日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名 現在5万筆超です。 120万人という人口の1%を目標とすればまだまだかもしれませんが、これから署名を取り組んでくださるといってくださっている方も多いです。まだまだこれから! 1人でも多くの意思を結集し、活かしていきたいと思っています。 第3次集約は5月末とさせていただきました。 署名をまだされていない方は、ぜひともご協力下さい。 |
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3月29日に大阪府堺市議会で意見書が可決されました! 26日に大阪府吹田市議会で意見書が可決、24日には京都府向日市議会で、23日に千葉県我孫子市議会で、16日に埼玉県ふじみ野市議会で意見書が可決されています。意見書ではありませんが、3月19日には岡山市議会で決議が上がっています。これまで全国で21もの地方自治体議会で、意見書・決議があげられたことになります。 ※我孫子市議会の意見書について、誤って案文のものを掲載していました。3月28日に正しい文章をアップしています。 慶南・チャンウォン市(1/12)、全北・チョンウプ市(1/15)、慶南・ハプチョン市(1/21)、全北・チョンジュ市(1/27)、全南・モッポ市(2/1)、インチョン南区(2/5)、京畿・アンサン市(2/24)、京畿・ソンナム市(2/26)、ウルサン南区(3/4)、京畿・ハナム市(3/4)、慶南・ヤンサン市(3/15)。 これで韓国では16の地方議会で決議が上がっていることになります。また23日にはウルサン広域市でも決議が採択される予定だそうです。 韓国では日本で意見書が上がっていることを受けて、「これは我々の問題」と受け止めた市民が地方議会で決議を上げるようにと一生懸命がんばっておられます。もちろん私たちにとってすれば、この問題は加害国に住む私たち自身の問題です。韓国に住む市民に負けぬよう、私たちもがんばりましょう! |
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被害者はいつまで声高に叫ばなくてはいけないのか
~ナヌムの家スタッフ・村山一兵さんをお迎えして~
2010年2月14日にウエスティー(堺市立西文化会館)にて、日本軍「慰安婦」被害者に寄り添っている日本人男性支援者をお呼びしたつどいがありました。韓国「ナヌムの家」のスタッフであり、併設されている日本軍「慰安婦」歴史館の研究員でもある村山一兵さんです。
「慰安所」がどこにあったのかを地図で指し示し、被害者であるハルモニたちが多く連れて行かれた中国だけでなく、フィリピン・マレーシア・インドネシア・東ティモール・パプアニューギニアなど、非常に広範囲にわたっていることから、被害者たちはどうやっていったのかを考えてほしい、軍による管理下だから「慰安所」を作り、被害者を連れて行くことができたといえるのではないかと訴えられました。
被害を受けたハルモニたちは名乗りを上げた234人から、87人に、そして一人亡くなられて2月14日時点でもう86人になったことや、朝鮮民主主義人民共和国でも名乗られたハルモニは218人から40名だけしか生存者がいないことを聞くと、時間がないことを改めて実感しました。
「ナヌムの家」には年間日本人が2000人ほど来ているらしいのですが、ハルモニはそれはそれで喜んではいるのですが、「それでも未だに声高に叫ばなくてはいけないのか」という痛切な思いを聞くと、私たち日本人は何をやっているのかと痛烈に自問自答せざるをえませんでした。
被害者のお年を思うと、もう数年で解決しなければ、顔向けできないです。
政権交代のこの機に解決への道筋をつけなければいけないません。なんとしても真の解決を目指しましょう。
【以下は村山さんの講演から、主に後半部分です】
私は神奈川県川崎市の出身です。このようなことに関心を持った最初のキッカケは、私が高校3年生の時の友人に在日朝鮮人がいまして、その友人との関わりの中で、朝鮮と日本の関係や歴史を考えるようになりました。僕と友だちになった彼は朝鮮名で生きてきたわけですけど、彼が日本で暮らしていること、どうやって暮らしてきたのか、そこにどういう差別があったのかとか、そういうことを知る中で「どうして今まで私はそういうことを考えてこなかったのか」と自問自答したのが最初でした。
2003年から1年間韓国に留学しました。でも「慰安婦」被害者のハルモニたちに出逢うのはまだまだ先なんです。留学した当初は、ナヌムの家に行くことが出来ませんでした。ナヌムの家に行った友だちもいたんですけど、最初は正直言って「行っていいのかなあ」と私は思ってました。なんかすごく肩が重いというか、……難しかったですね。最初にナヌムの家に行ったときも、自分にとってハルモニが遠いというか。帰ってからも周囲にハルモニのことを話すことは出来ませんでした。で、これはおかしいなあと思って。
実際ナヌムの家を訪問する日本人は多いんですよね。年間2千人を超えてますから、それが10年、20年で考えたら。これまでとてもたくさんの人がナヌムの家を訪れていることになります。
そういう意味で、ハルモニたちは日本の人たちと出会っています。ハルモニたちは91年からずっと証言し、訴えて続けているのに、なんで今になってもこの問題を解決しようと叫ばなくてはいけないのですか。たくさんの日本人が来ているけど、ハルモニに会ったということだけで終わっている人も多いんじゃないかなあと思ったのです。だから僕がナヌムの家に通おうと思ったのは、これで遠くなっちゃいけないんじゃないのかなあと思ったからなのです。
今、韓流ブームとかがあって、韓国でもよくそういう方に出会うんですけれど、そういう人の中にはむしろ逆に歴史を遠ざける人もいます。でも両方の目を持つことが必要なんじゃないでしょうか?
2006年からナヌムの家で働きだしてもうじき4年。被害者の方々の様々な面を知りました。それまで「慰安婦」被害者、ハルモニとひとくくりに思っていたもの……それがひとりひとりのハルモニの笑顔とか、怒っている姿とかに出会っていく中で、ひとりひとりの個性や人生が見えてきて……、そして僕にとってはひとりひとりのハルモニになってくるわけです。だからそういう部分で、出会ってくるというか、向き合っていく過程が大事なんじゃないかと思うようになりました。
ハルモニたちも個人の人間ですし、ひとりの女性でもあるし、ひとりのおばあさんでもあるし、ひとりの朝鮮人でもあるわけです。そういう多様な面のあるハルモニたちに、僕自身が出会って、そして僕自身が何をしなければならないかというと、「慰安婦」被害を伝えなきゃならないわけですよ、歴史館で。さらにはハルモニたちの思いとか、また通訳としてその重い言葉をどうやって伝えていこうかなあと悩むわけです。
私も日本からきて、戦争を知らない世代で、さらには男性で、性的暴力の問題をどれだけ考えてきたかなあとか思うわけです。ナヌムの家で暮らす中で、僕は自分を変えなきゃなあと思い始めるわけです。
実際ハルモニたちが抱えている性的暴力の被害の傷の深さとか考えると、とても悩まされます。よく被害の証言の中でも……、例えば姜日出ハルモニの証言でもですね、「胸に刺さったくさびを抜いて欲しい」と言うわけですね。そのくさびを抜けるのは誰なのかということを悩みます。そういう被害に向き合うときに、それが自分の中に実感がどれほどあるのかなあと振り返ってみる。そういうのがとても大事だと思います。
ハルモニ自身も僕のことを知ります。知っていかないと関係性が出来ていかないですから。そして僕もハルモニと関係性を築く中で、僕が誰でどういう人でということをもう一度考え直さざるを得ないわけです。
朝鮮と日本の歴史の中で、こういう「慰安婦」被害のことがあったというのは、僕も本当は知ってたはずなんですね。だけど「なんでナヌムの家に行くのが恐かったのかなあ」と考えると、遠いと思ってたりとか、僕自身が避けようとしていたところがあったのかなあと思うわけですよね。
「慰安婦」被害者の方は90年代になって被害を明かしていくわけですけど、でも実際にはそれ以前から見つかっている「被害者」の方もいらっしゃるわけですよね。70年代に沖縄で見つかったペ・ポンギハルモニという方もいらっしゃいますし、日本の女性だって80年代に城田すず子さんという方が被害を明かしているわけですよ。ですから「慰安婦」被害者の方々は、以前からずっと声を上げてきてくださったと僕は思うのです。なんで「隠されてきた」となってきたのかと考えると、やはり私たちが「知らない」ようにしてきたのだと思います。
今も会場の外で日の丸を振っている人があれこれ言っていますが(その時、会場の外では在特会等などが抗議行動を行っていました)、なんでハルモニが日本に来てああいう声を聞かなくちゃいけないのかなあと思うわけですよね。で、ああゆう人たちが日頃から「慰安婦」問題を否定するような事を訴えているかというと、被害者が来たらここぞとばかり出てきて差別的なことをああだこうだというわけですけど、本当は隠したいんですよね。消したいと、一生懸命。このことは聞きたくない、見たくないと。そういうふうに僕には聞こえます。いくら被害者が慰安婦被害の傷みを訴えても、その声はずっと日本社会の中で消されてきた。ですから今でも「慰安婦」といわれて、性的な暴力の被害なのに「慰安だ慰安だ」と言い続けるのかなあということも、男性として考える必要があるんじゃないかなあと思うんですね。
「慰安所」は軍隊が命令して作ったわけですよ。そして日本の兵隊が、戦争で人を殺して強姦して、そして「慰安所」で性的暴力をしてきた歴史があるわけです。私のおじいさんの世代は戦争をしてきたことは事実なんですね。だからそういうことに向き合うのは恐いんだけれど、でもそれを知った上で、アジアの人たちと手を繋いでいくことが必要じゃないかなあと思うわけです。 なぜ暴力をした側が出てこれないんでしょう。被害者の方は、「言いたくない」とか「恥ずかしい」と思いながらも、一生懸命声を上げてきたわけですよ。そういう訴えに対して(在特会等の)心ない差別の声が今でも出されるときに、「なんで暴力をした側は今でも問われないんだろう」と思わざるを得ません。僕は日本の男性だからこそ、性暴力の問題に「おかしいんじゃないか」という声を上げなきゃいけないんじゃないかなあと思います。
痴漢の被害を受けたりとか、あるいは友人関係とか恋人関係の中で性的な嫌な思いをしたり、傷つけられたり……、僕も含めて他者を傷つけてしまったこともあると思うんです。そういう中で「慰安婦」被害のことを学ぼうとしても、なかなか被害に向き合えないというのは現実です。「被害者はお金をもらっていたから」とか「商売として自分で行った」とか主張し、被害の事実を否定する声があります。そういう間違った主張で「ああそうか」と納得する人があまりにも多いです。
自分の生活の中での、性のあり方とか、男女の関係だったりとか、あるいは朝鮮と日本の関係だったりとか、そういうことにひとつひとつ向き合うことでしか、「慰安婦」被害のことを学ぶとか、加害の歴史を振り返ること、清算するは出来ないんじゃないでしょうか。
男性自身が「慰安婦問題」をどう取り組むか問われたときに、臆してしまう人が多いんですけれど、やはり男性が問われるところがすごくあると思うんですよね。性的暴力の被害の深さを学ぶ中で、何が奪われて、何が傷つけられたのかということを一生懸命考えるということがすごく大事です。
僕自身が男性として生きてきた中で、どう生きてきたんだろうとかですね、そういうなかでフーゾクとかアダルトビデオ・ポルノがたくさん溢れている日本社会の中で、「慰安婦」被害の話を伝えようとしても、結局女性の側に問題があるかのように言われて、……男性としての向き合い方もあると思うんですよね。そういうふうに自分を変えていきながら向き合っていくことも大事なんじゃないかなあと思います。
今、被害者は高齢になっている方たちが多いです。ですから今こそ日本から声を上げるべきだと思うのですよ。被害者の方たちは20年近く声を上げ続けてきてですね、本も出されて裁判もして、それでも否定されてきて、「もういいたくない」という方たちがあまりにも多い。ハルモニたちの思いを今に繋いでいくのは誰の責任かといったら、被害者の方たちと向き合っていける私たちではないかと思うのですよ。だから日本の中での加害の問題、そして被害の問題も含めて、勇気を持って一歩踏み込んで向き合っていくことから始まるんじゃないか。わたしはナヌムの家の中で被害者と関係を築いて向き合っていきたいと思っていますが、日本の中でも声を上げることが第一歩じゃないかなあと思います。
最近日本の自治体議会から意見書が出されています。実際これまで国連であるとか、女性国際戦犯法廷であるとかですね、もしくはアメリカやEUなどの決議とか、国際社会からは何度も何度も「この問題に向き合え」と言われてきてるんですね。それに対してどう応えるかというときに、日本の地方自治体の意見書というのはとても有効です。声を集めていくというのは、政権を変える原動力になるわけです。ハルモニたちもこの事は敏感に受け止めています。
そして意見書が上がったとか、あるいは日本の方が来たとか、――ハルモニたちのことを伝えていきたい人々がいるということは、ハルモニたちにとって希望になります。
ハルモニたちはみな、自分が亡くなった後にどうなるんだろうと心配されてるんですね。そういうなかで「これからも私たちはこの問題を考えていくんだよ」「もう二度とこういうことはしないんだ」という希望に繋がっていく中で、市の意見書というのは重さがある。そういう意味でも、日本の各地でなんとか意見書を可決して欲しいです。
ハルモニたちの限られた時間はあと数年ですよ、ハッキリ言って。ハルモニだけじゃなく、「慰安婦」被害者すべてがそうです。中国や台湾、フィリピンなど、全ての「慰安婦」被害者に時間がありません。この限られた時間の中でなにが出来るんだろうと考えて、なんとか前進させていって欲しいです。そのためにも、まずは声を上げていくことです。
「慰安婦」問題の解決に向け、取り組まれている署名運動を案内しています。
署名用紙をダウンロードするなどして、ぜひとも署名にご協力下さい。
日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名
<特設サイトはこちら>
1991年、韓国の金学順(キムハクスン)さんが元「慰安婦」として名乗り出られて以来、各国の多くの被害女性たちが声をあげました。若い日にだまされ、あるいは暴力で日本軍の「慰安所」に監禁され、想像を絶する苦しみを受けた被害者たちの多くはすでに亡くなり、残された方も今はもう80代90代の高齢になられています。1993年に河野洋平官房長官(当時)が、調査結果に基づき「お詫びと反省の気持ちを申し上げる。そのような気持ちを我が国としてどのように表すかについては、今後とも真剣に検討すべきもの」との談話を発表しましたが、その後、なんら進展がありません。私たちが加害国の一員として、また人間として、誠意を表すことのできる時間はもうあまり残されていません。
政権交代が実現した今こそ、日本軍「慰安婦」問題を解決させる法律を早期に成立させましょう。日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名全国実行委員会
衆議院・参議院あて請願署名
「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の早期成立を求める請願署名
戦時性的強制被害者(いわゆる「慰安婦」)問題が、日本の国会で1990年に取り上げられてからすでに17年の歳月が経過しましたが、問題はいまだに解決をみておりません。各国各地で名乗り出た高齢の被害者は、日本との和解を果たせず、深い「恨」(ハン)を抱いたまま無念の中に他界するケースが急増しています。
事態を憂慮した国際社会から、すみやかな対応を促す助言があいついでいます。昨年(2007年)、米国議会下院、オランダ国会下院、カナダ国会下院、欧州議会などで決議が採択され、今年3月にはフィリピン議会下院外交委員会も2005年に続く2度目の決議を採択しました。台湾立法院は2002年、韓国国会も2003年に同趣旨の決議を採択しています。また国連やILOなどの国際的な人権擁護機構からも繰り返し、勧告・指摘を受けてきています。
日本の行政府・司法府が15年以上かかって解決できていない深刻な人権問題の解決にこそ立法府が動くべきです。国権の最高機関である立法府の全党派・国会議員の皆様が真剣に取り組み、「国際社会において名誉ある地位を占める」ことができますよう、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を審議し、早期に成立させていただけますことを要請します。「戦時性的強制被害者問題解決促進法」の立法を求める連絡会議
署名用紙 (PDFファイル 9KB)
法律案はこちら
大阪府・北摂の議会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題解決について、北摂の議会に意見書提出を求める請願書
日本政府は戦後63年たった今も、日本軍「慰安婦」問題を解決していません。1993年に河野洋平官房長官(当時)が「お詫びと反省の気持ちを申し上げる」という談話を発表しましたが、これは政府の公式発言とはいえず、また謝罪にともなう賠償はおこなわれていません。それどころか、2007年、安倍晋三首相(当時)は国会の場で「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという狭義の強制連行はなかった」と事実を否定する発言を行い、女性たちを日本軍の性奴隷にしたことを反省すらしていません。
2007年、このような事態を憂慮してアメリカ、オランダ、カナダ、EU議会は、日本政府が公式謝罪するように決議を採択し、2008年3月にはフィリピン下院外交委員会でも採択されました。また国連やILOなどの国際機関からも繰り返し勧告・指摘を受けています。いまこそ、日本政府に誠実な対応を求めましょう。
被害女性たちはすでに高齢になられ、生きている間に人間の尊厳を取り戻したいと、日本政府に公式謝罪を求めています。
つきましては貴議会が、地方自治法第99条の規定により、日本政府に対して河野談話を踏まえ、
1、被害者に対して公式に謝罪し、尊厳回復に努めること、
2、政府として個人に補償すること、
3、日本軍「慰安婦」問題の真相究明をおこなうこと、
4、歴史の真実を学校で教えること、
以上の意見書を採択してください。「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク
署名用紙 (PDFファイル 103KB)
神戸市会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める署名![]()
私たちは、このようなひどい戦争犯罪を二度と繰り返したくありません。しかし、日本国内では平和憲法を改悪して戦争できる国にしようという動きも顕著です。私たち一人一人が自分の課題としてこの問題を学び、周りの人々に知らせることが、戦争実態卯を明らかにし、戦争への道を閉ざす大きな一歩になります。歴史教科書に「慰安婦」記述を復活させて、子どもたちが、平和を愛し、人権を大切にする人に育つように、私たちの願いを伝えていきましょう。
神戸市会は日本政府に対して、日本軍「慰安婦」問題に関して、以下の3点について、早期に実現するよう意見書を出してください。
1.日本軍「慰安婦」被害者と遺族に対して、立法によって公式に謝罪し賠償すること
2.日本軍「慰安婦」問題の真相究明をすること
3.日本軍「慰安婦」問題を、歴史教科書に記述し正しく教育すること日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会
署名用紙 (PDFファイル 103KB)
大阪市会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題について日本政府へ早期解決を求めるための大阪市会への請願署名![]()
「慰安婦」問題について、日本政府は1993年「河野談話」において調査の結果、軍の関与の下で多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたことを表明し、その後の首相もこの河野談話を継承すると言いつづけてきました。しかし政府は、これまで超党派で提出してきた「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」をことごとく廃案にし「慰安婦」問題に対して何ら誠意ある対応をしてきませんでした。
2007年アメリカ下院議会が全会一致で「日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」ことを「公式に認め」「謝罪する」よう日本政府に求める決議を採択しましたが、当時の麻生外務大臣は安倍首相とともに「客観的事実にもとづいていない」「決議があったからといって謝罪することはない」と、これを無視しました。河野談話を継承するということと矛盾する態度です。
その後も、オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾が同様の決議を上げ、ILOや国連人権理事会などの国際機関も早期解決と謝罪を求める勧告を行っています。このように、日本政府が日本軍「慰安婦」被害女性に対して、いまだに公式に謝罪もぜず、賠償もせず、真相究明しないばかりか、教科書からもその記述を消し去って、無かったことにしようとしていることに対し、世界中で批判の声が高まっています。
「慰安婦」にされた方々は、すでに高齢になられ、尊厳を踏みにじられたまま多くの方々が亡くなられています。一日も早い政府の公式な謝罪と補償が求められています。
私たちは、大阪市会として、日本政府に対し、以下の点を実現する内容の意見書を可決していただくよう、請願いたします。
1.日本軍「慰安婦」問題の真相究明をすること。
2.日本軍「慰安婦」被害者に対して、公式に謝罪し、尊厳回復をおこなうこと。
3.日本軍「慰安婦」の被害者に対して、国家として補償すること。
4.日本軍「慰安婦」問題を歴史教科書に記述すること。大阪市会で「慰安婦」意見書を求める会
署名用紙 (PDFファイル 128KB)
「戦争と女性の人権博物館」建設を求めるソウル市あて署名
韓国挺身隊問題対策協議会が「慰安婦」被害者の被害と闘いの歴史を伝え、世界中で今も続く女性に対する暴力を根絶するための展示と活動をする拠点として、建設を推進してきた「戦争と女性の人権博物館」に対し、2008年11月3日、光復会をはじめとする独立運動関連団体が建設反対の声明を出し、会見を開きました。この博物館が西大門独立公園内に建築許可を取ったことに対する抗議で、「独立運動家と独立運動を汚す『殉国先烈に対する名誉毀損』」だと述べています。
日本政府が、「慰安婦」問題に対し、なすべき責任を取っていないために、このような主張が被害女性の生きる国で噴出していることに胸を痛めつつ、責任を負うべき国に生きる者として、独立運動関連団体が主張を撤回し、ソウル市はひるむことなく博物館建設を推進するよう求める署名を募っています。「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会
日本建設委員会の署名サイト(外部リンク)
署名用紙 (PDFファイル 10KB)
「戦争と女性の人権博物館」についての当サイトでの案内はこちら
「戦争と女性の人権博物館」の案内 (PDFファイル 747KB)
2008年11月3日の建設反対の動きに対する抗議等はこちら
日時 集会名 場所 主催団体 チラシ
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