日めくり芸能界 4月
【98年4月6日】負債総額5億円!岸部四郎、自己破産で“ルックルックさようなら”
蓄財家として知られ、高級ブランド「エルメス」のアタッシェケース(100万円)がトレードマーク。だが、そんな羽振りのいい姿は、既に過去のものだった。タレントの岸部四郎(48)が事業の失敗から不渡り手形を出し、13年間司会を務めた日本テレビ「ルックルックこんにちは」(月〜金曜前8・30)を、この日限りで急きょ降板した。日テレに降板を申し入れた際、視聴者に別れのあいさつすることを望んだが、聞き入れられなかったという。
岸部はバブル時代は手広く事業を展開。88年には会員制のヘリコプター運航委託会社の共同経営に乗り出し、翌89年にはロサンゼルスで10億円のディスコを買収。東京・青山には趣味の骨とう品店もオープンし、一時は高額納税者ランキングの常連だった。
4月8日には代理人弁護士が会見を開いた。当時の岸部の負債総額は計5億2000万円。後に岸部はこの額を訂正するなどしているが、当時の弁護士の話によると「(岸部個人の)借金は約3億6000万円。税金の滞納分が6000万円あり、ほかに未集計分の負債も1億円弱」。債権者の数は法人と個人を合わせて計69にも上った。「ルックルック…」の司会の報酬は年俸1億円。だが、月々の利子は1200万円で、元本返済はままならない状況だった。
岸部が借金をし始めたのは前夫人と離婚した86年8月。その際、岸部は共有財産のすべてを前夫人に贈与し、さらに1男1女のために月々120万円の生活費、養育費を支払うことを約束。だが、岸部の当時の仕事の収入は手取りでちょうど120万円。この時点から生活のために借金をせざるを得ない状態になったという。
さらに致命傷となったのは前年4月、ザ・タイガースの僚友だった森本太郎が事業に失敗したこと。岸部は連帯保証人だったため、負債を激増させる結果となった。森本は自己破産したが、岸部は「なんとか返済したい」と金策に走り回った。結果、月に6〜30%もの利息が伴うヤミ金融にまで手を出し、借金は雪だるま式にふくらんだ。岸部は同年4月6日に東京地裁に自己破産を申し立て、1年後の翌年3月に宣告された。
「自宅にかかってくる取り立ての電話でノイローゼ気味だった」。ワイドショーで岸部が明かした話によると、94年に再婚した妻・小緒理さんとともに命を絶つことも考えたという。その後は、タレントとしての再起を図り、自己破産を逆手に取った自虐ネタで単発のドラマに出演したり、屋台ラーメンを開業したり…。だが、かつての輝きには程遠かった。
“破産キャラ”で自虐ネタを語ることが板についてきた02年には関西銀行(現・関西アーバン銀行)の個人向け無担保ローン「ビンゴローン」のCMに声だけで出演。「お金は借りないのが1番。借りるなら賢く借りる。ま、私が言うても説得力ゼロですが…」。淡々と、自嘲気味に語るナレーションは、何とも言えない説得力をかもし出していた。
◎岸部四郎(きしべ・しろう) 1949年(昭24)6月7日、京都生まれ。沢田研二らとグループサウンズ「ザ・タイガース」で活動。同グループ解散後はタレントに転じた。テレビ「父子鷹」「西遊記」などに出演。蓄財家として知られ、83年にノウハウ本「暗くならずにお金が貯まる」を出版。84年10月から「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)の司会者を13年間担当したが、98年、借金問題が表面化し降板した。私生活では85年に14年間連れ添った展子夫人と離婚し、94年に13歳年下の小緒理と再婚。だが、07年5月に小緒理さんと死別。
PR