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今週の本棚:養老孟司・評 『生気論の歴史と理論』=ハンス・ドリーシュ著

 (書籍工房早山/図書新聞・2940円)電話03・5835・0255

 ◇「情報」概念に迫った20世紀初頭の生物学者

 これは二十世紀初頭ドイツの生物学者、発生学者だったハンス・ドリーシュの著書の翻訳である。そんな古い本を、いまごろ、なぜ。それは訳者の米本昌平の解説論文に尽くされている。そこからは、生物学の理論史に賭ける訳者の情熱がひしひしと伝わってくる。

 ドリーシュは生気論者として有名である。ただしその著書を読んだ人は、ほとんどいないと思う。評者自身も医学系だから、ドリーシュの名も生気論が悪名高いことも、十分に知っていた。しかし本書を読んだこともないし、読もうと思ったこともない。今回初めて手にしたのである。読んでみると、ドリーシュという学者が、はなはだ誠実でよく考える人であり、いわゆる要素還元論の欠点を知り尽くしていたことがわかる。「石を投げていたら、古典様式の家が建った」。ダーウィンに対しては、そうした皮肉がいえる人なのである。ではなぜそういう学者の考えが、徹底的に攻撃されたのか。

 生物現象は物理化学によって解明される。二十世紀の生物学ではそれが常識となった。それが時代というものである。そのため生物現象はそれでは解釈できないことを主張し、エンテレキーなどというわけのわからないことをいうドリーシュの生気論は、過去の迷妄、有害な思想と信じられ、攻撃の標的となった。これは学問の世界に限らず、しばしば生じることである。とくに相手の主張を、自分の論理からすれば「間違った形」になるように構成解釈し、それを攻撃することは、現在でもほとんど日常となっている。インターネットを見れば、わかるはずである。

 本書は実際には四部構成になっている。第一部は生気論の哲学史である。ドイツでは自然哲学が長く存在し、自然科学と哲学は別物だと思われていなかった。ドリーシュは静的目的論と動的目的論を区別する。その詳細は述べないが、そうした概念の違いをまず明確にし、動的目的論を真の生気論として、アリストテレスからカントに至るまで、西欧哲学を総説する。訳者はこの部分をまだるこしいと感じたようだが、一面では見事な総説であって、総説の模範としてよいと評者は思う。自己の概念区分を「リトマス試験紙」のように使い、大きくしかし切れ味よく総説することは、西欧の学から学ぶべき方法の一つである。第二部は理論編であり、自身の哲学を語ったものである。第三部「個体性の問題」がまさに生気論そのものを解説する。第四部は先に触れた訳者の解説論文である。一般の読者はここから読み始めたほうがいいかもしれない。

 ドリーシュの問題はどこにあったか。十九世紀の生物学に欠けていたのは、情報という概念である。この書物の中にも、じつは「情報」という訳語が一回出てくる。しかし現代のわれわれが把握しているような情報の概念は、当時の学問に欠けていた。ドリーシュが懸命に語ろうとしたことの背景には、間違いなく情報という存在がある。しかし情報は、当時の自然科学が正統の対象とした物質でもエネルギーでもない。エンテレキーという奇妙な概念を発明せざるを得なかった事情が、そう思えば、よくわかるのではないか。

 評者はメンデル、ヘッケル、ダーウィン、すなわち十九世紀生物学の法則は、すべて情報に関する法則あるいは経験則だと述べたことがある。それはほとんど冗談としてしか受け取られなかった。我田引水ではないが、ドリーシュもまたそうだったと、訳書を読み終えてしみじみ思う。本書を紹介した訳者の労を多としたい。(米本昌平・訳)

毎日新聞 2007年2月4日 東京朝刊

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