政府は、殺人罪などの時効を廃止する刑事訴訟法と刑法の改正案を閣議決定した。3月中にも国会に提出する。
被害者・遺族の心情とそれを支持する世論を受けた法改正である。しかし、時効廃止には異論や疑問もつきまとう。
かえって冤罪(えんざい)を生む恐れがある。法律を施行前にさかのぼって適用することを禁じた憲法に反するのではないか。そんな懸念を指摘する声もある。
明治時代から130年続いてきた制度の大転換である。拙速な法改正は後世に禍根を残す。懸念や疑問を払拭(ふっしょく)する徹底的な国会論議を求めたい。
廃止、見直しの対象となるのは「人を死なせた罪」である。このうち、殺人や強盗殺人など最高刑が死刑の罪は時効(現行25年)を廃止する。
強姦(ごうかん)致死など無期懲役がある罪は現行15年を30年に、傷害致死や遺棄致死などは10年を20年に、それぞれ延長する。過失致死は3年のままに据え置く。
現行刑訴法では、人を殺しても時効を迎えるまで逃げ通せば罪に問われない。遺族にしてみれば、時効は犯人の「逃げ得」を許す理不尽な制度に映る。
肉親の命を奪われた遺族の悲嘆と無念を思えば、時効はない方がいい。国民の半数以上も、そう思っている。それが法改正を後押しした。
背景には、DNA鑑定や画像解析技術など科学捜査の進歩で、長い年月が経過した未解決事件でも容疑者が特定される可能性が高くなったこともある。
そうではあっても、何十年もたって逮捕・起訴された被告にとっては、関係者が死亡するなどして、無罪を証明する証拠や証言を得られなくなる恐れがある。
検察にしても、それは同じだ。科学的な証拠は残せても、関係者の記憶が薄れ、犯罪の立証に必要な目撃証言やアリバイ確認が難しくなるだろう。
日本弁護士連合会が、時効廃止を「冤罪を生む新たな要因になりかねない」と懸念するのもこのためだ。
時効が進行中の過去の事件に改正法を適用することにも異論が多い。
憲法は39条で「実行時に適法だった行為は処罰されない」ことを定めている。後からできた不利益な法律で裁かれることがあってはならない、とする憲法の原則に抵触するのではないか。
千葉景子法相は「新たに処罰するわけではないので憲法には反しない」と言うが、冤罪への懸念とともに、国会の場で丁寧な説明と議論を求めたい。
対象犯罪の「線引き」にも、被害者・遺族には不満があるだろう。例えば、強盗強姦致死は時効がなくなるが、強姦致死の時効は存続される。なぜなのか。遺族でなくても疑問は残る。
被害者重視は時代の流れでもあるが、法制度が感情に左右されるような社会は危うい。被害者感情だけでなく、犯罪捜査の実情や被告の人権にも配慮した法案審議が必要だろう。
=2010/03/13付 西日本新聞朝刊=