達していないこの世界の人間にとっては、それが非常に難しい。
 つまり、武の操縦概念の根底にあるものがゲームである以上、基本的にこの世界の人間はそれを真に理解する事は出来ないのだ。
 だが、そんな極めて不利な状況の中で、まりもは曲がりなりにも武の機動にごく近いものを再現してみせた。つまり、まりもの経験は、この世界の人間が武の機動を目指す際、先駆例として極めて参考になるという事だ。
「みんな、基本になってる考え方は、俺よりもまりもちゃんの方にずっと近いです。それなら、まりもちゃんに聞いた方が参考になるんじゃないかなと」
「なるほどね」
「まあ、気になったところは遠慮なく口を出すつもりです。あとは実際に俺達の機動と操縦記録を見てもらって、それを参考にしてもらうしかないんじゃないですか?」
「そうね……」
「と言うわけで、これが終わったら俺とまりもちゃんの二機連携でやってみましょう」
「分かったわ」
 再び演習の模様に目を向けると、第18層……中階層を突破するかどうか、というあたりで、部隊の損耗率が90%を越えたところだった。
 最後まで残っていたのは……築地だ。操作記録を参照してみると、他の隊員に比べて回避率が頭ひとつ飛びぬけている。その分、撃墜数は頭ふたつ分は少なくなっているが。
 やがて築地機も撃墜され、プログラムは終了した。最深到達点は築地機の第20層。築地は単機になってからも、襲い掛かってくるBETAをひょいひょいと躱しながら、一層以上も奥に進んでしまった。
「築地はかなりいい動きをしてますね。なんか猫っぽいですけど」
「あの子は私が教えてたときからあんな感じよ。まあ……そのせいで連携が合わなかったりする事もあったんだけど。でもそうね、連携を考えなければ、今のところXM3を一番上手に使いこなしてるのは、あの子なんじゃないかしら」
 そんな話をしていると、A-01各員がシミュレーターから降りてくる。武たちもデッキに出ていった。その場ですぐまりもと武による戦闘評価が行われたが、武からは特にアドバイスらしいアドバイスはない。今以上に敵を相手にするな、という事くらいだ。
 もっとも、このあたりは技術的な事というより、精神的な事なので、なかなか反映させることは出来ない。
 というのも、敵を倒すと敵戦力が減った事に安心感を得られてしまうからだ。逆に敵を倒さないと、相手にしなくてはならない戦力が減らないし、その一方で燃料や推進剤ばかり消耗していくので、不安が膨らんでいく。
 無論、こんなものは見せかけでしかない。
 実際には、戦力差を考えると、ハイヴ内においてBETAは無限に存在すると言っても過言ではなく、たかだか中隊や大隊程度の戦力でひっくり返せるものではない。いくら倒したところで、膨大な数の敵と少数の味方機、という図式は全く変わらない。
 しかし人の心は揺らぎやすいもので、そんなものにでも簡単に影響を受け、不安より安心を選んで無駄弾を使ってしまう。そして弾薬を切らした挙句の撃墜、という結果を招いてしまうのだ。
 だが、それを今すぐ何とかしろといっても、そう簡単に改められるものではない。迫り来る恐怖に打ち勝つためには、結局は経験がものを言う事になる。
 そうなった場合、ヴァルキリーズで今すぐそれが出来るだけの経験を積んでいるのは、恐らくみちるだけだ。だからと言って、一週間後には甲21号作戦のハイヴ突入が控えているので、出来ませんでしたでは困る。
 危ういやり方ではあるが、戦術機の操縦技術のレベルを引き上げることで自信を付けさせて誤魔化し、現場では武やまりも、みちるがサポートに回るしかないだろう。
「とりあえず全員、もっと避けられるようになるまで訓練かな。どんな感じで避ければいいか、俺とまりもちゃんでやってみるから、それを実際に見て貰って、後は操作記録を見て研究して欲しい。それじゃ涼宮中尉、S難度の実戦モードと、戦域管制よろしく~」
「了解しました」
 武とまりもはシミュレーターに乗り込んでいった。

「すごい……なにあれ……」
 スクリーンに映し出された武とまりもの戦闘風景を見て、茜が呆然と呟いた。声には出していないが、その表情を見る限り、他の隊員たちも同じ気持ちだろう。
 そこには、兵装を極力使わずに、BETAをいなしながらハイヴ最深部目指して突き進む二機の不知火の姿が映し出されていた。
 二機連携である事を最大限に利用し、お互いがお互いの囮となって陽動をかけ、BETAの動きを巧みにコントロールする事で、回避率を飛躍的に上昇させている。
 また、機動の概念も従来のものとは一線を画していた。その際たるものが足場の使い方だ。床は勿論、状況に応じて壁や天井も利用し、それだけでなく、ひしめき合うBETAすら利用する。ただ飛び跳ねるだけが三次元機動ではない、ということを見事に体現している。
 BETAを踏み台にして軽やかに跳びまわる様は、さながら九郎判官の八艘跳びを髣髴とさせるものだった。
 突撃砲は基本的に進路が塞がれてどうにもならない時にしか使っていない。故にメインの武器は長刀や短刀だが、その使用もやはり最低限。噴射も姿勢制御や機動の補助として使う短縮噴射がほとんどだ。
 つまり、使用回数に制限のあるものは極力温存するようにしている。
 ほとんど攻撃せず回避だけの機動で、噴射跳躍もろくに使っていないにもかかわらず、進軍速度は先程のヴァルキリーズと同等か、それよりも速いくらいだった。その上、残弾数や長刀、短刀の耐久値、推進剤の残量は圧倒的で、戦闘継続限界は90分どころの話ではない。これならば燃料切れの瞬間まで戦闘続行が可能だろう。
 やがてヴァルキリーズの最深到達点を越え、それどころか二機ともほぼ無傷のまま、あっさりと最深部まで到達。反応炉にS-11をセッティングして爆破、そのまま脱出、生還してしまった。
 もっとも、これはある意味当然の結果だ。
 元々、極めて高い実力を持つ二人が二機連携を組み、その戦闘能力は相乗効果的に跳ね上がったのだ。
 連携がここまで上手く機能しているのには理由がある。武とまりもは207B分隊の訓練の傍ら、XM3の開発データ収集も兼ねて、ずっと二人で訓練を重ねていたからだ。もっとも、207Bの仮想敵部隊には旧OS搭載の撃震を使用していたので、そうでなければ開発データ収集など出来ないのだが。
 他にも、データ収集にはありとあらゆる演習プログラムが使用されたのだが、その中には当然ヴォールク・データも含まれていた。それ故に、仮想ハイヴ突入戦に慣れていたという部分も大きいだろう。
 A-01の面々、特に元207B以外の隊員は、唖然とした顔をしていた。だが、それも無理はないだろう。実際にこうやって二人の戦術機動を見たのはこれが初めてなのだ。
 今までも記録上の戦績には目を通していた。しかしそこには、一対一でF-22Aを一瞬にして無力化したとか、二機連携でエースの駆る撃震一個中隊を相手に余裕の完全勝利をしてみせたとか、極めつけは丸腰の戦術機でBETAを次々と屠っていったなど、都市伝説と言われても納得してしまいそうなほど眉唾物の話ばかりが記録されていたのである。
 全部が全部作り話とは思っていなかったが、XM3のテストパイロットであったA-01の先任たちは、それが何らかの交渉材料に使われるであろう事は想像出来ていたので、宣伝効果を上げるために誇張された虚構が入り混じっているのだと思っていた。
 しかしとんでもない。実際に武とまりもの機動を目の当たりにして、それが大間違いだという事、そして自分たちが見た記録は、むしろ控えめに書かれていたのだという事実を思い知らされた。
「大体、あんな感じを目安に考えといて貰いたいんだけど」
 シミュレーターから降りてきた武が、デッキに集まっていたみちるたちに話しかける。しかし返事がない。
「…………」
「えっと……何かおかしな点でも……?」
「あ、いえ……その、驚いていただけです」
 みちるだけが何とか平静を取り戻し、武に応える。
「しかし……本当に我々があそこまで出来るようになれるのでしょうか……?」
「さっきの演習の動きを見た限りだと、別に問題は無いんじゃないかな。あとは慣れかと」
「慣れ……ですか?」
「そう、慣れだよ」
 高度な操縦技術が必要な事には違いないが、技術面に関しては問題ない。それよりもBETAを引き付けて、どこまで平静を保っていられるか、これに尽きる。
「ハイヴ内での彼我の戦力差を考えると、どんな重武装をしてたって丸腰みたいなもんだから……その状況に慣れちゃえば、本当に丸腰でBETAと向かい合っても怖くなくなる……まあ、戦術機に乗ってればの話だけど」
 武は少し苦笑いしながら、無意識に左の二の腕をさすった。
「とにかく、いくら俺たちが二機連携でフェイズ4ハイヴ最深部に到達出来るって言っても、S-11二発じゃ反応炉は壊せないから、到達するのが二人じゃ意味が無い、って事は憶えといて欲しい」
 それなら何度も突入すればいいじゃないか、という考え方もあるかもしれないが、たった二機の戦術機をハイヴに突入させるだけでも、莫大な支援が必要になる。矢継ぎ早に突入を実行しようにも、バックアップの方が間に合わないのだ。その準備が整うまで待っていると、それだけBETAにも態勢を整える時間を与えてしまうわけで、最悪、反応炉を修復されてしまい、先の突入が全くの無駄になってしまう可能性すらある。
 故に、ハイヴ内に突入したら、その一度で反応炉を破壊してしまわなければならないのだ。
「今の課題は、撃破数は減っても構わないから、もっと兵装を温存しつつ回避率を上げる事。そうだな……とりあえず明日中に全員が最低でもさっきの築地のレベルを越える、ってのを目標にやってみようか。あのくらいまで出来るようになれば、後は本当に慣れだから」
「──は」
「そのレベルまで達すれば、周りの状況に目をやる余裕も出て来ると思うから、そうしたら動きに陽動を組み込んで、BETAの動きをコントロールする事も出来るようになると思う。あと、操縦概念に関しては、無理に俺の考えをトレースしようとしても意図が掴みづらいと思うから、参考にするなら俺よりまりもちゃんの方がいい。
 ……そんなところかな。まりもちゃんからはなんかあります?」
 武がまりもの方を振り向くと、まりもは黙って首を横に振った。言いたい事は大体同じだったらしい。
「後は操縦記録を見て研究するなり、もう一度ヴォールク・データにチャレンジするなり、好きな方法で。俺は別の用があるから、何か聞きたい事があったらまりもちゃんまでよろしく。それじゃ、俺はこれで」
「白銀、ポジションの事は伝えなくていいの?」
 その場を離れようとする武に、まりもが少し呆れ顔で話しかけてくる。
「おっと……そうだった。俺とまりもちゃんのポジションだけど──」
 基本的に伊隅中隊12機のポジションに変更はない。中隊長もみちるのままだ。
 まりもは大隊長になって、神宮司大隊の伊隅中隊という事になる。
 武は白銀大隊の大隊長という事になった。とは言っても、こちらの隊員はゼロ。みちるたちの直上についても良かったのだが、武は夕呼絡みの特殊任務が多いので、責任者が頻繁に隊を放り出すのはどうだろう、という配慮からこうなっている。
 作戦時には、武とまりもは二機連携を組んで、伊隅中隊のD小隊として配置される。しかしその位置付けは、作戦行動は共にするものの、あくまでも状況に応じてBETAに攻め込んだり、或いは味方機のサポートに回るという、遊撃的なものとなる。
 本来なら、大隊長となったまりもがA小隊の迎撃後衛に就任する事になるのだが、武やまりもに合わせようとしても、そうそう合わせきれるものではない事や、現状で中隊が戦術機12機と、正規の数で編成されている事、そして武が夕呼の特殊任務で部隊から離れる可能性がある事から、無理に編入して隊のバランスを崩す必要はない、と判断した。
 そんなわけで、みちるは中隊長のまま部隊指揮を続行する。あまりやりすぎても、船頭多くして船山に登る、などという事になりかねないのでよろしくはないのだが、場合によっては強権を発動して、武やまりもが口を挟む事もあり得るが。
 コールナンバーはまりもがヴァルキリー0、武がヴァルキリー13。厳密に言えば二人ともヴァルキリーズではないのだが、臨時編成されているという設定でこうなった。ちなみにその臨時編成が解除される事はないだろう。
「こんなところかな。……じゃあ今度こそ、俺はこれで」
「──敬」
「おっと、敬礼はいらないよ~」
 武はみちるの号令を遮ると、シミュレータールームを後にした。



[1972] Re[24]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
「さて……戎に会いに行かなくちゃ」
 後の事をまりもに任せた武は、帝国斯衛軍第19独立警備小隊──月詠たちの部隊に割り当てられているハンガーへと向かった。
 そろそろ実機訓練から戻ってきているはずだ。
「──いったいどうしたと言うのだ?」
 武御雷が収納されたハンガーに足を踏み入れると、実機訓練を終えた月詠と美凪が、デッキで軽いミーティングをしていた。しかし、その雰囲気がおかしい。
 耳を傾けてみると、どうやら横浜基地に戻ってきて以降、美凪の調子がどうにも上がらず、些細なミスを連発するようになり、練度に見過ごせないほどの差がつき始めてしまっているらしかった。
 だが、月詠にはそれを責めるような雰囲気はない。むしろ美凪を気遣っている。その理由は、美凪の憔悴しきった顔を見れば一目瞭然だ。
「……シミュレーターの使用許可は取ってある。とにかく、なんとしてでも遅れを取り戻すんだ。さもなくば……戦場で死ぬ事になる」
「はい……」
「もし訓練相手が必要なら、遠慮なく言うといい」
「ありがとうございます……」
「では、また後でな」
 月詠は更衣室に下がり、デッキには美凪一人だけが残された。
 武はそこに近付いていく。
「よう、久しぶり」
「あ……白銀少佐……」
 武の顔を見た美凪は、少し怯えたような表情でビクリと身をすくめる。
「調子悪いのか……って、俺のせいなんだろうな、多分」
「い、いえ……そんなことは」
「隠すなよ。例の件で何か分かって、そいつが気になって訓練に手が付かない……そんなとこだろ」
「…………」
「悪かったな。辛い事、頼んじゃって」
 調査が大変だったために疲れが残っている、というわけではないだろう。恐らく、その調査内容が耐え難いほど重い内容だったのだ。
 この世界の武は、悠陽を人質にとってまで、何かを成そうとしていた。しかし、この世界では基本的に国に忠誠を誓っているというスタンスを取っている日本人が、将軍を人質に取ろうなどという事はまずありえない。万が一考えたとしても、それを実行に移すなど、もっとありえない。
 だが逆に考えれば、日本という国そのもの、或いは世界ですら敵に回してでも成し遂げたい、成さねばならぬ事があったのだという事が出来る。
 悠陽に聞いた限りでは、この世界の武は、理由もなく乱暴狼藉を働いたというわけではなさそうだった。悠陽に対する態度にもそれは表れている。にもかかわらず、国や悠陽に対して牙を剥いたという事は、本当にそれだけの理由があったという事だ。
 しかし、肉体的精神的に鍛え上げられた斯衛である美凪を、こうまで憔悴させてしまうとは、いったいどんな秘密が隠されていたのだろうか。
「あの……これから取りに行ってまいりますから、すぐにお渡ししてもよろしいですか?」
「え? ああ」
 調査結果は、今は更衣室の鍵付きロッカーの中にしまってあると言う。中身が中身なので迂闊な場所に置いておく事も出来ず、いつも持ち歩いていたとの事だった。
 そして、美凪はこれからシミュレーター演習を行うので、受け渡しはシミュレータールームで行う事になった。
 ちなみに、A-01が訓練しているのとは別の部屋なので、彼女達と顔を合わせてしまうような事はない。

「報告書と、そのデータディスクです……どうぞ」
「ありがとう」
 武は美凪から書類の束が入った封筒とディスクを受け取る。早速中身を改めようとしたのだが、武はその動作を途中で止め、書類を封筒の中に戻して封をしてしまった。
「……見ませんの?」
「ん……こっちから頼んどいてなんだけど、まだ知るべきじゃないかなって」
「そうですわね……こんなこと、知らない方がいいと思います……」
「あ、いや、知るつもりがないってわけじゃないんだけど」
 武が知るべきではないと言ったのは、純夏の調律の件があるからだ。
 純夏にはリーディング能力が付与されていている。故に武が純夏と接すると、心を読まれてしまう。その行為自体に問題があるわけではないし、調律を進める上ではむしろ有利に働くのだが、この世界の武の足取りを知ってしまうと、それを見た純夏にまずい影響を与えてしまう可能性があるのだ。
 勿論、現状でもこの世界の武が既に死んでいるであろう事は知っている。だがそれは人づてに聞いたというだけで、裏を取ったわけではない。しかし、美凪の調査結果には、恐らくその詳細な確定情報が記載されている。
 それをもし純夏に知られてしまった場合、与える影響は未知数だ。
 だがいずれにしても、良い影響を与える事はないだろう。
 もし生きているのであれば、目の前にいるこの武は誰なの、という事になってしまうし、死んでいるのであれば、その事実を突きつけてしまう。だから、純夏の容態が落ち着くまでは、迂闊に知る事は出来ない。
「とにかく、無理を言って済まなかった。ありがとう、助かったよ」
「いえ……構いません」
 やはり元気がない。向こうの世界の3バカとは違って、こちらの世界では天真爛漫さがないとはいっても、その根底に流れるものはそう大きく変わるものではないはずだ。そんな美凪が、こんな状態になるまで追い詰められてしまっている。
 恐らくは斯衛である美凪でさえ、悠陽を人質に取るなどという行為に正当性を見出してしまうほどの内容が、そこにあったのだろう。
「なんか最近、俺、誰かにこんな顔させてばっかだよなあ……」
 武はボソリと呟く。向こうの世界での純夏や、こちらに戻ってきてからの夕呼の顔を思い出していた。もっとも夕呼の場合は、半分は自業自得なのだが。
「……それでは、私は訓練がありますので、失礼致します」
 美凪は肩を落としたままトボトボと制御室に向かって歩いていく。
「……よし。お詫びと言っちゃ何だけど、訓練見てやるよ」
「えっ……?」
「これでもXM3の発案者兼チーフテストパイロットだからな。分からない事があったら何でも聞いてくれ」
「はぁ……」
 そうして武は、しばらく美凪の訓練に付き合うのだった。

 それから、夕方に再びヴァルキリーズの訓練に顔を出し、その後のミーティングを終えた武は、B19フロアのシリンダーの部屋に赴いた。純夏も凄乃皇の操縦訓練を終えて、部屋に戻って霞と一緒にいるはずだ。
 具体的な方法はまだ考えていないが、とにかく純夏に感情を取り戻させるために何かしなくてはならない。
 部屋の中に入ると、霞は純夏にあやとりを教えていた……のだが、純夏の反応は極めて薄い。そして霞は部屋の中に入ってきた武にも気が付かず、不慣れな事を一生懸命試みていた。
 そんな霞の心が通じたのか、武が部屋に入ってしばらくすると、純夏は霞の言葉にも反応し始める。
「よう、純夏、霞」
「あ……白銀さん」
「どうだ?」
「…………」
 霞は無言でふるふると首を横に振った。
 これまでも凄乃皇による訓練は行われてきているので、人の言葉を理解している事は分かっている。しかし反応を示すのは、BETA、訓練と言ったもので、要は純夏がBETAを倒すために必要であると判断した事だけだ。
 唯一の例外として、武が近くにいる時だけは、他の事にも反応を示す。
 先程、霞が首を横に振ったのは、この状況が変わっていないからなのだろう。純夏が霞に応えたのは、この部屋に武がやってきたからだというわけだ。
「続けて?」
「……はい」
 武は霞に純夏とあやとりを続けるように促し、自分は少し離れたところに座り込んで、二人の様子を眺めていた。
 霞の表情は真剣そのものだ。霞にはろくな思い出が無いというのは今更な話だが、断片的にでも純夏の記憶をリーディングでずっと読み続けてきた事で、記憶の自己同一化現象が発生し、霞は純夏から読み取った記憶と自分の記憶の区別が付かなくなっているのではないかと思われる。
 つまり霞にとって、純夏はもう一人の自分、或いは元々一つだったもののような感覚なのだろう。
「ここを……こうして……」
「……そ、こは……違う……」
「……え?」
 武が純夏たちをぼんやり眺めていると、純夏の方から霞に話しかけていた。武と接触する事で、確実に変化は起こっている。
「……中、指……が……先に……」
「あ……」
「…………」
「中指の次は、どうするんだ?」
 黙りこんでしまった純夏に先を促す武。だが純夏は、次の瞬間にはあやとりから興味を失ってしまったようだった。
「……もう、いい……」
「どうした?」
「……訓練……もっと……」
「うん?」
「……訓練……もっとする……」
「訓練か。でもお前、今日はもう訓練したんだろ?」
「もっとする……あいつらを、殺す訓練……そのほうが……いい」
「訓練は時間が決まってるから、また明日な。今はあやとりをしよう」
「……これで……倒せる……?」
「これは遊びだから倒せないよ。でも、全く意味が無いかといえば、そういうわけでもないんだよな、これが」
「…………」
 武の言葉に、純夏は不審そうな表情を見せる。
「なんていうかな……訓練ばっかやっててもさ、いざって時にいいアイデアが浮かばないんだよ。するとどうなると思う?」
「……?」
「敵にやられちゃうんだ。そうなったら敵を倒せなくなっちゃうぞ?」
「……倒せないのいやだ……殺すほうが……いい……」
「だろ? それじゃ、あやとりもちゃんとやんないとな。ためになるうえに楽しい。言うことないだろ」
「でも……タケルちゃ……奪った……殺したい……」
 突然、武の名前を出す純夏。
「…………まだダメだよ」
 武は一瞬、心を揺さぶられたが、それを無理矢理に押さえ込んだ。
「どうして……?」
「一緒に行く俺たちの訓練がまだ終わってない」
「……わたしひとりでいいよ……だから……すぐ、殺したいよ……」
「純夏は俺を置いて一人で行っちゃうのか。寂しいなあ……」
「……いやだ……ひとり……やだ……!」
「そうか。じゃあ一緒にいよう」
「……怖い……」
「大丈夫、怖くない。ちゃんと側にいるから」
「……うん……タケルちゃん…………タ……ケル、ちゃ……ん……?」
「なんだ?」
「タケルちゃん……どうして、いなくなっちゃったの……?」
「え?」
「……どうして……どうして──どうしてっ──どうしてだよぉ──っ!!」
 突然暴れ始める純夏。発作が始まってしまった。何がトリガーになったのかは分からない。この流れで言えば、武の名前が出た事だろうか。
「純夏、落ち着けって」
「──いやあっ……いやだぁッ! もうやめてぇぇ……やめてやめてやめてやめてよおぉぉぉっ!!」
「……っ!」
 暴れ始めた純夏を、武はギュッと抱きしめる。
「……めちゃくちゃにしないでぇぇ! ──お願いぃしないでえぇぇ……」
「しないよ、誰もそんな事はしない!」
「しないでえぇぇ──お願いぃ──もうやめてぇぇ…………」
「…………」
「──こわさないでえぇぇぇッ! もうゆるしてよぉぉ……!」
「純夏……大丈夫、大丈夫だから……な?」
「こわさないでぇ……こわさないでよおぉぉッ! おねがい……おねがいだよ、おねがいだから…………おねがいします、わたし、なんでもしますから……だから、ひどいことしないで……もうやめてぇ……」
 純夏は暴れるのをやめて、目に涙を溜めながら、懇願するように武を見上げる。
「大丈夫だよ、純夏。誰も苛めたりしない。ここにはそんな酷い奴はいない」
「……ぅ…………ほんと……?」
「ああ、本当だ。約束する」
「……やくそく……」
 武の言葉に安心したのか、純夏はそのままぐったりと気を失ってしまった。武は純夏を抱きかかえたまま、霞を振り返る。
「……霞、なんか見えたか?」
「いえ、はっきりとしたイメージは何も……。いつもよりぐちゃぐちゃで……よくわかりません」
「いつもは、どんな感じなんだ?」
「色々な情報が純夏さんの頭に洪水のように流れ込んでいるせいでハレーションが起こって、具体的な意味を持つイメージは全く読み取れません」
「それが更にわけが分からなくなってる、って事か……」
「はい……」
「そうか。……とにかく休ませよう。霞は純夏の事を見ててくれ。俺は夕呼先生の所に行ってくるから」
「はい」
 武は部屋を出て、夕呼の執務室へ向かった。

「──で、今はどうなってるの? バイタルは安定しているみたいだけど」
「霞が見てくれてます」
「そう。……たったの一日で随分と人間性を取り戻したわね」
「あれでですか?」
「そうよ。それも、ありえないくらい。ある程度は予測していたとはいえ、あんたがいない間にやってきた事をすべて否定されたような気分。もちろん、喜ぶべき事だけどね」
「はあ……」
「何よ、不満そうね?」
「純夏が苦しんでるのを見るのは、やっぱり」
 武の脳裏に、向こうの世界で追い詰めてしまった純夏の弱々しい姿が思い起こされる。
「申し訳ないけど、こればっかりは我慢してもらうしかないわ。鑑があんな風に取り乱すのは、あんたの前でだけ。つまり、鑑に何らかの変化をもたらすことが出来るのも、あんただけなのよ」
「……それも分かってます」
「手応えとしては、どんな感じなの?」
「そうですね……向こうの世界の純夏の記憶が流れ込んできてるんじゃないかと思います」
「根拠は?」
「霞が言ってたんですけど、今の純夏の心のイメージはハレーションだけでなく、もっとグチャグチャになっているそうです。つまり、得る情報が更に増えたって事なんじゃないかと。付け加えれば、その出所は虚数時空間だから、外界から得た情報以上に上手く処理出来ない」
「なるほどね」
「あとは……今、表に出てきてる感情が恐怖や悲哀なのは、元々あった強い憤怒や憎悪に俺……白銀武を掛け合わせたことで、何らかの関連付けが出来たんじゃないかと思います。ただ、今のままじゃそれ以上は望めません」
「鑑の楽しいとか、嬉しいとかいう正の感情に関する思い出に引っかけられるような針が無い、だから関連付けが作れない、ってこと?」
「そうです。一応、俺が元の世界で知る限りの楽しかった思い出やなんかを話してはいますが、それもどこまで効果があるのかわかりません。だから──」
「だから、この世界の白銀武と鑑純夏の関係を知りたい……?」
「はい」
「……残念ながら、それは無理よ」
 夕呼は力なく首を横に振る。
「記録が残っていないんですか?」
「それもあるけど」
 確かに記録は、BETA侵攻の際の混乱で失われてしまっている部分も多い。だが、そもそも戸籍等の記録には、個々の人間関係など記載されていないのだ。
「じゃあ、知り合いが残っていなかったと」
「それどころか、この辺一帯の民間人は一人も生き残っていなかったのよ。強いてあげれば、京塚曹長が唯一の生存者。あとは軍内部の地元出身者……伊隅や涼宮達A-01を始めとする軍人、軍属問わず全てを調査したけど、鑑との接点はなかった」
「そうだったんですか……。それじゃ、霞のリーディングデータは?」
「大した物はなかったはずよ? 断片的な物ばかりでね。何しろ、精神崩壊寸前だったんだから。安定してからも、会いたいとか起こしに行くとか、そんなレベル」
「それは、俺……というか、白銀武をですよね?」
「ええ、もちろん」
「……じゃあ、その辺から攻めてみるか……」
「どうするの?」
「いえ、俺が純夏を起こしに行ってみたり……あとは側についててやる時間を増やすとか。俺の方もA-01の訓練を見なきゃいけませんから、四六時中ベッタリってわけにもいきませんけど」
「そのあたりは全部あんたに任せるわ。あたしとしては、とにかく結果さえ出ればいいから」
「分かりました」
「だとすると……そうね、あんたのパスのセキュリティレベルを引き上げてあげるわ。鑑と会うのに、いちいちあたしの許可を取るのも面倒でしょうし、あたしも帝国や国連のお偉方との折衝があって、いつでも応じてあげられるわけじゃないから。ちょっと待っててね」
 そう言うと夕呼は机の上の端末に取り付き、キーボードをカタカタと操作し始めた。
「これでよし、と。あんたのセキュリティレベルをあたしと同等まで引き上げたわ。これでもう基地内で入れないところは無いし、情報閲覧もし放題。端末はあんたの部屋にも引っ張るように、手配しておいたから」
「……そんな事しちゃっていいんですか?」
「構わないわよ。オルタネイティヴ4の責任者権限ってやつだから、何も問題ないわ」
「そうじゃなくて、先生が」
「いいのよ。……別に罪滅ぼしってわけじゃないけど、あたしはあんたのこと、全面的に信頼することにしたから。……まあ、今更なんだけど」
 夕呼は少しだけ自嘲的に、フンと鼻で笑った。
「…………」
「だから、裏切ったりしないでね?」
「……はい」
「とにかく、運用評価試験までに求められるのは、最低限の安定性よ。人格を完全に取り戻せないにしても、とりあえずは戦闘中に安定する事が出来るようになれば、それでいい。その日一日、最低限の安定性さえ保証されれば、また時間は稼げるから」
「そう言えば、甲21号作戦の後の予定は、どうなってるんですか?」
「ああ、話してていなかったわね。甲21号作戦終了から二週間後に、甲20号作戦を予定してるわ」
 甲20号目標は、朝鮮半島は北朝鮮、元山市に存在するフェイズ4ハイヴである。
 二週間というのは、ハイヴ間の情報伝播に19日かかっている事から逆算された数字だ。BETA相手に一度使用した戦術等は、対策が取られるまでに19日間掛かる。それまでは基本的に同じ戦術が通用する。
 つまり、佐渡島で凄乃皇弐型の情報がBETAに伝わったとして、それから何か対策を練られたとしても、甲20号作戦ではまだ普通に通用するはず、というのだ。
「甲20号目標を潰したら、次は甲1号目標──オリジナルハイヴを叩く」
「……それはまた急ですね」
「そうでもないわよ。甲21号作戦はあくまでも鑑と凄乃皇の運用テスト。だから甲20号作戦が実質、実戦一発目になるわけ。それで成果が得られれば、あとは一気にオリジナルハイヴに攻め込んでも問題は無いでしょ?」
「そうかもしれませんが……それだと19日を過ぎちゃいますよ?」
「考えてないわけじゃないわよ。オリジナルハイヴ突入には、凄乃皇四型を用意するつもりだから。まあ、実用化まではもうちょっと時間がかかるんだけどね」
「四型……?」
 凄乃皇四型──XG-70d。その名が示す通り、XG-70シリーズの四号機。そしてHI-MAERF計画とオルタネイティヴ計画の混血児だ。近接防衛能力と通常攻撃能力を付加され、単機でのハイヴ制圧を目標としたXG-70シリーズの完成形となる。とは言え、こちらはまだ主機や兵装の整備調整が全然終わっていないので、試験運用する事すら出来ないのだが。
 もっとも、出撃可能な凄乃皇弐型でも解決し切れていない問題はある。00ユニット──純夏が搭乗する事で、あくまでも最低限実用可能な段階まで持ってこられただけというのが実情で、細かい問題点に関しては未だ調整中だ。
 甲21号作戦では問題点の洗い出し、甲20号作戦で最終調整、それらのデータを凄乃皇四型にフィードバックする。
 計画が順調に進めば、凄乃皇四型は万全の体制でオリジナルハイヴに突入出来るというわけだ。
「まあ、そんなわけだから」
「逆に言えば、19日の縛りがあるから、凄乃皇四型の事を知られる前に、いきなりオリジナルハイヴを叩かなきゃいけない……って事ですね」
「そういうこと。とにかく、すべては鑑が回復してからの話だから。頼んだわよ」
「はい」
「……鑑純夏にとって白銀武は、脳髄になっても生きる意志を失くしてしまわないほどに大きな存在だった」
「……?」
「横浜ハイヴを制圧した時、無数にあった脳髄の中で鑑だけが生きていた理由……それは鑑が白銀武を強く想っていたから。それも途方もないほどに、ね。
 あたしは、人を脳髄だけの姿で生きながらえさせる技術は、BETAにもなかったんじゃないかと思ってる。……生物学的な生命維持だけならどうにでも出来るんでしょうけど、人のアイデンティティ云々に関しては全く理解してなかったでしょうから。人類を生命体と認識していないんだから、当然と言えば当然なんだけど」
「…………」
「鑑が生き残ったのは、鑑自身の強さ。でもその反面、酷く脆い一面も持ち合わせているように思うわ。……まあ、あたしの主観でしかないんだけど」
「……」
「だから……あんたがしっかり支えてあげなさいね」
「……分かってます。俺はみんなを護るって決めてますからね。護りたい人は増える一方ですけど……出来る限りの事はやるつもりですから」
 今更言われるまでもない。武はそのためにBETAと戦っているのだ。
「そう」
 夕呼は武の答えを聞いて、薄くフッと微笑んだ。
「──話は変わるけど、A-01でのあんたとまりもの処遇、決まった?」
「あ、はい」
 武はまりもと話し合って決めた事を夕呼に伝える。
「なるほど……遊撃隊ね」
「はい。その方が俺も色々と動きやすいし、先生だって都合がいいでしょ?」
「確かにそうかもね。にしても、戦乙女遊撃隊か……さしずめ、ヴァルキリー・イレギュラーズってところかしら」
「コナン・ドイルですか?」
「まあね。それにヴァルキリーズの員数外でもあるんだし、そういう意味でもイレギュラーってのはぴったりじゃない?」
「イレギュラーズか……悪くないですね」
 勿論、夕呼は武を皮肉って名付けたのではないだろうが、元々この世界の員数外である武にとっては、ちょうどいいネーミングかもしれない。
 そして、それを意識する事で、自分の使命を忘れないための戒めにもなる。
「じゃあ、正規の配属はあたしの下、A-01には臨時配属って事で確定しておくわ」
「お願いします。……それじゃ、俺はこの辺で失礼します。純夏の資料とか、色々目を通しておきたいんで」
「分かったわ。お疲れ様」

 夕呼の執務室を出た武は、一度純夏の様子を見てから、自分の部屋に戻った。
「うわ、仕事速いなあ……」
 武の机の上には、既に情報端末が設置されていた。夕呼が武のセキュリティレベルを引き上げた時に一緒に手配した端末だが、夕呼と話していた僅かな時間で、セッティングが完了してしまっていた。
「ま、ちょうどいいか」
 端末の電源を入れ、純夏の訓練記録やバイタルデータ、霞のリーディングデータ等を呼び出し、それらに目を通していく。
 ざっと見たところ、夕呼や霞に聞いた通り、そこには大した情報が記載されていないように見える。しかし夕呼や霞には分からなくても、武なら意味を見出せるような事があるかもしれない。見落としのないように、隅から隅まで文字をなぞっていく。
 そしてそれから小一時間ほどが経過した頃。
「あんま目ぼしい情報は載ってないなあ……」
 もっとも、リーディングデータは横浜ハイヴを制圧した二ヵ月後からこれまでずっと記録され続けてきたものだから、およそ二年分の蓄積がある。虱潰しに当たっているため、ほんの一部しか閲覧出来ておらず、まだまだ何ともいえない。
 とりあえず、今のところは役に立ちそうな情報は見つけられなかった。
 武はデータベースへの接続を切断し、一息つく。
 そして、思いのほか密度の濃くなった今日一日の事を思い返した。
 ヴァルキリーズに関してはまりもがいるので、あまり口うるさい事を言う必要もない。
 美凪からは調査結果を受け取った。
 となると、やはり一番の気掛かりは純夏の事だ。
 ここ数日の記録を確認してみた限り、夕呼が言っていたように、武と対面した昨日から今日にかけて、著しく人間性を取り戻してきている事に間違いはない。
 だからと言って、今のところ表れているのは負の感情ばかりなので、このままで良いはずがない。
「何かのきっかけがあればいいんだけどな。明日時間があれば、霞にでも聞いてみるか……?」
 純夏をリーディングしてきた霞なら、何か良い案があるかもしれない。
「でも、きっかけって言えば……今日、純夏が暴れ始めたきっかけって、俺の名前が出てきた事だよな……どうなってんだ……? BETAに捕まってたはずの純夏の負の記憶に、なんで俺が……」
 武に関する記憶を持っていること自体は何もおかしくはないが、武を奪った、と言うのが腑に落ちない。
「この世界の俺もBETAに捕まってたって事か……?」
 無論、その可能性もゼロとは言えないのだが、そうなると今まで耳にしてきた、この世界の白銀武についての話と、決定的に食い違ってしまう。
「この世界の白銀武は、少なくとも今年まで生きていたはずだ。それなら、純夏と一緒に発見されてなくちゃおかしいし……いや、仮にそうだったとしたら、純夏と同じ姿になってるはずだ。とても動き回れるような状態じゃない。…………やっぱり、戎の報告書を読むしかないのか……」
 武はちらりと机の上に眼をやった。
 そこには戎から受け取った報告書が置かれている。それを見れば、疑問に対する答えに近付く事は出来るだろう。
 だが。
「聞きかじった話だけで、自分で確認していないからこそ、純夏にリーディングされても大きな問題になってないはずなんだよな。確認しちゃうとどうなるか分からないし……」
 今ここで純夏が不安定な方向に向かってしまうと、取り返しのつかない事になる可能性がある。
 逆に一度安定してしまえば、多少の事があっても問題は無いだろう。
「やっぱこれは、まだ見ちゃ駄目だよな……」
 確かに気にはなるが、やはり純夏の精神状態が落ち着くまでは……と、武は戎の報告書を机の中にしまい込んだ。



[1972] Re[25]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
 2001年12月19日(水)

「純夏の部屋は……って、ここなんだよな」
 いつもより早く起きた武は、B19フロアにある純夏の寝室にやってきた。寝室と言っても、例のシリンダーの置かれている部屋なのだが。00ユニットのメンテナンスベッドが置かれていて、ODLの浄化や義体の調整等をここで行っている。
 本当はもっとちゃんとした部屋で生活させたいのだが、ODLの浄化はここでしか出来ず、処置は最低でも二日に一度、出来れば毎日行いたいので、致し方がない。
 それでなぜここにやってきたかというと、純夏を起こすためだ。
 この世界の純夏が武を毎朝起こしていたというのは、武が来る前に取得したリーディングデータにあった事なので間違いない。
 それを逆手にとって、武が純夏を起こす事で記憶の関連付けを作ろうというのだ。
 武は純夏の寝ているベッドに近付いていく。
 ベッドの上に横たわっている純夏は、寝息で胸が上下しているし、寝返りもうったりと、その姿は普通の女の子と何一つ変わらない。
 しばらくその穏やかな寝顔を眺めていた武だったが、起床時間が近付いてきたので、純夏に声を掛けた。
「純夏、朝だぞ……起きろ」
「んんっ……えっ、あれ? ……タケル、ちゃん……?」
「ああ。おはよう、純夏。今日は俺が起こしに来てやったぞ。いつもは俺がお前に起こして貰ってたんだけど、憶えてるか?」
「…………わかんない……」
「そうか。まあ、ゆっくりと整理して思い出していけばいいよ」
「うん……」
 昨日の夜に比べて、格段に人間らしさを取り戻している。人間と同じく睡眠中に記憶の整理が行われているのだろうか。情報過多によって引き起こされていた混乱も、今はすっかり治まっているようだ。
「さて。それじゃ、お前もちゃんと目を覚ましたようだし、俺は行くよ」
「…………」
 武が部屋から出て行こうと純夏に背を向けると、純夏は上着の裾をキュッと掴んで、武を引き止めた。
「ん? どうした、純夏?」
「……いっしょが、いい……」
「え?」
「タケルちゃんと、いっしょにいたい……」
「ん……そうだなあ……」
 純夏は武の顔色を窺うように、上目遣いで見上げている。
 武は今日のスケジュールを思い返してみる。ヴァルキリーズの訓練はあるが、まりもが付いてくれているので、無理に参加しなくても大丈夫だろう。夕方にでも一度、訓練の成果を見に行けば、それでいい。
「……分かった。夕方はちょっと外せない任務があるからダメだけど、それ以外ならいいよ」
「ほんと……?」
「ああ、本当だ」
「……よかった……いっしょ……」
「純夏は、今日の予定はどうなってるんだ?」
「……くんれん……」
「訓練はどんな事をやるんだ?」
「BETAを殺す訓練……」
「いや、そうじゃなくてさ。ほら、凄乃皇の操縦とか、色々あるだろ?」
「…………情報、集める……」
 純夏は甲21号作戦の内容に沿ったシミュレーションをしている。
 聞いた限り、武の提案で変更された作戦内容に沿った訓練を行っているようだ。人格が取り戻せなかった時の事を考えて、最低限作戦行動だけは遂行出来るように、という事なのだろう。
 操縦に関しては、技術がどうこういう問題ではない。これは昨晩、武が情報端末を通じて確認した事なのだが、純夏は凄乃皇に00ユニットとして接続されると、あたかも機体を自分の身体のように認識して動かす事が出来る。
 つまり、狭い空間を純夏が処理しきれないほど高速で通り抜けるようなシチュエーションでもない限り、操縦技術など必要ない。
 作戦行動に関しても、00ユニットとしての記憶能力や処理能力は人間とは比べ物にならないので、一度聞けばすぐに実行に移す事が可能だ。
 勿論、杓子定規にインプットされた情報から行動パターンを検索して実行するというのではなく、それらを応用して、状況に合わせて新しい行動パターンを次々と生み出していく。
 最初に適切な知識さえ教えてしまえば、後は半端ではない思考能力を使って、歴戦の兵士さえも凌駕するような判断力を発揮する事が可能になる。データの入力などはとっくに完了しているので、今すぐ戦場に出ても、安定さえしていれば、その実力を発揮出来るという事だ。
 純夏がすぐにでもBETAを倒しに行きたいと言っていたのは、このためだ。純夏にとっては、もう既に準備万端ということなのだ。
 だが実際のところは、純夏の精神はまだまだ安定しているとは言いがたく、この状態で実戦に出すわけにはいかない。
 もっとも、だからこそ武がいるのだが。
「訓練はどこでやってるんだ?」
「もっと……下のほう……」
 凄乃皇弐型が収納されているのはB27フロアにある90番格納庫。予備パーツのコックピット回りをシミュレーターに接続して、そこで訓練をしている。
 衛士たちが使っているシミュレーターを改造して凄乃皇に対応させる事は可能なのだが、現状では純夏の存在自体が機密になっているので、それは出来ない。
「じゃあ俺も一緒に……って、そういや飯がまだだったな……」
 空腹感が増し、朝食を採っていない事を思い出す。しかし今日一日、夕方を除いて一緒にいてやると言った直後に、それを反故にして純夏を残して自分だけPXに行くわけにもいかない。勿論、純夏をPXに連れて行くのは論外だ。
「…………」
 純夏が不安そうな瞳で武を見詰めている。
「……誰かに出前してもらえばいいか」
 とは言っても、ここまで入って来られる人間で、武が知っているのは霞と夕呼しかいない。霞は身体が小さいので、ここまでトレーを運ぶだけでも、それなりの大仕事になってしまう。
 武は備え付けのインターホンで夕呼を呼び出した。
『……誰?』
「白銀です」
『……なんか用?』
「えっと、純夏の部屋まで朝飯を手配して欲しいんですけど」
『……なんでよ』
「いえ、今日は純夏と一緒にいるって約束して、PX行けなくなっちゃったんで」
『……分かったわ、ちょっと待ってなさい』
 しばらくすると、夕呼が朝食の乗ったトレーを持って、部屋の中に入ってきた。
「はい、お待たせ」
「先生、自分で持って来たんですか?」
「なによ……あんたが持って来いって言ったんじゃない」
「いや、誰かに頼めば、それで済むじゃないですか」
「…………あー」
 夕呼は今初めてその事に気が付いたような表情を見せる。
 よく見るといつかのように、その顔には疲労が色濃く溜まっていた。目の下には隈も出来ている。甲21号作戦を控え、国連上層部や帝国軍との折衝に忙しい毎日を送っているのだろう。
「まさか……また寝てないんですか?」
 考えてみれば、そうであってもおかしくはない。
 武がこの世界に戻ってきた後、自分がいなくなってもいいように全てを手配していたのだとすると、それだけでも相当な負担になっていたはずだ。その上、武と打ち合わせた結果、また帝国軍や国連上層部と掛け合わなければならない事が増えたので、その負担は更に増している。
「…………ちょっと仮眠取るわ。今更あんた相手に見栄張っても仕方ないしね」
「その方が良さそうですね」
「あ、鑑の訓練には顔を出すから。……それじゃね、おやすみ~」
「はい、おやすみなさい」
 夕呼は少しだけフラフラしながら部屋から出て行った。
「…………」
 それを見送った武が純夏の方を振り返ると、純夏はじっとりとした視線で武の事を眺めていた。
「どうした?」
「……なんでもないよ……」
「そうか? まあいいや、飯にしようか」
 トレーの上を見ると、二人分の食事が用意されていた。
 00ユニットには基本的に人間と同じ機能が備えられているので、食物からのエネルギー供給はさすがに出来ないものの、食べて味わう事は出来るようになっている。
 本来なら専用のペースト食があるのだが、人間性を取り戻すためには、人と同じ食事を摂る事も必要になってくるだろう。
 夕呼はそこまで見越して、二人分の食事を用意してきたのだ。
「……なんて事はないよなあ、どう見ても半分寝ぼけてたし……まあいいか」
 武は部屋に備え付けられたテーブルの上に、自分と純夏の朝食を配膳していった。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます……」
 そして三分後。
「ごちそうさま」
「タケルちゃん……食べるのはやいよ……」
「え? あ、悪い。もう習慣になっちゃっててさ」
 前のループでは、いつ出撃命令が下るか本当に分からない、常に即応態勢の毎日が続いていたので、食事や風呂にトイレがとにかく早くなってしまったのだ。
 それはさておき。
「また香月先生のところに行っちゃうの……?」
 酷く不安そうな表情で、純夏は武に訊ねた。
「……なんで?」
「だって、そんなに急いでご飯食べて……」
「いや、別に急いでないって。それに先生、さっき仮眠取るって言ってたじゃないか。多分、もう寝ちゃってるぞ?」
「あ、あれ……そうだよね……わたし、なんで……?」
 武はつい最近にも、似たようなやり取りをした事を思い出した。この前、あちらの世界に行ってすぐの事だ。夕呼に用事があって、同じように三分で朝食を食べ終えて家を出た。更にその翌朝にも、似たような事をしている。
 つまり、向こうの夕呼が立てた仮説の通り、記憶の関連付けが出来て、向こうの純夏から流出してしまった記憶が流れ込んできているのだ。
「うぅ……あたまいたい……」
 純夏は頭を抱え込む。
「ああほら、あんま深く考えるな」
「うん……」
 量子電導脳の処理能力を考えると、人間一人分の記憶を処理する程度、どうという事はないはず。にもかかわらずそれが出来ていないのは、恐らくその情報が虚数時空間から受け取った物だから、処理の手順に狂いが生じているのだろう。そして、それが痛みとなって表れているのだ。
 ただ、最初に武と会った時のように、頭を抱えたまま意識を失ってしまうような事はなかった。量子電導脳が、虚数時空間から受け取った記憶の処理方法を確立しつつあるのだろう。
 武は純夏が食事を終えるのを待つと、純夏の訓練を行うために、90番格納庫へと向かった。

 午前の訓練を終えた武たちは、一旦、純夏の自室に戻って昼食を食べながら、午後の予定について話し合っている。とは言っても、武が一方的に考えて、それに純夏が返事をしているだけなのだが。
 それはともかく。純夏の訓練風景を見た限り、これ以上の訓練を重ねても作戦成功率を上げる事は出来ないだろうと、武は判断した。
 別に純夏の成長が頭打ちになっているとか、そういった話ではない。現時点でも純夏はシミュレーションで作戦成功率100%を叩き出してみせている。実戦に出れば精神状態に変調があるだろうが、それはまたその時の話。訓練ではそこまで再現出来ない。
 そして、実戦に出た時の精神安定に影響するのは、普段の安定度合いだ。
 今まで訓練を重ねてきたのは、それ以外に純夏の精神の安定を促す方法が無かったからに過ぎない。だが所詮一時凌ぎに過ぎず、それでは本当の安定は得られない。
 武が帰ってきた今、訓練よりもやるべき事がある。今の純夏にとっては、心の安寧を得る事の方が重要なのだ。
「今日は午後の訓練は中止にして、ずっと話してようか?」
「やだ、訓練する……BETA、殺す……!」
「でも訓練してる間は、一緒にいられなくなっちゃうぞ? ……まあ、近くにはいるんだけど」
「うぅ……いっしょがいい……」
「純夏のしたいようにすればいいよ」
 武は純夏に決断を委ねた。
 あまり深く考えさせると、虚数時空間から受け取った過剰な情報によって頭痛を誘発させてしまうのだが、純夏には色々と考えてもらって、記憶の関連付けを出来るだけ多く作ってもらわなくてはならない。
 もっとも、悩み始めた時に口を挟んで誘導してやれば、ある程度はコントロール出来るので、無為に苦しめてしまう事はないだろう。
「…………」
「決まったか?」
「タケルちゃんと、いっしょにいる……」
「そっか。じゃ、そうしよう」
「……うん」
 それから、武と純夏は思い出話を続けた。とは言っても、武が一方的に喋って、純夏はそれに相槌を打つという事の繰り返しではある。だが、それでも話が進むにつれ、虚数時空間から受け取った記憶を次第に自分のものにしているのか、純夏はより明確な反応を示すようになっていく。
 やがて時間が過ぎ、夕方になった。
「おっと……もうこんな時間だな。それじゃ純夏、俺はちょっと任務に行って来るから、良い子にしてるんだぞ?」
「タケルちゃん……行っちゃうの?」
「まあ、そんなに時間はかかんないと思うよ。終わったらすぐに戻ってくるからさ」
「……うん、いってらっしゃい」

 純夏の部屋を出た武は、ヴァルキリーズが訓練を行っているシミュレータールームに赴いた。
 まだ演習中のようで、ずらりと並んだシミュレーターが、派手に動いている。それを横目に、武は制御室に入っていった。
 そこには、戦域管制をしている遙しかいない。
「あれ、まりもちゃんは……」
 遙の肩越しに並んだモニタに目をやると、まりもは演習に参加して、そこから色々とアドバイスを出しているところだった。
「結構無茶やるなあ……まりもちゃんも」
 実際に部隊の中で回避や攻撃の手本を見せ、ヴァルキリーズに反復させて機動を叩き込む。慣れない機動で撃墜されそうになると、サポートを入れて演習時間を無理矢理引き延ばす。そんな事を繰り返していた。
「しかし……さすがに教え方が上手いよな。元教導隊は伊達じゃない、か」
 その成果が上がっているのか、戦闘記録を確認してみると全員が築地レベルの回避を実現するという武の課題を、きっちりとクリアしていた。今は更に次のステップ、BETAの動きのコントロールについての教練を行っているところだ。
「回避率はクリア、と。……最深到達点は……」
 現在の最高記録は最下層到達まで。昨日の昼の時点では中階層の突破がやっとだった事を考えると、異常なまでの伸び幅だ。見た限り、部隊の連携は昨日よりも格段に良くなった。連携さえ繋がれば最下層到達は可能だ、と言ったまりもの言葉通りの結果になっている。
 それに加えて、各個の機動も着実にレベルアップしているので、中隊だけでの反応炉到達も時間の問題だろう。
 訓練は進み、ヴァルキリーズは損耗率を増加させながらも、まりものサポートを受けながら何とか最深部に辿り着く。そしてS-11を反応炉にセッティング、爆破したところで本日の演習は終了となった。
 シミュレーターから降りてきたヴァルキリーズは、その場で遙の用意した操作記録を受け取って、すぐさま検討に入る。
 まりもは武の姿に気が付いて、近寄ってきた。
「お疲れ様です、まりもちゃん」
「あなたもお疲れ様。……どう? あの子たち」
「上出来ですよ、凄いじゃないですか」
「まあ、この程度は最初から出来ると思ってたからね。まだまだこれからよ」
「今後の訓練計画はどうなってます?」
「明日は実機演習を予定してるわ。ここのところシミュレーター続きだったからね。さすがにここらで実機に乗っておかないと、勘を鈍らせてしまうから」
「そうですか。……あれ? 不知火が来るのって、まだじゃなかったっけ」
 現在の予定では、元207Bの搬入は明後日、21日の朝に予定されている。煩雑な整備は搬入元で完了させる予定なので、基地に到着次第、吹雪から取り外した管制ユニットを取り付ければ使用可能となる。もっとも、五機分の作業になるので、どう急いだところで夕方まで掛かってしまうだろう。
 とにかく、明日はまだ機体が用意出来ていないのだ。
「それじゃ、冥夜たちはこれまで通り、吹雪で?」
 シミュレーターで不知火に慣れ始めている今、それはあまりよろしくはない。しかし、ないものは仕方がないと武は思っていたのだが、まりもから返ってきた答えは、違うものだった。
「ううん、あの子たちは不知火に乗ってもらうわ。先任の機体を使わせてね。先任の子たちには撃震に乗ってもらうつもり」
「撃震に?」
「ええ。不知火が優秀な機体なんだってことを、再確認してもらおうと思って」
「なるほど。機体性能と操縦技術の区別をはっきりさせておくため……ですか」
「そんなところね。そうすれば、操縦の問題点の洗い出しにもなるから。あとは、新任の子が不知火の実機に慣れるのを一日でも早くするため、かな」
「さすがはまりもちゃんです」
「もう、違うわよ。これはね、私が昔、教導隊にいた時にやってたことなの」
 不知火を使うようになった衛士は、特に撃震から乗り換えた場合に、その機体性能を自分の操縦技術と取り違えてしまう者が多いのだと言う。教導隊が一般衛士たちを指導する際、その間違った観念を叩き壊すために、わざと性能の低い機体を使わせるのだ。
 勿論、ヴァルキリーズの先任たちがそんな勘違いをしているというわけではない。
 だが、新任はシミュレーター上ではあるが吹雪から不知火に乗り換え、機体の性能差を認識する事で自身の操縦技術を確認している。これによって新任の伸び率が更に上がると、下手をすれば先任が操縦技術面で新任の足を引っ張る、という可能性もゼロではなくなってくるので、先任たちにもそこを再確認させようというのである。
 しかし撃震とは言っても、XM3搭載型なので、それなりの戦闘能力はある。さすがに不知火でやっているように変則的なアクロバットは出来ないだろうが、新たな機動概念を身に付けつつあるみちるたちなら、問題なく使いこなす事が可能だろう。
「まりもちゃんもやるんですか?」
「私? 白銀が参加してくれるならね」
「あ、そっか……数が合わないんだ。そうだなあ……特殊任務次第ですけど、一応、俺の枠も空けといて下さい」
 純夏の状況が今日よりも落ち着いているようであれば、訓練に参加しても問題は無いだろう。
 実際に出撃する時はヴァルキリーズと一緒なので、連携が出来ないとまずい事になる。純夏の事が優先とはいえ、訓練には極力参加すべきなのだ。
「分かったわ」
「それじゃ、俺は特殊任務に戻ります」
「ええ、頑張ってね」
「はい」

 シミュレータールームを後にした武は、再びB19フロアに降り、純夏の部屋に戻る。
 そして部屋の中に入ったのだが、純夏が見当たらない。不審に思った武が部屋の中を見渡してみると、純夏は部屋の隅でうずくまって、ガタガタと震えていた。
 武は慌てて純夏の所に駆け寄っていく。
「どうした純夏、何があった、大丈夫か!?」
「……タケルちゃんが……いなくなっちゃった……」
「え?」
「……タケルちゃん、どこ……どこにいっちゃったの……?」
「純夏?」
「やだ……いやだよ、おいていかないで……ひとりにしないでよぉ……!」
「純夏!!」
「え……っ?」
「俺はここにいるよ、純夏」
「あ……タケルちゃん…………ぅぅ……あたまいたい……!」
 純夏は頭を抱え込んでしまう。
「ああほら、そんなにいっぺんに考えちゃダメだ。ゆっくりだ、ゆっくり……な?」
「うぅ……」
 また、純夏の負の記憶に武が出てきた。
 いなくなったと言っても、武が純夏を見捨てて逃げた……というわけではないだろう。純夏が捕らえられていたのは、横浜ハイヴの奥深く。横浜ハイヴは深さだけはフェイズ4ハイヴと同等だから、だとすると地表まで何百メートルもある事になる。とてもではないが、逃げらるものではない。
 それ以前に、武が純夏を置いて逃げ出すなど、まず考えられない。
 となると、BETA侵攻の際の混乱で離れ離れになってしまったのだろうか。或いはもっと別の理由があるのか。
 が、それは今知るべきことではない。
 武は頭の中からその考えを振り払うと、純夏を抱えて、ベッドまで連れて行った。
 純夏の様子を見ると、その表情に見逃せないほどの疲労が滲み出てきている。
 ある程度、話題を誘導する事で、酷い頭痛に悩まされないようにしていたとはいえ、普段よりたくさんの事を考えさせたためか、やはり負担は軽くなかったようだ。
 それが疲労という形で現れてきている。記憶や人格を取り戻すためには不可避であるとはいえ、今日はもう潮時だろう。
「純夏、今日はもう休んだほうがいい」
「うん……」
 純夏も疲労がピークに達しているのか、おとなしく武の言う事に従った。
 睡眠は純夏を安定させるためには絶対に必要な事だ。今までのケースを見る限り、睡眠中に記憶の整合性が構築されていっているのは間違いない。
 今日はいつもよりも多くの情報を取り込んでいる。記憶の整理をつけるのにも、いつもより多く時間が掛かるだろう。その分、頭を休めるための時間が減ってしまう。純夏の身体を気遣うのなら、ここは休ませるべきだ。
「タケルちゃん……あとちょっとでいいから、いっしょにいて……」
 純夏が不安そうな目で武を見上げてくる。断る理由はどこにも無い。
「……純夏が寝付くまで一緒にいるよ」
「うん……ありがとう……」

 純夏が眠ったのを確認してしばらく経った後、武は自室に戻った。
 情報端末の電源を入れ、閲覧途中だった霞のリーディングデータに目を通していく。しかし、今日も目ぼしいデータは見当たらない。
 そして情報閲覧にひと段落つけると、天井を見上げて考え始めた。
「なんでもいいから、もう少し何かしてやれれば、良い方に向かうと思うんだけどなあ……」
 感情が戻りつつあるとは言っても、武が知っている元気な純夏とは程遠い。勿論、この世界の純夏がどんな性格だったか、今の武には知る由もないが、冥夜たちを見る限り、住む世界が変わっても芯の部分まで変わってしまうわけではなさそうだった。
 だから純夏も、武の知る純夏と大きくかけ離れているような事はないはずだ。
 武は何かきっかけは無いかと考えてみる。ふとカレンダーを眺めてみると、クリスマスが数日後に差し迫っている事に気が付いた。甲21号作戦とぶつかってしまうので当日に何かしてやる事は出来ないが、何もしないよりは遥かにいい。
「そうか、クリスマスか……プレゼント、何がいいかな」
 この世界の純夏が何を喜ぶのかは分からない。しかし、今の純夏には、向こうの世界の記憶も流れ込んできている。それならば、武の古い記憶や、こっちに帰ってくる前に読んだ純夏の日記に書かれてあった事も、そのまま通用するのではないだろうか。
「だとすると……サンタウサギかな。っていうか、俺が純夏にやったプレゼントでマトモなのって、あれだけなんだよな……」
 子供の頃、純夏がサンタに会うと言い張って一晩中起きていたせいで、両親がプレゼントをセッティングする事が出来ず、サンタが来なかったとしょげていた純夏に、サンタの代わりだと言って武が手渡したプレゼントがサンタウサギのキーホルダーだ。今思えば、純夏はこのキーホルダーを随分と大切にしていた。
 記憶の関連付けを作るという意味でも、思い出深いプレゼントを渡す、と言うのは効果が見込めるだろう。
「でも、同じものは……さすがに見つからないよな」
 今の日本におもちゃ産業などはほとんど残っていない。BETAが本土に侵攻してくる前ならいざ知らず、既にそんな余裕など残されていないのだ。勿論、BETAの侵攻を受けていない米国なら、まだそういった産業も残っているが、これはこれで問題がある。
 センスが違いすぎるのだ。元々のサンタウサギのイメージが純夏の中にある以上、米国産の微妙に愉快なデフォルメが施されたウサギをプレゼントされても、それは微妙な気分になってしまうのではないだろうか。
「それなら自分で何とかしてみるか……」
 というわけで、武は校舎裏の丘にやってきた。
 時刻は既に23時00分を回っている。消灯時刻は過ぎてしまっているのだが、こんな時間に外をうろつき回っても咎められる事はない。夕呼の名を出して特殊任務と言えば、全てが不問に付されてしまうのだ。
 もっとも、それがなくとも、XM3開発やトライアルのBETA襲撃時の立ち回りの件があるので、武は基地内でも一目置かれている。と言うか、どちらかというとバケモノ扱いされていると言った方が、より正解に近い状態ではあるが。
 それはともかく。
 サンタウサギが手に入らないのならば、自分で作ってしまえという事で、材料集めのために出て来ていた。あまり悠長に作っている時間も無いので、材料は入手しやすく、かつ加工しやすいものが良い。となるとやはり、木が最適だ。強度が必要な部分は針金や、装甲の緊急補修用パテを使えばいい。それらはハンガーで手に入る。留め金等は夕呼に手配してもらう事になるだろうが。
 使用する道具は手持ちのアーミーナイフと、整備班から分けて貰ってきたサンドペーパー。身近なものだけでも何とかなるものだ。
 細部に関しては、霞にリーディングしてもらって確認すれば問題ないだろう。全く同じものというわけにはいかないが、かなり似た雰囲気のものは作り出せるはずだ。
 武は適当に乾燥した木材を見繕い、それらを掻き集めて部屋に戻った。



[1972] Re[26]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/13 12:42
 2001年12月20日(木)

 第二演習場──
 今日はヴァルキリーズによる実機訓練が行われている。
 純夏の様子が落ち着いていたので、武も訓練に参加していた。
 隊編成は、A隊が水月、美冴、築地、美琴、冥夜、慧、武、そしてCPに遙。B隊がみちる、祷子、茜、晴子、千鶴、壬姫、まりも。CPには夕呼の秘書官、ピアティフ中尉。
 突撃前衛のB小隊が全員A隊、砲撃支援が二人ともB隊と、偏った編成になっているのは理由がある。
 基本的に演習は全て対BETA戦を想定している。つまり、前衛が固まっているA隊は突撃級を含むBETAの前衛、砲撃支援が固まっているB隊は重光線級を含むBETAの後衛、と言うわけだ。
 A隊にとってはいかに敵の護衛をすり抜けて重光線級を倒すか、B隊にとっては突出してくる敵前衛をどう殲滅するか、という事が課題とされている。
 しかし両隊とも、特に作戦を立てているわけではなかった。強いてあげれば、B隊砲撃支援の珠瀬機と柏木機、そして制圧支援の風間機を主軸に置く、という事くらいだ。これはこの三機が仮想レーザー種になっているからだ。
 故に初期配置も一般的なBETAの配置と同じで、B隊は仮想レーザー種の三機が奥、その前を守るように残りの四機が陣を敷いている。A隊は突撃前衛を楔壱型で前面に押し出して突撃するのみだ。
 もっとも、ここまでやったところで所詮は人間同士の模擬戦なので、実戦では役に立たない事も多い。
 今回は先任士官たちの機体性能差や操縦技術の再認識、新任士官たちの不知火実機への慣熟、それにシミュレーターで習得した戦術機動の実践が大きな目的なので、模擬戦の是非はどうでもいい。
 そして訓練は進んでいく。
 各自、操縦技術の問題点が浮き彫りになってくると、そこをまりもや武、みちるが指摘して是正する。連携に関しては、先任は撃震に搭乗しているので、今はそれほどシビアには判断していないが。
 あとは細かいミスを如何に減らしていくか、という事を見ている。
 実機ではシミュレーターと違って、命の危険が付き纏う事で、実戦ほどではないにしても、精神的な重圧が掛かってくる。
 加えて、強化装備のフィードバックで不快感はある程度キャンセル出来るものの、実際にはGを受け続けているので、感じられないだけで体力は確実に消耗していく。疲労感覚と実際の体力の残量にズレが生じているため、体力低下から来る判断力低下になかなか気付く事が出来ない。
 そのズレがしっかりと認識出来ていれば、つまらない凡ミスを減らせるというわけだ。
 そんな事を念頭に置きながら、一日の訓練が終了した。
 ヴァルキリーズは戦術機をハンガーに戻し、更衣室に入っていく。シャワーで汗を流し、若干の休憩を取った後、すぐにブリーフィングルームで戦闘評価が始まる予定だ。
 武はいくつか気が付いた点をまりもに伝えると、ハンガーを後にした。

 訓練を終えた武は、一度純夏の所に顔を出して、それから夕呼の執務室に来ていた。
 純夏は今、霞が相手をしている。昨日、ずっと話し続けていたのが功を奏したのか、純夏の人間性は、霞と普通に言葉が交わせるくらいまで回復を見せていた。
「たったの三日でこれだけの成果を出して見せるなんてね。予想以上だわ」
「記憶の関連付けだとか、ある程度は何をすれば良いか分かってましたからね」
「あの子、あんたや社だけじゃなくて、あたしともある程度普通に話せるようになってきてるのよ。それで、あたしのこと先生だって」
 夕呼は少しくすぐったそうに言った。
「ああ、向こうの記憶ですね。その辺の事も色々と話したんですよ。……それで、先生の目から見て、凄乃皇に乗って戦場に出ても大丈夫なレベルだと思いますか?」
「……どうかしらね。バイタルデータを見ても、まだまだ不安定なところは残ってるみたいだし。まあ、今のままでも無理なわけじゃない、ってところかしら」
「そうですか……」
 やはり、もう一押し欲しいところだ。
 冥夜たちに会わせれば、また何か変化があるかもしれないが、機密の問題から今はそれは出来ない。
 となると、やはりサンタウサギだろう。
「──プレゼント?」
「はい、クリスマスの」
「……いい案かもしれないわね」
 プレゼントを渡した時、恐らく純夏は武をリーディングする。そして、サンタウサギに関する記憶を、武が関連付けている限り読み取るだろう。これまでよりも深い部分の記憶を補完する事で、純夏の中に埋もれている記憶を、芋づる式に引き寄せると言うのだ。
 最初は向こうの世界から流れ込んできた記憶から表面化してくるが、それをきっかけに、最終的にこの世界の純夏が元々持っていた記憶が呼び起こされる事になる。
「ただ……記憶を全て取り戻すのは、あまり良くないんじゃないか……って思う事があります」
「負の記憶も全て思い出してしまうから……?」
「はい。BETAに捕らえられて、あんな姿になるまでの事も思い出すんですよね」
「……そうなるわね」
「忘れたままでいて欲しい……ってのは、俺の我侭……なんでしょうね」
「それは……」
「……すみません、忘れてください」
 武は頭を振って気弱な考えを追い出した。確かに純夏は記憶を取り戻す事で辛い目に遭うかもしれないが、それが嫌だからといってそこから逃げ出してしまうと、全てが台無しになってしまう。そうなるとBETAに敗北する事になり、誰も助からない。
 避けて通れないのであれば、全力で純夏をサポートすべきだろう。
 もし、純夏がそれを許さないのだとしても、審判を受けるのは全てが終わってからだ。
「……そう言えば俺、純夏にリーディングされる事、あんま気にしてなかったんですけど」
「どうしたの、急に?」
「かなり計算づくで動いてるんですけど、拙かったですかね」
「別に大丈夫だと思うけど?」
「そうですか……?」
「あんたが鑑と接する時、第一に考えてるのは、護ってあげたいとか、早く元気になって欲しいとか……そんな感じでしょ?」
「ええ、そのつもりですけど」
「そのための計算なんだから、全然問題ないわね。あれこれ考えてるのは、間違いなく全部鑑のためなんだから、それを読み取れば嬉しく思いこそすれ、嫌な気分にはならないんじゃない?」
「だといいんですけど」
「もっと自信を持っていいと思うわよ。あんたの気持ちに嘘はないんでしょうから」
「はい」
「それにしても……あんたって自信家なのかと思ってたけど、違ったのね」
「……全部ハッタリですよ、俺のは。前のループじゃ、これでもずっと部隊長なんてやってましたからね。自信なさげにしてたら士気に関わりますから。それに」
「……?」
「俺は前に失敗して、全てを失ってるんです。そんな俺が今更、自信を持つ方が難しいですって」
 武が今ここにいるのは、前のループで失敗したからだ。それどころか、憶えてはいないが、それ以前のループからずっと失敗し続けているからこそ、未だにループから抜け出す事が出来ていない。
 つまり、今の武の存在は、これまでの失敗の集大成とも言える。それを認識し、理解している武が自信など持てるはずも無い。

 そして話は変わって、甲21号作戦についての打ち合わせに移っていく。ヴァルキリーズの訓練状況と練度について報告して、それを基に作戦の細かい摺り合わせを行う。
 大筋は最初に決めた通りだ。微調整しなければならないのは、A-01部隊がハイヴに突入した後、後続の部隊がどう動くかだ。
 後続部隊には、A-01部隊が反応炉を破壊するまでは陽動として、反応炉破壊後は残存BETAの追撃部隊として動いてもらう事になるのだが、どの程度まで踏み込むのかは、A-01部隊が反応炉を破壊するまでに掛かる時間によって変わってくる。
 陽動であまり深い階層まで踏み入ってしまうと、部隊の全滅という可能性も十分ありうる。だからといって浅い階層でウロウロしているだけでは陽動の効果が薄くなるし、追撃に移った時に倒せるBETAの数が減ってしまう。佐渡島という地理の関係上、ハイヴの外、つまり海中に逃がしてしまったら、その時点で追撃に割ける戦力は大幅にダウンしてしまうのだ。
 ヴァルキリーズの訓練状況と成長度合いを鑑みて、これらの事を決めていく。
「戦力と言えば、各国の第三世代戦術機、集めたりは出来ないですか?」
「……そんなものどうするの?」
 武は戦術機と衛士との相性問題について説明した。
「まあ、極端な差が出るわけじゃないんですけど、いずれはオリジナルハイヴに突入するわけですし、可能な限り万全の体勢を整えておきたいじゃないですか」
「なるほどね。実戦の時に配備出来るかは別としても、相性を見ておいても損はないってことね」
「はい」
「そうねぇ……一機か、ひょっとして二機程度なら、何とか出来るかもしれない。さすがにお金払うから売ってくださいってわけにもいかないからね、アテにはしないで欲しいんだけど」
「あ、Su-47はなくていいかも」
「どうして?」
 Su-47──ベルクート。アラスカ・ソビエト軍の開発した第三世代戦術機。その最大の特徴は、背部から肩部にかけて取り付けられた跳躍ユニットである。
 通常、跳躍ユニットは腰部に保持されているのだが、これを上に持っていく事で重心を更に高くし、機体の不安定さを他戦術機よりも増大させ、その分、運動性能を高めようと言うコンセプトだ。
 第三世代機の特徴にはOBL──オペレーション・バイ・ライト──要は戦術機内部の配線を電線から光ファイバーに変更したのだが、これによって情報処理能力の向上、機体の更なる軽量化が成されている。
 また、第二世代機に比べて装甲材が強度はそのままに軽量化され、機体各部の連動性と柔軟性、即応性や生存性が大幅に向上した。
 それらの技術向上により、背部跳躍ユニットの搭載が実現可能となったわけだ。
 しかし、F-22Aを除く各国の第三世代戦術機は、全て米国の第二世代機を研究した上で作られている。日本が陽炎、つまりF-15を研究分析して不知火の原型となった吹雪を産み出したように、そのルーツを遡れば、メーカーは違えど、必ず米国製の第二世代戦術機に辿り着く。
 その米国製第二世代戦術機、無論、各社によって設計思想に差異は見られるが、しかしコンセプトを決定する際の材料は例外なくF-4による実戦データであり、同じものであった以上、どのメーカーもF-4の重装甲化というコンセプトでは敵の攻撃を凌ぎきれないという結論に至っていた。
 敵の攻撃をどう無力化するかを考えると、選択肢は受けて耐えるか回避するかの二通りしかなく、F-4の実績から重装甲化が現実的ではない事が判明していた以上、各社のコンセプトが高機動化に移り変わっていくのは必然だった。
 そうして開発された、F-4に次ぐ第二世代の高機動型戦術機だが、コンペに生き残ったのはF-15だった。そうしてF-15は制式採用されるに至ったのだが、当然ながらコンペ落ちした戦術機、そしてメーカーが存在する。
 国家や企業、ありとあらゆるところに様々な思惑があった事は想像に難くないが、コンペに勝てなかったメーカーから、ソ連や欧州に情報が流出した。それによって、BETA侵攻で国力が急落しつつあったEU各国やソ連がSu-27等、自国独自の第二世代戦術機を持つ事が出来るようになり、そしてそれがSu-47やEF-2000と言った第三世代戦術機へと繋がっていく事になる。
 さて、その大元になっているF-15にコンペで負けた第二世代機ではあるが、しかし戦術機としての完成度は決して低いものではなく、基本設計に関しても、F-15に比べて極端に劣るというものではなかった。もっともそうでなければ、コンペの舞台に立つことすら出来ないので、当然の事ではある。
 その、ある意味完成されていた米国製の第二世代戦術機。しかしそのコンセプトは、国土をBETAに侵され、作られてしまったハイヴをなんとしてでも駆逐したいと考えるソ連や欧州各国の求めるものとは違っていた。
 無論、ハイヴ攻略は避けて通れない道であるため、当然ながら米国製戦術機もその点については十分に考慮されているわけだが、しかし国土内にハイヴを持つ国からしてみれば、それでも不足していると言う思いが強く、より高い密集近接戦闘能力が欲しかったのである。
 そして、ゼロから第二世代機を開発出来るような技術力を失ってしまっていたソ連や欧州各国は、米国産第二世代戦術機の、ある意味完成されていたバランスを崩し、そこに密集近接戦闘能力を付与した。軽量化された装甲によって大幅に向上した機動性、発達した制御システム、それに目的用途等による設計思想を統合して、改めてバランスを調整し直したものだといえるだろう。
 だが、元々バランスの取れていたものに近接戦能力を付与した事で、確かに近接戦闘能力は向上したものの、全体のバランスは崩れてしまったと言わざるを得ない。勿論、事実上の後継機であるため、大元となっている米国の第二世代機からはスペックアップを果たしているものの、同様に初期の第二世代機であるF-15を改修したF-15Eが、Su-27等を押し退けて最強の第二世代戦術機の座についている理由の一つは、そのバランスの良さにあるのだ。
 また、世代の変化に伴った機体重量バランスの変遷はあるものの、それを制御システムで押さえ込む事で、軽装甲化による軽量化と肩部装甲シールド肥大に伴った高重心化による高機動化、背中に二基の汎用パイロン、そして腰部に跳躍ユニットと言う配置は第二世代戦術機から、特にパイロンと跳躍ユニットに関しては第一世代から維持し続けている。
 これは、衛士たちの操縦感覚に大幅な変化が出ないように、と言う配慮が大きい。
 しかし、Su-47はこのルールを破って跳躍ユニットを上に移動した事で、大きな弊害が出てしまった。
 確かに運動性は更なる向上を見せたものの、ただでさえ崩れ気味だったバランスは更に崩れ、非常にクセの強い機体となり、F-4を祖とするこれまでの戦術機の系譜から逸脱してしまったのだ。
 それに制御系の問題もあった。一から独自の戦術機を開発する基盤が失われていたからこそ、技術供与を受けざるを得なかったというのに、基本設計を大幅に変更してしまった事で、その際に得たノウハウがほとんど通用しなくなってしまった。よって、かなりの部分を独自開発せざるを得なくなったわけだが、そうやって出来上がったものの性能は、さすがに実用レベルには到達しているとはいえ、推して知るべし、である。
 もっとも、事実上の独自開発で、実用レベルにまでこぎつけたアラスカ・ソビエト軍の技術力は、賞賛すべきではある。
 しかし機体の評価は、比較対象が大元のコンセプトとまだ大幅なズレのないSu-27だったり、完成度の高く実績もあるF-4だっただけに、衛士たちには戦術機とは似て非なるもの、欠陥機──というレッテルを貼られることになってしまった。口の悪い者達の中には、棺桶などと揶揄する者もいる。
 勿論、Su-47を操縦する際、それまで身に付けてきた操縦技術は、それなりに通用する。しかし開発中はテストパイロット──つまり練度の高い衛士が操縦していたからこそ、大きな問題が起こらなかっただけで、そこに生じていたズレは、普通の衛士がちょっとやそっとの訓練で吸収しきれるほど小さなものではなかった。だが、それに気が付いた時には、もう引き返せないところまで来てしまっていたのである。
 結局、これを根本から解決するには、戦術機教程の訓練プログラムの組み直しが必要という事になってしまったのだが、配備の進んでいるF-4やSu-27を切り捨ててまでそれを行うなどありえない。
 乗りこなすには高度な操縦技術が必要になるが、その操縦技術はF-4やSu-27を使って身に付ける事になるので、そちらに慣れれば慣れるほど、Su-47への慣熟は困難になっていく。だからと言っていきなりSu-47から手を付けても、やはり慣熟は困難。そしてその場合、習得した技術は他の機体への応用が利かない部分が多いので、そうなると衛士として潰しが利かなくなる。そんなジレンマを内包した機体に仕上がってしまったのだ。
 結局、一般の衛士にとって慣熟が困難なこの機体が配備される事は、極端に少なくなってしまった。
 アラスカ・ソビエト軍では、Su-47は精鋭部隊の証などと言われているが、それは軍が広めたプロパガンダに過ぎない。ある意味それは真実ではあるのだが、他に使える機体がないから仕方なく使っているのだという者が圧倒的に多い。玄人向けの機体といえば聞こえはいいかもしれないが、劣勢にあるこの世界で、そんな趣味的とも言えるようなものが歓迎される事は、まずないのだ。
 訓練次第では自在に乗りこなせるようになるし、不知火を始めとする各国の第三世代機にも決して劣る事のない、高い戦闘能力を発揮する事も可能ではある。しかし選択の余地の無いアラスカ・ソビエト軍ならいざ知らず、国連軍である武たちがわざわざSu-47を選ぶ理由は無い。どちらにしろ入手が困難なら、最初からスペックでも使い勝手でも優っている、F-22Aに的を絞って手配すればいいのだ。
「そんなわけで。色々な意味で愉快な機体ではあるんですけどね、でも今は悠長に慣熟訓練なんてやってる暇はありませんから」
 ヴァルキリーズなら問題なく乗りこなす事は可能だろう。しかし、他の第三世代機に比べて慣熟に時間がかかってしまう事は間違いない。慣熟訓練に時間を割けない事が予測される以上、この選択肢はない。
「まあ、手間が減る分には問題ないわ」
 武の説明を聞いた夕呼が言った。
「ええ。でも……そうですね、考えてみればSu-47に限らず、手配するのはF-22Aだけでいいかもしれません」
「それだけでいいの?」
「とりあえず武御雷はこの基地にもありますし、同じ国内って事で交渉もしやすいでしょうし。でもって不知火とF-22Aと武御雷、この三機種でかなりカバー出来るはずですから」
 無いものを持ってくるのは難しいが、あるものを徴収するのはさして難しい事ではない。月詠たち斯衛の機体を借りられるように交渉する余地はいくらでもあるし、後先考えなければオルタネイティヴ計画権限を発動して、強制的に徴収する事も可能だからだ。
「分かったわ。でも、本当に期待はしないでね?」
「ま、不知火だけでも別に問題があるってわけじゃないんで、無理はしないで下さい。それじゃ、俺はこれで」
「はい、ご苦労様」
 武は自室に戻って、サンタウサギ製作の続きに取り掛かった。


 2001年12月21日(金)

 一日の訓練スケジュールを消化した武は、純夏の所に顔を出す前に、自室に戻って純夏のバイタルデータを確認していた。
 取得情報の処理方法が確立されているのか、今日の分のデータには特に乱れはない。もっとも、今日は武を通した虚数時空間からの情報取得は抑え目にしているので、ある意味当然の結果ともいえるのだが。
 いずれにしても、これまでで一番安定している状態である事には違いない。
「サンタウサギ、渡しちゃうかなあ……」
 武は机の引き出しから、サンタウサギのキーホルダーを取り出した。まだ完全には出来上がっていない。とは言っても、後は塗装を残すのみで、造形はディテールまで完成している。手前味噌だが、プレゼントとして渡すのに最低限のクオリティを確保しているといってもいいだろう。
 そして武はカレンダーに視線を移した。
「明後日は出撃前日だから、そんな事をしてる暇はないだろうし……」
 プレゼントの効果があがるとすると、今までのケースから言えば、一夜明かしてからとなる。もし渡すのが明日になると、出撃までに落ち着く時間がない。
 今の状態でも、純夏は最低限出撃に耐えられる程度の安定性は取り戻している。現時点では甲21号作戦のゴーサインが出ているわけではないが、このまま明日を迎えれば、恐らく作戦の実行は決定される。今更、作戦が中止になるような事はないだろう。
 出撃する事を前提に考えると、精神の安定度はそのまま作戦成功率、ひいては純夏の身の安全に関わってくる。
「……よし」
 武はサンタウサギのキーホルダーをポケットに入れて、純夏の部屋に向かった。

「タケルちゃん、おかえりなさい」
「……え?」
 武が部屋に入っていくと、純夏はあらかじめそれを知っていたかのように、入口の扉の方を振り向いた。霞は驚きの声を漏らしてそれを見ている。
「ただいま、純夏。霞もお疲れさま」
「あ……白銀さん」
 武は二人に近付いていって、近くに座り込んだ。
「さてと、今日は何があったか聞かせてもらおうかな、純夏」
「……うん」
 純夏がどんな性格か知っている武から見れば、今の状態は全快には程遠い状態だが、それでも数日前と比べたら雲泥の差だ。
「あ……また」
「……どうした、霞?」
「昨日から、少しずつですけど……暖かい感情の色が読み取れるようになってきています」
「って事は、一昨日ずっと一緒にいたのが効いてるって事か……昨日と今日と比べてみて、どうだ?」
「今日の方が、はっきりと感じ取れます」
「やっぱ、今しかないか……。霞、ちょっと純夏を連れて散歩に行ってくる」
「え? でも、それは……」
「大丈夫だよ。もし先生に聞かれたら、校舎裏の丘に行ったって伝えといて。あと、霞も俺をリーディングして、位置と状況を把握しといてくれ」
「わかりました」
「それじゃ純夏、俺と一緒に散歩に行こう」
「うん」
 そして、武は純夏と連れ立って、校舎裏の丘にやってきた。
 随分と昔になるが、毎年クリスマスになると、サンタを待つためにこの丘に通っていた時期がある。サンタウサギをプレゼントしたのもその頃の話だ。
 厳密に言えば、ここは白稜大付属柊学園の校舎裏の丘ではないが、やはり渡すとなれば、ここしかない。
「しかし……外はさすがに冷えるな。寒くないか?」
「……さむいね……」
 見ると、吐く息がすっかり白くなっている。
 純夏の場合、量子電導脳の熱を吸収したODLが体内を循環して、その廃熱が白い息となって出ているわけだが、感覚に関しては人間同様に感じるようになっている。体温と外気の温度差を、寒さとして感じているのは間違いない。
「ほら、これ着てろ」
 武は着ていたジャケットを脱いで、純夏の肩にかけてやった。
「いいよ……タケルちゃんがさむいから……」
「ん?」
「大丈夫……私は寒くても風邪をひかない身体だから……」
 しかし、そうは言っても寒さはしっかりと感じているわけで、それが辛くないわけではない。00ユニットとしては冷やした方が都合がいいのかもしれないが、人である純夏にとっては、この寒さは堪えるだろう。
「風邪ひかなくったって寒いもんは寒いだろ。我慢すんな」
「でも……」
「俺はすっかり頑丈になっちまったからな。この程度なら、どうって事ないんだ」
「……うん、わかったよ」
 純夏は武に促されるまま、サイズの大きな武のジャケットに袖を通した。
「タケルちゃんの匂いがする……」
「え……ひょっとして汗臭かったか……?」
「違うよ、もう……ふふ、あったかい……」
 純夏は両腕を抱え込むような格好で呟いた。その頬は赤く染まっている。
「なんだお前、やっぱ寒かったんだな。そんなに顔を赤くしちゃってさ」
「…………」
 武はしばらく何か言いたげな純夏の様子を眺めていたが、フッと海の方に視線を動かして、話し始めた。
「ここはさ……俺にとっては思い出の場所かな。この世界でも、別の世界でも、な」
「……別の世界」
「ああ。……今となっちゃ、それが俺の元いた世界かどうかも怪しいんだけどさ」
 ほんの一瞬、ほんの少しだけ寂しげな表情を見せる武。
 向こうの世界に行って判明した事がある──前回のループが初めてではなく、ループするたびに虚数時空間に因果をぶち撒けている。記憶の関連付けと欠落情報の補完が出来れば、虚数時空間から引き寄せた記憶は、元々持っている記憶と区別する事が出来なくなる。
 また、同じ系から分岐した並行世界から虚数時空間に漏れ出した因果は、引き寄せる事が可能だ。
 そして、因果導体を通して因果をやり取りすると言う事を考えると、因果導体そのものである武は、常に虚数時空間と因果のやり取りが出来る状態にある。
 これらを併せると、武が最初から持っていると思っていた『元の世界』の記憶が、実は虚数時空間から拾ってきてたものだという可能性は否めない。そう考えると、そもそも『元の世界』などというものがあったのかどうかすら、怪しくなってくる。
 武の記憶が実体験だと証明するためには、記憶と記録の照合をして、それが一致しなければならないが、記録など今回のループの分しかない。
 何にせよ、確実に言えるのは、武が本当は何者なのか自分でも分からない、という事だ。
「タケルちゃん……つらいの?」
 純夏が心配そうな瞳で見上げてくる。ネガティヴな考えが顔に出ていたのか。或いはリーディングで心を読まれたか。
「……悪い。こんな話、お前には関係ないもんな。……俺は大丈夫だから」
「……うん」
「じゃあ本題だ。純夏、クリスマスは何の日か憶えてるか?」
「……クリスマス……?」
「ほら、小さい頃、約束しただろ?」
「やくそく……プレゼント……?」
「お、ちゃんと憶えてたな。そんなわけで、ちょっと早いけど、ほら。クリスマスプレゼントだ」
 武はポケットから自作のサンタウサギのキーホルダーを取り出して、純夏に手渡した。
「これ……わたしに?」
「ああ。気に入ってもらえるといいんだけど」
「…………」
 純夏は手の中のサンタウサギをまじまじと見詰めていたが、やがて顔を上げ、ポツリと呟いた。
「ありがとう……タケルちゃん」
 再びサンタウサギに視線を戻し、うっすらと笑みを浮かべている。
「いや、あんま喜ばれてもな、まあ嬉しいんだけど、ちょっと申し訳ないかな」
 武は苦笑する。
「どうして?」
「実は未完成なんだよな、それ。ほら、まだ色が付いてないだろ?」
「うん」
「明日からは出撃の準備やらで、俺もお前も、何だかんだ忙しくなっちゃうと思ったからさ。前倒しにするしかなかったんだ。悪い」
「ううん、嬉しい。……約束、ちゃんと守って…………やくそく……」
 何かを思い出してしまったのか。純夏の顔に浮かんでいた笑みが、スッと消えた。
「──純夏?」
「……やく……そ……く……」
「約束がどうかしたのか?」
「……あいつらのせいで、約束……守れなくなった……!」
 瞳にだんだんと憎悪の色が浮かび上がってくる。
「純夏……?」
「……復讐するんだ……復讐……してやる……!!」
「純夏、いいんだ。今はまだそんな事を考えなくてもいい」
「よくない!」
「いいの。それに前にも言ったろ? 俺の準備がまだ出来てないってさ」
「じゃあわたしひとりでやる!」
「それも駄目だ。ていうか独り占めすんな、俺にもやらせろ」
「……へっ?」
 予想外の答えが返ってきてビックリしたのか、純夏は毒気を抜かれたような、キョトンとした顔で問い返した。
「タケルちゃんも、復讐……するの?」
「まあな。お前をあんな姿にしやがった事とか……俺にも色々あんだよ」
 武にとってBETAとは、全てを奪っていった相手に他ならない。
「そんなわけだからさ。ま、どのみちあと三日だから、それまで我慢してくれ」
「うぅ、分かったよ……」
 少しだけ憮然とした表情で、純夏は答えた。
「……そろそろ戻るか」
「……うん」


 2001年12月22日(土)

「──えいっ」
 起床ラッパまであと五分と言うところで、武はかぶっていた毛布を引っぱがされた。
「……何だ純夏か…………純夏?」
 ベッドの脇には、純夏がニコニコした顔で立っていた。
 一瞬、寝起きの頭で何故純夏がここに現れたかを考えてしまった武。
 純夏を起こしに行ったりと、自分で促した事とはいえ、実際にここまで回復を見せると、それはそれで驚きがある。
「なんだはないよ、タケルちゃん……せっかく起こしに来てあげたのに……」
「そうか……ありがとう」
 昨日までと比べて、格段に感情を取り戻している。これはもう武の知る純夏に近い。
「おかしいな……わたし、毎朝起こしてあげてたよね……?」
「ん? ああ。確かに起こしてもらってたよ」
「そ、そうだよね……?」
「なんだ、自信ないのか?」
「よくわかんない……夢だったのかなって感じがして」
「夢じゃないよ、俺が保証する」
「うん」
 記憶の関連付けがまだハッキリしていないのだろうか。
 だが、ここまでくれば、後は時間の問題だ。
「ねえねえタケルちゃん、今日はどのくらい一緒にいられるかな?」
「どうだろ、今日は夜間訓練まであるからなあ……」
 午前、午後、夜間とぶっ通しで実機とシミュレーターによる最後の詰めが行われる。
「そっか……じゃあ仕方ないね。訓練が終わった後は、もう遅いからダメ……かな。……うっ」
 純夏は頭を抑えて呻き声を上げた。
「どうした、頭が痛むのか?」
「うん……なんだろ、これ……」
 恐らく、サンタウサギのキーホルダーがきっかけとなった事で、記憶の同一化が完全なものになりつつあるのだ。
 そして膨大な量の情報が、純夏の量子電導脳に流れ込んできている。これまで構築してきた、虚数時空間からの記憶の処理法を使って整理していっているが、追いつかず、それが頭痛となって表れているのだろう。
「もう~、なんだろう……頭痛いのいやだなあ」
「じきに治まると思うけど……辛いようなら、夕呼先生に診てもらうか?」
 避けて通れない道とはいえ、やはり苦しむ純夏を見るのは忍びない。だが、夕呼なら何らかの対策を取れるかもしれない。
「夕呼……先生……? 香月先生じゃダメだよ、保健の先生じゃないと……。う~ん、やっぱりお医者さんかな?」
「ここの夕呼先生は医者みたいなもんだから、大丈夫だよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「じゃあ、香月先生に診てもらうよ……」
「分かった。じゃあ俺も一緒に──」
「──!? だ、大丈夫だよ!? わたし一人で平気だから!」
 武の言葉を遮って、慌てた様子で純夏がまくし立てた。
「……そうか?」
「た、タケルちゃんは訓練があるでしょ? そっちの方が大事だよ? ね、ね?」
「まあ、いいけどさ……」
「じゃあわたし、香月先生のところに行ってくるから! タケルちゃんは訓練頑張ってね!」
 純夏は慌てた様子で、武の部屋を出て行った。
「なんだろうな……ま、いいか」
 武は着替えて訓練に赴く。

 そして夜間訓練まで終了して、武は夕呼の執務室を訪ねていた。
「──極東国連軍と帝国軍は、あんたに最大級の感謝をするべきね。総力を挙げて準備していた評価試験が、無駄にならずに済んだんだから」
「じゃあ、甲21号作戦は予定通りに?」
「ええ、今日のデータで最終的なゴーサインが出たわ。あんたのプレゼント作戦、大成功だったみたいね」
「……きっかけになってくれたみたいで、よかったです」
 後は、取得した記憶を処理する事で新たな関連付けを構築し、更に記憶を掘り下げていく事になるので、どうしても時間が掛かる。勿論、武も夕呼も、全力でサポートするつもりではある。
「実際のところは、昨日までのデータでほぼ内定してたんだけどね」
「──反抗勢力の動きはどうなってます?」
 甲21号作戦が正式に決定したとなると、オルタネイティヴ5推進派、或いは反オルタネイティヴ勢力にも何か動きが出てくるかもしれない。
「今のところは問題ないわ。だからって、あまりモタモタしてると、息を吹き返しかねないんだけど」
 もっとも、夕呼はそれを最初から見越して、最大限時間を確保出来るようなスケジュールを組んでいたのだろう。余裕は無いとは言え、手遅れになる事も無い。
「しっかし……XM3ってエサがあったにしても、よく帝国軍はオルタネイティヴ計画──国連軍に協力する気になりましたね」
「確かにそこは困りどころだったのよね。でも、帝国軍全てがあたしたちに非協力的だってわけでもなかったのよ。ううん、むしろ組織としては好意的な勢力の方が大きかったくらい」
「反米、反国連勢力は、ただ単に声が大きかっただけ……ですか」
「そういうこと」
 オルタネイティヴ4は日本主導の計画だし、G弾も否定している。他に代替案があるわけでなし、事情を知っているものからしてみれば、ベターな方法である事は間違いない。
 つまり帝国軍という組織としては、元々オルタネイティヴ4に協力的だったわけだ。
 もっともそうでなければ、いくら政府がバックアップしていると言っても、帝国軍からの物資や人材の供与など、最初から実現していないだろう。
「つまりね、目先の些事で感情的になる連中がいて、表立って国連に協力すると、そいつらが民衆を煽動する可能性があったから、迂闊に動けなかったってわけ。でもその問題も、あんたたちの働きによって解消された」
 クーデター未遂事件で、不穏分子は一掃された。その際、武たちが米軍を差し置いて悠陽を救出し、事件をそれなりに丸く収めた功績があるため、何の事情も知らない末端の兵士たちにとっても、横浜の国連軍はそれなりに好意的に思われている。
 付け加えて、悠陽が207B分隊の任官に異例の祝辞を寄せるほどの感謝っぷりだと言うのも、拍車をかけていた。
「そしてだめ押し。クーデターの時にはまりもや伊隅たち、それにトライアルではあんたが大暴れして、嫌と言うほど優秀性を見せ付けたXM3を提供するのよ。
 日本主導のオルタネイティヴ4は上手くいく、とんでもないポテンシャルを秘めたXM3はタダで手に入る、悲願である佐渡島ハイヴの排除は叶う。はっきり言って、断る理由を探す方が難しいわね。そんな条件が提示されたら、あたしだって飛びついちゃうわ」
「はぁ……」
「ともかく、運用評価試験まであと二日……実質、明日一日か。鑑の調律とA-01部隊の訓練、しっかり頼むわね」
「はい、分かりました」



[1972] Re[27]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/13 12:42
 2001年12月23日(日)

「本日未明、国連軍第11軍司令部より極東国連全軍に対し、佐渡島ハイヴ制圧作戦が発令された──」
 訓練前、ブリーフィングルームに集合したヴァルキリーズに対し、みちるが言い放った。
「機会ある毎に触れて来たが──本作戦は在日国連軍及び帝国本土防衛軍との大規模共同作戦だ。作戦名は甲21号作戦──これは佐渡島ハイヴの帝国軍戦略呼称、甲21号目標に由来する。
 作戦実施は来る12月25日。既に国連、帝国両軍は、日本海沿岸部に集結中だ。当横浜基地からは我がA-01部隊のみが、特殊任務のために参加する事になる──」
 みちるによって、作戦の概要が説明されていく。
 無論、00ユニットやリーディング等、オルタネイティヴ4の根幹に触れるような情報は明かされない。
 本作戦におけるA-01部隊の任務は、試験的に投入される新型兵器──凄乃皇弐型の支援及び護衛だと伝えられている。
 明朝4時00分、横浜基地を出撃。陸路にて帝国軍高田基地まで前進、全機起動。帝国海軍の戦術機母艦『大隈』に移動後、海路で佐渡島を目指す。
 作戦全体の概要に関しては、本日の訓練後、ラダビノッド司令と夕呼から行われる事になっているので、今はこれだけだ。
「この任務では、我々が正面に立ってドンパチやるわけではない。国連軍と帝国軍が敷き詰めた赤絨毯の上を、お上品に歩いていくようなものだ。従って、これまで貴様達がやってきた訓練で十分対処できる。自信をもって臨めばいい。
 BETA支配地域での戦闘だ──決して油断するな!」
「──はい!」
「何か質問は?」
 そう言ったみちるに対し、祷子が新型兵器に関する質問は可能かと返す。
 凄乃皇弐型に関しては、訓練後のブリーフィングで夕呼から直接伝えられる予定になっているので、この場ではまだ明かされない。というか、00ユニットが関わっている事なので、夕呼以外が迂闊に口を滑らせるわけにはいかない。
 ちなみに、ここ数日間のヴァルキリーズの訓練は、甲21号作戦を想定したものとなっている。凄乃皇の存在が明かされていなかったとはいえ、当然、連携する事も考えられた訓練内容になっていた。
「あの、念のために確認なんですけど、ハイヴ突入は任務に含まれますか?」
 晴子がいつもの軽い調子でサラリと流すように質問した。それを聞いて、まりもとみちる、武以外の表情が強張る。
「最悪の場合はそれもあり得るが、今回の任務では想定外だ。安心し──」
 そのみちるの返答を、武が遮った。
「──ちょっと待った」
「は、何でしょう」
「大尉、ひょっとして聞いてない?」
「何を、でしょうか……?」
 怪訝そうな顔で聞き返してくるみちる。どうやら本当に知らないらしい。
 まさかとは思うが、夕呼が伝え忘れたという事はあるまい。
 という事は恐らく、A-01のハイヴ突入作戦自体が、極秘事項として扱われているのだろう。
 本作戦の真の任務は純夏のリーディングによる情報収集だが、それはあくまでも裏の話で、公開出来るものではない。表向きには新型兵器の運用試験という事になっているので、凄乃皇の威力を見せ付けた上でハイヴ攻略を達成しないと成功とは言いがたいし、説得力も持たせられない。
 今回、凄乃皇は地上に溢れ出るBETA一掃のためだけに使用され、ハイヴ内部には突入しない。突入作戦自体は従来と同様、戦術機のみで行われる。
 ただこれまでの作戦と違うのは、補給線を確保しながら進軍するのではなく、補給が得られない事を前提とした、スピード勝負の電撃作戦を展開するという事だ。
 この場合の勝利条件は反応炉の破壊、これ一点のみ。反応炉をそのままにBETAだけを殲滅、ハイヴを生かしたまま制圧するなどという、横浜ハイヴ攻略戦の時のような作戦は、最初から頭に無い。
 だが、この考え方は武が未来から持ち込んだようなものであり、現行のセオリーとは合致しない。それにハイヴを研究したいと考えている勢力にとっては、反応炉の破壊などもってのほかだ。
 生きたままの横浜ハイヴを独占している香月夕呼の直轄部隊であるA-01部隊が作戦を遂行するという事が、ハイヴの情報を独り占めしようとするオルタネイティヴ4推進派による、他勢力に対する牽制や妨害と見られても不思議ではない。
 それが知れてしまうと、妨害工作を受けてしまう可能性が出てくる。
 どこから何が漏れるか分からないので、夕呼は情報公開を極力行わない方針で話を進めてきたのだろう。
 みちるですら知らされていなかったのも、そういう事だ。
 付け加えると、ここ数日間のヴァルキリーズの演習内容、特に仮想ハイヴ戦に関しては最高機密に属している。A-01がハイヴ突入部隊だという事と訓練内容を照合すれば、作戦の概略が明らかになってしまう可能性があるからだ。
 それはさておき。
 夕呼が機密として扱っている以上、通常ならここで武が情報を開示するわけにはいかない。
 しかし、ハイヴ攻略作戦に参加するというなら、突入経験があるならいざ知らず、さすがに覚悟を決めるための時間が必要だ。夜が明けたら出撃する作戦でハイヴに突入する事になったからヨロシク、などといわれても、すんなり受け入れられるような事ではない。
 まりもやみちるであれば、出撃までの僅かな時間で気持ちの整理を付けることは出来るかもしれないが、他の隊員たち、特に新任には荷が重過ぎる。
 武は独断で、今この場で開示してしまう事に決めた。
「あの……少佐?」
 考えに耽って黙り込んでいた武に、みちるが問いかける。
「あー、えっとだね……みんな落ち着いて聞いてくれ。甲21号作戦で、A-01部隊は佐渡島ハイヴに突入する」
「──えぇっ!?」
「今日の訓練後のメンテの時に、各機S-11が搭載される予定になってる。作戦の詳細に関しては、訓練後のブリーフィングで夕呼先生を交えて改めて説明するから、今は省略するけど」
 そして、ここ数日の訓練が、このハイヴ突入作戦を見越したものであったことが説明された。
「あと、これは多分、最高機密に属してるはずだから、今俺から聞いた事は誰にも話さないように」
「し、白銀!?」
 驚いた顔でまりもが呼びかけてくる。
「どうかしましたか?」
「最高機密って……」
「まりもちゃんや伊隅大尉も知らされてなかったって事は、そうだと思いますけど。どうせ半日後には分かる事なんですけどね」
「だからって」
「半日とはいっても、覚悟を決めるための時間は長い方がいいでしょ。それに知ってから一度でも訓練するのとしないのじゃ、気の持ちようは全然違うでしょうから」
「それはそうだけど……」
「衛士じゃない夕呼先生には、どうしてもこの辺の機微が掴めないんですよ。ま、作戦成功率向上のためのサポートって事で」
「…………」
「そんなわけだから。それじゃ訓練を始めよう──伊隅大尉」
「──は。では、各自強化装備に着替えてハンガーに集合。以上、解散!」
 そして、午前、午後共に実機を使用した市街戦演習と連携訓練を行った。作戦直前の訓練ではあるが、その内容はいつもの訓練とそう変わるものではない。
 最初のうちはハイヴ突入という重圧からか、いくばくかのぎこちなさが見られたものの、午後の訓練に入った頃にはそれも無くなり、普段通りの能力を発揮出来るようになっていた。
 訓練終了時、精神的に若干の負荷が掛かっていたため、隊員たちには、いつもよりも疲労が色濃く出ていたが、決して取り戻せないほどのものではなかった。

 ブリーフィングルーム──
 部屋の中にはラダビノッド司令、夕呼、ピアティフ中尉、それにヴァルキリーズとまりも、武が集まっている。
「諸君も知っての通り、本日未明、国連軍第11軍司令部及び、帝国軍参謀本部より『甲21号作戦』が発令された──」
 司令による、甲21号作戦の概略説明が始まった。
 作戦内容は、武の修正案が盛り込まれたものとなっている。
 まず、国連宇宙総軍の装甲駆逐艦隊が軌道爆撃を行い、極超音速で降り注ぐ対レーザー弾──AL弾の雨を降らせる。敵の迎撃と同時に、佐渡島周辺に展開した帝国連合艦隊第2戦隊が、艦砲及びロケットで、AL弾による長距離飽和攻撃を開始。
 どちらが先に迎撃されても重金属雲が発生し、レーザーを減衰させる事で次の砲弾を守る楯となる。
 重金属雲の発生を合図に全艦、多目的運搬砲弾による砲撃に切り換え、徹底的な面制圧を行う。
 この段階での艦隊の砲弾消耗は七割。これは極東国連軍と帝国軍の砲弾備蓄総量の半分にも達するが、この時点で地表に展開しているBETAは、レーザー種に限らず、そのほとんどを撃破出来ているはずだ。
 ここまでがフェイズ1。
 次に、帝国連合艦隊第2戦隊が佐渡島の西側、真野湾に突入。艦砲射撃を以て旧八幡から旧高野、旧坊ヶ浦一帯を面制圧。同時に帝国海軍第17戦術機甲戦隊が雪の高浜へ強襲上陸し、橋頭堡を確保。
 続いて帝国軍機甲4個師団及び、戦術機甲10個連隊からなるウィスキー部隊を順次揚陸。戦線を維持しつつ、ウィスキー主力部隊は旧相川宗徳町へ西進。ハイヴから出現するであろう、敵増援を引き寄せつつ戦線を構築。これがフェイズ2。
 そして、作戦はフェイズ3に移行。
 佐渡島東側、両津湾沖に展開した国連太平洋艦隊と帝国連合艦隊第3戦隊が制圧砲撃を開始。同時に帝国海軍第4戦術機甲戦隊が旧大野を確保、国連軍機甲3個連隊及び戦術機甲5個連隊からなるエコー部隊を順次揚陸。
 先行部隊が戦線を構築。エコー主力部隊は北上、旧羽吉からタダラ峰跡に抜け、敵増援を引き付けつつ金剛山跡に戦線を構築。
 ウィスキー、エコー両部隊の陽動が成功した場合、敵増援は大きく二つに分断されているはずであり、両津市から甲21号目標が存在する金北山跡まで、敵はほとんど存在しない事になる。
 この状況の現出を待ち、作戦はフェイズ4へと移行。
「さて、作戦がこの段階を迎えると、いよいよ諸君の出番となる。白銀少佐、続きをよろしく頼む」
「──は」
 ラダビノッド司令が退がり、その場所に武が立つ。
「今朝、伊隅大尉から説明があった通り、甲21号作戦におけるA-01部隊の任務は、オルタネイティヴ4司令部より試験的に戦線投入される新型兵器の支援及び護衛だ。従って、新型兵器の戦線投入のためのサポート、そして離脱するまでの護衛が、最初の任務となる。その間の最優先目標は、新型兵器の無傷での回収だ。それをまず頭に叩き込んでおいてくれ」
 そして、基本的な注意事項の説明から始まった。
 出撃のタイミングはエコー部隊に呼応することになるが、陽動には参加しない。それどころか、任務と無関係の戦闘行為は禁止だ。
 とは言っても、佐渡島全域がBETAの支配地域である以上、遭遇戦が頻発する事が予想される。よって、やむなく交戦した場合は、後の護衛任務に備えて残弾を常にフルにしておく。
 フェイズ1で面制圧を行って地表のBETAを撃破した後、戦域各所に補給用コンテナがばら撒かれるので、それを利用するのだ。
 補給を焦ると警戒が疎かになり、敵の餌食になるケースが多い。回収の際は必ず二機連携を心がけ、残弾の多い方から補給を行う原則を徹底する。
「では、作戦全体の進行に沿った形で、任務内容を説明する……と言いたいところだが、これ以上は新型兵器について知る必要があるから、そっちの説明が先だな。副司令、お願いします」
「はいはい、やっと出番ね。
 聞いていて分かったと思うけど、甲21号作戦は99年の明星作戦に次ぐ規模の……ううん、内容的にはそれ以上か。そのくらい大規模な反攻作戦よ。国連にしろ帝国にしろ、それぞれに目的があってこの作戦を実施するわけだけど……そのどれもが副次的なものに過ぎないわ。ハッキリ言うけど、甲21号作戦は新兵器のテストのために計画されている。各自、その辺を正確に認識してちょうだい」
「…………」
「帝国軍も極東国連軍も全て、新兵器の護衛だと言っても過言じゃない。向こうもそれを承知しているわ。逆に言えば、それだけあたし達の新兵器が期待されているって事。でも、そこにはあなたたちの働きも含まれている。いいわね?」
「はい!」
「じゃあ、始めるわ。あんた達が護るのは、人類を滅亡の危機から救う対BETA戦略の切り札──」
 夕呼の背後のスクリーンに、凄乃皇弐型の姿が映し出される。
「──XG-70b……凄乃皇弐型よ」
 凄乃皇弐型の生い立ち、ML機関……そして、そのスピンオフ技術でG弾が開発されたこと等が説明されていく。
「今回が初めての実戦テストだから、不測の事態に備えてこれだけ厳重な護衛体制を取っている。だけど、このテストの結果次第では、次回以降のハイヴ攻略作戦は今回の100分の1以下の戦力で済むようになるわよ」
 そして、凄乃皇の直援に付くに当たっての注意事項が説明されていく。
 まず第一に、凄乃皇弐型の機体表面から10m以上の距離を維持する事。凄乃皇の姿勢制御と機動は、ML機関によって形成されるラザフォード場を機体に纏わせる事で実現しているのだが、これに干渉すると急激な重力偏重に巻き込まれ、最悪、コックピット内でミンチになってしまう。
 これは制御システムがまだ完全ではない事が原因なので、追々解消される問題である。今回は、調整が間に合わなかったのだ。
 念のため、ラザフォード場が形成されている時は、A-01の機体側で危険回避するように設定してあるが、過信は禁物だ。
 次に荷電粒子砲発射時の注意事項。
 荷電粒子砲は一種の運動エネルギー兵器だ。イオン化した微細粒子を、電気的、磁気的に加速と収束を繰り返して撃ち出す事で、標的を熱と衝撃で破壊する。
 それで何が危険かというと、まず一つ目。
 射出されたイオン流が射線上の空気と衝突する事で、可視光線を含む大量の電磁波が撒き散らされる。また、電荷を持ったイオンが高速移動する事で、射線周囲の一定範囲に強力な磁界が発生する。
 要は、射線軸に隣接する一定の範囲は、とんでもない出力の電子レンジと同じ状態になる。喰らった時点で人間も電子機器も瞬殺だ。
 そして二つ目。
 凄乃皇弐型は荷電粒子の最終収束と射線方向を、砲口部に備えられた重力場形成装置で制御している。だから機体より後ろにいれば安全だが、真後ろはその範囲に含まれない。
 と言うのも、荷電粒子砲を発射する際に生じる反動を打ち消すために、かなり大きなラザフォード場を機体の真後ろに発生させるからだ。
 つまり、荷電粒子砲発射の際は凄乃皇の斜め後ろに待機しろ、というわけである。
「以上の注意点を踏まえて、護衛任務に付いて具体的な注文をするわ。
 まず一点目。荷電粒子砲発射体勢に入って以降、機体底面及び後方以外のラザフォード場が消滅する。二点目。荷電粒子砲発射後、再発射までの約四分間、機体底面以外のラザフォード場が消滅する。つまり砲撃を続ける限り、底面と発射時の後方以外にラザフォード場は形成されない」
 装甲材は重光線級の単照射で二分弱、光線級なら七分は耐えられる設計になっているが、これは複数以上の同時照射では当てにならない数値だ。また、凄乃皇弐型は近接防御用の兵装は一切装備していないので、機体に取り付かれる事も致命的になる。
 とにかく、そのタイミングでBETAを寄せ付けると、簡単にやられてしまうので、それを防がなければならない。
「あとはそうね、大丈夫だといっても主機に負担が掛かるから、なるべくレーザー照射させないようにしてちょうだい」
「──了解」
「まあ、作戦が順調に行けば、そんな事態にはならないけど……とりあえず、あたしからは以上よ。白銀、あとよろしくね」
「はい」
 夕呼が退がり、再び武が前に出る。

「それじゃ改めて、作戦全体の進行に沿った形で、任務内容を説明する──」
 武による作戦説明が始まった。
 まずフェイズ3でA-01部隊はエコー部隊と共に上陸を開始、旧上新穂を目標に南下。
 凄乃皇弐型は作戦開始と共に横浜基地を出撃、佐渡島東南部、旧豊岡付近から甲21号目標へ侵攻を開始する。A-01部隊は凄乃皇到着まで侵攻ラインを確保、これを支配下に置く。
 そしてフェイズ4。凄乃皇弐型の戦域突入に合わせて、A-01部隊は凄乃皇弐型の護衛任務に移行。同時にウィスキー部隊は小仏峠跡、エコー部隊はタダラ峰跡に向けて戦線を押し上げ、即転進。友軍機が後退したところに、凄乃皇弐型が荷電粒子砲を発射して、地表のBETAを薙ぎ払う。
 その後、爆撃を終え軌道上を周回中の国連宇宙総軍艦隊より投下される、第6軌道降下兵団が再突入を開始、佐渡島へ降着。降下部隊はハイヴには突入せず、そのまま陽動を開始。ハイヴから出現するであろう敵増援を引き付けつつ南下。
 ウィスキー、エコー各隊もそれに呼応して陽動を再開。
 そうやって誘き寄せたBETAが一定数を越えたら、再び戦線を押し上げて敵の密度を高め、転進。凄乃皇弐型による荷電粒子砲の照射で敵を一掃。
 その後は各部隊がハイヴを取り囲むように戦線を構築し、BETAが溜まったところで即後退、凄乃皇弐型が荷電粒子砲を発射。
 これを五回繰り返し、荷電粒子砲を都合七射したところでフェイズ4は終了となる。
「そしてフェイズ5。俺たちにとっては、ここからが本番だ。まず役目を終えた凄乃皇弐型が撤収。それと同時にA-01部隊は、より主縦杭に近い門に向かって全速力で匍匐飛行。ウィスキー、エコー、第6軌道降下兵団の各部隊は、陽動を行ってそれをサポート。
 A-01部隊のハイヴ突入後、第6軌道降下兵団とウィスキー部隊が続いて突入を開始する」
「…………」
「ハイヴ内では、後続部隊が陽動のため、セオリー通りの制圧戦を展開するが、A-01部隊は彼らとは連携を取らずに電撃作戦を展開、反応炉に到達次第、S-11を使ってこれを爆破。その後、速やかにハイヴから脱出する。
 俺たちはハイヴから脱出次第、横浜基地に帰投する事になるが、作戦は反応炉の破壊が確認された時点で最終フェイズに移行、帝国軍、極東国連軍、国連宇宙総軍、全軍をあげてのBETAの残党狩りが開始される」
「…………」
「風間、鎧衣の両名は打撃支援装備で出撃、最初の荷電粒子砲発射後、制圧支援装備に切り換える。それ以外はいつも通りだ。今の内容と、作戦の各段階における撤退の手順については、強化装備にデータを落としておくので、各自移動中に確認の事。──司令」
「うむ。──既に本作戦は発動している。諸君は明朝の出撃に備え、万全な準備を整えたまえ。以上だ」
「──敬礼!」
「あたしは帝国海軍の作戦旗艦、重巡『最上』から指揮を執るから。じゃあ、佐渡島で会いましょう」
 夕呼とラダビノッド司令はブリーフィングルームを後にした。
「凄乃皇弐型の作戦コードはA-02。甲21号作戦とA-01部隊の任務に関するブリーフィングは以上だ。明朝の呼集は2時00分とする。 これから各自、ハンガーで機体のチェック。夕食後は身辺整理をして、さっさと寝る事。以上だ──解散」
 そして各自、思い思いに部屋を出て行った。

「うっへぇ、肩こった」
 まりもと二人だけになったブリーフィングルームで、武は首をコキコキと鳴らしながら、やれやれといった風に呟いた。
「もう、しっかりしてよね」
「ああいう堅っ苦しいの苦手なんですよ、俺」
「でも、作戦を説明するにも、ある程度の機密に触れなきゃいけないじゃない? 私も伊隅も、それが出来るほどには情報開示されてなかったからね。特に今回のハイヴ突入、知らされてたのはあなただけでしょう?」
「それはまあ、そうなんですけど」
 武がA-01部隊のハイヴ突入を提案した張本人なので、知っていて当然ではあるのだが。
「じゃあ仕方ないわね、隊長さん?」
「もう、隊長はやめてくださいよ。名目だけなんだし、隊員だって俺一人なんですから」
「それよ」
「……?」
「あなたが隊長になった方が、あの子たちの士気だって上がったんじゃない? 元207Bの子たちなんて、特に」
「いや、考えなかったわけじゃないんですけど……やっぱ夕呼先生絡みの任務で抜ける事、多いですからね。部隊の指揮官がほいほい隊から離れるのは良くないですよ」
「それは分かってるけど……」
「伊隅大尉たちにしてみれば、俺なんかよりまりもちゃんの方がずっといいでしょう。冥夜たちだって、まりもちゃんが嫌なわけじゃないんだから、部隊全体として見るなら、その方がいいですよ」
 武は自分を過大評価するつもりはない。確かに戦闘技術においては、基地内で右に出るものはいないという自負はある。しかし、突出しているのはそれだけだ。
 勿論、その技能故の信頼はあるだろうが、まりもがこれまで培ってきたものに比べると、いわばポッと出の武に寄せられる信頼など足元にも及ばないだろう。
「まあ、適材適所って事でいいじゃないですか。俺は戦術機に乗ってガンガン動き回る方が性に合ってます……っと、話はこれくらいにして、俺たちも機体のチェックに行きましょう」
「分かったわ」
 武とまりもも部屋から出て行き、ブリーフィングルームは沈黙に包まれた。

「──白銀少佐」
 武が機体チェックのために自分の不知火に取り付こうとしていると、背中越しに凛とした声が投げかけられた。
「ああ、月詠さん……お久しぶりです」
 戎絡みの件で姿を目にする事はあったが、言葉を交わすのはクーデターが終結して以来となる。
「どうしました?」
「礼を……まだきちんとした礼をしていませんでしたので」
「……何のです?」
「クーデター未遂事件──12・5事件の際、貴殿が殿下をお護りした事、冥夜様の手助けをして頂いた事……心より感謝致します」
「なんだ、別に気にしなくてもいいのに。殿下にも言いましたけど、あれは俺が俺の目的のためにやった事ですから」
「そうですか……」
「で、本当はそんな事を言いに来たわけじゃないんでしょ?」
 その言葉を聞いて月詠は、驚きに一瞬目を見開く。
「お見通し、ですか。出撃前の忙しい時に迷惑なのは承知しています……が、少々お時間を頂けないでしょうか」
「ええ、別に構いませんよ。それじゃ、場所を変えましょう」
 月詠が武に用事があるとして、その内容はといえば、冥夜の事か、今なら戎の事あたりか。或いはXM3に関する事かもしれない。だがいずれにしても、他人に聞かせていいような話ではないだろう。ヴァルキリーズが機体の調整をしているハンガーでは、誰かに聞き咎められてしまう可能性がある。
 武は月詠を連れて、校舎裏の丘に赴いた。
「それで、話って何です?」
「実は……私個人としての頼み事があって参りました」
「個人的……って事は、冥夜の件かな」
「……よくお分かりに」
「いや、まあ……そのくらいしか心当たりはないですし」
 月詠が個人的、と言った事で、それ以外の候補が消えてしまったからだ。XM3にしろ戎にしろ、任務が関わっている事には違いない。
 だが冥夜だけは違う。
 彼女が衛士に任官した裏には、あわよくば前線に出て戦死して欲しい、という城内省の思惑がある。だが戦死させたい対象に護衛を付けるなどという事はありえない。故に彼女からは、一切の警護が外されている。
 その立場も、今となっては将軍家と完全に縁が切れてしまっている。つまり斯衛である月詠真那と、一般人である御剣冥夜との間に、特別な関係があってはならないのだ。
「冥夜様を……頼みます。もし万が一、戦場において冥夜様が死に急ごうとされた時……一言諌めて差し上げてくれるだけで構いません、貴殿になら、貴殿の言葉であれば……冥夜様も耳を貸すに違いありません……」
「分かりました。って言っても、頼まれなくてもそうしますけどね。でもいいんですか? 俺は相変わらず正体不明の要注意人物なんですよ?」
「ふふふ……相変わらず意地の悪い人ですね、貴殿は。……私も、もっと自分の眼を信じてみる事にしたのです」
「もし俺が本当に工作員だった場合はどうするんです?」
「それは無いでしょう。冥夜様を活かすべき最大の機会を見送り、手にした殿下の信頼も全く利用しないのですから。それに──」
「……?」
「もしそうであったとしても、私にはもう、どうにも出来ません。既に存じているとは思いますが、私の部隊は、冥夜様の警護の任を解かれました。ですから……貴殿を頼るよりほかないのです」
「まあ、心配しなくても冥夜なら大丈夫ですよ。しっかりしてますからね、あいつは」
「ふふ……そうですね」
 月詠は薄い笑みを浮かべたが、他にも気掛かりがあるのか、それはすぐに消えた。
「越権行為である事は承知しております……ですが、一つだけお聞かせ下さい。お体はもう大丈夫なのですか?」
「えっ?」
「何でも、酷い怪我をされたとか」
「参ったなあ……どこまで情報が漏れてるんだか」
「すみません、出すぎた真似を──」
「いえ、心配してくれてありがとうございます。確かに怪我はしましたけど、今は見ての通りほら、ピンピンしてますよ」
 武は怪我をしたはずの左腕を、袖を捲り上げて月詠に見せた。そこには何の傷跡も残っていない。
「それで、これから……月詠さんたちはどうするんですか?」
「甲21号作戦ではウィスキー部隊に随伴します」
 恐らくは、ウィスキー部隊に将軍の縁者がいるのだろう。その警護の任に就くのだ。
「その後は?」
「生還出来たなら、年内まではこの基地に留まります。その後は何処に赴くか……まだ決まっておりません」
「じゃあ、それまでにまた会えますね」
「……だと良いのですが。ふふ、貴殿が開発したというXM3の能力次第……と言ったところでしょうか」
「俺は発案しただけで、実際に作ったのは夕呼先生です。だから、性能は折り紙つきだと思いますよ」
 横浜基地の部隊は練度不足から惨憺たるものだったが、月詠たちに限ってそれはありえない。ならばヴァルキリーズと同等か、或いはそれ以上に使いこなす事だって可能だろう。
 そしてXM3の話になって、そう言えば……と、戎の事を思い出した。
「それはそうと、戎の調子は戻りましたか? 差し出がましいとは思ったんですけど、調子悪そうだったから、少しXM3のレクチャーをしてやったんですけど」
「ああ……それで」
「なにか……?」
「いえ、戎の機動が妙に鋭くなっていたので、何があったのかと思っていたのですが。そういう事でしたか」
「やっぱ迷惑でしたか?」
「とんでもない。私も神代も巴も、良い刺激になっています」
「そうですか……それはよかった」
「此度の作戦……」
「……?」
「A-01部隊がハイヴ突入の先鋒になると伺いました」
「うわ、情報早いなあ……」
 月詠は悠陽とのつながりもあるし、ある意味、悠陽とオルタネイティヴ4のパイプ役と言えなくもない立場にあるので、そういった情報は比較的早く、詳しいものが入ってくるのだろう。
「どうか……ご無事で」
「はは、大丈夫ですよ。サッと行って、パパッと反応炉をぶっ壊したら、一目散に逃げてきますから」
「ふふ……ふふふふっ」
「俺、なんかおかしな事言いました?」
「いえ、ハイヴ突入が決定したと言うのに、全く気負った様子がないものですから。12・5事件の時は、なんと軽薄な男だろうと思ったりもしましたが……今はその軽さに安堵を覚えてしまいます」
 実際、武は佐渡島ハイヴに突入するのは二回目なので、気負いようがない。もっとも、そんな事は口が裂けても言えないが。
「ま、いかにも衛士らしくていいじゃないですか」
「ふふ、そうですね。……お時間を取らせてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえ。俺の方こそ話せて良かったです」
「御武運を」
「そちらこそ」
 そして、月詠は丘を下っていった。



[1972] Re[28]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/08 12:42
 一足遅れて武もハンガーに戻り、機体の調整を開始した。
 作業自体は、前のループでも何度となく繰り返してきた事だから、別に何の苦にもならない。月詠と話し込んだ事による多少の遅れなどものともせずに、さっさと終わらせてしまった。
「さて、と……それじゃ、先生の所に──」
「──タケルちゃん!」
 作業を終えた武がハンガーを離れて夕呼の執務室に行こうとした時、後ろから元気な声が聞こえてきた。
「……純夏? こんなところで何やってるんだ?」
「タケルちゃんがここにいるのが分かったから、会いにきたよ!」
 どうやら、リーディング能力を使って武の場所を探し当てたらしい。
「えへへ~、見て見て~。サンタウサギだよ~~」
 純夏の腰には、武が作ってプレゼントした、サンタウサギのキーホルダーが揺れている。
「お、身に付けてくれてるのか……って、そうじゃないよ。霞は一緒じゃないのか?」
「えっへへ~。ひとりで来ちゃった」
「はぁ……勝手に出歩いちゃダメだって、先生に言われてるだろ?」
「見られたって平気平気! タケルちゃんと私はいつも一緒だもんね~!」
「……まあ、いいか」
 武は頭をポリポリと掻いて、深く考えるのはやめた。
 確かにこのハンガーはA-01部隊専用で、ただでさえ特定の人間しか入ってこない場所だが、純夏の制服の袖にはヴァルキリーズの部隊章がしっかりと縫い付けられているので、別に問題はない。仮に何かあったとしても、霞と同列にオルタネイティヴ計画に関わっていると人間だと説明すれば、それ以上の詮索を受ける事はない。
 それに将来的には、純夏もヴァルキリーズと戦場で行動を共にする事になるわけで、そうなると当然、彼女たちとの接触は避けられなくなる。だがいずれにしても、純夏の存在をいつまでも隠し通す事は出来ない。それならば変にコソコソするよりも堂々としていた方がいい。
 要は、純夏が00ユニットであるという事さえバレなければいいのだ。
「にしても……どうやってセキュリティをパスしたんだ?」
「普通に通ってきたよ。簡単簡単!」
「まあ、登録されててもおかしくはないけどな……とにかくハンガーから出よう。ここは油臭いだろ?」
「ねえねえ、どこに行くの?」
「とりあえずは先生のとこかな。聞いておきたい事もあるし」
「えっ……」
 急に純夏の表情が曇る。
「……どうした?」
「あ、あのね……わ、私も一緒に行っていい……かな」
「ん? ああ、一緒に行こうか」
「本当!?」
「こんなところに放り出していくわけにもいかないだろ。ほら行くぞ?」
「うん!」
 武と純夏はハンガーを出て、B19フロアにある夕呼の執務室にやってきた。
「あれ、いないのか……って、俺のパスで開けたんだから当然だよ」
 どこに行ったのだろうか──
 作戦前だという事を考えると、中央作戦司令室にいるのかもしれない。或いは凄乃皇弐型の最終調整のため、B27フロアの90番格納庫か。
「ねえ、タケルちゃん……私、香月先生がどこにいるか、わかるよ?」
「そっか……そうだよな」
 先程、武を探し当てたように、夕呼の事だってリーディングで見つけられるだろう。
「中央作戦司令室か?」
「ううん、ここよりも下の階にいるよ。ず~っと下の方」
「て事は、90番格納庫の方か……」
 武と純夏は夕呼の執務室を出て、エレベーターでB27フロアに降りていった。
 廊下を進んで行くと、ピアティフ中尉を連れた夕呼が、背中にXG-70dのシルエットがプリントされたスタッフジャンパーを着た技術者と話し込んでいるのが視界に入ってくる。
「──シンクロトロン放射の発生は極力抑えるのよ。LP加速器と最終直線加速器との重力偏差は絶対コンマ2以内。いいわね?」
「わかりました、何とかしてみます」
「頼んだわよ」
 技術者は夕呼に敬礼をして、駆け足で去っていった。
「……敬礼はいいって言ってんのに。これだから新入りは」
「仕方ないですよ。先生は横浜基地のトップなんだから」
「──白銀!? ……よくここが分かったわね」
「純夏が見つけてくれたんです」
「ああ、そういうこと」
「へっへ~。えらい? ね、えらい?」
「それで何の用?」
「出撃前に確認したい事があったんで」
「分かったわ。でも、そんなに時間もないから、手短に済ませてもらえるとありがたいんだけど」
「うぅ~! せっかく見つけてあげたのに、無視するな~~~!」
 純夏が駄々っ子のように、武の上着の袖をぐいぐいと引っ張る。
「うわっと……! 分かった、分かったからそんなに引っ張るなって」
「そうだ鑑~、これから訓練しようか」
 夕呼が突然、純夏に訓練を持ちかけると、その動きがピタリと止まった。
「──えっ、訓練!? タケルちゃんも一緒ですか!?」
「勿論よ。他にも大勢仲間がいるわよ?」
「タケルちゃんだけでいいよ、先生~」
「ごめんねぇ~、そこ、ワンセットなのよ。白銀ってほら、人気者だから」
「うぅ~~」
「なんだ、嫌なの? それじゃあ訓練、やめちゃおっかな~」
 ほんの少しだけ意地悪な、悪戯っぽい笑みを浮かべた表情で、夕呼が言った。
「あ、やだやだ。みんな一緒でいいからやる~!」
「そ。じゃあ、あなたは準備をしなさい。白銀も後から行くって」
「は~い」
「中尉、あなたは鑑を連れて先に行きなさい。あたしは白銀と少し話してから行くから」
「了解しました。さあ鑑少尉、行きましょう?」
「タケルちゃん、後でね~!」
「ああ、また後でな」
 純夏は右手をぶんぶんと振りながら、ピアティフに連れられて去っていった。

「──純夏はもう出撃態勢ですか?」
「一応そうなるのかしらね。これからODLの浄化処置を始めるから」
「ところで、わざわざ純夏を外させたって事は」
「……まあね」
「後でリーディングされたら同じじゃないですか?」
「何もしなければその通りね」
「ああ……バッフワイト素子、でしたっけ」
 武は純夏の調律のためにチェックした、00ユニット関連の資料に記載されていた事を思い出した。
「話が早くて助かるわ」
 バッフワイト素子とは、一つの大きさが約20ミクロンの思考波通信素子だ。それが逆位相の思考波を発信して、特定の思念波を打ち消してしまう。
 純夏のリボンには、バッフワイト素子とマイクロチップが織り込まれている。マイクロチップにはオルタネイティヴ計画の主要メンバー全員分の思考波パターンが登録されていて、純夏のリーディングにジャミングをかけている、と言うわけだ。
 ちなみにこのバッフワイト素子も、BETA由来の物質から作られているものだ。
「これは純夏の精神の安定を促すためと、情報漏洩を防ぐため……って事でいいんですか」
「ほぼ正解。人類の切り札として生み出された00ユニットが、BETA以上に恐ろしい敵になってしまう可能性があるからね」
 再び00ユニット関連の資料について思い返してみる。
 それによると、純夏の掌には無数のバッフワイト素子が埋め込まれている。これは元々、凄乃皇に非接触接続する事で、機体をあたかも自分の体のように操るためのものだ。
 また量子電導脳は、コンピューターに接続して抽象的な思考をするだけで、既存のシステムなど容易に解析し、操作出来てしまう。
 つまり、純夏はコンピューターを使用したあらゆるシステムに対して、非接触接続によるハッキングが可能だという事になる。凄乃皇の場合と同様に、例えば基地のメインシステムに接続すれば、それを自分の体のごとく、自由自在に操ってしまえるのだ。勿論、自分の体と化したコンピューターを動かすのに、専門的な知識など全く必要ない。
 つまり先程、純夏がハンガーに来られたのは、パスを持っていたからではなく、基地のシステムに対して無意識にハッキングを仕掛けてセキュリティ情報を書き換えていたから、というわけだ。
 もし純夏が悪意を持って基地のシステムに接続すれば、いとも簡単にその全機能を掌握する事が出来る。それどころか、ネットワークで接続されている世界中のコンピューターを使った兵器やシステム、全ての支配が可能という事になる。
 そしてそれは、世界を支配するのと同義なのだ。
「なるほど……00ユニット脅威論、ってわけですか」
「ええ。だからあの子には、人間の汚い部分を見せるわけにはいかないの。あんたみたいに相手が兵器だろうが作り物だろうが、お構いなしに接する事が出来る人間なんて、滅多にいないからね。あの子に絶望されて人類を見限られたら、そこで全てがお終いだから」
「でも、それだと……」
「……どうしたの?」
「いや、人間の汚い部分のイメージって、俺の中にも無茶苦茶あるはずなんですけど……」
 そういった事は、武は前のループで一通り経験してきたつもりだった。BETAとの戦いの傍らでは、常に人間同士の醜い争いが繰り広げられていた。それこそ知略謀略の騙し合いから生身の白兵戦まで。テロリストや狂信者たちに基地を襲撃されたり等で、直接生身の人間を手に掛けなければならなかった事だって、一度や二度の話ではない。
 そんな経験をしてきた武が、今更、無条件の善意で他人を信じるような真似をするなど出来るはずもないのだ。勿論、純夏を始めとする仲間達に対してはそうではないが、両者への対応に明確な差がある以上、それはダブルスタンダードであり、差別と言い換えてもいい。それは人間の心の汚い部分の一つである事は間違いない。
「……いいのよ、それでも。少なくとも鑑を大切に思うあんたの気持ちは本物、それは見ていれば分かるから。極端な話、全人類が鑑を敵に回しても、あんたが鑑の味方であり続ける限り、鑑が人類の敵になることはないでしょうし。ま、あんたが人類の敵に回るんなら話は別だけどね」
 夕呼は薄く微笑んだ。
「それはそうと、あんたの用件、まだ聞いてなかったわね。なんだったの?」
「ああ……純夏の最新のバイタルデータから、荷電粒子砲の射数が予定通りいけるのかどうか、って事だったんですけど」
「今のデータから判断すれば、問題は無いはずよ。それにしても……あんたってさ、かなり過保護よね」
「……そんな事はないですよ」
「あるわよ。最初はもっと冷たい奴かと思ってたんだけどね。なんだかんだ言っても、あんた自身が負担すれば済むような選択肢があれば、迷わずそっちを選ぶでしょ? 今の話だって、射数が足りなかったら鑑に無理させるんじゃなくて、減らす方向に作戦を持っていこうと思ってたのよね? その分、ハイヴに突入した時に自分が頑張ってカバーしてみせるからって」
「……まさか。純夏に無理をさせて自閉モードにでも入られようものなら、即プランG──凄乃皇弐型の自爆が確定するから、ですよ」
「ふふっ、そういうことにしておいてあげるわ。……それじゃ、あたしはそろそろ行くわね。まだ凄乃皇弐型の最終調整が残ってるから」
「あ、はい。時間を割いてもらって、ありがとうございました」
「……あんたにはまだまだやってもらわなきゃならないことが山ほどあるんだからね、簡単に死なないでちょうだいよ?」
「分かってます。先生も気をつけて」
「じゃね……白銀。鑑を頼んだわよ」
「はい──」


 2001年12月24日(月)

 帝国本土防衛海軍戦術機母艦『大隈』──
 無人のデッキで、武はすっかりダレきっていた。床に寝転がって、ボケッと星を眺めている。
 攻めて出る戦いは本当に久しぶりで、勘がいまひとつ戻っていないのだ。
 クーデター事件は、あれは実戦のうちには入らないだろう。トライアルも、言ってみればただのアクシデントだ。そして前のループでは、後半は拠点防衛がほとんどで、ずっと守ってばかりの戦いが続いていた。
 攻め方を忘れてしまったというわけではないが、実際に戦場の空気に触れるまで、気が引き締まらないような気がしている。
 本当なら、それでも体力を回復、温存するために、睡眠をとるのが一番いいのだろうが、どんなコンディションだろうがお構いなしにBETAが来れば即出撃、という究極の即応態勢がすっかり身に染み付いてしまっている武は、最低限の睡眠と食事さえとっておけば戦闘行為に支障はなく、今回のような場合だと出撃までの待ち時間がもどかしく感じられてしまうのだ。
「そういや、クーデターの時もヒマだったっけなあ……」
 あの時も搭ヶ島離城で、悠陽が現れるまでは暇を持て余していた記憶がある。
「あれからもう三週間近くも経つのか……早いもんだな。殿下は元気にしてるかな……。鎧衣課長は相変わらず行方不明みたいだし……まあ、あの人なら何があっても大丈夫だろうけど。なんかもう随分と昔のように感じるなあ……それだけ色々あったって事か……」
 クーデターの後はトライアル。怪我をして、すぐに向こうの世界に行った。そこでも色々あって──
「おっと、やべえやべえ。こんな事考えてると、死んじゃうのがお約束なんだよな」
 武は頭を振ってその思考を振り払った。どうせ考えるなら、これから先の事をシミュレートする方が、余程建設的だ。
 しかし、まだスイッチが入っていないのか、そこまで頭が回らない。
「……暇だ」
 武は何を思ったか、両手両脚をピンと伸ばした姿勢で、デッキの上を転がり始めた。
「うば~~~」
 ある程度転がったらピタリと止まって、今度は反対方向に転がり始める。
「うば~~~~~~」
 そして何往復かした後、スピードアップ。
「うば~~~~~~~~~~!」
「──きゃっ!?」
「ぐえっ!」
 転がる武が何かとぶつかると同時に、その頭上であがる黄色い悲鳴。そして一瞬遅れて、武のちょうど鳩尾の上にズンと圧し掛かってくる柔らかい何か。
「お……重い……」
「え、あっ! ご、ごめんなさい……って、そんなに重くありません!」
「あ……まりもちゃん」
 武の上に降ってきた柔らかいものは、まりものお尻だった。
「もう……白銀ったら、なにやってるのよ」
 まりもは呆れながら、武の上から身体をどかせる。
「よっこいせっと」
 年寄り臭い掛け声を出しながら、武は起き上がった。
「なにか用ですか?」
「デッキの上をゴロゴロ転がっている不審者がいるって通報があったから、引き取りに来たのよ」
「ありゃりゃ、見られてたのか」
「見られてたのか、じゃないわよ、もう。あなたが実戦慣れしてて、出撃まで暇を持て余してるのは分からなくはないけど、あまり恥ずかしい事はしないでよね、お願いだから」
「俺は別に恥ずかしくないですよ?」
「私が恥ずかしいの!」
 馬鹿をやった武に対してぷんすか怒ってみせるまりも。しかしその態度は、いつもと比べて僅かではあるが、覇気がない。
「……やっぱ緊張してます?」
「当たり前でしょ? さすがにハイヴ突入なんて初めてだもの」
「大規模作戦の経験はあるんでしたっけ?」
「一応はね」
「ヴァルキリーズのみんなの様子はどうでした?」
「みんな似たようなものよ。あの子たちはこんな大きな作戦の経験、全然ないから」
「そうですか。でもまあ大丈夫でしょ」
 武は軽い調子で流した。実際に戦闘が始まれば、どうせ緊張で縮こまっている場合ではなくなってしまうのだ。もし硬くなっていたとしても、そういう時のために武やまりもがいる。問題は無い。
「……あなたはいつもと何も変わらないのね」
「ハイヴ突入って言ったって、やる事はいつもと同じですからね。BETAを倒して生きて還ってくる、そんだけです」
 さすがにハイヴ突入、しかも佐渡島ハイヴは二度目だから慣れている、などと説明する事は出来ない。
「そんな風に考えてるのって、多分あなただけよ?」
「……かもしれませんね」
 武は自分でも、いささか割り切りすぎているような気がしないでもないが、佐渡島ハイヴはBETA側から見れば、末端も末端、人間の戦力で例えれば、最前線のCPがいいところだ。
 まだ先は長いというのに、たかだか前線の指揮所を潰す程度で決死の覚悟などしてはいられない。
「まあ、ヴァルキリーズに関しては、全員揃ってればまた少し違ってくるんでしょうけどね。涼宮中尉は夕呼先生と一緒に最上に行ってるから」
「そうね。でもあの子はCP将校だから、同じ隊っていっても、別行動が多くなるのは仕方ないわよ」
 通常、遙は指揮車両から戦域管制を行う事がほとんどなのだが、今回のような大規模作戦で、その上A-01部隊が作戦の中核を担うような場合だと、指揮官──つまり夕呼の指示を仰がなければならない状況が多くなる事が予測され、作戦旗艦にHQとして配置される事になる。
 しかしHQと言っても、やる事はいつもと同じ、A-01部隊専属の戦域管制だ。
「でも、涼宮中尉は凄いですよね。あの歳で戦域管制をバッチリこなしちゃうんだから」
 資料を見た限り、遙も元々衛士になるべく訓練していた。その道から外れてしまったのは、総戦技演習の時に両脚を切断するほどの大怪我を負ってしまったからだ。今は義肢を付けているので通常の生活程度なら不具合はないが、負傷した時の状況が良くなかったために神経接合が完全ではなく、戦術機適性検査で弾かれてしまったらしい。
 遙は指揮官特性が高かったから、そこからCP将校へと転身を図ったのである。
 だから、遙には衛士の経験がない。にもかかわらず、戦術機甲部隊相手に、極めて的確な戦域管制を行っている。
「後ろに涼宮中尉がいるのといないのとじゃ、戦場での安心度が全然違いますからね。まさにヴァルキリー・マムの名に相応しいです」
「確かにそうね」
「でも、マムって言えば、年齢的にはまりもちゃんの方が──」
「ちょっと白銀っ!」
「あはははは」
「はぁ……もう、なんかくたびれちゃったわ。私、そろそろ休ませて貰うわね」
「それがいいです。明日は長い一日になるでしょうから」
「あなたも夜更かししちゃダメよ?」
「はい」
「じゃあね」
 まりもは立ち上がると、武の許から去っていった。

「やっぱ、まりもちゃんでも緊張するんだなあ……って、当たり前だよな」
 かくいう武とて、全く緊張していないかといえば、そんな事はない。二度目というインチキが故に、表に全然出ていないだけである。
「さて、どうすっかなあ……まだ時間に余裕はあるし」
「タケル……」
「うん?」
 聞こえてきた後ろからの呼びかけに振り返ると、そこには冥夜を先頭に千鶴、慧、壬姫、美琴の元207B分隊が立っていた。
「何だお前ら、揃いも揃って。眠れないのか?」
「うん……」
 もっとも、人間相手のクーデターはノーカウントとして、トライアルの時はBETAと直接やり合う前に後方支援に入ったから、そういう意味ではこの作戦が真の初陣だ。
 その初陣でいきなりハイヴ内部に突入するわけで、いつも通りでいろというのはいくらなんでも無理があるだろう。逆にこれだけ平静を保っている事こそ、驚嘆に値する。
「たけるさんは、何をやってたんですか?」
 壬姫が、少しだけ瞳に好奇心の色を浮かばせて言った。
「さっきまではまりもちゃんと話してたよ。あとは空見てた。まあ、暇潰し?」
「暇なんだ。余裕だね」
 少し呆れた声で、慧が呟く。
「まあな」
「すごいよね、タケルは」
 心底感心したように、美琴が言った。
「何がだ?」
「だって……怖くないの?」
「そりゃ怖いぞ。でもまあ、お前らよりはずっと慣れてるからな」
「でも、BETAにあんな大怪我を負わされて……」
「あんなって……知ってたのか?」
「肋骨を三本、それと左腕を噛み千切られそうになったと聞いた」
 冥夜が答えた。その口ぶりから、かなり信憑性の高い情報を入手していた事が窺える。
「なんだよ、ダダ漏れだな……」
 限られた人間にしか知られていなかったはずが、まりもに月詠、そして冥夜たちにまで知られてしまっている。この分では、ヴァルキリーズ全員が知っていそうだ。
 もっともそれ以前に、あの大怪我がたったの五日で綺麗さっぱり消えてなくなった事で、衛生兵あたりから妙な噂話が流れていても不思議ではない。武が兵士級とやり合って怪我をしたという噂も流れているだろうし、その両者を結び付けて考えても不思議ではない。
「すまぬ。無理を言って神宮司少佐に教えて頂いたのだ」
「……なるほどな」
 まりもも夕呼に詰め寄って聞きだしたクチだから、強硬に拒絶する事が出来なかったのだろう。
「白銀は、あんなに酷い目に遭ってまで……何のために戦うの?」
 千鶴が訊ねてくる。冷静に考えてみれば、確かに生身でBETAと対峙して大怪我を負った後、その直後と言ってもいいほどの作戦で平然とハイヴに突入しようとするなど、正気の沙汰ではない。
「俺の戦う目的か……そうだな。護りたい人、助けたい人がいるから……だな」
「──!?」
「なんだ、そんなに驚く事か?」
「あ……いや、その……タケルはもっと大きな……そう、大義のために戦っているのだと思っていたのだ」
 冥夜が、少し慌てた様子で答えた。
「大義ねえ……どうでもいいな、そんなもんは。ま、俺の目的が達成された時は、BETAが地球から駆逐されてるってオマケがくっ付いて来るけどさ」
「オマケ……」
 向こうの世界に与えてしまった影響……純夏やまりもを元に戻す──武を因果導体にした原因を探すためにも、まずはBETAを何とかしなければならない。それに、この世界で護りたい人たちが平穏に暮らすためには、やはりBETAを駆逐しなければならないのだ。
「……凄いね、白銀は」
「そうでもないよ。誰かを護るってのは、突き詰めていけばそういう事だ。護る護るって言ってても、いつまでも隣に立って護ってやれるわけじゃないんだからさ。じゃあどうするかって言ったら、大元の原因を取り除いてやるしかないだろ?」
「…………」
「それにこんな事を言うのもどうかと思うんだけどさ、正直な話、護りたい人以外はどうでもいい」
「────!」
「目的のためには手段を選ばない……とまでは言わないけど、俺のエゴで他の奴に犠牲を強いる事だってあるし」
 不法帰還民を強制退去させるように指示したり、クーデター未遂事件の際、冷川料金所跡の戦いで富士教導隊の不知火を容赦なく撃破したのは、そういう事だ。
「まあ、そんな感じだからな。お前らが思ってるほど立派じゃないって」
「…………」
「にしても、なんでまた今更そんな事を聞いて来るんだ?
「……それは」
「もしかしたら、今日が最後になるかもしれないから……」
「それで俺の戦う理由か? 物好きだな、お前らも。……心配すんな、ヤバくなったらちゃんとフォロー入れてやるから。だから今日が最後になるなんて事はない。絶対にだ」
「うん……」
「……もう寝る」
 聞きたい事を聞いてしまったのだろうか、慧がボソリと言った。
「そう……ね。白銀は、どうするの……?」
「俺はまだここにいるよ」
「そうなんだ……じゃあね、タケル」
「ああ、ゆっくり休めよ」
「うん」
「またね……たけるさん」
 冥夜たちは武のところから去って行く。
 それと入れ替わるように、別の声が聞こえてきた。
「全く、なにやってんだか……」
 声のした方を振り向くと、そこには晴子が立っていた。
「なんだ柏木、お前もか?」
「晴子だけじゃないですよー」
「ねー」
 その陰から、茜と築地も現れる。今度は元207A分隊だ。
「なんていうか……見てられませんね」
「……なにがだ?」
「あれじゃ千鶴たちが可哀想です」
「……なんでだ?」
「少佐って、鈍感さんだったんですねぇ」
「……そうか?」
「まあ、いいですけどね」
 晴子、茜、築地と一回りして、最後に晴子が呆れた様子で締めた。
「ところで……明日の実戦、ハイヴ突入──上手くいくと思いますか……?」
 不安げな表情で茜が訊ねてくる。
 考えてみれば、207A分隊はB分隊より二ヶ月早く着任しているといっても、いきなり実戦に出たというわけではない。その二ヶ月は、衛士として実戦に必要な知識や、オルタネイティヴ4直属の極秘部隊として必要な事項を叩き込む事に費やされていた。
 実際、11月の佐渡島ハイヴからのBETA南進に呼応した捕獲作戦には出撃していないし、初陣はクーデター、BETA相手の初陣はトライアルの時と、実戦経験はB分隊とほとんど変わらない。
 確かに、矢面に立ったかどうかという違いはあるが、その後がハイヴ攻略戦ほど大きな作戦では、その差はほとんどないといってもいいだろう。だから、不安になって当然なのだ。
「──まあ楽勝だな。世界初のフェイズ4ハイヴ攻略成功、間違いなしだ」
「でも……」
「大丈夫だって。さっき冥夜たちにも言ったけど、危なくなったらちゃんとフォローを入れるから。俺やまりもちゃんは、そのためにいるんだぞ?」
「私は心配してないけどね~」
「ああーっ、晴子ずるい!」
「別に、俺を無理に信頼する必要はないけどさ、まりもちゃんの事なら信頼出来るだろ?」
「いえいえ、とっても頼りにしてますよ、少佐殿」
「もう、晴子ったら調子いいんだから……」
 少しふてくされた顔で、茜が晴子を突っつく。
「茜は中盤、築地は前衛だから分からないと思うんだけど、私は後ろにいるからよく見えるんだよね。少佐たちの動き」
「どんな感じなの?」
 築地が不思議そうな顔で訊ねた。
「う~ん、なんて言うか…………そう、変態?」
「……人聞きの悪い例え方すんなよ」
 武は憮然とした顔で答える。
「これまでの概念を根本から覆すような動きですから。普通の言葉じゃ、とても表現しきれませんって」
「でもそれを言ったら、お前らの機動だって、どんどんまりもちゃんに近付いていってるんだから、みんなまとめて変態候補生になっちまうぞ?」
「やだなあ、変態なのは白銀少佐だけですって」
 変態呼ばわりはちょっぴり心外だったが、武は少し驚き、そして感心した。晴子が言ったのはつまり、武とまりもの機動概念が別物だという事を意味している。
「柏木は俺とまりもちゃんの機動の違い、分かるのか」
「え? だって、全然違うじゃないですか。まあ、確かに見た目は似てるかもしれませんけど。でも、神宮司少佐の機動は先読み出来ても、白銀少佐って何考えて戦術機を動かしてるか、さっぱり分かんないんですもん」
「へぇ……大したもんだよ。しかしまあ……お前らはなんだか余裕あるな」
「あはっ、そんな事ないですよ。茜なんか、乗艦してからずっとビクビクしっぱなしだったんですよ?」
「ちょ、ちょっと晴子!」
「あ、でも築地はいつもと同じでマイペースだったよね」
「そんなことないんだけどなぁ……」
「ふふ、冗談だってば。それに私だって、やっぱりいつもとは何か違ってるし」
「だから、ここに来るまではみんな、本当に余裕なんてなかったんです」
「でも少佐を見たらいつも通りで、安心しました」
「そうそう。負けたらどうしよう、なんて悩んでるのが馬鹿らしくなっちゃいましたから」
「……まあなんだ、役に立てたみたいで良かったよ。でもわざわざ俺の所に来たって事は、伊隅大尉や速瀬中尉たちも、いつもとは違ってたってわけか」
「そうなんですよね。なんかピリピリしてて、ちょっと近寄りがたかったっていうか」
 ハイヴ突入が知らされたのが前日なだけあって、やはり作戦開始が近付いてくると、いくらみちるや水月たちといえども、余計な事を考えてしまっていたようだ。
「……って事は、大尉たちもこっちに来んのかな」
「残念。さっき、神宮司少佐と話してましたよ」
「何だ、俺はお子ちゃま担当か」
「もー! お子ちゃまで悪かったですね!」
「冗談だよ、そうむくれるなって」
 それからしばらく話し込んだ後、晴子たちが戻るのと一緒に武もデッキを後にして、割り当てられた部屋で睡眠を取るために横になった。



[1972] Re[29]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月25日(火)

 9時00分、甲21号作戦開始──
「いよいよ、だな……」
 戦術機母艦大隈のハンガーに収納された不知火の中で、武は呟いた。
 広域データリンクを確認すると、ちょうど国連軌道爆撃艦隊の突入弾分離が完了し、重光線級が迎撃したところだ。
 それに応じて、帝国連合艦隊第2戦隊がAL弾の斉射を開始する。
『HQより帝国海軍第17戦術機甲戦隊、上陸開始せよ。繰り返す、上陸開始せよ』
 BETAを示す光点で真っ赤に染まったマップに、ぽつぽつと地色の穴が開き始めるのを合図に、海兵隊による揚陸作戦が開始された。
 81式強襲歩行攻撃機──海神が潜水母艦を離艦し、橋頭堡を確保すべく、真野湾の海中から雪の高浜へ向けて侵攻をかける。
『スティングレイ1よりHQ──上陸地点を確保、繰り返す、上陸地点を確保!』
 やがて、大した時間も経たないうちに、橋頭堡確保の報が入った。
「速いな……さすが」
 スティングレイ隊は佐渡島に上陸する部隊の最先鋒だ。彼らが失敗すればその後の揚陸もままならなくなる。故に最精鋭部隊を揃えてきているのだろう。
 橋頭堡の確保と同時に、ウィスキー部隊に上陸命令が出され、戦術機母艦から戦術機が飛び立って行く。
『スティングレイ1よりHQ──支援砲撃要請! ポイントS-52-47! 重光線級が接近中だ、戦術機母艦が危ない!!』
『──HQ了解』
『戦術機母艦高尾、敵のレーザー照射を受けてます!』
『高尾に残っている戦術機を至急発進させろッ! 第二照射来るぞ!!』
『帝国連合艦隊第2戦隊は依然健在、現在砲撃を継続中!』
『ウィスキー部隊、旧八幡新町及び旧河原田本町を確保! 部隊損耗6%!』
『ヴァルキリー・マムより各機──エコー揚陸艦隊は現在、両津港跡に向け最大戦速で南下中。戦域突入まで──』
『揚陸艦隊の被害甚大なれど、作戦の続行に支障なし! 轟沈64、うち戦術機母艦38、大破41……』
 先鋒の部隊と前線司令部との間に通信が飛び交う。
 作戦はここまで順調に推移してきたものの、やはり上陸が始まった途端、被害が跳ね上がっていた。
 特に、揚陸のために島に近付いた揚陸艦と戦術機母艦の被害が目立つ。ただ、それでも従来のハイヴ攻略戦に比べると、確実に被害は少なくなっていた。XM3によって戦術機の機動力が向上した事で陽動の効果も上がり、母艦を危険に晒す時間を短縮出来ているのだ。
 そしてA-01部隊の不知火を載せた大隈も戦域に突入する。
『ヴァルキリー1より中隊各機。エコー部隊の両津港上陸も近い、各機緊急事態に備えろ。ウィスキー部隊の母艦は、沿岸部からのレーザー照射でかなり沈められている。いつでも発進できるようにしておけ』
『──了解』
『──HQよりエコー艦隊。現時刻を以て作戦はフェイズ3に移行。砲撃を開始せよ!』
 作戦の第三段階、エコー部隊の揚陸にあたって、制圧砲撃が開始された。
 AL弾の雨が両津港に降り注ぎ、レーザー種がそれを迎撃する事で重金属雲が発生、そこに通常弾頭による面制圧が行われる。
『──HQよりエコー揚陸艦隊。全艦艦載機発進準備、繰り返す、全艦艦載機発進準備!』
『──エコーアルファ1よりHQ! 全艦艦載機発進準備良し!』
『──HQ了解。全機発進せよ、繰り返す、全機発進せよ!』
『──行くぞヴァルキリーズ! 全機続けッ!』
 みちるの号令を合図に、戦術機母艦大隈のデッキからヴァルキリーズ各機が飛び立った。
 エコー部隊が陽動のために北上していく中、ヴァルキリーズは旧上新穂に向かって南下していく。
 いくら大規模な陽動が行われ、敵戦力が分断されているとはいえ、佐渡島全域がBETAの支配地域である。ヴァルキリーズの行く手にもBETA群が立ちはだかってくる。
 ざっと見渡す限り、排除しなくてはならないのは要撃級に突撃級、そして戦車級だ。要塞級とレーザー種は今のところ見当たらないし、闘士級と兵士級は戦術機の敵ではないので無視して構わない。
 突進しか能の無い突撃級は横に躱せば済むし、集ってくる戦車級は、飛び越えてしまえばいい。要撃級は注意が必要だが、レーザー種がいない今、高さを最大限に利用出来るので、やはり脅威とまでは言えない。
 ハイヴ内という高密度空間を想定して訓練を重ねてきたヴァルキリーズにとって、今更この程度の戦いなど、どうという事もなかった。勿論、油断などしないし、気を引き締めてかかってはいるが。
 その上、組織的な襲撃ではなかったので、難なく戦域を支配する事になった。
『──ヴァルキリー1よりHQ。旧上新穂を確保、このまま警戒態勢を継続する』
『──HQ了解』
 そして、ばら撒かれた補給用コンテナから、砲弾と推進剤の補給を行う。
 ヴァルキリーズが凄乃皇弐型の攻撃開始地点を確保したのと時を同じくして、ウィスキー部隊も戦線構築を完了していた。
『──ヴァルキリー1より各機、A-02は予定通り進攻中だ。攻撃開始地点にはBETAを一匹も近づけるな。オルタネイティヴ計画直属部隊の意地と名誉に懸けて、帝国と国連将兵の挺身に応えて見せろ。いいな!』
『──了解!』
 陽動部隊の動きに呼応して、ハイヴ周辺の敵密度は一時的に下がっている。予定通りに事が進めば、凄乃皇の荷電粒子砲の的になるために、敵増援が現れるはずだ。
 武が振動センサーを確認していると、やがてBETA地中移動時の固有振動が計測される。そして、それはすぐに振り切れた。
「って事は、敵の数は四万以上……まあそんなもんか。陽動部隊の展開は……」
 広域データリンクによって他部隊の展開状況を確認する。
 帝国軍のウィスキー部隊は既に戦線を構築し、次の段階への移行を待っている状態だ。損耗率は10%。もっとも、この数字は揚陸時に撃墜されたものも含まれていて、揚陸後の損耗率は4%程度に抑えられている。
 エコー部隊の方に表示を切り換えると、ちょうど戦線を構築し終わったところだった。こちらの損耗率は3%。
 共に作戦継続に全く支障はない。それどころか未だかつてない、ありえないほどの低い損耗率を維持している。
「まさかここまでXM3が効果を上げるなんてなあ……」
 武はコックピットの中で一人、ほくそ笑んだ。
「んで、純夏は今どこかな……っと」
 指揮官権限によって機密レベルの高い情報にアクセスする。凄乃皇弐型は現在、新潟県長岡市上空に差し掛かったところだ。このまま行けば、あと30分程度で砲撃地点に到着するだろう。
「もうそろそろか……」
 その時、遙の声が飛び込んできた。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー各機。A-02の攻撃開始地点への到達まで1800秒。これより作戦はフェイズ4へ移行。繰り返す、作戦はフェイズ4へ移行』
『──ヴァルキリー1了解。A-02攻撃開始地点の確保を継続する』
『──尚、ハイヴ周辺の各『門』からBETAが出現中。警戒を怠るな。現在のところ、個体数及び種属構成は不明。レーザー属種の存在を想定した警戒態勢を継続せよ』
 遙の通信が終わると同時に、地中からBETAが出現した。もっともその中にはレーザー種は含まれていないし、このまま正面からぶつかっても、対処出来ないほどの数ではない。
「おっと」
 武は突進してきた要撃級の攻撃を軽くいなし、背後から短刀を一閃させてその首を刎ね飛ばした。
『──速瀬、宗像ッ! 幸い光線級は存在しないが、数が多い──小隊単位で対処しろ!』
『──了解!』
 みちるの指示を受け、ヴァルキリーズ各小隊は散開して、迫り来るBETAに向かって突出した。
 美冴率いるC小隊は左翼の18体、みちる率いるA小隊は右翼の22体、そして水月のB小隊は正面の19体に向かっていく。
 ここに出現したBETAの対処は彼女たちに任せておけば問題ないので、武とまりものD小隊は、この場で補給物資の確保をしている。
 そして武は戦闘の様子に目を向けた。先程の戦闘では、さすがにじっくりと眺めているわけにもいかなかったが、今回はそのくらいの余裕はある。
 殲滅速度はやはり突撃前衛のB小隊が一歩抜きん出ているが、全体的にレベルの底上げが上手くいっているようで、個別の技術、二機連携、小隊行動と、全てにおいて訓練前の状況とは一線を画していた。
「ちゃんと訓練の成果が出てるみたいで良かったですね」
『まあ、あの程度の敵にてこずってもらわれても困るんだけど』
「はは、確かに。でも、余裕があるのはいい事ですよ」
『驕りさえしなければね』
「それは問題ないでしょう」
『そうね』
 武とまりもは周囲を警戒しつつも、前に出て戦うヴァルキリーズの様子を見て笑みを浮かべた。
「にしても、みんな元気ですよねえ……俺ももう歳かな」
『もう、急になに言い出すのよ。白銀が歳なら、私はどうなっちゃうわけ?』
「えーっと…………老婆?」
『し~ろ~が~ね~?』
「じょ、冗談に決まってるじゃないですか。まりもちゃんは若いです、ピチピチです、うはうはです」
『なによもう、うはうはって……』
「あれです。ほら、妖艶っていうか、艶麗っていうか、包み込まれるような大人の魅力っていうか……」
『な、なにを言ってるのよ』
「もうなんていうか、料理に例えたら……おふくろの味?」
『──白銀っ!』
「あはははは」

 やがて、出現したBETAは、みちるたちの手によって全て薙ぎ倒された。
『──B小隊、BETA掃討完了!』
『──同じくC小隊掃討完了』
『──よし、各小隊レーザー照射に警戒しつつ集結しろ』
『──了解!』
 水月と祷子が報告を済ませると、みちるから、再び武たちのいる場所に集まるように指示が出される。
『しかし……少佐。人が必死に戦っている時にオープン回線で漫才を垂れ流すのはやめて頂きたいのですが』
 みちるが呆れた声で、武とまりもに話しかけてきた。
「まりもちゃん、怒られてますよ」
『もう、あなたのことでしょ!』
 ヴァルキリーズは武たちの軽口にリラックスしながら、補給コンテナの近くに再集結した。
『──よし。全小隊、所定の位置に──』
『──大尉、見てくださいッ!』
 出現したBETAを殲滅し終わり、次に備えて待機命令を出そうとしたみちるに、祷子が呼びかける。
『──どうした風間!?』
『──ハイヴ周辺のBETAが……こちらへ向かっていますっ!!』
 戦域情報を確認すると、新たに出現したBETAが一直線に武たちがいるポイントへと向かっている。
 だからと言って、陽動部隊が全滅したというようなことはない。友軍機のマーカーは依然健在だ。だとすると、BETAは何らかの目的を持って行動しているという事になる。
「てことは、これは狙われてる……よな、やっぱ」
 武はコックピット内で呟いた。
 何が狙われてると言えば、凄乃皇弐型に決まっている。実際に見て探知したのか、或いはもっと別の方法で察知したのかは分からない。
 しかし、どこまで詳細に探知出来るのかは不明だが、量子電導脳がグレイ・ナインから作られている事や00ユニットの機能維持にBETA由来の技術が使われている事、そしてML機関がグレイ・イレブンを燃料としている事から、探知されたとしてもまるっきり不可解だというわけでもない。
 だが何にせよ、この戦闘域で一番高性能なコンピュータ──つまり00ユニットである純夏か、或いは一番脅威度が高そうな空間飛翔体、凄乃皇弐型を狙っているものと見て間違いないだろう。
「って事は、重光線級を温存してるか……?」
 BETAにも戦術というものが全くないというわけではない。武は経験からそれを身をもって知っている。前のループの時はレーザー種の最優先撃墜目標はG弾だったが、今回はそれが凄乃皇弐型になっているというわけだ。
『──周辺の補給コンテナをありったけ集めろ! 攻撃開始点の手前約2000mにある、新穂ダム跡に防衛線を構築する!』
『了解ッ!』
『──ヴァルキリー1よりHQ! A-02攻撃開始地点に向け数個師団規模のBETAが進行中! 支援砲撃を要請!』

 能登半島沖……作戦旗艦、帝国海軍重巡洋艦最上ブリッジ──
「──全艦隊、安全圏への退避完了。ウィスキー、エコーへの支援砲撃を再開します」
 ピアティフが砲撃支援を陽動部隊に回すべく、指示を出そうとすると。
「A-01の要請を最優先処理させなさい。……よろしいですわね、提督」
 夕呼がヴァルキリーズに支援を回すように言った。
「当然です。我々はそのために来たのですから」
 そして夕呼の提案を帝国軍の小沢提督が了承し、全艦隊がヴァルキリーズの担当戦域に支援砲撃を行う事に決定される。
「──HQよりヴァルキリー1、当該エリアへの支援砲撃を最優先する」
 その事が遙の通信でみちるに知らされた。
『ヴァルキリー1了解、感謝する」
「──HQより全作戦旗艦へ告ぐ。すべての支援砲撃目標を──」
 ピアティフが全艦隊に指示を出そうとした時、それを遮るように武からの通信が飛び込んできた。
『ヴァルキリー13よりHQ──ピアティフ中尉、ちょっと待った!』
「……え?」
『こっちの支援砲撃に回すのは一割もあれば十分だ。それよりもウィスキー、エコー部隊への支援を途切れさせないでくれ!』
「ちょっとあんた、何を言ってるの!?」
『敵の動きから見て、狙いは恐らくA-02です。だとすると敵戦力の中にはレーザー種が温存されているはず。無駄弾は使わないで』
「なんですって!?」
『狙いがA-02である以上、俺たちがレーザーに狙われる事は、恐らくないと思います。ですが念のため、支援砲撃の一割をAL弾に換装して、ポイントSE-48-39に最低限の重金属雲さえ確保して貰えればそれで構いません。後はこっちで何とでもします』
「…………分かったわ。ピアティフ中尉、彼の指示通りになさい」
「香月博士!?」
 すんなりと武に従った夕呼に、小沢提督が驚きの声を上げる。
 しかし無理もない。ここでレーザー種が温存されている事を予測出来るのは、未来を経験してきた武しかいない。従来の常識から言えば、BETAが戦力を温存するなどありえないのだ。
『提督、こちらは我々イレギュラーズだけで十分カバー出来ます。構いませんから支援砲撃は陽動部隊に回して下さい。この作戦は、陽動が無ければ絶対に成立しません』
「だが、それでは君たちが……!」
『問題ありません提督。レーザー種を撃破して、凄乃皇が来るまで持ちこたえる。ただそれだけの話です。その程度の時間稼ぎ、どうにでもなりますから』
「む……」
「提督、彼を信じてください。実行出来ない事を言うような男ではありません」
「……了解した」
『感謝します』

「──さ~て、悪いが聞いての通りだ。支援砲撃はほとんど来ない」
 言葉とは裏腹に、悪びれた様子も無く、武が言う。
『そんな!?』
『──このままじゃ、10分もしたら突撃級がここに辿り着いちゃうよ!?』
 戦域情報を確認すると、確かに敵前衛の突撃級はそのくらいで到達する。その後ろからやってくる敵本体は、それから4分後には到達してくるだろう。そしてその中には武が予測した通り、レーザー種の反応を示す光点がポツポツと点灯し始めていた。
「好都合じゃないか。わざわざ荷電粒子砲の的になりに来てくれるんだぞ? それに心配すんなって。戦術ってのはな、こういう時のためにあるんだ。なあ、伊隅大尉」
『少佐の言う通りだぞ、ヒヨッコ共。──全員よく聞け、状況を説明する』
 そしてブリーフィングが始まった。
 敵本隊の進攻速度は時速約60km。突撃級で形成された前衛は時速約90kmで先行。敵本隊は14分後、前衛は約10分後に防衛線──つまり、今ヴァルキリーズがいるこの場所に到達する計算になる。
 凄乃皇弐型の砲撃開始地点はここから2000m後方。敵前衛が2分かからず到達出来る距離だ。
 砲撃開始地点がその場所に選ばれた理由は二点。
 峡谷上の地形が残っている事、そして正面がハイヴに向かって開けている事。
 これは谷を進攻する事によって光線級の直接照射数を制限し、姿勢変更無く荷電粒子砲による攻撃が行えるようにと考慮された結果だ。
『──だがこの場所はA-02だけでなく、我々にとっても都合が良い。では、作戦を説明する』
 BETAがレーザー種を温存していたにもかかわらず、ヴァルキリーズがレーザー照射を受けなかった事から、その狙いは別のところ……つまり凄乃皇弐型であると思われる。
 まず全機、遮蔽物に隠れて主機を落とす。この時、A、C各小隊は敵方向に背を向け、B、D各小隊は正対。
 通信機は強化装備の受信のみ。起動のタイミングはヴァルキリー・マムから指示。そして、敵前衛を全て通過させたところで全機起動、狭い谷に突っ込んできた突撃級が方向転換出来ないでいるところを、弱点の後部を狙ってA、C小隊が砲撃。
 支援砲撃の重金属雲発生を合図に、B、D小隊は敵本隊へ突撃。C小隊は反転してB小隊を援護。
『この範囲からのレーザー照射はA-02を直撃してしまう』
 みちるの言葉と同時に、スクリーンの地図上に警告エリアが示される。
『ラザフォード場があるとはいえ、今回はテストだ。万が一の事があってはならない。砲撃の万全を喫するため、この範囲の重光線級を片っ端から血祭りに上げろ!』
『──了解!』
『A小隊は敵前衛の掃討が終了次第、合流する。A-02は現在日本海を匍匐飛行で進攻中だ。本隊突撃から10分以内が勝負だぞ。いいな!?』
『──了解ッ!』
 各機配置に付き、主機を落とす。
 白銀機のコックピットの中も、暗闇に包まれた。
「…………」
 不吉なイメージが一瞬、武の脳裏をよぎる。前のループでの最期の瞬間だ。
 あの時は、すぐに戦車級に装甲を食い破られて光が差し込んできた。その後の事は朧げにしか憶えていない。ろくでもない目に遭った事だけは確かだが。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。敵前衛は依然時速90kmで進攻中。防衛線到達まであと360秒』
 もっとも、今の状況には全く不安は無い。前の時と違ってすぐ近くに味方機もいるし、こうして遙からは逐一状況が知らされる。あの時のように全方位BETAに囲まれているわけでもなし、対人探知能力が最低の突撃級が相手なら、見つかって襲われる事もない。
 やがて、主機を落としているためにキャンセルされない振動と轟音が、コックピット内に飛び込んできた。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。敵前衛、防衛線通過中──最後尾通過まであと90秒!』
 もうすぐだ──
 武は起動スイッチに指をかける。
『──全機起動ッ! 繰り返す、全機起動せよ!』
 遙の命令に従って、ヴァルキリーズ各員は不知火の主機に火を入れた。
 スクリーンに起動シーケンスが表示され、強化装備と戦術機の接続が完了、外の突撃級が素通りしていく様子が映し出される。
 起動した不知火に反応して突撃級の動きに変化が現れるが、今更気が付いたところで、旋回能力の低い突撃級は横から後ろにいるヴァルキリーズに対処する事は出来ない。そして勢いがついたまま通り過ぎ、方向転換のために柔らかい後部を晒したまま減速する。だが、これでは的にしてくださいと言っているようなものだ。
『──AC小隊各機兵器使用自由ッ! 食い放題だ! 一匹残らず平らげろッ!』
『──了解ッ!』
 AC小隊が突撃級を背後から撃ち始めるのと同時に、BD小隊は谷の入口まで移動。
 そのタイミングで援護射撃のAL弾が降り注いできて、レーザー種がそれを迎撃する。
『──重金属雲発生! 繰り返す、重金属雲発生!』
『──C小隊反転ッ! B小隊突撃せよッ!!』
 重金属雲発生を合図に、みちるが号令を下す。
『──雑魚は相手にするな。重光線級を片っ端からやれ!』
『──突撃前衛の力を示せッ! ヴァルキリーズの名を轟かせろッ!!』
『──風間と涼宮は速瀬中尉を。私と柏木は築地をカバーだ! ──続けッ!』
「さ、俺たちも行きましょう」
『ええ』
 B小隊が突出し、後衛にはC小隊。武とまりもはその両翼で全体のサポートについている。
 BETAたちはヴァルキリーズの動きに呼応して、重光線級の前に立ちはだかるように位置を変えていく。
『──要塞級には構うなッ!』
『──中尉ッ、2時方向にも要塞級3!』
『──それだけじゃない! 重光線級の周りに集まろうとしているわ!』
『──あいつら重光線級を護ってるんだ』
『──早くここを突破しないと、どんどん数が……ッ!?』
『──こいつ等から片付けましょう中尉ッ! このままじゃ埒が開かない!』
『──ダメだ! もっと集まってくるッ! 時間切れになるぞ!』
 何とか前に出ようと試みてはいるが、敵の連携も見事なもので、抜こうとするたびに要塞級に阻まれてしまう。迂回して進もうにも、仮想ハイヴ内と比べて開けた空間で、より平面的な戦場になってしまっているためか、演習で叩き込んだノウハウはそれほど通用していない。
 それに躱して進んだところで、目標は要塞級の目と鼻の先だ。重光線級の前に到達したとしても、今度は要塞級に取り囲まれてしまうのが目に見えていた。
 わざわざ要塞級で出来た檻の中に入り込んで行くのは、リスクが大きすぎる。
 今のヴァルキリーズならBETAの中で孤立しても、ある程度は耐えられるだろう。しかし、ただ孤立するのと包囲されてしまうのとでは話が違う。
 だが、このままでいいはずはない。凄乃皇弐型の装甲がスペック上では重光線級の照射に二分弱耐え、ラザフォード場を展開すればレーザーそのものを弾く事が出来るといっても、あくまで理論上の話だ。それに大丈夫だとは言っても、どちらの場合も、そのしわ寄せは間違いなく純夏に押し寄せる。
「……またいつものアレいっとくか……つくづく俺もワンパターンだなぁ……」
 要塞級の壁に遮られて先に進めないでいるヴァルキリーズを横目に、武が呟いた。
『白銀?』
「──ヴァルキリー13より各機、一旦後退だ。俺が陽動に出て壁に穴を空ける。神宮司少佐はBC小隊を率いて、そこを突破しろ」
『──了解』
『神宮司少佐!?』
『無茶だタケル!』
 命令をあっさりと受け入れたまりもに慧が、無茶な提案をした武に冥夜が、それぞれ信じられないといったような口ぶりで驚きの声を上げる。声には出していないものの、他の隊員たちも同様に驚きの表情を見せていた。
「トライアルの時だって平気だったんだし、今度も大丈夫だよ」
『──でも、あの時とは相手の数が全然……!』
 茜が言った。確かにトライアルの時と比べると、敵の数は桁違いだ。だが今回は丸腰ではないし、敵の密度から言えばハイヴ内よりも薄く、まるっきり無茶と言うわけではない。
 ただ、ハイヴ内──つまりヴォールク・データで驚異的なデータを記録したと言っても、所詮はシミュレーター上での話だ。
 それにいくらハイヴ内戦闘が得意だったとしても、だからと言って地上戦にも長けているとは限らない。それは先程、ヴァルキリーズが要塞級の壁を突破出来なかった事実からも分かる。
 武がトライアルの時に似たようなケースを経験した事は全員が知っているが、茜が言ったように、あの時とは敵の数が違いすぎる。そして今回はただ逃げ回って時間稼ぎをすればいいというわけではなく、少なくとも何体かの要塞級を撃破して、道をこじ開けなければならない。難易度で言えば、トライアルの状況を遥かに凌駕しているのは、誰の目から見ても明らかだった。
『この状況で孤立したら……!』
 動揺は一向に収まらない。しかし──
『貴様ら、白銀がやると言ったんだ。信じろ!』
『──!!』
 まりもが一喝しただけで、動揺はピタリと収まってしまった。
『任せたわよ白銀。──全機散開して反転、要塞級が陽動に掛かったら、即時迂回突破だ!』
『──了解ッ!』
 まりもたちが退がると同時に、武はBETAの集団に向かっていった。
「やっぱまりもちゃんには敵わないよなあ……さて兵装は、と」
 武は右腕に87式突撃砲を、左腕に65式近接戦闘短刀を選択する。
 とりあえずの目標は要塞級だが、そこに至るまでには、たかってくる要撃級や戦車級を相手にしなければならない。弾は温存したいが、要塞級にしろ、その後の重光線級にしろ、基本的に通用するのは120mm弾だけだ。だから36mm弾は要撃級や戦車級相手に使ってしまっても構わない。
「よっし……吶喊!」
 武は気合一閃、敵陣の真っ只中に躍り出た。
 迫り来る戦車級や要撃級を軽く一蹴して、要塞級と対峙する。
 要塞級は大きな図体をしていると言っても、有効打を与えられる場所はそんなに多くない。36mm弾は効果がなく、適当に狙ったのでは120mmでさえ、そのほとんどを凌いでしまうほど高い防御力と耐久力を持ち合わせている。
 狙うなら三胴構造各部の接合部しかない。
 武は要塞級の尾節から繰り出される触手を躱し、長い十本の脚をスルスルと潜り抜けながら巨大な躯の下に潜り込み、弱点ともいえる接合部を長刀で斬り付け、また砲弾を撃ち込んでいく。
『──白銀機、23体の要塞級に囲まれていますッ! その他要撃級48ッ! 戦車級は……計測不能ッ!!』
『──!』
『──お……お願いです神宮司少佐ッ! せめて支援砲撃を……!』
 茜が懇願するように、まりもに呼びかける。トライアルの時、BETAの中で孤立して再起不能になった仲間の影が、脳裏にちらついているのか。
『ダメだ。まあ見ていろ……ここからだ。いつでも突っ込めるように準備をしておけよ』
 そう言ってまりもは、乾いた唇をぺろりとひと舐めした。その表情は心なしか、これから起きる事に期待し、興奮しているようにも見える。
 武は常に動き続ける事で、敵の攻撃を許さない。それ故に一息で屠る事は出来ないが、その代わり、BETAの側を通過するたびに攻撃を確実に成功させ、複数の要塞級にまんべんなくダメージを与えていく。
 それを繰り返すという事は、とあるタイミングから連続して止めを刺し続けるという事だ。
『──て、敵の損耗率が……加速度的に……ッ!?』
『……す……凄い……っ!!』
 武が見せた機動は、これまでヴァルキリーズがシミュレーターや実機演習で見てきたものとは、一線を画すものだった。まさに生きた機動とでも呼べばいいのだろうか、動きのキレも、訓練と比べて雲泥の差だ。実戦でなければ絶対に出せないような緊迫感や気迫がビシビシと伝わってくる。
 要塞級を続けざまに屠った事で脅威度の格付けに修正が生じたのか、残りの要塞級を含むBETAたちが、一斉に武の方に迫り始めた。
 そして──壁は開いた。
『見惚れているなよ貴様ら! 匍匐飛行で全力噴射、行くぞッ!!』
『──了解ッ!!』
 まりもを先頭に、BC小隊が要塞級の壁に開いた穴目掛けて飛び込んでいく。
『──白銀少佐ッ、早く離脱をッ!』
 殿を務めていた水月が叫ぶ。スクリーンに映し出されたマーカーを確認すると、ちょうど最後尾の速瀬機が要塞級の壁を越えたところだった。
 しかし、まだ陽動を止めるわけにはいかない。
「陽動を止めるとこっちのBETAが全部そっちに向かうし、それにまだ後続が来るからな。引き付けとくから、俺に構わず重光線級を!」
『──了解!』
 BC小隊とまりもは、重光線級に向かっていく。その間の武の仕事は、壁になっていたBETAを引き寄せ、あわよくば斃してしまう事。
 とりあえず要塞級さえ何とかしてしまえば、後はどうにでもなるだろう。
 武は先程までと同じく縦横無尽に動き回る。とは言っても、今度は向かってくるBETAを相手にするので、先程のように広範囲に渡って駆けずり回る必要はない。
「さっきが撃破8に今のでプラス6……残りあとたったの9……楽勝ッ!」
 連携を考えなくていい戦場は、ある意味武の独壇場だ。片手間に戦車級や要撃級を蹴散らしながら、なおも要塞級を撃破し続ける。
「残り2……そろそろ向こうにも手ぇ出しとくか……!」
 武は機動をより三次元的なものに切り換えた。レーザー種の存在は気になるが、恐らく撃ってくる事はない。奴らの目的は、あくまで凄乃皇弐型なのだ。もっとも、撃ってきたらきたで余計なエネルギーを消耗させてガス欠に近づけられるので、それはそれで一向に構わない。
 要塞級を踏み台にして噴射跳躍で空中に躍り出た。120mm滑空砲でまりもたちの手が回っていない重光線級を狙い撃つ。そして命中、撃破。そこに襲い掛かってくる触手。しかし武は短縮噴射を使って最低限の動きでそれを躱すと、宙を蠢く触手の上に降り立った。
 続けざまに手にした長刀を触手に向かって突き出した。暴れる触手の上で巧みにバランスを取りながら、白銀機はそのまま要塞級の本体の方に向かって駆け抜け、触手を縦に斬り裂いていく。
 それによって一瞬、要塞級の動きが鈍ったところを、間髪入れずに降下噴射で地上に降り立ち、躯の下に潜り込んで三胴構造の接合部を長刀で深々と斬り付けた。
 関節を切り刻まれ、自重を支えきれなくなって崩れ落ちる要塞級。
「よっし、ラスト1!」
 最後の一体に取り付き、やはりこれまでと同様に、10本の脚を掻い潜って躯の下に入り込むと、弱点である接合部を破壊する。
 そして武が要塞級を殲滅したと同時に、敵の前衛を片付けてきたA小隊が、重光線級を狩るために駆けつけてきた。
『──済みません、遅れました!』
「全員無事で何より! さあ、重光線級狩りの時間だ……一匹残らず喰らい尽くすぞ!」
『──了解ッ!』
 A小隊と武は、重光線級を殲滅すべく、BETA群の中に躍り込んでいった──



[1972] Re[30]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 作戦旗艦、帝国海軍重巡洋艦最上ブリッジ──
「──ウィスキー、エコー各隊、防衛線の押し上げ、全て完了しました」
 オペレーターの声が、荷電粒子砲発射前最終段階に入った事を知らせる。
「予定よりかなり早いし、それに被害も少ない……帝国軍、よく頑張ってくれている……」
 荷電粒子砲の発射回数に制限を設けている以上、効率良くBETAを討つには、武が小沢提督に向けて言ったように、どうしても大規模な陽動部隊の存在が必要になってくる。
 この作戦の成否は、荷電粒子砲の威力がどれだけ発揮できるかに懸かっている。だから、もし荷電粒子砲が不発、或いは威力不足などという事になれば、その時点で作戦の失敗は必至だ。
 凄乃皇の攻撃が上手くいかなかった場合は、戦術機甲部隊によるハイヴ突入を試みるようになっているが、陽動で疲弊しきった戦力では、ハイヴ攻略などままならないだろう。
 全ては未知数である新型兵器のテスト結果に委ねられているような状況で、それ故に、士気が上がりにくいのではないかと夕呼は考えていた……しかし。
「香月副司令、佐渡島ハイヴの殲滅は日本の宿願……。国連軍との共同作戦とはいえ、この戦いは帝国の存亡を懸けた我々自身の戦いなのです。我が将兵が踏ん張っているのは当然の事です」
「そうでしたわね。失礼しました提督」
「それに実戦証明主義偏重など、すでに新型OSによって粉々に打ち砕かれているのですよ。今回試験運用される新型兵器は、新型OSと同じく香月副司令の計画によるもの。これは期待するなという方が無理というものです」
「……ありがとうございます」
「しかし……オルタネイティヴ4直属部隊の働きは、目を見張るものがありますな。たった14機で数万のBETAを向こうに回し、重光線級をこの短時間に37体も撃破するという現実……驚嘆するほかありますまい」
「…………」
「彼らは重光線級を37体倒すまでに、周囲を固める何倍ものBETAを撃破していることでしょう。それを一機も失うことなく成し遂げるとは……極秘任務部隊の実力は噂以上ですな」
「お褒めに預かり光栄ですが、彼らはXM3の開発部隊です。その練度は他の衛士達とは比べ物になりません。このくらいの結果を出すのは当然ですわ」
 夕呼は少しだけ誇らしげに、薄い笑みを浮かべた。
「これから先、新型OSが世界中に行き渡った暁には……落命する将兵を減じる事も叶いましょうな」
「……あのOSの発案者も、提督と同じ事を言っていましたわ」
「む……新型OSの発案は、副司令ご自身なのでは?」
「いえ……その者は今、あそこで戦っています」
 A-01部隊の情報が表示されている戦域図に視線を向ける夕呼。
「なんと……もしやその者、支援砲撃は必要ないと言ってのけ、その宣言通り、先程の陽動では20体以上の要塞級を見事単機で倒してみせた、あの衛士ですかな?」
「申し訳ありませんが提督、これ以上はお話できかねます」
「……失礼した。その衛士もオルタネイティヴ4の機密というわけですな」
「ご想像にお任せいたしますわ」
「──副司令。A-02、最終シーケンスに入りました」
 ピアティフが凄乃皇弐型の現状を知らせる。
「涼宮、伊隅たちをギリギリまで貼り付けておくわ。合図したら下げなさい」
「了解」

『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ!』
 遙から通信が飛び込んでくる。いよいよ凄乃皇弐型の到着だ。
「来たか……純夏」
『──A-02は現在、砲撃準備態勢で最終コースを進攻中! 60秒後、艦隊による陽動砲撃が開始される。砲撃開始地点に変更なし──90秒以内に被害想定地域より退去せよ! 繰り返す──』
『──全員聞いたなッ! 即時反転し、楔形弐陣で全速離脱だッ!!』
 みちるが離脱命令を出すのをよそに、武はスクリーンに映し出されているBETAを示すマーカーにフィルターをかけ、重光線級をピックアップする。
「チッ、喰い残しが2匹か……委員長、涼宮ッ!」
『──え? な、なに?』
「余った120mm弾、弾倉一本ずつ寄越せ」
『──え? ええ、まだ残ってるけど……』
「涼宮は?」
『わ、私も少しなら……』
「よし、こっち投げろ」
『で、でも……』
「いいから早く、時間がない!」
『──少佐、何を……!?』
 みちるが怪訝そうな顔で武に問いかける。離脱にかかる時間を差し引いたら、もう45秒ほどしか残されていない。その間に出来る事など、そうありはしない。万が一離脱が間に合わなければ、確実に作戦の足を引っ張ってしまうのだ。
「俺は喰い残しを始末してから行く。先に離脱しててくれ」
『しかし、それは……』
 いきなり何を言い出すのかというような目で武を見るみちる。しかし、無理もないことなのかもしれない。ヴァルキリーズではみちる一人だけが、未だ武の実戦機動を見る機会を持てていないのだ。
『──伊隅、いいんだ』
『──神宮司少佐?』
「悪いけど文句を聞いてる暇はないんだ。時間が勿体ない、早く行ってくれ。俺もすぐに追いつくから」
『──は』
 武は千鶴と茜から120mm弾の予備弾倉を受け取ると、すぐさま両脇にぶら下げてあった二丁の87式突撃砲に装着した。それぞれの薬室に滑空砲弾が装填される。
 その間にヴァルキリーズは被害想定地域から離脱していった。
「はぁ、何か焦ってんよなあ……もちっと落ち着けってのな、俺」
 久々の本格的な実戦で、やはり、少なからず興奮状態になっているようだ。
「──残弾12……ようし、行けるッ!」
 自分自身に発破をかけ、上空から一気に狙うために噴射跳躍で宙高く舞い上がる武。しかしその直後、視界がレーザー照射警報の赤に包まれた。
「なっ!?」
 すぐさま反転噴射で地上に降り立ち、他のBETAの陰に入ってレーザー照射を回避する。
 さすがに回避運動を取りながら狙撃する事は出来ない。
「ちぇ……やっぱマークされちゃってるか……」
 先程まではいくら噴射跳躍しても狙われていなかったのに、今度は明らかに狙われた。撃墜優先度の格付けが変わっている。
 恐らく、要塞級を片っ端から倒していった事で、武に付けられた脅威度が跳ね上がってしまい、それが戦術に反映されてしまったのだろう。
 だからと言ってこのまま引き下がるわけにもいかない。
「しまったな……撃たせれば良かったか」
 重光線級の照射インターバルは約36秒。当然の事ながらリスクはあるが、撃たせて避けていればその後の待ち時間を狙って楽に撃破する事も可能だっただろう。しかし、もう後の祭りだ。
「あと15秒……2体なら乱数回避で何とかなるか……?」
 コンソールを操作して緊急回避プログラムをオンにした。レーザーを検知した後どう動くかは予測出来ないが、少なくとも回避運動に脳のリソースを奪われる事はなくなる。覚悟を決めて、武は再び宙に舞い上がった。
 耳障りな警告音がコックピット内に響き、それと同時に空中で乱数回避が行われる。
 ここからだ──
「グッ……!」
 急激なGを受けつつ視界がグルグルと回る中、レーザー照射を掻い潜りながら、重光線級が目に付くたび手当たり次第に120mm滑空砲弾を乱射する。
 そして地上に到達した時には、12発の120mm弾を全て撃ち尽くしていた。
 ただし、精度は全く期待出来ない。
「どうだ……!?」
 マーカーを確認すると、幸運な事に、重光線級を示す光点は消えてなくなっていた。
「よし! 重光線級、殲滅完了……!」
 これで純夏に余計な負荷をかけずに済む。
 もうここには用はない。これ以上残っていては、被害想定地域から離脱する事が出来なくなる。
 武は反転して、みちるたちの後を追って被害想定地域を離脱した。

『──A-02予定のコースを進攻中』
『──BETA群、依然進攻中』
 露払いは完全に機能した。凄乃皇弐型に対してレーザー照射出来る位置に、レーザー種は確認出来ない。
『さすがね、白銀。……さ、始めましょ』
 夕呼がポツリと呟いた。
 一呼吸置いて凄乃皇弐型の胸の発射口が開き、光が収束し始める。やがてそれが臨界まで高まった時、溢れんばかりの輝きと共に、荷電粒子砲が解き放たれた。
 膨大なエネルギーが眩い光を振り撒きながら、BETA群を丸ごとその奔流に巻き込み、ハイヴに向かって一直線に突き進んでいく。
 そして──ズドオォン、という強烈な爆裂音と振動と共に、ただの一撃で、地表に展開していたBETAもろとも、地表構造物を飲み込んだ。
 濛々と舞い上がった黒煙が潮風によって吹き払われた時、ハイヴの地表構造物は基部を残し、完全に消失していた。
「…………凄ぇな……」
 武は周囲を警戒しつつも、その様子をじっと眺めていた。
 夕呼の言っていた、威力だけならG弾の方が上というのは、控えめな表現だったのではないかと思わせるほどの破壊力だ。
 もっとも、前のループでの佐渡島制圧戦では、G弾が投下された時、武は軌道降下部隊として衛星軌道上を周回していて、その威力を目の当たりにする事は無かったので、直接の比較は出来ない。
 それに使い勝手の面を考えると、荷電粒子砲は射程の問題である程度目標まで接近しなくてはならないし、敵を射線上に誘き出さないと、途端に効果が薄れてしまうという側面があるから、総合的にはG弾の方が上だと言えるだろう。
 夕呼は本州奪還作戦──明星作戦でG弾の威力を直接その目で確認しているので、それ故の的確な評価だったわけだ。
 ともあれ、BETAによる征服の象徴であった地表構造物の破壊をたった一発の砲撃で成し遂げた事は、この世界で生きる人間がどうしても心のどこかに巣くわせてしまう絶望や諦めといった負の思考まで、木っ端微塵に粉砕してしまった。
 スクリーンに視線を移すと、ヴァルキリーズの面々が、どこか高揚した、またある者は涙ぐんだ顔で、その様子を眺めていた。
 だが、それも無理はないだろう。
 常にBETAの脅威に晒され続け、滅亡と隣り合わせに生きてきた人類にとって、この光景は人類生存の具体的な可能性を確信させるものに違いない。この一撃は、まさに反撃の狼煙となるのだろう。
「とは言っても、まだまだ前座もいいとこなんだよなあ……」
 これからあと六回、陽動と発射を繰り返すのだ。まだ先は長い。それに、純夏にとっては作戦の本命はあくまでリーディングであるし、武たちにとってはハイヴ突入が本命である。いくら威力があろうと、これはただの下準備に過ぎない。
 たかだか地表構造物を吹き飛ばした程度で、浮かれて気を緩めるわけにもいかないのである。
 武はデータリンクで戦域情報を確認する。それによると予定通り、爆撃を終えて軌道上で周回待機していた国連宇宙総軍の第6軌道降下兵団が、降下シーケンスに移行しようとしていた。
「──ヴァルキリー13より各機。感動してるところに水を注すようで悪いが、散開して所定のポジションに着け。全周警戒だ、気ぃ抜くなよ。それから、すぐに第6軌道降下兵団が降ってくる。全機、突入殻の落下に備えとくよーに」
『──了解!』
 やがて軌道降下部隊の突入殻が、まるで天を引き裂きながら落下してきた。地上のBETAは先程の荷電粒子砲で一掃されているので、迎撃はない。だが第6軌道降下兵団が展開する頃には、点在する各門からポツポツとBETAが現れ始めていた。
『──HQより全部隊、これよりフェイズ4ターン2に移行。ウィスキー、エコー各部隊は、陽動を再開せよ。繰り返す──』

 ──それから6時間が経過した。
 作戦は予定通りに進行し、凄乃皇弐型は荷電粒子砲の最後の一射を残すのみとなっていた。勿論、純夏によるリーディングは成功している。
 警戒する傍ら、武は凄乃皇から送られてくる純夏のバイタルデータを確認していた。
「あんま状況は良くないな……」
 データを見る限り、ODLの劣化状況がかなり酷い。作戦前の想定よりも負荷が軽減されているはずであるにもかかわらず、だ。
 これまでの動向から、BETAは恐らくML機関、或いはラザフォード場に引き寄せられているであろう事が分かっていた。
 故に当初の作戦とは変更し、ウィスキー、エコー、第6軌道降下兵団の各部隊が陽動を仕掛けている間は発射態勢を取らず、ML機関も一時停止させ、敵の目を陽動部隊の方に向けさせていた。
 最終的にはML機関に火を入れて臨界運転する事になるが、これがちょうどBETAを荷電粒子砲の射線上に引き寄せる事になる。陽動の待機中に純夏の負担を軽減すると言う意味と併せて、まさに一挙両得の作戦だった。
 数値を見る限り、これがなければ作戦通りに荷電粒子砲を撃ち続ける事は出来なかっただろう。
 もっとも、今の状態でもあと一回撃てば、横浜基地まで無事に帰還出来るギリギリのラインに到達する。だが既に陽動部隊は最後の仕事に取り掛かっているし、A-01部隊がハイヴ突入を強行するにしてもタイミングを逸してしまっているので、あと一回、純夏には頑張ってもらわなくてはならない。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。ハイヴ周辺のBETAの飽和状態を確認、陽動部隊は既に後退を開始した。これよりA-02は荷電粒子砲発射シーケンスに移行、砲撃まで120秒。直援座標を砲撃位置へ変更せよ』
 遙の通信で、最後の荷電粒子砲発射が知らされる。
「いよいよだな……」
 機体のコンディションを確認する。装甲の状況、突撃砲に予備弾倉、長刀に短刀、燃料に推進剤、そしてS-11──全て問題なし。
『──ヴァルキリー1よりヴァルキリーズ各機。砲撃から10秒後、最大戦速匍匐飛行で突撃を開始。突入目標は座標SE-06-24に存在する門、SE07だ。準備はいいな?』
『──了解!』
『──A-02砲撃10秒前、各機対衝撃閃光防御!』
 凄乃皇弐型の最後の砲撃が行われ、光の槍がBETA群に突き刺さると同時に、カウントダウンが開始された。
 閃光の通り過ぎた道は全てが綺麗さっぱり薙ぎ払われている。故にBETAが一掃された直後なら、目標まで一直線に飛んでも、阻むものは何もない。
 荷電粒子砲を撃ち終えた凄乃皇弐型は反転し、敵の標的となる前に戦域から離脱した。
 ヴァルキリーズは、それぞれの戦術機の主機の出力を一気に最大まで上げ、カウントゼロを待つ。
『2……1──全機突撃開始、行くぞッ!!』
『──了解ッ!!』

 佐渡島ハイヴ第14層F25広間──
 ハイヴ突入からおよそ30分。フェイズ4ハイヴは大体27~8層からなっているので、ちょうど半分程度まで進んできた事になる。
 今のところ、コンビネーションはほぼ完璧に作用している。何度か危うい状況に陥りそうになったものの、その都度武とまりもがフォローを入れ、事なきを得ていた。
 武は戦域情報に目を通した。といってもデータリンクからはとっくの昔に切断されてしまっているので、役に立ちそうなデータといえば、ここまでのマッピングデータと深度計の数字くらいしかない。
 マッピングデータは反応炉を破壊した後の復路で役に立ってもらうとして、深度計だ。そこには536mと表示されている。
 これまでのフェイズ4ハイヴの最深到達記録は511m。既に記録を更新してしまっているのだが、誰もそんな事を気にする様子はない。が、当然といえば当然だ。これからハイヴ最深部に到達して反応炉を破壊して、更にそこから生還しようというのだ。最深到達記録などという概念自体、意味のないものになってしまう事は間違いない。
 ここまでの行程で、BETAの出現には間違いなく波があることが証明されていた。一つ前の広間を越える際、かなりのBETAを躱して横杭に突入し、匍匐飛行で少し距離を稼いだ。そのおかげで現在の敵主力と思われるBETA群は背後に置き去りになっているものと思われる。
 その証拠に、この広間にいるBETAの数は、これまでに比べてほとんどいないといってもいいくらい少なかった。
『それにしても……ここまで数が多いとは思わなかったわね』
「どうかしましたか? まりもちゃん」
『甲21号作戦で出現したBETAの総数、フェイズ4ハイヴの統計値を余裕で越えちゃってるんじゃない?』
 軌道爆撃に艦砲射撃、そして荷電粒子砲が七射。統計で言えば、フェイズ4ハイヴを二度全滅させていてもおかしくないほどの敵を倒してきている。にもかかわらず、ハイヴ内に突入してからも、ヴァルキリーズはかなりの数のBETAに行く手を阻まれている。
「ま、統計値って言っても、所詮予測でしかありませんからね。実際、横浜ハイヴなんかはフェイズ2なのにフェイズ4並の深さがあったわけだし、当てになりませんよ。今あるデータは、統計と言うより希望的観測って言った方が正しいでしょうね」
『まったくだわ』
 呆れた様子で呟くまりも。
「そうですね……実際、ハイヴの分類をするなら、打ち上げ機能があるかないかの二種類にしか分けられないんじゃないかと思います」
 つまり、今の分類で言えばフェイズ5以上かフェイズ4以下か。G元素を精製するアトリエがあるかないかだ。
 ハイヴの成長を表す条件として今のところ分かっているのは、最大深度、地下茎構造の水平到達半径、地表構造物の高度、そしてBETAの総数。だが、何もそれらが全て頭を揃えて横一線に育っていっているわけではない。
 そう考えれば、横浜ハイヴは最大深度優先で作業が進んでいったのだと言えるし、佐渡島ハイヴはBETA総数を優先したのだと言える。
 結局、観測できる範囲でハイヴの成長度合いに明確な区別が付けられるとすれば、アトリエがあるかどうかという事だけだろう。
「まあ何にせよ、俺たちのやる事に変化があるわけじゃなし、どうでもいいっちゃあどうでもいいです……っと、B小隊、要撃級が接近中だ、気をつけろよ」
『──ヴァルキリー2了解』
『それにしても、レーザー種が撃ってこないっていうのは何とも楽なもんですねぇ』
 左翼の先陣をきっている築地が、迫り来る要撃級をひょいっと躱しながら、右翼の先陣を突き進む水月に話しかけた。訓練によって最大の脅威である数を何とかする方法を身に付けたヴァルキリーズにとってみれば、次の脅威はレーザー種だ。しかし、ハイヴ内戦闘では同士討ちを避けるためか、レーザーの照射はしてこない。そのため、今の状況が若干ヌルく感じてしまうのだろう。
『ええ、全くだわ……っと、宗像! 要撃級3体、そっち行くわよ!』
『──了解ッ!』
 美冴率いるC小隊はフォーメーションを維持したまま、要撃級をやり過ごした。
 いくら要撃級が定常円旋回能力が高いといっても、旋回しているうちにヴァルキリーズは先に進んでしまい、置いてけぼりだ。
『──ヴァルキリー1より全機、次はN32の縦杭からQ27広間に抜ける。進路変更の際の挟撃に気をつけろ!』
『──了解ッ!』
 ヴァルキリーズは更に進軍速度を上げ、ハイヴ最深部を目指して突き進んで行く──

 作戦旗艦、帝国海軍重巡洋艦最上ブリッジ──
「副司令……大尉たち、大丈夫でしょうか……」
 不安げな表情で遙が夕呼に訊ねた。
 遙と夕呼は、凄乃皇弐型が戦線から既に離脱しているため、管制任務から外れている。ピアティフは佐渡島ハイヴに生じる変化を見逃さないためにモニター中だ。とは言っても制限時間は設けられている。A-01部隊のハイヴ突入から120分──それを過ぎれば作戦は失敗とみなされ、全軍、撤退を開始する手筈となっていた。
 今は帝国軍と極東国連軍、国連宇宙総軍が共同で戦線を維持しつつ陽動を続け、ある種の膠着状態に突入している。陽動は極めて順調に推移しているが、作戦開始から数えてかなり長丁場の戦闘になっているので、各部隊にはそろそろ限界が近付きつつあった。
 ヴァルキリーズがハイヴに突入してから既に60分以上、しかし観測されている佐渡島ハイヴの様子には、未だ変化は無い。
 そして地下茎構造内の状況も、全く分からない。A-01部隊は後続など全くお構いなしに、スピード命でハイヴ最深部目指して進攻中なので、兵站、そしてデータリンクの確保が成されていないのだ。
 当初からそういった、中隊が孤立する事を前提とした作戦ではあるのだが、いざ実際にやってみると、残される方は気が気でない。
 一応、今のところS-11の爆発は一つも確認されていないので、恐らく無事なのではないかという予測は出来る。が、それも所詮、希望的観測でしかない。自決装置を起動する間もなくやられてしまう可能性だってあるからだ。
 今までの統計から見れば、むしろそういったケースの方が多い。だからS-11の爆破反応がないからといって、決して無事でいるとはいえないのだ。
「──心配しなくても大丈夫よ。あの子たちは……白銀は、必ずうまくやってくれるわ」
「ただ待つだけの事が、こんなに辛かったなんて……」
「その気持ちは分からないでもないけどね」
「私……こんな時に何も出来ない自分が不甲斐ないです……!」
 遙は元々、衛士になるべく訓練していたのだが、事故でそれを断念している。もしアクシデントがなく衛士になっていたとしても、今まで無事に生き延びてはいないだろうは思っているのだが、それでも衛士ではないために、待つ事しか出来ないでいる自分が、口惜しくてならなかった。
 もし衛士であったなら、部隊が一番大変な今この時、仲間のために何かしてあげられるのに……と。
「信じてあげなさい、必ず全員生きて戻ってくるって。みんなを笑顔で出迎えてあげるのが、今のあなたの役目でしょ?」
「…………」
 夕呼の言葉を聞いた遙は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で夕呼を見詰め返す。
「……どうかした?」
「副司令……なんだか、学校の先生みたいです」
「な!? ちょ、ちょっとやめてよ……もう」
 少し恥ずかしそうに視線を逸らした夕呼は、なぜあんな事を言ってしまったのだろう、とでも言いたげな、憮然とした表情を見せた。
 その時。
「こ……甲21号目標の反応が消失! 反応炉の破壊が、確認されました──!!」
 驚きと興奮の入り混じったピアティフの声が、ブリッジ内に響き渡った。
「えっ──!?」
 夕呼が慌てて資源観測衛星からの映像や、各種センサーのモニターを確認すると、確かにハイヴのエネルギー反応が消失し、反応炉が破壊された事を示している。
 それから一呼吸遅れて、ブリッジの中が歓喜の声に包まれた。中には感激のあまり、抱き合って涙を流している者たちもいる。
「白銀、やってくれた……!」
「──現時刻を以て本作戦の最終段階への移行を宣言する!」
 感極まって興奮冷めやらぬ中、小沢提督の宣言で、甲21号作戦は最終フェイズ、残存BETAの掃討に駒を進めた。
「──HQより全軍に告ぐ! 反応炉の破壊が確認された! 作戦は最終段階へ移行! 繰り返す──作戦は最終段階へ移行! 全軍、追撃戦に入れッ!!」
『──ザウバー1了解ッ!!』
『──クレスト2了解』
『──クラッカー1了解ッ!!』
『──スティングレイ1了解!!』
 衛士たちは既に疲弊しきっているはずなのに、返ってくる声はどれもこれも、非常に力強いものだった。しかし、それは当然だろう。
 XM3による戦術機の性能向上で、従来のハイヴ攻略戦と比べて格段に低い損耗率を叩き出し、BETAによる支配の象徴、地表構造物を凄乃皇弐型の荷電粒子砲の一撃で消し飛ばし、そしてA-01部隊は前人未到のフェイズ4ハイヴ反応炉破壊を見事に果たした。
 そのどれもが対BETA戦争史上初の快挙だ。この瞬間に立ち会った者たちは、人類勝利のためのより具体的なヴィジョンが見えてきたに違いない。
 反応炉が失われた事によりBETAの動きは一変し、一時動揺しているような動きを見せた後、転進を始める。その隙を突いて、展開している各部隊は一気に攻勢に転じた。
 BETAの最優先行動が撤退に設定されたのか、ろくな反撃も見せずに、とにかく逃げる事に主眼を置いている。
 大半は朝鮮半島──甲20号目標に向かおうとする勢力、これはウィスキー部隊が構築した防衛線で、残りの横浜基地──横浜ハイヴ跡に向かおうとする勢力には第6軌道降下兵団による防衛線でそれぞれ足止めをかけ、それを挟撃する形でエコー部隊が背後から襲い掛かる。防衛線をすり抜けて海中に入ったBETAには、スティングレイ隊を始めとする海兵隊の追撃が待ち構えている。
 後退でも撤退でもなく、ただ純粋に逃亡するBETAを追撃するなどというシチュエーションは、世界でも前例がない。一方的に攻めるという状況に衛士たちは更に高揚し、BETA戦史上、類を見ない撃墜率をマークしつつあった。
 そして、反応炉破壊が確認されてから15分ほどが経過した頃。
『──ヴァルキリー1よりヴァルキリー・マム、聞こえるか!?』
 戦域情報にA-01部隊のマーカーが再び点灯し、最上ブリッジにみちるからの通信が飛び込んできた。
「──!!」
『──今ハイヴを脱出した。もう分かっているとは思うが、反応炉の破壊に成功。これより予定通りコンテナで補給した後、陸路で横浜基地に帰投する。本土での補給の手配、よろしく!』
 みちるの声も、酷く疲れてはいるものの、いつになく弾んでいる。
「──ヴァルキリー・マム了解! 大尉、部隊の損耗率は──」
『──ああ、そうだったな。聞いて驚け、損耗率はゼロだ! 全員、無事に帰還したぞ!!』
「──!!」
『じゃあな、横浜基地で会おう──!』
「はい!」
「……ほらね涼宮。言った通りだったでしょう?」
 夕呼は遙の肩にポン、と手を置いて微笑みかけた。
「はい……はい……!」
「にしても……あたしには報告もなし、か。伊隅も相当舞い上がっちゃってるわね」
 かくいう夕呼も、先程からずっと柔らかな笑みが顔に浮かんでいる。
「さ、あたしたちは撤収よ」
「了解!」
 遙はピアティフの所に、夕呼は小沢提督の所にそれを伝えに行く。

「──感謝致します、香月副司令」
 感極まって少し興奮気味に、小沢提督は夕呼に礼を言った。
「礼には及びませんわ、当然の結果ですから。それに今回の戦いは、あくまで前哨戦に過ぎません。本当の戦いはまだこれからです。この程度で浮かれている場合ではございませんわ」
「むう……確かにそうでありますな。私も、年甲斐もなく舞い上がっておったようです」
「……いえ、喜ぶのは結構な事です。ですが、くれぐれも詰めを誤る事のないよう、お願い致します」
「肝に銘じておきましょう」
「──では提督。後はお任せ致します」
「うむ、任されよ」
「涼宮、行くわよ!」
「──はい!」
 そして夕呼を先頭に、三人は誇りに満ちた顔で最上のブリッジを颯爽と後にした。


 2001年12月26日(水)

 A-01部隊は反応炉を破壊した後、BETAの残党狩りは帝国軍と国連軍部隊に任せて、一足先に陸路にて横浜基地に帰還していた。
 夕呼も同様だ。凄乃皇と純夏が帰還しているので、当然ではある。
 反応炉を破壊され、撤退の動きを見せたBETAは、甲20号目標に九割、横浜基地に一割といった感じに分かれて逃亡を開始したが、作戦に参加した帝国軍、極東国連軍、国連宇宙総軍の総力を挙げて行われた追撃戦によってほぼ殲滅。僅かながら取り逃がしたBETAはいたものの、始終攻勢のうちに終わり、甲21号作戦は人類側の歴史的大勝利によって幕を閉じた。
 基地に戻ったヴァルキリーズには、今日明日と休暇が与えられていた。二週間後には甲20号作戦が控えているので、ノンビリしている暇はないとはいえ、さすがに昨日のハイヴ突入の疲れが残っている。その初めての体験に、肉体的精神的共に、疲労は限界まで達しているだろう。
 もっとも、武はまだ休むわけにはいかない。もっとも、疲れているとは言っても、倒れるほどではないので、まだまだ大丈夫だ。
 それで、やらなければいけないのは純夏の事だ。先に横浜基地に帰還して、それからずっとODLの浄化処理を行っている。武も色々と知っておく必要があると思われたので、夕呼のところへ足を運んでいた。
「ご苦労様、白銀」
「先生こそお疲れ様でした。それで、早速なんですけど」
「……鑑のことね?」
「はい」
 無論、ODL劣化の件だ。
 自力航行で基地に帰還した事からも分かるように、自閉モード──生命維持のために気絶しているような状態──にはならなかったものの、それにかなり近い段階まで劣化が進んでしまっていた。出撃前に浄化していたにもかかわらずだ。
 確かに凄乃皇の操縦、リーディングによる情報収集とその翻訳、そして荷電粒子砲を都合七射と、やるべき事は決して少なくなかった。とはいえ、それは最初からわかっていた事で、そのためにマージンを大きく見て想定していたのだが、実際にはその数値よりもかなり酷い有様になっていた。
 凄乃皇本体に搭載された簡易型の浄化装置のおかげで、辛うじて自閉モードにならずに済んだ、と言うのが実際のところだ。
「なにか心当たりはないんですか?」
「どうとも言えないわね、今のところは。凄乃皇の実戦機動も、荷電粒子砲も、ハイヴへのリーディングも、全部初めての事なんだから」
「やっぱ、リーディングですか?」
「どうかしら。理論値だと、機体制御や戦闘システム制御とリーディングの両立くらいのマルチタスクじゃ、どうこうなるはずはないんだけどね……」
 今回の作戦、リーディングは大成功と言っていい成果が上げられた。BETAがハイヴ間で情報をやり取りしている事が証明され、そして地球上に存在する全ハイヴの地下茎構造のマッピングデータや戦力の配置情報が手に入ったのだ。勿論、オリジナルハイヴのデータもだ。
 今は情報部がそのデータを解析中で、一週間もあれば、もっと詳細な情報が手に入ると言う。
 純夏はそれだけのリーディングをやってのけた。
 しかしそれは、解析に一週間も掛かるほどの膨大な量のデータを、量子電導脳が処理したと言う事でもある。
「まあ、可能性として一番高いのは、リーディングでしょうけど……」
 理論値と実際の結果の大きな開きに首をひねる夕呼。
「外部からの妨害工作である可能性は? 例えば出撃前の浄化が不完全だったとか、凄乃皇の簡易浄化装置に細工されてたとか」
「一応その線も洗ったけど、何も出てこなかったわ」
「じゃあやっぱり、原因は純夏の周辺って事ですか?」
「そうね。あの子の人格や精神がまだ完全じゃないことが、大きな原因の一つではあるはずだけど……」
 いくら考えても、今は材料が少なすぎるので、何か答えが出てくるわけではない。とりあえず今は純夏が目覚めるのを待つしかないだろう。
 話は次の議題に移る。
「──鑑のバイタルね、作戦前よりもかなり安定してきてるから、近いうちにヴァルキリーズとの顔合わせをする事にしたわ」
「安定……? ODLがあんなに劣化してたのに?」
「ええ。どうしてかって訊かれても、なんとも言えないんだけどね。でも逆に考えれば、ODLが劣化したって事は何らかの処理を行ったわけだから、その時処理した情報で記憶の関連付けか欠落情報の補完がなされて、感情や人格を取り戻す方向へ向かったのかもしれないわ」
「なるほど……」
「それで、あんたを始めとしてまりもやヴァルキリーズ、あんたの周囲にいる人物を、片っ端からリーディング制限に加えるわ。ここまで安定していれば、その方が良いでしょうからね」
「……でしょうね」
 他人の心が見えてしまうのは決して幸福な事ではない。霞を見ていればよく分かる。霞はもう既に手遅れになっているが、純夏のリーディングをブロックする事には十分に意義がある。
「まあ、鑑が00ユニットだって事を知られないようにするための措置でもあるわね」
「ヴァルキリーズの中で、純夏がそうだって知ってる人はいるんですか?」
「いないわ。まりもも伊隅も知らない。凄乃皇のメインコンピューターとしての00ユニットの事なら、二人は部隊長権限で知ってるけど、それだけよ」
 それから、甲20号作戦やヴァルキリーズや純夏の訓練スケジュール、凄乃皇弐型の改修計画等、これからの動向について詰めていった。とは言っても、基本的にこれまでの予定と大きく変わるわけでもないので、たいした問題もなく、すぐに纏まってしまう。
「──そういえば、リーディングデータは公表するんですか?」
「まだよ。今のところは甲21号作戦の成功が強力なカードになってるからね。そっちは切り札として温存しておくわ」
 元々は甲21号作戦の結果次第で公表する予定だったのだが、今回の作戦があまりに完璧に進んだために、そこまでしなくても周囲を動かせるほどの影響力を手に入れる事が出来た、というわけである。
「現段階で分かってる事といえば、ハイヴ攻略時にしか役に立たなさそうな事ばかりだからね。でもこれから先、オリジナルハイヴを叩くまでにハイヴに潜る予定があるのは、あんたたちだけでしょ? だから無理に公開する必要もないのよ」
 それに実際問題、ハイヴ内のマップや戦力配置が分かったところで、絶望的な物量差が具体的な数値を持つだけの事だ。そんなもので現状をどうにか出来るわけではない。今のところ、G弾を使わない従来型の作戦でハイヴを攻略できる可能性があるのは、世界中でA-01部隊のみ。
 だから今データを公開しても、インパクトを与える以外に大した効果は無いのである。それどころか、G弾とそのデータを結びつける事で、ハイヴ攻略の具体的なヴィジョンを引き寄せてしまう可能性がある。
 データを公開すれば一時的に浮き足立つだろうが、その間に勝負を決められなければ、G弾推進派が息を吹き返す可能性だってゼロではないのだ。
 諸刃の剣ともいえるようなこのデータ、公開する必要がなければ、しないに越した事はない。
「まあ、そんなわけだからね」
「はぁ……」
 ちょうどその時、夕呼のデスクの上のインターホンが喚き始めた。夕呼は受話器を手に取って黙らせると、電話口の相手に何度か短い返事をした後、それを元に戻した。
「──鑑のODL浄化、いま終わったって。どうする?」
「それなら、一度会ってきます」
「わかったわ。あたしはここでモニターしてるから、あんた一人で行って来なさい」
「先生は行かないんですか?」
「あたしがあんたと二人でいると、いい顔しないのよね……あの子」
「え? そんな事はないと思いますけど……」
「あんた、気が付いてなかったの?」
「それって、何か悪影響があったり──」
「しないってば、なんでそうなるのよ、もう。至って正常よ、鑑は。回復しているからこそ、そんな反応を見せてるんだから」
「はあ……」
「……ま、あんたじゃ気付くはずないわよね。とにかく、早く顔を見せに行ってあげなさい」
 武は夕呼の言葉に従って、どこか納得のいかなそうな顔で、執務室を後にした。

 純夏の部屋に着くと、そこにはベッドに寝かされている純夏と、その脇に椅子を引っ張ってきて座っている霞がいた。
「よう霞、ただいま」
「あ、白銀さん……お帰りなさい。お疲れ様でした」
「ありがとう……純夏の様子はどうだ?」
「……もうすぐ、目覚めます」
「……んっ……」
 霞の言葉通り、純夏の瞼が部屋を包む鈍い光にピクリと反応して、それからゆっくりと目を開いた。
「…………タケルちゃん……?」
「ああ。霞もいるぞ」
「純夏さんも、お帰りなさい」
「……霞ちゃん……」
「帰ってきてくれて……ありがとうございます」
「……うん…………タケルちゃん、どうしたの……? 笑ってる……」
 その言葉に、霞も武の方に顔を向けた。純夏が指摘した通り、武は優しげな笑みを浮かべていた。
「え? ああ、なんかこういうの、いいなって思ってさ」
「……?」
「やっぱさ、待っててくれる人がいて、お帰りって言ってもらえるの、凄くいいよ」
「そうだね……」
 純夏も薄っすらと微笑む。
「それはそうと、気分はどうだ?」
「……ちょっとだるい」
「そうか。それじゃ、今日はゆっくり休め」
「うん。……私、ちゃんと頑張れたよね……?」
「ああ。俺たちが勝てたのは純夏のおかげだな。よく頑張った」
「よかった……ねぇ、タケルちゃん……」
「ん?」
「私が寝ちゃうまででいいから、一緒にいて……?」
「ああ、いいよ」
 武は純夏の柔らかくて小さな手を、そっと握ってやる。
「ありがとう……おやすみ……なさい……」
 純夏はゆっくりと瞼を下ろし、穏やかな顔で眠りに就くのであった。



[1972] Re[31]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2001年12月27日(木)

「そうだったっけ……純夏のリーディングがブロックされてるんだから、戎の報告書、確認しとくか……」
 休暇であるにもかかわらず日課の自主訓練をしっかりとこなして自室に戻った武は、机の引き出しから報告書の入った封筒を取り出した。とりあえずデータディスクはそのままに、報告書の束を手にとる。
 そして『白銀武の動向に関する調査報告書』と記された表紙をめくって、中身を改め始めた。
 まず最初に記されてあったのは戸籍関連。そこでは1999年のBETA横浜侵攻時に行方不明により死亡認定、という事になっている。この辺りは夕呼に聞いた通りの内容だ。
 次は武の略歴だ。99年のBETA侵攻前は、普通の学生をやっていたらしい。
「えっと……本州奪還後は、剛田城二と名を偽り……剛田? 剛田って、ひょっとしてあの剛田かぁ……?」
 白稜柊で冥夜と入れ替わるように転校していった、暑苦しいクラスメイトを思い出す。こればかりは何年経とうが、また忘れようとしても、忘れられるものではない。それだけインパクト抜群の男だった。特例として尊人だけは、城二が転校してしまった時には既に忘却の彼方だったわけだが。
 それはさておき。
「ま、どうでもいいか。続きはっと……2000年春、衛士訓練学校に入校。同年秋、主席で卒業。半年の最前線任務を経て、2001年春に帝国斯衛軍に転属……か。なんか無茶苦茶優秀な奴だな……俺らしくもない」
 斯衛に転属になるなど、半端な事ではない。肉体的精神的に強靭である事は言うに及ばず、訓練兵時代の態度から一族の素性まで、徹底的に洗われる。その審査をパスして、初めて受験資格を得られる。しかもそれを素性を隠したまま成し遂げている。それに試験だって合格するのは生半可な事ではない。
 衛士訓練学校を主席で卒業している事から兵士として優秀である事は窺えるが、別の意味でも優秀だったようだ。
「……その後、斯衛という立場を隠れ蓑に、99年のBETA横浜襲撃時に解散された、帝国本土防衛陸軍生物化学研究部の研究員達を追跡し、次々と……惨殺!?」
 武はハッとして、口をつぐんだ。ドアの外に誰か来ている可能性も、ゼロではないのだ。
「……生物化学研究部の残党狩りを続けたが、最後の一人の居場所がようとして掴めず、白銀武は恐らく最後の手段として、煌武院殿下を人質に取る事を発案、実行に移した模様……」
 悠陽が言っていた、誰かを探している様子だった、というのはこの事なのだろう。
「……そして、最後の一人が米国に渡っている事が判明すると、即座に煌武院殿下を開放し、逃走。米国行きの艦に潜入しようとしていたところを発見され、その場で射殺。後の調査で、剛田城二という名は偽名であり、本名は白銀武である事が判明……か。何をやってんだかな、この世界の俺は……」
 続きを見ようと更にページをめくると、表紙のようなデザインの紙が現れた。
「後藤部隊に関する報告書……なんだこりゃ。別の資料が混ざってんのか? ……ん、後藤部隊?」
 どこかで聞いた事のあるような名前に、武は記憶を掘り返してみた。
「ああ……90番格納庫がどうのって、冥夜の怪談話に出てきた……あれ、これって確か……」
 もっと詳細に関してまで深く考えてみる。
「そうだ、帝国陸軍の生物科学研究部って、後藤部隊の事だ……白稜基地で研究してたっていう……」
 ならばこれも無関係ではない。武は報告書をパラパラとめくり始めた。
 それによると、どうやらこの世界の武は後藤部隊の被験者だったらしい。しかも、拉致されて連れてこられている。
 しかし記された研究内容を見ると、とても積極的に協力出来るような内容ではないので、表立って被験者を募る事など出来るはずもなく、それはある意味当然と言えた。
 後藤部隊の最終的な目的は、BETAに打ち勝つための生物兵器を作り出す事。武はその中で、人工的に強化された衛士を作り出すというプロジェクトに属していた。
 とまあご立派なお題目が掲げられてはいたのだが、そのためにやっていた事といえば、過度のストレスを与えてみたり、身体を切り刻んでみたり、発狂寸前まで薬物を投与してみたり、捕獲してきた兵士級に襲わせてみたり……と、正気の沙汰とは思えない事ばかりだった。
「このあいだ兵士級相手にキレたのも、ひょっとしたらこれのせいかもな……」
 その因果が世界の記憶から漏れ出して、何かの弾みでそれを受け取ってしまっているのかもしれない。
 思い起こせば、前のループで佐渡島のBETA南進があった時にBETAの事を強く意識した時や、衛士適性検査を受けた時にBETAのシルエットを見た時など、PTSDに非常に近い状態になっていた。
 それに初陣の時などは、初陣という事を差し引いたとしても、かなり混乱していたように思う。小隊長を任されていて、その責任感から冥夜たちをうろたえさせないようにと必死で強がっていなければ、或いは興奮剤の一本でも打っていれば、完全に錯乱して『死の八分』の餌食になっていた事だろう。
 それはともかく。
「拷問よりひでぇな……これは」
 この世界の武の身に降りかかった人体実験は、目を覆いたくなるようなもののオンパレードだった。
 中でも酷いのはやはり、生身で兵士級に挑んで戦闘訓練を行う、というものだ。しかし訓練とは名ばかりで、それは兵士級を使った、研究者たちによる一方的な暴虐に過ぎない。そして武が傷つき倒れると、死んでしまう前に兵士級を射殺し、武を治療する。
 しかし、そんな事が繰り返されていて五体満足でいられるはずもなく、武は四肢を全て失い、地虫のような姿にされてしまったらしい。
 そして99年のBETA横浜侵攻の際の混乱で生物化学研究部は解散。武はその時、白稜基地に放置されたのだが運良く救出され、帝都に連れて行かれて義肢を移植される事となった、というわけである。
 武が回復した時には、既にBETA侵攻の際に死亡したという事になっていた。もっとも、この時は混乱が酷く、死亡を確認したから死亡認定するのではなく、生存が確認出来なかったら死亡認定されているような状況だったので、致し方ないところだ。
 だが武にとっては、それはむしろ好都合だった。そしてどんなコネを使ったのかは分からないが、恐らく友人であったと思われる剛田城二に成りすました。
「それで復讐……か。まあ戎にはきつい内容だったろうな……」
 民を護るためにあるはずの軍が、裏ではその護るべき民に対して非道な人体実験を繰り返してきていたのだ。しかも、それは何の結果も残せていない。
 勿論これが全てではないし、特殊過ぎるケースで暗部中の暗部ではあるのだろうが、信念を揺らがせてしまうには十分だろう。
「そして白銀武が討ち漏らした後藤は消息不明……」
 居場所が分かれば、すぐにでも殺してやりたいような気分だった。だが恐らく、後藤も既に生きてはいまい。
 拉致されて人体実験の被験者になった者が、復讐のために悠陽を人質に取ったなどという事が知れれば、軍の威信は地に落ちるのは間違いない。
 もっと大きな目で見れば、それによって帝国軍という組織が成り立たなくなり戦線が瓦解、日本が再びBETAに蹂躙され、そこから世界の破滅を導いてしまう可能性だって十分に考えられる。
 ならばどうすればいいか。一番確実なのは、事件そのものを闇に葬ってしまう事だ。この世界の武が研究者達を殺して回り、その武も悠陽を人質に取った事で射殺されてしまえば、残りは後藤のみ。とっくに始末されているはずだ。
 真実を知った軍や政府、城内省の高官たちは、お互いの失脚を楯に牽制しあっているのだろう。
「後藤に関してはそのうち夕呼先生にでも聞いてみればいいか……」
 武は報告書の続きに目を通し始めた。
「ん、こっからは被験者リストだな……」
 パラパラとめくって自分の名前を探してみた。そこには、確かに白銀武と記載されている。
 そして自分の名前を見つけた後も、何気なくリストをめくっていると、そこにあるはずのない見慣れた文字列が、目の中に飛び込んできた。

 カガミ スミカ
  鑑  純夏

「……………………え?」
 確かにそう記されている。
「──な……んだ、これ……」
 胃の辺りがキリキリと締め付けられる。
 何度見直しても、間違いなく『鑑純夏』と記されている。
「どうして……純夏が……」
 しかし、今はこれ以上の事は分からない。後藤部隊の人体実験の被験者リストの中に、鑑純夏の名が記されていた。ただそれだけだ。
「とにかく、確認しないと……ッ!」
 武は報告書を引っ掴むと、勢い良く立ち上がって部屋から飛び出そうとした。だが、ドアのレバーハンドルに手を掛けたところで踏みとどまる。そしてガックリと肩を落とし、ノロノロと椅子に戻った。
 美凪は今日行われた甲21号作戦の慰霊祭に参列しているので、まだ帝都から帰ってきていない。
 それに冷静に考えてみれば、美凪に聞いたところで、純夏の話など出てくるはずもない。もし知っているのであれば、白銀武に関連する事項として報告書に記載されているはずだ。
「これ以上、無関係のあいつに背負わせるわけにもいかないか……」
 憔悴しきっていた美凪の顔が思い出される。追加調査など、とても頼む事は出来ない。
「夕呼先生はこの事を……いや、それはない……」
 もし知っていれば、既に武に話しているだろう。それどころか、純夏を00ユニットの候補から外している可能性が高い。人格や感情を全て取り戻した時が00ユニットの真の完成の時だが、それと同時に純夏が人類の敵に回ってしまう可能性がある。夕呼がそんな存在に世界の命運を預けるとも思えない。
「はぁ……少し落ち着け」
 武は何回か大きく深呼吸をして、僅かばかりの冷静さを取り戻す。
「よし……今、分かってるのは……純夏が人体実験の被験者だったかもしれないって事だけだ……。でも、戎が帰ってきたって確認のしようが……いや待て、そうだ……戎に情報を提供した奴がいるはずだ……そいつに会えば……!」
 美凪がこの基地に帰還し次第、すぐさま約束を取り付けなければならないだろう。
 残された時間は多くない。月詠たち斯衛軍第19独立警備小隊は、年内一杯で横浜基地を去る予定になっている。
「とにかく、明日からだ……」
 武は自由に動き回れるようにと、向こう数日間のスケジュールを全てキャンセルして、眠りについた。


 2001年12月29日(土)

「悪いな、付き合わせて」
「いえ……構いませんわ。訓練を見て頂いたお礼も、まだしていませんでしたし……ですから、お気になさらないで下さい」
 武は予定をキャンセルしたついでに休暇を夕呼に認めさせ、美凪を連れ出してジープを走らせていた。川崎から蒲田を抜け、品川を通過して、第一京浜を北上しているところだ。
「……ところでこれ、大尉の制服なんだな」
「すみません、少佐の制服が手に入れば良かったのですけれど……」
 武が着ているのは、いつもの着慣れた国連軍の作業服ではなく、美凪が用意した斯衛の制服だった。
「ああいや、そうじゃなくてだな……白服で大尉ってのは、余計目立つんじゃないか?」
 斯衛では、制服や武御雷がカラー分けされていて、軍の階級とはまた別に、冠位十二階になぞらえた順列が付けられている。
 トップは政威大将軍の紫。これは悠陽のパーソナルカラーだ。そして紫の武御雷は、横浜基地にある一機しかない。
 続いて、将軍の血縁者を始め、五摂家の者が青。五摂家とは、簡単に言えば、将軍候補が排出される家柄の事だ。
 次に五摂家に直接仕える側近が赤。月詠がこれにあたる。
 それから黄、白、黒と続く。
 基本的に外部から斯衛になった、いわゆる平民上がりの兵は基本的に黒服で、そこからどう頑張って昇格しても白服が限界となる。
 黄以上になると、半分以上は世襲制のようなもので、血筋や家柄等で元々斯衛になるべく幼少の頃から厳しい訓練を重ねてきた者だけにしか与えられない。その場合は、美凪たちのように白服からスタートするという特権が与えられるのだが、その代わり斯衛らしからぬ言動が目立つと、容赦なく放逐されてしまう。そしてそうなった場合、二度と復権を果たす事は出来ない。もっとも、これは外部組に関しても同じ条件ではある。
 いささか時代錯誤ではあるが、斯衛の任務が帝や将軍の警護である以上、どこぞの馬の骨を招き入れるわけにもいかず、このような制度が未だに残っているのだ。
 それで武が着ている白服の話だが、斯衛はその性格上、通常の軍に比べて昇進する機会が少ない。しかし武の若い外見で、白服で大尉ともなれば、かなりの家柄にある者と見られてしまう。
「でも……私が後をくっついて回るわけですから、少なくとも私より階級が上でありませんと。それに──」
 それに、武がこの顔で少尉の黒服などを着ていたら、この世界の武と間違われてしまう可能性がある。だが、斯衛が昇進しづらいという性質を逆手にとって、大尉の、しかも白服などを着ていれば、他人の空似で済ます事が出来る……というわけだ。
「なるほどな……」
 しばらくすると、第一京浜から中央通りに差し掛かり、そして銀座の街並みを走り抜けていく。
 帝都城が近い事から、クーデターの際に被った戦禍の痕が目立つ。大部分は仮設のままで、未だ復旧は成されていない。
 クーデター終結後は、すぐに国連軍から甲21号作戦の打診があったはずなので、軍も政府も、手を回している余裕などなかったのだろう。
 しかし、そこに見られる街の人々の表情は明るかった。もっとも、それも佐渡島ハイヴを極めて少ない損耗で攻略した事が大々的に報じられているので、当然と言えば当然だ。今は帝都が、そして日本中がお祭りムードになっている。
「これで少しは国連軍に対する感情が緩くなってくれればいいんだけどなあ……」
 賑わっていた銀座を抜け、日本橋を渡ったところで武が呟いた。
「それは大丈夫だと思いますよ。12・5事件の時に殿下をお助けしたのも、甲21号作戦でハイヴに突入して反応炉を破壊したのも、国連軍横浜基地の特務部隊だと報じられていますから。それに横浜基地には少佐がいるから、みんな、とても好意的に思っていますわ」
「……は? 俺が? 何で?」
「XM3の発案者が少佐だということは、前から公表されていたのですけれど……」
 そういえばと、トライアルの時にその方が都合がいいからと、夕呼の判断で名前が公表されていた事を思い出した。
「XM3のおかげで、甲21号作戦は従来では考えられないほどの低い損耗率で、しかも歴史的な大勝利まで得られました。佐渡島で生き延びた衛士たちにしても、彼らを送り出した家族たちにしてみても、少佐のことを救世主のように思っているのではないでしょうか」
「……そんな大層なもんじゃないよ、俺は。XM3の性能がいいのは俺が発案したからじゃなくて、作り上げた夕呼先生──香月博士の腕が超一流だったからだ」
「ですけれど、少佐の発案がなければ、そもそもXM3は存在すらしていなかったではありませんか」
「それは……そうかもしれないけどさ」
 そんな話をしているうちに、武たちは神田から秋葉原を抜けて、上野を通過していく。
「ここからどっちに?」
「……山谷に向かってください」
「浅草寺の方でいいんだっけ」
「はい」
 武はハンドルを右に切って隅田川方面へ向かう。そして浅草寺の裏手に車を止めると、そこからは徒歩で移動する事になった。
「……治安のいい場所とは言いがたいな」
「今は一歩裏通りに入れば、どこも似たようなものですわ……こちらです」
 美凪の案内で、路地を抜けて歩いていく。武はこの界隈に入った時から、どこからともなく、ねめつけるような視線を感じていた。恐らくは、軍に不満のある者も少なくはないのだろう。ただ、美凪はもとより、武も斯衛の制服を身に纏っている事からか、直接何か手を出してくるというような気配は無い。
「俺に斯衛の制服を着させたのは、ここを無事に通り抜けるためか?」
「……それもあります」
 そして何度か細い路地を折れ曲がり、目的地に到着した。そこは朽ち果てたビルの裏口だった。
「ここが?」
「はい。……奥に階段がありますから、それを昇って、三階の廊下に出て四枚目の扉です。私はここで待っています」
「分かった」
 ドアノブに手を掛けると、蝶番の油が切れて重くなった鉄扉が、ギィと悲鳴のような音をあげて開いた。その中は、まだ午前中だと言うのに薄暗くて先を見通すことが出来ない。
 武はそこに足を一歩踏み入れた。すえた臭いがムッと漂ってきて鼻をつく。それに顔をしかめながら、武は薄暗く細い廊下を、奥へと進んでいった。5、6メートルも進むと薄暗さにも目が慣れ、今にも崩れ落ちそうな雰囲気の階段を見つける事が出来た。その向こう側にはビルの正面入口があったが、シャッターが下ろされ、それは無残に錆付いて、出入りする事が出来なくなっている。
 それを横目に、武は階段に足をかけて昇り始めた。ボロボロになって、ところどころ鉄筋が剥き出しになっているコンクリートの階段は、見た目とは裏腹に、まだまだ人間の体重程度を支える力は十分に残しているようだ。
 建物の中に入ってから聞こえてくる、バチバチッ、ジジッ……という耳障りな音が、切れかけて点滅している天井の蛍光灯の唸り声だという事に気付く頃、武は狭い階段を昇り終え、三階に到着していた。
 ここもやはり、外部の光を遮っているのか、下の階と同様に薄暗い。
 そして武は薄暗い廊下を進んで、美凪に教えられた、数えて四枚目の扉の前に辿り着いた。掲げられたネームプレートには何かが書かれていたような形跡が見られるが、掠れていて読み取る事は出来ず、その意義を失っている。その代わりといっては何だが、扉には乱雑な字で、ただ『診療所』とだけ書かれた紙が、少し傾いた位置にべたりと貼られてあった。
「ここか……」
 ドアの横を見たが、チャイムなどという気の利いた物は付いていない。仕方なくノックをしてみたが、反応は無い。
 だが、誰もいないということはないだろう。ドアと壁の隙間を確認すると、ロックボルトが掛かっていないのが見えている。
 武は構わずドアノブを捻って、部屋の中に入っていった。
「失礼しますよ」
「急患か? ……そうでなければ今日はもう店じまいだ、帰ってくれ」
 どこか面倒くさそうな、くたびれた中年の声が、部屋の奥から聞こえてきた。
「俺は患者じゃありませんよ、軍医殿」
 武が部屋の奥に歩いていって、声の主にその姿を見せると、そこにいた男は驚きに目を見開いた。
「き、君は──!?」
 武が軍医と呼んだこの人物、美凪に聞いた限りだと、その呼び名の通り、以前は白稜基地で軍医を務めていたという話だ。人体実験の際には白銀武の主治医であり、BETA横浜侵攻時に武を白稜基地から救出したのも、その後、義肢を移植してリハビリまで担当したのも、この男である。
 今は名を捨て、ここでしがない闇医者をやっているらしい。被験者ではなかったとはいえ、彼もまた後藤部隊に関わって人生を狂わされた被害者の一人だ。
 事件の真相を知っているにもかかわらず、こんな所に身をやつしながらではあるけれども無事に暮らせているのは、政府や軍の高官と何らかの取引でもしたのだと思われる。
 その証拠に、武が何を問いかけても話せないの一点張りで、重い口が開かれる事はなかった。

 美凪は鉄扉の横にしゃがみこみ、地面を見詰めていた。
 武が扉の奥に消えてから、既に十数分が経過している。
 ここに来るのは辛い。絶対だと思っていた自分の信念が、ものの見事に打ち砕かれた場所であるからだ。その後、戦術機の操縦にまで影響が出ていたところ、武に訓練を見てもらい、その成果を佐渡島で発揮出来た事で幾許かの自信は取り戻せたが、全てを知る前の状態と比べれば、やはり雲泥の差だ。
 戦いになれば、一時的に全てを忘れて楽になる事は出来た。そうなるように訓練を積んできているのだから、当然ではある。
 だからと言って積極的に戦いたいかといえば、そんな事はない。美凪は戦闘狂ではないのだ。
 武に頼まれた調査を安請け合いしてしまったのを後悔した事もある。しかし真実を知ってしまった今では、もし調査を引き受けていなければ何も知らないままのうのうと生き続けていたのだと思うと、それも我慢ならなかった。
 どうすればこの迷路から抜け出せるのか、全く見当が付かない。
 いつものように思考が袋小路に行き当たり、だんだんと停止していく。そして、ぼんやりと焦点の合わない虚ろな目で、地面の上の砂の粒を数えていた時。
「そんなところで屈みこんでいると、悪い男に襲われてしまうよ、お嬢さん」
 突然、陽の光が遮られて影に包まれたかと思うと、美凪の頭の上から、渋みの利いた中年の声が降りかかってきた。
「えっ……?」
 声のした方を見上げると、そこには背の高い、スーツ姿の紳士が佇んでいた。
「おっと、そう警戒しなくてもいい。私は悪い男ではないからな。まあ、微妙に怪しい者だとは言えなくもないかもしれないが……ふむ、どっちだ?」
 いくら美凪がぼんやりしていたとはいえ、こうも簡単に接近を許してしまうなどありえない。目前に立つこの男、とぼけた事を言っているが、ただ者ではない。
「いや、本当は怪しくもないのだがね。そもそも怪しいの定義というものは──」
 そのただ者ではないはずの男は、先程から何だか分からないことばかり言っている。
 このままでは埒が開かないので、美凪は少し声を張り上げて、男に呼びかけた。
「……あの!」
「おっと、これはいけない。話が脱線してしまったな。なんだね、お嬢さん?」
「あの、あなたは、誰……ですか?」
 警戒しなければならないのに、胡散臭さの中に飄々としてどこか安心出来てしまうような雰囲気を持つ男に、どうやって接していいか分からず、美凪はついうっかり間の抜けた事を訊いてしまった。
「人に名前を訊ねる時は、まず自分から名乗るものだよ? 帝国斯衛軍第19独立警備小隊所属、戎美凪……ちゃん?」
「!?」
 正体不明の男に突然名を呼ばれた事に恐怖を覚えた美凪は、目前の男を危険人物と判断し、懐に手を入れて護身用に持ち歩いている匕首に手を掛け、抜き放った。
 ……はずだったのだが、抜いたと思ったときにはもう既に、手の中には何も握られていなかった。
「なっ──!?」
「いけないなあ、女の子がこんな物騒なものを振り回しては。おじさんが悪い人だったら、逆にぶすりとやられていたかもしれないよ?」
 いつ掠め取ったのか、男の右手には美凪が抜いた匕首が収まっていた。その刃を陽光に透かして、ニッと笑う。
「ふむ、なかなかの業物だな。手入れもきちんと行き届いているようだ。結構結構」
「か、返してくださいっ!」
 美凪は匕首を取り返そうと手を伸ばすが、男はそれを軽くひょいと躱して、頭上高く掲げてしまった。
 背の高い男に対して、美凪の身体は小柄だ。二人の身長差はゆうに40cmを超えている。美凪が手を伸ばしても届くはずがなく、それどころか飛び上がったところで掠りさえもしない。
 それでも美凪は諦めずにピョンピョンと跳ねて、得物を取り返そうと飛び付き続けた。
「はっはっは、そんなにじゃれ付かれると、おじさん照れてしまうなあ」
「……え……あっ!?」
 すっかり男のペースに乗せられていた事に気が付いた美凪。軽率というか子供みたいな行動を取ってしまった事で、恥ずかしさから縮こまって頬を染めていた。
「元はといえばここに住む男に用があったのだが……戎少尉、君がここにいるという事は、はて、別の用事が出来てしまったかな?」
 言いながら男は匕首を差し出した。美凪はおずおずとそれを受け取ると、鞘に収めて懐にしまい込む。
「気を付けたまえ。いくら君が斯衛だといっても、このようなところでさっきのように惚けていては、何をされてしまうか分からないからね。もし君の身に何かあれば、連れの彼が悲しんでしまうよ?」
「…………」
「では、また後で」
 男は軋む鉄扉を開けて、薄暗い廊下の中に消えていった。

「邪魔をするよ、ドクター」
 武が頑なに口をつぐんでいるドクターから情報を聞きだそうとして必死に話しかけていると、入口のドアが開き、スーツ姿で背の高い、見覚えのある紳士が部屋の中に入ってきた。
「……よ、鎧衣課長!?」
「おや、これは奇遇だな。誰かと思えばSES009」
「ぶふッ!」
 いきなり飛び出してきた懐かしいネタに、武は思わず噴き出してしまった。
「あの時は、つい馬鹿にしてしまったが……いや、本当にすまなかったな。その後の君の活躍ぶりを見る限り、スーパーエリートソルジャーの話はどう考えても真実だったとしか──」
「嘘、嘘です、あれ嘘ですから!」
「なんだ……つまらない」
 鎧衣課長は心底残念そうな顔で言った。
 クーデター未遂事件の時、搭ヶ島離城で別れて以来、およそ三週間ぶりとなる。それから今までの間、何をやっていたのかはわからないが、相変わらずの調子だ。見た感じ、どこか悪くしているような様子もない。元気そうで何よりだった。
「とにかく、無事で良かったです」
「いやあ、そうでもないさ。情報省をクビになってしまってね。はっはっは」
 あれだけの裏工作をやってのければ、そうなっていても仕方はない。もっとも鎧衣課長本人は、それを気にしているようにはとても見えないのだが。
「それはまあ……ご愁傷様です」
「これから年端のいかない娘を養っていかなければならないというのに、無収入になってしまって、どうしようかと悩んでいるところだよ」
「年端のいかないって……美琴はもう自立してるでしょ。任官もしたんだし」
「そうだったか? まあいい。カレー粉さえあればどこでも生きていけるように、きっちりと仕込んであるからな」
「か、カレー粉!?」
 突然何を言い出すんだこのオッサンは、とでも言いたげに、武の声が裏返る。
「ふむ、ならば私はカレー粉を買う金を稼がなければいけないか」
「いや、だから……」
「う~ん、実に経済的な娘だ」
 クーデター事件の時に聞いた限りでは、横浜基地衛士訓練学校に入校して以来、美琴は鎧衣課長とはほとんど会っていないらしい。事件後は美琴も鎧衣課長の仕事内容を知る事となり、ひょっとしたらもう二度と再会出来ない事も視野に入れているかもしれない。
 だが、鎧衣課長はこうして無事に元気でやっている。二人が再会を果たす事も、そう遠い未来の話ではないだろう。そして感動のご対面のさなか、父親から娘へと手渡されるカレー粉の瓶、或いは袋。シュールである。さすがに同情を禁じえない。
「不憫だよ……美琴」
「なんだね人聞きの悪い。そうだ、ではこうしよう。白銀武、私の代わりに君が娘を養ってくれたまえ。うん、それがいい」
「は? 鎧衣課長、何を言って──」
「よろしく頼むよ、我が息子」
「息子!?」
「はっはっは……いやぁ、孫の顔を見るのが楽しみだ」
「孫ッ!?」
「それで白銀武、君がこんな所に何の用かね?」
「こんな所ッ!? …………って、あれ?」
 すっかり鎧衣課長のペースに乗せられてしまっていた事に気が付いた武。
「はぁ、敵わないな。……いや、ちょっとそこの元軍医殿に聞きたい事があったんですよ」
「ふむ、鑑純夏の事か」
「──!? ……心臓に悪いなあ。全部お見通しってわけですか」
「君が斯衛の戎少尉を通して『白銀武』に関する情報を得た事は私も知っている。その君がここに用があるとすれば、それしかないだろうからな。さあ、聞きたい事があれば私が答えてやろう」
「鎧衣ッ!?」
 元軍医が驚きの声を上げた。当然だ。ここまで頑なに口をつぐんできたのに、ここで喋られてしまっては元も子もない。
「心配するな、彼は大丈夫だよ。むしろ話さないと、君が酷い目にあってしまうと思うのだがね」
「しかし……!」
「問題ないさ、私が保証する」
 さすがに医者なだけあって、今この場にいる武の四肢が全て生身である事は見抜いているだろう。つまり、元軍医はこの武が、自分が治療した武とは別人である事をちゃんと理解している。
 この世界の武が復讐に走った理由を全て知っているはずの者が、それと同じ顔をした別の男を見て、警戒しないはずがない。
 しかし、鎧衣課長はどこまで知っているのだろうか。その口ぶりから、この世界の武と純夏の身に起きた事件は全て知っていると見て間違いない。それどころか、もし仮に純夏が00ユニットである事を知っていたとしても、何の不思議も無いように思えてしまう。
 だがそんな事は関係ない。仮に知っていたところで、鎧衣課長がオルタネイティヴ4の不利益になるような行動を取る事はないだろう。もしそうするつもりがあるならば、クーデター未遂事件の時に夕呼と手を組む事などないし、XG-70徴収の仲介などするはずもない。
 とにかく、今は答えが得られるなら、他はどうでも良かった。
「さて、それでは質問を受け付けようか」
「と、その前に……どうして鎧衣課長がここにいるんです?」
「聞けば何でも教えてもらえると思ったら大間違いだぞ、白銀武」
「……ごもっとも」
 動揺があるのか、それともまだ鎧衣課長のペースに飲まれてしまっているのか。頭に浮かんだ事を思わず口にしてしまった武。しかし。
「そこにいる男は私の古い友人でね。仕事を干されて暇だから、遊びに来たというわけだ」
「って、答えてるし……でも、そういう事ですか」
「何がだね?」
「いや、『白銀武』が斯衛の入隊審査をパス出来たの、鎧衣課長がバックアップしてたんだなって」
「はて……何の事やら」
「まあ、それもどうでもいいです。本題に──」
「鑑純夏が後藤部隊に何をされたか。そして後藤部隊最後の一人、後藤の行方はどうなったか。そんなところかね?」
「ホント敵わないなあ……。でもまあ、話が早くて助かるか……お願いします」
 武は逸る気持ちを抑えつけて、鎧衣課長に先を促した。
「まずは後藤の消息を教えておこう。奴はとっくの昔にあの世に旅立ったよ。まあ、色々あって私の元いた部署で始末する事になったんだがね。そこに至るまでには各方面で様々な陰謀や裏取引が飛び交ったのだが──君にとってはそんな話はどうでもいいようだ」
 鎧衣課長は、後藤の結末を聞いた時点で興味を失ってしまった武の顔を見て、その話を中断した。
「次は鑑純夏の情報だが……その前に場所を変える事にしよう」
「……え?」
「旧友の古傷を抉るのも忍びない。それに彼がいれば、どうしても確認をしたくなってしまうだろう。全てを目の当たりにしてきた男の言葉は生々しいぞ?」
「そっか……そうですよね。で、どこに?」
「屋上に出ることにしよう。どうもここは薄暗くてかなわないからな」
 武と鎧衣課長は部屋を出て、ビルの屋上へと階段を昇っていった。



[1972] Re[32]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 屋上に出た武は、そのまま手摺に向かって歩いていった。そこから下を覗き込むと、美凪が小さな身体を丸めて座り込んでいるのが見える。
「さて、どこから話そうか」
 武の背中に鎧衣課長の声が投げかけられた。武は振り返って手摺に背中をもたれると、言った。
「……最初から順番にお願いします」
「いいだろう。君の得ている情報と重複する部分もあるだろうが、そのまま聞いてくれたまえ。始まりは1999年の春──」
 この世界の武と純夏は、陸軍予備学校を卒業して、白稜基地にある軍の高等学校に駒を進めていた。高等学校といっても既に名ばかりで、ほとんど訓練学校と化していたのだが。
 当時はまだ男女とも徴兵年齢の引き下げは行われていなかったのだが、どの道、卒業と同時に徴兵される事は確実なので、それならば、出来るだけ早く訓練を始めておいた方が何かと有利になるだろう、というわけだ。
 事実上の徴兵年齢の引き下げと言ってしまってもいいだろう。
 その高等学校の三年間で適性を見極めて、卒業後はそれぞれ専門の教程に進む事になる。
 そんなわけで、在校中は様々な適性検査を受けていく事になるのだが、その中には勿論、衛士の適性検査も含まれている。もっとも、この段階では、まだシミュレーターに乗ったりするような事はないのだが。
 当然ながら、白銀武もその衛士適性検査を受けた。結果は適合度SS。簡素化された予備検査ではあるが、この時点では、過去類を見ないほどの適性の可能性を示していた。
「だが不運な事に、それが後藤部隊の目に留まってしまってね、白銀武は拉致されてしまったのだ。君は白銀武が後藤部隊のどのプロジェクトに属していたか、憶えているかね?」
「……確か、強化された衛士を作る、というようなものだったと思いますけど」
「ああ。そこでは身体能力や反応速度、精神力の強化……果てはESP能力等の付加なども試みていたそうだ」
 確かにそれが可能なら、衛士として一段も二段も上の実力が発揮出来るようになるだろう。しかし──
「……あんな馬鹿げた方法で、それが出来るとは思えません」
 武は美凪の報告書の内容を思い出しながら言った。あれは、ただの拷問に過ぎない。
「もちろん君の言う通りだ。このとき既に、後藤部隊は手段が目的にすり替わってしまっていてね」
「実験するための実験を繰り返していたと……?」
「その通り。そしてそれは、狂った研究者達の歪んだ欲望を満たすための手段と化した」
「…………」
「君が読んだ報告書の中に、過度のストレスを与えるという項目があったと思うが」
「ええ、憶えてます」
「例えば君ならば、どういった方法を思いつく?」
「……一番簡単なのは、肉体的な苦痛を与える事……ですね」
「まあ、そうだな。だが白銀武は、その耐性が非常に強かった。拉致によって連れてこられた事に反発し、意地になって耐え続けていたのか、それとも他に理由があったのかは分からないが、とにかく白銀武は後藤部隊の拷問に耐えてみせた。しかし、研究者達は被験者の苦しむ姿を見るために実験を繰り返しているのだから、これは面白くない」
「…………」
「肉体的な苦痛を与えても効果がないとすると、次はどうするね……?」
「……精神的なものを」
「後藤部隊も、その考えに思い至った。では白銀武に対して何が一番効果的なのか──」
「……鑑、純夏……」
「ああ。ほどなくして、彼女も同じ実験室に連れてこられた」
「…………」
「それとは別口で、彼女にはESPの高い素質があるのではないかという事が判明していてね。それならば一石二鳥で一緒にやってしまえ……という事になったのだ」
「……純夏は……どんな事を……?」
 武は掠れた声を、喉から絞り出すように問い返した。無意識に手摺を握り締めた手は、白みがかっている。
「女性を苦しめるには、その連れ合いを苦しめるにはどうしたらいいか……まあそういう事だ。もう少し詳しく知りたいなら話しても構わない……お勧めはしないがね。どうする?」
「……お願いします」
 本当は知りたくはない。恐らく、知らない方が幸せだ。だからと言ってここまで知ってしまった以上、避けて通るわけにもいかない。
「うむ。では、落ち着いて聞いてくれたまえ……」
 鎧衣課長は重い口を開き、淡々と語り始めた。
 純夏に対して行われた事。ありがちではあるが……お約束の性的暴行だ。無論、当時の純夏にそんな経験などあるはずもなく、無理矢理純潔を奪われるところから始まった。そして、その若く瑞々しい肢体が余程気に入ったのか、研究者達はひたすら純夏を嬲り続けた。
 そして、武はその様子を一部始終見せ付けられる。純夏を肉体的精神的に、武も精神的に追い詰めるためだ。もっともこれに限らず、二人に何らかの責めを行う時は、必ずもう一方にその様子を見せていた。
 そうする事で純夏も武もお互いを庇おうとするのだが、それを思わせぶりな態度を取った後に拒絶する事で、より大きなストレスを与えられる、というわけだ。
 やがて数日が過ぎ、純夏の身体がこなれてくると、行為はだんだんとエスカレートし、器具や薬物なども使用されるようになっていった。
 薬によって正気を失いかけ、また身体を極限まで敏感にされて、純夏の肢体はもはや本人の意思とは関係なく、牝の悦びを渇望するように変貌を遂げていく。
 最初のうちは武が拷問にかけられるのが嫌で嫌で仕方がなく、自分には何をしてもいいから武を苛めるのだけはやめてと懇願していたのだが、そのうちそれが武を護りたいのか、それともそれを口実にして快楽を得たいのか、純夏自身も区別が付かなくなっていった。
 しかし、ストレスを増大させるために常に武の姿を見せ付けられ、最低でも武の命だけは無事である事が分かっていたため、最後の一線を越えてしまうような事は無く、それ故に、精神が決定的に崩壊してしまうような事も無かった。だから良かったなどとは言えないし、むしろ不幸だったと言い換えることも出来るのだが。
 そうやって純夏の精神が蝕まれていく一方で、武は相変わらず肉体的な責め苦を受け続けていた。最初は強化衛士を作り出すというお題目があったのだが、ここまで来ればそんな事はとうに忘れ去られ、ただ純夏を脅迫し、従順にさせるためだけの道具と化していた。そんな武が五体満足でいられるはずもなく、ある部位は研究者に切り刻まれ、またある部位は兵士級BETAに噛み千切られて、欠損は次第に増していく。
 そして純夏と同様に、武もまた陵辱を受ける純夏の姿を見せ続けられ、純夏の命だけは無事である事が分かっていたため、やはり最後の一線を越えて狂ってしまう事はなかった。
 これらは一応、実験という名目で行われていて、後藤部隊も最初のうちはデータを記録していたのだが、それは所詮お題目に過ぎず、研究者達の歪んだ趣味趣向を満足させるための行為だったというのが実際のところだ。
 しかし、そんな狂った集団でありながら、後藤部隊は研究者として冷静な一面を残していた。それまでの人体実験という名の拷問によって見極めた事なのか、これ以上やると生命活動に支障が出る、或いは気がふれてしまう、という引き際を見誤る事はなかった。
 だからと言って、こんな事が続いていれば、いずれ限界は訪れる。
 武が四肢を全て失い、また、陵辱を受け続けた純夏に月のものが訪れなくなった頃、最後の一線で踏み止まってはいたものの、二人の精神は限界に達し、お互いに相手の事しか見えなくなり、研究者たちにまともな反応を示す事はなくなっていた。
 それからは武は放置される事が多くなり、純夏は主に性欲処理の道具として使われるようになっていった──
「…………大体、こんなところだな。私も娘を持つ父親として、実に腹立たしく思っているのだがね」
 鎧衣課長は、珍しく感情を露にして吐き捨てた。
「だが、彼らはそんな陰惨な状況に置かれながらも、絶望の中で耐え続けていたそうだよ。そのさなか、ドクターを通じて一つの約束を交わした」
「……約束?」
「ああ。最期までずっと一緒にいようと……彼らはそう約束したそうだ。実験中は常に互いの姿を見せ付けられていたから、二人とも相手の姿が確認出来る事だけを心の支えとしていたらしい」
「約束……そうか……それで……」
「そして、BETAの横浜侵攻で白稜基地の放棄が決定された時、後藤部隊の連中は我先にと逃げ出し、被験者は証拠隠滅のために置き去りにされた。その時、ドクターが彼ら二人を救出するためにギリギリまで基地中を駆け回ったのだがね、残念ながら白銀武しか見つけられなかったそうだ」
「……他の被験者達は?」
「当時、既に生物化学研究部自体、末期状態を迎えていてね。もとよりその時点で生き残っていたのは、白銀武と鑑純夏の二人だけだ」
「…………」
「救出された白銀武は、ストレスが取り払われた事で正気を取り戻し、鑑純夏を失ってしまった事を知った。そして復讐を誓い、そのための手足を手に入れ、死に物狂いでリハビリを経て名を偽って衛士となり……そして斯衛軍に入隊した。少しでも早く、可能な限り大きな権力を手に入れるために。
 その後は上手く立ち回りながら、後藤部隊の残党を探しては消していったのだが、当の後藤の行方だけは掴めなかった。それで最後の手段として殿下を人質に取って後藤が米国に渡っている事を知り、米国行きの艦に潜り込もうとしていたところを射殺されてしまった……というわけだ」
「…………」
「事件後の調査で白銀武の身元、そして彼が後藤部隊の被害者だという事が判明して、この事件は封印された。こんな事が世間に知れてしまえば、軍という組織そのものが崩壊してしまう。軍が信用を失えば日本という国がどうなるか……分かるだろう?」
「……」
「もっとも斯衛軍では、殿下を容易く人質に取られてしまった事から警護の在り様に一石を投じられ、ごく限られた者たちだけには白銀武の名が知らされていたようだ。例えばそう、将軍殿下の血縁者を警護する者などにはね。……これが、私の知る事件の顛末だ」
「……そうですか……」
 武の顔からは血の気が引き、蒼白いを通り越して土色になっている。
「大丈夫かね?」
「はい……話してくれて、ありがとうございます……」
「私は下に降りていよう。ビルの入口で待っているから、質問があるなら、考えをまとめておくといい」
 鎧衣課長は武に背を向け、階段室の中へと消えていった。
「……はぁ……なんだってんだよなあ、全く……」
 勿論、腹立たしい事この上ないが、それをぶつける対象はもうどこにもない。後藤部隊はこの世界の武と帝国情報省外務二課の手によって、既に滅ぼされてしまっている。
 武は脱力して手摺にもたれたままその場にへたり込んで、大きく溜息をついた。
 純夏の言動を思い返してみると、なるほど、さっきの話と一致するところが多い。
「俺がいなくなったって、そういうことだったのか……BETAのせいで離れ離れに、か。はぁ……これから先、どうなるのかな……」
 空をぼんやりと見上げながら呟いた。
 今でも純夏はかなりの安定を見せ、全てを取り戻すのは時間の問題だというところまで来ている。
「このままいけば多分、さっきの話、そのうち思い出すことになるんだよなあ……」
 そうなった場合、今はBETAにだけ向けられている怒りや憎悪が、どこに向いていくのか分からない。
 とは言っても、今更止まる事など出来ないのだが。
「あんま考え込んでても仕方ないか……出来る事をやるしかない、よな。何が出来るんだろ……」
 来るべき時を迎えたら、全力で純夏をサポートしてやるくらいしか、思いつかない。
 他に出来る事、やるべき事といえば……。
「そうだ……こんな事、霞に知られるわけにはいかないよな……やっぱ」
 というか、誰かに打ち明けられるような類の話ではない。状況次第では、夕呼に話す事になる可能性があるくらいだ。可能であればそれも避けたい。
 とにかく、基地に戻り次第すぐに夕呼の所に赴いて、バッフワイト素子で霞のリーディングをブロック出来ないかどうか聞いてみなければならないだろう。
「ふぅ……いつまでもこんなところでぐったりしてるわけにもいかないよな。こっちに戻ってきた時、立ち止まらないって決めただろ……」
 両手で頬をバチンと挟み込むように叩いて、それから勢いよく立ち上がった。
「よしっ……大丈夫だ。それにこれ以上、戎に気苦労をかけさせるわけにもいかないしな。さ、やる事やっちまおう!」
 武は元軍医に軽く挨拶して、それからビルを出た。

「ドクターとの話は終わったのかね?」
「え? ……ああ、はい」
 建物から出ると、鎧衣課長が美凪に気を遣って嘘の質問を投げかけてきたので、武はそれに応えた。
「ときに鎧衣課長、斯衛軍相手に使えるコネは残ってます? 城内省でもいいですけど」
「なんだね、急に」
「ちょっとばかし、戦力の充実をしとこうと思いましてね」
 最初は美凪に誰かを紹介してもらおうと思っていたのだが、鎧衣課長の方が話がスムーズに進みそうなので、予定変更である。
「ふむ。材料は持っているのかね?」
「一応は」
「それならば連絡を取るだけは取ってやろう。だが期待はしないでくれよ? 私は今や、肩書きもなにもない、ただのおじさんなのだからな」
「よく言うよなあ……こんなとこをプラプラしてる時点で、思いっきり影響力を残してるじゃないですか」
 武は少し呆れた様子で言った。
 特に逃げ回っている様子も無く、武の要請に応えて軍相手に仲介などをしてくれるという事は、取引なりなんなりで、既に身の安全を確保してしまっているという事だ。影響力が残っていなければ、そんな事は到底出来ない。
「あの……少佐?」
 そっちのけにされていた美凪が、遠慮がちに武に話しかけてきた。
「ん、どした?」
「その、そちらの方は、どなた様なのでしょうか……?」
「なんだ鎧衣課長、また自己紹介しなかったんですか」
「またとは何だ、人聞きの悪い」
「どうせ俺の時みたいに戎の名前を言い当ててビックリさせて、そこでお終いだったんでしょう?」
「はっはっは、いや耳が痛いな。私は元帝国情報省外務二課課長、今は無職の鎧衣だ。よろしく、お嬢さん」
「はあ、こちらこそ」
「ほら、ウチの隊に鎧衣美琴っているだろ、あの子の親父さんだよ」
「はあ……」
「では白銀武、城内省まで送ってくれたまえ」
「分かりました。じゃ、行きましょうか」
 三人はこの場を離れ、浅草寺の裏手に停めてあるジープに戻っていった。

 城内省官舎のとある会議室の一室で、武は今、斯衛軍の赤服に大佐の階級章をつけた妙な髪型のゴツい男と、スーツで身を固めた城内省の高級官吏、それに鎧衣課長を交えて折衝をしている。美凪は別室で待機中だ。
 斯衛の白服はそのまま着続けている。武は国連軍の制服に着替えると主張したのだが、鎧衣課長がそのままの方がインパクトがあるからと、ごり押しされてしまった。その言葉通りインパクトは抜群で、武が部屋に入った時の大佐と官吏の顔は見ものだった。
 ちなみに、武が斯衛でもないのに斯衛の制服を着ているのは、鎧衣課長の悪戯という事で済まされてしまっている。武の正体は『白銀武』の双子の兄とでもされているのだろう。
 それはさておき。
 交渉しているのは、横浜基地に武御雷を何機か融通して欲しいという件と、月詠たち第19独立警備小隊を借り受けたいという件の二件。
 武は有事の際、月詠たちの武御雷を拝借する腹積もりだったのだが、肝心の月詠たちがいなくなってしまっては、それが出来なくなってしまう。それとは別に要求している武御雷は、無いよりはあった方がいい、という程度のものだ。
 XM3の発案者として武もそれなりの有名人になって、発言力も出てきているのだが、さすがにこれだけの条件をすんなりと飲ませる事は出来ない。
「──それで、こちらが提示出来る材料なんですが……」
 武は懐の中から一枚のデータディスクを取り出し、テーブルの上に置いた。
「これは?」
「横浜基地でXM3トライアルが行われた際のアクシデントで、私が非武装の不知火でBETAと戦った時の操作記録です」
「なんと!?」
 文官である官吏の方はともかく、衛士でもある──名を紅蓮醍三郎という──大佐の驚きようは尋常ではなかった。が、それもある意味仕方がない。伝えられた断片的な情報から、それが真実である事は分かっていたものの、一体どんな操桿でやり遂げたのか、戦術機の黎明期から衛士であり続けている紅蓮大佐でさえも、全く想像が出来なかったからだ。
 XM3の性能は先の甲21号作戦で十分過ぎるほどに証明されているが、その時の戦闘記録をチェックしてみても、丸腰の戦術機で一定数以上のBETAに囲まれて孤立しながら、その状況を切り抜けるどころかBETAの撃破までしてしまうようなものは当然なかった。強いてあげれば月詠の小隊、特に戎のそれが一番近いものではあったのだが、それでもまだまだ既成概念の延長線上でしかなかった。
 つまりこのデータがあれば、XM3のポテンシャルをより引き出せるようになれるかもしれないという事で、それは戦術機甲部隊の大幅な増強に繋げられる可能性があるのだ。
「少し相談させて頂いてもよろしいですかな」
「ええ、構いませんよ」
 紅蓮大佐と官吏は連れ立って、部屋から出て行った。
「そんな相談するほど価値あるんですかね、コレ」
 少しだけ呆れたような目でディスクを眺めながら、武は鎧衣課長に話しかける。
「君がそれだけの事をやってのけたという証明だよ。もっと満足そうにしていてもいいと思うがね」
「それはオリジナルハイヴを潰すまで取っておきますよ」
「謙虚な事だな。しかし良かったのかね? そのデータとて、機密に属しているのだろう」
「まあ、そうですけど……こんなもん後生大事にしまいこんでても、しょうがないでしょ」
 記録されている機動概念が解析され、それを理解して戦術機の操縦に反映できる衛士が現れたところで、何も問題はない。そこまでいかずとも、一部でもトレースして既存の概念に組み込むだけでも、戦闘力のアップに繋がる。
 いずれにしても、オルタネイティヴ4を遂行する上で、武たちにとって不利になるような事は何もない。
 戦後の事を睨めばまた色々とあるだろうが、斯衛に限って言えば、悠陽が実権を取り戻した今、その心配は全く無い。他の組織にしてみても、そうなる前に世界中にばら撒いてしまえば条件は同じになるので、やはり問題はない。それどころかむしろ、おおっぴらに教える事が出来るようになれば、XM3の教導官が出来る武が所属している、そしてXM3発祥の地である横浜基地が圧倒的優位に立つ事になる。
「戦闘記録なんて使ってなんぼですよ。俺たちの敵はBETAです」
「正論だな。しかし、それを本当の意味で理解していない人間の何と多い事だろうな」
「仕方ないですよ。人間なんて、目先の事に囚われやすい生き物ですからね。でも、甲21号作戦で人類勝利の可能性を、少しはその目先に持って来られたと思ってるんですけど」
「確かにそうだな。だが、まだまだこれからの君たちの働き次第だ。期待しているよ」
 鎧衣課長は薄く笑った。この人にも色々と思惑はあるようだが、人類の勝利を望む気持ちは間違いなく本物だろう。
「ああ、そうだ。この前貰ったお土産のお礼、まだ言ってなかったですね。ありがとうございました。あの人形が持ち主を守ってくれるって、本当だったんですね」
「何を言っているんだね君は」
「……は?」
「あれは土産物屋で買った、ただの木彫りの人形だよ」
「で、でも捨てると呪われるって……」
「冗談に決まっているじゃないか」
 あの人形が身代わりになったから武が助かったのではなく、逆にあの人形が壊れたから武が怪我をしたのではないか、という不吉な考えが頭の中を通り過ぎる。
「いや、まさかそんな事は……」
 とりあえず、怪我という因果をあの人形が肩代わりしてくれたおかげで、綺麗さっぱり直ったのだと言うことにしておいた。多分その方が幸せだ。
 それはさておき。
「お待たせ致しました」
 相談しに部屋を出て行った二人が戻ってきた。
「こんなところでいかがでしょう?」
 官吏がテーブルの上に書類を広げる。
 そこに提示された条件は、一般斯衛兵用の黒い武御雷が二機。半年間の第19独立警備小隊の出向。これは半年後の状況次第で、期間延長が可能。そして有事の際、横浜基地に存在している全ての武御雷をオルタネイティヴ4に提供する事、というものだった。
 武自身は、自分の操作記録の価値など微妙だと思っているので、それから考えれば破格の条件だ。
 ただ、確かめておかなければならない事がある。
「一つ確認したいのですが」
「何ですかな」
「最後の項目、横浜基地の武御雷全て……というのは、紫の将軍専用機も含まれていると解釈して宜しいのですね?」
「それはさすがに……と言いたいところですが、致し方ありませんな」
 少し考えるようなそぶりをした後、紅蓮大佐が答えた。しかし言動とは裏腹に、その表情にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいる。
 城内省や斯衛軍という組織としては冥夜を切り捨てる決断を下しているが、個々のレベルでは、やはりそれを不遇に思っている者は多いのだ。
 いや、組織としてそういう結論を出さざるを得なかっただけで、本当に冥夜が戦死すればいいと思っている者など、誰一人としていないのだろう。いくら縁を切ろうが、悠陽と冥夜が双子の姉妹である事に変わりはないのだ。
 目前の二人も、紫の武御雷や月詠の部隊を横浜基地に残す事は、やぶさかではないのだろう。元はといえば、それらは悠陽の意思によって行われた事なのだから、尚更だ。
「じゃあ商談成立という事で。そのデータ、上手く使ってくださいね」
「そちらこそ武御雷の名を汚さぬよう、頼みますぞ」

「それではな、白銀武」
 城内省の官舎を出たところで、鎧衣課長が切り出した。
「美琴には会っていかないんですか?」
「国連の方は、まだほとぼりが冷めていないのでね。横浜基地に入った途端、MPに連行されてしまうよ」
「そうですか……今日は色々とありがとうございました」
「なに、私もいい暇潰しになった。機会があったらまた会おう。では、さらばだ」
 鎧衣課長はコートの裾を翻して去っていった。
「……俺たちも帰るか」
「そうですね……」
 武と美凪は車に乗り込み、来た時と逆の道を辿って横浜へと向かい、それから小一時間もすると、武たちは横浜基地の正面ゲートまで戻ってきた。
 車を止めた武のところに見覚えのある衛兵が近付いてくる。初めて武がここに来たときにいた、あの二人組だった。
 そのうちの東洋系の方が話しかけてきた。
「許可証と認識票の提示をお願いします……ってあんた、シロガネタケルか!?」
「……バカ、おいッ!」
 もう一人の黒人系の衛兵が、その言葉遣いを咎める。
「──!? し、失礼しました、少佐殿!」
「いや……別にいいって、そんな畏まらなくても。はい、許可証とID」
「随伴に帝国斯衛軍の戎少尉……確かに確認しました。お二人とも、お帰りなさい」
「はい、ただいま」
「帝国斯衛軍の制服なんて着てるから、一瞬誰だか分かりませんでしたよ。どうしたんです、それ?」
「ちょっとした余興があってね」
「しかし何ていうか……妙に似合ってますね。まるで本物の斯衛軍みたいですよ」
「……そうかな?」
 とは言え、軍人体型なら、誰がどんな軍服を着てもそれなりに似合いそうなものだ。特に斯衛の制服は日本人のためだけにデザインされているのだから、武に似合っているのはある意味当然なのではなかろうか。
 それはさておき。
 手続きの済んだ武は、クラッチを繋いでアクセルを踏み込み、ジープを基地の中に走らせたのだが……ふとある事に気が付いて、ブレーキを踏んだ。
「そうだった、すっかり忘れてたよ。……悪いけど戎、ちょっと待っててくれ」
「……? はい」
 武はゲートを抜けたところで車を止め、衛兵の方に歩いていった。
 車を降りて戻ってきた武を見て、任務に戻ろうとしていた衛兵達は、怪訝そうな表情を浮かべる。
「──? どうかしましたか?」
「伍長たちには、まだ礼も言ってなかったと思ってさ」
「……礼?」
「XM3トライアルの日、ま……神宮司少佐を救ってくれたお礼だよ」
 後から知った事なのだが、まりもを助けた巡回中の衛兵と言うのは、実はこの二人だったのだ。
「ああ……あの時の。いえ、当然の事をしたまでです。そんなこと気にしなくてもいいのに」
「いや、それでも礼を言わせて欲しい。随分と遅れちゃったけど……本当にありがとう」
 武がまりもに差し出された銃を受け取っていなくても、警戒中のこの二人が通り掛らなければ、まりもの命は無かったのだ。
 聞くところによると、結構な無茶をしてくれたらしい。彼らが兵士級を発見した時、そのまま発砲すればすぐに殲滅出来たのだが、射線上にはまりもの姿もあった。
 一瞬の判断で威嚇射撃から即座に散開、一人が危険を承知で兵士級に詰め寄って注意を引き、もう一人がまりもを救出。
 そうしてまりもの安全を確保してから、兵士級を殲滅。つまり、まりもの安全を最優先に考えて行動してくれたわけだ。
「でも、礼を言うなら我々の方ですよ」
「……へ?」
「少佐には大きな希望を貰いましたからね……甲21号作戦の成功っていう。俺たちにはまだ未来があるんだって心の底から思えたのは、あの佐渡島ハイヴ陥落の知らせを聞いた時が初めてでしたから。ホント、みんな感謝してますって」
「そっか……良かった。でも、俺たちが佐渡島に行ってた事、知ってたんだ」
「はははは……それはまあ。もちろん細かいところまでは知りませんが、少佐たちが出撃した事や、あのでっかい秘密兵器が飛び立って行ったって事は、同じ基地にいて隠せるものじゃありませんからね」
「そりゃそうだよなあ……」
 武は、ごもっとも、といった感じで呟いた。
「それに、我々歩兵は戦術機適性で撥ねられたクチですので」
「え?」
「だから、どうしても戦術機甲部隊の動きが気になってしまうんですよ」
「……なるほど」
 在日国連軍にいる外国人は、ほとんどが国を追われた者達だ。彼らが自分の手でBETAを駆逐して祖国を取り戻そうと衛士を目指すのは、ある意味当然の事だ。
「それで、戦術機でBETAの野郎をぶっ殺せる衛士が羨ましい……なーんて思ってたんですけど」
「……けど?」
「神宮司少佐救出のために、オレたちもBETAと直接戦いましたからね」
「正直、あんなおっかないのはもうこりごりですよ」
「違ぇねぇ。『死の八分』でしたっけ? あんな程度でビクビクしてるようじゃ、オレらにゃ越えられませんわ」
 二人は妙に楽しそうに、ワハハと豪快に笑った。
 しかし、武はそんな事はないだろうと思う。
 歩兵がBETAと対峙する事は、そうある事ではない。
 昔ならいざ知らず、戦術機の性能向上やBETAの情報分析が進んだ近代戦では、基本的に戦線を構築する時には最前衛に戦術機甲部隊が大きな網を張り、その後ろで機械化歩兵部隊が戦術機の網をすり抜けてくる小型種を押さえ込むように配置される。歩兵はその更に後方、指揮車両や砲撃支援車両の護衛に付く。これは各部隊の戦闘能力を考えれば妥当なところではある。歩兵と戦術機が並んで戦っても、歩兵は足手纏いにしかならないからだ。
 確かに、戦闘員としては大して役に立っていないかもしれないが、しかしCPやHQ等、戦域管制を行っている非戦闘員からしてみれば、歩兵が随伴しているのといないのとでは、圧し掛かるプレッシャーが全く違ってくる。彼らにとって、歩兵とはまさに最後の砦なのだ。そしてそれは作戦指揮の精度につながっていくので、歩兵の存在には大いに意味があるのだが、それはさておき。
 先のような配置である以上、もし歩兵達が陣取っている場所までBETAが迫って来るような事があったとすれば、それは防衛線が機能しなくなっているという事にほかならない。そして戦線が瓦解しつつあるような状況では、歩兵は衛士以上に生還する確率が低い。
 つまり、BETAとの戦闘経験のある歩兵は稀有な存在だという事だ。
 この二人も、極東の絶対防衛線とはいえ、その中では最後方にあたる横浜基地に配属されている事から考えても、直接BETAを相手にするような戦闘経験があったわけではないだろう。
 衛士にとって本当の意味での初陣とは、BETAと初めて戦った時の事を指すのだが、そういった意味では、ほとんどの歩兵が初陣を経験していない事になる。
 死の八分──
 戦術機登場当初、初陣の衛士がBETAと直接戦った場合の平均生存時間。だが、当時に比べて衛士育成プログラムや戦術機等の兵装は進化し、当時そのままの八分という数字に疑問を持つ者も多い。
 しかし、改善を重ねられた育成プログラムで育ち、進化した兵器を操っているにもかかわらず、衛士たちが初陣でやられてしまう確率は相変わらず高い。だとするとこれは、技術的な部分に問題があるわけではないという事になる。
 考えてみれば、史上初の衛士達は元々戦闘機のパイロットであり、別に新兵というわけではなく軍人としての経験はそれなりに持っていた。戦いというものに対する姿勢や覚悟は既に出来上がっていたというわけだ。確かに彼らの平均生存時間は八分と短かいものだったが、それはあくまで技術的な問題から来たものだ。
 昨今、当時と比較出来ないほど技術が発達しているにもかかわらず、衛士たちが初陣で戦力が下回っているはずの相手にやられてしまうのは、精神的に未熟であるからと言わざるを得ない。
 たまたま同じ数字に収斂したのか、それとも教訓として八分という数字を語り継いでいるのか。それは不明だが、とにかくその八分という数字の持つ意味は、昔と今とではまるで違う。
 そう考えてみると、衛士だろうが歩兵だろうが、初めてBETAと戦う時に一番大切なのは、持てる戦闘能力を遺憾なく発揮するための精神力、という事になる。だとすれば、『死の八分』はなにも衛士のみならず、BETAと戦う者全てに当てはめられる。
 そして生存率はともかく、戦術機という鎧をまとっていない分、感じる恐怖は生身である歩兵の方が遥かに大きいだろう。
 にもかかわらず、この二人は生身でBETAと対峙し、パニックを起こすことなく冷静な判断でまりもを助け、兵士級を撃破し、自分たちも無傷で生き残ってみせた。
 確かに彼らは衛士ではない。しかし、数多の衛士たちが越えられなかった『死の八分』を、間違いなく乗り越えたのだ。
「──そんなわけだからさ。俺はあんたたちを心の底から尊敬するよ」
「……嬉しいこと言ってくれるなあ」
「ああ……全くだよな」
 伍長たちは、少し照れくさそうに笑った。
「でもまあ、分相応ってものがある事は思い知りましたからね」
「そうそう。だから前線でBETAと戦うのは、少佐達にお任せします」
「その代わり我々は、全力でこの基地を守り抜いてみせますよ。少佐達が戦場で思う存分暴れてこられるようにね」
「ありがとう。そう言ってもらえると凄く心強い。……それじゃ、俺はそろそろ行くよ」
「──は!」
「おっと、敬礼はしなくていいよ。ウチの上司がそういうの嫌いな人だからさ」
 武は伍長たちに背を向け、ゲートの内側へと歩いていった。
「悪い、待たせたな。行こうか」
「はい」
 そしてジープに乗り込むと、車庫に向かってアクセルを踏み込んだ。



[1972] Re[33]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 武は一度自室に戻り、いつもの作業服に着替えてから、夕呼の執務室に向かった。
「失礼します」
「あら白銀……デートは楽しめたのかしら?」
 夕呼は、このクソ忙しいのに自分だけ遊び呆けよってからに、とでも言いたげな、怨めしそうな目でじっとりとした視線を武に向けながら言った。
 さすがに純夏の事は言えないので、休暇を利用して、美凪をガイドに帝都見物に出掛けた事になっているのだ。
「そう邪険にしないでくださいよ」
「まあいいわ。帝都見物は楽しかった?」
「……それなりには」
 本当は楽しいどころの話ではなかったわけだが、それを表に出すわけにもいかない。
「まあ、予想外の人にも会えましたし」
「……誰?」
「鎧衣課長です」
「あら、生きてたんだ、あのおっさん」
「元気そうでしたよ。情報省をクビになったとか言ってましたけど」
「あっそ、どうでもいいわね。それで何の用?」
 いかにも興味がなさそうに話を流す夕呼。
「帝都から帰ってくるなりあたしの所に来るくらいなんだから、何かあるんでしょ?」
「えっと……ですね、その」
「何よ、ハッキリしないわね」
「……バッフワイト素子で霞のリーディングをブロックする事、出来ませんか?」
「そりゃ、出来なくはないけど」
「理由は聞かないで貰えると助かります」
「社に知られたくないような情報を掴んできたってわけ……鎧衣課長から?」
「そんなとこです」
 実際のところは、元々武が求めていた情報を、偶然再会した鎧衣課長に提供してもらっただけなのだが、それを説明する必要はない。
「やってあげても構わないけど……あんた、今更そんなことして社に嫌われても知らないわよ?」
「仕方ありません」
「……そう、分かったわ。それじゃ今日中に何とかしておくから、明日まで社には会わないようにね」
「はい」
 夕呼は端末に取り付いて何かを操作した後、インターホンで部下に指示を出した。
「これでいいわ。……で、手に入れた情報ってのは、あたしにも内緒なわけ?」
「ええ。情報自体は今更って感じのものですし、無理に知って脳のリソースを消費したり……先生まで霞に嫌われたりする事はないですよ」
 武は少しだけ自嘲気味に吐き棄てた。
 知ってしまえば、夕呼に対するリーディングもブロックしなければならなくなる。霞を想えば、そこまでやるべきではない。
「そう。でも、あんたが必要だと感じたら、その時は教えてくれるんでしょ?」
「はい」
「ならいいわ。用事は終わり?」
「いえ……もう一つ」
 武は手にしていた書類の入った封筒を、夕呼に手渡した。
「なにこれ?」
「帝都土産です」
「ふぅん…………えっ!?」
 あまり興味がなさそうに封を開いた夕呼は、中に入っていた書類を見て表情が固まった。
「城内省に行って話をつけてきました」
 そこに入っていたのは、第19独立警備小隊の国連軍横浜基地への半年間の出向を指示する命令書の写し、横浜基地にある武御雷全機を有事の際に徴収しても良いという承諾書、新規に搬入される武御雷二機の搬入計画書だった。
「これ……全部あんたが?」
「隣には鎧衣課長に座ってもらってたんですけどね。後はまあ何となく足元を見たって言うか……」
「なるほど……御剣の件ね」
「はい。で、トライアルの時の俺の操作記録と引き換えに」
「へぇ、やるわね、あんたも」
「運が良かったんですよ。鎧衣課長に会えたのもそうだし、取引相手が冥夜の事を本当に気に掛けてくれてる人だったってのもそうだし。最初は戎経由の月詠さんのツテで誰か紹介してもらうつもりだったんですけど、その場合だと、さすがにここまではすんなりいかなかったでしょうから」
「まあ何にせよ、手駒が増えるのはありがたいわね。作戦にも幅を持たせられるわ」
 夕呼は書類をトントンと揃えて封筒に戻すと、それを机の中にしまいこんだ。
「それで、話は変わるんだけど。あんたが昨日今日とスケジュールをキャンセルすることになった用事、もう済んだのよね?」
「はい」
「それじゃ明日、鑑を正式にA-01部隊に編入するわね。まりもと伊隅には会わせてあるけど、それ以外はまだだから、訓練前のブリーフィングで紹介するわ」
「凄乃皇の衛士として……ですか?」
「ええ、そうよ。甲20号作戦では、凄乃皇も一緒にハイヴに突入する予定だからね。作戦の核になる機体が無人機っていうよりは、衛士が乗ってた方が気持ち的に安心出来るんじゃない?」
「そうかもしれませんね。……純夏が00ユニットだって事は?」
「誰も知らないわ。状況に応じて、まりもや伊隅には知らせることがあるかもしれないけど、今はまだ秘密……ってこれ、前にも言わなかった?」
「そうでしたっけ? ……まあ、分かりました」


 2001年12月30日(日)

「タケルちゃん、おっはよー!!」
 起床ラッパ五分前。けたたましい声と共に、武はかぶっていた毛布をガバッと剥ぎ取られた。
 ベッドの横には、ニコニコ顔の純夏が立っている。
「なんだ純夏お前……滅茶苦茶ご機嫌だな」
「えっへへー、今日からぁ、コソコソしなくてもタケルちゃんと一緒にいていいんだよね? ね、ねっ!」
「ん? ああ……まあそうだな」
「いっしょ、いっしょ、タケルちゃんといっしょ! いっしょにくんれん!」
「変な歌作るなって。……今日はヴァルキリーズと顔合わせだからな。ま、分かってるとは思うけど、あんま余計な事は喋るなよ?」
「大丈夫だよ! それじゃまた後でね!」
「ああ、またな」
 純夏は手を大きくぶんぶんと振りながら、武の部屋から出て行った。

 ブリーフィングルーム──
 ヴァルキリーズは訓練前のブリーフィングを受けるため、ここに集まっている。しかし集まるだけ集まって、話はまだ始まっていない。
 今日から訓練に純夏が合流するので、その前にお互いの紹介をするわけだ。
 その純夏は、夕呼が連れて来る手筈になっていた。
「はいみんな、おはよ~」
 しばらくして、夕呼が純夏を連れて部屋の中に入ってきた。
 まりもとみちる、武以外の面々、特に先任達は何があるのだろうかと少し身構えている。だが、夕呼が直々にブリーフィングに顔を出す時は、大抵その後にきつい任務が待っているのだ。そうなるのも無理はない。
「──気をーつけぇー!」
 前に立った夕呼に対し、中隊副官の水月が号令をかける。
「速瀬~、そういうのやめてよ」
 それを、げんなりとした顔でやめさせる夕呼。
「あ、いえ……なにか任務かと思いましたので」
「……違うわよ。A-01部隊の補充要員を紹介するわね。……ほら」
「──鑑純夏少尉、只今を持って着任します!」
 夕呼の横から純夏が一歩前に出て、元気な声で着任報告をする。相変わらずご機嫌のようだ。
「白銀があたしの直下で特殊任務に従事してる事はみんなも知ってると思うけど、この子もその一員なの。白銀同様、今後もあたしの任務と兼務だから、ちょくちょくいなくなるけど気にしないで」
「…………」
「──って言っても、気になってしょうがないって顔してるわね。特にその辺」
 少し呆れたような笑みを浮かべながら、元207B分隊組の方をちらりと見た。確かに五人ともソワソワしている。
「教えてあげるわ。鑑はね、XG-70の衛士として養成されていたのよ。甲21号作戦の前に説明したHI-MARF計画が頓挫した理由……憶えてる? はい、榊」
「ラザフォード場の多重干渉をキャンセル出来ず、人間が搭乗出来なくなった事で、状況判断をプログラム任せにして柔軟な対応が不可能となり、米軍の要求仕様を満たす事が出来なくなったからです」
「はい合格。でも、当時と比べてコンピューターもかなり進化してるからね、それで甲21号作戦では無人で運用してみたんだけど、そのデータを見る限り、やっぱり人間が操縦した方がいいって結論になってね。その間にラザフォード場の多重干渉の問題は解決出来たから、衛士として養成されていた鑑が次善策として投入される事になった、ってわけ。そうなると、あなた達との連携は不可欠になるでしょ? だから今日から訓練に参加させる事にしたの」
 ヴァルキリーズは納得のいったようないかないような顔で頷いた。
「この子、今日はこんなに元気だけど、つい最近まで大きな病気を患っていたから、ちょっと体調が安定しないところがあってね。でもまあ、操縦の腕に関しては超一流だから、安心していいわ」
「…………」
「今更だけど、社も同じ任務に従事してるから、一緒に行動する機会も多くなってくると思うわ。二人とも、基本的には白銀に面倒見てもらうことになるけど、あなた達にもお願いしておくわ。よろしくね」
「──はい!」
「凄乃皇弐型はまだオーバーホールが終わっていないから、実機訓練への参加は……そうね、早くても明後日以降になるかしら。それまではシミュレーターで連携の確認をしておいてちょうだい。データの更新はもう済んでるし、今すぐにでも始められるから」
「──は」
「あたしからは以上よ。鑑は残していくから……あとはよろしくね、白銀」
「分かりました」
 じゃあね、と言い残して、夕呼は部屋から去っていった。
 それと入れ替わるように、武が純夏の隣に立つ。
「じゃあ、部隊の事を軽く教えとこうか。俺とまりもちゃんは、本当は夕呼先生の直轄で、厳密に言えばA-01部隊でもヴァルキリーズでもないんだけど、作戦行動は基本的にセットだ。まりもちゃんの紹介は……別にいいよな。もう会ってるんだし」
「うん」
「で、あっちに固まってるのが先任たち。伊隅大尉には会ってるからいいとして……右から順番に、涼宮遙中尉、CP将校で涼宮のお姉さん。速瀬水月中尉、B小隊の小隊長で突撃前衛長。宗像美冴中尉はC小隊の小隊長で、そして風間祷子少尉は制圧支援の要だ」
 それから、武と純夏は視線を大きく左に振った。
「次は同期入隊の連中だな。左から順番に冥夜、委員長、彩峰、たま、美琴。こっからちょっとだけ先任の柏木、涼宮、築地。みんな少尉だ。以上、紹介終わり」
「──ちょっと白銀!?」
 怖い顔で千鶴が武に詰め寄ってくる。
「なんだ?」
「私と珠瀬、名前すら出てないじゃない。それじゃ紹介にならないでしょ?」
「いいんだ、お前らの事は大体知ってるから。なあ純夏」
「うん。榊さんに、壬姫ちゃんだよね」
 向こうの世界から流入してきた記憶を頼りに、千鶴たちの名前を言い当てて見せる純夏。
「えっ……?」
「ま、予習済みって事だよ。それじゃ訓練を始めよう。各自強化装備に着替えてシミュレータールームに集合だ」
「──了解!」

 夕方、シミュレータールーム──
「さて、今日の訓練は凄乃皇との連携を想定したものだったわけだが──」
 一日の訓練を終え、ヴァルキリーズはシミュレーター室のデッキに集合している。
 まりもが隊員達の前に立ち、戦闘評価を行っていた。
「初めての連携でハイヴ突入20回中、13回の破壊に7回の制圧……いきなり成功率100%を叩き出したのは見事だと言っていい。よくやった。
 しかし、これは甲21号作戦で手に入れた情報をナビゲーションに反映しているため、ある意味当然の結果だ。地下茎構造のデータも敵の基本配置も、全て甲20号目標を完全に再現している……つまり、初期配置や敵増援の出現タイミングで、敵が最も少ない進攻ルートが計算され、一番ヌルいルートが選択されていたわけだ。
 最後の三回、S難度の実戦モードでもそれは当てはまる。S難度とはいえ、ヴォールク・データで散々鳴らしてきた貴様達なら、対処出来ないというほどではなかっただろう?」
「──はい」
「……いいか。この結果に安心して気を緩めたりはするな。
 情報はナマモノだ。甲21号作戦から甲20号作戦までのインターバルは二週間。その二週間の間に、BETA共が地下茎構造を拡張したり、戦力配置を変更していても、何も不思議はない。このデータはあくまで甲21号作戦当時のものであって、それを元にした演習で作戦成功率100%を達成しても、甲20号作戦でのハイヴ突入の成功率が100%になるわけではない。それを忘れるな。さもないと本番で足元を掬われる事になる。よく肝に銘じておけ!」
「──はい!」
「では、今後の訓練計画を伝える。明日、不知火がオーバーホールから戻ってくる。午後には稼動可能になるので、13時00分からハンガーで各種調整、15時00分から第二演習場で実機演習だ」
「──了解!」
「明日以降は基本的に午前シミュレーター、午後実機演習という形で訓練を進めていく。鑑は凄乃皇のメンテナンスが終わるまで、データリンクで演習に参加」
「はい」
「私からは以上だ。……白銀は何かある?」
 まりもは武の方を振り向いて言った。
「じゃあ、これからの訓練の指針みたいな事を話しとこうか。さっきまりもちゃんが言ったみたいに、このデータの信憑性は高いとは言っても100%じゃない。だから俺たちはどんな状況にも柔軟に対処出来るようにならなきゃいけないんだけど──」
 そのため、わざと敵の多いルートを選択してみたり、或いは敵の初期配置や増援タイミングをランダムにしてみたりと、様々なパターンで訓練を進めていく。その条件で損耗率0%作戦成功率100%をキープ出来るようになれば、次の段階に移行……つまり、ハイヴデータをフェイズ5に変更して、また同じように成功率100%を目指す事になる。
「そして、最終目標はフェイズ6──オリジナルハイヴ。それを突き崩し押し通す事が出来るようになれば、甲20号目標なんて木っ端ハイヴ、楽勝だからな」
「──はい!」
「じゃあ今日の訓練は終了。みんなお疲れさま」
「──解散ッ!」
 各人、思い思いに散らばっていくように見えたが、しばらくすると、誰からともなく純夏の許に一人、また一人と歩み寄っていき、人の輪が出来上がった。集まったのは、元207訓練小隊の面々だった。
「……ん?」

「凄いわね鑑。とても初めて直援機部隊と連携したなんて思えないわ」
 千鶴が感嘆の声を上げている。
 いきなり合わせられたのは、シミュレーターで連携の訓練をずっとやっていたから、という設定にしてある。本当はヴァルキリーズの機動データさえあれば、量子電導脳で全てシミュレートしてしまえるので事前の訓練など必要ないし、その高い処理能力なら現場合わせだって不可能ではないのだが、そんな事は説明出来ない。
 それはさておき。
 元207訓練小隊の面子から寄せられる評価は、どれもべた褒めだ。
「ねえねえ鑑、一つ聞いていいかな! あの荷電粒子砲、鑑は実際に撃ったことあるの?」
 茜が人懐っこく訊ねた。
「どんな感じ!? やっぱりスカッとするの!?」
 隊員達の興味は尽きない。
 実際に佐渡島でその威力を目の当たりにしているから、尚更だ。話はそれだけでなく、重力制御による機動にまで発展していく。
 戦術機を基準に考えれば凄乃皇弐型はオーバーテクノロジーの塊なので、衛士としては興味の尽きないところなのだろう。
 だが凄乃皇に関する事は全て機密に属しているので、いくら相手がA-01部隊といえど、さすがに話すわけにはいかない。
 武は、無邪気に話しかけてくる元207の質問攻めにあって、おたおたしている純夏の微笑ましい姿を見守りつつも、あまり困らせていても仕方がないのでそろそろ割って入ろうかな……と考えていると。
「鑑、秘密だったら遠慮なくそう言ってね。みんな、単に興味で聞いてるだけだから」
 千鶴がフォローを挿し込んだ。
「あ、うん。ごめんね、全部秘密なの」
 さすがは委員長だな……と感心しながら、武は純夏たちのところに近付いていった。
「よう、楽しそうだな」
「あっ、タケルちゃん!」
 純夏は破顔一笑、まるで主人に褒められた子犬のように武に擦り寄っていく。尻尾でも生えていれば、さぞかし大きくぱたぱたと振られていた事だろう。
 その様子を見て、元207Bの面々は微妙に渋い顔をしていたのだが、武がそれに気付くはずもなかった。
「楽しいのはいいんだけど純夏、お前時間はいいのか?」
「え? ……あ、ほんとだ。みんなごめんね、私、香月先生に呼ばれてるから」
「いや、引き止めて済まなかった」
「ううん、楽しかったよ。それじゃみんな、またね! タケルちゃんもまたあとでね!」
「ああ、またな」
 純夏は手を振りながら、ハンガーから消えていった。

「ね、ねえ白銀。あなたと鑑って……どういった関係なの?」
 純夏を見送ってから、少し躊躇した後、まるで今は亡き清水の舞台から飛ぶかのごとき覚悟を決めた表情で千鶴が思い切って武に訊ねた。心なしか、207Bの他の四人も顔が若干強張っている。
「ん?」
 ぶっきらぼうに答えてちらりと千鶴に視線を向ける武。
「は、話したくないんだったら別に……」
「いや、どうって……そういや言ってなかったっけ。純夏とは幼馴染なんだ。家がお隣さん同士」
「…………おさななじみ?」
「そ、幼馴染。俺が柊町に住んでたってのは話した事あるよな。で、二年前のBETA横浜進攻の時に音信不通になっちゃったんだ。それでこの間の単独任務から帰ってきたらいきなり先生に凄乃皇の衛士だなんて紹介されてさ。いや突然でビックリしちゃったよ」
 そう言って武はハハハと乾いた笑い声をあげた。無論こんな話はでっち上げで、武の記憶とこの世界での事情を適当に都合のいいようにブレンドしているだけに過ぎない。
「そ……そうであったのか」
 しかし真実を知らない冥夜たちは、どこか安心したような面持ちでそれに応えた。
「なんだ、そうだったんた~……ボク、てっきり純夏さんはタケルの恋び……むぐぅっ!?」
「鎧衣、だめ」
「~~~~!!」
 慧が何か言いかけていた美琴の頭を掴んで、その豊満な胸にギュッと抱き込んで黙らせる。
「……なあ、彩峰」
「……なに?」
「美琴、息できないんじゃないか?」
「……大丈夫大丈夫」
「いや、もがいてるって」
 それを聞いて慧が仕方なさそうにパッと手を緩めると、美琴はぼいんっ、と柔らかで張りのある慧のたわわに実った胸に弾かれた。
「──ぷはぁっ! け、慧さん酷いよ~!」
「……ドンマイ」
「で、タケルは純夏さんのことをどう思ってるの?」
「鎧衣!?」
 せっかく慧が美琴の不穏当な発言を防いだと言うのに、またしても危険球を放り投げる美琴。しかし武がその真意に気が付くはずもなく。
「そうだな、なんて言うかまあ……妹みたいなもんだよ」
「い、妹……?」
「ああ」
 武は自分だけ十年間も回り道してきた分、精神的な溝が出来てしまっていて、頭では分かっていてもつい子供扱いしてしまうのである。もっともそれは純夏に限らず、冥夜たちにも当てはまる事なのだが、妹という答えに安心してしまったのか、冥夜たちはそこまで頭が回らなかった。
「相変わらずというかなんというか……」
 そして、武の答えを聞いた晴子が呆れた様子で漏らす。
「鑑も可哀想ね……」
 同じく呆れた様子で呟く茜。
「やっぱり鈍感さん……」
 続いて築地が以下同文。
「まあ、今更期待なんてしてないわよ」
 そんな三人を見て千鶴が、もう諦めてるわ、とでも言いたげに肩をすくめて応える。他の四人も口には出していないものの、似たようなものであった。
「それじゃ、私達もそろそろ行きましょうか」
「そだね」
「じゃあねタケル」
「ではな」
「たけるさん、またね」
「ああ、お疲れ」
 とりあえず武が純夏の事をどう思っているのか知って満足したのか、千鶴を先頭に五人は更衣室に引っ込んでいった。
「で……お前らは着替えないのか?」
 元207Bは去ったが、晴子、茜、築地の元207Aは依然として残っている。
「あ、はい。ちょっとお願いしたいことがありまして」
 茜の言葉に、武は何だろう、というような訝しげな顔をした。
「柏木と築地も?」
「はい」
「それはそうと鑑や榊たちの相手してる白銀ってさ……なんか小学校の先生みたいだよね~」
「は、晴子っ、いきなり何言い出すの!? それに上官に向かってそんな口の利き方──」
「え~、だって御剣たちは普通に話してるのに、私たちだけ改まってるのも馬鹿みたいじゃない。それに白銀相手に畏まって話すの、なんだか知らないけど凄く不自然で気持ち悪いのよね。だから、我慢するのはやめ!」
「あ、それいいかも。私も少佐のこと白銀くんって呼ぼ」
「ちょっと築地まで!」
「俺は別に構わないぞ……っていうか、そっち方が気楽でありがたいな。それに俺の事は白銀でもタケルでもいいって、最初に言っといたはずだ」
 武は特に気にする様子もない。あまり畏まられても、むしろその方が気色が悪いのだ。
「だってさ、茜」
 晴子はウィンクして、肩をすくめてみせた。
「も~、最低限の規律もなくなっちゃうじゃないですか!」
 茜が元分隊長らしく武に抗議するが、しかし武はそれに事も無げに言葉を返した。
「その辺は俺が夕呼先生の直属って事で諦めてくれ」
「う……なんか今ものすごく納得しちゃった自分が悔しい……」
「ははは、すぐ慣れるよ。あいつらもそうだったしな」
 武は笑いながら言った。
「んで柏木、何で俺が小学校の先生みたいなんだ?」
「う~ん、御剣たちって、私たちと一緒に訓練してた頃と比べて、みんな素直に自分を表現出来るようになったっていうか、無邪気になったっていうか」
「あ、わかるわかる。昔と比べるとみんな肩肘張るのやめちゃってて、凄く取っ付きやすくなってるの」
 築地が晴子に賛同する。
「そうなんだよね」
「……まあ、あいつらも成長してるって事だろ」
 恐らくクーデター事件あたりで色々と思うところがあって、それぞれ成長しているのは間違いない。だが207Bはみんながみんなそれなりに特別な事情があるので、本人達の承諾も得ずに開けっぴろげにしてしまうわけにもいかない。そんなわけで武は適当にお茶を濁す。
「気にはなってたんだけど、そしたら白銀が副司令の特殊任務から帰ってきて」
「その時の御剣たちの顔ったら、まるで新学期を迎えて大好きな先生にやっと会えたみたいな」
「先生って言えば、俺も一応はあいつらの先生だからな。衛士訓練学校で教えてた事もあるんだし」
「そう、それそれ。そんなわけで私たちも教え子にして欲しいな~、なんて」
「……は?」
「戦術機の操縦を教えてくださいってこと」
「ああ、さっき言ってたお願いってやつか。でも、それなら俺よりまりもちゃんに頼んだ方がいいんじゃないか?」
「あらら、ふられちゃった? でも、ここは押し通さなきゃいけないんだよね~」
「そうそう、こればっかりは神宮司少佐じゃダメだから」
「どういう事だ?」
「それはね──」
 晴子が言うには、ここ最近の訓練を見る限り、冥夜たちとの成長スピードに差が付き始めているのではないか、というのだ。実際、僅かながらではあるが差は出始めていて、その事には武も気が付いてはいたのだが、大きな問題になることはないと判断していたので特に気にしていなかった。しかし、茜たちはそれでは納得出来ないらしい。勿論、後から任官してきた冥夜たちに追い越されて差を付けられるのが嫌だというのではなく、差が付く事で部隊の足を引っ張ってしまうのではないか、という事が耐えられないのだ。
 そして冥夜たちと自分たちを比較してみて、才能云々は別問題としても、どこに違いがあるのかと突き詰めていった時、戦術機操縦の大元になる考え方を誰に習ったかという所に辿り着いたのである。
「それで、一度でも白銀少佐に教わるのとそうでないのとじゃ、全然違うと思ったんです」
「神宮司少佐だって、XM3の開発の時に白銀くんに戦術機の操縦を習ったようなものだよね?」
「……言われてみればそうかもな」
「見て盗むなんて悠長なこと言ってられないし。そもそも白銀の考え方が理解できないんだから、そんなの最初っから無理なんだよね。だからお願いっ!」
 晴子は両手の手のひらを合わせて、お願いのポーズをとる。
「分かった、分かったから拝むなって。でも、あんま分かりやすいレクチャーは期待すんなよ?」
「やった!」
「ああ……でもそうだな、一つ条件を出そう」
「な、何ですか……?」
「それだ涼宮。お前がその畏まった態度をやめたらな」
「うっ……ま、前向きに善処します」
 どこぞの政治家みたいな事を言う茜。じきに慣れるだろうという事で、武は深く追求しなかった。
「じゃあそうだな、飯食って一休みして……19時から始めようか」
「──はいっ!」

 晴子たちとの特別訓練を終えて部屋に帰ってきた武は、シャワーを浴びて汗を流すと机に着いてボソリと呟いた。
「気は進まないけど纏めとかないとな……」
 机の引き出しの錠を解放して、その中から封書を取り出す。戎から受け取った報告書だ。それを参照しながら、レポート用紙に鎧衣課長から聞いた話を可能な限り詳細に書き綴っていく。
 もし万が一、あの事を誰かに伝えなければならなくなった時、武の事だけならまだしも純夏の事まで言及するとなると、口頭で冷静に説明出来る自信がないのだ。
 ゆっくりと気持ちを落ち着けて、まずは廊下の気配を確かめる。この作業は誰かに見られるわけにはいかないからだ。特に、今日から隣の部屋には純夏が引っ越してきているので注意しなくてはならない。そして外の様子に気を配りつつ、記憶を呼び起こしながら一字一句したためていった。
「…………これでよし、と。あとはこれが役に立たない事を祈るだけか……」
 書き上げたレポートをトントンと揃え、封筒に入れて封緘すると机の引き出しの中に入れてそれを施錠した。
 そして一息ついた時、部屋の入口の扉からコンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。
「──少佐、いらっしゃいますか?」
「ん……どうぞ」
「──は、失礼します」
 扉をくぐって現れたのは、みちるだった。
 時刻はもうすぐ23時を回ろうとしている。
「こんな時間に何の用……ま、まさか夜這い!?」
「ちっ、違いますっ!!」
「冗談だって……そんな力いっぱい否定しなくても……」
「す、すみません」
「いいよいいよ、気にしなくても。で、何の用?」
「実は、お願いがあって来たのですが」
「お願いねえ……」
 なんだか今日はよくお願いされる日だなと思いながら、武は呟いた。
「ご迷惑だったでしょうか?」
「ああいやいや、そんな事はないよ。で、そのお願いってひょっとして俺に戦術機操縦の基礎を教えてくれとか言うんだったりしてアハハハ」
「──!」
「ありゃ、ひょっとして……当たり?」
「は、はい」
「じゃあ、冥夜たちの成長スピードがどうのって、そんな話?」
「なっ、何故それを!?」
 考えている事をことごとく読み取られているかのような錯覚に陥り、目を見開くみちる。だが勿論武にリーディング能力などあるはずはなく、お願いなんて言ってきたものだから、内容も晴子たちと同じだったりして、程度に考えて言ってみただけである。みちるがこのような問題を抱えた事はある意味必然だが、それが的中したことに関しては単なる偶然だ。
 というような事を話して種明かしをする武。
「そうですか、柏木たちも同じ事を……」
「教えるのは先任みんなって事で?」
「はい。私と速瀬、宗像、風間、それに涼宮です」
「涼宮中尉も?」
「本人が言うには、衛士の気持ちを理解しなければ、良い戦域管制は絶対に出来ないそうで」
 確かにそれは言えるかもしれない。いくら育成プログラムが成熟しているとはいっても、やはり最前線で戦う衛士と後方で指示を飛ばすCP将校との間には感覚的なズレがある事は間違いない。特に遙のように衛士の経験がなければなおさらだ。より戦術的な状況で的確な管制を行うには、衛士がどう動きたいかをより良く理解しておかなければならないだろう。
 現状でも遙はヴァルキリーズの思考を汲み取り、彼女たちが極力動きやすいように戦域管制を行っているのだが、ヴァルキリーズの思考回路が従来型と武の考え方をブレンドしたものに移行してしまうと、さすがにこれまで通りというわけにもいかなくなる。故にCPの遙も衛士に合わせて思考をスライドさせていく必要がある、というわけだ。
「……なるほど。それじゃ明日から始めようか」
「よろしくお願いします」
「時間は……そうだなあ、ちょっと遅くなるけど柏木たちの訓練が終わって、22時からでいいかな」
「我々は何時からでも構いませんが……よろしいのですか? それですと少佐は毎日夜間訓練が入るようなスケジュールになってしまいますが」
「別に構わないよ。みんながやる気になってるんだから、そっちを大事にしなきゃ」
「は、ありがとうございます。では、私はこれで」
「はい、お疲れさま~」
 みちるが部屋から出て行くのを確認すると、武は簡単な訓練計画を立ててからベッドに横になった。



[1972] Re[34]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/09 12:42
 2002年1月1日(火)

「あけまして、おめでとうございまーす!!」
 今、PXの一角にはヴァルキリーズに純夏、まりも、夕呼、ピアティフ、霞、そして武が集まり、そして目の前に並べられたご馳走をぱくついていた。
 甲20号作戦を一週間後に控えているとはいえ、やはり日本人たるもの、正月のお祝いをしないわけにはいかないという事で、日頃の訓練の休養も兼ねて、ささやかながらでもいいからと内輪で集まって祝おうという事になったのである。
 ささやかなどといいつつ、しっかりとご馳走が用意され、結構派手な集まりになっているのは京塚曹長の仕業だ。あんたたち頑張ってんだからちょっとくらい贅沢してもバチなんて当たりゃしないよ、と押し切られてしまったのだ。
 PX内には他の部隊の人間も数多く集まっているのだが、それを見て不満そうにするものなど誰もいない。ここに揃っているメンバーがオルタネイティヴ4の実行部隊だということを知る者はもとより、そうでなくとも、そこに見られるのが副司令の夕呼だったりXM3発案者の武だったりするので、文句の言いようがない。
 しかし一番大きな理由は、ご馳走を振舞ったのが京塚曹長だという事である。この状況に文句を言うという事は京塚曹長に文句を言うのと同義であり、PXで京塚曹長に逆らえば豊かな食生活が貧しくなり、食べる事が娯楽の一つとなっているこの世界で地獄を見る事になる。おばちゃん恐るべし。
 というのは冗談だが、このPXの利用者はみんな京塚のおばちゃんには良くしてもらっているので、逆らう者はいない。京塚曹長がそう言うのであれば……と、みんな納得している。
 それとは別に、武にだけ向けられる視線もあった。
 集まっているメンバーについてだが、これが横浜基地で美女、美少女を順に引っ張って来た場合と同じ面子だったりするのだ。そんな集団の中に男が独りポツンといるわけだから、向けられる羨望の眼差しは多い。
 もっとも、それと同じくらい憐憫の眼差しも向けられている。と言うのも、ここに集まっている女性たち、どう見ても一癖どころか二癖も三癖もある者たちばかりだからだ。おまけに衛士陣に至っては、全員豪傑と言ってしまっても差し支えはない程の女丈夫ばかりだ。もっとも、そうでなければトップガンなど到底務まらないのだが。そんなわけで、余程の鈍感男でもない限り、普通の男がこの集団の中に入ってきても弄り倒されて終わりである。
 それはさておき。
「あっははははははっ! 白銀ぇ~飲んでるぅ~?」
 水月が馬鹿笑いしながら武に後ろから圧し掛かってきた。首に回された腕の先を見ると、お猪口と徳利が握られている。
「は、速瀬中尉!? ……うわ、酒くさっ!」
「んもう、レディーに向かってなんて言い草なのかしら!」
「お猪口と徳利を握り締めて人に絡む女のどこらへんがレディーなのかと……」
「なんですって!」
 水月の武を締め付ける力が強くなる。だからと言って無理矢理力ずくで引き剥がすわけにもいかない。決して背中に押し付けられている暖かく柔らかな二つの丸い物体の感触が気持ちいいからそのままにしているわけでは断じてない……多分。
「ふむ。こうなったら、一晩かけてベッドの中でゆっくりとレディーである事を証明するしかない」
「は? ……宗像中尉?」
 そこに美冴が近付いてきて、妙な事を口走った。
「ああ水月、今夜は寝かさないよ!」
 両腕で自分の身体を抱きしめるようなジェスチャーでくねくねとした身振りを交えながら、歌うように言葉を発する美冴。気持ちよければ何でもいいとは言ってたけど、やっぱりそっち系の……などと武が考えていると──
「……って、白銀が言ってます」
 まだ続きがあった。
「はぁ!?」
 良く見たら、美冴も頬が紅潮して目が据わっている。水月ほどではないにしても、明らかに酔っ払っていた。
「ちょっと宗像中尉、何言って……!?」
「速瀬中尉、そんなにベッタリくっ付いてアピールしなくても、夜中に部屋を訪ねれば……ふっふふ、あ~ら不思議40週後に可愛い赤ちゃんが!!」
「──む~な~か~た~~ッ!!」
 鬼の形相を呈し始めた水月を見て、美冴はキャッキャと騒ぎながらその場から逃げ出した。
「ちょっとあんた、私を何だと思ってんのよ! コラッ、待ちなさいよッ!」
 それを追いかける水月。
 しばらく追いかけっこをしていた二人だったが、先にダウンしたのは水月の方だった。その後、二人揃って京塚のおばちゃんに怒られたのは言うまでもない。
 そして走り回って酔いが更に回ったのか、酔い潰れた水月は真っ青で今にも死にそうな顔で、遙に連れられて部屋に帰っていった。
「まったく……誰だ、速瀬に酒なんか飲ませたのは……」
 何とか事態が収集すると、みちるが溜息をつきながら言った。
「あのぅ……すみません」
「珠瀬、お前だったのか!? ……な、なかなかやるな」
 どうせ美冴か晴子あたりだろうと高を括っていたら全く予想外の人物が出てきて驚いたのか、みちるはなんだかよく分からない事を言ってしまう。
「あ、いえ、違うんです。パパが送ってくれた米国のお土産をみんなで食べようと思って持ってきたんですけど、それが……」
 と言って、壬姫は甘い香りを漂わせている化粧箱を取り出した。
「これは……チョコボンボン?」
「はい。速瀬中尉、私が説明する前に『あっ、チョコも~らいっ! 返さないわよッ!』って言って、食べちゃったんです。いっぺんに三個も」
 その後はこの正月というおめでたい雰囲気に当てられて、用意されていたお屠蘇をグイグイやってしまった、と言うわけだ。

「ねえねえ、タケルちゃんはお酒飲まないの?」
 災難だったね、とでも言いたげな顔をした純夏が話しかけてくる。
「俺はいいよ……まあ未成年だし」
「白銀ぇ~、こんな時だけ真面目ぶったって、女の子にもてないわよ~?」
 少しだけほろ酔い加減の夕呼がやってきて、武に絡み始めた。
「いや、その……酒は死活問題ですから」
 実は武は下戸なのである。飲んで飲めない事はないだろうが、酒を飲んだ記憶などない。万年即応状態で常に出撃する可能性を孕んでいた武にしてみれば、ちょっとした事でも命取りになるような状況で、少なからず冷静な判断力を奪い、それを自覚出来なくしてしまうような液体を体内に摂取するわけにはいかなかったのだ。
 酒を飲んで酔っ払い操縦で撃墜されました、などというのが笑い話では済まない立場にいたのである。
「あっそ。それよりもあんた、あれから社と話してないんだって?」
「えっと、その……気まずいって言うか」
「気持ちは分からないでもないけどね、あの子、随分と落ち込んでたわよ? あんたに愛想尽かされたって思ってるみたいね」
「俺が霞を? まさか!」
「なら、本人に直接そう言ってあげなさい。社があんな調子だと、今後の計画にも支障が出かねないわ」
「はあ……分かりました」
 夕呼が去っていくと、武はキョロキョロと辺りを見渡してみた。
「霞は……っと、ん? 珍しい組み合わせだな……」
 探すと言ってもヴァルキリーズに割り当てられたスペースはそんなに広くないので、霞の姿はすぐに見つかった。その霞と一緒にいるのはまりもだった。確かに相談相手としてはまりもは話しやすく、適切な答えを返してくれる相手だろうが、それにしてもこのツーショットは珍しい。もっとも、霞はいつも夕呼と一緒にいたわけだから、夕呼と同い年のまりもが一番話しやすかっただけなのかもしれないが。
「ねえタケルちゃん……霞ちゃんに何かしたの?」
「ん、ああ……ちょっとあってな」
 言葉を濁す武。事情を説明すれば、ズルズルと最後まで説明しなくてはならなくなる。特に純夏には話すわけにはいかない。
 霞の所に近付いていく武。
「──!」
 それに気が付いた霞は慌てた様子で立ち上がり、まりもに向かってぴょこっとおじぎをすると、武に背を向けてタタタっと逃げ始めた。
「ちょっと待てってば、霞!」
 武は霞を追いかけて、あっという間に追いついてしまう。鍛えに鍛え抜いた衛士と、訓練など何もしていない小さな女の子とでは、身体能力の差は歴然だ。
「とにかく話を聞いてくれ。この前の事なんだけど……」
 霞の肩を優しく、しかし逃げられないようにがっちりと掴み、武は話し始めた。
 話とは勿論、バッフワイト素子を使ってリーディングをブロックした件の事だ。
「……霞の事が怖くなったとか嫌いになったとか、そんなんじゃないんだ。こんなこと言っても今更かもしれないけど」
「…………」
「悪かった。言い訳がましいけど、説明してる余裕もなかったんだ……本当にゴメン」
 霞は俯いたまま、ポツリポツリと言葉を発し始めた。
「わたし……しろがねさんに、きらわれちゃったんじゃ、ないかって……それがこわくて……」
「ばかだな。俺が霞のこと、嫌ったりするはずないだろ?」
 武は霞の頭を優しく撫でてやった。細くふわりとした、さらさらで柔らかい髪の毛を指で梳いていく。その感触に霞は顔を上げて武を見上げ、くすぐったそうに目を細めると、酷く安心したような微笑みを浮かべる。そしていつの間にか瞳に溜まっていた涙が一筋、頬を伝って零れ落ちた。
「霞、泣いてるのか……?」
「あ……ごめん、なさい……」
「謝るな。お前は何も悪くないんだから」
 そう言って、武は右手の人差し指で、零れた涙をそっと拭ってやった。
 ……その時。
「ああ~っ! タケルちゃんが霞ちゃん泣かしてる~~っ!!」
 武の後ろから横に回りこんで霞の姿を確認した純夏が叫び声を上げた。
 確かに傍から見れば、大の大人がいたいけな少女を苛めて泣かしているように見えなくもない。武にとっては甚だ不本意ではあるが。
「霞ちゃん、意地悪なタケルちゃんなんて放っといて、みんなの所に行こ!」
 純夏は霞の手を取ると、207Bが集まっている場所へと引っ張っていってしまった。
「あ、おい、純夏! ……やれやれ」
 純夏もここまで回復してくると、年下の霞に対してお姉さんらしい態度を見せる事も出てきている。一方では霞の方も純夏に対してお姉さんみたいな態度を取ることがあるので、見た目はともかく、二人はまるで仲の良い双子のようだった。が、リーディングやプロジェクションによってある程度の記憶を共有しているのだから、そうなるのもある意味当然の事だろう。
 そんな二人が手を繋いで仲良さげにしているのを眺めていると。
「ダメじゃない白銀、女の子を泣かしたりしちゃ」
 まりもが半ば呆れた顔で武のところにやってきた。
「……返す言葉もございません」
 今回の一件は、全面的に自分に非があることは武も分かっていた。霞に知られるわけにはいかない事を知ってしまい、リーディングをブロックしたまでは仕方ないにしても、それから何のフォローもしていなかったのは明らかに武の落ち度である。
 夕呼に指摘されなければ、向こうの世界で純夏を追い詰めてしまった時と同じ轍を踏むところだった。たしかにヴァルキリーズの訓練に時間を取られていて暇がなかった事に違いはないが、それも言い訳でしかない。
 霞なら分かってくれるだろうという希望的観測──願望というか、甘えがあったのだ。
 とは言うものの、これは今更どうにか出来る事ではないのかもしれない。ループした際に若返った肉体になら成長の余地はあるだろうが、精神的な成長期はとっくの昔に通り過ぎてしまっている。勿論その時に成長しなかったと言うわけではないが、常に戦いの中に身を置いていたために、相当にいびつな形で成長してしまった感は否めない。その時、まりもや夕呼のような道を指し示す事の出来る大人がいなかった事も、それに拍車をかけているだろう。
「ところでまりもちゃん……さ、酒は飲まないんですか……?」
 恐る恐る質問する武。こんな事を聞いてはいるが、勿論、飲ませるために聞いているわけではない。むしろ飲まないならそれに越した事はない、と言うか絶対に飲んで欲しくない。もし飲むという答えが返ってきた時に、それを阻止するために聞いているのだ。
 この世界の夕呼は高校の二年足らずしかまりもと一緒にいなかったから知らないだろうし、特に噂が出回っている様子もないので誰も知らないのだろうが、まりもの酒癖はとてつもなく悪いのだ。それはもう絶望的なまでに。
 武も全てを憶えているわけではないとはいえ、断片的な記憶や『狂犬』というワードが思い返されるたびに戦慄が走る。
 この世界のまりもがそうだという確証はないのだが、どの世界であっても本質的な部分は変わらないはずだ。だとすると、この世界のまりもも極めてたちの悪い虎になる可能性は非常に高い。
 だが。
「私も前線勤務がそれなりに長かったから。BETAはこっちの都合で動いてくれるわけじゃないんだし、だからお酒を飲む習慣はないわね」
「そうですか……それは良かった……」
「……良かった?」
「あ、いえ、こっちの話です」
「まあ、何があるか分からないのが世の中だから。不測の事態にも対処出来るようにしておかないとね」
 そしてまりもは武が一滴も口にしていないのを見て、あなたもそうなんでしょ、と言って微笑んだ。

 羽目を外す者、それを諌める者。それぞれが短い休日を楽しんでゆったりとした時間が流れていく。しかしそんな穏やかな時間がいつまでも続くわけがなく、やがて一人また一人と姿が見えなくなり、PXから賑わいが消えていく。
 こんな風に騒ぐのは今日だけ、それも特別だ。甲21号作戦が成功したことに対するささやかなご褒美と言ってもいいだろう。明日からはまた甲20号作戦へ向けて更なる錬成が始まる。
 だが、それは何もA-01部隊に限ったことではない。佐渡島ハイヴが攻略され、極東の最前線は日本国内から大陸へと舞台を移しつつあるが、今の横浜基地にはそれに胡坐を掻いて気を抜くものなど一人もいない。XM3トライアルの時のアクシデントの教訓もちゃんと活かされているし、特に甲21号作戦の成功が大きかった。
 オルタネイティヴ計画について知らされない立場にある者達にとっても、甲21号作戦を始めとする一連の大反攻作戦が夕呼の提唱に基づいた、横浜基地が主導的な立場となって推し進めているプロジェクトである事に、薄々感付いてきている。
 つまり夕呼をトップに置いた国連太平洋方面第11軍という組織を守り抜く事が、人類の勝利に繋がると言う事を理解し始めているのだ。
 今まではただの後方任務だと舐めてかかっていた横浜基地勤務が、一転して世界を救う計画の、ど真ん中ではないとは言え、かなり中心に近いところにいるのだと言う事を知り、意気込みが全く違ってきている。武たちにとっても、安心して出撃出来るようになるという意味ではありがたい限りである。
 そんな事を考えながら、人がまばらになったPXで武がくつろいでいると、その隣にまりもがやってきた。
 他のヴァルキリーズのメンバーや夕呼たちは、既に退席してここにはいない。
「みんなリラックスして楽しんでたわね」
「ま、たまにはいいでしょう」
「そうね。……あなたはこれからどうするの?」
「俺ですか? いつもと同じで自主訓練ですよ」
 今日は晴子やみちるたちの訓練も休みだ。数日振りに一人での自主訓練となる。
「はぁ……やっぱり言うことが違うわね。お正月でも自主訓練、か」
 自分ではそこまで徹底出来そうにないな、といった感じで、感心したような、呆れたような様子で呟くまりも。
「そんなんじゃないですよ。なんていうかですね、やる事やっとかないと不安になるじゃないですか」
 例えば、人間同士で競争して一番になったとしても、それでBETAを相手にするのに十分かといえば、全然そんな事はない。絶対的な物量差がある以上、いくらやってもやりすぎると言うことはないのだ。
 ここまでやれば十分だ、という基準がないので、常に前に進み続けるしかない。
 勿論、それで身体を壊してしまっては元も子もないが、前のループで常に実戦のために待機する生活が続いていた武は、この程度でどうにかなってしまうようなヤワな身体ではなくなっている。
「へぇ……あなたでも不安になるようなこと、あったのね」
 まるで珍獣でも見るような目でまりもは武を見詰める。
「俺だって人並み……とまではいかないかもしれませんけど、不安くらい感じますって」
「とてもそうは見えないんだけど」
 笑顔を浮かべ、呆れたような声で話すまりも。
 彼女が言うには、武はいつも自信たっぷりにしているというわけではないのだが、悲観的になる事が無いように見えるらしい。極論を言えば、物事全てを楽観視しているようなところがあるというのだ。
 だが言われてみれば、それは正しいのかもしれない。生まれた世界の差による絶対的な違いと言うべきか。
 BETAとの邂逅から三十余年。この世界に生まれた者たちはBETAによる支配を心に刻みつけられながら育ってきたわけで、誰もが心の奥底に、多かれ少なかれ諦めに似た感情を持っている。
 一方の武はといえば、どこから来たのかは怪しいものだが、少なくともこの世界に生まれ育ったわけではない。だから最初から何かを諦めているような事もない。
 心のどこかで何かを諦めているような状態が普通であるこの世界で武のような考え方をしていれば、いくら絶望を経験してきていても、相対的に楽観的だと思われても不思議はないだろう。
「でも、悪い意味で言ってるんじゃないのよ。あなたのそんな態度に、みんな随分と助けられているんだからね?」
「はあ……」
「それじゃ、お喋りはこの辺にして、私も休ませて貰うわね。おやすみなさい、明日からまたよろしくね」
「はい、こちらこそ。おやすみなさい」
 そして武はまりもを見送った後、訓練のためにシミュレータールームへと向かうのであった。


 2002年1月4日(金)

「とりあえずこんなもんでいいかな……」
 武はシミュレータールームの管制室でモニタリングしながら呟いた。
 シミュレーターに入っているのは茜たち元207訓練小隊A分隊組と、みちるを始めとするヴァルキリーズの先任たち。その他に、戦域管制のために遙が武の前に陣取っている。
 年末の時点では別々に訓練をしていたのだが、どうせなら一緒に見てもらって、その分、訓練時間を長く取って欲しいというみちるや晴子たちの申し出で、年が明けてからは全員まとめて面倒を見る事になっていた。
 今日はその総仕上げを行っているところだ。とは言っても、そもそもが訓練学校の戦術機教程に毛の生えた程度の事しかやっていないので、特筆して見るべきところはない。今回ヴァルキリーズの先任たちが教わっていたのは、武がどのような概念で戦術機を操縦しているか、と言う事だけである。
 例えば前のループで、武は動作教習応用過程Dで敵の攻撃を横に回避するのではなく噴射跳躍を使用して縦に避け、すぐさま反転噴射でそれをキャンセルして地上に降り立つ、といった動作をしたことがあり、それをまりもに珍しがられた事がある。
 当時、教習プログラムでは敵が動かないから、左右に避けるよりも真上に跳んで攻撃を避けてすぐに着地すれば、照準が外れていても両者の座標が変わっていないためにすぐに撃っても攻撃は当たる、という説明をまりもにしたのだが、しかし実際のところは照準が外れて見えるのは訓練のための表示ズレで、その事に気が付いていた武にとっては、横に避けようが縦に避けようが結果は変わらなかった。
 まりもがその武の行動を疑問に思ったのは、衛士育成プログラムでは敵の攻撃を避けるのに跳んで躱せなどと教えないし、そんな事をする衛士もおらず、戦術機動の常識から逸脱した行為だったからだ。
 武はそれを癖や好みだと言ったのだが、そうなるに至った理由は、やはり根底にある考え方の違いが大きい。
 人間は地べたを這いずる生き物である。勿論、航空機等で空を飛ぶことは出来るが、やはり感覚としては地上の生き物であるという意識が強い。レーザー属種の出現によってBETAに制空権を支配されて以来、空を飛ぶ機会が激減してしまったというのも、それに拍車をかけている。
 つまり、この世界の人間は本能的に、宙に躍り出る事に対してかなり強い抵抗感があるわけだ。にもかかわらず、武は躊躇なく飛び跳ねる。これまでの常識では考えられないほどに。
 それがどのような思考からきているのかと言えば、バルジャーノンを始めとする元の世界のゲームから来ているので、それを説明する事は出来ないし、説明したところで誰も理解する事は出来ないだろう。
 ただ、武の三次元機動が対BETA戦闘で極めて効果的である事は既に実戦で証明されている。勿論、ただ飛び跳ねればいいというわけではないし、跳ぶタイミングを見誤ってしまうと、たちまちレーザー照射で墜とされてしまうのだが。
 では、どんな時に跳べばいいのかという話になるのだが、そのために武の戦術機動概念の根本を知る必要があった、というわけだ。
 しかし、武の思考をそっくりそのままトレースするのは不可能。勿論、相手が武でなくとも、他人の思考をトレースする事自体、困難を極める。
 もっとも、他人の思考をトレース出来たところで、行動する時にはどうしてもそれを翻訳する過程が生じてしまうので、実戦では役に立たない。純夏のように人外レベルの処理能力を持ち、リアルタイムの翻訳が可能であればその限りではないが、普通の人間がそれをやろうとしても、脳のリソースを奪われて他の事が疎かになるだけだ。そして撃墜、戦死へと繋がっていく事になるだろう。
 それを避けるには、まりものように自分なりに他人の思考を解釈して、既成の概念と組み合わせて次の位階にステップアップするという事が必要だ。
 だが、それは極めて難しい。
 通常、衛士はほぼ例外なく衛士訓練学校で戦術機教程を受講する。この戦術機教程は様々な教訓を織り込んだ、非常に完成度の高いプログラムであり、その影響力は非常に大きい。衛士には柔軟な判断力が必要だ、などと言っている反面、一度でもそれを受けてしまうとある種の刷り込みが行われ、型に嵌まってしまうのである。
 そうやって一度出来上がってしまった操縦概念を崩して再構築していくのは困難な事だが、みちるたちはこの短い期間で、何とかそれを成し遂げる事が出来ていた。
 その成果は、昼間の演習を見ていれば明らかだ。それまでの連携も完璧に近いと思われていたのだが、実際に武の機動概念を自分なりに理解しようとし始めてからは、更に高次元の連携が出来るようになっていったのである。
「それじゃ涼宮中尉。今日はちょっと早いけど、この辺で切り上げようか」
「はい」
 遙はみちるたちに向かって回線を開き、訓練の終了を告げた。
 最初のうちはもっと訓練を続けたいという意見も出ていたのだが、今ではみんなそれにあまり意味がないことに気が付いている。元々は207Bと大きな差が付かないようにと始めた事だが、結局のところは207Bやまりもが持っている機動概念に合わせられなければ意味がなく、それは実際にまりもたちと連携を取ってみなければ正しい方向に進んでいるのか確認出来ないからだ。
 そんなわけで見た目も中身もゆったりとした訓練を行っていて、直接的な戦闘技術が上達したわけではないのだが、各自が自分に一番合った方法を考える事が副次的に頭の柔軟性を鍛える事にもなり、総合的な戦闘能力の向上に結びついた。
 そしてここまで来れば、後は自分たちだけでどうにでも出来るだろう。もっとも、もう既に武が教えられるような事は残ってはいないのだが……それはさておき。
「そんじゃ、これで卒業って事で、お疲れ。明日は最後の追い込みに入るから、ゆっくり休んどくよーに」
「──了解!」
 一応の堅苦しい雰囲気はなくなり、場は緩い空気に包まれる。訓練が早く切り上がり、隊員達は少しだけ浮いてしまった時間をどうしようかと思案していた。
「ねぇ、白銀はこれからどうすんの? 時間あるんだったら一緒にPX行かない?」
「速瀬! 貴様、また上官に向かって……!」
 正月の酔っ払い事件からこちら、水月の武に対する態度はすっかり馴れ馴れしいものに変わっていた。
「いいじゃないですか大尉。敬語は要らないと言ったのは白銀の方、つまりこれは上官命令でやっている事なんです」
「宗像、貴様まで!」
 それはあの時同じく酔っ払っていた美冴も同じである。
「そうそう、堅っ苦しいのはナシって言ったのも、好きなように呼べって言ったのも、白銀なんですから」
 晴子がいつもの調子で言った。207Aで最初に砕けた態度をとり始めたのは彼女だったし、締めるところではきっちりと締めてくるとは言え、緩い面は十分にある。
「しかしだな、これでは規律が……」
「白銀が、あの香月副司令直属ってことで諦めるしかないですよ」
 茜が『あの』という部分を強調して、自分が納得せざるを得なかった理由をみちるに説明した。
「なんだ貴様もか涼宮……だが、それを言うなら私だって香月副司令直属だぞ?」
「それはそうですけど、白銀くんは副司令と仲良しさんだし、その分、ずっと毒されてるっていうか」
「築地……貴様は違うと思っていたのに。……風間に涼宮、貴様たちはどうなんだ?」
 みちるは祷子と遙に話を振る。
「好きに呼んでもいいと言われましたので、今は私もそうさせて頂いていますけれど」
「わ、私も」
 もっとも、この二人に関しては若干の態度の軟化はあったかもしれないが、概ねこれまで通りだ。武は堅苦しいのは無しの方向でと言いはしたが、それを強要しているわけではない。
 確かにまりもや207Bに対しては強権を発動させたのだが、それは前のループや元の世界でよく知る者たちだったからだ。207Aは前のループでは会った事がなかったし、先任たちに至っては元の世界でも知り合いですらなかったので、他人行儀にこられても大して気にならなかった、というわけなのである。
 しかし、だからと言っていつまでも他人行儀なのはよろしくない。だが武は新任たちと同い年なのに少佐、しかもXM3を発案してみたり、戦闘では化け物っぷりを発揮してみたり、そして基地の実質トップの夕呼と仲良しだったりと、仲良くする相手としてはかなり微妙な立場にいる。雲の上の人と言ってしまってもいい。実績だけ見れば、取っ付きにくさは基地司令とどっこいどっこいである。
 実績を上げる前ならいざ知らず、XM3トライアル後に武と初めて会った者たちが一歩引いてしまうのは致し方がないのだ。
 上官だから何か相談を受けてそこから親密な関係に、というのも考えられなくはないが、しかしその場合、とてつもなく大きな障害がある。
 まりもの存在だ。
 訓練兵時代の教官で、現在は上官、名実共に大人、そして同性。武に寄せられる信頼など足元にも及ぶはずがない。
 武とまりもは階級は同じで、一応武の方が先任で上にいるという事になっているのだが、だからと言って武の所に相談に来るかと言えば、それはない。
 軍での地位が人生経験に直結しているわけではないからだ。武の年齢は、中身はともかく記録上は冥夜たちと同じという事になっている。だからむしろ、その年齢で少佐の階級、そして常軌を逸するような戦闘能力を持ち合わせているとなれば、まともな環境で育ってきていないのではないか、という事になり、普通の感性と大幅にズレていると思われても不思議はない。
 しかも、ヴァルキリーズの中でただ一人の男。相談相手としてまりもとどちらが適任かという事になれば、間違いなくまりもに軍配が上がる。
 故に何か手を打たなければ、いかにヴァルキリーズとはいえ、ずっと他人行儀なままだっただろう。その打開策として、まずは表面的なところから、つまり言葉遣いや態度を砕いたものにしよう、という事なのだ。
 最初はやはり引かれていたが、それでも晴子や水月が馴れ馴れしくしてきてくれたお陰で、武も戦闘以外の部分でかなり部隊に溶け込めてきていた。
 ただ、みちるだけはその性格からか、上官と部下の関係をキッチリとしようとしている。しかし、確かに馴れ馴れしくはないが、だからと言ってよそよそしいわけでもない。初対面の時と比べれば、随分と態度は軟化しているように思える。
 やはりヴァルキリーズとは生死を共にするわけだし、いい関係を築いておければそれに越した事はないのだ。
 そういった意味では、この特訓は実に効果があった。
 あとは元旦のバカ騒ぎがあったお陰だろう。武は心の中で京塚のおばちゃんに感謝した。
 色々と上手くいっているためか、武は思わず笑みをこぼしてしまう。
「どしたの白銀~、ニヤニヤしちゃって。さては美女に囲まれて嬉しくなっちゃった?」
 水月が悪戯っぽく武を肘で突っついてくる。
「そりゃ俺だって一応は男だし、嬉しくないわけじゃないけど」
「……けど、何よ」
「なんと言うかまあ、あまりにも我の強すぎる娘しかいないっていうか……」
「なんですって!」
「そこで爆発しちゃうから、怪獣みたいな女だなんて言われちゃうと思うんだけどな~」
 後ろの方で晴子が呆れながら、小声で築地に話しかけた。
「ちょっと聞こえたわよ柏木、誰が怪獣ですって! そして築地、あんたも頷いてんじゃないわよ! あんたたち、ちょっとそこでじっとしてなさい!」
「うへえ」
 じっとしていろと言われて逃げ出さない奴などいない。そんなわけで逃げ出した晴子と築地を追いかけるため、水月は武の側から離れていった。
「それで白銀少佐は、PXにはご一緒していただけるのかしら?」
 水月と入れ替わりに、祷子がやってきた。
 話によると、これまでの特訓のお返しにと、ちょっとしたお礼の会を開いてくれようとしているらしい。
「ああいや、せっかくなんだけど、これから夕呼先生の所に行かなくちゃいけないから」
 ここ一週間ほど、夜はずっとヴァルキリーズの特別訓練を見ていたので、直接任務に関わらないような、いわゆる普通の情報交換をする機会がなかった。武からはこれといって話すような事もなかったのだが、夕呼の方には何かしらあるかもしれない。どうしても伝えておかなければならないことなら、無理に呼び出してでも言ってくるはずなので、急を要する事は無いはずだが。
 とにかく、夕呼とは意思疎通を密にしておかないと、何か起きた時に対応に不都合が出てしまうので、用事がないから疎遠になってもいい、と言うわけにはいかないのだ。
 それはヴァルキリーズに対しても言える事だが、やはり今は夕呼の方が優先だろう。
「そう……それは残念だわ。相変わらず忙しいのね」
「また次の機会があったら、その時は。そうだなあ……次の作戦が終わったら、パーッと打ち上げとかするのもいいかも」
「ふふ、それがいいわね」
「それじゃ俺はこれで」
「ええ、お疲れ様でした」
 そんなわけで武は着替えて、一度純夏の部屋に立ち寄った後、B19フロアに降りて夕呼の執務室に入っていった。

「そろそろ来る頃だと思ってたわ。特訓の成果、見せてもらったわよ。凄いじゃない」
「ええ、本当に。伊達に才能を掻き集めたわけじゃないですね」
 武は笑いながら答えた。00ユニットの素体候補として集められた才能は、紛れもない本物ばかりなのだ。
「あたし、あんたのことを褒めたんだけど」
「え? やだなあ、俺なんて大した事してないじゃないですか。特訓って言っても、成果が出るかどうかは柏木たち次第だったんですよ?」
「まったく謙虚なことね……まあいいわ。何にせよ、これで甲20号作戦の成功率がまた上がったってことよね。フェイズ5レベルのシミュレーションで生還率100%を出したんだって?」
「そうなんですけど……」
「何か不安でもあるの?」
「シミュレーションの時って、いつも涼宮中尉が戦域管制やってくれてるんですよね」
「ああ、そういうこと」
 演習では遙が戦域管制をやっているが、実際にハイヴに突入する時は戦域管制の専門家はいなくなる。甲21号作戦の時は、まりもやみちるが代わりを務めていたのだが、やはり専門職の遙に比べれば腕は落ちるし、戦術機の操縦の方にも影響を及ぼして、戦力低下を招いてしまう。
「あんたなら両立出来るんじゃない?」
「もし出来たとしても意味ないですって。そりゃぺーぺーのCP将校と同じくらいの事なら何とかやれるかもしれませんけど、基本戦術が一人で突出するなんて事ばっかやってた奴に、マトモな戦域管制なんて出来ると思います?」
「それもそうか」
「涼宮中尉が一緒にハイヴに突入してくれたら、凄く心強いんですけどね」
 遙が参戦すれば、まりもなりみちるなりが戦域管制に労力を割かれる事もなくなり、部隊本来の戦闘能力を発揮出来るようになる。ヴァルキリーズが全員揃う事で士気の向上にも繋がるだろう。
「とは言ってもまあ、無理な話ですけど」
 さすがに衛士でもない遙を戦術機に乗せて最前線に連れ出すわけにはいかない。オルタネイティヴ3のように複座型の戦術機を使うと言う手もないではないが、衛士としての訓練を受けていない遙を乗せるとなると、やはり戦術機本来の機動力が失われてしまう。ヴァルキリーズはXM3の搭載とここ最近の訓練で機動力を増しているので、更に条件は悪い。
 結局のところ、戦術機に乗ると言う事は縦横無尽にかかり続けるGを相手にした体力勝負になる。よって訓練をしていない人間が耐えられるような代物ではないのだ。オルタネイティヴ3で複座型の戦術機に乗ったESP能力者たちの生還率が6%と極めて低かったのは、こんな理由も含まれているのだろう。
「それはそうと、甲20号作戦の準備、問題は?」
「今のところはないわね」
 甲20号作戦は当初、国連軍と大東亜連合軍の協力で行う事になっていたのだが、甲21号作戦の損耗が比較的軽微だった事から、引き続き帝国軍の協力も得られる事になっている。
 そして帝国軍と極東国連軍の衛士たちは、甲21号作戦でウィスキー、エコー部隊として参戦した者達が、ほとんどそのままの形で再び参戦する予定になっていた。
 だとすると、XM3への慣熟度は問題ない。あるとすれば大東亜連合軍の衛士たちだけだ。しかし、前と同じように大東亜連合の参戦が決まった時点でXM3はすぐに末端まで配備されているし、他の部隊よりも若干ではあるが負担の軽い配置になる予定なので、大した問題にはならないと見ている。
「一番の問題と言えば、あたしたちの方にあるんだけどね。甲21号作戦での鑑の不調、色々と調査はしてみたけど、結局は分からず仕舞いだったから」
 今回の作戦でもリーディングは行う予定だ。しかし前のように大規模なものではなく、前回取得したデータの差分を得るような形でアクセスを試みる。それが成功すれば純夏に掛かる負荷は軽いものになるはずなので、そのまま武たちと一緒にハイヴに突入する。
 もし上手くいかずに負荷が大きなものになってしまえば、その時は甲21号作戦の時と同じ方法でハイヴ攻略を目指す。万が一、それすらもままならない状況にになってしまえば、その時は作戦を中止して撤退、改めて出直す事になる。
 そんなわけで、一番大きな不確定要素は純夏なのだ。
「明日の訓練は追い込み?」
「ええ。でもやる事はいつもと変わんないですよ」
「ま、そっちは全部あんたに任せてあるんだし、あたしからは何も言わないわ」
「それじゃ、俺はこの辺で」
「はい、おやすみ」
 武は夕呼の執務室を後にした。



[1972] Re[35]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/13 12:42
 2002年1月6日(日)

 ブリーフィングルーム──
「本日未明、国連軍第11軍司令部より極東国連全軍に対し、朝鮮半島ハイヴ制圧作戦が発令された──」
 午前の訓練を終えた後、呼集されたヴァルキリーズに対して武が言った。
 部屋の中には甲21号作戦のブリーフィングの時と同様、ヴァルキリーズの他に夕呼、ピアティフが同席している。今回はラダビノッド司令だけは同席していない。その代わりと言っては何だが、純夏が一緒だ。
「作戦名は甲20号作戦、朝鮮半島ハイヴの帝国軍戦略呼称に由来するのはお約束だな。作戦は帝国軍と極東国連軍、そして今回は大東亜連合軍も参加する。
 作戦開始は1月8日。国連、帝国、大東亜連合各軍は日本海に集結中。横浜基地からは例の如く、A-01部隊だけが参加だ。
 この作戦での俺たちの任務は凄乃皇弐型の直援、そしてハイヴへの突入、反応炉の破壊。まあ何だ、甲21号作戦の時と同じだな。大体似たような感じの作戦になってるけど、大きな違いは、みんな知っての通り、今回は凄乃皇弐型もハイヴに突入する予定になってる事だ」
「…………」
「それじゃ、作戦の概要を説明する」
 武による説明が始まった。
 まずはセオリー通りに国連宇宙総軍の軌道爆撃に始まり、連合艦隊による長距離飽和攻撃。そして重金属雲の発生を合図に、多目的運搬弾頭による面制圧で、地表に展開しているBETAを一掃。ここまでがフェイズ1。
 次に、爆撃を終えて軌道上を周回待機中の国連宇宙総軍第6軌道降下兵団が再突入、戦闘区域SWエリアに降着。その陽動に応じて連合艦隊が突出、旧元山市一帯を面制圧。同時に帝国海軍戦術機甲戦隊が強襲上陸し、橋頭堡を確保。
 続いて帝国軍機甲4個師団及び戦術機甲10個連隊からなるエクスレイ部隊が順次揚陸。主力部隊はハイヴ北側を回り込むように西進し、NWエリアまで進攻、戦線を構築。
 BETAが陽動に掛かって西進し、東側の密度が薄くなったところでフェイズ2は終了、フェイズ3に移行する。
 国連太平洋艦隊と大東亜連合艦隊が制圧砲撃を開始。そして国連軍機甲3個師団及び戦術機甲5個連隊からなるデルタ部隊、大東亜連合軍機甲4個師団及び戦術機甲10個連隊からなるオスカー部隊が順次揚陸。
 デルタ主力部隊は西進してNエリアに、オスカー主力部隊は南下してSエリアに戦線を構築。
「A-01部隊はオスカー部隊と同時に揚陸して南下、Eエリアを確保する。この陽動が成功すれば、敵増援は南北に大きく分断される事になってるはずだから、俺たちのいる所から甲20号目標まで、敵はほとんど存在しない事になる。この状況を確認したらフェイズ4に移行──凄乃皇弐型が戦域に突入してくる」
 その後は、甲21号作戦と同様、荷電粒子砲の照射でBETAを一掃。
 BETAがML機関に引き寄せられるという甲21号作戦の教訓を活かして、陽動であらかじめ凄乃皇の砲撃地点から離れた位置まで敵を引き離しておき、凄乃皇の戦線突入でBETAが移動を始めると、それを射線上に誘導する。
 二射目以降は、凄乃皇弐型は主機を落としてラザフォード場を消し、敵の注意を陽動部隊の方に引き付けておく。
「大体こんな感じだ。荷電粒子砲は、今回は一応四発撃つ事になってるけど、これは状況に応じて現場で変更される事もあるからそのつもりでいてほしい。で、荷電粒子砲の照射による地表のBETA掃討が終わったらいよいよフェイズ5、ハイヴに突入だ」
 勿論、それを前提とした訓練をやってきているので、問題は無い。
 そして、ハイヴ突入後はやはり、スピード勝負でどんどん奥に進み、反応炉の破壊を目指す事になる。今回は甲21号作戦でリーディングした地下茎構造のマッピングデータがあるし、凄乃皇弐型も同行するので、佐渡島ハイヴに比べれば、進攻はスムーズに進む事だろう。
「──横浜基地の出撃は明朝2時00分。まず陸路で帝国軍厚木基地まで前進。戦術機空挺輸送機An-225に乗り換えて、帝国軍舞鶴基地まで空路で移動。そこから帝国海軍の戦術機母艦『大隈』に移動後、海路で朝鮮半島を目指す事になる。戦術機の装備等は、甲21号作戦の時と同じ。副司令と涼宮中尉、ピアティフ中尉は、また帝国軍の重巡洋艦最上で指揮を取る。凄乃皇弐型は前と同様、時間がきたら横浜基地から出撃。あとは純夏のコールナンバーだけど……そうだな、とりあえずミョルニール1とでもしとくか。……こんなとこかな。それじゃ夕呼先生、締め頼みます」
「はいはい、分かったわよ──既に本作戦は発動しているわ。あなた達は出撃に備えて、万全な準備を整えてちょうだい。以上よ」
 夕呼とピアティフ、そして純夏が部屋から退出していく。
「甲20号作戦とA-01部隊の任務に関するブリーフィングは以上。明朝の呼集は0時00分。これから各自ハンガーで機体のチェック、その後は飯食って身辺整理をして、身体を休めとく事。以上、解散」
 ヴァルキリーズは戦術機のチェックをするために、部屋を出てハンガーに向かった。
 部屋の中には前と同じく、武とまりもが取り残される。
「……開き直ったわね、白銀」
 呆れ顔でまりもが呟いた。
 ハイヴ攻略という大規模作戦のブリーフィングなのに、いつもの訓練前ブリーフィングと同じ調子でやっていた事だ。
「今日は司令もいなかったんだし、いいじゃないですか。変に畏まるより、その方がみんなも気が楽でしょ」
「──それもそうね」
 まりもは、確かにその通りだと納得して、それ以上の追及をやめた。どう見ても順調に武に毒されていた。
 それはさておき。
「……そういえば、わざわざ斯衛軍から月詠中尉の部隊を借り受けたって言うのに、彼女たちには同行してもらわないのね」
「ああ、月詠さんたちにはここの護りを固めてもらおうと思って」
 甲21号作戦が成功に終わって、いよいよ追い詰められつつある米国だかオルタネイティヴ5推進派だかが、キナ臭い動きを見せている。横浜基地の部隊もかなり使えるようになってきてはいるが、ヴァルキリーズの抜けた穴を埋めるられるほどではない。
 その点、月詠たちなら練度が半端ではないし、情けない話ではあるが身内よりも余程信用出来るので、守護者には申し分ない。
「何があるか分からないですからね。今度は佐渡島より遠い分、移動にも時間が掛かっちゃいますから……まあ保険ですよ。──さ、お喋りはこのくらいにして、俺達もハンガーに行きましょう」
「そうね」
 武とまりもはブリーフィングルームを後にした。


 2002年1月7日(月)

 A-01部隊は横浜基地を出発した後、陸路で帝国軍厚木基地まで前進。そこから輸送機で舞鶴基地に移動後、帝国海軍の戦術機母艦『大隈』に搭乗して海路で朝鮮半島に向かっている。
「この艦も二回目か……」
 時刻は22時00分を回ったところだ。
 武は無人のデッキに出てゴロンと横になって、空を見上げていた。
「……暇だな」
「だからって、転がったりしないでよ?」
「あ、まりもちゃん」
 独り言を呟いたら、返事が降ってきた。声のした方を振り向くと、そこには呆れ顔のまりもが立っていた。
「い、いやだなあ……そんな事しませんって」
 思わずどもってしまう武。ちょっとだけ転がってみようかなとか考えていたのは秘密である。
「それはそうと、みんなの様子はどうです?」
「落ち着いたものよ。まあ、二回目だからね」
「そうですか」
 甲21号作戦の時と比べて、さすがに余裕があるようだった。前の作戦が終わってから、純夏のリーディングデータによるハイヴの情報を基にした訓練も重ねてきたし、今回は凄乃皇弐型もハイヴ内に突入する予定になっている。総合的な戦闘能力は前とは桁違いだ。
 陽動部隊も、大きく分けて四部隊中、三部隊までもが甲21号作戦で共に轡を並べて戦った者達なので、過去の実績から言っても信頼がおける。大東亜連合軍の部隊だけは未知数だが、前回の帝国軍や極東国連軍のようにあらかじめXM3に対する慣熟訓練を行っているので、恐らくは滞りなく役目を務め上げる事が出来るだろう。
 不確定要素としては00ユニット──純夏のODLの件はあるのだが、そんな事は勿論知らされていない。と言うわけでヴァルキリーズにとっては、これといった不安要素がないのだ。
 そんな事を考えながら武がぼんやりと空を見上げていると──
「ふふふっ」
 その様子を見ていたまりもが口元を押さえながら楽しげに笑った。
「……? どうかしたんですか?」
「夕呼に聞いたんだけどね、言われてみれば確かにそうだなって思って。ふふ」
「何がです?」
 武は怪訝そうな表情で聞き返す。
「あなたって本当に過保護よね」
「は? べ、別にそんな事は……」
「あはっ、恥ずかしがらなくてもいいじゃない。前の時も今度も、暇だなんて言いながら、本当は不安がって眠れない子たちが来るのを待ってたんでしょ?」
「いや、俺は作戦の成功率をですね……」
「ふふっ、本当に夕呼の言う通りだわ。まあ、そういうことにしておいてあげるわね、ふふふ」
 まりもは愉快そうに笑う。
「それじゃ、私もそろそろ休ませて貰うわね。あなたも早めに休んだ方がいいわよ、今日はもう誰も来ないはずだからね。うふふっ」
 そしてそのまま笑いながら、デッキから去っていった。
「なんか調子狂うなあ……」
 武はポリポリと頭を掻きながら言った。
 確かにまりもが言ったような意図がなかったというわけではない。だがそれは、武の目的を達成するためにはどうしても必要な事だ。しかし、だからといって全て打算で動いているかといえば、そういうわけでもなく。
 護るべき対象を戦場に連れ出す身とすれば、彼女達が戦場を生き抜く事が出来るように、最大限の努力を払わなければならないわけで。
 ただ、前回の甲21号作戦の時はともかくとしても、今回もそれが必要だったかといえば、まりもに過保護などと指摘されてしまったように、要らなかったような気がしないでもない。
 この辺の線引きは、武自身、良く分かっていないのでなんともいえなかった。突き詰めていけば自分のためという事になるのは間違いないのだが、しかしその望みは大切な人たちを護るという事だから、護りたい存在を第一と考えているとも取れる。
「ま、いっか。俺もそろそろ休もう」
 いくら考えたところで答えが出る問題でもないので、武は考えるのを止めると起き上がって、そのままデッキを後にした。


 2002年1月8日(火)

「全軍、配置完了しました」
 作戦旗艦、帝国海軍重巡洋艦最上のブリッジで、オペレーターの声が作戦の準備が全て整った事を知らせた。
 ブリッジには甲21号作戦に参加した管制メンバーが全て集まっている。作戦の総指揮官は引き続き帝国軍の小沢提督、参謀役には国連軍から夕呼。その他、遙やピアティフをはじめとするオペレーターたちも、全員が見た事のある顔だ。
 これは甲21号作戦成功の実績を買われた結果だ。ハイヴ攻略という基本的に似たような作戦を展開するので、甲21号作戦で得られた経験は必ず役に立つだろう。
 そして9時00分、作戦が開始された。
 まずはお約束の軌道艦隊による爆撃に始まる。その後は海上に展開した連合艦隊による艦砲射撃、そして今回は朝鮮半島を南から進撃してきた地上部隊による間接飽和攻撃も加わっている。
 本作戦で使用される弾薬は砲弾備蓄総量の、極東国連軍は二割、大東亜連合軍は四割、そして帝国軍はこの二週間で補充したものを除いてほぼ全ての弾薬を出し切る。
 これは甲20号目標が排除されれば、当面、日本への脅威がなくなるので、今使わずしていつ使おう、という話だった。これが賭けであることに違いはないのだが、それはさておき。
 作戦はフェイズ2、国連宇宙総軍第6軌道降下兵団の再突入による陽動から強襲揚陸部隊の橋頭堡確保へと移っていく。
 先陣を切るのは甲21号作戦と同様、帝国軍のスティングレイ部隊。その練度と経験から再びこの大役に抜擢されていた。
 それが達成されると同時に帝国軍から編成されたエクスレイ部隊が順次上陸していった。このエクスレイ部隊も名前が変わっているだけで、欠員の補充はあるものの、実態は甲21号作戦におけるウィスキー部隊そのものだ。
 フェイズ3で上陸した極東国連軍で編成されたデルタ部隊も同様で、やはり甲21号作戦に参加したエコー部隊が再編されたものになっている。
 作戦に参加する四部隊のうち三部隊、そのほとんどが甲21号作戦の経験者で、それだけに士気は高く、大東亜連合軍から編成されたオスカー部隊もその雰囲気にあてられたのか、作戦は滞りなく進んでいった。
 A-01部隊はオスカー部隊と同時に上陸し、南下。Eエリア、A-02の砲撃予定地点を既に確保している。
 今は展開した各部隊による戦線の構築を待っている状況だ。
 武は戦域情報をスクリーンに表示させた。
 先行した第6軌道降下兵団とエクスレイ部隊は、それぞれSW、NWエリアに戦線の構築を完了した。今は西に向かってじりじりと戦線を後退させているところだ。
 デルタ、オスカー両隊はそれぞれN、Sエリアで戦線の構築を完了しつつある。
 A-02、凄乃皇弐型──純夏は既に本州を離れ、日本海上を匍匐飛行で戦域に向かって飛んでいる。
 BETAは各部隊の陽動に引っかかり、その配置は全体的に西側へとシフトしつつあった。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリー各機。A-02の攻撃開始地点への到達まで900秒。これより作戦はフェイズ4へ移行。繰り返す、作戦はフェイズ4へ移行』
 遙からの通信がヘッドセットを通して耳に飛び込んできた。
「もうじきか……」
 凄乃皇弐型のML機関に引き寄せられてBETAが集まってくるのは甲21号作戦でも経験済みだ。今回はそのために、BETAを西側にひきつけるような作戦になっている。これで凄乃皇が戦域に突入すればBETAの動きが変わって押し寄せてくるが、凄乃皇には届かず、しかし荷電粒子砲の影響範囲には入る、という位置に誘導出来るというわけだ。
 そして戦術機のカメラでも捉えられる位置まで凄乃皇弐型が近付いてきた。
『──ヴァルキリーズ各機、直援配置に着け!』
『──了解!』
 みちるの指示が飛び、各人がそれに答える。その表情や声に澱みは全くない。
 スクリーンに目をやると、BETAが凄乃皇に引き寄せられ、Eエリアに向かって移動しているのが見て取れる。しかし陽動が完全に機能しているため、凄乃皇はレーザー種の照射を受ける事もなく砲撃予定地点に到達した。
 間髪入れずに凄乃皇の胸が輝き、荷電粒子砲が発射される。
 一瞬にして光の槍がハイヴに突き刺さり、一呼吸遅れて爆発音と衝撃波が襲い掛かってくる。そして濛々と舞い上がる黒煙が戦場を横切った一陣の突風によって吹き払われた時、そこにそびえ立っていたはずの巨大な地表構造物は、周辺のBETAを巻き込んで、跡形もなく消え去っていた。
 そして戦場全体が熱気に包まれる。これが初めての大東亜連合軍はもとより、甲21号作戦でこれを一度経験しているはずの帝国軍や極東国連軍の兵士達も、興奮の渦に巻き込まれる。それはヴァルキリーズとて同じ事だ。
『やっぱり実物は凄いわ……ッ!』
 水月の興奮気味な声を漏らした。しかし気持ちは皆同じで、それはスクリーンに映し出された表情を見れば一目瞭然だった。
『──HQより全軍に告ぐ、これよりフェイズ4ターン2へ移行、各部隊は行動を開始せよ! 繰り返す──』
 旗艦から通信が入った。
 純夏はML機関を停止し、凄乃皇を補助動力に切り換えた。それと同時に陽動部隊が行動を始め、ポツポツと現れ始めたBETAは、西側に引き寄せられていく。
「今回はあと三射だ。この前よりも早く出番がやってくる。まあ何にせよ、気は抜かないようにな」
『──了解!』
 それが終わればあとは訓練通りハイヴに突入して反応炉を叩き潰すだけだ。今回は凄乃皇も同行して荷電粒子砲が使えるので、完全制圧した上での反応炉の破壊だって不可能ではない。
 ヴァルキリーズは散発的に地下から出現するBETAを倒しながら、荷電粒子砲の発射態勢が整うのを待っていた。
 そしておよそ40分後。
 再び完璧な陽動によって、戦域にBETAが集中する。その状況を確認して遙の通信が入った。
『──ヴァルキリー・マムよりミョルニール1、荷電粒子砲の発射態勢に入れ』
『──ミョルニール1了解。ML機関、起動』
 低い唸り声のようなML機関の駆動音が響き、そしてラザフォード場が展開された。
 それに応じてBETAたちの動きが変わるが、やはりもう手遅れだ。重力制御によって生み出された莫大な余剰電力は、すぐに荷電粒子砲の発射を可能にする。
 しかしその時。
 白銀機のコックピット内に警報音が響き渡り、スクリーンには重力偏差警報の文字がでかでかと映し出された。
「──!? ヴァルキリーズ全機緊急回避! 凄乃皇から離れろッ!」
『──了解ッ!』
 武の他にも緊急回避プログラムが働いて自動回避した機体が何機かあったが、全員無事のようだ。
「何がどうなった……?」
 現状を確認しようと、通常とは別系統のデータリンク──凄乃皇関連が含まれる情報にアクセスを試みる。
「射線軸がずれてる? このコースは……!」
 データリンクと凄乃皇から取得したデータを組み合わせて確認したところ、射線が右にずれていた。しかし未だ荷電粒子砲は発射態勢を維持している。このままではエクスレイ部隊──帝国軍部隊のほとんどを飲み込んでしまう。
「とにかくやめさせないと──チッ、オープンじゃ……!」
 武は凄乃皇弐型に秘匿回線を開いた。
 その途端に、純夏の絶叫がヘッドセット越しに武の頭に響く。
『──イヤだッ、やめてやめてやめて──やめてよッ、やめろぉ────ッ!!』
「純夏……純夏どうしたッ!」
『──うぅッ、タケルちゃん、タケルちゃんがぁッ──』
「俺がどうした、純夏ッ!!』
『タケルちゃんが死んじゃうよぉ────ッ!!』
「何だって!? ──クソッ、とにかく射線を何とかしなきゃ……純夏、俺の声が聞こえるかッ!?」
 しかし、返ってくるのは悲鳴ばかり。
「頼む純夏、なんとか荷電粒子砲の射線を左にずらすんだ……純夏!!」
 さもなくばエクスレイ部隊に参加した帝国軍は全て消滅してしまうだろう。そうなれば、もし仮に純夏が立ち直ったとしても陽動が機能せずに作戦は失敗の一途を辿り、同時にハイヴの脅威も残される。それだけならまだしも、オルタネイティヴ4まで窮地に立たされてしまう。
『いやッ、いやあああああぁぁぁぁ────!!』
「クッ、ここまでかッ……!」
 武は作戦の失敗を覚悟した。いずれにしても純夏がこの調子では、作戦の完遂など不可能だ。しかし、この一射だけは何とかしなければならない。今、地表には陽動部隊が誘き寄せたBETAが所狭しとひしめいている。作戦を中止するにしても地表のBETAを何とかしない限り、戦域から離脱することすらままならなくなる。
『──殺してやる……タケルちゃんを奪ったあいつらを殺してやる! みんなみんなみんなぶっ殺してやるッ!!』
「だめだ純夏やめろッ! 目を覚ませッ!!」
『──!?』
 武の叫び声に純夏の瞳は一瞬正気の色を取り戻す。
『──タ、ケル、ちゃん……?』
「ああ、俺だよ。いいか純夏、良く聞け。今すぐ荷電粒子砲の射線を左にずらすんだ。出来るな?」
『──え? あ……うん……』
 純夏は呆けながらも、武の言葉に従って凄乃皇弐型を左に旋回させ、照準をハイヴに合わせた。
「よし、いいぞ……そのまま位置を固定して、そしたら荷電粒子砲を発射するんだ」
『──うん、わかった……』
 凄乃皇の胸に光が集まる。
「──ヴァルキリー13から各機、対衝撃閃光防御! 純夏今だ、撃てッ!」
 収束した光が解き放たれ、BETA群の真っ只中に突き刺さった。
「とりあえずこれで…………純夏?」
 データリンクでBETAの消滅を確認して純夏の方に目をやると、再び苦しみ始めていた。
『うあ……ああっ……ああああああぁぁぁ────!!』
「どうした純夏、大丈夫かッ!?」
『────』
 しかし返事がない。
「純夏!? そうだ、バイタルを……!」
 武はコンソールを操作して、純夏のバイタルサインを表示させた。ODLの劣化状況が極めて酷い。
「これは……自閉モード……?」
 武がそう呟いてから一瞬遅れて凄乃皇の周囲のラザフォード場が消失、コントロールを失った機体はゆっくりと傾いて地上に激突、その場に擱座した。
「間違いなさそうだな……」
 今度は凄乃皇の機体状態をスクリーンに映し出してチェックする。主機は完全に停止していた。最上ブリッジから凄乃皇の再起動コードが送信されているが、それが受け付られる気配は全くない。
 純夏が気絶したという以外、凄乃皇弐型のコンディションは全て正常値を示している。にもかかわらず再起動を受け入れないという事は、その原因はやはり純夏にあるのだろう。
 武がそんな事を考えながらデータをチェックしていると、HQからの秘匿回線が開き、通信が入ってきた。
『──白銀、聞こえる?』
「夕呼先生! 純夏が──」
『分かってる、こっちでもモニターしてるから。時間がないから簡潔に言うわよ。今からあんたはまりもと一緒に凄乃皇に乗り移って鑑を救出、あんたは鑑を自分の戦術機に乗せて戦域を離脱、まりもは凄乃皇の手動再起動を試みる。離脱のタイミングはこっちで指示するわ。いいわね?』
「再起動……Dですか? プランGじゃなくて?」
『Dって言うか、まだどっちか決めかねているような状態よ。いずれにしてもこっちからの遠隔操作を受け付けないから、機体に取り付いて制御を確保してもらうしかないの。そこで時間までに自律制御が起動出来ればプランD、出来なければプランG』
「なるほど……分かりました」
『回線はこのままにしておくわ、その都度指示が必要な事もあると思うから。まりももいいわね?』
『──は』
『じゃあ早速取り掛かってちょうだい』
「分かりました。──俺がエアロックを開放している間に、まりもちゃんはみんなに指示を」
『──了解』
 武は傾いた凄乃皇の頭部に登り、不知火から降りてメインハッチの解放作業を開始した。
「暗号コードは、っと……こういう時、指揮官権限を持ってると面倒がなくていいよな……よし、開いた!」
「──お待たせ!」
 メインハッチが開くと同時に、まりもが不知火を降りて武の隣にやってきた。
「リフトは動いてる?」
「……動いてませんね」
 ハッチを開放すれば純夏を乗せたリフトが管制ブロックから上昇してくるはずだったのだが、動力バッテリーが死んでいるのか、何かが動いているような気配はない。
 となると、非常用クランクを回してリフトを手動で上昇させるか、或いは梯子で降りて迎えにいくかだが──
「自分で降りてった方が早いな。行きましょう」
「ええ」
 武たちは非常用の梯子を下って管制ブロックへと降りていった。バッテリーが落ちているためか、薄暗いオレンジ色の非常灯だけが心細げに小さな光を放っている。薄闇に目が慣れるまでに数秒を費やしてから管制ブロックの中を見渡すと、シートの上でぐったりとしている純夏の姿が見つかった。
「鑑は大丈夫なの?」
「問題はない……はずです」
 自閉モードとは生身の人間に当てはめれば、いわば気絶しているような状態である。ただ純夏は00ユニットである以上、容態が急変して──というようなことはまず考えられず、外的要因によって物理的に破壊されるような事態にでもならなければ死に至る事はない。設定した活動限界に達してフェイルセーフが働いてから、少なく見積もってもあと数十時間はこのまま生命活動を維持出来るはずだ。それまでに横浜基地に連れ帰ってODLの浄化措置を行えばいい。
「とにかく、まりもちゃんは自律制御の起動を」
「分かったわ」
 まりもはコンソールパネルの前に立ち、慣れた手つきで操作し始めた。その手の動きは極めて速く、どう見ても素人の動きではない。そういえば……と、武は前のループでオルタネイティヴ5が発動した時、まりもが本部勤務になっていた事を思い出した。
 今思えば、それは物凄い事だったのだとよく分かる。本人がどこまで裏の事情を知っていたかは分からないが、まりもは横浜基地衛士訓練学校の教導官を務め──つまりオルタネイティヴ4直轄部隊の育成を手掛けていたのだ。オルタネイティヴ4の主要メンバーの一人と言ってしまっても過言ではない。それなりの事情も知らされていただろう。にもかかわらず、そのまま引き続きオルタネイティヴ5にも参加する事になるなど、普通ではない。
 この追い詰められた世界でさえ、いや、追い詰められた世界であるからこそというべきか、人間同士の軋轢は絶える事はない。まりもはオルタネイティヴ4の中心に近い位置にいたわけで、オルタネイティヴ5推進派にしてみれば、いくら軍人が命令に忠実だとはいっても、おいそれと招き入れられる存在ではない。獅子身中の虫たりうる可能性だってゼロではなかったはずなのに、彼女はすぐにも招聘されている。
 つまり危険因子である可能性を差し引いたとしても、それを補って余りある才能があると判断されたわけだ。事実、武はどういうわけか自分の所に舞い込んできた地球脱出のチケットを、207の誰かに譲ろうとして名義を書き換えてもらった記憶がある。結局、そのチケットが使われる事はなかったが、それはともかく、その時にまりもがやった事をオルタネイティヴ4に当てはめてみれば、夕呼の目を盗んで00ユニットに関する情報の改竄を成功させたようなものなのだ。
 それに加えて衛士としても超一流だ。そう考えてみると、ベクトルは違えど、まりもは夕呼に匹敵する程の才能の持ち主なのかもしれない。
 しかしその彼女をもってしても、凄乃皇弐型の再起動はままならなかった。
『まりも……どう?』
「ダメね。なにか制御に必要なプログラムがごっそり抜け落ちてるような感じがするわ」
『そう……もう少し続けてちょうだい』
「了解」
「やっぱ、純夏じゃなきゃ駄目なんですかね」
 武は悪戦苦闘するまりもを傍目に、夕呼に話しかけた。
『……かもしれないわね。動きやすいように、状況に合わせてその都度システムをリアルタイムで書き換えたりしていたのかもしれない』
「そっちでデータを確認してみて、何か心当たりは?」
『──今のところは何もないわね、まったくもって原因不明よ。こちらから確認出来るハードウェアには、どこにも異常はないわ』
「だとするとやっぱり純夏の方に原因があるって事ですか」
『この前といい今回といい、一体何がどうなってるのかしらね……』
「外部からの妨害工作の可能性は──」
『それはないわ。今回、簡易浄化装置は出撃前にあたしが自分でチェックしたのよ。それにもし仮にそうだったとしても、こんなに早くフェイルセーフが働くなんて考えられない。甲21号作戦の時よりやってる事は明らかに少ないのに』
「何か大きな負荷が掛かるような事があったとして──ひょっとして……いや、でもそれは……」
 秘匿回線で凄乃皇と接続した時の純夏の悲鳴を思い出す武。
『心当たりがあるの?』
「──いえ、後にしましょう。今はこの状況を何とかするのが先です」
『そうね、分かった』
「──夕呼先生」
『何よ急に、改まって』
「プランGへの即時移行を進言します」
『──え?』
「もう時間がありません。このままでは陽動部隊……特にエクスレイ部隊が犬死にになります。撤退するなら、敵が展開しきっていない今しかない」
 このまま時間が過ぎれば、地表に展開するBETAが増え続け、その後でML機関を起動して敵を引き付けたとしても、撤退すらままならない密度になってしまう事だろう。
『でも、手動制御はまだ──』
 まりもは相変わらずコンソール相手に格闘中だ。しかし、未だ主機の手動制御は確保出来ていない。夕呼の予想通り純夏がシステムに手を加えてしまっているのだとすれば、純夏が自閉モードに入ってしまった以上、これはどうにも出来ないだろう。
「手はありますよ。内通者に感謝しましょう」
『……知ってたのね、あんた』
「先生こそ」
『やるなと言ってもやるんでしょうね。まあ……再起動の目処が立たない以上、他に手は無いか。分かった、こっちの折衝は任せておいて。制御の確保、しっかり頼んだわよ』
「了解です。──まりもちゃん、そっちはもういいです」
「──え?」
「プランGが発動されました……どっちにしても、そこから制御を奪うのは無理でしょう」
「……どうするの?」
「まあ、見ててください。まったく何が役に立つか分からないもんだな……えーと、確かここら辺だったか」
 手動制御用のコンソールから左に1mほど離れた所に立って呟いた。
「……白銀?」
 訝しむまりもをよそに、その場から数歩後ろに退がる。
「憤ッ!」
 そして気合一閃、一歩踏み込んでからの中段足刀蹴りを放った。
 ガィン、という鈍い衝撃音が響き、壁に張られていた金属製のパネルがひしゃげる。武はそこに出来た隙間に指を突っ込んで、それをメリメリと強引に引き剥がした。
 その中から現れたのは、一つのコンソールパネルと小さなモニター。これはML機関に直結している。物理的に別系統になっているし、まだ接続はされていないので、いかに純夏と言えども手出しは出来ない。元々は通信装置が積まれていたのでそこから介入する事は可能だったのだが、それは夕呼が取っ払ってしまっていた。
 そしてここから操作出来る機能はただ一つ、ML機関を暴走させる事。万が一の時の事を考えて、夕呼は通信装置の撤去だけに留めておいたのである。
 武はケーブルを接続すると、コンソールを操作してモニターに数字を表示させ、ひときわ大きな赤いボタンを覆っていたカバーを跳ね上げた。
「──準備完了です、先生。各部隊の撤退状況はどうなってます?」
『SW、Sエリアに展開した第6軌道降下兵団とオスカーは陸路を南下して戦域を離脱しつつあるわ。Nエリアのデルタは、結果的にエクスレイが陽動になったような形で収容がほぼ完了。その分、エクスレイは芳しくないわね。回収艦隊に反応してNEエリアにBETAが集結しつつあるから』
「強行突破は?」
『──さすがに厳しいわ。今もギリギリの状態で進軍を続けてる。良くぞ耐え続けてると言うところ』
「……分かりました。それじゃ、これから300秒後にML機関を起動してラザフォード場を展開、そこから更に900秒後に自爆するようにタイマーをセットします」
『──そうしてちょうだい』
「ML機関が起動したら、エクスレイ部隊には最大戦速で離脱するように──」
『分かってる。じゃあ始めるわよ。時計あわせ、3秒前……2……1──」
「──ゼロ。カウントダウン開始」
 ピーというビープ音を合図に、コンソールに表示された数字が減少し始めた。
『さ、モタモタしているとラザフォード場が展開されて閉じ込められるわよ』
「はい。……まりもちゃん、行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 まりもは純夏を担いで梯子を昇ろうとしていた武を呼び止めた。
「……どうかしましたか?」
「00ユニットはどうするの?」
 そういえば、まりもとみちるにだけは00ユニットについて話した、と夕呼が言っていた事を思い出した。そして、純夏が00ユニットである事までは伝えられていないという事も。
 恐らく、00ユニットは凄乃皇の制御システムであるという説明を受けているのだろう。故に、この場から回収するのが純夏一人だけという事に疑問を持ったのである。
 この非常事態に、武も夕呼も、そのあたりの説明までは頭が回っていなかった。
 武はどう説明したものかと一瞬躊躇したが、夕呼がまりもをこの場に寄越したという事は、最悪、まりもに知られてしまっても問題はないという事だ。そう判断して、とりあえずの解答だけは明かす事にした。
「時間が無いんで結論だけ言いますよ……純夏が00ユニットなんです」
「──えっ?」
「さ、行きましょう。質問は……後で夕呼先生にお願いしますね。どこまで話しちゃっていいのかは、俺じゃ判断出来ないんで」
「わ、分かったわ」
 まりもは少しだけ混乱した後、気持ちを即座に切り換えて軍人の顔を取り戻して梯子を昇り始めた。武も純夏を担いだまま、それに続いた。



[1972] Re[36]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/13 12:42
「これでよし……っと」
 不知火のコックピットに戻った武は、四点式ハーネスの補助ベルトを引っ張り出して、膝の上に純夏を乗せて固定した。
 作業しながら脇目でスクリーンを確認すると、まりもによるブリーフィングが始まっている。
 あと一分もすればML機関が起動して、ラザフォード場が発生する。しかしそれまでの間、凄乃皇弐型は完全に無防備になってしまうので、撤退するのはそれを確認してからになる。
 その後の手順としては、レーザー属種に気を付けながら、武は純夏を連れて夕呼が待つ旗艦の最上に、他の隊員は戦術機母艦の大隈まで飛ぶだけだ。作戦と呼べるような作戦ではないが、レーザーに気を付けろとしか言いようがない。
 地表に展開しつつあるBETAが凄乃皇弐型のML機関に引き寄せられれば、立ち往生しているエクスレイ部隊の撤退もスムーズに進むだろう。
 制限時間は900秒──15分。
 凄乃皇弐型のML機関が、その燃料として積まれているグレイ・イレブンの消費の暴走を開始して臨界を突破すれば、横浜型G弾20発分の威力で、半径40kmの空間が消し飛ぶ。
 それまでに被害想定範囲から離脱しなければならない。余波を避けるために足の遅い回収艦隊は既に移動を開始して、既に沿岸部から離れている。戦術機甲部隊はそこまで匍匐飛行で飛ぶ事になるのだが、最大戦速で飛べば余裕で離脱出来る距離なので問題は無い。
『──ラザフォード場展開10秒前……9……8……』
 まりもがカウントダウンを開始した。
『──1……ゼロ』
 そしてカウントゼロと同時に、凄乃皇弐型から唸り声のようなML機関の駆動音が響き始め、ラザフォード場が展開された。
『──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ各機。ML機関の起動を確認、地表のBETAが移動を開始した。即座に戦域から離脱せよ。繰り返す、即座に戦域から離脱せよ』
『──ヴァルキリー1了解。──聞いての通りだ、これより離脱を開始する。隊形は楔参型──行くぞッ!』
『──了解ッ!』
 まずは水月と築地を先頭にB小隊が飛び立つ。続いて右翼A小隊、左翼C小隊、そして殿を武とまりもの二機連携が守るような形でヴァルキリーズは移動を開始した。
 そして飛び立ってからおよそ10分、ちょうど日本海上に差し掛かったところで武は戦域情報を表示させた。それによると、エクスレイ部隊の撤退を阻んでいたBETA群も凄乃皇弐型のML機関に引き寄せられ、妨害のなくなったエクスレイ部隊は、順次、戦術機母艦に収容されていくのが見て取れる。
 残り時間にはまだ余裕がある。このままいけば、問題なく全部隊が撤退を完了する事が出来るだろう。
 凄乃皇弐型の自爆の効果範囲は半径約40km。海上に出てしまえば、影響範囲から免れる事が可能だ。それでもある程度の余裕を見るため、回収部隊は海岸線からそれなりの距離を確保してはいるが、匍匐飛行で十分届く距離だし、回収後の事を考えると、足の速い戦術機で距離を稼いでおく方が圧倒的に有利だ。
 BETA群は凄乃皇弐型に殺到しつつある。しかし戦闘出力のラザフォード場に撥ね返され、有効打を与える事も、鹵獲する事も出来ずに自滅していっていた。
「この調子なら上手く撤退────」
 まだまだ予断は許さないが、これでとりあえず一安心かな……と武が考えていた時、突然、視界が警報の赤に包まれた。
「なっ! レーザー照射ッ!?」
 しかし、部隊全体に動揺が走った様子は見られない。という事は、狙われているのは白銀機のみである可能性が非常に高い。
「──ヴァルキリー13よりヴァルキリーズ各機、即時散開ッ!」
 万が一に備えて編隊を散らせる。そして武は咄嗟に緊急回避機能をオフにして、ヴァルキリーズから距離を取り始めた。殿を守っている今の状況では、この場で回避しても味方を巻き添えにしてしまう可能性があるからだ。射線軸を味方機から外した上で回避しなければならない。
 案の定警報は鳴り続け、レーザーの照準が白銀機を追尾している事を示していた。
 これまで経験してきた戦闘から得た勘で、警報が出てから照射を受けるまでのタイミングは身体が覚えている。ほんの数瞬の時間ではあるが、その間に武は何とか射線軸をずらし、その上で回避運動を取った。
 一瞬遅れて白銀機のすぐ近くを掠めるように、重光線級から放たれたレーザーが数本、通り抜けていく。
 だが、まだ警報は収まらない。何も敵の中にいるレーザー種全てが、せーので照射しているわけではない。各個体間には当然、照射のタイムラグが存在する。それによって光線級で12秒、重光線級で36秒のインターバルを短縮しているのだ。狙ってやっているようなフシはあまり見られないのだが。
 とにかく、そのため数は極端に多くはならないものの、大小取り混ぜられたレーザーが続けざまに照射されてくる。光線級の細いものなら対レーザー蒸散塗膜と装甲材で都合五秒だけなら何とか耐えられるが、重光線級のぶっといレーザーなら当たれば瞬殺だ。
 武は空中を、まるで蚤のようにピョンピョンと跳ねながら、次々とレーザーを回避していく。
 そしてレーザーが途切れた一瞬の隙を突いて、ふと周りの様子を確認してみる。するとヴァルキリーズが突然の出来事にやや混乱した様子で、武の下方で垂直噴射によるホバリングをしていた。
 この状況はあまり芳しくない。
「狙われてるのは俺一人だ、みんなは構わず離脱してくれ!」
 武はヴァルキリーズに離脱を促す。今狙われているのは武だけだが、このまま他の機体に標的が飛び火しないとも限らない。
『──くっ……離脱するぞ、急げ!』
 いち早く状況を把握したまりもが命令を出し、一旦崩れた隊形を立て直して、再び最大戦速で飛び去っていった。
「とりあえずこれで巻き添えはなくなるよな、っと……さて」
 レーザーを警戒しつつ、再び戦域情報に視線を移した。それによると、全てのレーザー種が武の不知火を狙っているというわけではなく、その大半は凄乃皇弐型に張り付いていた。
「一体どっちを狙ってるんだかな……人気者は辛いよ、全く」
 そんな事をぼやく武。
 甲21号作戦の際、武個人を特定されてレーザー照射の標的になった事は記憶に新しい。その時の格付けが今も生きていれば、どうやって判別しているかは不明だが、ここで武が狙われても何らおかしくはない。
 また、この戦域で一番処理能力の高いコンピュータ、00ユニット──つまり純夏が狙われているという可能性もある。
 或いはその両方で、だから凄乃皇に向かっていた戦力の一部を割いてでも、武の不知火に向けているのかもしれない。
 いずれにしてもこんなところで墜とされるわけにはいかない。純夏を死なせるわけにはいかないし、武も死ぬわけにはいかない。
 敵レーザー種の照射インターバルが終わったのか、再び視界が警告の赤に包まれた。武はそれを不規則な機動で躱し続けた。
 照射パターンは今は単純で助かっているが、これが戦術を使用し始めた時の事を考えると末恐ろしいものがある。例えばレーザー照射を感知して緊急回避が行われる事を前提に、テンポをずらして回避予測範囲にレーザー照射をバラ撒くような真似をされれば、回避率はグッと低下するだろう。
 今は脅威度の順列に従い、その上位から順番に狙っているだけなので付け込む隙はいくらでもあるが、将来的にどうなるかは分かったものではない。
 それはさておき。
「──ヴァルキリー13からHQ、支援砲撃を要請する。砲撃エリアはE-14-36と……ああもう面倒くせえ、とにかく俺を狙ってるレーザー種のいるとこ全部!」
『──HQよりヴァルキリー13、当該エリアへの支援砲撃を優先する』
「──ありがとう、よろしくッ!」
 レーザー属種が白銀機の撃墜を優先して支援砲撃を撃墜しなければ、それで敵の数が減り、武へのレーザー照射は減る。支援砲撃を撃墜すれば、目標がそちらに移り、やはり武へのレーザー照射は減る。AL弾によって重金属雲が発生すれば御の字だ。
 とにかく支援砲撃があれば、多かれ少なかれ、武に掛かる負担は確実に減るのだ。
「さ、どう動いたもんかな」
 この場に留まって攻撃を避け続けて凄乃皇の自爆を待つか。それとも攻撃を避けながら逃げて地球の陰に隠れるか。
 ホバリングか匍匐飛行か、それだけの違いだ。敵に背を向ける関係で匍匐飛行の方が不利かもしれないが、条件はそう大きくは変わらないだろう。
「よし、逃げよう」
 武は逃げながら敵の攻撃を回避する事に決めた。
 条件に大差がないのなら、一秒でも早く撤退が完了出来る方がいい。いつまでも純夏を自閉モードのまま放置しておくわけにはいかないのだ。
 一応、フェイルセーフが働いて自閉モードになってから、最低限の生命活動を200時間は続けられる事にはなっているが、その数字もアテにはならない。
 少しずつODLが劣化して自閉モードになったのならともかく、今回は一気に自閉モードに突入している。という事はODLの劣化も一気に進んだわけで、それがどんな影響を残しているか分からない。純夏に残された時間が保証されていない以上、可及的速やかにODLの浄化を行わなければならないというわけだ。
「次のインターバルで……っと」
 再びレーザー照射警報が表示され、警告音が鳴り響く。やがて照射されてくるレーザーを、武は空中で跳ねながら躱してやり過ごした。
 そしてインターバルに入り、レーザーが途切れる。
 武は不知火を反転させると、高度を下げ、アフターバーナー全開で匍匐飛行を開始した。
 跳躍ユニットから炎の尾をはためかせ、通り過ぎた後には撥ね上げた水飛沫で道を作りながら、海面スレスレを不知火の限界速度で駆け抜けていく。
「──来たなッ!」
 飛び始めて十数秒。もう何度目だろうか、照射警報とともに警告音がコックピット内を支配する。飛行してきた距離から考えて、ここを凌いでしまえば、恐らく次が来る事は無い。
 凄乃皇弐型の爆発まで残り時間およそ二分。地球の陰に隠れてレーザーの有効射程から外れるのが先か、それとも凄乃皇の自爆によってレーザー種が消滅するのが先か。
 どちらにしても、レーザー種は白銀機を攻撃する事が出来なくなる。
 武はブーストユニットを一瞬だけ停止させ、その間に真横に向けた。そして身体でタイミングを計ってアフターバーナー最大出力。
 強烈なGを受けながら、不知火は左前方斜め45度に向かって跳ねた。その直後、ついさっきまで不知火が飛んでいた場所を、重光線級の一撃必殺のレーザーが通り抜けていく。
 アフターバーナーを使って急加速が出来るとしても、後方から噴射しながら横方向に持って来たのでは、いくらスピードが出ていても緩いカーブを描く機動になってしまう。遥か後方から狙いを定めている重光線級がそれに追随する可能性はゼロではない。勿論、武がやったように角で方向転換してもそれは同じ事だが、どちらがより一瞬で照準を外せるかといえば、それは後者だ。
 気休め程度かもしれないが、それでも最善を尽くさないわけにはいかないのだ。
「死力を尽くして任務にあたれ、生ある限り最善を尽くせ、決して犬死するな……か」
 ふと、この世界に帰ってきた夜にまりもに聞いた、伊隅ヴァルキリーズのモットーを思い出す。
「確かに理想論だけど、そのくらい平気で言えるようでなきゃ、勝てるものも勝てんわな──っと!」
 再び警報が出る。今度は跳躍ユニットを左に振って、機体を右に跳ねさせた。海水を蒸発させながらレーザーが通り抜けていく。
 それ以降、武の不知火のセンサーがレーザー照射を感知する事はなかった。データリンクで状況をチェックしてみると、支援砲撃が効果を上げ、白銀機を狙っていたレーザー種がいたエリア周辺には濃い重金属雲が発生していた。
 別のスクリーンに視線を移すと、凄乃皇弐型自爆までのカウントダウンが既に20秒を切っている。
 武はアフターバーナーを切ると、反転噴射で制動して停止した。ホバリングしたまま方向転換し、甲20号目標の方角に正面を向ける。
 そして、カウント──ゼロ。
 一瞬、空間がひしゃげたかと思うと、禍々しく輝く黒紫色の光が膨れ上がる。勿論、今いる位置からでは水平線の陰に隠れてハイヴの様子を確認する事は出来ないが、ML機関が暴走して生まれた光球は半径40km、つまり高度四万メートルにも達し、それは目視でも十分確認出来た。黒い光はそこに存在するもの全てを飲み込み、文字通り全てを消し去っていく。
「…………」
 さすがに言葉が出ない。なるほど、実際これだけの威力があれば、G弾に魅せられる者も危惧する者も出てくるだろう。推進派と反対派の対立が生まれるわけだ。
「ま、今回のは極端だよな……20発分、一気だし」
 一発ずつ使用するのであれば、横浜基地の周辺に廃墟が残っているのを見ても分かる通り、有効範囲はここまで広くはない。
 これからG弾推進派は二極化していくだろう。同時使用の相乗効果を期待した威力最優先の武闘派と、最低限に抑えるべきだと言う消極派に。
 確かに反応炉に近い位置で複数発分のG弾を炸裂させる事が出来れば、そのたった一撃だけでハイヴを破壊する事が可能である。たった今証明されたばかりだ。
 台頭する事はないだろうが、そういった武闘派の声が大きくなってくる事は容易に想像出来る。もっとも武としては、そんな勢力はむしろ扱いやすい部類に入ると思っている。いくら威力を青天井に出来るといっても、運用面での使い勝手は従来と変わらない。突っ込みどころはいくらでもあるのだ。
 むしろ強力すぎる威力を危惧して、警鐘を鳴らすような勢力の方が厄介だ。特にこの勢力がG弾推進派から離れたとすると、今のところ行き着く先はオルタネイティヴ4推進派しかない。
 黙って金だけ出してくれればいいのだが、口も出してくるに決まっている。そうなった場合、彼らが何を基準に威力のあるなしを主張しているのかはいまひとつ不明で、感情に任せて言っているような気がしないでもないが、とにかくその時に今度は00ユニットが槍玉に挙げられる事は目に見えている。今の段階ですら00ユニット脅威論などというものが存在するのだ。G弾推進派から離れてきたからといって無闇に受け入れてしまうと、徒に00ユニット脅威論者を増やしてしまう事になる。
 しかし、そんな彼らが有効な代案など用意出来るはずも無く、騒ぐだけ騒いだ結果、オルタネイティヴ4の足を引っ張りかねないのだ。
 それでも夕呼なら上手く立ち回って何とかしてしまうのだろうが、負担になる事には違いない。とは言っても、なるようにしかならないのだが。
 それはさておき。
「さて、それじゃ帰艦するか」
 武は甲20号目標があった方角に背を向けて、旗艦の重巡最上に向かって飛び立った。


 2002年1月9日(水)

 武やヴァルキリーズ、そして夕呼たちは、甲20目標の消滅を確認した後、往路と同じく帝国軍舞鶴基地に寄港、そこから空路にて今度は直接横浜基地に帰還し、それから数時間が経っていた。
 ヴァルキリーズは作戦が微妙な結果に終わって疲れがどっと出たのか、既に休息に入っている。しかし武や夕呼には休んでいる暇などない。
 甲20号作戦は成功とも失敗とも取れない結果に終わったが、対外的には最終的に国連軍がG弾を投下して戦闘が終結したと報じられている。それはある意味では間違ってはいない。そんなわけで一般人の間では、甲20号目標が消滅した事で喜び半分、ハイヴ攻略は結局G弾に頼らざるを得ないのか、と落胆半分である。
 もっとも日本国内に限って言えば、本土でG弾が炸裂したわけではないので、対岸の火事のような見方が大半だ。悲観的な意見はむしろ実際に戦場に出る軍人に多い。
 それでも全般的に見れば国連軍は信用を失わずに済んでいる。やはりここでもXM3の効果は絶大で、半分失敗ともいえる結果でも、被害は最小限に抑えられていたからだ。
 では夕呼や武たちにとって甲20号作戦はどうだったかと言うと、これがかなり深刻な問題になっている。それも含めて今後の方針を打ち出すべく、武は一度部屋で手持ちのデータを纏めてから、夕呼の執務室を訪れていた。

「……参ったわね」
 そう言って夕呼は溜息をついた。
 勿論、純夏の容態の事だ。甲21号作戦の時に引き続いて、想定以上にODLの劣化が進んでいる。今回に至っては、荷電粒子砲の二射目でダウンして自閉モードになってしまった。しかしやった事といえば、航行に機体制御、荷電粒子砲の発射と、甲21号作戦で既に経験してきた事ばかり。そして今回はリーディングは一切行っていない。試みる前にフェイルセーフが働いてしまったからだ。
「……そう言えばあんた、あの時なにか心当たりがあるようなことを言いかけてたわよね」
 夕呼は武が純夏を連れ出しに凄乃皇内部に入っていた時に言っていた事を思い出して言った。
「まずはこれを。ちょっと気になって調べてみたんですけど」
 武はあらかじめ用意してきた数枚の紙片を夕呼に手渡した。
「これ……昨日、鑑が自閉モードになる直前のバイタルデータよね」
「はい。で、次のと見比べてみてください」
 二枚目を見るように指示する武。夕呼が資料をめくると、そこにも似たようなグラフが印刷されていた。
「そんな、まさか……!?」
 驚きの声を上げる夕呼。そこに印刷されていたのは、霞がリーディングやプロジェクションを使って対話していた時、それも負の感情を多く拾ってきていた時の、純夏のバイタルデータ。その中の、霞がプロジェクションで純夏に語りかけている時の波形──つまり純夏が負の感情に支配されている時にプロジェクションを受けた時の波形と、昨日純夏がおかしくなったときの波形に、一致する部分が多く見られた。
 つまり、昨日純夏がおかしくなった時、何者かにプロジェクションを受けていたというのである。
「あんた、どうしてこれに……?」
「昨日、凄乃皇が傾いた時に秘匿回線を開いたら、純夏が叫んでたんですよ。さすがに最上で人払いする暇はなかったでしょうし、レコーダーも吹っ飛んじゃったから、先生は聞いてないでしょうけど」
「……なんて?」
「イヤだやめて、とか、タケルちゃんが死んじゃう、とか。それから、タケルちゃんを奪ったあいつらをぶっ殺してやる……なんてのも。前に純夏の調律をしてた時、負の記憶がフラッシュバックして暴れてた時と同じような感じで」
「そこから辿っていったってわけね。それで、どうしてそんな事がフラッシュバックしたのか……って質問の答えが、これってこと」
 夕呼は先程受け取った資料をぴらぴらと振った。
 霞と対話していた時と酷似したデータ。つまり何者かにプロジェクションを受け、純夏の中で負のイメージが膨れ上がり、それがODLの異常劣化を引き起こしてしまった、と言うわけだ。
「三枚目に甲21号作戦の時のデータも付けときました。昨日ほどじゃないにしても、やっぱり類似性が見られます」
「なるほど……間違いはなさそうね」
 資料を見比べて夕呼が言った。
「で、誰の仕業か心当たりはあるの?」
「さすがにそこまでは。反オルタネイティヴ勢力か、オルタネイティヴ5推進派か……或いは全く別の勢力か」
「何か仕掛けてあったとすれば、XG-70bにでしょうけど……今となっては調べようがないわね」
 夕呼は溜息をついた。証拠になり得るものは全て、文字通り消滅してしまっている。
 リーディングにしろプロジェクションにしろ、コンピュータでエミュレートする事は不可能ではない。純夏がまさにそれを証明している。処理能力の問題から00ユニットでなければイメージを翻訳する事は出来ないが、特定の相手と単一のイメージをやり取りするだけなら、既存のコンピュータでも十分に可能だろう。
 もっとも、相手が純夏の場合ならそんな回りくどい事をせずともよいのだが。純夏は凄乃皇に接続した時、そこにあるデータを読み込むのだから、ただデータを置いておくだけでロジックボムとする事が可能なのだ。
 コンピュータウィルスの類なら純夏は瞬時に解析して無効化してしまう。しかし人としての純夏の心を揺さぶるようなデータを設置する事が出来れば、そのデータを閲覧した時点で純夏の人間の心に影響を与え、ODLの劣化を促す事が出来る。
「まあ、この線は薄いかもね。鑑がBETAに捕まってから何があったかなんて、あたしたちですら知らないんだから」
「……そうですね」
 投影すべきイメージが分からなければ、影響を与える事は出来ない、というわけだ。
 しかし、夕呼の知らない可能性がもう一つある。年末に鎧衣課長に聞いた後藤部隊絡みの話だ。だが、考えてみればこの可能性も決して高くはないだろう。あの件の収拾には、あの鎧衣課長が関わっているのだ。漏洩すればそれが日本の崩壊、ひいては世界の破滅に繋がっていくような情報の取り扱いを、後で漏れるような杜撰な処置で済ませているはずがない。
 そしてその情報を持っていたとしても、00ユニットが鑑純夏である事を知らなければ、それを有効に使う事など出来ない。
 仮に内通者が横浜基地にいて、そこからG弾推進派に00ユニットは鑑純夏であるという情報が漏れていたとしても、その時にはもう純夏に関する情報を手に入れる事は出来ない。00ユニットが完成した時には、後藤はとっくに始末された後だし、他に知る存在は鎧衣課長の根回しがされている。情報漏洩は文字通り命がけのものとなるだろう。
 つまり00ユニットが純夏であるという事を知る前に、純夏に関する情報を手に入れていなければ、この作戦は実行出来ない。
「……一つ聞きたいんですけど」
「なに?」
「オルタネイティヴ4に入り込んでる反抗勢力の諜報員って、把握出来てます?」
「ええ、一応はね」
「00ユニットが純夏……いや、00ユニットの素体候補筆頭が純夏だって情報を得られるような位置には?」
「把握してる中にはいない……って言いたいところだけど、実はピアティフが諜報員だから情報はダダ漏れなのよね」
「はあ!? ピアティフ中尉がスパイ!?」
「真に受けないでってば……ちょっと言ってみただけよ。冗談に決まってるでしょ、あの子はあたしが拾ってきたんだから。まあそのくらいの位置にいないと、鑑の情報なんて漏らせないってことよ」
「心臓に悪いこと言わないで下さいよ……」
 だがこれで、武が考えた可能性もなくなった。どこかひとつでも条件が合わなければ、今のような結果にはならない。誰かしらが一か八かで仕掛けたトラップが作動し、偶然に偶然が重なってそれが上手い具合に作用したという可能性もゼロではないが、それは現実的な考えではないだろう。
「ODLの浄化には、あとどのくらい掛かりますか?」
「そうね……もう一晩ってところかしら」
 今回、純夏の精神に対して一度に大きな負荷が掛かった事で、フェイルセーフの設定値を大きく越えてしまっていた。勿論、万が一の事を考えてマージンはかなり大きめに取ってあるので、それでどうにかなってしまったわけではないが、甲21号作戦後に比べて遥かに酷い状況になっていたのである。
「とにかく、今は鑑の回復を待つしかないわね。それからあんたが聞き出すなり、社にリーディングしてもらうなりで、原因を絞っていかないと」
 今、いくらデータと睨めっこしても、純夏に過負荷が掛かってフェイルセーフが働いた、それ以上の事は分からない。
「──今日はもうこれでいいわ。悪かったわね、疲れてるところ呼び出しちゃって。ゆっくり休んでちょうだい」
「いえ、構いません。それじゃ、俺はこれで」
「ええ、お疲れさま」

「さてどうしたもんだか……」
 夕呼の執務室を後にした武は、一度霞と純夏の所に顔を出した後、自室に戻って思案に耽っていた。
 先程、夕呼には話さなかったが、今回、純夏にフラッシュバックした記憶に関しては大方想像がついている。
 恐らくBETAに何かされた時の記憶ではなく、後藤部隊に囚われていた時の記憶だ。純夏が口にしていた言葉からもそれは窺えるし、何よりあの時、荷電粒子砲の照準を帝国軍部隊に向けていた事が、それを雄弁に物語っていた。
「でも、まだ話すべきじゃないよなあ……」
 武は机の引き出しの中……純夏についてまとめた報告書がある方にチラリと視線を向けて呟いた。
 まだどころか、出来ればずっと伏せておきたい。それに話したところで、対策を練って状況を改善出来るような問題ではないのだ。全てを明かして00ユニット脅威論が表面化したとしても、それをどうにかする手段などなく、そして今更、純夏を舞台から降ろすわけにもいかない。
「ま、なるようにしかならないか……」
 結局、純夏が目覚めてどんな行動を取るかによって状況は変わってくるので、今は待つしかない。武は疲弊した身体を回復させるために、ベッドで横になった。


 2002年1月10日(木)

 武は軽く基礎訓練をするために、地上のグラウンドに出てきている。
 今日は昨日に引き続き、A-01部隊は全面的に回復のための休暇になっていた。もっとも訓練がないとはいっても、武には夕呼の、つまり純夏に関する任務があるので、完全休暇というわけにはいかない。
 ……はずだったのだが、朝一番でODLの浄化を終えたはずの純夏に会いに行ったところ、会いたくないと突っぱねられてしまったのだ。
 恐らくは甲20号作戦でフラッシュバックした記憶が重しとなって、武と顔を合わせる事に対して抵抗を作ってしまっているのだと思われる。一度落ち着いてしまえば顔も合わせられないような事はなくなるだろうが、少なくとも今日一杯は、それは無理そうだった。
 予定していた容態や状況の確認、情報収集は夕呼と霞が引き受けてくれているので、武は今日一日、完全なオフになってしまった、というわけだ。
 そんなわけで、とりあえず完全装備で10kmほどちんたら走ってみたが、今更この程度でどうにかなるわけでもなく、特に苦もなく走り終えてしまった。
「予定がなくなると、途端に暇になるんだよなあ……」
 武には趣味と言えるものが見当たらなかった。そもそも娯楽が極端に少ないこの世界、あるとすればあやとりだのおはじきだの将棋だのという事になるのだが、どれも一人でやっていてもいまひとつ燃え上がらない。
 強いて挙げれば身体を鍛える事が趣味だと言えなくはないが、一応回復のための休暇なのに、暇だからと言って調整以上の鍛錬を行っていたのでは本末転倒だ。武はそれで平気でも、まわりに悪い手本を見せてしまう事になる。
「その辺をウロウロしてみるか……」
 グラウンドを後にした武は、ブラブラとしながらハンガーに到着した。そしてデッキの手摺に寄りかかって、ハンガーの様子を見渡してみる。
 そこでは整備兵たちが不知火に取り付いてメンテナンスをしていた。今回、甲20号作戦でハイヴ突入は行われなかったし、何だかんだで作戦時間も短いものだったので、オーバーホールするまでには至っていない。
「おう、タケルじゃねえか! どうした、こんな半端な時間にこんなとこまで来て」
 見た目も中身も職人気質で頑固親父の整備班長が、ハンガーに入ってきた武を目ざとく見つけて歩いてきた。
「いや……今日は訓練なくて暇なんですよね」
 武はカンカンとタラップを鳴らしながら、デッキを降りていく。
「そうか……俺らとは反対だな」
「忙しいんですか?」
「まあな。今回も前の時みたいにオーバーホールに出す予定だったろ? だから他所に人を貸し出してたんだが、それが通常メンテに毛が生えた程度でいいと来た日にゃあ、仕事が全部こっちに戻ってきちまって、そりゃ慌ただしくもなるってもんさ」
 予定が変更になった事で、勿論貸し出した整備兵たちを呼び戻したわけだが、他の部署でも増員を前提に予定を入れてしまっていたので、さすがに全員を呼び戻す事は出来ず、いつもよりも少ない人員で整備を行っているというわけなのだ。
「……よし、それじゃ俺も手伝いましょう」
 いい暇つぶしが見つかったとばかりに、協力を申し出る武。
「そいつはありがてぇ……って言いたいところなんだがな。おめぇの腕が悪くねぇのは知ってるが、さすがに衛士にそこまでさせるわけにはいかねえよ。ま、気持ちだけはありがたく受け取っておくぜ」
 しかし、整備班長はその申し出を断った。
「別にいいじゃないですか。人少ないんだし、使えるものは何でも使おうよ?」
 武はそれに食い下がる。
「……」
 そして整備班長は武の強い意志を秘めた、それでいてどこか悪戯小僧のような顔を見て、説得するのをすっぱりと諦めた。
「やれやれ……身体を休めるのも衛士の大切な仕事のうちじゃねえのかい?」
「疲れてればね。他の子たちはともかく、俺は一晩も休めればそれで十分だよ」
「ハハハ、全く若ぇのに頑固なヤツだよ」
 整備班長は少し呆れた調子で笑い、武が整備をする事を認める。
「そんじゃ、タケルには自分の機体を担当してもらおうかい」
「了~解ッ」
 武は更衣室で整備兵用の作業服に着替え、ヘルメットとワーキンググローブを装着すると、自分の不知火に張り付いて作業に取り掛かった。

 それから数刻──
 整備を終えたはずの武はハンガーを立ち去るでもなく、隅の開いたスペースに溶断機を引っ張って、そこで鋼材と格闘していた。
 既に自機のメンテナンスは完了している。さすがに前のループで悪条件下の連続戦闘を繰り返してきただけあって、機体に最大限負荷を掛けない操縦が身に付いている。加えて甲20号作戦で行った負荷が掛かりそうな戦闘といえば、凄乃皇弐型の砲撃開始地点制圧と、撤退時のレーザー回避だけだったので、そのため機体に残ったダメージは極めて軽微なもので、実機訓練後のメンテ程度で済ませてもいいような状態だったのだ。
 武の機体はまだ全くの手付かずだったのだが、元々がそんな理由からだったので、そのメンテナンスは比較的すぐに終わってしまったというわけである。
「んで、おめぇは一体何をやってるんだい?」
 ハンガーの隅に陣取っている武に、整備班長がやって来て声を掛けた。
「あ、班長。ちょっと考えてた事があったんで、どうせ暇なら作ってみようかなって」
「へぇ……何を作ってるんだ?」
「こんなの」
 武は作業を止めると、脇に置いていた図面を取って、それを整備班長に手渡した。
 それを見た整備班長が一言。
「なんて言うかまあ……らしいっちゃあらしいのかもしれねぇが……本気かい?」
「ははは。昔っからこんなのがあったら便利かも、って思ってたから。これならシステムの方はほとんど弄らなくていいし、とりあえず枠だけでも作れば使えるようになるかなって」
「……なるほどな。XM3トライアルの時のおめぇの戦いっぷりを見る限りじゃ、突撃砲よりもこっちの方が役に立つかも知れねぇな」
「そんなとこ」
「……よっし、分かった。続きは俺が引き受けた!」
「へ? 自分の仕事は?」
「んなもんとっくに終わっちまったよ。俺が担当したのは神宮司少佐の機体だからな。タケルほどじゃねえにしても、機体にはほとんどダメージが残ってなかったから、すぐに済んじまったってわけだ。後は総括だから、若い衆の仕事が終わんなきゃ俺の出番は回って来ねぇって寸法よ」
「いいんですか?」
「構やしねえって。元々はタケルの機体も俺が見る予定だったんだぞ? でも誰かさんに仕事を取られちまったからな、俺も暇してるってわけだよ」
 暇になったのは武のせいだから、手伝わせろというわけだ。
「これは一本取られたかな」
「ま、何にしても今日はここまでにしときな。いくら楽しくたって、あんまり慣れねぇ事ばかりやってると、疲れちまうぞ?」
「……そうですね。じゃあ、あと頼みます」
「任せときな! 出来上がったら、技術部の方にも話付けといてやらあな」
「ありがとう。そんじゃ俺はこれで」
「おう、お疲れさん!」
 武は後の事を整備班長に任せると、更衣室で衛士の作業服に着替え、ハンガーを後にした。

「そういや、まだメシ食ってなかったよなあ……」
 ハンガーを出て集中が途切れた途端、空腹が襲い掛かってきた。作業に夢中になって、すっかり昼食を忘れていたのだ。
 武は遅い昼食を摂るために、PXへと向かった。
「おやタケル、随分と遅いお出ましだね。今日はどうしたんだい?」
 ちょうど夜の仕込がひと段落付いて時間が空いていたのか、京塚のおばちゃんが話しかけてきた。
「うん、急に予定がなくなっちゃってさ。それでハンガーで遊んでたら、メシ食うの忘れてた」
「なんだい、しっかりしとくれよ。でもそれじゃ腹が減って仕方がないだろ。何にするんだい?」
「そうだなあ……じゃあ、合成クジラの竜田揚げ定食大盛り、あと合成宇治茶」
「あいよ。ちょっと待ってな!」
 おばちゃんは威勢のいい返事をよこすと、厨房の中に引っ込んでいった。
 武は一息ついてPXの中を見渡してみた。時計の短針は3と4のちょうど中間を通り過ぎたところだ。さすがに中途半端な時間のため、人の姿はほとんど見られない。
「って、あれ? あいつら……」
 人影がまばらなPXの中で武が向けた視線の先には、帝国斯衛軍の白い制服を着た巽と雪乃がいた。二人だけで、近くには美凪や月詠の姿は無い。
「珍しいな……3バカが三人揃ってないなんて」
 とは言うものの、武が美凪を帝都に連れ出した時は、その一方でこの二人組みが出来上がっていたわけなのだが。しかし、実際にそれを見るのは初めてだ。
「タケル、あがったよ~!」
 大して時間も経たないうちに、注文した定食が出来上がってくる。
「あ、おばちゃん。悪いけど、合成宇治茶二人分追加してもらってもいいかな?」
「構わないよ。知り合いでもいたのかい?」
「まあね」
「ちょっと待ってな……ほら」
「ありがと」
「ま、ゆっくりしていきな」
 武は京塚のおばちゃんに軽く挨拶して、巽と巴がいるテーブルに歩いていった。

「よう、ここいいか?」
「え?」
「……あ! 白銀武……少佐」
 返事を聞く前に二人の対面に座る武。
「何やってるんだ? こんな時間に」
「あ、いえ、ちょっと作戦会議を──」
「──雪乃!」
 口を滑らせた雪乃を咎めるように、巽が小声で注意する。
「あ……」
「作戦会議ねえ……戎がいないって事は、あいつをハメる相談でもしてるのか?」
「なっ! そ、そんなわけないでしょう! ここのところ美凪の機動が急に良くなってきてるから、どうやってそれに合わせようかっていう相談です!」
「雪乃!」
「あっ……!」
「まったく、もう……」
 巽は溜息をついて、頭を押さえる。
「前に見た時はみんな互角だったと思ったけど、そんな差が付いてるのか?」
「貴様の! ……あ、貴方のせいではありませんか……!」
 思わず初対面の時のように呼びかけてしまい、それを訂正する巽。
「なんで?」
「それは……それは少佐が美凪にだけXM3のレクチャーなんてするから……」
 少し拗ねた様子で雪乃が答えた。
「ああ、そういう事な。そんじゃお前らも見てやるよ」
「へ?」
「いや、俺今日すげえ暇だし。まあ、これ食ってからだけど……ほら、それまでお茶でも飲んどけよ」
 武は二人の前に湯飲みを差し出して、急須からお茶を注いでやった。
「あっ、すみません……じゃなくて。よろしいのですか?」
「だって、戎一人だけじゃずるいんだろ?」
「もう、そうじゃなくて。我々は帝国斯衛軍で、少佐は国連軍で……」
「大丈夫だよ。今のお前らの立場、国連に出向って形になってるから。形の上では俺の部下だし」
 巽と雪乃はお互いに顔を見合わせて、そう言えばそうだったと納得しあう。
「その事もありましたね。改めて……ありがとうございます、白銀少佐」
「ふぁふぃふぁ?」
「く、口の中に物を入れたまま喋らないで下さい」
 雪乃がちょっとだけ眉をしかめて抗議するように言う。
「んっ……すまんすまん。で、なにがありがとうなんだ?」
 武はモグモグと咀嚼して口の中の物を飲み込んでから、改めて聞き直した。
「私たちが横浜基地に駐留し続けられるように、口利きして頂いたそうで」
「なんだそんな事か。気にすんなよ、俺にも色々と思惑があっての事だからな。……でも冥夜には内緒な。俺が裏で動いたなんて知ったら、あいつ多分怒り出すから」
「……でしょうね」
 勿論、全てが冥夜のためというわけではない。と言うか、あくまで武御雷の確保や、月詠の部隊の戦力を利用するといった方が主目的だ。だからと言って、冥夜の事を全く考えていなかったかといえば、そんな事は決してない。
 そのあたりは巽も雪乃もちゃんと理解していた。
「それじゃ、シミュレータールームに行くか。……ああ、月詠さんと戎も呼んどいてくれ」
 食べ終わった武は残ったお茶を一気に飲み干し、食器を片付けながら言った。
「……え?」
「戎には教習を手伝ってもらう。月詠さんは……話を聞くだけ聞いてもらってた方が、後で何かの役に立つかもしれないし」
 これまでのヴァルキリーズを見る限り、機動概念の再構築をした者としない者とで差が付き始めるのはほぼ間違いない。現状、月詠の練度が高いために美凪と月詠の間でその問題は発覚していないが、いずれは浮かび上がってくる。
 しかし月詠なら、一度完成した戦闘スタイルを、戦闘力を落とすことなく再構築する事は十分可能だろう。
 だが何にしても、機動概念を再構築するにせよしないにせよ、武の話を聞いておいて損はない。
 武は立ち上がると、食器を下げるため、カウンターに歩いていく。
「おばちゃーん! ごちそうさまー!」
「あいよー!」
 そしてPXを後にしてシミュレータールームに赴き、巽と雪乃をシゴキ倒したのであった。



[1972] Re[37]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/03/25 17:10
 2002年1月11日(金)

「ね、ねえ……タケルちゃん?」
 武が日課の自主訓練を終え、B4フロアの兵舎の自室に戻って扉のレバーに手を掛けたところで、隣の部屋から顔を出した純夏に呼び止められた。
「どうした? 純夏」
「えっとね、あのね……ちょっと、いいかな」
 いまひとつ歯切れが悪く、いつもの純夏らしくない。
「ああ、構わないぞ。俺の部屋に来るか?」
「……うん」
 純夏を部屋に招き入れた武は、純夏を椅子に座るように促し、自分はベッドに座る。
「で、何かあったのか?」
「そ、その……た、タケルちゃんはさ、大人になったよね」
「そうか?」
「……うん。だって、ヴァルキリーズのみんなも、神宮司先生も、香月先生だって、みんなのタケルちゃんのことを頼ってるし……」
「そうかなあ……?」
「そうだよ」
「そうか。まあ、外見はお前らと同級生でも、中身は十歳以上おっさんだからなあ……」
 武はしみじみと呟いた。
 精神年齢というか、精神が重ねた年月は、まりもや夕呼と同等か或いはそれ以上になっているはずだ。純夏たちから見たら、ひと回り上の世代だと言ってしまってもいいほどの隔たりが出来てしまっている。ヴァルキリーズにしてみても、最年長のみちるでも五つ下だ。
 確かに大人になったと言えばそうかもしれないが、しかしそうでない部分もそれなりに多い。戦いの中で育ってきたから、かなりアンバランスな成長を遂げている。それらをひっくるめて本当に『大人』になりきれているのかといえば、かなり微妙なのではないかと、武は自分ではそう思っていた。
「……そろそろ本題に入ろうか。俺が大人になったなんて話をしに来たわけじゃないんだろ?」
 純夏が話しかけてきた時、どことなく決死の覚悟をしているような雰囲気を身に纏っていた。武も、昔に比べてそのくらいの機微が分かるくらいになってはいるのだ。もっとも、何を話そうとしているのかなどは相変わらずサッパリなのだが。
「…………」
 武が先を促したが、しかし純夏は何を躊躇しているのか、その口を開こうとしない。
「ひょっとして、言いにくい事なのか?」
「──!」
 純夏の表情が強張る。どうやら図星のようだ。
「そうか……ここじゃ誰か来るかもしれないからな。校舎裏の丘にでも行くか」
「う、うん」
 どこかズレた提案をした武は、少し沈んだ表情の純夏を連れて、校舎裏の丘に登ってきた。
「ほら、寒いだろ」
「え? あ……」
 武はいつかと同じように上着を脱ぐと、純夏に羽織らせる。
「自主訓練で走ったりしてきた後だからな、今度は本当に汗臭いかもしれないけど……それは我慢してくれよ」
「うん……」
「で、話ってのは何だ? ここならさすがに邪魔は入らないだろ」
「え、えっと……あ、あの……これ」
 純夏は意を決したようにポケットに手をいれ、何かを取り出す。そして純夏の手が開かれると、そこには前に武がプレゼントしたサンタウサギのキーホルダーが乗せられていた。
「サンタウサギがどうかしたか? 耳でも折れたとか……ってわけでもないか」
 ざっと見たところ、どこか壊れているというような事もない。
「あの、ごめんね……これ、返すよ……」
「……え?」
 突然の事に驚く武。
「……もう、わたし……これ、持っていられない……」
 動揺を無理矢理抑えて、武は純夏の表情を確かめる。とても冗談を言っている顔ではない。
「なあ……理由、聞かせてもらってもいいか?」
「べ、別に理由なんてないよ。いらなくなったから返すの。それだけ」
 ついさっき、持っていられなくなったと言ったばかりなのに、理由はないと言う。いきなり話が矛盾していた。今の純夏の状態は、身体を取り戻した直後の、混乱していた時期に通じるものがある。
「…………」
 武は戦場にいるつもりで無理矢理心を殺して動揺を消し去ると、その理由を考えてみた。
 純夏は甲20号作戦を境に変わった。ありていに言えば暗くなった。武を避けるようになった。
 あの時、感情の暴走にも似た症状を示してODLの異常劣化から自閉モードになってしまったわけだが、その時の純夏の言動を見る限り、原因は恐らく、何らかのきっかけで負の記憶が呼び起こされてしまったのだと思われる。
 それが何の記憶かといえば、BETAに囚われていた時の記憶か、或いは後藤部隊に囚われていた時の記憶か。前者について詳細は知らないが、何にせよロクなものではあるまい。
 詳しい事は分からないし、それを本人に確認するのは憚られるが、とにかくそのあたりがきっかけとなっているはずだ。
 そして、何らかの負い目が出来て、面と向かって武と接する事が出来なくなった。それでサンタウサギを持ち続ける事にも抵抗が出てきた。だから突き返してきた。
 もしそうだとすると、これまでと何も変わらず純夏に接してやる事が一番良いのではないかと思う。だが、それだけでも少し足りないだろうとも思う。だから武は、ここは一つ鎧衣課長を見習ってみる事にした。……よりにもよって鎧衣課長を。
 武は差し出されたサンタウサギをヒョイと手に取った。
「ちゃ、ちゃんと返したからね……?」
「うーむ……」
 純夏の言葉を半分以上聞き流すと、武はサンタウサギを月明かりに透かし、それを回転させて色んな角度から、あたかも高名な陶芸家が自分の作品を確かめるかのように、唸りながらまじまじと眺め始める。
「……な、なに?」
 いきなり奇天烈な行動をとり始めた武を見て、純夏は面食らった様子で言葉を漏らす。
「いや、ディテールが甘かったのかなって。要はこいつのツラがブサイクなのが気に入らなかったんだろ?」
「ち、違うよ!」
「そっか、違うのか。じゃあ何でだ?」
「そ、それは……」
「うーん……やっぱ未完成なのが拙かったか……そうだ、これから彩色するってのはどうだろう?」
 何故だと聞きながら、追求も何もせずさっさと次に移る武。
「え……?」
「ふむ、未塗装だったからでもないと。……じゃあ、いったい何が不満なんだ」
「え……え?」
「なんだ、自分でも分かってないのか? まあいい、つまり、なんだかよく分からんが、とにかく気に食わないと」
 とりあえず至極適当に投げやりな結論を出してみる武。
「……そ、そうだよ。タケルちゃんのプレゼントなんて、いらない。いるわけないよ」
 純夏は一瞬だけ我を取り戻し、武を拒絶しようとする……しかし。
「そうか……残念だな。じゃあ、これは捨てちまうか」
 次に武から飛び出して言葉は、純夏の予想の範疇を超えたものだった。
「えっ?」
 武はサンタウサギを右手に持つと、突然、投球のモーションに入る。
「さあピッチャー白銀、大きく振りかぶって第一球、投げたぁッ!」
 自前の実況と共に武の右腕が唸り、握られていた物体は手から離れて、暗闇の中に飛び立っていった。
「あー!」
 それを見て純夏が叫ぶ。
「……なんだ、捨てちゃダメだったのか?」
「そ、そんなことないよ……?」
 と言った純夏の声は、思いっきり沈んでいる。そして少し涙目だ。
「まあ心配すんな。今投げたのはただの枯れ枝だし。本物はこっちだ、ほれ」
 武が左手を開くと、サンタウサギはそこにしっかりと納められていた。
「あ……」
 ホッとしたような表情を見せる純夏。
「欲しいか?」
「い、いらない」
「そうか……じゃあ壊しちまおう。このへんからこう、パキッと」
「えっ?」
 武はサンタウサギを両手の親指と人差し指と中指で摘んで、胴体を真っ二つに折るように力をかけていく。
 そして、パキッという乾いた音が辺りに響き渡った。
「あー、あぁーっ!!」
 その無惨な音を聞いて再び叫び声を上げる純夏。
「アハハハハハ、なんつったりしてな」
 武が手を開くと、その中にあったサンタウサギは傷一つ付いていなかった。
「えっ、あれ、ええっ……?」
「折ったのこっちだ、ほれ」
 逆の手から、折れた枯れ枝が出てくる。武はそれを足元に放って捨てた。純夏の顔を見ると先程と同じように、やはり安堵の表情が浮かんでいた。
「……お前、やっぱ欲しいんだろ、これ」
「ほ、欲しくないもん!」
「そうか……じゃあ、次はどうするかな……」
「うぅ~……」
 上目遣いで武を睨む純夏。しかし全然怖くない。頬をぷっくりと膨らませたりなんかしていて、むしろ可愛らしい。まるで歳の離れた兄にからかわれて拗ねている、幼い妹のようだ。
「本当に欲しいなら、ここらで折れといた方がいいと思うんだけどなあ」
「……えっ?」
「ほら、三度目の正直って言うし……」
「えっ、えっ?」
 どうしたらいいか分からなくなって、純夏は混乱している。
「ははは。まあ、二度ある事は三度あるとも言うけどな。さて、次はどっちだろう?」
 二度あった事が三度あればサンタウサギを取り戻すチャンスは残るが、三度目の正直だと、そこでお終いというわけだ。
「う……」
「ほ~らほら、遠慮せずに持っていっていいんだぞ?」
 武は金具を摘んでサンタウサギをぶら下げると、純夏の目の前に差し出してぷらぷらと揺らしてみせる。
 純夏は迷っていた。
 本音を言えば、やはりサンタウサギが欲しくて堪らないのだ。態度を見れば丸分かりである。しかし、何らかの理由で必死に突き返そうとしている。でもやっぱり欲しい。でも返さなくてはいけない。欲しい。返さなくては。そんな二つの考えがせめぎ合い、だんだんと困ったような苦渋の表情に変わっていく。どうしていいか分からず、何度もサンタウサギとの間で視線を往復させて武の顔色を窺うが、武はニコニコと笑うだけで何も言わなかった。
 そしてしばらくの間、ぐずぐずと迷っていると──
「仏の顔も三度……」
 武がボソリと呟く。
 その言葉が意味するところは、つまりこれがラストチャンス。それを聞いた純夏の表情は一瞬にして強張り、次の瞬間、サンタウサギの姿は武の手から消え、純夏の両手に大事そうに抱きかかえられていた。
「はい俺の勝ち、っと。もう返却は受け付けないからな。おっと、捨てたりするのも無しな。そいつは俺の念がバッチリ篭ってるから、捨てると……呪われるぞ?」
 おどけながら脅しをかける武。
「す、捨てないもん!」
「ははは、そんなのでも頑張って作ったんだからさ、大事にしてくれよ?」
 武は笑いながら純夏の頭の上にポンと手を置くと、わしゃわしゃと撫で回した。
 そこで、すっかり武のペースに乗せられてサンタウサギを突き返すのに失敗してしまった事に気が付く純夏。しかし、もはや手遅れであった。

「さて、冗談はこれくらいにして……すこし真面目な話をしようか」
 武は表情を引き締めて、語り始める。
「お前がサンタウサギをいらないって言った理由。良かったでいいから聞かせて欲しいんだけど」
「…………」
「色々考えてはみたんだけどさ、思いつかねぇんだわ」
 きっかけは甲20号作戦で倒れた事に間違いない。だが、それは直接的な原因ではない。
「…………」
「まあ、言いたくないならそれでもいい。言えない事も色々とあるだろうからな」
 BETAに捕まっていた時の事にしろ、人体実験の被験者にされていた時の事にしろ、軽々しく話せるような内容ではないだろう。
「……ねえ、タケルちゃんはどうしてそんなにわたしに構うの?」
 純夏は俯いたまま、ぼそぼそと話し始めた。
「嫌か?」
「だ、だってわたし、00ユニットなんだよ?」
「それで?」
「わたし、人間じゃないんだよ?」
「だから?」
「こ、こんな風に悲しんだり笑ったりしてるけど……全部、真似事なんだよ。機械と同じなんだよ。作り物なんだよ!」
「身体だけはな。心は間違いなく純夏だろ」
「…………」
 取り付く島もない武に、純夏は言葉が続かない。
「じゃあ、ちょっと小難しい説明でもしてみようか。お前、因果律量子論は知ってるだろ?」
「……香月先生が研究してるっていう……あれ?」
「ああ、そうだ──」
 脳の数値化やそのコピーが失敗する理由に世界の移動や因果の流出入、そしてこの世界から流出した因果を受け取って事故に遭った向こうの世界の純夏が死ななかった、つまり今、武の目の前にいる純夏が作り物であるというなら、向こうの世界の純夏は事故に遭った時に死んでいなければおかしいという事について説明していく武。
「──仮説がかなり入り混じってるけど、大体そんな感じだ。だから容れ物がいくら変わろうが、お前は確かにこの世界オリジナルの、正真正銘、鑑純夏に間違いない」
「…………」
 それを聞いて、何を言っても通用しないと判断したのか。純夏の表情に少しの諦めと、そして覚悟の色が表れた。
「わかったよ……わたしがサンタウサギを受け取れないって言った理由、教えてあげる」
 純夏はどこか諦観した様子で言った。
「今のわたしはね、00ユニットの使命の方が大事なの」
「……それは分かってるよ」
「わかってないよ。はっきり言うけど、そういうタケルちゃんが鬱陶しいの!」
「そっか。まあ諦めて我慢しろ」
「……え?」
 武の返答に呆気に取られる純夏。
「俺の我侭や傲慢が今に始まった事じゃないってのは、お前が一番良く知ってるだろ?」
「…………」
「みんなには偉そうなこと言ってるけどさ、人間の根っこの部分なんて、そう簡単に変わるもんじゃないんだよな。いや……そもそも変えられるようなモンじゃないと、俺は思ってる」
 その証拠に、こんな追い詰められた世界でさえ人間同士の争いが絶えないのだと。武はどこか開き直った様子で言った。
「この世界じゃ、主体性がハッキリしてないとあっという間に周りに喰われて、そこで終わっちまう。だから我侭なくらいでちょうどいい」
 でなければ、ごく近くにいる者たちすら護れなくなってしまう。
「でも、今みたいな体制の横浜基地にいる限り、そういうのは分からないかもしれないな。特に俺たちは、夕呼先生が守ってくれてるからさ」
 もっとも、夕呼はオルタネイティヴ4を守るために必要だからやっているのであって、善意でやっているわけではない。それが全くないとは言わないが。
「っと、すこし脱線しちまったな。とにかくそんな感じだから、俺としてはそこは我慢してくれるとありがたい」
「う……」
 やはり取り付く島がない。そんな武相手に、純夏は意を決して話を切り出した。
「あ、後で香月先生から聞くと思うけど──」
「ん?」
「タケルちゃん、A-01部隊クビになるよ?」
「……なんだ、突然?」
「昨日、細かい所まで先生と直接話してるから、タケルちゃんを挟まなくても大丈夫になったからだよ」
「それで?」
「た、タケルちゃんってわたしに構いすぎて任務をやりにくくしているんだよ? だから今日、先生に頼んだんだ。いちいち鬱陶しくて邪魔なんですって」
「……そうか」
 最近では、どちらかというと純夏の方が武に構って欲しいと擦り寄ってくる事の方が多かったわけだが、それはさておき。
「でも安心していいよ。タケルちゃんは特殊な存在だから、外に放り出せないでしょ? 今までの功績を考慮して、先生が雑用として使ってくれるって。だから職には困らないよ」
「雑用、ねえ……」
「だけどもう、セキュリティパスは没収されるから、部隊には近寄れないと思う。まあ、衛士じゃなくなるんだから当然だよね」
「…………」
「あーすっきりした! これを言えない事が後ろめたかったんだよね~。これで明日から何のモヤモヤもなく任務に集中できるぞ~!」
 純夏はどこか無理に明るく振舞っているような様子で声を張り上げた。
「なあ純夏」
「な……なに?」
「お前が本当にすっきりしたんなら、それはそれでいいんだけどさ。本当に夕呼先生がそんな事を認めたのか?」
「……そうだよ」
「そっか。じゃあ仕方ないか」
 武はあっさりと純夏の言い分を認めてしまった。
 純夏と武を天秤にかければ、凄乃皇の存在がある以上、どうしても純夏に傾いてしまう。それは仕方がないのだ。
 しかし今、武を衛士の任から降ろすのは、愚挙としか言いようがない。
 客観的事実を挙げてみると、武はXM3の発案者でチーフテストパイロット。XM3への慣熟度は間違いなく世界一で、その教導官もこなせる。衛士としての腕も超一流、甲21号作戦では単騎駆けで20体以上もの要塞級を撃破、そして史上初のフェイズ4ハイヴ攻略に成功した部隊のリーダー。12・5事件での活躍やXM3トライアル、その後のアクシデントの大立ち回り等、逸話も多い。おまけに日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽の信頼も厚い。
 全ての情報が公にされているわけではないが、ざっと挙げてみてもこれだけのものがある。はっきり言ってバケモノだ。それがなくとも、武の名はXM3とセットで既に世界中に轟いている。
 そんな衛士がもしクビになったとすれば、あらゆる勢力がここぞとばかりに破格の条件を提示してオファーをかけてくるだろう。無論、たった一人の衛士に戦局を変える力などありはしないが、ここまで実績があれば、士気に与える影響は絶大なものがある。反抗勢力である米国のG弾推進派やオルタネイティヴ5推進派とて、例外なく飛び付いてくるに違いない。
 また、武が特殊な存在だから放逐されなかったとしても、A-01部隊をクビになるという事は、つまりオルタネイティヴ4から外されるという事だ。しかし、これほどまでに有用な駒をオルタネイティヴ4の中で大した役目も与えず飼い殺しにしていては、各方面からの突き上げも大きなものになる。スポンサーの心証だって悪くなるだろう。オルタネイティヴ4の屋台骨が傾くとまでは言わないが、状況が悪い方に向くのは確実である。
 純夏の言い分を聞く限り、軽く見積もってもこれだけのデメリットが発生するわけだが、それを全て考慮した上で夕呼が武を本当に任務から降ろすかと言えば、それは考えられない。
 だとすると可能性は二つ。純夏が武に嘘をついているか、夕呼が純夏を言いくるめたか。
 恐らくは後者だ。もっとも、仮に前者だったとしても、事後承諾の形で純夏が夕呼の所に話を持って行ったところで、同じ結論になる事は目に見えている。
 とすると夕呼が純夏に詭弁を使ったという事になるのだが、そこは実に夕呼らしい。話を聞いた限り、いくらでも逃げ道があるような言い方をしている。
 衛士でなくなると言うが、それはただ所属が衛士でなくなるというだけだ。衛士のライセンスまで失ってしまうわけではない。
 例えば、ピアティフ中尉の本業は夕呼の秘書官だが、甲21号、20号作戦の時のように、場合によってはCP将校として戦域管制も行う。それと同じように武も本業は別に持ち、副業として衛士を兼務する事になるだろう。勿論、副業の方が圧倒的に忙しくなるだろうが。
 セキュリティパスも、衛士として与えられていたものは没収されるが、新たな役職に付随する、それまでと同等のパスが交付される事になる。
 そして任務内容。夕呼の雑用と言うが、そもそも今の任務からして既に夕呼の雑用だ。そして夕呼にとっての雑用がどんなものかは夕呼自身が決める事で、言葉遊びではあるが、彼女が雑用と言えばハイヴ突入だって雑用になってしまう。
 A-01部隊の話にしても、元々武の正式な所属は夕呼直属の特務兵で、A-01部隊には掛け持ちで所属しているだけに過ぎない。そもそも最初からA-01部隊の指揮官を越える権限を持っているわけで、たとえ部隊から席が外れたとしても、その行動に一切の制限は発生しない。
 部隊に近寄れなくなるというのは、純夏の勝手な想像である。
 つまり、全てにおいて、現状と何も変わらない。
 後でその事に気が付いた純夏が夕呼に文句を言ったとしても、あたしは嘘はついていない、承諾したのはあなた、確認もせず勝手な解釈をしたのもあなた──という事になり、そして最後に、自分の言動には責任を持ちなさい──そう付け加えて一丁上がり、というわけだ。
「らしいって言えばらしいけど……」
 夕呼にしてみれば、小娘一人誑かす程度の事、片手間でやってしまったのだろう。
「全く、酷な事するよなあ……」
 その光景を思い浮かべて苦笑する武。
「……タケルちゃん、なに笑ってるの?」
「いや、なんでもないよ。まあ……元気出せ」
 純夏がどういうつもりかは分からないが、その思惑は何一つ叶う事がないのだ。
 武は純夏の頭に手を乗せて、くしゃくしゃと撫でた。
「げ、元気を出すのはタケルちゃんの方でしょ!?」
「だといいんだけどなあ……」
 純夏の頭から手を離す。
「そ、それじゃわたし、もう行くね?」
「ん、そうか」
「あの……今までありがとうございました」
「なんだ急に、改まって」
「タケルちゃんがちゃんと私に真剣に向かい合ってくれたおかげで、ここまで立ち直れたのは事実だから……お礼はちゃんと言いたかったの」
「気にする事はない、当然の事だろ」
「────ッ! じゃ、じゃあね……ばい、ばい……」
「ああ、またな」
 純夏は少しだけ肩を落として、校舎裏の丘の坂を下っていった。



[1972] Re[38]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/01 12:42
「うーん……しかし、どうしたもんか……」
 純夏がいなくなって一人きりになった丘の上で、武は独り唸っていた。
 先程言われた事が純夏のハッタリでなければ、任務はともかく、武がA-01部隊から外れる事は確定事項だろう。強権を発動すれば、何から何までこれまで通りという事も可能だろうが、その場合、純夏がどう動くかは分からない。
 夕呼としても、純夏に任務を拒絶されるわけにはいかないので、見せ掛けだけでも最低限の要望を取り入れることになる。それが恐らくA-01部隊からの除名だ。これを口実に、純夏を任務に就けることになるだろう。
「にしても、純夏もあれで結構な意地っ張りだからなあ」
 やっぱやーめた、などという事になって全て元の鞘に収まるような事は恐らくない。
「ま、何とでもなるか」
 そのあたりは夕呼に任せておけば、口八丁手八丁でどうとでもしてしまうのは間違いない。
 最終的には何だかんだ屁理屈をこねてA-01部隊に同行するようになるはずだ。それに局地防衛戦であれば、部隊から離れていても単騎による陽動で作戦に参加出来る。
 常にA-01部隊に張り付いて行動する事は出来なくなるから、万が一のフォローが入れられなくなるが、ヴァルキリーズは確実にレベルアップを果たしているんだし、まりもも付いているしで、過保護過保護言われてからかわれるくらいだから、これでちょうどいいのかもしれないとも思った。
 直接的なフォローは出来なくなっても、間接的なフォローなら出来るので、それで我慢するしかないだろう。
 とりあえずそんな結論を出して、部屋に帰ろうとしていると。
「やっぱり、ここだったのね」
 背後から声が聞こえてきた。振り返るとそこには、まりもの姿があった。
「まりもちゃん? どうかしましたか、こんなところに……って、やっぱり?」
「白銀は良くここに来るんだって、207の子たちに聞いてたから。それよりもあなた、そんな格好で寒くないの?」
 ジャケットは純夏が羽織ったまま。武の上半身は、半袖のアンダーウェア一枚。見るからに寒そうだ。
「え? ああ、平気ですよ」
「そう。ジャケットは鑑に貸してるのよね?」
「純夏に会ったんですか?」
「まあね。で、ジャケットの階級章から相手は白銀だってことが分かって、それでここに来たってわけ。あなたったら、また女の子を泣かして……」
 まりもは呆れた様子で言った。
「ちょ、ちょっと待って。純夏が泣いてたって……?」
「ええ。それはもうボロボロにね」
 顔はグシャグシャ、目は真っ赤、ハナまで垂らしていたらしい。
 ところで、どうしてまりもがそんなところに居合わせていたのかというと。まりもは年が明けてから自主訓練のメニューを増やして、その締めとして毎晩グラウンドを走る事にしていた。
「いつも御剣とグラウンドで会うから一緒に走ってるんだけど、御剣の方が先に上がるのね。それで、御剣が兵舎に戻るのと入れ替わりに鑑がこっちの方から歩いてきて……」
「泣いてたと」
「ええ。まあ、すぐ逃げられちゃったんだけどね。それで白銀のジャケットを羽織ってたから、またあなたがデリカシーのないことでも言って泣かしたんじゃないかと思って」
「……またって何ですか、またって」
「あら。この間、社のこと泣かしてたじゃない」
「いや、あれは……その、あれはですね」
 武は弁解しようとしたが、あの件は事情が事情なだけに、一切説明出来ない。
「……あれは全部俺が悪いって事にしておいてください」
「あのねぇ……。まあいいわ、それで、鑑には何を言ったの?」
「いや、むしろ俺が言われた方なんですけど」
 確かにからかい半分でサンタウサギの返却を却下したが、それだって元は純夏が持ってきた話から始まっている。その後のA-01部隊をクビになる云々は、それが現実の話になるかどうかは別としても、武が一方的に突きつけられた話だ。
 そのあたりの事を説明していく。
「──なるほどね……それはあなたが悪いわよ」
「へ? なんで俺?」
「はぁ……その顔は本当に分かっていないって顔ね」
 まりもは一度深く溜息をついて、それから話し始めた。
「いい? 理由は分からないけど……鑑があなたからのプレゼントを返そうとしたってことは、自分にはそれを受け取る資格が無いって考えていたからだと思うの」
「……それで?」
「だけど、それを拒絶されて嬉しかった。でも、やっぱり自分は白銀には相応しくないと思ってる。だから今度は別の方法であなたを突き放そうとした」
「俺を試してた……って事ですか?」
「本人にそのつもりはなかったでしょうけど、結果的にはね。それで、あなたは鑑を受け入れるようなことを言い続けてたんだけど……」
 まりもは一呼吸置いて、言葉を続ける。
「最後になって急に物分りが良くなってしまったのよ。……それに夕呼の名前を出したのも拙かったわね」
「どうして?」
「はぁ……あのね。あなたが言ったことって、鑑より夕呼の言葉を優先させるってことなのよ? 夕呼が言ったなら仕方ないって、そう言ったんでしょう?」
「──でもそれは、任務が」
 それは純夏が任務優先と言った流れから発言した事だ。夕呼の思惑は武にも読めていたので、だからあっさり受け入れた。
「もう、その状況で任務優先だなんて言葉通りなわけがないじゃない」
「はあ……」
「それに、タイミングも最悪だったわね」
 持ち上げて持ち上げて、散々期待させた挙句……最後の最後で落としてしまった、というのだ。
「こういうのは出来るだけ間を空けないほうがいいわ。考える時間があると、その分、意固地になっちゃうからね。さ、鑑のところに行って謝ってらっしゃい」
「……はい」
「明日で構わないから、ちゃんと仲直り出来たか教えてね」
「分かりました。じゃあ、行ってきます」
「頑張ってね」

 武はまりもの言葉に従って、純夏の部屋の前までやってきた。コンコン、と二回ノックをして扉を鳴らす。
「はい……」
 扉越しにくぐもった声が聞こえてくる。
「純夏、俺だ」
「え……タケルちゃん……?」
「ああ。話がある、開けてくれ」
 カチャリ……という音と同時に扉がゆっくり、怖々と、少しだけ開き、その隙間から純夏の顔が覗いた。
「な、何の話……?」
「さっきは悪かったな。お前の気持ちに気が付いてやれなくて」
「えっ……!?」
 純夏の手によって扉がガバッと開かれる。
「お、お話、あるんでしょ? 中に入っていいよ」
「ああ、邪魔するよ」
 武は扉をくぐり、純夏の部屋の中に入っていった。
「そ、それで、お話って……なに?」
「ああ……さっきの話だけど。夕呼先生が認めたから仕方ないって言った事なんだけどさ、別にお前を軽く見てるってわけじゃないんだ」
「…………」
 純夏は無言のまま、探るような目付きで武を見上げてくる。
「ほら、先生ってここの実質最高責任者だろ? だから任務が絡んでくると、最終決定権は全部先生にあるわけだよ。それで、お前と先生が話し合って、先生がそれでいいって言って結論が出たんなら、基本的に俺が口出し出来る事じゃなくなるんだ。だから仕方ないな、って」
 ゴリ押しすればその限りではないが、その場合、余計な軋轢が生まれるのは間違いなく、それは純夏だって望むところではない。
「……そうだったんだ」
「最初からこうやって説明すれば良かったんだけどさ、どうもこういうのは苦手……って言うか、良く分かんなくて」
「そっか……うん、タケルちゃんならそうだよね」
 純夏の顔に安堵したような、柔らかな笑みが浮かんだ。
 しかし──
「まりもちゃんに言われるまで、全然気が付かなかったよ」
「え……?」
 次の武の言葉でその笑顔は消え、鳩が豆鉄砲を食らったような表情になる。
「じ、神宮司先生に話したの……?」
「ん? ああ。それでもう一度お前とちゃんと話した方がいいってアドバイス貰ってさ」
 そして純夏の雰囲気がガラリと変わった。
「へ、へぇ~。タケルちゃんは、神宮司先生に言われたから、わたしのところに来たんだ」
「……どうした? 純夏」
 さすがに武も雰囲気がおかしな事に気が付く。だが純夏は、既に爆発した後だった。
「知らない! タケルちゃんなんて、もう顔も見たくない!」
「おい、純夏?」
「出てって! 出てってよ!」
「純夏、落ち着けって!」
「うるさいっ! さっさと出ていけっ!!」
「──っ!」
 何かが顔に飛んできて、武の視界が闇に覆われる。そして視力を奪われている隙に純夏に部屋の外まで押し出され、バタンと乱暴に扉を閉められてしまった。

「…………」
 廊下に立ち尽くす武が顔を覆っている何かを取り去ると、それは純夏に貸していたジャケットだった。
 深く一度溜息をつき、ジャケットに袖を通す。そして少しだけ肩を落としてのろのろと歩き始め、まりもの部屋の前まで来ていた。
「一応、報告だけはしとかないとな……」
 ノックをすると返事があって、扉が開かれる。
「あら白銀。ちゃんと鑑と仲直り出来た?」
「……ダメでした。どうも本気で嫌われちゃったみたいで」
「ええっ!? ……と、とにかく、中に入って」
「はい」
 武は純夏とどんなやり取りがあったかを説明していく。
「もう、どうしてそこで私の名前を出しちゃうかな」
「拙かった……ですか」
「そりゃ拙いわよ。あの子、私のことも随分と意識してたのよ。気が付いてなかったの?」
「そうなんですか? でも、どうして」
「任務の関係で、私はあなたと一緒にいる事が多いでしょ? それに戦術機に乗れば二機連携を組むし」
「でも、それはあくまで任務上の話で──」
「ちょっと白銀、あなた本気で言ってるの!?」
「……すみません」
 若干、沈んだ声で答える武。
「ご、ごめんなさい、強く言い過ぎたわ。はぁ……それにしても、まさかここまで鈍いとは思わなかったわね。……あなた、女の子と付き合ったことは?」
「……ないですよ。訓練二年に実戦八年──戦って生き延びる事に精一杯で、誰かを好きになる余裕なんて、どこにもありませんでしたから」
 そこまでやっても誰も護れず、挙句一人で生き残って、それで最後は無様に死んじゃったんですけどね、と自嘲気味に心の中で付け足す。
「は、八年!? あなた、そんな昔から戦っていたの!?」
 驚愕に目を見開くまりも。
「あ……!」
 やはり純夏に拒絶された事による動揺は大きかったのか。武はつい口を滑らせてしまった。今の武は冥夜たちと同い年という事になっているので、これではほんの子供の頃から戦場に身を置いてきた事になる。
「まあ……いいか。この話はオフレコでお願いします」
「……おふれこ?」
「ああ、えっと……オフ・ザ・レコード──内緒って事で」
「わ、分かったわ」
 飛び出してきた話の非常識さに、さすがのまりもも唖然としていた。武が新兵ではないのは戦闘技術を見れば一目瞭然だが、それでもせいぜい三、四年──徴兵年齢引き下げのテストケースとして、同年代の男子よりも早く実戦の場に出ていただけだと思っていたのだ。
 実際それだけあれば、勿論素質によるところも大きいが、みちるや水月たちを見ても分かるように、一人前以上のレベルに達する事は可能なのだ。
 それが都合十年。実戦に出てからの期間で言えばまりもとほぼ同等、訓練期間まで含めれば、まりもよりもキャリアが長い事になる。その反面、まともな子供時代を過ごしてきていない事は容易に想像出来た。実際は違うのだが、それはまりもには分からないし、武も説明するわけにはいかない。
 二人してそんな事を考えていると──
 その時突然、不安を掻き立てるような、けたたましく鳴り響く警報音が、基地の全てを包み込んだ。
「────!?」
『──防衛基準態勢2発令──即時出撃態勢にて待機せよ! ──防衛基準態勢2発令──全戦闘部隊は30分以内に即時出撃態勢にて待機せよ!』
 スピーカーからアナウンスが流れる。
「防衛基準態勢2!? いきなり!?」
「──とにかく動きましょう。俺は中央作戦司令室に向かいます。まりもちゃんはヴァルキリーズを」
 警報音が耳に飛び込んだ瞬間、武の中でスイッチが切り替わり、瞬く間に衛士の顔となる。
「──了解」
 二人は部屋を飛び出して、強化装備に着替えるために更衣室に向かって疾走する。

 更衣室に駆け込み、武は着ていた作業服を脱ぎ捨てて強化装備に着替え始めた。
「この感じ、普通の警報じゃない…………襲撃か」
 武にとっては馴染みの深い、幾度も経験してきたこの空気。今更、間違えようがない。
「でも、防衛線を潜り抜けてきたなんて……よし」
 40秒で着替え終わると武はロッカーを乱暴に閉め、更衣室を飛び出して中央作戦司令室へと走った。
「先生! 状況は」
「ああ、白銀……見ての通りよ」
 夕呼がモニターに視線を向ける。
 地上の防衛線には何も引っかかっていなかった。
 地中を移動する微弱な震源を、つい先程、高崎と秩父の観測基地が感知したのである。BETAは大深度地下を進攻してきていたというのだ。
 今は震源の深さがどんどん浅くなってきていて、じきに地上に現れる。計算によって導き出される出現予測地点は旧町田市一帯。そして最終目的地点はここ、横浜基地。
 進攻速度から割り出して、あと二時間もすれば横浜に到達してしまうだろう。
「一通り見たんなら、場所、変えるわよ」
「はい」
 機密レベルの高い話をするのに、人がたくさん詰めている中央作戦司令室は向いていない。
 武と夕呼はそこから少し離れた場所にあるミーティングルームに向かった。
「それで、敵の出所は?」
「多分、朝鮮半島ハイヴに属してた個体群だとは思うんだけど……」
 凄乃皇弐型が自爆した際、ハイヴ中心部を含む半径40kmもの空間が消し飛んだわけだが、ハイヴ一つあたりの支配地域はもっと広い。だからあの爆発で討ち漏らしたBETA群がいたとしても、何もおかしくはない。
 しかし夕呼の言葉にはいまひとつ自信がなかった。だがそれも当然だ。
 朝鮮半島の甲20号目標がなくなったとして、そこから近いハイヴがある場所はブラゴエスチェンスク、またはウランバートル。距離的に言えば、横浜とその二ヶ所には極端な差があるわけではないが、しかし何より、BETAの支配地域かそうでないかという、極めて大きな差がある。
 北に進むか北西に進むかすればそれで済むと言うのに、わざわざ敵の支配圏にある横浜に押し寄せてきた理由がある程度は予測出来るとはいっても、ハッキリしないのだ。
「それにしても、ここに来るまで全く感知出来なかったなんて──」
「恐らくだけどね。レーダーに引っかからなかったってことは、朝鮮半島から日本海に出て、大和海嶺を北に迂回して日本海盆を通って大和海盆に抜け、そこから佐渡島ハイヴの地下茎構造を利用したんじゃないかと思うわ」
「佐渡島ハイヴの?」
「ええ。それで、佐渡島ハイヴの地下茎構造が、既に本州内陸部まで延びていたんじゃないかしら。少なくとも群馬あたりまでね」
 元々掘り進められていた佐渡島の地下茎構造に、日本海海底から掘削して進入し、本州内陸部に存在していた地下茎構造と接続して、そこから進撃してきたのではないか、というのだ。
「しかもセンサーを誤魔化せるほどだから、相当な深度だったのよ。中部地方の火山活動が活発化していたのも痛かったわね」
 だが、何かがおかしい。拭いきれない違和感の先に、武はある事に気が付いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。佐渡島ハイヴの地下茎構造が本州内陸部まで延びてたなんて話、俺、知りませんよ!?」
「……えっ!?」
 前のループで佐渡島制圧に成功した後、当然ながら地下茎構造の調査も行われている。その際、本州まで地下茎構造が延びていたなどという話はなく、水平到達距離はフェイズ5ハイヴの統計値からプラス二割程度の誤差範囲に収まっていたのだ。
「それじゃ、どうやって!?」
「いや、それは俺にも分かりませんけど。前のループじゃ地下茎構造を拡張していなかっただけで今回は掘り進めてたのか、それとも今、掘り進んできたのか……」
「……まあ、どっちにしても今考えるべきことじゃないわね。それで、BETAがここを狙ってる理由だけど恐らく──」
「──反応炉」
「ええ。帰る家がなくなったから、近く……ってわけでもないけど、空き家があるから引っ越そうとしているのか──」
「それともいい機会だと一気に横浜を奪りに来たか。反応炉を壊せばとりあえずの危機回避は出来るんでしょうけど──」
「おいそれとそれをやるわけにはいかないわ」
「はい」
 反応炉から抽出されるエネルギーは基地の動力として転用されているが、それ以外にももう一つ、反応炉を止められない重大な理由がある。
 純夏の生命維持に関わっているのだ。
 ODL──量子電導脳をあらゆる観測から隔離するための液体。それは血液のように体内を巡り、冷却剤としての役割も果たしているのだが、ODLは量子電導脳の稼働率や時間経過によって劣化していき、そのタイムリミットは通常、およそ72時間──三日間。それを越えると、良くて機能停止。最悪、再起動しても人格と記憶の再現が出来なくなり、それはつまり純夏の死を意味する。勿論、ある点でフェイルセーフが働くので、本当に72時間で終わってしまうわけではないが。
 しかし、いずれにしても、純夏は定期的にODLの浄化を行わなければならないのだが、そのためには反応炉が必要なのである。
 純夏の部屋は、今はB4フロア、武の隣室に移っているが、それまではB19フロアの、純夏の脳が入れられていたあのシリンダーがある部屋だった。その部屋にはODL浄化のためのメンテナンスベッドが置かれているのだが、それがどこに繋がっているかというと、それこそが反応炉なのだ。
 昔、夕呼が武に、00ユニットの人間としての機能を維持するためには未だにBETAの技術に頼らなければならない、と言った事があるのだが、それがまさにこの事なのである。
 それ故に、まず、破壊してしまうのは問題外。仮に停止させるにしても再起動出来るという保証はなく、可能性はゼロに近い。元々動いているものを研究解析して、反応炉が垂れ流しているものを利用しているだけなのだから、当然といえば当然である。
 例えば、設備も何も無い場所に、寒い所にある湖から氷を拾って持ってきても、それが溶けてしまえば、自力で氷を作る事が出来ないのと同じだ。
 もっとも研究の結果、理論上の再起動法は分かっているので、絶対に不可能とは言い切れないのではあるが。
 とにかく、反応炉を維持出来なければ00ユニットが使用出来なくなり、オルタネイティヴ4の屋台骨が傾いてしまう。
「まあ、どちらにしても今は無理な話よ。鑑がODL浄化処置を受けてるから」
「……え?」
「あんたが来るほんの少し前の話。バイタルに異常が見られて、自閉モードになっちゃってね。今は社が付いて看てくれているわ。原因に心当たりは……あるようね」
 夕呼は武の表情が微妙に強張ったのを見逃さなかった。
「多分……いや、間違いなく俺のせいです」
「そ。原因は後でゆっくりと聞かせてもらうわ。それで……って、強化装備を着てるなら、そっちの方が早いか」
 インターホンに向かって、ピアティフにいくつか指示を出す夕呼。
「……?」
「今、あんたの強化装備に作戦指令書を転送したわ。ブリーフィングは伊隅に任せてあるけど、気が付いた事があったら口出ししてちょうだい」
「分かりました」
「それじゃ、あとはよろしくね」

 ブリーフィングルーム──
 部屋の中に集まっているのはヴァルキリーズにまりも、そして武。武とまりもは既に強化装備に着替えているが、他の者はまだ作業服を着用している。
「──まず、状況の確認からだ」
 みちるの第一声で、ブリーフィングが開始された。
 まずは状況説明から。
 BETAの出現予想地点は旧町田市一体、地表到達は70分以内。攻撃目標は横浜基地、その目的は不明。司令部はハイヴの奪還と推定している。
 BETAの地表到達後、先陣が横浜基地に達するまでの時間は最短で20分。このBETA群は朝鮮半島ハイヴに属していたものと見られているが、実際のところは不明。データから推定される規模は二万以上。だが、これまでの経験から、統計による推定値は全く当てにならない。少なく見積もっても三万はいるものだと思われる。
「今から約10分前、帝国軍はこちらに戦力を回す事は出来ないと通知してきた。帝都の防衛を最優先にするそうだ。各地からの増援が到着次第、順次回してくれる事になってはいるが、アテにはするな。ここのところ続いていた大規模作戦による消耗はともかくとして、佐渡島ハイヴ攻略成功によって押し上げられた防衛線からの増援では、時間がかかっても仕方がないだろう」
 帝都から横浜は目と鼻の先。最低限の守りを敷いておかなければ、万が一があったときにあっという間に瓦解してしまう。
「各地の国連軍基地からも増援が抽出される予定ではあるが、これもあまり期待できない。理由は前述の通りだ。12・5事件の時には『偶然』近くにいた米軍も今回はいない。自分の基地は自分で守る、当たり前の事をやるだけだ、いいな」
「──了解!」
「では任務内容を伝える──」
 A-01部隊の最優先任務はXG-70、特に凄乃皇四型と、その衛士である純夏の安全確保。その次に基地施設の防衛。
 純夏は今、例のシリンダーの部屋でODLの浄化措置を実行中だ。勿論この事がヴァルキリーズに伝えられる事はなく、持病の発作でB19フロアの特別医療施設に収容された、と説明された。
 凄乃皇四型は九割方完成していて出撃する事も不可能ではないが、パイロットである純夏がダウンしているのでは意味がない。
 BETAの目的がハイヴの奪還なら、全滅させるしか道はない。
「──次に、配置概要を説明する」
 正面のスクリーンに、広域マップが表示された。
「……こっちを見たほうが早いか」
 武は強化装備の網膜投影スクリーンに、作戦概要を表示させた。
 まず敵の第一陣、突撃級は無視。そして第二陣の地表到達と同時に、基地と県境に展開した帝国軍部隊が砲撃を開始。
 これは後続のレーザー属種の撃破を重視するためだ。このとき、東京湾に展開した帝国海軍の『紀伊』『出雲』『尾張』からも砲撃支援がある。
 しかし実際のところ、これらは気休めに過ぎない。甲21号、20号と続いた大規模作戦で、帝国軍、在日国連軍とも、備蓄砲弾のほとんどを使い切っているのだ。
 次に戦術機甲部隊の配置。横浜新道跡に沿って構築される第一防衛線に第1、第2戦術機甲大隊。その後方で基地を取り囲むように第3、第4戦術機甲大隊が第二防衛線を構築。そして第5、第6戦術機甲大隊は、演習場を中心に第三防衛線を構築し、基地の守りを三重に固める。
 A-01部隊は第7戦術機甲大隊と共に、基地の中枢施設の防衛にあたる。
「──ヴァルキリーズの配置は、凄乃皇が格納されている90番格納庫搬入リフトに最も近い、第2滑走路のメインゲート前。それと、斯衛軍第19独立警備小隊が我々と行動を共にする事になっている」
 月詠の部隊も、一時的にA-01部隊に組み込まれて行動する事になっていた。とは言え、このような時の事を考えて、命令系統に組み込めるように出向扱いにしたのだから、当然といえば当然だ。
「──次は装備関連だ」
 A-01部隊の出番には、相当な混戦が予測される。よって、装備は中接近装備で統一。光線級が多く残っていた場合、祷子、晴子、壬姫、美琴の制圧支援と砲撃支援の四名は、ALMランチャーを装備。加えて、全機92式多目的追加装甲──楯を標準装備とする。
 状況から言って、施設内部での近接戦も十分に考えられるので、発砲許可が出るまでは広い場所では長刀、狭い場所では短刀を使うように心掛ける。もっとも、そんな状況になった場合、なりふり構っていられないはずなので、発砲制限などとっくに解除されているはずだが。
「ただし、戦況に応じて装備の変更は頻繁に行う。初期装備には固執するな。例によって基地の各所には補給用コンテナが設置されるから、補給や装備変更は状況に応じて柔軟に行う事。そして言うまでもないことだが……使えるものは何でも使え。いいな」
「──はい!」
「任務概要は以上だ。何か質問は?」
 壬姫がなにやら質問をしているのを傍目に、武は作戦指令書を読み直していた。
 それは確かに模範的な配置であり、優等生の作戦とは言える。ただ、それが最大限の効果を発揮するのは、BETAがこれまで考えられていた常識通りに動いてくれた場合の話だ。
 武は甲21号作戦以降、BETAの動きがどんどん変化してきているのではないかと考えていた。その際たるものが、撃墜優先度の順列に変化が現れている事だ。少なくとも凄乃皇、というかML機関がその最上位に来ていることは間違いない。それが00ユニットという超高性能コンピュータと凄乃皇という空間飛翔体の組み合わせで最上位に躍り出たのならこれまで通りなのだが、BETAは明らかに稼動中のML機関に引き寄せられていた。これが一つ。
 そして、もう一つが武の不知火だけがピンポイントで狙われたという事。どのように武を判別していたのかは不明だが、とにかく狙われていたのは確かだ。きっかけは甲21号作戦、単騎駆けで23体の要塞級を屠り去った事だろう。
 ただ、これまでにそんな経験をしたことがない。前のループで、何度も敵をまとめて引き受けていた事はあるが、それとて武だけが集中的に狙われていたというわけではなく、ただ単機で突出していたからそこに戦力が集中しただけに過ぎない。他に味方がいれば、敵戦力はそちらにもちゃんと分散していた。甲20号作戦の撤退時のように、武だけが狙われていたというような事はないのだ。
 撃墜数を見れば、前のループの時の方が圧倒的に多い。単純に武単体の脅威度を数字から判断すれば、前のループの時の方が上になることは間違いないだろう。
 にもかかわらず、実際の格付けは今回の方が遥か上にきている。それについて何も理由がない、というわけではないだろう。
 BETAにはまともな戦術、戦略が無いと勘違いしている者も多いのだが、それは大きな間違いだ。実際、レーザー種の出現によって人類の航空戦力は無効化されてしまった。これは立派な戦略である。ただ、BETAの作戦立案は全てが受動的で、しかも19日で対処しきれなかった場合、変化のスピードが非常に緩やかなものになってしまうので、無策のように思えてしまうだけなのだ。
 しかしそれがここに来て、急に大きく変わり始めているように思える。
 だからと言って、BETAの行動を予測する事など出来ないので、結局は後手に回るしかないのだが。
「……後は横浜基地の部隊の練度がどれくらいまで高まってるかだな……」
「何をぶつぶつ言ってるの?」
「え? ああ、まりもちゃん……あれ?」
 考えに耽っていて、まりもの接近に気が付かなかった。しかしそれだけではなく、周りを見渡してみると、まりも以外の全員が部屋の中から姿を消していた。
「……みんなは?」
「とっくに出て行ったわよ。私はもう着替えてるから、ゆっくりしていられるんだけどね。それよりあなた……本当に大丈夫なの?」
「何がです?」
 まりもの心配そうな様子に比べて、武はケロリとした顔で答えた。
「なにが、って……鑑のことに決まってるじゃない」
「平気ですよ、とりあえず戦闘中は」
「そこまでスッパリと切り替えられるものなんだ……」
 まりもは少しだけ悲しそうな表情で武を見た。警報音が鳴り響いた途端に武の雰囲気が変わった事には気が付いていたが、強化装備に着替えた事によるものか、今はそれが更に徹底されている。まりもとて、ここまで極端に割り切る事は出来ない。この領域に達するまで、どれほどの戦火を潜り抜ければいいのかなど、想像もつかなかった。
「たとえどんな事情があったとしても、ちゃんと気持ちを切り換えておかないと、まわりを危険に晒す事になりますから。……まあ、純夏とはこの戦いが終わったら、もう一度ゆっくり落ち着いて話してみますよ」
「……それがいいわね。まだ、時間にはもう少し余裕があるけど、どうする?」
「そろそろ行きましょうか……って、あー、すみません、先行っててください」
「……? どうしたの?」
「ちょっと、トイレ寄ってから行きます」
「わかったわ、遅れないでね」
「はい」

「あ、タケル!」
「ん……あれ?」
 トイレを済ませた武がハンガーに向かっていると、馴染みのある声で後ろから呼び止められた。立ち止まって振り向くと、美琴が駆け寄ってくる姿が見えた。
「何だお前、先に行ってたんじゃなかったのか?」
「ちょっと忘れ物をしたんだ……ほら、これ」
 美琴は握っていた手を開いて、武に差し出して見せる。そこには妙な造型の小さな木彫りの人形が乗っていた。
「これ……ひょっとして鎧衣課長に?」
「うん、お守りなんだって。でも、父さんも無事だといいなあ……」
 武はこの前、偶然帝都で顔を合わせたが、クーデター未遂事件からこちら、鎧衣課長は依然として行方不明という事になっている。美琴はあの事件の時にも会っていないから、もう何ヶ月も顔を合わせていないことになる。
「……そういえば言うの忘れてた。すまん美琴」
「なんで謝るの?」
「俺この前、お前の親父に会った」
「ええええっ!? い、いつ、どこで!?」
「この前の年末、俺が休み取った日があっただろ? 帝都に行ってたんだけどさ、その時偶然」
「……げ、元気だった……?」
「相変わらず……ていうか、どこ行っても変わんねえよな、あの人。国連はまだだけど、帝国とはもう話つけたんだってさ。んで、情報省クビになったって言って笑ってた」
「そっか~、無事だったんだ……良かった~」
「ま、そのうち会えるだろ」
「……ありがとうね、タケル」
「気にするな。俺の方こそ知らせるのが遅れて悪かった」
「ううん、本当にありがとう。さ、急ごう、遅れちゃうよ?」
 美琴はニコニコしながら武の手を引っ張って、ハンガーに走り始めた。

「班長!」
 武はハンガーに到着するなり、大声を張り上げた。
「おう! タケルか、来やがったな! 例のブツ、換装してちょうど今調整が終わったとこだ、いつでも行けるぜい!」
 デッキの下から、整備班長が負けじと大声でがなりたてる。
「恩に着ます!」
「いいってことよ! それよりも基地の防衛、しっかり頼んだぜ! でもな……絶対に死ぬんじゃねえぞ!」
「分かってるって!」
 武は整備班長に不敵な笑みとサムアップで応えた。
「ねぇねぇタケル、例のブツって何?」
 不知火に乗り込もうとする武を、美琴が腕をくいくいと引っ張りながら呼び止めてくる。
「ん? ああ、まあなんていうか……そう、秘密兵器だ」
「秘密兵器!? いいな~、ね、ね、ボクの分はないの?」
「残念だがない」
「そんな~」
「試作品だからな。それに大したもんじゃないぞ? 見りゃ分かるけど」
 美琴は武の不知火の側に駆け寄って、背部のパイロンに取り付けられた秘密兵器を見上げた。
「な……なにこれ?」
 驚き半分、呆れ半分の声を上げる美琴。その視線の先では、長い鋼材に柄のようなものが斜め下に向かってぽこぽこと生えている不恰好な物体がパイロンからぶら下がっている。
 試作品のためにフォルムは全く洗練されておらず、塗装も表面仕上げも無く地金は剥き出し、溶接跡もそっくり残されている。確かに要求した機能は満たされているが、しかし機能美など欠片もなく、普通の女の子に比べれば許容範囲が相当なまでに広いであろう美琴を以てしても、この物体に魅力を感じる事は出来なかった。
「名付けて『弐式拡張多段短刀鞘』だな」
 近付いてきた武が、美琴の背中越しに声を掛けた。
「短刀って……あ、あれ全部短刀なの!?」
「ああ。表裏合わせて全部で16本の短刀が収納出来る」
 背部パイロンにマウントした突撃砲のように腋の下から身体の前にせり出してきて、そこから抜き取るような仕組みになっている。マウントの下の部分でクルリと回転するようになっているので、裏側の短刀を抜くのにも問題はない。もっとも、手さえ届けばどこから抜き取ってもいいわけだが。
 ちなみに今の白銀機の兵装は87式突撃砲が二丁、長刀が一振り、そして短刀が両腕のナイフシースにある分も含めて18本。92式装甲は無い。どうせ持って出たところですぐに邪魔になって捨ててしまうので意味はないのだが、それはさておき。
 無茶苦茶ではあるが、敵の攻撃を受けない事を前提に考えれば、耐久度の高い短刀をたくさん持つ方が、予備弾倉などを持つより多くの敵を屠る事が出来ると言うわけだ。
 しかし、普通はこんな事は考えない。その証拠に──
「欲しいか?」
「い、いらない」
 秘密兵器!? と目を輝かせていた美琴にしてこの通りである。
 とにかく、武たちは不知火に乗り込むと、メインゲート前へ向かった。



[1972] Re[39]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 B19フロア・中央作戦司令室──
「……まんまとしてやられましたわね」
 夕呼はその言葉にほんの少しだけ忌々しげな色を浮かべながら、ラダビノッド司令に話しかけた。
 旧町田から現れた、突撃級を主として構成される敵の第一陣、これを無視。第一防衛線でそれを受け止め、レーザー属種を含む第二陣が現れたところで支援砲撃による面制圧。
 ここまでは作戦通りに進んでいた。しかしその後。支援砲撃の振動に紛れて、更に地中を進攻してきたBETA群が第二防衛線近辺に出現。突然の事に展開していた第3、第4戦術機甲大隊は善戦するも戦線は瓦解、防衛線を突破された。
 防衛線の内側から敵が出現したため、第一、第二防衛線の戦力は第三防衛線まで後退、そして砲撃支援範囲を第二防衛線の位置まで拡大。
「まあ……何を考えてみても仕方ありませんわね、司令」
「うむ。今は何があろうとも、この横浜基地を死守せねばならない時だ」
「──基地の敷地内にBETA侵入ッ! 第一滑走路ですッ!」
 オペレーターの声が司令室内に響く。
「バカな! 接敵は演習場だった筈だ!」
「──地下です、地下から出現しています!!」
「──第7戦術機甲大隊接敵!」
 今度は旧町田方面──演習場から見て基地の地下施設を挟んた反対側、第一滑走路にBETAが出現した。やはり地下を抜けてきている。
「またしても陽動……初歩的な手ですが、BETAの戦術を舐めきっていた私達には効果的ですわ」
 夕呼が吐き捨てる。
「──敵が第二滑走路に侵入、A-01接敵!」
 中央作戦司令室に、遙の声が響いた。

 第二滑走路・メインゲート前──
「データリンク接続更新……されてるなっと」
 武は戦域情報をスクリーンに表示させた。
 今、ちょうど武たちのいる第二滑走路に、BETA群が出現し始めたところだ。敵種類は要撃級に突撃級、要塞級、戦車級、闘士級、兵士級。レーザー種は確認出来ていない。
「だからってガス欠なのか温存策なのかは分からないよな……」
 甲21号作戦のときの例もある。現時点ではなんともいえないだろう。
 情報を見る限り、第一滑走路はもうそのほとんどが敵に制圧されようとしていた。レーザー種がいようがいまいが、BETAの最大の脅威が圧倒的な物量である事を証明している。
『──ヴァルキリー2バンディットインレンジ──フォックス2! さあ行くわよ彩峰、遅れるんじゃないわよ!』
『──了解!』
『──私たちも行くよっ、御剣!』
『──ああ!』
 水月が接敵して先制攻撃を仕掛け、二機連携の慧を連れて突出する。そのすぐ後に、築地と冥夜が続いた。さすがは突撃前衛のB小隊、斬り込み隊の役目を見事果たしている。
 とは言っても、BETAはそこらじゅうの地面からぽこぽこと湧いて出てきているので、あっという間に混戦模様になってしまい、ヴァルキリーズの他の隊員達もすぐに交戦状態に入った。
「こうして見ると、何だかんだで月詠さんたちが半歩先に行ってる感じかなあ……」
 武は襲い掛かってくる要撃級を軽くいなし、短刀でその首を刎ね飛ばしながら呟いた。
 現在、A-01部隊は斯衛軍第19独立警備小隊を含めて四個小隊プラス二機連携の18機編成。基本的に装備は各機、同じものを使用しているので、いつものようなポジション分類は成されていない。得意分野によるある程度の役割分担はあるものの、敵との距離を考えれば全員が前衛のようなものだ。
 もっとも訓練を積み重ねてきた結果、全員が全てのポジションをそつなくこなせるようになっているので、何も問題は無い。
 この中で特筆すべきといえば、やはり月詠の部隊だ。
 今置かれているこの状況は、地上戦ではあるものの敵が密集し、レーザー照射がなく空間を自由に使えるという、ある意味ハイヴ内戦闘と似通ったシチュエーションである。ヴァルキリーズは任務の性格上、ハイヴ内戦闘に重点を置いた訓練を行ってきているし、実際にハイヴに突入して作戦を成功させた経験もある。これまでの訓練や作戦では回避重視による進攻、今回は防衛戦における敵の殲滅と目的は違ってはいるものの、決して応用が利かないわけではない。補給は十分に用意されているので、これまで避けていたところを倒してしまえばいいだけの話だからだ。
 それに比べて月詠たちは基本的に、量はともかく通常の訓練しか行っていないはずだ。勿論ヴォールク・データ等の経験が無いわけではないだろうが、その分野の経験値でいえば、世界中どこを探してもヴァルキリーズに届く者などいない。にもかかわらず、この状況でヴァルキリーズと同等以上に立ち回っていた。基礎が半端ではなく、加えて思考の柔軟性も十分に兼ね備えている。甲21号作戦前に教えた美凪はともかく、たったの数日前に新しい機動概念について説明した月詠や巽、雪乃にしても、既にその機動をモノにしようとしていた。
「……おっと」
 月詠たちの機動に感心しながら、集ってくる戦車級を短刀ですぱっと切りつけ、そのついでに闘士級や兵士級を踏み潰しながら、要撃級の上に飛び乗っては首を刎ね、飛び降りざまに突撃級の尻に張り付いては36mm弾を容赦なく見舞う。
『──ちょっと白銀、遊んでないでちゃんと戦ってよ』
 そんな武にまりもからの通信が入った。
「いや、別に遊んでるわけじゃ……」
 反論をしてみるが、しかし説得力はない。確かに武の機動はいつもより緩慢だ。かと言って、不調のために精細を欠いていというわけではなく、一言で、ただ単にだらけているだけ、というのが一番しっくり来るような動きだったのである。
 しかし、それもある意味致し方がないと言えなくもない。ここに来てヴァルキリーズや第19小隊の機動にキレがありすぎて、その内側に陣取っている武たちには、あまり仕事が回ってこないのである。
「それじゃ、ここはみんなに任せて一仕事しに行きますか」
『──えっ?』
 武は神宮司機に戦域データを送ると同時に、自分のスクリーンにも表示させた。それによると演習場の戦線は後退。第一滑走路は混乱状態で支援砲撃部隊は壊滅、敵の支配下となりつつある。
 そして表示されたマップが拡大され、第一滑走路周辺図が映し出される。
「──ここです」
 そう言って武がマーカーで示したのはBゲート。今まさに制圧されつつある第一滑走路から基地内部へと続く門。そこに敵が殺到しつつあった。
「第7戦術機甲大隊は良くやってくれてます……トライアルの時の惨状が嘘みたいにね。でも支援砲撃無しじゃ、それも限界でしょう」
 通常の部隊は、ヴァルキリーズのようなある意味特殊な訓練を積んできているわけではない。いくら敵方にレーザー属種が不在だからといっても、元々空間利用率が低い彼らに支援砲撃無しで戦えというのが、そもそも無理がある話なのだ。
「夕呼先生なら、恐らく演習場側のAゲートと第一滑走路のBゲートを潰して、戦力をメインゲートに集中させるはずです。防衛線構築に回っていた戦力が集中しているAゲートなら、充填封鎖まで十分に持ち堪えられます。でも、現状第7戦術機甲大隊だけで守っているBゲートは」
 そう言っている間に、司令部からの命令が全部隊に通達された。
 内容は武が予測した通り、A、B各ゲートを充填封鎖するというものだ。完全硬化までの20分間、各部隊はゲートを守り続ける事になるが、その配置は現状のまま。つまりBゲートは第7戦術機甲大隊、しかもその戦力の半分以上は基地内部、B2フロアの中央集積場に回されているので、残りの四個小隊のみで守らなければならないという事になる。
『……なるほど、分かったわ』
「──ヴァルキリー13よりヴァルキリーズ、ブラッズ各機! 俺たちはこれから遊撃隊としての本分を果たしに行く。……後は任せるよ、伊隅大尉」
『──了解ッ!』
 白銀機と神宮司機は、噴射跳躍でメインゲート前から飛び去っていった。

 第一滑走路・Bゲート前──
『──充填剤の注入開始まで360秒!』
 Bゲートを守る第7戦術機甲大隊の各リーダーに、オペレーターからの通達が入った。
『──トマホーク1より各機! 完全硬化まで20数分だ、何としても持ち堪えろ!』
『──畜生、簡単に言ってくれるぜ! だったら航空支援もっと寄越しな!』
『──くそッ、こいつら数が多すぎるッ!』
『──突撃級の死骸を楯にしろッ! 諦めるなッ!』
 善戦はしているものの、やはり多勢に無勢。多士済々のA-01部隊ならともかく、通常の部隊にこれでは、やはり荷が勝ちすぎる。
『──うおおおおおッ!!』
『──無茶するなハーミット4! 立て直せ!!』
 ハーミット4と呼ばれた衛士の駆る撃震は突撃砲を乱射しながら部隊から突出した。
『──離れてください! 補給コンテナを誘爆させますッ!』
 補給用のコンテナが複数敷設された場所に向かって突っ込んで行く。
『──バカな! その数のコンテナ──貴様も巻き込まれるぞッ!』
 それらを誘爆させても、今ここに展開しているBETA相手にどれだけの効果があるか分からない。だがそれでも、この状況を何とかするためには誰かがやらなければならない。そんな思いがあるのだろう。
『──S-11があればもっとやれたんですけどね……奴らも目一杯巻き込んでやりますよ! ──離れて! 後は頼みます!!』
 ハーミット4がコンテナの誘爆を起こそうと、至近距離から87式突撃砲の照準を合わせたその時──
「──バカな真似はよせッ!!」
 天から二機の不知火が突き刺さるように降ってきた。そして、一瞬動揺して動きの止まったハーミット4の撃震の両脇に取り付くと、両側から主腕を掴んで無理矢理後退させる。
『ヴァ……ヴァルキリーズ!?』
「そこにあるコンテナを爆発させた程度じゃ大したダメージは与えられない。ここは開けてるから尚更だ」
 武は落ち着いた声で、宥めるように話しかけた。
『し、しかしッ! それではあれだけの数のBETA、一体どうやってッ!?』
「それは……一匹ずつ潰していくに決まってるッ! ──吶喊ッ!」
 武とまりもはまず手近な要塞級に向かって、横並びになって突出した。長刀を抜き放ち、突撃級並みの突破力で行く手を阻む戦車級や要撃級を蹴散らしていく。
 それに呼応して要塞級の触手が蠢き、衝角を突き刺そうと躍りかかってきた。
「──平面機動挟撃!」
『──了解ッ!』
 武の声を合図に二機の不知火は弾けるように離れ、衝角は無様にも武たちがいた場所に突き刺さった。
 要塞級の両脇に抜けた不知火は全力噴射による強制方向転換、十本の足の間を縫うように潜り抜け、交差しながら通り抜けるたびに長刀でその弱点、三胴構造の接合部を斬り付けていく。
 どちらの相手をすればいいのか混乱し、棒立ちのような状態になって攻撃を受け続ける要塞級。
 高速で何度も交差した後、今度は噴射跳躍し、要塞級の肩の高さまで飛び上がる。そして要塞級の肩口に着地すると同時に噴射を利用して強く蹴りこみ、直後、その反動と噴射を使って宙に躍り出た。
 それから一呼吸遅れて要塞級の躯がぐら付き始め、やがてその巨躯は内側に向かって潰れるように崩れ落ちた。
「次、要撃級ッ!」
『──了解』
 一瞬のうちに要塞級を仕留めてしまった武とまりも。二人ともパイロンに戻す数秒がもどかしいと言わんばかりに長刀を宙高く放り出し、空いた両腕で二丁の87式突撃砲を抜き放った。そして空中から120mm滑空砲で地上の敵に狙いを定める。
「──ヴァルキリー13、フォックス2!」
『──ヴァルキリー0、フォックス2!』
 二人同時にそれぞれ二丁の突撃砲を乱射、120mm滑空砲弾が雨となってBETAの頭上に降り注ぐ。それは一発も狙いを違わず、次の瞬間には24体の要撃級が地に臥していた。
 それを確認すると突撃砲を機体にマウント。そして天高く腕をかざすと、ワンテンポ遅れて、放り出した長刀がそれぞれの手中に落下して納まった。
『──すッ、凄ぇッ!』
 神業とも思えるような別次元の戦術機動を目の当たりにして、感嘆の声を上げる第7戦術機甲大隊の衛士たち。一瞬にして負けムードは吹き飛び、士気は跳ね上がる。
『──11時方向300に要塞級8ッ!! その穴から……どんどん出てきやがる!!』
『──ゲートに近いッ! 真っ直ぐ向かってる!!』
 しかし敵の勢いも衰えない。更なる新手が戦場に出現した。
「ヴァルキリー13より各リーダー! 要塞級は俺たちで引き受ける、そっちは要撃級や突撃級、戦車級を!」
『──了解ッ!』
「ヴァルキリー13よりヴァルキリー0、下よろしく。俺は上から行く」
『──ヴァルキリー0了解』
 武は要撃級を踏みつけ、ついでに短刀で斬り付けながら噴射跳躍で宙に舞い上がる。そのまま噴射で新たに現れた要塞級に向かって突撃をかけた。
 手当たり次第に要塞級の頭を蹴りつけては、再び宙に舞う。勿論、こんな事でまともなダメージを与えられるわけではないが、武の思惑通り、その注意は十分過ぎるほど引き付けられた。
 8体の要塞級は完全に上空に気をとられ、その触手をうねらせるように白銀機に向かって突き出してきた。武はそれを短縮噴射を駆使して紙一重で空中をピョンピョンと跳ねながら躱し続け、或いは触手の上に着地して駆け抜けならが手にした長刀で斬り付ける。
『な……なんだいありゃ、バッタか!?』
 第7大隊の衛士の一人が、武の超絶変則機動を見て思わず言葉を漏らした。
『──ほらほら! 気持ちは分かるが、見惚れてないで身体を動かしな!』
『──動け動け動けッ! じっとするなッ! 動き回って敵を攪乱しろッ!!』
『──りょ、了解ッ!』
 武の機動に中てられて、第7大隊の動きにもキレが増していく。
 味方の視線をも釘付けにしてしまう武の派手な機動に、BETAたちも次第に武の動きに引き付けられていく。
 その一方──
 地上では敵の包囲を着実に掻い潜りながら、まりもが深く静かに要塞級の足元に近付きつつあった。要塞級は完全に武に気をとられていてまりもの動きに全く対応出来ていない。
 まりもは構わず要塞級の大きな図体の下に潜り込むと、大地を滑るように移動して120mm弾と長刀を併用しながら、敵の弱点目掛けて攻撃を加えていった。
 突然の出来事に要塞級の動きは一瞬鈍り、その隙に付け込むようにまりもは更なる攻撃を加えていく。数拍の後、要塞級の動きがまりもを狙うように変化したのだが──
『──垂直交叉!』
「──了解」
 まりもの指示を合図に、武は噴射降下、まりもは噴射跳躍で要塞級の躯を掠めるように立体的な機動を見せ、二人は空中でスイッチ。今度は武が地上に降り立ち、まりもが空中に躍り出る。
 一瞬の変化に要塞級は追従出来ず、刹那、白銀機が手にした87式突撃砲が火を吹いた。発射された砲弾は寸分違わず弱点の三胴構造接合部に吸い込まれていく。次の瞬間には別の要塞級の懐に潜り込み、長刀で弱点を切り裂いていた。
 そして要塞級が陽動と本命の区別を付けて、武に攻撃を加えようとした時──
「──スイッチ!」
『──了解ッ!』
 再びまりもと武の位置が入れ替わる。
 もはや要塞級はどちらを優先して狙えばいいのか分からず、手も足も出せないまま面白いように振り回され、次々と斃されていった。

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──第一滑走路Bゲート前! て、敵戦力を押し返しつつありますッ!」
 興奮気味のオペレーターの声が司令室に響いた。
「白銀、まりも……やってくれるわ」
 夕呼は少しだけ興奮気味に呟く。
 武たちが独自の判断で第一滑走路の支援に回らなければ、Bゲートは間違いなく破られていた。
 夕呼やラダビノッド司令は確かに指揮官として優秀な人材である。しかしそれはあくまで戦略レベルでの話だ。この襲撃はかなり早い段階で戦術レベルの戦闘に移行している。よって、最低でも小隊レベルでの戦力を完全に把握する程度まで意識が行き届いていなければ、本当に的確な指示を出す事は出来ない。
 極端な例ではあるが、先程の段階でメインゲート前を守備していた戦力はヴァルキリーズと斯衛軍第19独立警備小隊、それに武とまりもを加えて計18機。第一滑走路の守備についていたのは第7戦術機甲大隊から抽出された四個小隊、計16機。
 数だけで見ればほぼ同等の戦力だ。
 無論、夕呼たちは特殊任務部隊と通常部隊を同列に捉えていたわけではないが、A-01部隊の能力があまりにも突出し過ぎていたために、戦力を判断する基準が間違った方向に上方修正されていた可能性は否めない。
 Aゲート前には、完全ではないとはいえ第一、第二、第三防衛線を崩して再編された六個大隊が配備されたのに対し、Bゲート前にはたったの四個小隊。敵の出現地点である旧町田市に近いかどうか、それによって出現する敵の数に差はあるが、にしてもこの戦力差はあまりだ。
 通常なら考えられないほどアンバランスな数字なのだが、基地の敷地内に敵が侵入した際、A-01部隊が僅か18機でメインゲート前を完全に支配していたために、20数分の時間稼ぎだけならと、Bゲート前の四個小隊16機という数字に疑問を抱く事が出来なかった、というわけだ。
「Aゲート、Bゲートの充填封鎖確認。第5、第7大隊は第二滑走路への移動を完了。演習場、第一滑走路は完全に敵の支配下になりました
「第二滑走路メインゲート及び、第1から第4シャトルゲートは未だ健在!」
 オペレーターの報告が司令室を飛び交う。
「……涼宮。A-01部隊を90番格納庫に動かしてちょうだい」
「──了解。──ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ、ブラッズ各機、BETAの地下施設侵入に備え、直ちに移動を開始せよ──」
 侵入経路がメインゲートに限定された事で、夕呼はA-01部隊の配置変更を指示した。
 この先、A-01部隊がこのままメインゲート前を守り続けても、BETAの侵入を食い止められるという保証はない。今はまだ演習場Aゲート、第一滑走路Bゲート近辺に戦力が分散しているのでどうにでも出来ているが、それが全てメインゲートに集中すれば、いずれは破られてしまう事になるだろう。
 いくらA-01部隊という最精鋭部隊が守っていると言っても、圧倒的物量差がために、その全てを食い止める事は不可能。漏れは必ず出る。
 そうして施設内部にBETAが侵入した場合、絶対に守らねばならない存在──純夏、凄乃皇、反応炉をむざむざ危険に曝してしまう事になる。
 故に、基地施設内部での戦闘を前提とした上で、A-01部隊を重要拠点のひとつである90番格納庫に配置しなければならない。
 確かに消極的ではあるが、この作戦の勝利条件は敵BETAの殲滅。しかし現存戦力だけで敵を殲滅出来ない事が目に見えている以上、援軍に期待するか、それともBETAのエネルギー切れに期待するかしかない。そのどちらにしても、時間は絶対に必要になってくる。
 つまり防衛線を基地の中にまで後退させてでも、消耗戦に耐えて時間を稼ぎきれば勝ちが見えてくると言うわけだ。そして、今の横浜基地に他に選べる方法はない。

 第二滑走路・メインゲート前──
 武たちは、Bゲートの充填封鎖を確認した後、第7戦術機甲大隊と共に第二滑走路まで移動していた。
 ヴァルキリーズ、ブラッズ両隊は既にメインゲートをくぐり抜け、中央集積場から90番格納庫へと向かっている。武たちは今や、A-01部隊とは完全に別行動を取っていた。
『──これからどうするの?』
 まりもが訊ねてくる。この場に留まってメインゲートの防衛に回るか、それともゲートを一時開放させてヴァルキリーズの後を追うか。
 戦域情報を見る限り、BETAは充填封鎖されたAゲート、Bゲートからの侵入は諦め、メインゲートに集結しようとしていた。このままではメインゲートが突破されるのは時間の問題だろう。ただ、だからこそヴァルキリーズとブラッズは90番格納庫に配置変更されたわけだが。
 更に広域マップを見ると、旧町田市から増援が押し寄せてきていた。どの程度、地中から湧いて出てくるのかは目下不明。だが高崎と秩父の観測基地が未だに振動を感知し続けている事から、少なくとも群馬から続いている地下通路には軽く見積もっても二万から三万以上のBETAがひしめいている事だろう。
 確かにBETAの活動限界は存在するのだが、それがいつやってくるかまでは分からない。分からないがしかし、横浜基地に辿り着く敵を減らす事には価値がある。
「今更、ヴァルキリーズの引率は必要ないでしょう。俺は俺の仕事をやります」
 武は作戦をまりもに説明する。
『じゃあ、私も──』
「いえ、まりもちゃんには他にやって欲しい事があるんです──」

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──A-01及び第19警備小隊、所定の位置に着きました。弾薬と推進剤の補給を要請しています」
「──現在、90番格納庫リフト発着場に補給コンテナ22基を移送中」
 みちるや月詠たちに補給コンテナを送り出した事が遙やピアティフによって報告された。
 その他にも、それぞれのオペレーターは、自分の担当区域の報告を夕呼やラダビノッド司令に上げている。
 想定外の侵攻はあったものの、今のところは武たちの独断専行が有効に機能したため、作戦は順調といえる推移を見せていた。
 メインゲートが抜かれるのは既に織り込み済みだ。どこかで全てを止めるのではなく、反応炉、90番格納庫の凄乃皇、或いは純夏のところに到達する前に、その数をゼロにしてしまえばよい。そのために段階的に戦力を配置している。
 当初の予定では三本の防衛線に基地の守備という形を取っていたが、それがメインゲート前、中央集積場、90番格納庫という位置にスライドしただけの話だ。勿論、メインゲートで全てを食い止められるのなら、それに越した事はないのだが。
「──ところで博士、00ユニットとXG-70は現状どうかね」
 ラダビノッド司令が夕呼に訊ねた。台風の目が通過するまでの凪のような状態ではあるが、一時的な膠着状態になって多少は余裕が出てきたのだろう。
「00ユニットはODLの浄化処置を継続中です。意志レベルも未だ覚醒にはほど遠い状態です。完全浄化に最低でも後数時間はかかりますので、第19層の処置施設周囲は機械化強化歩兵1個中隊で小型種の侵入に備えています」
「うむ」
「XG-70は弐型四型共に4チームフル稼働で作業を継続させていますが……四型の方は九割、弐型は六割と言ったところです。四型は動かすだけなら出来ますが、調整なしで起動しますと、後で再調整に数日を擁してしまいます。弐型はそもそもすぐに飛び立てる状態ではありません。どちらも最低十数時間は必要です」
「そうか。せめて基地から遠ざけられればと思ったが……」
「いずれにしても00ユニットが使えない以上、戦闘出力での移動は不可能です。その場合、複数の戦車級に取り付かれたら──」
「──だ、第二滑走路に23体の要塞級出現ッ!」
 夕呼の言葉を遮るように、オペレーターの悲鳴のような叫び声が上がった。
「何だと!? まだそんなに残っていたというのか……!? 守備隊の動きは!?」
「──何とか持ち堪えて──!? こ、光線級も出現ッ! 要塞級から吐き出されていますッ!!」
「──バッ……バカなッ!」
「──その数7……8……要塞級から次々と吐き出されていますッ!!」
「──なッ、何だとッ!」
「要塞級一体から六体の光線級……23体ということは……最大で138体もの光線級が……!」
「BETAが……BETAが切り札を温存していたとでも言うのか……!?」
「──メインゲート第一隔壁溶解ッ! 第二隔壁も照射を受けています!!」
「守備隊は何をやっているッ!!」
 ラダビノッド司令の怒号が司令室に響く。
「──要塞級が光線級を護るように壁を作って、光線級に攻撃が届いていませんッ!」
「──集積場で待機中の全部隊に警告! メインゲート周辺より退避! 光線級侵入と同時に遮蔽物を利用して仕留めろ、最優先だ!」
「──了解!」
「要塞級の壁……甲21号作戦と同じ……!?」
 何の皮肉だろうか。出現した要塞級の数まで一致している。あの時は武が単機で突出して、見事、壁に穴を開けて見せたのだが──
「そうよ、白銀なら……って、い、いない!? 一体どこに行ったの!? まりもはッ!?」
「──二機とも第二滑走路に反応ありませんッ!」
「なんですって!? ……クッ」
 夕呼はこの状況に歯噛みする。が、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……光線級による航空部隊の被害は?」
「一機も墜とされていません。光線級は全てメインゲートを攻撃しています」
「──あっははははっ! そう……そういう事だったの!」
 ピアティフの答えを聞いた夕呼は何を思ったか、突然高笑いを始めた。
「博士……!?」
 それを見たラダビノッド司令が何事かと目をむく。
「失礼しました。ここまで現実を見せられないと何も確信できない、自分の学者癖に呆れてしまったものですから……」
「何か分かったのかね?」
「今更何の役にも立ちませんが……BETAに戦術という概念が存在する事を今、確信しました。……そしてそれ以外にも、かねてより疑問に思っていた事を解決する考えが浮かんだのです。それがあまりにもおかしくて……つい」
 そして夕呼は語り始めた。
 今回、BETAが襲撃の初手で見せた二回の陽動。これは明らかに人類の対BETA戦略を逆手に取ったものだと言う。
 そして多数ある侵入口の中からA、B、メインゲートのみを狙って攻めてきた事。目的はその先にあるメインシャフト、そして反応炉。
 これまでの闇雲な集団突撃戦術ではなく、明確な目的を持った用兵。これは帰巣本能や生存本能だけでは到底説明が付かない。光線級が航空機より隔壁を優先して攻撃するなどという事、これまでの研究の成果を全てひっくり返してしまうものだ。光線級の温存と投入タイミングもまた然り。これらを偶然と考えるのは無理がある。
 つまりBETAは本腰を入れて横浜ハイヴを奪りにきた、というのだ。
「ここまで来ると、町田の陽動に投入された突撃級も、それで全部ではないでしょう。これから先、再び突撃級を投入してくるはずです。恐らく……小型種の生存率を高めるために、死骸の装甲殻を……特に基地内部で遮蔽物として利用する」
「むう……」
「それが分かったところで、手の打ちようはありませんけどね」
 突っ込んでくる突撃級を無視するわけにはいかない。BETAにしてみれば、突撃級が撃破されれば楯となってそれでよし。撃破されなければそのまま突撃し続ければよし。どちらでもいいのだ。
「しかし……それを戦術として成立させるには……」
「そうです。恐らく彼らはこの基地の構造を知っていたんです。私達がハイヴの情報を手に入れた事で有効な戦術を組み立てられたように、彼等もまた人類に対して同じ事をした……」
 落ち着いた夕呼の声による凍えた話の内容に、周囲に戦慄が走る。
「──ではまさか……甲21号作戦のリーディングが逆に……!?」
 ラダビノッド司令が驚きの声を上げた。
「さあ。そうであればまだマシでしょう……」
 ここ数年、BETAが人間に興味を持って何らかの研究をしている事は既に判明している。
 そして、ハイヴは相互に情報を交換している。それらから導き出される解は……。
「……私の考えが間違いであって欲しいと、私自身思います。彼等が人類を調査するために意図的に横浜を奪らせたなどとは……考えたくもありません」
 そして日本が今まで持ち堪えてこられた事、甲21号作戦の成功──
 しかしそう考えれば、横浜ハイヴの地表構造物がフェイズ2レベルであるのに対してフェイズ4規模の深度を持っていた事や、本州侵攻最大の謎といわれる多摩川手前での南進等、多くの事象や現象に一定の説明が付いてしまうのもまた事実。
「全く……白銀に言われていたってのに……頭では分かったつもりでいて、自分の目で確認するまで何も信じちゃいなかったなんてね」
 自分のバカさ加減にウンザリするわ、と夕呼は吐き捨てた……その時。
『──ヴァルキリー13よりHQ!』
 武からの通信が飛び込んできた。
「──白銀ッ!? あんた無事だったの!?」
『俺は平気です──メインゲート破られたみたいですけど、そっちは大丈夫ですか?』
 今のところはまだ何とかなってはいるが、状況は良くない。
 結局、要塞級の壁に阻まれて光線級に手も足も出せないまま易々とメインゲートを破られてしまっていた。そして光線級は再び要塞級の壁の内側で護られるように待機、地上の戦術機甲部隊をすり抜けたBETAたちが中央集積場に雪崩れ込み、一直線にメインシャフト目掛けて突き進んでいる。
 現在は中央集積場に展開していた第7戦術機甲大隊が対応しているが、しかし戦況は芳しくない。
 夕呼が予想した通り、まず突撃級が投入された。当然、それを迎撃せざるを得なかったのだが、その死骸が遮蔽物となって弾幕が有効に働かなくなり、小型種の討ち漏らしが極端に増えてしまった。
 本当なら火力に飽かせて真正面から受け止めるような真似はせず、甲21号作戦でヴァルキリーズが行ったように一度やり過ごして突撃級の柔らかい背後を狙うようなやり方が出来れば良かったのだが、突撃級の間に戦車級が混ざっていたためにそれが出来なかったのだ。
 いずれにしても突撃級を楯に戦車級が齧る、という作戦を徹底されてしまえば、どうすることも出来なかった。
 拠点防衛のために戦術機の機動力をほとんど活かせなかったというのも痛い。ヴァルキリーズのようにハイヴ内戦闘に慣れていればどうにか出来たかもしれないが、それも無理な話で、集積場に展開した第7戦術機甲大隊が全滅するのも時間の問題だった。
 集積場に援軍を送ろうにも、今現在第二滑走路に展開している部隊を回そうものなら、その隙を突かれて光線級が一気に集積場へ突入してしまう。もはや地表に展開した部隊はその場で敵の侵入を少しでも減らす方向で動くしかなかった。
「まったく、あんたがいれば食い止められたものを……」
 最初の要塞級さえ何とか出来ていれば、今の状況を招く事はなかったというのだ。しかし──
『いや、無理だったと思います』
 武はそれをきっぱりと否定する。
『侵攻にタイムラグがあったでしょ? 連中、多分俺があそこからいなくなるのを待ってたんです』
「──どういうこと?」
『甲21号作戦からこっち、どうも俺は優先的に狙われてたみたいなんですけど、さっきの第一滑走路の戦いを見て、とりあえず一時的に見切りを付けて、あの時点での撃墜は諦めたみたいなんです。だからずっとあそこにいたとしても、別のところを狙ってきたと思います。最悪、充填封鎖したゲートからでも、光線級があれだけいればどうにでもなるでしょうから』
「なるほどね……それはそうと、あんた今どこにいるのよ」
『菅田のあたりです』
「なんですって!? あんた、そんなところで何やって──」
 夕呼はピアティフにマップを切り替えるように指示する。そして映し出されたスクリーンには第一防衛線──横浜新道を越えた位置に、確かにポツンと白銀機を示すマーカーが表示されていた。
『もう少し先で町田からの後続を引き付けておきます。三割四割足止め出来れば上出来と思いますけど……この状況なら邪魔は入らないし、ここを通る連中は多分優先的に俺を狙ってくるはずですから』
 だから陽動としてはおあつらえ向きなのだという。
「そんな無茶苦茶……!」
『いつもやってた事ですよ、慣れっこです。それじゃ通信切りますね。純夏と凄乃皇と反応炉を頼みます』
 そして武との通信が切断された。
「──副司令、基地敷地内に侵入してくるBETAは、確かに減少しているようです」
 武の発言を裏付けるようにピアティフが言った。
「無理に呼び戻すよりはこのまま陽動を続けてもらったほうがいい……か。まったく勝手なことばかり……死ぬんじゃないわよ……!」
 夕呼は祈るように呟いた。

「博士……ここまで押し込まれては、メインシャフト第2、第3区画の充填封鎖もやむを得まいな」
 武との通信を終えた夕呼に、ラダビノッド司令が話しかけてきた。
 先程の通信の間に、集積場の第7戦術機甲大隊は全滅してしまっている。メインシャフトに続くリフト発着場を経由して、既に小型種が多数侵入に成功。現在は第一隔壁で機械化歩兵部隊が交戦中。
 また、集積場制圧と同時に光線級が突入、メインシャフトへ向かって一直線に向かって進んでいた。到達は時間の問題だ
「時間を稼ぐのであれば……もうそれしか手はありません」
「反応炉が無事であれば如何様にも出来る。奴らの活動エネルギーが切れるのを待つしかあるまい……よしッ! ──メインシャフト第2、第3区画を充填封鎖するッ! 機械化歩兵連隊を至急退避させろ!」
「──了解!」
「──閉鎖区画を迂回する小型種の侵入に備え、基地の全要員に武器を支給しろ!」
 ラダビノッドが叫ぶ。そしてオペレーターがその命令を発令しようとした時。
「──まって……下さい……!」
 消え入りそうな声がした方を振り向くと、中央作戦司令室の入口に、霞に支えられた純夏の姿があった。
「──鑑ッ!? 何やってるの!? まだ浄化処置は終わっていないはずよ!?」
「…………お話が……あります……」
「──ピアティフ! 彼女を処置室に連れて行きなさい!」
「──は!」
「──メインシャフト第一隔壁溶解ッ! 光線級19体の侵入を確認ッ!!」
 後ろではオペレーターが戦況を報告していた。こうしている間にも、刻一刻と時間が迫ってきている。
「話を聞いてあげてください……!」
 純夏を支えている霞が、夕呼に懇願するように言った。
「まったく……社、あんたが付いていながら……」
「さあ鑑少尉、行きましょう……」
 ピアティフが純夏に近付き、その手をとる。しかし、純夏は頑として動こうとしない。
「お願いです……全部わかったんです……話を聞いてください……!」
 純夏は弱々しい声を発しながら、しかし強固な意志で引き下がる様子は全くなかった。
「全部……わかった?」
「──116機械化歩兵連隊、第二隔壁にて接敵!」
 更に敵が侵攻した事を知らせるオペレーター。
「今何が起こっているのか……どうしてこうなったのか……とにかく封鎖しちゃだめなんです……!」
「反応炉を充填封鎖するなというのか……どういう事だ!?」
 ラダビノッドは状況が飲み込めない。いや、声には出していないが司令に限らず、純夏と霞以外はさっぱりな様子だ。
「……わかったわ。ピアティフ、もういいわ。席に戻りなさい」
 強い興味を引かれたのか、夕呼はピアティフを退がらせた。
「──第二隔壁へのレーザー照射確認ッ!」
 更に侵攻を進める光線級。
「いい? 5分だけよ? そうしたら処置室に戻るって約束してちょうだい」
「……わかりました」



[1972] Re[40]:マブラヴオルタネイティヴ(偽)(仮)
Name: USO800
Date: 2007/02/03 12:42
 B27フロア・90番格納庫──
「…………」
 補給を済ませ、リフト前に待機していたA-01部隊。待機中とて出来る事はある。みちるは戦域情報を見て戦況を確認していた。
 メインシャフトは、侵入してきた光線級によって第一、第二隔壁が既に溶解。現在は第三隔壁に取り付いている。光線級のせいで、隔壁が五分と保っていない。
 隔壁上で防衛に当たっている機械化歩兵部隊も、既に第三隔壁で戦っている第108機械化歩兵連隊を残すのみだ。そして彼等が全滅してしまうのも時間の問題だろう。
『──HQよりヴァルキリーズ及びブラッズ』
 みちるがそんな事を考えていると、遙からの通信が入ってきた。
『──これより新たな任務を伝える。全機、オープンチャンネルに固定せよ』
 オープン回線という事は全員に向けて何か話す、出てくるのは副司令で重要度の高い作戦だな……とみちるは考える。だがどんな作戦であろうが、成功のために命ある限り最善を尽くすのみである。
 そして案の定、スクリーンには夕呼の顔が映し出された。
『みんなお疲れ様。全員無事で何よりだわ』
 オープンチャンネルから、夕呼の声が伝わってくる。
『知っての通り、状況は良くないわ……でもまだ最悪じゃない。その一歩手前と言ったところよ。一歩手前で踏み止まるための策を考えたから、協力してちょうだい。BETAは最下層にある反応炉を目指して侵攻中。その目的は反応炉から活動エネルギーを補給する事。そしてその後、ここを再びハイヴに戻すつもりらしいの──』
 もし仮にそうなれば、凄乃皇や基地施設は全て破壊され、日本は再び滅亡の危機に曝される事になる。
 だが逆に、ここで補給を阻止出来れば、その危機を回避出来る。
 朝鮮半島、甲20号目標を落として数日。その残党が総動員で攻め入って来ているのだとしても、ウランバートルにブラゴエスチェンスク、或いは重慶から増援を加えて攻め込んできているのだとしても、ここに移動して来るまでに既に数日を擁している。
 よってBETAたちの活動エネルギーは、後一日も保たないはずなのだ。
『──だけど残念な事に、万単位のBETAを相手にあと数時間、持ちこたえるだけの戦力は、この基地には残ってない』
 そして、敵が第三隔壁まで到達している以上、国連や帝国の増援を待つ余裕もない。
『従って現状の最良策は、反応炉を停止させる事よ』
 いよいよ万策尽きた……というわけである。だが反応炉さえ残っていれば再起動の可能性は低いとは言ってもゼロではない。もうそこに賭けるしかないのだ。
『──じゃあ、作戦を説明するわ』
 みちるたちの強化装備から網膜に投影されたスクリーンに、反応炉制御室周辺マップが表示される。
 独立したBETA系機関である反応炉はセキュリティの関係上、司令室からでさえも遠隔操作する事は出来ない。従って、反応炉と直結されているB33フロアの制御室で操作する必要がある。
 まず、B19フロアからオペレーターが出発、保守点検用のラダーで反応炉制御室を目指す。これは、幅の狭い点検孔なら、最小の兵士級でも進入は不可能だからだ。
 次に、A-01から二機、作業支援として最下層に向かう。この時、90番格納庫に収納されている、凄乃皇弐型の予備機のML機関に火を入れる。
 そうする事によって、メインシャフトの27層リフトゲート──つまり90番格納庫に繋がる隔壁付近に敵が引き付けられる。その隙にメインシャフト第四、第五隔壁を開けるので、支援機はBETAを無視して反応炉まで一気に駆け降りる。
 その時、メインシャフトの隔壁はすぐに閉鎖するが、さすがにBETAの侵入を完全に防ぐ事は不可能。よって、支援機はオペレーターが到着する前に反応炉を完全確保。
 90番格納庫に残ったA-01と斯衛軍第19独立警備小隊はXG-70を死守。反応炉停止まで、陽動であるML機関を止める事は出来ないので厳しい戦いが予想されるが、決戦兵器である凄乃皇四型を死守しなければならない。
 メインシャフトと格納庫を繋ぐ通路に隔壁は四枚。現在、第一、第二隔壁間を充填封鎖中。これが破られれば、大量のBETAが流れ込んでくる。もっとも充填封鎖が完了しても、光線級が集中すれば、15分と保たないだろう。
 従って、反応炉停止作業は迅速に行う必要がある。作業がもたつけば、その分、全てを危険に曝す事になるからだ。
『という訳で、制御室にはあたし──』
『そこで私の出番ってわけね!』
 夕呼の通信の横から、妙に弾んだ、馴染みのある声が割り込んできた。
『──ま、まりも!? ちょ、ちょっとあんた姿が見あたらないと思ったら、こんなところでいったい何やってるのよ!』
『何って、手伝いに来てあげたに決まってるじゃない? 話は全部聞かせてもらったわ。それじゃブリーフィングの続き、いくわよ』
『ちょ、まりも、待ちなさいってば!』
『時間、無いんでしょ?』
『く……分かったわよ』
 時間が無いのは本当だ。夕呼は渋々ながらまりもにその場は譲った。
『では説明を続ける。作業支援は速瀬に築地、貴様達だ。たかだかBETAを避けて進む程度、今更どうという事はないだろう?』
『──はい』
『よし。ではヴァルキリーズ斬り込み隊の実力を存分に見せ付けてやれ。だが、もし私の到着より遅れるような事があってみろ……その時は腕立て伏せ200回だ。いいな』
『──はい!』
『段取りは以上。反応炉が停止してもBETAがすぐに活動停止するわけではない。絶対に気を緩めるな!』
「──了解!」

 B19フロア・中央作戦司令室──
「ちょっとまりもあんた、一体どういうつもりよ! 早く戦術機に戻りなさい!」
「でも、二機連携を組む相手がいなくなっちゃったからね」
 いきりたつ夕呼に対して、まりもは肩をすくめてのらりくらりと躱しながら答えた。
 武が陽動すると言って鉄砲玉になってしまったため、基本の二機連携を組む相手がいなくなってしまっている。今のまりもなら単機でも戦えない事はないが、武と戦域情報を確認した結果、こちらにも懸念があるのではないかという事で、戦術機を降り、作戦司令室まで走ってきたのである。
「さ、夕呼。停止コードを教えて?」
「駄目よまりも。あんたはまだまだ必要な──」
「それを言うならあなたの方でしょう、夕呼」
 夕呼の鼻先にビシッと人差し指を突きつけて、その言葉を遮るまりも。
「時間が無いのよ。停止コードと制御操作を知っているものが行くべきだわ」
「だから、早くコードを教えなさいよ。制御操作の訓練なら、私も受けた事があるわ」
 今の二人の姿は上官と部下の関係ではなく、それはどこか微笑ましくもある親友同士の意見のぶつけ合いだった。しかしそれ故に、どちらも譲ろうとしない。
 そこに──
「──私に行かせてください!」
 押し問答している夕呼とまりもの間に、遙が割って入った。その顔には、何も出来ない自分が悔しくて堪らない、というような表情が浮かんでいる。しかし──
「駄目だ、涼宮」
 まりもはそれを即座に却下した。
「で、でも、神宮司少佐……少佐も副司令も、この先必要な人材だと言うのに間違いありません。それなら私が!」
「馬鹿を言うな涼宮。貴様には悪いが私の方が足が速い。それも圧倒的にな」
「それは……」
 遙の両脚は事故によって義肢と化している。ただそれだけなら問題は無いのだが、事故当時の衛生状況が良くなかったために患部に雑菌が入り込み、神経接続が完全にはならず、運動能力に大きな支障が出ているのだ。
「それに衛士は歩兵でもある。これが何を意味するか分かるな?」
「はい……」
「……もう、そんな顔しないの。もしあなたがいなくなったら、誰がヴァルキリーズの戦域管制をするのよ」
 まりもは遙の肩にポンと手を置いた。そして表情が柔らかくなり、上官から良き姉の顔へと変わる。
「…………」
「あなたが戦術機適性検査で撥ねられて、CP将校を目指さざるを得なくなった時……教えたわよね。衛士は二機連携でお互いの背中を守る。じゃあ、CPが守ってるのは?」
「──! 部隊全員の背中……です」
「そうよ。あなたの戦域管制があるから、みんな存分に戦える。あなたこそ本当に必要な人材なのよ? それを忘れないでね」
「……はい」
「それじゃ涼宮、バックアップは頼んだわよ」
「──了解」
 遙を説き伏せたまりもは、夕呼に向き直る。
「さ、停止コードを教えて?」
「まりも、あんた……」
「誰が行こうが条件は同じなのよ。それぞれが各方面において必要な人材で、誰にも万が一があってはならない。それなら生存確率が一番高い……一番戦闘能力の高い者が行くべきだわ。違う?」
 今、司令室にいる者の中で、反応炉の制御が出来るのは四人。夕呼、ピアティフ、遙、そしてまりも。
 この中で戦闘能力が最も高いのは誰かといえば、誰の目から見てもまりもである事は火を見るよりも明らかだった。
 遙は元衛士志望で訓練も受けてはいたのだが、両脚の後遺症のためにどうしても運動能力に劣る。ピアティフは元々文民出身で、最低限の訓練しか受けていない。運動能力は脚にハンディを持つ遙と互角と言ったところだろう。そして夕呼に至っては最低限の訓練すら受けていない。論外だ。
「私なら夕呼の半分……いえ、三分の一の時間で制御室に着くわね。そして万が一BETAと戦闘になった時、生存の可能性があるのは私だけ。……どう? お買い得でしょ?」
「……わかったわよ」
 まりもの言い分はどこまでも正論だった。夕呼は渋々ならがもそれに従う。
「今問答した分のロス、取り戻せるわね?」
「余裕だわ」
 まりもは、誰にものを言ってるんだとでも言いたげな、不敵な笑みを浮かべた。
「ピアティフ、まりもの強化装備にルートと操作手順を転送してちょうだい」
「了解」
「──伍長!」
「──は!」
 夕呼が入口を振り返ると、そこにはかつてまりもを兵士級から救出した二人の衛兵が立っていた。
「まりもを……神宮司少佐を頼むわ」
「──お任せ下さい!」
「よろしく、伍長」

 B27フロア・90番格納庫──
『──じゃあ、タイミングを確認するわ』
 協議が終わったのか、夕呼からの通信が入り、ブリーフィングが続行される。
 水月と築地が中央集積場前に移動したら、A-01と19小隊は90番格納庫内に展開。二人がメインシャフトに入ったら凄乃皇弐型のML機関を機動。
 予備機のため調整が完全ではなく、ラザフォード場を発生させられるほどの出力はない。よって、機体との接近には気を遣わなくても良い。だがそれは、BETAの接近も簡単に許してしまうという事でもある。そして調整が不完全なために出力特性がピーキーなので、接近出来るとは言っても注意は必要だ。
 まりもは点検孔内を単独移動。警備小隊は通路を移動し、B33フロアの点検孔出入口から制御室までの15mを確保。万が一、BETAが施設内に進入していた場合、警備小隊が囮となる。
 まりもが到着する頃には、水月たちが反応炉を確保しているはずなので、作業はスムーズに進むはずだ。
 反応炉が停止したら、水月たちは即時移動開始。この段階までに90番格納庫の隔壁が破られていなければ、来たルートをそのまま帰還。突破されていた場合はメインシャフトから直接90番格納庫へ侵入し、部隊と合流。
 まりもと警備小隊は制御室を放棄、B19フロアまで後退。この段階でML機関を停止。
 90番格納庫に敵の侵入を許していた場合、通路の第三、第四隔壁を降ろして充填封鎖。侵入した敵を殲滅し、XG-70の安全を確保する。その上で必要があれば、中央集積場側のゲートも充填封鎖。
『──わかったと思うけど、これはBETAを撃退する積極策じゃないわ。ここまでやっても……味方の増援を待つか、BETAが活動停止するまでひたすら耐えるかの消極策でしかない。でも、あたし達にはもうこの手しか残されていないのよ。贅沢は言ってられないわ。90番格納庫隔壁の耐久力を考えると、ML機関の起動から20分以内に反応炉を停止させる必要がある。
 必ず成功させてちょうだい。いいわね?』
「──了解ッ!」
『まりもたちの準備が整い次第連絡するわ。そっちも準備を整えておいて」
「──了解。……みんな、聞いての通りだ。ではブリーフィングを始める──」
 みちるによるブリーフィングが始まった。とは言っても、話すのは部隊編成くらいのものだが。
 まず、反応炉停止作業班の作戦呼称はα3。
 B小隊から水月と築地が抜けた事で、残った冥夜と慧で二機連携を組み、一時的にみちるの指揮下に入る。そしてここに来る時に臨時編入された月詠の部隊、D小隊をあわせて、これをα1臨時中隊とした。
 水月と築地はα2分隊としてA-01から独立。
「──以上だ。後はα3の準備が整うのを待て」
『──了解』
『──ヴァルキリー・マムよりα1及びα2。α3移動開始──各隊は所定の行動を開始せよ』
「──α1了解」
『──α2了解』
 そして遙の通信が入り、作戦行動が開始された。

 B19フロア・中央作戦司令室──
「データ転送、完了しました」
 ピアティフが、全ての準備が整った事を知らせた。
 それを聞いた夕呼は、まりもの所に歩いていく。
「まったくあんたたちは、揃いも揃って勝手なことばかり……!」
 そう言った夕呼の表情は、こんな危機的状況であるにもかかわらず、どこか痛快なものだった。
「あなたは天才なんだから、この程度のイレギュラー、軽く捻じ伏せてみなさいよね」
「ふふふっ……イレギュラーズとは良く言ったものだわ」
 半分は呆れ、しかしもう半分は楽しげに、夕呼が呟く。
「本当にね。でも夕呼、名付け親はあなたなんだから……自業自得よ?」
「はいはい……わかってるわよ。それにしてもあんた、言動がだんだん白銀と似てきたわね」
「そうかしら?」
「そうよ。堅っ苦しいのもやめてるじゃない。その方があたしは気楽でありがたいけど。それじゃまりも……任せたわよ」
「任されたわ。じゃね」
 まりもは夕呼に笑顔を返すと、司令室を出て、点検孔へと走っていった。

 B2フロア・90番格納庫直結リフト発着場──
 90番格納庫からの直通リフトを伝って、水月と築地は中央集積場前にやって来ていた。隔壁三枚隔てた向こう側は中央集積場、そこにはメインゲートから雪崩れ込んだBETAが跋扈している。今は第二隔壁の閉鎖と第一隔壁の開放を待っているところだ。
『メインゲートからの敵の流入はまだ続いているわ。メインシャフトにはAゲートとBゲートを破壊して侵入している』
 スクリーンに表示させた中央集積場マップを見ながら水月が言った。
『敵がいないメインシャフトCゲートから突入する……と言いたいところだけど、迂回してる時間も勿体ないわ。一番近いBゲートを突っ切るわよ。狭いところを猫みたいに突っ走るのは、あんたの得意技だったわよね、築地?』
「──はい」
『あ、でも光線級だけは見つけ次第片付けるのよ。ただし! 絶対にスピードは緩めるな。……腕立て200回なんてことになったら、あんたのせいだからねッ!』
「えぇ~っ!? そんなぁ……」
『──中央集積場第一隔壁開放ッ! α2移動開始せよッ!!』
 ピアティフから通信が入り、第一隔壁が開放された。
『──了解ッ! 築地行くわよッ!!』
「──了解ッ!」
 水月と築地は跳躍ユニットの出力を上げると同時に床を蹴り、宙に躍り出た。
 集積場は高度が取れない、とは言ったものの、戦術機の通路となっている以上、それなりの高さはある。勿論、噴射跳躍で思いっきり飛んだりすれば勢い良く天井にヘッドバットをかましてしまう事になるが、この高さ、地下茎構造で言う径の小さい横杭とほぼ同等。元々横浜基地は横浜ハイヴの地下茎構造を利用して作られているのだから、当然と言えば当然だ。つまりこの程度の高度制限、ハイヴ内戦闘の訓練を積み重ねてきた二人にとって、何の障害にもならない。
『──天井スレスレを飛ぶわよッ!』
 二人は匍匐飛行でここにいるBETAで一番大きな突撃級の更に上の位置で高度をキープして中央集積場をすり抜けていく。
『──築地、右ッ!』
「──了解ッ!」
 跳躍ユニットを左に振り、機体をカクンと右に旋回させてBゲートを正面に捉える。
 ゲートに近付くに連れて敵の密度が濃くなってくるが、隙間を見つけて二人はそこに飛び込んだ。擦れ違いざまに要撃級や戦車級に攻撃を加えながら、あっという間にゲートに迫る。
『邪魔よッ!!』
「邪魔ッ!!」
 二人は叫びながら、Bゲートに穿たれた穴から内部に侵入しようとしていた突撃級の柔らかい尻に飛び蹴りをくれ、勢いを付けたままメインシャフトに躍り込んだ。その時の衝撃がちょうどいいブレーキとなり、シャフトの中央部で一瞬静止。噴射降下から姿勢制御で頭を下に向け、下層に向かって落下し始めた。
「──光線級ッ!」
 あらかじめフィルターをかけて光線級がピックアップされるように設定していたため、スクリーンには点在する光線級の小さなシルエットが映し出される。
『やるわよ築地ッ! ──ヴァルキリー2、フォックス1!』
「──ヴァルキリー6、フォックス1!」
 ここに来る前に装着してきた92式多目的自律誘導弾システム──ミサイルランチャーから二人合わせて都合72発のミサイルが発射された。糸のような白煙の尾を引きながら、ミサイルは光線級の躯に吸い込まれていく。そして軽量化のためにミサイルを撃ちつくしたミサイルポッドを即座にパージ。
「まだまだッ! ヴァルキリー6、フォックス3!」
『ヴァルキリー2、フォックス3ッ!』
 さらに食い残しに対して36mm突撃機関砲で追い討ちをかける。
 最初に水月が宣言した通り、二人はスピードを全く落とす事なく、通り抜けざまに光線級を屠り去っていく。

 B19フロア・中央作戦司令室──
「さすがヴァルキリーズの最前衛を任されているだけのことはある──速いわね」
 メインシャフトからの映像で、速瀬機、築地機が速度はそのままに光線級を着実に屠りながら突き進む姿を見た夕呼が言った。
「α3の現在位置はッ!?」
「──先行の警備部隊はB25フロアを通過! 神宮司少佐は……び、B28フロア付近を降下中ッ!?」
 オペレーターが、まりものあまりのスピードに、素っ頓狂な声を上げた。先行したはずの警備部隊を既に追い抜いている。
「なんですって!? ──ちょっとまりも、あんた速すぎるわよ!」
『──だから言ったでしょ? 夕呼の三倍は速いって』
 そうは言うが、三倍どころの話ではなかった。もっとずっと速い。
 マップに表示されているまりもの位置を示すマーカーは、護衛部隊を乗せた高速エレベーターよりもなお速い、ありえないスピードで下にスライドし続けている。
 何故こんなに早いかというと……まりもは梯子の枠を両手で掴んでぶら下がり、勿論スピードを調節しながらではあるが、点検孔を落下しているのである。段にいちいち足をかけながら下るなどというまどろっこしい真似はしていないのだ。
「と、とにかく陽動を開始するわ。20分以内に反応炉を止めなさい」
『──了解』
「──機関起動ッ!」
「──ML機関起動します!」

 B27フロア・90番格納庫──
『──ML機関の起動確認ッ!』
『──第四隔壁周辺のBETAが移動を開始しました!』
『──メインシャフト内のBETAが移動開始!』
 みちるはデータリンクを確認する。シャフト内のBETAはML機関に引き寄せられ、27層リフトゲート──メインシャフトと90番格納庫を繋ぐ通路の隔壁に向かって移動し始めていた。
 見た限り、その中には光線級も混ざっている。
「──ヴァルキリー1より各機、最悪五分で突破してくる! 侵入直後は通路に集中砲撃、敵の死骸でバリケードを作る──奴らの戦術を逆手に取ってやれ! 死角は噴射跳躍でカバーだ。これだけ空間があれば、思う存分暴れられる、いいなッ!」 
『──了解ッ!』

 B26フロア近辺・メインシャフト──
 水月たちは相変わらずのノンストップでメインシャフトを降下していた。
「中尉ッ! 光線級14、90番格納庫隔壁に照射中! まだ残ってますッ!」
『──全部平らげるわよ!』
「──了解ッ! ──ヴァルキリー6、フォックス3ッ!!」

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──レーザー照射源消滅ッ! 光線級の殲滅を確認ッ!」
「さすがね。……第四、第五隔壁でBETAが最も少ないのは!?」
 水月たちの通り道を作るため、一番影響の少ない場所を知るために夕呼が訊ねる。
「第四が三番四番、第五が一番二番です」
「──第四隔壁三番開放、第五隔壁は一番ッ!」

 B28フロア近辺・メインシャフト──
『──HQよりα2! 第四第五隔壁を開放する、ルートを確認せよ!』
 ピアティフから通信が入った。
 データを確認すると、第四隔壁が三番、第五隔壁が一番となっていた。このまま突進すれば、第四隔壁を抜けた後に第五隔壁に激突しかねない。それを越えても、第五隔壁を通過した後、反応炉ブロックへ通じるリフトゲートに入るのに、また似たような状況になる。
「クランク!? この速度で!?」
『──BETAの侵入を制限するためだ!』
 ごもっともである。それでも隔壁を開放する以上、ある程度の侵入を許してしまうだろう。その数を最小限に抑えなければならない。
『手前40で反転全力噴射、壁面を蹴って強制姿勢制御二回よ! ……って、こういうトンがった機動はあんたの方が得意でしょうが!』
 水月が叫ぶ。確かにヴァルキリーズの中で一番変則的な機動に慣れているのは築地なのだ。新しい概念を身に付ける以前から妙な機動をする変な癖があったので、その分、常に一歩先を進んでいるのである。それを再認識して、水月の顔がハッと何かに気が付いたような表情になった。
『──ああッ! ちょっと築地あんた、私には無理だと思って馬鹿にしたわね!? 後で憶えてなさいよッ!』
「そ、そんなぁ~、違いますよぉ!」
『──三番隔壁よりBETA侵入! α2急げッ!』
『……っと、バカやってる場合じゃないわね。行くわよ築地ッ!!』
「──了解ッ!」

 B19フロア・中央作戦司令室──
「──α2最下層リフトゲートへ侵入! 隔壁閉鎖ッ!」
「──侵入したBETAは?」
「──およそ200ッ! 小型種多数と要撃級です!」
「──α2追撃中!」
「──α3神宮司少佐は……せ、制御室に入りましたぁ!? モ、モニター出ます!」
「なんですって!?」
 あまりの速さにオペレーターの声が裏返る。夕呼の声も裏返る。警備隊はまだB33フロアに到着すらしていない。
 そして、制御室内部の様子がディスプレイに映し出された。確かにまりもの姿が見える。室内の確保を完了し、突撃銃の構えを解いたところだった。肩で息をしているだとか、そんな様子は全く見られない。
「──ちょっとまりも、だからあんた速すぎるんだってば!」
『別にいいじゃない、速い分には』
 まりもは話しながら、椅子を引っ張ってきて座り、コンソールパネル前に陣取る。そして作業の邪魔になる突撃銃とナイフはコンソール脇に置いた。
「最下層ブロックには小型種も侵入してるのよ!? 通路の確保だってまだ終わってないって言うのに……!」
『そ。でも大丈夫だったわ。結果が出れば、それでいいのよ』
「まったく……」
「──α3警備隊、B33フロアに到着、通路を確保ッ!」
 夕呼が頭を押さえていると、B33フロア制御室前通路確保の報が入る。
「──反応炉ブロックの隔壁が破られました!」
 同時に、隔壁が破られて内部に小型種が侵入した事が知らされた。
「──ッ!」

 B33フロア・反応炉ブロック──
「速瀬中尉、隔壁が破られてます!」
『──急ぐわよッ!』
 速瀬機、築地機はエリアを更に奥に向かって進んでいく。
「さすがに佐渡島のものよりは小さいですね」
『──そうね……ッ! 築地、床を見ろ』
「──BETA!」
『どうやらお食事中のようね……!』
『速瀬、築地。単発で精密狙撃しなさい──相手は動いていないわ』
 司令室の夕呼から通信が入る。
「──精密狙撃ですか? 連射でも36mmじゃ反応炉は壊れませんよ?」
『反応炉はね。でも跳弾や流れ弾で人間が作った設備が壊れるでしょ。それでもし制御室に飛んでいったら……まりもが死ぬわよ』
『え、うそッ!? じ、神宮司少佐はもう制御室に……?』
 水月が信じられないといった風に、恐る恐る夕呼に確認する。
『ええ。あなたたちがそこに到着する少し前にね』
『うへぇ……腕立て200回確定だわ……』
『さ、早くなさい』
「──了解」
『──私は左回りでいくから。築地、あんたは右からね』
「はい!」
 速瀬機と築地機は左右に別れ、それぞれ精密射撃で反応炉に張り付いているBETAを狙撃していく。

 B33フロア・反応炉制御室──
「反応炉ダイアログ、ドライブモニター呼び出し……コントロールパネル……」
 まりもはコンソールを操作してシステムを起動させていた。ウィンドウを次々と開き、目的の非常停止プログラムに辿り着くと、パスワード入力ウィンドウが表示される。
「よし……パスワードを……」
 17桁のパスワードを入力する。送信中の文字が表示され、そして──
 ERROR061──
「──ッ」
 もう一度入力する。しかし、やはり同じ結果に終わった。
「夕呼、エラーが出るんだけど! パスワードは認識してるけど、最終確認画面が起動しないわ。エラーコードは061」
『──061……反応炉側の応答がないって事ね。ネットワーク管理画面を呼び出して、接続状態を確認してみて』
「了解」
 まりもは夕呼の指示通り、接続状態を確認していく。
「これね。──反応炉と制御室を繋ぐケーブルがメイン、サブ両方とも断線してるわ」
『……なるほど。侵入したBETAにやられたのね』
「迂回は……無理そうね。ケーブルの交換は出来るの?」
『それしかないわ。速瀬、築地!』
『はい』
『聞いていたわね。断線したケーブルを交換してちょうだい。ジョイントは規格品だから、作業は簡単よ』
 まりもの強化装備の網膜投影スクリーンにも、制御系経路図が表示される。
『管制室と反応炉に据えたサブコンピュータを繋ぐケーブルの長さは42m。18番ケーブルを外して使いなさい。位置も近いし、88mもあるから長さも十分よ』
 本来ならば強化外骨格で作業するシチュエーションだが、戦術機のマニピュレーターでも十分可能だ。水月たちほどの実力があれば、なにも問題ない。
 作業マニュアルが転送されて、作業が開始された。
『──まりも。速瀬たちの作業が終わったら、制御室のコンピュータを念のため再起動して』
「了解」
「──失礼します! 少佐、何か変わった事は!?」
 その時、外で待機していた衛兵が、少し慌てた様子で制御室の中に飛び込んできた。
「伍長? どうかしましたか、そんなに慌てて」
「──いえ、何度かお呼びしたんですが、返事が無かったもので……」
「そう……それは悪かったわ」
「いや、恐らくこの部屋の厳重な電磁波対策の影響だな。今、お前の声はちゃんと入ってきてる」
 後ろにいた黒人系の伍長が言った。
 確かに、今ならまりものヘッドセットにも通信は入ってきている。
「なるほど、そう言う事か……困ったな」
「万が一の場合は司令室経由で呼んでもらおう。この部屋と司令室は有線で繋がっているからな」
「そうだな。──聞いての通りです、少佐。お手数ですが、よろしくお願いします」
「了解です」
「定期的に様子は見に来ますので」
「ありがとう。そちらも気を付けて」
「──は!」
 衛兵達はまりもに敬礼を返して制御室から出て行く。
 彼らを見送り、まりもは窓から反応炉の様子を確認する。二機の不知火がケーブルを移動させ、接続作業を行っているところだ。繋がったケーブルが多いためか、築地の方は少し悪戦苦闘していた。だがしばらくして、その作業も無事に終わる。
 ネットワーク管理画面に視線を移すと、接続状態の異常を示す警告が消失していた。
 すぐさまコンソールを操作して、システム再起動処理に取り掛かった。
『──α2よりHQ、ケーブル接続完了』
 水月の報告が、司令室に繋ぎっぱなしの回線を経由して耳に入ってくる。その後α2は司令室と二言三言やり取りし、その場で待機となった。
『──まりも、制御コンピュータを再起動!』
「もうやってるわ。……再起動完了、これより非常停止プログラムにアクセス」
『──頼んだわよ』
 まりもは先程と同じように流れるような手つきでコンソールパネルを操作していく。
「……ダイアログ……ドライブモニター……コントロールパネル……パスワード…………よし、通った! ──α3よりHQ、非常停止プログラムにアクセス完了、次は停止コードを──?」
「……………………」
 司令室に状況報告を上げるまりも。しかし……返事がなかった。返ってくるのは、サーというノイズだけだ。
「──α3よりHQ、応答せよ──」
 何度呼びかけても、聞こえてくるのはノイズだけだった。
「……ダメか」
 先程、伍長の言っていた事を思い出す。この制御室は強力な電磁波対策で無線を完全に遮断してしまう。部屋のすぐ前の廊下との通信すら不可能。そのため司令室とは有線で接続され、回線が確保されている。それが使えなくなった。という事は──
「断線、か……どう考えても、原因は一つしか考えられないわね」
 まりもは呟く。その声には緊張の色が濃い。嫌な汗が一筋、頬を伝って流れ落ちる。

 B33フロア・反応炉ブロック──
『随分ごゆっくりだったわね、築地ぃ……この勝負は私の勝ちよ』
 ケーブルを接続し終え、待機状態に入って少しすると、水月が話しかけてきた。
「な、なに言ってるんですか、もう。私のほうはケーブルだらけだったんですよ? それでも一分も差がなかったんだから、私の勝ちです!」
『だぁめ! そういうことはやる前に言っといてくれなきゃね~?』
「ていうか私、勝負するなんてひとことも言ってないんですけど!」
『何言ってんの、人生は何事も勝負よ!? わかってないわねえ!』
「ふ~ん、そんなこというならぁ、私だって言っちゃいますよ~?」
『な、何をよ』
 ギクリとする水月。
「速瀬中尉、さっきの高速クランク……二回目のあとでちょっとバランス崩しましたよねー?」
『げッ! き、気付いてたのね……』
 ほんの少しではあるが、水月は確かにバランスを崩してふらついていた。パッと見ではほとんど分からない程度だったのだが、築地の目は誤魔化せなかった。もっともいくら誤魔化したところで、後で記録を漁ればしっかりと証拠が出てくるわけだが。
「えっへへぇ、これで一勝一敗ですね。あ、でも私の方が難しい事を成功させたから、得点は私の方が上ですねぇ!」
『な、ちょっと何よ得点って!』
 しかし、得点云々はともかく、築地が難易度の高い事を完璧に成功させ、水月がそうでなかった事には間違いない。ケーブル接続作業と高速クランク、衛士として、突撃前衛としてどちらに勝ちたいかといえば、どう考えても後者である。
『くっ……築地、あんた憶えてなさいよ……!』
 捨て台詞を残して、築地のスクリーンから水月の顔が消えた。
「もう、中尉ったら…………あれ?」
 何気なくカメラをパンして周囲を見渡していると、ふと不自然な光景に気が付いた。カメラを暗視モードに切り換えて画像処理をかける。
「──ヴァルキリー6よりHQ、隔壁が破られています! 第7メンテナンスゲートです! 研究棟内にBETAが侵入した可能性が!」
『──HQ了解。α3に警戒を促す!』
「お願いします! ……神宮司少佐、大丈夫かな……えっ?」
 築地はまりもの様子を確かめようと、制御室の映像に視線を移した。一瞬、ノイズが乗って画像が酷く乱れたように見えたが、それはすぐに元に戻る。
 しかし良く考えてみれば、BETAが暴れている上層はともかく、戦闘が行われていないはずのこのエリアで画像や音声にノイズが乗るのはおかしい。
「速瀬中尉、制御室の映像が──」
 モニターしている画像は明らかにノイズが増え、次第に鮮明さを失っていく。司令室との回線も、先程から時間と共にノイズが酷くなってきていた。
『──α2……制御室が繋が……大至……確……して…………』
 そんな中、ノイズの交じった夕呼の声が、水月たちの耳に入ってきた。
 直後、スクリーンに映し出されていた制御室内部の映像が一瞬だけ鮮明になり、そしてすぐに、今度は全てがノイズに覆われて何も見えなくなった。
「え……今の……ッ!?」
 まりもの後ろに何か奇妙な影が見えたような気がした。だが気のせいでは……ない。
『──築地ッ! 制御室よッ!』
 水月の切迫した声が築地の耳に飛び込む。
「──了解ッ!」
 築地機はすぐさま噴射跳躍で制御室の高さまで飛び上がる。
 そしてまりもの姿を視界に捉えたかと思うと、次の瞬間、異形の影がその前に迫り、まりもと接触したのが見えた。
「──えっ……?」
 カメラを望遠に設定する。それによって異形のシルエットが浮き彫りになる。
「あれは……闘士級──!?」
 闘士級と接触したまりもの身体はいとも容易く弾き飛ばされ、制御室の窓ガラスに激突した。その衝撃で、強化ガラスにはまりもを中心とした蜘蛛の巣のようなひび割れが広がり、それによって、あっという間にガラスが真っ白になってしまい、室内の様子がわからなくなる。
「じ、神宮司少佐ッ、少佐ぁッ!? ──このッ、よくもぉッ!!」
 築地は悲鳴をあげ、感情に任せて、両脇に提げていた87式突撃砲を抜き放ち、制御室に照準を合わせた。しかし──
『──やめなさい築地ッ!!』
 すぐに速瀬機が噴射跳躍で追い付いて来て、築地機と制御室の間に機体を割り込ませて発砲を止めさせる。
「──中尉!? でも、だって、神宮司少佐──神宮司少佐がぁッ!!」
『──だからって制御室を破壊していいわけがないでしょ! 落ち着きなさい!!』
「──!!」
『──90……納庫に……TA侵……! α1……中!!』
 しかし落ち着きを取り戻す間もなく、今度はピアティフの緊迫した声が、ノイズ交じりの通信によってもたらされた。

 B27フロア・90番格納庫──
 水月たちが反応炉エリアでノイズ交じりの通信を傍受した頃、90番格納庫の隔壁が破られていた。
 敵の姿を捉えたA-01部隊は攻撃を開始するが、多勢に無勢、弾幕を張っているもののその効果は薄い。
『あいつら……仲間の死骸をどんどん乗り越えてくるよッ!』
『こ……こんなに数が多いなんて……ッ!』
『くッ……ジリジリと押し上げられているッ!!』
「──全機隊形を維持したまま微速後退。敵前衛との距離は220を維持!」
『──了解ッ!』
 みちるの落ち着いた声が部隊の動揺を抑える。
 とりあえず今は火力のある強襲掃討装備を機体に纏っている茜と千鶴を中心に弾幕を張って敵を食い止めている。
『──BETA侵入量増大中! 隔壁の穴が広がっています!』
 本来、築地がいるはずのポジションをカバーしている巽が叫んだ。
 隔壁が完全に崩壊するのも時間の問題だ。
 しかし、空間を最大限有効に使うためには、通路を通り抜けて格納庫内まで敵を招き入れなければならない。だが、招き入れてしまえば凄乃皇を危険に曝す事になる。
 今はジリジリと退がり続けるしかない。
 しかしどちらにせよこれだけの数、入口で全てを食い止めることなど出来はしないのだ。
「涼宮、榊、貴様達は一旦退がれ! D小隊は着剣して突出、御剣と彩峰もD小隊に加われッ!」
『──了解ッ!』
「入口から80までを戦闘域とする。空間を最大限に利用して奴らを食い止めろ!」
『──隔壁が完全に崩壊しましたッ! ──来ますッ!』
「よし……我々に牙を向けたこと、死ぬほど後悔させてやるぞッ!」
『──了解ッ!!』
 それから数分。始めのうちは隊形が機能して圧倒的な殲滅速度で敵を屠り去っていたのだが、何せこの圧倒的物量差である。容易くひっくり返せるような類のものではなく、A-01はジリジリと後退を余儀なくされていく。そして手持ちの弾薬がなくなってくると、自ずと戦法にも変化が現れた。
 銃が使えないなら、武器は長刀や短刀だ。そして当然、その射程は銃に比べて圧倒的に短い。つまり一機あたりがカバー出来る守備範囲が急激に狭くなるというわけで、その隙間からBETAが擦り抜け始めたのだ。
『──ああっ! BETAが凄乃皇にッ!?』
 壬姫の悲鳴にも似た声が凄乃皇弐型に戦車級が集り始めた事を知らせる。
『──ボクがいくッ!』
 後方に位置していた美琴が反転し、凄乃皇に向かっていった。
「──鎧衣、短刀を使え! 機体の損傷を最小限に留めるんだ! 榊、珠瀬! 貴様達も行けッ!」
『──了解ッ!』
 みちるはA小隊を切り崩し、凄乃皇の護衛に回す。先行した美琴に続いて千鶴と壬姫も反転して、凄乃皇に向かっていく。
「……下はどうなってる!? ──ヴァルキリー1よりHQ! 敵が凄乃皇に取り付き始めている、反応炉停止はまだかッ!?」
『──HQよりα1。α3は任務失敗──司令部は現在対策を協議中!』
「何だって──!?」
『α3がBETAの襲撃を受け全滅、α2も交信途絶中!』
「そんな……あの神宮司少佐が、まさか、そんな──!」
 みちるの身体中を戦慄が駆け抜けた。
 あの神宮司少佐が──
 みちるが訓練兵の頃の話だ。とある事故で仲間が死んだとき、まりもが暴言を吐いた。それはみちるたちを奮起させるための策だったのだが、怒りに任せてまりもに殴り掛かって行った事がある。そのときまりもは悲しみに暮れて泣いていたのだが、そうであったにもかかわらず、みちるは手も足も出ず、結果は一方的な惨敗。まりもは、『そんな事で貴様は生き延びる事ができるのか』と言って泣きながら、みちるを殴り続けた。
 それから鬼のシゴキを受け続け、初陣の『死の八分』を乗り越えたとき、初めてまりもの真意に気が付いた。全てはみちるたちのためであったのだと。それ以来、まりもはみちるの目標となった。
 そして月日が流れ、まりもが上官となって現場に復帰してきた。どれだけまりもに追いつけたのかと思っていたら、その差は縮むどころか更に開いていた。しかし成長が足りなかった自分への落胆よりも、収まるべきところに収まったという喜びの方が遥かに大きく、そして師の凄さがまるで我が事のように嬉しかった。
 みちるにとってまりもは偉大な師であり、越えられない壁であり、永遠に追い続ける目標である。それでもいつかは追いついて、肩を並べられるようになるんだと奮起して戦い続けてきたのだが、そのまりもが──
 まりもを追い続ける事が、みちるの戦う原動力の一つになっていた事は間違いない。それが突然、失われてしまった。
「…………」
『……大尉、伊隅大尉!!』
「……え?」
 いつの間にか伊隅機の足が止まっていた。祷子の呼びかけで我を取り戻したみちるだったが──
 気が付いた時には、ほんの目と鼻の先に要撃級の前腕が迫っていた。
「しまっ──!!」








                             マブラブオルタネイティヴ(偽) に続く
                                http://mai-net.ath.cx/bbs/ss_t_bbs/tree.php?all=6969&bbs=etc


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
26.6760590076