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大アジア主義の歴史的検証(1)
国家社会主義者としての論評
このシリーズはこれまでお届けしてきた<「反在特会」の誤りと対話の呼びかけ>のシリーズの一環として進めます。何故分離したかと言えば、在特会の会員の一人としてではなく、あくまでも国家社会主義者として論評したかった為です。
大アジア主義を日本で初めて唱え実践したのは樽井藤吉と言う方で、この人は明治15年に東洋社会党を設立したことでも知られています。
樽井藤吉 - Wikipedia 政治思想家としては、国家社会主義者に分類される人物であると思っています。この方の書いた『大東合邦論』こそは、その後の大アジア主義の基になったものでしょう。
明治維新で国家の近代化を成し遂げた日本は、日本一国だけの近代化では満足することはなかった。単に日本の繁栄や発展で満足することなく、アジア全体、とりわけ東アジアにもその目的を達成しようと考えたのです。
戦前の朝鮮半島や支那大陸への進出が、欧米列強と同じような植民地支配を目指した帝国主義ではなかったということを先ず最初に確認しておきます。
これは結果的にそうなってしまったのではないかという議論とは別に考えます。最初の理想はそこにあったという事実です。それがどのようにして歪曲され挫折して行ったかは次なる議論の時に行ないます。
では、現代における大アジア主義の理想とは何なのでしょう。東アジア共同体構想などは、少なくともこの歴史的な大アジア主義の理念からは程遠いものを感じます。
ここで『大東合邦論』の中に書かれた一文を紹介しておきます。
わが日本国、合同をもって不利となすものあり。その一にいわく、朝鮮は貧弱の国なり、今あえてこれと合するは、これ富人の貧者と財産を共にするの理なり。その二にいわく、朝鮮は文化は洽(あまね)からず、百工興らず、智見また進まず、今これと合するは、交りを愚人に求むるの道なり。その三にいわく、朝鮮は、清・露に接土す、今これと合すれば、他日守禦(しゅぎょ)の費を負荷せざるべからざるなり。その四にいわく、今これと合すれば、わが国力を竭(つく)してもって朝鮮の開明を導かざるべからず、これ我を損し彼を益す、我の不利や知るべし。その五にいわく、朝鮮は気候不順にして水旱凶歉(凶作のこと)患、歳として有らざる無し、今これと合すれば、これを救護せざるべからざるなり。その六にいわく、朝鮮は政綱壊敗し、禍乱起こらんとす、今これと合すればその禍を受く。その七にいわく、朝鮮人は自主の気象に乏し、今これと合すれば、惰弱分子を伝えん、と。
議者の言、一理無きにあらず。しかれども唯(ただ)その不利を知って、いまだその利を如らざるなり。朝鮮は貧弱なりといえども、その面積はわが国に半ばす。その貧は制度の不善に因る。もし合同してもってその弊を革(あらた)むれば、富もまた期すべきなり。古より、貧人の変じて富人となリ、弱国の化して強国となるもの、枚挙に暇あらず。現状を目してもって将来を侮るべからざるなり。文化開けず、百工興らず、智見進まざるは時運の致すところ。昔わが国は韓土に学びて今日の盛有り。
今我の彼を導くは、徳に報ずるなり。いわんや教うるは半面は学ぶことなるにおいてをや。辺境の守禦を負荷するは、ただに朝鮮の守禦のみならず、また我の守禦なり。朝鮮にして他邦に侵犯せられば、合同せずといえども傍観すべからず。ゆえにいわく、朝鮮の守禦はすなわち我の守禦なりと。国カを竭(つく)して朝鮮の開明を導くは、その我を損するはもとより大なり。しかれどもこれを導くは、共にその利を享(う)けんと欲すればなり。朝鮮の利はすなわち日本の利、日本の利はすなわち朝鮮の利なり。いやしくも合すればあに彼我の別有らんや。
以上
国家社会主義というものは国家主義が先にきます。つまり国家というものが前提にあり、国家の利益が何よりも優先されるべきです。ですから、この『大東合邦論』も、先ずは日本国があってその日本にとっての利が論じられています。
では、現在民主党政権が進める『東アジア共同体構想』には日本の国家という概念が希薄過ぎます。それを見てみましょう。
民主・鳩山氏「アジア共通通貨の実現を」
民主党の鳩山代表は、10日発売の月刊誌「Voice」に寄稿し、東アジア地域の通貨を統合する「アジア共通通貨」の実現を提唱した。
鳩山氏は、「私の政治哲学」と題した寄稿で、自らの政治信条である「友愛」に基づく国家目標の一つとして、「東アジア共同体」の創造が必要だとの考えを示した。
具体的には、国際情勢について「米国一極支配の時代から多極化の時代に向かう。中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢(すうせい)だ」との認識を示した。
そのうえで「アジア共通通貨の実現を目標とすべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない」と主張した。ただ、アジア共通通貨の実現には「今後10年以上の歳月を要する」とし、政治的統合には「さらなる歳月が必要」とも指摘した。
(読売新聞 2009/08/06)
鳩山首相の唱える『東アジア共同体構想』は現代における<新・大アジア主義>であると思いますが、その根本にある理念は「友愛思想」にあると言います。
でも、「友愛思想」とは一体何でしょう。「人類皆兄弟」見たいな考えであるならば、何も東アジアに限定する必要は全くないでしょう。反日国家に取り囲まれた日本が「友愛」などという曖昧な思想ではたちまちやられてしまうでしょう。
戦前の大アジア主義とは欧米列強からアジアを守るという思想がありました。日本ナショナリズムがアジアナショナリズムに拡大して行ったと思います。
このエントリーのまとめに入ります。現代のアジア主義とは何でしょうか?特に我々を排斥主義者として批判する人たちは、どのような思想に基づいてアジア主義を主張しているのか?
右翼民族派も大アジア主義を唱えていますが、それは懐古主義でしかないように思います。単なる浪漫主義では困るのです。
日本ナショナリズムの精神に立脚しない、日本ナショナリズム批判の上に成り立つアジア主義の理想などを私は信じない。
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