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[4169] 【完結】東方忘我経 ~Forget me not.~(東方project)
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:22b68576
Date: 2009/09/11 18:55
 人足は無く、故に人気も無く。
 退廃の一途を辿りながらも寂れることを忘れてしまったような我が屋敷“勿忘荘”。
 今や骨組みも木材ではなく鉄が用いられ、コンクリートなる新物質で構築される諸々の住居に取り残されながらも未だ顕界に在り続けるのは、徒朽ち果てるを知らぬがため。
 家は宿主に似ると言う。ならばこそ、この家は私の映し身に他ならなかった。
 
 長く住んではいるが、しかし住み慣れたという経験はあまり無い。
 いつも広大な間取りを思い起こしながら、手探り状態で目当ての物を探し回るなど日常茶飯事。今日もまた、いつぞやに奥へとしまった釣竿を探しに、あちらこちらへと彷徨っているのだった。
 先ずは自室。次に居間。他に主だった部屋を探せども、そこには見付からなかったので今は離れの物置にて探索中である。
 だが、やはり見付からぬ。もとより物探しなど不得手な私ではあるが、釣竿ほどに目立つ代物ならば見付けるは容易いと高をくくった結果がこれである。ならば最初から古室こむろに任せておけば良かったなどと思い至った丁度その時、戸口の向こうから私を呼ぶ声がした。

「御屋形様? そちらにいらっしゃるのですか?」
「あぁ、少し探し物をしていた。釣竿なんだが、手伝ってくれ」
「あまりお一人で散策されぬよう申し上げましたのに……。目当ての物なら後で私が探しておきますから、今はお戻りください。御食事の時間ですよ」
「うん? もうそんな時間か……分かった、今行く」
 
 どうやら飯時だったようだ。はてついさっき食べたように思うのだが……まぁどうせ私の頭など頼りにならないので、古室の言葉を疑う余地は無い。素直に戻ることにする。

 かび臭い物置から出、居間に戻る道すがらには実に美味そうな匂いが漂い、それに引き寄せられるように私の足は前へと出る。数少ない楽しみにその歩も思わず速まり、少しだけ急いて障子を開けた。
 途端、より際立った香しさに胸が躍り、古室に指摘されつつ卓に着く。おお、どうやら今日は山で採れた山菜の天麩羅のようだ。今が旬のフキノトウやタラノメの緑が食欲をそそる。味付けは勿論塩、先走って一つつまむが……うむ、やはり美味い。

 相も変わらず古室の飯は格別だ。これだけは頑なに忘れることがないのだ、私は。あまりの美味さに箸を休める暇も無く、少量の酒と一緒に胃に収めていく。
 そんな私を古室は、これまた相変わらずな呆れ顔で言った。

「もう少し落ち着いて食べてくださいな、料理は逃げやしませんから」
「ふむん? 最近よくつまみが無くなっている気がするんだがな。てっきり手に足生えて逃げ出しているのかと思ったよ」
「あら、そうなんですか? 案外御屋形様が盗み食いしたのを忘れられたのだとばかり思っていました」
「酷い言い草だ。私はいつも正々堂々と食べるというのに」
「その正々堂々もこの間はうっかり忘れられていたのでは?」
「さぁ? 覚えが無いな」

 すると古室は、諦めたように深く溜息を吐いた。その様を見せ付けられた私は、少々居た堪れなくなる。

 しかしまぁ、そうした揶揄とは無関係に、ここ最近はよく物が消えているような気がする。といってもそう大したものじゃなく、精々が食べようとしていた饅頭が消えたりといった程度のことだが。

 ふむ、私の気付かぬ内に妖精なんかがかっぱらっていったのだろうか? だがそうだとしても、古室の眼を盗んでなどとは考え難いし……私でさえ手を焼くほどの察知能力なのだ、それでは私の立つ瀬が無い。そもそも妖精自体随分前から全く姿を見かけないのだから、この謎は完全無欠に迷宮入りだろう。

 …………ま、そうした謎も無秩序に退屈が横たわる此処では寧ろ歓迎すべきことだろう。絶え間無い暇を少しでも潰せるのならば、私にとっては何でもいいことだ。

 妖精に限らず、ここ数十年ほどでめっきり怪異の類は姿を消してしまい、かつての賑やかさは見る影も無くなった。妖怪が人間を襲うことが少なくなった分犠牲となる人間も減り、その結果今や完全な人の世となってしまったが、なんとまぁ時代とは実に無常なものである。

 私にとっても他人事では本来ない。妖怪は人間を襲うものである以上、私もその意義に則らねばならないのだが……元々が元々なのでその認識も薄いまま、こうして現在に至るのである。全く世間というものは、私に何の影響も与えなかった。

 と……酒がもう無いな。普段はこれで充分なのだが……今日は何故か酒が進む、もう少し欲しいものだ。

「古室、酒。ついでに酌を頼む」
「もうありませんよ。今のが最後の一杯です。また明日にでも買い出しに出掛けないといけませんね」
「むぅ、だがどうしても今飲みたいんだ。…………仕方無い、ここは私が」
「いけません。御屋形様お一人では一体何処を彷徨うかも知れませんから。また先のように三日三晩彷徨い続けるおつもりですか?」
「大丈夫だ。今回はちゃんと地図を用意してある。なぁに最寄の“こんびに”へ行く程度造作もあるまい」
「どうやらお忘れのようですが、以前も全く同じことを仰って迷われましたよ」
「あれ? そうだっけ?」
 ふむぅ、全く身に覚えが無い。…………私も歳かな。
「大体、そうでなくとも人の世に出るのは危ういのですから。最早大っぴらに出歩くこともままなりませんのに、余計な揉め事を起こしかねない行動は控えてくださいまし」
「大っぴらに出歩けないのは今も昔も然程変わらん気もするが……仕方無い、今日は我慢するか」
「是非そうしてくださいな。明日ちゃんと買い出しに行ってきますから」
「うむ」

 さて、飯も終えたことだし、どうしようか。
 若干温まった身体を冷ましに庭でも愛でようか。今ならまだ良い具合に涼しいし、虫の音もきっと美しいに違いない。
 ああ……だが、そうとなると余計に酒が恋しくなってしまうな。これではまるで生殺しだ、自分を抑え切れる自信が無いのでやはりやめておこう。

 ではどうしようか。途端に目的も見失い、果てさてまたも退屈になってしまった。これはやはり、外出するしか……。

「余計なことはお考えにならないようにお願いしますね? いらぬ世話を焼くのは御免ですから」
「何故分かった」
「一体どれだけ連れ添ってるとお思いですか。まったく……今夜はもう風呂に入ってお休みくださいまし」
「分かった分かった、素直に従うからそう怒るんじゃない」
「怒ってなんかいません。徒呆れただけです」
「それはそれで傷付くが……ま、では先に休むぞ」
「ええ、お休みなさいませ御屋形様。どうか良い夢を」
「ふん……」

 夢などとうの昔に、視ることを忘れてしまったがな。




 夢を失ったのは、私が人でなくなったのと時を同じくする。

 夢といっても、別段希望や願望の類を失ったのではなく、単純に夜眠る時に夢を視なくなっただけの話だ。

 言ってしまえばそれだけのこと。嘘も真もあやふやな一時を失ったからとて然したる問題は無いが、それでも今まで視られたものが突然視れなくなってしまったという事実は、少なからず惜しみも感じたものだ。

 とても昔……もう一体それほど昔のことかは忘れたが、夢を視ていた頃よりも視なくなってからの方が圧倒的に長いくらいだ。御陰で今や夢を視ないことが当たり前となった私にとって、だからこそこの状況は驚愕に値する。

 今私は、夢を視ていた。

 それもあやふやなものではない、とても確かな夢だ。目覚めてもきっと頭に残っているだろう、そんな夢。

 私がまだ人間だった頃、とても多くの思い出に囲まれ、満ち溢れていた……それこそ『夢のような』過去。過去を、私は目の当たりにしているのだ。

 有り得ない。絶対に有り得ないはずの事態だが、現にこうして夢に視てしまっているのだから否定のしようが無い。

 だから私はそれを拒むことをせず、徒純粋に昔日の温もりを愉しむことにした。
 なんてことはない、極々当たり前の日々。日々を徒生きるために生き、時折村を襲いに来る妖怪に怯え、食われ払いながらもやはり生きる、それだけが繰り返される毎日。
 辛いと思ったことは、数え切れないほどにある。だがそれと同じくらいに、楽しいと思ったことがまたあるのだ。

 長き時の最中で零れ落とした諸々の記憶。それが今私のすぐ傍にあるという事実に、若干の憤りと、それが塵のように思える郷愁に打ち震えた。

 だがそれもやがて終わる。どこからが始まりでどこが終わりなのか、それすらも全く覚えていないが、取り敢えず私の“思い出”らしき光景が終わり、私は夢に取り残された。


 ――――クスクス

 ――――いつまで経ってもやって来ないんですもの

 ――――まったく厄介な能力ですのね。ですからこうして私直々にお招きしますわ

 ――――これは私からの贈り物。ほんのちょっとした餞別ですから、お気になさらず

 ――――それと……前知識も必要ですね……クスクス


 …

 ……

 …………酷く胡散臭い声で、最後だろう私の夢は締め括られた。




「ふむ、いつになく良い寝覚めだ」
「おはようございます、御屋形様。早速ですが御食事になさいますか?」
「そうだな……今日は茶漬けが食べたい気分だ」
「承知しました」

 寝所には立ち入らず、障子の向こうから是非を問うのは古室の癖だ。というか、古室に言わせればそれこそが当たり前なんだそうが、生憎私は学が無いのでよく理解出来ていない。

 まぁそんなことはさておき、適当に身嗜みも整え普段着に着替える。巷では西洋の服が主流らしいが、洋服は肌に合わないので好みじゃない。なので昔と変わらず着流しである。勿論安いやつな。

 さて身支度も終えたことだし、そろそろ飯の準備も出来ている頃だろう。早々に居間へと移動する。案の定、既に古室が用意していた。

「いただきます」
「はいどうぞ」
 茶漬けなのでさらさらと掻き込み食い終える。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまです。ああ、竿の方はそちらに置いてありますので」
「ありがとう。そうだな、いつもの池にでも釣りに行くとしようか」
「あまり遠出はなさらぬようお気を付けくださいませ。決して他の場所へ行ってはなりませんよ? 探すのが骨ですから」
「ああ、分かっているとも。では、行ってくる。見送りは不要だ」
「承知しました」

 釣竿と魚籠を携え、早速釣りに出掛けるとする。
 なぁに、これでもン百年と同じことを続けているのだ。釣りのあれこれは承知しているとも、きっと今日も大漁に違いない。

 古室から昼飯用の握り飯を受け取り、いよいよ私は障子を開けた。

「よく包丁を研いで待っておけ。今夜は馳走だぞ」
「獲らぬ狸……もとい、釣らぬ魚の皮算用ですが、まぁ期待せずにお待ちしております。行ってらっしゃいませ、御屋形様」
「うむ」

 さて、今日は何を釣ってやろうか……?
 先に待つ馳走を前に、私のやる気が俄然上がってきたのだった。









「さて、と。掃除も終えましたし、そろそろ買い出しにでも行くとしますか……」

 炊事、洗濯、家事、掃除を終え、一息吐く間も無く次なる仕事へと取り掛かる。
 何度も繰り返した家仕事。それが彼女の存在意義なのだから当然と言えば当然だが、まるでダメな主人を支える屋敷妖怪の気苦労は絶えることが無い。
 今も心の片隅では主人を心配しているのだ。なにせ、ダメなものだから。今でさえ多少は安心して出歩かせられるが、そうなるまでに短くない年月を食ったのである。以前買出しの時に立ち読んだ雑誌で見たが、今の自分を例えるならば“ほーむへるぱー”なる職が最も相応しいだろうと、何とはなしに彼女は思った。

 ともあれ、今日は早めに出掛けねばなるまい。酒を切らしてしまった分、荷物は倍に増えるのだから。主人は少しずつしか飲まないが、大の酒好きなのだ。
「とと、釜戸の火は……ちゃんと消してますね」

 細かい作業はそこらの小道具にでも指示しておけば大丈夫だろう。一応心配は無く、家を空けることが出来る。
 といっても此処ら一帯は全く人がいないので、そうした心配も杞憂だが。希に野生の狸などが迷い込んで荒らしていく以外、さしたる被害は此処には無い。

 玄関の引き戸を開ける。そこから少し進んだ先には屋敷全体を覆い囲む塀があり、大きな正門が待ち構えていた。それぞれの戸には鍵も無ければ、閂も無い。もとより彼女さえいれば、そうした用具は無用の長物である。

 長い時を共にしたようにはとても思えない、立て付けの良い正門を開放し、一足外に踏み出ると。

「あ……あら? いつもの場所じゃあ、ありませんね……?」

 戸惑い、見渡す限りには見慣れぬ風景。地平線を埋め尽くす人工灯の明りは忽然と消え、徒々なつかしいそれは。

「お、御屋形様が危ない……ッ!?」

 それは、とある少女が見た日本の原風景。




 ――――今は無き、幻想の匂いが木霊した







[4169] 東方忘我経 プロローグ
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:22b68576
Date: 2008/10/13 19:09






 忘我の淵 ~Oblivion to steal up~









 ありとあらゆる幻想が集う隔離世の楽園、その名もずばり“幻想郷”。
 その東の端に位置する大神社の境内にて、博麗の巫女はのんべんだらだら掃除をするふりをしていた。ふりなので、早々に切り上げ休憩に移る。
 今日はいつになく良い天気だ。緩やかな木漏れ日を軒先で浴びながら、煎餅でもばりばりと齧りながら茶を啜る。
 以前冬に地底の異変を解決してからは大した騒動も無く、あるがままの平穏が幻想郷を包んでいる。
 春の日差しが眠気を誘う。今日はゆっくりと昼寝でもしようかしらと、いつも以上に暢気なことを考えた。
 が、茶の代わりが無く、おまけに茶葉も切らしてしまっていることに気付き、少々面倒臭いながらも巫女――――博麗霊夢は腰を上げた。

「人里へ買い出しに行かないといけないわねぇ」
「よう霊夢、遊びに来てやったぜ!」
「と思ったら変なのが来たわ」
「変なのとは酷い言い草だ。私は正真正銘普通の魔法使いだぜ?」
「充分変じゃない」
 
 相変わらずの悪童めいた笑みを見せて降り立ったのは、自称普通の魔法使い霧雨魔理沙。
 よく神社にやって来ては厄介事を引き入れる傍迷惑な腐れ縁は、今日もまた何か珍事を巻き起こしてくれるのだろうか。
 最早霊夢にとって黒白は面倒事の前兆である。ましてたこんなに天気の良い日に、歓迎する気には無論なれなかった。

「で、何の用なのよ?」
「だから先に言ったぜ? 遊びに来たってな。ではでは邪魔するぜ~」
「邪魔するなら帰ってくれない?」
「またまた酷いな。私も礼儀知らずじゃない、勿論手土産もちゃあんと持って来て……」
 言って、ぴたりと硬直した魔理沙。
 なにやら困ったように眉を寄せては、大仰に悩む素振りをしてみせた。

「どうしたのよ?」
「いや……何を持ってきたのかをさっぱり忘れちまった。おっかしいなぁ、何を手土産にしたんだっけ」
「なに、まさかそのまま放り出すなんてことないでしょうね?」
「そのまさかだぜ。ま、うっかり忘れちまうのならどうせ大したことはないな。気にしない気にしない」
「はぁ……で、また図々しくも上がり込むわけね」
 諦めたように言う。この場合は、慣れとも同義だが。
「ところで霊夢は何処に行こうとしてたんだ?」
「何処ってそりゃあ…………あれ? えっと、たしか」
「ああ!? お茶がもう無いじゃないか! 今とてつもなく飲みたい気分なのに、これじゃ生殺しだぜ」
「そうそうお茶の買い出しに出掛けるってこら! 勝手に荒らすな」
「おいおい茶菓子も無いじゃないか。煎餅の滓はあるけど、どうせなら私の分も取っといてくれよ」
「いきなりやって来て何を言うかな、この黒白は」
「買い出しに行くんなら丁度良い、ついでに茶菓子も買ってきてくれよ。今日は甘いものが食べたい気分なんだ」
「どうして私が買わないといけないのよ」
「どうしても買ってくれないのか? じゃあ仕方無い、実力行使とするしかないな!」

 途端、勢い付いて魔理沙が飛び掛かった。
 実力行使――――即ちスペルカードルールに則った上での決闘は、異変解決の手段もさることながら、こうした些細な揉め事の判決にも用いられる。
 寧ろそうした用途の方が普段は多いのだが、ともかくも先手を打ってきた魔理沙を凌ぎながら、霊夢は語勢良く問うた。

「使用枚数は?」
「一枚。手っ取り早く1ラウンド勝負だぜ!」





 言うや否や、双方共に弾幕を展開。
 霊夢は霊力の込められた針や符、魔理沙は強烈な光熱を伴った魔法の弾頭をばら撒き、先ずは出の早い霊夢が射撃戦の先手を取った。
 直線的な針にて牽制し誘導し、回避に窮したところを追尾性の高いアミュレットで包囲する。それらがの弾幕が織り成す光景は、その色彩や熟練の手際もあって息を呑むほどに美しい。妖怪にも精通する人並み外れた彼女の有り様が、弾幕には確りと表れていた。
 元より弾幕は、決着とは別にその美しさをも競うもの。強力ながらも圧倒ならず、美しさの中に精緻極まる構成を組んでこその弾幕勝負。ただ力強いだけでは、決して勝負にはならぬのだ。
 魔理沙は一見進退窮まったように取り囲まれるが、しかし彼女も慣れたもの。その悉くを紙一重で躱し、最小限の動きで間合いを詰める。
 直接被弾はせず、かといって大きく避けることはしない。攻め手が弾幕の構成と美しさで魅せるのならば、受け手はそれから如何に優雅且つ無駄なく避けるかこそが肝心要。それは、暗黙の了解にして不文律である。弾幕勝負に無粋は不要なのだ。

「へへっ、私のグレイズが上がる一方だぜ霊夢? 今日は私の勝ちで決まりだな」
「冗談」

 そうして次は肉弾戦へと移行する。先程とは打って変わって直截的だが、きっと黒白の魔法使いなら問題無いと言うだろう。弾幕戦に肉弾戦、どっちも“弾”の字があるのだから似たようなものだ、とでも言うに違いない。
 とはいえ、長続きはしない。今はまだ人間同士だから拮抗しているが、その本義は妖怪を相手に立ち回ることなのだ。それに、やはりと言っては何なのだが、弾幕の撃ち合いの方が好まれるのだ。それに二人共、直截身体を動かすのは得意ではない。
 
 そうして戦局はまたも射撃戦に戻ったが、利は相変わらず霊夢の方にあった。魔理沙は当初こそ先手を狙ったが、今ではやや受身の体勢を取らざる得ない状況にある。
 霊夢の弾幕は精緻且つ精密である分、その威力は低い。とはいえそれらを総合した性能は高く、魔理沙はじりじりと己の体力が削られていくのを感じ取っていた。

 このままでは真の見場も無く決着は終わるだろう。それは、彼女にとって容認出来ることではない。
 だが魔理沙は、そんな窮地にもなんら変化を表には出さず。情け容赦無い猛攻を展開する霊夢に向けて、更に凄絶な笑みを魅せた。

「符の壱――――」
「いよいよ、ってことね!」

 最後の大トリ、スペルカードの発動。
 今までに展開した弾幕とは一線を画し、それ自体に意味を込めた自己の映し身。スペルカードルール最大にして唯一の醍醐味である。
 魔理沙が取り出したのは一枚のカード。妖怪のための契約書で作られたそれに記されたものは、彼女の信条である『とにかく派手で綺麗な魔法』の一端だ。
 宣言、発動。予め定められた手順をこなし、いよいよそれが発動する。


「スターダスト…………レヴァリエェエエエエエッ!!」


 鬨のような威勢を張り上げ魔理沙は箒に乗って飛翔、そのまま突貫した。
 凄まじいまでのスピードと、その尾を引くように星屑の弾幕が降り注ぐ。そのいずれもが徒の弾幕とは比べ物にならない威力を誇っていた。

 初撃の突貫を躱した霊夢は、相変わらずな魔理沙に呆れたように呟いた。

「相変わらず派手ねぇ……」
「派手でなければ魔法じゃない。弾幕は火力だぜ!!」

 そう豪語する彼女の魔法は、成程その言に相応しいものである。
 過ぎ去って行く度に大気が鳴動し空間が揺らぐ。並の相手ならば、同時に齎される衝撃とその圧倒感に満足に動くこともままならず、容易く撃沈してしまうだろう。
 だが霊夢は、決して並の相手ではない。むしろ誰よりも腕に覚えはあるし、事実それで数々の異変を解決してきたのだ。そうでなくば、何故博麗の巫女という大役が務まるものか。

 既にこのスペルの詳細は熟知している。無論、その弱点をもだ。
 それは単純明快、一等派手で強力な魔理沙の魔法は、その分事後の隙が大きい。今も霊夢という標的から逸れ、方向を定め直そうと無防備を曝け出している。
 こちらに向き直りベクトルが失われた瞬間を狙って、霊夢は方陣を放った。

「あっ……」

 間抜けな言葉を発し、魔理沙が箒から投げ出される。
 放物線を描きゆったりと墜落する魔理沙を、霊夢は冷静に見据え。

「私の勝ち」
「らしいな」

 最後の締め括りに、大量の弾幕で迎え撃った。









「生憎と無駄な出費は御免なのよ」
「今は饅頭よりも傷薬が欲しいぜ……」

 ところどころ薄汚れ、生傷を負った魔理沙の表情は晴れやかだ。
 決闘を終えれば、もういざこざは後引かない。それがルール。
 どちらかといえば徒の遊戯としての意味合いが強かった今しがたの決闘を終え、魔理沙は幾分か気が晴れたようだった。

 霊夢はそうでもないが。なにせ奇襲も同然の決闘である、全くの無駄と言う他に無い。
 少しだけ煤けてしまった巫女服を払い、今度こそ出掛けようとした。が。

「あれ? 何しに何処へ行くんだったっけ?」
「おいおいしっかりしてくれよ霊夢~、茶と饅頭を買いに行くんだろ?」
「え? そうだったっけ? ……………って違うでしょ、嘘言わないの!」
「チッ、バレたか」
「買ってくるのはお茶よ、お茶! もう、無駄な時間だったじゃない」
「大丈夫かぁ? なんだか今日のお前変だぜ? 物忘れが急に酷くなっただなんて、きっと歳だな」
「そんなわけないでしょまったく……さっさと買い出しに行ってこようっと」

 そのまま重力を解き放って飛んで行った霊夢を、魔理沙は仰向けに寝転びながら見送った。
 三角帽子も大雑把に、そこら辺に放り出して空を眺め、一戦交え乱れた呼吸を落ち着かせる。
 そして、ふと頭を動かすと、帽子の中に何か入っているのに気が付いた。

「あれ? なんだこりゃ? …………キノコ?」

 取り出してみると、それは問答無用にキノコだった。見てくれの悪い傘がちょっとだけ萎びている。
 よく見てみると見覚えのあるもので、よく食材として採っている魔法の森のキノコだった。

「……あー、そうだったそうだった。霊夢への手土産だぜこりゃあ。帽子の中に仕舞っておいたんだった。……なんで忘れてたんだ私は?」

 よくよく考えれば明らかにおかしい事態であるのに、今更ながら気が付いた。
 普段なら決して忘れないような内容が、今日に限ってところどころ抜け落ちている気がする。
 長年住んできた魔法の森のキノコを一瞬とはいえ見間違えるのもそうだし、それを手土産にしようとしたことを忘れたのもそう。更に言えば、ついさっき仕舞った場所を忘れるなど、それこそ老人特有のアレではないのだから、まだまだ若い魔理沙にとっては有り得ないことである。

「なーんかキナ臭い感じがするなぁ……こりゃ異変の予兆じゃないか?」

 培った経験が、そうではないかと警鐘を鳴らす。
 しかし此処に来るまでに目立った異変は見当たらなかったし、大体こんなことが出来る相手に心当たりが無い――――と言えば嘘になるが、確信が無い。
 どうにも行動の取り辛い状況である。もっと分かり易い異変――――例えば吸血鬼の時などのようになれば良いのに。全く、人を舐めてるとしか思えない異変だ。

「こりゃ霊夢には悪いが、お先に色々当たってみるか。たまには私も優位に立たなくちゃあな、魔法使いの名折れだぜ!」

 そうと決まれば話は早い。思い立ったが吉日、忘れぬうちに動くとしよう。
 霊夢の茶を待つことも忘れ、箒に飛び乗り飛翔する。

 向かう先は同じ魔法の森の住人、七色の人形遣いのところだ。










 


 少女祈祷中……







[4169] 東方忘我経 幕間1
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:b6b713a0
Date: 2008/09/22 03:19










 幕間~旧妖怪の山~









 いつもの池へと歩を進めたのは良いものの、案の定と言うべきか辿り着いた先に池はなかった。
 当てにならぬ私の頭とはいえ、ここまで使い物にならなくなったとすると、私もいよいよ歳のようだ。
 まったく、長く生きすぎると言うのも考え物だな。若い頃はもっと生き急いでいた感があったが、老いるとなると途端生き難くなるものだ。

 そんな問答はさておき、行き詰まり歩を止めたまま如何したものかと暫し佇む。
 今夜は楽しみにしていろと大見得を切った手前このまますごすごと帰るわけにはいかず、とはいえ主立った目処も立たない今日この頃。
 せめて水の流れが近くにあればまだ助かったのだが、生憎釣りに適した場所も周囲には見当たらないときた。
 在るのは徒、鬱蒼と行く手を遮る木々と、そこに息衝く生き物たちの音だけ。よくよく見てみれば此処は、私の知る裏山ではないようにも思えた。

 私が釣りに出掛ける池は、屋敷の裏山の中腹にあるのだが、この天を衝かんばかりに聳え立つ傾斜の前ではまるで赤子、小高い丘程度にしか見えないだろう。
 いや、そうした比べ物にすらならぬ途方も無さだ。山が生き物だとしたら、一体何を食えばここまで育つのか。これいは不尽の霊峰も到底適わぬだろう。
 なんと見事な景観だろうか。大いなる地の鳴動の内に抱かれながらも見上げる頂は、一切の失望を私に与えぬ。
 私は、この山に無断で踏み入り魚を釣ろうとしたのか。かつての裏山が見る影も無い、その圧倒霊威を前に、私は徒阿呆のように口を開いていた。

 こうした心の震えを失って久しい今、次に私が感じたのは畏れである。
 目に焼き付け、肝にも命じ、心にも刻み付けた今これ以上、私が此処に居続ける理由は何処にも無い。
 だが、背を向け降りようとする私の後ろ髪を引くものが絶えない。郷愁だ。不思議なことに私は、この霊威に郷愁を感じていた。
 それだけではない。同時にある種の侘しさも感じている。なんとも捉え難い心情だが、敢えて例えるならば宴の名残を前にしたような気分か。
 どうしようもない切なさをも受け止めながら、私はふと、口に出していた。

「八ヶ――――」
「おやおや~? 珍しいわね、山に人間……じゃなかった、外の妖怪なんて」
「お前は……」

 言葉を遮った突如の声。振り返り見れば、三の戒めに囚われた角持つ少女。
 今しがた見ただけでも解る酒気を漂わせながら、千鳥足で私に歩み寄る姿があった。

 鮮明な映像だ。
 この山にこの少女。二つを重ね、揺さぶられるのはかつてない郷愁。

 途端私は、畏れを塗りつぶす恐れに囚われたのを自覚しながら、目の前の古強者に向けて言っていた。

「お前は…………鬼か」
「ん? んん!? こりゃ驚いた! あんた我ら鬼を恐れているわね。鬼を忘れていない存在が居たなんて! これが人間相手だったならこれ以上に嬉しいことはないのにねぇ……」

 しきりに感心した様子を見せ、携えていた瓢箪を喇叭に呷った。
 私としては、その鬼の所作一つ一つが堪らなく恐ろしいのであり、今こうして場所を同じくすることすら肝が冷える思いである。
 この歳になってこうも恐怖を感じるなどとは露も思わなかった所為もあり、愚かにも私は鬼を前に逃げの一歩すら踏み出せないでいた。

「そんなに恐がることもないってのにねぇ。特に今じゃあ忘れられて久しいっていうのに」
「忘れられた? 鬼が? 嘘を吐け、そんなことがあるものか! 私はよぉく覚えているぞ。妖と化したこの身すらまざまざと覚えているとも。鬼が忘れ去られるなんて、冗談にしても笑えないぞ、鬼」
「我ら鬼が嘘を吐くなんてあるものか! ……でもまぁ、今のはちょっと気分が良いから許してあげる。ここまで素直に恐がられたのも久し振りだからね。正直者は好きだよ、私は」
「まるで冗談じゃないな。身の毛が弥立つ」
「まぁまぁ、そういきり立ちなさんなって。見たところ相当御歳を召した妖怪のようだし、古株同士ここは一杯やろうじゃないか」

 私の思いとは裏腹に、鬼は笑顔を浮かべて酒を勧めてくる。
 だが、かつて数多の人を攫い、喰らってきた鬼の姿を知る私としては堪ったものではない。
 如何にしてこの場を立ち去るか。その手段だけが脳裏で渦巻いていた。

 だが、そこでまたしても不都合な事態が招き寄せられたようだった。
 我が身を風が撫でて行ったかと思うと、刹那の後には羽音と共に黒羽が一つ舞う。
 風が往く方向に、風と同じ速さで突如現れ出でたるそれは、これまた懐かしい鴉天狗。
 どうして状況は私にとって不都合な方ばかりに傾くのだろうか。

「あ、面倒なのが来ちゃった」
「白々しい。お前が呼んだのだろうが。眷属だろう?」
「だから違うって言ってるじゃない。今じゃ我々と天狗の間にゃ、なーんも繋がりは無いよ」
「え、えーっと、どういう事態ですかねこれは? また貴方がやって来たっていうので遣わされたのですが……そちらはどちら様で?」
「とぼける気か。次はなんだ、河童連中でも呼び寄せる腹か?」
「だから違うって。こいつは勝手に来ただけで、っていうか関係は無いって言ったじゃない。信用無いなぁ」
「信用はしてるさ。だが油断は出来ない。鬼とは元来、そういうモノだ」
「いやま、そうなんだけどさ」
「ふん……」

 一瞥すると天狗は、相変わらずとぼけた顔をしていたが、どちらにせよこれ以上話すことなどあろうはずもない。
 久方振りに血が沸き立つのを感じながら、一刻も早くこの場から立ち去らんために私は動いた。

「鬼よ」
「あー?」

 猫だまし。
 意表を突いて意識を背け、その隙に場を後にした。

 鬼退治なぞ、私如きには荷が重い。









 ~新旧妖怪の山のその後~









「あーらら、行っちゃった」
「って何故貴方が此処にいるんですか? あれほど控えてくださいと言いましたのに、みんな大騒ぎですよ」
「…………あんた最近物忘れとか酷い?」
「いえいえまさかぁ、いつだってスクープを求め東西奔走する私が物忘れをするなんてことありませんよ。いつ何がネタになるのか知れませんから」
「その割には鳥頭のようだけどね?」
「むむむ、いくら貴方といえどそれはあまりなお言葉。甚だ心外ですね」
「まぁいいんだけどね。ところで侵入者は追い払わなくていいのかしら?」
「いるじゃないですか、目の前に。組織の安寧を脅かす貴方が」
「前にも言ったと思うけど、辞めちゃえばいいのに、そういうの」
「前にも言ったと思いますが、組織とはそういうものなんです」


 決闘準備――――BORDER OF DUEL――――


「仕方ないねぇ。それじゃ腹ごなしにでもいっちょやるかい」
「貴方が負けてくれれば、丸く収まるんですけどね」







[4169] 東方忘我経 Stage1
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:0e683125
Date: 2009/12/08 19:02




「一体何だってのかしら、こんな天気……」

 人里に着くなりそう愚痴を零す。
 見上げる先には果ての無い空が広がっていて、いつもは蒼に染まっているそれが、今はどんよりと鈍色に曇っていた。
 いや……丁度“今”曇ったと言うべきか。さっきまでの晴天が嘘のようにがらりと変わって、とっかえられたように曇天が姿を現したのだ。
 実を言うと、ここに着くまでの道中にも似たような変化は何度か繰り返し起きていて、しかし決定的な雨天には至らなかったために何を思うことはなかったのだが……はてさて。

「ま、そんな天気もあるのかもしれないわね。さっさと買出し済ませちゃおうっと」

 根本が極め付きの能天気である楽園の巫女は、相も変わらず暢気なことを言ってのけたのだった。









 東方忘我経 Stage1 ~予測外れの妖怪前線 mysterious weather~









 真っ先に向かったのは人里唯一の茶屋である。
 暖簾を潜り中へ入ると、それぞれに収められた茶葉の香りが何とも芳しく、老齢の店主も馴染みの客である博麗の巫女を出迎えた。

「これはこれは巫女様。いつものヤツですかい?」
「ええ。丁度切れちゃったから多めにね」

 手短な応答。買い出しにしか人里へ寄り付くことがない巫女が先ず向かうのは此処の茶屋なだけに、店主も委細を承知済みである。
 すぐさま注文の品を取り出そうと奥へ引っ込み、しかしそこで珍しく素っ頓狂な声をあげた。

「なんてこったい……全部おしゃかじゃねえかい」
「どうかしたの?」

 霊夢が尋ねる。
 振り向いた店主は、口一杯に苦虫を噛み潰したような表情で唸るように。

「ああ巫女様……悪ぃですがいつものヤツは切れてまさぁ。全部が全部傷んでやがりまして……いや手前の失態です、面目ねぇ」
「えぇ!?」

 いつも人並み以上に暢気な巫女が、こればかりは動揺を見せた。
 何せ巫女本来の社務もおざなりに、のんびり茶を飲むのが何よりの至福と言って憚らぬ霊夢である。
 今此処で慣れ親しんだ茶が手に入らぬということは、即ち至福を無きものにされたに同義。断じて承知出来る事態ではない。

 打ちひしがれたように天井を仰ぎながら、深々とため息を吐いた。

「もー、ちゃんと保存しててよね全く! あーあ暫くお楽しみはお預けかぁ……」
「まことに申し訳ねぇです。詫びに変わりの茶ぁなら面倒見させてもらいやすが」
「うーん無理して他のを飲むのもねぇ……」
「しっかし不可解な話でさぁ。言い訳がましいようですが、ほんのついさっきまでぁ無事だったんですがねぇ」

 もしかしたら妖精の仕業かもしれない、と店主は言う。

「湿気や気温でも弄られちゃあ手も足も出せませんで。今後はより一層管理に勤めさせていただきやす」
「ま、しょうがないわね。妖精はホントに懲りないんだから。言っても聞かないから直截解らせるしかないんだけど」
「でやしょうね」
「まさか妖怪の仕業ってわけでもないでしょう? 此処で悪さするヤツなんていないでしょうけど」
「それはありえませんて。此処ぁ賢者様の守護がありますし、時折八雲の式様も来てくれる。んな馬鹿をしでかす連中ぁ此処にゃあいません。それに……」
「ん?」
「妖怪連中ぁみぃんな酒屋の方に持っていかれちまいやすから。茶に見向きするヤツなんざ殆どいねぇです」
「あー、それもそうね。それじゃあ」
「ええ、ご迷惑をお掛けしやした。次にぁきちんと用意させていただきますんで、今後とも御贔屓に――――」









 結局、一番の目的は収穫出来ぬままに店を出たのだが、意気はまるで消沈してしまって張りが無い。
 空模様もそんな霊夢の心境を映しているかのようで、恨めしく曇天をにらめ付けながらも、いよいよ雲行きの怪しくなってきた気候に、もうこのまま帰ろうかと思い至った時だった。

「おおーい巫女様ァ! 買い出しですかい!?」
「あー?」

 威勢のよい胴間声が響き、霊夢を呼び付ける。
 なんてことはない、魚屋の店主が引き付けに呼びかけたのであり、如何にも活きの良さそうな魚をぶら下げて手招きしていた。

「買い出しならウチの魚を買ってってくだせえ! 今日は活きの良いのが揃いやして、味も値段も頗る付きでさぁ!」
「魚はねぇ……保存が利き難いからあまり多くは買えないわよ?」
「そんなら干物はどうですかい? 最近干した良いブツが丁度出来上がってまさぁ! これなら保存も利くし、かずにも肴にも打って付け! 値段も勉強させていたただきやすとも」
「あら? でも試してみないと分からないものじゃない? もちろん」
「分かってますとも! 一匹焼きますんで試しにどうぞ。お気に召したなら隣で買ってってくれれば酒屋の倅も喜ぶでしょうさ」
「全く商売根性逞しいわねぇ」
「よく言われまさぁ」

 で、早速七輪と網を用意して干物を焼く。
 焼き始めた途端じゅうじゅうと脂が滴り落ち、嗅ぐも香ばしい香りが一面に漂う。
 もくもくと立ち上る煙が少し目に染みたが、それも干物の醍醐味である。煙も、天まで昇れば雲と大差あるまい。

 しかし、なるほど。流石は店主が勧めるだけのことはある。ここ暫くで一番の香りだ。
 そろそろ頃合と手渡された箸を握ると、思わず先をカチカチと鳴らす。
 うん、これは買いかもしれない。茶の代わりにこれと酒とで一杯やろうかと思い立ち、いよいよ焼けたそれに箸を伸ばして――――

「いっただきぃ!!」

「な!?」
「は!?」

 突如として火元から現れた少女に、干物を奪われた。
 まさに鳶に油揚げをさらわれるように、二人が箸を伸ばした矢先の奪取。あまりに唐突なものだから、霊夢はしばし呆然とした。

「むきゃーおいしーい! いい匂いに釣られてやってきたけど正解ね! はぐはぐ」

 喉元の熱さも何のその、あっという間にまるごと一匹平らげてしまった少女は、さも満足げに腹太鼓を打つ。
 立ち上る煙の最中でゆらゆらと浮かぶ少女は、そこで初めて気付いたのか二人に顔を合わせ。

「およ、人間だ。ん~さてはさっき食べた干物が狙いだったのかな? むっふっふーん残念でしたー、干物はもうあたいが食べちゃったもんね~」

 べー、と舌を突き出し悪戯そうに笑う。ついでに尻を向けてぺんぺんと挑発。
 そこでようやく霊夢が我に帰り、すぐさま少女の正体を見抜いて霊符を取り出した。

「妖怪!! 全く場違いにも程があるわよ!!」
「なんてこったい……巫女様、頼んまさぁ!」

 最早自分の領分ではないと、店主は早々に引っ込むと、残るは巫女と妖怪の二人のみ。
 幻想郷の賢者たちによって守護されている人里で、こともあろうに人に害を為すとは言語道断。全く持って理に適わぬ所業を前にして、博麗の巫女が動かぬわけはない。
 元より妖怪退治は生業なれば、霊夢は一も二も無く臨戦体勢に入っていた。

 しかし妖怪娘は、その体勢を見せた巫女に何ら臆する風も見せず、それどころか益々冗長してふんぞり返る。
 何故そんなに余裕なのかは到底理解出来ないが、おそらくは相当に“若い”妖怪だろうと霊夢は推測した。

「人間が妖怪に歯向かおうなんて笑っちゃうね! あたいに手も足も出せないくせにさ!」



 ◆悪戯好きな幸せの狼煙――――エンヤ



「見つかっちゃったなら仕方ない。四方八方を煙に巻いて、煙羅の中で彷徨うといいわ!」

 言うや否や、辺り一面を濃密な煙が覆い尽くす。
 一寸先は闇ならぬ、一寸先は白ばかりの煙幕の向こうから、妖怪の嘲りがこだまする。

「むっふっふー、全然見えないでしょ! 全国唯一の煙妖怪たるエンヤ様の実力を見たか! あたいはこの隙に逃げちゃうもんね~」
「はぁ……」

 何かと騒がしい妖怪である。このテンションの高さは、あの氷精に通じるところがあろう。
 ともかく、これがあの妖怪の実力らしい。辺り一面を白一色に染め上げる煙、自称煙の妖怪というが、霊夢にはそんな妖怪の心当たりはない。
 まぁ此処の歴史を取り扱う稗田家の人間や、あるいは古い妖怪ならば心当たりもあるのかもしれないが。別にそんなことはどうでもいいのだ。

 とんと安定しない空模様。結局手に入らなかった茶葉。そして今しがたあの妖怪が奪い取った干物。
 取り敢えず、退治するだけの理由は十分にある。まぁ理由なぞなくとも腹いせにそうするつもりだが。

「ま、この程度じゃあ高が知れてるわね」

 アミュレットを放出。
 もう何度もこれで異変を解決してきたのだ、この程度の雑魚に阻まれる要素は何一つとしてない。
 煙幕の真っ只中へと弾幕を展開する。別に狙いなどは必要無い。
 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。それが上手な鉄砲ならば、外れるなどありはしない。

「そりゃ」
「むきゃっ!?」

 案の定、反応はあった。
 一寸先も見えぬ煙幕の中、霊夢が放った弾幕は的確に煙妖怪に命中したらしい。
 逃げると言った割にはそう遠くも無い場所から、妖怪の悲鳴が聞こえてきた。

「もーう何なのよ!? 手も足も出ないはずなのにぃ!」
「手や足は出なくても、弾幕は十分出し放題よ。ていうか、あんた馬鹿でしょ?」
「馬鹿って言うなー! こうなったらあたいも本気を出さざるを得ないようね……覚悟しなむきゃっ!?」
「ほら、折角の煙幕なのに声でバレバレ。ほらほら」
「むきゃんっ! 痛いっ、いたーい! 何なのよこれー! あんたホントに人間なの!?」
「だから、巫女よ。楽園の素敵な巫女さん。あんたこそホントに妖怪? 妖精の間違いじゃないの?」
「あたいは妖怪だもん! 全国唯一の煙妖怪だもん! っていうかアンタみたいな人間なんて知らないわよー!」
「あ、逃げた」

 逃がさない。最後まできっちり退治するのが巫女の役目。……この場合は私怨の方が勝っているが。
 結局晴れる様子を見せない煙の中を、霊夢は持ち前の感の良さで飛翔する。
 五里霧中とはまさしくこのことだろうか。上下感覚は分かるものの、前後左右が一切不覚の空間を、しかし、霊夢は危なげなく進んでいく。

 一応弾幕は展開しているのだが、もうあの妖怪の声は聞こえない。
 とっとと逃げ去ってしまったか、既に撃墜したのに気付かず通り過ぎたか。この煙の中だから確認は取れないが、まぁおそらくは後者だろう。
 あれは中々に往生際の悪そうなヤツだったなと当たりをつけて、取り敢えずは進んでいく。

 せめて煙が晴れてくれればいいのだが。しかしこれも妖怪の煙、ちょっとやそっとじゃ消えそうにはない。
 と、進みながら思案していると、ぽつりと額を打つ冷たさがあった。

「げ……」

 雨だ。そろそろ降りかねないとは思っていたが、ここで降られるとは。
 どうやら雨脚も強いようで、ぽつぽつと降る雨が次第にざーざーと盛大に降り注いできた。

「あれ、でも煙が段々と晴れてきたわね。ま、どっちにしろ雨に濡れたから不快なんだけど」
「おやおや? こりゃまた水も滴る良い娘さんじゃないかい」
「またなの?」



 ◆天気知らずのお天気娘――――照降 燦



「人間さんがそんなずぶ濡れで大丈夫かい? ほらほらそのままじゃ風邪を引いてしまうよ」
「生憎とタチの悪い妖怪に絡まれたの。あんたはどうなのかしら?」
「おやおや、刺々しいねぇ。そう尖がることも無いさね。ほら」
「およ? 雨が晴れた?」

 おそらくは妖怪だろう少女が何かしらの所作を見せると、霊夢の周囲からは瞬く間に雨が引いた。
 まるで軒下に身を隠したように、何かが自分から雨を遮っているようだ。ふと妖怪の方を見ると、少女はゆったりと微笑んでいた。

 番傘、唐衣、下駄といった井出達の、見慣れない妖怪だ。
 まぁ幻想郷にはそれこそ無数の妖怪が存在するので、霊夢が知っているのもごく一部だが。少なくともその中には心当たりは無い。

 その怪しい妖怪は、長く生きた者特有の古臭い口調で、何とも親しげに話しかけてきた。

「人間さんの弱い身体じゃ冷え込みは毒さね。若いとはいえ無理はいけないよ」
「あんた誰? 見ない妖怪だけど……」
「あたしかい? あたしゃ照降燦って言うんだよ。気軽に燦ちゃんとでも呼んでおくれよ。その方が気安くていいからさ」
「生憎、妖怪退治が本業だから。それよりあんた、煙妖怪の仲間なのかしら?」
「煙妖怪? ……ああもしかしてエンヤのことかい? あの娘が何かしでかしたのかい?」
「知り合いなのね、丁度良かったわ。あいつってば私が食べようとしていた干物を盗ってったのよ。しかも散々馬鹿にしてくれちゃって、本当に腹が立つわ」
「それはそれは、妹分が迷惑を掛けて済まなかったねぇ。あの娘にゃ後でちゃんと折檻しとくから、そういきり立たないでおくれよ」
「だからあんたもついでに退治しようと思って」
「おっと」

 霊夢が放った不意の一撃を、燦は手にした番傘を広げて防いだ。
 その向こうからは燦が感心したようにいなせに口笛を吹き、面白そうに笑いを上げる。

「ふふ、これは面白い人間だ。人間もこんな真似が出来るんだねぇ。何百年振りかに見たけれど、やっぱり人間ってのは凄いものさね」
「何を言ってるのかしんないけど、妖怪が人間を褒めるなんて気味が悪いわね」
「どうやら誤解があるようだ。人間さん、あたしゃ厳密には妖怪じゃないよ」
「というと?」
「あたしゃ付喪さ。随分と長生きしちゃあいるけどね、妖怪じゃあないよ」
「なら余計に退治しないわけにはいかなくなったわね」
「というと?」
「人に悪さしない付喪神なんていやしない!」
「うふふ、上等! 偶にゃあ騒ぐのも悪くない。一つ、此処は“悪さ”してみるとしようかね!」




 先手は燦。
 番傘を広げゆったり回ると、大口を開けて宣言する。

「あたしの手持ちは二枚さね。精々気張るんだよ――――天符!」

 ――ミステリアスウェザーリポート――

 宣言終了。しかし弾幕の展開は無い。
 と、いぶかしんだその矢先に、燦の更なる宣言が続く。
 だが手に符は無い。おそらくは魅せ。しかし必要不可欠な演出か。

「まずは快晴。お天道様は頗る快調! 誰も彼も天を仰ぐのさ」

 その言に則ったように、霊夢の遥か上空に黄金色の光が昇る。
 どんより曇った悪天候の中では、それこそがまさに太陽のような輝きを発し、果ても照らさんとばかりに巨大に。
 とはいえ、所詮は仮初の太陽。刺激が無ければ熱も無い。代わりに打ち出されるのは同じく黄金色の弾幕だ。
 綺麗な円を描く光源から均等に、燦々と照りつける夏の日差しが如く弾幕を放射する。

 温いスペルだ。態々宣言するまでもなく、この程度なら誰でも普通に出せるだろう。
 霊夢は殆ど位置を動かさず、避けるというよりは寧ろグレイズを稼ぎに態々弾幕に接触していた。

 無論、この程度で終わるはずもない。
 暫く偽の太陽が霊夢を照り付けた後、燦は次なる宣言を口にした。

「晴天曇って曇天に。曇天崩れて大雨に! ほらほら気をつけな、傘を差さねば風邪引くよ!」
「心配いらない。私は頗る健康よ」

 太陽が崩れ、あっという間に周囲を鈍色の雲が渦巻く。
 同じく上空に位置した曇り空は、彼女の言葉通りに崩れ行き、海を逆さにしたような豪雨の如き弾幕が霊夢を撃つ。
 だが直截当たることはない。霊夢の頭上で何かしらの力が働き、その豪雨から霊夢を守っているのだ。
 それは霊夢の力ではない。おそらくは燦のスペルの仕様だろう。
 ならば完全無欠に安全かといえばそんなわけも無く、動く燦を追って早く動くと“傘”が霊夢に付いて来れず、結果豪雨の中へと曝け出されてしまう。
 それ故に、遅々たる動きで安全圏を確保しつつ、避ける燦を撃たねばならない。

「随分と優しいスペルね」
「そりゃそうさ! 人間さんをこんな豪雨に晒すなんて本末転倒!だけど油断大敵は怪我の元、どうやら風向きが変わったようだ。春先の風は強いからねぇ、横殴りの雨に気を付けないとずぶ濡れさね!」
「あららほんと。風が強いわね」

 大雨に続いて今度は強風。上から下へと降り注いでいた雨が、その風に追いやられ横殴りに掛かって来た。
 減速せざるを得ない横移動。それとは対称的に、迅速な判断が要求される縦移動が加わり、成程難易度も格段に上がったようだ。
 だが、こと弾幕に於いては歴戦の猛者である霊夢は、事も無げにそれを破った。


 ――――Spell Break


「この程度じゃあまだまだいけるわよ」
「凄い凄い! 流石はお強い人間さんだ! どうやら呆気無く破られたようだね……なら次はこれさ!」

 二枚目のスペル。即ち、最後の切り札。
 一枚目のスペルは今しがた突破したが、その影響はまだ残っている。
 曇り雲は未だ残留し、雨も僅かにしとしとと降り続いている。なら――――きっとこれは伏線だ。

「宣言!! 気符――――」

 ――ストームワーニング――

 宣言終了と同時に、強烈な暴風が吹き荒れた。

「ああなるほど! こういうことね!」
「折角雨が晴れたと思ったのに、突如吹き荒れる暴風でお天道様は機嫌を損ねたようさね! 最早まともに留まってもいられぬ暴風の中、風邪っ引きにならないようにね人間さん!」

 曇り雲はゆっくりと渦を巻き、雨は風に曳かれて勢いを増す。
 風は四方八方から吹き荒び、霊夢を四方八方へと追いやっていく。
 成程、この不安定な位置取りの中、さながら台風雨のように襲い掛かってくる弾幕を凌ぐのは並大抵では不可能だろう。
 唯一の幸いは、台風故に風向きが変わらないということだろうか。それでも身を削るような弾幕の中、避けに徹するのは疲労が募る。

 きっと上空から見れば綺麗な渦を描いているだろう。
 動き出した台風の最中に、今自分は晒されているのだ。
 傘は無い。ここまで強烈な風の中では、傘も役目を果たす間も無く骨が折れてしまう。

「あたしゃ晴れも雨も曇りも雪も好きだけどねぇ、強い風当たりだけは苦手なのさ! 天気でもそうだし世間でもそう! 順風満帆なのが一番さね。要らぬ波風はお呼びじゃない!」
「波風立たせてるのはあんただけど?」
「あたしが今起こしてるのは台風さ。飛ばされないようにしっかり踏ん張りなよ」
「ふぅん、台風なのね。なら、こうすればいいのかな?」
「何を……ってあぁ!?」
「やっぱり! 台風なら“目”があるはずだものね」

 燦が目を剥いた先には、台風の“目”で悠々とグレイズを稼ぐ霊夢の姿があった。
 如何に強力な台風と言えど、その中心は凪の如く安寧。だが、そうとはいえそこに強行するには相当な度胸が必要な筈だ。

 霊夢が目を付けたのは、その規模故に展開の遅い弾幕である。
 もしあのまま端へと居座っていたならば、次第に勢いを増していく台風に圧され被弾していたかもしれない。
 だがその前に台風の安全圏――――つまり“目”に辿り着けたなら、あとはそこから狙えばいい。

「こんな分かり易い安置じゃあ、まだまだよね」
「ふふ……あっはっはっはっは――――お見事!! あたしの負けさね!」





 ――――Spell Break














「いやっはっはっは、お見事お見事! とっても楽しかったよ人間さん! いやぁ世の中にゃあこんな人間もいるんだねぇ」
「感心してるとこ悪いけど、アンタ何かしでかしてないでしょうね? 色々と変なことが起こってるんだけど、もしかしたら異変かもしれないし」
「変なこと……異変かい? それが何か大事だってんなら、おそらく心当たりがある。もしかしたら、あたしとお前さんの目的は一緒なのかもしれないね」
「なんか曖昧ねぇ」
「もし当たってたなら、悪いけどあたしらにゃあ如何することも出来ないかもよ。それだけ、訳のわからない事態なのさ」
「その口振りだとなにか元凶とも見知ってるようだけど……」
「おっと、悪いがそいつはいくら何でも言えないよ。あたしらにゃああの方を裏切るなんて真似は出来ない。少なくとも、直截的にはね……」
「決闘で負けたのに言えないなんて、いい根性じゃない」
「別に情報が欲しいとお前さんが言ったわけじゃないだろう? けどまぁこれじゃああんまりだから、ちょっとだけなら助言してあげるよ」

 燦は、スッと後方を指差すと。

「此処を真っ直ぐ行きな。そこに忘れられた村がある。だぁれも寄り付きゃしない、寂しい村さ」
「村ぁ!? 人里以外にそんなところがあるわけないじゃない!」
「だけどあるのさ、実際に。というか、此処には人里なんてのがあるのかい? 成程、成程……となると益々あたしらには手が負えないねぇ」
「なんだか支離滅裂だわね。当てになんのかしら」
「実を言うとね、あたしらも大騒ぎなのさ。突然の引越し騒動で、しかも行き先不明だってんだから当然だけど。まぁ詳しいことを其処で聞いておくれよ。奥殿ならば、何かしら知っているかもしれないさね」
「うーん、分かったわよ。取り敢えず行けば良いんでしょ、行けば」
「ああ。道中、妹分たちを見かけたら宜しく頼むよ」
「知らないわよ」

 言って、霊夢は飛び去っていく。
 忘れられた村。ここ幻想郷には人里以外に人間の住める環境など無いはずだが、これは一体どういうことなのだろうか。
 ともかく進まねばなるまい。今のやり取りではっきりしたが、これはおそらく異変だ。ならば他の誰かが動く前に、自分が解決せねば。









 ――――――――――――Stage 1 Clear




 少女祈祷中……







[4169] 東方忘我経 幕間2
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:0e683125
Date: 2008/11/02 15:13




 魔法の森に棲む魔法使いと言えば、先ず霧雨魔理沙の名が上がる。
 あまり知られてはいないが『霧雨魔法店』という独自の事業を立ち上げ、何かと騒動を幻想郷中に振り撒いていく彼女の姿は、良くも悪くも遍く人妖に知れ渡っていると言える。
 だが、それとは対称的に、魔法使いとはかくあるべきを体現するかのように人知れず棲む魔法使いも居た。

 ――――七色の魔法使い アリス・マーガトロイド。

 魔法の森の一画に佇む洋館に棲み、日々魔法の修行に努める少女。
 特に人形を繰るのを得意とし、自立して動く『生きた人形』の制作が最終目標とも公言する彼女は、しかし今困惑していた。

 発端は、不意の来客である。
 トントンと戸口を叩く音が聞こえてきたので、おそらくは森に迷い込んだ人間が訪ねて来たのだろうと察したのだ。

 この森には、魔法使い以外にも妖精が棲んでいる。
 中でも『光の三妖精』と称される悪戯好きの妖精たちは、人間を迷わせては危機に陥れる問題児で、その被害に遭った人間が命からがら逃げ込んで来ることも偶にあるのだ。
 そうした人間をアリスは匿ったりしているのだが、その善行とは裏腹に彼女の風評は芳しくない。
 人形を大量に操るのが不気味だとか、要は人ならざるもの特有の得体の知れなさが原因であるのだが、それはさておき。

 また間抜けな人間か、と。
 慣れてはいるものの少々呆れながら客人を迎え入れて――――しばし呆然とした。

 客人ならぬ客妖も稀に訪れることがあるが、今回の客はそれを遥かに上回って珍しい客――――

「人形遣いの住処は此処で合っているのかしら? アリス・マーガトロイド」
「…………夜の支配者がこんな真昼間に何の用かしら? レミリア・スカーレット」


 永遠に紅い幼き月 レミリア・スカーレット――――吸血鬼であった。









 常とは違って伴のメイドを引き連れず、単身日傘を差してやってきた見た目幼い吸血鬼を招き入れる。
 あまり親しい仲では勿論無いが、客だというのならば招き入れねば礼儀に欠く。
 例え相手が幻想郷のパワーバランスの一角を担う大妖といえど、戸口を介せば主と客。レミリアもその辺りの礼儀は弁えているので、特に不平を口にすることなく誘われた。

 取り敢えず人形に命じ、紅茶と菓子を用意させる。
 吸血鬼の好みなど知る筈も無いが、当の本人には特に問題無いようだった。
 暫し茶を愉しみ間を置いたところで、先ずはアリスが切り出した。

「で、どうしたのよ? 貴女が態々出向くなんて、怪しいったらありゃしないわ」
「人形遣いに用があって来たのよ。要は、人形を作ってほしくて」
「人形?」
「そう人形」

 真意を掴めずアリスは眉根を寄せるが、レミリアの表情は涼しいものだ。
 これといって他意も見当たらず、どうせまた何かしらの思い付きだろうと判断して、アリスは溜息を吐いた。

「別にいいわ。で、どんな人形がいいのかしら?」
「魔理沙と霊夢の人形を一つずつ。ちょっと大きめのサイズがいいわ、こーんなくらいの」

 と、ジェスチャーで示す分には子供くらいの大きさである。本人と比べて、一回りほど小さなサイズか。

「…………ああ、なにか魔法の実験にでも使うつもりなら、丁度良いのが奥にあるわよ。…………使用済みだけど」
「って藁人形じゃない!」
「ええそうよ、魔理沙と霊夢……の藁人形。魔法の媒体にはぴったりだわ」
「そうじゃなくて、普通の人形が欲しいのよ。ていうか恨みとかは無いんじゃなかったっけ? 新聞で読んだけど」
「恨みは無いけど因縁ならあるわね。ほんとなら悪霊崩れにも使ってやりたいけど効かなさそうだし。あ、でも恨みとかじゃないからね、これホント」
「何の話をしているのよ……」
「私情の話ね。とまぁ冗談は置いといて、魔理沙と霊夢の人形だったかしら? ……物好きねぇ」
「別に私が欲しいんじゃなくて、妹がよ。新しい人形が欲しいんですって」
「あー、成程ご執心なわけね」
「多感なお年頃なのよ」
「多感過ぎて情緒不安定じゃねぇ……」
「それぐらい溌剌じゃないと、此処ではやっていけないのではなくて? 人間の癖に並の妖怪より化け物じみてるものだから、あの子の興味も尽きないのよ」
「確かに……あの時も暴れてくれたものだしね」

 ともあれ、用件を聞いたのであれば後は実行に移すのみである。
 別段吸血鬼のために自分の業を披露してやる義理など無いが、それでも何かしらの恩を売っておくに越したことはない。
 その貸しを返してもらう時があるのかと言えば、全くそうは思えなかったが。まぁいい、一時の退屈凌ぎだ。

「此処で待ってる? それとも後で届けに行った方が良いのかしら?」
「そんなには掛からないの?」
「いつもと仕様が違うから若干時間は掛かるけど……長くても半日は待たせないわ。夜には出来上がってるでしょうね」
「それなら届けて貰おうかしら。いい加減眠くて、光も鬱陶しいし」
「そう、じゃあ後で。道案内は不要ね」
「当然よ」

 背の羽を一振りして応え、ドアノブに手を掛ける。
 そして外に一歩踏み出るレミリア。アリスはそうして帰ろうとする珍客を流し目に見送り。


「みぎゃあっ!? あ、雨雨雨ー!!」
「……言った先から帰れないわけね」


 雨に打たれ取り乱す吸血鬼を、人間にそうするように匿ったのだった。









「いやはや……これまた妙なところに出てしまったものだな」

 鬼と天狗から逃げ延びたのは良いものの、今度は何やら不穏な空気漂う樹海へと現れてしまった。
 屋敷周りの林中とは違う、陰鬱とした閉塞。見れば辺り一面に奇怪極まる茸が生えていて、それの撒き散らす胞子が視界に漂っている。

 先程の山とは違うが、何かしらの力も感じ取れた。かつては身近だった妖精の気配、又は智慧を得静かに隠れ棲む獣の匂い。
 成程、それらの息吹が相俟って、此処はある種の結界じみた力をも自然と有しているようだった。

 根本的に外の生き物を受け入れぬ魔境。
 となると不意にこの地に足つける事態となった私は、あまり歓迎されざる身か。

 身の危険……とうの昔に忘れ去ったが、あまり長居するべきではないだろう。
 とはいえ、踵を返して行こうにもとんと行くべき道は見定まらず、術の類も碌に使い方が解らない。
 こんなことならもっと妖怪らしく努めておくべきだったと今更嘆くが、もう遅い。
 今の私は、徒の人間のように惑うしかないようだった。

「適当に智慧の回る獣でもいれば良いがなぁ。手懐けて飼ってやるのも良いかもしれんし……」

 とはいえ、そうした者共は私の気配を察して一向に姿を現さぬ。
 昔のように切った張ったで押し通すのも侭ならん。せめて伴回りでも付けておくべきだった。
 燦ならばこんな時にでも役に立っただろうに。それも、今となっては後の祭だが……。

「やはり、鬼から逃げた時に帰れば良かった。まったく、どいつもこいつも消え去った今になって出遭うのが鬼だとは、私もとことんついてない」

 やれやれ、遣る事為す事裏目に出てばかりだ。やはり身の程を越えて振舞うべきではないな。
 忘れられたなら、大人しく眠っていれば良いものを。いつまでも人だの妖怪だのと思い悩むから迷い果てる。
 いつだったか、そのことで閻魔の説教を受けたことがあったな。いやはや、ぐうの音も出ないとはまさにあの事だ。窮屈で窮屈で仕方が無い。

 あいつらは良いな。若いというのは良いことだ。
 浅慮で青臭いが、輝かしい。尤も、それ故に収まりが付かないのだがな。

「家を荒らされては古室の機嫌が悪い。とはいえ、帰ろうにもこれでは……なぁ」

 もとより迷い癖のある私が、このような明らかに惑わさんと生い茂る林中にて無事抜け切ることが出来ようか。
 出来る筈が無い。そうでなければ、今こうして行き詰まる必要も無いだろう。
 せめて話の通じる住民でも居ればとも思うが、あまり当てには出来ないだろう。
 そんな都合良く事が進むなら苦労は無い。思わずを頭を振って面を上げれば――――どうやら世の中は都合良くなっていたようだった。

 見つめる先に居たのは人間だった。
 黒の三角帽子に洋風の衣装、おまけに箒と珍妙な格好はしていたが、どうやら人間のようである。
 流石に妖怪と人間の区別が付かぬ程老いてはいない。おそらくはこの森の住民だろうか、そうでなくとも詳しい人間に違いないと当たりをつけ、少し助力を乞うことにした。

「もし、そこな娘。少しばかり良いかな?」
「うぉわっ!? って何だぁ、人間……じゃなくて妖怪か? 生憎だが私は食べても美味しいが食べられる気は無いぜ」
「おや、珍しい。人間と妖怪の区別が付く人間が居たなんて、少し意外だった」
「区別が付かないって、そりゃどんな大間抜けだよ。なんだよ、やろうってのか?」
「やる? あぁ待て待て、そういきり立つな。別段取って喰おうって訳じゃない。人の襲い方なんて、もうとっくの昔に忘れたよ。道を尋ねたいだけだ、他意は無い」
「なんだ、迷子か。そうだってんなら早く言えよ。いつものノリで吹き飛ばすところだったぜ」
「それはおっかないな」

 中々に剛胆な娘のようだった。
 何やらを放たんとする構えを解き、衣服を払い立ち上がる。
 背中越しには見えなかったが、片手には茸を幾つか握っていた。どうやら茸狩りをしていたようだ。

「見たことの無い茸だな。見るからに毒気が多そうだが……食うのか?」
「まあな。この魔理沙さんの手に掛かれば朝飯前だ。これは見た目はヤバイが食べれば美味い。生でもいけるぜ、ホラ」
「ふむ……」

 試しに、ということだろう。差し出された茸の土を払い、一口齧ってみる。
 茸を生のまま食うなど普通はしないが……ふむ、娘の言うとおり中々の美味だ……が。

「…………」
「どうした?」
「……舌先が痺れる」
「そりゃそうだ、毒キノコだからな。美味いからって食べ過ぎればあの世行きだ。でもまぁ、妖怪なら大丈夫だろ。人間でも一口くらいなら下痢程度で済むし」
「割と思い切った真似をしてくれるな、まぁ構わんが。…………ところで、道案内は頼めるのかな?」

 変な具合にはぐらかされてしまうところだったが、当初の目的の方を伝える。
 言からしてこの辺りの地理には詳しそうだったので、是非案内にと思ったのだが……しかし娘の表情は芳しくない。

「所用でもあるのか?」
「ん? あぁまあな。ちょいと腐れ縁のトコに行くつもりだったんだが、抜け道とは逆方向だしなぁ」
「ふむ、そうか……なら仕方ないか」
「あぁ待て。そうだ、アンタも一緒に来ればいい。アイツは此処で迷った連中なんかを匿ってるから、後で道案内でもしてくれるだろうさ。そうだ、それがいい」
「そうなのか? では、甘えさせて貰おうか」
「オーケー。それじゃあ飛ばすぜ」

 言って、箒に横乗りになる娘。
 途端その身がふわりと浮かび、見る見る内に上空へと飛び立って行く。

「アンタも早く来いよ。逸れちまっても知らないぞ?」
「まさか……飛んで行くのか?」
「当たり前だろ? こっちの方が手っ取り早いに決まってる。アンタまさか、飛べないってわけじゃないよな?」
「む、小娘にそう言われるほど落魄れてはおらん。少し待て……よっと」

 飛ぶ、と言うよりは見えぬ階を昇るように足を踏み出す。
 飛翔の術なぞここ百年程使っておらなんだから、今一要領が掴めず上手く出来ん。
 それ故、少々格好がつかないが、この脚で渡るとしようか。

「なんだそりゃ? 変な飛び方だなぁ」
「宙渡りの術と言う。私としては、徒の人間が自在に空を舞うことに驚いたぞ」
「生憎だが魔理沙さんは徒の人間じゃないぜ。普通の魔法使いさんだ」
「なんと、魔法使いか! ほうほう、仙人でもないのに飛べると思ったら、これは驚いた」
「別に魔法使いじゃなくても飛ぶけどな。アンタ相当に鈍いんだな」
「よく言われる」

 そうして戯れ口を交えつつ、娘は思ったよりもずっと速く翔けていく。
 その後に続こうとすると、こちらも余程に力まねば追い付けぬので、自然歩みは速くなる。

 やれやれ、この歳になってこうも動くのは骨が折れる。
 人間の青臭さに触れると、やはり余計に老いを感じてしまうようだった。

「ちんたらしてると置いてくぜ!」
「無茶を言うな。少しは老体を労ってくれ」
「ははは――――!!」

 結局、娘は加減もしてくれず、私はやっとこ追い駆ける羽目となった。
 最近の若者はこうも活発なのか。やはり時代が違えば人も違う……これも若さか。だがまぁ、悪い気はせん。









 …………これは後になって気付いたのだが。空を飛べたのなら、そのまま森を抜けてしまえば良かったように思う。

 やれやれ。







[4169] 東方忘我経 Stage2
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:0e683125
Date: 2008/11/10 08:35




 雨は晴れた。だが、異変解決の兆しは未だ曇り空の向こう側。
 泣き崩れていた大空も、おそらくはほんの一時機嫌を取り戻しただけで、何時また癇癪を起こすかは知れたものではない。
 草木妖花は咲き狂い、朝昼夜も支離滅裂。こんなにも節操の無い一日は初めてだ。

 思い当たる節はある。けれど確信無くしては突き止められぬ。
 構わない。それならいつもの通りに行動して、いつもの通りに解決する。

 古今東西、日常を蝕む異変が起きた時は如何にするか?
 それは勿論、“妖怪退治”に決まっている。




 そのためにも楽園の巫女は。
 先程退治た妖怪の言う方向へと、取り敢えず進むのであった。









 東方忘我経 Stage2 ~操り人形のアリア marionette drama~









「妖怪の言うとおり来ちゃったけれど、これで良いのかしらねぇ」

 過ぎ行く景色は人無き道。
 人足未踏の獣道は僅かな筋を一つ残すだけで、おまけに周囲には妖精や妖獣の気配も感じられ、外部の侵入を拒むように警戒しつつも静寂を保っている。

 だが霊夢が訝しむ理由はそこではない。
 寧ろその静寂こそが疑わしく、本来ならば異変に乗じて活発になる妖精が全く行動を起こそうとせず、寧ろ逃げるように姿を隠してしまうのは明らかな不穏である。
 その分道中は楽だが、目立った妖怪すらも姿を現さぬようでは、妖怪退治の本分も全う出来るとは言い難く、霊夢は少しばかり不満だった。

「この辺りはあまり来た事も無いのよねぇ。まぁ大体の方向は何となく分かるから良いんだけど、目的地って一体何処なのやら」

 あの古傘携えた妖怪の言う『忘れられた村』。

 この小さく狭い幻想郷で、尚も数多く存在する妖怪共と勢力を二分する人間が住まう人里以外に存在するという、今の今まで見たことも聞いたことも無い人跡。
 村と言うからには人の手によるものだろうとは当たりが付く。だが、それほどの場所が今日に至るまで一切外部に曝け出されなかったのは如何なる事態か。

 だが、そこまで考えて霊夢はある一つの記憶に思い当たる。
 今の今まで、古くから存在しながらも姿を見せなかった場所と言えば、あの迷いの竹林に存在する古屋敷こそがそうではなかったかと。
 
 月から降りてきたという異邦の民が、永遠の魔法を用いて同郷の者から隠れ果せていた秘境の庵。
 その住人らが引き起こした異変と比べれば、この程度の騒動など茶番にも等しい。
 だが、そうして完結させるには余りにも不可解だ。

 何故、幻想郷を最も愛して已まないというかの妖怪が姿を現さない?
 かの春雪の異変以後、事在る毎に異変解決を共にし、その悉くを打ち破ってきたあのスキマ妖怪が、どうしてこの異変に限って顔を見せないのだ?

 他の腐れ縁にしてもそうだ。
 いつもなら異変と聞けば自分を差し置き解決に向かおうとする彼女らが、この日に限って行動を起こさない。
 否、それどころか異変に気付く様子も見せない。直接問い質しに行った訳ではないが、普段の彼女らならば必ず道中で出会う筈だ。

 これではまるで、私だけが手の平の上で踊らされているようではないか。
 別段、そのことに対する不満はあれど異議は無いが、あまり気持ちの良いものではない。
 だが、こうも不安定な状況の中解決に向かわねばならない身の上ながらも、霊夢の心境はあまり揺らいではいなかった。

「ま、適当に関わってそうな妖怪にでも聞けば分かるでしょ。やることはいつも変わんないわ」
「あわわ……なんとも物騒な考えの人間を発見しました! これは突撃するっきゃないでしょう、というわけで突然ですがインタビューです!!」
「まーた変なのが……」



 ◆妖怪ニュースキャスター――――テレサ



「どもども御日柄も悪くこんにちは! 実はわたくし、人間にお目にかかるのは今回が初めてでして、少しばかりインタビューさせていただきます! あ、わたしから質問しますのでそれに答えていただければ結構ですよー。うふふ、プライバシーの保護ならご心配なく! 名前と顔はオフレコですのでじゃんじゃん気兼ねなく元気に答えてくださいねー」
「天狗の仲間か何か? 悪いけどマスコミに付き合ってる暇なんて無いわ」
「ダメダメ! これは任意じゃなくて強制ですので、そういう都合はNGでーす! 今や情報は迅速且つ確実に、大勢の前には少数意見など無いも同然なのですよー」

 現れるなり慇懃無礼にそう言ってのけた妖怪は、終始躁病に罹ったかのようなハイテンション。
 斬新的と言えば聞こえは良いが、その実奇天烈なだけの派手な衣装。人里では見たこともない意匠のアクセサリーに、以前香霖堂で見たことのある外の世界の道具……確かマイクと言ったか、それを携えた奇妙な井出達。
 ズズイとマイクを突きつけ返答を促すものの、それに答える義理は勿論無い。

「勿忘荘の急な引越し、勿論住人たちは大慌て! ついでに主人も居なくなったもんだからさぁ大変! かくいうわたしも上の命令で探し回ってたのですが……ぶっちゃけつまんないのでサボタージュです! 何せわたしは報道記者、情報こそがわたしの命ですので、そんなこんなで現れた絶好のカモを逃すわけにはいかないのですよー」
「そういう人材ならもう間に合ってるわ。それにどうやらアンタもさっきの妖怪の関係者らしいようね。丁度話を聞こうと思っていたところよ、都合が良いわ」
「む~んキテます、キテますよアナタの電波! とても物騒な波長です、これはインタビューって場合じゃないですね。突然ですが番組を急遽変更して弾幕ドキュメンタリーをお送りします! チャンネルはそのまま! 多少の怪我は覚悟してくださいね、にゃはは~」




 決闘開始のゴングは無い。両者共に弾幕を展開し、それを皮切りに攻防を開始する。

 霊夢は最早慣れたものだ。生来の霊力を宿したアミュレットは寸分違わずテレサに命中し、ダメージを蓄積させていく。
 だがテレサも負けじと反撃、弾幕を展開。その様相は破天荒な見た目に反して、何らかの法則に則った美しいもの。
 
 幾何学的な配列を描いて打ち出されるテレサの弾幕は、成程中々の実力だが、しかしまだ温い。
 霊夢の直感と経験に裏打ちされた勘の前には、なんら脅威とは成り得なかった。

「にゃははは~良いです、良いですよその弾幕! とても良い絵です! これは一見どころか百見の価値アリ、視聴率も鰻上り間違い無しです! にゃははは!」
「ほんと何なのかしらね今日は! まったく厄日以外の何物でもない」

 やり切れないように嘆息すると、テレサは益々熱狂する。
 募る心労に霊夢の意気が下がれば下がるほど、反比例して妖怪は活動的になっていくのだ。これを厄介と思わずしてなんとする。

「お、良いですねぇその表情! ほらほらこっちを向いてくださーい、そうそこ……ハイOK、バッチリ記録しましたー!」
「ああもう! 鴉天狗よりタチが悪いわ!」
「ついでにスペカ発動! 受信――――」

 ――インテリジェンスアンテナ――

 テレサの動きが止まる。
 その位置を中心にして弾幕が展開。円周に並んだ弾幕が霊夢に迫るが、その隙間を縫って円の内部へと回避する。

 それで終わりか? いいやそんな筈は無い。
 そんな刹那の空白を察したように大気が変動、大玉が過ぎ去って行った霊夢の背後から、急速に切迫する気配があった。

「にゃはは~♪ 只今受信中です。只今受信中です――――にゃは、にゃはははは! 面白おかしい情報が一杯なのですよ! これは今までにない特ネタです、大スクープです! わたしのアンテナもビンビンです~」

 そう高らかに笑顔を振り撒くテレサは、理路整然と配列された弾幕群を飲み込んでいく。
 雨が上から下へと降るように、円周から中心へと。
 大小入り混じる情報の波を振り返ることなく、やはり直感と気配のみで避ける霊夢の勘は如何程のものか。流石と言う他に無い。

 双方共に焦りなどなく、霊夢のことなど全く気にしてもいないように際限無く弾幕を飲み込んでいくテレサと、その猛攻を掻い潜りつつ反撃を繰り返す霊夢の応酬は、一見して千日手の様相を呈す。
 だがそれも長くは続かず、最後の大玉を霊夢が避け切った時点で波が止まった。


 ――――Spell Break


「にゃはははは! もうお腹一杯なのですよ~。久し振りの御馳走です、もっともっと堪能しなくては」
「一体何なのよ」
「アナタの電波も人間にしては中々良かったのですよ。なんというかコクもクセも等閑な、馴染み易い感じです。にゃはは、後日改めて映像をお送りしますので、その時もよろしくお願いしまーす!」
「で、決闘に勝ったんだから当然勝者の言うことを聞くわよね?」
「そんな約束なんて一度も交わしてないのですよ。先に手を出したのはそちらですしー、わたしは正当防衛ってことでお願いしまーす」
「それじゃ私の骨折り損じゃない」
「にゃはは、今や言わぬ聞かぬは無いも同然の世の中なのです。にゃは、でもでもこの先に行くのなら、注意してくださいねと一応言っておきます」

 マイク片手にくるくると踊りながらテレサが言う。

「お友達は今リハの真っ最中で忙しいのですよ。なのであんまり邪魔してあげないでくださいねー、怒るとちょっと怖いかもですから」
「妖怪の言うことなんて聞けるわけないでしょ?」
「とか言ってー、言うこと聞いたから此処に来たんですよね?」
「うぐぐ……」
「にゃははは! アナタの電波は最早わたしに筒抜けなのですよ。現在進行形で傍受しまくりなのですー」
「こら待て!」
「にゃはは、さようなら~」

 言うや否やとっとと逃げていった。
 どうしてこうも妖怪は自分勝手なのか……同じことを妖怪も人間に対し言っていたが。

 無駄な時間を過ごしてしまった。
 逃げてしまったが、取り敢えずは退治たので捨て置いていいだろう。
 
 手当たり次第に払っておけば、取り敢えずの平穏は保たれるとの浅慮である。
 花の異変の時にはそれで閻魔の説教を受けたのだが、霊夢は全く懲りていなかった。

「そろそろ村ってのが見えてもいいと思うんだけど……ん?」

 遠くから歌が聞こえる。
 具体的に何と言っているのかまでは聞き取れなかったが、高く澄んだその歌声は進むほどに明瞭になっていく。


 ――――死と絶望がわが身を焼き尽くす!
 

 はて夜雀の仕業かと思いきや、今は昼だ。
 いくら悪天候だからといって、夜の闇ほどには暗くない。
 そして夜でないのなら夜雀の歌を聞いたとてなんの脅威でもない。鳥目にさえさせられなければ、所詮徒の鳥である。


 ――――お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば、


 何が出ようと、退治することに変わりは無い。
 臆することなく進み、その元凶へと行き当たった。


「なんだか怪しいヤツを見つけたわ」
「そう、お前はもはや私の――――――――? 何事デスか?」



 ◆喝采無き独り舞台――――イデア・パフォーマー



「アンタもこの先にあるって言う村から来たんでしょう? それならさっさと知ってること全て吐いてもらうわ」
「? イマイチ状況を飲み込めないのデスが……オーディエンスではナイのデスか?」
「そんなわけないでしょう」
「そうなのデスか……それは残念デス。やっと、人間がワタシの劇を見に来てくれたと思ったのに……」

 そう言って落ち込む仕草とは裏腹に無表情。
 いや、何とか喜怒哀楽を表そうとしているのだろうが、それは生き物が見せる柔らかな動きではない。どこか作り物めいた、無機質なもの。

 それもその筈、その妖怪は人形だった。
 人形の妖怪と判断して、真っ先に無名の丘の毒人形が脳裏に浮かんだが、それとはまた別物の造形。
 その造りこそ一見すれば人間と見間違う程に精巧だが、球体状の間接や動きに伴う乾いた音が、彼女が作り物であることを示していた。

 だが、そんなことは関係無い。
 兎にも角にも真偽を問い質すのが先である。打ちひしがれる人形を睨み付けて霊夢は問うた。

「で、どうなのかしら? 言うならさっさと言う、言わないならこのままぶちのめすだけよ」
「エ、あ、あぁ……そうデスね。申し訳ありませン。少々取り乱してしまいましタ。この先にある村ならば、確かに心当たりはありマス。ワタシも、そこから所用で来ましたので……」
「その用ってなんなのよ?」
「ワタシがお世話になっている家の方から、主人を探すようにと。そのため、こうして彷徨っておりましたガ……」
「多分そいつね、元凶は。で、アンタも行き先は知らないって言うのかしら」
「お恥ずかしい限りデス。これでは、奥様に申し訳が立ちませン」

 大仰に首を振るイデア。
 その所作の一つ一つが演劇めいていて、だからこそ余計に人形じみて見える。

「ま、いいわ。結局やることは変わらないようだし、それじゃあ……」
「アァ、待ってください。一つだけ、尋ねても良いでしょうカ?」
「あん?」
「人間と話す機会など滅多に無いのデ……」
「で、何よ」
「…………人間になる方法を、知りたいのデス」
「はぁ?」

 突然何を、と流石の霊夢も目を丸くする。
 人間になりたいと言い放った人形は、一転して饒舌に語りだした。

「ワタシたち人形は、道具として人間に生み出されマシタ。ですがワタシは、道具の領分を越えて“生きて”いる……語弊があるかもしれませんが、そうと自覚するだけの意思は持ち合わせてしまいマシタ。
 デスがワタシは、所詮人形デス。人形は人間無くして動けない。意味を持たない。なのにワタシは、こうして生きている。正直、どうすれば良いのか行き詰まっているのデスよ。
 どうすれば人形でも生きていけるのか……そんなコトをずっと考えてばかりいたら、フと思ったのです――――人間になりたい、と」
「どうしてそういう結論になるのよ……」
「そしてワタシは、マズ人間と人形のチガイを突き止めようとシマシタ。考えて考えて……考えた結果、ある一つの仮定に行き着きました――――文明にこそ、その答えがあるのではないか?
 ワタシたち人形は、自らは動きません。ただ使われるだけデス。しかし人間は、自ら思考し、答えを見出し、行動する。そうした試行錯誤の積み重ねが、今の人間の文明を築き上げたのは明らかな事実。
 ……人形がナゼ、人の形をしているかはご存知デスか?」
「そりゃあ、人間に似せて作られたからでしょ?」
「エクセレント! 正しくその通りデス。そう、ワタシたち人形は、人間を模して作られた。ならば当然、人間に出来ることが人形に出来ない筈が無い! 人間のすることを全て出来るようになれば、それは即ち人間になったも同然と、ワタシは考えマス。
 その一環として、人間の文化を極めるべくワタシは主に一般に“芸術”と称される諸芸能へと傾倒しているのデスが……そこでまた新たな問題点が浮上しました」
「まだ続くの?」
「ワタシが幾ら芸能を極めていっても、人間は次々に新たな文化を創造していく。それを極めたと思ったら、またも新しいモノが創られていく……ワタシは人間の後塵を拝すばかり。
 ワタシは羨ましい……人間が当然のように持ち得る創造性と想像性が。なんの苦労もなくインスピレーションをイマジネーションを併せ持ち、当然の様に創っていく様が。
 どうすればワタシは、その二つを……乃至は無限の可能性を秘めた“ココロ”というものを手に入れられるのか。それさえ手に入れれば、きっとワタシも人間になれるはず!
 どうか、教えてホシイ…………ココロは、どこで見つかるデショウか?」
「あ、やっと終わり? 話が長いわよホント」
「…………答えては頂けないのデスか?」
「だって、そんなの知ったこっちゃないもの」
「そう、デスか…………残念デス」
「もういいわね?」




 暗黙の了解を得たが如く、双方共に決闘態勢へ。
 互いに様子見程度の弾幕を張り、最も美しく華麗な攻防を開始する。

「せめてワタシは、この決闘でインスピレーションを得たい! そのためには、一切躊躇いませン!! ――――魔弾」

 ――セヴンススパイト――

「――――七発中六発は至高の弾丸、望む場所へと必ず当たる。されど七発目には気を配れ、魔王の悪意が宿っているぞ!」
「魔法の呪文かしら?」
「いいえ、悪魔の甘言デス」

 七つの悪意ならぬ七つ目の悪意。
 牽制程度に展開される弾幕の向こうから、イデアが指で銃の形を取る。

 そして引き金を引く動作。
 するとその意義に則った弾丸の如き弾幕が、一条の軌跡を残しながら迫り来た。

(追ってくる? しかも早い――――)

 立て続けに発射された七つの弾幕は、異様な追尾性を以って霊夢を狙う。
 だが、その手のものは今までに何度も経験した。定石とは言い難いが、それでも対策は既に霊夢の身へと染み付いている。

 ギリギリまで引き寄せ、紙一重で避ける。
 思った通り、狙いから外れた弾は、そのまま明後日の方向へと去って行った。

 一、二、三、と避けて行き。四、五、六と切り替え躱して行く。
 残るは七つ目。人形が忠告した悪意の弾丸は、しかし六発目までと同様に霊夢の脇を通り過ぎていく。


 ――――そこでイデアが薄く笑った。


「反転!?」
「言った筈デス、七発目は魔王のモノだと」

 背後で勢いはそのままに反転した弾丸を、霊夢は間一髪で避け切って見せる。
 するとイデアは心底驚いたように目を丸くし、喝采の拍手を送った。

「エクセレント! 素晴らしい演出デス。魔王の悪意から逃れるとは!」
「なんでそんな大げさなのよ。聞いてるこっちが恥ずかしいわ」


 ――――Spell Break


「それでは幕間に即興などは如何デショウ? それはそれは愉快デスよ――――喜劇」

 ――コメディア・デラルテ――

「好色爺のパンタローネ。臆病者のカピターノ。無駄知識のドットーレに恋に悩めるインナモラーティ! 守銭奴も女召使も勿論登場、誰も彼もが高笑い!」

 それぞれが名乗りを上げるように大玉が舞台に登場し、即興の如く縦横無尽に駆け回る。
 法則なんてあったものじゃない、その名の通り即興喜劇。誇張にアクロバットが辺りに舞うも、しかし霊夢を笑わせるには至らない。

 だが、それら極彩色が織り成す舞台上に、霊夢も思わず感嘆の音を漏らした。

「この派手さなら紫にも匹敵しそうね」
「まだまだこれからデスとも。遂に現れたるは我らが真打ち、自由道化師アルレッキーノ! アァ誰も彼もが無残にたこ殴り、スラップスティックの餌食デス!」
「うわ、こっちにも来た!」

 極彩色の中にあっても、一際異彩を放つまだら模様が、他の弾幕を砕き散らかしていく。
 登場人物を悉く打ち据えるまだらの道化は、観客の霊夢をも打ち据えようとし――――

「甘いってのよ」
「残念。これでも少々物足りなかったようデス」

 やはりというか、お約束のように霊夢が避けた。


 ――――Spell Break


「それではいよいよ以って最後の見せ場、夜の女王の怒りで御座いマス! 皆様、どうか飲まれぬよう御静聴願いマス――――魔笛」

 ――夜の女王のアリア――

「地獄の復讐がわが心に煮え繰りかえる

 死と絶望がわが身を焼き尽くす!

 お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば

 そう、お前はもはや私の娘ではない――――!!」

「さっきの歌はこれだったのね!」

 聴く者皆を魅了するコロラトゥーラ。
 至高のソプラノが織り成す旋律は、さながら炎のように苛烈を極め、その熱に弾幕が発狂する。

 その歌声とは裏腹に、只々猛烈な怒りに駆られるばかりの情動が霊夢を襲い、取り囲む。

「勘当されるのだ、永遠に

 永遠に捨てられ

 永遠に忘れ去られる

 血肉を分けたすべての絆が――――」

「ああもう! 疲れるだけじゃないこんな弾幕!」

「もしも、もしもザラストロが蒼白にならないなら――――」


 終幕は近い、そして――――


「――――聞け、復讐の神々よ、母の呪いを聞け!!」
「これで……終わりよ!」


 最後の一撃。
 紙一重に切迫する弾幕の隙間から放たれた霊夢の止めが、イデアの独唱に終止符を打った。









 ――――Spell Break

















「素晴らしい……衝撃的なまでの感動……。コレが、人間デスか……」
「なんで感動してるのか知らないけど、もうこれでいいわよね? すんごい無駄な遠回りをさせられた気がするけど」
「ワタシ、今猛烈に感動しています……これほどの衝撃を受けたのは、実に初めてデス」
「あっそう、それじゃあもう行くわよ」
「そうデスか。とても名残惜しいデスが、お別れデス。願わくばまた、アナタと相見えることをココロから願っておりマス」
「知ったことじゃないわ」









 ――――――――――――Stage 2 Clear




 少女祈祷中……







[4169] 東方忘我経 幕間3
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/02/12 04:13





「よっす。来てやったぜ~」
「開口一番にそれ? 全く礼儀がなってないわね」

 呆れたように物言いながらも、当然のように迎え入れる辺りに両者の親交の深さが見て取れた。
 さしずめ気の合わない腐れ縁、といったところか。可愛らしい人形を侍らせた異国風の娘は、中々の器量のようだ。
 チラリと視線を流して私の存在に気付いたようで、何者であるかを質すように表情を変えた。まぁ至極当然の対応だが、状況を見るに彼女が魔理沙の言った『助けになってくれる』人物なのだろう。礼を欠いてはあまりに無粋、軽く自己紹介をして一礼した。

「失礼した。私は無明寺八重という。見知らぬ森で迷っていたところをこの娘に助けられてな、森の案内を頼めると聞いて連れてもらった」
「私はアリス・マーガトロイドよ。しがない魔法使い。少し待っててもらえるかしら? 用事が済んだら森の出口まで案内するわ」
「かたじけない。恩に着る」
「別にいいわよ、珍しいことではないし。……まぁ、妖怪が迷ってしまうなんてのは珍しいけど」
「いやはや、耳に痛いな」

 好意的ではないが、排他的でもないようだった。やはり一目見た印象通り、何事にも冷静な人格であるようだ。まぁ私が感じた印象なんて大して重要でもないし当てにもならないのだが。
 そして……どうやら先客もいた。背に翼を生やした異国風の娘、こちらは誰が見ても明瞭、妖怪か、或いはそれに属する何かであるようだ。おそらくは人間に畏怖されてしかるべき者だろう。どことなく漂う気風からして分かる。しかしそうした一種の壁すらも意に介さずに親しげな態度を見せる魔理沙もまた、肝が据わっているというべきか。中々私にとって好ましい娘である。

「お、レミリアも来てたのか。珍しいな、どうしたんだ?」
「人形遣いへの用と言えば、人形制作の依頼以外に何があって?」
「胡散臭い人形劇の依頼とかか? それで酒が出るなら私も誘えよな」
「そんなわけないじゃない。大体貴方達なら、呼ばれなくても勝手に来るでしょうに」
「酒があるのに飲まないなんて、そりゃ酒への冒涜だぜ」
「どうして酒の話になるのかしら、いつものことだけど。…………で、お連れの御仁は何者かしら?」
「挨拶が遅れて申し訳無い。無明寺八重という」
「私はレミリア・スカーレット、吸血鬼よ。それにしても……ふぅん」
「どうかしたかな?」
「いいえ別に、ただ変なヤツって」
「随分な言い草だが、間違ってはいないから痛いな」

 初対面にしていきなりの変人呼ばわりとは、こちらもまた別の意味で器量のある御仁のようだ。
 ま、変人呼ばわりは今に始まったことではないが。ウチの連中からは粗方言われてきた気がするし、その所為で妙な渾名がついたりもしたが。
 まったく、第一印象というものが如何に大事かが分かるというものだ。長年連れ添ってきた連中でさえそうなのだから、付き合いの浅い者からそう言われてしまうのも仕方が無いことだろう。

 それにしてもこの娘、吸血鬼といったか。ふむ、一昔前に一度会ったことがあるが、まさか日ノ本にも暮らしていたとは。いや、もしかしたら私の方が迷い込んだのかもな。見知らぬ異国で言葉も通じぬというためしは、今まで何度かあったのだし。お陰で見聞が広まることもあったが、余計な騒動に巻き込まれことの方が多いのでは本末転倒だな。ま、それもまた生きるということの粋なんだろうが。

 ともあれ、レミリア嬢からは特に言うことも無いようだったので、席を共にさせてもらった。可愛らしい人形が淹れてくれる茶も香り高く、茶請けもまた絶品とあっては寛がずにはいられぬだろう。いやはや善き哉善き哉。

「ここの人形は皆主人が造ったのか? 素晴らしい出来だ」
「そうかぁ? 私にはどれも同じにしか見えないぜ。普段の扱いも雑だしな、爆発させたりとか」
「その使い方は大いに間違っていると言わざるを得んな」
「私もそう思うわ。流石に人形の爆発が芸術だとは思えないもの」
「あら、随分な言い草ね。いいじゃない、効果は覿面なんだから」
「毒人形辺りが聞けば暴れかねないセリフだな、そりゃ」
「あの子にも興味はあるんだけどねぇ、私の求める人形からは程遠いというか、方向性が違うような気がするし」
「求める人形?」
「自分でモノを考えて動く人形よ。それの創造が私の目標。ま、全然先は見えないんだけどね」
「ほほう、それはそれは。付喪とはまた違うのか? 似たようなのならウチにも一人居るが」
「付喪?」
「想念を宿して独立した道具のことだ。道具の妖怪と言えば、分かり易いか?」
「あー、そういやウチにもいくつかあったなぁ。即供養してもらったが。ほっとくと碌なことしないからなぁ」
「それは私の求めるものとは違うわね。妖怪じゃなくて、あくまでも人形としての追求だから」
「成程、つまりロボットか。そりゃまた夢のある話だ」
「ロボット?」
「うむ。人間の科学技術が生み出した叡智だとも。確かそれを描いた漫画が……あった」

 適当に懐を探り取り出したるは故藤子・F・不二雄が名作『ドラ○もん』。
 隠遁するにあたって集めた娯楽品の一つだが、今なお愛用している一冊だ。娯楽といえば経典か絵巻草子の類しかなかった昔とは違い、今やこうしたものが一分野として認知されるに至るのだから、時代の変遷というものは素晴らしい。いや人間ならぬ妖怪までもが楽しめる娯楽品というのは酒しかなかったものだから、漫画は最早手放せぬ逸品に間違いないだろう。

 同席する面々もどうやら興味があるようで、皆して顔を寄せ合いながら読み進んでいる。
 いやなんとも心嬉しいものがあるのは気のせいだろうか。全くウチの連中ときたら、こういったものには見向きもしないからつまらん。精々がテレサくらいか。思えばあれが居なければ私は今頃退屈に塗れて死んでいてもおかしくはないな。流石3Cが一柱、生活の一端を担う電化の権化は訳が違う。帰ったら適当に漫才でも見せてもらうとしようか。

「……どうだった?」
「どうって……」
「言われてもなぁ……?」
「何この青狸。滅茶苦茶にも程があるわ」
「やはりそうか」
「でも中々面白かったぜ。コイツの腹のポケットなんかあいつのスキマみたいだし」
「私の美的感覚には凄まじく合わないけどね。フランなら喜びそうだけど」
「少なくとも私の求める人形ではないのは確かね」
「ま、それはそうだろうな。私も流石に無茶だと今更思ったよ」
「はぁ、こんな様じゃあ夢の実現はそれこそ夢のまた夢ね」
「なぁに、それだけ夢を信じているならいずれ実ろう。魔法使いだろう?」
「そうね、魔法使いだものね。無いからこそ創るのだし、こんなとこで立ち止まってるようじゃダメね。精進が足りないわ」
「うむ、それでこそ若人よ。いや天晴れ」

 いやはや、若さは何にも替え難い至高の宝よ。陰ながらではあるが、私もアリスの夢の実現を応援させてもらうことにしよう。最近はめっきり“努力”というものをしなくなったものだしな、そうした眩さは中々好ましい。

「ところでアリス、人形の方はもう出来たのかしら?」
「あとは仕上げだけね。だけどちょっと休憩、甘いものが食べたかったし」
「洋菓子も良いが和菓子もあるぞ。饅頭でも食うか?」
「頂くわ」
「私も貰うぜ。緑茶は無いのか?」
「ほれ。今淹れよう」
「おお、サンキュー。ってどこから出したんだ?」
「ん? ああ……忘れた、まぁ気にするな」
「やっぱり変なヤツ。……私も頂くわ」
「たんと召し上がれ。特にお前さんは成長が足りていないようだからな、栄養を取ると良い」
「……ぶっ飛ばしてやろうかしら、コイツ」
「お前割と命知らずだな……コイツ相手によく言うぜ。ホントのことだけど」
「確かに。無謀とも言えるわね……本当のことだけれど」
「貴方達も同じようにぶっ飛ばされたいのね。最近は付き合いも多かったのに、残念だわ」
「はっはっは、そう怒るな。もっと器量を大きく持たねばな、貴族だろう?」
「むぐっ」
「こんな辺境に流れてきた落魄れお子様貴族だけどな」
「やっぱりぶっ飛ばしちゃってもいいわよね? ね? なんなら今日のメインディッシュにしてやるわ」
「そういうところが子供なんじゃない?」
「ほらほら、貴族様に貢物の饅頭だぜ」
「うー……」

 やはり三人ともなんだかんだで仲がよろしいようで。傍から見る分には実に微笑ましい。
 しかし、その……なんだ。吸血鬼と魔法使いは、こんなにも幼い娘だったか。私の知る吸血鬼と言えば、大抵は人間の大人と大差無い背格好だったし、魔女や魔法使いなんてものは老体しか記憶にないのだが。まぁ土地が変われば風俗も変わる、私如き余所者があれこれ疑うものでもないのだろうが。子供と接したことなど殆ど無いだけに、少々戸惑いを感じているのだな。

 と、暫く談笑して口元が寂しくなった。
 この場で呑んでいいものかどうか悩んだが、あまり我慢をしても後味が悪い。先に断って席を立つ。

「どうかしたの?」
「少し煙草を」
「外でお願いね。此処じゃあ人形に臭いが染み付いちゃうから」
「ああでも外はもう土砂降りだぜ」
「気付いたらもう夜だしね。随分長いこと居たようね」
「んん? 雨なんぞ降ってないぞ? それにお天道様も頗る快調だ、もう夜だなんて何かの間違いじゃないのか?」
「んな馬鹿な。この魔理沙さんが見間違えるなんて……ありゃ?」
「……とっても良い天気じゃない。お日様も気持ち良いし」
「…………」

 皆して外を覗くが、天蓋に映るは果てない蒼穹と日輪が一つ。雲一つない清々しいまでの晴天が広がっている。
 心なしか森々の様相も開放的に見えて、出掛けるにはもってこいの日和ではないか。

「まぁ、少し失礼する。ああ心配しなくとも良い、後始末はきちんとしておくとも」
「……そう、お願いね。有り得ないとは思うけど、火事になんてなったら大惨事だから」
「私もそこまで間抜けではないさ。それとこれを、礼代わりに」
「お、見たことのない酒だな。浄蓮ってのか、美味そうだな」
「ウチの者が拵えた自慢の逸品だ。霊験灼な神水で仕込んでいるからな、味は保障しよう」
「気が利くじゃないか。美味い酒に悪は無いってな、ありがたく頂戴するぜ。お前らも飲むだろ?」
「まぁね。日本酒はあまり慣れてないけど興味あるし、人里のより美味しいのかしら」
「ほらレミリアも、なんか拗ねてないで飲もうぜ。懐の広い八重に乾杯ってな」
「…………そうね、折角だから頂きましょうか」
「それじゃあごゆっくり~、私らはこれで楽しませてもらうぜ」
「あいあい」

 適当に座し、煙管を取り出す。これも随分と昔から愛用しているが、そろそろ羅宇も替え時かね。また造ってもらわねばな。
 しかし……酒と聞いたときの食い付きようといったらなかったな。やはり何時の世でも酒が嗜まれるのは道理か。いやはや見上げた魅了の魔力よ。神も人も妖も、酒の前では形無しだろうな。

 と、そこまで思い耽って、今更ながらに思い出した。
 そういえばウチの連中は酒も造っていたんだったか。なら態々古室に買いに行かせる必要も無かったな、いや失態失態。どうにも最近は物忘れが酷くて困る。身体の方は相も変わらず丈夫だが、やはり老いは気からくるのだろうな。いや情けない、この様では下の連中が去っていったのも無理はないな。

「……? 下の連中とはなんだったか?」

 思わず独り言。はて何を思い出そうとしていたのだったか。それを意識した途端、するりと抜け落ちてしまうのでは是非も無い。
 しかし、妙な虚しさを感じる。一体何時以来か、こんなにも誰かと語らったのは。昔はもっと賑やかで、色々無茶もして、好き勝手馬鹿をする連中が屋敷中で騒ぎを起こして――――――――いつから屋敷は、あんなにも寂しくなったのだろうか。

「いかんいかん、なにやら変に気が沈んでいるな。いやなに、忘れてしまっているということは、きっと取り止めのないことだったのだろう。うむ、気にすることはない……な」

 この得体の知れぬ蟠りを除くように大きく吸い、吐く。酒とはまた違う煙の毒が、今ばかりは心地良い。そういえば煙草を嗜むようになったのも、見栄を張ってのことだったか。そんなどうでもいいことを、何故か思い出す。
 それでも埋め尽くせぬこの空虚は、一体どこから沸いてくるのか。


 不意に寒風が吹いた肺腑から吐き出した煙は、その心中を表すように大穴を開けて漂った。



[4169] 東方忘我経 Stage3
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/02/15 13:25



 西洋の演劇人形を打ち倒して博麗は歩む。
 空模様は今なお女心のように妖しく、いつ機嫌を損ねるとも限らない。
 いつの間に時は流れたか。昼と夜の境界、黄昏の茜に染め上げられた風景を一瞥し、巫女は自問する。

 果たして此度の異変は、本当にそうであるのか。
 常の事情とは違う。いや、だからこその“異変”なのだろうが。
 しかし好奇心旺盛な黒白も、垢抜けた悪魔の犬も、二百由旬を世話する庭師も姿を見せぬ奇妙な風。
 持ち前の巫女の勘は、そうした妙に警鐘を鳴らしている。

 心せよ、黄昏の今こそ逢魔の刻なれば。
 広がりつつある夜帳を照らす薄光が、牙を剥かぬ道理は無い。




 巫女は、いつになく気を張りながら昼夜の歪みを睥睨した。









 東方忘我経 Stage3 ~東方幻想かたわの事~









 未だ村の姿は見えてこない。
 人形の居た広場を越えた先は、やはり一切の標がない獣道であり。まともに足を踏み入れる事適わぬ魔境の様相を呈するほどである。
 おそらくは見知らぬ領域に踏み入ってしまったのだろうと確信し、何時飛び出るかも知れぬ有象無象の妖怪共にも気を配りながら、霊夢は前進を続けていく。

 森の上空を抜けて飛ばないのは、方向を見誤らぬためだ。
 上手に絡まる梢の葉群れが地表を覆い、僅かに残された痕跡を隠匿している。一度上がれば見失おう。

 痕跡。
 今までの道程には無かった手掛かりを頼りに飛ぶのは、偏にあまりの情報の少なさ故だった。

「ほんと、今回は嫌になるくらい静かだわ。調子が狂っちゃって仕方がない」

 単身突き進む今の状況が、酷く霊夢の気を削いでいた。
 いつしか協力者と共に異変解決に臨むことがあってから、きっと心のどこかでそれを頼りにしている節もあったのだろう。
 それが無いからといって歩みを止める訳ではないが、一切の音沙汰の無さが霊夢の焦燥を駆り立てているのは間違いではない。

 一刻も早く異変を解決させ、住処で茶を楽しみたいというのが正直な本音である。
 しかし目下の楽しみである茶すらも、原因不明の事故により飲めないとなっては、あまり気が乗らないのも仕方が無いだろう。

 それに――――

「妖精が大人しいのも奇妙ね。いつもなら鬱陶しいぐらいに沸いて出るのに、一体どうしたのかしら」

 まるでこれを“異変”と騒ぎ立てているのが自分だけのように。
 得も言えぬ孤独感を掻き立てられ、その不安に表情が強張る。

 自分を取り巻く状況の全てが奇妙に尽きる。
 如何に異変とは言えど、とてもそれだけでは言い表せない不明が、とにかく堪らなく嫌だった。


 そんな折である。なんとも暢気な息遣いが聞こえてきたのは。

「すぴー……」
「あん?」

 見事な寝息が聞こえた先には、場違いも甚だしく眠り耽る少女の姿があった。
 この山中にあって枕に頭を預け、寝返りを打って安らかそうに。いっそ気持ちの良いほどに眠りを堪能しているそれの井出達は、寝巻き姿そのものの和装。純白の彩りがそれを決定的にしている。




 ◆――――????




 どんな間抜けだ、と見た誰もが思うだろう。こんなにも無防備を晒して外で寝るなど、いつ妖怪に食われてもおかしくはない状況だ。
 だがそれは、件の人物が“人間”であった場合の話だ。
 巫女は一目で見抜いた。その少女が紛うことなく“妖怪”であることを。

「はぁ……?」

 とはいえ、大間抜けには変わりなかったが。
 妖怪といえど、所構わず寝たりはしないだろう。最低限、住処に帰って床に着くぐらいはする。

 暫し沈黙。

「えいっ」

 とりあえず退治しておくことにした。
 こんな相手を態々退治するのも面倒だが、異変の時くらい妖怪退治を敢行せねば、いよいよ以って博麗の名に傷が付こう。

 適当に弾幕を叩きつけ、様子を見る。
 土煙の向こう、並の妖怪ならば決して無事では済まない一撃を見舞うも、しかし晴れた先に居る少女は全くの無傷。相も変わらず安らかに眠っていた。

 これには霊夢も、少しばかりムキになる。

「せいっ、やっ、このっ!」
「すぴー……」

 何度か繰り返すも、やはり無傷。というか、全く気付く様子を見せない。見事なまでのしかと振り。
 何なんだろうか、この虚しさは。無駄に疲れるだけで、とても惨めな気分になってしまった。

 流石の博麗も、こうまで相手が動じぬのでは対処に困った。
 暫し思案し、結論を出す。即ち――――

「ほっとこ。無害そうだし」

 今まさに、博麗の看板が僅かに傾いた。
 決して敗北ではない。が、⑨につける薬が無いように、時としてこの世にはどうにもならない事があるものである。
 この場合それに少しばかり早く遭遇してしまっただけだろう。そう自分に言い聞かせ、霊夢は嘆息した。

「もうっ! 蝶まで私を馬鹿にしてるんじゃないでしょうね。⑨はチルノだけで十分よ!」

 鼻先を舞う蝶を追い遣り、踵を返す。
 背に少しばかり憤りを乗せながら、博麗の巫女は去っていく。


 ――――その後姿を、金色の蝶は音もなく見送っていた。









「結局あてに出来そうなのはこれだけかぁ。焦げ痕? 辺りに火の気はないけど、妖怪の仕業かしら」

 暫く前から点々と残されている痕跡。枯れ落ちた小枝や葉に刻まれた焦げ痕を追っていけば、益々見知らぬ場所に出てしまっていた。

 少しだけ開けた場所に立ち止まり、適当に腰を下ろして休憩。
 いい加減変化が無いといらぬ疲労が溜まる。少しぐらい休みを入れても罰は当たるまい。

 痛む首筋を撫でながら、霊夢は辺りに視線を配らせた。
 映るは単調な景色ばかり。迷いの竹林ほどではないが、何の面白みもない風景に思わず溜息が漏れる。
 しかしそこで、わずかばかりの光を目撃した。

 乱立する木々の合間を行き交う灯。
 不知火の如く不確かな青白い不吉な彩りは、それが自然の物にないことを明らかにする。
 蒼白の不吉。それが徐々に大きくなるのを察知し、自分に向かって接近しているのだと確信し、霊夢は咄嗟に身構えた。

 油断無く待ち構え、相対するそれ。
 今にも霊夢を呑み込まんとする妖しき鬼火は、その中心に大の人型を現して静止した。


「アンタがこの焼け焦げの犯人ね」
「オイオイオイ……人間かよ」




 ◆恐ろしき夜行の怪輪――――忌車 火輪




「なんだってンなとこに人間がいやがんだぁ? 此処はウチらのシマだぜ。テメェは何の用で此処に来た」
「あんたもあの付喪神の仲間なのかしら? 大体同じような場所にいるからしてそうなんだろうけど」
「付喪だぁ?」
「古傘と人形と、あとわけの分からない妖怪連中とか」
「姐さんとイデアの嬢ちゃんか。なんでテメェがウチの連中のことを知ってやがる」
「決まってるじゃない。ぶっちめて、洗い浚い吐かせたからよ」
「はっ!ぶっちめただと? 面白ぇ冗談だ。生意気な口聞く人間だなぁオイ! いい度胸してやがる」

 そう言って、牙剥くように女は笑った。
 その端に見える怒りに呼応して、女が纏う鬼火は一層激しさを増す。傍らに止めた異形の車が、嘶くように音を噴かせる。

 その形を霊夢は見たことがある。確か外の世界の乗り物だったはずだ、そう香霖堂で説明を聞いた。
 車輪を一直線上に二つ並べて、バランスを保って走らせる、確かバイクとか言ったか。
 しかし女が手を掛けるそれは、香霖堂で見たものとは随分違っている。二つあるはずのシャリンは前に一つしかないし、後輪部分には女が纏うものと同じ鬼火が輪の形をして燃え盛るだけ。そして何よりも、その車体を組む朽ちた牛骨の忌まわしさが、それが常世のものと一線を隔していることを如実に示していた。

「んで姐さんらをぶちのめしたってアンタは、此処に何の用があるんだ? 聞くだけ聞いてやるよ」

 牛骨の頭を女が撫で、高みから見下ろすようにして霊夢に問う。最早敵意を隠そうともしない声音だ。
 しかしそんなものに臆するような霊夢ではない。いつものように柳の如く、この場合は不遜に映るようにして言った。

「奥殿、ってのに用があんのよ。そいつがこの異常事態の犯人のことを知ってるらしいじゃない。さっさと吐かせて、異変を解決して家に帰りたいのよ私は」
「けっ、大姐さんに用かい。しかも犯人だぁ? まさかテメェ、ウチらの大将を狙ってるクチか?」
「そいつが犯人だってんなら、そうよ。それともあんたもそいつのことは言えない、ってクチ?」
「…………益々生意気な人間だ。大姐さんだけじゃなく、大将にも用。しかもコイツぁ乱暴沙汰と来た。冗談でも見過ごせそうにもねぇなぁ」
「いいわよ、見過ごしてもらわなくても。言えないってんなら、他の連中と同じように力尽くで聞き出すだけだし」
「上等ッ!! アタシもテメェみてぇな生意気な人間には一発入れてやらねぇと気が済まないタチでねぇっ!」

 威勢良くして、車に飛び乗る。
 舵を握り前輪を浮かせ一層けたたましく轟音を鳴らして、怪輪は忌まわしく炎上する。

「生意気な態度を叩けないようにしてやるわ!」
「生意気な口を聞けねぇようにしてやる! 行くぜ、牛骨丸ッ!!」

 瞬間、脅威の速度で疾走する片輪を駆り、火輪が霊夢に特攻する。
 それを霊夢が避けようとして、しかしその前に片輪自らが軌道を逸らし擦れ違う。

 後塵を浴びせながら遠ざからんとする火輪を見据え、霊夢が構えを取る。
 しかしそれよりも先に、異形の車体が火を噴いた。


 ――爆符 妖怪アフターバーナー――


 後塵が燃え盛る弾幕となって容赦無く霊夢を襲う。
 攻め立てるような猛火が一点に集中したような、とても苛烈で忌まわしい残り火を幾重も軌道上に撒き散らし、縦横無尽に駆け巡る。
 しかし霊夢はその熱波に焼かれながらも敵影を捉え、接近に合わせて弾幕で迎え撃つ。

 幾度かの接触。形容し難い炸裂音。
 直線上でなら天狗のそれに匹敵する速さをも霊夢は捉え切り、苛烈な弾幕を以って熱波の騎走を止めて見せた。




 ――――Spell Break




 燃え盛る騎兵は、思わぬ反撃に口笛を吹き、面白そうに口の端を歪ませた。

「クックック、思ったより出来んじゃねぇか。ちったぁ楽しめそうだ。次はもうちっとギアを上げんぜ。ついて来いよぉっ人間ッッ!!」
「血の気が多いわね。暑苦しいったらありゃしないわっ!」

 元より、それは霊夢も同じ。如何な柳を気取ってはいても、決闘となれば血が騒いでしまうのは、偏に彼女もまた幻想郷住民であるが故。
 彼女が知る由は無いが、幻想郷住民ではないはずの火輪もまた、両者の力鬩ぎ合うこの場に於いていよいよ昂揚を抑えきれないでいた。

 異形の片輪は益々音を激しくし、後部からは黒煙すらも昇らせる。
 燃え盛る後輪は更に勢いを増し、回転は止まるところを知らず、遂には騎乗者諸共に業火を揺らめかせて鬨の声を上げる。

 戦場の咆哮。
 鎌首を擡げるように前輪を浮かせ、火輪は覇気堂々に宣言する。

「行くぜオラァッ! 怪輪――――」


 ――地獄行き火焔車――


「ヒャッハー! 下手に触れると地獄行きだぜ人間ンンッッ!!」
(ッ! 速い、一瞬見失ったわ……)

 一目には、敵の姿が消えたよう見えた。
 それにあらずと霊夢に思い知らせたのは、彼女を取り巻く炎輪の熱。
 地獄行きの名に恥じぬ熱量を放ち、怪輪は速く速くひたすらに速く、激しく回転して霊夢に迫る。

 力業のスペル。しかし妖怪のそれは人間のものと比べるべくもなく、故に十分事足りる。
 これは素直に距離を取った方が正解だろう。幸いなことに動き自体は鈍いそれから大きく距離を離し、疾走する影を狙うが――――

(ッ!? 増えた、いや散った?)
「逃げようとしてんじゃねえぞコノヤロウっ! アタシの脚と炎は逃がしゃしねぇよ!!」

 回転の勢いで爆発的に撒き散らされた火の粉が躍り、霊夢の間近を焦がしていく。
 これではとてもじゃないが離れそうにはない。散った炎の中心に向かって、火の粉を掻い潜って前進する。
 安全圏となった空洞に身を潜め、改めて敵影を探る。――――が、それを一蹴するように火輪の嘲笑がこだました。

「そんな甘ぇワケがねぇだろうが!!」
「今度は戻って来た!? まったく、休む暇も無いわね!」

 散り去ったはずの火の粉が、巻き戻るようにして霊夢の居る中心へと殺到する。
 大きく渦を描くような軌道。このままでは、それに飲まれるが如く被弾してしまう。
 慌てて退避するが、渦巻きに湾曲した軌道の所為で思うように動きが取れない。服の端を黒く焦がしながら、再び炎輪の外へと逃げ――――

「見つけたわよ」

 その中心に現れた影に向かって、一撃を見舞った。




 ――――Spell Break




 打ち据えられ、機動を止めた火輪が浮かべるのは獰猛な笑み。
 真っ向勝負を経てなおも立っている強き人間に対し、彼女の闘争心に火が灯る。

「はっはぁ、いい塩梅だぜアンタ。生意気だが滅法強ぇ。気に入った! こっからはアタシも本気を出させてもらうぜ」
「とっとと降参してくれれば楽なんだけど。そうもいかないのかしら」
「当たり前ぇよ、ここで引いてちゃ女が廃る。こちとら切り込みで筋ぃ通してんだ。勿忘荘の突攻隊長忌車火輪ッ、推して行くぜ!!」
「あぁもう! どうして妖怪はこう自分勝手なのかしら!」
「はっはっはぁ、いいぜぇ人間! 忌符――――」


 ――諸国片輪の神隠し――


 宣言、火輪の姿がまたも掻き消える。
 しかし今度は速さ故の消失ではなく、その身を炎に変えての散。
 火の粉を散らし、一瞬の静寂。しかしすぐさま霊夢の間近に熱が集い、その炎の中心から霊夢目掛けて勢いよく片輪が飛び出した。

 激熱の接近。擦れ違い様に攫わんが如く腕を伸ばす獄炎が霊夢を捉えんとする。
 それに捕まっては助かる余地は無いと避けるも、一度過ぎ去ればまたも散り、再び霊夢の間近に集っては攫わんと疾走を繰り返す。
 全く油断出来ぬ弾幕の応酬。決の軍配は、しかしまたも霊夢に上がった。




 ――――Spell Break




「まさかコレまで敗れるたぁな。アンタマジで強ぇな、こんなにも熱くなったなぁ大将以来だ」
「……行く先会う先大将大将って、あんた達の親分ってのはどれだけデタラメなのかしら。妖怪が一緒に住んでるってのも信じられないし、鬼じゃあるまいしね」
「あの方ぁそんじょそこらの妖怪共たぁ格ってもんが違うのよ。アタシらにとってはね、鬼なんぞより大将の方がよっぽど怖ぇ。だけどそれ以上に惚れちまってんのさ、心底からな」
「妖怪を従える妖怪? 冗談じゃないわ」
「…………寂しいねぇ虚しいねぇ、もうすっかり忘れられちまってんのかい。昔ぁその名を聞けば誰もが畏れたってのによぅ、畜生が。それもこれも“楽園”なんつーものが出来てからだ!!」
「…………っ!」
「アタシらにとっての楽園は勿忘荘だけなんだよ! それなのに下の連中はどいつもこいつも胡散臭ぇ幻想に縋りやがって!! 恩義も忘れて離れて行きやがった! おかげで夜行の王様が今じゃ昼行灯よ! くそっ、畜生が! 腑抜けた人間に妖怪共、どいつもこいつも纏めてぶちのめしてやる!!」

 一層強く舵を握り締め、片輪の鬼は激昂する。
 蒼白の鬼火も怒りに燃えて、蒼褪めた貌すらも白く染め上げる。

 いよいよ大詰めだと、霊夢は察した。
 そして最後にして最大の一撃だとも。


「そろそろ夜も更ける。聞こえるかい、辻往く夜行の足音がよぉ。今はちったぁ寂しいが、せめてアンタだけでも肝に刻めやっ! 行くぜ大とりッ!!」


 ――真夜中のゴーストライダー――


 ッ、と。音の無い一瞬だった。
 か細い蒼白の軌跡を残して、火輪の姿が掻き消える。
 
 そしてすかさず現れた同色の予告線。霊夢の居る位置を含めて軌道が置かれ、その上を蒼白の片輪が走り去る。
 霊夢はそれを迎え撃とうとして――――止めた。

(当たらない……なんて速さ!)

 最早攻撃を当てる如何の次元ではない。まさしく天狗のそれと同等の速さの前には、如何な霊夢とて対抗する術を持ち得ない。
 相手はただ、走っているだけ。霊夢はただ、その軌道に乗せられているだけなのだが、その強力無比の速さ故に、今までのどのスペルよりも猛々しい。

 耐久スペル。
 徒鈍い時の流れに身を焦がし、耐え抜くだけの単純明快な一撃。

 たった一つの手掛かりである予告線を見切り、避ける。
 見切り、避ける。見切り、避ける。その繰り返し。
 だがその都度に上がっていく速度に、霊夢は歯噛みした。

(ホント、文と良い勝負だわ。アイツだけで鬱陶しいってのに、今回は本当に厄介続きね)

 だが避ける。一心不乱に避ける。
 一体どれほど経っただろうか。何もかもが速すぎるこの場において、自らの動きの無さが重く圧し掛かる。

 しかしそれも今暫くのこと。
 やがて疾走は衰え、敵の姿が目に映り始める。

 片輪は、最後に真っ向から霊夢に立ち向かい。
 巫女は、それと真っ向から対峙して。


 ――――両者共に僅か目前で、決着と相成った。




 ――――Spell Break



















「…………けっ、アタシの負けだよ」
「ふぅ、思ったよりも疲れちゃったわ。もうこりごり」
「アンタはマジで強ぇ。認めてやるよ、アンタの心根。大姐さんに用だってな?」
「そうよ。それが異変解決への近道なんだし」
「だったら急いだ方が良い。上を見ろ、夜が明けた。このままだといずれ、どうにでもなっちまう」
「さっき夜だと思えばもう昼? 益々放っておけないわ。一刻も早くどうにかしないと」
「……道案内をつけてやる。アンタの目指す場所はもうすぐそこだ」
「ほんと? 助かるわ。ていうか最初からそうしてくれれば良かったじゃない。本番前なのに疲れるわ」









 ――――――――――――Stage 3 Clear




 少女祈祷中……










[4169] 東方忘我経 Stage4
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/02/19 18:12
 明けぬ夜はなかれども、戻る夜はありはせぬ。
 真夜の決闘、忌まわしき片輪の怪異を打ち倒せども、根源妖異の究明には未だ至らぬ。

 昼夜の歪み。日常と異変の境、その狂い。
 果たしてその真意はどこにあるのか。それとも真意など初めからありはしないのか。はたまた他意が絡み付くだけなのか。

 幻想郷は今、誰にも知られぬ部分が悲鳴を上げている。
 そんな恐ろしい予感が、何故かした。

 おそらくは、そう時間も無いのだろう。
 忘れ去られた畏れも、その真相に至る猶予も。




 真の夜は、まだまだこれから――――









 東方忘我経 Stage4 ~鋼の大和信仰~









「結局のこのこと妖怪の口車に乗ったわけだけど、案外本当のことだったようね。道が拓けてきたわ」

 まさしく鬼火を道標としながら進んでいくと、変化の無い景色が切り替わりつつあった。
 片輪車の妖怪が案内にと寄越した鬼火の列が並び、霊夢の先駆けを照らしている。先程まではあんなにも忌まわしかった蒼白が、今は澄むような蒼穹の様を取って、天道の目届かぬ山中を光明で満たしている。

 はたして山を抜けてみれば、眼前に広がるは古傘の言に違わぬ、物寂しい風吹く村落があった。
 山間の様相を呈しながらも果ての無い広がり。まるで此処こそが一つの世界として――――或いは箱庭の如く孤独ながらも完成しているようにも見受けられる。
 一歩その領域へと足を踏み入れてみれば、襲ったのは筆舌に尽くし難いざわめき。まるで獣の腹の中に自ら入り込んだような、ありもしない怖気ばかりが肌を撫で上げる。
 否、それよりもより相応しい印象があった。


 ――――似ているのだ、此処は。他の何にでもなく、幻想郷に。


 或いは旧地獄跡の御殿に言い換えても良い。
 即ち何らかの加護のもとに約束された安息と、一抹の侘しさが同伴する風。

 幻想郷が歴史の中で追い遣られていった幻想の行き着く果てであり、その幻想からも忌み嫌われ隔離された監獄の楽園が地霊殿なのだとしたら。
 差し詰め此処は、そのいずれもから忘れ去られた何者かたちの、安住の地なのだろう。

 忘れられ、それを享受しながらも、やはり何処か心の片隅にでも覚えておいてほしい。
 まるで余命幾許も無い老人のような、今まさに生まれんとする顔も見ぬ赤子のような。終わりと始まりの境界が揺らいだ景色。

 不用意に立ち入るべきではなかった、とも思う。
 此処には、妖精すらも居やしない。ましてや人間など、そうした息吹が感じられない。寂しいほどに。
 幽霊すらこの地には留まるまい。それほどに此処は、時の流れから取り残されていた。

「…………なんだか気が滅入っちゃうわね。外の世界よりも酷いんじゃないかしら。紫が見たら何と言うやら」

 色褪せた思い出ばかりの風景。
 確かにそれは美しいだろう。だがそれに囚われ、進むことを止めてしまうのは、きっと他の何よりも重い罪。

 見上げてみれば、夜から塗り変わった晴天が、またも黄昏に沈もうとしている。と思いきや次の瞬間には、日が暁の輝きを放っていた。
 境界の狂い。無秩序の氾濫。どの無法よりも忌まわしい、原初から続く理からすらも断たれた異界こそが、此処だった。

 一秒たりとも居たくない。少なくとも今は。
 姿形は美しいだろう。だが此処には、決して欠けてはならないものが欠け、あるべきものがない。
 こんなものは幻想ですらなく、夢想空想にしか過ぎないのだろう。

 全てを受け入れる幻想に揺蕩う者には、きっと地獄よりも堪え難い場所に違いなかった。

「…………」

 物言わず、地を歩く。
 踏み締める歴史すらも失われた異界の大地は、堅いようで酷く脆い。

 建ち並ぶ家屋には僅かな気配があったが、その住人はといえば人間でもなく妖怪でもない――――付喪神たち。
 それすらも余所者に目をくれず、徒道具としての役目をいつまでも果たそうと、所有者も無く独りでに動き回るだけ。

 きっとそれに意味はない。
 道具に意味を持たせるのは道具自身になく、それを使う者たちなのだから。
 野良犬のそれよりも卑しく、野良猫のそれよりも孤独に、彼らは徒動いているだけなのだろう。

 忘れられるということは、きっと何よりも残酷だ。
 避けられぬ死を受け止める者はいても、永遠の忘却を受け入れられる者はいない。古今東西の歴史が、それを証明してきた。
 妖怪すらもそれの前には無力なのだ。だからこその幻想郷。

 それでも生き延びてしまうのは精々が蓬莱人か。
 彼らですら、そうなってしまえば死人と変わりはしないだろう。

 そうだとすれば此処は、死人の巣か。
 地獄のような責め苦も無く、冥界のような雅も無く、天界のような華やかさも無い。

 きっと他の何よりも顕界の憂き世こそが似ているのだろうが。
 こんなものと自分が住む世界を一緒にはしてほしくないと、心底忌まわしく霊夢は思った。

「ほんと、嫌な場所だわ」
「あなたもそう思う?」
「誰よアンタ」




 ◆八百八を率いる妖獣――――刑部久万子




「珍しいね、お客さんなんて。こんな良い所なんて一つも無い辺境へようこそ」

 霊夢にも覚られず傍に居たのは、見知らぬ妖獣。
 ヒトガタを取ってはいるが、頭の丸い耳と八本の太い尾が、彼女が人の身にないことを示している。またその妖力の程も。
 妖獣にしてはあまりに強大な力。幻想郷の数少ない大妖怪に勝るとも劣らない霊威が、ほんの少しだけ背筋を冷やした。

 というのも、そうした畏れも今はどこか寂れたように思えたからだ。
 それこそ老人のような、在りし日の活気が失われたかの如き色彩の無さ。
 普段なら問答無用で退治る霊夢も、あまりに拍子抜けしてそのことを忘れた。

「くんくん。へぇ、ウチの連中とも遭って来たんだね。随分と暴れたようで、今時こんな人間が残ってたなんて驚きだね」
「喧嘩売るってんなら相手になるわよ。妖怪連中が徒党を組んで何企んでのかは知らないけど、こっちはそれで大迷惑してるのよ」
「それは多分誤解かな。寧ろわたしの見立てじゃあ、腹に一物抱え込んでるのはそっちみたいだけどね。態々丸ごと持ってきちゃってさ。大体目星は付いてるけど、ほんと何がしたいのやら」

 やれやれ、と。心底迷惑そうに頭を振る久万子。
 その様子からして、本当に彼女らの与り知らぬところであるようだった。

 とはいえ、この異変の原因となったのも事実には違いない。
 その旨を問うと、彼女もやはり他の連中と同じ様に、歯切れ悪く言葉を濁すばかりだった。

「一体何を隠してるのかしら? 此処に来るまでもそうだったけど、いい加減白状したらどうなのよ」
「別に隠してるわけじゃない。馬鹿にしているんでもなくて、化かしているだけ。他意は無いよ」
「化かすって、馬鹿にしてんのかしら」
「別に真実が如何こう説法垂れるわけじゃないけど、結局自分の目で見なきゃ信じられないでしょ? わたしらみたいな連中が如何こう言ったって貴方達には無駄なんだし、元凶は案外すぐ傍に居るかも」
「つまり……どういうことよ」
「貴方はもっと勉強した方がいいかもね。折角の勘が台無しになってる。本当は心当たりくらいあるんじゃない? それに迫ろうとしてないだけで、わたし達を追うよりずっと効率的だと思うけど」
「…………折角此処まで来たんだから、最後までやってやるわよ。じゃないと苦労が水の泡」
「やっぱり。貴方はもう化かされてる。そんなんじゃ何時まで経っても真相には辿り着けないね。根拠や勘なんて、きっと役に立たないんだろうしさ」
「何よ、やっぱり喧嘩売ってんの?」
「売らないよ。ああでも、折角だからちょっとだけ遊んでもらおうかな。ずっと退屈しててね。大丈夫、手加減はしてあげるから」

 ドロン、と久万子の姿が煙に紛れた。
 妖術の行使だろうが、全くその気配に気付けなかった。恐ろしいほどの手練、普段目にする妖獣がスキマ妖怪の式や、そのまた式だったりする分、その実力差に目を見張るものがある。
 いや、本当は彼女らもそれなりに強いのだろうが。式神ではなく妖獣としての力を目の当たりにするのはこれがおそらく初めてである分、その驚愕も一入だった。

「今の人間って、狸と聞けば腹太鼓と悪戯だろう? 御伽噺でも鬼なんかと一緒に退治されるばかりでさ。寂しいなぁ、もうみんな忘れちゃってるんだもんね」

 木の葉舞う妖術の果てで、憂えるような呟きが響く。
 憂い、諦観に至ったような声音だが、今ばかりは少しだけ、その牙を剥き――――

「偶には化かして食べちゃおうかしら! 妖術!」


 ――刑部八百八狸の神通力――


 まさしく妖術の名に相応しく、奇妙奇天烈な弾幕が霊夢を襲う。
 或いは風、或いは雨。不意に雷鳴の如き閃光が轟いたかと思うと、大地隆起し天を衝く。

 こうなれば最早妖術妖異の類を外れ、まるで神にも通じる力業。
 否、だからこその神通力。単なる妖術の域を踏み越え、神域にも迫らんとした古狸の大妖の歴史が、この刹那の合間に表れる。

 たかが妖獣が、とは最早言えない。
 幻想郷の住人にとって妖獣とは、確かに恐ろしい怪異の一つでもあるが、しかし結局妖怪そのものとは違って畜生の類とも見ることが多い。何故ならその多くの肉は美味であり、何でも食べる意地汚い人間にとっては時として恰好の獲物である。
 だがこの古狸を前にしてそんなことをのたまえば、忽ちの内に化かされて取って喰われるに違いない。生半可に力があろうとも、培った経験の年季も違うとくれば、徒こうして力試しと戯れに相手取られるしかないのだろう。

 ポン、ポンと。何処からともなく響き渡る腹太鼓の音がリズムを取り、時に乱す。
 それもまた、この形だけの妖術の演出に一役買い、結果として良い様に遊ばれるのだ。

「これほどの妖怪が、どうして今更になって現れたりするのかしら!」
「わたし達は別に隠れてたわけじゃない、貴方達が勝手に忘れ去ってただけ。別にそれが悪いってわけじゃないけどね、こっちにも過失はあるんだし。でもまぁ、こんな風に遊べるのも久々だから楽しいよ!」

 そう嘯いて弾幕は益々苛烈になっていく。
 最早天変地異とも見紛う動乱。虚像とはいえあらゆる感覚に訴えるこの妖術には、さしもの霊夢は参らずにはいられない。

 いつ終わるとも久万子の掌の上なのだ。
 しかし徒耐えるだけではあまりに華が無い。霊夢もまた弾幕で訴えて、煌びやかな応酬を繰り返す。

 どこで聞いた話だったか、人外の見せる妖異の数々はどれも美しいものであると。
 その言には霊夢も大いに納得するところだ。今の今まで立ち会ってきた戦いのいずれもまた、各々の意志と信念とが如実に表れた宝石揃いだったのだから。
 そしてそれは、永久にない刹那の逢瀬だからこそ美しい。夜空に舞い散る花火が美しいように、限りある輝きが見る者を魅了するのだ。

 今もまた同じ。いつまでも続くということはありえない。
 いつか来る有終の美の果てで、双方共に笑っていた。




 ――――Spell Break




「にはは、最後までよく耐えたね。いい子いい子、案外博麗もやるもんじゃない。それでこそ今も昔も負けてあげた甲斐があったってもんさ」
「アンタはちゃんと誰だか知ってたわけね。とすると他の連中も?」
「うん? 多分あの子達は気付いてないよ。エンヤやテレサはまだまだ若いし、イデアちゃんは何も知らない。火輪は頭に血が昇ってるんだろうし……ダメダメだね全く。精々が燦ちゃんぐらいじゃないのかな? でもまぁどうせ日和見てるんだろうしね。多分異変の張本人も気付いてないっぽいね、これじゃ。全くアイツもいい加減ボケ過ぎじゃないかなぁ」
「知らないわよ。それじゃ私は行くわね、アンタと話してても進展はなさそうだし」
「にははは、よく分かってるじゃない。でもまぁちょっとしたお手伝いくらいはしてあげる、相手してくれたご褒美にね」
「期待してないわ。それじゃ」
「うんうん、バイバーイ」

 何故か気前良く見送られて飛び立つ。
 全く、何を考えてるのか分からないヤツだ。大抵の妖怪がそうだが、特にあれの場合狸だからだろうか。


「ホントにもう、何を考えてるんだろうね。あのスキマは――――」


 巫女が去った今、狸は腹に一物抱えるようにして静かに笑った。









 この村は思ったよりも広い。少なくとも一目に果てが見えぬほどには。
 家並みも住居ばかりというわけでもなく、それらしい店がちらほらと見受けられる。ただそこに必要不可欠な客の姿は無いだけで、それ以外は全く古びれた様子もなく存在していた。

「何人かでも住み着けばそれだけで見違えるでしょうにねぇ。なんだかとっても勿体無いわ」

 とはいえ、こんな村に住むような物好きがいるとも思えないが。
 魔法の森に住み着くあの二人とて、こんな場所は御免被ると口を揃えて言うだろう。

 それなのに家屋は朽ちることもなく、水田が腐ることもないのは何故だろうか。
 もしかしたら付喪が勝手に修繕して、或いは耕し整えているのかもしれない。主を失くした道具が勝手に、かつてそう使われていたことを忘れ切れずに未練がましく。

 そう思いを馳せれば、柄にも無く同情を誘った。
 こんな風になるくらいなら、消えて無くなってしまえば良いのに。そう思うのは、傲慢だろうか。

「っとあら? 煙?」

 静寂を乱さずにいた風景を、一条の黒煙が断ち切っていた。
 それを辿れば一際目立つ煙突が一つ立ち、そこだけ息を吹き返したように生きている。

 怪しい、と思う前に興味が沸いた。
 異変を起こした火種。そして火の無いところに煙は立たず。
 もしかしたら最初に遭った煙妖怪の仕業なのかもしれないが、それならまた退治てやればいいだろう。

 地に降り立ち、煙突を備えた工房のような家屋に立ち入り物色した。
 まるでコソ泥紛いの所業は黒白の役目だろうが、なぁにバレなければ問題は無い。
 それに此処が異変に関わっているのは最早疑いようもないのだから。なにか異を唱える者があればそれこそ邪魔者、排除することに容赦は要らないというものだろう。

 そうしてとある一室に入ってみると、思わぬ光景に目を見張った

「これって刀? 随分な業物ね、触っただけで斬れちゃいそう……」

 部屋一面に飾られた刀剣の数々。そのいずれもが伝統の反りを備えた日本刀だが、その一品一品全てが素人目に見ても只ならぬ業物であるのが瞭然だった。
 あるべき時代にこれを放てば、それだけで争乱を呼び、一財を築くに足るだろう。きっと好事家連中には堪らない、垂涎の的に違いない。

 貨幣としての金に頓着の無い霊夢ではあるが、良い物を良いと判断するだけの価値観は備えている。
 此処にあるのは紛れもない逸品。どれもこれも見事に尽き、興味無くとも誘われるものがあった。

 霊夢は無数に飾られた刀の内一つを手に取り、その重さにまず驚いた。
 刃など包丁以外に握ったことのない彼女にとってしてみれば、この重みが人や物の怪を斬る重みなどとは思いもしない。
 徒その美しさに目を奪われては、まじまじと見詰めるだけだった。

「銘も切ってあるのね。天国? あまくに、でいいのかしら」
「あまり無闇に触れると危ない。中には斬りたがりも居るのでな」
「あら、此処の主人の御登場かしら」




 ◆日ノ本無双の鍛部――――古唐あやめ




「それはとある名家に奉られていたものでな、飾られるだけの毎日に嫌気が差して逃げ出したそうだ。鍛えた当時に忘れていたもので、銘は後で切ってやった」
「てことは、アンタが創ったことなのね」
「此処にあるものは大方そうだ。ちなみにそれは斬るには適さん、突いて刺すが本領でな。持って帰っても構わんが使い道は無いぞ」
「別に持って帰ろうなんて思ってなかったけど、何なら貰ってってもいいわけ? これとか貴重そうだし」
「構わんが、今更刀を振るうこともないだろう。包丁が入用なら鍛えてやる。暇なのでな」
「冗談よ。刀なんか嵩張るだけで手入れも大変だしね。でも包丁なら欲しいかも。最近切れ味が悪くって」
「持ってこれば研いでやろう。それなら態々替える必要もあるまいしな」
「また今度ね。それで、アンタがこの村のボスなのかしら」

 侵入者の霊夢を咎める風も無く立っていた少女を睨み付ける。
 煤にまみれた姿ながらも穢れを感じさせないのは、少女が放つ独特の空気からか。
 職人気質にありがちな気難しさと一途さが滲み出た眼光は鋭く、それこそ刃のように霊夢を見据える。
 だが隻眼のそれに刺すような圧迫は無い。単に目付きが悪いだけともとれる表情は、冷えた鋼のような無表情だった。

「煙に古傘に人形に、あとはワケの分からない連中に言われて此処に来たけど、結局手掛かりも何にも無いのよね。嫌になっちゃうわ」
「ふむ。成程、此度の騒動に際して迷惑を掛けたようだ。御前に代わって詫びよう。ああそれと、手前はお前さんの探してるような者じゃない。件の者は今ウチの連中が探し回っているところだ。いずれ片も付こう、さっさと帰るが良い」
「そうもいかないのよ。異変の解決が博麗の巫女の役目だから、私が解決しなきゃ意味が無いでしょ」
「博麗、か。懐かしい名を聞いた。ならば尚更帰った方が良い。此処は全てを受け入れる幻想からも忘れられた者共の集う場所、お前さんが居ては色々と不都合もあろう」
「そんなことは知らないわ。とにかくさっさと吐きなさい。アンタたちの話を聞いてる余裕なんて無いのよ」
「やれやれ、気の短い巫女だな。致し方あるまいが、不審者を通さぬのも私の役目だ。少し、痛い目を見てもらおう」

 カァン、と。あやめが金槌を振り下ろした。
 響き渡る金属音が部屋に沁み、立て掛けられていた無数の刃が躍りだす。

 驚くべきことに、此処にある刀は全て付喪の類であったようだ。
 独りでに抜け、白刃を煌かせ、切っ先を霊夢に向ける。

 まるで無数の剣客に取り囲まれたような感覚。
 知らず冷や汗が流れ落ちた。

「家宝」


 ――濡れ羽の嘴――


 先程まで手に取っていた刀が動き、霊夢に襲い掛かる。
 まるで鳥が飛翔し、獲物を狙うが如く、嘴を突き出し刺すようにして刺突。

 まさしく先程の言通り、刺す剣筋を以って切迫するそれを避けて反撃。
 打ち据えるも一度だけでは応えた風もなく、無数の刃に取り囲まれた中で紙一重の回避を繰り返しながら、庭先に逃げ延びたところでその動きを止めてやった。

 飛ぶための翼を捥がれたようにして、刀の飛翔が止まる。
 いや、それこそが道具本来の姿なのだろうが、怪異と化した付喪にそうした道理は通じぬが常。
 使いもされぬ道具如きが動き回るのを、少なくとも博麗の巫女は見過ごさなかった。




 ――――Spell Break




「あぶないわねぇ! そんな物騒な弾幕聞いたことないわよ!!」
「百聞せずして一見すれば大したもの。神宝」


 ――亀戸の雨――


 あくまでも冷徹に、抑揚無く宣言すると、今度は別の刀が抜き身を晒した。
 途端、曇天広がり豪雨が降る。そしてそれ自体が苛烈な弾幕となって霊夢を打ち据え、それに足止めを喰らったのを狙い白刃が躍る。

 その様はまさに神宝と讃えられるに相応しい霊威。
 今この時天神は刃に味方し、その神徳を揮っている。

 その切欠となった刀もさることながら、それを鍛え上げたという鍛冶妖怪の底知れなさが今こそ表れた。
 だが。

「なめんじゃないわよ!」

 それも楽園の巫女の一喝と、叱咤激励による猛反撃によって覆される。
 刃打ち据え天を裂き、そうして雨を止めた後には、既に刃は鞘に納まっていた。




 ――――Spell Break




「成程、流石は楽園を与る巫女か。素晴らしい」
「お褒めに与りどうもありがとう。でもさっさと終わらせるわよ」
「手前も終わらせたいところだ。秘法」


 ――天目一箇鍛ち――


 またも金槌を振り下ろす。
 しかし今度は一度だけでなく、二度も三度も、鉄を鍛えるが如く無数に打ち付け、熱した鉄がそうなるように火花を散らす。
 徐々にその勢いは増していき、身を焦がす熱も高まり火花も大きく。
 そして神代の秘法か。その度に無数の鉄が鍛えられ、弾幕となって霊夢を襲うのだ。

 およそ人間業ではない。
 おそらくは今から失われて久しい秘密を、彼女は全て知っているのだろう。

 鋼の秘密。
 幾星霜もの時を経て未だ曇らぬ輝きを保つ刃の、その全てが所作の一つ一つに秘められているのだろう。

 人間業ではなく、職人技。
 はるか古より伝えられ、今は風化してしまった幻想の一部始終が霊夢を焼くも、しかしそれを巫女は乗り越えた。




 ――――Spell Break




「人里ならさぞかし大人気でしょうね。とっても便利じゃない」
「何を今更。役に立たねば職人なぞ存在せん。それに今となっては無用の長物、年寄りの道楽に過ぎん」
「それもそうね。人間ってば身勝手だから、神様も必要無くなれば忘れるそうよ!」
「それを自らのたまった人間も、きっとお前さんが初めてだろう」
「照れるわね」
「褒めてはいないがな。やれやれ、次で終わりにしてしまおうか――――祖剣」


 ――天国の反り刃金――


 勘で避けた刹那に視たのは、もののふの誉れ。
 刺突、居合い、袈裟、逆袈裟、或いはその他諸々の型を辿って繰り出される剣戟の数々は、その冷たい刀身に寄せられた想いの為せる業――――即ち“信仰”の奇跡。
 長い歴史の荒波に呑まれ忘れられた、現代に至る刀剣信仰の土台を築いた匠の業が冴え渡り、刀を捨てた今の者に襲い掛かる。

 誰が呼んだか“天国”と。
 天上の楽園を号した空前絶後の刀匠の、その無念と執念とが生んだ忘れ形見が鎚を振るって激と為し、息子にも等しい鋼に宿る魂を鼓舞させる。

 持ち主を失った付喪達の、その全ての器を鍛えた鍛部の。
 焼けた鉄の情熱と、冷めた鉄の冷静と、磨いた鉄の輝きが、縦横無尽に殺到する。

 まるで刀の数だけ武士に囲まれているような錯覚がした。
 日ノ本の魂とまで讃えられた鋼に寄せられた想いの丈。しかしそれも全てを受け入れる幻想郷の楽園の巫女の前には一様に等価でしかない。

 寧ろ心地良い緊迫感だ。
 少なくとも徒取り残されただけの風景よりは、この張り詰めた空気こそが心地良い。

 霊力全開。
 今までになく威勢良く対峙して迎えた鋼の群れを蹴散らして、奥に佇む鍛聖にトドメの一撃を突き付けた。




 ――――Spell Break
























「やれやれ、賑やかなことだ。こいつらも疲れてしまって、また休ませてやらねばな」
「でもそろそろ終わりが近そうね。アンタらが何者かなんて興味は無いけど、寂しいんならどっか適当に遊びに来ればいいじゃない。別に迷惑掛けなきゃ構いやしないわよ」
「ふむ……それもそうか。ま、縁があればの話だが、覚えておこう。久々に、熱くなった。それの感謝ぐらいはしても良い」
「全然楽しそうに見えないけど」
「これが地なんだ。文句を言われても困る」
「ま、いいわ。あっ、ついでだからこれ貰っていくわね、包丁代わりにはなりそうだし」
「……やれやれ、抜け目の無いことだ。ああ構わん、適当に持って行くと良い。だが包丁代わりは止めておけ、危なっかしい」
「それじゃ今度来た時用意しといてね」
「物の価値が解っているのやらいないのやら、贅沢物め。それと」
「何?」









「――――――――勿忘村へようこそ」









 ――――――――――――Stage 4 Clear




 少女祈祷中……







[4169] 東方忘我経 幕間4
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/03/11 14:15




 さて如何したものか。
 飛び去る博麗の巫女を見送った刑部久万子は、誰に問うでもなく思案した。

 彼女はこの事態の行き着く先を既に察していた。
 何処からも隔絶した勿忘村への博麗の巫女の来訪――――幻想郷そのものの介入が、果たして自分達にどのような変化を齎すのか。その善し悪しは別として、少なくとも今までの平穏は無くなるだろうと、久万子は予測していた。

 彼女は勿忘荘の住人としては新参に当たるが、其処の主人との付き合いは誰よりも長い。何せ何度も拳を交えた喧嘩仲間だ、長い長い時の殆どを退屈で過ごす妖怪にとって、そうした間柄は何よりも深い絆となる。それは落魄れ彼女の参加に納まった今も変わらない。
 そしてそうした友誼の結び付きは、勿忘荘に棲まう者達皆に共通する。というのも勿忘荘の住人の殆どが、かの主人と一悶着経た末の間柄であって、だからこそ今の事態に焦燥を禁じ得なかった。

「村に幻想が流れ込む…………いや、村が幻想に取り込まれつつあるのか」

 見上げる空には何の変化も無かったが、眼を凝らして視てみればよく解る。幻想の楽園が自分達の楽園を侵食しているのが。
 主人の不在が、こうした決定的な事態を招くことはない。あるとすれば、精々が空模様が不安になる程度だ。
 だが今勿忘村を取り巻く状況は、そんな生易しいものではない。謂わば幻想郷による侵攻、勿忘村への宣戦布告にも等しい所業である。

 久万子は、諦観を含めた表情を虚空に向け、嘆息した。

「いよいよ以って、潮時かねぇ。まさか今になって関わってくるとは思わなかったよ、紫」
『それはそれは、こちらも満を持した甲斐がありましたわ』

 呼び掛けに応じように、目の前の空間が裂けた。
 無数の眼が凝視するスキマを潜り抜け現れたのは、派手な衣装に日傘を差した女。唇の端を僅かに吊り上げ酷薄に笑むこの妖怪こそが、妖怪の賢者と名高い大妖――――八雲紫。

 少しばかり長く生きた妖怪ならば誰もが知る彼女だが、久万子にとっては因縁浅からぬ相手でもある。およそ仇敵とも言える間柄だが、そうした素振りも見せずに素っ気無く一瞥してやると、紫は狙いが外れたように笑った。相変わらず意地の悪い奴だ、とは今更言うまでも無かったが。
 ともあれ、この一連の騒動の元凶が態々現れてくれたのだ。久万子としては意趣返しに捻じ伏せてやってもよいのだが、そう簡単にはいかない相手なのは重々承知していたし、その気も最早無かった。それだけ、投遣りな気分だった。

 特に問い詰めてやろうとも思わない。大体、訊いたところではぐらかされてしまうのは分かり切っている。
 今の状況は、勿論この妖怪の所為でもあるのだろうが、元を辿れば主人の腑抜けが招いたことでもある。それを久万子は理解していたし、彼女だけじゃなく他の住人達も、若い連中を除く皆が知っていた。
 だからこそ久万子はどんな結末でも受け入れるつもりでいたし、その経緯についてとやかく口出しするつもりもなかった。博麗の巫女と対峙したのは単なる暇潰し以外に理由は無く、その結果破滅に追い遣られようと文句は無かった。
 それは村が“勿忘村”として隔絶された際に、半ば予見していたことでもある。移ろう時代の闘争に敗れ、幻想に与するを拒んだ石頭の分からず屋共の吹き溜まりこそがこの村ならば、この変革もまた時代の流れに違いはない。

 既に覚悟は決まっている。
 そう腹を括って沈黙する久万子の心境を知ってか知らでか、紫は打って変わって諭すような笑みを浮かべると、耳打つようにそっと囁いた。

「ご心配なく。幻想郷は全てを受け入れますわ。たとえ忘れ去られた幻想でも、それはそれは貪欲に」
「…………そう。だからあんな仕込みもしたんだね」
「そうでなければ、こちらのルールに則っていただけませんもの」

 大方こちらの意識の境界を弄って刷り込みでもしたのだろう。態々主だった面々――――巫女と出くわすであろう、未知の妖怪達に。
 村に棲む者が幻想郷の掟を知る筈も無い。決闘と言ったところで、血生臭い方法しか知らぬ連中だ。その所為で万が一にでも巫女に危害が加わってしまえばそれこそ幻想郷の危機であると、つまりはそういう意図だ。

 成程、道理ではある。血気盛んな火輪などはまず容赦せぬだろうし、他の比較的大人しい連中も、一度牙を剥けば有象無象の若造など足元にも及ばぬ古強者たちである。――――この自分を含め。
 主人にそうしなかったのは、偏に能力的な相性からだろう。あれもこの妖怪とは腐れた縁を持つ間柄である。問答無用で取り入れなかったのも、その反発を畏れてのことか。

 あらゆる境界を規定する八雲紫の力を以ってしても、視得ぬものはある。その意味に於いてアレの存在は、何よりの脅威だろう。
 ならば態々虎穴に入る手間を取らずともよいのに、とは久万子も言わない。賢しい彼女のことだ、何か崇高な目的のことがあってのことだろうし、それが我々を破滅に追い遣るということも無いのだろう。それへの理解と納得とは、また別であるが。

「つまりは顔見せってことだ。アイツの放蕩を黙認してたのもそのため?」
「そのつもりだったのだけど、誰も彼も勘が鈍くて」
「そして飛び出したのは博麗の巫女だけ、と。もっと鍛えた方がよかったんじゃない? あれじゃ宝の持ち腐れだね」
「やっぱり」
「素材は良いみたいだけどね。わたしとしてはもうちょっと力を付けてもらわないと、喰う気にもなれないね、あれじゃ」
「あらあら、手厳しいですわ。それでは修行をつけてあげないとね。食べられないために」
「そうなったら食べたくなっちゃうかもね」

 久しく人間など喰ってはいないが、あの巫女を喰らえばさぞかし腹が膨れるだろう。
 妖獣としての本能が疼くが、それに躍起になる程の若さは今はもう無い。妖獣として求められるだけのものは手に入れたという自負があるし、有り余る力に酔うには少し歳を取り過ぎた。そうでなくとも幻想が淘汰されつつある中、生き延びた妖怪にとって今の世は狭すぎるというのに。

 今更幻想に回帰したところで、何になるというのだろう? 茫洋とした泡沫の平穏を破ってまで、賢者は何を求めるというのか。
 その答えに、久万子はきっと気付いていた。

「……ま、落とし前だけはきっちり着けてもらわないとね。そのつもりで来たんでしょ?」
「理解が早くて助かりますわ」
「一番理解が遅いのがあいつなんだけどねぇ。ホント、侭ならない」
「彼女にだけは私も手を焼きますわ。後先を考えないのは昔からね」
「よく分かってるんじゃん。まぁそういう所にわたし達も惚れたんだけどね」
「クスクス、その通りでしょうね。……あら珍しい、彼女も視ているのね」

 何処からともなく現れた金色の蝶が、紫の指先に止まった。
 それを見て一層愉快気に微笑む彼女に反するように、蝶が羽搏いては鱗粉を撒く。
 その行為の意味するところを紫は余さず汲み、だからこそ愉しそうにうっすらと笑っていた。

「騒々しくて眠れない、だってさ。こいつも大概グータラだよねぇ」
「愛想を尽かした彼女さえも、気になるようね。素直じゃありませんこと」
「ホント、厄介事を持ち込んでくれたもんだよ。こりゃちょっとやそっとじゃ収まりが着かないね」
「終わりよければ全て善し。宴を開いて有終の美と洒落込みましょうかしら?」
「そりゃいいや。お祭り騒ぎは嫌いじゃない、騒いで騒いで騒ぎまくってやるんだから」
「そして最後には夜行の餞。私も参加して宜しいかしら」
「どうせ勝手に入るんだろう? いいんだよ、要は徒の馬鹿騒ぎなんだしね」

 結局は。昔懐かしい顔馴染みと再会した、それだけのこと。
 今は同じ屋根の下に暮す者達も、そうやって縁を紡いで来たのだ。袖振り合った多生の縁、それもまた今生の妙味。

 何とはなしに紫が酒を取り出すと、久万子も盃を取り出した。
 同じ盃で呑む酒には、些かの波紋も鳴りはしない。並々と盛らる酒をそれぞれ五分ずつ味わいながら、二人は景色を眺め見た。

 それを傍らに臨む蝶は、機嫌を損ねたように一度羽搏き。
 盃の淵に止まって、同じ景色を見た。

「――――広いわね」
「そりゃあ広いよ。わたしの山に流の滝、過疎化が進んだ村もあちこちから流れ込んで来るものだから、管理が大変だって付喪達が言ってたわ」
「随分と嬉しそうに、でしょう? 労働力には困らないわね」
「良い子達ばかりだからね、大家ちゃんも随分助かってるみたいだし。逆にあやめちゃんのトコは大人しいもんだけどね」
「古よりの秘伝も、廃れつつあるのですわ」
「ま、楽しいならそれでいいさ。だってあんたの折り紙付きだもんね?」
「ええ――――人も妖怪も神様も、みんなみぃんな自由気侭に暮してますわ。それはそれは騒々しく賑やかに」
「そうこなくっちゃね」

 スッ、と金色蝶が音も無く飛んだ。
 ひらひらと誘うようにして二人の間を泳ぎ、穏やかな風に乗り儚げに。
 その優雅な舞とは裏腹に示された憮然として意を受けて、狙いが中ったように紫が応じた。

「そう、頼まれてくれるのね。助かりますわ」
「これ見よがしに誘っといて良く言うよ。頭は回るくせに杜撰なんだから、博麗の巫女も苦労する」
「あの子は普段が普段だから、こういう時ぐらい苦労して貰わないと。それにあの子もやる時にはやる子ですわ、ご心配無く」
「端から心配なんてしてないけどね。……で、これから態々道案内と」
「少しは期待していたのだけど、やはり期待出来なかったものですから。舞台を整えるのも私の役目」
「振り回される巫女も不憫だねぇ、それにアイツも。そろそろ感付いてきてはいるようだけどね」
「惚けてくれて困りますわ。昔からだけど」
「そうだねぇ、昔からだねぇ……」

 ――――いい加減にしろ

 そう声がしたような気がした。
 そして蝶は二つに別れ、片やは最奥の屋敷へと、片やは村の外へと飛び去っていく。

 夢か現か幻か、真実幻想的に去って行くそれを見送り、紫も腰を上げた。
 久万子は八尾を枕にしたまま、紫を見送り。

「ま、今後ともよろしくってことで」
「ええ。過ぎ去りし日の因縁も、昔日の郷愁も、我々は快く迎えましょう」

 指先で撫でた空間に身を投じ、スキマから覗く無数の眼と似た笑みをしながら。
 境界の妖怪は何処までも妖艶な、信じ難い声音を以って言葉を紡いだ。









「――――――――幻想郷へようこそ」









 ――――――――――――――――

 ――――――――

 ――……

「だってさ、燦ちゃん」
「やれやれ、お偉いさん方には敵わないねぇ。黙ってることも無いだろうにさ」

 何時の間にやら参じていた、智慧ある付喪の笑みが華咲く。
 燦は、委細を承知して頷き、この変革の流れを察した。

「妹分たちにはあたしから伝えておこう。要らぬ心配を掛けさせないためにもねぇ」
「さっすが燦ちゃん、頼りになるね。ホントは真っ先に気付いてたんでしょ?」

 からかうような問いに、照れ臭そうにしながら。
 斜に差した傘を廻して、いつもの調子を崩さずに。

「なぁに、お互いの仲を取持つのも傘の持ち味。相合といこうじゃないかい」

 極自然に盃を受け取り、一息に呑むと。
 その酔いに任せたように頬を赤らめ、浮付いた様子で空を見上げた。

 最早久万子に焦燥は無い。いや、今にして思えば何を恐れていたのだろう。
 平穏の終わりか? それとも新しい風の到来か? そんなもの、長く長く生きる内に何度も直面している。そしてその度に、自分達はしぶとく生き抜いてきたのだ。何を今更恐れる必要がある。自分達が畏れさせることはあっても、恐れる道理など有りはしない。

 もう腑抜けには成るまいと、肝に銘じる。
 すっかり怠けてしまった臓腑に喝を入れるべく、辛口の酒を一気に呑み干した。

 思慮深い古傘は、黙ってそれを見届ける。
 そうして景気付けを果たしてやると、あとはもう笑うだけだった。

 赤く火照りだす躰を、風が撫で冷ましていく。
 気付けば次に次にと酒を取り出し、今までの不安など何処吹く風へと投げ去って。


「良い風向きだねぇ……懐かしい匂いさ」
「嵐の前の静けさにならなきゃ良いけどね」


 違いない、と笑いながらも。
 結局は当たり前に明日が来るのだと、二人は当たり前に知っていた。







[4169] 東方忘我経 Stage5
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/03/14 05:01
 この村は、正しく幻想の産物なのだろう。
 例え今は忘れられ、夢想の淵へと追い遣られていようと、其処彼処に刻まれた妖異の数々が、かつての畏れを物語っている。

 ともすれば、知られざるもう一つの幻想郷とでも言うのだろうか。
 棲む者も乏しく、息衝く活気にも欠けた寂しい村だが、出遭う全ての怪異は強大だ。

 単なる数からすれば余りにも広いこの村は、其処に根付く幻想からすれば余りに狭い。
 その様相は既に幻想郷と何ら変わらず、だからこそ違うのだろう。

 幻想的な無秩序を、幻想的な秩序が侵す。
 歪み切っていた境界も、時が経つに連れあるべき姿を取り戻しつつある。




 そうして見上げた天蓋には、美しき望月の陰があった――――









 東方忘我経 Stage5 ~諸国怪道古屋敷~









 鍛冶妖怪の屋敷を越え、付喪の根付く家屋を幾つか越えた後、見えたのは又もや山であった。
 村入り口の山腹とはまた別の、それよりも少しばかり低い山。暫し辺りを見回してみたが、どうやらこれを越えねば目当ての場所には辿り着けぬらしい。
 また山登りか、と辟易するも、どうせ空を飛んで行くのだから苦労はマシか。元より妖怪の山に比べれば随分と楽な道程、遥けき天上の楽園へと昇る苦労とは比べるべくもないだろう。とっとと越えて行くが先決だ。

 木々の連なる斜面の上を飛び、急ぎ過ぎることもなく飛ぶ。
 面を打つ風は強く、水を浴びせたように霊夢の意識を覚醒させていく。乱れる髪が項に纏わり付くのも気にはならない。徒々一つの目的のため、即ちとんと定まらぬ異変の元凶を目指す。

 とはいえ、少なからず疲労も募ってきていた。
 此処に到るまでの迷宮めいた道程とは違い、かろうじて村落としての往来のし易さを感じるものの、真実これが初見であっては、未知故の心労が疲れつつある身体に重く圧し掛かる。
 そういえば朝から碌に食っていなかったと、今更ながらに気が付いた。道理で身に力が入らぬ筈だ。そも腹が減っては戦は出来ぬ、その上相手が未知なる妖怪共であるならば、此度の出撃は甚だ愚行であっただろう。今更食いに戻るわけにも行くまいが、せめて水で喉を潤すくらいは叶えたところであった。

 そう思い至った瞬間、都合良く滝が目についた。
 山の中腹に瀑布が轟き、霧のような水飛沫を上げている。妖怪の山の大瀑布とは比べ物にはならないが、それでもそこそこの規模だ。見る限り水質も甚だ良く、滝壺の淵はどこまでも透明な水面が揺蕩っていた。

 本当に都合が良い。ありがたく水を頂戴するとしよう。
 即座に降り立ち、水辺に身を屈める。そっと手酌で飲んだ滝の水は、渇いた喉には最高だった。

「ぷはー、生き返った心地ね。丁度良いところに有って助かったわ、このままじゃ枯れちゃいそうだったもの」

 そう言って何度も掬っては口に運ぶ。喉が渇いていた所為もあるが、それにしても美味い。空きっ腹によく染み渡り、水なのに得も言えぬ活力が湧いてくる。飯に代わりと啜っては、その冷えた味に酔い痴れた。

 案外此処も悪くはないかもしれない。今までに見た風景には何の興味も出なかったが、この滝だけは別格だ。此処の水なら恐らく神事にも通用するに違いない。何処となくだが、大蝦蟇の池に似た趣が此処にはある。しかしそれも、こうまで辺鄙な場所にあっては持ち腐れだが。
 そう思ってみれば、この村は本当に勿体無いと思う。恵まれた土地の数々が、村を取り巻く妙な気配の所為で台無しになっているのだから。妖精も寄り付かぬ奇妙な特性、妖怪も殆ど見掛けないのは余りに不可解だったが、それも今はさて置くべきか。
 此処が一体如何なる地なのかは知らないが、一刻も早く異変を解決せねば。そうすれば、また此処に来るのも吝かではないだろう。

 一息着いたならば、進行の再開だ。
 衣装の裾を払い立ち上がり、上空に移ろうとしたところで、すぐ近くから声が掛かった。

「あらあら、無断で立ち入り水を飲んで、礼も言わずに立ち去るのかしら? 無礼極まりないですわ」
「あら、誰か居たの?」




 ◆美しき水底の守護者――――浄蓮守 流




 同じく水辺に立っていた女は、傾国もかくやと言わんばかりの美女であった。
 頗る身形の良い井出達で、腰元から垂れ伸びた八房の長い紐飾りが目に付く。楚々とした佇まいの美しい、一見して雅な女であるが、炯々と輝く鬼灯のような双眸が、女の本性を物語っていた。

 徒の妖怪ではない。有象無象には無い神秘性を、この妖怪は発している。
 それこそかの池の大蝦蟇のように、恐らくはそれと同じ類であろう。即ち化生の身にして信仰を得た、八百万の神の端くれ。特定の地に根付く土地神としての風格が、厳かに威を放っていた。

「噂はわたくしの耳にも届いていますわ。あの御方の縄張りを、わたくし達の土地を踏み荒らす狼藉者と。一体全体、何用かしら?」
「何度も言ってると思うけどね、アンタらの親分に用があるのよ。そいつの所為でおかしな事ばかり起きてるんだから、その責任を取ってもらわないと」
「おかしなこと? クスクス、その割には騒ぎ立てているのも貴方独りのようだけど……滑稽ですわ」
「うぐぐ……私もちょっと気にしてたのに。ともかく! アンタらの主人は何処なの!? このままだと屋敷に着いても同じことを言われそうだわ」
「うふふ、さぁ? あの御方の足取りを追うなんて、誰にも出来ませんのに。好き勝手出歩くのは今に始まったことではありませんわ。尤も、こうまで好き勝手されたのも初めてですけれど」

 惚けたように言ってはぐらかす流に、霊夢は臍を噛む。
 全く、出遭う先から厄介な者ばかりで、とんと解決に持ち込めない。自分勝手な連中に振り回されるのは、それこそ今に始まったことではないが、異変解決に於いてもそうなのはこれが初めてだ。
 いい加減腹に据えかねるものがある。徒でさえ食事を取れずイラついているというのに、目の前の妖怪は酷く神経に障る物言いをする。まさに慇懃無礼とはこのことか。それはある種の力有る妖怪にはよくあることだが、それにしたって腹立たしい。

 流が値踏みするように霊夢を見た後、すぐ傍の虚空へと視線を移す。
 つられて霊夢も振り返り見たが、特に変わった様子も無い。徒流だけは、そんな霊夢の様子を見て愉快気に嘲笑ったが。

「八雲の大妖が何の用かは知らないけれど、こそこそと嗅ぎ回って不愉快ですわ」
「紫? やっぱりアイツも一枚噛んでいたのね! こんな訳の分からない所まで、いい加減如何いうことなのか説明してほしいわね」
「あらあら、八雲の使いではありませんの? そうでしょうね、随分と暢気そうだし。大した役にも立ちそうにありませんわ」
「誰が妖怪の役になんて! アンタ達の親分を追って此処まで来たけど、どうやらそれだけじゃなさそうね。じっくり話を聞かせて貰う必要があるわ」
「話? 話なんて……それはこちらの台詞ですわ。幻想郷だけでは飽き足らず、わたくし達の最後の土地まで踏み荒らして……!」
「ッ!?」

 瞬間、その形相が一変した。
 澄ました美貌はそのままに、得体の知れぬ妖気が牙を剥く。濡れ羽色の髪が脚のように蠢き、怒髪天を衝く勢いで猛り狂った。

 見れば、足元に無数の子蜘蛛が纏わり付かんとしている。
 慌てて地から足を離し宙へ逃げると、滴る血のような眼光が霊夢を射抜いた。

「あの御方からお仲間を! 我々から棲む土地を! 遍く世から幻想を奪って尚もこの地を望むか、お前たちはッ!!」

 片輪車の妖怪が発した怒気と同じ、いやそれよりもより明確な殺意が突き付けられる。
 地を這うだけの子蜘蛛が宙を舞い、その後尾に今にも千切れそうな糸を結びながら、されど強かに襲い来る。

 流に彩を添えていた紐飾りは、それぞれが黄と黒の横紋映える節足へと変貌し、そこで漸く霊夢はこの妖怪の本性を悟った。
 即ち人を惑わし肉喰らう真性の妖、男ならず女までも魅了する美貌を怒りに染めて激昂するその様は、肝の小さい者には刹那と耐えること敵わぬだろう。
 霊夢をして歴戦で培った経験で耐え抜ける気迫。これは最早、只ならぬ事態であると霊夢は察した。

「お前たちの遊戯に合わせてやる必要など無いのだけれど。敢えて一戦、交えてやろう。そしてっ!」

 飛ぶ霊夢を追って子蜘蛛が舞い、彼我の障害となった木々の幾つかに巻き付く。
 そして切っ先鋭い流の節足が頬を掠めた瞬間、メリメリと音を立ててそれらが薙ぎ倒され引き摺られ、深く深く棲んだ滝壺へと沈んでいく。
 その間際に立つ水柱までもが弾幕となって――――

「此処は幻想郷ではない! お前たちの場所ではない!! 図に乗るな、博麗の巫女!! 貴様が敗れた暁には、その身余さず喰らってくれるッ!!!」
「チィッ、随分と本気じゃない! だけど生憎、こっちも妖怪退治は得意なのよ。遊び以外でもねぇっ!」


 ――水符 恋に溺れる滝壺――


 無断で立ち入った狼藉者を排すべく、恐るべき脅威が霊夢を襲った。

 無数の糸が流の意の侭に蠢いては、霊夢を絡め取らんと縦横無尽に奔走する。
 一度でも捕まれば命は無い。もしそうなれば瞬く間に四肢を封じられ、滝壺に引き摺り込まれてしまうだろう。後は先の発言通り、妖怪と人間古来の関係に違わず奴の血肉と化してしまう。

 それだけは何としても避けねばならない。
 これでも自分という存在の重要性を霊夢は知っていたし、元よりそんな結末を許容出来るような性分ではない。妖怪は問答無用で退治てこそ己の務め。むざむざこの身を妖怪にくれてやるわけにはいかないのだ。

 双方の立ち回りは遊戯を装っていても、その実熾烈極まる命の遣り取り。
 鎬を削り合うような立ち合いは、しかし活力を得た霊夢には鼓舞として表れていた。

 故に囚われない。あらゆる重力から解き放たれ飛翔する霊夢には、多くの人間を虜にした絡新婦の糸も届きはしない。
 山に巣を張る蜘蛛糸の、その中枢に居ながら霊夢は自在に動き、抜け目無く反撃を流に与えている。

 修行不足ではあるが、天性の才に恵まれた霊夢の霊力が宿る撃の数々。
 苛烈なる弾幕となって妖を払う猛攻は、遂にそれに膝を着かせるに到った。




 ――――Spell Break




「……やられましたわ。流石に博麗、有象無象とは訳が違う」
「そりゃあね。これでもそれなりに場数は踏んでるわけだし」
「口惜しいですわ。これでは御屋形様に申し訳が立たない。本当に、幻想郷は一体何を企んでいるのか……」

 ギリリと爪を噛み、そう唸る流。

「……いいでしょう。どうせこれも奥方の狙いなら、貴方もとっとと行けば宜しいですわ」
「最初からそのつもりだっての。ほんと、話を聞かない奴が多くて困るわ」
「努々油断なさらぬ様。これより先は本来なら人間なぞ一刻と居られぬ地。御殿に踏み入るは、正しく獣の腹の内に入ると心得なさい」
「随分な言い様ね。そうは言ってもどうせ妖怪でしょう? 特に変わりなんてありゃしないわ」
「御屋形様に、ひいては奥方にそのような考えが果たしてどこまで通用するか……。我の強い妖怪連中が、ああまで惚れ込むその器量。徒の妖怪と思わぬことね。常識程、あの御方の前で無意味なものは無いのだから……」

 そう言い残して、流は滝裏へと消え去った。
 決して軽くはない傷だ、癒すにもそれなりに時間も掛かるだろう。

 霊夢もこれ以上此処に居る理由も無い。上空へ昇り、山越えを再開する。ふと眼下を見てみれば無惨に薙ぎ倒された木々が映ったが、しかし新たな種が既に芽吹いていた。
 成程、土地神の格に違わぬ徳。妖怪上がりの端くれとはいえ、その力は本物なのだろう。あの猛々しき妖怪としての有り様も、偏に怒り滾らせた故のこと。

 それだけ彼女は、引いてはこの地に根付く妖怪達は、幻想郷に何らかの確執を抱いている。
 それが一体何なのかは知る由も無いが、先に名の出た八雲の名。あの何よりも得体の知れぬ妖怪が、一枚ならず二枚三枚噛んでいるのは明らかになったのだ。異変解決の暁には、それをよくよく問い詰めてやる必要がある。

 そのためにも今は、いよいよ目前に迫る目的地へ。
 飛翔する速度を一段と上げて、霊夢は雲の合間を翔けていった。









「ようやく着いたわね。此処が屋敷……随分と広いわね」

 目当ての屋敷は、山を越えて直ぐに在った。
 というよりは寧ろ、山の裏面から後は全て敷地のようで、四方を取り囲む山全てに掛かって、広大な古屋敷が建っている。

 此処に来るまでに見た家屋全てを足しても尚余り有る広さ。付喪の気配もより一段と強く、それ以外の妖気も濃密である。
 いや、正確にはそうではない。屋敷そのものが妖気を放って、何とも不可解に存在しているのだ。丁度神霊奉る神社が神気を放つように、ある種の結界が屋敷全体を取り巻き、その周囲にある村へと影響を及ぼしている。

 人間の立ち入れぬ地とは、正しく真実であったようだ。
 紅魔館。白玉楼。永遠亭。妖怪の山。地霊殿。それぞれに共通する、容易に他を寄せ付けぬ居住まい。その中でもこの屋敷は一際異彩を放っていて、即座に降り立つのは躊躇われた。

 とはいえ、いつまでも拱いている余裕は無い。
 漸く此処まで来たのだ、話を着けてやれねば気が収まらぬ。さんざ振り回された末の到達なのだから、いよいよ気も奮い立たせて踏み入った。

 門前に降り立った途端、独りでに門が開かれた。
 どうやら先方は既にこちらを把握しているらしい。出迎える準備は万端というわけだ、面白い。
 そうこなくては、と堂々と潜り抜けると、道案内をするように石灯籠に火が灯っていく。それが示す先は屋敷の本殿の奥へと続いていて、余計な回り道をすることなく霊夢を誘っていた。

 部屋を通る毎にそれぞれを間仕切っている襖が開閉し、先を示すと共に後戻りを許さない。其処彼処から聞こえる妖怪達の息遣いが、此処が怪異の巣窟であると如実に表していた。

 そうして通されたのは、一際広い間取りの茶の間。
 上座には掛け軸が垂れ下がり、外光を取り入れる障子も今は僅かな月光を映すのみ。
 何時の間にやら望月の輝く夜分に入っていながらも、室内には謎の照明によって陰となる場所は見当たらなかった。

 そして、部屋の中央には。
 姿勢良く座した、この屋敷の代表格と思しき少女が待ち構えていた。




 ◆怪異寄せ合う屋根の下――――御刀自古室




 給仕姿をしたその少女は、妖怪の癖に母性溢れる佇まいで。
 礼儀も良く頭を下げて、歓迎の意を示す。

「ようこそいらっしゃいました、勿忘荘へ。生憎と主人は出計らっておりますが、どうぞごゆるりと寛いでいってくださいませ」
「そういうわけにはいかないわ。是が非でもアンタたちの主人の居場所を吐いてもらうんだから」
「そうですか。しかし先程も申し上げましたように、只今主人は出計らっておりますので……使いの者からも音沙汰が無いものですから」

 小首を傾げ嘆息する様子には、世話役ながらの苦労が滲み出ていた。
 いやに家庭的な妖怪である。変わった友人の多い霊夢にとっては人間以上に人間臭く映り、どうにも闘争の空気でないことに居心地を悪くする。

「此処が幻想郷であるのは察しが付いていますが、果たして御屋形様がそれに気付けているのかどうか……。どうにも不安ですので使いを出したのですが、それが貴方を此処に招くことになったのでしょう」
「主人についてはアンタに聞け、とも言われたわ」
「御屋形様の行方、ですか。それが分かればこんなにも苦労はしていませんよ。徒でさえ放蕩癖があるのに見知らぬ土地とあっては……態々村を丸ごと移すようなことをするのです。これも狙い、ということなんでしょう」
「それは紫の仕業」
「……の、ようですね。八雲様とは久しく疎遠でしたが、あの方にも困ったものです」
「天気とか色々おかしくなってるのは? どうにも要領を掴めないんだけど、異変には違いないし。正直何がどうなってるのか私にも分からないのよ」
「御屋形様の仕業に間違い無いでしょう。とはいえ、御自身は無自覚なんでしょうが……暫く放っておけば、いずれ収まりが着くでしょう。願わくば、此処で双方共に手打ちとしたいのですが……」
「出来るわけないでしょう? 異変解決への近道には元凶を叩くのが一番、最後まで徹底しないと大変なのよこっちも」
「そう、ですか……残念ですね」

 悲しそうに目を伏せた後、すっくと古室が立ち上がる。
 静かに手を振り上げるその様は、号令を掛ける直前の仕草に似て。やがて意を決したように霊夢を見据えた。

「……私にも皆の家を預かる者としての責任があります。此度の狼藉の数々を貴方に押し付ける気はありませんが、せめて主犯を誘き出す人質になっていただきましょう。出なさい、天井下!」


 ――屋根裏に潜む怨念――


 振り下げた手と共に、屋根裏から怪異が手を伸ばす。
 天井から生え出た無数の腕が霊夢に群がり、捉えようと身動ぎする。

 蒼白い群れの中で、逆さまに身を垂らしケタケタと笑う女が一人。この無数の手の本体である屋根裏の妖怪が嘲り、弾幕を放ちつつそれらに指示を出す。
 その妖怪そのものが古室の指揮下にあるのだとすれば、妖怪には有り得ざる統制力だ。一枚屋根の下で共に暮らす妖怪共の異常性もそうならば、この屋敷は正しく異端の地。妖怪らしからぬ“家族”という名の組織力。

 手強い相手である。幾らルールに則しているとはいえ、多対一の攻防には向こう側に軍配が上がるが道理。
 霊夢がそれに拮抗しているのは、偏に経験値の差に他ならない。

 群がる腕を掻い潜りつつ、司令塔である古室を狙う。
 天井下りの妖怪は無視だ。一度追い払ってやっても、大元の彼女が居る限り何度でも復活する。
 成程、見えてきた。つまり彼女はこの屋敷、勿忘荘そのものなのだ。長年を経て成る付喪神、彼女の場合その本体が、この屋敷全体である、それだけのこと。

 口にすれば簡単だが、それを為し得ただけの妖力には目を見張る。屋敷そのものが妖怪だなんて、それこそ此処は腹の内ではないか。
 あの言葉は正しかった。彼女からすれば、このまま霊夢を閉じ込めて逃がさないのも容易いのだろう。そうしないのは、あくまでもルールに則り力量をこちらに合わせてくれているからだ。
 スペルカードルールの面目躍如と言ったところである。ならばそれに一日の長がある霊夢が敗れる道理は無く、幾度かの反撃の末にこの猛攻を打ち破ることに成功した。




 ――――Spell Break




「……結構楽しいですね。幻想郷では日常茶飯事なのでしょうか?」
「アンタ達みたいね騒動起こす奴がいるとね! 無いなら無いで困るんだけど」
「ですがこちらにも退けぬ理由があります。多少の無作法はお許し頂きたく……逆柱!」


 ――鳴家の禍音――


 地鳴るような轟音と共に、床下から柱が幾本も突き立った。
 逆柱の妖怪取り憑くそれは高笑いをしながら霊夢を狙い、長物でそうするように貫かんを屹立する。

 慌ててそれを避けると柱はそのまま天井に突き刺さり、次いで屋敷全体を軋ませながら耳障りな家鳴りを引き起こす。その衝撃が弾幕となって霊夢に降り注ぎ、ともすれば瓦礫の雨に晒されるが如く。

 似たような弾幕を霊夢は知っている。山坂の権化たる神格の象徴、御柱と奉られるそれが、この場合下方から競り上がってくるようなものだ。
 とはいえ、あちらは神威、こちらは妖異であるとの違いはあるが。しかし強大なる妖怪の庇護下にある眷属の猛攻は、それに勝るとも劣らぬ迫力を以って乱舞した。

 しかし霊夢も負けたものではない。
 攻め手のような派手な一撃は無いにしろ、挑む者としての堅実な立ち回りが確りと対象を捉え討ち、逆柱の脅威をも打ち破った。




 ――――Spell Break




「やりますね。所詮遊びとはいえ、我ら相手にこうも立ち向かえる人間は珍しいです。最近は出入も無かったんですが……これも時代ですか」
「そうでなきゃ人間なんて今頃絶滅してるわよ。舐めないでよね」
「十分存じていますとも。でなければ、私と御屋形様の今の御縁も無かったのですから」

 既に打ち崩れた部屋に、敵の攻撃を躱せるような場所は無い。
 出入り口を閉ざす妖怪襖を無理矢理破り、無事を保っている別の部屋へと逃げ込む。

 間取りの関係で霊夢を見失った古室は、しかし慌てることも無く淡々と宣言した。

「逃がしませんよ。目目連」


 ――黙々凝視――


 ギロリ、と辺り一面から視線が覗いた。
 床下、壁、天井。道行くありとあらゆる場所から眼が凝視し、霊夢の動向を捉えて逃がさない。

 まるで境界の妖怪が使うスキマのような様相。
 全てを見透かす屋敷の視線が霊夢を追い、その眼光が弾幕となって襲い掛かる。

 視線の泳ぐ方向に弾幕が降り注ぎ、目の瞬きが緩急となって拍子を取り、四方八方から睨み付ける。
 案の定、潰しても潰しても切りは無く、この屋敷にある限りは不滅であることを示していた。

 やがてまた別の部屋へと追い込まれ、それらの猛攻が止む。
 最後まで耐え凌いだ霊夢を讃えるように古室が現れ、次なる一撃をその手に示す。




 ――――Spell Break




「随分と屋敷が荒されてしまいましたね……まぁ自業自得ですが。そろそろ諦める気はありませんか?」
「冗談!」
「でしょうね。では一等派手にお見舞い差し上げます――――足洗邸!」


 ――本所七怪の大足――


 それを見て霊夢は絶句した。
 メリメリと天井を突き破って現れたのは、筋骨隆々とした巨人の大足。矮小な霊夢の身体など蟻のように踏み潰さんと床を踏み付け、そのまま床下まで突き破って消える。
 かと思いきやまたも上から大足が現れて、同じようにして何度も何度も部屋を踏み抜いていくのだ。

 捲り上がった畳らと、そのまた下の土台の土塊が隆起して、生きているように霊夢に殺到する。
 鬼にも負けぬ力業。可憐な容姿には似合わぬ猛攻の、その威力に圧倒される。

 しかし歴戦の霊夢には付け込める隙が見えていた。
 大味故の隙。去り際から出現までの空白が、この場合は致命となる。

 大足が盾になろうとも、その隙間を突けばこちらの一撃も相手に届く。
 宙を飛ぶ霊夢が障害に足を取られるということはなく、小さな身で見えざる巨人を打倒した。




 ――――Spell Break




「まさか……ここまでして捉えられぬとは思いもしませんでした」
「こちとら年季が違うってのよ、少なくとも弾幕ごっこではね」
「こんな状況でなければ、客人として喜んでお迎えしましたのに。八雲様には我々からきつく言っておく必要がありそうです」
「人間を迎える妖怪ってのも気味が悪いわね」
「家からすれば、住まう者に妖怪も人間も変わりありません。尤も、今の主人を手放すつもりなど毛頭ありませんが」
「一体何者なのかしらね、全く見当もつかないわ」
「御屋形様は偉大な方です。あの御方がなければ、私は徒の廃屋。皆も有象無象の妖怪に落魄れていたでしょうから。たとえ妖怪にも人間にも成り切れぬ半端者と言われても、我々があの御方の下を離れる理由にはなりません。だから――――」

 一瞬、溶かすような激情が見え。

「我々から、御屋形様から仲間を奪った幻想郷が憎い。ですが皆が無事ならば、それでも良いと思っておりました。それなのに貴方々は、今頃になってやってきて、今こうして安楽の地を奪おうとしている。たとえ賢者が相手と言えども、最後の楽園が相手と言えども、我々は最後まで抗いましょう。我らの夜行を率いるのは、御屋形様以外に無いのですから」
「ふぅん、色々と込み入った事情のようだけど、生憎私は何も知らないの。だからそんなことを私に言われても、それがどうなんだってことよ」
「ええ、それで構いません。元より我らの不甲斐無さもあったのですから。――――博麗の巫女、次で終わりにします。これ以上屋敷を荒しても仕方ありませんし、よろしいでしょうか?」
「勿論よ。私もさっさと終わらせたいの」
「承知しました。……号令は私の役回りではないのですが、全身全霊を以ってお相手します。であえッ――――!」


 ――勿忘荘の住人たち――


 その鬨の声と共に、魑魅魍魎が沸き出した。
 一体何処に潜んでいたのやら。半壊寸前の屋敷のあらゆる場所から多種多様な妖怪共が現れ出で、徒党を為して襲い来る。
 その数や無限大。屋敷妖怪の庇護の下、不滅を謳いながら、徒々数の暴力を以って殺到するその様は、人間からすれば悪夢以外の何物でもない。

 これほどの妖怪を統率し、それを更に上から収める御屋形様の、その底の知れなさが恐ろしい。
 妖怪を統べる妖怪。そんな存在、見たこともなければ聞いたこともない。そんなデタラメが罷り通っているなど、人間としては信じたくもないが、しかし個人的な興味は強く惹かれた。

 だが今は、目の前の脅威を除かねばならない。
 ここまで来るとこちらも対応がどうこうと細かいことは言ってられない。完全な力押し、真正面から捻じ伏せる以外にないだろう。
 押し寄せる妖怪の波を掻き分け打ち砕き、一等強力な霊撃を以って血路を開き、そこに身を捻じ込ませる。

 そうして本陣に構えていた古室は。
 目の前まで突破してきた霊夢を見据え、心底感心したように微笑んだ。

「やりますね」
「アンタもね」

 霊夢も乱暴に笑い返し。
 今初めて、最大威力の一撃を振りかぶる。


 ――霊符 夢想封印――


 色鮮やかな霊力の塊が、力強く四方から古室を狙い打つ。
 その最中にいた妖怪共も巻き込みながら、頗る付きの霊力が辺りを呑み込み、勝敗を決定付けた。




 ――――Spell Break



















「いたた……流石に容赦無いですね。御屋敷もこんなに荒れてしまって……皆が帰ってくる前に片しておきませんと」
「殆どはアンタの仕業じゃない。で結局、私の勝ちに終わったんだけど? 勿論親分のところへ案内してくれるのよね?」
「ですから私も行方は知りませんとあれほど……あら?」

 ぼろぼろに打ち崩れた部屋に、ひらひらと蝶が舞い降りる。
 金色の鱗粉を撒き優雅に舞うそれは、霊夢が山でみた蝶と同じもの。

 それが何故此処へ? と疑問に思ったが、古室が合点がいったように表情を変え、なにやら頻りに頷いていた。

「お疲れ様です――――ああ博麗さん、御屋形様の行方が分かりましたよ。彼女が案内してくれるそうです」
「彼女って……これのこと? 蝶なんかに案内を任せられるのかしら」
「あまりそういうことを言っては痛い目に遭いますよ? それに大丈夫です、彼女なら私も安心出来ますから」
「ま、いいわ。それ以外に手掛かりも無いんでしょうし。見つけたらギッタンギッタンのけちょんけちょんにしてやるんだから!」
「ええ、是非ともお願いします。御屋形様も不用意に出歩かれるばかりで、偶には懲りて貰いませんと」
「……アンタも結構強かよね」
「女房役は逞しいんです。御健闘、お祈りしていますよ」









 ――――――――――――Stage 5 Clear




 少女祈祷中……



[4169] 東方忘我経 Stage6 前編
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/08/17 17:50


 晴れ上がる蒼天の 煙に撒かれて滴る雨に 彩の華薫る唐衣

 見知らぬ波を捉え取り 騒ぎ求める言の葉の 人の間に棲む人でなし

 夢見まどろむ白妙の 静けさ破る蒼白と 忌むべき火輪の魁に

 八房添えた頂の 化かして喰らわば鉄の 鼓動聞こえる熱の音

 華厳の流れに身を晒し 妖花彩る赤い糸 怪異居並ぶ軒の下


 雪払う天道見下ろす彼方から、望月の映える夜天に塗り変わった今

 更なる怪異がその間に覗く。


 昼と夜の境目

 昼ではなく 夜でもない なのに月の影が視えるころ

 斜陽色付く黄昏の 誰が呼んだか《逢魔が時》


 魔の目覚めるには未だ早いが 確かに聞こえる息遣い

 正体無き気配の矛先は 今になく鋭く喉笛定め




 ――――その不確かな“直感”に、巫女はいよいよ確信を深めるのだった









 東方忘我経 Stage6 ~架空幻想 空想絵巻~









 妖怪屋敷から一歩出ると、辺りの様子は一変していた。

 否、今更二変三変、どうということはない。今に限って異常が正常ならば、異変の中での異変など些細なものだ。
 だがそれにしても、驚くほどに短く感じた時間の中で昼頃から深夜までを駆け抜けた霊夢にすれば、時が巻き戻ったかのように、或いは時が一巡りしたかのように夕暮れが広がっていては、その心境はいかばかりか。

 昼と夜の境界。逢魔が時とも呼ばれる、人間にとっては非常によろしくない時刻。
 基本的に夜行性の妖怪たちが目覚め始め、人間は一日の終わりを予感する頃合にあっては、あまり出歩きたくはないのが本音である。

 とはいえ霊夢も慣れたもので、紅い霧の日や明けぬ夜の日にも出動してみせた経験もあれば、寧ろこの程度は易しいものだろう。

 指先にひらひらと惑う金色蝶を弄び、先導だというそれに目で伺えば、特にそれらしい行動も見せやしない。
 あっちにひらひら、こっちにひらひら。頼りなさげに羽ばたいては、手探るようにして進むばかり。

 正直、これならば直感任せに飛び出した方が幾分もマシ、というのが霊夢の本音なのだが、そうしようとすると蝶は途端に態度を変えて羽ばたき霊夢に訴えるのだ。
 その所為で無碍にも出来ず、何にせよ虫けらの言うことなのである程度まで好きにさせていればこそ、この遅々とした歩みである。

 金色に舞う蝶。
 見た目はただの虫であるが、実質手にした触感もただの蝶のそれである。ただその挙動の一つ一つが伴う気配というか、いやに淑やかで、妙に有難いような、何とも言い難い得体の知れなさを以って惹き付けるのが悩ましい。

 触る分にはただの虫でも、見る分には至上の宝の如しである。

 俗なようでいて貴い、うつろに舞うそれにのそのそと着いて行けば、何時の間にやら村に踏み入った境界線まで辿り着いていた。

「これだと村から出ちゃうけど、当てなんてあるのかしら? 少なくとも道なりには居なかったわよ」

 ひらひら。蝶は黙して語らない。
 いや元よりそういうものであるが、先導に伴うのならば何か一言でも返事が欲しい気分だった。

 だが進展もあった。
 蝶の先導にあった迷いが、村を出たのを境に消えたのだ。

 ひらひらと頼りなさげに舞う様子に変わりは無いが、支離滅裂に飛び回ることがなくなった。
 ある一点の彼方を目指し、打って変わって真っ直ぐに飛ぶ蝶に、霊夢の期待も少しだけ浮かび上がる。

 そして徒歩で進むこと暫く、行きにさんざ飛び回った山中の、少し開けた広場に着くと、そこに見覚えのある姿が待っていた。

「よう、戻ってきやがったな」
「暫く振りだねぇ。無事だったかい?」

 火輪と燦である。

 一勝負交えた今、何の用かと霊夢が身構えるが、燦はそれを柔和に宥める。
 応じて鬼火を纏わせる火輪も諭しつつ向き直ると、やや深刻な顔をして切り出した。

「奥殿には会ったんだね? その様子じゃあ旦那も見つからなかったようだ」
「お陰様でね。頼りになさそうな情報なんて全然無かったわ。変な道案内は紹介されたけど」
「ふふふ……まぁそこの彼女も、ここ最近は顕界になんて顔を出しちゃいなかったからねぇ。寝惚け眼じゃあ無理があるだろうさ」
「……で、結局何の用なのよ。アンタたち」

 胡散臭げに睨む霊夢の視線を、燦はさらりと受け流し。
 立ち会っていた火輪が、面白くなさそうに悪態を吐いた。

「姐さんの言い付けでな、テメェの道案内をしてやる」
「道案内? 案内ならもうあるんだけど」
「そっちの姐さんで分かるのは“道”と“場所”だけだ。分かるには分かるが、何も知らねぇテメェじゃ大将の元に辿り着くのは土台無理ってなもんだ」
「はぁ……?」

 今一信用しようとしない霊夢に、火輪が苛立ちを募らせ始め
 互いに剣呑な雰囲気になりかけたのを、ピシャリと火輪の肩を傘が打ち。

「はいはいそこまでだよ、ご両人。特に火輪、おまえの言い方じゃあ説明不足だろう? みっともなく苛立ってるんじゃないよ」
「す、すんません……」
「すまないねぇ、喧嘩っ早い妹分で。要は火輪がお前さんを乗せて道案内するから、それに従って欲しいってことなんだよ。今お前さんが連れてる案内じゃあ、ちょっと不安でねぇ。なに、悪いようにはしないから。ここは一つ信用してやってくれないかい?」
「妖怪に信用してくれって言われても、それこそ信用出来そうにないんだけど。なにかロクでもないこと考えてんじゃないでしょうね?」
「用心深いねぇ……良い心構えじゃあるけど、今だけ曲げてくれないかい? あたしらとしてもね、一刻も早い解決を望んでいるのさ。聞けば異変を解決するのは巫女の仕事らしいじゃないかい。あたしらはその手助けがしたいだけさ」
「別にテメェがくたばろうがなんだろうが知ったこっちゃねぇがな。今の大将をこのまま放っておきたくないんだよ。いいからさっさと乗りやがれ」
「こら、火輪!」
「イテッ」

 傘を鞭代わりに打たれ大人しくなる火輪。
 妖怪としての格そのものはどう見たって牛骨の車を駆る火輪の方が上ではあるのに、何故かたかが一介の付喪には逆らえないようだ。

 益々変わった妖怪たちだ。
 少なくとも、今まで見てきた連中にはないタイプらしい。
 いや、地霊殿に棲む読心妖怪とそのペットたちには似ている気がしたが、いずれにしてもこんなに気心の知れた間柄というのは、妖怪としては珍しい。

 とはいえまぁ、所詮は妖怪だが。
 結局信用し切れないのは事実だが、手助けになるというのなら期待してみるのも悪くはない。

 乗れという牛骨の車に視線を送るが、しかしこれに本当に乗らなければならないのだろうか。
 出来ることなら遠慮したいが、火輪はいよいよ不機嫌になってしまうし、燦も申し訳なさそうに頭を下げるものだから仕方がない。
 道案内の蝶もとやかくいう様子もなし。寧ろお役御免とばかりに自由に飛び立っているものだから、結局乗るしか進展はなさそうだ。

「アタシの牛骨丸に乗ったヤツは、アタシと大将と獲物だけ。テメェで丁度四人目だ、感謝しやがれ」
「あら、それじゃあアンタ今まで一人しか人間喰ってないの?」
「相変わらず生意気な人間だ。いいからさっさと乗れ、鬼火くらいはどうにかできんだろ?」
「言っておくけど火輪、なんか粗相したらタダじゃあおかないよ」
「大丈夫よ。別にアンタ程度の妖怪の炎なんて、どうってことないし」
「……姐さん、コイツ喰っていいですか?」
「火輪」

 火輪が車に跨り、その後ろに霊夢も乗る。
 今まで見たこともない、車輪らしきものが前後一列に並ぶだけという、一見すれば到底走れそうにない車体に不安を覚えるが、妖怪二人の様子を見る限りでは特に欠陥を携えている風でもない。

 斜に立つ車に脚を掛け、舵を握る火輪と同じようにして跨ると、ぶるりと車体が震えて轟く。
 獣が息遣いするうように、しかしそれにしては余りにも爆発的な鳴り響きに、霊夢が思わず身を固め――――

「しっかり掴まっとけよ。じゃねぇと派手に吹っ飛ぶぜ!」
「きゃぁっ!?」

 ドンッ、と鉄砲でも撃つかのような衝撃と共に、土煙を爆ぜ撒き急加速。
 とても乗り物とは思えない乱暴な乗り心地に、霊夢は火輪にしがみ付きながら、二人は瞬く間に彼方遠くへと消え去っていった。


 そして残された燦は一人、同じく残った金色蝶を侍らせながら。
 些か呆れたように冷や汗一つ。

「だ、大丈夫かねぇ……一応、凄腕の人間ではありそうだったけど」

 ひらひら、と。
 心配そうに見送った燦など知らず、金色蝶は夢うつつに飛び回っていた。




 ――――――――――――――――

 ――――――――

 ――……




 これほどまでに高速で移り変わる景色は見たことがない。
 遥か上空で飛び回れば緩やかに流れるように見える光景も、この高速で至近距離から見れば、その移り変わりは最早景色という名の“色”が滅茶苦茶に溶け合うようにも見える。

 車体を駆る火輪曰く、天狗の飛翔に次いで速いとのことだが、人間の霊夢にはとても慣れそうになかった。
 精々、振り落とされないようにしがみ付くのが精一杯である。運転そのものは乱暴なくせに正確無比、また妖術なのか騒音らしい騒音も一切立てず暗闇に溶け込むように静かなのだから、益々以って気味悪い。

 時折出くわす野生の妖獣なども、蒼白に燃え盛る車を一目見ただけで慌てて逃げ去るのだから、やはり妨害らしい妨害もなく、移動そのものは順調といえた。

「結局魔理沙たちは気付かなかったわね」

 暫く走って、思い返すようにポツリと霊夢が呟く。

「魔理沙なら絶対どこかでかち合うと思ったんだけど」
「そりゃそうだ。ただの人間が『気付ける』ワケがねぇ」
「え?」

 溶け合う景色の速さはそのままに、前を向いたままの火輪が答える。
 どこか自慢するような、少しだけ機嫌を良くしたように言い、続ける。

「大将はな、そりゃあ凄い御方でな。そんじょそこらの木っ端妖怪が幾ら徒党を組んだところで敵いやしねぇ。ましてや人間なんざ、本来なら『気付きもできない』のが当たり前だ。なのにテメェが気付いたってことは、よっぽど“勘”が良いんだろうよ」
「どういうこと?」
「アタシらみたいな“妖怪”が、どうして一つ屋根の下で暮してるか分かるかい? 盃なんて交わしてよぉ、身内の契りを結ぶなんざ、人間同士でもそうは無いってのに。アタシらはな、人間。心底大将に『惚れちまっている』のさ」
「惚れる? 妖怪が?」
「そうとしか言い様がねぇ。アタシらは妖怪だ、たかが人間が振るう槍やら鉄砲やら全然怖かねぇが、それでも惚れてしまえば敵わねぇ。大将は敵も多いがよ、その分惚れちまった味方も多かったのさ。かくいうアタシも、好き勝手してた頃にボコられて以来の付き合いでな。居場所がねぇヤツ、独りだったヤツ、色んなはみ出しモンが居たけどよぉ。そいつを全部あの方は笑って盃をくれたんだ。楽しかったぜぇ、人間襲うのもそうだが、妖怪同士で喧嘩したりよ。大将はいつだって先頭切って出入りしたんだ。――――幻想郷が隔離するまではな」
「幻想郷? なんか関係あんの?」

 霊夢がそう訊ねると、火輪は憎々しげに舌打ちし。
 心底悔しがるように、遣り切れない面持ちで静かに語る。

「昔っから幻想郷といやぁ妖怪にとっての救済措置というか、最後の居場所みてぇなもんでよ。人間に追い遣られた妖怪なんかが逃げ込んだりして、まぁ妖怪にとっての楽園として有名だった。大将を始めとするウチの連中も、幻想郷とはそれなりに付き合いがあったしな。だが、もう百年以上も前か。江戸が終わって人間が力を付け始めた頃。妖怪連中がそこかしこから消えて、幻想郷に棲むようになった時代だ。段々と人間の世の中に変わっていく時勢に対抗して、幻想郷を結界で隔離しようってことになった」
「博麗大結界のことね。妖怪の間で随分と騒動があったって聞いたけど」
「ああ。隔離に賛成のヤツ、反対のヤツ。双方入り混じった大騒動。それは勿論、幻想郷の外でも同じだった。なんせ大結界が敷かれちまえば、自由に出入りが出来なくなる。ウチの大将はな、人間。それが気に入らなくて幻想郷に“戦争”を仕掛けたんだ」
「はぁ!?」

 思いがけぬ言葉に、霊夢が目を丸くする。

「幻想郷と戦争って……紫が許すはず無いじゃない!」
「ああ、八雲の御大もそりゃあ怒りに怒ったさ。幻想郷は最後の楽園、その存続こそが妖怪の存続に直結するってな。まぁ正論だわな。元々幻想郷に棲んでた連中も向こうさんに味方して、ウチも大将を慕ってた連中が随分いたもんだから、妖怪勢は二分して大戦争だ」
「それって丸っきりそっちが悪いんじゃない。幻想郷が危ないってんなら、そりゃあ反抗もするわよ」
「ああそうだ。そっちの主張だけ聞けばな。でもよ人間、ウチらがなんの義もなしに、気に入らねぇってだけで戦争なんかすると思うかい? そんなはずはねぇ。人間がどう思ってるかは知らねぇが、少なくともウチの大将はそんな下衆な真似をする方じゃねぇ。考えてもみろ。大結界を張って幻想郷を隔離したとして――――一体誰が外の連中を救うんだ?」
「え……?」
「妖怪を滅ぼさないための幻想郷。確かにその存続のために隔離すんのは最上の手段だろう。だけど隔離した後、幻想郷に入れなくなった時代に生まれて来る妖怪は、一体どうやって生きればいい? “最後の楽園”も、そこに行けないんじゃあ意味が無い。人間の世の中だ、昔に比べて妖怪が生まれてくるようなことは殆ど無くなったが、それでも少しずつは生まれるもんだ。独りぼっちで生まれてよぉ、居場所が無い、人間も襲えないってんなら、生きる意味も無くなるだろうが。大将はそれを恐れて戦争したんだ。人間から逃げ隠れるよりも、今こそ妖怪が本腰を入れて人間と対抗すべきだってなぁ。言ってみりゃあ完全な人間の世の中にはしたくなかったんだ。昔ほどじゃなくても良い、一箇所に集まって隠れるよりは、それこそ妖怪として人間襲って、その存在を、恐怖を思い知らせてやろうってな。――――ウチの連中は、そんな大将の理念に賛同して、幻想郷と戦争したんだ」

 妖怪の、妖怪だからこその葛藤。
 それは決して人間の理解を得られるようなものではないが、妖怪にとってはまさしく種の存亡に関わる事態。

 幻想郷こそ第一と考える八雲紫の理念は、凡そ誰もが知るところである。
 しかしその一方で、“幻想郷”という一楽園だけの存続を良く思わないものが居たのも道理。それは、幻想郷の歴史書にも記された事実である。

 主張と主張のぶつかり合い。
 言ってみれば双方にとっての“正義”の衝突だ。

 人間を襲うことこそが妖怪の存在意義なら、限られた範囲でしか人間を襲えない幻想郷は歪なもの。
 それまでの“自由”の大部分が否定され、ひいては妖怪そのものを否定しかねないその処置に、かつて彼女らは抗ったのか。

 霊夢は人間だ。人間だから妖怪の事情になど興味無いし、互いに潰し合うのならそれでも良いとも思っている。
 だが、だからといって、その内実に口出しは出来なかった。妖怪と人間の境界線、それを線引きして認識しているのなら、それらの事情に一切関与しないのが、人間としての最低限の筋なのだろうから。

「結局、ウチらは負けた。幾らアタシらが味方しても、時代の流れは味方しなかった。寧ろ時代という枠組みからすりゃあ、ウチらは紛う事無き“悪”だった。結果身内の大部分は幻想郷に帰順して、それでも諦め切れないような意地っ張りが大将に付き合って、幻想郷から追放された。ウチら妖怪は矢にも鉄砲にも負けはしねぇが、精神的なものには人間以上に弱い。大敗北を境に大将は腑抜けて、すっかり『人間のように』なっちまった。すごすごと何処か僻地に追い遣られてよ、そうして出来たのがあの村さ。“勿忘村”はな、そんな惨めったらしい未練の塊だ。幻想郷が人間から忘れられちまった妖怪を取り込む一方で、それからすらも忘れ去られた連中を村はあちこちから受け入れて、気付けばあんなに広くなっていた。過疎化で忘れられた村、使われなくなった道具、居場所の無い妖怪。そんな連中の“最後の吹き溜まり”があの村なのさ。どうだい、惨めな話だろうが」
「…………」

 景色は、いつのまにか夕暮れ色に染まっていた。
 真昼の下の喧騒を名残惜しむように、或いは怪異の目覚めを今か今かと待ち侘びるように。

 そんな未練と渇望の境界線。
 人の世と、妖怪の世の境目が覗く一時の瞬間。“逢魔が時”が長々と続く。

 月も見えている。
 一日の全てが一望出来るこの瞬間は、一体何を思って広がるのか。

「だからよぉ、人間。人間として大将と戦ってやってくれ。大将は人間にも妖怪にもなりきれない半端者だが、それでもウチらの大事な大将には変わりないんだ。もう長い間『人間として』暮してきた。だから今度は、『妖怪として』気侭に生きて貰いてぇんだ。人間、アンタにしか出来ない。人間で、幻想郷を代表するアンタにしか。頼むぜ、アタシらを悉く倒してきたアンタだから」


「――――知ったことじゃないわね。私はあくまで、異変だからぶちのめすだけよ」

「…………感謝するぜ、博麗の巫女」


 夕暮れは途切れない。
 逢魔が時は終わらない。

 何時の間にやら、幻想郷のどこでもない、全く見知らぬ“異界”に、二人は居た。

 どこか郷愁を感じるような。
 どこか未練を覚えるような。

 どこまでも名残惜しい、覚えのないはずの思い出を感じながら。
 最早半分以上も沈んだ夕日に、欠けたるところのない朧月が見下ろす場所に、紫煙燻らせ佇む人影。

 煙管片手に彼方を見詰め、すれっからしたように待ち受けるそれは。
 真っ直ぐに霊夢の姿を捉えると、待ち草臥れたように微笑んだ。




「久し振りだな、“幻想郷”」

「初めましてね、“妖怪さん”」




 ――――逢魔が時に 人と妖







[4169] 東方忘我経 Stage6 後編
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/08/21 03:29


 対峙する。
 人間と妖怪。火輪は去り、見えぬ境界線を中心に、踏み出しも逃げ出しもせず、ただ静寂の為すがままに両者は佇む。

 自然、視線が行くはその姿。
 女である。昨今妖怪も人間と寸分違わぬ姿に変化していることが多いが、それにしても目の前の妖怪は特に人間染みていた。

 人間らしからぬ、人間ではないからこその常軌を逸した美貌。ぬばたまの、と形容するに相応しい髪を風に晒し、豊かな肉付きも人間の女のそれ。
 何も知らぬ人間なら。碌に妖怪に触れたこともない人間ならば、見るがままに人間の女と見紛うだろうその姿。

 しかしその女らしさを打ち消すように、伊達に着飾るは陣羽織。
 傾いているにしても異色極まる出で立ちだが、彼女に限っては違和を見出すこともない、至って自然な風体である。
 腰に匕首を差し、そっと口元に添えられた手には煙管。ゆらゆらと紫煙を燻らせた向こうから、覗くのは爛と輝く紅の双眸。

 ドン、と。

 視線を合わせた瞬間、思考が叩き付けられたような気がした。
 気がしただけで、実際の影響は視えないのだが。こうした訳のわからない感覚も、妖怪と直面すれば間々あることである。

 吸血鬼も。
 亡霊も。
 宇宙人も。
 風神も。
 地獄鴉――――いや、地霊殿の主の時も。

 そういう『得体の知れなさ』を感じている。
 そしてそういう手合いに限って、強大な“力”を有しているものだ。

 “これ”も同じ。
 そしてそういう手合いに限って。異変の“元凶”であるものだ。


「アンタ、結局何をしてたのよ?」

「何をしてたか……か。ふむぅ」




 ◆忘れられた妖怪大将――――無明寺八重




「――――多分、色々と境界が『歪んで』いたんだろうな。さっきまで『人間に近かった』私は、きっとそのことを覚えていないのだろう」
「境界? ……歪み? そんな、紫じゃあるまいし……」
「違う。紫はそんなことしないし、出来ない。妖怪として限りなく完璧に近いあいつと違って、私は妖怪としても人間としても半端者だ。だからそんな器用な真似は出来ない。さっきまで人間に近かった私は、人には過ぎた力に振り回されていただけなんだろうな」
「…………どういうこと?」

 言っている意味が判らずに、霊夢が訊ねる。
 その反応を当然のように受け止めた八重は、苦笑。自嘲するように唇の端を歪ませながら、紫煙を呑む。

 暫し、視線を泳がせて。
 思い出すようにぽつりと呟く。

「……ま、元は私も人間だったのさ」
「それはアンタの手下から聞いてるわ。でも魔法使いでもなさそうだし、そんなポンと妖怪に成っちゃうようなものかしら?」

 そんな当たり前な風な物言いに、八重が笑う。

「かつて人間だった私は、ある日を境に妖怪に成った。理由は分からない。だけど獣や木々、時折どこぞの神すらも“妖怪”に成り果てるような世の中だ、人間が妖怪になるようなことも、有り得ないことではないだろう?」

「そういうもの? よく分かんないけど」

「そういうものだ。それだけ、世の中ってものは不思議に満ち溢れている。そう考えるとな、人間だろうが妖怪だろうが気が楽になってな。初めこそ小娘らしく泣き寝入りもしたもんだが、その後は好き勝手に暮したよ。私は人間にも妖怪にも成りきれない半端者だったが、その分誰よりも自由に生きた――――その自覚がある」

「ちょっとだけ羨ましい話ね。まぁ妖怪になるなんて真っ平御免だし、今でも十分気楽だけど」

「そんな私だが、とかく“縁”には恵まれていてな。『人間として』妖怪退治をしたり、『妖怪として』人間襲ったりしている内に、知り合いだけは多く出来た。人間にも妖怪にも成れない、半端者で灰色な私だが、そんな私でも幸福を得られるくらいには、世の中というものは不思議に満ち満ちていて、楽しいものだった。世の中は分からないことだらけで“グレーゾーン”ばかりだが、だからこそ面白い」

「だから気に入らなかった」

「ああそうだ、気に入らなかった。人間に追われるままに、引き篭もろうとする妖怪たちが。そんな時代の変遷が。紫にも相応の考えがあって、それが妖怪とっても人間にとっても良いことだと信じていたのだろうが、私はそうは思わなかった。寧ろ力を付けた人間に対抗して、妖怪も力を付けて立ち向かうべきだと信じていた。そうして世の中が『灰色に』なれば、もっともっと面白くなると信じていた」

「アンタの手下には、妖怪を救うためだと聞いたけど?」

「そうだ。それもある。私が最も恐れるのはな、博麗の巫女。『自分を否定されること』だ。我を、自らが経てきたことの全てを、忘れられてしまうことだ。忘れられるということは、“無い”も同じだ。善も悪も何もかも、忘れられてしまうなら意味が無くなる。そうして『存在そのものが根本から認められない』、そんな世の中になってしまう前に、起つべきだと思ったのだ。どうしようもないヤツも、ロクでもないヤツも世の中にはいるだろう。だが、だからといって、存在そのものを否定するような世の中は、少なくとも私は認めない。そんなものを、世の中だと絶対に認めたくない。――――広いはずの世界を捨てて、狭い世界に閉じ篭るような真似は許せなかった」

 妖気が解き放たれる。
 人の姿に秘められていた“力”を最早隠すようなこともせず、その矛先を霊夢に向ける。

 応じて霊夢も。
 博麗の巫女たるその身に秘められた、あらゆる妖怪を調伏せしめる霊力を開放し、符を持ち印を組み。

 長々と高説を垂らすたかが妖怪を睨み付け。
 妖怪の事情などバッサリと、真っ向から切り捨てて言い放つ。


「アンタは妖怪で、異変の元凶よ! おとなしく人間に退治されときなさい!!」

「ならば私は人間を襲う! 生涯忘れられぬ恐怖に畏れ慄くがいい――――!!」




 ボウッ、と。
 濃密極まる煙幕が視界を覆う。
 八重の咥える煙管から立ち昇る紫煙が、如何なる術によってか撒き広がり、白亜の弾幕となって霊夢を取り囲む。

 晴れぬ視界に打ち返し、妖気を察して打ち出すが、カカと遠くで響く弾の音。
 視界を封じられた霊夢には見えてはいないが、それは八重が何時の間にやら手にした傘で霊夢の弾幕を防ぐ音だった。

 霊力の塊が何故礫の打ち付けるような音を出すのかなどと、そんな些細なことは考えてはいけない。
 直感だが、そうした合図によって最低限の位置と状況を知らせるルールだと判断する。そういう遊びの有無が、弾幕ごっこが弾幕ごっこたる所以なのだから。

 真っ白に立ち込めた闇の中で、音だけの決闘が続く。
 基本防御に徹する八重を、勇猛果敢そのままに攻め立てる霊夢の弾幕が貫いていく。

 八重にとっては霊夢の動向を視るためだけの小手先。
 まさしく小手調べそのものを、苦も無く打ち破ってみせた霊夢に満足したように笑み、第一段階を終了する。

 白煙が晴れる。
 当然見える筈のものと思っていた八重の姿は、しかし忽然と消えていた。

「人間に、視えるかな?」


 ――妖術「神出鬼没の足音」――


 ひた ひた ひた、と
 音はすれども姿は見えず。複雑怪奇なる足音だけは間近で響き、それ以外は全く見えず、そして視えない。

 足音一つ鳴る度に、僅かな妖気の残滓が弾となり、それが唯一の目印となるばかり。
 闇雲に弾幕をばら撒けば、それが壁となって相手の弾を見落としかねない。だから慎重に“待ち”に徹する。

 しかして霊夢の一歩すぐまで足音が近付けば、濃密な妖気と共に死角から弾幕の波状攻撃が展開された。

「えっ、ちょっ、そんなのズルイ!」
「ズルくない。もっと感覚を研ぎ澄ませ」

 瞬間振り向いた先には、姿を現した八重が立っていて。
 隙を晒している間に攻撃するだけした後は、また忽然と姿を掻き消した。

 そしてまたひたひたと足音が鳴る。
 あの迸る妖気の気配など影も形もなく、申し訳程度に匂わせられた妖気の滓を残すばかりで、姿無く霊夢を取り囲む。

 姿無き足運びから、怒涛の如き猛攻。
 暫くはそれに慣れぬまま徒々避けに徹するばかりで、流れを八重に任せてしまう。

 やがて姿の有無の間隔が短くなり、不定期になり。
 その度弾幕の激しさが増すようになると、その窮地にあってこそ感覚を研ぎ澄ませたのか、現れざまに振り抜いた霊夢の拳が、そのまま八重を打ち抜いた。




 ――――Spell Break




「美事。博麗の巫女としての資質は充分なようだ。まぁ欲を言えば、しっかりと姿を捉えて欲しいものだったが」
「そんな面倒臭いこと、するわけないでしょう? 現に破ったんだからいいじゃない」
「つまらんなぁ。まぁいい、さて次はどうかな?」

 言うわりには、特に宣言することもなく。
 浴びせられたのは徒の弾幕。それらしい妖術は伴っていない。

 離れた八重を中心に、円周から放射される幾何学の波形。
 出来損ないの文字の綴りの如き奔流、入り組む迷路にも似たそれを掻い潜る霊夢に襲い掛かる弾幕。

 霊夢が幾何学の弾幕を避けるその向こうで、霊夢の弾幕を真似したのか、さっきまで放っていたそれに酷似した弾幕を、霊夢の道を阻むように展開する。

 だが今度は特に守りらしい守りもない弾幕だ。避けつつ打ち込めばそのままダメージに繋がり、故に間も無く破ってみせた。

「では続けていこうか」


 ――妖術「主客転倒の怪異」――


「えっ?」

 と霊夢が驚くのもつかの間、背後から弾幕が襲ってくる。
 違う、そうではない。何時の間にか霊夢が八重の前方に居た。
 否、それも違った。正確には、霊夢と八重の位置が入れ替わっていたのだ。

 彼我の立場が逆転し、霊夢が受け、八重が攻める。
 妖怪の立ち位置に人間が、人間の立ち位置に妖怪が居座り、主格すらも入れ替わっての決闘。

 いつも霊夢が妖怪に弾幕を放つように、妖怪が霊夢に弾幕を放つ。
 刹那に起きた異常事態に驚き戸惑う間にも弾幕は襲い掛かり、それを霊夢は慣れぬ位置でただ避ける。

 かと思いきや、またも何時の間にか立場が逆転していて、本来の位置に戻っていた。
 自分が攻勢に回る番なのだと直感で判断して、両の目で八重を捉え、放つ。

「驚いたか? この術でちょっと他所に邪魔したりしてな、茶菓子なんかを頂戴するんだ」
「迷惑な話ね。客のくせに主人面するんじゃないわよ」
「ははは……よく言われるとも。まぁ気付いた人間なんてそうは居らんがな」

 だが本末転倒な茶番も終わり。
 一度攻勢に回れば霊夢の弾幕は逃しはせず、あっという間に八重を打ち伏せた。




 ――――Spell Break




 次いで現れたのは燃え盛る火輪。
 淡く輝く蝶もオプションに、ぐるぐると回り舞う熱気が霊夢を焼く。

 進路をそれを阻まれながら、更に付け狙う蝶を巧みに躱し、程よい位置へと身を潜り込ませる。
 そして弾幕を打ち込めば、幕間の狂は終わりを告げる。

「さてそろそろ本腰を入れていこうか」
「ちゃんと最後まで退治し切れるかな?」


 ――迷妄「人間と妖怪の狭間」――


 スッ、と八重が二つに分かたれた。
 言葉通りそのまま二つに。二人の無明寺八重が横に並び、更に霊夢を間に挟んで直線状に立つ。

 そして妖気の奔流。
 触れればそのまま喰われてしまいそうな、とてもじゃないが触れられないそれが二人の八重から霊夢に迫り、しかしギリギリで停止する。

 そしてそのままグルグルと。
 霊夢を中心に挟んだ八重が円周を移動し、時計の針がそうするように巡り巡る。

 が、それだけではなかった。

「人間の私」
「妖怪の私」

『その狭間にあるグレーゾーンを見つけてみろ』

 左右から霊夢を捉えているのなら、前後に避ければ躱せただろう。
 だがもう遅い。二人の八重から伸びる妖気、それがどうにか触れぬ極限の空白以外を更に妖気が塗り潰し、霊夢の逃げ場を全て塞ぐ。

 即ちこの人一人分が精一杯の空白以外を妖気が埋め尽くす空間に霊夢は囚われ。
 更には彷徨うように変動するその空白を追うように、霊夢は動かざるを得なかった。

 この空白を少しでも破れば、即被弾。
 弾幕を放てどもそれが効いた様子も無く、遂には放つ余裕すら無くなって、気力ギリギリの耐久戦を強いられた。

「直感と思い切りが大切だ」
「自分を信じてみれば、案外如何にかなるかも知れないぞ?」

 気力との勝負。
 実力に覚えある者ならば、必ず一つは持ってる耐久スペル。

 そしてその悉くを打ち破ってきたのは、他ならぬ霊夢である。
 たとえ初見であろうが、八重の忠告通り持ち前の直感と、あとは経験から来る勘に身を任せれば、本当に如何にかなっていた。

 空白が空間へ。
 霊夢を封じていた妖気が消え、二つは一つに。




 ――――Spell Break




「あ~しんど。もう二度とやりたくないわ」
「迷いに迷う時はあるものだが、そういう時こそ自分を信じるべきだな」

 などと、それらしいことを言う八重が笑う。
 瞬間、腰の匕首を振り抜いた。

「っ!」

 彼我の距離はそこそこ遠い。刃を振り回しても到底届かぬ距離である。
 だが慣れた風に振る刃の軌跡が弾幕となり、更にそれが火に木の葉に化けて撒かれ、それぞれが一定の法則に従い、一目には不規則に見える軌道で迫り来る。

 だがそれも、今までに培った経験ならでは。
 そうでなくとも才気に満ち溢れた彼女にすれば、そう苦労を伴うものでもなく。

 間隙を縫って弾幕を放ち、見事八重を捕らえてみせた。

「面白い。そうこなくては」
「まだまだ続くの?」
「もう少し続くとも」


 ――怪奇「逢魔が時の恐怖」――


 昼と夜の境界にして狭間。月をも覗く夕暮れから妖気が吹き出す。
 形らしい形も持ちえずに、有形と無形の狭間を彷徨うように、ただ恐怖を纏って襲い掛かる。

 逢魔が時とは、人と妖が交錯する一時の異界。
 即ち日常ならぬ異常蔓延る魔界にて、魑魅魍魎が跋扈し始める前触れである。

 それを如何なる手段によってか。
 自在に引き起こし、眠れる恐怖を叩き起こし従えるその力。やはり尋常のものではない。

 今までの異変の元凶は別格だったように。
 彼女もまた、有象無象の妖怪とは一線を隔す存在なのだろう。

 妖怪の糧は人間の恐怖であり。
 人間が恐怖するのは、得てして恐怖そのものである。

 霊夢もまた、普段は感じぬざわめきを肌に捉えながら、しかし果敢に立ち向かう。
 元より博麗の巫女の務めなら、此処で退く謂れなどありはしない。

 夕暮れを越え、八重に切迫する。
 そして当然、それを打ち破った。




 ――――Spell Break




「ふふふ、大した腕だ。お前のように強い人間は、今まで数える程しか見たことが無い」
「あら、数えるほども居たのね」
「ああ。人間は妖怪よりも弱いと言うが、そんなものは嘘だ。人間の方が余程可能性に満ち溢れ、成長する。徳の高い僧侶も、神仏の覚え目出度いもののふも、皆人間だ。当然、神仏に仕える巫女もな」
「……なんか、まともに褒められたのって初めてな気がするわ。なんか複雑」
「それはそれは。余程の捻くれ者か、或いは意地っ張りばかりのようだな」
「否定出来ないのが悲しいわね。おまけに変人ばかりだし」
「なに、変な方が世の中は面白いさ」

 言い合いながら、八重の弾幕は続く。

 陣羽織の伊達姿を彩る鮮やかな飾り紐が弾幕となり、先程の妖気の残滓が少しだけ明確に形を成す。
 妖気で練られた妖怪紛いに、蜘蛛の脚の如く伸びる飾り紐。

 我が身を捉えようとするそれを霊夢は交わし、いつも通りに攻撃を加える。
 最早予定調和のように突破せしめ、続いて次に移行する。


「昔、一人だけ私を見つけだした人間がいてな。絵師だというそいつはそれらしい力も何も持たなかったが、私を絵に描きたいと言ったんだ」

 言って、手に取り出したるは紙の束。
 所々がすす切れ、色褪せたそれを宙に広げてみせる。

「私が仲間を連れて騒いでいたような時代だ。その頃にはもう妖怪も珍しかったのだろう。人間の癖に妖怪に興味津々で、折角だから筆を執らせてやったんだが……」

 紙面に描かれたるは妖怪。それもかなり古い、筆と墨で描かれた、昔々の妖怪画。
 その一つに、辻駕籠を傍らに置く瓢箪頭の老爺の絵。それを指して八重が大笑い。

「これが私だと言うんだ! とてもじゃないが似てないだろう? きっと人間の目には、私の姿が歪んで見えたんだろうな。こんな鯰頭の皺くちゃ爺が私だと言うのだから、怒りも通り越して呆れたよ。他の連中も馬鹿笑いするものだから、一体いくつ拳骨をくれてやったか覚えてない」
「確かに……とてもじゃないけど似てないわね。ていうか何もかも違うじゃない。別人でしょ、これ?」
「だろう? だけどな、私にとっては無二の宝だ。なにせそれまで私に気付いた人間も碌に居なければ、絵に描きたいなんて言った人間はそいつだけだ。たとえどんな形であろうとも、私を描いてくれた唯一の絵だ。仲間連中も一緒に描いてくれて、どんなに嬉しかったことか!」

 その想いが顕現する。

 紙面に描かれた幻想が。
 後に創作と断ぜられ、空想と呼ばれた幻想の成れの果てが顕現する。

 古今に名を馳せる妖怪絵巻。
 その幻想が姿を顕した。


 ――創作「石燕の空想百鬼」――


 幻想が現実に。
 肉付き両の足で立って、それぞれ妖気を纏いながら人間を襲う。

 即ちこの場唯一の人間――霊夢へと。
 その妖力を以って襲い掛かった。

「ああ懐かしい! かつて私を慕ってくれた可愛い身内だ! 共に盃を交わした兄弟たちだ! 自由気侭に人間を襲って、畏れられたかつての私たちだ!」
「こんなに妖怪が一片に出たんじゃ後始末が大変じゃない! こっちは身が一つしかないのよ!」
「幻想郷と喧嘩した時も着いて来てくれた仲間たちだ! 今頃一体どうしてるだろう。幸せに暮してるなら嬉しいのだが!」

 歓喜に満ち溢れるままにそれを解放する八重に対し、霊夢は苦戦する。
 幻想と現実の歪みが生まれ出る、かつての妖異の模造とはいえ、その力は限りなく本物に近い。

 ましてや八重の妖力の後押しを得た今ならば。
 その脅威たるや本物のそれにも引けを取らぬだろう。

 だが破る。打ち破ってみせる。
 此処で返り討ちに遭うようならば、博麗の巫女ではないのだから。

 異変の元凶を前にして敗北を喫するようでは、博麗の巫女は務まらぬのだから!




 ――――Spell Break




「そして――――」

 八重の様子が変化する。
 徐々に徐々に、ゆっくりと。人間と妖怪の狭間を掻き分けるが如く。

「かつて人間が、そして妖怪が呼んでくれた名前がある」

 絵巻から生み出された妖怪は、よりリアルに。
 最早本物と寸分違わぬ実感を伴い、妖気はより濃密に、強力に。

「名も光明も無く、時間ばかりを積み重ねた私を、『妖怪として』呼んでくれた名前がある」

 絵巻の一つ。
 瓢箪頭の老爺から、一際深く妖気は溢れ出し、八重へ。

「たとえ間抜けと言われても、私だけの名前。私というたった一人を、表してくれる唯一の名――――!!」

 妖怪を率い、夜行を率い、人間の畏れを受けた唯一の妖怪。
 その名こそは。そしてそれが連れ歩く恐怖こそが――――


 ――ぬらりひょんの百鬼夜行――


 紅い瞳が、爛と輝く。
 霊夢の眼前に広がったのは、夜という夜を埋め尽くす妖怪の大軍勢だった。


「嘘……常識外れもいいところだわ!」
「正真正銘、これが最後の勝負だ。私とお前の喧嘩、これで決着をつける――――退治てみせろ、人間ッ!!」
「上等よッ!」


 先頭に立つ八重が動き、それに連なる大軍勢も後に続く。
 最早それは弾幕の仕組みが如何とか、回避が如何というものではない。

 正真正銘、人間と妖怪の一発勝負。
 刀も槍も、矢も鉄砲も効かぬ妖怪に通ずるは、徒々折れぬ心のみ。

 即ちこの勝負、最後まで立っていた者の勝利。
 まさしく正面衝突。まさしく妖怪退治。

 妖怪が人間を襲い、人間がそれを払う。
 人間と妖怪に課せられた因果の、そのままの縮図。

 霊力を。
 霊撃を。
 攻撃を。
 弾幕を。

 放てば放つだけ妖怪を打ち据え、前進を可能にする。
 やればやるだけ勝利に近付き、やらなければ徒散るのみ。

 己が生存と存在を賭けた一大決戦。
 両者拮抗。最早得物はその心根のみ。

 だが――――


「此処は幻想郷」


 紅の色、白の空が迫る。


「此処で起きた異変は」


 人間が妖怪に肉薄し。


「――――博麗の巫女《人間》に解決されるのよッ!!」


 退治――――調伏。


 スペルカードではない。
 生の接触による、渾身の霊力の一撃。

 妖怪の身に奔るそれに。


「――――――――ッ」


 妖気は霧散。
 現実に迫っていた幻想も散り散りに解け、消える。

 力を失った絵巻が舞い散り、ひらひらと落ちて往く。
 忘れられた幻想――――空想が、はらりと。


 妖怪退治は――――成った。




 ――――Spell Break









 ――――――――――――Stage 6 Clear




 少女祈祷中……







[4169] エピローグ
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/09/08 09:56
 人の身ではいられぬと、天道から身を隠し夜に逃げた過去。

 妖怪になりたくないと、宵闇から顔を出し昼に脱した過去。

 いずれも半端に終わり、終わり切れぬまま半身を人間・妖怪の双方ずつに窶し、黄昏色の狭間を彷徨った永劫とも思えたあの日々。


 辛く苦しかった。

 しかし楽しくもあった。

 相反する想いが生む灰色の歪みに嵌りながらも、満更でもないと思う自分がいた。


 悪くない。

 事なかれとは程遠い、事あるばかりの毎日。

 全く以って悪くない、清濁併せ持って不思議と未知に溢れる世の中。


 ――――悪くない。

 今この時ばかりは“妖怪”となり、“人間”に討ち果たされるのも。


 ――――悪くない。

 一等派手な“喧嘩”をやり合い、真っ向から競り負けた今の自分が。その強敵《友》が。


「実を言うと――――な」


 黄昏色に照らす夕日を振り仰ぎ、放心したような心持ちで。


「人間に退治されたのは、これが初めてなんだ」


 妖怪大将と持て囃されながらも、妖怪同士でのことに過ぎず。

 何より見てほしい人間からは碌に視て貰えず、誰の記憶にも留まらず。

 人間に人間とも、人間に妖怪とも碌に視てもらえなかった、あやふやな境界線を渡り歩いて来ただけの自分。

 人間の自分も、妖怪の自分も“自分”に違いないはずなのに、今の今までその“自分”すらも他から見出されずに幾星霜。

 名も光明も無く、徒々無為に積み重ねた年月を皮肉って自ら“無明寺八重”を名乗るも、それすらも碌に呼んでもらえずに幾星霜。

 いつしか、そんなぬらりくらりとしたあやふやな幻影だけが、己が名として一人歩きし、その恐怖を空想に貶められ忘れ去られて幾星霜。


 幾星霜に積み重ねた歪み。歪な境界の狭間に囚われていた自分。
 しかしその自分を、鎖諸共に真っ向から打ち砕いてくれた“人間”に、吹っ切れた笑みを向け。

「――――そういえば未だ訊いていなかったな。お前の名前は、なんて言うんだ?」
「……博麗霊夢よ」
「博麗……霊夢、か。良い名前だな。名前の通り、勘の良さそうな面構えだ。神職には打って付けだな」
「あまり面倒な仕事はしたくないんだけどね。ま、必要に応じてぼちぼちやってるだけだけど」
「妖怪への容赦の無さも一級品だな。アイツも良い人間を見つけたものだ――――なぁ紫?」
「うふふ」

 地に胡坐を掻く八重の前に裂け目が広がり、霊夢と入れ替わるように八雲紫が現れる。
 この異変を引き起こした元凶の、その根本である彼女は、悪びれた風もなく胡散臭い笑みを貼り付けるのみ。
 そんな彼女に八重は、心底辟易したように肩を竦め、深い深い溜息を吐いて露骨に顔を歪めてみせる。

「相変わらず回りくどいというか、嫌味たらしいというか。意地の悪い真似をする奴だな、お前は。そんなお前だから、あの時も衝突する羽目になったんだ」
「そんな貴方だから、今こうして話をしているのでしょうね。先ずはお久し振り、とでも言うべきかしら?」
「全然“先ず”でも何でもないがな。霊夢も呆れたような風だったじゃないか。お前のことだ、さんざ引っ掻き回してやったんだろう?」
「いいえ? この子がさんざ引っ掻き回ってくれただけですわ。私は何も、ただ古い知人とお喋りをしてただけ。ね? 八重?」
「やれやれ……私なんぞよりも先に、お前の方を退治するべきだと思うがな」
「いえいえ……私なんか既に、退治済みですわ」
「霊夢とももっと話をしていたかったのに……まったく」

 そして何とは無しに煙管を取り出し燻らせる八重に応じて、紫がスキマから酒瓶を取り出す。
 それを見て八重は、心得たとばかりに盃を取り出すと、注いだ酒を己が五分、紫が更に五分を飲み干した。

 重苦しい空気無く、静寂が場を満たす。
 両者共に因縁深い相手ならば、思うところも言うところもあるのだろうが、その無粋を口に出そうなどとはしていない。
 酸いも甘いも合わせて古い古い知人同士だ。ならば最早友人と言っても差し支えないそれとの再会に、久闊を辞しはすれど、過去の火種を持ち出すべくもない。

 過去は過去、現在は現在。
 過去も現在も同様に考える、永劫に近い寿命持つ妖怪らしからぬ気風の八重に、紫は微笑み。

「――――相変わらず、人間臭いというか、妖怪臭いともいうのか」
「そういうお前は、相変わらず胡散臭いな」
「お互い全然似ていない、それどころかあらゆる点で対照的とも言うべき正反対なのに――――」
「何故だろうな。お互い争ってばかりでも、不思議と嫌いにはなれないんだ。お前と直截顔を合わせれば、もっと恨み言の一つや二つ出るものと思っていたんだがな」
「こうして盃を交わしたのも、一度や二度でも無いですわ。その度に派手に争ったりもしたものだけれど」
「お前とは……そうだな。それこそ“腐れ縁”とでも言うべきなのかな。今も、あの時も」

 そして見渡す。
 黄昏色に染まる山々を。斜影の差す家々を。
 忘却の彼方に追い遣られ、色々なモノが流れ着いてきたこの村を。

 “勿忘村”。
 どうか、名こそは残れと願って名付けた、無明寺八重にとっての“幻想郷”。
 歪んだ境界線に隔てられた、歪な楽園を見渡しながら、それでも満更ではなさそうな笑みを湛え。

「丸ごと全部、持ってきたんだな」
「貴方の所為で歪んだ境界を一々直すのは骨だったから、丸ごと全部持ってきちゃったわ」
「――――恩に着る」
「これがケジメですもの。貴方の、そして私の――――ね?」

 過去に幾度となく争い、最後にはそれぞれの理想を賭して戦争を繰り広げた間柄。
 最早それは言葉などで表せるようなものではなく、徒々さりげない一献が、酔いと共に五臓六腑に染み渡らせる。

 博麗の巫女が翔け、日が昇り、夜の帳が降りた一日。
 しかして遂には、夕暮れに染まる境界線が最も長かった今日一日。

 ――――逢魔が時が、この世で最も長かった日。

「良い――――祭りだった」
「そう」
「色々と得るものが多く、そして吹っ切れた一日だ」
「そうね」
「長い長いツケを、漸く払い終えた気分だとも」
「それで、どうするの?」
「決まっているさ」

 ――――逢魔が時は終わらない。

 昼と夜がある限り。
 人と妖がいる限り。

 二つが触れ合い、そこに境界線と歪みが生まれる限り。
 妖怪退治は終わらない。逢魔が時は終わらない。

 諸行無常、事ある限り。
 為る様に為り、出来るように出来ている、今や退屈しない世の中。

 幻想が流れ着き、恐怖も流れ着く此処で。
 昼と夜と人と妖がある限り、境界線と歪みは在る。


「久し振りに、皆を連れて散歩でもしようか」


 今や黄昏、絶好の逢瀬日和。
 自らが立つと、いつだって後ろに誰彼が続いてきた。

 今も変わらず、腰を上げる己の後ろに。
 百鬼連なる夜行の群れが、今か今かと待ち侘びる。


「私も御一緒してもよろしいかしら?」
「それこそ愚問だな」


 道往く夜行の先駆けに、ぬらりくらりと歩を進め。
 畏の代紋翻り、幻想の風靡く百鬼夜行。




「着いて来たい奴は着いて来い。それが私の百鬼夜行だ」




 ぬらりひょんの百鬼夜行。
 それは、かつて忘却の彼方に追い遣られ、そして今呼び起こされた“畏れ”の名――――――――









 ~fin~







[4169] 東方忘我経 ExtraStage
Name: ゲルニカ◆3e23b706 ID:0e683125
Date: 2009/09/11 18:54




「やぁ霊夢。邪魔しているぞ」
「本当に邪魔ね。勝手に上がらないでくれる? おまけに煎餅まで食べて」

 春の海、ひねもすのたりとまどろむ季節。
 雪解けきらぬ春先に起きた忘我異変も過ぎ去って久しく、最近では宝船騒動も終えた頃。
 幻想郷郊外に村一つ丸ごと建てたぬらりひょんの妖怪も、今ではこうして幻想郷中をフラフラ出回っている。

 誰彼構わず、所構わず出没しては我が物顔で寛いでいるぐうたら妖怪は、人間の里でも評判である。
 無論、善いも悪いも含めて、であるが。好き勝手な連中が多い妖怪でも、一際自由気侭なこの妖怪は、至る所に表れては騒動の種を蒔いているのだった。

「春眠暁を覚えず。ちゃんと早寝早起きしているようで感心感心。流石博麗の巫女は違ったな」
「別に寝てたって仕方ないしね~。ところでアンタは何しに来たわけ? どうせ遊びに来ただけなんでしょうけど」
「判ってるじゃないか。その通り、ただ遊びに来ただけなんだが、霊夢はどうなのかと思ってな。少し様子を見に来た」
「様子?」

 なんだ、気付いていなかったのか。と八重が意外そうに目を丸めると、霊夢が訝しい表情を見せる。


「お前以外の人間皆、昼過ぎだというのに眠りこけているぞ?」


 その言葉に仰天し、霊夢は異変の匂いを嗅ぎ取ったのだった。









 東方忘我経 ExtraStage ~夢心地の妖怪退治~









 外はそこら中から穏やかな息遣いが聞こえてくるようだった。
 夜を待って密かに息衝く妖怪も、全くの無防備で幸せそうに寝相を晒し、往来する人間も少し休憩でもするかのように道端で居眠りをする。

 まるで時が止まったかのように、静かなリズムで寝息を立てる人妖共。
 如何に春の陽気が眠気を誘うからといって、このように場所を選ばず眠り耽るなど考えられない。

 見えざる春の妖気が齎す奇妙な光景に、霊夢も気配を険しくさせる。
 こんなにも無差別に、全く無意味な現象を引き起こすのは、きっと妖怪に違いない、と。それらしい者を探すも、誰も彼もが眠りこけているのだから、まるで情報が掴めない。

 誰か意識を保っているものは居ないのかと、一先ず向かったのは最寄の人里。
 人間も妖怪も同じく眠る中、半人半妖の獣人の居る寺子屋を目指して翔け、その門戸を叩く

 ドンドンと乱暴に扉を叩き、暫くしても反応が無いので仕方なしに蹴破ろうとすると、中からのそりと扉を開ける影。
 人里きっての知識人――――上白沢慧音が寝惚け眼をこすりつつ、なんとか身体に力を入れて霊夢を迎えた。

「ああ……博麗の巫女か……丁度良いところに。異変を知らせる者も居らず、最早諦めかけていたところだ……」
「一体どうしたのよ!? 人間だけならまだしも妖怪まで! 異変だというのに静か過ぎるから私も全く見当が付かないのよ」
「私にも全く判らん……春の陽気の所為かいつもより眠気が残っている気はしたが……いつまで経っても子供達が来ないので様子を見に行こうとしたら……この様だ……正直、立っているのもやっとでな……」

 言葉通り、壁に寄り掛かってなんとか身体を支えている慧音の瞼は、今にも閉じそうにして震えている。
 見ているこちらまで眠気を誘われるような、如何ともし難い誘惑。異変でなければそのまま眠ってしまいたい程の陽気が、慧音を介して伝わってきそうですらあった。

「もう、限界だ……眠い……」
「ちょ、ちょっと! 何か手掛かりとかは無いの!? 他のヤツまで訊きに行くのも面倒よ!」
「湖……」
「え?」
「霧の……湖の方に……ふわふわ飛んでいく影が……」
「影!? 判った、きっとそれね! 霧の湖の方か……急がないと!」
「ぐぅ……」

 僅かな情報を得、慌てて飛び出して行く霊夢。
 堪え難い眠気に誘われた慧音は、強かに頭を床に打ち付けても起きず、そのまま夢の彼方へと去っていった。









 霧の湖は相変わらず涼しげな静寂を湛えている。
 だが今ばかりは静か過ぎるきらいもある。あの騒がしい氷精の声も響かぬ今は、まるで別世界のようですらある。
 幻想郷中でも特に妖精の多い此処がこの様子では、次第に辺りから安らかな寝息さえも届きそうであった。

「それらしい影は見えないけど……」

 あるとすれば、流氷の上で寝て水面を漂う氷精の姿か。
 いつも馬鹿なくらいに騒々しい彼女がおとなしく眠りこけているのも、新鮮と言えば新鮮な光景である。

 いつも必要以上に騒がしい幻想郷がこうも静かだと、幻想郷そのものが夢現にまどろんですらいる様。
 異変でなければ幽雅な光景とも思えるが、しかしそれ以上に薄気味悪さが今は目立つ。

 心なしか薄い霧の中を飛び交いつつ、目標らしい影を探す霊夢。
 そして暫くすると、待ち侘びたようにそれらしい影が姿を現し、霊夢の前に降り立った。




 ◆夢心地の幻想少女――――胡蝶蘭夢路




「アンタは……確か……」

 染み一つ無い白妙の、頭を枕に預けたまま浮遊する少女の姿。
 その双眸は微動だにせず閉じられ、規則正しい穏やかな寝息が耳を打つ。

 それを少し前の異変の時に目撃したことを霊夢は思い出し、呆れたように溜息。
 前見た時同じ様に寝ていたのを思い出したのだ。夢遊病というにも程がある、明らかに場違いな風体が強く印象に残ったのを覚えている。

 このタイミングで現れたということは、彼女こそがこの静かな異変の元凶に違いないのだろうが。
 しかしそれにしても場違いな、元凶らしくない穏やかな寝相に霊夢も呆然。結果として攻めあぐねる。

「え、えーっと、アンタが元凶なのよね?」
「すー……すー……」

 返事は寝息で。
 取り付く島も無い。

「取り敢えずアンタをシメれば異変は解決なのよね!?」
「すぴー……」
「…………」

 異変解決に奔走する自分に対し、いっそ挑発的なまでの寝相。
 霊夢は内心静かに怒りを滾らせながら、妙に恐ろしい笑顔で目の前の妖怪を問答無用でボコることを決めた。

 そんなわけで霊撃発射。
 生来の膨大な霊力が妖怪を容赦無く打ち据えると思いきや、しかしそうはならなかった。

「むにゃむにゃ……弾幕……」
「寝ながら決闘!?」


 ――雅符「胡蝶乱舞」――


 寝言のように宣言すると、彼女の周囲から無数の金色蝶が現れる。
 乱舞の名に相応しい、数え切れないほどの蝶の群れが縦横無尽に飛び交い、儚げな姿らしくない妖力を以って霊夢に迫る。

 弾幕で迎え撃てば金色蝶も消えて行くも、次から次へと補充されてはキリが無い。
 僅かな隙を見切りながら、あちこちに身体を動かし避けまくる。
 パターンらしいパターンが無い故の、気合避け弾幕。初手にするにはあまりに忙しいそれを掻い潜りながら、霊夢はそれを打ち破った。




 ――――Spell Break




 ひらひらと金色の残り香が舞う霧の中で、静かに対峙する二人。
 と言っても片方が一方的に静かなだけで、霊夢はすぐにでも問い詰めてやりたそうな顔をしているが。

 ともかくも決闘はまだまだ始まったばかり。
 妖怪は状況を把握しているのかいないのか、やはり夢心地にまどろみながら、寝言のように宣言する。


 ――凶符「妖怪夢違」――


 消え去るはずだった残り香が、再燃するように蘇った。
 夢のように消え行くと思っていた金色が、現実のように怒涛の如く押し寄せる。

 消え去るはずの凶兆が、思いがけず現れたように。
 一転して違えて迫り来る脅威に、しかし霊夢は笑顔。

 別段如何ということはない、と言わんばかりの余裕を以って肉薄。
 さも当然のように猛攻を避け切ると、いとも容易く妖怪を撃ち落とした。




 ――――Spell Break




「ぬるいぬるい。この程度じゃあっという間に終わるわよ? 私としては嬉しいけれど」
「…………」

 夢路の寝息が途絶えた。
 僅かな呼吸も聞こえぬ、不気味なまでの沈黙を湛える夢路に、霊夢は一歩近付き。

 途端溢れ出した妖力に巻き込まれ、慌てて後退する。
 明らかに様子の変わった妖怪を警戒し、そして夢路は薄目を開ける。

「儀式……」
「……ッ」


 ――ペルソナ様――


 霊夢の四方を包囲する、正方形の結界が展開された。

「動いてる? ちょ、なんか出てきたッ!」

 霊夢を中心に据えた正方形の結界を滑るようにして妖力が流動し、角に行き当たる度に苛烈な弾幕を中心へと吐き出していく。
 否、霊夢の居る中心がそれらを呼び寄せるように、次第に飲み込むようにして四方の結界から弾幕を貪欲に取り込むのを霊夢は避け、回避に徹する。

 打ち破ろうにも結界はビクともせず、またそれを操る妖怪の姿も何処へと消え去っていては、徒々避け切る他に無い。
 僅かなミスが命取りとなる極限の耐久戦に、心身を削られる思いで動き続けていると、やがて堰を切ったかのように一際膨大な奔流が展開。
 それを命からがら避け切ってみせると、自身を封じていた結界は解け、辺りの様相が一変していた。




 ――――Spell Break




「此処は……?」

 霧の立ち込める湖ではなく、よく判らないナニかで構築された光景。
 まるで現実的ではない、夢想や空想の類をそのまま引っ繰り返したかのような光景に、霊夢は困惑。

 地平線の先に見えるのは、絵に描いたような富士の姿か。
 或いは鷹、茄子、扇、煙草といった、一般に夢の象徴とされるそれらも同様に、景色の彼方へと描き出され。

 頭の悪くなりそうな光景に眩暈を覚えた霊夢が天を仰ぐと、背後からふわふわと浮つくような声が響いた。


「此処は私の世界……」


 先程霧の湖で見た姿そのままに、しかし明らかに違う気配を漂わせながら、厳かに呟く夢路の姿。

「もう一人の自分が映し出す精神世界。ありとあらゆる物質から解き放たれた、自由の世界。ようこそ、夢の世界へ」
「なるほど、そっちがアンタの本性ってワケね。夢に棲む妖怪? 聞いたことないわね」
「胡蝶蘭夢路と申します。私は夢と現実を行き来し、夢の享楽と恐怖を司る。良い夢は見ていますか? それとも現実に疲れ切ったかしら? 此処には貴方の望む全てがあるわ。そう――――それこそ夢のように」

 ニタニタと酷薄な笑みを浮かべる彼女が邪悪であることを、霊夢は瞬時に見抜く。
 如何に外見を優雅に取り繕おうと、その妖気までは隠せやしない。人間への残酷に満ちたその妖気を、霊夢は見逃さない。
 あまりにも妖怪らしい気配の妖怪に、霊夢は最大の注意を払う。

「紫が目に掛け、八重を打ち倒した人間だというから興味を持ったのだけれど……成程、面白そうな人間ね」
「何の妖怪? 見たことも聞いたこともないけれど」
「そうなの? これでも有名な方だと思っていたのだけど…………私は枕返しの妖怪。人間を夢に溺れさせ、破滅させるのが趣味で生業」
「ものッ凄い危険じゃないのアンタ! そんな妖怪を放ってはおけないわね!」
「とはいえ最近はそれも満足に出来てないわ。だって外の人間ときたら、夢をただの化学反応などと思っちゃって。御陰で中々外の人間に通用しないのよ」
「…………そうなの?」
「そうよ。オマケに碌に“夢”も見ないつまらない人間が増えちゃって。精々悪夢を見せて寝れなくさせるのが関の山。つまらないわ」
「十分危険じゃない!」
「あら、そうかしら?」

 初々しさすら感じさせる霊夢を面白そうに夢路は見下ろし、ニタニタと笑いながら。

「精々が夢に怯える程度でしょう? 死にはしないもの、つまらないわ。今の人間は“眠る”ことへの恐怖を失って久しい。柔らかな寝床で枕に頭を埋めて、それがどんなに恐ろしいことか知りもしない。睡眠こそが、この世で最もおぞましい死相だということを解ってない。

 さて、そんな中で貴方に問うわ――――貴方の名前は何?」

「博麗霊夢よ!!」

 威勢良く名乗り上げる霊夢に、夢路はいよいよ笑顔を深くして。

「よろしい。ではそんな貴方の心根を試すとしよう。荒唐無稽の試練に耐えられるかしら――――ッ!!」


 ――開花「黄金の精神」


 夢の世界に踏み入った霊夢から、金色の気が立ち昇る。
 まるで陽炎のように美しく漂うそれを訝しみながらも、温かな腕に抱かれているかのような感覚を覚え困惑。

 一方で夢路は、その金色の輝きに魅せられたように頬を上気させ、うっとりと呟く。

「それが貴方の精神。私にとっては黄金にも等しい、この世で最も気高く美しい至宝! 素晴らしいわ。流石は博麗の巫女なだけはある」
「全然私のイメージじゃないわ」
「人の心は定かではない。容易く移ろい、変わるもの。つまり貴方は、妖怪退治の時に最も輝く人間! まさに打って付けの人材かしら!」

 狂喜するように弾幕を展開し、その輝きを手に入れんと霊夢を狙う。
 黄金の輝きは、なによりも他を魅了する魔性の色。その輝きに惹かれるようにして弾幕はしつこく霊夢を追い、霊夢はそれを避けつつ撃ち落とす。

 黄金を湛えたまま飛翔する霊夢を追って弾幕が群がる様は、まるで流星の如く。
 その輝きの向かう先には、狂喜する夢路の姿。追われながらも攻撃を選択した霊夢が突貫し、撃墜せしめた。




 ――――Spell Break




「素敵よ霊夢! とっても素敵!」
「何がそんなに嬉しいんだか」
「貴方のいろんな部分を見たくなったわ。じゃあこれはどうかしら!?」


 ――精神「22の神秘」――


 霊夢の周囲に二十二個の魔方陣が展開し、そこからそれぞれ異なる軌道の弾幕が現れる。
 様子見だとでも言うのだろうか、試すような甘い間隔で。

 素直な弾幕、捻くれた弾幕。
 まるで人間の感情の色模様をそのまま映し出したようなそれらが霊夢を狙う。

「なんだか鬱陶しい弾幕ね」
「人の心は煩わしいもの。気心の知れる人間なんて、生涯に一つもあれば儲け物。だけど、それだからこそ人間の心は見てて楽しいのにね! それを人間が忘れちゃったら、つまらなくなるのなんて解るでしょうに」
「別にアンタの事情なんて訊いてないわよ!」




 ――――Spell Break




 一喝して突破せしめると、夢路は更なる宣言を下す。
 展開した魔方陣はそのままに、更なる妖力を漲らせ。

「それじゃあ本番! 成長――――」


 ――アルカナシフト――


 人間の精神を表す二十二の方陣が輝きを増した。
 様子見だったそれは、今まさに真骨頂を発揮せしめ。霊夢の精神を浮き彫りにするように間近を過ぎ去り、じりじりと削っていく。

 二十二の方陣それぞれが不規則に輝き、異なる弾幕を吐き出して。
 それが高速で繰り広げられれば、波状攻撃が如く容赦無く霊夢を攻め立てる。

 試すように。試練のような。
 怒涛の如き苦難の中で人が成長していくように、苦難に満ちた弾幕が霊夢を打つ。

 そしてそれを苦闘の末に突破してみせた霊夢が夢路の眼前に迫り。


 ――霊符「夢想封印」――


 ありったけの霊撃を見舞い、堕とす。
 渾身の一撃に方陣は霧散し、夢路はより愉快そうに笑顔を深める。

「とても似合ってるわ、貴方の名前と」
「同じことを、この前アンタのとこの大将に言われたわ」
「あらら、八重にもう口説かれてた? じゃ、そろそろクライマックスよ。着いて来れるかしら!」

 自身の映し出す夢だというこの世界。
 荒唐無稽な絵空事に描かれた全ての光景が、夢路の言葉と共に変わっていく。

 彼方の天蓋に描かれた稚拙な吉兆は音を立てて崩れ去り、罅の入った世界から、また新たな世界が顔を見せる。
 夢の世界は心の世界。もう一人の自分が映し出す精神世界。
 即ち見るものの心一つで如何様にでも出来る世界を、夢を操る妖怪が変成させる。
 夢想に封じた妖力を解放し、己が精神を解き放った。


 ――夢想解放――


 夢は一変して、まだ不定形な虚構の様相を見せた。
 虚構故に不規則に、定まらぬ心の動きにつられて弾幕が行き交い、霊夢を飲み込む。

 あまりに盛大な、妖力の解放。
 やはり妖怪はどれもこれも常識外ればかりか、と幻想の管理者たる巫女が言う。

「ん~久し振りに全力出してみたけど、やっぱりまだまだ鈍ってるわね。私ももう歳かしら」
「歳なら歳らしくおとなしくしてなさいよ」
「そこはそれ、私も妖怪ですから。人間襲わないと生き甲斐が無くなっちゃうじゃない。判ってないわね」
「だから妖怪は厄介なのよ。人間襲うのが存在意義なんて、どうしてそうなったんだか」
「さぁ? だって私達妖怪を生んだのは、他ならぬ人間だもの。妖怪の私に言われてもね~。――――さて、まだまだ下準備よ。これから私も張り切っちゃうから!」
「余計なお世話ッ!」




 ――――Spell Break




 虚構の世界に妖気が満ち満ち、新たな世界を形作っていく。
 そうして出来上がったのが、対称的にも視える統制の取れた世界。

 秩序の下に完成された、完全なパターン弾幕。
 しかしながら、それ故に他の一切の余裕を許さぬ攻撃に、霊夢は遅々たる行動を強いられた。


 ――世界「大導師フィレモン」――


 完璧に統制された弾幕を以って、導くように霊夢の動きを定め。
 精密極まる動きを要しながらも、不規則に移動する夢路目掛けて攻撃せねばならぬという二重苦を霊夢は追い、理路整然とした秩序にこそ追い詰められる。

「人は真面目なだけでは生きてはいけない。理性だけで生きて行くことは不可能よ。だから娯楽というものを生み出し、享楽に耽る。堅苦しいだけじゃ嫌だものね?」
「確かに……あれやれこれやればかりだとウンザリするわ!」
「そんな貴方に自由気侭な弾幕をプレゼント。自由過ぎて自分を見失わないように気をつけてね♪」




 ――――Spell Break




 秩序が崩壊し、法則は乱れ、混沌が深淵から覗く。
 あれだけ完璧だった世界が、見る間も無くあれよこれよと崩れ去り、自分勝手に動き回っては、統制の手を離れ思い思いに動いていく。


 ――世界「暗躍者ニャルラトホテプ」――


 最早“自由”とはかけ離れた、ただの暴走に過ぎない弾幕を前に、霊夢は渾身の気合を入れて回避。
 理路整然が嘘のように、荒唐無稽でしかない気合避け弾幕を紙一重で避ける避ける。

 避けることしか出来ない。攻撃が全く意味を為さない弾幕の中を、徒々回避し続けていく。
 秩序から乖離した混沌故に、いつ終わるとも知れず。攻勢のある限りを避け続ける。




 ――――Spell Break




「きっつ……いわねぇ! こんなに面倒臭くて疲れる弾幕、見たこと無いわ!」
「うふふ……こうした側面も、世界の姿。夢も現実も変わりはしない。夢と現実を区別するのは、見る者の認識一つ。現実が嫌で嫌で仕方ないなら、人は幾らでも夢に溺れる。夢を幻想として切り捨ててしまうなら、人はどんな夢も見ない。でもね――――」

 慈しむように、嘲うように。
 酷薄な冷笑浮かべて見下ろす夢路が、淡々と霊夢に問い掛ける。

「――――夢の世界と現実世界。唯一つ、根本的に違うものがある。それが何か判る?」
「決まってるじゃない――――」

 世界の彼方に、罅の入った天蓋と、地平線を捉えながら。
 霊夢は夢路に向き直る。惑わすような双眸射抜き、敢然真っ向から対峙する。


「――――夢は終わるものよ」

「うふふ――――大正解」


 ――夢の終わり――


 ガラガラと世界が音を立てて崩れ落ち、虚無を残して消えて行く。
 と同時に夢路の姿も掻き消え、取り残されるは霊夢一人。

「……真っ先に逃げてんじゃないわよッ!!」

 このまま居ては、崩落し消滅していく夢の世界に巻き込まれてしまう。
 目指すは夢からの脱出。現実への帰還。

 虚無を残すばかりの世界の残滓の中に、唯一光を放つ彼方を目指して全力疾走。
 世界の崩落そのものを弾幕とする、夢路の超弩級スペルに舌を巻きつつ、只管に翔け抜ける。


「今っ――――!!」


 やがて光に辿り着き、飛び込む。

 ガンッ、と。

 次の瞬間には拳を振り抜き、夢路の顎を捉えていた。




 ――――Spell Break














「ふ、ふふふ……生還おめでとう、とでも言うべきかしら? ……ちょっと乱暴だったけど」
「うっさい妖怪。自分で起こしときながら真っ先に逃げて! 流石の私も焦ったわよ!」

 何もかもが、夢だったようだ。
 あれだけ猛攻を繰り広げ、ボロボロになったはずの自分は傷一つ無く、汚れの一片すらもなく湖の畔に寝ていた。

 まるで夢のよう。
 あれだけ鮮烈だった決闘も、現実に還ってみればまるで夢想の彼方。現実味が無い。

 これが夢と現の境界線。
 如何に夢に溺れようとも、現実に立ち返れば即座に風化する。

 夢は泡沫。永遠に手の届かぬ幻想の極み。
 それを刹那に垣間見ることの、如何に恐ろしく――――そして甘美なことか。

 現実に有り得ぬからこそ、魅力的。
 現実と対極に位置しながらも、容易く踏み越えてしまえる。

 この世で最も身近な楽園、それが夢。

 思わず夢心地に呆けていると、クスクスと笑う夢路の声。

「御堪能頂けたかしら?」
「……まぁね。悪くは無かったわ」
「幻想郷の住人も、そろそろ目覚める頃ね。自分勝手な夢を見て、それぞれ自分勝手な夢心地なのでしょう。さて――――」
「おん?」

 言って虚空に寝そべる夢路を、霊夢が見上げ。

「私もそろそろ寝るとするわ。あまり現実に長居してると肩が凝って」
「……って結局アンタが一番現実逃避してんじゃない」
「いえいえそれほどでも」

 それっきり寝息を立てると、最早どう動かそうが目覚めそうになかった。




 これは、そんな寝惚け眼で繰り広げられた、全く現実的でない夢物語――――――――














 ――――――――――――ExtraStage Clear






[4169] 幻想郷縁起 妖怪図鑑
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:0e683125
Date: 2009/09/15 22:59


 この項では、此度の異変で明らかになった妖怪たちを新たに記していく。








 煙の妖怪

 エンヤ Enya


 能力     火元から現れる程度の能力
 危険度                   低
 人間友好度               普通
 主な活動場所      如何なる場所でも


 こと多様性に於いては他の追随を許さない妖怪であるが、その中でも煙を操る妖怪は唯一つしかない。それがこのエンヤである。
 
 見た目は非常に幼い少女で、白煙に紛れるような白髪に白い薄衣、その姿もおぼろげで、実体が希薄だ。
 煙の妖怪ゆえに、火元と高い所によく現れ、人間に悪戯を仕掛けるが、考えが足りず少々頭が弱い(※1)。

 どうやらあまり人間や他の妖怪に触れたことが無いようで、世間知らずである。
 その上、煙だからなのか、捕食のために人間を襲うことも無い。悪戯しては煙に巻くだけである。


 ◆目撃報告例


 ・家から煙が立ち昇っていたので火事かと思ったら違った。紛らわしい。
                                       (六助)

  妖怪の煙は中々晴れない。おまけに咽るので迷惑。


 ・だけどその日を境に家から虫が消えた。
                                       (六助)

  もしかしたら煙には殺虫効果があるのかもしれない。


 ・折角の干物を盗られちまったよ。巫女様も残念そうだった。
                                    (魚屋の正)

  妖怪らしからぬ、妖精と同じくらいの悪戯好きである。


 ◆対策


 妖怪とはいえ非常に非力で、妖精と同程度の脅威でしかない。
 実害も殆ど無いために退治する程のこともないが、もし捕まえるのならば水を被せればいいだろう。
 すると忽ち戦意を喪失し、おぼろげだった姿もはっきりと見えるだろう。そうして実体が見えた隙に捕らえればよい。

 暗くじめじめとした、閉ざされた空間が大の苦手で、閉じ込められればすぐに泣き出す。
 すると暫くは大人しくなるが、所詮は幼い妖怪。懲りずにまた悪戯を仕掛ける。

 そういう意味では定期的に折檻してやるのもいいかもしれない。
 ただ、煙の妖怪は本来吉兆である。仲良くなっておけば、何かしら良いことがあるかもしれない。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 馬鹿と煙は高い所が好き。









 古傘の変化

 照降 燦 Terihuri San


 能力     雨雪と陽光を遮る程度の能力
 危険度                   極低
 人間友好度                  高
 主な活動場所       如何なる場所でも


 道具に宿る神は、長い間使われ続けると次第に神性が変化し、供養もされずに捨てられると付喪神となる。
 燦は、そうして実体を得た古傘の付喪神である。

 真っ赤な番傘を差し、唐衣を羽織り下駄を履いた少女の姿をしている。
 傘は、かつての名残のようだが、実物では無いという。

 普通、付喪神は人間に百害あって一利無しの存在であるが、燦はその限りではないらしい。
 人間を見ても襲うこと無く、親しげに接し、道具本来の在り方を示すように、人間を助ける。

 そのためか、非常に人間臭く、俗っぽい。
 人間とそれ以外、双方にも理解を示し、仲を取り持つこともしばしばある。

 もし何かしらの諍いが起こったとしても、きちんと話せば分かってくれる。
 一度和解すれば因縁を引き摺ることもない、非常に気持ち良い気風の、変わった付喪神である。


 ◆目撃報告例


 ・以前道中で雨に降られた時に助けてもらった。悪さをする様子もなかった。
                                                (匿名)  

  雨雪を遮る能力で道案内もしてくれるので便利。


 ・ちょっとした縁で一晩泊めたら、雨の日にも関わらず洗濯物が乾いた。
                                                (匿名)

  非常に義理堅い気質でもあるようだ。助けておいて損はない。


 ・この前なんか妖怪を追っ払ってもらったよ。その本人が付喪神だってんだから驚きだ。
                                                (匿名)

  話しているとまるで人間のように思えてくることだろう。


 ◆対策


 対策も何も、そもそも襲ってくることがないので退治することがない。
 不当な理由で手を出さない限り、安全はほぼ保障されていると判断して良いだろう。

 ただ、彼女の身内(※1)に手を出すのは止めておいた方が良い。
 悪戯された報復ならばまだしも、もしこちらから攻め入ることがあれば、必ず敵対姿勢を取る。
 
 彼女自身は大した脅威でなくとも、その背後には本当に恐ろしい妖怪たちが存在する。
 本来妖怪は一枚岩になることなど無いが、彼女らは例外である。
 妖怪らしからぬ“家族”を形成しているため、たとえ人間が束になって掛かろうとも、返り討ちに遭うのは目に見えている。

 まさしく『触らぬ神に祟り無し』である。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 勿忘荘の住人たち。後述。









 新しき情報の風

 テレサ Teresa


 能力        電波を受信する程度の能力
 危険度                    普通
 人間友好度                 普通
 主な活動場所        如何なる場所でも


 今や妖怪は外の世界の人々から忘れられて久しいが、テレサはそんな幻想の失われた外の世界で生まれた妖怪である。
 元は外の世界の道具であったというが、それが一体どのような道具であるかは不明である。
 
 彼女はありとあらゆる物質から発せられる“波長”を感知し、それを音や映像に変換し映し出すことが出来るという。
 普段はその能力を活用して多種多様な情報を探し回り、良いネタが手に入ると編集して公共の場に送信する。
 本人曰く迅速確実な情報の泉らしいが、内容は天狗の新聞と大差無い。徒、ところ構わず突然ニュースが流れるので、少々迷惑である。

 本人は人間に対し割と友好的なのだが、如何せんその性格より誰からも倦厭される。
 ただ、報道の能力も使い様によっては非常に便利なので、ある程度の関係を築いておけば後々便利かもしれない。


 ◆目撃報告例


 ・突然人里にやってきてインタビューしてきたんだ。流されてついつい答えてしまったんだが、一体何なんだあれは?
                                                                             (匿名)

  迂闊に答えてしまうと、出来るなら忘れたい恥ずかしい過去までも報道される


 ・風呂に入ってたらいきなり変な映像が映し出されてびっくりしたよ。しかもその内容がカカアのへそくりの場所だってんだから驚いた。
                                                                             (匿名)

  彼女の情報網は恐ろしく広く狡猾である。隙を見せればあっという間に引っ掛かってしまうだろう


 ・この前道中で見つかってマズイと思ったんだが、何故かそのまま通り過ぎてったよ。そういえばなんだか様子が変だったな。
                                                                             (匿名)

  おそらくは情報過多のため一時的に機能を停止していたのだと思われる


 ◆対策


 彼女の恐ろしさは、その情報網の広さにある。如何なる対策を練ろうとも、口八丁手八丁でまんまと情報を引き出されてしまう。
 幸い、戦闘能力は低いので、疚しい所は無いという自信があるのならば、退治するのは簡単だ。
 しかしそれでも懲りる様子は見せないので、定期的に退治してやる必要があるだろう。

 また、何故かは知らないが水気、特に雨などが大の苦手である。
 多少濡れるなら大丈夫だが、ずぶ濡れになるようなことがあれば忽ち機能を停止させ、暫くは動かなくなるようだ。
 もし何らかの折に邪魔になるようなことがあれば、何でも良いから水気を飛ばしてやると良い。

 万が一、悪質な手口を行使された場合には、彼女の棲む勿忘荘の他の住人に助力を乞うのも手だ。
 どうやら其処での地位は最も低いようで、他の住人には頭が上がらない。特に主人には絶対に逆らえない(※1)ようで、彼女の介入があれば手の平を返したように従順になる。
 
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 その理由は明らかではないが、噂によると生殺与奪の全てを彼女に握られているという。
     それは一部の例外を除いて、他の住人たちにも同様のようである。











 独立する演劇人形

 イデア・パフォーマー Idea Performer


 能力     役を演じる程度の能力
 危険度               極低
 人間友好度              高
 主な活動場所   如何なる場所でも


 人形は使用者の想念を受けやすく、故に数多の怪異を齎すことが多い。
 イデアはそうして生まれた(※1)、まだ若い世代の妖怪である。

 元は西洋で演劇などに使われるマリオネットで、どの衣装も映えるよう中性的な造りをしている。
 元々が演劇用の道具であるため、様々な衣装を着分けるが、普段は西洋の礼装に身を包んでいる。

 イデアは、人形から妖怪へと変じながらも「人間になる」ことを追求する、極めて珍しい妖怪である。
 その一環として人間が長い歴史の中で築き上げた“文化”を研究しており、そのため多種多様な芸能に精通している。
 中でも演劇関係については飛び抜けており、一人で幾つもの役を完璧に演じ切るという。また、歌劇も得意。

 一見してアンニュイな雰囲気を漂わせるが、その印象とは裏腹に情熱家である。
 一度自らの研究について語り出すと止まるところを知らず、延々と思いの丈を語り続ける。
 また、時として不可解極まる問いを投げかけることがあり、本人の積極性とは対称的に、人間からは倦厭される。

 役を演じる能力とは、技術によって演じるだけではなく、妖術をも用いての能力である。
 実際に姿形こそ変わるわけではないが、その演技と語りだけで完全に役に為り切り、まるで本人が実際に登場したかのようであるという。
 ただ、役の元となった本人が観賞することはお勧めしない。あまりにも似ているがために、自己の精神に大きな影響を与えてしまうからだ。


 ◆目撃報告例


 ・この前山奥で歌の練習をしているのを見たよ。聴いたことのない歌だったが、それは素晴らしいもんだった。
                                                                   (匿名)

  今は失われた名作を多数記憶しているようで、聞く人が聞けばより一層楽しめる


 ・何も無いところに背を凭れ掛けていたり、椅子も無いのに座っていた。ありゃ何だったんだ?
                                                                   (匿名)

  パントマイムという無音劇の一種だと思われる(※2)


 ・所用で妖怪の棲家を訪ねたことがあるんだが、その時にアトリエを案内してもらった。人形なのにすごく上手いんだな。
                                                                   (匿名)

  絵画にも精通しているようだ。だが、写実画しか描けないらしい(※3)


 ◆対策


 本人から人間を襲うことは少ないが、決闘には積極的に応じるという。
 インスピレーションやらイマジネーションとの対峙云々と言っていたが、詳しい理由は定かではない。
 取り敢えず、退治を兼ねて決闘を申し込めば良いだろう。こちらが勝てば万事安心、負けてもまた挑めばよい。

 そうした形式的な退治を行う以外には、友好的に接するのも良いだろう。
 特に芸術家を志望する人間などからは、弟子入り志願の声が絶えないようである(※4)。
 何気に隠し芸も数多く持ち合わせており、宴会などでも大人気である。
 また一部の好事家からも評判があり、時折舞台を開くこともあるという。万全な精神状態で視聴すれば、きっと楽しめる筈だ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 厳密には違うらしい。彼女の主人が原因であるという。

 ※2 徒、見えない壁を垂直に昇るのはいかがなものか。

 ※3 まだ人間の心というものを理解し切れていないので、既存の風景を描くことしか出来ない。

 ※4 その全てを断っているようだ。まぁ確かに、人間が人形に弟子入りするというのも本末転倒である。









 夜行の怪輪

 忌車 火輪 Kiguruma Karin


 能力         鬼火を操る程度の能力
 危険度                     高
 人間友好度                  低
 主な活動場所       如何なる場所でも


 忌車火輪は勿忘荘に棲む妖怪の一人で、比較的温厚な者の多い住人の中では、とりわけ好戦的な面を持つ。
 勿忘荘の切り込み隊長を自称し、勿忘荘に敵対する者を許さない。

 基本的に人間とは相容れず、寧ろ積極的に捕食しようとする。特に成人前の子供には目が無く(※1)、夜に遭遇しようものなら忽ち攫われてしまうだろう。
 夜道を往く場合には注意が必要である。

 気も短く直情的な性格だが、他の勿忘荘住民と同じく、主人には頭が上がらない。
 また真っ向から立ち向かい勝利した相手にも素直であり、良くも悪くも単純一途である。
 が、気に入らないものにはとことん容赦が無いため、不用意に近づくのはやめておいた方が良いだろう。


 ◆目撃報告例


 ・夜道を歩いていたら、目の前から恐ろしい姿の車が走って来たんだ。
                                                (匿名)  

  彼女の駆る車は牛骨にも似て、見た目も十分恐ろしい。


 ・この前は人里にまで入って来たんで驚いた。人は襲わなかったけど。
                                                (匿名)

  勿忘荘では専ら主人の脚代わりなので、おそらくは迎えにでも来たのだろう。


 ・山が蒼白く燃えているのが見えた。あれもこの妖怪の仕業なのか?
                                                (匿名)

  彼女の操る鬼火は、彼女の意のままに燃えるので山火事の心配は無い。


 ◆対策


 彼女の属する勿忘荘に害を加えねば、まず襲われることはない。万が一過失があったとしても、余程のことでない限りは話し合いで済むだろう。

 だが退治するとなると難しい。
 彼女の駆る車は天狗の飛翔に次いで速く、また彼女自身の力も高い。昨今の妖怪とは違い、人攫いと捕食に積極的なだけあって、真っ向勝負は無謀だろう。
 勿忘荘でも最も恐ろしい妖怪の一人である。

 ただ勝負事には積極的なので、何らかのルールに則った決闘をおすすめする。
 勝敗がどうあれ、結果には従順なので後を引き摺ることもない。
 徒に刺激さえしなければ、ある程度友好的に接することも出来るだろう。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 私も注意が必要である。









 隠神刑部の化け狸

 刑部 久万子 Osakabe Kumako


 能力     人間を化かす程度の能力
 危険度                   極高
 人間友好度                 普通
 主な活動場所       勿忘荘など


 獣は徳の高い人間を喰らったり、長生きしている内に妖怪と同等の妖力を得て妖獣となることがある。
 刑部久万子はそうした妖獣の中で、九尾の狐と並んで最高峰に君臨する、八尾の化け狸である。

 幻想郷のどの大妖怪にも引けを取らない妖力を有し、また妖獣らしく身体能力も高い。
 妖術も単に人間を化かす程度には留まらず、神通力として容易く天変地異を引き起こす。

 また長く生きてきただけあって経験も豊富であり、知能も高い。少なくとも有象無象の妖怪や人間程度では相手にもならないだろう。
 もし襲われた場合、最早打つ手は無い。

 しかし彼女自身は温厚であり、人間を襲うことはあまり無い。
 現在は後続の教育に熱心であり、幻想郷の狸に物を教えているのも彼女である。

 普段は勿忘村にある山(※1)の古寺に棲んでおり、人里にもよく出没する。


 ◆この妖怪に纏わる逸話

 ・松山八百八狸騒動

 かつて彼女は八百八匹の化け狸を統率し、山を治めると共に人間と契約を結び、人間の国の守護も務めていた。
 だがその契約を結んでいた人間が財の横領を企み彼女を利用して騒動を起こすと、それは妖怪、人を巻き込んだ一大騒動へと発展し、国の存亡を賭けた事態にまで陥った。
 結局この騒動は、事態を重く見た八雲紫の入れ知恵によって御国側の勝利に終わり、彼女は眷属の大半を失い追い遣られることになったと言われる。


 ◆目撃報告例


 ・どこからともなく腹太鼓の音が聞こえてきた。
                                                      (匿名)  

  彼女の眷属がそうやって音頭を取ることがあるらしい。


 ・勘定を受け取ったと思ったら石ころを握らされていたよ。まぁ後で支払ってくれたが。
                                                      (匿名)

  長く生きていても悪戯好きで、人間を化かすのも朝飯前だと言う。


 ・この前山で狸を見たけぇたぬき汁にしようと思ったら、いつの間にか獲物が消えていた。
                                                (人里一の猟師)

  十中八九彼女の仕業だろう。襲われなかっただけ御の字である。


 ◆対策


 強大な妖力を誇り、身体能力もトップクラス。おまけにこと人間に対して経験豊富とあれば、どれほど腕に自身があっても対処は難しいだろう。
 幸い無用な争いは好まぬので襲われることは殆ど無いが、万が一に備えて代わりとなる食べ物か酒を用意しておくと良い。

 人間に対する友好度も決して低くはないので、付き合い方によっては協力も有り得るかもしれない。
 だが裏切りに関しては非常に敏感なので、誠意を欠かさないようにしよう。
 もし恩を仇で返すようなことがあるならば、決して容赦はしない。

 他の力有る妖怪にも言えることだが、何よりも怒りを買わないことが重要である。
 たとえどんなに腕に自信があったとしても、妖怪と人間の力の差は歴然である。身の程を弁えるのも、人妖問わず幻想郷では重要だ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 妖怪の山とは違う。殆ど狸しか棲んでいない。









 鍛聖の忘れ形見

 古唐 あやめ Hurukara Ayame


 能力          鉄を鍛える程度の能力
 危険度                     極低
 人間友好度                  普通
 主な活動場所               勿忘荘


 勿忘村に存在する鍛冶場。蹈鞴製鉄所と一緒になった屋敷には、数多くの刀が納められ、眠りについている。
 古唐あやめは、その屋敷の主人であり、鍛冶場を取り仕切る勿忘荘専属の鍛冶師である。

 煤に塗れた襤褸姿の少女だが、勿忘荘住民でも最古参に当たる。
 主に包丁などの鉄製道具の生産を生業としているが、その本業は刀鍛冶である。

 彼女の鍛えた刀は古今東西でも最高峰に位置し、切れ味鋭く、また丈夫であるという。
 今や鍛冶も廃れて久しいが、彼女は古来から伝わる鍛冶の秘法を体得しているとも言われ、長い年月を経て培った鍛冶技術は、現代のどの刀工も足元にも及ばない。

 彼女自身は口数も少なく、付き合いもあまり無いが、人里の数少ない鍛冶師たちからは熱烈な支持がある。
 弟子入り志願の声も絶えないようだが、至難の技故その殆どが彼女の技術を得ること叶わぬと言う。


 ◆この妖怪に纏わる逸話


 ・天国の号


 今でこそ刀は反りのある片刃が主流だが、かつてそれを創始した鍛冶師がいた。
 天国と号した彼の鍛える刀は、忽ち多くの人々を魅了し、また神々に奉納された。
 やがて鍛聖と称えられた彼の元には天座を始めとする数多くの門人が集い、彼の鍛冶技術を全国に広め、現在に至るまでの鍛冶技術の基礎を築き上げるに至ったと言う。

 しかし彼の技術を継ぐ者は居ても、直截の血を継ぐ者は一向に現れなかった。
 それを未練としたまま鍛聖は逝ったが、その無念が年月を経ると共に形を為し、一人の妖怪をこの世に生み出した。それが古唐あやめである。

 その後紆余曲折を経て勿忘荘主人の傘下に入ったが、その詳細は未だ不明である。
 徒時折己の鍛えた刀を放っては、世間を騒がせたりもしたらしい。


 ◆目撃報告例


 ・いやぁあれは良いものだ。
                                           (人里の好事家)  

  彼女の鍛える刀はどれも逸品揃いである。


 ・一度作成現場を見学させてもらったんだが、正直何がなんだか分からなかったよ。
                                                (匿名)

  得てして職人技とは常人に理解し得ぬものである。


 ・ただちょっと無愛想だよな。なんだか話しかけ辛い
                                                (匿名)

  人付き合いにはあまり慣れていないようだ。


 ◆対策


 彼女については、対策は殆ど必要無いと言えるだろう。
 自分の職務にしか興味がなく、人間を襲うことも無いため、退治する機会がそもそも無い。
 精々が彼女の作品を求める人間が近づくぐらいで、危険性も無い。全くの無害である。

 徒一つ注意しておかないといけないのが、彼女の作品についてである。
 彼女の作品は使用者の想念を受け易く、付喪神に成り易い。大切に使っていれば大変素晴らしい逸品となるが、もしぞんざいに扱っていたならば忽ち祟りを受けるだろう。
 その場合は彼女に引き取ってもらうか、もしくは博麗の巫女に供養してもらう(※1)他無い。
 中には並の妖怪以上に厄介な場合もあるため、丁寧な取り扱いを心掛けたい。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 あまり当てにはならないだろうが……









 瀑布の土地神

 浄蓮守 流 Jourennokami Nagare


 能力         土地を護る程度の能力
 危険度                   高
 人間友好度                低
 主な活動場所           浄蓮の滝


 勿忘村のとある山に存在する浄蓮の滝を守護する妖怪。
 色鮮やかな絡新婦の化身であり、眷属である子蜘蛛を村の各所に散らし、村の警備も兼ねている。

 妖怪でありながら八百万の神としての神格を具え、土地に棲む者からそれなりの信仰を得、それなりに神徳を発揮することが出来る。

 性格は激情家であり、自分の土地を荒らす者には人妖問わず決して容赦しない反面、相応の敬意を払う者には寛大であり、無闇に襲うことは無い。

 勿忘村では専ら土地の豊饒を司り、作物である米を使った酒造りを生業としている(※1)。


 ◆目撃報告例


 ・帰りに山を歩いていたら、ぞろぞろと子蜘蛛が付いて来るんだ。
                                              (匿名)

  子蜘蛛は彼女の加護の証である。心配はいらない。


 ・この前水浴びしているところを見た。赤い眼が恐ろしくてすぐに逃げたんだが……
                                              (匿名)

  彼女自身は人間に対する友好度が低い。見つかる前に逃げて正解だろう。


 ・あそこの滝の水で造ると酒が美味いんだ。よく利用させて貰っているよ。
                                          (酒屋の主人)

  浄蓮の滝の水は霊験あらたかな神水である。お供え物さえ忘れなければ大丈夫。


 ◆対策


 妖怪であるが八百万の神の端くれであるため、他の妖怪のように人間を襲うことは少ない。
 きちんと敬意を払っていれば加護も与えてくれるため、妖怪としての危険は余り無いだろう。

 しかし、それ故に他のどの妖怪よりも誇り高く、土地を荒らし冒涜する者には容赦が無い。
 その場合は問答無用に襲い掛かるため、徒に近付くのは止めた方が身の為だろう。

 妖怪としてよりも土地神の面が強いため、妖怪退治も必要ない。
 そうでなくとも、勿忘村では重要な立場にあるため、敵対すれば他の妖怪たちも敵に回すことになる。
 
 勿忘村に棲む妖怪たちは、どれもこれも癖の強い強大な妖怪たちであるため、妖怪退治も一筋縄では行かないだろう。
 流自身も非常に強力な妖怪であるため、無闇に手を出さないのが一番である(※2)。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 妖銘酒「浄蓮」。非常に辛口の清酒。絶品。

 ※2 触らぬ神に祟りなし。









 古屋敷の妖怪

 御刀自 古室 Otozi Komuro


 能力          家を護る程度の能力
 危険度                  極高
 人間友好度               極高
 主な活動場所             勿忘荘


 勿忘村の奥地にある、四方を山に囲まれた土地に建つ広大な屋敷、勿忘荘。
 裕に築千年を越えるその屋敷の管理を一手に担うのが、御刀自古室である。
 
 家政婦じみた格好をして住人の世話を務め、炊事洗濯に買出し掃除と、全ての家事は彼女の役目だ。
 付喪神たちが好き勝手に増改築する屋敷の管理となれば、それこそ膨大な仕事量となるが、彼女は家事に役立つ付喪神たちを使うことでそれらをこなしている。

 そうしたこともあって、古室の勿忘荘での地位は高い。実質的に屋敷を牛耳っているのも古室である。
 勿忘荘に憑く、塗り壁、天井下り、影女、逆柱、目目連、火間虫入道等、数多の妖怪を眷属に使役し、ずぼらな主人に代わって昼夜問わず忙しなく家事に奔走しているのだ。

 そのため屋敷内で彼女に逆らえる者は居らず、荒くれ揃いの住人たちでさえ古室には頭が上がらない。
 勿忘荘の存亡は、彼女の手に掛かっていると言っても過言ではないだろう。


 ◆日常


 まず朝は勿忘荘の主人のために、夜明け前に起きて食事の準備をする。
 昼に掃除、洗濯、買出しをしつつ、主人の使いをこなし、日が傾きかける頃になると炊事に取り掛かり、主人の夕餉の準備をする。
 そうして日の出ている内に主人の世話を終えると、次は他の住人たちの世話を始める。
 夜になって起き始める妖怪たちの世話を昼と同様にこなしていき、零時を回る頃に家事を終えて漸く夜明けまでの短い時間に休憩を取るのだ。
 まさに屋敷の妖怪ならではの激務と言えるだろう。
 
 しかしそんな彼女にも年に何度か休日があり、その間は他の住人たちが古室の世話をし、屋敷の管理に務める(※1)。


 ◆目撃報告例


 ・休んでいるところを見たことが無い。無理して倒れなきゃいいが……
                                                  (匿名)

  到底真似出来るような仕事ではない。人間ならとっくの昔に過労死だろう。


 ・気立ても良いし別嬪だし、あんなカミさんが居たら最高だろうな。
                                                  (匿名)

  そうは言っても妖怪である。油断は禁物だ。


 ・もう随分と長く連れ添っているが、古室の居ない生活は考えられん。いつも感謝している。
                                              (無明寺八重)

  そう思うのならもっと労ってやってはどうか。


 ◆対策


 いつも家事に追われているので、そもそも退治する機会が無ければ理由も無い。
 また彼女を敵に回せば間違い無く他の妖怪たちも付いて来るので、絶対に手を出してはならない。
 彼女の存在は勿忘荘の生活に直結し、手を出せば本気になった住人たちを敵に回すことになる。そうなってしまえば、最早助かる術は無いだろう。

 彼女自身は人間、妖怪に分け隔て無く親切なので、危険ということは無い。
 しかし屋敷内での狼藉、乱暴は御法度である。客人として招かれた時には節度ある態度を守ることを心掛けよう。
 礼節さえ守っていれば、非常に住み心地の良い場所になるだろう。その居心地の良さたるや、幻想郷でも有数と評判である。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 この時、古室の手を煩わせてはならない。これは住人全員に共通する暗黙の掟である。主人でさえ例外ではない。









 無彊の妖怪

 無明寺 八重 Mumyouji Yae


 能力          境界を歪める程度の能力
 危険度                     不明
 人間友好度                  極高
 主な活動場所                どこでも


 広大な敷地と無数の家屋が連なる勿忘村。その中心地とも言える大屋敷“勿忘荘”の主人が、無明寺八重である。
 かつて妖怪大将と謳われ、今も多くの妖怪を従える彼女は、普段はあちこちに顔を出しながら出歩き、人間を脅かしたり助けたりしながら暮している。

 そのような姿ばかりを見ていると、とても一大勢力を率いるような人物には見えないが、彼女に連なる妖怪の多くは、どれもこれも癖の強い危険な連中ばかりである。
 それらを問題無く統率しているという事実からも、その実力は推して知るべし、決して逆らってはいけない。

 とはいえ彼女自身は随分気さくな性格で、人間・妖怪双方への理解も深く、また自身も異常に人間臭い。
 良く人間の里に出没しては子供に飴をあげてあやしたり、妖怪絡みのトラブルにも手助けしてくれるため、人間の間では割と人気の高い妖怪である(※1)。

 八雲紫とは様々な面で因縁があり、その能力も然ることながら、人格や思想面に於いても対称的である。また神出鬼没。
 また他の名立たる妖怪とも面識があり、地底、天上、その他場所や時代を問わず知り合いが多い。

 最近では幻想郷のパワーバランスの一角を担うようにもなり、新参ながら非常に強力な妖怪の一人である。


 ◆能力


 境界を歪める程度の能力とは、読んで字の如く、物事に存在する境界を歪め、本質を狂わせる能力である。
 通常境界は決して混ざらず、また重ならないが、彼女の周りではそれが普通に起こり、境界の歪みである“狭間”が生まれる。

 この狭間の空間内では、物事は曖昧になり、本来の意味が十分に機能せず、また不思議なことが起こり易くなる。
 主な現象として、前後の意識が曖昧になって忘れっぽくなったり、元気だった草花が急に萎れたり、逆に腐った食べ物が新鮮になったりする。
 あらゆる境界が歪むので、理論上ありとあらゆる現象が起こり得るのだが、それを明確に行使することは出来ない。
 何が起こるのかは、起こるまでのお楽しみ。八重自身にも完全に制御出来るような能力でもないので、八雲紫の能力とは違い、割と何でも運任せな能力である。

 それ故、紫の能力とは相性が悪い。
 あらゆる境界を規定する紫と、あらゆる境界を捏造する八重では、その力のベクトルが正反対である。

 八重はこの能力を、彼方と此方の境界を歪めるなどして地脈を縮める“縮地”の妖術などにして活用しており、神出鬼没に歩き回っている。


 ◆この妖怪に纏わる逸話


 ・幻想妖怪大戦争騒動


 幻想郷をぐるりと囲む博麗大結界。
 今でこそ当たり前のものとなっているが、大結界が提案された当時は賛否両論となり、多くの妖怪達が賛成派と反対派に分かれて争った。
 幻想郷の歴史書にも重要事項として記載されているその出来事だが、それは幻想郷内のみならず、外に棲む妖怪も巻き込む一大騒動にまで発展した。

 八重は当時、幻想郷外部の反対派勢力の筆頭であった。
 幻想郷の隔離に異を唱え、人間社会への抵抗を標榜する彼女の下には数多くの妖怪が集い、賛成派勢力の妖怪達と対立した。その賛成派の代表が、八雲紫である。

 八雲紫の代表する賛成派勢力と、無明寺八重の率いる反対派勢力。
 暫く均衡を保っていた両者だったが、やがて事態が窮まると激突し、大小入り乱れる妖怪同士の大戦争となった。

 その際多くの妖怪達が渦中に巻き込まれ、覇権を巡って争ったが、やがて反対派勢力の敗北という形で決着がつく。
 八重は、幻想郷に未曾有の動乱を招いた大罪人としてその責を問われ、幻想郷から追い出される結果となった。

 彼女らの敗北を皮切りに、大結界反対派勢力は急速に衰退、やがて異を唱えるものも居なくなり、幻想郷は博麗大結界によって隔離された。

 以降現在に至るまで、彼女らの姿を見たものは居ない。


 ◆目撃報告例


 ・いつの間にか家に上がりこんでいるんだよ。しかも何故か追い出す気にはなれないんだ。
                                                      (匿名)

  人心を惑わす妖術は大の得意である。


 ・大将ってぇ割には随分と俗っぽいな。まぁ怖くないに越したことはないが……
                                                      (匿名)

  それでも彼女の配下の妖怪は恐ろしい連中ばかりである。間違っても歯向かってはいけない。


 ・というかいつの間にか勝手にウチの御煎餅食べてるのよ。迷惑極まりないわ。
                                                   (博麗霊夢)

  おまけに懲りない性格のようで、危険は無いものの性質が悪い。


 ◆対策


 彼女を人間が退治するのには無理がある。
 他の妖怪とは違い、妖怪・人間相手の経験が尋常ではない。また如何なる異能も、彼女の能力の前では曖昧に掻き消え意味を為さないので、無駄である。
 その上真っ向勝負を挑もうにも、彼女自身の実力も桁外れに高いため、そもそも技量面ですら相手にならない。

 とはいえ遊び心を解し、分別もある出来た妖怪なので、こちらの力量に合わせて手加減はしてくれる。
 またルールもルールとしてきちんと守るため、形式的な勝負を挑めば、相応に妖怪退治も果たせるだろう。

 徒、そうした正攻法を破るような相手には容赦が無い。
 筋に合わないやり方をするような相手は問答無用で叩き潰し、全力を以って報復に出るだろう。
 そうなると配下の妖怪連中も群れを為して襲ってくるため、最早為す術は無い。

 無闇に挑発しようとはせず、お互いに一定のルールに則った上で戦うのが最良である。
 不義さえ犯さなければ、非常に大らかな性格でもあるので、友好を築くのも良いだろう。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1 まぁ他の妖怪と比べたら……









 夢枕の妖怪

 胡蝶蘭 夢路 Kotyouran Yumeji


 能力           夢を操る程度の能力
 危険度                   極高
 人間友好度                最悪
 主な活動場所           主に夢の中


 夢の世界はもう一人の自分の世界、精神を映し出す異界。
 夢路は、そんな境界の向こう側に棲む、他に類を見ない妖怪である。

 夢という不可侵の領域を操る絶対無敵の能力を有し、自身もまた絶大な妖力を誇る彼女は、古今の妖怪の中でも最強クラスに位置する。
 自分以外の妖怪や人間を端から見下しており、自分が絶対だと信じている彼女は、どの生物とも相容れない。

 彼女にとって人間とは徒の餌であり、玩具であり、体の良い暇潰しの対象である。
 気紛れに良い夢を見せて幸福にすることもあるものの、普段は悪夢を見せ付け眠れぬ夜を与え、人間を恐怖と絶望のどん底に陥れ、破滅する様を見て楽しむような、とにかく危険極まりない妖怪だ。

 彼女の能力にかかると、人間は最早現実と夢の区別が付かなくなり、結果として精神を蝕まれ廃人となる。
 また夢の中で彼女に遭遇し、喰われてしまうと、現実世界の肉体も魂を失って死んでしまう。

 そんな、どうしようもない程の力を誇る夢路だが、唯一彼女の能力から逃れる方法がある。
 それは、神仏に祈願して夢違の加護を得て、彼女の干渉を阻害することである。
 これによって夢路は対象の夢に侵入することが出来なくなり、夢を操ることが出来なくなる。

 とはいえそれ以外には有効な対抗手段も存在せず、一度狙われてしまったなら、殆どもう諦める以外にはない。
 故に恐ろしい。

 日常においては殆ど現実世界に興味を向けず、四六時中眠っては夢の世界に耽っている。
 現実世界においては殆ど無害といって良いが、それでも油断は禁物だ。
 知らぬ間に怒りを買い、眠った後で報復されるということも有り得る。
 努々、注意を怠らないようにしたい。


 ◆目撃報告例


 ・この前寝ながらふわふわ飛んでるのをみたんだが、ありゃ一体何なんだ?
                                                                        (匿名)

  手を出してはいけない。起こしてしまえば怒りを買うのは必至である。


 ・金色に輝く蝶を見たから、綺麗だなと思って追いかけたらヤツが居た。おそろしかった。すぐに逃げたよ
                                                                        (匿名)

  それで正解である。彼女の眷属である蝶を捕まえたりなどすれば、怒りを買うのは必至である。


 ・この前夢にヤツが出てきた。その時はただこっちを見つめてニタニタ笑っているだけだったんだが、気味が悪くて目が覚めた。
                                                                        (匿名)

  運が良い。その時は偶々機嫌が良かったのだろう。眠れなくなっただけで御の字である。


 ◆対策


 人間が対抗するのは、はっきり言って不可能である。
 下手に刺激すれば忽ち精神を喰われ死んでしまうので、どうにかその矛先が向かぬよう祈る以外に手段は無い。

 夢違の結界も、神仏に仕える人間にアテが無ければ意味が無い。
 仮に張ったとしても生半可な結界では容易く破られてしまうため、確実に安全とは言い難い。

 一番の対抗策は、彼女を従えている無明寺八重に協力してもらうことだろう。
 唯一彼女にだけは能力が通用せず、頭が上がらないので、彼女の命令があれば手を引いてくれるはずだ。

 それでも勿忘荘を敵に回せば意味は無くなる。
 何事も諍いを持ち込まず、平和裏に付き合っていくのが最良の手段に他ならない。



[4169] 東方忘我経 キャラ設定.txt
Name: ゲルニカ◆4b230df4 ID:0e683125
Date: 2009/09/15 08:24


 ○1面中ボス 悪戯好きな幸せの狼煙
  エンヤ
  Enya

  種族:煙羅
  能力:火元から現れる程度の能力

  勿忘荘きっての悪戯好き。
  彼女を目撃すると幸福が訪れると言われ、本来なら吉兆であるが如何せん性格に難があり、
  人をおちょくるのが大好きなので、人間からは倦厭されている。

  今回の異変では姉貴分である燦の言い付けにより捜索に出ていたが、美味そうな煙の匂い
  につられた先で面白そうな人間、霊夢を見つけたので、命令そっちのけで脅かそうとした
  ようだ。




 ○1面ボス 天気知らずのお天気娘
  照降 燦
  Terihuri San

  種族:付喪神(傘)
  能力:雨雪と陽光を遮る程度の能力

  勿忘荘の外交役兼、無明寺八重の御意見番の妖怪傘。
  元はとある武家の姫君が用いていた和傘で、御家の没落に際し打ち捨てられていたところ
  を八重に拾われ、そのまま彼女の妖力を得て妖怪と成った。

  歳月を経て成るような純粋な付喪神ではなく、八重の影響によって変じたため、妖怪とし
  ての面は弱く、人間を襲うことも少ない。
  自身はそういった荒事よりも寧ろ、和気藹々とした雰囲気の方が好きなので、専ら厄介事
  の際には仲裁に回り、両者の仲を取持つことの方が得意である。
  そんな性格のためか、勿忘荘内では若い妖怪連中の良い姉貴分である。

  今回の異変では古室に次いで事態を嗅ぎ付け、妹分の妖怪達に主人の捜索を命じた。




 ○2面中ボス 妖怪ニュースキャスター
  テレサ
  Teresa

  種族:付喪神(テレビ)
  能力:電波を受信する程度の能力

  勿忘荘きっての悪戯好きその2.情報通を自称する旧情報社会の化身。
  外の世界で、戦後人類が国際化社会に向けて新たな情報体系を構築していく最中で生み出
  した、家電の三種の神器の一つが、長い歳月を経て変じた妖怪である。

  情報社会黎明期に生み出された、現代情報社会の礎であることを誇りにしており、古い体
  系に縛られない情報の自由を信奉している。
  妖怪となった後もその信念に則り、自由気侭に活動していたが、彼女が妖怪となった時代
  は、彼女のような常識に当て嵌まらない存在が認められるような時代ではなかった。

  最早彼女自身が、古い体系の遺物であったのだ。
  情報社会を説こうにも、既に外の世界は彼女の生まれた時代の遥か先の世代を往き、彼女
  の声には耳を傾けようとしない。
  そうして失意と落胆の中彷徨っていた自分を救ってくれたのが、八重であった。
  以来彼女は勿忘荘に棲み着き、住人達に情報社会の何たるかを日々説いている。

  そして最近、彼女に野望が出来た。
  幻想郷に移り住む直前、外の世界で捉えた情報社会の一大革命。
  人間がアナログな情報を一掃し、デジタル社会に切り替えようとしていることを。

  いずれ忘れられた同胞達が幻想郷にやってくる。
  その時こそ、自分が情報社会の頂点に立ち、牛耳るのだと――――




 ○2面ボス 喝采無き独り舞台
  イデア・パフォーマー
  Idea Performer

  種族:付喪神(演劇人形)
  能力:役を演じる程度の能力

  勿忘荘一の芸術家にして文化人。各種芸能を極めんと日夜努力し、切磋琢磨している。
  日本生まれの同僚が多い中、数少ない西洋生まれの付喪神。

  かつては西洋ヨーロッパで作られた、人形劇用の演劇人形であった。
  見目麗しい造詣は注目を集め、創造主にして己を操る役者でもあった人間の業もあって彼
  女は忽ち人気を博したが、それも操る人間が逝去すれば忘れ去られてしまった。

  衆目環視の中多くの想念を得た彼女であったが、歳月が足りず、妖怪と成るにはまだまだ
  長い時間を必要とした。
  それなのに意思だけは既に存在していて、自らは身動き一つ取れない中、ヤキモキとした
  毎日が続いたが、ある日自分を興味深そうに見つめる誰かの姿があった。八重である。
  当時まだ東洋との交流が盛んではなかった頃である。全く未知の姿をした八重は己を抱き
  上げ、こう言った。

  「可哀想に。今自由に歩けるようにしてやろう」

  そうして八重の妖力を得ると、驚いたことに自分の身体が意のままに自由自在に動いた。
  徒の人形に過ぎなかった自分が、妖怪として、一個の生命として活動し始めたのだ。

  そして彼女は八重と共に東洋へと渡り、勿忘荘に棲むようになった。
  その恩は生涯忘れることはないだろう。自らを解き放ってくれた八重への恩義に報いるた
  め、彼女は八重の傘下に収まった。




 ○3面ボス 恐ろしき夜行の怪輪
  忌車 火輪
  Kiguruma Karin

  種族:片輪車
  能力:鬼火を操る程度の能力

  夜の闇に閉ざされた街道を往く恐ろしい車輪の妖怪、それが彼女だ。
  夜になっても家に帰ろうとはせず、迂闊に外を出歩こうとする人間を捕らえては、己が糧
  としてきた。
  中でも成人前の子供が大好物で、夜になっても子供から目を離すような親から子供を攫っ
  ては、棲家としている寺社に連れ込み、喰らう。

  そんな日常を送っていた彼女が、とある子供を攫った時のこと。
  その子供の親は身の程を弁えず、夜道を往く己の姿を見ようなどとした愚か者だったが、
  子への愛情は深かった。

  「罪科は 我にこそあれ 小車の やるかたわかぬ 子をばかくしそ」

  そう歌を詠み、子を返して欲しいと涙ながらにやって来た女親を前に、彼女は悩む。
  親の子への愛は確かに深いものだが、しかし自分にとっても大好物である獲物。そう易々
  と返したくはない。
  とはいえ取り付く島もなく無碍にするのも憚られ、暫く悩んだ末に、結局返すことを拒ん
  だ。

  いざ目の前で子供を喰らわんとすれば、親は声を上げて泣き崩れ、その時思いも寄らぬ闖
  入者が現れた。
  それが八重である。その妖怪は、妖怪の癖に自分の所業を気に入らないと言い放ち、子を
  親に返すように要求してきた。
  しかし彼女も、そんな言葉に素直に従うような性分ではない。生意気な妖怪だと思い、先
  ずは八重から始末しようとして――――敗北した。

  人間に退治されるのではなく、同じ妖怪に打ち負かされたという事実。
  獲物も既に奪い返され、屈辱に震える自分に八重が手を差し出し、こう言った。

  「さっきの真似は気に入らんが、それ以外は面白そうな奴だ。どうだ、私に着いて来ないか?」

  当初はその言葉を屈辱に思い、寝首を掻いてやろうとの魂胆でそれを受け入れたが、八重
  に付き従っている内に、何時の間にか居心地の良さを感じている自分に気付く。

  手を取った妖怪の器は、自分の浅い考えが通用するようなものではなかったのだ。
  きっと気付いていたであろう自分の魂胆を厭いもせず、自由気侭に振舞う八重の姿に、や
  がて心から臣従するようになった。

  以来彼女は、八重一番の配下を自負して付き従うようになる。
  今回の異変も、そんな彼女にとっての恩人の危機を聞き付け、己が相棒と共に幻想郷を駆
  け回ったのだった。




 ○4面中ボス 八百八を率いる妖獣
  刑部 久万子
  Osakabe Kumako

  種族:妖獣
  能力:人間を化かす程度の能力

  日本全土に出没する妖怪狸を纏める八百八匹の親分狸、それを更に上から統率する大親分
  が彼女である。
  永い歳月を重ね、無数の徳の高い人間を喰らい、弛まぬ研鑽の果てにその妖力は神通力の
  域にも達し、その力を以って妖獣の頂点に上り詰め、妖獣ながら人間の信仰も獲得し、人
  間の国の守護を務めるまでに至った。
  八重とも、そうした一大勢力を統率する中で知り合い、しばしば挨拶代わりに戦っては盃
  を交わした好敵手同士であった。

  相応の見返りと共に一族と人間、双方を取り仕切っていた彼女だが、ある時守護していた
  国の人間が謀反を企て、自分にその協力を要請してきた。
  話に丸め込まれいつの間にか協力を約束されていた彼女は、謀反によって乱れる国と人民
  を憂い、何とか悪巧みを阻止しようと一計を案じ、神通力を用いて件の人間に幻覚を見せ、
  大失態を演じさせることでその人間を手打ちにさせ、計画そのものを無かったことにしよ
  うと画策した。

  しかしてその計画は、失敗に終わった。
  確かにその人間は大失態を晒したものの、それだけで手打ちになるような身分では無かっ
  たのだ。
  逆にそうなるように仕向けたことで自分に容疑が掛かり、人間が呼び寄せた妖怪退治の達
  人である豪傑と対立し、国を巻き込んだ一大騒動に発展してしまった。

  勿論彼女は精一杯抵抗した。
  いかな豪傑が相手とはいえ、妖怪としての自分の力は、他に類の無いほど強力なものだ。
  御家との一大抗争も終始優勢に持っていったが、そこで思いも寄らぬ事態に見舞われた。
  人間側に山ン本五郎左衛門と名乗る謎の妖怪が協力し、妖怪を殺す魔法の武器を豪傑に与
  えたのだ。
  実はその妖怪は、事態を重く見た八雲紫が、名を偽り姿を変え、人間に助力したものだっ
  た。

  八雲紫の入れ知恵により力を得た人間は、瞬く間に配下の妖怪狸達を打ち倒し、彼女の神
  通力を封じ、山の洞穴に配下諸共閉じ込めてしまう。
  封じられたものの、今まで国の守護に務めた功績もあって定期的に供物を捧げることと、
  鎮守の祭りを欠かさないことが約束されたが、彼女には何の慰めにもならなかった。

  かつての栄華が夢幻の如く、薄暗く小汚い洞穴の中で失意に見舞われていた彼女だが、あ
  る時洞穴の封印を解こうとする者が現れた。
  外ではもうそんなに時が過ぎたのだろうか。世代が変わり自分のことなど忘れた人間が、
  興味本位で此処の封印を解きに来たのかと待ち構えていると、遂に封印は解かれ、暗闇に
  慣れた目を焼かんばかりの光を背負うようにして、かつての宿敵――――無明寺八重が立
  っていた。

  「酷い目に遭ったな。どうだ、まだ無事か?」

  八重は、自分の危機に騒動が終わってから気付き、今まで封印を解くために奔走していた
  のだ。
  多くの配下を失い、落魄れた自分をかつてと変わらぬ様子で迎え、無事を喜んでくれた八
  重に、彼女は深く感謝した。

  「お前さえ良ければ、私と一緒に馬鹿をやらないか」

  そんな八重の誘いの言葉に彼女は頷き、八重の配下ではなく盟友として、盃を交わした。

  やがて彼女は八重と志を共にし、幻想郷との一大決戦の際も、先陣を切って戦った。
  そして敗れ、幻想郷から追われた時も、八重と末路を共にした。

  今回の異変では、逸早く八雲紫の暗躍に気付き、問い詰めた後に事態を静観していた。
  尤も、博麗の巫女という格好の遊び相手を前に、少し戯れもしたようだが――――




 ○4面ボス 日ノ本無双の鍛部
  古唐 あやめ
  Hurukara Ayame

  種族:妖怪
  能力:鉄を鍛える程度の能力

  かつて大和の国には、現存する刀の型を創始した伝説の刀工がいた。
  天国と号した彼は、神懸り的な鍛冶技術を以って数々の名刀を製作し、上流階級の人間の
  支持を受け、数多くの門人を従えてその業を伝授していったが、唯一家族には恵まれなか
  った。

  女を娶っても子は出来ず、最後まで後継たる実子が出来なかったことを無念としたまま彼
  は逝ったが、その想念が彼の人生の大半を共にした鍛冶場に宿り、一人の妖怪を生み出し
  た。
  それが彼女、古唐あやめである。

  彼女は、生まれながらにして鍛聖の業の全てを受け継いでいたが、自らその業を振舞おう
  とはしなかった。

  彼女は、既に業を極め完結してしまっていた自身に、生き甲斐を見出せなかった。
  人間を襲おうとしても、鍛聖の想念が彼女の本質である。刀を鍛えること以外に興味を向
  けられず、しかしそれも極めてしまっていては、意欲も湧かない。
  自身が生まれたことに意味を見出せず、朽ち果てた鉄のように歳月を重ねていったある時、
  彼女の工房を訪れるものがいた。

  無明寺八重と名乗った彼女は、自分と同じ妖怪であるという。
  狭い工房に引き篭もっていた彼女は、そんな八重に興味を示したが、しかしそれも自身の
  生に活路を見出すには至らない。そこそこの付き合いはあれど、それだけだった。
  いつまでも退屈そうな、寂しそうな様子の彼女のもとに、八重がある日手土産を持ってや
  って来た。

  「これは誰も知らない、遠い異国の地に咲く花だ。ぐらじおらす、という花で、剣を意味するらしい」

  そう言って、八重の差し出した花束を興味深そうに見つめていると、続けて八重はこう言
  った。

  「よく見ると菖蒲の花に似ていないか? 唐の国の方で見つけたから、唐菖蒲とでも名付けようか」

  そして手を差し出す八重を、不思議そうに見上げると、彼女は照れたように笑って言った。

  「お前に良く似て、強かながらも可憐な花だ。退屈しているのなら、着いて来い。きっと楽しいぞ。
   となると、呼ぶ名前が無いと不便だな。

   ――――よし、この花に肖って、古唐あやめ、なんて名前はどうだ? きっと似合うと思うんだが」

  そうして自分を迎え入れた八重に、彼女は着いて行くようになった。
  好きにやって人間を驚かしてやれという八重の言葉に従い、自分が刀を鍛えて世に放って
  やると、人間は面白いほどに騒いでくれた。
  それは妖怪が人間を襲うのとは少し違ったが、それでもそんな彼女を面白がった八重に、
  彼女はいつの間にか生き甲斐を見出していた。

  即ち、彼女に着いて行くことこそが、己の幸福だと。




 ○5面中ボス 瀑布の土地神
  浄蓮守 流
  Jourennokami Nagare

  種族:絡新婦
  能力:土地を護る程度の能力

  霊験あらたかの神水の流れる滝と、その土地を護る絡新婦の妖怪である。
  妖怪ながらも己の崇高な使命を誇りとしており、土地を穢す者は人間・妖怪問わず追い払
  ってきた。

  そんな彼女の転機となったのは、人間が力をつけ始めた頃のこと。
  永く守護してきた土地に人間が踏み入り、我が物顔で木を切り倒し開発するようになり、
  彼女の力の源である滝も、人間が押し寄せ穢れつつあった。
  彼女は土地を踏み荒らす人間に対し自ら脅威を知らしめ戒めようとしたものの、人間はす
  ぐに世代が替わり、その恐怖は瞬く間に風化していく。
  このままでは、懲りることを知らない人間達に土地を荒らされ、己が妖力が失われてしま
  う。

  それを恐れた彼女の下に、ある日無明寺八重なる妖怪が訪ねて来た。
  聞けば、彼女も自分の護る土地が荒らされていくのを予てより危惧しており、協力したい
  との申し出だった。

  彼女はそれを有難がったが、同時に疑念も抱いていた。
  何せ全く見知らぬ妖怪からの、突然の協力の申し出である。疑わしくないはずもない。
  とはいえこのままでは益々力が失われていくばかりなので、内心は不安ながらも、彼女は
  八重の協力を受け入れた。

  さて、当の問題を解決するにあたって、八重はとんでもない真似をしてみせた。
  なんと自分の護る土地を人間から守るために、丸ごと別の土地に持ち去ったのだ。そこに
  棲む自分も含めて。

  そして八重の領地だという秘境にやってくると、八重は手頃な土地に流の土地を根付かせ
  てみせた。
  呆気に取られる彼女を前にして、八重は笑って手を差し出し。

  「ようこそ、流。今日からお前は私の身内だ」

  これは敵わない、と心底感心した彼女は、その日から八重に臣従するようになった。




 ○5面ボス 怪異寄せ合う屋根の下
  御刀自 古室
  Otoji Komuro

  種族:妖怪
  能力:家を護る程度の能力

  いつ生まれたのかは知らない。気付けば無人の廃屋の妖怪として、古室は存在していた。
  妖怪ではあるものの、同時に家でもある彼女にとって、誰も棲んでくれる者が居ないのは
  耐え難いものである。時折雨宿りに訪れる旅人達を迎えては精一杯持て成して何とか棲ん
  で貰おうとしたものの、妖怪の自分が現れる度に人間は恐怖し、出て行った。

  何度も何度も友好的に接し、自分を受け入れて貰おうとしたものの、その度に期待を裏切
  られ、恐怖に慄く想念ばかりが彼女に積もり、やがて古室を恐怖の妖怪屋敷へと変貌させ
  た。
  妖怪として多くの人間の恐怖を得、強大な妖力を持つに至った彼女は、訪れる人間達を次
  々と閉じ込めては、彼らを取り殺し己が力の糧としていった。

  しかしそれでは、家としての本分は全うされない。
  次第に力を付けていったものの、彼女の心境はいつまで経っても空虚なままだった。

  そんなある日、命知らずの何者かが己が屋敷にやって来た。
  屋敷が妖怪であるとも知らずに、無防備に休んでいたその人物を取り殺して糧にしようと
  姿を現したが、しかし悲鳴らしい悲鳴は上げられない。
  普段ならばそれだけで取り乱し恐怖するはずが、その人物はまるで恐れる風も無く、平然
  として寛いでいた。

  「なんだ、お前も妖怪なのか。それにしても良い場所だな、此処は。気に入った、暫く厄介になろう」

  そう言って我が物顔で暮し始めた無明寺八重なる妖怪に、古室は呆気に取られる。
  状況を飲み込めぬ内に巧く丸め込まれてしまっていた彼女は、いつの間にか八重の世話を
  するようになっていた。

  その後も変わらず自由気侭に己が屋敷で暮らし続けた八重は、各地から見知らぬ妖怪を身
  内と称して連れ込んでは、家族だといって屋敷に棲まわせた。
  やがて数多の妖怪が寄り付き、棲むようになり、妖怪達の手によって屋敷は改装され、見
  違えるほど綺麗になっていった。

  なんだこれは、と驚くばかりの古室も、遂にどういうことなのかと八重に問い詰める。
  すると八重は、意外そうに目を丸め、当たり前のように

  「なんだ迷惑だったか? 随分と棲み易くなったと思うが。

   ――――あぁ、今更追い出してくれるなよ。此処以外はもう肌に合わんのでな」

  古室は思い出した。
  自分が妖怪である共に、家であることを。ずっとこうなることを願っていたことを。
  いつの間にか叶っていた己が大願。それを叶えてくれた八重は、してやったりと笑いなが
  ら。

  「騒がしいが、面白い連中だろう? 此処も随分賑やかになった。これからもっと賑やかになるぞ」

  そう言って大器を見せ付けた八重に、古室は三つ指をつき平服した。
  彼女こそ、この屋敷の主人だと。自分はずっと彼女を待ち侘びていたのだと。

  以来古室は屋敷の大家として、そして八重の伴侶として連れ添った。
  彼女への恩義に報いるために。愛すべき家族の家を護るために。

  やがて幻想郷との決戦を経て、敗北した八重が屋敷を勿忘荘と名付けた時も、古室は笑顔
  で受け入れた。

  忘れてくれるな、というその想い。
  それは、忘れ去られ妖怪となった自分への、最大の餞のようでもあったのだから――――




 ○6面ボス 忘れられた妖怪大将
  無明寺 八重
  MUmyouji Yae

  種族:ぬらりひょん
  能力:境界を歪める程度の能力

  昼夜の境に身を潜め、百鬼夜行を率いる一人一種族の妖怪。
  元々は遥か太古の時代の人間で、氏や豪族を名乗り始めた上流階級の人間達とは違い、自
  分個人を表す名前は持ち合わせていなかった。

  無明寺八重の名は自ら付けたものであり、妖怪にも人間にも成りきれず、名すらも無い半
  端な自分と、どっちつかずのまま無駄に積み重ねた歳月を皮肉ったもの。
  妖怪としての彼女を指す、ぬらりひょん、という名は、ぬらりくらりとして掴みどころの
  無い、正体不明の妖怪としての彼女を目撃した妖怪や人間達に呼ばれたことに由来する。

  いつの間にか発現していた『境界を歪める』能力の影響によって、人間だった彼女は歪ん
  だ境界を踏み越え妖怪と成り、境界が歪んでいるからこそ人間部分も色濃く残していた。

  妖怪に成ってしまった当初こそ、不遇と災難に満ちた己の境遇を嘆いたものの、やがて生
  来のポジティブ思考を取り戻すと、妖怪と人間、そのどちらでもあることを巧く利用して
  好き勝手するようになった。

  妖怪として人間を脅かしたり、人間として妖怪退治を請け負ったりしている内に、妖怪・
  人間の双方に知り合いが多く出来る。
  また力も強く、多くの妖怪も気紛れで救ってきた彼女を慕い、種族を問わず数多の妖怪が
  着いて来るようになった。

  いつしか八重は、日本全土でも有数の妖怪勢力を背負うようになり、各地に領土を持ち幅
  を利かせるようになる。
  その所為で多くの敵も出来たが、同時に多くの仲間も出来た。
  そのどちらをも彼女は楽しみ、いつ終わるとも知れぬ己が生の華として大事に思い、護り、
  益々妖怪達は彼女の下に集まった。

  そうして集まった配下を連れて練り歩く光景は、いつしか百鬼夜行と呼ばれ始めた。

  そうして妖怪社会の絶頂を誇っていた彼女の下に、ある時一人の人間が訪ねてくる。
  石燕と号するその絵師は、ぬらりひょんという妖怪の噂を聞きつけ、彼女が率いる百鬼夜
  行の姿を絵に描きとめたいと言うのだ。

  人間の分際でそんな無謀を語る石燕を、配下の妖怪達は哂ったが、八重は違った。
  己と、その身内を絵に留め遺そうという人間の意志に、甚く感動したのだった。
  八重は嬉々として絵師に協力し、己とその配下達を残り隠さずに描かせ、記念として受け
  取った絵を何よりの宝として大事にした。

  しかし同時に、一抹の不安も覚えた。
  幾ら使命と好奇心からとはいえ、人間が進んで妖怪に会いに来るような時代に、未来の妖
  怪社会を憂えるようになる。

  はたしてその予感は的中し、異国から使者が訪れ、数多の国々の思惑が錯綜するようにな
  ると、人間はその力を増し、新たな社会を築き上げようとした。
  そしてその一方で、八雲紫に代表される妖怪達の楽園、幻想郷が、人間社会との決別を宣
  言する。

  八重は怒った。
  今こそ妖怪同士が協力し、妖怪社会をより強固なものとし人間社会と対抗すべきと考えて
  いたのを、幻想郷は逃げの姿勢に徹し、妖怪の存在を人間から偽りのものとしようとした
  ことに。

  幻想郷を隔離する博麗大結界が張られてしまう前に、行動を起こさなくてはならない。
  己を慕う配下の妖怪達の全力を以って、八雲紫率いる幻想郷の妖怪軍団に戦いを挑んだ。

  しかし結果は敗北に終わる。
  八重は幻想郷に未曾有の動乱を招いた大罪人として幻想郷を追われ、僅かな手勢と共に人
  目の着かぬ奥地に逃れた。

  あれだけ大言を吐いておきながら敗北を喫した自分に失望し、失意に陥り強大な妖力の大
  半を減じてしまった。
  それでも着いて来てくれた身内に申し訳無いと心中項垂れつつ、なんとか出来る限りのこ
  とはしてやろうと、逃げ込んだ土地の境界を歪め、現実でも幻想でもない、狭間の異界を
  創り上げ、人間社会からあぶれた居場所の無い妖怪達を率先して受け入れていった。

  以来、彼女の象徴たる百鬼夜行は途絶えて久しい。
  それが再び姿を現したのは、その後長い時を経て幻想郷に呼ばれ、博麗の巫女と対峙した
  後のことである――――




 ○エキストラボス 夢心地の幻想少女
  胡蝶蘭 夢路
  Kotyourann Yumeji

  種族:枕返し
  能力:夢を操る程度の能力

  枕は夢と現実の境界であり、未知の異界へと誘う扉である。
  夢路はそうした夢への羨望と未知が生み出した、夢を操る妖怪だ。

  夢という、多くの妖怪・人間にとって絶対不可侵の領域に棲み、それを支配し自在に操る彼
  女の妖力は絶大極まり、かつては床に着く人間全てから恐れられた脅威の妖怪だった。
  夢路自身もそれを誇りに思い、人間達を恐怖のどん底に陥れることを生き甲斐としていた。

  夢の世界は見る者の精神を映し出す、もう一人の自分の世界。
  それを操るということは、見る者の心根精神全てを支配することに他ならず、神仏を騙っ
  て神託を授けたり、精神を切り刻むような悪夢を見せ付けたり、気紛れで幸福な夢を見せ
  たりなどして人間を弄び、一喜一憂する様を楽しんでいた。

  そんなある日、妖怪大将と謳われる強大な妖怪の噂を聞き付け、彼女をからかってやろう
  と企み、その夢枕に現れようとした。
  ところがその妖怪は、夢らしい夢を見ず、それどころか悪夢を見せようとした自分の領域
  に生身のまま侵入し、狼藉を働く自分を取り押さえた。

  ありえない、と予想外の事態に慄く夢路。
  夢と現実の境界を歪め、狂わせ、精神どころか肉体を携えたまま侵入してしまうような妖
  怪に夢路は心底恐怖し、畏れを抱いた。

  夢を見ず、生身で夢を侵すような相手に、為す術は無い。
  最早諦めかけたその時、妖怪は自分を取り押さえていた手を除け、面白そうに笑った。

  「夢を操るとは大した奴だ。私は夢を見れないが……どうだ、私の為に夢を見せてはくれないか」

  それまで絶対無敵を謳っていた自分を捕らえながら、尚もそのように嘯く彼女に、夢路は
  観念した。
  並ぶもの無しと思っていた自分を、いとも容易く打倒してみせたその妖怪に、着いて行き
  たいと思うようになった。

  以来夢路はその妖怪、無明寺八重の盟友として、彼女の傘下に収まることとなる。
  自分が他に類無き強大な妖怪であるという誇りと自負は変わらなかったが、八重にだけは
  頭が上がらない。

  ちなみに、八重と似て非なる『境界を操る』能力を持つ八雲紫のことは目の敵にしている。
  八重以外に自分の領域を侵すような存在は、もう懲り懲りなのだった。

  また八重以外には始終強気で、高圧的。
  一応自分が強大な妖怪であることには違いないので、他の妖怪連中から舐められるのは我
  慢出来ないようである。



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