紘一郎雑記帳

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【第2部】京都・料亭幾松久保専務講演会より・紘一郎雑記帳

2010-04-05 05:22:24 | Weblog
京都散策【桂小五郎と幾松講演会】第2回

「久保明彦・幾松専務」より講演より

京都と大阪や伏見を結ぶ高瀬川は江戸時代初期に出来た運河で
材木や炭を運ぶ物流の中心で大正中期まで続き
川沿いに「材木問屋や炭問屋」が並び「木屋町」と
呼ばれるようになりました。

長州河原町藩邸は広大な屋敷の外側に控屋敷があり
「勤皇志士」たちの恰好の隠れ家であった。

維新以降は木屋町別邸となりその後
私の父が「幾松」の名をつけました。

西郷隆盛や大久保利通と共に「維新の三傑」といわれる「桂小五郎」が
「尊皇攘夷」の気運が高まる中「都・京都」に入ったのは
文久2年(1862年)の5月であった。

その2年後の6月に「新撰組」が攘夷派の集まる「池田屋」を
襲撃した際「桂」は難を逃れたが、この事件が元になり
「禁門の変」がありその後歴史的な「薩長同盟」へと歴史は
これを機に時代は一気に維新へと流れて行きました。

幾松は「若狭小浜藩」の家に生まれ、一家で京都に上がるが
「父親」が急死し生活苦の為養子にでました。

その後、幾松は「御所」近くの花街「三本木」の芸妓になった。

そこは「桂小五郎」はじめ「勤皇の志士」が密偵から逃れ
「密談」を行う場所として良く利用していたが
幾松は「美しく・頭も良い」名妓として評判であった。

「幾松」と「桂」に恋が芽生え「桂」は「幾松」を落籍」したのである。
「幾松19歳」・「桂小五郎29歳」でしたが「幾松」はその後も
「芸妓」を続け勤皇志士に情報収集に努めました。

気丈で機転の利いた「幾松」には多くのエピソードがあります。

禁門の変で破れ、新撰組や佐幕派から追われた「桂」は
「乞食」に変装し「二条大橋」の下の「乞食群れ」に潜伏して
但馬の出石に逃れるのだが「幾松」は監視の目を盗んで食事を運び
「桂」の京都脱出の手助けをしたのです。

又、ある日「近藤勇」が屋敷に踏み込み「桂がいるだろう!」と
乗り込んだ際、長持ちの中に潜んだ「桂」を知らぬ顔をして「近藤」に詰めより
「もし、調べて桂がいなかったら近藤さんも武士や腹を切る覚悟がおありやすか!」
幾松の身を賭した気迫にさすがの近藤も退散したようである。

「桂」は「明治維新」直前に「木戸孝允」と改名し「新政府」の
進歩派の中心として「廃藩置県」「藩政」に尽力しました。

「幾松」は「長州藩士」の養女となり「松子」と改名し
晴れて「木戸」の妻になりました。

新婚生活は明治初期のことで身分差を越えた婚姻は稀有でありました。

しかし「数年後」「木戸(桂小五郎)」は病で急死したのです。

失意の「幾松」は剃髪し住んでいた「東京」から思い出の多い
「木屋町」に転居し「明治19年(1886年)」44歳の生涯を終えるまで
この「幾松」で過ごしました。この部屋にいたのです。

この部屋のここから見える東山三十六峰を眺め大文字・比叡山に
在りし日の「桂」を思い「鴨川の水音」を静かに聴いていたのでしょう。

墓は京都市東山区霊山にある「木戸孝允」の墓の傍らにあります。

料理旅館「幾松」は名妓幾松「木戸松子」の想いを大切にし
館内も出来うるだけ手を入れず「前のままの形」で残し
保存する事を一番にしています。

ここは、いつまでも「桂小五郎と幾松」の寓居跡なのです。

本館の「幾松の部屋」は「加茂川・金閣寺・東山」など「名所・旧跡」に
ちなんだ純和風の客室と国の有形文化財に指定されている。

部屋は「200年前」のままで、「ふすまや障子」は何度か
張り替えましたが「柱や梁」は骨組みは丈夫で「阪神大震災」でも
「本体」はびくともしていませんでした。             

この部屋は「新撰組」の捜査も受けましたが、ご覧になって判るように
鴨川の河原に通じる抜け穴や屋外に脱出する為の
つり天井、のぞき穴は当時のそのままの形で残こしています。

いまは閉じて残っておりませんが「不意の敵」に備えて
「天井」には、大きな石が仕掛けられてありました。

この部屋の写真は「誰の写真」かお判りですか?
「桂小五郎」「幾松」「佐久間」「大村益次郎」です。

1
現在の「幾松」のお話をしましょう。
一番の繁忙期は「紅葉の秋」と「鴨川納涼床(5月1日〜9月30日)」の
シーズンです。

期間中は「二条から五条」までの「鴨川」沿いに
木組みの席(川床)が並び「提灯」や「ぼんぼり」の火が揺れる
鴨川沿いに涼みながら「京料理」を楽しんでいただきます。

最盛期は「7月」と「8月」で、なかでも「祇園祭」の
ハイライト・山鉾時巡行の「7月17日」と大文字の送り火の
「8月16日」は大変忙しい日となります。

納涼床は「江戸時代」から受け継がれている夏の風物詩で
東京や名古屋など全国からのお客様も増えていますが
私は「京都鴨川納涼床共同組合」の理事長を務めていますが
組合としては団体客は募集していません。

時代でしょうか、「川床」も様子が様変わりしてきて
最近は「日本料理の割烹」や「中華料理」の店まで様々で
料理によって予算が違いますので個々の店と相談してもらっています。

ですので「組合」としての「PR」は「京都にお越しやす」程度に抑えて
むしろ「環境面」に配慮して活動しています。            70

料理旅館として私ども「幾松」が拘りますのは「料理」です。

特に、選び抜かれた「最上級の京野菜」と「日々水揚げ」される
新鮮な「近海物の魚貝類」を、ふんだんに用いています。

その素材を自慢の調理人がつくる伝統的な京料理・京懐石です。

料理につきましては「若女将(久保真奈美)」より話します。

以上「久保幾松専務」

「若女将」
「幾松」の料理は「かみ締めれば・かみ締めるほど」素材の
「うま味」が「じわーっ」と出てくるのが「特徴」です。

ただ少し「薄味」なので、その特徴を生かしつつ、とっつきやすい味、
一般的な味に工夫しています。

馴染のお客さまにも同じ物は出しません。
旬の食材を使って、毎回違う料理を召し上がって戴いております。

「鯛しゃぶ」「寄せ鍋」「すき焼き」などの「冬季限定」のメニューもあり
「百貨店」に出している「おせち料理」も好評です。

良く「商談や婚礼・結納」などに利用して戴いておりますが
「世界遺産の下鴨神社」などで「式」を」あげて「披露宴」を
私ども「幾松」でしていただく事も多くなりました。

「桂小五郎」と「幾松」のロマンスの舞台という「めでたい場」であり
「一時の恋」に終わらず「終生変わらぬ愛情」を持ったまま
「苦楽」を共にした生き方は、新しい人生を踏み出される
若いお2人には最高の場面を提供させていただきます。

以上 幾松・久保若女将


京都案内人・中村 正氏

京都の案内をしていますと、よく受ける質問の一つに
「本能寺」がありますが
今の市役所近くにあります「本能寺」は本当の
「本能寺跡」ではないのです。
観光客用の本能寺です。

本当の本能寺は堀川高校近くにあり今は
「旧本能寺跡」の石柱があるだけです。


豊臣秀吉が信長の敵を破ってから天下人となり
京都の町の都市改革をしました。
京都の周りにお寺を配置し城壁りとたのが「寺町」であり
その際「本能寺」も移動したのです。

そしてその街の中に「たて街」などを創りました。
そこで行われる「祇園祭」についてお話しますと
7月14日・15日・16日ごろの「宵山・宵々山」などを経て
「7月17日」の巡幸となるわけですが、
実は祇園祭は「7月の1日」から始まり「31日」まであるのです。

祇園祭の「鉾」を立てるのに「3日間」ほどかかります。
日頃は「八坂神社」近くの倉庫(白い建物の倉庫)の幾つかに
分離して保管して「7月の7日か8日」ごろに鉾を出し準備します。

組み立ては「7月の10日」に始めますが
朝の7時にまず長刀鉾から組み立て、
続いて8時に菊水鉾と鶏鉾を組み立て始めるのです。
これは毎年決まっています。

たてる場所も決まっており、毎年同じ場所にたてます、
間違いない様に道路に「4つの印」をつけて固定して
埋め込んでありますが普通に見ただけでは判りません。

これから鉾の立て方についてお話いたします。

以下は次回投稿致します


安田紘一郎雑記帳

「桂を出せ!」と迫る、新撰組局長「近藤 勇」に対して
「幾松」は一歩も引かず
「もし、探して桂がいなかったら、
 近藤さん腹を切る覚悟はおありやすか!」

事前の調べで「桂」が「幾松」に潜んでいる事は
当然知っていたはずの「近藤勇」は
この「幾松」の気迫に意気を感じたのであろう、
その場を引き上げたという。

最近、良くニュースで知る「男女関係の殺傷事件・夫婦間での殺傷事件」は
多くの人を殺伐とした気持ちにさせます。

幕末から維新を命懸けで生きた「幾松」と「近藤勇」の
このやり取りに、一人の男に人生をかける「女」の心意気と
武士として日本人として「国」を思う心と共に
「幾松」の気持ちくんだのであろう「刀」をおさめた
「男・近藤勇」の優しさに共鳴するが
今の日本人をみて「幾松」は「近藤」は何と思うのだろう
是非、聴いてみたいものである。


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