吉村道明氏(元プロレスラー)が呼吸不全のため死去日本プロレス界の黎明(れいめい)期を支えた吉村氏が、帰らぬ人となった。73年3月3日に母校の近大記念館大会で引退した後は、プロレス界と縁を切り、かつて学生横綱にも輝いた同大学の相撲部で指導に当たる傍ら、事業にも取り組んでいた。関係者の話によると、ここ1、2年は入退院を繰り返していたという。 名脇役だった。近大を卒業し、プロ4年目の57年に力道山から誘われて旧日本プロレスへ移籍した。1カ月後には日本ジュニアヘビー級王座を獲得し、約2年半、1度も手放すことなく防衛。61年ヘビー級に転向し、力道山のパートナーに抜てきされて活躍した。血だるまになりながらも相手に立ち向かっていった。そのスタイルから「火の玉」「闘将」「突貫小僧」と呼ばれ親しまれた。
相手を一瞬にして丸め込む「回転エビ固め」の技術は「神業」と驚かれた。プロレスラーとしては決して大きくない体で、大男相手に攻め込まれても、回転エビ固めで逆転勝ちし観客を狂喜させた。 66年には馬場と組んでインタータッグ王座を獲得。豊登、大木金太郎、猪木、坂口征二と組んでアジアタッグ王座としても長く君臨した。73年1月に同王座を返上するまで、通算109試合の選手権をこなした鉄人だった。 学生時代に指導を受けた近大OBの高砂親方(元大関朝潮)は「大学1年の7月ごろ、吉村さんと相撲を取って私が勝った時『お前に負けたのだから、まわしは着けない』とおっしゃったのが忘れられない。人生の先輩として相談もさせていただいた。懐の広い方だったのに」と故人をしのんだ。 葬儀・告別式は16日に親族だけで営まれた。親族は「何も、お話しすることはありません」と語った。お別れ会が予定されているが、日時などは決まっていない。自宅は神戸市兵庫区荒田町3の57の12。喪主は妻幸子(さちこ)さん。 (写真・上=2月15日に亡くなった吉村道明氏。下=61年、力道山(左端)と組んだタッグ戦で外国人選手をロープに追い込む吉村氏)
関係者悲しみの声◆全日本天龍源一郎 吉村さんとは力道山関のメモリアルの時にあいさつをしたことがあります。試合を見て、とても印象に残っていました。相撲部の出身ということもあり親近感があったのが正直なところです。謹んでごめい福をお祈り致します。 ◆新日本プロレス坂口征二CEO 吉村さんとはタッグを組んでアジアタッグも獲得した。非常によくしていただいた先輩だった。残念でならない。 ◆近大相撲部の伊藤勝人監督(38) 01年夏ごろまで直接指導に来ていただいた。吉村さんが大会へ応援に来ていただくと、学生の力になるのか不思議と優勝が続いていた。お酒を飲むと歌ったり、踊ったりと、陽気で気さくな方だった。
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