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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析

1 :名無し三等兵:2010/02/14(日) 21:29:24 ID:???
引き続き秀吉による朝鮮征伐を軍事分析するスレッドです。

関連スレッド
【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1263998705/
秀吉による朝鮮征伐に関する考察
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世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その8
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【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1265715021/
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/l


2 :名無し三等兵:2010/02/14(日) 21:36:21 ID:k3sgvVOB
>>1
まーたテメーかよwww
しつけー野郎だなww
とっとと削除依頼だしてこい

3 :名無し三等兵:2010/02/14(日) 21:43:43 ID:???
日本軍が連戦連敗を続けていた戦争ですねw

4 :名無し三等兵:2010/02/14(日) 22:00:43 ID:5Xc9ZQ0g
ちん毛かいかい

5 :名無し三等兵:2010/02/15(月) 20:46:09 ID:???
?

6 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 01:54:10 ID:???
■■■日本軍と明軍の主要な戦闘■■■

1.文禄1(1592年)7月16日
  祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲   
  →小西行長の配下一万によって撃退 日本軍勝利

※八月、乾福山にて小西行長(沈惟敬と)休戦協定、平壌にて正式な講和使を待つ

2.文禄2(1593年)1月6日
  李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃  
  →正式な講和使を待っていた小西行長とその配下一万五千は寝耳に水。
  明軍は平壌城を奪還 
  
3.文禄2(1593年)1月26日
  碧蹄館の戦い
  李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。
  体勢を立て直した日本軍四万一千は漢城近郊で明軍四万と激突
  →日本軍の勝利 (李如松は戦意喪失し辞職願まで出している)

※3月頃より再度講和に向けての調整が始まり講和条件等が吟味される

4.文禄2(1593年)6月21日〜29日
  第二次晋州城攻防戦
  明将劉テイ指揮下四万(資料不正確にて議論保留)が普州城の救援に向かったとの報を受け、
  立花宗茂と小早川秀包は兵四千を率いこれを迎撃   
  →日本軍が撃退に成功 

※嫌戦気分のまん延した明は講和に傾く。秀吉、部隊を段階的に帰還させる。
が、約束の講和条件が満たされていないことを知り再侵攻。
講和条件の齟齬の責任は仲介の朝鮮にあり(事実かどうかは別議として)とされ、朝鮮征伐の色合いの濃い派兵となる。


7 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 01:55:35 ID:???
5.慶長2(1597年)6月19日〜7月16日
 漆川梁海戦
 →朝鮮水軍壊滅、日本軍勝利

6.慶長2年(1597年)8月12日〜15日
  明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃   
  →陥落 日本軍勝利  

7.慶長2(1597年)8月16日〜8月18日
明・朝鮮連合軍が守る黄石山城を日本軍が襲撃   
  →陥落 日本軍勝利

8.慶長2(1597年)9月7日
  稷山の戦い
  稷山で解生率いる明軍先遣隊明軍2千(援軍2千)と黒田長政率いる日本軍5千の部隊が遭遇戦   
  →一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。
  日本側に援軍2万5千が現れたのを機に撤退 日本軍勝利

9.慶長2(1597年)12月22日〜慶長3(1598年)1月4日
  蔚山城の戦い
  楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を襲撃
  →加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
   その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破
   日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた
   日本軍勝利

8 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 01:56:40 ID:???
10.慶長3(1598年)9月〜10月
  第二次蔚山城の戦い
  麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が
  再び蔚山城を襲撃   
  →日本軍は巧みに防戦、明・朝鮮軍は攻略の目途が立てられず撤退 日本軍勝利

11.慶長3(1598年)10月1日
  泗川の戦い
  董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃
  →島津義弘配下七千が城外へ打って出て明・朝鮮連合軍壊滅 日本軍勝利

12.慶長3(1598年)10月2日〜7日
  順天城の戦い
  劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
  陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千の連合軍が順天城を襲撃
  →小西行長配下一万三千が防戦し、明・朝鮮軍を撃退 日本軍勝利

※八月から伏せられていた秀吉の死去が公表され、10月、撤退命令。

13.慶長3(1598年)11月18日
  露梁海戦
  明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突
  →双方に甚大な被害。
  しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、
  連合軍は明水軍副将のケ子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死

9 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 02:02:21 ID:???
前スレ412の提案にのっとり現在
>>6-8のうち4までは検証を終えたわけだが
引き続き5からやっていこうか

10 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 02:30:30 ID:???
>漆川梁海戦

日本軍は海と陸での挟撃体制にあり、数でも上回っていた
順当な勝利なんじゃない

11 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 03:23:24 ID:???
>>7
つうか5の記載がシンプルすぎるw
もちっと詳細かけよ

12 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 07:58:10 ID:???
朝鮮征伐

13 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 14:32:52 ID:???
>>10
三道の水軍を併せりゃ軽く1万超えて15000ほどにはなるはずだから、
日本側の本来の船手衆が7200、これに小西の手勢を加えて1万強ほどか?
で、陸兵は島津3000なので戦力差はさほどなかったと思うぞ。

14 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 17:49:12 ID:???
島津3000?

15 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 19:03:49 ID:???
漆川梁海戦の基礎数字だぞw 参本の『朝鮮役』にもあるが
引用元は『征韓偉略』だと思われ。

16 :名無し三等兵:2010/02/16(火) 19:47:50 ID:???
おっと、訂正。

× 『征韓偉略』
○ 『征韓録』

17 :名無し三等兵:2010/02/17(水) 00:37:28 ID:???
朝鮮水軍最強説が崩壊した戦いだったな

18 :名無し三等兵:2010/02/17(水) 07:58:39 ID:???
?

19 :名無し三等兵:2010/02/17(水) 10:01:27 ID:???
崩壊するには最初にその説が存在してなきゃならんが
おそらく当時朝鮮水軍が強いなんて言う奴は誰もいなかったんじゃなかろうか

20 :名無し三等兵:2010/02/17(水) 18:03:33 ID:???
20

21 :名無し三等兵:2010/02/17(水) 20:39:20 ID:???
明が参戦して来たタイミングで徳川前田上杉の後詰部隊を派遣すれば圧勝できたのでは?


22 :名無し三等兵:2010/02/18(木) 01:28:23 ID:???
明軍意外としぶとい
やられてもやられても来るから

23 :名無し三等兵:2010/02/18(木) 08:26:03 ID:???
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった


24 :名無し三等兵:2010/02/18(木) 11:43:23 ID:???
>>21
第十六軍なのでそれは無理
まだまだ先に渡航予定の大名たちが順番待ちしてる状態だぜ



25 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 16:46:37 ID:???
当時の日本軍の陣容なら江陵―原州―水原のラインで戦線維持できなかったの?
明朝連合軍に蔚山とかまで簡単に押し込まれるのが解らない。
橋頭堡の釜山を中心に浦項―大邱―晋州の内側なんか朝鮮人を完全に追い出せばいい。

26 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 17:26:58 ID:???
>>6-8の漆川梁海戦はこんなもんかいな?

じゃあ
6.慶長2年(1597年)8月12日〜15日
  明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃   
  →陥落 日本軍勝利  

これいこうか

27 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 17:48:45 ID:???
南原城は兵力差からすると日本の順当勝ちじゃね?

28 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 17:53:37 ID:???
>>26
おいおい、まとめがでてないだろ。(笑) こんなカンジかな。

5.慶長2(1597年)6月19日〜7月16日
 漆川梁海戦
 日本軍支配地に長駆単独侵攻を試みた朝鮮水軍が
 機動力に勝る日本水軍に翻弄され、さらに荒天もあって
 疲労困憊して退却途中に陸海から挟撃される。兵力は
 双方とも1万数千程度。
 →朝鮮水軍壊滅、日本軍勝利


29 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 18:50:39 ID:9HHFKJcZ
でも結局、日本は明には歯が立たないということを思い知らされた戦争だよね。

30 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 20:49:56 ID:???
>>29 
歯が立たなかったのは大明軍
ヤル気がなかったのが日本軍
役に立たなかったのが朝鮮軍


31 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 21:51:45 ID:???
明・朝鮮は日本の散兵戦術に
日本は明の統制された操典に感銘を受けている

32 :名無し三等兵:2010/02/19(金) 23:13:53 ID:???
>>29
どこをどう考えたらそんな考えができるのか知りたいものだな。歯が立たないという言葉を調べ直してこい

戦線が膠着状態 → 秀吉死去 → 撤退 

という流れだぞ

33 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 00:11:53 ID:???
>>29
過去スレ位読め

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった


34 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 08:54:54 ID:???
>>33
荻生徂徠は日本の負けと断じているけどね

35 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:02:11 ID:???
トラファルガーの海戦は、ネルソンが戦死したからイギリスの負けと言いたいのですね
わかります

36 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:03:33 ID:???
>>27
具体的な戦闘の経過はわかる?

37 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:09:35 ID:???
>>34
>>33は誰も日本が勝ったとは書かれてないけど?

中国軍は軍事作戦では勝ち目は無かったが、秀吉の死で勝てたとしか読めない。

どこから日本の勝ちだと読んだんだ?

38 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:13:54 ID:???
日本の目標
明朝鮮へ武威を示す        成功 結局明朝鮮は武力では日本を追い出せなかった。七年間(日本にとって必要な間だけ)も居座られた。
日本優位による日明貿易      失敗 小西のアホめ 堺涙目
明植民地化を狙う西洋勢力への牽制 成功 スペインてんやわんや
朝鮮への懲罰           成功 充分すぎるほどしこたまぶん殴ってやったし

39 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:15:36 ID:???
文禄慶長の役って日本軍が朝鮮半島南部を征服したまま講和になってるんだから、日本の勝利だよね。

40 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:19:35 ID:???
明年,如松師大捷於平壤,朝鮮所失四道並複。
如松乘勝趨碧蹄館,敗而退

於是封貢之議起,中朝彌縫惟敬以成款局,事詳《朝鮮傳》。
久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島
東南稍有安枕之日矣。
秀吉凡再傳而亡。

要約しますとこうですね
平壤は日本軍が放棄して奪還できたけど(小西がだまされたアレね)、碧蹄館で日本にぼこぼこににされて明朝鮮の現場の将兵には嫌戦気分が蔓延。
日本を軍事的に追い払うのは困難となり、(再三日本が要求してきた)交渉の席につき金銭による解決を探ることにした。
ところが秀吉がラッキーなことに死んでくれたおかげで日本はひきあげてくれた。
いやーこの七年間はやばかった。
ただただ多くの犠牲が出るばかりで我が国と朝鮮には勝算が無かった。
戦争終結は秀吉の死によるものだ。

41 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:21:28 ID:???
>>37
どちらも負けたと考えているという話

42 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 09:21:28 ID:???
>>28
朝鮮水軍は飲料水確保に失敗したと聞いたが

43 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 10:04:03 ID:???
陸戦で圧倒されてる以上
朝鮮水軍は干上がるのを待つばかりの存在

44 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 12:04:24 ID:???
>>6
の4.は先ず間違いなく後世の作り話と断言させてもらう

45 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 12:55:50 ID:???
断言だけなら消防でも出来る
議論するなら明確な1次資料出してやるのが大人の議論

46 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 13:02:54 ID:???
>>45
明・朝鮮側の史料にそれを裏付けるものは無い
「懲録」では明軍は朝鮮の救援要請に対して動かなかったとある
また、当時の日本側の史料にもこれを記したものはない
晋州城攻めの一連の感状にもそれを示すものはない

47 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 13:09:35 ID:???
>>42
『宣祖実録』の記述だな。

慶尚道南岸の泊地になるような場所は、日本側が前役から城塞を築いて
押さえているので、実際に水の補給のために上陸した加徳島では加徳城在番の
高橋・筑紫の兵に迎撃されて400の損害を出したりしている。

48 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 15:55:28 ID:???
当時の水軍は拠点あっての存在
つまり、陸上の制圧域によって行動範囲が制限される

49 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 15:59:35 ID:???
俺が学生時代の教科書には、あたかも日本軍の補給線が朝鮮水軍の活躍で寸断されたように記述されていたが
実際には、補給線自体は健在で、緒戦で輸送船相手に活躍したのと1度の戦術的勝利と1度の局地的勝利しかしていないんだよね朝鮮水軍

50 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 17:25:12 ID:???
教科書記述は北島万次あたりが執拗に介入したらしいからな〜

実際の所は、文禄の役では緒戦で慶尚道水軍は壊滅、李舜臣の全羅道水軍も一度だけ
釜山に攻め込んだものの、中盤からは沿岸城砦網が整備された慶尚道南岸の日本側
支配域からシャットアウトされ、慶長の役では漆川梁海戦で三道水軍が壊滅して以降、
明水軍の南下まで半島南岸から完全に駆逐されてるんだけどね。

51 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 19:06:49 ID:???
秀吉の死で国内の後継者問題で全軍撤退したけど
仮に秀次が失脚せず後継問題が無ければ
半島南部は日本領で確定してる感じになるな。
鶴松や秀頼が誕生してなかったらどうなってただろ?

半島南部に日本軍が駐留してる中で満州が騒乱になれば
再度明へ侵攻する可能性は高いと思う。
秀次は子沢山だから豊臣政権も安泰だw

52 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 20:34:11 ID:IvJBYRrX
>>46
以上より、晋州城での立花宗茂の戦功は有り得ないと断言する

53 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 01:45:52 ID:???
晋州城の戦いは
中野等の本でもスルーされてたような。

54 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 09:07:18 ID:???
>>45
一次資料にないので普通に考えてない。史実を無視した後世の創作。

55 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 11:04:01 ID:???
懲録や明史は一次資料なのか?

56 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 11:59:15 ID:cNUDkI5v
『懲録』は1598年から1607年に記述されたもの
『明史』は大体、百年ほど後に完成

双方とも評価は高い
特に懲録は朝鮮王朝の宰相も務めた柳成龍の手によるもの

『懲録』は一次として良い
それより問題なのは晋州城攻めに関する秀吉の感状に其の様な
記述が一切無いこと

57 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 12:52:10 ID:???
>>45
その資料自体がないのに資料出せとかw

58 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 16:36:47 ID:???
前スレはなんかおかしなやつが居座ってるな


59 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 15:01:59 ID:???
黒田勘兵衛が明・朝鮮軍破った
梁山の戦いの明細知ってるやついる?

60 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 15:33:06 ID:???
官兵衛な

61 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 16:58:46 ID:???
8番の話か

62 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:05:27 ID:???
>>47
400隻?

63 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:09:13 ID:CaDPzW5D
黒田長政ね
結果は痛み分けでしょうな

64 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:15:53 ID:???
8.慶長2(1597年)9月7日
  稷山の戦い
  稷山で解生率いる明軍先遣隊明軍2千(援軍2千)と黒田長政率いる日本軍5千の部隊が遭遇戦   
  →一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。
  日本側に援軍2万5千が現れたのを機に撤退 日本軍勝利

65 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:20:42 ID:???
援軍が来たから後退したのであって、それまでは互角の戦い

66 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:40:11 ID:???
どっちでもいいけど
もっと具体的に両軍の動きを時系列に沿って解説しよう

67 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:59:58 ID:???
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43007042&VOL_NUM=00001&KOMA=194&ITYPE=0
これ読めば大体解る

68 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 20:24:33 ID:???
当時の日本の軍制というのは軍事史家にとっては悩みの種で、厳密な操典や編制が皆無な
日本の軍隊が明の精鋭部隊と互角に戦っているというのは、統制を第一とする軍事学にとって
前提を覆さえれる事になりかねない

69 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 21:23:59 ID:???
>>68
当時の日本武士団はかなり訓練されていて
厳密な操典や編制無しに意思疎通がとれる
散兵向きの軍だったってことなのかねぇ

関ヶ原の戦いで西軍がやった
石垣城から関ヶ原へ一晩で陣地転換し、翌朝決戦とか
普通にやったらそのまま潰乱してそうだ


70 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 21:32:09 ID:???
>>69
というより当時の普通の軍隊はバラけると直ぐに壊乱する
下士官の任務は陣形の維持と脱走兵の即時処刑とされているし

碧蹄館の戦いも李如松が日本軍が壊乱しているという報も、陣形を
維持していない日本軍を明軍が見たらそう受け取るのも無理はない

普通は命令されて突撃するのに、自分から勝手に突撃する日本が
異常なんだな

71 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 21:51:50 ID:???
稷山の戦いは明軍にとっては黒歴史だろ

戦いの直後、戦いの結果に対して報告を受けた朝鮮王室は混乱に陥って
避難の話まで出る有様だったけど時間が過ぎて日本軍が引き返したという
報告を受けると、何故か稷山の戦いは明軍の勝利だったということに・・・

ちなみに明軍の武将たちは例え負け戦でも勝ち戦と偽って朝鮮王室に報奨を要求することが多かったよ

さすがに朝鮮王室もこれはおかしいと気づいて真相を把握するために官吏を
派遣するんだけど、その官吏が謎の変死体で発見されたりしてる

72 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 21:59:51 ID:???
>>71
明軍の認識だと北上する日本軍を後退させた
日本軍の認識だと南下する明軍を後退させた

73 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 22:08:00 ID:???
>>72
そういう類のものじゃないよ

報告を受けた朝鮮王室の取り乱しっぷりが物凄くて
敗戦報告以外にはありえない状態

稷山の戦いが明軍の勝利とされたのはかなり時間が過ぎて
もう日本軍の再北上の心配がなくなった頃で、それまでは明軍の勝利だったなんて
認識はなかった

74 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 22:28:52 ID:???
>>73
「懲録」では稷山の戦いの結果はではなく、ただその地に至ったという報で逃げ散ったとある

75 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 22:44:29 ID:???
>>63
長政とは別
蔚山城の戦いと同時期に
長政が蔚山救援で手薄になった梁山に明・朝鮮軍8000が攻め寄せてきて
それを黒田如水が1500で撃破した戦い

76 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 23:00:39 ID:???
>>75
明・朝鮮の史料にないから胡散臭い

77 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 00:00:16 ID:???
明と朝鮮側が敗戦を隠蔽した可能性は?

78 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 00:11:24 ID:???
蔚山で大負けしているのに今更隠す必要はない
第一、五万七千で攻めている蔚山より遥かに釜山に近い、梁山を僅か八千で
攻めるという話が信じがたい

79 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 00:18:17 ID:???
蔚山戦の時、明・朝鮮軍が梁山方面に別働隊を派遣してなかった?
敵兵数の誇張とか、勝手に引き返したのを撃破したとか言うのは戦史ではよくあること。

80 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 00:36:50 ID:???
>蔚山戦の時、明・朝鮮軍が梁山方面に別働隊を派遣してなかった?
このときに交戦があったんじゃ

81 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 07:24:48 ID:???
釜山周辺まで攻め寄せられてるのに
渡海してた伊達や上杉はなぜ参戦してないの?

82 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 09:17:31 ID:???
>>80
話の展開が作り話の典型
「寡兵の我が多数の敵を知略で撃退」
というのは負けた相手にその話があるか、その戦に関連した当時の史料(感状の類)が
ない限り、原則としてガセと見るべき

城内から騎馬隊を出してそれを陽動とし退いた所を城壁の上から鉄砲隊、城門から長槍隊
の突撃という、妙に巧緻な話は江戸時代の軍学的な作り話の典型

83 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 11:56:48 ID:???
黒田の話は日本戦史に載ってる?

84 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 12:35:32 ID:???
>>80
12月22日に麻貴配下の呉惟忠が歩兵四千で彦陽に赴き、梁山・釜山方面を扼したとはある
この部隊は25日に蔚山に呼び戻されている
>>83
無し

85 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 16:21:04 ID:???
>>75の出典は?

86 :75 :2010/02/23(火) 19:20:53 ID:???
安藤英男「史伝黒田如水」によると
黒田旧記らしい

87 :名無し三等兵:2010/02/23(火) 20:09:50 ID:???
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/search/details.html?seq=92
一応、探ってみたがあったかな?

88 :名無し三等兵:2010/02/24(水) 16:21:26 ID:???
立花や黒田の件で分かったけど、

支那、チョンの捏造だけじゃなくて
日本側も結構、戦果の誇張多いな

89 :名無し三等兵:2010/02/24(水) 17:13:24 ID:???
>>88
戦果の誇張なんてどこの国でも同じこと
支那・チョンの場合、後世になってから捏造を行うから困る

90 :名無し三等兵:2010/02/24(水) 17:19:47 ID:???
>>89
存在しない戦闘を創り上げるのもどうかと思う
この二例もおそらくは元禄あたりに創られただろうし

91 :名無し三等兵:2010/02/24(水) 21:50:39 ID:???
日本の捏造はキレイな捏造

92 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 00:07:54 ID:???
>>81
城の普請して帰りました

93 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 01:43:31 ID:???
>>90
李舜臣の捏造よりはマシだよ

94 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 05:36:11 ID:???
日本側の捏造は当時でなく後年江戸期に講談としてフィクションが残ったのだろ。
三国志と三国志演義のちがいみたいなものだと思う。

95 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 05:42:32 ID:???
李舜臣は撃破31隻と書いただけなのに、それを撃沈31隻、撃破92とする韓国人にはさすがに負けるわw

96 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 08:37:34 ID:???
そういうのは個々の印象のままにお好きに

97 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 08:55:24 ID:???
4万弱の敵と戦って8万討ち取ったとか言ってる倭人よりかマシだろう
もっとも倭人お得意の女、子供、老人殺しで稼いだのかもしれんがw

98 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 10:26:08 ID:???
>>97
それ何の戦い?
ソース出して

99 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 10:55:35 ID:???
明が参戦してきた後は兵力の少ない明軍に押し込まれ、現状維持で手一杯だからな。
やっぱり日本は大陸では通用しないんだな。

100 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 11:19:13 ID:???
明の兵数は明記されているものは基本的に後方支援要員は記載されないから
単純に明の方が兵力が少ないとは言えない

101 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 12:47:21 ID:???
武士って弱いよねw

102 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 13:53:01 ID:???
>>98
碧蹄館の戦いじゃないの
明・朝鮮軍15万を撃破したとか書いてる本もあるし(歴史街道)

103 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:04:30 ID:???
>>101
私もそう思ったw軍隊がロクに機能していなかった朝鮮なんかに勝って当然。
明軍がきたら南部に引篭ってるしかなかったよねwwwwwwwよわっww


104 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:07:24 ID:???
>>102
碧蹄館の戦いって約4万VS約2万 or 約4万VS約4万じゃなかったか?

むしろ明・朝鮮軍15万を撃破とか初めて聞いたぞ

105 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:08:09 ID:???
>>103
つまり米軍も弱かったと・・・

106 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:11:09 ID:???
>>105
はぁ?どうしてそうなるわけw?
日米での戦争でも結局は緒戦だけ勝ってて、あとは負けてばっかじゃないの?

107 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:14:39 ID:???
泗川の戦いの事じゃないか?
20万人とか、7万とか、4万とかいろいろあるじゃん

108 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:29:50 ID:???
>>104
ttp://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/?unique_issue_id=84257
ここ見て

109 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:34:27 ID:???
日本って強かったと言われる戦国の軍隊でさえこの程度なんだなw
日本の戦国武将なんて、世界では通用しない井の中の蛙ってことが明らかだな。

110 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 15:45:32 ID:???
下らない釣りしてないで人生についてもう1度考え直したらどーだ?
そんなことしてる場合じゃないだろ?

111 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 16:17:41 ID:???
>>108
それ江戸中期以降の軍記物に出てくる兵数
基本的に朝鮮の役は相手の明が外国なので好き勝手に書いていることが多い

>>109
あなたがどう考えようが勝手だが、当事者である明は日本軍を強いと認識していた

112 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 16:31:43 ID:???
>>104
確かうろ覚えだけど陰徳太平記だと
明軍10万とか書いてた

113 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 17:04:23 ID:/AD37zJf
総力特集:立花宗茂
明・朝鮮連合軍15万を撃退!碧蹄館の戦い
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/data_detail.php?unique_issue_id=84258#1

114 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 17:31:55 ID:???
>>108
それ資料でもなんでもないし・・・
そもそも、その手の本は日本国内の戦ですら数が滅茶苦茶になってる
俺が小学生の時に読んだ足利尊氏の本だと九州から40万の軍勢で攻め上ったとか書いてあったし

115 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 17:34:19 ID:???
>>106

103 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 14:04:30 ID:???
>>101
私もそう思ったw軍隊がロクに機能していなかった朝鮮なんかに勝って当然。
明軍がきたら南部に引篭ってるしかなかったよねwwwwwwwよわっww


つまり、中国が出てきたら戦線が膠着しちゃったって言いたいんだろ
なら朝鮮戦争の米軍も同じじゃんw

116 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 21:08:23 ID:???
軍記物ソースとかアホかとw

117 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 21:16:58 ID:???
>>115
でも、米軍は38度線までいけた。
日本は漢城すらいけずに終わったではないかw
武士は弱いですねw

118 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 21:17:40 ID:???
軍記物もピンからキリまであるから、精査した上で採用はできる

119 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 07:44:10 ID:???
>>118
はいはい、釣りたいんだね
分かるよ

120 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 07:46:01 ID:???
おっと、ミス
>>118 → >>117

121 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 16:28:46 ID:???
確かに明参戦後の秀吉軍の戦線縮小は異常だけど
各大名にすれば損害が最小で恩賞を最大を目指す
大名は独立採算制で費用は自前の封建制度。
進んで強敵と当たる義務はないから
みんなで一度後退して仕切りなおしってことかな?


122 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 16:47:11 ID:???
戦線縮小というか、明参戦前が異常な戦線拡大傾向だったから通常に戻したという表現のほうがあってるかも
しかも、慶長の役では朝鮮南部の永久確保に戦略自体を切り替えてるし

123 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 17:36:12 ID:???
ちょいとウォーゲーム関係の調べ物をしてたら、以前ここだったか関連スレだったかで
ちょっと話題になって『文禄の役』ゲームの画像みっけ。
ttp://commandmagazine.jp/com/069/index.html

セットアップ例
ttp://commandmagazine.jp/com/069/image/069-bunromap01.jpg

ユニット
ttp://commandmagazine.jp/com/069/image/069-unitbunnrokuunit01.jpg


なんか想像してたよりずいぶん大振りなゲームだけど、それでもウリナラの誇り李舜臣
大活躍ルールはしっかりあるみたい。(笑)

誰か実際にプレイした人いるかな?

124 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 19:39:23 ID:???
講和時の割譲エリアってどのライン以南?
日明ともにその線で合意してたの?
まあ朝鮮の主体性がないのは確認するまでも無いがw

125 :名無し三等兵:2010/02/26(金) 20:31:01 ID:???
>>124
慶尚道・全羅道・忠清道
単に日本側(より正確に言えば秀吉個人)の要望

126 :284:2010/02/27(土) 15:25:48 ID:???
>>125 済州島の立場は?

127 :名無し三等兵:2010/02/27(土) 15:46:50 ID:???
忠清道全羅道に徳川家康を転封、慶尚北道に伊達政宗を転封、慶尚南道に小早川秀秋を転封。
徳川家康を朝鮮管領百済守、伊達政宗を朝鮮探題新羅守、小早川秀秋を朝鮮関白とすれば安泰。


128 :名無し三等兵:2010/02/27(土) 16:37:19 ID:???
>>126
全羅道に属す
これぐらい自分で調べたら

129 :名無し三等兵:2010/02/27(土) 21:29:13 ID:???
戦線縮小は小西幸長の嘘がばれたからだろ

小西の嘘を信じた秀吉は単なる治安回復戦のつもりで戦争指導をしていたけど
朝鮮が実は敵対国だったとばれた後は、状況に見合った戦術をとっているよ

実際、慶長の役で四路竝進に失敗した明軍と朝鮮軍は兵力の消耗が激しかったから
もし、秀吉が存命で日本軍が大規模攻勢をかけたら防げなかったと思う

130 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 00:38:48 ID:???
小西が馬鹿なことしなければ
苦戦せずにすんだのに

131 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 00:39:14 ID:???
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1257912644/985
レンガが石材よりコストが良いというが、あんな木を大量消費するもののどこがコストが良いというのだろうか

132 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 00:50:22 ID:???
50日間の停戦なんてして戦備を整えられて、平壌から敗走してるってのが情けないなw
所詮、商人の小倅か。


133 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 16:24:10 ID:???
木材は植林すればいいわけだからな。
石材は「植石」なんてできないからなw
枯渇したら終わりw

134 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 16:35:47 ID:???
植林の手間と伐採量を全く考えていない台詞だね

135 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 17:03:17 ID:???
石材採掘・成形・運搬の手間と石材の埋蔵量を全く考えていない台詞だね

136 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 17:26:27 ID:???
俺が判断してやるから具体的な数字出せ

137 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 19:05:25 ID:???
手間と量の具体的な数字まだか?

138 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 19:32:01 ID:???
碧蹄館の戦いとは?

139 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 20:04:32 ID:???
モノは陶器だが、15トンのを焼成するのに薪5000束(一束約8kg)を必要とする

140 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 20:41:31 ID:???
>>139
大した薪の量ではないな。

141 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 20:58:40 ID:???
家康が渡海していたらどうなっていたのかな?

142 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

143 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:15:40 ID:???
40トン、木1本で400kg、1haで大体800本
姫路城内曲輪の石材重量103400トン
それを煉瓦に置き換えるとすると860haの
森林を消費する計算になる

144 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:27:17 ID:???
10万トンの石材採掘に必要な面積は?

145 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:27:36 ID:???
>>143は石材重量に置き換えているところが履き違えているw

146 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:41:32 ID:???
>>145
煉瓦2.2
花崗岩2.6

147 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:41:49 ID:???
家康に出陣させて、消耗させておく方がよかったな。
まあ後から言えるわけだが。

148 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:42:44 ID:???
>>144
採石場の岩石の深さによる

149 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:45:57 ID:???
>>145
確かにwレンガの方がコンパクト且つ低コスト。

150 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:46:59 ID:???
>>147
徳川家康の石高は255万石だっけ?
それほどの石高の大名を前線に出さないのはいかがなものか。

151 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:47:12 ID:???
>148
前提条件不明じゃ比較できないね。
朝鮮半島の採石場の立地・埋蔵量の資料を作成してからまたおいで

152 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:48:11 ID:???
福島正則は朝鮮征伐でどんな戦功をあげたんだ?
目だった動きをしてないような。

153 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 21:55:36 ID:???
豊臣秀次は九州までは従軍したのか?

154 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:05:07 ID:???
>>153
ずっと聚楽第にいたじゃないの?

155 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:05:26 ID:???
>>149
具体的な数値でお答えください

156 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:05:30 ID:???
>150
それが「政治」
秀吉にとって都合がいいことは、家康にとって都合が悪い。

157 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:06:38 ID:???
>>151
20〜30mの崖から切り出している例もありますな

158 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:06:46 ID:???
>>152
場門浦海戦で武功を挙げている。

159 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:08:13 ID:???
>>150
それ以前に豊臣家は222万石だろw
配下より石高が少ないってどれだけw

160 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:16:07 ID:???
宇喜多秀家も碧蹄館の戦いで地味ながら戦っているんだな。

161 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:45:06 ID:???
>>157
20m高さから切り出した場合、必要な面積は煉瓦焼成用の樹木面積と比較して0.5%となる


162 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:51:20 ID:???
>>157
かなり高費用だね。樹木採取と比べて。

163 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:51:32 ID:???
>>160
碧蹄館の戦いの日本の大将じゃないのか?

164 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:52:46 ID:???
場門浦海戦?

165 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:55:21 ID:???
>>162
実際は階段状に切り出したりしているんだけどね

166 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:56:14 ID:???
京城で動かず死守して、
釜山との補給路のみを構築して
維持していればよかったような。

167 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 22:59:51 ID:???
>>162
>>165
それは木材の方が低コストだ。

168 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:00:13 ID:???
>>166
どうやって維持するの?

169 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:00:55 ID:???
>>264
李舜臣に日本が勝利した数少ない海戦。

170 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:02:30 ID:???
>>122
それでも積極攻勢に出ないと駄目のような。
慶長の役では全羅道制圧がかなり杜撰な感じだし。

171 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:05:29 ID:???
>>166
明軍が大挙して迫ってきているんですが?
維持するより沿岸部に引きこもった方が効率的でしょ。

172 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:08:37 ID:???
当時の日本に外洋向けの軍船があればなあ。
竜骨構造の船が何故日本に流入しなかったのだろう?

173 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:18:39 ID:???
>>167
どうしてそう思うか不思議
木も山の中にあるんだし

174 :名無し三等兵:2010/02/28(日) 23:20:02 ID:???
>>172
高コスト

175 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 02:12:49 ID:???
>>172
当時の日本では軍用でも商用でも利点が乏しいから。だから江戸時代にも
竜骨構造は知ってはいても導入しなかった。

東南アジア等への外航でも竜骨は必須ではなく、ジャンク船構造で必要充分。

176 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 03:28:35 ID:???
亀甲船にも竜骨が使われていたって聞いたことあるな。
でも、あんなに陸伝いに攻めるものか?


177 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 05:09:35 ID:???
・植林の手間
不明
・植林の伐採量
不明

・石材採掘・成形・運搬の手間
不明
・石材の埋蔵量
不明



具体的な数字まだか?

178 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 07:06:13 ID:???
>>164
閑山島海戦のこと

179 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 07:11:27 ID:???
>>176
そもそも亀甲船がどういった船なのかも正確な資料ないしね
李舜臣か誰かが「すごい船だ」とか言ったという記録があるが
実戦に投入された記録こそあるものの活躍した記録は皆無だしねぇ〜

180 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 09:16:14 ID:???
>>130
小西はキリスト教に洗脳されてたからなー
要するに堺の親キリスト派のいいなり

小西の頭の中では堺の商人の商売のしやすさとキリスト教布教のしやすさのための和平交渉だから
他の武将と違ってた

181 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 09:23:42 ID:???
>>177
チョーダイチョーダイ

182 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 09:46:49 ID:???
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン

183 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 17:45:48 ID:???
>>179
『高麗船戦記』の記述が亀船活躍した記録といえなくもない、というか
一般にはそういうことになっている。

184 :名無し三等兵:2010/03/01(月) 17:49:07 ID:???
>>179
『高麗船戦記』の記述が亀船の活躍の記録といえなくもない、というか
鉄甲船伝説の部分も含めてそう見なされている。

185 :183-184:2010/03/01(月) 17:54:14 ID:???
スマソ ダブった。

接続エラーになったので、書き込まれたかどうかリロードして確認した上で
改めてカキコしたのに〜 カンシャクオコル!

186 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 19:11:37 ID:???
竜骨?

187 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:05:15 ID:???
現在のレンガと石の価格は、レンガのほうがかなり安いそうな。
現在でも石は加工が大変だし価格が高い。

日本でももっと早い時期にレンガの技術があればよかったな。

188 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:07:36 ID:???
そうすりゃ、ほとんどの近世城郭は今頃崩壊してるだろ。(・∀・)

189 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:09:38 ID:???
>>188は厨房w昔よりレンガは安上がりだしね。

190 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:17:52 ID:???
指摘の意味がサッパリ読みとれてない>>189はリア消防?(・∀・)

191 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:26:28 ID:???
指摘の意味がサッパリ読みとれてない>>190はリア消防?(・∀・)

192 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:28:51 ID:???
石垣は土塁の補強のためにある
それを煉瓦で代用したら、あっという間に崩れ落ちるな

193 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:38:18 ID:???
崩れ落ちる?

明代に作られた城壁はまだ残ってるんだが。あれ五百年くらいは経過してるぞ。

194 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:41:27 ID:???
あれは裏に延々と土が続いている?

195 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:47:30 ID:???
日本の城郭の城壁の石垣は、
切岸や堀の護岸に施されている場合がほとんどだろ。
土塁に石垣が施されているのは城門付近くらいだぞ。
一部の平城くらいにしか、全周囲に土塁に石垣が施されていない。

196 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:47:37 ID:???
煉瓦は土塁の補強のためにある
それを土塁そのものが強固なので、あっという間に崩れ落ちないな。

197 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:50:00 ID:???
何でもかんでもコストコストと切り詰めていけるほど現実は単純じゃないしね。

日本ってレンガの材料が乏しいんじゃ?

198 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 21:58:21 ID:???
日本は、世界で発生したマグニチュード6以上の地震のうち20.5%を占める
世界有数の地震地帯なワケだが。(・∀・)


そういや先月末、沖縄の勝連城跡や糸数城跡の石垣の一部が地震で崩落したが、
あれは石垣と言っても本土と違って大陸式だからな〜 ちなみにどっちも震度は4。
沖縄で震度5以上は99年ぶりだったそうな。


199 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:02:35 ID:???
中国の垂直に立った城壁で外は煉瓦、中は版築というのは日本の様な高温多湿の地ではなかったかと
普通はオール煉瓦だった
それに日本のは堀から立ち上がる曲輪そのものを囲んでいるわけで、城壁とは別物だし

200 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:03:16 ID:???
日本でレンガの家が普及しないのは
関東大震災で大被害を受けたから

201 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:08:15 ID:???
http://www.ryoko.info/Temperature/china/nanjing.htm

南京などの中国の南部の都市は東京の降水量と大差ないぜ。
なんでもかんでも気候で説明できるものじゃない。

202 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:09:54 ID:???
>>201
うん、それで質問なんだけどそういう所で、中が版築の城壁はあるのですか?

203 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:14:05 ID:???
南京の城壁

204 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:14:38 ID:???
>>198-199
版築工法は免震性能があるのでは、
地震対策にはもってこい。
「版築 免震」でググると分かりやすい。
日本の建物が基本的に木造建築なのは、
高温多湿な日本の気候に合致しているため。
レンガ建築では居住性が悪化する。
大陸の城壁は、版築土塁+レンガがデフォ。

205 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:21:06 ID:???
そうかな?昔の日本の民家を知ってるか?
お世辞にも居住性が良いとはいえないぞ。

どんなに贔屓目に見てもレンガと大差ない。

206 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:24:26 ID:???
日本の民家
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/Hakogike_house01.jpg
居住性とか大げさなことを言えるレベルに達してないだろこれ。

207 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:29:31 ID:???
明らかに通気性が良い居住しやすい家じゃないか

208 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:29:43 ID:???
|∀・).。oO(  なんか基礎教養が欠如してるのが一人混じってる気がする。

209 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:32:21 ID:???
通気性なんてのは上げるのは難しいけど、下げるのは穴(窓)を開ければいいだけだからな。
こんな簡単なことも分からんのかな。

210 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:34:47 ID:???
   ププッ
|∀・).。oO(  通気性下げるのに穴(窓)を開るのかw

211 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:35:34 ID:???
日本には黄土がなかったからかな>レンガや版築城壁がなかったの

212 :209:2010/03/03(水) 22:36:38 ID:???
逆ね。すまん。
気密性を上げるのは難しい。下げるのは簡単、穴(窓)を開けるだけ。

213 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:39:21 ID:???
穴を開けたら強度が落ちる

214 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:41:26 ID:???
ぶっちゃけレンガ焼いてどんなメリットが有るの?

215 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:42:34 ID:???
>>212
気密性が必要なほど寒いとこなの?

216 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:46:07 ID:???
気密性が不必要なほど日本の冬は暖かいか?
ではなんで現在でもいろんな暖房器具があるの?

217 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:48:18 ID:???
隙間風吹いて寒いから
暖房器具があるんだろうが
昔は火つけたら暖かくできるが
涼しくは簡単にはできないんだぞ

218 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:49:23 ID:???
>>217
だから気密は必要だよな
はい終了。

219 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:50:11 ID:???
>>218
レンガはどうなった?

220 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:51:10 ID:???
日本でレンガなんか焼いたら、木を大量伐採するはめになって土石流が続発するね

221 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:53:44 ID:???
日本で木造建築なんかつくったら、木を大量伐採するはめになって

222 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:55:20 ID:???
杉植えまくって花粉症になるんだよな

223 :名無し三等兵:2010/03/03(水) 22:56:08 ID:???
>>221
なった。近世初頭に築城ブームで大量に木を伐採したから、水害が頻発している
これに加えてレンガなんか焼いたら目も当てられない

224 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 00:21:49 ID:???
>>218
寒い熱いは断熱性
木>>>>>>>>>>>>煉瓦

厚さ5cmの木は、厚さ20cmの煉瓦と同等

225 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 00:24:57 ID:???
さあ、軍事分析にもどるんだ。

226 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 01:40:23 ID:???
資料が少なすぎて分析しようがない

227 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 01:53:14 ID:???
そう言うヤツに限ってその少ない史料すら
何ひとつ読んでないんだよな。

228 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 06:16:01 ID:???
そう言うヤツに限って読んでても解釈本を一・二冊なんだよな


真面目な話、どっちの資料読んでも
「倭人強すぎワロタwwww」「朝鮮軍弱wwwwありえねぇwwww」
としか書いてない上に数が当てにならないから分析しようがないのは確か

229 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 08:28:05 ID:???
>>206
なんだよ、そのモダンな家は。長く使われた伝統的な日本家屋といえばこっちだろ。
ttp://www.ushikunuma.com/kawara/tate10.jpg

230 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 11:49:32 ID:???
資料面が終わってる
→分析しようがない
→妄想炸裂
→脱線
→ループ

じゃなかったらこんなPart数だけが増えて中身スカスカなスレにならないだろw

231 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 11:57:07 ID:???
複数資料の照らし合わせすれば、良いだけの話

232 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 13:04:04 ID:???
>>228
>真面目な話、どっちの資料読んでも
>「倭人強すぎワロタwwww」「朝鮮軍弱wwwwありえねぇwwww」
>としか書いてない上に数が当てにならないから分析しようがないのは確か

じゃあ、博覧強記らしい>>228には、まずその具体的な資料(史料)名とやらを
挙げてもらおうか。(・∀・)



233 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 14:41:09 ID:???
>>220-223
池沼?
日本は植林という文化があるのですがw
植林という文化の無い国の方?w

それに明治期に杉の植林が推奨されたため、
水害が起こったわけだが、(熊野本宮大社の大斎原の社殿が流された洪水が代表的)
それは針葉樹という根が深くはらず、保水力の無い木々を植えたからだ。
適切に広葉樹を植林していれば良いことだ。
広葉樹でも日本で古くから建築資材に使われている。
最近でも広葉樹の植林は見直されている。

234 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 14:57:40 ID:???
>>233
近世初頭の大量伐採による水害は「軍需物資から見た戦国合戦」を参照されたし

235 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 15:17:17 ID:???
>>234
見る必要は無いな。
伐採と植林と洪水との関係は、
どちらにせよ変わらないし。
>>233が正しい。

236 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 15:27:12 ID:???
馬鹿は無敵だなw

237 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 15:31:50 ID:???
参考資料も無しに言われも事実、当時の日本では大量伐採で水害が頻発している
これにレンガを焼くための伐採が上増ししたら、状況はより悪化する
元々、日本でレンガに適した黄土が少ないのも併せて、日本でレンガが
普及しなかったのは当然の話

238 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 15:41:14 ID:???
>>237みたいな日本語が不自由な奴もいるからなw
>>233が正論で、煉瓦が日本に定着しなかったのは奇妙な話だ。

239 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 16:08:39 ID:???
レンガがあれば、城壁が作りやすいからね。
石垣よりも適性がある。

240 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 16:49:11 ID:???
なんだここ数日のレンガ厨は・・・(´・ω・`)

241 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 17:03:50 ID:???
>>131=>>237が必死なだけだろw

242 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 17:59:34 ID:???
>>238
死ぬまで勝手に首を傾げているんだな

243 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 18:09:57 ID:???
>>131=>>237=>>242wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

244 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 18:11:51 ID:???
芝が伸びていますね

245 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 18:56:46 ID:???
今月発売の歴史群像で朝鮮役を特集するみたいだな。

246 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 20:08:31 ID:???

     ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) <  >>228 資料名まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       | 島根らっきょ  |/
         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


247 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 20:54:52 ID:???
>>23


248 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 20:55:41 ID:???
馬鹿? (・∀・)

249 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 23:26:12 ID:???
他人に(散々出尽くした)資料を要求し、自分では出さない…



この感じ…朝鮮人か!

250 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 00:08:03 ID:???
>>249
散々出尽くした資料って何よ。 >>247の日本マンセーの部分だけ
抜き出したコピペのことか?

>>228でエラソーな物言いで分析できないとか抜かすから、
んじゃ、どういう双方の資料を読んでそう判断したのかと
具体書名を問うているだけだが。




251 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 00:33:38 ID:???
227はエラソーな物言いじゃないのかよw

252 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 00:59:48 ID:???
じゃないな。結局図星だったということだろ。
書名すら挙げられずに>>226

>資料が少なすぎて分析しようがない

               と抜かしていたワケだ。(・∀・)



資料が少ないといっても一次資料で印刷物になっているものは
少ないから、それらを読み込んでの発言とは到底思えん。

ちなみに、こっちはつい先日、前々から全文を読みたかった『高麗船戦記』の写本が
九大のライブラリでネット公開されているのを見つけて読んだところだが、
朝鮮側史料を鵜呑みにして書かれている出版物と違って、閑山島や
安骨浦の海戦の実相が伺い知れて非常に興味深かったよ。


253 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 01:21:19 ID:???
書名あげろというなら>>23で十分だろうとおもうが
反論は結局「日本マンセーの部分だけ抜き出したコピペ」とか貶してるだけだし

254 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 05:46:45 ID:???
大昔に書かれた資料なんて本屋に売ってないからな。
それは良いとして、戦国時代の本で朝鮮出兵関連の記事なんて
いつも同じ調子じゃん
鼻そぎ耳そぎの強調、李舜臣の大活躍、ウルサン城でなんとか耐え忍んだ程度で秀吉が死んで帰国
くらいにしか書いてないよ。


255 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 06:38:43 ID:???
つーか文句いうなら日本マンセー以外の新たな事実が書かれた書物でも提示しろつーの

256 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 13:09:44 ID:???
>>254
小学生みたいなこと言ってないで、せめて印刷物になってる『日本戦史 朝鮮役』の補伝や
『近世日本国民史 朝鮮役』所載の原文くらい読めよ。(・∀・)

>>255
そういうことは、まずコピペ元の『懲録』全文や『明史』や『宣祖実録』の朝鮮役該当部分を
全部読んでから言え。もっともまぁ、『宣祖実録』についてはオレも抜粋でしか読んでないが。

257 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 13:16:30 ID:???
>>256
知るか、うってねえんだよ

258 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 13:22:57 ID:???
中野等と北島万次は読んでる


259 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 13:47:11 ID:???
>>257
「日本戦史」なら国会図書館の近代デジタルライブラリーでネット上から
無料で読めるぞ

260 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 13:50:35 ID:???
>>259
ほう、それは知らなかった
ありがとうございます

261 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 14:55:22 ID:???
>>259
凄い新事実だな!

262 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 19:19:53 ID:???
日本戦史は参謀本部のだれが編纂したか分かる?

263 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 19:43:27 ID:???
>>259
失望した

264 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 19:56:23 ID:???
>>262
第4部
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AC%80%E6%9C%AC%E9%83%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#.E4.B8.80.E6.99.82.E6.9C.9F.E7.BD.AE.E3.81.8B.E3.82.8C.E3.81.9F.E9.83.A8.E5.B1.80

265 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 17:55:39 ID:???
>「倭人強すぎワロタwwww」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

>数が当てにならない
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万


反論の余地なし


266 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 17:57:43 ID:???
野戦じゃ明に負ける率のが高かったじゃん馬鹿?

267 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 20:46:48 ID:???
俺が判断してやるから、その野戦全部の両軍の損耗率の数字出せ

268 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 21:32:53 ID:???
後退したとしても負けとは限らない訳だがそういう事理解出来ないんだろうな。

269 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 22:56:22 ID:???
損耗率まだか?

270 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 02:08:46 ID:???
明軍が野戦で日本に勝ったのって
蔚山城の戦いの前哨戦ぐらいじゃね?

他はほとんど日本が勝ってるはずなんだけど

271 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 06:31:23 ID:???
要は小競り合いでは明に押されてたじゃん
漢城だって明がちょっとずつ攻めてて結局手放した

272 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 12:29:13 ID:???
日本『ちょっと明(朝鮮)攻略してくるわ』
朝鮮『ちょ、おま、なにすn、もう止めて!HPは0よ!』
日本『本拠地の漢城とったどー、もっと奥地攻めるね^^』
朝鮮『もうやめて、もういぇm 』
日本『秀吉亡くなったぉ、お家争い忙しくなるしもう帰ろうぜ』
朝鮮『え・・・何?講和条約? 』
日本『んじゃ、またほとぼり冷めたら来るわ』
朝鮮『・・・まってお!許さないお!講和なんか守らないお!半島から生きて返さないお!』
日本『うぜー!小西は何、手こずってんだよ。島津、小西拾ってこいや』
朝鮮『許さないお!(実質HP2/100)』
日本『小西生還+敵将の首もごろごろ捕ったからあいつ等も、もう懲りただろw』
朝鮮『…日本撤退させたどー!大勝利!大勝利ー!(実質HP1/100)』

273 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 15:14:07 ID:???
>>271
何月何日の何て小競り合いだ?

274 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 19:56:48 ID:???
苦しい言い訳だな小競り合いw

275 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 20:04:33 ID:???
899 名前:896[] 投稿日:2009/12/25(金) 06:46:02
×3000人
〇2000人でした。
真実の中国4000年史
P226〜P228

この著者の杉山徹宗氏は沙也可についての記事をまとめるとこんな事言ってる。
清正の配下の沙也可は大陸の文化に憧れていて、朝鮮を攻めるのが辛くて配下2000人と共に寝返りをした。

その際、鉄砲技術を、明と朝鮮に手土産に伝えたので、連戦連敗していた明朝鮮軍は形勢を逆転させ、日本は半島南部に追い詰められた。

日本側の記録には、李如松が大軍を引き連れて日本を追い詰めたが、逆転の真相は沙也可の裏切りにあるという。

沙也可は慶長の役後は、「金忠善(きんちゅうぜん)」と名を変えて、李氏朝鮮に仕えた。

その金忠善の末裔が韓国のテグ市に14代目が住んでいて、金在徳という人で沙也可の配下の子孫も多数住んでいる。

こんな感じでした。


────
こんな説もあるらしいw

276 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 20:11:29 ID:???
杉山徹宗ってこの本の人じゃないか
『平和宇宙戦艦が世界を変える』

277 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 23:01:38 ID:???
寝返った途端に新型兵器を大量生産とかアニメの見過ぎだなw
しかも2000人ともなると小大名クラスだが・・・

278 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 00:12:55 ID:???
>>275
それトンデモ本だから。(笑) いや、一昨日、たまたまブクオフで見かけて
105円で買ったばかりなのよ。 で、朝鮮役に関しては日本が負けたのは
明の援軍のせいじゃなく沙也可の寝返りのせいだと言い切ってる。


この著者の杉山徹宗って、田母神が防大の講師とかに呼んでたヤツかね?
ttp://obiekt.seesaa.net/article/124928700.html

279 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 00:53:45 ID:???
「倭兵三十人でも女真一人の敵ではない」 李如梅
実際のところ倭兵よりも女真の方がはるかに強いと見られていた。

280 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 02:02:06 ID:???
はいはいソースだそうね。確かソレ、小説の一文だったよな。

281 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 05:45:26 ID:???
ソースが小説かw
まるで朝鮮人だな

282 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 06:02:07 ID:???
ソースなにか、ずっと気になってたけど
小説家よ

283 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 10:39:15 ID:???
そもそも女真族負けてるっていう。

大体本当だとしても、こんな等式になるだけだろ
朝1000=明100=日30=女1

朝鮮・明はさらに弱いっていう…情けなや

284 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 13:36:22 ID:???
女真族は二度も中国を支配したという事実。

でも日本と女真では本拠地の場所が違いすぎるからね。

285 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 13:46:57 ID:???
ちょっと元ネタ忘れたけど
満洲関係のスレで昔
天皇陛下って清の皇帝位かねてるとかなんとかいうのを小耳にはさんだんだが
その当時は興味なくてそのまま流しちゃったんだが
これってどういうこと?

286 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 13:47:46 ID:???
それこそスレ違いだよね

287 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 13:47:52 ID:???
逆に中国(というか漢族)も女真族を何度も支配したことがあるんだよな。

288 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 15:23:47 ID:???
>>285
溥儀は禅譲してないからダウト

289 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 16:46:39 ID:???
結局266と271
ソース出せずに涙目で逃走か

290 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 17:31:48 ID:???
>>287
前近代の中国の歴史は遊牧民族との抗争の歴史でもあるからなあ

291 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 18:05:14 ID:???
>>285
傀儡政権だから真の支配者は天皇・・・とかそんな意味なんじゃね?

292 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 20:17:33 ID:???
明軍が来てからの日本軍の数
加藤清正10000→6790
小西行長、宗義智他18700→7415
島津義弘10000→2128

これだけの損害がでてる
最上義光に至っては、「最上の水がもう一度飲みたい」とか言ってる。

弱すぎw

293 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 20:41:45 ID:???
>>292
はいはい、明・朝軍の損害も併記してからにしようなw

294 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 20:43:10 ID:???
>島津義弘10000→2128

兵7000から、これと
>11.慶長3(1598年)10月1日
>  泗川の戦い
>  董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃
>  →島津義弘配下七千が城外へ打って出て明・朝鮮連合軍壊滅
これで
>13.慶長3(1598年)11月18日
>  露梁海戦
>  明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突
>  →双方に甚大な被害。
>  しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、
>  連合軍は明水軍副将のケ子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死

数的不利な状況ながらも兵5000の被害で支那・朝鮮兵を何万人もぶち殺したってこと?

295 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 20:46:18 ID:???
なんかもう、スレ書く前に「日本戦史 朝鮮役」を読むことを必須にすると言いたくなってきた

296 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 22:29:52 ID:???
しかしまぁ、いまだに百年ほど前のものがいちばんまともな基本書とみなされるあたりが、
日本の朝鮮史学会というのがいかにDQNなのかということが良く判るわな。

297 :名無し三等兵:2010/03/08(月) 22:40:17 ID:???
>>294
それ、文禄の役での損害ね
朝鮮役にも書いてるよ

298 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 12:07:16 ID:???
単に損害数(しかも一方のみ)を並べて負けたとか知能に問題があるとしか思えん

299 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 12:28:38 ID:???
損害数なら、ソ連は大負けだね

300 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 12:40:31 ID:???
>>296
それ以前に未だに現在の歴史学は軍事的な説明になると「日本戦史」に頼り切っているのが現状

301 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 12:47:35 ID:???
>>298
一方的に損害出して、なんの結果も出せない奴が勝った!なんて言えるのか?
お前の知能の方が蛆でもわいてるんじゃねえかw?

302 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 16:03:37 ID:???
一方的に損害出したソースはどうしたw

303 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 16:15:33 ID:???
>>300
まぁ、最近だと中野等の『文禄・慶長の役』はなかなか良著だと思うが
戦闘関係は参本『日本戦史 朝鮮役』の受け売りなのが残念なところ。

でも参本を引いてるのはまだましで、特に水軍に関しては朝鮮側史料
一辺倒ってのが目立つ。まだ未読だけど宇田川の『戦国水軍の興亡』
なんかも『乱中日記』の数字を鵜呑みみたいだな。

304 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 16:34:02 ID:???
>>302
甚大な損害じゃんw島津とかww

305 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 17:16:14 ID:???
822 :世界@名無史さん:2008/02/25(月) 15:28:11 0
豊後国の資料には

朝鮮出兵後の見地だと
42%が空き屋になってて
30%が失人になってたらしい。

酷い村になると
75%の耕地が失人になってたため荒涼とした荒れ地が広がっていたとか。
「国空け散々」といわれる大規模な逃散がでた。

しかも九州はみんなこんな傾向。

前線やってた小西はもっと酷い
戦後は二公一民という増税と「給人1/3」という過酷な過役で
農民の多くが餓死かあるいは逃散した


306 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 17:17:16 ID:???
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人

まで減っている

弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す

1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
 李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
 李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
 ?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)

307 :戦死武将:2010/03/09(火) 17:20:47 ID:???
●明軍戦死
1592.07.17平壌の戦い
 載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、
 張国忠(?)、馬世隆(?)、
1598.01.04第一次蔚山城の戦い
 廬継忠(参将)、楊万金(遊撃)、
1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
 李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
 李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
 ?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)
↑こんだけ w
日本軍戦死1592.10.上旬 咸鏡道
 江口与左衛門(鍋島家臣)、三浦左右衛門允(鍋島家臣)
1592.12.? 
 竹内吉兵衛(小西家臣、講和使を明軍が処刑)
1592.? 阿波
 光富権助(長曽我部元親家臣戦傷が元で阿波で死亡)
1593.01.08 平壌城の戦い
 小西ルイス?(小西行長の弟?)、小西アントニオ(小西行長の従兄弟?)、
 日比谷アゴスト(小西家臣日比谷了珪の孫)、
 小野木又六(小野木重勝家臣重勝の弟)、太田弾正(五島家臣)、
 太田江十郎(五島家臣)、青方新八(五島家臣)
1593.01.26 碧蹄館の会戦
 十時連久(伝右衛門、立花宗茂家臣)、池辺永晟(龍右衛門、立花宗茂家臣)、
 安東常久(善右衛門、立花宗茂家臣)、 小串成重(忠左衛門、立花宗茂家臣)、
 
 小野成幸(立花宗茂家臣)、 横山景義(小早川秀包家臣)
1593.01.28 吉州城の戦い
 山口与三右衛門(加藤清正家臣)
6 :世界@名無史さん[sage]:2008/02/27(水)

308 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 17:21:43 ID:???
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
 諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
 中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
 馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
 高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
 鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
1593.02.12 幸州山城攻め
 明石与右衛門(宇喜多家臣)、戸崎彦右衛門尉(毛利家家臣)
1593.03.12 京城の西三里の戦い
 中屋善四郎(毛利家家臣青原尾中山城主)、
1593.06.22-29 第二次晋州城攻め
△松井興之(細川忠興家臣、重臣松井康之の嫡男)
 戦傷が元で1593.06.29死亡
1593.?熊川?
 桑名親勝(長曽我部成親家臣1200石)

1597.02.22 蔚山
 柳生久三郎(浅野幸長家臣厳勝の長男宗厳の嫡孫500石)
1597.09.16 鳴梁の海戦
 得居通年(来島通之,伊予風早3000石,来島通総の兄)
 菅正蔭(菅達長の第四子)
1597.12.27 蔚山籠城戦
 冷泉元満(毛利輝元家臣)、阿曽沼元秀(毛利輝元家臣)、
 都野家頼(毛利輝元家臣)、
 原田信種(加藤清正家臣病死説有り)、貴田統治(加藤家臣孫兵衛)

309 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 17:42:59 ID:???
100年も内戦してた国が、ちょっと海外にでるとこの体たらく。
井の中の蛙ってことですな。
ろくに軍事力も無かった朝鮮は余裕こいて倒したが、明国相手にはかなり無謀な挑戦ということか。
身をもって体験したわけかwwww

明   3万
朝鮮 30万
日本 14万←よわっww

朝鮮軍が30万っていうのは、虐殺した民衆がほとんどの数。

310 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 17:47:53 ID:???
>>309
出典なければただの落書き

311 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 18:26:46 ID:???
明は普通に超大国だから日本が苦戦するのは当然。

312 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 20:37:07 ID:???
秀吉は明の内情をあらかじめどれだけ調べてたのかな。
やっぱり勝算の無い秀吉の妄想だったのかな。

313 :名無し三等兵:2010/03/09(火) 21:10:50 ID:???
>>307って馬鹿なの? 参将・遊撃将・副総兵ってのはいずれも
千人単位の兵を指揮する日本側では概ね3万石以上の大名クラスの
指揮官な訳だが。

数百石取りの家臣とくらべてどうするよ。しかもコピペだし。(・∀・)

314 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 04:06:24 ID:???
なんか大友の改易原因が敗走と言うことにされてるとか
変なところで捏造が多いなこのコピペw

315 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 04:20:27 ID:???
祖承訓の先遣部隊は壊滅してるし、李如松は4万の大軍だったわけだが・・・
2倍以上の兵力でぶつかって勝てない方がおかしいのに、それで負けると何がどうなると日本軍が弱いことに…・?w
しかも同数の日本軍と衝突したら激戦の末負けてるがw

316 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 08:36:31 ID:???
>>315
最後のは稷山の戦いだと思うけど、明軍が後退したのは
日本軍に援軍が来たから

317 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 13:51:13 ID:???
で、その間同数で激戦を繰り広げた日本のどこが弱いって?

318 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 13:56:51 ID:???
さぁ、俺はそういうのとは別人なので

319 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 13:57:34 ID:???
>>316
>>315の言う同数激戦というのは碧蹄館だろ。

320 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 13:59:08 ID:???
>>318
そらすまんかった

321 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 15:21:53 ID:???
>>319
あれはもっと別な要因があるし
明軍は相手が壊乱していると誤断してたとか

322 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 16:32:57 ID:???
日本語でおk

323 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 16:42:33 ID:???
根性入れて読め

324 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 16:50:08 ID:???
明軍が動員した兵力はどうみても日本の半分以下でしょ。
半分以下の兵力で何年も日本軍と戦える明軍は強すぎだな。

325 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 17:25:47 ID:???
慶長役後期だと10万はいた

326 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 18:29:31 ID:???
慶長の役での在番日本軍は6万前後で、おまけにその半分は
夫丸や水夫などの非戦闘員。

反面、明軍は輸送や野戦築城に朝鮮の官民を総動員した
ワケだが。(・∀・)

327 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 18:40:34 ID:???
日本の総兵力14万で実質兵力は84000(定数)
一方朝鮮軍は17万、非戦闘員を日本と同じ比率として102000
明は22万、同上で130000

どうみても半分以下なのは日本だが

328 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 19:35:11 ID:???
兵数が少ないってのは誇れることなのかどうなのか。
「少ない割りには強い」ということか。

329 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 19:54:31 ID:???
朝鮮に兵站を求めれる明とは異なり、日本は内地から持ち込まないと
いけないというのは負担でかいよな

330 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 19:59:49 ID:???
いや、日本軍だって朝鮮人から分捕ることができるんだが。

331 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 20:07:52 ID:???
現地の統治組織から提供されるのとは段違いでしょう

332 :名無し三等兵:2010/03/10(水) 20:51:13 ID:???
特に焦土戦術をされると侵攻側はきついからな。占領統治の面から考えても日本は収奪できない。
あと兵数だけで言うなら日本はまだ派遣部隊が本土に大量に待機してた。

しっかし明が出てきてから戦線が膠着状態になったのって
ひょっとしてやる気の無かった武将達が膠着状態を演出したんじゃないか?w
なんかそんな雰囲気がw

333 :名無し三等兵:2010/03/11(木) 00:13:09 ID:???
>>327
朝鮮軍は17万もいたの?

334 :名無し三等兵:2010/03/11(木) 00:55:05 ID:???
明軍22万も多すぎだな。

335 :名無し三等兵:2010/03/11(木) 03:45:46 ID:???
>>333
慌てて強引に動員掛けたんだと

336 :名無し三等兵:2010/03/11(木) 05:02:29 ID:???
>>334
朝鮮の同時代史料ではそうなってるぞ。

337 :名無し三等兵:2010/03/11(木) 19:16:58 ID:???
朝鮮征伐

338 :名無し三等兵:2010/03/12(金) 00:27:41 ID:???
燃黎室記述か
ルイスフロイスも20万と言ってるから明は兵力を喧伝してたのかもな

339 :名無し三等兵:2010/03/12(金) 00:36:23 ID:???
いや、フロイスの書き残してるのは文禄の役だけ。
『燃黎室記述』の方は両役通しての数字だ。

340 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 02:36:37 ID:???
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。
ルイス・フロイス「日本史」


「日本人は支那人よりも勇敢で、
武器ならびに戦術の点で優れており、
数々の面で支那軍の劣勢は疑えない。」

ルイス・フロイス「日本史」

341 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 03:45:31 ID:???
随分と現代日本語が達者なんだな
流石、宣教師

342 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 04:33:25 ID:???
本気で言ってるのか?

343 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 13:56:17 ID:???
しかしまあ日本刀は使いこなすのにスキルがいるから、
明軍において農民あがりの大量動員兵に持たせるにはオススメとは言えないのもまた事実なんだよな
中世西欧でも習熟すれば強いロングボウよりも、誰でも使えるクロスボウが飛び道具のメインだったし
そういや使用者についても、ロングボウ部隊が自作農主体に対してクロスボウ部隊は農民あがりの従者郎党って違いもあるか

344 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 13:58:00 ID:???
>>343
>農民あがりの従者郎党
自己レス、正確には「小作農あがりの従者郎党」だね

345 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 16:53:19 ID:???
和訳者が古ければ古い言葉遣いになってるみたいだぞ

日本人の政治は世界の諸國に就きて予が知るものに勝れり。
デオス(Dios)〔神〕を識らざる國民にして、此の如く完全にして慈悲に適へる法律を有するは忌々しき事と思はる。
此國に於ては前に述べたるが如く、惡事は皆罰するが故に、盗賊少く彼等の爲めに道路の不安なる事全然なし。

346 :名無し三等兵:2010/03/19(金) 23:40:56 ID:???
惡事ってのがいいねえ、ほんとうに悪そうだ w

347 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 00:58:04 ID:???
戦国時代の合戦は
なんでもありな戦いではなかった
足元を攻撃、狙うのは反則とか
背後から攻撃するのはなしとかね
武士で背中に切り傷があったら、お家断絶とか
秀吉の文禄・慶長の役とか
海賊しか実戦経験のない朝鮮軍に結果負けた
殆ど実戦も知らない、軍の組織運用も知らない素人集団の朝鮮軍に対して
初期は圧倒して気散らしたが、「義兵」と呼ばれる民兵の組織が
ゲリラ戦法を行ったせいで日本軍は混乱した
援軍の明も、長い戦国時代を経験し職業軍人も多数いた日本軍の敵ではなかった
武器も日本は射程が長い狙撃用の火縄銃を常備
相手の主力、弓は120メートル程度の日本の弓の300メートル弓よりもショボイ武装
これ程、差があったにも関わらず
ルール無用のゲリラ戦法や日本の武士道のせいで負けた


348 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 03:30:25 ID:???
義兵という言葉に騙されているようだが
ありゃただの大規模な山賊みたいなもんで別に対日本のために動いてたわけじゃないぞw

時代と場所は違うが馬賊や匪賊と似たりよったり
リスクの大きい日本軍襲うのの何倍も自国民を襲ってる


349 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 03:34:53 ID:???
李恒福「白沙集」
秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。

350 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 11:40:36 ID:???
>>348
朝鮮腐敗の温床として悪名高い両藩に率いられて対日ゲリラもいたから
いちがいに山賊ともいえない

どっちにしろ現代的な義勇兵とは全然違うものだが

351 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 12:37:45 ID:???
義勇兵というより日本軍が火事でそれに乗じて火事場泥棒してる連中かw?
日本勢に仲間を捕縛して、投降してきた奴とかもいるね。
2王子捕縛して清正の陣に連れてきたのは朝鮮人だったね。



352 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 16:06:31 ID:???
秀吉死ななければまた違った展開になっただろうな。
だが決してあんまりいい結果にはならなかっただろうと思えるがどうか?

それとも朝鮮半島南部は日本が領有したほうが日本民族のためなったかな?

353 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 16:41:50 ID:???
>>352
秀吉が死ぬ前に朝鮮南部を確保してれば、たとえ徳川が史実通り跡を継いだにしても
あっさり放棄するはずもなく、江戸在府の代わりに諸大名の軍役として朝鮮在番が
課されたんじゃないかねぇ。

とすれば、対中国との関係にも依るけど、準戦時体制が継続されるから、町人文化が
花開くってことはなかったかもしれんが、逆に鎖国もなかっただろうから文化的には一長一短、
経済的には悪くなかったような気がする。
また、東南アジアの日本人町ネットワークも維持されただろうし、日中間の中継貿易の旨みが
なければ東南アジアのヨーロッパ人による植民地化はなかったか、少なくとも限られたんじゃ
なかろうか。

それに、なにより韓国人なんてモノも発生しないしナー(・∀・)


354 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 16:50:17 ID:???
うーむ。
大国である明や清を相手に朝鮮でずっと戦時体制を続けられるほど日本軍は強くないと思うんだよね。

そんな負担を抱え込むのはいい選択とは考えられない。

355 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 16:54:53 ID:???
>>354
へ?なんで?

356 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 16:57:21 ID:???
日本による朝鮮半島への軍事的な干渉が実を結んだことが史上一度でもあったら教えてくれよ。

357 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 17:25:49 ID:???
三韓征伐?

358 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 17:31:23 ID:???
>>356
4世紀からの朝鮮半島への軍事関与は、鉄資源の確保、中国との通行路の確保という意味で一定の成果を
収めてるだろ。これが7世紀になるともう半島に直接関わるメリットはなくなってるし。
文禄・慶長の役は当時の拡大路線からすれば否定されるものではないし、農本主義より重商路線の秀吉の方が
後の徳川幕府のじり貧ぶりを見れば国家経営としては正解だったろう。
日清・日露戦争はロシアの南下阻止と言う点で必要だったし、また十分な成果を上げた。しかし韓国を併合したのは
重大な失敗だったな。駐兵権を得ればそれで充分だったわな。

359 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 18:24:26 ID:???
朝鮮民衆の猛烈な抵抗で早々に維持できなくなると思うけどな。

360 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 18:41:43 ID:???
義兵伝説キター(・∀・)

文禄の役では漢城に集結した日本軍の内1/4は朝鮮人だったし、慶長の役では
免死帖の発給を受けた帰順者も明・朝鮮が危惧するほどいたワケだ。

361 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 19:22:10 ID:???
朝鮮半島はいわば峠道だからなぁ
旨みの無い土地だけど交通の要衝だから大陸に大国ができると無視する訳にもいかなくなる

362 :名無し三等兵:2010/03/21(日) 06:00:39 ID:???
李恒福「白沙集」
秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。

363 :名無し三等兵:2010/03/21(日) 09:15:32 ID:???
なんでこれつけるの?→(・∀・)

364 :名無し三等兵:2010/03/21(日) 18:07:12 ID:???

日本から来ますた
            征服しに来ますた
                        茶器作りに来ますた
                                     戦争しに来ますた
(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)(・∀・)

          ザ
                       ザ
                                       ザ

        |ヽ、  | ヽ
       /  ヽ─┴ ヽ      
.     /(;;゚\)ll(;;/゚)\  チョパァリィィィィィ!!!!
    /   ⌒(__人__)⌒ \ qあwせdrftgyふじこlp
    <  ノ(  |r┬- | u   >
     \ ⌒  |r l |     /
    ノ  u   `ー'    \

365 :360:2010/03/21(日) 19:30:12 ID:???
>>346
ワロター 茶器づくり(・∀・)イイ!!

366 :名無し三等兵:2010/03/21(日) 19:31:51 ID:???
あ、
× >>346
○ >>364

367 :名無し三等兵:2010/03/22(月) 14:22:05 ID:???
義兵って一部の人が考えてるようなゲリラじゃなくて
三國志とかで侠客や役人が徴募してたようなものじゃないの?
一旗揚げよう的な


368 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 01:33:55 ID:???
>>358
そりゃ、百済や伽耶といった同盟国家が存在してるのが大きいだろうな。
戦前以来の通説から脱却した1980年代以降の歴史学の観点からみると倭国の兵
っていうのは一種の輸出品だったみたいだ。


369 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 02:42:30 ID:???
日本にいる米軍みたいなものかね?

370 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 04:22:04 ID:???
李恒福「白沙集」
秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。

371 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 11:42:46 ID:???
ところで今更ながら基礎的な質問ですまないけど、
文禄・慶長それぞれの日本側による半島の上陸作戦はどんな展開だったのかな?
守備隊をあっさりスルーできたのか、守備隊を余裕で撃破してたのか?
同じ上陸展開でもポジションが逆な元寇では日本側の守備隊が元軍をあっさり捕捉・殲滅してたから、
そのあたりの事情がどうだったのかちょっと気になってね

372 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 12:22:08 ID:???
文禄…事前の情報があったはずなのに、直前まで朝鮮側の守備隊隊長も気付かなかったという大失態により、奇襲に成功
慶長…休戦間も半島南部に拠点を維持していたので特に問題無し

373 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 12:39:33 ID:???
>>368
>戦前以来の通説から脱却した1980年代以降の歴史学の観点からみると倭国の兵
>っていうのは一種の輸出品だったみたいだ。

|∀・).ニヤニヤ

374 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 13:03:27 ID:???
文禄の時の事前情報っていうのは、副使が「日本はせめてきません」っていって疎かになってたよね
正使が「日本は侵略してきます!」って行ったけれど、彼らが日本に来ている間に
正使と副使の派閥の力関係が副使側のが大きくなって、副使の言い分が通ったのさ!
未曾有の国難の際にも国がまとまってなかったのねん

375 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:01:08 ID:???
>>369
倭国の奴隷兵を三国が戦争に使用してたってだけ。

376 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:02:05 ID:???
>>371
文禄の役は、無防備の朝鮮に突然の奇襲をかけたように一般的には認識されているけれど、
釜山城は守兵6千を擁し、城壁の周囲には壕を堀り、海浜から城までは対騎兵用の釘を敷くなど、
それなりに防備は固めていた。また、当日は日本軍船の接近も事前に察知している。

小西軍は午前4時頃に上陸して釜山城を攻囲し、降服勧告を試みるも受け入れられなかったので
6時頃から力攻めを開始して8時頃までのわずか2時間ほどで釜山は落城。朝鮮水軍の拠点の
慶尚道右水営、左水営は釜山のあまりにあっけない落城を知っていずれも軍船を自ら焼き
守将は慌てふためいて逃亡、という感じだな。

377 :371:2010/03/23(火) 14:04:01 ID:???
>>372>>374
回答ありがトン。文禄では朝鮮政府が内紛でgdgdだったから防衛以前の問題で、
慶長では拠点を維持してたので上陸戦自体が発生しなかった訳か

378 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:05:04 ID:???
>>375

|∀・).。oO(  NHKの朝鮮半島2000年で韓国の学者とやらが顔を真っ赤にして傭兵説を力説してたよな〜

379 :371、377:2010/03/23(火) 14:14:30 ID:???
あ、入れ違いになっちゃった。
>>376
朝鮮側は上層部はともかく、少なくとも現場ではちゃんと防備を固めてた訳か
ここで別の疑問。上陸阻止にあたって、鎌倉武士みたく海岸線で討って出るのと、
上記の朝鮮軍みたく城塞に篭るのとでは、やっぱ後者が数段楽なのかな?
だとしたら、それでもあっさり惨敗してしまうあたりが半島クオリティというべきか

380 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:21:05 ID:???
20日ほどでかーるく漢城が落ちたんだから、よっぽど防衛体制が整わなかったんだろうな。無理も無い
しかも、宣祖は漢城を捨てて北へ逃げ去り、日本軍の侵攻に乗じて民衆は都を荒らしまわってたわけかw
おもしろいくらいに侵攻が進んだせいで、すとーんと転んで漢城まで下がって講和か
李如松率いる明軍が碧諦館までに戦ったのって小西隊だけ?

381 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 14:42:36 ID:???
>>379
負けた理由の一つとして火縄銃の火力があったのは事実

382 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 17:04:27 ID:???
一方、明軍は大砲を使ってたトサ!


383 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 17:35:05 ID:???
城攻めはともかく野戦では密集しない当時の日本軍には役に立たなかった

384 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 18:11:14 ID:???
密集しないというが、何かしら密集する場面ってのは出てくるもんだ。
ただし当時の大砲って大した破壊力はなかったとか?ちがうの?

385 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 18:13:23 ID:???
>>376
幸州城や晋州城の抵抗っぷり
とは雲泥の差だな

386 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 18:52:42 ID:???
>>384
欧州や中華とは「密集」のレベルが全く異なる

387 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 19:22:41 ID:???
>>385
ま、幸州山城は山城、晋州城は半山城だからな。日本国内の戦でも
山城を短期間に力攻する例はあまりない。

逆に言えば、日本勢からすれば朝鮮式の邑城攻略は城攻めというに
値しないレベルのものだったんだろう。

388 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 19:31:30 ID:???
>>376
>ここで別の疑問。上陸阻止にあたって、鎌倉武士みたく海岸線で討って出るのと、
>上記の朝鮮軍みたく城塞に篭るのとでは、やっぱ後者が数段楽なのかな?

それは当然だな。実際に元寇でも、文永の役では日本側は敗退して水城のラインまで退いている。
弘安の役では防塁を築いていたので海岸で阻止できたわけだ。

389 :名無し三等兵:2010/03/23(火) 21:13:19 ID:???
今テレ東で朝鮮の鉄砲の事やってた
箭銃っていう明国から伝わった火薬の力で弓矢を発射する兵器があったけど、火縄銃の前に敗れ去ったとさ

390 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 01:33:17 ID:???
>>388
文永の役で水城に引いたのは敗退したわけじゃないだろ
日が暮れて拠点に戻っただけなのでは


391 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 04:18:11 ID:???
文永の役での最前線はこんな感じ
敗退してるのは元軍のほうだな
むろん弘安の時ほど圧倒的な力の差で武士が勝ってるわけじゃないけど

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

392 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 04:20:33 ID:???
帝王編年記
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。
於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々」

393 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 04:25:41 ID:???
>>391
元寇スレでやれよ、お前ほんとアホだな

394 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:02:18 ID:???
アホは>>388だろ

395 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:03:58 ID:???
便乗する奴も相当馬鹿だと思うがねw

396 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:06:25 ID:???
393 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 04:25:41 ID:???
>>391
元寇スレでやれよ、お前ほんとアホだな 『心の声:元寇スレでなければ嘘がバレないと思ったのに!余計なことスンナ(涙目)』

397 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:11:03 ID:???
>>396
つまんねーキモヲタだなw

398 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:14:27 ID:???
ま、自己顕彰の蒙古襲来絵詞の詞書きを引いて、博多が灰燼に帰した文永の役を
日本軍の勝利!というのは、李舜臣の乱中日記を引き合いに、壬辰倭乱は焦土と
化したウリナラの大勝利!という程度にはアホだな。

399 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 05:19:08 ID:???
スレ違いってのわからんのか?つか、文永の役なんて今どうだっていいんだよ


400 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 15:57:40 ID:???
>>398
>博多が灰燼に帰した文永の役を
ハイまたダウト
>>371からの流れで>>388が無知をさらしたのがそもそもの脱線の原因なのに
またそういうでたらめを言う

博多が燃えたなどと書かれた一次資料は存在しない

401 :名無し三等兵:2010/03/24(水) 16:00:55 ID:???
で、確かにスレ違いの話をここでするのはこっちだって本意ではないので>>398>>388はこっちへおいでw
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1259852075/
まこっちで論破されて逃げだしたサヨク史観がここへ来てんのかもしれんけどさ

402 :名無し三等兵:2010/03/25(木) 16:46:14 ID:???
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。

第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。

実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。

403 :名無し三等兵:2010/03/31(水) 14:33:53 ID:???
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、これを聞こうとする者はいなかった。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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