[掲載]2010年3月28日
自宅近くのレストランはよく行く場所のひとつ。オープンエアのデッキで葉巻を楽しむ=東京・神宮前のLOCANDA F.Q.、郭允撮影
■悪夢のような超現実世界
月刊漫画誌「ガロ」は全共闘世代を中心に根強い人気のあった雑誌で、ぼくも愛読していた。昭和四十三年の六月に出た「つげ義春特集号」という増刊号掲載の「ねじ式」は多くの読者に衝撃を与えたが、ぼくもまた仰天した。悪夢のようなシュール・レアリスムの世界がそこにあり、しかもそれは小説ではとても表現できない作品だった。
海辺に泳ぎにきたぼくは、メメクラゲに腕を噛(か)まれてしまい、切断した静脈から出血し続ける。漁村で医者を探すが、誰からもはかばかしい答えはない。隣村へ行こうとしてレールの上を歩いていると、猫のお面をつけた子供の運転する機関車がやってくるので乗せてもらう。しかしその列車は来た方へ走り、もとの村に戻ってきてしまう。狭い路地裏に大きな機関車が轟音(ごうおん)を立てて入ってくる場面はすばらしい。洗濯物の乱立や天狗(てんぐ)堂の看板や楽隊など、話の進行や科白(せりふ)と無関係な、または大きくズレている絵が描かれていたりする画面が不条理感を盛りあげる。
ぼくは「テッテ的に村中を捜す」ことにするが、村にあるのは目医者ばかりだ。金太郎アメを作っているおばあさんは、もしかするとぼくのおッ母さんかもしれないのだが、おばあさんは泣きながら「これには深ーいわけがあるのです」と言うだけである。金太郎アメの製法の秘密は切り口のデザインが桃太郎になっていて、それでも実は金太郎というところにあると言うそのおばあさんに教えてもらい、ビルの廃虚でやっと見つけた産婦人科の女医は、座敷で酒を飲みながら、ここは男のくる所ではないと言う。この座敷の庭は海になっていて、そこでは日本海海戦をやっている。この場面こそがこの漫画の最もシュールな場面として読者の記憶にいちばん強く残るものだろう。女医さんはぼくにお医者さんごっこをしてくれる。そして彼女はぼくと全裸でからみあいながらレンチで「シリツ」をしてくれ、ぼくの腕から出た血管には水道の蛇口がとりつけられる。女医さんは「そのねじは締めたりしないで下さい。血液の流れが止まってしまいますから」と言う。ラストはモーターボートで海上を走っていくぼくの科白で終(おわ)る。「そういうわけでこのねじを締めるとぼくの左腕はしびれるようになったのです」
これはのちに、作者が見た夢をそのまま描いた作品であるという話を何かで読んだが、もしそうであるなら「夢をそのまま描いても芸術作品になり得る」というぼくの卒業論文の趣旨は正しかったことになる。夢の力というのはなんと凄(すご)いものだろう。これ以後ぼくは夢をそのまま、あるいは脚色して書くことを恐れなくなり、取材に来た大阪の編集者から「夢を小説に書くなんて、わたしに言わせればずっこい(狡(ずる)い)」と言われた時も「ぼくに言わせれば現実をそのまま書く方がずっこい」と言い返している。
この年の七月には「オール讀物」に書いた「アフリカの爆弾」が直木賞候補になっているが、またしても落選。そして八月には長男・伸輔が生まれている。
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ちくま文庫の「つげ義春コレクション」(1)に、「夜が掴(つか)む」などとともに収録。
著者:つげ 義春
出版社:筑摩書房 価格:¥ 798
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