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外国人学校の中で朝鮮学校のみが4月からの高校実質無償化対象から外されたこと、朝鮮学校のみが「第三者機関」の審議対象となることは、改めて言うまでもないことである。問題点は山のようにあるが、これが、日本国家による朝鮮学校への差別の公認であること、そしてこの措置が朝鮮学校や在日朝鮮人への社会的な差別や排外主義を後押しする効果を持つことも、明らかである。
なぜわざわざこんな当たり前のことを書くかというと、世の中には私たちの想像の限界を超える発想を行う人間がいることを改めて痛感し、そしてそのような発想に基づいた発言が公的な雑誌に掲載される以上、それを切り捨てることなく少なくとも一定の妥当性を持つと考え、頒布したいと考える人間も存在するということであるがゆえに、そのような悪質な発言の社会的効果もあながち馬鹿にできないかもしれないと危惧するからである。 『金曜日』最新号(2010年4月2日号)において、在日朝鮮人の韓東賢(ハン・トンヒョン)は、「朝鮮高校の「実質無償化」 まずは知ることから」(「メディアウォッチング」)なる記事において、朝鮮学校の高校実質無償化からの排除への報道について述べている。この一文は、次のような出だしで始まる(強調は引用者、以下同じ)。 「バンクーバー冬季五輪、キム・ヨナと浅田真央の対決が注目された女子フィギュアスケート・フリーの競技が行なわれた2月26日、生中継中に放送されたNHKの正午のニュースのトップは、鳩山政権が4月から実施する「高校実質無償化」の対象に朝鮮学校を入れるか外すかをめぐる報道だった。首相や関係閣僚の発言が主だったが、おそらく多くの人が見たことだろう。朝鮮学校出身者としては、感慨深いというか何か不思議な感覚にとらわれた。 1945年の朝鮮解放直後、日本各地で生まれた「国語教習所」から始まった朝鮮学校の歴史上、これだけ連日、大々的にマスコミに取り上げられ、広く話題になったのは初めてのことだろう。」 ここからしてまず首をかしげたくなる。韓は、朝鮮学校関係の著作や「研究」成果を発表している人物だが、卒業して「朝鮮学校」が商売道具になったらのん気でいいですね、朝鮮学校が注目されたら韓さんも注目されるかもしれませんね、よかったですね、という感じですかね。韓はこの後、各報道に触れ、『産経』の「朝鮮学校無償化除外へ知恵を校れ」(2月23日付)という社説の見出しに「確信犯にしても度が過ぎるのではないだろうか。」と軽くたしなめるなどしているが、以下のような言葉でこの一文を締めくくっている。問題はここである。 「結局、来年度予算分では朝鮮学校を除外して後日再検討するという腰砕けのオチとなったが、この騒動を振り返ってみると、決して悪いことばかりではなかったように思う。まずは知る、それが何よりも大切だからだ。マスメディアには、そのためのきっかけ作りという重要な役割がある(はずだ)。」 ・・・・・。何が「腰砕け」か。少なくとも、朝鮮学校への差別的姿勢の顕示という、明白な民族差別が貫徹されたではないか。「まずは知る、それが何よりも大切」ならば、kscykscy氏が「『産経』が最良のものとして描いているシナリオ」としている、「政府が朝鮮学校の教育「内容」精査に踏み込み、かつそれを「事業仕分け」的な形で公衆の面前にさらし(ここまでは『朝日』も認めている)、しかもその「内容」が新教育基本法の基準にあてはまるかどうかを延々とストーカー的に追い回した(『産経』だけでなく各紙共やるはずである)上で、結論として高校「無償化」から排除する」という施策など、朝鮮学校を日本国民が「まずは知る」ことができるため、「決して悪いことばかりではな」いどころか、むしろ望ましいものということになるだろう。もしこの悪夢が実現した場合、韓はそのように言うのだろうか。本当に言いそうで怖いが。韓は『思想地図』への執筆者だが、東浩紀といい、川瀬貴也といい、この韓といい、『思想地図』周辺はなぜこんなのばかりなのか。イデオロギー以前の問題である。 韓のこのような発言は、『週刊金曜日』読者に対して、一連の言説で蔓延していた朝鮮学校への差別的な「関心」が問題であるという認識を曇らせ、それどころかそれがあたかも望ましいものであるかのように思わせる効果を持つ。また、起きてしまったこの結果が深刻な事態であるという事実を曇らせる役割を果たす。 念のために言っておくが、韓の発言は、私がこれまで取り上げてきた朝鮮学校排除反対論とは全く質と次元を異にするものである。韓の発言に比べれば、私が批判的に言及した、「寛容」論に基づく排除反対論の方がはるかにマシに見える。これらの反対論と全く異なり、韓の主張は、日本国家による朝鮮学校への差別の公認に終わった結果を追認するものであるからである。 言うまでもないが、高校実質無償化が外国人学校に対して適用されるならば、朝鮮学校について日本国民が「知る」かどうかとは全く無関係に、朝鮮学校も対象とされるべきである。この問題において「日本国民が「知ること」が必要」とする言説は、無償化対象に朝鮮学校がふさわしいかどうか教育内容(教育課程ではなく)を精査する、「反日教育」等をしていないかチェックするという、普遍的権利を除外した上での文脈で機能している。だから、この問題において、「まずは知る、それが何よりも大切」などという主張は、普遍的権利の否定を促進することにつながりかねないだろう。恐らく、今後の「第三者機関」の審議をめぐる報道や言説においては、この種の「まずは知ること」といった言説は、「第三者機関」やマスコミによる朝鮮学校の教育内容への介入を後押しするものとして機能するだろう。 もちろん、上のような効果は、韓が「朝鮮学校出身者」の立場を前面に出すからこそ、より効果があるのである。「朝鮮学校の人もそう言っていることだし」と。韓は、自分の発言の社会的効果について、怖ろしく無自覚のように見える。だが、むしろこれは自覚的であるのかもしれない。「社会的成功者」とされる在日朝鮮人(朝鮮学校出身者を含む)、特に、「在日朝鮮人」という「立ち位置」をメディア上で利用しようとする在日朝鮮人には、朝鮮学校だけでなく、在日朝鮮人全般に対して驚くほど割り切っていて冷笑的・冷淡で、日本人に対して露悪的な人物がよくいる(崔洋一が最悪の例である)。昔の言葉をもじれば、「在日」を食い物にする在日朝鮮人というやつだ。そういう人間は一人でも少ない方がよいので、韓がそうでないことを願うが。 韓も酷いが、それを掲載する『金曜日』も同等かより悪質である。さすがに、朝鮮学校排除問題で、「この騒動を振り返ってみると、決して悪いことばかりではなかったように思う。まずは知る、それが何よりも大切だからだ。」などと結論づける原稿は、執筆者が日本人ならば掲載されないだろう(多分)。この原稿が掲載されているのは、韓が「朝鮮学校出身者」であることを前面に出しているからだと私は思う。もちろん、日本人が書くよりも、「朝鮮学校出身者」が書く方が、社会的悪影響ははるかに大きい。 以前指摘したように、今年の2月ごろからの『金曜日』は、朝鮮学校排除問題をほぼ黙殺していたどころか、前田日明や在特会へのインタビュー(批判的ですらない)など、排外主義の助長やそれへの抵抗力の緩和を促進するような記事が目立つが、韓の今回の記事もその流れにあるものである(朝鮮学校排除問題を取り上げたと思えばこれだ)。もちろんこうした傾向は、<佐藤優現象>の帰結である。端的に言って、もう廃刊した方がよい。
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