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発信箱:奇機神速=玉木研二

 西洋諸国には電信なる奇機ありて遠国に音信を通じ、その神速なること千百里も瞬く隙(ひま)に……と、西洋事情を知る福沢諭吉が幕末に説いても誰も信じなかったという。

 それから13年の間に日本にも電信網が次第に広まり、1878(明治11)年3月25日には東京・木挽(こびき)町(銀座)に電信中央局の開業を見た。その祝宴で福沢は「人事の進歩驚くに堪えたり」と手放しの喜びようだったと「関東電信電話百年史」にある。

 前年の西南戦争は政府軍側の電信が威力を発揮し、情報の速さと伝播(でんぱ)力がいかに重要であるかを証明していた。

 東京日日新聞は、開業式では高官らが見守る中、全国の局と海外の上海に通信し、祝電を受けたと報じている。御雇い外国人技術者がその答電の紙を工部卿(きょう)に進呈した。

 外もにぎわった。雨も降る中を局前に多くの人々が続々と「雲集」し、また消防組が列を正して木(き)遣(や)りの声も勇ましく、梯子(はしご)乗りで祝った。

 開業日に虎ノ門の工部大学校(後に東大工学部)で開かれた祝賀式でもう一つ「余興」があった。日本で初めてともされた電灯である。「百年史」によると、アーク灯が一斉につけられ、来賓たちは「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声を上げた。後にこの日は「電気記念日」とされる。

 こうした無邪気な明るさ、素朴な感興を今の時代に求めてもせんないだろう。インターネットという「奇機」が登場し、万里のかなたまでそれこそ神速瞬く隙に縦横に情報の網を掛ける今である。この文字通りの日進月歩を、その度にいちいち祝って街を練り歩くわけにもいくまい。

 ただ福翁ありせば、これも「進歩驚くに堪えたり」と手放しで喜ぶのだろうか。(論説室)

毎日新聞 2010年3月30日 東京朝刊

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