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――この本が書店に並ぶのとほぼ同じころ、「世界」という雑誌に掲載された小論が、一部ではありますけど、大きな話題となりました。
北田 2ちゃん界隈ですね(笑)。
――それだけじゃないと思いますが……。でもタイトルが「嗤う日本のナショナリズム――『2ちゃんねる』にみるアイロニズムとロマン主義」ですから(笑)。北田さんは、2ちゃんをよくご覧になっているんですか?
北田 昔に比べると少なくなりましたね。あの論文の話ともつながりますけど、やっぱり2ちゃんがつまらなくなっているように思うんです。2ちゃんの面白さって、もともとは、学級委員みたいな存在を嗤うようなアイロニカルなコミュニケーションにあったんじゃないかと。ところが、そういう皮肉さみたいなものが少しずつ摩滅してきて、《繋がり》の持続だけを求める形式主義的な傾向が強くなった。そこに「嫌韓」とか「反サヨ」とか分かりやすいロマン的課題が流れ込んできてしまって、いつのまにか自分が正義の人、学級委員長になってしまっている。他人の自意識をせせら笑う皮肉屋自身が、誰よりもナイーブに自意識を肥大させているという感じでしょうか。
――ヘンテコリンな自意識の肥大の仕方ですね。自分を相対化することができないと?
北田 「お前モナー」ばかりが増殖して、「漏れモナー」がない。自分もバカにしながら、アイロニカルに世界を嗤う、それをおもしろく繋げていくという回路がなくなってきているような印象を受けます。あの論文でも、ナショナリズム云々よりも、自分を相対化することに耐えられないことのほうが大きな問題だと言いたかったわけです。それはリベラルな精神の欠如でもある。リベラリズムというのは、基本的にはアイロニーの思想だと思いますし。このことは2ちゃんだけじゃなくて、若者文化全般の変化と関係しているような感じがします。
――東浩紀さんが言っている「動物化」にもつながる話ですね。
北田 ええ。「現在」だけを生きていて歴史感覚がない。大学で学生を見ていても、そう感じることが少なくありません。ベックは聴くけど、ジェフ・ベックは知らないみたいな。2ちゃんも若い人は携帯で書き込んでいる人がけっこう多い。そうすると、スレッドを見ているかどうかも怪しいですよ。たった5分間の歴史すら参照しないんじゃないかと。ただただ《繋がり》だけのために反射的に書き込む。あの論文についても、ほんとに動物的に受容されてしまって。発売前に、2ちゃんの「ニュース速報」にいくつかスレッドが立ってました。
――すごい……
北田 誰も読んでない状況なのに、「コイツ(北田)はバカだ」と(笑)。岩波書店の『世界』に掲載されてる」→「左翼である」→「左翼はアホである」→「北田はアホである」。ゆえに読む必要なし、以上証明終了。そういうすごい論理で終わり(笑)。で、発売になったころには、議論はなくなっているんです。悲しいくらいにこの論文に書いたことが実証されてしまったわけです。
――そこまでいくと、歴史感覚以前だという気もしますが。ただ一般的にいっても、たしかに、ルーツを尋ねようという態度ってなくなりましたね。
北田 2ちゃん情報をそのまま受け取る人すらいますからね。「2ちゃんを見てはじめて韓国の人間はヒドイ奴らであることが分かった」と大マジメにいう学生を見たときはビックリしましたね。そういう学生が、たとえば「メディア批判」の大切さとか言う。2ちゃんねるを素で受けてる人がそんなこと言うなよって。まずは2ちゃんを「嗤う」リテラシーを身につけなくてはならない。 |
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■『広告都市・東京』(北田暁大/廣済堂出版)
映画『トゥルーマン・ショー』を広告論として鮮やかに読み解いた第一章を経て、かの映画が描き出す広告空間をまんまなぞった、消費社会の主役都市・渋谷の誕生と死を見届ける。すでに〈他郷〉としてしか渋谷を受容できなかった著者が捧げる〈80年代〉鎮魂の書。 |
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