「未来への扉を閉ざされた科学技術」

未来への扉を閉ざされた科学技術

2010年4月5日(月)

世界に誇る「科学インフラ」が、なぜ「税金のムダ」なのか?

存亡の危機に瀕した日本先端科学の象徴「SPring-8」

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 2009年4月下旬から290の公益法人を対象とした「事業仕分け」の第2弾が始まる。

 内閣支持率は約36%にまで凋落(3月26〜28日、日本経済新聞とテレビ東京共同世論調査)、報道で「政権末期」という言葉さえ使われるようになった今、「事業仕分け」で支持率の回復を狙っていることは言うまでもない。世論調査では「政策を評価する」とした人はわずか29%。その少ない評価者が評価理由にあげた第一が「事業仕分け」に代表される「行政のムダ遣い削減」だったからだ。

 しかし、2009年11月に行われた「事業仕分け」が、「税金のムダの削減」という目的遂行の方法とし望ましいものであったのかどうかの具体的な検証や評価は行われていない。「事業仕分け」はこれまでの政権ではあり得なかった初の取り組みで、国民の期待も大きかった。そして、今後も民主党が目玉政策としようとしていることは明らかだ。だが、その手法や結果に対しては、大きな賛否両論が巻き起こった。だからこそ、その検証や評価をできるだけ早く、そしてじっくりと行うべきなのである。

 そこで、前回に引き続き「事業仕分け」の科学技術分野では何がもたらされたのかを見ていくことにする。

 2009年11月13日、行政刷新会議の「事業仕分け」で第3ワーキンググループが取り上げたのが、「事業番号3-18(1)大型放射光施設SPring-8」だった。山陽新幹線相生駅の北約20km、兵庫県・播磨科学公園都市にある大型放射光施設だ。施設者は独立行政法人理化学研究所で、その運転・維持管理や利用促進業務を財団法人高輝度光科学研究センターが担っている。

 私は、1997年の施設完成直後から日本の科学力の象徴として何度も週刊誌連載「メタルカラーの時代」で取り上げてきただけに、その「事業仕分け」を固唾をのんで見守っていたが、結論は「2分の1から3分の1程度予算の縮減」という厳しいものだった。SPring-8の1000人を超える職員たちの受け止め方は深刻で、これで「SPring-8が止まる!」と愕然としたという。

用途は学術から産業、犯罪捜査まで

 SPring-8は「放射光」と呼ぶ極細で超強力な電磁波を試料に当て、その分子や原子構造を見る装置だ。健康診断でも使うX線装置と似ているが、SPring-8のモノを見る能力(「光」の強さ)はそのおよそ10億倍。世界一モノをよく見ることができる装置なのである。しかも、通常のX線装置では静止画を撮影するが、SPring-8はパルス照射し続けることが可能なため連続した画像データが得られる。超高感度超精密透視ムービーカメラと言ってよい。

 ある物質が高温高圧で変化していく様を、原子レベルで知ることもできる。地球の地下600km、マントル遷移層の20万気圧、1400度という環境での地球内部の姿を世界で初めて明らかにしたのもSPring-8だった。ここで得た成果は、世界で権威を持つ科学雑誌『SCIENCE』『NATURE』などの表紙を幾度も飾ってきた。

 そのスケールは、訪ねた者を圧倒する。

 兵庫県から提供された敷地面積は141ha、甲子園球場の約36倍、東京ディズニーランドの約3倍に相当する。放射光を得る主装置は、小高い山の周りをぐるりと取り囲むリング(蓄積リング棟)。その円周長は1436メートルもあるため、施設内の移動には自転車が使われているほどだ。

ドーナツ状のものがSPring-8の主装置である蓄積リング。この周長約1.5kmの真空のリング内を光速で回り続ける電子が従来のX線発生装置の10億倍のパワーの放射光を発し続けている。リングが取り囲むのは標高341mの三原栗山。中腹を掘削し、強固な岩盤上に建設された。(出所:理化学研究所資料)
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 このリング内を世界最高の8GeV(ギガ電子ボルト)という高エネルギーを与えられた電子が光速の99.9999998%で回転しており、放射光を発し続ける仕組みだ。これほど巨大でありながら、施設は信じがたい精密さで作られている。完成直後、円周の大きさがごくごくわずか変動することが分かったが、理由は見当たらなかった。後になって、月の引力で地球が引っ張られて起こる岩盤のズレが円周の誤差の原因と判明した。これほどの超微小誤差すら制御している装置なのである。



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著者プロフィール

山根 一眞(やまね・かずま)

山根 一眞ノンフィクション作家/獨協大学経済学部特任教授。1947年東京生まれ。獨協大学外国語学部卒。科学技術の現場をいきいきと伝えた週刊誌連載「メタルカラーの時代」は約17年、800回近く続き、単行本・文庫本23冊を出版。科学技術力への関心を高めた功績に対し東京クリエーション大賞で個人初の大賞受賞。1997年に提唱した「環業革命」(環境技術による新産業革命)で経済振興をと訴える講演は500回を超える。生物多様性の取材・執筆も精力的に続ける。7年にわたるNHKキャスター、2001北九州博覧祭北九州市館、2005愛知万博愛知県館、国民文化祭2005福井、各総合プロデューサー。宇宙航空研究開発機構嘱託、福井県文化顧問、日本生態系協会理事、日経地球環境技術賞審査委員、講談社科学出版賞選考委員、北九州マイスター選考委員のほか月探査に関する懇談会委員(内閣府)など政府関係委員多数。日本文藝家協会会員。著書に『環業革命』『メタルカラー烈伝温暖化クライシス』『賢者のデジタル』など多数。山根事務所


このコラムについて

未来への扉を閉ざされた科学技術

科学技術は世界の課題解決を実現して人類の幸福に寄与するためのものであり、目先の成果ばかりに目を向ければ道を誤る。また、企業や大学のみでは経済的な負担が大きすぎて手にできない施設や研究環境は、国が担うことで豊かな未来を築くことが可能となる。ところが、2009年11月に行われた「事業仕分け」では制度改革と予算廃止や縮減が混同された。結果として、日本の科学技術の未来を閉ざす危機を招いてしまった・・・。「メタルカラーの時代」などで20年以上にわたり先端の科学技術を取材してきたノンフィクション作家の山根一眞氏が警鐘を鳴らす。

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