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2002.10.21
 
 


ゲノム研究で劣位になった理由…

 ゲノムの解析の手法開発については、日本がアメリカよりも5年程度早くスタートした。まさにパイオニアだ。ところが、先発の優位どころか、ゲノム研究のプレーヤーとしても認知されないほどになった。
 このことについて、90年代後半に、様々な方々が発言していたから、産業界では周知のことかと思ったら、そうでもないようだ。
 今もって、他の分野には興味を持たない学者やビジネスマンが多いようだ。これでは、何故、日本はゲノム研究が遅れたかの反省が政策に生かされる筈がない。

 歴史を追ってみよう。

 東京大学の和田昭充教授が科学技術庁プロジェクト「抽出、分析、DNA合成」の座長となり、ヒトゲノム解析に必要なシーケンサ(塩基配列の高速大量解析自動装置)の開発を始めたのが1981年。当然ながら、世界で初めて。DNAの塩基配列決定法が開発されたのが1975年、DNA大量増幅のPCR法開発が1983年であるから、明らかに相当先を走っていたといえよう。

 その後、ヒトゲノム国際シンポジウム(1986年、岡山)が開催された。ここで、米国の研究者が日本が進めた解析装置研究の意義を理解したと言われている。この頃、前年からヒトゲノム・プロジェクト実現推進に動いていたDOEが解析装置研究プロジェクトを認める。NHI主導の大型共同研究の発足はこの約4年後。(HUGO提唱は1988年。)

 一方、日本ではほとんど研究中断状態。東大医科研究所にヒトゲノム解析センターが設置され、ようやく再開したのが1991年だ。5年は先を走っていた筈なのに、後発となる。そして、追いつくどころではなくなる。

 この「遅れ」の遠因が、和田教授の専門分野である。物理学であり、本流の生化学ではなかった。

 ゲノム研究は、技術の融合が重要であるにもかかわらず、日本の仕組みはこの動きに対応できないのだ。生化学の先端研究は、同時にコンピュータ技術のハード・ソフト技術の先端でもあるし、ロボティクス(自動化)や分析科学の先端でもある。しかし、大学も企業も蛸壺構造であり、技術融合の動きを阻害し続ける。
 1990年12月の公開ワークショップ「知識情報処理技術とヒトゲノム計画」の参加者を見れば、技術融合の意義を理解していたことがわかる。しかし、その知恵は活かせなかった。(http://www.genome.ad.jp/manuscripts/GIW90/GIW90.html)
学際的研究の新発展への期待 淵 一博(新世代コンピュータ技術開発機構)、ヒトゲノム情報解析の展望 金久 實(京都大学化学研究所)、バイオインフォーマティックスへの期待 榊 佳之(九州大学遺伝情報実験施設)、わが国におけるヒト遺伝子解析プロジェクトのあるべき姿 和田昭充(相模中央化学研究所)、第五世代コンピュータを用いたゲノム情報処理研究と国際共同研究への展開 内田俊一(新世代コンピュータ技術開発機構)、Fast Data Finder: a systolic array processor and its application in DNA sequence analysis and the human genome Carlos Zamudio (Applied Biosystems Inc.))

 実は、ゲノム研究の立ち遅れを引き起こした遠因は、今もって続いている。この状態が変わらないなら、大型予算が投入されたからといって、遅れを取り戻せる保証などない。
 理化学研究所横浜研究所ゲノム科学総合研究センター所長となった和田氏は、2001年8月に次ぎのような発言をされている。(http://www.dynacom.co.jp/new/zadan0824.html)  「大学組織が非常に縦割りで、教養学部とは言いながら生命、非生命の学問の関係を教えてこなかった。このような点を考え直さなければ、今後も遅れたままになる可能性があります。」

 相変わらず、狭い専門領域で先頭を走るだけの研究が進んでいるのだ。しかも、その結果が産業に生かされるとは限らない。
 「24時間特許に関することを考えるプロが必要なのですが、本当のプロが日本にはいない。」

 問題は根深い。この構造を変えるための方策を案出しない限り、いつまでも失敗はくり返される。


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