北海道富良野市在住の脚本家で演出家の倉本聰さん(75)が主宰し、俳優や脚本家を養成してきた演劇の私塾「富良野塾」が4日閉塾し、26年の歴史に幕を下ろした。
倉本さんが84年、私財を投じて市内に開塾した。
受験料、入学金、授業料は不要。農作業で生活費を稼ぎ、2年間共同生活をしながら演技や創作を学ぶ独特の方式で、25期の16人を含めて計275人が卒塾した。
この日は1期生たちの夢に懸ける熱い闘いを役者の肉体と演技だけで表現した塾の記念碑的作品「谷は眠っていた」を最終公演。倉本さんは集まった卒塾生たちと握手し、抱き合った。
「感動を創(つく)るものは走らなければならず、感動を得るだけなら座しても可能だ。走るか、座るか覚悟を決めなさい。おれたちは此処(ここ)にいてずっと走ってる。行ってらっしゃい」
倉本さんは4日、こう言って最後の25期生16人を送り出した。
「育ててくれたテレビ界への恩返し」と、84年、私財を投じ、同市西布礼別(にしふれべつ)の谷に塾生たちと一緒に住む家から自分たちで建てた。授業料などは取らず、農作業などで生活費を稼ぐスタイルにこだわった。塾生に課したのは「自己責任で」だった。
最終公演に選ばれた「谷は眠っていた」など7本の舞台作品を発表し、高い評価を得てきた。「若者の力を信じることができた。原石としての若者は素晴らしい」と手応えを感じる一方、「年々応募してくる若者の質が低くなってきた。本気で芝居をしたいのではなく、覚悟も教養もないまま、受け身で教わろうという態度が目立ってきた」と危機感を募らせてきた。
自身の気力、体力の低下も意識するようになった。「力を使い果たして終わるのが嫌だった。プロのステップアップの場にすると同時に、若い脚本家が自作を舞台化できる環境を整えたい」と閉塾を決めた。
演劇を通し若者と本気でぶつかってきた26年間を「僕が一番学んだ」といい、この日のために集まった卒塾生らと「次にやることが控えている」と笑顔で新しい出発を誓った。
今後は卒塾生らによるプロの演劇集団「富良野GROUP」の活動に力を注ぐ。卒塾生には舞台で活躍する俳優のほか、人気テレビドラマを手がける脚本家も少なくない。「テレビ界に一石を投じようと塾を始めたが、波紋も見えずにむなしい思いもした。だが、川底の小石たちが洪水の流れをせき止めてくれるのでは」と期待を寄せる。【横田信行】
毎日新聞 2010年4月5日 東京朝刊