「未来への扉を閉ざされた科学技術」

未来への扉を閉ざされた科学技術

2010年4月5日(月)

世界に誇る「科学インフラ」が、なぜ「税金のムダ」なのか?

存亡の危機に瀕した日本先端科学の象徴「SPring-8」

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 SPring-8は、減らされた予算枠内でぎりぎりの綱渡り状態を続けてきたのである。そのため、もし予算が半分になれば、いや3分の1の縮減で済んだとしても、固定費がまかなえないためビームラインの真空保持はできなくなる。つまり「施設廃止」だ。

 乾電池4本を3本に減らすとエネルギー量はマイナス25%だが、乾電池4本で機能するラジオから電池を1本抜けば聴くことはできなくなる。マイナス25%は0%を意味するわけだ。SPring-8にとって「事業仕分け」の結論は、乾電池4本から1本、あるいは2本を抜いて運転せよということを意味したのである。

先進科学立国が「研究物乞い」?

 「事業仕分け」の直後、私は心配のあまりSPring-8の現場を訪ねたが、消耗した表情の科学者や職員(職員の80%が研究系・技術系)たちにかける励ましの言葉も出なかった。では、国の科学振興策として建設に約1100億円を投じ10万人の科学者や技術者たちが利用してきた世界一の実験施設を「廃止」に追い込むとした「事業仕分け」の議論はどのようなものだったのか。

仕分け人 これ、日本の研究者がアメリカやフランスに行っても、タダで使えるわけですね。それだったらその、タダで使えるものなら、タダで使った方が。つまり、日本がなくても困らないんじゃないかと思うんですけど、それは、その、要するに、経済技術大国としてやっぱりそんなみっともないことはできないということなんでしょうか。

仕分け人 すみません、ちょっと乱暴な質問して良いでしょうか。このSPring-8がなくなるとどうなるんでしょうか。

仕分け人 いつ収益が税金に頼らなくてもやっていけるという試算になりますか。

(これら仕分け人の発言は1時間に満たないやり取りのごく一部に過ぎないが、こういうレベルの質問に対して説明者は言葉を失い、無言のままだった)

 SPring-8の使用料は、利用者が実験終了後に研究成果を公開する場合は無料。成果を公開しない場合には1時間6万円(48万円/8時間)と規定されている。SPring-8のような巨大施設は、企業や一大学が建設・運用できるものではないからこそ、国が建設・運用しているのである。成果公開は無料、非公開は有料という思想は国際標準と言えるルールであり、供用開始時に導入されたもので、先進科学立国を目指す日本として見事な決断だと感銘したものだった。先進科学国だからこそできることだ、と。

公開成果は約1万4500件に上るが、最近は創薬開発のためのタンパク質の構造解析、新世代電池のための素材開発、水素貯蔵材料などエコ産業関連などの利用が目立つ。新聞などのニュース報道されたクリップもあちらこちらに掲示。(写真:山根一眞、2009年12月、以下同)
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蓄積リング棟の至る所に研究成果のスクラップが掲示してあった。世界各国の研究者たちの記念写真も多く、日本が世界に対して先進科学の場を提供している様子も伺える。こういうことも日本の国際競争力だ。(写真:山根一眞、2009年12月)
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 このルールによって、海外の研究者たちもSPring-8を利用しており、サイエンス分野での国際貢献や交流促進効果も大きい。だが仕分け人たちは、ひたすら「自力で収入を図れ」と主張を続けた。地球深部の構造の解明は世界的な成果で、地震波の伝わり方に多くの知見をもたらしはした。だがそれは、「収入を増やす」成果ではない。人類文化に大進歩をもたらす科学的な成果であっても、「カネ」に結びつかないものは税金ではまかなえないというのであれば、日本の基礎科学は完全に崩壊する。先進国が政策として科学を捨てれば、世界史に記すほどの大事件になる。2009年11月の「事業仕分け」では、そういう認識に欠けていたのでないか。

 SPring-8に限らず、運用方法や施設運営の制度を見直す議論が不要とは思わないが、それは短時間できるものではなく、また「税金のムダの排除」を目的とする「事業仕分け」の場で行うものではない。

 それにしても「海外施設をタダで使えばいいではないか」「これがなくなるとどうなる」といった民主党の意見が世界の科学者たちにも伝わったことを思うと、日本人として何とも恥ずかしく、身が縮む思いがする。また、世界で「研究物乞いを続けよ」とは思っていても、公開の場で口にすべきことではない。

 この「事業仕分け」で「説明責任を果たしていない」という批判を浴びたのが文部科学省だった(「説明責任」や「説明能力」については、意見も多いので後述する)。その文科省は「事業仕分け」直後から一般に対して意見を募集したが、実に5万3000件を超える意見が寄せられた。そのほとんどが「事業仕分け」に対する反論だったという。2010年2月16日に公表された「事業仕分け結果・国民から寄せられた意見と平成22年度予算(案)における対応状況」に、その内容が簡単に記されている。



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著者プロフィール

山根 一眞(やまね・かずま)

山根 一眞ノンフィクション作家/獨協大学経済学部特任教授。1947年東京生まれ。獨協大学外国語学部卒。科学技術の現場をいきいきと伝えた週刊誌連載「メタルカラーの時代」は約17年、800回近く続き、単行本・文庫本23冊を出版。科学技術力への関心を高めた功績に対し東京クリエーション大賞で個人初の大賞受賞。1997年に提唱した「環業革命」(環境技術による新産業革命)で経済振興をと訴える講演は500回を超える。生物多様性の取材・執筆も精力的に続ける。7年にわたるNHKキャスター、2001北九州博覧祭北九州市館、2005愛知万博愛知県館、国民文化祭2005福井、各総合プロデューサー。宇宙航空研究開発機構嘱託、福井県文化顧問、日本生態系協会理事、日経地球環境技術賞審査委員、講談社科学出版賞選考委員、北九州マイスター選考委員のほか月探査に関する懇談会委員(内閣府)など政府関係委員多数。日本文藝家協会会員。著書に『環業革命』『メタルカラー烈伝温暖化クライシス』『賢者のデジタル』など多数。山根事務所


このコラムについて

未来への扉を閉ざされた科学技術

科学技術は世界の課題解決を実現して人類の幸福に寄与するためのものであり、目先の成果ばかりに目を向ければ道を誤る。また、企業や大学のみでは経済的な負担が大きすぎて手にできない施設や研究環境は、国が担うことで豊かな未来を築くことが可能となる。ところが、2009年11月に行われた「事業仕分け」では制度改革と予算廃止や縮減が混同された。結果として、日本の科学技術の未来を閉ざす危機を招いてしまった・・・。「メタルカラーの時代」などで20年以上にわたり先端の科学技術を取材してきたノンフィクション作家の山根一眞氏が警鐘を鳴らす。

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