球界のキムタク襲った突然の悲劇 横浜・寺原「すごくいい人」

2010.04.03


突然倒れた木村拓コーチ。試合前の球場に衝撃が走った【拡大】

 巨人・木村拓也・内野守備走塁コーチ(37)が2日午後5時40分ごろ、広島市のマツダスタジアムで試合前のシートノック中に突然倒れ、広島大病院に入院。くも膜下出血と診断された。広島市消防局によると、救急搬送時の容体は意識不明の重体。苦労人で人望の厚い球界のキムタクを襲った突然の悲劇に、大きなショックが球場全体に広がった。

 ノッカーを務めていた木村拓コーチはバッターボックス付近で突然ふらつきながら倒れた。巨人ナインらが心配そうに見守る中、自動体外式除細動器(AED)による応急処置や心臓マッサージ、人工呼吸を施され、担架で運び出された。試合は予定より3分遅れの午後6時3分にプレーボールがかかった。

【第2の故郷】

 広島は木村拓コーチが1995年から2006年のシーズン途中までプレーした切っても切れない縁のある地だ。その後4年間の巨人時代も、家族を広島に残し単身赴任。本拠地東京ドームには都内のホテルから通った。“敵地”での広島戦こそ家族と過ごせる心休まる“ホームゲーム”だった。

 広島時代は、山本浩二・元監督らにかわいがられ、一方で東出輝裕内野手(30)らのよき兄貴分でもあった。巨人移籍後の木村拓コーチと東出は、敵味方に分かれてともに二塁手として広島市民球場で先発出場したことがあった。

 「おれが打ったヒット性のライナーを東出にファインプレーで捕られたことがあった。むかついたから、セカンドの定位置の土に指で『バカ野郎』と書き残しておいた。チェンジになって、また守備位置に戻ったら『すみません』と書いてあったよ」と木村拓コーチが報道陣を笑わせたことがあった。

【宮崎県人会のまとめ役】

 「球界のキムタク」の異名を取る木村拓コーチの父親は、宮崎県田野町(現在は宮崎市と合併)の町議会議長を務めた名士。木村拓コーチも県内屈指の進学校・宮崎南高を卒業した。大学進学を勧める声もあったが、91年ドラフト外で日本ハムに入団した。

 当初は右打ちの捕手だったが両打ちとなり、内外野どこでも守れるユーティリティープレーヤーに。広島から巨人へと移籍しプロ現役生活19年間を生き抜いた。昨年限りで引退し、今季からコーチに転身したばかりだった。

 この日、ヤクルトVs横浜戦(神宮)に先発し6回1失点と好投した横浜・寺原早人投手(26)は木村拓コーチと同郷で宮崎・日南学園高出身。「試合終了後に聞いてびっくりしました。キムタクさんは、ジョニーさん(元ロッテ・黒木知宏氏)とともに宮崎県人会のまとめ役なんです。僕もオフに宮崎で行われる県人会ゴルフなどでお世話になっています。すごくいい人。早くよくなっていただきたい」とショックを受けていた。

【困ったときのキムタク】

 現役最後の年の昨年9月4日ヤクルト戦(東京ドーム)で、加藤健捕手が頭部死球で退場。巨人ベンチに捕手がいなくなったことから、10年ぶりにマスクをかぶってチームの危機を救った。

 1メートル73の小柄な体格でハッスルプレーを続け、現役引退時には「もう野球をやらなくていいんだというホッとした気持ちもある。大きくない体で無理をしてきた部分もありましたから」と明かした。

 今年3月3日に行われたプロ野球新人研修会では、その豊富な人生経験を買われて講師として招かれている。早期回復を祈る声は、その人柄ゆえ、なおさら大きい。

 

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