2007/10/10 朝鮮日報
日本統治時代の情景残る栄山浦、「登録文化財指定」申請へ
全羅南道羅州市栄山洞の栄山浦一帯が、近代史跡として整備されることになった。
同市は9日、「20世紀初頭の日本統治時代の情景がそのまま残っている栄山洞一帯を近代史跡として整備し、観光名所にしていく計画だ」と発表した。
同市はまず来月、文化財庁に対し栄山浦一帯の登録文化財への指定を申請することを決めた。指定を申請する区域は、栄山浦の船庫から精米所の通りまでの約750メートルで、当時形成された市街地や日本式の家屋、商店街など約100軒の建物が往時を偲ばせる。このため、日本統治時代を扱った映画『将軍の息子』のほとんどのシーンがここで撮影された。
- 1910年代、栄山浦東町から見た中町通りの様子。
この地域は当時、羅州平野などで生産されるコメなどの穀物を精製するため、数十カ所の精米所が営業していたが、そのうち3カ所が現在も残っている。
栄山浦は木浦港の開港とともに、日本人の韓半島(朝鮮半島)内陸部への侵出や「収奪」のための拠点となり、また羅州平野一帯のコメや木浦港などに水揚げされた水産物が集まる、湖南(全羅道)地方最大の農水産物の集散地だった。
羅州市では、栄山浦一帯のように日本統治時代の情景がそのまま残っている所は他になく、また町並みの登録文化財への指定を目指すのも初めてだ、と話している。同市はまた、原型がそのままに保存されている、かつての日本人の地主の家など歴史を今に伝える建物を買い入れ、歴史教育の場として活用していくとしている。
- 1940年代の栄山浦の船庫。
同市は既に、栄山浦一帯の日本統治時代の街並みの現況について調査するなど、基礎的な調査・研究を終えており、近日中に民間団体や行政機関、学界などが参画する協議機関を設置し、具体的な整備の方向性を検討する方針だ。
同市は「日本の植民地としての収奪の現場を保存することにより、新たな観光資源として活用していく」とコメントした。
登録文化財は、近・現代の建物や施設、芸術作品、生活文化資産、史跡などを保存・活用するため、保存が必要な対象物を選定し、文化財庁が指定する。
- 栄山浦に残る日本式の地主の家。/写真提供=羅州市
http://www.chosunonline.com/article/20071010000053
朝鮮総督府だのを取り壊していましたが、やっと文化財保護に目覚めましたか。橋や鉄道はなぜ取り壊さなかったんだろう?
まあそれはどうでもいいが、20世紀初頭の日本建築を文化財として残すのなら、20世紀後半の韓国の建物もぜひ文化財として残して欲しい。
これから候補をいくつか紹介しますね。
1970年代半ばの珍島の農家です。藁や石といった自然素材をたくみに組み合わせて伝統的な味を出しています。比較として日本の農家を出してみますね。
今年の9月に撮影したものです。豊かな材木と茅という自然素材により建てられた伝統建築です。江戸時代のものですがまだ人が住んでいる現役の農家です。
伝統建築が集まった珍島の集落です。ところどころにセマウル運動で建てられた家屋が混じっていますが、藁屋根の連なりは独特の美を感じさせますね。1970年代後半の風景です。今ではどうなっているのか?日帝の建築を残す暇があったらこういう風景を保存してもらいたいものです。
日帝より半世紀以上新しい風景なんですが悠然とした古代を感じさせますね。
伝統建築が集まった日本の集落です。珍島と同じく新しい建築も混じっていますが、これらの伝統建築は世界遺産として今後も保存されていくでしょう。というより同時に生活の場なんですけどね。
やはり1970年代後半の珍島の農家です。日本の農家の屋根が直線で構成されているのに対して、韓国の農家は優美な曲線で構成されていますね。牛車に乗る子供たちがいい味を出しています。
ほんの30年足らず昔の写真なんですが、韓国政府はこういう文化財保護に金を出しているんでしょうか?北朝鮮にはいくらでも金を出すようですけどね。
もう一つ韓国の発展を示す資料としてぜひ保存してもらいたいものがあります。板子村ですね。要するにスラムのことなんですが、韓国の発展を語るうえで欠かせないものでしょう。幸いまだ残っているようですので。
2003年の写真です。バックの近代建築との対比が素晴らしいですね。
こちらはもう少し古く、1980年代でしょうか。山の斜面にへばりつくようにスラムが建てられています。韓国もウトロに金を出すよりこういうところに金を出せばいいのにね。
by panzergruppe
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