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どこでも誰にも愛された男、木村コーチ逝く

2010.4.7 09:03
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どこでも誰にも愛された男、木村コーチ逝く
1000試合出場を果たした広島時代の木村拓也=2004年7月16日、横浜スタジアム(撮影・荒木孝雄)【フォト】

 やんちゃな少年のような笑顔の裏で、常にチームのことを考えた。木村コーチは、どのチームでも誰からも愛された。

 公立の宮崎南高(宮崎)からドラフト外でプロ入り。現役時代は「生き残るために、できることを必死で考える」という日々を送った。日本ハム時代に捕手から外野に転向。広島に移籍後、二塁の練習を始め、両打ちも習得した。昨年、巨人で捕手が負傷でいなくなった時には、捕手で出場する準備を自ら始めた。小柄なキャッチャーは万能選手へと変身し、どのチームでも不可欠な戦力に。「最初からこうなろうと思っていたわけじゃないよ」と話す顔は誇らしげだった。自らの経験談を語った3月の新人研修会での講演は、雄星(西武)ら多くのルーキーに感銘を与えた。

 人柄を示す話には事欠かない。広島から巨人への移籍が決まった日、寂しさをこらえ切れず、広島市民球場のグラウンドで泣いた。巨人移籍後、最初の広島での試合では球団職員や記者から拍手で迎えられ、親交のある先輩の引退試合には東京から駆けつけた。

 今季からコーチに転身。キャンプではノックを打ち続け「慣れないから、手が痛くてさあ」と言いながら、まめだらけの手をうれしそうに見せてくれた。その笑顔はもう見ることができない。


フォト
1000試合出場を果たした広島時代の木村拓也=2004年7月16日、横浜スタジアム(撮影・荒木孝雄)
1999年5月、巨人戦でサヨナラ打を放ちガッツポーズで一塁へ向かう広島・木村拓也選手=広島
2008年9月、通算1000安打を達成し、記念の花束を掲げる巨人・木村拓也選手=広島
日本シリーズ日本ハム戦の七回、巨人・木村拓が偽装スクイズ=09年10月31日、札幌ドーム(撮影・春名中)
2009年11月23日に現役引退のあいさつをした木村拓也
7年ぶりの日本一を決め、(左から)ラミレス、谷とともに記念写真に納まる今季限りで引退を表明した巨人・木村拓=札幌ドーム
巨人祝勝会で笑顔のラミレス(左)と木村拓也(右)
ファンフェスタ退団セレモニーで時折声をつまらせる巨人・木村拓=東京ドーム(撮影・中川春佳)
記者会見を終え、花束を手にする今季限りで現役引退を表明した巨人・木村拓選手=7日夜、札幌市内のホテル
巨人ナインらが心配そうに見守る中、応急処置を受ける木村拓也コーチ=2日、広島市南区のマツダスタジアム
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