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日大三・山崎君、病気の子に夢与えた力投 脳腫瘍を克服

2010年04月03日

(3日、興南10―5日大三)

写真興南―日大三 6回表興南1死二塁、1死をとり、仲間に声を掛ける投手の山崎君=飯塚晋一撮影

 春の甲子園決勝で、敗れはしたが見事な投球を見せた日大三のエース山崎福也(さちや)君(3年)は、2年前に小児脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けていた。動けなくなるリスクもあると言われた手術を乗り越えて活躍する姿は、病気と闘う子どもたちやその親を勇気づけている。

 今年の開会式は3月21日。日程を聞いたとき山崎君は思った。「お。運命的だな」

 腫瘍が見つかったのは高校入学直前の冬だった。いい機会だから、と母の路子さん(48)に勧められて受けた精密検査でわかった。

 「野球なんか、とんでもない」「手術にも、脳幹などを傷つけて自発呼吸ができなくなったり歩けなくなったりするリスクがある」と数カ所の病院で言われた末、「全部取る自信がある」と言ってくれた北海道大学病院で手術を受けた。その日が「3月21日」だった。麻酔が切れたとき、医師がほおをたたいて言った。「野球、できるよ」

 翌日、病室のテレビを見た。選抜高校野球の開会式。聖望学園(埼玉)から出場した兄の福之(ふくゆき)さんが入場行進していた。思わず立ち上がり、「全身の管を取って」と頼んだ。約1週間で退院し、「驚異的な回復」と医師に言われた。

 今も埼玉医大の病院に定期検査に通っている。昨年3月、そこに小児がんの小学6年生が入院していることを母の知人から聞き、見舞いに訪れた。長谷部草太朗君。小1から少年野球チームに入り、小2から毎年甲子園を訪れていた。病気がわかったのも甲子園だった。2008年夏の大会を観戦中、激しい腹痛を訴えて球場の医務室に運ばれたという。

 集中治療室にいた草太朗君と話すことはできなかったが、山崎君は日大三のタオルや兄が持ち帰った甲子園の土を贈った。草太朗君は「僕もいつか甲子園に行きたい」と、ベッドの上で選抜のラジオ中継を聞いていた。2カ月後、12歳で息を引き取った。

 草太朗君の父で埼玉県入間市の会社員義之さん(42)は、今大会の準決勝を日大三のベンチに近い観客席で観戦した。仕事の都合で試合後すぐ球場を離れ、山崎君と話はできなかったが、プレーを見ていてこう感じた。「自分のためというよりも、病気で苦しんでいる人や世話になったみんなのために頑張っているのではないか」

 山崎君は小児脳腫瘍の会の集まりに顔を出したことがある。代表の坂本照巳(てるみ)さん(53)は「体も動かせない子どもたちがいるなかで、山崎君の姿は夢。元気に野球を続けてほしい」と話す。

 「病気と手術を経験して、すべてのことに感謝し、幸せだと思えるようになった。打席では勝負強く、マウンドでは冷静でいられるようになった」と山崎君は言う。「最後まで戦ったことで、病気の子どもたちにもいい姿を見せられたと思う」とほほえんで甲子園を去った。(千葉恵理子、平嶋崇史)


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