【台北・小山田昌生】台湾の日本統治時代初期、1910(明治43)年に台北市に建てられた洋館「撫台街洋楼(ぶたいがいようろう)」(市史跡)が、今年で落成100年を迎えた。洋館は当初、土木建築会社「高石組」の本店事務所として建設され、初代経営者は福岡県沖端村(現・柳川市)出身の高石忠慥氏だったが、子孫の消息などは不明。記念行事を計画している台北市側は「当時の日本人がどんな思いで台湾に渡り、事業を起こしたのか、手掛かりを見つけたい」として、高石氏の子孫や関係者を捜している。
台湾に残る資料によると、高石氏は1849年に沖端村で生まれ、19歳で上京。日本各地で建築工事に携わった後、台湾で高石組を創業し、台北市の台湾博物館や台湾中部・日月潭ダムなどの公共物の建設を数多く請け負った。高石組は息子の威泰氏が継いだが、1930年代に洋館は酒類貿易会社「佐土原商会」の社屋となり、高石家の消息も途絶えたという。
洋館は台湾産の石材と木材を組み合わせ、屋根部分に窓を設けた欧風様式で、台北市の旧市街に現存する日本統治時代の民間店舗建築としては最も初期のもの。戦後、軍の宿舎などに使用され、97年に市の史跡に指定されたが、2000年の火災で木造部分を焼失。修復工事を経て、昨年から歴史資料館として公開されている。
各種資料によると、日本統治時代(1895-1945年)終盤の41(昭和16)年には、台湾に日本人約36万人が住んだとされる。
台北市の委託を受けて洋館を管理・運営している陳国慈さんは「高石氏の関係者がいれば、ぜひ招きたい。高石氏や高石組に関する資料があれば、日台交流の象徴として後世に伝えていきたい」と期待を寄せている。
高石氏に関する情報提供は、台北駐福岡経済文化弁事処・黄水益総務部長=092(734)2815=へ。
=2010/04/06付 西日本新聞朝刊=