木村拓也コーチ逝去の報を聞き、以前掲載していたページを再掲いたします。webarchiveからとってきたんで、ソースは酷いです。みちゃいや。
キムタクトークショー←トークショーって(笑)
2001年11月に宮崎南高校で行われた40周年記念式典の際のトークショーです(約30分ほど)。場所柄かなり内輪ネタも含まれていますがご了承ください。
登場人物:木村(文字色黄色)、インタビュアー2名(文字色で区別する)
ツッコミどころ、補足など文字色灰色でかいてあります。
(まずはプロフィールを簡単に紹介。生徒から「たくやー」の声が飛ぶ)
よろしくお願いします。
お願いします。
今日は先日全校生徒からとったアンケートを元に木村選手に色々とインタビューしたいと思います。
先程の紹介にあったように木村選手は本校を1991年に卒業された第27回生にあたられます。現在広島東洋カープに所属なさっています。ですから、私たちのちょうど10コ先輩にあたられますね?
ああ、そうですね、はい。
今日は先輩の高校生活のお話や、当時の南高の様子、そしてまた気になる野球のことなど質問してみたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速。一つ聞いて頂きたい言葉があるんでちょっと読ませていただきます。「やると決めたらとことんやる。これをモットーにこれから生きていく」。この言葉をご存知ですか?
卒業アルバムですかね?(うちの卒業アルバムは個人写真の横に一言残さなければならない)
そうです!覚えてらっしゃいましたか!(あまりの勢いにキムタクはじめ会場笑う)
なんか「やる」っていう意志が感じられますよね?(唐突な台詞にまたも笑われる)「活躍していくぞ」って意志を、もう明確にしていた時なんですかね?
いや、あのー…やっぱり他の人と進む道が違ったんで、まあ、色々と言われたこともありましたし、結構自分でも不安だったっていうのがあったんで、これを自分に言い聞かせるというか、そういうつもりでね、書いたと思うんですけど。
というと、この頃からやはりプロで活躍していくことを意識なさってずっと?
そう…ですかね?高校生の時にやっぱり当時僕、さっきも出ましたけど甲子園も出場させていただきましたし、当時大変(野球部が)強かったんで。南高校は強かったんでね。この学校を選んだ理由の一つとして、やっぱり甲子園に行きたいというのが一番だったですね。
じゃあ、もう南高校は野球では有名な学校だったんですか?
強かったですよ。はい。
野球選手になられたわけですけど、プロ野球選手になる以外に小さい頃なんか夢があったとか、これになりたいとかあったら聞かせてください。
小さい時ですか。やっぱり小さい頃から野球しかやってなかったもんで。あまりこの学校でそういう勉強の話をしないのはあれなんですけど、野球が好きで、やっても人よりうまかったんで。(会場笑)自分でそう思ってましたんで、野球選手になりたいという夢を持ってましたけど、甲子園とか見てて「あー、俺もああなりたいな」というのが一番ありましたし、高校に行って甲子園に出て、それでプロ野球選手になれたらなという夢は漠然と持ってましたけどね。
じゃあ、その夢だった甲子園に立った時はどんな気持ちでしたか?
当時、僕1年生だったんですけどベンチにも入れてもらって、先輩に連れて行ってもらったっていうのがあったんですけど、初めて甲子園に立った時はやっぱり足が震えましたね。威圧感があるというか。行った人にしかわからないんですけど、それまでに味わったことのない緊張感というか、そういうのは感じました。
小さいことから野球をなさっていたというお話ですけど、いつ頃から具体的に野球を始めたんですか?
野球を始めたのは小学校の3年生からです。
その小学校のときに「鰐塚ジャイアンツ」に所属なさっていたというのは?(鰐塚=田野町にある地名)
そうです、はい。
田野町出身ですよね?
はい。
ちょっと3年生とか、田野中出身の人が知り合いにいるんですね。そこでちょっとある伝説を聞きました。体育の時間にソフトボールをやっていたそうなんですよ、木村選手が。この時になんと150mホームラン!
そりゃ嘘でしょう(笑)(会場も笑う)
いやいや、150m飛ばしたっていうのが…
あー、人の噂ってだんだんでかくなっていくもんですからね。
なんか木村選手の話をしていた時とか「俺の誇りだよ」と。(←なぜ話し手が誇りに思うんだ?)
そうですか。ありがたいですね、そんな風にいってもらえるのは。
田野中学校から南高校に進学した理由というのは、さっきおっしゃいましたけど野球を目的で南高校に来られたんですか?それとも他に、やっぱり大学に進学したいとか目標があって南高校を選ばれたわけですか?
一番答えにくい質問なんですけど(笑)、先程言ったように野球が好きだったというのと、やっぱり親に心配をかけたくないという気持ちはあったんで。やっぱりうちの母親が、どうしても普通科出てくれという希望があったもんですから。で、それでなおかつ野球が強かったんで。中学の時は勉強のほうもそこそこだったもんですから。(キムタク苦笑いで会場笑)
南校に入るっていうことは結構…(成績は良かった?)
ええ、入るまではもう勿論。(この辺、元気丸でのキムタク特集を見た方はご存知だと思います)
じゃあ、その南校の生活について色々質問していきたいと思います。僕のクラスは男が多いクラスなんですよ。そこで野球部員が多いんですね。そんな野球部員の人たちからいっぱい質問があったんで、それを聞かせて頂きたいと思います。当時の練習内容とか練習量とか、何時からやってて何時までやったとかそういう話をちょっと。
そうですね。練習といったら授業が終わって5時ぐらいからですかね。夕方5時ぐらいから…だったかな?うん。5時ぐらいから8時、遅い時は9時まで少ない照明をつけてね。明るいうちは実践的な練習をやって、暗くなってきたら細かいバント練習だとか出来る範囲のことを。やっぱり他の学校と比べて…野球中心の話になるんですけど、他の学校と比べて練習量っていうのが、ものすごい時間が限られてくるんで、その中で工夫してやってましたね。それも伝統というか、うちの学校のいい伝統だと思うんですけど、そういう工夫というのもね、すごいあったですよね。
朝練とかはやってたんですか?
朝練がたまにありましたね。大会前などに。
ちょっと失礼なんですけど、田野中学校から来た人は電車通(通学)ですよね?
そうですね、当時、僕は自転車で通ってたんですけど。(生徒から驚きの声)
あの距離をですか?(地図参照。印があるところが高校の位置、田野町ははるか西です。直線距離だとたいしたことないように見えるけど、これがカーブの多い山道です)
来るとき速いですよ。30分で来てましたよ。(生徒の半分信じてない歓声)30分で来るんですよ、それがね。山から下ってくるもんですから、車よりちょっと遅いスピードですけど、(生徒ますます疑いを強める笑い声)がんがん飛ばしてきてましたよ、朝は。そのかわり帰りが2時間半ぐらいかかりました。(生徒笑)それで当時の監督だった宮国監督が、成績があまりにも悪かったもんで、「自転車通学はやめろ」と。とにかく電車で通って勉強しなさいってことを言われまして、それでやめましたけど。
部活は、野球部はすごい練習がハードで、また南高校は勉強も大変ですけど、勉強と部活動の両立はどうなさってましたか?
あのですね、はっきり言って両立できてないと思うんですよ、僕。思うというか、できてませんでした。ほとんど成績というものは恥ずかしい限りなもんで、あまり口にしたくはないんですけど。一つは甲子園に出た時にですね、僕は1年生でそれまでもあまり勉強はしなかったもんですからあれなんですけど、宿舎に入ってみんな集まって大きい部屋で勉強会をしようと。というか、宿題がありますよね?夏休みの宿題が。で、勉強会やるからみんな集まれと言われまして。で、集まったらみんな山のような宿題を持ってきてるわけですよ。で、僕一人が鉛筆も持っていってなかったんですよね。(会場笑)
本当ですか?
ええ。そんなこともありましたね。
野球部の後輩たちにちょっと真似されると困りますね。
まあ、そういうことをしちゃいけないと。ちゃんとね。
やぱり当時も宿題の量は多かったんですか?
ええ。
どれくらい?
どれくらいでしょうか?だから、宿題といっても、もう僕なんかほとんど手のつけられない状態の量だったので、ほとんど手はつけてないです。(会場笑)
南高校の3年間の中でですね、楽しかったことは、なんか行事とかありますか?
そうですね、楽しかったことですか。うーん、色々ありますね。なんですか、鵬祭(体育祭と文化祭の総称)ですか?ああいうのとかも、こう一つ一つ思い起こせば思い出すし。なんて言うんでしょう、高校生の時期っていうのはそういうのがすごく楽しい時期じゃないですか。だから全てが、3年間の全てがいい思い出として残ってますね。
逆に辛かったこととかなかったですか?
辛かったことですか?辛かったことはですね…一つは野球の練習が辛かったというのがありますし、それで勉強もしなきゃいけなかったっていうのが大変辛かったですし。(太字強調に会場笑)
親に心配かけないようにって(南校に)行ったんですよね?勉強してるときとか親にはどういう風に言ってたんですか?勉強量が少ないとか言ったら逆に心配かけたりとか。
いや、あの…賢い質問ですね。(会場笑)まあ、母親は半分諦めてました。親父とその当時、1年生のときですけど、成績が悪くて野球をやめろと担任の先生に言われたこともあるんですが、でまあ、それで親父と相談して、どうだと。今から勉強を必死に頑張って、お前が東大に入れるか、と。東大に入れるのか、一番トップになれるのか、と。それは絶対無理だろ。もし野球を一生懸命やってプロ野球選手になれるのと、どっちが確率が高い、ということになりまして。当然野球の方が簡単だろうと。そう簡単なことでもないんですけど、当時ただ漠然と「野球の方が簡単だ」と。じゃあ、もういい。野球を頑張れよ、ということで。(会場笑)ほとんどうちの親も学校で、なんですかね、進路指導の時とかお父さんお母さんが来られて一緒に並んでやりますよね?あの時に僕の隣の席はいつも空いてました。ただ、「来てないな」と思ってもグラウンドに出たら親父の顔がありましたね。野球の練習はよく見に来てましたけど、学校の参観日とか全然来なかったですね。
楽しい学校生活を送っていらっしゃったみたいなんですけど、やっぱり高校生時代、青春時代といえば恋の話が気になるところなんですけど。
いやあ、それなりに。(会場笑)結構何というか、こそこそとすることはなかったですね。
こそこそっていうのは、一体こそこそって何をするんですか?(会場笑)
何をするというかね、人目につかないところで会ったりとかデートしたりというのはなかったですよ。だから、みんながいても堂々と。
どのくらいモテていらっしゃいましたか?
全然もててなかったですよ。坊主頭ですからね、野球部は。あまりそういう暇がなかったというのもありますけど。
野球部のエース(投手はしてなかったのでエースじゃないです。野球にあまり興味のない女の子の発言ということで許していただきたい)ということで隠れファンに追っかけられたりとかいうことはなかったですか?
ほとんどないですね。と思いますけど。
数年ぶりに南校に帰ってこられたわけですけど、久々に南校に来た感想はどんなものがありますか?
そうですね、あのー、一番最初に思ったのが学校の先生に頭を下げられたのが初めてだったもので。(会場笑)今まで高校のときはね、学校の先生に頭を下げることしかなかったので。いつも「すいませんでした」という言葉しか先生とは会話したことがなかったんですけど、それが一番「俺も年取ったのかな」っていうのを感じましたし、学校の印象としては変わってないですね、昔から。多少ね、いろんなところが変わってきたのはあるんですけど、懐かしい匂いというか独特の雰囲気があったんで、『あー、そういえばそうだったな」って色々思い返しましたね。
生徒、在校生の姿を見てどう思われますか?久々に女子の珍しい制服を見て。
うん、懐かしいですよね。当時と変わらないままなので嬉しい気もするんですけどね、「みんな嫌なんだろうな」という気持ちもね(会場笑)、多少思ったりもするんですけど。
高校卒業して県外に出られたわけですが、県外に出てわかった宮崎の良さとか南校のありがたさとかありましたら。
そうですね、南校だけではないんですけど、宮崎の人の温かさっていうのがね、県外に出ても「宮崎出身なの?」って言えばすぐ親しくなれますしね。どこに出ても温かさがありますよね。独特だと思いますね。
宮崎の良さってことですかね。
はい。
卒業して、まず日本ハムに行かれたんですよね?
はい。
やっぱりホームシックっていうか宮崎が恋しくなったとかなかったですか?
そういうのはなかったですね。あの、それまでがずっと自宅にいたわけじゃないですか。で、外に出たいというか、自由になりたいという気持ちが強かったので。まあ、寮に入ったのでそんな自由な時間はないんですけど、親元を離れたことがすごい嬉しかったですね、当時は。
寮生活でこんなことがあったなーとか、変なことがあったなとか。
寮はですね、やっぱ男ばっかりの世界なので汚かったですね。部屋がとにかく。一人部屋なんですよね。一人一人の部屋なんですけど、まあ、みんなとわいわい寮の中でお酒飲んだり、遊んだりして、それはそれで楽しかったですね。
じゃあ、仕事関係のお話を聞きたいと思うんですけど、シーズン中は試合が終わったあと、すぐ何をするんですか?一番最初に。
一番最初ですか?一番最初は…何をしますかね?煙草に火をつけます。(会場笑)
選手だけが通れるところとかあるじゃないですか?ああいう所に初めて行った感想とか。
あのー、やっぱりね、違う雰囲気があるというか。一番最初に思ったのがですね、福岡ドームでですね、あそこができた時にああいうドーム球場が新しくできた、初めて踏み入れた場所が人工芝の上じゃないですか、ベンチから入っていって。で、「ああ、俺ってプロ野球選手なんだな」っていうのをそこで改めて感じたというか、他の人には見れない場所を見るんで。でも逆に言ったらスタンドから見ることがないんで、どういう感じかなと思って考えたりもしますけど。
試合用のユニフォームとかありますよね。連戦とかあるじゃないですか。そういう時とかやっぱ少ないと大変だと思うんですけど、何着ぐらい持っているんですか?
ユニフォームは毎年4着ずつ。あの、ホームゲーム用が4着とビジター用が4着、上下で4着ずつ支給されますんで。で、洗濯も毎日クリーニング屋さんが取りに来て、次の朝には出来上がってますので。
クリーニング屋さんが取りにいらっしゃるんですか?
はい。専属で契約してるところがありますんで。そういう面ではしっかりしてもらってますよね。
洗濯の心配はないですね。
ないですね。あ、でもプロ入って1年目とか寮で2軍の選手の雑用というか、先輩の下着を洗わないといけないとかどういう決まりはありましたね。
今までいっぱい外国人の助っ人とかとも会ってきたと思うんですけど、そういう人たちがなんか面白い日本語喋ってたなとか、覚えてるのがあったら。
そうですね、日本の歌はよく歌いますね。下手糞ですけどね。(会場笑)
どんな歌を?ちょっと真似してやってもらえませんか?
あはは。僕が真似してもね、あれなんですけど。今ディアスっていますけど、ディアスに「やだねったら」っつったら「やだね」って言いますよ。(会場笑)
言うんですか?やっぱそういう所はチェックしてるんですね。
してますね。よく日本語で口ずさんでたりしますよ。
他の選手とかとカラオケとか行かれたりするんですか?
行きますよ。
どんな曲を?
僕ですか?何でも歌いますけど。
オハコは?
ないです。(笑)あまりうまくないので。
じゃあ、自分とかチームメイトとか今まで試合してきた中で、珍プレー好プレー、なんか1つずつ記憶に残ってるのがあったら教えていただきたいと。
そうですね、珍プレーとか好プレーとかじゃないんですけど、一番いい思い出というのが、ウインターリーグというのでハワイに3ヶ月程行ったんですけども、その時に今もう有名になってしまったイチロー君と、イチロー君は僕の一つ下なんですけど、イチロー君と同じ部屋で3ヶ月ともに生活したというか。イチロー君も面白いんで。今でこそああやって難しく喋ったりしてますけど。たまに…シーズン中とかは会うことはないんで、たまにオフとか会ったりすれば、「お前そういうやつじゃないじゃないか」とか「もっと笑えよ」とかは言ったりしますけどね。(会場ざわつく)
いろんなポジションを経験されてますけど、一番慣れなかったポジションっていうのは?
そうですね、一番思うのはキャッチャーですね。高校生の時はキャッチャーでやってたんですけど、プロに入って1年間、ブルペンでプロ野球のピッチャーの球を捕れなかったですからね。スピードも違いますし切れも違うんで。うちにはそういうピッチャーがいなかったもんですから。(こんな選手をキャッチャーで起用した達川って…)
ダメだな、と思ってほかのポジションに?
ダメだなと思いましたね、最初は。「俺、こりゃ絶対クビになるな」と。(地元に)帰って何しようかなとか考えた時期もありましたね。ま、でもやっぱり体がね、小さい方…大きくないんで、そういうことを言われるんですよ、どうしても。「お前は体が小さいんだからこういう選手になりなさい。そういうバッティングをしてちゃだめだ」とか。「体がちっちゃいんだから」というのが一番先に来てたんですよね。やっぱそれに負けたくない、絶対にデカい奴には負けたくない、負けてたまるかっていう気持ちがね、ここまでつながったのかなとは思いますけどね。
バッターボックスに立った時っていうのは、どういうこと考えてるんですか?
そうですね、「初球何来るかな」とか。色々考えてますよ。でもほとんど整理して入りますんで、ピッチャーが振りかぶったら、もう頭の中には何も考えず、ただボールを打つことだけを考えてますね。
来シーズンの目標を聞かせてください。
あのー、数字的なものはね、色々とあるんですけど、目標は当然あるんですけど、数字残すためにはね、一年間怪我をしないで働かないと数字も残らないんで、第一の目標は怪我をしない。まあ、あとは成績は勝手についてくると思ってます。
じゃあ、シーズンオフ中の休日はどんな過ごし方をしてらっしゃいますか?
そうですね、今の時期はほとんどがウエイトトレーニング中心で、プールに行って泳いだりとかして、ウエイトトレーニングしますね。あとは、野球選手になって一番良かったことなんですけど、オフが長いんですよ。12月、1月というのがオフなんで、それなりに体を動かしますけど、一番自由な時間なんで、ゴルフに行ったりとか。好きなんですよ、ゴルフがね。(笑)
他にご趣味はどういったものが。
そうですね、あとはドライブとか好きですね。
道を飛ばしたりとかするんですか?
もう全然…飛ばしません。
飛ばさないんですか?
ということで。(会場笑)
やっぱ色々ストレスたまると思うんですよ、成績残さないといけないとか。そこでオススメの解消法というのは?
解消法ですか?何でもそうだと思うんですけど、僕の仕事に限らずみなさんも勉強してて行き詰まったりとか、そういうことがあると思うんですけど、失敗した時とかそういう時とかに終わったことを考えててもしょうがないんですよ。特に僕らなんかは。残った数字のことを追っかけててもしょうがないんで、とにかく明日明日という風に考えて。また明日、明日頑張ろう、明日頑張ろう、そういう風に考えて全てを忘れるように。終わったことはもう終わったこととして、反省はしますけど後悔しないように心がけてますね。とにかく毎日の仕事なんで、毎日野球野球野球ですから。考えてたらやってられないんで、前を向いていくようにしていますね。
休日もトレーニングをなさったりとか、ほとんど毎日1年中野球漬けの生活じゃないですか。で、野球以外に何か好きなスポーツとかありますか?
スポーツはもうほとんど好きですよ。サッカーも見ますし、ゴルフも自分でやりますし、バレーボールとかも今やってますけど見ますし、とにかくスポーツが大好きですね。何でも見ますね。
見るだけじゃなくて自分でやったりとかもしますか?
たまにね、自主トレ中にママさんバレーの所に自主トレ代わりに行ってみたりとか。結構しんどいですね、あれがね。
おばちゃんパワーですかね?
はい。元気いいですよ。
今オフ中ですよね。今結構時間があるじゃないですか。最近ハマってることとかありますか?
最近ハマってることですか。あのー、あまりね、賢くなかったんですけど、僕もパソコンを買いまして、パソコンで年賀状でも作ってみようかなと思って、それがなんぼやっても進まないんですよね、前に。夜中までやってますよ、一生懸命。でもね、これからはそういう時代なのでね、ちょっとでも勉強しとかないとという気持ちもありますね。
ちょっと話は変わりますが、座右の銘はなんですか?
(首をひねって)ないですね。なんでしょうね、座右の銘…「一生懸命」ですかね。やっぱ一生懸命な姿を見たら、人がやってるのを見たらね、美しいじゃないですか。
頑張ってる姿が?
そうですね。
(これから生徒の激励の言葉紹介へ。「キャンプに行きますのでサインを頼む時はよろしくお願いします」の言葉に笑う)
このように私たち在校生も木村選手の活躍をこの南校から応援していますので、これからも南高校の卒業生の一人として、そしてプロ野球選手として頑張ってください。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。