「一日も早く再審をしてもらい、冤罪(えんざい)を晴らしたい」。名張毒ぶどう酒事件の第7次再審請求に対し、最高裁が名古屋高裁への「差し戻し」を決定したことについて、奥西勝死刑囚(84)は6日、穏やかな表情でそう語ったという。半世紀近くにわたって揺れ続けた司法判断。桜の満開を伝えられた奥西死刑囚の胸の内にこの日、わずかな光が再び差し込んだ。【秋山信一、中村かさね、沢田勇、高木香奈】
最高裁決定を受け、弁護団の小林修(57)、鬼頭治雄(38)両弁護士が午後2時半から30分間、名古屋拘置所で奥西死刑囚と面会。奥西死刑囚は入浴後、青色のセーターと灰色のズボン姿で現れた。審理差し戻しを伝えられても理解できない様子で、弁護士が再審請求の流れを図解して死刑の執行停止を説明し、「勝ったんですよ」と伝えると、「よかった、よかった」と喜んだ。
差し戻し決定は4月5日付。くしくも05年に名古屋高裁で再審開始決定が出たのと同じ日付だった。弁護士が「同じ日ですね」と話すと、奥西死刑囚は「ああそうですね」とにこにこしたという。
特別面会人の稲生(いのう)昌三さん(71)も6日、拘置所で奥西死刑囚と面会した。稲生さんは人権団体に所属し、11年前から奥西死刑囚を支援してきた。再審開始決定時にも面会しており、5年前と同様、この日も桜が満開だと伝えると、奥西死刑囚は「希望が持てる。私も頑張る」と話した。
奥西死刑囚は69年に高裁で逆転死刑判決を受けて以来、05年の高裁の再審開始決定で死刑執行を停止された一時期を除き、常に死刑の恐怖と闘ってきた。03年には胃がんの摘出手術も受けている。以前、稲生さんに「拘置所の休庁日以外、死刑執行がある午前中は恐怖と苦悩の時間」と漏らした。昼食の配給が唯一ホッとできる時間といい、夜、布団の中に入ると「このまま夜が明けてくれなければいいのに」と弱音を吐いた時もあるという。
この日、稲生さんが「アクリル板の向こう側でなくて、壁の外で『奥西さん良かったね』と言える日が必ず来るから頑張ろう」と告げると、奥西死刑囚は「うん、うん」とうなずいた。
最高裁決定について、茨城県利根町で67年に大工の男性(当時62歳)が殺害された布川(ふかわ)事件で再審開始が確定した桜井昌司さん(63)は「裁判所が証拠第一主義なら当たり前(の判断)だ。鑑定をやり直せば当然再審開始になるはずだ」と述べ、再鑑定に注目した。桜井さんは、足利事件の再審無罪判決後の3月28日、三重県名張市で名張事件の弁護団らが開いた現地調査に参加し、奥西死刑囚の支援者に「次(の再審開始)は名張事件だ」と励ましたという。
静岡県島田市で54年、幼女が殺害された島田事件で死刑判決を受け再審で無罪が確定した赤堀政夫さん(80)も「よかった。無実の明かりが見えた。奥西さんの年齢を考えると即座に釈放するのが望ましい」と話した。
一方、毒ぶどう酒事件の被害者遺族の北浦美津代さん(57)は「仮に奥西死刑囚が無罪なら誰が犯人なのか。再審は構わないが、現実に事件で亡くなった人がいるのだから、無理と分かってはいるが調べ直してほしい気持ちはある」と複雑な胸中を明かす。
事件当時、三重県警捜査1課で捜査にあたった菊池武さん(80)=津市=は取調官から奥西死刑囚の自供を聞いたといい、「拷問されたわけでもないのに自分から涙をぼろぼろ流して自供した。自分の罪の重さを悔やんで謝ったと思った」と語った。
最高裁の決定を受け、足利事件で再審無罪が確定した菅家利和さん(63)は6日会見し「再審開始に向けて一歩前進したと思っている。一日も早く出てきてくださいと言いたい」と述べた。菅家さんは奥西死刑囚を支援するビラ配りなどにも加わっている。
菅家さんは「私は無期懲役でもつらかったが奥西さんは死刑。私だったら耐えることが難しい」。奥西死刑囚が高齢であることにも触れ「もう84歳。一日も早く再審開始を」と訴え、今後も支援を続けていく意向を示した。【和田武士】
毎日新聞 2010年4月7日 東京朝刊