二〇〇一年のヒトゲノム解読計画の終了は、現代生物学における画期的な出来事だった。私たち人類は宇宙史上初めて、自分自身を作り出している遺伝情報を自分で解読した生物となったのである。家自身が設計図を手に入れたようなものだ。
しかし、このことの持つ意味は、単に学術的なものにとどまらない。自分自身を作り出している遺伝情報を知るということは、今後の疾病対策、つまり、遺伝子がさまざまにからむ病気の治療の開発に対して、これまでになかった可能性を開くのである。そこには、莫大な金銭的利益が潜んでいるのだ。
今後のポストゲノム時代は、遺伝情報が大きな利益につながる時代になる。本書は、そのときに日本はどうなるのか、どうするつもりなのか、と問う。それが、副題である「知財立国日本が危ない!」の意味するところだ。そして、そのような警告を発する根拠が、ヒトゲノム計画で日本が果たした、あるいは果たせなかった役割、すなわち本書のタイトルの「ゲノム敗北」なのである。
一九九〇年からほぼ十年をかけて行われたヒトゲノム計画は、国際的な研究協力体制により、ヒトゲノムの約三十億塩基対を全部読み解くという巨大プロジェクトであった。そして、各国の解読貢献度は、アメリカ五十九パーセント、イギリス三十一パーセント、日本六パーセントという結果に終わった。この日本の六パーセントは、とんでもなく実力以下だったと著者はいう。それが「ゲノム敗北」である。
本書は、その理由がなんであったのか、丹念に歴史を振り返ることにより、日本の科学研究と科学行政のあり方に警告を発する。著者は経済ジャーナリストであり、それにふさわしく、政府と財界と大学が一緒になった大きな経済スキャンダルでも追うかのように、スリリングな展開で読ませる。ページをめくる手が止まらなかった。
本書の中心人物の一人は、生物物理学者の和田昭充氏である。和田氏は、一九八七年、すなわち、まだヒトゲノム計画が立ち上がっていないころに、DNA配列を高速の機械で読み取る装置を考案した論文を発表した。このアイデアはのちに、三十億にも上る塩基対をすべて読み取るときの鍵となった。これがなければ、ゲノム計画は、予定より二年も早く二〇〇一年に終了宣言をすることはなかっただろう。
では、それほど大事な技術が日本人によって出されていたのに、なぜ日本の貢献が六パーセントに終わったのか? 答えは、和田氏が途中で日本のゲノム解読プロジェクトからはずされたからである。おまけに、日本は、この装置の特許をとることすらできなかった。このことが象徴するような事態を招いたのは、日本の学界の閉塞状況と、日本の科学技術政策の先見の明のなさである、ということを本書はつづっていく。
和田氏は物理学の出身であった。物理学者がDNAの解析研究に乗り出そうとしたとき、生物学、医学畑の研究者は、それを快く思わなかった。「物理学者に生物がわかってたまるか」といった批判が相次ぎ、各所で足を引っ張られ、和田プロジェクトは崩壊していく。
このようななわばり意識のほかに、もう一つ日本の学会の欠陥は、出る釘は打たれるという体質である。本書は、日本人研究者は真に新しい発明・発見をしない、という見方は誤りだということを示す。事実、日本人はいくつもの新しいアイデアを出した。しかし、周囲がそのような画期的な考えを認めず、画期的な考えを出すような「変人」を許容しないのだ。
日本の科学技術行政の欠陥として指摘されているのは、省庁ごとの足の引っ張り合いと総合的な視野の欠如である。和田プロジェクトも、旧文部省と科学技術庁との間の確執に振り回された。この状況は、総合科学技術会議というものが設置されることになった今でもあまり変らない。著者の嘆きと警告はよく理解できる。
しかし、大きな疑問がここにはある。それは、本書の基本姿勢が、遺伝子でもなんでも特許にとって、生物学研究をすべて金銭に結び付けていこうとする、アメリカ的なやり方を肯定していることだ。このアメリカのやり方を是とし、それに対抗するには何をしなければならないかが語られている。
科学研究とは、相手を出し抜いて金儲けをする競争なのだろうか? 生き物や遺伝子配列は、特許として誰かが独占してよいものなのだろうか? 欧州は決してそうだとは考えていない。日本にとっても、アメリカの土俵に乗ることだけがよい方策ではないはずだ。しかし、それに対抗するには、替わるべきよりよい方法を示さねばならない。ゲノム敗北を機に、日本の研究環境の欠陥を考え直すと同時に、新たな研究倫理についても、アメリカ型ではないものを出せるかどうか、それが将来の鍵ではないかと思う。
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