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(参考リンク:あなたはこれでも韓国を良い国だと思いますか? - 韓国の反日行動と火病と劣等感)
今までは、我が同胞たちは比較的攻撃的な声闘というやりかたを使ってきましたが、今後はそれだけでは難しい状況になりつつあります。
これからの日本社会を背負う日本人の若者世代をどう理解させていくかが大きなポイントです。
お人好しな日本人の気質をうまく利用していく必要があるのです。
ただ、日本でも、議論の中で声の大きな人の意見が採用されるという場面はあります。
あれは一体どういうことなのでしょう。
声を大にして話すと、それだけ真剣なのだろうとか、それだけ重大な背景があるのだろうとか、その人の必死さを勝手に理由付けして納得してしまうのでしょうか。
それとも、大声の人に対して拒否反応が出て、それ以上もう議論をしたくなくなってしまうのでしょうか。
あるいは、場の空気を殺伐とさせたくないと皆が空気を読んでしまうのでしょうか。
どのみち、あまり良いことではなさそうです。
それにしても、議論の場ではともかく、多くの場面で声が大きいことは武器になります。
人よりも自分の声が多くの人に聞こえるというのは、都合が良いことが多いです。
人を助けるために使うこともできますし、人を傷付けるために使うこともできます。
声が大きい人は、その声の使い方には慎重を期すべきなのかなと思いました。
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