2010年4月2日(金)
3月28日再送
携帯から投稿したら途中で文字数オーバーしていたので再送します。
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つづきです。
28日は、外国人の排斥反対 多民族共生社会をつくろう 朝鮮学校への攻撃を許
さない 京都円山集会へ。
恐れ多くも司会を務めさせてもらいました。
参加者は900人!
配布した資料からカウントしたので実数に近いです。
これだけの人が集まった背景には、
「外国人は日本から出ていけ」と叫ぶ集団が活動をしはじめたことがあります。
昨年12月に京都朝鮮第一初級学校に対して危害を加えた集団が、
1月になって再び学校の周辺で差別をあおる行動を起こし、
3月には在日朝鮮人高齢者のデイケア施設に「抗議文」といいながら、
脅迫文章をもって押し掛けようとするさわぎを起こしました。
デイケア施設へのなだれこみは集まった100人の人たちによって食い止められ
ましたが、
東九条という集住地区で言いたい放題の差別発言をしていきました。
同じ集住地区である宇治市のウトロでも、その集団は朝鮮人を追い出す行動をよ
びかけてデモをしています。
まさに木本事件を思い起こさせます。
戦前の反省がないままだったから、
今の時代になって同様の犯罪が起こされようとしていても、
それを取り締まることができないのです。
いずれの現場にも警察はいました。
しかし、集団の人権侵害発言や、差別をあおる行動を制止していません。
集団の目的は主張を公表することではありません。
在日外国人を罵倒して憂さ晴らしをして、
実際に外国人を追放する行動をよびかけているのです。
さらに集団は、日本軍性奴隷制度の被害女性への謝罪と個人賠償を求める決議を
挙げた自治体に抗議したり、
それを進める市民運動に対して暴力をはたらくなど行動をエスカレートさせてい
ます。
集団が「伝家の宝刀」にしているのが「拉致被害者をかえせ」という言葉です。
これを言うことで、どんなことをしても「正義」になってしまう風潮が、
いまの日本社会には蔓延しているのではないでしょうか?
それしか言わないのならば、
たとえ被害者の家族であってもわたしは正義と認めることはできません。
なぜ拉致という不正義が起きたのかを考えずに、
つまりは戦後日本が朝鮮半島の二つの国家に対してどう付き合ってきたかを考え
ずに、
日本は正義の国だったと言うのは、
自国かわいさの思い込みだと感じるからです。
この場合それは「強いもの」の身勝手です。
拉致問題は人の生きる権利を奪った国家犯罪だと言うのなら、
植民地支配をして日本国家が朝鮮人の人権を剥奪した歴史を反省せずに、
いままた同じことが引き起こされようとしているのに対処していない事態のほう
が、
さらに根深い問題をはらんでいます。
拉致問題が発覚して以降、正義をはき違えた日本政府が今回の集団が台頭する土
壌をつくってきました。
拉致問題の不正義を言いながら、
日本政府の不正義を訴えきれなかった日本社会の問題を考えざるをえません。
それにしても、
円山野外音楽堂の集会では会いたかった人が声をかけてくれたり、
思ってなかった人が来て励ましてくれたり、
その場にいた人が後日あいさつしてくれたり、
新たなつながりができました。
服部議員も冒頭参加されて、
デモは歩けませんでしたが、
今後国会でも動いていくべき課題だと認識されたことでしょう。
というか一緒に取り組んでいきたいです。
デモのときは沿道から集団が罵声を浴びせてきました。
挑発するようなことを言われて腹がたちましたし、
一緒にデモをしていた在日朝鮮人に対する差別そのもので許されないものでした
。
当日は東九条で集団の差別行為に対抗されていた人たちもいました。
これから現場で集団と接触する機会も増えそうです。
日本が危険な方向に進んでいると感じながら、
過ちを二度と繰り返さないために知恵をしぼりたいと感じた1日でした。