2010年4月2日 10時9分 更新:4月2日 15時40分
自民党の若林正俊元農相(75)は2日午前、参院本会議採決で議場にいなかった青木幹雄前参院議員会長の投票ボタンを代わりに押した問題の責任を取り、江田五月参院議長に議員辞職願を提出した。参院は同日の本会議で辞職願の受理を決めた。若林氏は国会内で記者会見し、事実を認めたうえで「魔が差したとしか言いようがない」と謝罪した。
若林氏は3月31日の本会議で、10年度NHK予算承認案の採決の際、隣席の青木氏の投票を代行した。これを問題視した民主党は1日、若林氏の懲罰動議を提出。参院自民党からも批判の声が上がり、尾辻秀久参院議員会長が同日夜、若林氏に進退を含めた判断を求めていた。
若林氏は会見で、NHK予算を含め、31日に行われた計10件の採決ですべて青木氏の投票ボタンを押したことを明らかにした。理由については「たいへん自覚が足りず、恥ずべき行為だ。それぞれの案件への考えは党内で一致していたので、青木氏がすぐ戻ってくると思いボタンを押した」と釈明した。
一方、青木氏は国会内で記者団に「(昨夜)本人から『申し訳ない』と電話があった。それ以外は何もない」と述べた。若林氏への投票依頼については「そんなことするはずがない」と否定した。
若林氏の辞職を受け、大島理森幹事長は2日、自民党本部で記者団に「まことに残念だが、政治の信頼が問われているときに、こういう処置は当然だ」と語った。そのうえで「最も重い決断で区切りがついた」と述べ、早期の対応で問題は沈静化するとの見通しを示した。
民主党の輿石東参院議員会長は国会内で「残念だが、やむを得ない。この行為は懲罰に値するので(動議を)出した」と語った。若林氏が辞職したため、同党は懲罰動議を撤回した。
若林氏は農水官僚出身で、83年衆院選で初当選し、3期務めた。その後、98年に参院選長野選挙区で初当選し、現在2期目。安倍、福田内閣の農相などを務めた。不祥事で死去・辞任した閣僚を継いだため「ミスターリリーフ」とも呼ばれた。自民党が野党転落後の09年9月の首相指名選挙では、党両院議員総会長として同党の首相候補となった。今期限りでの引退を表明しており、自民党は今夏の参院選長野選挙区で、公募により若林氏の長男(46)を公認している。
参院は98年に押しボタン方式を導入したが、別の議員の投票ボタンを押して問題化した例はないという。【中田卓二】