きょうのコラム「時鐘」 2010年4月3日

 憲政の神様と言われた尾崎行雄(咢堂(がくどう))は明治中期、北國新聞の客員論説記者だった。こんな言葉を残している。「議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である」

国会で深い論戦がなく、多数で押し通す政治を嘆いたのである。若林元農相が隣席の青木議員の投票ボタンを押したことで議員辞職した。「表決」のルールさえ無視した、民主主義の前提を覆す行動である。辞任は当然の判断だろう

が、咢堂が「表決堂」と例えたのは、数をたのんだ多数党の横暴だった。「結果がいかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となすことはできない」と。少数野党の若林氏が「表決堂」の愚を象徴したのは皮肉に過ぎる

採決時に議場を出た青木議員の行動と併せて考えると「表決堂」にさえなっていない議事堂の現実が浮かぶ。両者で多数党に加担したのに等しく、緊張感に欠けたベテラン議員の雰囲気が伝わってくるのである

もっとも、議員の中には採決時にボタンを押すぐらいしか存在感のない議員もいるだろう。ひとごとと思わず、これ以上、議事堂を「表決堂」にしない努力を求めておきたい。