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2010年 03月 21日

     ◇タクワンとラッキョウの話

子供の頃のこと。私は父に質問した。
「お父ちゃん、漬物の王様って何なの?」
父はにっこりほほ笑んで答えた。
「ラッキョウだよ」
私には予想外の答えだった。子供の私にとって、ラッキョウは美味しいものではなかったし、私が思い描く漬物でもなかった。
「何で、ラッキョウが王様なの?」と聞くと、父は得意げに言った。
「ラッキョウが一番、値段が高いじゃろ」
私は、質問するときに自分なりの答えを持っていた。私が想定していた漬物の王様は「タクワン」だった。「どの家庭にもあり、多くの人々に支持されるタクワンこそ、王様にふさわしい」という認識があった。だから、父の言うラッキョウには、味の面でも、理論の面でも共感できなかった。
「多くの人々に支持されて」という考えは今も変わらない。ただし、大人になって思うのは、タクワンは王様というより庶民だったということである。王様は、タクワンの中にもいるし、ラッキョウの中にもいる。美味しい漬物は、全て王様になる素質がある。
ときどき、この父との対話を思い出す。写真は父が若かりし頃の写真である。
父は今、何をしているのだろうか。まだ休息しているのだろうか。
どこかの国のお題目に誘われて、生まれているかも知れませんネ。^^

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# by sokanomori | 2010-03-21 21:55 | ふるさと | Trackback | Comments(12)

母へ  

2010年 03月 20日

  ◇お母ちゃん、本当にありがとう。^^

私は半世紀を生きた。周囲のあらゆる人々に支えられ、私は今も生きている。
人生を振り返えれば、そこに輝かしい大恩の人たちがいる。目を閉じれば、ふるさとの風景が鮮明に蘇える。ふるさとの風。ふるさとの緑。
けれど、私の真実のふるさとは、母である。
心臓弁膜症の母であった。命がけで私を産み、育ててくれた。今、母は70歳になった。父は9年前に、71歳で他界した。
母は、50歳の息子を、今も祈り、励まし続けてくれる。大恩の世界一の母。
私を育て、私にこの妙法を授けてくださった偉大なる母である。年齢とともに、あなたへの敬愛は深まるばかりだ。
母よ、あなたの生涯を賭けた事業は我が人生となった。私は今、大地よりも広く、大海よりも深いあなたの愛情を痛感しつつ、等身大の広布の旅を続けています。
母よ、あなたは高校生のとき、学費が払えず仕方なく就職しましたね。
あなたが嫁いだ先の菊川家も貧しかった。その貧困を、祈りと行動とで豊かな生活へと変えましたね。正月の三箇日だけが休日で、残りの362日を休むことなく仕事をしたあなた。
私は、あなたの愚直な信仰を見て育ったのです。

先日読んだ「池田大作名言100選」という本に、次のような記述がありました。
「毎日、雨の日も嵐の日も、寒い冬も暑い夏も、太陽は同じように運行していく。
その太陽と同じように、いかなるときも、庶民の母は労苦を一身に担って、生命を育み、守り、慈しむ。母は偉大である。母は勇敢である。母は聡明である」
「母は、大邸宅や庭園がなくても平気である。
お金がなくても、名誉がなくても、平然としている。
わが家こそが宮殿であり、心の中に財宝を持っていることを知っているからだ」

山本伸一は、「母の詩」に詠いました。
「母よ わが母 風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を繰り返した母よ
あなたの願いが翼となって 天空に舞いくる日まで 達者にと祈る
母よ あなたの思想と聡明さで 春を願う地球の上に平安の音符を奏でてほしい
その時あなたは 人間世紀の母として生きる」

私は50年の人生を勝利しました。
その勝利は、あなたの勝利です。私はその証を、1冊の本にします。
創価栄光の5月。その勝利の月、私は、あなたのもとに、はせ参じることでしょう。

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# by sokanomori | 2010-03-20 22:09 | ふるさと | Trackback | Comments(12)

仲人親  

2010年 03月 19日

    ◇宮仕いは法華経なのです。^^

Mさんは、公私共にお世話になった大恩の人。
お付き合いして、23年になります。
Mさんは馬年生まれ。私の亡き父も馬年生まれなので、不思議な縁を感じます。Mさんは学会員ではありません。
私は再婚です。最初の結婚は失敗。その離婚体験の記事は、→ここをクリック!
30歳の時、私はMさんに結婚の報告をした。
「それで、結婚式はいつなの?」と聞かれた。
「以前、結婚に失敗していますので、式は考えておりません」と言うと、Mさん、首をかしげた。
「菊川さん、結婚式を何故やるのか知っていますか?」とのこと。
私は回答できない。困惑する私に、Mさんはアドバイスをしてくださった。
「結婚式というのは、当事者の二人のためにやるんじゃない。両親のためにやるんだ。奥さんは初婚だろう。やらない訳にはいかないのではないか。ご両親が、手塩にかけて育てたんだよ。派手にやる必要はない。やらないというのはどうかな?」
私はビックリした。そのような考え方をしたことがなかったからである。
私が、「それでは、やります」と言うと、「うん、そうだ。それがいい。仲人は私がやってあげる」とのこと。二度、ビックリした。
かくして、私は、Mさんに仲人をお願いした。Mさんの導きで結婚式を行い、両親、親戚、会社関係者、友人に対し、報恩感謝の披露宴を行うことができた。
このとき、私は沢山のことを学んだのである。
結婚前、Mさんは、私の奥さんに夫婦円満の秘訣「三か条」を教えてくださった。

1.朝、仕事に出かける主人を玄関先に出て、笑顔で見送ること。
2.帰ってきた主人を、笑顔で迎えること。夫婦喧嘩をしても、翌日は笑顔で接すること。
3.お互いの両親を大事にする。夫は奥さんのご両親、妻は夫のご両親。
 (自分の両親以上に、相手の両親を大事にする)

この三つの秘訣は、今も妻は実行してくれている。
Mさんは、職場においても比類のない大恩人である。Mさんがいなかったら、今の私はない。過去、私が生意気だった頃、的確なアドバイスをしてくださった。
「菊川さん。高い山になったら草木も生えないよ。海には全てのものが流れてくるだろう。山になるんじゃなくて、海になりなさい」
私は、ハッとした。私は山になることしか考えていなかった。以来、海になることを目指すようになった。世間にも、法華経がある。職場で沢山のことを学んだ。否、今も学び続けている。「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295頁)の御書の一句は真実である。
その後、私自身、三組の仲人をした。
三組とも子宝に恵まれ、現在、幸せな家庭を築いている。

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# by sokanomori | 2010-03-19 06:47 | ふるさと | Trackback | Comments(8)

山陽新聞への池田先生の寄稿  

2010年 01月 18日

              ◇親戚から送られてきた新聞記事に涙。(TT)
一通の手紙が送られてきた。
岡山県倉敷市に住む、私の母方のいとこのMさん(あっちゃん)である。封筒には、岡山県内で60%の家庭が購読する山陽新聞の切り抜きが入っていた。
この地方紙に、創価学会名誉会長・池田大作とあり、先生の顔写真・オーストリア市民と歩く先生の写真が掲載されていた。この記事は、1月26日から岡山県立美術館で開催される、「華麗なるオーストリア大宮殿展」に対する、池田先生の寄稿文であった。内容を拝し、電撃に打たれたような感動が走り、涙が止まらなくなった。
今回の展示会は、芸術を最大に擁護してきたハプスブルグ家が収集した絵画や彫刻など、欧州の傑出した「最高の美」の展示会だ。池田先生は、ベートーベンの「芸術は、あらゆる人々を結合させる」との言葉を引用された後、岡山県に対する芸術性について語られていた。
「岡山県には古来、『美作』(みまさか)という地名がある。『美を作る』‥何と麗しき名前であろうか。備前焼も郷原漆器も、生活の中で『美』を作り、『美』に親しんでこられた岡山の方々の誇りだ。(中略) 私の若き日は、戦争の動乱の時代だった。その時代にあって、軍部政府と戦い、獄死した私の先師・牧口常三郎先生は『美の価値創造』を提唱した。実生活の中で、『利』の価値、『善』の価値と共に、『美』の価値を創造していくことが、幸福の光となり、それが、平和と人道の力となる」
私は、美作の出身である。記事を読み、池田先生から直接お話を聞き、抱擁されたように感じた。池田先生をとても身近に感じた。岡山は私の故郷であり、私自身である。
この記事は、私の生涯の宝になるであろう。
寄稿文は、「仏法では、『わが心に大宮殿あり』と説かれている。『晴れの国』岡山の若き世代の心に、希望と勇気の大宮殿が輝きゆくことを祈りたい」と締めくくられていた。
よ~し、我が胸中の内奥の宮殿を輝かせ、ハツラツと生きていくぞ!^^
あっちゃん、本当にありがとう。深く、御礼を申し上げます!(^^)
Mさん一家の過去の記事は、→ここをクリック!^^

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# by sokanomori | 2010-01-18 23:47 | ふるさと | Trackback | Comments(17)

母の誕生日  

2010年 01月 05日

                 ◇母の70歳の誕生日プレゼント。^^

1月5日。母の誕生日である。^^
昨年末、70歳の門出に購入した数珠を、大晦日に一足早く誕生日プレゼントとして渡した。
見たこともないキラキラ輝く数珠を見て、母は飛び上がらんばかりに喜んでくれた。(笑)
購入したときの記事は、→ここをクリック!^^
心臓弁膜症で、長くは生きられないと言われていた母である。

本当は、子供も産めないということであったが、何とか私を産んでくれた。二人目も出来たが、体を守るために産めなかった。冬になると、手が真っ白になって冷たかった。
結婚して、祖母に勧められ入信。当時、手にイボが沢山あったという。祖母から「シキミの水をつけると良くなるよ」と言われ、1週間ほどやってみた。入信して1ヶ月後、ふと手を見て驚いた。沢山あったイボが全て消えていた。初信の功徳である。
父が卸し業をしていた関係から、いつしか、食品の一部を仕入れて小売をするようになり、やがて食料品店を始めた。店は繁盛した。近所にスーパーができたが、その後も店は続いた。
その母が、今から6年前に大病を患い、続いて5年前に乳癌になった。
癌の知らせを聞いた時、私はショックでへなへなと道端に座り込んだ。私はすぐに田舎に帰り、地元の医者に頭を下げた。小雪の降る、寒い日だった。
「先生、どうか、私の母を宜しくお願いします」
母を精密検査した医者は、「お母さん、心臓弁膜症だ。心臓の手術もしないと、術後に放射線治療ができない。ここでは心臓の手術はできないから、岡山市内の大学病院を紹介しよう」と言った。結果、母は、最新設備の大学病院で、乳癌と心臓弁膜症の手術を受けたのである。
幸運にも、母の癌は、乳房の間にあり、胸を切除しなくて済んだ。
心臓の手術は、肋骨を外して行う大手術であった。手術は両方とも大成功した。
母は、健全な心臓を得て、溌剌と元気になった。癌になって、必要に迫られ、長年悩んでいた心臓病を克服したのである。まさに、変毒為薬である。
母は、今年3月で癌の摘出から満5年になる。^^

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# by sokanomori | 2010-01-05 22:27 | ふるさと | Trackback | Comments(4)

池田先生の詩  

2010年 01月 04日

                ◇私は何の取り柄もない子供でした。^^

子供のころ、私は体が弱かった。
30分も外で遊んでいると、熱を出した。なまちょろい痩せた子供。小児結核だった。
では、勉強はできたかというと、できない。
第一、病気だから学校に行けない。ケンカは弱いし、スポーツもできない。子供ながらに思ったものだ。「いつも平均以下だなぁ~」(笑)
しかし、そんな子供にも1つ取り柄があった。
創価学会の信仰である。
少年部、中等部と、知らず知らずのうちに、創価の庭で育まれた。衝撃的だったのは高等部のときに読んだ池田先生の詩である。「青年の譜」に衝撃を受けた。「天空に雲ありて 風吹けど 太陽は今日も昇る」‥この冒頭の一節から始まる一大叙事詩である。私は無言で、あるいは声に出し、この詩を幾度も読んだ。読むたびに、私の心は感動で満たされた。
「鉄は冷たい 烈風もある 鉄は重たい 汗も出る だが 労苦と使命にのみ 
人生の価値(たから)は生まれ 壮麗なる結晶の曲が響き渡る (中略)
われらの指標とは何か それは広宣流布 この執念の遠征が われらの生涯の旅路だ
名誉も勲章も われらにはいらない 赤裸々の人間 肉団の王宮の中で 
遊楽の人生道を歩みゆくのだ (中略) 青年よ! 生き抜くのだ 断じて生き抜くのだ
絢爛とした 総体革命の主体者として 決然 歴史に勝利するのだ」
池田先生の詩が、ダイヤモンドのクサビとなって、私の命の奥に突き刺さった。
そのクサビは、思春期の間中、私に訴えかけてきた。
「何か、良いことをしなければならない」という声が、私の心にいつも響くようになった。
私は、仕事でも、何でも、困っている人がいれば助けた。そうして、その行為が、やがて職場でも花開き、私の社会的立場を作っていく。創価学会員であったという唯一の取り柄が、私の人生を作ったのである。
これらかの人生もまた、創価学会が私を導き、私を奮い立たせてくれるであろう。
青年の譜には、84編の池田先生の詩が収められている。
何度読んでも、感動は失せることはない。^^

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# by sokanomori | 2010-01-04 18:46 | ふるさと | Trackback | Comments(6)

正月の餅  

2010年 01月 03日

              ◇お餅すら食べられない貧しい時代のお話。^^

祖母のオトメ(旧名:糸江)には、2人の子供がいた。すでに、祖母も含め、全員、亡くなっている。2人の子供とは、私の父(一夫)と、父の妹(弥生)である。
左写真は、父がまだ独身の時のもので、妹の叔母と一緒に撮影していた写真である。叔母は結婚しており、2人の子供を授かっていた。
祖母の信心は確かなものであった。若いころの父は、あまり信心に熱心ではなかったようだ。
叔母に至っては、信心をした形跡がない。
祖母の信仰は、私の父と母が受け継ぎ、そして、不肖ながら私が引き継いだ。
若くして夫を亡くした祖母と2人の子供は、大変貧しい生活をしていた。正月に食べる餅がなく、雑煮と称して大根の輪切りを入れたという。
「ええか、これは餅だよ。近所の人から『餅は食べたか』と聞かれたら、『食べた』と答えなさい。決して、ダイコンだったなんて言ってはいけんよ」と祖母は言った。
このとき、叔母の弥生は、「これは、お餅じゃないもん!」と言って泣いたという。
戦争を前後して、恐ろしい貧困と空腹に苦しんでいた。父が言うには、「ヌカを料理して食べようとしたことがあるが、さすがに食えんかった」とのことである。本当の貧しさとは凄まじいものである。父は、生涯、食べることと飲むことにはこだわっていた。
一升でも平気で飲んでしまう父であった。幼少期に食べられなかったことが、後に、「美味いものを食べることと飲めることが幸せ」という父の思想を作った。
菊川家は、昔、それなりの家柄であったようだが、祖母は一番貧乏くじを引き、一家は貧しい庶民の底辺にいた。そのどん底の祖母が、創価学会の話を聞いたのは昭和31年のことである。町一番不幸だったから、町で一番最初に信心をした。不幸のどん底で、藁をも掴む気持ちでこの信仰を始めたのである。その後、祖母は急速に幸せになっていく。
その祖母の体験は、→ここをクリック!
お正月。お餅を食べるたびに思い出す話である。今年も感謝をしつつ、母の作ったお雑煮を食べた。いつものことながら、とっても美味しかった。^^

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# by sokanomori | 2010-01-03 13:33 | ふるさと | Trackback | Comments(4)

誕生日プレゼント  

2009年 11月 30日

                 ◇70歳の母に大感謝を込めて。(^^)
年末の帰郷に備え、信濃町へ。
目的は、岡山の母へのお土産の購入である。買ったのは、唱題表やご祈念帳などの例年の品々。昨年のお土産の記事は、→ここをクリック!
1月5日が母の誕生日である。例年、花束を贈っているが、来年は特別だ。
会長就任50周年、創立80周年という輝かしい明年、その1月に母は70歳になる。そこで、気は早いが、私は、母に数珠をプレゼントしたいと思った。
キラキラ輝く70代の人生を過ごしてもらいたい‥。そう思いつつ展示されている女性用の数珠を探した。いまいち、イメージに合う数珠がない。2店舗回ったが納得できない。
3件目の店に入った。「ここにもないのかなぁ~」と思いつつ見渡すと、店の目立たない場所に鍵付のガラスケースがある。見ると、キラキラと素敵に光る数珠があるではないか!
しかし、値段が高いのである。数珠で1万円を超える品は初めて見た。しかも箱入り&半年間の保証書付き。迷った。ガラスケースの前に立つこと10分間‥。「よ~し!購入しよう!」と決意した。プレゼントということで、包装紙に包んで頂いた。(^^)
私が購入した数珠は、ガラス製で、一部宝石が使われている。揉むと糸が切れやすく、傷付く可能性があるとのこと。使用する際には揉まないことが条件だ。私は母に、来年の晴れやかな元旦勤行会に、この数珠を持って参加してもらいたいと思った。できれば、今後の本部幹部会同放には、この数珠を持って参加してほしい。
毎月、お正月のように、おめでたくなるであろう。^^
幾多の困難を全て乗り越えた母である。出来の悪い息子のプチ親孝行である。^^
70代は、母の人生の総仕上げの10年である。女王の如く、悠然と、この念珠と共に輝いてほしい。お母ちゃん、もうすぐ帰郷します。待っていてくださいネ!(^^)

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# by sokanomori | 2009-11-30 23:26 | ふるさと | Trackback | Comments(24)

叔母からの贈り物  

2009年 11月 26日

                ◇岡山の叔母から頂いた高級梨です。(^^)
先日、梨が送られてきた。
ちょうど霊能力シリーズを書き始めたときだった。「寝台特急の夜」でご紹介した叔母からの贈り物。以前の記事は、→ここをクリック!
真心こもった手紙が入っていました。その手紙を抜粋してご紹介いたします。^^

秋も深まり、紅葉の季節となりました。如何お暮らしで御座居ますか。
おじさんの葬儀の際には、遠い所おいで下さいまして、大変お疲れだったと思います。
感謝の念で一杯で、お礼の言葉も御座居ません。
重ねて、お供えを戴きまして申し訳御座居ません。
おじさんも、広幸さんに来て頂いた姿を見て、きっと満足して旅立ったと思います。
体調を悪くして、足掛け九年間。長い様で、短い様な月日でした。
病んでからは、三日間の、あっという間の最後でしたので、今も他界したという実感がなく、又、帰って来たような気持ちで毎日を暮らして居ます。
おばさんも、今、出合いがあって別れがあったのだとつくづく感じて居ます。
早いか、遅いか、誰もが通る道と諦めて頑張って居ます。ご心配なく。
平成十三年九月一日、広幸さんがお父さんを偲んで送って戴いた手紙を、今日、再読して泣きました。あのお手紙は、おばさんの大切な宝物です。
気持ちだけの品を送りますので、お受け取り下さいませ。
まずは、遅ればせながらお礼のみ。
日毎に寒さも加わりますので、御無理のなき様。
山間地より、ご健康、心よりお祈りいたします。かしこ
平成弐拾壱年拾壱月拾壱日
広幸様

叔母さん、ありがとうございました! 
お手紙を読んで、ドバーッと泣きました。(^^)

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# by sokanomori | 2009-11-26 22:29 | ふるさと | Trackback | Comments(9)

寝台特急の夜  

2009年 10月 04日

                    ◇故郷の葬儀で思ったこと。^^

叔父が死去した。享年86歳であった。
一昨日、夜行バスで岡山に帰り、叔父の葬儀に参加した。葬儀終了後、寝台特急「サンライズ出雲」に乗車して帰京した。
叔父の家に着いたのは、葬儀の1時間前のことである。母は、前日の通夜から一泊し、叔母を励ましつつ私の到着を待っていた。私は母や親戚と共に、叔父を来世へと見送った。
私には信仰があるから、死を消滅とは捉えない。死は、次なる生の旅立ちの時である。加えて、人生の総仕上げが死である。
叔父は学会員ではなかった。他宗のしきたりでの葬儀であった。焼香を終え、出棺。火葬して骨を拾った。人間の骨。真っ白な骨を見て、叔父の今生の終焉を悟った。叔父はすでにこの世にはいないのだ。生前の境涯を持ち、来世へと渡ったのだ。
私には叔父との想い出がある。幼少のころ、松茸山でお腹一杯、マツタケを食べさせてもらった。その時、木の枝をナイフで削り、箸を作ってもらった。マツタケを炭火で焼き、酢醤油で食べ、すき焼きにまで入れてくれた。贅沢の極みである。その時の、叔父の愛情あふれる笑顔が鮮烈に記憶に残っている。葬儀の前後、残された叔母との対話に私は泣いた。悲しくて泣いたのではない。叔母の美しい心と、叔父に対する感謝の心から泣いたのである。
葬儀は、権教の読経だった。叔父は、生涯、創価を知らず、法華経を知らずして逝った。
経典は、いかに生きるべきかを説いたものである。では、何故、仏教の教えを死に際して読み上げるのか。思うに、最高の人生とは何かを謳い述べることで、死者の来世の人生が最高のものになるよう、願いを込めたのではないか。加えて、残された遺族が仏の教えを学び、再びの歩みを開始できるようにとの意味が込められているのではないか‥そんなことを考えながら、私は寝台特急の天井を見上げていた。
人は生きて、いつか死ぬ。死と共に、灰となる。小さな骨壺に収められ、墓に入る。
私達は、限りある人生を生きている。火葬され、真っ白な骨になったとき、最高の境涯を持って再びの広宣流布の旅路を歩みたい。そんな強固な自分を作りたいと思った。

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# by sokanomori | 2009-10-04 23:57 | ふるさと | Trackback | Comments(16)

祖母の形見  

2009年 09月 19日

                ◇正本堂ご供養の貯金箱と祖母の信心

プラスチックで出来た高さ10㎝程度の小箱。
大石寺の正本堂を建立するために、当時、学会員に配布された貯金箱である。小さくて、いくらも貯まらないであろう大きさ。この貯金箱は、今は亡き祖母の形見である。
左写真は、祖母の最晩年の写真である。明治生まれの祖母が創価学会に入信したのは昭和31年10月12日のことである。貧困と病苦の中で、藁をも掴む気持ちで入信したのである。

この愛すべき祖母は、生涯、純粋な信心を貫き、平成4年6月12日、83歳で今生の使命を終えた。この貯金箱を見るたびに、祖母をとても身近に感じる。
戦時中の悲惨な貧困生活の話は、父を通じて聞いている。正月に餅がなく、汁に大根の輪切りが入っていた。祖母は子供達に、「ええか、これは餅じゃよ。近所の人に『餅は食べたか』と聞かれたら、食べたと答えるんよ」と言った。娘の叔母は、「これは餅じゃないもん!」と言って泣いたという。正月に餅すらなく、大根の輪切りを餅に見立てて食べなければならないほど貧しかったのである。本当の貧しさとは凄まじいものである。
祖母は、この貧困の話を、私には一切しなかった。いつも微笑み、孫の私に接してくれた。そんな話を、私に話したところで理解しないと思ったのであろうか。
この真心のご供養で建立した正本堂も、それ以前に造られた大客殿も、今はこの世にない。創価学会員の真心を、日顕一派が破壊したのである。宗門は本当に馬鹿なことをしたものだ。宗門の過去の記事は、→ここをクリック!
されど、建物は破壊できても、我々の心の中の正本堂は永遠に破壊することはできない。
私達の心の中には、美しく聳え立つ正本堂と大客殿が鮮明に残っている。
真実の日蓮正宗は、我ら創価学会の中にあるのだ。
祖母よ、偉大なる創価への導き人よ。貴方がいなければ、私の信仰はなかった。
ありがとう、祖母よ!創価の偉大なる先駆者よ!万歳!!^^
祖母の過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-09-19 23:59 | ふるさと | Trackback | Comments(12)

偉大なる母へ  

2009年 09月 06日

               ◇お母ちゃん、ほんまにご苦労様でした。^^
映像は、母の若かりし頃の写真である。^^
この岡山の母が、今回、どのような闘いをしたのか‥皆様に、選挙投票日前夜の電話から、ほんの少しご紹介いたしましょう。^^
「お母ちゃん、お疲れさまでしたね~。F、どのぐらいやった?」
「う~ん、300なんぼ。300からは、よう分からんようになった」
「え~っ!?300!‥ス、スゴイなぁ~!」(絶句‥)
「ところで、広幸はどのぐらいやったん?」
「えー。僕としては、50というところです」
「何じゃて!?‥広幸!そんなん、戦ったうちじゃなかろ。もっとやらんと!」
「じゃけんど、過去から見れば一番の内容なんよ。
親戚はお母ちゃんの守備範囲じゃし。まあ、今回はこんなところです。
ところで、お母ちゃん、300の内、実際に投票してくれる人、なんぼおる?」
「なんぼかなぁ‥どうかなぁ‥分からんなぁ‥」
「そう言えば、今回は民主に入れる言う人、多かったろ」
「そう、今回は民主に入れるいうてな、話しても駄目じゃいうて。分かってもらえんかった」
こんな対話でした。スミマセン、現地言葉で。(笑)
母はパワーアップしていました。母は元気ですし、幸せです。私が母の領域に到達することが、今後できるのだろうかと考えさせられました。まぁ、いつか、その領域に近づけるように、力をつけたいと思います。ともあれ、お題目を僕の3倍やって、Fを6倍やるお母ちゃん、あなたは本当に偉大です。^^
現在の私の母の写真を見たい方は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-09-06 22:42 | ふるさと | Trackback | Comments(15)

hanaへ  

2009年 07月 11日

◇貧しい時代の旧友に感謝。^^

hanaは、私と同級生の親友です。
本日、hanaと電話で話をした。「菊川、中野区に票はないか?」と言われた。「中野区、う~ん、ないなぁ」というと、「そうか。あそこは右翼が立候補していて、どうしても落したいんだ」とのことであった。きっと、よほどの何かがあるのだろう。
このhanaとは、岡山からyamaさんという学生部の先輩を頼って上京。2人で浪人していた仲なのです。
日々、宗教、哲学、人生どう生きるべきかを話あった。時には、口論にもなり、3日ほど、口をきかなっかこともある。^^
hana。貴方は3畳一間、私は4畳半に住んでいた。風呂もキッチンもない部屋だったが、hanaの部屋は飛び切り暗かった。お互い貧しくて、食べることも事欠いた。
hanaは水の信心、私は火の信心だった。性格も、体格も、雰囲気もまったく違う2人だったが、hanaの池田先生を求める一念と祈りの真剣さは、今も私はかないません。^^
私が聖教新聞に落書きしていて、池田先生の顔のあたりにボールペンで書いていたら、「菊川、お前、よくそんなことができるな!」と怒っていたね。hanaの反応にはビックリしたよ。
もっとも、私の信心はその程度だったのだけど。^^
当時、僕たちの未来が明るいなんて、思えなかったよね。このまま、鳴かず飛ばずで、創価学会に泥を塗るんじゃないかと真剣に悩んでいた。よくhana、言ってたな。「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(御書全集1163頁)と。
多感な時代だった。池田先生の指導と自分の駄目なところを見比べて、惨めだったなぁ。
今、あれから、30年たった。hanaも私も、それぞれ本当に幸せになったね。
yamaさんなんか、立派な会社の社長だもんな。本当に凄い。これこそ、本当に功徳だね。
hana、ありがとう。hanaとは、生涯、励ましあって生きていくんだろうと思います。^^
hanaさんの以前の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-07-11 22:46 | ふるさと | Trackback | Comments(15)

父の日  

2009年 06月 21日

                    ◇父と墓苑に行ったときのこと
私は、父を8年前に亡くしました。
亡くなる前年の夏の終わり、広島県北部にある永代供養の墓苑に行きました。
このとき、父は、自らが入る墓を見たのです。もう、長くないことを知っていた父。
年明けの正月。父は、「桜が見れるかなぁ」と言っていた。その父は、桜が咲く直前に逝った。今、思い出したけれど、葬式が終わったときから桜が咲き始めたのでした。
広島の墓苑は、創価家族の墓苑。皆、平等に、同じ形をした墓石が幾千と連なっています。清々しい墓苑に、私たちは安堵し、満たされました。
上写真には、想い出が一杯詰まっているのです。当時の父のつぶやきや笑い声、母の声や行為を、まるで昨日のことのように想い出すことができる。これが我が父の最晩年の姿であり、看病に徹した母の姿なのです。
親への感謝の念は、年を重ねるごとに深く大きくなるもの。父が亡くなるまでは、父が幸せだったとは分からなかったけれど、今、思うに、間違いなく幸せだったのです。
父よ。あなたは今、どこにいるか。今、何を指向しているか。いずこに生まれんとするか。生前の境涯を大宇宙に溶け込ませながら、生まれ出る瞬間を待っているのではないか。
戦時中の極貧に生まれ育った父。恐るべき空腹にあなたは耐え、恐るべき悲惨を目の当たりにしながら、あなたは忍んだ。父よ、本当に、本当にありがとう!
本日、我が父を偲んで祈りました。瞼の父は、にっこりとほほ笑んでいました。
父に関する過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-06-21 22:40 | ふるさと | Trackback | Comments(11)

続・母の日の出来事  

2009年 05月 11日

                     ◇私と妻の母親について

昨日の日曜日。昼頃のこと。
2階のベランダから庭を見ると、妻のお母さんがせっせと庭仕事をしていました。庭のオオデマリの樹が大量の花咲かせており、風で芝の上に落ちた花吹雪を掃除されていたのです。
そこで、写真を2階からパチッ!^^
妻のお母さんですから、私のお母さんでもあるのです。6年前から、一緒に生活しています。

私は仕事ばかりで、家のことは何もしません。家を綺麗にして下さり、守ってくださっているのは、妻のご両親なのです。私のワガママを大目にも見ていただいています。
灯台元暮らしで、日頃、あまり庭を見ていなかったのですが、花が一斉に咲いていました。近所の人から、「菊川さんの家、いつも花盛りですよね~」と言われるのですが、若夫婦は何もしておらず、全て、妻の両親が行ってくださっているという具合なのです。(笑)
その中で迎えた母の日。夕食時に、日頃の感謝を申し上げ、プレゼントをしました。加えて、池田先生が届けてくださったカーネーションの報告をしました。妻の両親は学会員ではありませんが、学会の良き理解者になってくださっています。^^
さて、岡山の母ですが、先日、送ったカーネーションと当ブログの5月号の別刷りが届いたとのこと。電話で30分ほど話しました。母は、ブログの10篇程度の別刷りが楽しみだと言っていました。このブログが、私の母への親孝行になっているのですから不思議です。^^
池田先生からプレゼントもいただき、2人の母が喜んでくれて、最高の1日になりました。^^

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# by sokanomori | 2009-05-11 23:33 | ふるさと | Trackback | Comments(8)

19歳  

2009年 04月 08日

                ◇出口のないトンネルを歩いていました。
19歳のときのお話をします。
私は浪人し、その後も、恵まれない不遇な時代が大学を卒業するまで続きました。
私の人生で、もっとも虚しく、もっとも暗い時代が19歳の時でした。
友人は、輝かしい大学生活を謳歌し、大学のキャンパスで生き生きと輝いていました。
私は、出口の見えないトンネルにしゃがみこんでぶるぶる振るえていました。
当時の私には、夢もなく、希望もなく、自身が何をすればいいのかも分かりませんでした。
心の中に、「何か、世のためになることをしなければならない」という声だけがしていました。
しかし、その「何か」が具体的に掴めず、憔悴した心で悶々としていました。
多くの友人たちは、輝かしい翼を持ち、青空を自由に飛んでいるように見えました。
私は、自らの飛べそうにない変形した翼を恨めしく思っていました。
ある日、友人のhanaが、「創価大学の体育祭に行こう」と言うので、同行したとき、池田先生とばったり遭遇しました。
暗い校庭の一角で、気がつくと写真を撮られ、後日、その写真が送られてきました。
「祈っていたんだ。菊川、僕に感謝しないとね!」と目を輝かせながら言っていたhana。
思い出したよ、hana。あぁ、それは19歳の時だったね。
戸田先生と池田先生の出会いが19歳だったように、私たちは、そのとき、確かに師匠に会っていたんだ。
この写真のhanaの生き生きとした姿と、私のボヨボヨした姿が当時を象徴しているね。
その後、2人は大学を卒業し、やがて社会人になった。あれから、30年。
Hana、ありがとう。貴方は、本当にかけがえのない友人です。^^

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追伸:本件の記事に批判文書は受け付けません。私の最も大事な想い出ですから。
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# by sokanomori | 2009-04-08 00:36 | ふるさと | Trackback | Comments(9)

親孝行  

2009年 03月 29日

                   ◇親孝行とは何でしょうか?^^
父は、8年前に亡くなりました。
死の3ヶ月前、病院で父の伸びたヒゲを剃ってあげたことが、最後の親孝行でした。
随分弱っていて、顔を洗うのにも時間がかかっていた父。その父の頬に泡をつけ、安全カミソリでヒゲを剃りました。もう、長くないことを父も悟り、私も知っていました。父のヒゲを剃っているうちに、父の目からも、私の目からも、涙が止まりませんでした。親子の絆は、魂と魂で共鳴するものです。
「広幸。わしは死ぬことなんか、ちっとも怖くないぞ。それより、お母ちゃんを頼むな。お母ちゃんを助けてやってくれ」 これが、私が聞いた、父の最後の言葉でした。
父を失った母は、想像以上に落胆しました。私は遠く関東に居を構えており、田舎に母を1人にしていることを悩みました。ある日、「お母ちゃん、関東に出てこないか?」と聞くと、「私は田舎が好きだから」と断られました。母にとって、岡山の実家は、父と建てた世界一の城なのです。でも、幸いなことに、地元の学会員さんの交流と励ましは、親戚のように温かく、やがて母の傷は癒えることになります。
当時、私は、「親孝行とは何か」ということで大変悩みました。池田先生の指導の中に、「1日1回でいいから、両親に笑顔を見せてあげることだよ」という指導がありましたが、それすら出来ない自分を心から情けなく思いました。私は、できることは何かと考え、励ましの手紙を書くことにしました。1~2週間ごとに、私の気持ちや近況報告を綴りました。その手紙は3年間続けました。今、上写真の手紙やハガキは、母の宝物になっています。
一番の親孝行は、立派な信仰に生きることだと思っています。息子として、堂々と、世のため人のために生き抜くことこそ、母の最大の誉れであり、幸福だからです。^^

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# by sokanomori | 2009-03-29 17:00 | ふるさと | Trackback | Comments(4)

創価教育  

2009年 03月 11日

             ◇創価学会は、世界最高の教育システムです。^^
写真は、私の幼少期のものです。
母とお題目を唱えている時に、父が撮影してくれたのでしょう。^^
父も母も、貧しい庶民の出でしたから、高等教育を受けていません。庶民の父母の間に生まれた私は、当然のことながら庶民の子供でした。
私は両親から、世の中の仕組みや、世渡りの方法など、社会的なことは教えてもらえませんでした。母は、今も、「お前は勝手に育ったんよ」と言います。でも、現実に、勝手に育つ子供はいません。実は、私は、創価学会に育てられたのです。^^
父は一升でも飲んでしまう大酒飲み。母は心臓弁膜症でした。お世辞にも、恵まれた家庭ではありません。でも、両親は、私に世界最高の宗教を与えてくれました。私は両親の信仰を観察し、周囲の学会の人たちの行動を見て育ちました。家には学会の書物がいくつもありました。両親は読まないのですが、私が読むという具合。いつしか、私の精神を、創価学会が作り上げていくことになります。
人を殺したり、盗んだり、世を震撼させる事件の数々を見て、哲学なき家庭の子供の悲惨が可哀そうでなりません。創価学会の宗教とは、世界最高の教育システムだと思います。世の父母は、そのことを深く知るべきで、素晴らしい信仰にその子供を置いてあげれば、口うるさく言わなくても育ってくれるのです。^^
創価学会の信仰そのものが、創価教育だと私は考えています。何も、創価学園や創価大学に行かなくても、全員が創価学会に育まれるのです。^^

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# by sokanomori | 2009-03-11 23:21 | ふるさと | Trackback(1) | Comments(6)

Mさん一家の東京見学  

2009年 03月 09日

                ◇初飛行&初東京タワー見学をサポート

Mさんはいつも、当ブログを見てくださっている岡山の親戚です。何と、ご主人の勤続25周年のご褒美に、ディズニーランド招待旅行をゲットされ、東京へご来訪されました。^^
家族揃って、初飛行。岡山空港から羽田空港へ。天気が良くて、美しい富士山の火口が見えて上機嫌でした。当然のことながら、私はMさん一家をサポート。東京タワーを見学したいとのことで、一緒に行きました。
私、人生3度目の展望台へ。エレベーター、半端でなく高かった。中二のよっちゃんと小五のみっちゃん。喜んでましたね。日本人として生まれたのですから、東京タワーは一度は昇ってみたい場所。何と、ちょうど50周年でした。私より年上でした。スゴイですネ!^^
半世紀に渡り、風雨に耐え、威風堂々の勇姿に圧倒されました。展望台からの夜景も素晴らしいのですが、下から見上げる東京タワーも圧巻。基本設計の素晴らしさと、職人の方々の懸命の努力で、東京タワーは、今も美しく輝いていました。
私は、20年ぶりに行きましたが、みやげ物の販売コーナーや各種イベント会場など、充実していました。あっちゃん、ご主人に感謝しないとネ。この不景気の世の中で、一家全員をディズニー旅行ご招待なんて会社はありません!^^
私は東京タワー見学のみの同行でしたが、本番は翌日からのディズニーランド。子供達、生涯忘れることのない想い出を作ったことでしょう。Mさん(あっちゃん)は、学会員ではありません。明日の夜、成田空港から帰郷します。^^

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追伸:後日、Mさん一家から手紙を頂きました。子供たち、綺麗な字で嬉しいこと書いてくれました。よっちゃん⇒「東京タワーに行きたいと言ったのは私。展望台から、国会議事堂や六本木ヒルズが見えた。眺めが本当に綺麗で、目に焼き付いています」みっちゃん⇒「生涯で一番の思い出になりました」…手紙は、最高の宝物になりました。ありがとさんです。^^
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# by sokanomori | 2009-03-09 22:52 | ふるさと | Trackback | Comments(2)

母の祈り  

2009年 02月 20日

                   ◇忍耐強く祈り続ける母の人生
岡山に1人暮らしの母は、1年間に200~300万遍の唱題をします。
私自身、100万遍を5ヶ月間でしたことがありますが、その時は一日中、唱題しているような感じでした。私の場合、1年間に100万遍が上限で、モジモジと落ち着きのない祈りですが、母の唱題は違います。上写真は、私の母が唱題しているところを撮影したもの。下写真は、昨年の母の唱題表。母は、祈りあがれば、「絶対に幸せが継続できる」、あるいは、「苦難が押し寄せてきたとしても、絶対に打ち勝つことができる」という確信があります。強風にもびくともせず、富士のように堂々と祈る母。母の祈りには、いつも感服させられます。^^

母には苦労が絶えませんでした。
母は風雪に耐え、苦難の全てに打ち勝ち、今、愉快で楽しい老後を過ごしています。
苦労がないことが幸せではありませんよネ。
むしろ、苦労の無い人生では、小さな弱々しい幸せしか得られないのではないでしょうか。困難が人を高め、苦労が精神を深く大きくし、毒変じて大きな幸せへと繋がるのですから。^^
今月、2月10日の聖教新聞に、池田先生が「偉大なる尊き母の交響楽」という詩を発表されていましたネ。「母を軽蔑したり/ないがしろにしたり/苦しめたりする者は/その心の中がすでに地獄の暗黒なのだ/母を苛める奴!/母を泣かせる奴!/母を大切にしない奴!/これこそ、平和と幸福の社会をぶち壊す世界一の悪党たちだ/母にあらゆる真心と愛情を捧げていくことだ/これが人間だ/みな人間は母から生まれてきた/母が命懸けで生んでくれた‥」と。感動でウルウルしました。^^
親不孝をする宗教心のない人間は、本当に不幸だと思います。私は過去、どうすれば親孝行が出来るのか悩んだ時期があります。近頃、ほんの少しではありますが、親孝行ができるようなりました。元気な母の存在は、私にとって最大の喜びであり、幸せです。^^
私の小さな親孝行の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-02-20 22:14 | ふるさと | Trackback | Comments(0)

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