メイド・コスプレ系店舗に関する、管理人の呟きです(`・ω・´)

全部で 145 件の記事があります。

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#145 感想 モノを売る時は、値段を言いましょう 2010/04/02
#144 経営 フリーコンテンツ故の無能ホイホイ 2010/04/01
#143 常連 教祖様気取り 2010/03/31
#142 戦略 100万円の使い道2 2010/03/30
#141 戦略 100万円の使い道1 2010/03/29
#140 感想 うさぎの森 L⇔Rへ行ってきた 2010/03/28
#139 心理 ブンブン丸オススメ 2010/03/27
#138 提起 勘違いピンドン 2010/03/26
#137 提起 チートゲーマー 2010/03/25
#136 提起 未来を作ろう 2010/03/24
#135 店長 自惚れ店長バー 2010/03/23
#134 心理 メイド喫茶は、リアルの世界で頑張ろう 2010/03/22
#133 心理 風評リスク 2010/03/21
#132 心理 最強宣言の虚しさよ 2010/03/20
#131 分析 次に来るコンセプト喫茶 2010/03/19
#130 提起 未来予想図 2010/03/18
#129 分析 時間を売るシャングリ・ラ 2010/03/17
#128 分析 時代遅れ 2010/03/16
#127 分析 狂気の沙汰ほど面白い 2010/03/15
#126 提起 ウソテク収集bot 2010/03/14
#125 分析 どんなものも、その94%はカスである 2010/03/13
#124 分析 くろすろ〜どが負けた理由 2010/03/12
#123 分析 リア充の街 2010/03/11
#122 提起 ※イケメンでも通らない 2010/03/10
#121 分析 情報の支配者 2010/03/09
#120 店長 脅迫なう 2010/03/08
#119 店長 出せるわけねーオムライス 2010/03/07
#118 経営 過ち 2010/03/06
#117 経営 適利多売 2010/03/05
#116 経営 ピンク色のプレステ2 2010/03/04
#115 業界 失脚 2010/03/03
#114 経営 最悪の次に悪い選択 2010/03/02
#113 経営 口だけ出すな、カネも出せ 2010/03/01
#112 常連 メイドさんの名前 2010/02/28
#111 経営 時給8000円の死角 2010/02/27
#110 経営 オリジナルメイド服のススメ 2010/02/26
#109 趣味 アートチェキ上等 2010/02/25
#108 経済 大義名分が欲しい 2010/02/24
#107 経済 カードダス理論 2010/02/23
#106 発明 メイド喫茶を作ろう 2010/02/22
#105 冥土 若さがそんなに大事ですか? 2010/02/21
#104 冥土 本当にあった笑える話 2010/02/20
#103 分析 マスコミを操る 2010/02/19
#102 分析 メイド喫茶はなぜ潰れるのか 2010/02/18
#101 分析 コーラ10個5000円お買い上げ 2010/02/17
#100 発明 おかえりなさいませ 2010/02/16
#099 心理 フェラーリ買いました 2010/02/15
#098 心理 恐怖政治 2010/02/14
#097 経済 2010/02/13
#096 心理 判定チャート(メイドさんと付き合いたい3) 2010/02/12
#095 経済 落とし穴 2010/02/11
#094 心理 お約束ビジネス(メイドさんと付き合いたい2) 2010/02/10
#093 心理 目指せトリプルA 2010/02/09
#092 心理 メイドさんと付き合いたい 2010/02/08
#091 経営 赤道直下で何を売る 2010/02/07
#090 業界 人民大移動 2010/02/06
#089 経営 アメを悪用する奴ら 2010/02/05
#088 経営 コストカットのススメ 2010/02/04
#087 経営 大理石の駄菓子屋 2010/02/03
#086 常連 2007年末、プリムヴェールが潰れた 2010/02/02
#085 常連 囚人 2010/02/01
#084 常連 電池買ってくる 2010/01/31
#083 心理 イメージアップ戦略 2010/01/30
#082 業界 衝撃の保険3 2010/01/29
#081 業界 衝撃の保険2 2010/01/28
#080 業界 衝撃の保険1 2010/01/27
#079 経営 判別法 2010/01/26
#078 心理 契約違反 2010/01/25
#077 心理 回数券制度 2010/01/24
#076 経営 プロはバレる嘘はつかない 2010/01/23
#075 経営 赤字経営 2010/01/22
#074 経済 メイドさんをやめること 2010/01/21
#073 経営 プライスレス 2010/01/20
#072 経営 空港利権 2010/01/19
#071 心理 武将の計略 2010/01/18
#070 心理 遊び人 2010/01/17
#069 業界 デコトラ伝説2 2010/01/16
#068 業界 デコトラ伝説1 2010/01/15
#067 提起 レポサイト利権に群がる虫ケラたち3 2010/01/14
#066 提起 レポサイト利権に群がる虫ケラたち2 2010/01/13
#065 提起 レポサイト利権に群がる虫ケラたち1 2010/01/12
#064 相談 シリーズ・癒着その3 2010/01/11
#063 相談 シリーズ・癒着その2 2010/01/10
#062 相談 シリーズ・癒着その1 2010/01/09
#061 提起 無駄 2010/01/08
#060 心理 お金が生み出す錯覚 2010/01/07
#059 提起 法律相談所 2010/01/06
#058 常連 異臭騒ぎ 2010/01/05
#057 経営 貴方とは違うんです 2010/01/04
#056 経済 人気商売の宿命 2010/01/03
#055 心理 マーメイドキッチン 2010/01/02
#054 常連 お疲れ様 2010/01/01
#053 経営 自己責任の暴走 2009/12/31
#052 経済 利益は出たけどいいサービスをしたのか 2009/12/30
#051 冥土 オタクの女の子 2009/12/29
#050 経済 砂の城の二重の構造 2009/12/28
#049 提起 ダブルスタンダードにはそろそろメガンテを 2009/12/27
#048 常連 ステータス自慢大会 2009/12/26
#047 経営 大いなる勘違い 2009/12/25
#046 冥土 それがメイド喫茶 2009/12/24
#045 提起 メイド喫茶で働きたい 2009/12/23
#044 経営 これからの淘汰 2009/12/22
#043 心理 覆面で全裸 2009/12/21
#042 経済 こころとからだのバランス 2009/12/20
#041 心理 スピリチュアル利権 2009/12/19
#040 経済 ギザ〓よろちくね 2009/12/18
#039 心理 神様の嘘 2009/12/17
#038 冥土 ガラパゴス化現象 2009/12/16
#037 提起 カリスマ 2009/12/15
#036 常連 柳原可奈子 2009/12/14
#035 経済 カレー1800円 2009/12/13
#034 経営 私の知らない誰かが騙されている 2009/12/12
#033 提起 あんたこの世をどう思う 2009/12/11
#032 常連 いいわけ 2009/12/10
#031 心理 土足で踏み込め 2009/12/09
#030 常連 せめて、人間らしく 2009/12/08
#029 経済 頭脳戦艦ドリーミン 2009/12/07
#028 経営 メイド喫茶不感症 2009/12/06
#027 心理 王道は2つ 2009/12/05
#026 経済 今の日本はまだ甘い 2009/12/04
#025 提起 「黒」「青」「赤学バ」 2009/12/03
#024 冥土 ディスクローズ 2009/12/02
#023 企画 @SWEET 2009/12/01
#022 経済 不満と企業努力 2009/11/30
#021 提起 コンプラチェック 2009/11/29
#020 心理 あなたは今、どこにいますか 2009/11/28
#019 常連 差し入れ古今東西 2009/11/27
#018 経営 メイド昼キャバに見る哲学 2009/11/26
#017 冥土 すべらない話「ネットラジオ」 2009/11/25
#016 提起 QRコードの罠 2009/11/24
#015 経営 アウフヘーベン 2009/11/23
#014 経済 求められる「モノ」 2009/11/22
#013 常連 ポイントカード特典「放置プレイ」 2009/11/21
#012 提起 発想の転換は大きなチャンス 2009/11/20
#011 経営 それは大きなミステイク 2009/11/19
#010 経済 スシローなのか築地なのか 2009/11/18
#009 提起 パンドラボックス 2009/11/17
#008 経営 マジコンのせい 2009/11/16
#007 経済 宝くじで3億当たったら 2009/11/15
#006 提起 レポサイトの功罪 2009/11/14
#005 経済 サイレントマジョリティ 2009/11/13
#004 常連 コレクター道、ここに極まる? 2009/11/12
#003 経営 ビックリマンシール論 2009/11/11
#002 経済 ボッタクリメイド喫茶とは何ぞや 2009/11/10
#001 経営 傷付け合うのはそろそろやめよう 2009/11/09

 

モノを売る時は、値段を言いましょう (2010/04/02)
最近の情勢を身をもって体験してこようと思い、秋葉原駅前に出来た「めいどりーみん4号店(2010年1月18日オープン)」へ行ってきた。本当は昨日アップロードしたかったのだが、嘘だと思われてもイヤなので。
注文を取りに来たのでドリンクを頼んだら、それを伝票に記載せずに「ケーキのセットの方がお得ですよぉ〜」と言われた。なので、「いえ、ドリンクのみでいいです」と答えると、「え〜?何でですか?」と、一向に注文を受け付けない。「いえ、要りませんから。」「じゃあ、お腹空いてませんか?オムライスとか!?」「いえ、ご飯は食べてきたので。」「え〜?」ドリンクのみは受け付けないなら最初からそう書いておいて欲しい。
するとくじ引きの販売宣言?がステージで始まった。「くじ引きをやりまーす!1回300りーみんで〜す!やりたい方〜!」。誰もいなかった。そこまではいい。そこからが大問題である。「誰もいないみたいなので、席を回っていきま〜す!」と、メイドさんがくじ引きの箱を持ったまま各席を回ってきたのである。
そして私の席に来てこう言った。「くじ、引いてみます?」。
一般的な常識で考えてみて欲しい。満場一致で「いらない」と言われた商品を持って回る。当然、「今回はタダでサービス」だと思うはずだ。私は確認した。「これってステージで言ってたのと同じで、300円ですか?」「あ、はい」。聞くまで値段を言わなかった。こういうやり方である。
隣の席に座っていたお客さんが、「引いてみます?」と言われたので流れで引いた。引いた瞬間メイドさんが黙って伝票を取り上げ、くじ1・・・300円と記載した。無言で。お客さんは伝票を見て唖然としていた。
これを「さっき言ったんで問題ないはずですけど?」というのがめいどりーみんのロジックなのだろうか?
メイドさんの方向性やアイドル的展開などは大いに結構だと思う。ただ、売り方が汚い。駅前のメイド喫茶って不透明な押し売りをしないと成り立たないのだろうか?
最後に、反対側に座っていた外国人の観光客がお酒の英語のメニューはないのか?と聞いたところ、メイドさんが「ノー」と答えた。客引きのメイドさんは外で外国人観光客にビラを渡しているのに、無いんだって。
一切の先入観を取り除いて、極めてフラットな気分で「入国」して来て、この感想です。社会勉強になりました、どうもありがとうございました。
 

フリーコンテンツ故の無能ホイホイ (2010/04/01)
メイド喫茶というものは、「喫茶店(飲食店)」に「メイドさん」を持ってきた「ソフトウェアビジネス」の一種であると考えられる。例えばトランプにディズニーキャラクターを持ってきた「ディズニートランプ」であるとか、絆創膏にアンパンマンを持ってきた「アンパンマン絆創膏」であるとか、この辺りの感覚に近い。
当然、キャラクターというのはそれをハードに付した時、売れるキャラクターと売れないキャラクターがいる。と考えた時、メイド喫茶・コスプレ飲食店業界では約10年の精査期間を経ても「メイド」を超えるキャラクターコンテンツが見つからなかった。そして最終的にたどり着いたのは、「メイド喫茶」というハードに何を付していくか、という新天地である。
#135でも軽く触れたが、メイドさんというのは版権フリーのコンテンツであるが故に「何も思いつかなかった奴ら」を大量に招いたという側面がある。よくよく考えてみればメイド喫茶とはさほどエポックメイキングなものではない。勿論、初代、2番煎じ、3番煎じあたりまでのメイド喫茶はある種の革命だったとは思うが、その後の乱立模様は、「甘い」と分かって呼ばれもしないのに飛びついてきたただのハイエナの集まりに過ぎない。
だから現在の「イロモノ系」、つまり「メイド喫茶+ソフトウェア」の時代の到来はある意味で当然の流れであり、経営者視点で観れば、未だに「ただのメイド喫茶」が度々オープンするが、その度に唖然とさせられる。きっとオーナーは脳味噌を5年前に冷凍保存していたのだろう。
今までのメイド喫茶は、「メイドさん」というフリーコンテンツの甘い汁を吸ってやろうという無能ばかりがオーナーだったので、これといった特色の無かった店からそのダメさ加減が露呈し始めたわけだ。これを世の中では「不景気」というらしいが、そんなものは何かを創り出せる自信のある人にはどこ吹く風だ。だからこそ、閉店も多いが出店も同じくらい多いのだろう。
イラストレーターが集まるSNS「pixiv」では、人気フリーコンテンツ「東方」のキャラクターを描くと「閲覧数乞食」とバカにされる傾向がある。東方のキャラを描いて1万人が見てくれたのに、オリジナルキャラを描いたら30人しか見てくれなかった。それで「自分に実力がある」と過信する奴はさすがにいないだろう。1万人が見てくれたのは、自分の力じゃなく、紛れも無い「東方の力」だ。
これからのメイド喫茶は、「面白い店」と「面白くない店」の二極化がますます進むだろう。そして面白い店だけが残る。それでいいんだ。

教祖様気取り (2010/03/31)
私がメイド喫茶を楽しんでいく中で、コイツだけは本気で邪魔だと思う存在がいる。それがやたらと仕切りたがる「偉そうな常連」である。
そもそも常連具合(通い具合)によって偉さに進行度がついているような共通意識すら邪魔くさい。大抵が"通い具合"や"カネの落とし具合"以外に自慢するところが何もないような連中に限って偉そうにし始める。そもそも、偉いかどうかなんていうのはギャラリーが各々判断することであり、自分で言ってちゃ世話無い。
彼らが拠り所とするタイプのメイド喫茶は、彼らを許容してくれる店である。取り柄は"通い具合"と"カネの落とし具合"しかないのだから、「それが欲しい店」が許容する。つまり「儲かっていない店=不人気店」だ。よく「常連が集まる店は勝ち組」とするマニアがいるが、確かにそれは間違っていないとは思うのだが、常連の質如何によっては「負け組」でもあるだろう。店も店で、行き過ぎた行為があれば注意することも出来るだろうが、彼らの"カネの落とし具合"は手放したくないから、どうしても及び腰になる。いくつかの不人気店はこうすることで何とか日銭を稼いで生き延びているに過ぎない。結果として彼らは「ほら、俺のことは店も認めてるんだ!」と"偉そう具合"に拍車がかかり、ますますまともな一見さんを遠ざける。
ネット上で「常連客の教祖様」のような肩書きを自称している勘違い連中がオススメするそのほとんどが、彼らを仕方なく許容する堕ちた店ばかりである。
彼らは「自分の居心地のいい場所」を探すのに必死なんだろう。そこを荒らすかもしれない、「自分にとって厄介な奴」を徹底して排除しようとする。大丈夫だよ、そんなことにメイドさんはまるで興味がないと思うから。そして本当に店が望んでいるのは、「常連客も一見客も、平等に均等に楽しんでもらえる空間」のはずだから。それが出来ないのは経営手腕がないだけで、だから「素行不良」とはいえ彼らの"通い具合"と"カネの落とし具合"に甘んじているだけだから。決して評価なんてされていないから。
こうして見ていると、「偉くなろうなろうとすればするほど、偉さとは対極の位置に離れていってしまう」ということがよく分かる。バカにしているつもりがバカにされている、これぞ本物のバカだ。
不人気店で一番のバカ。こんな不名誉な称号に群がるな。

100万円の使い道2 (2010/03/30)
いざ大金をかけて店を宣伝しようといったところで、効果の薄いものにいくらつぎ込んでも意味はない。チラシ、新聞、テレビ、ラジオ。様々な媒体を考えられる限り考え抜いてみたが、どれもメイド喫茶に来る見込みのある客層に鮮烈にアピールできるこれといった保証がないし、何よりこの不当なハンディキャップマッチに一矢報いることが出来なければ投資の価値はない。
あれこれ考えた結果、Bのオーナーが導き出した結論は「このレポサイトの管理人が、Aを今後もプッシュする"大義名分"が無くなればいいんじゃないか」というもの。今更になって管理人に頭を下げて、カネを払うんでウチも取り上げてくださいよ、なんてことをするよりも遥かに効果的な方法を編み出したのだ。「管理人お気に入りのAのメイドさんを100万円で買収しにかかった」のである。
どうコンタクトをとったのか定かではないのだが、翌月、「笑顔に惚れた」とされていた該当メイドさんがAを突然辞めてBに移籍した。これによりこのレポサイトがAを取材、宣伝し続ける「読者が納得できる理由」が無くなってしまったのだ。「別の子にターゲットをチェンジしました」とでも言えばいいと思うかも知れないが、そんなことをすればただの「狼少年」に過ぎない。人間、信用に対する伝家の宝刀は2度目がきかないものである。
結局管理人は、Aの寿命よりもレポサイト管理人としての生命を取り、これ以降露骨な宣伝攻勢はなくなった。その後管理人がBを取材することも無かった(つまり"惚れた"はただの言い訳だったという証左であろう)が、途中Aのオーナーが調子に乗って駅前に2号店を出店したもののただ客が分散しただけですぐに閉店、多額の負債を抱えたことが原因で1号店のメニューを全体的に値上げするなどしたため中規模な客離れが起こり、最終的な人気はBが上回ることに成功した。いかにも地方のメイド喫茶らしいエピソードだ。
この世は「兎と亀」である。亀が結果を出すには、兎が寝てくれる必要がある。
全てを振り返って考えれば、どうしてレポサイト管理人はあの時「オーナーさんの方針が気に入った!」としなかったのだろうか。「特定のメイドさんに惚れた」では、仮に買収工作が無かったとしても若い女の子のアルバイトなんだしいつ辞めてしまうか分からない。ここで兎は「寝た」のだろう。きっと、「レポサイトと癒着する」ってこと以外には当初これといった方針なんか無かったんだろうね。そう積み重ねていくと三者三様「落とし所」を必死に探す様が伝わって来る。結局「棚牡丹」で大金を手に入れたメイドさんの優勝で、半端な策士が一人勝ち出来るような甘い世の中ではないと実証された気がして実に面白い。
絶妙なさじ加減ひとつで、この地球はあっさりその表情を変える。是非実力のある店が評価されて欲しい。

100万円の使い道1 (2010/03/29)
昔、道を挟んで2軒在った某メイド喫茶同士の熾烈で生々しい「潰し合い」の話を。
当時「その駅」周辺にはメイド喫茶はその2つしか無かった。つまり完全なる「パイの奪い合い」の土壌が出来上がっている。便宜上、勝ち組だった方を「A」、負け組みだった方を「B」としておこう。
その土地の初のメイド喫茶は実はBでありAは2番煎じだった。しかしフタを開けてみればAの圧勝、客数的には5倍くらいの差がついたのではないだろうか。AとB、一体何が違ったのか。Bのオーナーはずっとそれを追求していて、ひとつの結論に達した。それは「レポサイト封じ」だろう、と。
A店はプレオープンから当時最も勢いのあったメイド喫茶レポートサイトとべったりという攻勢であった。サイトの管理人が来店すれば全部タダ、メイドさんの写真も取り放題、「今後も宜しくお願いしますよ〜」とオーナーがハエのように手を擦り合わせていた。
対して時期を同じくしてB店にもその管理人が名刺をもってやって来て「タダで飲み食いさせてくれるならプッシュしますよ」と単刀直入に切り出されたが、「なぜこんな乞食紛いを相手にしなきゃいけないのか」と門前払いしたという。
かくして、そのレポートサイトではB店の存在は完全に黙殺され、A店を「この地域のメイド喫茶といったら、ここしかないでしょ!」位のバイアスをかけて約2年間連日宣伝された。
私は、「このレポートサイトが無ければBが圧勝した」とは言い切れないとは思う。お客さんも宣伝だけで飛び付くほどバカじゃない、中身の無い店は最初こそ盛り上がれど、徐々に化けの皮が剥がれるものだ。とはいえ、「このレポートサイトがBについたら、Aは敗れた」とは思う。哀しいかな"世の中は結果ありき"だ。
ところで、このレポートサイト管理人もマヌケじゃない。サイトが全力でAをオススメする「大義名分」が無ければ、記事の読者は「カネの匂い」を感じ取ってしまう。そこで何か管理人を動かすカネ以外の「スケープゴート」が欲しくなる。そこで登場したのがある意味とても愚直な「Aの○○ちゃんというメイドさんのステキな笑顔に惚れてしまいました!」という宣言であった。つまり「好きで通っちゃ、悪い?」ということだ。キムタクが「これ美味しいんですよ」と一言ポロっといったチョコレートが爆発的に売れるように、子供だましにすら見えるこの動機も、当時のリテラシーの低い読者層を納得させるには十分だったようだ。
そこである日、「なけなしの宣伝費100万円」を投じてBのオーナーが大勝負に出ることになる。

うさぎの森 L⇔Rへ行ってきた (2010/03/28)
2010年上半期、コスプレ飲食店業界における最注目株と読んでいた「Hand Maid Cafe うさぎの森 L⇔R」へ、27日に開店と同時に行ってきた。本当はプレオープンの時に行こうと思っていたのだが、どうせバタバタするだろうし、接客というのは「グランドオープン後の日常こそ重要」だと思っているので。
前評判の高さは勿論のこと、同社運営の「スワロウテイル」のレベルの高さは既によく知っていたのである意味で安心しながら入店できたのだが、やはり期待に違わない質の高さで圧倒された。
一足先にプレオープンを体験してきたとある業界人がこう言う。「アノ店が社会人、コノ店が短大生、ソノ店が美大生なら、うさぎの森 L⇔Rはビル・ゲイツ」。その意味がようやく分かった気がする。フードメニューも接客態度も内装もパフォーマンスも、今まで70か80かでケンカしていたところに「300」くらいのクオリティがやってきた感じだ。"次元の違い"を体感するにはもってこいである。
他に偉いな、と思ったのは「人にオススメしても何もおかしくない」というところだ。秋葉原やメイド喫茶に興味のない人に薦めても、平均して「面白かった」「満足した」と言ってもらえる数少ない店であろう。中でもここまで家族連れがすんなり入れるコンセプト喫茶というのは珍しい。
あまり褒めてばかりでもおかしいかもしれないが、本当に"感動した"という表現がしっくり来るのである。
ひとつだけ違和感を感じたのは、「この店が、秋葉原という街を少し持て余してしまった」というところか。なんというか、Tシャツにジーパンに、足は1000円のスニーカーなんだけど、時計だけローレックスという感じ。この店が秋葉原に集まる客層にどう受け入れられるか、という近い未来が少し気になる。色々な意味で今後も目が離せない存在であることは異論ないだろう。
この世で最も面白い小説は「罪と罰」だと言われている。小説は数あれど、とりあえず"一番"を読んでおけば間違いない。もし貴方が、この世で最もハイレベルなメイド喫茶、コンセプト喫茶を探しているなら、その選択肢のひとつにうさぎの森 L⇔Rを加えてみてはいかがだろうか。過去全210軒巡ってきた私にとっては、「ここでダメなら多分全部ダメ」だと思われる。
調子に乗って少々散財したが、気分は晴れやかだ。

ブンブン丸オススメ (2010/03/27)
「人は"やりたいこと"以外何ひとつ出来ない」という言葉がある。例えば「パズルゲーム」を買いに行こう、とゲームショップへ来たお客さんが「ブンブン丸オススメ!」と書かれたステッカーの貼ってある「バーチャファイター」を買うか?という話である。恐らく、この人はパズルゲームのブースに直行するだろうから、格闘ゲームが目に触れることすらないだろう。つまり、モノというのは元々興味の無い人には宣伝によって買わせるというのは出来ないのである。即ち、最も重要になるのは「興味を持たせること」に尽きるわけだ。
ではこのステッカーは誰に対して威力を発揮するのかというと、当然「格闘ゲームを買いに来た客」だ。鉄拳にするか、バーチャにするか、そこまで到達していた客の背中をポンと押すのだけがブンブン丸の仕事である。
たくさんのメイド喫茶があるとはいえ、「今まで興味すら無かった層を取り込んだ」と言える店は数少ない。私が過去、計算の上で狙った店として高く評価出来たのは、池袋に在った「オタクパラダイスもえっこ」と、秋葉原にある「ディアステージ」である。これらの店は従来のメイド喫茶の常連客を狙いつつ、さらにアイドルや声優のおっかけ層といった未開拓の地に手を伸ばした。
これらの店のカテゴライズは確かに「メイド喫茶(コスプレ飲食店)」なのだが「オタ芸が打てる店」として展開。メイド喫茶マニアとオタ芸を打つ層はかぶるようで微妙に異なり、「一部を共有する」といったところか。特にディアステージは秋葉原の中央通りでの歩行者天国の廃止に伴い、行き場を失った路上パフォーマーのおっかけ連中にとって「今後アキバでオタ芸打つならここ」という状況を生み出した。あれが今でも継続していたらこの店の運命は変わったかも知れない。
このように、モノが流行るというのは単眼的な成功ではなく、時代背景に隠された強烈な需要が必須となる。自分の売りたいものをゴリ押しするのではなく、他人が欲しがっているものを売る。こういった「一番簡単なはずの理論」が最も受け入れ難いのだ。
「いいモノ」が「いい」とマーケットで評価されるのではない。「いいと評価されたモノ」が「いいモノ」なのだ。世の中のこういった仕組みが分からないオーナーは、まるでマーケティング調査なしで持ち込みをしてくる若い漫画家志望みたいで滑稽だね。

勘違いピンドン (2010/03/26)
近頃「ドンペリニョン・ロゼ」などを扱うメイド喫茶が増えている。お値段ウン万円。ドンペリと聞いて思い浮かべるのはまず「キャバクラ」だろう。これについて、「こういった店のオーナーは、メイド喫茶とキャバクラを同一視してるんだろうなぁ」という意見を聞くことが多いが、私はそうではないと思う。実は「キャバクラもメイド喫茶も分かってない」のではないか。
キャバクラにおける高額なボトルのキープやドンペリなどの高額シャンパンのオーダーというのは、#077でも触れたが「この子に決めました宣言」なのである。言い方は悪いかもしれないが、「歩合に響く高額商品を注文すれば嬢も喜ぶだろう。あわよくばお近づきに・・」というアナログ的な下心の見え隠れする商品であり、そんな思惑は嬢も店も百も承知だ。勿論、キャバクラというのは「だからこそ成り立つ」のだが。
ところがメイド喫茶はメイドさんが隣に座るわけでもないし指名によって歩合に影響するわけでもない。高額シャンパンを扱う店舗では、オーダーが入ると注文を受けたメイドさんに幾ばくかの歩合が入るのかもしれないが、それは店の都合。お客からしてみれば、「注文したところで何の恩恵もない」のである。だからこういったメイド喫茶はキャバクラのノウハウを持ち込んだものだ、などと簡単に評価されてしまったら、毎日客を取るのに頭をフル回転させているキャバクラが怒るだろう。
そもそもキャバクラへ行くとなれば数万飛ぶことをお客さんは最初から想定しているだろうが、メイド喫茶に入る時財布に万単位でカネを入れていて、今から全部使おう!なんていう人はまずいない。
「ドンペリを注文するとチェキ付き、さらにチャージ1時間分無料!」などという店もあるが、それが「チェキ撮影は500円、チャージは1時間500円」などと混在していることがある。まるでおいしいと思えない矛盾した構造だ。それだったらチェキはポイントカードを3万円分貯めないと撮れませんよ、というシステムにしてドンペリを29800円に設定すれば、お客さんによってはどうしても今日チェキを撮りたい!となった時の「最終手段」に選ぶかもしれないが、そうでもなければゴリ押しでもしない限り「納得済み」で注文が入るとは思えない。
メイド喫茶とキャバクラは「似て非なるもの」である。キャバクラは「時間を売るもの」、メイド喫茶は「モノを売るもの」だと考えれば分かりやすい。メイド喫茶にはキャバクラのようにメイドさんを長時間独占できる強い売り物がない。だから目指すのは勝手だが、同じやり方が通用すると思ったら大間違いなのだ。

チートゲーマー (2010/03/25)
先日、秋葉原にある某メイド喫茶のオーナーさんに「平日はビラ配りしなきゃ基本的にノーゲスト」と言われた。これも貴重な現場の生の声ではあるが、私は「何か勘違いしてない?」と思うのだ。「ビラ配りしなきゃノーゲストだからビラ配りするんです」じゃなく、「何故ビラ配りしなきゃノーゲストなのか」という根本的な問題に寝たふりを決め込んでいる場合じゃない。
メイドさんをビラ配りに立たせるには所轄に道路使用許可書を発行してもらう必要があり、その都度2300円の手数料がかかる。また当然、立たせるメイドさんの人件費もかかるし、店内は手薄になるから客の満足度は下がる。カネはかかるしお客は嫌がる、それでも経営上ノーゲストよりは遥かにマシだというだけで、何もせずに客が入るなら「不要のもの」であるという認識が正しい。
分かりやすく言えば、メイド喫茶におけるビラ配りは「有料チートツール」である。人気のないメイド喫茶がビラ配りでなんとか体制を立て直そうとする様は、初心者がパラメータを偽装すべくゲームに改造の手を加えるようなものだ。確かに、なんとなく強くなった気がするだろう。しかし「腕前」が上がったわけではないので、結局チートの効果をゴリ押しする以外に打つ手がなくなる。
チートゲーマーが腕前を評価をされることは無い。同じように、ビラ配りをしてなんとか客を呼んでいるメイド喫茶が店を評価をされることも無い。チートゲーマーが長年チートし続けていつかそれが実力と認められるかといったらそんなはずはないように、メイド喫茶がビラ配りで客を呼んだところで、その中から常連になる客が出てくるかといったらそれはあまり期待しないほうがいい。何故なら、どちらも「実力はないから」である。ドーピングのオリンピック選手が評価され、きちんとメダルを持ち帰れたという話は聞いたことが無い。こんなことは当たり前の話だ。
ビラ配りしないと客が入らないメイド喫茶は、「店に魅力がない」という事実から目を背け続けても何も変わりやしない。カネや人海戦術で解決しても結局は偽装にしかならない。もしも「ビラ配りは最近のメイド喫茶なら普通です」なんて思っている人がいたら考えを即刻改めたほうがいい。ビラ配りはお店のピンチを現す一種の「異常事態」なのである。だってやらなくても客が入る店は入っているんだから。

未来を作ろう (2010/03/24)
どんな商売でも「この業界にはどれくらいのお客さんがいるのか」の綿密なシミュレートが必要である。
例えばゲーム攻略本。「私の好きなゲームの攻略本や設定資料集が発売されない!」と嘆く方もいらっしゃるが、それはこれを紐解けば理解できる。ゲームをプレイするお客さんの中で攻略本を買う人は果たして何人に1人なのか、である。
過去の攻略本の売り上げと、その元となるゲームソフトの売り上げを計算すれば分かることだが、平均すると5%前後と言われている。つまり、ゲームを買った20人に1人の割合で攻略本の助けを借りるのである。
ということは、100万本売れたゲームの5%は「5万」である。攻略本の売り上げ的にも5万部前後は見込める計算となる。これが「ドラクエ」「ポケモン」クラスなら400万本は手堅いので、単純にその5%と見積もっても20万部の攻略本が売れる計算だ。ゲーム業界で400万本というのもトンでもない数字だが、書籍業界で20万部といったら所謂「ベストセラー」の定義を2周するほどの脅威の売上である。対して1万本しか売れていないゲームの攻略本を出しても、売れる見込みのある部数はわずか500部ということになる。これじゃまるで同人誌だ。従って手を出すメリットはどこにも見当たらない。
つまり何か商売をするのであれば、「そこにいるお客さんの数が多いものを選びましょう」という、至極当然のことに帰結するわけだ。メイド喫茶の開業にあたって、この計算が圧倒的に足りていない店が多い。私が何故そう思うのかというと、「メイド喫茶の顧客数の上限は既に見えていて、現状はどう見ても供給過多であり全ての店を潤すには全く足りていないにも関わらず無謀な出店を繰り返すから」だ。
クラシカルなイメージがウリのメイド喫茶ならキュアメイドメイリッシュシャッツキステが、B級アイドルのおっかけ層を意識した「アイドル展開系」なら既にディアステージ@ほぉ〜むカフェ等が抑えている。女性向けならスワロウテイルワンダーパーラーラブオールか。パイの数は有限なので、既に天井の見えた層に参戦するメリットはまったくない。これらを狙おうとすればそれは結局のところ体力勝負になるだけで、何ら将来に期待できない不毛な争いと言えるだろう。だから参入しようとするのであれば「今まで手付かずだった客層」を取り込むほうが断然「未来がある」し、これは「来るかどうか」じゃなくて「どう呼ぶか」にかかっているはずだ。

自惚れ店長バー (2010/03/23)
近頃、全盛期と比べれば全てのメイド喫茶の人気が落ちてきたのは確実である。その理由を説明するなら、「メイド」というキャラクターが飽きられたという他に無い。
例えば「エヴァンゲリオン」のイラストがプリントされているバッグが売れたとしよう。メーカーとしては、「エヴァ」が良かったのか、「バッグ」が良かったのか、精査を要するところである。何故なら、エヴァの名前やキャラを借りるにはお金がかかるからだ。もしその収益を元に次の商品を開発するなら、「今回はエヴァ人気のお陰だったので、高い版権料を払ってもまたエヴァに頼る」のか、「バッグそのものが評価されたのだから、次は別の版権料が安いキャラ又は無地で行く」のかをきちんと把握する必要があるからだ。
メイド喫茶の「メイド」にも一時期はそのブランド力があったのは間違いない。ただのバーでも「店員がメイド服」というだけで客が入った。それは先ほどの話に倣えば「バーそのものに力はなくても、メイドというだけで過大評価された」ということになる。2005年〜2007年あたりまで、「メイド」はそれ位強い記号だったのだ。
2006年末、あるメイドバーでこの時間帯は1人で回そうと目論んでいたメイドさんから1時間前に風邪で休むと連絡があり、急いで他のメイドさんにも連絡を入れたが入れる子は結局誰も見つからず22時以降シフトに入れる子が誰もいなくなってしまったため、店長さん(♂)が「すみません皆さん、今からメイドさん無しの"店長バー"になります!チャージ料はいらないので・・」と発言したところ、12名いたお客さんは全員店を出たという。「おかえりなさいませ!」もなくチェキもない、アイドル活動など一切ないという作りで、お店の方針としてはキャスト依存するつもりなどなかったのかもしれないが、とどのつまり「バーそのものに全く実力がなかった」ということが証明されたのである。
エヴァグッズを作っていたメーカーならエヴァのブランド力が落ちてきたら次のブランドへ、と転換期を常に考えているはずだが、この業界はメイドの次を一切考えていなかった。「エヴァの使用は有料だが、メイドの使用は無料なので精査にスピードを要さなかった」という点がネックになったのだ。
オーナーという人種はとかく、成功すれば「自分に才能があったから」、失敗すれば「従業員がクズだから」などと言いたがるタイプが多い。しかし、大半のメイド喫茶は完全に「メイドさんというブランドのお陰」で一瞬成功したように見えただけで、現在は完全に「メイドバブル」がはじけたので、メイドさんというブランドをもう安易に利用出来ないということを深く自覚すべきである。

メイド喫茶は、リアルの世界で頑張ろう (2010/03/22)
メイドさんのブログというものがある。大抵のメイド喫茶がこのメイドさんのブログをお店のサイトからリンクしたりして集客に役立てようとしている。また最近ではツイッターを活用しようと必死だが、はっきり言って「ネットを分かっていない人たちが"分かったふり"をして「メイドさんにブログやツイッターを書かせないと時代遅れになるよ」などと言っているのを頑なに信じている」だけだと思う。
もちろん、ブログもツイッターも利用は無料であるから、無料なものは使ったほうがいいとは思う。しかし、便利な道具も使い道を間違えれば何の役にも立たない。
現役ネットアイドルの女の子によれば、ネット上で「ウケる」女の子のブログの内容といえば「ごくフツーの女の子が私生活を暴露する写真ブログ」だという。これをそのままやっているメイドさん(店)はとても多い。しかしこれがメイド喫茶の営業に良い影響を与える(与えた)というデータは実はどこにもない。それもそのはず、私生活を暴露するようなブログ、ツイッターというのは、ネット上の女の子の活動を応援する人たちが喜ぶコンテンツであり、喫茶店がお客さんをリアルワールドで呼ぶ活動ではないからだ。
私が思うに、メイド喫茶のメイドさんがやるべきブログ、ツイッターの内容は、「店内の楽しさを外に発信する」というのがベストだろう。メイド喫茶はお店に来てもらってナンボの商売であるから、ネット上の情報だけで満足されては意味がない。「ネット上だけで完結せず、読むとお店に行きたくなる」という要素が要求されているのだ。
ブログやツイッターはサイト構築などと異なりケータイでメールを打つような感覚でも参加できるのでとても敷居が低く見えるが、実際は参加人数が多いせいで、これで人集めをしようと考えるなら内容にかなりのハイセンスを要求される。もしも企業がツイッターを利用するだけでバンバンお客を集めることができるとしたら、とんでもないモンスターツールだと高く評価されるはずだが実際にはそうなっていない。やはり「書いている人がつまらなければ意味を成さない」という評価が正しいのだろう。だから手放しで「ブログはすごい」「今流行のツイッターをやったほうがいい」とするのではなく、「そこで何をするか」が重要なのだ。
「ブログがメイドさんの負担になるので、一度辞めさせたのだが、集客数は全く変わらなかった」という店もある。私もその英断には概ね賛成である。余計なことをして混乱するくらいなら、そんな吹けば飛ぶような装置は使わなくていい。というか、たとえどんな情報を発信しようとも、最終的には「店がつまらなければ客はこない」のだから、そんなものに力をいれるよりリアルの世界で頑張っていただきたいものである。

風評リスク (2010/03/21)
以前、あるメイド喫茶のオーナーさんからこんな相談を受けたことがある。「ウチの店が2ちゃんねるで叩かれているんだけど、どうしたらいいかな。」答を出そう。「店を変えてください。」
人生において、変えることの出来るものは「自分」しかない。「他人」を変えることはとても難しいというか、「自分」を変えることで「他人」を変えるしかないと考えている。例えば、「俺のことを好きになってくれ!」とメイドさんにご主人様が懇願しても、メイドさんが自主的に「好き」と言ってくれるまで意味はない。つまり、メイドさんが惚れちゃうような素敵なご主人様になる以外に方法はない。「自分」を変えることしかできないんだ。
インターネット上での評判について「風評リスクだ」「名誉毀損だ」と怒りを露にする企業があるけど、そもそも悪評が立つのはそれなりに理由があるということをすっ飛ばすのはやめて欲しいね。
昔、自殺の仕方をまとめた「完全自殺マニュアル(1993年7月7日・太田出版)」という本があり、これを「問題作だ」と糾弾した連中がいた。彼らの主張は「自殺をそそのかす悪書だ、けしからん!」ってところである。しかし読者は、「完全自殺マニュアル」を読んで自殺をしたくなるのではない、「自殺したいから」読むのだ。「この本を無くせば自殺はなくなる」っていう短絡的な思考ルーチンが説得力をもって世の中にまかり通ったことに疑問を抱いた。そもそも彼らは「人が何故自殺したくなるのか」を一度でも考えたことがあるのだろうか?本があるからじゃない、「世の中がつまらないから」じゃないのか?なら、本当に問題を解決しようと思うなら、「人々が自殺したいと思わない、素晴らしい世界を作ろう」と頑張るのが正しいんじゃないのか?
ネット上の飲食店の評判「不味かった」「店が汚かった」の類は「お客の貴重な生の声」であって、これが成り立たないならAmazonのレビューもYahoo!オークションの評価も成り立たない。あれらを見ていればよく分かるが、やはりダメなものはダメと書かれるし、悪質な人は悪いと書かれる。あれでちゃんと機能しているんだ。特にヤフオクの評価は、普通に取引していれば全部「非常に良い」で「当たり前」の世界である。もし仮に「マイナス」がいくつかあっても、それを見ている客である私たちは「全体の数」からマイナスがどれくらいを占めるかを判断しているから、ネットにおける評価・評判というのは自然と淘汰が働くことは証明されているし、それが何よりもお客の利益に繋がるのである。過去あれについて「名誉毀損だ!」などという話は努々聞いたことが無い。だいたい世の中の人が皆自分のことを褒め称えるとか、そんなことあるわけがない。

最強宣言の虚しさよ (2010/03/20)
広告は文章に規制が多い。先日大阪で某メイド喫茶が「日本橋のメイドカフェといったら、一番人気のここで決まりだね!」みたいな文句をフリーペーパーに記載して近隣の他店から猛クレームを受けているという噂を聞いたが、基本的に「地域一番人気」などという根拠のない比較広告がタブーなことくらいは園児でも分かろう。
似たような例にパチンコ店の広告がある。「地域最強出玉!」などという煽り文句は当然だが禁止されている。そこで編み出された歪曲表現が「エリア最強宣言!」である。地域最強出玉とエリア最強宣言、何が違うのかを所轄に聞くと面白い答えが返って来る。
「最強宣言は「何が」最強なのか分からないからね。もしかすると、「出ないこと」の最強かもしれない。」
お前は一休さんか。それを言ったら「最強出玉」だって出玉がどう最強なのか分からんぞ。
また、パチンコ店ではポップなどに「アツい!」と書いてあることは日常茶飯事である。アツい、は煽りだろと思うが、所轄にその解釈を聞くと「出なさ過ぎてお客さんがアツくなる、という意味かもしれない。」と言われる。「店内全部真っ赤に染めます!」は「出なさ過ぎてお客さんの財布が真っ赤ってことかもね。」だって。多分、担当者は気が病んでいるのだろう。
正味の話、アツい!と書かれたティッシュを駅前で配るより、店内で「出し」ていた方が100倍説得力があるというものだ。最近ではツイッターなどもあるのでこういう口コミはティッシュより遥かに早く広まる。
何事も、宣言するのは確かに自由だ。だが、最強は宣言するのではなくお客さんに「ここが最強だよね」と言ってもらう「称号」であるはずだ。自分で言うのは「誰も言ってくれないから」の裏返しであり、宣言すればするほど虚しさが増すばかりである。
人が不幸になるのは、他人と比べた時から始まる。パチンコ店においては「出るか出ないか」という明確な基準があるからどうしても比べやすい業種なのかもしれないが、それと比べてこれといった指標のないメイド喫茶を比べるのだから余程壁にぶち当たっているのだろう。
先日秋葉原の街で某店のビラ配りメイドに「No.1メイドカフェ宣言!」等と書かれたチラシを渡され、「今ならすぐご案内できますよー」と暇をアピールされた。ナンバーワンはビラ配りしなくても満席でお願いします。警察風に言えば、もしかして「人気」のナンバーワンじゃなく、「暇」のナンバーワンだったのかもね。

次に来るコンセプト喫茶 (2010/03/19)
私が思うに、2012年にメイド喫茶が浮上出来る最後のビジネスチャンスが訪れるかもしれない。このことを業界関係者がきちんと認識するには今が絶好のタイミングだろう。
日本の人口の構造上最も多く分布するのは1947年生まれである。俗に言う「ベビーブーム世代」だ。そして国は2007年、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」に於いて定年をそれまでの60歳から65歳へ引き上げてインフラ整備をすることにした。つまり、2012年前後が最も「余暇のある人口」が増加する時期であるということである。
現状のほとんどのメイド喫茶は依然として「高客単価化」を狙い続けている。しかし、定年を向かえた団塊の世代の生活を支える主な財源といったら、個人差はあるかもしれないがほとんどが年金か退職金くらいになるだろう。となると、1回の来店でいくら使わせられるか(つまり高客単価化)を競うような阿漕な娯楽ではなく、毎日適度に通える「暇つぶし」の娯楽を求めることになるのは想像に難しくない。もしもこれが理解できないという人がいれば、カウンセリングでも受けたほうがいい。
もちろん、こういった層がどんなタイプの店で遊ぶかは個人の自由である。もしかすると1回で5000円、1万円遣わせるような店にハマる人もいるだろう。それも自己責任だ。ただ、行政や警察というのは「そんなにたくさんの金を落とさせる喫茶店が横行しているなんておかしい、それはルールが甘いからだ」と結論付けしやすい。前回の記事のラストでも触れたが、高客単価は「音楽が鳴り止むのを早める」だけなのだ。
すなわち、これからの数年間で「来る」と考えられるのは、「手厚い福祉」を兼ねた娯楽である。加えてメイド喫茶が生き残るには「細く長く通う常連客」を掴むことが重要であるのは今更説明の必要もない。2010年のほとんどのメイド喫茶は、大小差はあれどこのままで行けばどうにも立ち行かない袋小路(=ゼロサムゲーム)に迷い込んだことは間違いない。そこで重要になってくるのは「新規顧客の増加」である。恐らく「まだ空いている椅子」は、このただひとつではないだろうか。
これらのことを踏まえて、今から5年間前後の市場競争に必要となってくるのは言うまでもなく「客単価の低下」である。客単価を低下させるには人件費や土地代を下げる必要があるから、場所は駅から離れた雑居ビルの空中階、メイドさんは少数で回るシステムを構築してキャスト依存を防ぐというのが重要になる。「彼ら」には、まず「高客単価こそが収益の根源」と誤解しているその頭を、なんとかして貰いたいものだ。

未来予想図 (2010/03/18)
何かと話題の「非実在青少年規制」のニュース記事を読んでいて思った。ともすれば児童ポルノに該当するようなグレーなものしか造れないなら、それは「奪える財産」であって「奪えない財産」ではない、つまり作者の力ではないということである。出来なくなることを考えても仕方がない、「出来ること」を考えないと。
奪える財産は、本当の財産ではない。例えば、お金持ちはお金を遣ってしまったら「ただの人」に成り下がる。そこで大事なのは、「もう一度稼げる頭を持っているか」であって、「頭=奪えない財産」なのである。そして、奪える財産はいずれ必ず奪われるということ。奪えるのに放置されるほど甘くない。
かなり信頼できる警察関係の知人からの証言によると、一部の悪質なメイド喫茶の執拗な客引きに対する通報が相当数あるらしく、近々ジャッジメント・デイが来るよ、とのこと。
こうなると「秋葉原全域で、メイド・コスプレ関連店舗のビラ配り全面禁止」というシナリオも想定できる。一握りのバカのおかげでホコ天が廃止になったというのも街全体の景気を相当左右したというのに、また同じようなことを繰り返す可能性を孕んでいるわけだ。
現在秋葉原のメイド喫茶の主な生命線は「ビラ」と「ネット広告」であることは多数のオーナーさんが異口同音に仰るし、ジャーナル目安箱#008でも答えが出ている。
近い将来もしビラが禁止、若しくはルールが強化されたと想定すると、各店舗はネット広告に力を入れる方向へシフトせざるを得ないはずだから、ますます「レポサイト」の立場は強くなるだろうと読んでいる。しかしネット上、特にブログなどを使っての宣伝工作についてはだいぶ規制が検討されつつある。つまり伝家の宝刀が「どちらも使えなくなる日」が迫っているのは確かだ。
結論として、生き残るのは「何もしなくても客が取れる店」である。ということは「口コミ」が主体となるわけで、私が「口コミで広めたくなる店」にしましょうと再三繰り返しているのはこうした未来を見据えての結果なのだ。加えて「キャスト依存はやめとけ」としている理由は、「未成年の女の子を雇ってキャバクラ紛いのことをさせている店」ということが警察にバレればそこにも規制が入ることは間違いないからである。
メイド喫茶は喫茶店であるということで比較的穏便な扱いをされてきた。そこでいかにして「奪えない財産」を持ったか、の椅子取りゲームをしていたのだ。ブームから5年余、そろそろ音楽が鳴り止む頃のはず。

時間を売るシャングリ・ラ (2010/03/17)
シャッツキステ第二章という店がある。言わずと知れた名店である。この店が所謂「メイド喫茶マニア」にウケている理由は、「徹底して観光客向けの要素を排除した」という点にある。つまり、裏を返せば「観光客には非常にウケが悪い店」とも言える。これが「シャッツを露骨にコピーしたような粗悪店が出てこない最大の理由」だろう。そしてネット上でシャッツの悪口をあまり見ないのは、この全体の約1割にあたる「ネット上で最も声のデカいマニア層」をターゲットにし、「シャッツを否定する=通ではない」という公式を定着させたからだ。
シャッツキステの凄さはもうひとつある。それは「キャスト依存していない」という点だ。些か乱暴な表現であることを承知でぶっちゃけると、シャッツのメイドさんは「空気」のような扱いである。過剰な接客もなく、もしかするとシャッツに足繁く通う常連客の中には、シャッツが明日から「メイドを辞める」と言っても通うという人すらいるのではないか。現状でこれが出来ているコスプレ飲食店は恐らく日本中探してもここだけだろう。
また、シャッツはマネタイズの観点から見ても優れている。30分紅茶飲み放題500円という値段設定は、一見すると安いかも知れないが、時間いっぱい紅茶をがぶ飲みする人はいないし、事実上一杯も飲まなくても居続ける限り徴収されるわけだから、「メイン収入はほとんど何も売らずに稼いでいる」「追加オーダーが無くても回る」という側面がある。つまり、この500円は店にとっても客にとっても「滞在費」なのだ。紅茶飲み放題はそれを微塵も感じさせない「最強のオマケ」であり、実は分解して考えていくと1時間1000円の席料を取る高額店という本性が見えてくる。勿論、それに見合った魅力のある店であるというのは異論ないが、目くらましが完璧すぎて本質に気付けた人はほとんど見た事が無い。この値段設定は数々のメイド喫茶を渡り歩いてきたマニアにとっては何とも思わない金額である、という性質を逆手にとったものだろう。マニアになればなるほど、「シャッツは安い」と言い出すから面白いものだ。
この完璧な店にひとつだけ疑問があるとすれば、それは「誰のための路面店なのか」ということだ。シャッツキステのブランド名は旧時代に完全に確立していて、現在狙っている客層もマニアのみ、それなら空中階でいいはずだ。「何か深い理由があって、2階と同じ家賃で入っている」というようなことでもない限り、「これらの"神の調整"も、ただの偶然か」となってしまうのが残念ではある。

時代遅れ (2010/03/16)
メイド喫茶というものが登場してからそろそろ10年が経とうとしている。テレビゲームがスーファミからわずか5年以内にプレステへ世代交代したように、メイド喫茶にも途中パラダイムシフトの時期が何度か訪れたのだが、それに気付いている経営者はまだ少ない。だから業界が這々の体に見えるのだ。
現在「ギリギリ」の店というのは、プレステ2が出た後のスーファミみたいな存在である。スーファミがつまらないわけではないが、それらのメイド喫茶に実力があったのかというと疑問が残ると言わざるを得ない。
ここで2006年前後のメイド喫茶を思い出して欲しい。よくよく考えてみれば、ほとんどの店が「ただのメイド喫茶」であったという評価は免れない。当時は「メイドが流行っているから、それに乗っかろう」というだけのものばかりだった。「コスチャ」「ティアラ」「メイドステーション」他、一体何の特色があろうか。それでも当時は「メイド喫茶」というだけで何でも良かった時代であるから客も入っただろう。問題は未だに当時の脳味噌、当時のノウハウのままで生きている「化石」みたいなオーナーが未だにたくさんいるということである。
プレステ2全盛期にスーファミを売り出したらどうだろうか?よく見積もったとして、叩き売り価格でもマニア以外には売れないだろう。それをプレステ2と同価格かそれ以上で売っているのだから世話無い。売れるわけないだろう?それで「メイド喫茶は終わった」って、終わってるのはアンタの頭だ。
一時代を築いた店が今苦戦しているのは「時代遅れ」だからであり、そこから脱却すべきなのだが、「あの時上手く行ったのだから、バブルが去っただけで、店は悪くないはずだ」と思っているのだろう。「あの時上手く行った」のは必ずしも「店に実力があったから」ではないということを理解したほうがいい。確かに、当時利益が出ていたのは紛れも無い事実かもしれないが、今ピンチなのも事実だ。事実はどんどん受け入れるべきである。
「ブームで儲かった」オーナーは、「ブームのおかげ」であり「メイドさんのおかげ」ではないことを肝に銘じるべきだろう。見ての通りメイドさん単体は現在ではとても非力だ。メイドさんを置いておけば儲かるというのは、二重の構造で真実を見誤ったに過ぎない。そして「メイドさん(の魅力)で儲かった」という店なんぞほとんど無いという事実ときちんと向き合って欲しい。

狂気の沙汰ほど面白い (2010/03/15)
人は「面白そうなもの」に興味が沸く。新聞やニュースサイトの見出しをみれば一目瞭然、「何だこりゃ?」と思わせるような奇抜なタイトルばかり見てしてしまうではないか。「嵐、ツアー受付開始」より「松潤、女装する」の方が、「本格パスタ」より「餡子入りパスタ」の方が、PVを稼げて当然だ。
横浜に「ディアカフェ」というメイド喫茶がある。ここが2007年、「ミニ四駆デー」というコスプレイベントを行った。私はこの時、素直に「やるなぁ」と感じた。
「ミニ四駆デー」って、一体どんなコスプレをするんだ?まさかミニ四駆のハリボテを被った着ぐるみか?いやもしかすると「当日はミニ四駆持ち込みし放題」とも書いてあったので、もしかするとコスプレイベントではなく、ただお客さんが店内でミニ四駆で遊んでいいだけなのかもしれない。
私はミニ四駆にまるで興味がなかったが、どうしても「真相」が知りたくてお店に行ってしまった。
予想は遥かに裏切られた。まず(当時の)店長さんが「少年」のコスプレでお出迎え。いい年ぶっこいて半袖にハーフパンツである。ここで強烈な先制パンチを喰らった。
次に、問題のメイドさんのコスプレである。なんと「レースクイーン」(一人はメイドさんが残っていた)だった。ミニ四駆とレースクイーン、こういう発想の転換が出来るのは感動モノだ。そして店内に敷き詰められたコースでミニ四駆を遊ぶ客と店長。ゴール地点ではレースクイーンが「お子様ランチ」のご飯に刺さっているような「爪楊枝で作った小さい旗」を振っていた。これぞ、メイド喫茶のコスプレイベントに求められる「メイド喫茶イズム」の真骨頂であろう。こういうのを体験してしまうと、何が「ボカロデー、ネギ持ってます」だよ、と思わざるを得ない。商売ナメてんのか?
私達は娯楽というものに、「他にはない独創的な面白さと刺激」というものをを常に求めているのだ。そして同時に「通過儀礼(お約束)」は外せない。この乖離する二つの要件を同時に満たすのが「高度な娯楽」であろう。
メイド喫茶は、洒落の分かる大人のためのもっと高度な娯楽だったのではないだろうか?それがいつの間にか「着てるだけ」になってしまったとは、初志を忘れてしまったのか?

ウソテク収集bot (2010/03/14)
その昔、「ファミリーコンピュータMagazine(徳間書店)」というゲーム雑誌が在った(1998年4月休刊)。この雑誌の人気記事「ウルトラテクニック(通称ウルテク、俗に言う「裏技」のこと)」の内容はすぐに他社のゲーム雑誌にもコピー(無断転載)され、次号からはコピー記事かどうかを判別する為に、無機質に掲載されるウルテクの中にひとつだけ「嘘」を混入させ、知らずにまんまと転載した出版社がバカを見たという伝説、通称「ウソテク」は未だにコアゲーマーの間では語り草である。
以前、某メイド喫茶が「制服(オリジナルメイド服)」を競売の形で売りに出したことがあり、その時このウソテクの一連の流れを彷彿とさせるテイストレスな出来事があった。
全3着を店頭でオークションするも、実は全く買い手が付かなかった。このままだと期日が来てしまう。期日までに誰にも入札されなければ、「不人気店」の烙印を押されることは免れない。焦ったオーナーは、自ら「サクラ」になり、知人にも協力させて(見せ金はオーナーが出資)3着全部を落札させた。
ここの雇われ店長は私の友人であり、私はそれをゼロ距離で見ていた立場なのでこの流れを知っていたが、ここで面白かったのがインターネット上での反応である。あるコスプレイヤーの女の子がオークションに注目していたらしく、終了後自身のブログで、「あそこの制服、全部売れたみたいですね、かわいいですもんね。私もお金に余裕があればほしかったなぁ・・」というようなことを呟いた。当然、これは誤りである。
しかしこの子は悪くない。悪いのはそれを転載したニュースサイト、レポサイトの類である。「メイド喫茶○○○の制服オークション、高値で完売」、こんな見出しがサイトトップに踊っていたのを見て、「コイツ、何も知らないな・・」と感慨深かった。この管理人はただ単に、このコスプレイヤーのブログをコピー(転載)してきただけだ。管理人は基本的に、インターネットを信用していたんだろう。
インターネット上に落ちている無尽蔵な情報から「メイド喫茶」に関する情報だけを集めてきて「ニュース・まとめサイト」とするなら、ぶっちゃけ「Bot(クローラ、自動で作業を実行するプログラム)」でも出来ることだ。確かに、自動で機械が集めてくれるから手間も省けるだろう。しかし「メイド喫茶」の単語に反応してひたすら集めまくるだけのbotは、便利でありながら大切なことを忘れている。それは、「メイド喫茶と書いてあれば、ウソテクも集めてしまう」ということだ。
やはり、情報というのは足を使って集めるべきである。実際にはbotで集めた情報を垂れ流すだけでメイド喫茶に行かないサイト管理人は、恥を晒す前に運営を辞めた方がいいだろう。

どんなものも、その94%はカスである (2010/03/13)
人間の価値観というのは、同じ教育を受けてきた者同士であればそう違いは出ない。何を「美しい」とし、何を「醜い」とするか、日本生まれの日本育ちな2人を並べた時、感覚はほぼ一致すると見ていい。
もしそうでないなら、「大盛り」という言葉はおかしい。大盛りにはその前に普通盛り(並)という「基準」が必要である。私達が普通盛りを見ずに気軽に大盛りを注文出来るのは、「普通盛りとは大体こんなもんだろう、だからそれに対して大盛りとは大体こんなもんだろう」という感覚を客と店で共有しているからである。
つまり、「いいメイド喫茶」と「つまらないメイド喫茶」には確固たる基準があり、それをお客ほぼ全員が共有していると考えて差し支えない。でなければ、「流行る店」「流行らない店」がある説明がつかない。ただ、残念なことにそれが明文化されていないというだけのことである。
現状ではほとんどのメイド喫茶がこれを理解出来ていない。理解出来ているのは、数少ない「勝ち組」だけである。SF作家「シオドア・スタージョン」の名言に、「どんなものも、その94%はカスである。だが残りの6%は、その為に死んでもいい位である」というものがある。まさしく現在のメイド喫茶に当てはまる至言中の至言だろう。そしてこれは、メイド喫茶オーナーの94%はカスだ、と言い換えることが出来よう。
アキバプレイス6階 80坪 家賃280万円。3月20日、ついに業界に「黒船」がやってくる。
株式会社ケイ・ブックス会社案内 営業実績 2009年 42億2千万円 構成人数 役員4名 従業員376名。
このケイ・ブックス「うさぎの森LR」の秋葉原進出をどう見るかについてはとても難しいところではあるが、池袋の執事喫茶「スワロウテイル」の大成功を考えれば、最大限の可能性を秘めている店なのではないかと期待している。文字通り、2010年上半期の話題を独占していい「新規オープン」のはずである。
スワロウテイルに死角は無かった。私がジャーナル最高得点を付けた理由は、「頭の先からつま先まで、完璧に執事」を演じておきながらも、最後まで「ユーモラスさ」を追求したという点に尽きる。これが単なる偶然だったのか、きちんと計算出来ていたのかは、うさぎの森LRを見ればハッキリすることだろう。
頼むから、残り6%にあたる「その為に死んでもいい店」であって欲しい。

くろすろ〜どが負けた理由 (2010/03/12)
高性能なゲーム機が売れるなら、「プレステ3」はバカ売れするはずだ。しかし現状では底の見えない売上不振が続いている。同じように、高品質なメイド喫茶に人気が集中するかといったら必ずしもそうはならない。
プレステ3があまり売れない最大の原因として、「キラータイトルの不在」が挙げられる。つまり、「あれもある」「これもある」ではなく、「これ1本の為に高価なハードを買ってもいいと思わせる独占ソフトがある」というのが最も強いのである。どんなに高級マシンであれそれが無い限り、一向に勝機は訪れないだろう。
メイド喫茶も同様、「あれもある」「これもある」よりも「ここにしかない」がヒットするには絶対に必要条件となる。行き場を失った不人気店が「メイドさんとゲーム、はじめました」などとやり出すが、寝言は寝ながら言え。そんなもの、他店を見たらやってたから真似しただけじゃないか。
それから、プレステ3は確かに高性能だが、お客の心理としては所詮「ゲーム機」の枠からは出ることは出来ない。特に私のような凡人には、ゲームとしての機能以外をちゃんと使いこなせないかもしれない「無用の長物」にも映る。価格破壊はゲーム業界にも押し寄せているにも関わらず、ただ「ゲームを遊ぶ」だけで考えればプレステ3はかなり高くついてしまう。
昔秋葉原に「くろすろ〜ど」というメイド喫茶が在った(2008年5月17日閉店)。ここは私が記憶している限り、秋葉原の中では最もクオリティの高い「高級店」であったことは間違いない。だからといって値段が高いというわけでもなく、疑いようのない「良店」であったのだが、潰れた。上の階にある「@ほぉ〜むカフェ」が2時間待ちという状況の中でくろすろ〜どは待ち時間なしだったことを考えると、やっぱり「合わなかった」んだろう。
私が思うに、くろすろ〜どがマーケットに支持されなかった理由は「秋葉原という街には少し手持ち無沙汰だったから」だと考える。秋葉原にいる客層のノリというのは、「グルメ」より「B級」、「堅気」より「ネタ(ジョーク)」。ステーキに5千円かけるより「サンボ」で牛丼をかっ込み、ただの美味しいパフェより3人前サイズのジャンボパフェに七味唐辛子をかける。全ては「ブログで発信できる面白いネタ探しの街」であるような中に「味の違いが分かる通の店」みたいなのはちょっと不向きだ。高級志向だったのがいけないのではない、「完璧すぎてつっ込めなかった」のがダメなのだ。その点では高級感ではくろすろ〜どに劣る「メイリッシュ」の「ヤンキーDAY」「家政婦DAY」の圧勝なのである。

リア充の街 (2010/03/11)
メイド「喫茶」に詳しいサイトはそこそこあれど、「ガイド」の裏話はあまり見たことが無い。今日はひとつ、現場の生の声をば。
昔から秋葉原に足繁く通っていた人に言わせると、「最近の秋葉原にはリア充(リアじゅう・リアル社会の生活が充実している人)が紛れ込んできて居心地が悪い」となるらしいが、果たして彼らの言う「リア充」どの層を指しているのか微妙である。もしも秋葉原の街を歩いている「目視できる男女ペア」のことを指しているなら、確かに十年数前の秋葉原の街に店員さんを除く女性などほぼ皆無だったとは思うし、それと比べると格段に増えたとは思う。では今見ているそのカップル?が「本当にリア充なのか」ということを果たして証明できるだろうか。
メイドさんに秋葉原の街を観光案内してもらったり擬似デートが出来る「メイドガイド」という業態のお店がある。これらのお店では、メイドさんの衣装を選ぶことが出来るオプションがつきものである。この理由には、「メイド服の女の子と歩くのはさすがに目立つから恥ずかしい」というものと、「メイド服の女の子は「コスプレ」と見なされ、「コスプレの方の入店お断わり」のお店へ一緒に行けない」という2つがある。どちらも「メイドさんにガイドしてもらう」の根底を覆してしまうような気もしないでもないが、まぁ致し方ないところではあろう。だから「私服」にチェンジしてもらうオプション(どの店でも基本的に無料)を選択するお客さんが多い。本稿で注目したいのは、その「割合」である。某メイドガイド店の元オーナーさんから頂いたデータによると実に、約91%(小数点以下四捨五入)のお客さんが私服を選択するというのだ。
つまり、秋葉原の街を歩いていて見かけることの出来る「メイドさん(の格好のまま)とデートしているお客さん」を9組見たとすれば、全体的に見ればあと都合91組の「見かけ上リア充に見えるカップル風」がいたという計算になるのである。いささか乱暴な計算ではあるが、「リア充を見た目で判断した」というのも既に十分乱暴だから似たり寄ったりといったところだろう。
また、秋葉原には撮影会用のレンタルスタジオも多い為、「男女のペアが歩いている」というだけで一概にカップル(リア充)として数えるのはだいぶ現実と乖離するだろう。
秋葉原に最近カップル向けの店が増えてきたとされるが、カップル向けの王道デートスポットといったら「映画館」と「温泉」である。これらが出来ずにガイド店が幅をきかせている最中は、まだ大丈夫(何が?)だろう。

※イケメンでも通らない (2010/03/10)
以前ある雑誌で何度か警察を舞台にした漫画のストーリーを書かせていただいたことがあり、某警察署に取材で訪れた際、新人の婦警さんについて刑事さんに「あの婦警さん、お若いですよね」と一言喋ったら血相を変えて「それにイエスと答えてもノーと答えても、飛ばされちまうよ」と小声で言い、苦笑いされた。
世の中のセクハラに対する目が厳しすぎる感すら漂うのは、好意も嫌悪も「受け取り側次第」であるからだとは思う。しかし上記の例は模範解答にも近い非常によく出来た問答であり、過去事件化したセクハラ事例のほとんどは「小学生から離島のおばあちゃんまで、誰が聞いてもセクハラ」であるから仕方が無い。
メイド喫茶において一部のお客さんからメイドさんに対する「セクハラ」があるのは残念ながら紛れも無い事実である。今日はある現役のメイドさんから「事実であることを証明したいから、是非お店の名前と私の実名を出してくれ」と力説された、「世にも奇妙な物語」を紹介しよう。
ご主人様が注文をすると同時に、小さい紙を開いて言った。「ねぇ○○ちゃん。今度の休み、デートはどうしようか?」。見てみると、その紙には「妄想デートプラン」がびっしり記されていたという。一体いつデートすると決まったのか?
言わずと知れた「髪切った?」がセクハラにあたるという話について、最近「※ただしイケメンに限る(言った男性が美形なら許される)」というジョークをよく耳にするが、さすがにこれはチャン・ドンゴンでも通らないことくらいお解かりいただけるだろう。
「お客様は神様です」という三波春夫の有名なフレーズがあるが、クレーマーもセクハラも、この言葉の拡大解釈による乱用だと言われている。お客と店員という絶対的な上下関係を盾に、理不尽な強要をする。お客は一個人であり、店は組織だ。組織であるが故にキレるわけにもいかず、これらは単なるハンディキャップマッチなのである。
もちろん、当の本人に言わせれば「メイドさんに対する好意の暴走」とでも言うだろう。しかし#120にも書いたが、「好意」と「ストーカー」の明確な線引きは無く、メイドさんが「セクハラだ!」と言えば好意は犯罪に変わる。つまり「ともすればセクハラだと感じる人がいるかもしれない言動」そのものがタブーであると言えよう。
私達人間は、とかく「演技」をしながら生きざるを得ない生き物だ。上司の前では「部下の自分」を、家族の前では「家族の自分」を、友達の前では「友達の自分」を、彼氏の前では「彼女の自分」を、それぞれ無意識に演じながら生きるに過ぎない。それがおかしいかと言ったら、おかしくはない。当たり前のことなのである。だから、「メイドさんの前では紳士淑女」を演じきれないと、メイド喫茶という大人の遊びへの参加資格はないだろう。

情報の支配者 (2010/03/09)
「正しい情報」というのは、いつの世も一握りの人間しか手に出来ない。
江戸時代、「瓦版」という今で言う新聞のようなメディアがあったことは学校でも習うが、あれに掲載されていた情報は所謂「情報操作」のために作られた捏造ばかりだったという。
現在「Wikipedia」に掲載されている情報の信憑性については散々議論がなされているとはいえ、Wikipediaの情報に信憑性がないという確固たる証拠を掴めた人はまだ少ない。メイド喫茶に関するWikipediaのページと言えば「コスプレ系飲食店」が該当するだろうが、ここに掲載されている情報にも小さな誤りが多く散見される。問題なのはその内容ではない。「何故そうなったのか」のただ一点に尽きる。
以前、とあるライターが自身のブログに「アレはこうらしい」と記事を書いたところ、数週間後にたまたま関連したWikipediaを開いたら、なんとそのまま転載されていた(出典元の明記はなし)という。実はこの記事はライターの早とちり(つまり誤情報)で、「訂正しなきゃ」と思っていた矢先のことらしい。しかし本当に「とんでもない」のはここからである。
某週末、テレビのニュースを見ていると丁度「それ」に関した事件を取り扱っていた。淡々と台本を読み上げるキャスターの男性、なんとあの誤情報をソースにして解説をしていたのである。
つまり、この誤情報はライター→読者→Wikipedia→テレビの放送作家という風に「勝手に」流れたのだ。主従関係で言えば、「ライターのブログを信用した読者」と「Wikipediaの情報を信用したテレビ」という流れになろうか。もっとスタイリッシュに表現すれば、「ライターを信用した読者」「Wikipediaを信用したテレビ」で、情報の内容云々よりも、「誰が言ったか、どこに書いてあったか」を信用したわけだ。
そして最後に、「テレビも出典元を明記しなかった」という点が「とんでもない」とする所以である。こうなると「テレビで言ってたから」が新しいソースの基準になってしまい、「真実」を知っているライター本人がブログで謝罪しようとも「ウソツキ」呼ばわりされる可能性だって出てくる。恐ろしいものだ。
というのも、以前あるメイド喫茶を扱うサイトが「メイド喫茶・データまとめ(仮名)」なるものを作っているらしいので面白そうだと思って見に行ったのだが、そこに掲載されていたデータは「そこで働いていた(とされる)元メイドさんが個人ブログで本音を呟いたもの」などを拾ってきただけだったからお茶噴いた。この様子ならもしも私が「○○(店名)でメイドしてたハルナです☆」などと偽名でツイッターに登録し、「ウチのオーナーの月給は200万」とでもテキトーに発言すれば、恐らくそのまま載るのだろう。それでいいのか?

脅迫なう (2010/03/08)
ペンは剣よりも強し、という言葉がある。自分の声のボリュームというのはどうしても自分自身には分かり辛く、これが思わぬ誤解を招くこともある。
とあるメイドバーのオーナーからの貴重なご意見がこちら。
「店内でブログを更新したりツイッターで呟いたりしているお客さんは怖い。何を書かれるか分からない。あれは「俺を特別扱いしろ」という無言の脅迫メッセージにも見える。」
レストラン等で「今夜ブログに載せるから」などという理由で注文した品の写メールを撮る人がいるが、たまにこれを撮影禁止のメイド喫茶でやろうとしてメイドさんから怒られている人を見かける。せっかくお金を払って楽しく遊びに来て、怒られてどうする。「怒られたなう」とでも書くのだろうか。その時は是非、「"写真撮影禁止のお店で無断で撮影したら"怒られた」ときちんと書いて欲しいものだが、大抵は自分の都合のいいように改変されたり、怒られた部分だけをクローズアップされる。だから「脅迫だ」と言われるのだ。
世の中というのはとかく「声のデカイ奴」の言うことが通ってしまう側面がある。それが例えちょっとおかしな主張であったとしてもだ。声がデカイというとチンピラみたいな客が店で暴れることを想像するかもしれないが、インターネットで「呟く」のは、下手するとチンピラより「声がデカイ」ということをお忘れなく。チンピラの要求が仮に通ったところで、店がチンピラを許容したわけではない、ただ恐れただけだ。
もちろん、そうではないただのお気楽な日記なのかも知れない。しかし一部にそういう「声のデカイ奴」がいるから、ただいじるだけで同一視されてしまうのが現状なのである。「ストーカー」と「愛」の明確な線引きが無いように、「日記」と「クレーマー」の線引きは非常に曖昧で、受け取りようによってはどうとでも変化する。店内撮影禁止だって、辿っていけば盗撮事件を起こした問題児がいたのが発端だったりして、彼らのしわ寄せを受けるのは納得が行かないかもしれないが、だからといってすすんで腐ってもいいわけではない。
私は店内で無線LANが使えるメイド喫茶などは非常に便利だと思っている。しかしこれも極端なことを言えば、こういった一部の心無いユーザーのせいで廃止になる可能性だって十分あるわけだ。
メイドさんに好かれることはあっても、怖がられることのないように。

出せるわけねーオムライス (2010/03/07)
メイド喫茶の料理といえば、跋扈する悪徳店のおかげで「高い・不味い」みたいなイメージが植えつけられてしまった昨今ではあるが、もちろんそうでない店も一部とはいえ存在する。
しかしメイドさんがドジっ娘さんで、「ごめんなさぁ〜い」とちょっと焦がしちゃった料理を運んできても、そこは脳内補完というか、ある意味でそれもサービスのひとつてあると言えなくも無いのがメイド喫茶の不思議な魅力のひとつであることは間違いない。普通のファミレスなら「新しいのに変えて」となるところを、「これも萌えだね」なんて喜ぶお客さんがいるのは、さながら「特権」といったところだろうか。手抜きと失敗は似ているようで全然違うということだ。ちなみに元々不味い料理をさらに失敗する店は論外。
前振りはこれくらいにして、私がある店でオムライスを注文した時の「パラレル体験」のことをば。
その店では注文を受けたメイドさんが料理をしてくれる、今考えればかなりの「良店」だった(閉店済み)と思う。厨房からじゅーじゅー聞こえてきた。卵のいい匂いがする。ホールに残ったメイドさんと昨日のテレビについて軽くおしゃべりする私。細木数子の占いって当たらないよねー、などと笑っていると、「事件」は起こった。話題が悪かったのか?
バタンッ!「お前こんなオムライス、出せるわけねーだろ!」(by店長)
モロ聞こえである。そして10分後、「ちゃんとした」オムライスが出てきたのでそそくさと頂いた。一体どんなミスがあったのかは、空気を読んで聞かないことにしたが、「アレ」は聞こえちゃいけないだろ。こだわり過ぎも問題なのか、それとも壁が薄いのが問題なのか、こんなことを聞いてしまうくらいなら、その「出せなかった」オムライスを出されたほうがよかったのか、私が注文したことそのものが間違いだったのか。
ディズニーランドでは、夢を壊さないように色々な配慮があると聞く。実はこれはとっても難しいことらしい、と、たくさんのメイド喫茶を見て痛感した。そして、焦がした料理を「ごめんなさい」と申し訳無さそうに持ってくるのを「萌え」と言っているほうがまだ夢があると確信した。

過ち (2010/03/06)
メイド喫茶につきものなのが、「コスプレイベントデー」である。これは普段はメイド服を着ている店員さんがその日だけ限定で別のコスプレでお出迎えするというものだが、私はこれらのイベントの在り方に疑問を唱えたい。
私が福岡は七隈に在ったメイド美容室「メイドカットセンター(2009年5月6日閉店)」へ行った時のことである。ドアを開けてビックリ。なんとその日は「体育祭デー」で、店員さんは体操服でお出迎え、「メイド美容室」の看板を付けておきながら「メイドさん」が一人も居なかった。そして事前に確認した公式サイトにはそんなことは一言も書いていなかった。
この現象は何もこの店に限ったことではない。そもそも、コスプレイベントデーとは常連さんに対する「感謝祭」のようなもののはずだ。メイド服に飽きてしまうというのは常連さんの特権であり、だからこそのメイド以外のコスプレなのではないだろうか。それは別におかしいことではない。何がおかしいって、「それを全部のメイドさん(店員さん)に適用すること」なのである。お宅には常連客しか来ないのか?
この問題を解消するには、「コスプレイベントデーでも「メイドさん」を最低1人は置く」とか、「コスプレするのは1人」とかにすればいいだろう。特に「コスプレするのは1人」にして、それをローテーションで1週間続けるなどの方法を採って、更にそのシフトを公開しないなど組み合わせれば、常連さんにはお目当ての女の子がコスプレした日にあたるまでイベント中通わなければならないという集客性能の高いものになるだろう。一見さんも納得が行くし、全員同じコスプレにするより遥かに生産的だ。
大体、メイド喫茶がメイド服で集客できないのならそれはある種の終わりを意味しているのではないか。
昨年末、秋葉原の「AKIBASAKABA(2009年12月28日閉店)」というRPG風居酒屋が潰れた。通常はその名が示すとおり、RPGのキャラクターに出てきそうな制服での営業だったが、閉店間近にはイベントデーを乱発、ラスト1ヶ月間くらいは何と一度もRPG風の衣装を着ることはなかった。本来なら「閉店するなら一度は行っておこう」という一見さんの来店も見越すものだと思うし、閉店告知を出してからも最後まで通い詰めてくれる常連さんがいるのなら、その人は「RPG風」なところに惹かれたのではないのだろうか。
これを見て、「これぞコスプレ飲食店の混沌とした終焉に相応しいな」と変に感心してしまったのだが、私(常連)も店も業界も、何か一様に間違っている気がしてならない。

適利多売 (2010/03/05)
タクシーを利用するお客さんの大半は、「クルマはちゃんと走って、目的地へ着けばいい」と考えている。タクシーの車種にこだわる人などいない。目の前に「来れば乗る」だけだ。エンジンが何気筒であるかとか、そんなことはどうだっていい。こんなことをメーカーの人に言ったら怒られてしまいそうだが、「モノの評価者というのは、時として作者の意向などどうでもいい」のが実情である。
知人の漫画家が「クライアントの要求を満たすのが大変だ」と漏らすが、クライアントは必ずしも漫画のプロではないので、漫画家との温度差が生じるのは致し方ない。そもそもクライアントはマーケット分析を基に作家に要求をしているはずだし、最終的にその作品が面白いかどうかを判断するのは漫画家でもクライアントでもなく「読者」である。だからそれがイヤなら自費出版すればいいという問題ではない。
オーナーの「やりたいこと」を全部取り入れたメイド喫茶をオープンさせたとしよう。「オープンさせること」だけに価値があるとするならば、極論もう合格だ。というか、それはカネさえあれば誰にでも出来ることである。そうじゃない、最も大事なのは、「それにお客さんがつくこと」である。ここはカネではどうにもならない。
いくらエンジン音が静かなクルマを作ったところでシートが硬ければ乗りたくないように、素晴らしいものを作ったところでそれが客の欲しいものでなければ何の意味もなさない。メイド喫茶をオープンするにあたって、愚直なまでに「客の欲しいもの」のデータを採取したという店を私はほとんど聞いたことが無い。「メイド喫茶の企画なんて単純」と思う読者もいるかもしれないが、その単純なことすら出来ていない店ばかりだからバタバタと倒れていくのである。せめて「潰れた店」でやっていたことはやらない、くらいの精査があってもいいはずだ。
秋葉原に「喫茶全力」という店がある(2009年12月19日オープン)。ここは所謂「B級アイドル」を題材にしたコンセプト喫茶だ。この店を見た時、久しぶりに「精査があったんだな」と少し感動した。というのも、世間は折りしも「AKB48」のバブルである。多少単価が高い気もしたが、現状のメイド喫茶の平均客単とアイドルの追っかけがアイドルグッズに費やす金額を考慮すれば、妥当なセンではある。何度か遊びに行っているが、何より違和感なく満席になっているというのがその答えの最たるものだろう。
色恋営業に傾倒しすぎて客単価が上がらないことを嘆く前に、できる限りの努力はすべきだ。「適利多売」。こんな言葉をこれからのメイド喫茶には掲げて行って欲しい。

ピンク色のプレステ2 (2010/03/04)
「価値」というのは、人と人の共通意識によって成り立つものである。例えば、1万円札で1万円分の買い物が出来るのは何故かといったら、1万円札に1万円分の価値があると私達が信じているからだ。
つまりどんなにいいモノを作ったとして、その良さを他人が理解出来なければそれは一瞬にして「ダメなモノ」になるのである。それはメイド喫茶だって同じだ。
一口にメイド喫茶の良さと言っても、その種類はたくさんある。わいわい楽しめる店、ゆったりくつろげる店、挙げていけばキリがない。では、その中でも「最も多くの人に認めてもらえる価値」とは何だろうか、ということを考えてみよう。
世の中は白と黒ばかりではない。社会における多数派とは、皆どっちつかずの中途半端な「灰色」である。
ピンク色のプレステ2が出た時、新宿の街を歩いていて若い女の子2人組が、「あれ可愛いよね」「黒はダサいから今まで買わなかったけど、あれなら欲しいよね」と話していたのを見て、その広い需要に気付かされた。
パソコンもケータイも、最も売れるのは「外見(デザイン)に凝ったもの」であるという。流線型のかっこいいデザインのものと、昭和の弁当箱みたいな無造作なデザインのもの、同性能・同価格であるならどちらを買うか考えてみて欲しい。答えは言わなくても分かるはずだ。実は、本来重要なはずの「性能」は二の次なのである。
デザインというのは、人を動かす。心だけでなく、確実に身体も。だからデザイナーは高給を取る。中身に凝るのは「当然」であり、それよりまずデザインに凝らなければ、見向きもしてもらえない不恰好なモノに仕上がってしまうのだ。
#011、#097あたりでも触れたが、「いいメイド喫茶を作ればお客は黙っていても来る」と考えているならそれは改めたほうがいい。いいメイド喫茶にするのはそもそも「当然」のことであり、更に顔のデザインの良さにも凝るべきだ。これが出来ていない店が多すぎて、だからこそ売上的には「外ヅラがいいメイド喫茶」>「中身がいいメイド喫茶」という状況になってしまっているのだ。これを超えるためには、「どちらもいいメイド喫茶」が出てくる必要があるのだが、それが分かっている店は現状ほとんどない。勿論、全く出来ていないとは思わないが、「まだそういった意味でのマーケットの洗礼を受けていない店ばかり」ということだ。それは「顔の悪さよりも中身の良さに甘んじている」ということをお客に強いているだけである。

失脚 (2010/03/03)
大物政治家が、休日に自腹を切って遊びに行く。とした時、これを私達一般人がどう見るかと考えると、非常に面白い結果が出る。
もしもそこが「キャバクラ」であればどうだろうか。自腹である、ということなら、「あの人がプライベートで贔屓にしているくらいなのだから、余程の高級店なのだろう」程度で済むだろう。
では、「風俗(性風俗)」だったらどうだろうか。場合によっては週刊誌にスキャンダルとして取り上げられ、失脚するかもしれない。だからバレないように、会員制の店があるなどと言われるのもなんとなく頷ける。
さて、ではこれが「メイド喫茶」だったら一体どうだろうかということを真剣に考えてみて欲しい。あなたが「メイド喫茶好き」であって冷静な判断が出来ないようなら、メイド喫茶にまるで興味がない家族や友人に、「大物政治家が、休日に自腹を切ってメイド喫茶に通っていると聞いたら、どう思う?」と聞いてみるといい。
#097でも少し触れたが、現状のメイド喫茶が他人に自慢できるステータスではないことは明らかである。ジャーナル目安箱での過去の調査結果でも半数以上が「メイド喫茶に関わっていることは他人には秘密」だった。それはメイド喫茶が「オタク趣味」であるとされていることに全ての原因があるのではないか。
私はオタクについては否定的な意見を持っていないし、現に私も「メイド喫茶オタク」であるが、世間のオタクに対する風当たりが強いことはどうにもならないと感じている。旧マスコミが洗脳にも近い形で「オタク=気持ち悪い」という扱いを散々し続けてきたこの事実はちょっとやそっとじゃ揺るがない。
ではどうすればよいのか。それは闘おうとするから風当たりが強いのであって、闘わなければいいだけのことである。つまり、「オタクは悪くないよ」というメッセージを発信するのには限界があるので、「メイド喫茶はオタク趣味ではないよ」というメッセージを発信したほうが楽であるということだ。いや、それでは少し弱いか。完璧を目指すなら、「メイド喫茶(に行く奴は)はオシャレ」でいいだろう。だから本当は森永卓郎なんかに宣伝させている場合じゃないのだ。彼は識者というより世間の認識としては「笑いの対象」だぞ。
今のメイド喫茶は、行った=失脚とはさすがにならないまでも、高級店に通える=ステイタスとなるキャバクラよりは確実に下に位置している。これを「メイド喫茶はオシャレ」と言わせることはさすがに無理でも、「いい店知ってるんだよ」位は言ってもいいような存在になって欲しいものである。

最悪の次に悪い選択 (2010/03/02)
核兵器を持つか持たないかで各国が散々議論をしているわけだが、これはコンビニのおにぎりの安値戦争に非常に似ている。
核は、全ての国が持たなければそれがベストな選択であろう。しかし、どこかの国が裏切って核開発をはじめるんじゃないか、という恐怖から「ウチも」となるのである。
おにぎりの値引きも、本当ならライバル同士談合でもしてある程度の価格帯で推移すればそれなりの利益を維持できるはずだが、どこかの店が急に割引セールをはじめるんじゃないか、という恐怖から皆値下げ合戦に走ってしまい、結局自分達で自分達の首を絞めてしまう。
こういう意味ではメイド喫茶はまだ安値戦争に突入していないからマシな市場に思えるかもしれない。しかしそれは断じて違う。メイド喫茶は#005でも書いたように、安値戦争と同類の「自傷行為」のゾーンに突入してしまったのだ。そしてその具体的な対策が実はほとんど無い。
核問題もおにぎりも、本来ならベストな選択をしたいのだが、最悪なパターンを避けようとする力の方が勝ってしまい、最悪の次に悪い選択を強いられている。メイド喫茶も同様、ベストな選択(適当な価格でお客様に満足してもらい、かつ適度に儲ける)よりも最悪のパターン(お客が来ないのでまるで儲からない)を避けるべく、最悪の次に悪い選択肢(高客単価化しておけば、客数が少なくても最悪のパターンよりはマシだろう)を選んでいるのだ。つまり保険である。高客単価化は、店の延命の為の生命保険のようなものだ。
物事は何でも、「最悪のパターン」を想定しておくことが大事ではある。特にカネの絡むことであれば、どうしても慎重にならざるを得ない。しかし見ての通り、保険に入ると不恰好な生き方しか残されていない。
核問題は最大の恐怖「自国は持っていないのに、他国が裏切って作るかも」を避けた代わりに、「とりあえず自分も持ってる」になったというだけで、「他国が裏切るかも」を防げたわけではない。おにぎりだって、「他が値引きする」のを防げたわけではない。これらのやり方は、実質的な解決にはなっていないのだ。
メイド喫茶も本来なら、「お客があまりこないかも」を防ぐ必要があるはずだ。高客単価化するのは一見解決に見えて、実はこの根本的な問題に寝たふりをしているに過ぎない。寧ろ単価を上げたことでお客が更に減るのだから性質が悪い。
問題というのは、本来なら真正面から向き合って解決すべきじゃないか。

口だけ出すな、カネも出せ (2010/03/01)
日本ではポケモンと言えば子供達が夢中になっている「健全なゲーム」の印象があるが、実はこのポケモン、世界13ヶ国で「有害なゲーム」として発売が禁止、アニメの放映が禁止されている。その理由は「Wikipedia」などで詳しく掲載されているが、日本人の私達からしてみれば「沸点が分からない」ことばかりだ。全ての物事は受け取り方によっては善にも悪にもなり得るといういい例であろう。
その昔「ポンキッキ(フジテレビ)」について視聴者から局に電話があり、テレビの前の子供達に「おはよー!」と言う部分について「朝っぱらからうるせえ番組だな」みたいなことを言われたという話をどこかで聞いた。まさか口が裂けてもそんなことは言わないだろうが、オペレーターさんの腹の中では「だったら見るなよ」と言いたいところだろう。はっきり言って、そんな電話を朝っぱらから局にかけてくる方がよっぽど「うるせえ」。
世の中はこうした人たちが必ず一定数いるので、極論何をやっても100%良いとされることはまずない。ポケモンが発売禁止、ポンキッキにクレーム、この中でまさかメイド喫茶が野放しということはないだろう。実は様々な理由で「なぜか怒られた」メイド喫茶はたくさんある。
あるメイド喫茶に一本の電話がかかってきた。「どんなお店なんですか?」。電話に出たメイドさんはきちんと「こういうお店ですよ」と答えたという。すると、こんな返事が返ってきた。「ハァ?ふざけてんの?そんなのメイドって言わないよ?」。
私は、食べたラーメンについては「まずかった」と正直に感想を言ってもいいという最低限の権利を有するものだとは思うが、食べていないラーメンについて見た、聞いただけで判断して「こんなのラーメンじゃありません」などと発言するのはいかがなものかと思う。見た、聞いた上で「こんなの違う」と思ったら、ただ「食べなきゃいい」だけの話だ。「そんなのメイドじゃない」と思ったなら行かなきゃいいだけじゃないか。それか、来店して遊んだ上で「これは違うよ」とお店で直接言えばいい。それならお客様の貴重な意見として、きちんと聞いてくれるだろう。だがこれじゃ「威力業務妨害」にもなりかねない「爆破予告」と同列の悪質なイタズラ電話だ。
まだポンキッキのクレームの方が、一応「見た」上での感想であるからまだマトモである。とはいえ電話代を払ってまで言うことじゃないとは思うが。

メイドさんの名前 (2010/02/28)
源氏名・・というのかはよく分からないけど、とにかくメイドさんは仕事上では本名ではないニックネームのような名前を使うことが定説とされている。
テレビゲームをクリアーすると、エンディングに「スタッフロール」が流れるものが多いが、その大半がふざけ半分のニックネームだったりするのは「ヘッドハンティング防止」の為と言われている。それ故に、「佐藤○○」のような一見本名のように見える名前も案外ニックネームだったりするものだ。
メイドさんがお店でニックネームを使う一番の理由はやはり「ストーカー防止」なのだが、それ以外にも、「妙な現実感を出してお客さんを幻滅させるくらいなら、嘘をついて夢を見せてあげたい」という理由がある。そもそもお客さんが喫茶店の店員さんの本名を知るメリットなどどこにも無い。メリットがあると言う奴はストーカー予備軍だ。
それでもやたらとプライベートに突っ込みたがるKY(死語)なご主人様は多いようだが、あるジプシーの子によれば、その為に「本名に聞こえる2つ目のニックネーム」を用意している子も多いという。それから「これ本名なんですよ〜」と嘘をつくというテクニックもある。こういう返事が返ってきたらそれは「聞くんじゃねーよ」という遠まわしのメッセージであると受け取って、自分の行動を振り返って自重してもらいたい。
それでは私が見た、聞いた、メイドさんの名前がらみの面白かった話をいくつか紹介しよう。
・模範解答
メイドさんがご主人様に「はじめまして、「どれみ」です。宜しくお願いしますね。」と挨拶したところ、ご主人様は「へードレミちゃんかぁ。珍しい名前だね、本名?」と聞き返した。そしてメイドさんが「そうです」と答えたという。
・世間は狭い
某オンラインゲームで使っていたハンドルネームをメイドさんをする時に名前にしていたメイドさん。世にも珍しい名前だったことが災いしたのか、出勤2日目にして「あの鯖の?」と身バレしたという。
・2つ目の「本名に聞こえるニックネーム」を用意していたメイドさん。常連さんの帰り際に自分から「私の本名です。またお店に会いに来てください」などと意味深に書かれた小さなメモを渡し、さも気があるかのように装っていた。その結果、1ヵ月後のバレンタインイベントでは1個2000円の彼女の手作りチョコレート40個が完売、売り上げにだいぶ貢献したという。

時給8000円の死角 (2010/02/27)
キャバクラの時給は高い。店によって差があるとはいえ、平均すると時給3000円〜5000円程度だ。中には時給8000円という店だってある。しかしたとえ暴利をどんなに客から貪っていたとしても、売り上げの上がらないアイドルタイムにこんな時給を嬢全員に支給していては成り立つはずもない。当然、これが成立しているのだから何かカラクリがあるわけだ。
実はほとんどのキャバクラでは待機中は「仕事」の扱いにならず、客と席についた時しか時給が発生しない。つまり完全歩合(法律に抵触するかどうかは置いておく)であり、客の取れない嬢は一切カネが貰えないシステムになっている。だから全員が額面通りの給料を手にすることはない。売れた分からしか給料が出ないので、店が損をしてしまうことは絶対にないのである。
というわけで、女の子によってはコンビニのレジ打ちでもしていた方が場合によっては高給となることもあったりするのがキャバクラの高時給のカラクリなのだ。
さてメイド喫茶をキャバクラのような「会話」をウリにしようとなれば、当然だが同じような仕事でキャバクラの方が給料がいいので女の子はわざわざ給料の安いメイドさんをやる必要がなくなる。しかしキャバクラはこのような事情で満額貰えることはほぼ無いので、メイド喫茶の女の子側からの良さとしては、「キャバクラの不安定さを考えればメイドの方が安全」ということになる。
ところが最近はメイド喫茶でも売り上げの上がらない店が荒っぽいやり方をするようになってきた。「ノーゲストの時間帯は給料が出ない」、「ビラ配りしていて、客を連れてきてはじめて時給が発生する」など、ブラック企業さながらの悪質なパターンも散見されていて、なるほどだから伸びているのかとヘンに頷かされてしまった店もある。#102でも触れたが、キャバクラと比べ極端に客単価の低いメイド喫茶で「土地代」「人件費」のカットがなければべらぼうに儲かるということは無い。それでも儲かっているということになれば、何かをカットしている以外に可能性が無い。そうでもなければ売り上げが異様に高いというのはおかしい。世の中はズルいことのひとつでもしない限りは、急には儲からないように出来ているのだ。
もしメイドさんをやろうという女の子がここを読んでいたら、「常軌を逸した急成長をしているお店は要注意」と心にとめておいて欲しい。全てがそうというわけではないが、そうしておくことで受ける傷が少なくて済む。

オリジナルメイド服のススメ (2010/02/26)
メイド喫茶には「ここじゃなきゃヤダ」というお客さんがいる。これが例えばコンビニであれば、「セブンイレブンじゃなきゃヤダ」というのはあまり聞かない。それなりの好みはあっても、極論「あれば入る」だけのことで、目の前にローソンがあるのにわざわざ電車に乗ってまでファミリーマートを探す人は、「限定品」を探すような場合以外はほとんどいないように、ブランド力としてはとても弱い。どこも差別化に躍起になっているが、そもそもコンビニの差別化に期待している人などあまりいないから伸びも緩やかだ。というのも、コンビニというのは差別化よりも平均的な品揃えを重視されるマーケットであるからだ。それに対し、「偏り」こそが面白いとされる業界では如何にして「他と違うか」をアピールできるかが商売の鍵となる。
これをうまいこと利用できているいい例として、「マッキントッシュ」がある。私はマックの「何がいいのか分からない派」だが、マックユーザーの知人に聞けば「一生マックについていく」という意見が多い。だからマックは高値でも売れる。売り手側としてはこれほどオイシイものはないだろう。
新規のメイド喫茶の出店で、「とりあえず他でやってることは全部取り入れよう」みたいな店があるが、こういう店がブランド力を手にすることは、3〜4年前ならまだしも今ではまずないと考えていい。メイド喫茶はコンビニではないなのだ。例えば昨年秋に秋葉原にオープンした某店を見ると、公式サイトには「ゲーム」「ダーツ」「お酒」などと記されている。これはきっと、手広く抑えておけば「ここにしておけば間違いない」と思う客が来るんじゃないかという読みだろうとは思う。しかし反面、「わざわざこの店を選ぶ必要はない」とも言える。#072でも書いたが、どの店でもいいという層は駅前の一等地にある店へ吸い寄せられるのだから、駅から離れた場所にこのような店を作っても、お店が望むお客はここまで辿りつけない可能性大となる。
#080、#102等で触れたが、メイド喫茶の利点は「駅前の一等地でなくてもやっていける」ことにある。ということはわざわざ何分間か歩かせるわけだから、「歩いてでも行きたい店」でなければ利点を活かせない。「何でもある」より「あそこにしかない」、オンリーワンになるほうが大事なのである。特にメイド喫茶が密集している秋葉原、日本橋(大阪)あたりであればそれはますます顕著になるはずだ。他店の熾烈なビラ配り攻勢をくぐり抜けさせるわけだから、とりあえず「オリジナルメイド服」「オリジナルメニュー」「オリジナル接客」から最低2つくらいはスタートラインとして考えておいて欲しいと個人的には思う。珍しければ何でもいいというわけではないが、とりあえず他の店にもあるものを揃えただけで何の特色もないよりは相当マシな結果が出るはず。

アートチェキ上等 (2010/02/25)
今日は初めて、「画像付き」の実験を。
そろそろ1800枚に達そうかという私のチェキコレクションの中から、飛び切り「凄いヤツ」を、肖像権に配慮したカタチでお見せしようと思う。たまにはこういうのもアリかなと。
メイド喫茶でチェキの面白さと言えば「落書き」にあると断言したい。チェキに落書きとはプリクラに落書きする感覚に近い。とはいえ、チェキには写真部分と枠の部分の明確な線引きがあるのと、営業時間内に他の業務もあるので、「周りの白い部分にちょこっとメッセージを書く程度」というのが定番である。ここに書かれる落書きには定型文みたいなのがあり、「名前・日付・店名」の3つを抑えてあればほぼ完成となる。それ以外のコメントに関しては基本的にどこも「メイドさんの自主性によるもの」となっており、よほどその時の現場の空気が楽しかったとか、会話中のテンションが高かったとか、そういうことでない限り滅多なことではデコられないはず。
では、その「枠」を遥かに飛び越えた、「アート」にも近かった感動モノを、4枚ほど。

@カフェドール東京(旧)(東京都/秋葉原) ※「喫茶人形上等」このセンスに惚れてチェキを集めることを決意。
Aフェアリー大船店(神奈川県)
Bクイーンドルチェ(東京都/秋葉原)
C足踏みリフレねこすた(大阪府)
いかがだろうか。「乾くのに時間がかかりそう」とか、「お前何時間店にいたんだ」というのはナイショの方向で。こういう「楽しくてやってる」というのが感じられる瞬間が私にとって至福の時であったりする。

大義名分が欲しい (2010/02/24)
メイド喫茶で食事をするのは、強いて例えるならコンビニでお寿司を買うようなものである。コンビニでお寿司というのは、味や値段より純粋に「お寿司が食べたい!」という人向けである。数的にはどうしても少数派であり、だから売り上げ的には「低め安定」といったところに甘んじている。
それなりに頑張ってはいるものの、はっきり言ってコンビニのお寿司を食べるなら、100円の回転寿司の方がクオリティは格段に高い。それでもコンビニで売ることが成立しているのは、「24時間営業」の強みがあるからであって、だからこそ買っても「ヘンだ」とは言われない。そういった「他が入り込めない強み」が無いメイド喫茶ではこのような商売は成り立ち難い。従って、メイド喫茶に良質なハンバーグを!と言ったところで一般人に言わせれば、「それなら安いサイゼリヤの方が(以下略)」となるのである。事実、メイド喫茶のコアなマニアには、メイド喫茶へ行く前に他の手ごろなお店で腹を満たしてから、という人も少なくない。
だから私は、もしメイド喫茶がフード類をこれからも追求していくなら、「メイド喫茶で食べる強み」を発揮していく必要があると考えている。例えば「メイドさんの手作り」であるとか、エンターテインメント性の高い創作メニューであるとか、目の前で切り分けてくれるとか、その意味では「お絵描きオムライス」や「ふ〜ふ〜あ〜ん」、「萌え萌えビーム」の類はある意味でちゃんと分かっているなと思う。
これらの付加価値を「邪道」というマニアがいるのもよく分かる。しかしそうなると彼らの意見にも疑問が生じる。「では何故、専門店ではなくメイド喫茶で食べるのか」。これじゃコンビニでお寿司を買う人より遥かに謎で、他人に理解できる大義名分がない。こういう人たちが、「メイド喫茶へ行く奴はヘンな奴」と言わしめる原動力になるのだ。とはいえ、「ビーム」にそこまでの価値があるのかと言われると微妙だし、ビームを出す店では大概が「ビーム頼り」すぎて肝心のフードの質があまりにも酷い場合がほとんどなので、これもまたマイナスに作用する。結局、何ひとつとして専門店に勝っていないからメイド喫茶とその客はバカにされるのだ。
このように、メイド喫茶がその地位を向上させるためにはいくつかの課題がある。しかしそのほとんどが誰も手をつけていない。大抵が寝たふりを決め込んでいる。この状況で「不況」や「ブームの終焉」を嘆かれても、、。私にとっては、ある意味でなんて隙のあるおいしい業界なんだろうかと思ってしまう。

カードダス理論 (2010/02/23)
「カードダス」が登場する1年前の1987年、「子供がシール欲しさあまりにチョコを食べずに捨てる行為」がテレビで報道された。カードダスを企画した人は、この「大半の客はチョコなんか欲しくない」という事実に目をつけたのだろう。そして88年、満を持して市場に投入されたカードダスは、「チョコなしのビックリマン」の位置づけで、ビックリマンよりも10円安い20円という価格で売り出され、一大市場を築き上げた。
メイドさんと1:1で軽いマッサージを受けられる店「メイドリフレ」と、メイドさんにデート気分で観光案内してもらえる店「メイドガイド」という業態がある。個人的な好き嫌いを除いてこれらの店を考えた時、客の頭数はどうしても、メイド喫茶・バー>メイドリフレ>メイドガイド、となるだろう。その根拠は「値段」だ。
実はこの2つのお店はカードダス同様、「客の不満」をきちんと考え抜いた店だと思っている。現在のメイド喫茶におけるお客さんの不満の不動の一位といえば「メイドさんとあまり話せない」であるのは周知の事実だ。そこを追求するとどうしても「1:1で」となる。それを具現化したのがリフレとガイドである。
ジャーナル目安箱#001への投票でも明らかになった通り、メイド喫茶に「商品(フード・ドリンク等)」を求めている層は全体のわずか1割しかいない。残り9割は「メイドさん」「コミュニケーション」「空間そのもの」を求めているわけだ。これは当然、「メイド「喫茶」に「商品」は期待できない」という共通意識が既に蔓延していることが問題の根本ではある。信用を失ったマーケットが、伸びるはずがない。
もしもの話をしよう。メイド喫茶の最低予算が1000円前後であるとして、リフレの予算は3500円(30分)前後、ガイドの予算は6000円(60分)前後である。もしこの全てが1000円で1時間楽しめるとしたらどうだろうか。すぐにとは言わないが、確実に客数に下克上が起こるはずだ。「メイド喫茶に不満を持つ層」はその殆どがリフレかガイドに移動することは想像に難しくない。これら2つの店が、回転数を考えた時の低価格化がなかなか難しいからメイド喫茶が胡坐をかいていられるだけである。
1:1のサービスで1時間1000円などというのはさすがに非現実的だとしても、ここ最近のメイド喫茶は高客単価化しており、そしてリフレ・ガイドは低価格化が進んでいる。メイド喫茶が高客単価を今後も狙い続け、近い将来このグラグラの市場にトドメを刺す店が現れるとしたら、それは「高客単価を狙うメイド喫茶とほぼ同程度の予算(1500円〜3000円程度)で、メイドさんと1:1に近いサービスが楽しめる店」であろう。

メイド喫茶を作ろう (2010/02/22)
メイド喫茶にそれなりにハマった方であれば、「自分がオーナーだったらこんな店をやるのに・・」という案のひとつやふたつは妄想したことがあるに違いない。しかし妄想するのは自由だが、果たしてそれを本当に実現できた時、その店にお客さんが来るだろうか、ということまで脳内で綿密にシミュレート出来た方は少ないだろう。
私は地元のメイド喫茶に通い始めた頃から、いくつかの店のオーナーさんや常連さん、メイドさんなんかといろいろ話していくなかで、「いつかこんな店やってみたいリスト」みたいなのを書き溜めていた。その数50くらい。
しかし例えば#102のようなことを考えただけでも、その時点でいきなり数が片手で足りる位にまで篩に掛けられてしまう。どんなに面白そうなお店の企画を考えても、「それが儲かる(ウケる)のかどうか」となると、その大半がまるで役に立たない。
人間はどうしても数字に弱い。「近い」「遠い」のような「個人の感覚」より「徒歩5分」を信用するように、「これは流行る」とどんなに説明されたって、「過去100万個売れた実績がある」には勝てない。自分が「実現できたら面白い」と思ったメイド喫茶に、どれくらい他人を納得させられる根拠があるのか、なんてことを考えていくと勉強になる。
メイド喫茶は商売である。商売というのは、「自分の売りたいもの」を売ると、必ず失敗する。「他人が欲しがるもの」を売らなければダメだ。だから成功するには「他人の分析」が欠かせない。「こんな店があったら面白いのに」レベルでは、「自分が欲しいもの」の域をまるで出ていないことはお解りいただけるだろう。モノを考える時、最大の敵になるのがこの「個人の固定観念」であるのは言うまでも無い。人間はどうしても「好き・嫌い」でモノを判断しがちだが、それでは商売は上手く行かないだろう。
というわけで、今後妄想する時はこんなメイド喫茶があったら、「自分が喜ぶ」だろうではなく、「他人が喜ぶ」メイド喫茶の案をより具体的にまとめておくと、もしかしたら自分にお金がなくても出してくれるオーナーさんが出てきて、いつか実現する日が来るかもしれないですよ、と。

若さがそんなに大事ですか? (2010/02/21)
女性に、しかもメイド喫茶のメイドさんに年齢を聞くこと自体がナンセンスではあるが、それでも聞いてくるKY(死語)なご主人様が絶えないので、大抵のお店ではマニュアルとして「永遠の17歳です」などとうまく茶化すように出来ている。
しかし実際のところどうなのだろう?と気になって夜も眠れず昼寝する殿方の為に、女性である私が独自に調査した結果をお出しするので、どうか興味だけに留めておいて、お店で実際に聞くのは自重していただきたいと思う。
「最低」は、高校生からアルバイトを採る店であれば15だということは想像に難しくない(稀に年齢を誤魔化している中学生なども確認できるが、法律違反はここでは切り離して考える)。
大抵は18〜25の間くらいだと思っていいのではないか。特に平日の昼間であれば、ほぼ間違いない。
では「最高」は?ここがネタ的にも最も気になるところだろう。芸能人と同じで、メイドさんも2つ3つサバ読んでいることは多いので、仮に「22」などと妙にリアリティのある数字を出されたところで何の信憑性もない。
私が知る限りでは、「40」というメイドさんがいた。彼女にはお子さんが2人いた。旦那には逃げられ、夜はお水、昼はメイドと、シングルマザーとして頑張っていた。顔がとっても童顔であったため、お店では24(−16!)として働いていて、驚くべきことに常連客の誰もが「24ではなさそうだけど、26くらいじゃね?」などとまるで気が付かなかったという。今手元に当時のチェキが1枚あるが、いっても28くらいにしか見えない。
私がなぜその事実を知っていたかというと、お店で知り合い何度か通ううちに、お店が終わってから彼女の家へ招かれる程に仲良くなったからである。辛うじて顔には出さなかったが、さすがに(サバ読み具合に)衝撃を受けた。免許証を見せてもらったから間違いない。
さらにスペシャルエピソードとして、お店に通っていた19歳の常連のご主人様が彼女に惚れてしまい、店頭でこっそり、毎月現金5万円を封筒に入れて差し入れしていたという。
ちなみにその店のホームページを見ると、「18〜35くらいまで」と書いてあったにも関わらず40のメイドさんを採用(当時は38だった)した理由を店長さんにこっそり伺ったところ、「調理師免許を持っていたから」だという。そこに面接へ行く彼女も彼女だが、やはり「童顔」と「資格」は強い。
もし「41以上」のメイドさんをお知りの方がいらしたら、メール下さい。何も出ませんが。

本当にあった笑える話 (2010/02/20)
メイド喫茶は人間観察に最適なスポットである。お茶を飲みながらゆっくりと時間を過ごす中で、様々な「人間模様」に耳を傾けるのも一興だ。
さて百戦錬磨のメイドさんなら、メイド喫茶で働く中でたくさんの「珍事件」を体験してきただろう。今日は私と日頃仲のいい現役のメイドさん5人から伺った、「どこかネジが一本抜けた話」を書いていこう。
・それでいいの?
「メイドさんとオセロ(5分500円)」を注文したご主人様、何とオセロのルールを知らなかった。5分間説明だけして終わり。「勉強になったよ」と喜んで帰宅したという。
・おいおい
2ショットチェキ(1000円)を撮影してくださったご主人様。○○様へ、とメッセージを書こうとして間違えて彼氏の名前を書いてしまったメイドさん。しかしたまたまご主人様の名前と同じ名前だったという。(もし合わせてくれただけだとしたら、神だ!)
・ブラックメール
あまりにも「メールアドレス教えてよ」としつこいご主人様対策として、店長(♂)が偽のアドレスを教えるようにメイドさんに指示。てっきりその子がついに教えてくれたんだと思って1日50通を超えるメールが。しかし女言葉で返していたのは全て店長だったという。
・燃料投下
ご主人様から手紙(ラブレター)を渡されたメイドさん。後で店長に報告しようと裏にあったメニューに挟んでおいたのだが、お客さんが混んできて別のメイドさんが知らずにそのままそのメニューを出してしまったという。
・お買い上げありがとうございます
女子高生マニアなエロエロご主人様がいて、メイドさんに片っ端から「君、女子高生?」と尋ねて、「は、はい。(設定上)」と答えた子を全てチェキに撮っていた。それを聞いた店長、すかさず全員に女子高生だと言い通せと指示。結果、「今日ホールにいる子は全員女子高生」と言ったら、29歳のメイドさんも撮って帰ったという。ちなみに平日の昼間だった。
ね、メイド喫茶って下手な若手芸人より面白そうでしょ?
皆さんにはこういうことを、お約束をきちんと分かりきった上で全てを笑い飛ばせる「達人」になって頂きたい。

マスコミを操る (2010/02/19)
メイド喫茶のオーナーは誰も大抵、「ウチの店を雑誌やテレビが取り上げに来てくれないかなぁ。」などと考えていることだろう。しかし今のご時勢、メイド喫茶を取り上げるメディアはほぼ皆無といっていい。それは何故か。そして、メディアに取り上げて貰える「条件」とは何か。
どんなに面白い店をやっても、それを知ってもらう方法がなければ河川敷で野球少年がキャッチボールをしているだけに過ぎない。彼らが例え天才であっても、そこにミスターが通りかかって声をかけてくれる偶然を待っていては、プロになるのは少々厳しい。もちろん不可能というわけではないが、道のりは果てしなく遠い。
今やメイドさんだ、メイド喫茶だ、というだけでニュースになった時代はとうに過ぎ去り、哀しいかな「そんな古臭いものを今更」と言われてしまう時代である。
そこでまず必要なのが「ニュースバリュー」である。ただのメイド喫茶など、もう誰も驚かない。名前を聞いた瞬間「えっ?それ何?」となる店でなければ取り上げて貰うことは難しい。
次は「キャッチーさ」が重要だ。どんなに変わった店でも、映像や誌面にした時に面白くなくては取材する価値がない。店側にとってだけでなく、メディア側にも取材することの「おいしさ」がなければダメだ。
他にもいろいろあるのだが、まずこの段階で躓いている店が多すぎるのでここまででいいだろう。この2つを踏まえて言うと、「ただのメイド喫茶」はダメ、「画にした時、面白くなくてはダメ」、ということになる。だから、「メイド喫茶の時点で、どんなに面白くてもダメ」、「どんなに斬新でも、面白さがなければダメ」という高度な条件を同時に満たす必要があるということだ。
私がこの2つを完璧に搭載し、満を持してメディアに登場した初めての店として記憶しているのが、秋葉原にある「NAGOMI」である。NAGOMIは「妹・ツンデレ」を前面に打ち出してきた。既に4年以上も昔のこと(2005年11月15日オープン)だ。その時代から、「今後メイド喫茶(+を扱うマスコミ)はこう変化していくだろう」と読んでのことであるなら、非常に賢い戦略と言えるだろう。
そんなわけで、今後も「ただのメイド喫茶」がマスコミに登場するということは限りなく無いに等しいと見ていいだろう。それがねじ込まれたかのようにいきなり登場したら、背景にカネの匂いを感じ取れ。

メイド喫茶はなぜ潰れるのか (2010/02/18)
所謂「求人雑誌」に求人広告を載せるのにいくらかかるかご存知だろうか。有名どころになると、たった3日の掲載で10万円を超えることも珍しくない。それでどれくらいの応募(反響)があるかと言えばわずか3日の間に膨大な情報量の中から米粒のような自分の店を見つけて応募してくれる人が何人いるかと考えれば自ずと答えは出るし、さらにその中に優秀な人材がいるかというのは、砂漠の中で針一本探すような作業に10万払って参加するようなものである。それでも、それしか方法がないから仕方が無い。
某大手求人雑誌の営業の女の子は自信満々にこう言う。「ウチの本にお店の情報を載せるということは、「あの本に載っている有名な店だ」というブランドイメージの為だと考えてください。求人の効果よりそっちに期待する意味で、10万円」と。本末転倒である。確かに、その名前が喉から手が出るほど欲しい連中もいるだろうが、純粋に求人がしたい店にとってはこの名前がジャマ臭いことこの上ない。しかし、雑誌の名前がなければ人は集まらない。矛盾しているようで意外と一貫性のある奇妙な現象である。
対してメイド喫茶の求人は楽である。メイド喫茶だというだけで選び放題、女の子が集まってくる。あるお店のオーナーは、「応募が多すぎて面接している暇がない」とぼやく。メイド喫茶はヘンなところでお金がかかり、ヘンなところでお金がかからない、フシギな業態なのだ。
今までの記事をずっと読んでいる方なら分かると思うが、土地代をかける必要もなく、求人にもカネがかからない。こう考えると、「メイド喫茶ってやっぱりオイシイんじゃない?」と考えるかもしれないが、それはこの先を読んでからにして欲しい。大事なことを忘れている。
メイド喫茶で最もお金がかかるのが「人件費」である。メイド喫茶最大の弱点は、「メイドさんのバリエーションを要する」というただ一点に尽きる。これが小洒落たバーであれば、バーのマスターがおじさんでもおばさんでも、極論言えばオーナー一人でやっていけよう。それがメイド喫茶に真似できない唯一の敗因である。このビハインドが、せっかくのプラス要因である「土地代」や「求人費」を遥かに上回るのである。10人の女の子を雇えば、単純計算でも100万円が「毎月」飛ぶということになる。これを補填するには客単価アップ以外の道がない。これじゃジリ貧の考えだ。自転車は、走っているうちはいいが、一度止まったら倒れるぞ。
だから私は「キャスト依存」の営業はやめたほうがいい、としているのだ。寧ろこれから生き残るためには、メイドさんに依存せずに店の良さを追求する方の道を歩むべきである。

コーラ10個5000円お買い上げ (2010/02/17)
以前某メイド喫茶にてあまりにも興味深い状況を見たので、記しておこうと思う。連載100回を超えたので、そろそろ趣向を変えて行きたい。
ドリンクオール500円のその店は、メイドさんがドリンクを運んできた際に軽くおしゃべりしてくれるという#001で言う「お約束」のあるシステムだった。そして悲劇は起こった。
私の右隣に座っていた推定年齢30歳後半のご主人様が、なんと「コーラ10個」と言い出したのである。メイドさんもさすがに「じゅ、十個、ですか?」と聞き返した。「うん、十個。」正気か?
そして5分後、メイドさん3人が10個のコーラを運んできた。しめて5000円。一体何故、こんなことに。
「そ、それではごゆっくりどうぞ・・」とメイドさん達は愛想笑いを浮かべて裏へ。もしかすると、「1個ずつ頼むからちょこっとしかお話できないのか、そうか、なら10個頼めば10倍(以下略」とでも踏んだか。
稀に、「メイドさんとおしゃべり・・5分500円」などという仰天メニューを掲げる店があるが(法律に抵触するか否かはここでは置いておく)、実はこうしたニーズを分析した結果なのかもしれないと納得してしまった。
10個頼めば10倍?という考えもどうかと思うし、かといっておしゃべりを5分500円で切り売りする店もどうかと思う。だがこの2つの共通点は、「客が(現在のメイド喫茶の接客に)不満を持った」ということである。ニワトリと卵のどちらが先かと聞かれたら、「不満だから10個頼んだ」「不満な人が多いから500円で売り出した」ということになるのではないか。この状況を「変わったお客さんだね」で終わらせる店は小童(こわっぱ)だ。そしてこれは、どの店にも起こり得ることなのである。
私は#028でも触れたが、ビジネスのチャンスというものはいつも「不満」にあると思っている。例えば、ビデオデッキ。これはテレビを見ている視聴者達の、「見逃した番組がもう一度見れないことに対する不満」があってこその商品である。そしてそれは現在では「Youtube」などに取って代わられた。ビデオの不満「撮り損ねた番組が見れない」を「シェア」という形で突いたのだ。もし未来があるなら、「Youtube」の不満を考えるべきだろう。
メイド喫茶も、未来を見据えるならまずお客さんの「不満」をじっくり考えたほうがいい。

おかえりなさいませ (2010/02/16)
メイド喫茶で初めて「おかえりなさいませ」と言った店は、「wikipedia」によると「
エムズメロディ(名古屋・大須)」とされているが、正式なトコロは分かっていない。そりゃあそうだ、誰かが「まとめ」を作っていたわけでもなければ、申請するものでもない。このことはファンの間では、トリビアの種みたいな扱いだ。
仮にエムメロが初だったとしても、ここは「メイド喫茶の元祖」ではない。歴史を知らない人には分かり辛いかもしれないが、「おかえりなさいませ」導入「前」「後」のメイド喫茶の歴史というものがそれぞれあるのだ。
さて筋金入りのメイド喫茶マニアに聞けば、「おかえりなさいませは最近のこと。俺らはもっと始祖の時代から色んな店へ通ってた」と、「邪道」の扱いをされることもある。では、何故「はじめての店」が、「おかえりなさいませ」と言おうと思ったのかを科学してみよう。
メイド喫茶というのはある意味で「テーマパーク」である。ただの喫茶店ではない、何か楽しませてくれるのだろうと期待して遊びに来るスポットだ。だから「なんだよ、普通の喫茶店と変わらないじゃないか」と言われてしまえばお終いである。そこで「ここはただの喫茶店じゃないぞ!?何かすごいぞ!?」とガツンと一発衝撃を与えるようなことが、ドアを開けたその瞬間から欲しくなる。そうやって積み重ねていった結果、辿り着いたのが「おかえりなさいませ」だったのではないか。
今ではみんな麻痺してしまって何も感じなくなった「おかえりなさいませ」だが、当初は発明にも近い殺し文句だったと言って差し支えないだろう。メイドさんにこの案を伝えて自分を客としてテストをした第一人者のオーナーは、「これは・・来るぞ!」と武者震いしたに違いない。
では何故、この人が「ドアを開けた瞬間から何かサプライズを!」と考えたのだろうか。ここを紐解かなければ、おかえりなさいませのルーツは分からない。
それは極論、「この人が行ったメイド喫茶のメイドさんが普通に「いらっしゃいませ!」と言ったのがつまらなかったから」であろう。この人は徹底して「客」だったのだ。モノ作りの基本は「客の顔が見えていること」。客の不満は客にならなきゃ分からない。その客の不満(=客のニーズ)に応えることが、爆発的なヒットを生むのである。
かくして「おかえりなさいませ」はメイド喫茶の代名詞にまで成り上がった。今では使い古された感もあるが、それでも一般の人に「メイド喫茶といえば?」とアンケートを取れば、必ず上位に「おかえりなさいませ、でしょ?」が食い込んでくるはずだ。これにはマニアが「それは最近の・・」と束になって言っても敵わない。
最初に考えたこの偉人は、「業界全体の客数を増やすこと」を考えられた数少ない天才である。

フェラーリ買いました (2010/02/15)
バレンタインデー、皆さんはいかがお過ごしだっただろうか。商売だとはいえ、メイド喫茶が出来てからの秋葉原の街を見ていると、「まさかこの街にバレンタインが来るなんて・・」と思う。時代は変わるものだ。
もしお坊さんが、「お賽銭でフェラーリ買いました」と、車の前でピースサインをした写メールを自分のブログにアップしたらすぐに炎上すると思わないだろうか?ある意味で「世界初、前代未聞の斬新なブログ」だろうが、アクセス数よりずっと大事なものが欠如してしまっている。どんなに儲かっても、人はそれじゃダメなのだ。
勿論、そんな奇特な坊さんはいないだろう。しかし最近某メイド喫茶の社長が「お前らがメイドに貢いでくれた売り上げで、今日は高級焼肉をたらふく食ってきたぜ」と写メールをブログに毎日のようにアップしているのだ。
この記事を見てこの店に行きたいと思う人が増えるとでも思っているのだろうか。私には「お客さんの顔がまるで見えていない、どうしようもないマヌケな店(社長)」にしか映らないのだが。
「社長ブログ」というものは、顧客を増やすための戦略の一環であると考えるのが妥当である。私は社長ではないが、あるお店の「店長ブログ」の内容をゴーストライターとして仕事で書いたことがある。まさかただ店長がブログを書くだけでお店に集客効果があって売り上げがあがるなんて思っている人がいたら縄文時代の生まれじゃないかと思うし、最初から全てを放棄してただの日記にしているなら弥生時代だ。ド直球に、「面白かったらクリックしてください!」ってナメてんのかよ。今は平成だよ?
人は宣伝には身構えるものだ。ただの宣伝は誰もクリックしない。最終的には、ブログそのものにエンターテイメント性や社会貢献性がなければ見ようとは思わないし、その中で自分の店を宣伝されてもクリックしよう、商品を買おうとは思わない。テレビのCMにおける「番組」の立場が必ず必要になるのだ。それが焼肉自慢って、どの層の視聴率を狙えばこんなトンチンカンなブログが書けるのか甚だ疑問である。社長の人間性と企業体質を垣間見た気分だ。誰かプロのライターに書かせたほうがいいぞ。
ドラマ「王様のレストラン(1995年・フジテレビ)」作中で、「まずい食材はない。まずい料理があるだけだ。」という言葉があった。私はこの社長のブログを見たとき、この言葉が咄嗟に思い出された。まずい料理を作るのは、他の誰でもない、ダメな料理人なのだから。

恐怖政治 (2010/02/14)
金融屋が回収をする時、漫画で見るような「ゴルァ!」なんてやる奴はほとんどいない。無理な取立てをすればまずサラ金規正法で逮捕されてしまうし、その前に「ゴルァ!」とやられて「返さなきゃ」という気持ちにはならない。金融屋の目的は「返してもらうこと」である。このやり方は、結果的にそれを遠ざけるだけなのだ。
ではどうすれば返してもらえるかと言うと、「借りた私が悪いんだ、ちゃんと返そう」と心の底から納得させなければダメだ。例えば親身になって今の状況を聞いたり、具体的にどういうプランでお金を作るのか話し合うなどの歩み寄りが大事になってくるのである。
もしも脅かしたら、どうなるだろうか?私の経験から言えば、この人は夜逃げするだろう。力で取り付けた約束はあてにならない。恐怖は人を一時的にコントロールできるのかもしれないが、人間の心はゴム鞠なので、押さえつければどこかで必ず爆発するのである。
最近は客単価を上げたいが為に、無理のあるやり方で高いメニューや追加注文を押し付けてくるメイド喫茶が増えてきた。これが収益を生むと思っているなら完全なる勘違いだ。確かに、そうすれば気の小さいお客は高いメニューを頼むのかもしれない。しかしそれでは二度と来ないぞ。目先の小さな利益ばかり見て、明日の自分が見えていないのだ。で、何かあれば不況のせい?笑わせないで欲しい。
追加注文をしないのは何故か。それは店が「追加注文をしようと思わないつまらない店だから、早く出たいから」に決まってるじゃないか。追加注文をするのは何故か。それは「長く滞在したい楽しい店だから」だ。つまり、つまらない店だからこそゴリ押しする必要が出てくるわけで、つまらない上に高い金を取られるのだから客はどんどん離れていくのである。完全なる自傷行為だ。
私はこれを「つまらない店が悪い」という単眼的な判断ではなく、「お前らメイドさんさえいればいいんでしょ?」という店からの無言のメッセージだと解釈している。今のメイド喫茶は、店が「売ってやる」時代ではなく、客が「買ってやる」時代である。客は思っているより賢い。
追加注文がない店は、まるで裸の王様だ。裸の王様の恐怖政治はもう辞めにしないか。

顔 (2010/02/13)
人がモノをどう見るかは、一見個人の自由に見えるが、実は歴とした根拠がある。私はまず「ブランディング力」をおそろかにすれば人もモノも信用されないと考えている。
ブランドというのはイメージである。例えば、財布を買うとしよう。財布は別に見せびらかすものではないから、使えさえすればいいと考える人もいる。確かに、その通りではある。だが、もし人がそれを使っていることを見た、知った時に、「どうしてそれにしたの?ちょっと感覚おかしいんじゃない?」などと言われてしまうようなデザイン、イメージのものは、「何でもいい」と言いつつも私達は潜在的に避けているのである。
任天堂のWiiのCMを見てみよう。実に巧みな広告戦略が練られていると直感的に感じたのは、やたらと「家族」や「子供」、「お年寄り」を出演させるところである。これにより、買う気のない人にも「任天堂の商品は、家族でもお年寄りでも楽しめる、害のない安全なオモチャだ」という刷り込みが出来ることになる。これぞ任天堂の目指すブランドイメージのゴールではないだろうか。
これが面白い(興味深い)のは、直接これを見た人がWiiを買わなくてもいいのである。「任天堂のゲームを遊ぶことは、何もおかしいことじゃない」という認識が世間に浸透すれば、買おうかな、どうしようかな、と悩んでいた人の背中をポン、と押す効果が期待できるのだ。
ではメイド喫茶はどうだろうか?私に言わせれば、どうもそうした戦略を意識して持っているというお店はなかなか少ないんじゃないかと感じている。たしかに全くないとは思わないが、それより「メイド喫茶はオタクの遊び場。どうせもうオタクしか来ないんだから、割り切っちゃえ!」と受け取れる内容のメッセージの方が遥かに多い。#083でも触れたが、現状のメイド喫茶は、遊びに行くことがその人のステータスにはならないという負のイメージの方がどうしても強くなってしまった。これでは顧客の拡大は望めない。
もし今後、業界全体の顧客の絶対数を増やしたいと考えるなら、「あの店、行ってきたぜ」と自慢できるような店を作る必要があるはずである。まず客の絶対数を増やさなければ、どんなに色々やってもそれはただの常連客の取り合いにすぎないのだ。
ヒントは、同じ飲食店で言うと、「バー」にあるのではないか。バーだって、家でお酒を飲むより遥かに高いカネを取るが、大前提として「オシャレなバーを知っている人」=「素敵な大人のイメージ」というブランドがある。これをメイド喫茶が実現できれば、もう一度、大波が来るのではないかと信じている。

判定チャート(メイドさんと付き合いたい3) (2010/02/12)
どこぞのメイド喫茶のご主人様とメイドさんが、デキてしまった、とする。こんな話をすると、面白いように意見が真っ二つに割れて面白い。
ひとつは「汚らわしい、ふざけるな、夢を壊すな」などの否定派である。
そしてもうひとつは「へぇ、夢があるね!」という肯定派である。
一体それの何が面白いかというと、「それを誰が言うのか」ということだ。
便宜上、一つ目を意見A、二つ目を意見Bとする。
意見Aは必ず、「メイド喫茶マニア」の意見である。メイドさんに淡い幻想でも抱いているのかと最初は思った。それは別に悪いことじゃない。でもよくよく考えてみればこれは「自分とは全く関係のないところで起きたこと」である。例えるなら、今地球上のどこかで誰かがテレビを見て爆笑しているのと同じだ。それを怒る必要があるだろうか?
そして意見Bを言うのは、「メイド喫茶へ行ったことがない、或いは一度だけ付き合いで行ったような層」である。続いて出る言葉は「そういうお店って、伝説になったりお客が増えたりしないの?」「どうせ行くなら、そういう夢があるお店に行きたいよね」など、他人の幸せに拍手を送るような大人な感想ばかりが並ぶ。
簡単に言うと、意見Aは嫉妬だ。今まで数々のお店に散々お金を落としてきた自分が、まだ何も手に入れていないということから出てくる嫉妬である。対して意見Bは、高みの見物だ。自分には特に利害関係がないから、冷静な判断が出来るのである。
もちろん、みんながみんなこうというわけではない。ただ、ひとつの基準にはなる。何故なら、「メイド喫茶へ行ったことがない、或いは一度だけ〜」側の人間であれば、意見Aを述べることは絶対にないからだ。
もし、メイド喫茶マニアな知人に、「どこかでご主人様とデキちゃったメイドさんがいるらしいよ」と話してみて、笑顔で「夢があるね!」とポジティブな解答を出してきたら、その人は「店が好き」で通っていると判断していいだろう。何かしら難癖をつけて回答しようとしない、あるいは怒るなどの現象が見られたら、「メイドボケ」していると思っていい。こういう人は、たとえどんなにたくさんの店に通っているマニアであっても、素人が店の良し悪しを聞くに値しないと考えていい。
最後に、「店が好き」で通うと言う、つまり意見Bを述べるマニアは信用できると言ったが、これは滅多に存在しない。何故なら、ほとんどのメイド喫茶はただの喫茶店に比べて割高な料金を取るからである。つまり、メニュー以外のところに価値を見出さなければ通う意味がないような店ばかりだからだ。だからほとんどの場合、「どの店に通っているのか」を聞くだけで、その人がA、Bどちらのマニアなのか分かってしまうということを付け加えておこう。
そして私は、メイドさんと付き合えるマニアがいるとすれば、それはBのマニアであると思う。

落とし穴 (2010/02/11)
最近ではご丁寧にビニールまでかけたりして、「立ち読み」を禁止する書店やコンビニが増えている。しかし現状はオンラインでの購入が出来る時代であり、立ち読み出来ない書店にわざわざ出向くメリットはほぼゼロといっていい。本来なら人気が落ちているときこそ企業努力をして敷居を下げるなど顧客を増やそうとするものだが、こういう連中は何も分かっちゃいない。分かっているのは「ブックオフ」だけだ。立ち読み禁止のビニールや紐は、恐らく「立ち読み出来なきゃ買うだろう」くらいの短絡的な思考ルーチンで実行されたのだろう。
今の世の中、オンラインとオフラインの立場がだいぶ入れ替わり、オフラインの方が強いという存在は「ぱちんこ店」くらいになってしまった。それは何故かといったら答えはただひとつ、オフラインにオンラインに勝るメリットがないからなのだ。
メイド喫茶とは未だコンセンサスの得られていないテーマだ。ほとんどが個人商店の域を出ず、考えようによっては、神田神保町あたりの古本屋に近い存在である。
オムライスやチェキと言っても、その値段は全てが「古本屋の親父の言い値」であるといっていいだろう。この現状がオフラインでウケているという意味では、メイド喫茶は「オタク市場」の中でも貴重な市場ではある。
だがここに落とし穴がある。経営者のほとんどはこの落とし穴に気付いていない。
商売に必須となるのが「土地代・人件費」である。これがネット通販にはほとんどかからない。実は客ばかりでなく経営側から見てもオフラインの恩恵は薄れているのである。
オフライン市場とはいえ、本来ならメイド喫茶は「土地代」を出来る限り安くあげることが出来るはず(#080参照)だった。ところが競争が激化してきて、徐々に駅前のテナントを借りる者が現れた。こうなったら旨味がなくなり、メイド喫茶へ参入する意味が薄れてくる。もちろんこの「駅前に入った店」も、である。
また「人件費」についてもキャバクラのような営業をしつつ女の子に支払うのは喫茶店に毛が生えた程度で済み、メイドボケした客からボッタくれるという意味でとてもコストパフォーマンスがいいもののはずだった。だが大事なことを忘れていた。それは「それに合わせて客単価も低い」ということである。
そもそも客単価の低い商売であるのに土地代を無駄に上げてしまったら、最後に行き着くところは「人件費カット」と「客単価アップ」以外に残されていないのが現実だ。しかしメイド喫茶からメイドさんをカットするのは店の生命そのものに関わるし、客単価を上げれば客はすぐに飛ぶ。結局消耗戦になってしまったのが今のメイド喫茶業界の本性だったりする。
この状況を打破するためには、「土地代をカットしてもお客が来る」、つまり立地が悪くても、どうしてもそこへ行きたい!と思わせる店、が出来ることしかないだろう。だが現状を見ていると、どうも遠そうな話ではある。

お約束ビジネス(メイドさんと付き合いたい2) (2010/02/10)
メイドさんに「彼氏いるんですか?」と聞けば、様々な理由をつけて「いない」と答えるのはお約束である。そしてそれが嘘なのもお約束だ。場合によっては子供がいるメイドさんだっている。別にいいじゃないか、いようがいまいがバイト先の喫茶店の客にはてんで関係のないことなのだから。
とはいえナンセンスではあるものの、#092へのアクセス数の高さを考えると「みんなメイドさんと付き合いたいんだなー」と実感した次第である。そこで「メイドさんと彼氏」という扱うのが難しい話を書いてみようと思う。
プライベートで彼氏がいるメイドさんが店内で「彼氏います」などと発言したら、一体どうなる?時と場合は違えど、それがプラスに作用することなど絶対ない。他にも「あなたのこと苦手です」などと客に向かって言うか?言うはずないだろう。これらは彼女らがメイドさんである以上、聞きだすことは基本的に不可能なことである。
しかしだからといって、メイドさんは嘘をついて客を騙している、まことにもってメイド喫茶なんてケシカラン、などとは言われない。射的のテキヤで、ファミコンカセットの後ろには重りがついているのを詐欺だ!といわないのと同じで、これは「お約束」なのだ。言い方を変えれば、社会はこれらを容認しているといったところか。
メイド喫茶は特殊な喫茶店で、ただお腹を満たすだけでなく、ささやかな「欲望」まで満たしてくれる。そうでもなければあんなショボい冷食に1000円も払うのは理解の範囲外であろう。その欲望とは、射的に目を輝かせる少年と同じで、「もしかすると、もしかするかも!?」という心である。あくまでも心を満たすものであり、それが現実に「もしかする」必要はない。射的もメイドさんも「落ちそうで、落ちない」商売である。それでも射的は残念賞というか参加賞で飴玉くらいはくれるだろう。そこで「この飴玉が300円はおかしい!」と消費者センターに問い合わせるか?飴玉が10円のシロモノであれば、差額の290円は弾の発射代だ。飴玉を300円分きっちり買いたいのであれば、駄菓子屋へ行けばいい。メイド喫茶も参加賞のオムライスを頂いたらすごすごと退散して「はいそれまでよ」でいいじゃないか。このオムライスが到底1000円もしないものだとしても、差額はメイドさんへの「胸ドキ代」だ。このように、この世の「胸ドキ代」は高くつくんだ。
ここからは完全なる蛇足だが、一応。
読者の大半は男性だろうが、私は女であるがゆえ、私以外誰もいない店内で、今までたくさんのメイドさんに「彼氏」のプリクラなんかを見せてもらったことがある。何故私に見せるのかといえば、「女にまで彼氏いませんという必要はない」からだ。それで私が思ったのは、「彼氏は彼女がメイドさんであることをどう思っているのだろう」ということ。それを聞くと、「このバイトは彼氏にはナイショで、普通の喫茶店ということにしてある。」というのが断トツでトップだった。なぜそこまでして働くの?と聞けば、「そうまでしてやりたくなるほど、楽なバイトだから」だという。確かに、失敗しても「可愛いね」で済むのはこの世界くらいだろう。
お客さんには彼氏の存在は秘密、彼氏にはお客さんの存在は秘密。なんとなく納得できそうでよくわからないが、とりあえず彼氏が可哀想だった。

目指せトリプルA (2010/02/09)
メイド喫茶というのは、メイドさんに仕事をさせる場所である。どんな店のオーナーだって「自分の店のサービスは、お客さんに喜ばれているのか」が気になるところだが、喜ばせるのはメイドさんであって自分じゃない。となると極論、自分の店が、メイドさんが、「ウケた」のかどうかは、数字からしか汲み取れなくなる。
どんな商売でもオーナーというのは皆思っているだろうが、メイド喫茶で言えば「自分がメイドさんだったら」結果が分かりやすいのではないだろうか。しかしメイドさんはパーマンのコピーロボットではない。どんなに高尚な考えがあってもそれを従業員である彼女らにも理解させられなければ数字は出せない。オーナーはメイドさん達にとっての「カリスマ」でなければならないのだ。
あるお店のオーナーさんにこんなことを言われたことがある。「メイドがお客の前で何をしているのか完全には把握できない。メイドの接客を気に入ってくれたかアンケートをとるわけじゃない。もし分かるとすれば、その子のチェキを撮って帰るかどうかだけなんです。」これだけ聞くといかにもオーナーの発言といったところかもしれないが、至言であろう。
だからといって男のオーナーがメイド服を着て出てくるわけにもいかない。つまり、オーナーの手腕、資質というのは「メイドさんを思った通りに動かせるか」にかかってくるのである。よく自分のバーで飲んでいるオーナーというのを見るが、あんなものはメイド喫茶にとって完全なる蛇足だ。
中小企業はとかく事業拡大をせざるを得ない。それはそれ以外の方法でカネを集められないからだ。だから2店舗3店舗と順調に新規出店するメイド喫茶を即座に「好調」だと判断するのは早計以外の何者でもない。増やせば増やすほどオーナーの目が行き届かなくなって当初の目標を達成し辛くなる。となると、自分のコピーロボットが欲しくなる。どうしても店の全てを自分がコントロールしきれなくなったら、信頼のおけるパートナーを見つけなければ成功は難しい。そこで「店長」「メイド長」の登場である。オーナーなんてものは最後まで隠居していればいいのだ。女の子の統制は、女の子に任せればいい。しかし若い女の子同士を統制するのは非常に難しい。最終最後は「潤滑油」が必要になる。これになれる人材がいなければ、メイド喫茶は回らないのだ。このことを理解できていない、実行できていない店が生き残るのは難しいだろう。
カリスマというのは、「俺の言うことを聞け!」ではなく、「あの人について行きたい」と思わせなければ、その名をかたることは許されないのである。そしてそこで初めてワガママが許される。それはカリスマだけに認められた特権であるといっていいだろう。ただのワガママがカリスマを名乗るのは甚だ不適当だ。

メイドさんと付き合いたい (2010/02/08)
女性経験のないモテないオタク男性が集うのがメイド喫茶とされている昨今ではあるが、私が思うに素人の女の子よりメイドさんは遥かに「落ちない」のではないだろうか。
メイドさんはアルバイト(商売)に来ているわけで、お客さんとの恋愛をしに来ているわけじゃない。そういう子もいるかもしれないが少数派だろう。それに、メイドさんをするということは少なくとも「自分の価値を売りに来た」わけだ。
私はメイド喫茶で人間観察をするのが結構好きだ。それはご主人様とメイドさんの会話を聞くことだったりする。無理に聞こうとしなくても、何故かご主人様の声はデカイのでイヤでも耳に入る。するとどうしてこのご主人様がメイド喫茶に流れ着いたのか、99%の確率で理解できるのだ。なるほどかように「モテない」わけだ、と。
結果から申せば、いままで1000人以上のメイドさん、それ以上のご主人様をつぶさに見てきたが、「もしかして、この2人はデキているのか?(或いはデキてしまうのではないか?)」と感じたことは一度もない。ある意味で安心、またある意味で不安になる。本当に大丈夫か?
メイドさんに恋愛感情を抱くのはまったくの自由であるし、ココロから応援したい。ただ、それは茨の道だ。相手は素人の女の子より落ちないメイドさんである。普段素人の女の子を落とせない人にはかなり厳しいはずだ。メイドさんと恋に発展できるのは、素人の女の子を掃いて捨てるほど選べる男性だけの特権ではないだろうか。もっといえば、メイドさんを落とせる男性であれば、薬局のお姉さんも落とせるはずだ。何故なら、「ご主人様」と呼んでくれるのは「お大事に」と同レベルであるからだ。お大事に、で「俺のことを思ってくれているのか」という人はさすがにいないだろう。そもそも、もしメイドさんがご主人様に惚れてしまったとすれば、もうお店には来て欲しくないはずだ。好きな人にメイド喫茶で無駄遣いしてほしいと思うだろうか?それならプライベートで二人で会えばいいじゃないか。
人がどんなところで「フラグ」を認識するかは人それぞれであるが、ご主人様とメイドさんであれば、店内で完結すること(営業用のmixi等含む)であればそれは違うと言いたい。勘違いしているよ。

赤道直下で何を売る (2010/02/07)
私が何故「大衆を相手にしろ」「一見さんを大事にしろ」と再三に渡って言うかといえば、それは「マニア層という小さな存在だけを相手にしていては、下手すれば店の家賃にすらならない」という現状を見てのことである。
例えば、赤道直下で鍋焼きうどんを売ると仮定しよう。中には食べたいという奇特な人種もいるだろうが、わざわざマーケティング活動などしなくてもそれが少数派であることは分かるはずだ。
メイド喫茶がマニアだけを相手にするのはこれに似ている。そこで鍋焼きうどんの具材の仕入先のブランドにこだわったところで、喜ぶのは少数の中の更に少数でしかない。勿論こだわるのは悪くないが、常設のメイド喫茶が経営していくには、それらが支える市場だけではやっていけない維持費がかかるというが現状である。結局ここ数年の淘汰を潜り抜けて残ったのは基本に忠実な大衆向けの店だけ(しかも力のある)だ。
1日限定のイベントカフェなどが徹底してマニアックにこだわるのは別にいいだろう。そもそも限定カフェというのはそういった需要のもとにあるのだから何もおかしくはない。完全オンデマンド、チケット制などでやる前からリスクとリターンが分かりきっているからこれは別カテゴリとすべきだろう。
これからのメイド喫茶がまずすべきことは、「赤道直下では、鍋焼きうどんではなく素直にアイスを売る」ことである。そして、「何のアイスをどう売るのか」を凝るべきだということだ。当然、アイスを売る店はすでにたくさんある。だから「基本に忠実な大衆向けの大手」がやっていることはいっそのこと捨てろ。この層を狙うのは危険すぎる(既に客は向こうにいる)し、何より「比較されてしまう」のは損だからである。口語的に補足すれば、メロンのアイスを大手がうまく捌いているなら、メロンはやめておけ、向こうが夕張メロンだからってこっちはマスクメロンとか、そういう勝負は不利だ、ということ。
去年の出店で、こういうことが理解できていたと思えるのは「もののぷ」と「声優のたまご」くらいではなかろうか。特に声優のたまごに関しては、たまごとかけたのが「オムライス」ではなかったところに経営者目線で一票投じたい(私の一票などいらないだろうが)。
「メイド喫茶ってたくさんあるよね」と言われる昨今、初心者にとってはどの店も同じにしか見えない。そこで「どうしても「あそこ」に行きたい!」と思わせられるかどうかが肝となってくるのではないか。

人民大移動 (2010/02/06)
メイドウィッチ」というメイド喫茶がさいたまは大宮に在った。そして直接的には何の関係もないのだが、新宿アルタ横に「みるふぃ」というメイド喫茶が在った。
「みるふぃ」が2007年10月31日に閉店し、みるふぃの元メイドさんは新たなバイトを探して他店へと散らばった。上野のメイド耳かき屋、横浜のメイド喫茶、秋葉原のアイドル喫茶。そして「メイドウィッチ」に流れ着いた女の子も数人いた。
メイド喫茶が潰れると、大規模な人材(メイドさん)の流出が起こる。そして彼女らの「ファン」であった客も流れる。当然みるふぃ亡き後、このメイドウィッチへ流れて来た常連客も数多くいた。みるふぃは新宿、メイドウィッチは大宮。往復すれば電車賃1000円位はかかる距離である。ご苦労なことだ。
メイドウィッチにメイドさんや常連客がすんなり流れたのには、ひとつの理由があった。それは「システムが酷似」していたことにある。それはカウンター形式でメイドさんとの会話がウリ、というものである。もし目当ての女の子が移動したと言っても、みるふぃが会話をウリにしていた形態であったから、メイドウィッチが会話することもままならないような店であればまた通うとは限らない。ここはメイドウィッチにしてみれば予期せぬ「棚牡丹」だっただろう。
だがそれでも、約半年後(2008年6月30日)にメイドウィッチは潰れた。「みるふぃ組」が異動してこなければ、もっと早くに運命は決まっていたかもしれない。
某メイド喫茶のオーナーに聞けば、最近ではこういったことが原因で常連客(コア層)は店舗間の移動を繰り返しており、むしろ以前より全体的な店舗数は減少しつつあるため満遍なく分散したこの層の客足は増加傾向にあるという。しかしそれでもやっていけないのだから、やはりメイド喫茶には「一見客」が重要なのである。そもそも彼らは「黙っていても来る」のだから放置していても大丈夫だし、金額が多少高めの設定でもお目当ての女の子さえ居ればあっさり支払うだろう。
今まさに「恵方巻」シーズンであり、各店が躍起になって「メイドさんの手作り恵方巻」を販売していることだろう。またこれから一大イベント「バレンタイン」が控えている。コア層にとってのバレンタインデーは「メイド喫茶にチョコを買いに行く日」だそうだ。普通の商売なら2月はダメとされるものだが、メイド喫茶にとっては非常においしい季節である。しかしこれらで来る客は全てこの層でしかない。この方法でしか客を取れないようでは、先は短いのではなかろうか。

アメを悪用する奴ら (2010/02/05)
私が何故、「多くのメイド喫茶がキャバクラ的な運営をし始めたことを危険視しているのか」であるが、それは当然「法律に触れる」可能性があるからである。
メイド喫茶に似た形態に「ガールズバー」がある。そしてもうひとつ、「昼キャバ」がある。メイド喫茶が2005年あたりから急激に増え始めたのは、キャバクラと昼キャバ、ガールズバーの関係を知る必要があるだろう。
キャバクラは風適法の関係上、深夜1時には閉店しなければならない。しかしご存知の通りこれは形骸化しており、ほとんどの店舗が守っていなかった。当然、法律違反であり、バレないのは運がいいだけというものだ。
その後2005年あたりから警察の取り締まりが強化され、深夜の営業が困難になったことや新規出店が認められなくなってきたことなどを理由に、昼間遊んでいる箱を有効活用したものが「昼キャバ」である。
とはいえ、昼にキャバクラを持ってきただけでは「誰がそんな時間帯に飲みに来るんだ」と思うだろう。これは近年の就労条件の変化により、昼間の時間帯に夜勤明け労働者が増えたということもプラスに作用した理由のひとつだろう。
こうした背景を元に生まれたのが「ガールズバー」と「メイド喫茶」である。ガールズバーはキャバクラから「接待」の要素を抜いたもの(女の子が席に着かない)であり、立ち位置的にはショットバーとキャバクラの中間にある。しかし届出上では「風俗店」ではなく「深夜酒類提供飲食店」であり、故に深夜の営業も可能となる。また、接待をしないということで値段も安い。これらの条件が重なって、ガールズバーのブームが到来したのである。
メイド喫茶もこれを読めばわかる通り、ほぼ同じ背景で浸透したといっていいだろう。ガールズバーがショットバーとキャバクラの中間なら、メイド喫茶は喫茶店と昼キャバの中間である。
規制強化以来、「接待」を行う風俗店に関しては厳戒態勢が敷かれている状況(ムチ)だが、そのアメとして「接待」を行わない飲食店に関しては存在を認めているようなものである。つまり「飲食店で接待をしたら許さない」ということになるだろう。だから、メイド喫茶がキャバクラ化しているという現状は警察が最も忌み嫌うもののひとつなのだ。
「(飲食店で届出している以上)キャバクラとは謳えないけど、一部の店がやってることは紙一重(もしくは完全にアウト)」ということくらい、警察だって分かっているだろう。今まではもし危うい営業があったとしても、ギリギリの線で「ウチは喫茶店です」と言えたし、言えたからこそオイシイ業界なのである。だがこれが「アウト」とされれば、メイド喫茶は風俗であるということになるわけだ。そうなれば例えば秋葉原には小学校があるので、まず周辺のメイド喫茶は撤退を余儀なくされるだろう。これこそ業界の終わりである。
客が望んだからといって、違法行為をしていいわけじゃない。頼むから、業界から逮捕者を出さないで欲しい。

コストカットのススメ (2010/02/04)
ここのところのメイド喫茶の「宣伝コスト」の高さに驚かされる。
フリーペーパー、求人誌、インターネット、地図。秋葉原だけ見ても供給過剰といって差し支えないほどにメイド喫茶の広告を入れている媒体が存在する。それだけ食い荒らされている土壌であるのは言うまでもないことだが、これは当然これらを「潤す側」がいてのことである。つまり店が広告に頼りきっているというのがコスト高騰の原因なのだ。
プロモーションは店にとって確かに必要条件のひとつである。特に新規出店であれば、その存在をアピールする手段は広告しかない。とはいえ、必要以上の宣伝が本当に必要なのだろうか。
2008年夏、「崖の上のポニョ」という映画があったわけだが、あの宣伝攻勢を思い出してみよう。テレビをつければ四六時中「ぽーにょぽにょぽにょ・・」と歌を垂れ流し、ほぼ「洗脳」に近い形でブームを捏造しようと躍起だったのは記憶に新しい。
あれを見て、3つの答を出してみよう。
まずひとつは、「客から見たポニョ」である。それは「ポニョが流行っているらしい」ということになるだろう。リテラシーの低い一般人はこれで十分である。
次に「企業側から見たポニョ」である。これは「さも期待の新作であるかのように煽りたい、ブームを捏造したい」である。そもそも全ての宣伝というのはこういうことである。
最後に、「ではポニョとは何だったのか」だ。ここが問題である。ポニョは、ここまでの事実を踏まえると「過剰に宣伝しなければ一般人にブームを認識させられなかった映画」ということになる。つまり実力不足であることを業界人も把握していたし、何より数字がそれを如実に表していたのだろう。
となると逆説的に考えれば、「ポニョに宣伝の必要がないくらいの前評判の高さがあれば、過剰な宣伝は不要だった」ともいえる。
かかるカネの額が下がれば、回収しなければならない額も下がる。メイド喫茶が宣伝コストを下げることが出来れば、席料は取らなくてもやっていけるのではないか。客を増やそうと宣伝したことで、結果的に値上げせざるを得なくなり、寧ろ客が減ったのではないか。
大きな声でプロモーションしなければ客が来ない。そんな店なら「作るな」。魅力が弱いからそれをカネで補填する。面白くない店が大げさにアナウンスする。そこまでしてしがみつくほどオイシイ業界じゃないんだから。

大理石の駄菓子屋 (2010/02/03)
「Jリーグ」のブームは93年の開幕当初がピークだったものと思われる。当時は近所の駄菓子屋までもが「カズ」「ラモス」「アルシンド」と刻印の入った「ミサンガ」を扱い始め、無許可の紛い物が出るほどの人気だった。
そして当然ではあるが、ブームに便乗したどうしようもないサッカーグッズショップも多数オープンした。そのどうしようもないサッカーグッズショップというのが、どうしようもないメイド喫茶に非常に似ている。
これは「娯楽産業」を考える上で、非常に重要なことである。
ファンや子供たちが求めていたものは、人気選手のグッズである。不人気選手のグッズではない。飛ぶ鳥を落とす勢いの「Jリーグ」の看板を借りたとしても、売れないものは売れないのである。
「サッカー」「Jリーグ」に人気が集まっている。よし、サッカーのことはよく知らないけど、ちょっと勉強すればなんとかなるだろう。ブームが冷めないうちにウチも便乗してサッカーグッズショップをやるぞ!
こういうオーナーがまずしたことは、ルールブックを読むことである。サッカーとは何か。オフサイドとは何か。イエローカードとは何か。だが、何故「カズ」が人気なのかはそこには書いていなかった。
それでも、「ただサッカーグッズを扱えばいいわけじゃないことくらいは分かってる」ハズだから、床を大理石にしてみた。これが「ダメなサッカーグッズショップ」である。結果として、売れないものの貯蔵庫のような店になってしまったわけだ。
メイド喫茶も同様、「メイド」に人気が集まっているらしい、ということだけでにわか知識で創めたお店はまず方向性を勘違いした。娯楽の面白さというのは、ルールブックには載っていない「現場の空気」が非常に重要である。故に、アルシンドの活躍に目を輝かせていたサッカー少年に「アルシンドの、どこが好き?」「アルシンドのグッズが出るとしたら、どんなグッズが欲しい?」と聞いて回らなければ、サッカー少年から見たJリーグの魅力とJリーグブームの理由は永遠に分からない。
メイド喫茶のマニアに、「この店の、どこが好き?」と聞いて、「床が大理石なところ」と答える奴は絶対にいない。凝るところを一歩間違えるだけで、全くの無駄になる。「ブーム」も「娯楽」も、遊んでいるだけに見えて一筋縄ではいかないものなのだ。
大手がどんなに躍進しようとも、「雲雀亭」に確実な需要があるのはこういうことではないのか。出来ることならこういうことの分かっている大手が出てきて欲しいものだが、私の記憶が確かならそんなことは一度もなかった。だからメイド喫茶には「隙」があり続けているのだ。

2007年末、プリムヴェールが潰れた (2010/02/02)
札幌に「プリムヴェール」というメイド喫茶が在った(2007/12/30閉店)。ここは札幌初のメイド喫茶である。
立地も良く、値段も手ごろ、料理もおいしいと、三拍子揃った「良店」であったと記憶している。
私が「良店が潰れることに対して「惜しい店をなくした」という声もあるが、実はキャバクラ的運営のメイド喫茶を多くの客が望んでいる」とする根拠に、このプリムが潰れたという揺ぎ無い歴史的事実がある。
プリムヴェールではメイドさんとご主人様・お嬢様の会話はマクドナルドのスマイルに相当するような「サービス」の扱いだった。中には無理矢理引き止めて話しかける剛の者もいたが、そういうお客はあまり歓迎されない方向性のお店である。「正統派」を地で行くといったところか。
そんな中2006年夏頃、「ありすかふぇ」「ゆるふわ」といったプリムヴェールとは真逆の接客「メイドさんとの距離が近い」をウリにするメイド喫茶が台頭して来て路頭に迷うこととなる。プリムの客は徐々にそちらへ流れ始めついに11月、大きな転換期を迎えることとなった。所謂「おかえりなさいませ、ご主人様(お嬢様)」の導入と、それに反発したメイドの総入れ替えを余儀なくされたのだ。その後も徐々に「キャバクラ色」を強めていったが時既に遅し、それから約1年後に閉店した。私はこの決断の時期を妥当なところだと感じている。
プリムが潰れた本当の理由は定かではない(「電撃萌王」のインタビューに「原油高の高騰」などと尤もらしく答えていたが、極論を言えば、それはオーナーの心の中にしかないだろう)が、札幌では他のメイド喫茶に関してはいくつも残っているのだから結局「ウケなかった」のだろう。立地、値段、料理。これらが揃っていてもウケない。つまり、メイド喫茶の大半の客というのは、そんなものは求めていなかったのである。メイド喫茶業界の無情さを物語る大事なエピソードと言っていいだろう。
メイド喫茶を右往左往させるのは紛れも無く客である。商売は「客がいなければ始まらない」のは事実だ。そのせいで「お客さんの言いなりになってしまう」のは、「そのほうが楽に儲かるから」に他ならない。プリムヴェールがその志をどんなに貫徹しようとしても、お客の要望に忠実なライバル店に客を取られてしまえば、良店なのに客が来ないという状況になるわけだ。つまり、プリムは喫茶店としては良店でもメイド喫茶としては良店ではないということになるのだろう。摩訶不思議、騙されているようだが、商売とはかくもそういうものなのだ。
ショコラッテ、ディメンジョン、多数の「料理がおいしくて、値段も手ごろ」という店が潰れて行った一方で、残ったメイド喫茶は高客単価化の道を歩んだ。今も「これで本当に正しいのだろうか?」という精査をしている暇もないほどに状況は刻一刻と変化している。
熟れ過ぎた果実は、いずれ自分自身を支えきれなくなる。その変化についていけない店は、いっそのこと「メイド喫茶」を捨ててしまえば良い。頼むから、夢を売る商売は「カッコイイ」ままで、去って欲しい。一ファンの心からの願いである。

囚人 (2010/02/01)
メイド喫茶の「通」になってくると、メイドさんを普通の女の子として扱い始め、タメ口を要求したりするようになるという話だが、現実問題として逆にこういう接客をウリにしていると思われるメイド喫茶も2007年末あたりから増殖してきた。
これについて「メイド喫茶がおかしくなってきた」と見る向きもあるだろう。私も、個人的な意見を言えば「何か間違ってる」と思う。しかし、増殖傾向にあるところを見ると、「客がそれを望んだ」からだということに他ならない。
テレビの「やらせ」問題を考えれば、現状ではやらせは悪とされているが、それでも根絶には至ってない。それはテレビ局の怠慢ではなく、「視聴者がやらせを望んでいる」からなのだ。
口語的に補足するが、やらせそのものを望む視聴者は当然いない。そうではなくて、「やらせの過剰な演出の番組が、ありのままを伝えた質素な番組より視聴率を取っている」という意味だ。やらせの番組を誰も見なければ、やらせは無くなるはずだ。つまり、テレビにやらせをさせるのは巡り巡って結局視聴者たちなのである。
となれば、メイド喫茶マニアたちのサイレントマジョリティは「メイドさんと普通の女の子として接したい」という結論に帰結するのである。
どうしてメイド喫茶はこうなってしまったのか、という風に見えるかもしれないが、実際そういう店に客が入っているのだから仕方が無い。メイド喫茶は客の要望に忠実なだけで、メイド喫茶が変化したのではない。客が変化したのだ。いや、実は誰も変化しておらず、ようやくメイド喫茶が客の要望に気付いただけなのかもしれない。
2010年のメイド喫茶は誰がどう見ても斜陽産業である。となれば当然、今いるお客さんを死守しようとするはずだ。だから今後も客の要望に忠実であり続けるだろうし、その傾向はますます強くなるだろう。この流れについていけない客をどんどん取り逃がしている事実より、この流れを歓迎する客の方が欲しいのだ。それは数で上回っているのかもしれないし、客単価で上回っているのかもしれない。いずれにせよ、私のようなタイプは不要とされているのだろう。
本来なら客を選り好みしている時期じゃないはずなのに、わかっていても止められない。これじゃまるで囚人の自傷行為だ。

電池買ってくる (2010/01/31)
メイド喫茶に通い慣れた「通」な客になってくると、メイドさんを「普通の女の子」として見るようになってくることが多いとされる。「おかえりなさいませ、ごしゅじん・・」「そういうのはもういいから。」といった按配である。そして出る「タメ口」。これが当たり前と思っている常連客も多いだろうが、よくよく考えれば非常におかしい。
メイド喫茶は喫茶店である。では喫茶店にどんなに通ったところで、店員さんの「いらっしゃいませ!」の掛け声の不要を申し出るだろうか?タメ口を要求するか?これもメイド喫茶特有のサービスの一環だという人もいるかもしれないが、それは違う。メイド喫茶特有のサービスというのは「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様!」の掛け声だ。それを拒絶できるサービス?ならなぜメイド喫茶へ行くのか?
結果としてこの層が「キャスト依存」を支えるのである。そしてますます「メイド喫茶へ行くお客はキモチ悪い」と言われるようになるのだ。そもそも、この状況を一見の客が見たらどう思うだろうか?自分にはマニュアル応対、常連客にはタメ口でわいわい、面白いはずもなかろう。これが一概に「悪」というのではないが、これがプラスに作用することは少なくともお店的には無いということである。
私が昔行った都内の某店では、私が入った時丁度ほぼ満席という状態で、メイドさんが「少しだけお待ちいただいてもよろしいですか?」と聞いて来たことがある。私は「構いませんよ」と答えようとしたが、その時店内から男性の常連さんがこう叫んだ。
「ねぇ○○ちゃん(そのメイドさん)、その人どうせ一見さんでしょ?ドリンク一杯ですぐ帰るんだから、俺の席空けるよ。俺ケータイの充電切れちゃったから、電池買いにコンビニ行って来るからさぁ。お会計してよ!」
これがその店の構造であれば大問題であるが、そうではないと思いたい。だが、じゃあ全てこのお客が悪いのかといったら、そうでもない。これは、こういうことをのさばらせているお店の責任に帰結するのだ。
初帰宅時のイメージが悪ければ「今日は運が悪かっただけ、もう一度日を改めてみよう」なんて思わないものだ。子供を見れば親が分かるように、客を見れば店が分かるもの。メイド喫茶には、常連を大事にする気持ちも大事だが、それ以上に一見さんを大事にしてほしいと思う。全ての常連も最初は一見だったのだから。

イメージアップ戦略 (2010/01/30)
「音ゲー(おとげー)」と呼ばれるゲームがある。軽快なミュージックに合わせてタイミングよくボタンを叩く、その正確さを競うというジャンルで、プレイヤーはDJやダンサーに扮して遊ぶというものだ。
音ゲーの歴史は意外と長いのだが、「ブーム」の火付け役となったのはコナミの「beatmania(ビートマニア)」であるといっていいだろう。1997年、実に13年前のことである。
音ゲーは現在も形を変えながら存続している人気シリーズであるとはいえ、やはりブーム最盛期と比較すれば現在のメイド喫茶同様「既に終わっている「旨味のない」サブカルチャー市場」に違いない。
音ゲーの本当の狙いは、「プレイヤーがかっこいい!」というものであったはずだ。腕のあるプレイヤーは「COOL!」。そんな空気を目指していたと思われる。
だが、現状での音ゲープレイヤーは「キモチ悪い」と言われている。これが最大の誤算である。こうなってしまうと、音ゲーに関わっていることが恥という認識の方が強くなってしまい、これ以上の発展は望めない。
メイド喫茶も同様、最初は「オタク趣味」以外の一般的な層にとっても興味の対象であったかもしれないが、結果として「メイド喫茶へ行く奴なんて、ヘンな奴」という印象でファイナル・アンサーになってしまった。では何故そう言われるようになったのか。それは「メイド喫茶に、(一般人にとって)いいところがひとつもない」からである。内装は適当、立地は悪いしメニューも高くて不味い、従業員の教育もなってない、こんな店に行こうというのはよほどの物好きだけだ。
音ゲー市場は死んだ。そんな中2001年に登場したのが「太鼓の達人」(バンダイナムコゲームス)である。太鼓の達人が持ってきた「オーラ」は凄い。徹底して平仮名を多用し、「親子で遊べる!」というイメージを前面に押し出してきたのだ。これぞ企業努力と言っていいだろう。
問題は、メイド喫茶にそういった努力が出来た店がほぼ皆無であるということである。別に、低年齢化を狙えというわけではない。ただ、メイド喫茶に「健全」なイメージを付与していくことはブームを維持するための重要なファクターであるはずだ。それを放棄し続けてきたからわずか3年程度で「死んだ」のである。
先日、「嵐の宿題くん」(日本テレビ)でメイド喫茶が紹介された。これこそ死んでしまったこの業界に必要とされているものではないか。その意味で、リンクアップ(@ほぉ〜むカフェ)の数々の貢献、功績は非常に華々しいものであると私は考えている。

衝撃の保険3 (2010/01/29)
内装もない、料理も不味い、ただ「従業員がメイド服」なだけで客を取れたのはブームの頃だけ。「メイド喫茶とはどんなものなのか」をほとんどの人が知らなかった頃は早い話が何でもよかった。だが現状は違う。「メイド喫茶とは、従業員がメイド服なだけ。それでいて値段が高い。あんなところに通うのはよほどの物好きか、それともメイドボケしてるオタクだけ」と新たな常識が固定されてしまった。もちろん、そうでない店もあるがそれを台無しにするくらいそれ以外の店が酷かった。こうなったら「メイド喫茶」の終わりの到来である。つまり、今の状態を指す。
立地の悪いメイド喫茶でも客が押し寄せたその原動力を追求すれば、それは「メイド喫茶とはどんなものか見てみたい」という欲求であろう。となれば、新たに開業するオーナー連中はメイド喫茶が終わってしまったのだから新たに「どんなものか見てみたい」と思わせることのできるコンテンツを考え出すべきではないか。すなわち、「イロモノ系」の台頭はある意味で必然なのである。
今この業界に必要とされているのは「メイド以外のコスプレで脱メイドをアピール」+「従業員がコスプレしているだけではない、プラスアルファの「どういうものだろうか」と思わせる要素」のはずである。しかもその全てにおいて従来のメイド喫茶を凌駕していなければダメだ。
しかしイロモノ系のオーナーは、メイド喫茶ブームで既に学んだはずの「従業員がコスプレなだけ」はもうウケない、ということをきちんと理解できていない素人ばかりが目立つ。大抵は「メイドはもうダメらしい」ということには気付いたのだが、「なら服を変えよう」というだけで終わってしまっている。これが「イロモノ系の確立前夜」である最大の原因だろう。
コスプレ飲食店がすぐキャスト依存に走る理由は「中身が無いから」であり、「キャスト人気を除いても、なお残るものがある店」であればその必要はないはずだ。現に、根強く残っている人気メイド喫茶のほとんどが「店そのものの魅力」をきちんと追求できた店ばかりじゃないか。
ブームというのは、ブームを実感した瞬間こそが頂点であり、あとはパイを取り合うゼロサムゲームでしかない。つまり、ブームが来たから乗ろう、という考えはあくまでジリ貧の考えである。本当に賢い、先を見る眼のあったオーナー達は、とっくにはじめていて、ブームの頂点で手放すものである。これが出来た店は、私の知る限り「めいどinじゃぱん」しかない。この辺は、「土地神話」時代に価格が高騰してから不動産を買って、すぐにバブルが弾けて手放す時期を間違えた残念な奴らにそっくりだ。

衝撃の保険2 (2010/01/28)
しかし、そんな強引なメイド喫茶が通用したのはブーム絶頂期の2006年ごろまでのことだ。今こんな店を作れば即座に閑古鳥が鳴く。
VHSが浸透し始めた頃は「VHSだ」というだけで下らない作品が何でも売れ、少年ジャンプが一番人気だった頃「ファミコンジャンプ」が115万本も売れたように、メイド喫茶もまた「メイド」というだけで客が入った。
しかし現状は「メイド」という土壌は既に荒れ、「イロモノ」の方が多少マシという状況である。どんなものにも「寿命」があるとはいえ、メイド喫茶は、わずか3年程度でブームが飛んだのだ。どれだけ「派手に荒らされたか」がよく分かる。
メイド喫茶を開業する人は、こういう人が多い。
本格的な飲食店やバーをガチンコで経営するのにはお金も知識も腕もいる。しかし、メイドさんならそれがいらない(ように見える)。そう、「楽して儲けようという素人」である。そして、ブームのころはそれでも1〜2年くらいは回ったという事実があるから、未だに素人でも通用する、メイドさんなら大丈夫と思っている人が多い。
去年オープンした某店のオーナーが完全にそのタイプだった。「終わったって言われてるけど、今でもまだ普通の飲食店に比べたら断然オイシイでしょ」。当然だがすぐに立ち行かなくなった。こんな人は3年前もごろごろしていたと思う。3年前ならそこそこ上手くいってしまったかもしれない。そうなるともっと勘違いしただろうから、今で良かったのではないか。
安く店を作れ、女の子も「可愛い制服着ませんか」と比較的ユルく集めやすい。キャバクラではないから警察からも比較的穏便な扱いを受けることができるし、若い女の子を雇うことも出来る。飲食店はオープンから軌道に乗るまで2年はかかるとされているが、メイド喫茶はオープンと同時に満席。資金集めが簡単とされてきた。
しかし資金を集めてブームが去ったら何をするかは誰も考えていなかった。それは何故かといったら、「まさか3年という短期間で寿命が来る」とは当時だれも気付かなかったからである。そして3年の間に、次のブームが何も訪れていないという最大の誤算がある。だから現状のメイド喫茶は宙ぶらりんなのだ。
恐らく、この短いメイドブームを上手く利用できたのは「既に飲食店だったところにメイド服を持ってきた店」がトップで、「ブームの先駆けとなって新たなトレンドを創り出した老舗」が2番手で、それ以外は魑魅魍魎が右往左往しただけといったところだろう。

衝撃の保険1 (2010/01/27)
メイド喫茶に関する負の側面ばかりを書いているせいか、「本当にメイド喫茶、好きなんですか?」と聞かれるようになってしまったので、今回は「メイド喫茶というビジネスがどれくらい凄いか」を書こうと思う。
初めてメイド喫茶を見て、衝撃を受けない者はいない。特に飲食店関係者は確実に驚く。飲食店経営に必要とされる要素が一切揃っていない店でもメイド喫茶なら客が入るのである。
#026でも触れたが、飲食店はまず「立地」が命である。例えば、横浜のメイド喫茶「ハニーハニー」を考えてみよう。ハニーハニーは押しも押されぬ人気店ではあるが、決して立地がいいわけではない。というより普通の喫茶店ならまず「そこに作ろうとは絶対に思えない」場所にある。横浜駅から徒歩10分、大きな橋を渡り、大きな交差点を渡る。極めつけにお店はなんとエレベーターもない雑居ビルの空中階。どう贔屓目に考えても、「店の場所を既に知っているお客さん」以外はたどり着くことすら不可能だ。看板だってまともに出ているわけじゃないし、駅前で客を引っ張ってくるわけでもない。それなのに、階段には行列が出来ている。
本来賃料というのは「そこで商売した場合に期待できる集客数」で決まる。駅前の好立地となればケタも変わってくるのが当然だ。だがメイド喫茶はそれを必要としない癖に、駅前の喫茶店より楽に儲かる。
「従業員がメイド服を着ている」というだけで連日超満員。これが「外から見た」メイド喫茶の姿だ。
メイド喫茶が爆発的に広まった背景には、もうひとつの確固たる理由がある。それが「権利の不在」である。
例えば店内でCDをかけようにも権利の問題が発生するし、DVDも「権利をクリアしている風景映像」などしか流せない。しかし、「従業員にメイド服を着せて「メイド喫茶」を名乗ることは自由」なのである。これは正しく革命と言っていい。メイド服を着せるだけで簡単に客が入るというのに、それがタダでやり放題。このおかげで「喫茶店やバーをやるなら、保険でメイドさんにしよう」という流れが出来上がったといっていいだろう。
そう、メイドさんという商売は「保険」のはずなのである。しかしその保険があまりに強大すぎて、言ってしまえば「生命保険に入ったから、車に轢かれても大丈夫」みたいな店が台頭してくるようになったのだ。「内装は無いも同然、料理はメチャクチャ、立地も最悪、従業員の教育って何?」。こういう奴らが3〜4年間ほど既に荒らしまくった土壌だから、現在2010年のメイド喫茶業界は苦境に立たされているのだ。
だが私は、こういう店を作ってきたオーナー連中だけが一概に悪いとは思わない。
きっとそう見えたんだ、「すげぇって言うから見に来たけど、なんだ、遊んでるだけじゃん」と。

判別法 (2010/01/26)
現在のメイド喫茶は、視点を変えると2種類に大別できる。それは「メイドと使用人というロールプレイをさせる店」と「擬似恋愛を釣りにしたキャバクラ的運営の店」である。
ロールプレイをさせる店は広義で言うメイド喫茶の従来の姿に忠実である。これは「落ち着いた雰囲気で紅茶でも」ともうひとつ、「萌え萌えキュン」のタイプがある。#027でも書いたとおりだが、この2つは相反するようで実は同じカテゴリに分類される。
対して、「落ち着く雰囲気」でもなければ「萌え萌え」サービスもない店がある。これが「キャバクラと紙一重」と言われる元凶であり、こういった店の方が徐々に勢力を増してきている。この存在が「メイド喫茶高客単価化」の一端を担っているのだ。
一般的にロールプレイに支払う相場というのは「遊園地のアトラクション1個分」と考えて差し支えない。つまり1000円前後ということになる。対して、擬似恋愛に支払う相場というのは「1000円以上、キャバクラ未満」ということになるから、具体的には3000円〜20000円程度となるわけだ。
ロールプレイを想定するのは面倒だ。内装に凝る必要もあるし、メイドさんの教育もお辞儀の角度から教えなければならないと考えればだいぶ大変である。
対して、擬似恋愛を売りにするほうを選ぶのは楽であり高客単価も狙える。内装はコンクリート打ちっぱなしのままでもいいし、教育といっても「連絡先は簡単には教えるな」くらいのことで済む。
かくして、メイド喫茶というビジネスは水面下で二つに分かれた。前者は一見客を大量に捌くことが出来る代わりに金銭的な面での参入障壁が高い。後者は太い常連客をいかにして掴むかが勝負になる代わりに比較的楽に始められる。これらは似ているようで全く違うので、比べること自体出来ない。目指すベクトルが同じではないから、語ろうにも平行線を辿るだけだ。
もしもここを読んでいて「メイドさんになりたい」と考える女の子がいれば、俗に言う「メイドさんに扮してお給仕」をしてみたいのであれば前者の店を、「色香を利用して太い客を取れる自信がある」のなら後者を、選んで面接を受けてみてはいかがだろうか。これなら採用率が上がるはずだし、何より理想と現実の壁に苛まれる必要はなくなる。
店をどうやって判断するかは簡単だ。一度お客さんとして遊びに行ってみて、いくらかかったのかを見ればいい。もし「内装も凝ってない」「メイドさんの接客もいまひとつ」なのに「遊園地のアトラクション1個分」より高かったのなら、ほぼ間違いなく後者である。

契約違反 (2010/01/25)
大企業では仕事のことを自分のサイトやブログで書いてはいけないという規則まで作られるほどに、現在のインターネットにおける「個人の情報発信能力」に向けられる目は厳しいものがある。確かに、新製品の情報を流されてしまったりしては困るので、致し方ない部分もあるだろう。
以前、某大手メイド喫茶レポサイトの管理人と、会員制SNS「mixi」上でマイミクシィ(相互リンクのようなもの)になったことがある。そして管理人が「マイミクシィユーザーまで限定で公開している日記」で「サイト上の記事では褒めたが、あれは社交辞令。本当は超がつくほどの糞みたいな店。」というような文章を書いていたのを見たことがある。
こういうことがあるから利用を制限する企業が出てくるのだろう。どんな約束(契約)が管理人と店の間であるのかは存じ上げないが、これは契約違反の類ではなかろうかとすら思う。そして、この管理人は一体何がしたかったのだろうか。
「あんなヘンな店をオススメするなんて、管理人もイイカゲンだな」と思われたままでは嫌だったのだろうか。だとすれば、そもそもの原因は「ヘンな店を褒めたこと」にあるのだから、最初から褒めなきゃいい。それか、「一度褒めたのなら墓場まで持っていけ」ばいい。これが「褒めること」の常識ではなかろうか。それとも私がおかしいのだろうか。
これは最近の「twitter」などにも同様に言えることだと思う。サイトは建前、twitterは本音、そんな使い方が当たり前といつ決まったのだろう?例え場所を変えようとも「自分が言ったこと」には変わりないのだから、どこまでも責任を持つべきである。確かにサイトでは管理人だ。だが、そのブログもmixiもtwitterも、「あのサイトの管理人のもの」であるという認識が正しい。サイトを離れれば一個人であるという発想はそもそも大誤りなのだ。
自信満々でわざわざ書いたということは、「ここ(マイミクシィ)までたどり着いたファン達へのサービス」のつもりだったのだろう。だから当然、「裏情報ありがとうございます!」という返事が返って来ると思っていたはずだ。
私はこの時、マイミクシィを切った。私以外にもたくさんのファンが切っていた(数字がだいぶ減っていた)。つまり「そんな情報(管理人はサイトには嘘を書いてるということ)は誰も知りたくなかった」のだろう。自分で自分の信用を払拭しようとはこれ如何に。

回数券制度 (2010/01/24)
「ボトルキープ」という制度がある。たまに「これはショットで飲むよりお得なんですか?」と聞く人がいる。これは根本からボトルキープを勘違いしている、と水商売経験者なら思うはずだ。
ボトルキープは確かにショットでちまちま頼むより料金的には得である。しかし、一度に出費が嵩むから一口に「得」ですとは言い切れない。違うのだ。ボトルキープというのは「この店に通いますよ、だから大事にしてくれ」という無言の意思表示なのである。店もこれにより一度に多くの売り上げを上げることができる。これこそがボトルキープの存在意義なのだ。
これはキャバクラでよくある「フルーツ盛り」を考えれば簡単に理解できよう。これは数千円から数万円もするメニューである。冷静な判断であればこんな高値でフルーツを頼む客はいないだろう。そう、これはフルーツが食べたいから注文するというものではなく、これを注文された女の子にバック(給料)が入るというシステムを利用して「お気に入りの女の子を喜ばせる為」にあるのだ。その証拠に、ほとんどのお客は出されたフルーツには手をつけない。手をつけずに戻ってきたフルーツはまた水に入れて別の客に出す。これが暗黙の了解である。
メイド喫茶におけるフルーツ盛りは「チェキ」などにあたると言えるだろう。チェキは1枚500円なら1割の50円など(店によって異なる)がメイドさん個人の給料にバックされる仕組みだ。度が過ぎた店ではメイドさんがチェキの注文を強要するような事例も見受けられるが、これはもはやキャバクラ嬢同士の潰しあいに近い。
メイド喫茶は常連客を欲しがっているのではないだろうか。であれば、女の子を喜ばせるチェキだけでなく客を喜ばせる「ボトルキープ」に匹敵する商品を用意するというのはどうだろう。
例えば「(コーヒー・紅茶の)回数券」。喫茶店ではしばしば見られるシステムである。メイド喫茶でもたまに見ることが出来るメニューではあるが、あまりメジャーではない。メジャーでない理由に「金額以外に得ではない」からだと思われる。ではそこに「回数券10枚綴りを購入したご主人様・お嬢様は、希望の名前で呼んでもらえる」などの「無形の価値」を付けてみてはいかがだろうか。
3月末、アキバプレイス6Fに「うさぎの森LR」がやってくる。これにより今後ますます大手と弱小の二極化が進むものと思われるから、「お飯事」で凌いできた店はそろそろ自分の立ち位置をはっきりさせて「ニッチ分野」に特化するのかどうか、決断を迫られてくるのではないだろうか。

プロはバレる嘘はつかない (2010/01/23)
新しいメイド喫茶の新しい設定には毎度疑問が沸く。
初めて「鉄道居酒屋」を見たときは素直に「新しいな」と感心したものだが、フタを開けてみればメイド服を客室乗務員のコスプレに変えただけの「イロモノメイド喫茶(居酒屋)」だった。何故そう感じたかというと、キャストさんが誰も鉄道に詳しくなかったというのが最大の理由である。
通常の脳味噌で考えれば、「鉄道居酒屋」であるのだから、当然「鉄道+居酒屋」なんだろうと思うものだ。しかし「コスプレ」以外に鉄道と結びつく要素が無い。これじゃ名前を「鉄道コスプレ居酒屋」に変更すべきである。私が行った某店では「VVVFインバータ」すら誰も知らなかった。これはエヴァンゲリオンにおける「MAGI」を知らないくらいショッキングな出来事だった。MAGIを知らずにエヴァを語る資格があるか?ないだろう?それが既存のメイド喫茶における「1日限定エヴァコスプレDAY」ならまだしも、店名にして看板に書けるほどの自信がどこから沸いてくるのかフシギでしょうがない。
「アナタはオタク話が出来ますか?」にNoと答えた女の子を片っ端から不採用にしている秋葉原の某メイド喫茶が偉いと思ってしまった。というか、メイド喫茶にオタク要素は必須条件ではないと思うが、鉄道を名乗る以上、鉄道の最低限の知識は必須ではないのだろうか。メイドボケしているお客は、料理が多少コゲていても文句言わず「これも萌えだ」と脳内補正してくれるかもしれないが、鉄道を名乗って鉄道を知らないんじゃ乗務員ボケを狙っているとしか思えない。
よって鉄道居酒屋が目指しているゴールは、鉄道オタクの取り込みではなく結局キャスト依存であり、擬似恋愛をウリにしたキャバクラ的展開なのである。メイド喫茶と何が違うのかと聞かれたら、「それに鉄道の名前を利用した」というだけのことだ。つまり鉄道居酒屋における鉄道の存在とは「釣り道具」であり、だから永久に鉄道オタクに認知されないんだ。
世間では鉄道居酒屋の登場について各所で「オタク文化、そこがあったか!」みたいに賞賛されているケースが多いが、「プロはバレる嘘はつかない」ものだ。

赤字経営 (2010/01/22)
メイド喫茶のマニアに聞くと「本業は夜のキャバクラ、昼間に箱が空いているのを利用してメイド喫茶を営業」という形態を「邪道」と見る向きが多い。
これは恐らくメイド喫茶通いの大義名分に「メイド喫茶≠キャバクラ」というものが大前提としてあるからだと思われる。しかし「夜はキャバクラ」というだけで「昼はメイド喫茶」なのだから、私は全く否定しない。否定どころか寧ろ大賛成である。それにはひとつの理由がある。
ガチンコで「メイド喫茶」だけで儲けようとすると、ブームも落ち目であるから並の客数では回らない。となれば最終的には客単価を上げるしかなくなる。つまり、お金を遣わせる構造になってしまう他に生き残る道がない。秋葉原にはもう何年も営業していて「オープン以来今まで一度も黒字を計上できた月がない」というメイド喫茶が結構ある。それらが「赤字なのにどうやって何年も経営できるか」と言えば答えはただひとつ、「本業は別にあって、そのお金で回している」というものだ。
これが「経営」として正しいかどうかはさておき、客目線であればこれほど楽しい店はないはずだ。
これは言い方を変えれば「ウチはこんなに面白い店なんですよ」というメッセージを込めた「サービス期間」のはずだ。サービスというのは期間中に「試用」してみたお客さんの中から常連として残ってくれる人を探し出すというビジネスモデルであるから、どこかで黒字化すべく方向転換するはずなのである。もちろんこのまま黒字化できればいいのだが、そんなに簡単ではないだろう。
もちろん中には途中で力なくして潰れてしまう(辞めてしまう)メイド喫茶もあるが、客からしたらそんなことはどうでもいいはずだし、そもそも「こういった店は今現在赤字の最中(サービス期間中)」という前提があるのだから、いつ潰れても何もおかしくないはずだ。
「サービス期間中は良かった」という評価なんて当たり前のことなんだから、その間だけでも楽しんでおいたほうがいい。そして本当にこの店には残って欲しいと思ったら、貴方がお金を落としてみたらいかがだろうか。あれはダメ、これは邪道。「ないない尽くし」で御託ばかり並べるだけではゴマメの歯軋りだ。

メイドさんをやめること (2010/01/21)
「めいど美容室お〜ぶ(秋葉原)」が1月17日閉店し、同月下旬より通常の美容室としてリニューアルするそうだ。今回はこういった「脱メイド」の流れを考えてみる。
以前さいたまに「カフェドアール」というメイド喫茶が在った。オープンから約9ヶ月の間メイド喫茶として営業し、途中で普通のカフェレストランに業態変更してからわずか2ヶ月で閉店した。
そもそもメイド喫茶が何故、ブーム絶頂の2006年前後に雨後の筍のように全国各地に派生したのかと言えば単純に「ガチンコで喫茶店を経営するより楽に儲かるから」ではないのだろうか。
元は純粋なレストランだった「e-maid(大阪府)」や、元は普通のショットバーだった「ZOID(秋葉原)」、ゲームセンターにメイドさんを置いた「ファンタジーパークときめき(秋葉原)」など、「メイドさんを置く(店員さんにメイド服を着せる)こと」で脚光を浴びた店はいくつかあれど、「メイド喫茶からメイドさんを取り払って成功した店」に関しては今のところ前例が見当たらない。メイド服による付加価値がオイシイということに目をつけた野心家たちが続々参入してきた業界なのにそれをわざわざ降りる旨味はあるのだろうか。
平たく言えば「メイドさんのお店」の方が経営がうまく行くという例があるのに逆はないのだから、「既にメイドさんのお店なのにうまくいっていない」のは本格的に終わりを意味するのではないか。
矢野経済研究所の発表によれば、メイド・コスプレ関連事業の市場規模は下落が続いているらしい。らしい、というかそんなことは発表がなくても分かる。2006〜2007年あたりであれば新規オープンしたメイド喫茶は少なくとも1ヶ月は連日満席を常時キープしていてもフシギは無かった。それが今じゃ、「だいぶ健闘している」と思える店ですら4割埋まっていればマシという状況だ。
それでも秋葉原だけを見ても新規オープンが続いている。この状況ですらまだメイドさんは「オイシイ」と思われているのは「メイドさん無しの営業より(どんな形態の商売でも)儲かる」ということの証左だろう。市場規模が縮小していたと言ってもそれはブームのピーク時から比べれば、という話だからだ。
「お〜ぶ」は今後「メイドさんは辞めるが、オタク色は残していく」らしい。どのような形になるのかはまだ分からないが、「メイドさんを辞めたことの最初の成功例」になるかそれとも「やっぱりメイドさんの方がよかった」と言われるようになるのか、どちらに転ぶにせよ要注目であることには違いない。

プライスレス (2010/01/20)
人間は達成感を欲しがる。何度もやりたくなる面白いゲームとは、達成感をどこに見出させるかが巧いものだ。難しすぎるゲームもダメだが、「やり込みゲー」として評価はされる。しかし簡単すぎるゲームはただの「クソゲー」だ。
何度もやらせることが出来るいいゲームは、プレイ料金を下げてもいい。下げれば下げるほど売れる。反面、何度もやろうと思わせられないクソゲーは、プレイ料金を上げるしか回収の手がない。
「値段が高い=いいもの」という理論はここでは全く通用しない。こうなってくると、「高額を支払ってまでクソゲーをプレイするなんて、よほどの物好き以外いない」というのが妥当な評価となってくる。
現在のメイド喫茶にもここを考えて欲しいと思う。メイド喫茶とは「もしかしたらメイドさん(店員の女の子)と仲良くなれるかも?」という淡い夢を買いに行く場所じゃないか。それを「はいどうぞ」と、お金を払ったから1時間なら1時間、満喫していってね!というのは「プレイ料金の高いクソゲー」に似ている。「もしかすると、千円払って1万円分の達成感が手に入るかもしれない」から面白いんだ。
私が見るに、「3千円払ってハイどうぞ!3千円分仲良くして行ってね!」タイプの店は「3千円取って3万円分の価値を期待させる営業」が今のところ出来ていない。もちろん善処していると思える店もあるにはあるが、それらを台無しにするくらい「単に高客単価を狙っただけ」の店が跋扈している。
一般的な商売では、客数が減少している時は単価を下げて客の絶対数を上げようと努力をする。客単価を下げる「値下げ」のビジネスモデルというのは、「値段を下げることによって客を増やし、売り上げを上げること」である。しかし「高客単価こそが収益の根源」と錯覚した業界定説が間違いを呼んでいるのだ。
業界人の口癖で、「ウチは席料を取ってるから安泰」というものがある。しかし、席料を取らなければガタガタというのであれば、その店は「終わってる」んだ。だいたい席料なんていうカルチャーはキャバクラの専売特許だぞ。キャバクラは「女の子にお熱」という大前提があるからこそ高額な席料も成り立つのだ。メイド喫茶がいつから「メイドさんにお熱」という前提になったのか?

空港利権 (2010/01/19)
秋葉原の駅前で「漢字Tシャツ」を売る店がある。これをどう考えるかが、今回の本題である。私はこれを「空港利権」と呼びたい。
各地の空港(ちなみに日本には現在全部で91の空港がある)では、ご当地グルメをお土産として扱う店が幅を利かせている。「お土産にはケチケチしない」という日本人の見栄を巧みに利用した商売であり、決して妥協の無い値段で売られ、それがまた平然と買われていく様は見ていて異様な雰囲気でもある。
お土産を空港で買うのは誰なのか。保存のきかない生ものを除いて、「商品にこだわりの無い」客であるのは明らかである。それでいて「見栄っ張り」。つまり「モノの値段を知らない人たち」向けの商売なのだ。
当然、売る側としてはこの状況は美味しい。ここに安売りのチェーンなどが進出してくれば、せっかくの土壌を崩されてしまう。だから「締め出し」が行われる。そうでもなきゃ何故値下げ競争が起きないのか説明がつかない。
話を戻そう、「秋葉原の駅前で売られる漢字Tシャツを、誰が買うのか」である。当然、狙うのは漢字Tシャツをお土産にする観光客だ。特に漢字を好むのは外国人である。故に、「これが漢字Tシャツの適正価格かどうかを判断できない外国人」を狙っているのだろう。これは非常に賢い判断である。何故なら、空港と同じく「お土産」というものは「空港(この場合は駅)」に近ければ近いほど、「モノの値段を知らないバカで見栄っ張りな観光客が買う」のだから、当然多少値段を高めに設定しても売れるだろうし、他のお土産屋では売れ残ってしまうようなあまり人気のない商品でも「判断力がない」から買ってくれるだろう。だからこそ、駅前の土地というのは家賃が高いのである。
メイド喫茶はこれまで、なんとかして家賃の安いテナントを探してきた歴史がある。「多少駅から離れても、メイドさんの魅力でやっていけるだろう」と考えたとしか思えない立地の店も珍しくない。
「めいどりーみん」が「秋葉原駅から最も近い」場所に新店舗を昨日オープンしたそうだ。これが何を意味するのか、説明しなくてももうお分かりだろう。これによって今後の「めいどりーみん」以外のメイド喫茶は、「観光客(一見)向け」なのか「マニア(常連)向け」なのかをはっきりさせる必要が出てくるはずだ。

武将の計略 (2010/01/18)
メイド喫茶は「淡い夢」を売る商売だ。従って、その夢を台無しにするようなことがあればその店の一生は終わりと言っても過言ではない。
夢をぶち壊す存在として「マニュアル」というものがある。もしマクドナルドなら「ご一緒にポテトは・・」と聞かれても驚かないが、ここはメイド喫茶である。「ご主人様(お嬢様)ぁ〜、」と話しかけてくるのがマニュアルで仕方なくだったらと考えると興ざめどころの騒ぎじゃない。あくまでもこういったお喋りは「メイドさんの自主性によるもの」とされているからだ。この絶妙なさじ加減が面白さの源なのである。
某メイド喫茶で数年前、内部マニュアルがテキストの形で出回ってしまったことがある。恐らくお店を辞めた女の子の恨みによるものと思われる。これは即座にネット掲示板等で実しやかに囁かれ、内容がだいぶえげつなかった(店内を歩く時は時計回り、10分おきに軽く全員に話しかけろ、等)のも常連の間で話題になり、店内ではメイドさんが一言話せば「それマニュアル?」なんていう茶化した会話が出てくるようになった。当然、いい空気とは言えない。
私が驚いたのは、マニュアルが流出したことではない、これから起こった悲劇である。
翌週、この混沌極まる状況にライバル店からお中元が送られてきたのだ。しかも一番人気のメイドさんの名前宛で、「いつもお世話になっております」というメモ書き入りという手の込みよう。結局オーナーは泡を食い、そのメイドさんを半強制的にしばらく休ませてしまい、客も離れた。このマニュアルがホンモノであるということを自らが証明する形になってしまったのである。
最後には両方とも潰れてしまったのだが、このメモがブラフだったのか、それとも流出そのものがメイドさんを派遣型スパイさせたものだったのかは定かではない。
私がこの騒動で悟ったのは、「こういうことにならないように、マニュアルを作るなら、全員少しずつ違うマニュアルにしろ」ということか。こうすることで最悪の状況でも無駄にメイドさんを疑わなくて済むようになるだろう。

遊び人 (2010/01/17)
至極当たり前のことなのだが、今更ながら確認しておこう。
メイド喫茶とは「飲食店」でありながら同時に「娯楽」である。娯楽を理解するには、モノを考えるのも当然ではあるが「ヒト」を理解できなければ本質を読み取ることは出来ない。
例えば音楽CDの売り上げベストテンがある。見れば一目瞭然、今どんな歌(或いは歌手・グループ)が人気なのかが手に取るように分かる。しかし「1番人気の歌が、何故1番人気なのか」という重要な部分が一切書かれていない。だから「1番人気なら(理屈抜きで)聞いてみようかな」というミーハー客以外には何の役にも立たない。最も、ミーハー客を集める目的で作られているのだろうけど。
メイド喫茶で遊ぶ。これのどこに「面白さ」があるのかは、メイド喫茶にハマっているお客さんに聞いてみないと分からない。どんな経営者も自店をオープンする前に最低1軒は「勉強」と称して自腹でどこかのメイド喫茶へ遊びに行っているものだと思うが、メイド喫茶そのものを観察するのではなく、そこでお金を遣っているお客さんの表情や感情を読み取らなければ面白い店を作ることは出来ないだろう。
お客さんの希望を全部聞けばいい店になるかといったら、それは違う。ただ、オープン前にお客さんの希望を考えられていた店はほとんど無い。「そりゃ無理だろ」と思うなかれ、他店の研究が出来ている店は、オープンから「核心を掴んだ」営業が出来ている。
これは完全なる私の持論だが、オープンしてしまったら毎日メイドさんの人件費が発生してしまうからどんどん手持ちの駒がなくなって行き、ダメだと気付いた時には手の施しようがないのではないだろうか。自転車は走っているうちは倒れないが、それが余裕かギリギリかはだいぶ違う。店によってはオープン1ヶ月程度で「こりゃすぐに立ち行かなくなるぞ」と判断しすぐに閉め、後日別の名前で再オープンしてなんとかなったという例も数多く見ている。それもお金のあるうちならではの技だ。こうしたお店は「客目線で店を見ることが出来た」希有なパターンであろう。
人気店を真似する店があるのは仕方が無いとして、その人気店に「何故人気があるのか」をきちんと理解できていて真似できたという例は残念ながらほとんどない。それは人気店を理解できなかったと同時に「娯楽」というものを勘違いしていたのだろう。本当に面白いものというのは遊びのエキスパート、遊び人にしか作れないのだ。

デコトラ伝説2 (2010/01/16)
この世から麻薬がなくならないのは、売人が悪いのではない、買い手がいるのが悪いのである。ニワトリが先か卵が先かで言うなら、「買い手がいなければ売れない」のだから、これは何よりもまず買い手を撲滅せんことには始まらない。従って、密売組織はもとより買い手側を厳罰に処するようにならなければ、根本的な問題に寝たふりを決め込んでいるこの状況では解決は一向に訪れない。
ゲーム業界が「面白いゲームを出せば売れる!」という初期の志を捨て、「つまらないゲームでも、やりようによっては売れる!」とシフトしていったのは、売り手が悪いのではない、買い手が悪いのである。まず業界は面白いゲームを作ろうと考えていたはずだ。しかし中には実力以上の評価を市場で得た「売れたクソゲー」もある。当然、そんなものを見てしまえば「面白いゲームを作ろう!」と考えることがバカバカしくなるのも頷ける。
以前、あるゲーム雑誌で「高橋名人」を取材したライターさんが、「(ハドソンが新作ゲームの内容を)どんなに練っても、「ハットリ君」(の売り上げ)には勝てなかった。」と言われたという。ハットリ君は言うまでもなく「版権モノ」。ハットリ君が売れたのは、ゲームそのものの実力ではなく、ハットリ君の人気のおかげ。ハドソンはそう読んだのだろう。かくして「内容に凝るよりも、名前で売る方が遥かに楽」という結論にたどり着いたわけだ。これはハドソンに限らず業界全体がこうした結果に目をつけどんどん方向転換していくことになった。当然ここには「内容はさておき、ハットリ君の名前に飛びついたたくさんの客」という絶対的な存在がある。
メイド喫茶が徐々に「面白い店を!」を追求する道から「どうすれば儲かるか?」を追求する道に転向したのも、過去に「イマイチな店が「何故か」儲かってしまった」という歴史的事実があるわけだ。つまり「高額かつつまらなく」なってきたルーツは、「店の本質を判断できなかった私達一般客」の責任なのである。勿論、判断力を撹乱しようとつまらない店と結託していたサイトやマスコミの煽りにも責任の一端はあるとはいえ、結局それを信じた私達のリテラシーのなさに回帰するという現実は免れない。
今ゲーム業界は己の歩んだ道の軌道修正をすべく必死になっている。ゲームの本質を追及し直そう、という動きが各メーカーともに顕著ではあると思うが、それをぶち壊すような「クソゲー」も未だに出続けている。一度失った信用を取り戻すのは容易なことではないから、ゲーム業界の夜明けはまだまだ見えてこない。
メイド喫茶だって、「多少ボッタくっても、「メイドボケ」してる客は文句を言わないだろう」とちょっとオタクをナメていたという考えを軌道修正しなければ、このまま業界は沈んでいく一方なのは明白である。儲からない店は「つまらないから」。この一番簡単な結論が受け入れられないようでは、業界に明日はない。

デコトラ伝説1 (2010/01/15)
昔のテレビゲームは「どんなゲームが面白いのか」を追求していたはずだ。それは「機械性能があまりよくない時代だから、グラフィックや音源に凝れなかった」からである。それが今じゃどうだ?「絵が綺麗」だけで立派なウリじゃないか。CGクリエイターの方々にケンカを売るわけじゃないが、ゲームはゲームで勝負したらどうかと思う。私にしてみれば、「ゲーム」していたのはスーパーファミコンまで、プレステ以降は「誤魔化し」もまかり通るようになった「ベツモノ」である。
それでも褒められるゲームがひとつだけある。それは「バイオハザード(初代)」だ。あれは「3Dポリゴンだからこそ活きた初めてのゲーム」だと記憶している。それに対し「ファイナルファンタジー7」は、売れるには売れたが「3Dポリゴンにした意味」は一切なかったし、むしろ画面が見辛くなった。
悪いとは思わない。プレステにも名作は確かにあった。だが、「どんなゲームが面白いのか」よりも「どういうゲームが売れるのか」を業界が追求した。資本主義の流れを考えれば当然の帰結ではある。
メイド喫茶も同様、最初は「どんな店が面白いのか」を追求していたはずだ。それがいつの間にか「何をしたら儲かるのか」にすり替わってしまった。
無論、変わった店を出すのはいい。そのほうがお客さんの為にもなる。ただ、問題は「未だにそういう店が(売り上げ的にも人気的にも)夜明け前」であることだ。これはバイオハザードのような先進的なものではなく、まだ誤魔化しのレベルであるということを如実に表していると言っていいだろう。トレンドというのは「全てを変える」くらいの変革の中で出来上がるものである。「コスプレの女の子がドリンクを運んでくる、そのコスプレの種類が違うだけ」では、今の時代に新たな流れは作れまい。
バイオやFFの影で「デコトラ伝説」のような「やり過ぎ」ゲームが登場して中ヒットを叩き出したように、業界はそろそろ小手先の誤魔化しで大御所の儲けを奪おうとするのではなく、新たな活路を見出してみてはどうだろうか。

レポサイト利権に群がる虫ケラたち3 (2010/01/14)
「言いたいことはわかる。それでも、既存のレポサイトを見て損をしたというわけじゃない。」こんなメールがたくさん届いたので、最後にこの「美しい誤解」を解こうじゃないか。
メイドさんの写真や金品と引き換えに横柄な態度を取る悪徳レポサイトの管理人がいる。そして、それを鵜呑みにして「重鎮が言うのだから」と右往左往させられる素人がいる。これは言うなれば資本主義の縮図である。日本をダメにした自民党と同じだ。ちなみに民主党も「共産主義ではない」から結果的に自民党である。
ここは政治サイトではないので、これくらいにして、レポサイトの話に戻そう。
「損をしていない」というのは誤りである。損をしていないと思わされているからこそ性質が悪いのだ。
メイドさんの写真の他に「フードメニューの写真」が載っているサイトがあるが、これが問題である。貴方はフードコーディネーターという仕事を知らないのか。これは「宣伝用に、綺麗な盛り付けの「普段お客さんに出すのとは違うメニュー」を作る仕事」である。
メイド喫茶がわざわざレポのために毎度コーディネーターをつかうという話ではない。当然、サイトに載せて全国に配信されるのだから、「大盛り」になるに決まってるじゃないか。肉も、3枚のところを5枚にする。その差がバレてしまうのが怖いから、多くのメイド喫茶では「フード撮影禁止」なのだ。
大盛りにした分、肉を増やした分、そして何より「これはタダで撮影用に作った」わけだから、その分の会計は、どうなるのか。当然ではあるが、一般客である私たちの会計に上乗せするのだ。つまりこのせいでオムライスの値段が、もっと言えば席料が、無駄に上がるのである。これほどの損と無駄はないだろう。まるでヤクザの「おしぼり屋」だ。
タダで綺麗なメイドさんの写真を見せてもらって何の損があるんだ、と言うが、とんでもない。これは有料なんだ。これじゃ「給付金」を手放しで喜ぶ子供だ。
給付金やレポサイトには即座にダメと断定するルールがないだけで、事実上「社会に不要のもの」だという認識が正しい。無料なら最後まで無料、有料なら有料、はっきりさせたほうが業界のためになる。だから私は引き続き、「メイドさんの写真」と「フードの写真」は載せない。載せないからカネは取れない。それでいいんだ。だって癒着サイトでも宣伝サイトでもないのだから。

レポサイト利権に群がる虫ケラたち2 (2010/01/13)
私がメイド喫茶初心者だった頃、ひとつのレポサイトの存在を知ることとなる。そこは「癒着サイト」であり、私が最も忌み嫌う形態を取るサイトのひとつ。メイドさんの写真を載せ、人気を捏造。その見返りに金品を受け取ったり、店で横柄な態度を取っている管理人。しかしその段階で私にそれを知る術はない。私はただただ、「すごいなー、全国巡って、こんな人もいるんだー、まるで重鎮だ!重鎮が薦めるくらいだから、いい店なんだろうなぁ」と暢気に考えていた。これこそがレポサイトのレゾンデートルであろう。
異変に気付いたのはその翌週のことである。そこに掲載されていたお店へ遊びに行ってみて、メイドさんから「お嬢様は何を見て来て下さったのですか?」と聞かれ、そのサイト名を出すと「あー、あそこですか」と何故か暗い。「何かあったんですか?あそこじゃおかしいですか?」と気になって問い質すと、「あの管理人さんは、ウチでは記事の作成後すぐに出入り禁止になりました。出来れば削除して欲しい。」と重い口を開いてくれた。
一体何故、業界の重鎮が出入り禁止になるのか、素人の私には全く理解できなかったが、その後も30以上のお店でメイドさんや店長さん、オーナーさんから「あの人は迷惑」「あの人は出入り禁止」という悪い話ばかりを聞かされるようになる。
聞けば、「俺はお宅の大事な広告塔なんだから、特別扱いしてくれよ」と暗に言われたということである。だから嫌なんだ、レポサイトは結局これが目的なんだ。報道の名を借りた私利に走る連中なのである。
メイド喫茶ジャーナルの立ち上げ前からメイド喫茶を扱うサイトを見ている人は、初めてメイド喫茶ジャーナルを見た時のことを思い出してほしい。それは「業界や店の批判がメインのこんなサイトに癒着する店があるのか」という印象であるはずだ。もし「点数が意味不明」「評価基準が意味不明」であれば、メイド喫茶業界にはあまり詳しくない、勉強が足りないこととなるだろう。
私がメイド喫茶オーナーならば、「ここだけは真実を書いてくれるであろう最初で最後のサイトだ」と判断し、掲載を依頼するところだ。だって現状、どこにも真実は書いてないのだから。私が「ここはギリで、報道として存在を許されている」と思えるサイトは唯1種類「まいくのアキバ日報」しか知らない。
「既存の権力の暴威」に飽き飽きしているお店ほど、メイド喫茶ジャーナルとの親和性は高いと自負している。対して現状それに満足している連中はどんどん叩けばいい。いずれ捲るべき旧態依然と闘う最後のサイトがここである。闘うのだから敵は多くて当然だ。だが、そこに何の疑問も抱かないのか。どんなぬるま湯に浸かった生き方をしてくれば、これで笑っていられるのかが不思議でならない。

レポサイト利権に群がる虫ケラたち1 (2010/01/12)
「他人の褌で相撲をとる」という諺がある。「自分の能力がないにも関わらず、他人の力を借りて勝負する」ことを指す相撲の話だ。
メイド喫茶業界における旧態依然は「メイド喫茶レポサイト」の数々がそれを如実に表している。今現在「ジャーナル目安箱」でアンケートを実施しているが、100%全ての意見が「インターネット」に集まっている。それだけ、メイド喫茶業界におけるインターネット広告の強さだけが抜きん出ている「異常事態」なのだ。
大半のユーザーがインターネットでメイド喫茶を選ぶようになれば、メイド喫茶よりもインターネット広告の方が偉くなってしまう。極論を言えば、レポサイトの管理人に嫌われた店は存在を許されないこととなるわけだ。店は管理人にとっての「お利口さん」にならなければならず、これによりまた強い癒着が生まれることとなる。完全なる悪循環だ。
私がこのサイトをオープンして、その地位を揺るがされるという危機感を持った既存のレポサイトの管理人たちから総バッシングを喰らっているのは有名であるが、これは「テレビがインターネットを批判している」のと似ている。テレビは視聴率が下がり、ユーザーがネットへ移行していることを察知したがそれをどうしても止められず、結果として「ネットは怖い」「ネットは中傷が多い」とバカの一つ覚えのように番組内で繰り返す。なぜそうするのかといえば理由はただひとつ、「テレビが今後も安定して得られると思っていた利益を横取りされた」と思っているからだ。
レポサイトも同様で、メイド喫茶ジャーナルを批判することはたとえどんな内容であれ「自分の利益を横取りされるんじゃないか」という危機感からであると断言していい。「レポサイト利権」にしがみ付いてメイド喫茶を食い物にするこいつらこそが業界を腐敗させる源なのである。
テレビはそうすることで面白くなったわけじゃない。テレビが本当の意味で面白くならなければ、今後も視聴者はますますネットへ流れるのと同じように、レポサイトがどんなにキャンキャン騒いだところで、メイド喫茶マニアであるユーザーの皆さんが「本当に面白いもの」を見てくれるのであれば、何の意味もないことだ。
メイド喫茶ジャーナルに違和感があるのは寧ろ当然で、それは「利権にぶら下がる既存の奴らとは一線を画しているから」である。それが理解できないお子ちゃまは、今後も「彼ら」にむしりとられ続けて欲しい。彼らを無駄に肥やすのは紛れもない貴方なのだから。

シリーズ・癒着その3 (2010/01/11)
警察官や刑事が、仮に「個人的に袖の下を貰うことによって、犯罪者を見逃してやろう」と考えた時、いったい如何ほどの額を希望するだろうか、というのが最終回である。これはあっさり合点が行く。
当然、そんなことが発覚すれば懲戒免職は必至であろう。ということは退職金を手にする権利も失うし、これからの生活もままならない。
たとえ「バレやしないだろう」と考えたとしても、もしものことを考えれば最悪クビになるわけだから、それ相応の覚悟が必要となるはずだ。
こう考えると、袖の下というものは「もしもの場合の今後の生活を保障でき、かつ退職金にも相当する金額」となると予想できる。
警察官や刑事の退職金は勤続年数や退職理由で異なるが、「公営住宅COMPLEX」によれば、「神奈川県警察官の平均退職金は2790万円」とある。また私の知人の刑事が定年退職したときは、3000万円ほど貰ったと話していたのでおおよそ間違いではないだろう。少なくとも、数千万クラスになるのは想像に難しくない。計算すればおおよそ50か月分〜60か月分の給料である。しかもこれは「退職金」であり、警察を辞める覚悟というのはこの他に当然「毎月の給料」もあるだろうから、現在の年齢が50歳であれば、あと10か月分は必要(定年は60歳)だ。
数字ばかりでつまらないと思うので話を変えるが、結論は「メイド喫茶にそんな金が用意できるはずがない」もしくは「そうまでしてやるほど儲かる商売ではない」がファイナル・アンサーでいいだろう。「メイド喫茶は脱税して袖の下(裏金)を用意できる構造を持たない」上に「権限のあるベテラン警察官や刑事を納得させられるほどの金額のカネを用意できる構造も持たない」。袖の下というものを最大限かつポジティブに考えても、この結論にしか辿りつかない。
というわけで全3回に渡って「違法なことをするメイド喫茶には、ヤクザがついていたり警察がお墨付きを出しているのか」という相談について考えてみた。あくまでも、どこまでいっても私の憶測ではある(一部信頼できる情報筋から聞いた話もあるが、それも伝聞に過ぎない)が、それでも一区切りついたとは思う。実はこれ以外にも信頼できる情報はあるのだが、これだけでも十分だろう。
結局「そんなお店はない」から、何か迷惑を被ったり被害を被ったらすぐに警察に相談してほしいと思う。そしてそうやって私たちがパンドラの箱を開けていくことで、「安心して楽しめるメイド喫茶」だけが残ってくれれば幸いである。

シリーズ・癒着その2 (2010/01/10)
例えば、強引な客引きがカネを生み出す原動力になると仮定しよう。しかし客引きがどうであれそれは帳簿に残る収益である。これでは裏金は作れない。また、風俗店の届出を出している店舗で、未成年のメイドさんを雇ってそれをウリにしたとしても、ソレ目当てに来たお客さんからの利益は帳簿に残ってしまうし、メイドさんに給料を出す必要もある。
警察に袖の下を払って、何か悪いことをするのを見逃してもらおうという算段をした時、というのを(実際に出来るかどうかは別として)リアルに想定してみよう。
当然、「袖の下」というのは、モノ・カネのどちらかであるが、モノだってカネで買うだろうから、必然的に答えは一択でカネとなる。お店や企業がカネを出費するとなれば当然、帳簿をつけなくてはならない。では袖の下が、帳簿につけて正当に認められる出費なのかということだが、そんなはずがない。
もしも渡すなら、そのカネは帳簿の外で作らなければならない。つまりこれは「裏金」であり、用意するには脱税が必須となる。そりゃあそうだ、まさかこれを「必要経費です」などと税務申告できるはずもない。これでもうひとつの条件が出てきた。「メイド喫茶に、巨額を脱税できるシステムがあるか」ということだ。
流れとしては「裏金を作る(脱税をする)」→「袖の下を渡す」→「お目こぼししてもらう」→「さらなる利益を違法にあげる」であるから、もしこれがメイド喫茶で行われていると仮定しても最初の次点で躓くのだ。
また、本稿において決定打となる疑問がある。「袖の下とは、具体的にいくらくらいなのか」ということだ。これを語らずして「本当にそんなメイド喫茶があるのか」という謎を解明することはできない。そりゃそうだろう、もし1万円札を刑事さんのポケットに押し込めばいいなんてことであれば、別にそれはオーナーのポケットマネーでもイケるじゃないか。
だがいくらなんでもそれはない。それで済むのなら、この世から逮捕者はいなくなってしまうぞ。ホリエモンでも逮捕されたんだ(私は堀江さんの逮捕には幾ばくかの疑問が残るが)。
カネは人の心も買えると言っていた彼ですら動かせなかった警察(アノ場合は検察ですかね)の心。いったい、いくらで動くのかということを最終回で考えてみる。続く

シリーズ・癒着その1 (2010/01/09)
こんな「相談」が最近たくさん来るので、3回に分けて書いていこうと思う。
大阪に「ぼったくり」メイド喫茶があるという話について、「なぜあそこは摘発されないんだ」「バックにヤクザがいるらしい」「所轄署とズブズブの関係らしい」なんて言われている。
その店は私も行ったことがあるし、店舗データベースにも掲載されているが、メロンソーダ飲んでチェキ1枚撮って3000円、特に摘発されるようなぼったくりではなかったと記憶している。(決して安くはないが。)
確かに雰囲気は常軌を逸していて、メイドさんがタバコを吸いながら接客したりと、入った瞬間「やばい店に入っちゃったな」と思ったのは覚えているが、今にも警察が摘発にやってくるような状況でもなかった。
それは私が女性だったからかもしれない。カモれそうな男性客からはこってり絞り上げている可能性だって否めない。だが、メイド喫茶なんて金額の規模は違えどどこもそんなものだ。問題はその「バックにヤクザがいるのでは」とか「警察とズブズブらしい」の方である。
秋葉原にも、「ヤクザが経営しているらしい」という噂のメイド喫茶がある。また、警察にお目こぼししてもらって違法なことをしているメイド喫茶があるとも聞く。果たして、そんなことは本当にあるのだろうか、ということだ。これが真実なら、私達は初めて帰宅する場合は命がけで店のドアを開けなければならないことになる。
結論から言うと、ヤクザはメイド喫茶なんて経営しない。存在そのものが違法な「薬物」や「裏ビデオ」などならまだしも、全く合法な「萌え」にわざわざヤクザが手を出すとは思えない。というかそれなら「ヤクザ」する必要がない。もしかすると「ケツ持ち(用心棒)」くらいはあるかもしれないが、飲食店というのはメイド喫茶に関わらず、基本的には用心棒とは切っても切れない関係にある。
私の友人の兄がある繁華街でパスタ屋を開業したとき、すぐに地元のヤクザから連絡があり、「用心棒は決まりました?」と聞かれたという。飲食店というのは酔っ払いやいいがかりを付ける客などが来ることも多いため、このようなことは表立っては言わないが、日常茶飯事なのだ。だかこれを「ヤクザがバックについてる飲食店」とは呼ばない。
また、警察の癒着についてだが、当然癒着というからには例えば袖の下を渡す代わりに違法行為についてお目こぼししてもらうとか、そういうことになるはずだ。ということは、「袖の下を渡してまでやるほど、その違法行為は儲かる」ということになる。
となると当然、「メイド喫茶に、袖の下を支払ってまでやりたくなる違法行為があるのかどうか」ということが焦点になるはずだ。続く

無駄 (2010/01/08)
メイド喫茶の「チェキ」を集めている人はここを読んでいる人の中にはそこそこいるだろう。チェキの値段は様々で、中にはポイントカードを満タンにしなければ撮れないものやイベントでしか撮れないものなどもあるが、バラ売りの相場は大体1枚500円〜といったところか。
勿論ご存知だとは思うが、チェキのフィルムの原価は1枚60円ポッキリである。つまり10倍近いお金を「メイドさんの価値」に支払うわけだ。それでも500円〜が相場ということは、メイドさんが映るチェキには、普通のチェキの10倍の価値があるとお客さんである私達共通の認識があるということだろう。
私はメイド喫茶のチェキを集めていることを、「メイド喫茶未体験」の友人に話したところ、「これって1枚いくらなの?」と聞かれたので、素直に「大体500円」と答えたら、こう言われたことがある。2人から。
「1枚500円!?勿体無〜い!それなら500円玉集めればいいのに!」
「え?500円!?働いて貰ったお金をわざわざ写真に換えて集めるなんて。私なら500円玉貯金するわ。」
お金というのは不思議で、持っていても何の価値もない、ただの紙だ。お金が価値を発揮するのは「つかう時」限定である。
不思議なのは、メイド喫茶で500円のチェキは、私の中では「思い出」なので、ある意味では遠足の記念写真に近いと思うのだが、記念写真を「勿体無い」という人はいないのに、どうしてチェキがここまでひどい扱いをされるのかということである。記念写真だってタダじゃないぞ?
ディズニーランドで記念撮影をするのに「無駄」と言われることはまずないだろう。たとえそれが有料でも、だ。多くのマニアは「メイド喫茶は喫茶店ではなく、もはやアトラクション。メイドさんはミッキーマウスやミニーちゃんみたいな、観光名所のマスコットキャラクターのようなものだ」と言うが、実はてんで、全く、これっぽっちも届いていないんだ。
オタクは、別に一般の理解がなくともオタク道を突き進むものではあるが、業界はせめて、メイド喫茶に行ったことが「無駄」とは言われない業界になるよう、せめて努力だけは必要なのではないか。

お金が生み出す錯覚 (2010/01/07)
商売が成功してどんなにお金が儲かっても、決して偉くなったわけじゃない。その最たるものに「ぱちんこ」業界がある。ぱちんこメーカーは何社も上場しているが、ぱちんこ「店」は一社も上場していない。業界最大手である「マルハン」グループだって、資金も、資料も、バッチリ揃っていても上場を果たせていない。
ぱちんこが「社会の理解を得辛い」ことはよく分かる。騒音問題もあるだろうし、これは風俗店だから子供に悪影響を与えるというのも分かる。ギャンブルが法的に存在を許されるというのは理解し難いし、また、「三店方式」と呼ばれるお金の不透明な流れも問題だ。他にもいろいろあるだろうが、これくらいで十分。投資家や社会の理解を得るというのは、お金だけじゃないのだ。
メイド喫茶が、自身が展開するビジネスにおいて「うちは社会貢献してます」と言えるだろうか、ということを私は再三、ここで書いてきた。そのほとんどは確かに、私の主観の域を出ないとは思う、申し訳ない。ただ、じゃあ「してます」と胸を張って言えるのかという質問には誰もイエスと言わないのは何故だろうか。
確かに、それでも大分善処していると思われる店舗もある。業界の負のイメージを払拭するために様々な地域活性化イベントなんかに参加したり、ボランティア(とはいえ店の宣伝に過ぎないとも思うが)で色々やっているのは、とてもいいことだと思う。
だがそれでも、「こりゃ店の宣伝だろ」といいつつも、「まぁ(業界のイメージアップに)貢献してるかな」と少しでも思えるからまだいい。宣伝なのはビジネスだから致し方ない。
本当の問題は、「宣伝」ではあっても「貢献」とは全く思えないものだ。私利に走ったマネーゲームの勝者が社会の勝者であると勘違いされるのは甚だ不適当であると思うのだがどうだろうか。この世は確かに「正義が勝つ」のではなく、「勝った奴が正義を名乗れる」という腐りきった構造だと思う。思うよ。それでもね、「勝ってない」んだよ。数字で勝っても、心で勝ててないんだ。
お金があれば、どんなバカでもブサイクでもモテモテだろう。でもそれは、決して本人の人気や魅力じゃない。お金の魅力だ。お金は誰が持っていても額面通りの効果を発揮するからね。
私は、たとえどんなに落ちぶれても、「自分の魅力」を持ち続けたいと思っている。何を取られても、何を失っても、「自分」は地獄まで持っていくよ。
人はいつからか、その人が持っているモノや財産に目が眩んで、「人そのもの」を見れなくなってしまったんだ。

法律相談所 (2010/01/06)
警察というのは、「発言が非常に重要」であり、軽々しく物事にジャッジを下すことが出来ない。しかし、同時に実は非常に軽々しくジャッジしている側面もあるから「ダブルスタンダード、もしくはトリプルスタンダードだ」と揶揄されるのである。
頓知ではない。どういうことかと言うと、例えば「いつもあそこの道を通るたびに、とあるメイド喫茶の店員さんにしつこく客引きされて迷惑しています。あの道を通らないと学校へ行けないので、毎日往復で必ず2回以上は客引きされて困っています。なんとかしてくれませんか?」という相談(ないし通報)が所轄にあったとしよう。この時点で摩訶不思議なダブルスタンダードの成立にリーチがかかってしまう。
それは、・「違法な客引きを黙認(或いは放置)していた」ことに対して、もうひとつは・「アレ違法でない(放置していたわけだし)」、ということだ。早急なジャッジが出来ない団体にも関わらず、相談されたその段階ですでにジャッジが出ているのである。
警察が賄賂を貰ってお店の不正行為をわざと見逃しているなんていうレアケースもないとは思わないが、まぁ基本的に無いだろう(メリットに対し、デメリットが大きすぎる。あるとすれば握っているキャッシュが巨額なパチンコ店の不正改造くらいじゃないかと思う)。だが、そうなると・「放置することは合法を意味」し、・「逮捕することは不正を意味」するわけだから、当然何かしらの措置がない限りは「アレは合法」というジャッジを下したことになるわけだ。
警察は基本的に「でも実際には殴られたとかじゃないんでしょ?」だとか「実際に見に行った時は、確認できなかったからわかんない」とか言う。この時点で十分問題大アリだが、100万歩譲って、では「そう言われたらどうすればいいか」を話そう。
こういう時は「だからアレは合法」とメモ帳に一筆書いてもらって名刺をもらうといい。絶対にくれないぞ。警察は「軽い発言が後で火種になる」のをもっとも厄介がる集団だからだ。もしこの後大事件に発展して、そのメイド喫茶の幹部を全員逮捕したとか報道されることになったとしたら、「私がもっと前に相談しに行った時は、酷い対応で帰された」と言っても、絶対「知らない、そんなヤツは来てない」と言い出すぞ。私のもうひとつの顔は「裁判傍聴マニア」だが、何度もこういう「疑惑の判決」を見ている。
何故か、私たちが強くならなきゃいけない社会なのだ。でもしょうがない、それが社会だから。

異臭騒ぎ (2010/01/05)
何かしら接客業を経験したことのある人なら、失礼なことだとは思うがお客さんに「ニックネーム」をつけた記憶があるだろう。いや、そんなにカジュアルなものじゃない。ほとんどがマイナス要素を指すものだろうから、さしずめ「影のコードネーム」といったところか。
メイド喫茶も同様、メイドさんはお客にニックネームをつけていたりする。当然、普通のお客さんにはつけない。「ちょっとおかしな」お客さんに、コッソリとつけられるわけだ。
コッソリで言えば、デパートでは雨が降ると店内BGMを「ある曲」にチェンジする。各店の店員さんはそれを聞いて「傘」の販売を始めるのだ。それ以外にも、書店に立ち読みが長時間に渡る迷惑な客が来れば、実在しない店員を呼び出す業務連絡を放送して合図したり、漫画喫茶では前回の来店時にセルフサービスのドリンクのカップを部屋に溜め込んでいたような客が来れば、インカムで暗号を流したりなど、その種類と形態は様々であるものの、こういったシステムは無くてはならないものと言えるだろう。
さて、メイド喫茶ではこの嬉しくないニックネームをつけられた残念なお客さんが来店しているということを、その時のシフトメンバー全員に円滑に伝えるために、バックヤードにホワイトボードやノートを置いている店は結構ある。A卓に「へんないきもの」が来てます、要注意。それを言葉に出さずに伝える。
ある店で、メイドさんが出勤してきた時たまたまちらっと入っていくドアの中にあった「ミニ黒板」が見えてしまったことがある。その時の異様な光景は脳裏に焼きついて一生忘れることは出来ないだろう。1卓「ハゲ」、2卓「異臭」、3卓「性犯罪者」、5卓「チンピラ」、6卓「童貞」。唯一良かったと思ったのは、私の卓が4卓で、スルーされていたことだけ。どうやって卓の番号を把握したかと言えば、私の右隣の席のご主人様が紫色のスーツを着ていたということと、3つ左のご主人様の頭がウスかったということ。もしかするとこれそのものには意味の無いコードネームだったりするかもしれないので、私が「異臭」ではない保証はない。そう思って、帰ってからいつもより念入りにシャワーを浴びてみた。
そして最も悲しかったのは、それが通い続けてポイントカード9枚目に突入した日のことであったという。やるなとは言わない。人間だもの。でも頼むから、こういうものは「絶対に見えない場所」に置いて欲しいなぁ、と。

貴方とは違うんです (2010/01/04)
メイド喫茶というのは、メイド喫茶に詳しいマニアが作れば必ずしもいい店が出来るとは限らない。
これが「料理」であれば、作るのも好き、食べるのも好き、全国の店を食べ歩いたという食通が開いたというレストランであればあるほど行ってみたいと思うものだが、メイド喫茶にはそういった要素はあまり必要ない場合が多い。というのも、オーナーがマニアなお店ほど短命だったりするのである。
私にもそういうところがあるので反省し切りだが、マニアというのは「自分の好きなもの=他人も好きだろう、だって自分はマニアだから」と思っているふしがある。故にマニアがオーナーのメイド喫茶は「これは単に、アンタが好きな店だろう」という店が多い。
以前横浜に「ねこねこ」というメイド喫茶があったのだが、ここが酷かった。恐らく「これは単に、アンタが好きな店だろう」の「最高峰」だろう。
ねこねこのオーナーは横浜界隈のメイド喫茶マニアの中では名の通った人物である。そしてオープニングスタッフに用意してきた女の子は、何を隠そう「そこらじゅうの自分が通っていた店から、自分のお気に入りのメイドさんをスカウトしてきた」だけ。そして本当の問題は「それを誰もが知っていた」ということである。
マニアはマニアの良さを「出すところ」が違うのだ。全く無くてもダメだが、ありすぎてもダメ。それなのに、皆どちらかに極端過ぎる。これは何事においてもそうなのだが、「知識」だけでは商売はうまくいかない。「知識」の他に「実行力」が必須である。しかし実行力だけでもダメだ。この絶妙なバランスが難しい。
お店というのは「自分の好きな店」を作るべきではない、「お客さんが望む店」を作るべきであって、そのためには「自分」というものを一時的に殺さなければ成し得ることはできない。常に、自分が考えたものを「他人がどう思うか」を考えられる人にしか成功は難しい。
メイド喫茶は個人オーナーが多く、こうしたことが不十分なまま営業し、潰れて行くケースが非常に目立つ。出来たら「真逆の人の冷めた意見」にもひとつ、耳を傾けてみてはいかがだろうか。

人気商売の宿命 (2010/01/03)
メイドさんの中に「過去たくさんの店を渡り歩いてきました」ということだけが自慢の「ジプシー」がいるという話は以前#046で書いたが、中にはバイトを辞めたメイドさんに「今後ココで働いていたことは他言しません」と念を押す店がある。また簡単な契約書にサインさせ、罰則規定(罰金など)を設けるパターンも確認されている。
なぜそんなことをする必要があるのか。簡単に言えば、「オープンに出来ないことがある」だろう。それが「お客さんの夢を壊すかもしれないから」であれば、理解出来なくも無い。ただ、「就労条件が酷くて、違法行為がバレるから」がほとんどだというのが残念である。
秋葉原のメイド喫茶を3軒渡り歩いてきた女の子に話を聞いたところ、彼女は「源泉徴収票」の存在を知らなかった。(これは彼女自身の問題かも知れないが)若い女の子は社会を生きる知恵がないから虐げられやすい。他にも「1ヶ月のうち、1日、1回、1分でも遅刻したら(それまで働いた)月の給料ゼロ」などという横紙破りなメイド喫茶もある。しかもその店はイベントで女の子にスクール水着を着せたりしながらも時給はたったの750円。「ないよりマシ」といったところだが、それまで無くなるのだからまるで漫画だ。
こういう卑劣な犯罪行為が横行してもなかなか女の子が強く出れない理由のひとつに、「メイドさんという仕事が人気だから」というものがある。需要と供給のバランスが完全に崩壊しており、メイド喫茶側からすればメイドさんは選び放題だ。「漫画家」や「アイドル」「芸能人」などと同じで、無謀な要求をされても「それでなれるなら」と呑んでしまう子がいるのが問題なのである。雇う方からすればこれほど楽なことは無いかもしれないが、かといって犯罪に手を染めていいとは誰も言ってない。
中には週間300人以上面接して、メイド服を着せて「写真撮影」だけして全員雇わず、その写真だけをくじ引きで販売しているという仰天な店もある。どれがどの罪名かを羅列するのすら馬鹿馬鹿しい。

マーメイドキッチン (2010/01/02)
今や「グーグル脳」なんていう言葉もあり、若い人なら行動の前にまず「ググる」のが基本中の基本である。中には「ソース出せ」なんていう輩もいて、信頼できる情報ソースが「ググ」って出てこなければそれは嘘。グーグルが新しい価値観の核となりつつある。
メイド喫茶未体験の素人さんが今度の休日、メイド喫茶に行ってみようと考えた時、まずグーグルで検索をかけるだろう。恐らく検索ワードは「メイド喫茶」だ。
さて、現在ではキーワード「メイド喫茶」でググると、1位に表示されるのは「@ほぉ〜むカフェ」である。これで事実上、日本一の人気店は「@ほぉ〜むカフェ、という店らしい」と決定付けられてしまう。ソースはグーグル。
検索結果というのは、せいぜい見ても2〜3ページ程度である。故に、そこまでに入ってこなければその店はネット上から村八分にされたも同然である。
実は長きに渡って検索ワード「メイド喫茶」の検索結果1位の座を欲しいがままにしていたメイド喫茶があった。それは横浜は反町にあった「マーメイドキッチン(4F)」である。マーメイドキッチンはお世辞にも日本一とは呼べない小さな店だ。@ほぉ〜むが日本一かどうかはさておき、少なくともマーメイドキッチンが日本一ということはないことくらい、行ったことのある人なら誰でも分かるだろう。
私は当時の店長さんと仲良くさせていただいていたので、どうやってその小さな店を1位に押し上げたのかを聞いたことがある。マーメイドキッチンのサイトは、内部に「メイド喫茶検索エンジン」を積んでいたのだ。普通、同業他店の広告など入れたくないのが経営者の心情というものだが、これをすすんで入れたことで、被リンク数が圧倒的に増えたのである。
メイド喫茶というのは不思議な世界で、通常の喫茶店であれば「喫茶店の検索エンジン」なんてものは不要なはずだ。余程のことが無い限り、駅前にある喫茶店に「仕方なく入る」くらいである。だから「立地」が最強の条件となるわけだ。
ところがメイド喫茶は同じ喫茶店に見えて「目的を持って入る」。歩いていたらたまたま見つけたのでふらっと入ってみるなんてことはあまりない。故にネットでの検索に力を入れる必要があるのだ。立地の悪い店になればなるほど、ネット上での工作に力を入れる必要が出てくる。
「いい土地」はお金がかかるが、ネットの「いい場所」はネットユーザーの心理が解れば、どうにでもなるはず。

お疲れ様 (2010/01/01)
明けましておめでとう御座います。今年も私のコラムを読みにきてくださり、本当にありがとうございます。
今年も全365回の更新を目指しておりますので、どうかお付き合いの程宜しくお願い申し上げます。

新年一発目は、ある店で見た「トンデモ」常連さんのお話を。
お気に入りだったメイドさんが一身上の都合で、特に「卒業式」などのイベントも無く辞めてしまったらしい。彼は通っていればいつかは彼女とフラグが成立するものだと思い込み、人生の全てを賭けていた(つもり)らしく、物凄い形相で店内に入ってきては店長の胸倉を掴んでこう叫んだ。
「どうしてくれるんですか!?もう少しだったんですよ!?これじゃもう会えないじゃないですか!!僕、かれこれこの店で50〜60万は遣ったんですよ!?これじゃおかしいじゃないですか!」
言ってることの意味がよく分からないが、店長の答えに噴いた。
「個人的に連絡すればいいじゃん?」
メイド喫茶の「お約束」で、メイドさんとご主人様・お嬢様の個人的な連絡先の交換はタブーとなっていることがほとんど(このお店もそうでした)だが、店長はこうアッサリ答えた。店内の空気が止まった。
「えっ・・な、ななな・・」
「だからさぁ、うまく行きそうだったって言うなら、連絡先くらいこっそり交換してるでしょ?」
「・・へ?」
「だ、か、らぁ。禁止とはいえ人間なんだし、そういうこともあるでしょ。」
「・・はぁ。」
「もしかして、連絡先知らないの?そりゃフラグじゃないよ。うん。絶対無いね。」
私が店長なら言葉をもう少し選ぶところだが、ここをズバっと言ったことに拍手を送りたい。確かに、言っちゃイケナイことである。しかしこれほどまでに相応しい言葉もないのが感慨深い。
男女の恋愛は、3回会って何も無ければ何もない、と言った人がいるが、至言だと思う。メイドさんに恋心を寄せるも自由だが、3回通って誰の連絡先もゲット出来なければ(営業用のmixi除く)、純愛については諦めてポイントカードやチェキ集めに走ったほうが期待値は高い。
人は「期待させられること」に大枚を叩く。そして何事も、「脈なし」に気付くのが早ければ早いほど、傷が少なくて済む。

自己責任の暴走 (2009/12/31)
私は、大人の買い物は「自己責任」だと思ってはいる。例えば、ギャンブルでどんなに負けてもそれは「ギャンブルというのは、勝つこともあるが負けることもある」というリスクを事前に知りながらそれでもやったわけで、結局はその人個人の責任に帰すことができよう。そこで「それはギャンブルが悪い」とはならないのが社会の風潮でもある。
しかしこの「自己責任」という言葉は形骸化した「逃げ」でもあり、非常に扱いが難しい。これをあらゆる分野に徹底しすぎるとおかしなことがたくさん出てくる。
例えば、手抜き工事の耐震偽装マンションを(知らずに)買った被害者は「事前に調べなかったアンタが悪い」とはならない。どこぞのコメンテーターがテレビで「安すぎて、買う前に怪しいと思わなかったんですかねー」などと抜かしていたが、安い物件を買ったのが悪いのであれば牛丼が300円になった吉野家で仮にお腹を壊してもそれは消費者の責任ということになるじゃないか。そんなはずはない。
もし本当に「安いものを買った人にも責任がある」なら、メイド喫茶は正反対の業界である。何せ、「悪い店ほど値段が高い」からだ。寧ろ偽装マンションが安かったのは良心的だとすら思うほどに腐敗している店が多い。
メイド喫茶は「アイディア」の産物だと思う。故に、「良さ」を決めるのはアイディア次第であり、本来ならもっと凝るべきなのだが、アイディアが足りなかった店が「メイドさん」を「誤魔化し」に使うようになって来たのがそもそものがんなのである。
メイド喫茶のマニアなら、メニューを見ただけでこの店が「新しいアイディアでお客を喜ばせよう」としている店なのか、それとも「メイド喫茶って儲かるんでしょ、だからウチもやるわ」という店なのかくらいは分かるだろう。だが、問題はその他大勢である。素人にはこの区別が非常につき辛い。それは事前の情報開示が少なすぎるのが問題ではないか。そして情報を開示できないような店を「作るな」。
素人を騙すことで成り立つようじゃ、この業界に未来はない。来年はオープンする店はせめて、「当然のこと」が出来ていてほしいものだと、切に願っている。

最後になりましたが、ポータルサイトとしては非常に後発である「メイド喫茶ジャーナル」をご覧頂き、またこのコラムに目を通していただき、非常にありがたく思います。立ち上げからわずか2ヶ月弱の間に、たくさんのオーナー様、メイドさんと交流させていただきました。そして本当に多くの「メイド喫茶にはもう期待出来ない」という声を頂きました。来年こそは業界の「浮上の年」になるよう、面白いこと、刺激的なことを配信して盛り上げていくつもりですので、来年もどうか「メイド喫茶ジャーナル」を宜しくお願いいたします。それでは、よいお年を・・

利益は出たけどいいサービスをしたのか (2009/12/30)
今年のメイド喫茶業界を振り返るうえで絶対に外せないのが「めいどりーみん」をどう考えるか、である。色々なバタバタがあってつい後回しになってしまったが、めいどりーみんについては読者の皆様からの要望も多いので、本稿をアップロードせずに年を越すことは出来ない。
実は私が持っているめいどりーみんの「国民証」発行ナンバーは二桁である。つまり初期のめいどりーみんには何度か通っていた。まずそこから振り返ってみよう。
私が当時店内で「気が付いたことノート」(私はサイトを作るためのデータをノートに3年以上つけ続けている)に書いたのは、「蝋燭」「ポテト」「店長(♂)」である。「蝋燭」とは、蝋燭を付けるサービスが変わっているなぁと。「ポテト」はフードの中で価格が他店と比較して許容範囲である唯一のメニュー。「店長」は、店長(実は社長でした)と思わしき男性がやたらウロウロ出入りして慌しい、という印象。これだけだ。
もし今のめいどりーみんに何か書くとすれば「マイク」「ジャンプ」といったところか。おっと、「社長」も忘れてはいけないか。違う意味で。
めいどりーみんというメイド喫茶は2008年末から2009年にかけて急成長した。反面、オープン(4月25日)からそれまで半年ほどくすぶっていたとしか言いようが無い。ハッキリ言って毒にも薬にもならない、ただ蝋燭が置いてあるだけの何の変哲もない店だった。しかし2009年に入ってから売り上げ前年比130%オーバーを叩き出し、2店舗を新たにオープン(2店舗目は2008年11月)するなどその羽振りのよさが目立つようになった。要するに「変革」があったわけである。
この秘密は、実は店の中には一切ない。店内のサービスもメニューも価格も、ダメだった頃とほとんど何一つ変わっていないのだ。唯一変わったのは「店外」でのビラ配りの「やり方」である。以前は店のビルの前で配る程度だったのを、「他店に入る客を、他店の前でビラ配りして連れて来い!」と方向転換したのである。これをどう評価するかだが、ネットでの世論は「反則だ」「迷惑だ」との声が若干強い気もするが、私が評価するなら「少なくとも、店内(の満足度)は不人気店時代のまま」である。ややもすればビラ配りに人員を割き過ぎて前より劣化している部分もあるほどで、これも@ほぉ〜むカフェと同じく店そのものを評価することは出来ない。
もしもどこかのオーナー様が「数字」に着目して「お客として遊びに行ってみて、勉強しよう」と思うなら、成功は難しいのではないか。貴方の欲しいものは、何も無いぞ。

オタクの女の子 (2009/12/29)
近年のメイド喫茶業界について、不思議に思っていたことがある。それは「メイドさんは、趣味でもコスプレをしているようなオタクの女の子がやるのが自然な流れだ」みたいな空気について、である。
大抵のメイド喫茶は最低限のマニュアルがある為、どこへ行ってもだいたい同じことを聞かれる。その中でも最もメジャーなものに「メイド喫茶はよく行かれるんですか?」という質問があるが、これはまだ関連性のある話だ。だが、「お嬢様(ご主人様)は何オタクですか?」の意味が分からない。一体いつから、メイド喫茶に来るお客さんがオタクであるという前提になったのか?
メイドさんがプライベートでオタク趣味を持っているのは一向に構わない。だが、お客にもそれを求めるというのは何かがズレているのではないか。
またそれと似たようなものに、「タメ口をきかれる」というものがある。恐らく「ツンデレ」ブームと混同して2006年あたりに一気に広まったものと思われる。これについては、こういうのが好きだという男性客が多いのだろう。しかし先ほどのオタクの話と同じで、「全員がそうだ」といつから決まったのだろうか。
私がまだメイド喫茶未体験の頃、勝手に持っていた「イメージ」は、アンティーク調のオシャレな店内で、メイドさんに紅茶を淹れて貰い、本でも読みながら心静かな時を過ごす。というものだ。それが普通だとか正しいとかは一切思わない。ちなみにこういう店は業界全体を見渡しても4〜5軒くらいしか存在しない。ただ、同じくメイド喫茶未経験の一般の人に「メイド喫茶って、どんなものだと思いますか?」と聞いたら、私と同じ意見の人がどれくらいいるかはさておき、「オタクの女の子にタメ口をきかれそうなイメージ」と答える人がそんなにいるとは思えない。
メイド喫茶のオタクはよく、コンセプトがしっかりしていない店について「あそこはただ女の子にメイド服着せただけだからダメだ」と言う。ならばこういう店こそダメな店だとは思わないか。ただ着てるだけかどうかはケースバイケースとしても、少なくとも「着ている意味がない」じゃないか。これのどこがメイドさんなのか。

砂の城の二重の構造 (2009/12/28)
メイド喫茶業界には歴としたコンサル屋が存在しない。そしてどこにも信頼できるソースのある「人気店」の指標がない。唯一信じられるのは過去既に出ている「数字」だけだ。
事実上、売上を評価できる店となればやはり「@ほぉ〜むカフェ」となるか。その証拠に、きちんとしたコンセプトが定まっていない新規開店はどこもかしこも揃って@ほぉ〜むカフェの劣化コピーである。これはビジネス的視点で見れば強ち間違えてはいないとはいえ、実は見えない「二重の構造」に阻まれることになる。
@ほぉ〜むカフェに関しては、初期の業界のマスコミへの露出をほぼ唯一社で支えたことを考えると一点の疑いもなく貢献度No.1である。しかしこれは「どういう接客か」とは一切関係のないところだ。新規出店のオーナー連中は大抵、「最も収益の出ている店」として@ほぉ〜むカフェを訪れ、どんな接客が「数字を出す接客」なのか、を「客目線」から勉強するのが定説ではあるが、残念ながら@ほぉ〜むカフェに収益をもたらしたのは接客でもサービスでもなく「宣伝」である。それを勘違いしたオーナーが@ほぉ〜むカフェと同程度の接客のメイド喫茶をオープンさせるが結果は言わずもがなであり、あれを凌駕できるくらい潤沢な宣伝費を用意できない限り、@ほぉ〜むカフェを真似するのは「接客」では出来ても「収益」では不可能である。
実は業界人にとって@ほぉ〜むカフェは「宣伝費」以外を考える必要はあまりないのだが、それがはっきりと理解できているケースはまずない。その理由のひとつに、メイド喫茶の経営者が必ずしも「マニア」ではないからということがあるだろう。そもそもマニアなら、@ほぉ〜むカフェを参考にするということはない。
@ほぉ〜むカフェを劣化コピーしてしまう経営者はそもそも、「儲かっている店」は「お客が多い」、それは「中身にお客が満足しているからだ」と勘違いしているからだろう。儲かっている店に必ずしもお客が満足しているという保証はどこにもないのだ。
「ホームレス中学生」という本が売れていた頃、「今の時代、貧乏自慢の本が売れるのか」と見込んだバカは出版界にはさすがにいなかった。おかげで安易な二番煎じはほとんど出て来なかったのだが、ホームレス中学生をどのように評価したかといえば「あれは吉本の宣伝の賜物だ」ということだ。ホームレス中学生の掛け値なしの実力は評価されなかった、というのが正しいだろうか。

ダブルスタンダードにはそろそろメガンテを (2009/12/27)
実は秋葉原という街は、新宿歌舞伎町を抜いて「銃刀法違反の検挙数」が日本一の「危険な街」でもある。
最近では悪質かつ違法なメイド喫茶の客引きの姿が目立つようになってきたということを#025で書いたが、通行人からの相談が増えてきたのか、ここ数ヶ月で所轄の目が厳しくなってきたのを肌で感じるようになった。
具体的にはパトロール中にビラ配りのメイドさんを呼び止めて「道路使用許可証の所持」を確認しているところがそこかしこで見られるようになってきた。そして注目すべきは、その間だけはどの店も非常に大人しく配っているということだ。これは自分達がやっていることが違法であることを認識していることの証左だろう。自信があるならば辞める必要はない。
これは私の見解だが、09年12月現在の秋葉原に「常識の範囲を逸脱した」客引きを行っていると思われるメイド喫茶は全部で3軒あると思う。いずれも「物品の配布」を超越しており、また配置する人員数に関しても届出時点のものをオーバーしていると見られる。これらの違法行為にはもちろん罰則規定がある。
もしも貴方が悪質な客引きに執拗に追いかけられたりしたら、こう思うだろう。「これは違法ではないのか」→「警察はどうして捕まえないんだ?」と。場合によっては110番通報する人もいるかもしれない。これは極一般的な反応だと思う。
警察と犯罪者。この両方の存在を許すというのは究極のダブルスタンダードである。
警察にとって一番避けたい結末は「こんな犯罪者を放置しておくなんて、警察は仕事をしていない」と思われることである。「警察密着24時」などのやらせ番組を年間数回、テレビ電波をジャックして流させるほどこの日本という国は警察に対する民意を操作したがっている。「結局精神論かよ」と思うなかれ、この「工作」が圧倒的に足りない国々では納税率が著しく低かったりテロ行為が多発している。「表向き」平和な日本はこういった工作には力を入れているのだ。そして何より「ずっと放置されているということは、これは合法なのか」と解釈されてしまうと、「ならウチもやるぞ」という店が続出し今より更に被害者と通報数が増えることになる。
犯罪や迷惑行為というのは、警察が許さないのではない。社会が許さないはずである。警察は届出や許可については五月蝿いが、現場の空気に関しては担当区域外である。それでも通報数次第では「今そこで何が起きているのか」くらいは把握できよう。
つまりこの現状は、「最低でもどこか1軒(若しくは誰か一人)が摘発される」ことでしか解決し得ないのである。もしもそうならなれけば「所轄はバカ」でファイナルアンサーでいい。バカに街の平和は任せられない。

ステータス自慢大会 (2009/12/26)
本当は警察批判の重い話にしようと思ったのだが、今日は(これを書いている時点では)クリスマスだし、たまには手放しで笑える話に。
メイド喫茶のマニア達は、無言の圧力でささやかな自慢をしてくることがある。私は公式な取材を除いてはポータルサイトを運営しているという身分を隠して遊びに行くと決めていて、全国のメイド喫茶巡りが趣味だということはあまり公にしていない。公にしないし、証拠となるポイントカードの束などは一切持ち歩かない。
某月某日、秋葉原の某メイド喫茶で隣に座ったご主人様があからさまに私の方を向いて色んなお店のポイントカードが4〜50枚位つまったバインダーをぱらぱらさせていた。しかも何度も。一秒も早く「すごいですね!」と言って欲しいといわんばかりのオーラを放っていたが、この行為が案外メジャーだったりするから面白い。
先日も大阪の某店でオープン5分前に到着してしまった私はお店が開くのをドアの前で待っていたのだが、その1分後に私の後ろに並んだご主人様がご丁寧に道端にその店の過去のポイントカードとチェキを広げ始めた。別に今確認することもなかろう、これは私への威嚇行為である。「君は1番に並んだかも知れないけど、俺の方が「常連レベル」は上でしょ、ほら。」という無言の電波を受信した。
私はもうその域からは「解脱」してしまって、チェキ100枚あたりの頃はよく「見せてください」というメイドさんがいてもいいように持ち歩いていたが、今ではチェキとポイントカードを合わせて広辞苑4冊分くらいの質量があるため(ウルプロ純正のトレカバインダーが4冊)、持ち運びが困難となり「彼ら」の物言わぬ攻撃を「すごいですね〜!」と素直に楽しむことにしている。そのほうが面白いし、意外な友人が出来たりもする。
トレーディングカードの世界では、ブースを用意して知らない人とも対戦できるお店が流行っている。また、最近ではポータブルゲーム機で無作為にたくさんの人と交流ができる喫茶店などが台頭してきた。
だがメイド喫茶は用意されるまでもなくすでにその「機能」を有していて、場合によっては「ミサ」が路上でも開催されるなどユーザー間でも十分語るに値するカルチャーとなりつつあるのだ。
こうなってくるとチェキに写るメイドさんはポケモンカードのポケモンか、数日で飛んだメイドさんのチェキはさながらレアモンスターか、潰れたお店のポイントカードはレアカードか。

大いなる勘違い (2009/12/25)
最近のメイド喫茶は、「お客さんが望むメイドさんとの会話」を勘違いしている節があると思う。
先日オープンしたばかりのコスプレ飲食店へ遊びに行ってきた時の話だ。着席してオーダーをしてから、まるで何かのマニュアル本でもあるのかの如く3人のメイドさんに立て続けに、入れ替わり立ち代り全く同じことを3回ループして聞かれた。
「何を見て、ウチのお店に来てくれたんですか〜?」に始まり、「メイド喫茶って、よく行くんですか〜?」ときて、ええ、と答えると「どこがお嬢様のオススメですか〜?」である。
実はこの3つの会話の流れは、秋葉原だけではなくどのお店へ行ってもお仕着せのように必ず聞かれることなのだが、これが私の考える「勘違い」の全てである。
#043でも若干触れたが、「お金を払った分、はいどうぞ。メイドさんとの会話を時間いっぱい存分に楽しんでください。」とやられるとお客さんは萎縮する。「このメイドさんはどうして私と話してくれるんだろう?」→「もしかして、仲良くなれたのかな?」となる部分を「どうして」→「ああそうか、お金を払ったからか。」となれば、つまらないのも納得がいくだろう。それをいかにしてバラさないかが、メイド喫茶という商売の肝のはずだ。
お客さんは「仕事で(会話を)やらせてもらってます感」を出されればつまらない。お客さんは「メイドさんと話をしたい」のは事実ではあるが、「無理に会話してほしい」わけではない。どちらかと言えば、「話し掛けてほしい」のではなく、「自分の話を聞いてほしい」のではないか。だから、話し上手になるよりも聞き上手になるほうが大事なはず。マニュアル通りの会話を一通り押し付けてきて、「仕事終わりました」みたいな顔をされても何も面白くないのだ。
会話が無い店を「なんだよ、やる気ないな」と判断するお客さんもいるだろうが、あまりにマニュアル感丸出しな接客をされても「なんだよ、マニュアルかよ」という判断になり、それはどちらもどのみちマイナスであり、結局等価の問題であるはずだ。
ひとつの問題を解決したはずが、もうひとつの問題をただ創っただけ。折角商売をするのだから、こんな恥ずかしいお店を作らないでほしいものだ。

それがメイド喫茶 (2009/12/24)
メイドさんの中には「ジプシー」と呼ばれる女の子がいる。ジプシーは「メイド喫茶を彷徨い歩く問題児」のことであり、定着率の低さからそう呼ばれている(ジプシーの本来の意味は「放浪民族」)。辞める理由は多々あれど、履歴書に職歴で「過去にメイド喫茶で働いていました」とあれば「ほほぅ、それは頼もしいねぇ」とでも言うべき立派な「経験者」であるが、「10軒渡り歩いてきました」ともなれば許容範囲をオーバーしていることくらい素人でも分かる。許されるのは2〜3軒くらいで、それ以上は「この子自身に何か問題があるのだろう」と考えるのが普通だろう。もしかすると「この子を雇えば、前の店でいたこの子の「おっかけ」のお客がウチの店へ流れてくるかも」なんて考えて雇ってしまうかも知れないが、あまりオススメは出来ない。
ジブシーがメイド喫茶をひとつ、またひとつと次々辞める理由のひとつに「その店で人気になれなかった」というものがある。こういう女の子は店にとって要注意人物である。場合によっては人気のメイドさんを蹴落とすために、風説の流布やメイドさんの個人情報の流出に勤しむスットコドッコイ(死語)がいるからだ。女の子の嫉妬はメイド喫茶の営業にどのみちロクな影響を及ぼさないから、こういう子については早々に首を切ることを考えたほうがいい。さて問題は「どうやってこういうことをする問題児かどうかを事前に判別するか」である。
警察では、サラ金に手を出して首が回らなくなった、あるいは現在ヒーヒー言っている警察官や刑事を対象に「サラ金相談室」というものがある。これは表向きは相談室であるが、実際のところは金に困って不祥事を起こしそうな奴を見つけて、早々に自主退職を迫るためのシステムに過ぎない。
また、ジプシーは大抵が「飛ぶ」。連絡なしに急に辞める。それでいて面の皮が厚くて、「権利」という言葉を知っているらしく、飛んだ日までの給料だけはちゃっかり取りに来る。経営者や新人教育をした先輩メイドさんにしてみればこれほど迷惑な話はないだろう。
こういう場合に合法的に給料を出さない方法もある。罰金や天引きは労働基準法違反となるので、きちんと払った上で「メイド服のクリーニング代」などの被害額を書面で請求して、その場で取り上げればいい。また 飛ぶ際にメイド服を盗む女の子も多い(これについてはさすがに給料を取りには来ないだろうが)。
若い女の子を使うのはなかなか精神を削られるとは思うが、それがメイド喫茶なのだ。

メイド喫茶で働きたい (2009/12/23)
メイド喫茶のマニアに「メイド喫茶とは何ですか?」と聞けば、十中八九「普通の喫茶店ですが何か?」と答えるだろうがこれは所詮「ゴマメ」の意見であるから全く役に立たない。彼らがメイド喫茶を喫茶店と言い張る最大の原動力は「自身の正当化」であり、「キャバクラだと思われては(通っていることが社会的に)恥ずかしい」からというものである。
私は、キャバクラだとは思わないが、少なくとも喫茶店でもないと思う。
その前にまず、社会通念における「メイド喫茶とは何か?」を真剣に考えるというのは、こういうことである。
「貴方の娘が「メイド喫茶で働きたい」と言ったらどう応えますか」。
この質問に対する世論がどう考えてもマイナスのベクトルであることくらい、素人でも分かろう。
「喫茶店で働きたい」であれば、「いいんじゃない?」が上位を占める回答になるのは誰でも分かる。しかし「メイド喫茶で」であれば「No」であるのなら、やはりメイド喫茶は喫茶店ではないというのが現実というものだ。
同じ「遊び」である「テレビゲーム業界」を考えても、テレビゲームは長年に渡り「目が悪くなる」とか「ゲームセンターは不良のたまり場」だとか、挙句の果てには殺人事件なんかと結び付けられて「ゲーム脳」だとか言われてきた過去があるにも関わらず、「ゲームのプログラマーになりたい」と言えば「No」を出す人の数は、「メイド喫茶で働きたい」より少ないということくらい分かるだろう。メイド喫茶の社会的な認識は、散々ひどく言われてきたゲーム業界より確実に下なのである。
問題は現状を憂くことではない。ではメイド喫茶という業界が、果たしてその地位向上を目指そうとしているのか?というただ一点である。マニアの意見は「業界人」にとって勿論大切ではあるが、「業界」にとっては必ずしもそうではないはずだ。
メイド喫茶がビジネスとして長期安定し辛い理由のひとつに、「メイドさん(従業員)の定着率の低さ」が挙げられる。年齢的な問題を考えれば、丁度「就活」の時期にさしかかる女の子が多いので、メイドさんを長くやるというパターンはあまりない。特に若い女の子に依存している営業形態の店では、人気のメイドさんが時期により大量離脱してしまい、店のバランスがガタガタになるというのはよく聞く話だ。
これは、「ずっと働きたい」と思えない業界であるというのがそもそもの問題のはずだ。だが、具体的にどう「良くなるように」何をしているのか、どこをどう、どの角度から見ても一切分からないのだがどうしたものか。
まず業界がすべきことは、メイドさんの働きやすさを優先するというものではないだろうか。

これからの淘汰 (2009/12/22)
清涼飲料水業界で、最も長期安定売上が望めるのは何かご存知だろうか。答えは「お茶」である。
お茶はホットでもアイスでも飲めるし、ご飯にも合う。甘くないのでベタベタしないし、何より「お茶が苦手」という人の絶対数が少ない。下手な大冒険を冒すよりも、無難にお茶を出しておくのがベターである。
とはいえ、お茶なら何でも売れるわけではない。それは何故かといえば「お客の数が有限だから」だ。物事には適正な数というものがある。何事も「作りすぎ」はダメだ。
メイド喫茶にもいろんな種類があるとはいえ、最も手堅く儲かるのは「正統派」である。#027でも触れたし人気店ランキングでも分かるが、正統派というのは所謂「静」と「動」の最も基本的な2種類のことだ。ドリンクで言うところのアイスのお茶とホットのお茶とでも言おうか。
そもそも、現在のメイド喫茶・コスプレ飲食店の店舗数は適正なのだろうか、ということである。私は平日の空いている席数を考えれば、多すぎると思う。現在の丁度半分くらいが適正ではないだろうか。淘汰が一巡したと思われているメイド喫茶業界だが、今後まだまだ淘汰がすすむことは確実だ。
淘汰というのは「力のあるメイド喫茶だけが残る」ということであるから、「中途半端な店が潰れる」わけではない。中途半端でも、力のある店なら残る。#039でも触れたが、この「力がある」は、マニアにとっては「常連客が多い」「コンセプトがしっかりしている」かもしれないが、業界人にとっては何より「金のある」なのだ。だから、今後はますますマニアが忌み嫌う店が残るのである。
お茶も同様、おいしいお茶が残るのではなく、「宣伝が派手だった」お茶が残るのである。必ずしもそれがおいしいとは限らない。そうじゃなきゃ、「まとも」な店からどんどん閉まっていくこの説明がつかない。
もし貴方が2008年のメイド喫茶を「まだ良かった」と思うなら、2010年は2009年を振り返って「まだ良かった」と言うことになるだろう。もしかすると、2007年にも2006年にも同じことを言っていたかもしれない。私はこのスパイラルに誰かが終止符を打つことを期待しているが、残念ながらその嚆矢すら見えない。

覆面で全裸 (2009/12/21)
人は感情に「絶対服従」である。その中でも最も絶対的なのは「嫉妬」の感情だ。
怒りや喜びは隠すことが出来ても、嫉妬は消せない。しかし世の中、嫉妬することは恥ずかしいとされている為、社会では変にオブラートに包もうとする。そりゃそうだ、嫉妬するというのは負けを認めることと同義だからだ。だから匿名のネット社会では嫉妬が剥き出しになりやすい。人というのは皆「素顔でビキニ」と「覆面で全裸」のどちらかで街を歩くなら、後者を選ぶということの表れだ。
人間がどんな時に「アツく」なるか。これも嫉妬が原動力である。しかも「どうにもならないこと」ではなく、「ちょっといじるだけでどうにかなりそうなのに、何故か力及ばずなこと」が最も悔しい。ゲームセンターでついついクレジットを追加してしまう瞬間を考えれば自ずと答えは出るだろう。「もうちょっとでいけそう」な時じゃないか。対して鳩山さんが集中砲火されないのも、9億円のお小遣いに現実味が沸かないからだ。
私はこの、「手が届きそうで、でも微妙に届かない距離」が好きで、メイド喫茶というものが面白いと感じている。私はメイドさんを独占して1:1で会話できるお店があまり好きじゃない。やはり「ちょっとしたサービス」の一環で、たまにオホホウフフと会話できるのがいい。そっちの方が断然「あれ?今私、メイドさんと仲良くなれたのかな?」と妄想できる。
よく、「人は裏切るけど、ペットは裏切りません」とか言って犬や猫を飼う人がいるが、それは人間関係における負け組の言い訳だ。確かに、ペットは裏切らないだろう。しかしそれがペットというものであり、ペットは誰が飼っても裏切らない。それが面白いかと言われれば確かに面白いが、それは人との付き合いとは根本から異なるものだから比べること自体が間違えている。
やはり人間は、「いつどうなるか分からない」から面白いのであり、いつどうなるかわからない存在なのに、そう簡単には自分のものにはならないもどかしさが「アツい」のである。
余談だが、私の友人のK君は、友達が遊びに来たとき自分の飼い犬が友達の車に乗って一緒に帰ってしまい、3日間泊まって来たという事実に頭を悩ませていた。ドンマイ。

こころとからだのバランス (2009/12/20)
心を動かすことは出来ても、人間の体を動かすのはとても難しい。
たとえ「あいのり」で感動しても、実際にサバンナに行こうとはなかなかならないだろうし、途中で入ったCMの歯磨き粉を買おうとは思わないだろう。
テレビは所詮宣伝媒体であり、番組に感動されても意味が無い。感動した挙句、最後にはCMの商品を買ってもらわないと存在価値が無いのだ。
つまり、どんなに番組が面白くても、どんなに視聴率が高くても、スポンサーの商品が売れない番組はダメだということだ。だからどうしても視聴者ではなくスポンサー優先のクソみたいな番組が増えてしまう。寧ろ番組そのものの完成度が高すぎると、割って入るCMがテンポを乱し、「ゼッタイに買わない」と思わせてしまう。
「ターミネーター2」でシュワルツェネッガーが何故ハーレーダビッドソンに乗っていたのか?あれでハーレーの売り上げが劇的にのびたのは偶然なのか?「高度なCM」というのはああいう「コンテンツそのものの面白さでお客を喜ばせ、かつスポンサーにも「数字」という形で満足を与える」ものを言うのではないだろうか。
このことは、ニコニコ動画の公式動画を見ればハッキリする。あんなもの、クソの山じゃないか。閲覧数を見ても分かる通り、誰もそんなものは見たくないのだ。「ニコニコ市場」もあれが正常に作用している数値とはとても思えない。
私は思うのだ。メイド喫茶のポータルサイトやレポートサイトに、「視聴者のためになる」ものがあったのか?「見ていて面白い」と思え、かつ「お店に行ってみよう!」と思え、最終的には視聴者もメイド喫茶側も得を出来るサイトが、あったのか?
結論から言うと、「全くない」とは思わない。しかし、満を持して「ある」とは言えない。例え「よく出来ている方だ」と思うサイトがあったとしても以前#006で書いたような帰結であり、社会貢献度がとても低い。
お客さんが、お店の宣伝を見たいと思うか?お店の存在を知りたいとは思うが、お店の露骨な宣伝を見せられたいとは誰も言ってないぞ?これを誤魔化して一緒くたにするテレビ的なビジネスは、ネットには通用しにくい。何故ならテレビは垂れ流して無理矢理見せることも出来るがネットの場合は自発的にサイトを見ようと思わない限り目に触れることが無く、ハードルは確実に高いからだ。

スピリチュアル利権 (2009/12/19)
「動物占い」などのベストセラーが「どうやって占われたか」をご存知だろうか。
大抵の人が手品に種があることは知っていても、占いに種があることを知らないはずだ。というのも、手品の種はググったらいくらでも出てきたが、占いの種はほとんど出て来なかった。
メイドさんの商売に「メイド占い」という変り種がある。その絶対数は少ないものの、確実に数店舗は生き延びていることから、需要はあるのだろう。
プロの占い師に占ってもらうならまだしも、メイド服着ただけの女の子でしょう?と思うかもしれないが、そもそもプロの占い師がどうやって占っているかを知らないのに、メイドさんを馬鹿には出来ない。
夢を壊すようで悪いが、占いというのは「既存の占いの本を買い漁って、そこに書かれている「よくある」占いの結果の文章を別々に組み合わせて出来上がるのである。
つまり、占いにはホンモノもエセもない。全部がエセだ。やろうと思えば貴方も今日から出来る。要は演出の奇抜さであり、真実味をいかにして生み出すかであり、占い師のネームバリューであり、「信じる者は何とやら」であり、どこで占おうが誰が占おうが、大した差は生じないのだから。
メイドリフレと異なり結果にプロとアマの差が無いのだから、メイド占いは「お金の無駄」とは一概には言えないし、逆に無駄とも言えよう。というか、少なくとも「メイドさんだから、という理由で無駄にボッタくられる心配」が一切ないのだから、安心してメイドさんとのコミュニケーションに現を抜かすことが出来よう。
私も一時期、ある月刊誌の巻末にある「星占いコーナー」を担当していたことがある。会社から3万円渡されて、向かいにある大きな書店で占い本を20冊買ってきて、その中身をエクセルで集計。鉛筆に1から6まで数字をふって転がし続け、新たな組み合わせを模索し、毎月語尾「です」「ます」を「だ」「である」などに変えて連載していた過去がある。それでもアンケートハガキに「あのコーナー、すごく当たります!ありがとうございます!」と感謝の言葉が送られてくるのだから世の中恐ろしい。
ちなみに、最も信頼される占いの答え方は、「現在の状態に不安を煽りつつも、よくなっている、よくなっていく」というポジティブなものだ。こういう答えを出すとお客さんは喜ぶ。
大体占って欲しいなんていう人は、質問と答えが既にセットで、「それを誰かの口から聞きたい」というだけなんだから。お望みの答えを言ってくれない占い師は「ダメ・ゼッタイ」。

ギザ〓よろちくね (2009/12/18)
どんな世界にも必ず泥臭い縁の下の力持ちがいる。
娯楽というのは、提供する側にとっては「苦痛」でしかない。だから私は、どんな娯楽も「遊んでいるうちが華」だと思っている。華やかな世界ほどその現実とのギャップが激しくなるのは致し方ない。
あと半月で2010年という今もまだ、まさか「しょこたんぶろぐ」がしょこたんの手によって書かれていると信じている情報弱者はいないだろう。いるといけないので断っておくが、あれは他人の手によるものだ(ある仕事で、他の方が更新しているのを目の前で見ました)。
有名人の発言(ブログ、サイト含む)は、その「余波」を恐れてほとんどの場合ライターさんを挟む。これをお客さんの誰にも気付かれなければ「成功」だ。他にも芸能人のブログのライターさんを知っているが(私の本業は作家です)、大変な仕事だなーと思う。構成作家はテレビが廃れてもまだまだ転職の余地があると確信した。そして他人が書くから麻生さんは漢字を読み間違えたのだ。
もちろん、全てではないだろう。それでも全体のうち「半分」はそういうこともあるということを頭の片隅にでも入れておいたほうが、心の傷が少なくて済む。
さて、メイド喫茶のメイドさんのブログやmixi日記がメイドさんの手によるものだと思っているなら貴方は幸せ者だ。店によっては、メイドさんによっては、ご自分の手で書かれているものもあるだろうが、約半数は店長の手によるものだと思っていい。大丈夫、「アイマス」なんて100%社員さん(アルバイト含む)のメールだから。
私は「メイドさんと交換日記が出来るオプションがあるメイド喫茶」なんてのが台頭してくるんじゃないかと3年前から予想していた。最近では「メイドさんとメール、1日1回、1週間1000円」など徐々に広まりつつある。だがメールでは強力な販促にはならない。やはり手渡しが原則で、お店に来させなければ。これも日記を持ち帰らせたりメイドさん個人の力量に任せるとややこしくなるので(何より統制が取れない)、いっそのこと店長が読んで返信内容を決めて、それをメイドさんの字で書かせれば成り立つのではないか。
というのも、先日某メイド喫茶でチェキを撮影したところ、その子が忙しくて代わりに店長が「落書き」して寄越したことに起因するのだが。17歳と言っていたのに、「よろちくね!」の字は30代の野郎。ありがとう。

神様の嘘 (2009/12/17)
ゲームというのはルールが分かっても実際にプレイしない限り、「アツさ=面白さ」は分かり辛い。それが分かってないソフトメーカーは挙ってトンチンカンなゲームを出すが、市場の反応は言わずもがなである。
メイド喫茶も同様、メイド喫茶の「どこが面白いのか」をきちんと理解出来ていない経営者は揃いも揃ってヘンな店を出店する。「どこを面白いと思うかなんて、個人の自由じゃないか」と思う無かれ、それならどうして人気店と不人気店が分かれるのか。この世は個人の感情にも明確な「基準」があるのだ。基準があるから、企業のフロントの女性もエレベーターガールも皆美形ばかりじゃないか。
経営者は誰だって「いい店を作りたい」と思っているだろう。だが、この「いい店」というのが私達お客にとってなのか、経営者にとってなのかは分からない。
「メイド喫茶のどこが面白いかなんて個人の自由だ」という人はちょっと視点を変えてみよう。もしも貴方がメイド喫茶を経営するとしたら、と考えて欲しい。そうなると「どの店を選ぶかは、お客の自由だからね」なんて悠長なことが言えるか?他店に人気が集まり、自分の店に客が来なければ、「ウチの店にはダメな所がある」と考えざるを得ないのではないか?
このように、「お金」という存在は、立場を変えるだけで地球を簡単に180度逆に回してくれるのである。
これは「給料日」というものを考えればよく分かる。労働者は給料日を「待ち遠しい」と考えているが、経営者は人件費という名目で会社のお金が一度に出て行くのだから、「最悪な日だ」と思っているに違いない。
「お金」というものをひとつの視点で捉えているうちは、お金を儲けることはできないだろう。
もう一度メイド喫茶に戻るが、私達お客が「面白い」「感動的」「癒される」「楽しい」などと思う店が必ずしも客が入り、儲かるわけではない。経営側からすればこの世に「お金」がある以上、「儲かる店」こそが素晴らしい、となってしまい易い。だからどうしても、「いい店」と「お客が入っている店」にはズレが生じてしまう。
このように、「いいものを作れば売れる」わけではない。そして「売れたものが必ずしもいいものではない」。そういう価値観の板挟みの中に私達は生きているのだ。

ガラパゴス化現象 (2009/12/16)
メイドさんの商売に「メイドリフレクソロジー(以下メイドリフレ)」というものがある。これは「メイドさんに軽いマッサージをして貰う」というもので、喫茶とは異なり1対1のコミュニケーションがウリである。
厳密に言うとマッサージではなくリフレクソロジーであり、「リフレクソロジーは医療行為ではない」という法解釈に基づくもの(流行の「膝枕の耳かき」もこれにあたる)で、施術に関しては免許不要である。そうした背景とともに成長したビジネスだ。
もちろん、その中にはきちんと研修を行い、一定のレベルに達さないメイドさんをクビにしている厳しいお店もある。お客さんとしては同じお金を払うならこういうお店に行きたいものではあるが、「メイドさんの可愛さ優先」となると状況が変わってくる。
これは、私の友人のとあるメイドリフレのメイドさんの話だ。バイト初日、お店のシステムや作業の流れを聞いた彼女は、先輩のメイドさんに「あの、それで肝心のリフレのやり方を・・」と尋ねたそうだ。すると答えは「えっと、タイマーを持っていって、30分経ったら帰ってくればいいからね。」だったという。さすがに「え・・そういう意味じゃなくて、研修とか無いんですか?」と聞き返したが、「ああ、お客さんはね、ただ身体に触ってくれればそれでいいの。」というサプライズな答えが返ってきたそうだ。
メイド喫茶・リフレの評価に関して私は一定の基準を持っている。それは「対応してくれたメイドさんによってフィーリングが激しく変動する接客」をする店はダメだ、ということだ。メイドさんによってだいぶ接客態度が異なるといのは、わからなくもない。しかし、店員の態度というのはその店の総意であるというのが社会の常識である。例えば貴方がシャープ製の液晶テレビを使っていて、操作がわからない部分があってシャープのお客様センターへ電話を入れたとしよう。そこで「そこは○○ですね」と答えてくれた。この受け答えは、「シャープとしての答え」のはずだ。決して個人の答えではない。それどころか、通常「個人の意見」を仕事中にお客様に述べることは禁止であるというのが常識だ。メイド喫茶ではある程度それが許容されているだろうし、個人の意見もサービスの範疇である部分があるが、それらはあくまで「おまけ要素」であり、おまけを高く評価するお客が増えるとそちらを優先し過ぎてこのメイドリフレのような歪なお店が出来てしまうことになる。
これは一種の「ガラパゴス化」であり、早計するのはちょっと違うのではないか。どこまで行っても「基本あってのおまけ」であってほしいと願っているのだが、皆さんはどうだろうか。

カリスマ (2009/12/15)
メイド喫茶のポータルサイトを個人で運営している管理人は、まるで「守護神」みたいなイメージが漂うが、実態は一癖も二癖もある人が多い。誰とは言わないが、過去何人も「怪人物」を見てきた。
私が「声優界で言う大山のぶ代」位に思っていた大御所レポートサイトの著者はだいぶ煙たがられているようで、私が取材に行くといい話をひとつも聞かない。「アポ無しで来て、メイドも誰も知らなかった。」「撮影許可も掲載許可も出さなかったのに、店の外見の写真を無断で載せられた。」そんな話の連続である。また、その友人連中もかなりキモチ悪い。「あの人の知り合いだ」ってことを引き合いに、サービスをせしめようみたいな外道ばかりだ。見ていてマルチ商法の布教みたいにも見える。本当に、「ひとつも」いい話がない。
また、某メイド喫茶ではメイドさんとの軽いトークの最中に、私の2つ左の席にいた知らないご主人様に無理矢理割って入ってこられたことがある。30分くらいマシンガントークを展開し、やっと帰った・・。メイドさんに尋ねると「ここだけの話、いつもああなんで迷惑してるんです。でも店長に言ったら、結構お金落とすからあんまり邪険にも扱うなよって言われちゃって、、すみません。」と謝られた。それから1年ちょい。ぼーっと深夜番組を見ていたら、「アキバのカリスマ」として見覚えのある顔がブラウン管(14型)を埋め尽くした。そう、マシンガントークのアイツである。ナレーター曰く「彼は秋葉原をくまなく見渡せるブログの管理人」らしい。正直たまげた。
私がメイド喫茶で一番嫌なのは、「空気の読めない隣の客に話しかけられること」である。お金を払ってメイドさんに萌えに来たのに何故見ず知らずのむさいご主人様に話しかけられる筋合いがあるのか。しかも女だからか、見境のないナンパが多いのも迷惑である。
以前、某メイドバーで散々話しかけられて嫌過ぎて店を出たことがある。その男性はメイドさんにも終始下ネタをふり続け、最終的には出入り禁止になったらしい(店長談)。それからだいぶ後になって知ったことなのだが、彼はこの界隈では有名な「メイド喫茶本」を出版している人だったから驚きだ。
私はせめて、いいと言われなくても、悪いと言われることのないようにメイド喫茶で遊びたいと思う。このサイトがあってもなくても、それだけは心に決めてきた。
私には人を見る眼がないのだろうか、それとも彼らのオーラの消し方がハンパではないのか。後者だとしたら、一体何の為に。

柳原可奈子 (2009/12/14)
メイド喫茶には所謂「痛い客」がいるのはお約束である。
メイド喫茶とはロールプレイであり、お金を払って使用人とメイドという寸劇を演じるものである。故に、客にもそれを最低限要するというのが私の持論である。これが理解出来ていない「空気の読めない客」が「痛い客」の正体だ。
ただしそれは度が過ぎても痛い。ある店ではメイドさんの名札を目ざとく見るや否や、「おい、○○(呼び捨て)。ちょっと紅茶を運んできてくれ給へ」なんて言うご主人様を見たことがあるが、これも例外なく痛い客である。また、お客がコスプレして帰宅するというのも痛い。店によってはコスプレでの来店を禁止しているところもあるほどだ。ある店ではシルクハットにステッキという素敵(洒落じゃない)な格好で、若干引き気味の「おかえりなさいませ」の掛け声に「ただいま」と答える紳士気取りのご主人様を見たことがあるが、私が抱いた感情は「この格好は、家からなのか、それともどこかのトイレで着替えたのか」だけである。
こんな風に言っていても私が痛い客でない証拠はどこにもないが、せめて以下のことを気にしているつもりだ。
まず、「呼び止めない」。メイドさんとのおしゃべりはあくまでサービスだからだ。
次に、「早く店を出る」。場合によってはポイントが倍もらえたりするのでおいしい。
最後に、「人並の注文を」。ジュース一杯+つまみくらいは注文したい。
何度も言うが、メイド喫茶は料金形態から言っても「大人の遊び」である。大人の遊びは「かっこよく、スマートに」をモットーにしてもらいたいものだ。
メイド喫茶を「女の子とのコミュニケーションの場所だ」と考える人も大勢いるだろう。これをウリにしているメイド喫茶も多いし、決して悪くはない。だがそうだとしても、飢えた雷魚のようにどこまでもがっつくのはよくない。それにコストパフォーマンスで考えれば、万札をひらひらさせながら駅ビルに服を見に行けば、女性の店員さんが最低30分は引止めに来てにこやかなトークをプライスレスでしてくれるはずだ。というのも私は6年ほど前、都内の駅ビルで服屋の店員をしていたことがあるのだが、漫画に出てくるような古典的なクソ上司に「客と話をあわせろ。男の客にはお茶の一杯も付き合え。場合によっては携帯の番号も教えてやれ。」と教育されていたからだ。それで辞めたんだけど。

カレー1800円 (2009/12/13)
メイド喫茶には「高くても客が入る店」と「安くても入らない店」があるのはご存知の通りだ。
私も一応外食産業に関わってきた経歴があるので、メイド喫茶で出されるフードメニューが「どこ」のメーカーのものか位は出てきたものを見れば大体分かる。例えば、全く同じ既製品のケーキを出す癖に値段が同じビル内のテナントなのに200円違う。他にも、あそことあそこの出すパスタが両方ともユーシーシーフーヅのものだとか、そんなのはザラ。これは「どう出すか」の違いであり、そして大切なのはこの200円の差をどのように考えるか、である。
並の考えなら全く同じ商品であれば1円でも安い店へ行こうと思うが、もし高いほうの店が混んでいるのなら、そこは「お金はしっかり取りつつも、満足度は高い」店であり、人気店の証である。メイド喫茶にはこういうことがあるから商売としてのうまみがあると言えるだろう。
私は客目線なら同じ商品であれば安いに越したことはないが、これは商売であるから経営者目線であれば「安ければ万事OK」とは思わない。メイド喫茶は無形のものに価値をつけて売る商売だ。しかし同時に、人気のない店やこれといった強みのない店は値下げによって生き延びることが出来ると思っている。もし低価格をウリにしても客が入らないようであれば、それは既に「終わっている」店だ。そして高価格の強気な営業は「人気店のみの特権」だと思うのだが、「それが分かっていない店が多すぎる」というのが現状なのだ。
オープンからいきなり「カレー1800円(チャージ別600円、ドリンク一律600円)」という仰天メニューを出してきたメイド喫茶がある。これを説明するなら、一言「オープン前の自店の格付けを、人気店と読んだ」であろう。大抵メイド喫茶がオープン前の自店の格付けをする際にソースにするのは「他店の元人気メイドを雇った」か「宣伝に抜かりない(と思っている)」かのどちらかで、そういう店に限って、店の方向性はスッカラカンになる。もう安心しているから、凝る必要がないのだ。
オープン前に自店を人気店と読んだメイド喫茶は、その営業方法に問題がある場合が多い。いわゆる「最初から抜きに来る」である。最近では強気な価格設定ではあれど、それでもプレオープン期間中は席料無料などのキャンペーンを展開したりとまだ客寄りの営業努力が見られる店もあるが、同時に妥協一切無しの店もあり、後者の方がはるかに数で上回っている。
商売とは普通「スパン」で集金計画を練るものだ。いつまでに元本を回収し、いつから黒を出していく。この回収スパンが短くても許される店とそうでない店があり、そしてそれを決めるのは、自分ではなくお客様であることを忘れてはいけないのではないか。

私の知らない誰かが騙されている (2009/12/12)
どんな商売でもそうだが、中身に凝っても客が来なければ始まらない。ドアを閉めてその中でわいわい楽しんでいても、ドアを開ける前の大衆に向けて中の面白さを発信しなければどんなに面白くても商売としての存在意義はない。マクドナルドなんてもうTVCMを打つ必要はない程に認知度は高いはずなのに、それでも連日バンバン打つ。それは、マクドナルドがどんなに力を入れた新商品を作っても、まずその存在を大衆に認知させなければ始まらないからだ。
メイド喫茶も同様で、成功するためにはまず宣伝ありきである。しかしながらこの業界の宣伝費は高い。実は宣伝費ほど投資するのが怖いものもない。どれくらいの費用対効果が見込めるのか分からないまま(ある程度の実績についての資料は提示されるだろうが、その信憑性を裏付けるソースはない)バカにならない大金を要求される。効果がうっすら売り上げに影響してくるのは広告の期限と契約が丁度切れる頃で、実に上手くできている。「ただお金を損しただけ」なんていう話はそこらじゅうで聞く。
雑誌やフリーペーパーであれば、発行部数を「刷った数」と差し替えて、水増し発表する。サイトであればユニークアクセス数を「総アクセス数(重複カウント)」で発表する。
そもそも、水増しして言っていることくらい常識的に誰でも知っているのに水増しするのは意味があるのだろうか?と思うが、それでもやるのだから、100円パソコンと一緒で「私の知らない誰かが騙されている」のは確かだ。
勿論効果のある媒体であればいいのだが、そうでない媒体と外見で区別がつき辛い。このせいで、メニューの料金が上がるのである。宣伝にかけた費用は当然お客様から回収するのだから、余計な水増し請求のおかげでコーヒーの値段が、オムライスの値段が、無駄に上がるのである。実に馬鹿馬鹿しいことだ。
無駄な広告費を抑えるためにメイド喫茶がまずやるべきことは、「○○を見た」イベントを開催することである。例えば「メイド喫茶ジャーナルを見た」と言うお客様にささやかな割引をしてその人数を数えれば、メイド喫茶ジャーナルが広告としての価値がどれくらいあるのか把握できよう。ウチは非営利だから余裕でこういうことを提案できるが、営利サイトだと実力がバレてしまうので絶対オススメしてこないはずだ。健闘を祈る。

あんたこの世をどう思う (2009/12/11)
同じものを買うなら、誰だって安いほうがいい。立地、内容、その他諸条件が全て同じなら、高価格と低価格なら低価格の方がお客様の満足度は高いはずだ。
秋葉原のメイド喫茶がここ数年で「低レベル化」しつつ、かつ「高価格化」しつつある。いや、レベルは同様なのかもしれないが、高価格化したおかげでそれに見合わないから低レベル化しつつあるように見えるのかもしれない。さて、問題は「何故高価格化しつつあるのか」だ。
単刀直入に言えば、その根源は家賃の高騰にある。外神田の雑居ビル界隈ではメイド喫茶ブームが台頭して来る「前」、来た「後」で明らかに家賃相場が変動した。家賃の上がる理由については簡単で、「その値段でも入る人がいる」からだ。その値段でも入る=儲かる商売があることの証左でもあり、それがメイド喫茶であることは想像に難しくない。メイド喫茶はビルオーナーにとって金蔓なのだ。
もし現存するメイド喫茶の家賃が一律、月額5万円下がったらどうだろうか。オーナーのポケットにまるまる入るかどうかは定かではないが、サービスの向上や商品の質の見直し、販促グッズの製造委託など、お客の満足に間接的に繋がることにその5万円を使えるだろうし、場合によっては値下げだって出来る。
家賃の値上げがメイド喫茶の質を落とすことは分かっていただけただろうか。ということは、この負のスパイラルの元凶は、より高い家賃でもテナントに入りたがる野心を持った新規開店のオーナー連中がどれだけボッタくるヴィジョンを持っているのか、ということに尽きる。メイド喫茶がどんどん増えていくということは、それだけ儲かるということであり、それだけボッタクリも増えるということの証なのだ。
もちろん中には客の気持ちとエンゲル係数を理解し、「いくらなら納得できるか」を追求したお客様満足度重視のメイド喫茶もあるだろうが、この世の中はどうしても金である。誰かの言葉に「金は鋳造された自由である」というものがあるが、よく出来た言葉だ。金が無ければ自由にもなれない、金がなければ正義を主張することも出来ない。それが今の日本の構造なのである。お客様重視の素敵な経営方針は、素人を騙くらかして濡れ手に粟で手に入れた売り上げ金を持った悪徳店のオーナーに踏み潰されてしまうのだ。
「今、勢いのあるメイド喫茶」は得てしてボッタクリであることをお忘れなく。

いいわけ (2009/12/10)
よくある常連の言い訳に、「ここはメイド喫茶じゃないから」というものがある。というのは、執事喫茶だったり鉄道居酒屋だったりモビルスーツバーだったり、とにかくイロモノ系のコスプレ飲食店の話だ。
あれらは業界人にも客にも、カテゴライズは確かにメイド喫茶(バー)である。違うというのは常連の後ろめたさ故の最後の「逃げ道」であり、私がこのコラムで何度も話している「何者かでありたいオーラ」の一種だ。断言できるその理由はただひとつ、「メイド喫茶が無ければ、絶対にオープンしなかったから」である。
商業的に見ても、「メイド喫茶が流行っていて、それを見て作った」という評価は免れない。私が唯一、メイド喫茶を見て真似したとは思えなかったのは池袋の執事喫茶「スワロウテイル」であるが、これも社会的な評価は亜流メイド喫茶の域を出ない。メイド喫茶がなければオープンしなかった、というのはかなり大きいウェイトを占める。
逆に「メイド喫茶が無くてもオープンした」、と言い切れる店は業界に一軒もない。メイドリフレもまた、メイド喫茶の亜流である。だから私はこのサイトの題名を「メイド喫茶ジャーナル」とし、全てを一緒くたにまとめた。
ここに何故か異様なまでの怪気炎を上げる人がいるが、黒い人間ほどその黒さとはわざとらしいまでの距離を語りたがるものである。そんなに後ろめたいなら通うのを辞めなさい。
いいじゃないか、メイド喫茶で。萌えで。「遊び」に妥協するな。俺(私)はメイド喫茶で萌え萌えだ!これでいい。だって、なんと言い訳しようとも「貴方が通っているのはメイド喫茶の仲間だ」ってことは誰もが知っているのだから。
メイド喫茶は恥ずかしい遊びなのだろうか?私はそうは思わない。寧ろオタクというサブカルチャーの華々しい一面ではないだろうか。あんなに流行った「ナタデココ」だって「生キャラメル」だって、メーカーはさすがに200軒もない。過去200以上も乱立し、淘汰が一巡した現在もまだ根強くファンが残るこの業界。もっと堂々としていいはずだ。
それに、社会的な理解を得ようとするのはそもそもオタクではない。「電車男」を見て一念発起したオタクなどこの世に1人もいないと確信している。

土足で踏み込め (2009/12/09)
取っ手のついたコップがある。取っ手の無い側の真横から垂直に見てみると、このコップに取っ手が付いていることが分からない。無論、コップを回せば分かることだが、コップは回せても地球を回すことは出来ない。
何を言いたいかと言うと、世の中というのはこのコップだということだ。片方ばかりから見ていては、全体がどんな形をしているのかさえ把握できない。それでいて知ったかぶりをするのだから人間とはなんと愚かなのだろうか。
有能な弁護士になるためにどんな勉強が必要なのか詳しくは知らないが、本当に人というものを理解するためにはセレブの相手ばかりしていればいいわけじゃなく、場合によってはホームレスと話す必要だってあるだろう。画家だって、ゴッホの絵ばかりを見て勉強すればいいというものではない。場合によってはガロのバックナンバーを全巻読む必要だってあるはずだ。
この世は人の心の裏側が分からない奴は必ず滅びる。
客の入らないメイド喫茶は、ご主人様、お嬢様の本音が分かっちゃいない。「いい」と口で言ったから、本当に「いい」と思っているかは別問題である。
人間というものはどうしても演技しながら生きざるを得ない。上司の前では部下の演技、親の前では子供の演技、友達の前では友達の演技、彼氏の前では彼女の演技・・。哀しいかなこれが人間の本性である。
不人気店を観察していると、どうしても「いい」と言われたからその通りやりました、みたいな構造が多い。おいおい、その「いい」は社交辞令だぞ?ワンマン店長が、雇っているメイドさんに尋ねて、「いいんじゃないですかねー」と言われたのをそのまま採用したような店は得てして不人気店である。個人商店はただでさえ選択肢が少ないのだから、イエスマンばかりを残すのは本当に自殺行為だ。「ダメですね」とハッキリ言えるメイドさんを、客を、もっと大切にしてほしい。
遊びとは「風」である。人生は無風ではつまらない。メイド喫茶は私たちの退屈な日常に、「ドキドキ感」という小さな風を起こす場所であってほしい。それには人の本音にぶつかっていく勇気が必要なのではないか。
「現場でウケたものは、客にはウケない」。覚えておいたほうが、傷が少なくて済む。

せめて、人間らしく (2009/12/08)
ガラス張りの美容院では、顔面偏差値の低い客が入ってくると店の奥の席へと案内する。奥へ案内されたことのある方にとってはとても失礼な話ではあるが、以前バイトしていたので間違いない。
キャバクラやホストクラブでは、泥酔客やヤクザ・チンピラ風、同業者と思われる客については入り口付近の席へ案内する。入り口というのはバタバタするので落ち着かないから早く帰りたくなるのだ。たとえ後払いの店でも、こういう人種からは後で揉めそうなのでしっかり前金で取る。逆に会社社長さんや常連さんなど「上客」は奥の落ち着いた席へ案内し、ホステスやホストと「しっぽり」させる。
つまり、座らされた席で店側が貴方を「どう思っているのか」が分かるのだ。
実はメイド喫茶というのも同様で、美容院やキャバクラよりも客単価に対して「痛い客」の絶対数は多いので、より選別の必要がある業態である。誰だってそれなりに通っていれば、「そろそろ自分はお店やメイドさんからどう思われているのだろうか」と気になるはずだ。それは指定された席の位置でおおよそ把握できよう。もしかすると全くマニュアルに無い店もあるかもしれないが、それは単にズボラなだけで普通は最低限、考えて座らせるものである。
意味も無くメイドさんと一番話しやすい席へ案内されれば、貴方は常連としての仲間入りであり、空いているのに話しにくい場所へ案内されれば貴方は痛常連としての仲間入りだ。
ただし、常連として認められたのが「メイドさんにとってのいい人」なのか「店にとっての金蔓」なのかは判断が難しい。実は今、「ジャーナル目安箱」のコーナーで「メイド喫茶へ行くときの予算」について皆さんの意見を集めているが、なるほどかように分かれるものだと頷かされた。まだまだ募集中なので是非とも参加してほしい。
私は常々思っている。好きな人にお金を無駄遣いして欲しいですか?そりゃ「遊び」に対する最低限の「大人のマナー」はあれど、限度を超える必要など一切ないのではないだろうか。
遊びとはいえせめて、人間として見て貰いたいものだ。財布だと思われては情け無い。

頭脳戦艦ドリーミン (2009/12/07)
クソゲーと呼ばれるゲームがある。文字通りクソなゲームのことだが、その中でも私が最も罪深いと思うのは、「売れたクソゲー」である。
売れていないクソゲーは、被害があまりないので致し方ない。クソだから売れなかったとも言えるし、売れてない=値下げするだろうから、値崩れぶりからヤバい香りを感じ取ることも出来るため、地雷具合は低い。
問題は売れたクソゲーである。大々的に宣伝した人気作品の続編やキャラクター版権モノなどがこれにあたる。ついつい名前だけで売れてしまったり、ダメな奴ほど着飾りたがるもので宣伝に異様に力が入っていて、無知な大衆を煽ってくれる。当然売り上げに比例して被害者も増えるので、「あなたにとってクソゲーとはどのゲームですか?」と聞けば自然と上位に名前が出てくる。これぞクソゲーだ。
しかしクソゲーが悪いのではない。確かにクソゲーはゲーム業界全体にとって「悪」だとは思うが、売れたクソゲーがあるのは何を隠そう消費者である私たちに買う前の判断力がなかったのが一番の原因である。
この世は、騙すことはあっても、騙されてはいけない。
さて私が許せないのは、「客が入っているクソメイド喫茶」だ。いや違うな。「クソメイド喫茶に入る客」だ。
無論クソなので客はほとんどが一見さんなのだが、これが腹立たしい。彼らは派手な宣伝や強引な客引きに連れてこられた「可哀想なヤツら」なのだが、それでも最低限のキャッシュを落として店を無駄に潤わせることには問題ないのだからますますいけない。もう少し事前の情報収集をして欲しいものだ。
ゲームに良ゲーとクソゲーがあるのは周知の事実だが、メイド喫茶にも良メイド喫茶とクソメイド喫茶があることは何故かあまり知られていないから、私が代弁しておこう。クソメイド喫茶は実はたくさんある。初めて買ったゲームがクソゲーならその時点でゲームというものを投げ出すだろうが、メイド喫茶だって同じ。初メイド喫茶がクソなら、もうどこにも行かない、信用しないだろう。
各オーナー殿に問いたい。貴方のメイド喫茶は、「メイド喫茶初体験」なご主人様・お嬢様を100%・・とは言わないまでも、50%以上満足させることができますか?人に「あそこへ行ったよ」と話したとき、「なんであそこなの」と言われない自信がありますか?こんなことを、是非一度自店で自腹切って遊んで、考えてみて欲しい。

メイド喫茶不感症 (2009/12/06)
オリンピックでは風邪薬等を含め薬物の使用が禁止されているというのは有名な話だが、ではオリンピックの裏番組で「ケミカルオリンピック」というのを始めてみてはいかがだろうか?
スピードレーサーがけしからんなんて生ぬるいことは言わない。そこでは筋肉増強剤やロボトミー改造手術などなんでもあり。即座に今までの様々な世界新記録が更新されることは間違いない。
アホか、と思うかもしれないが、ではどちらが視聴率を獲るか考えてみようじゃないか。私なら、とりあえず一度は見てみたいと思うだろう。そこでどう思うかは見ていないので何とも言えないが、少なくとも開催第1回目なら確実に普通のオリンピックより人気が出るはずだ。そこで今までの常識では考えられなかったとんでもない記録更新が出まくればたくさんの人がもう普通のオリンピックには戻れなくなるのは想像に難しくない。これが容易に理解できるのは、「オリンピックもそろそろ、イマイチ盛り上がりに欠ける」と思っている人が大勢いることの証だろう。
さて、メイド喫茶業界における「記録更新」を業界人が誰も目指していないから、業界の規模が衰退していくわけだ。一つ前の話でも触れたが、まったり系の最上級もわいわい系の最上級もとっくに明らかになっているのだから、それを少し改善するだけでいいじゃないか。なのに何故改悪ばかりなのか?何故分からない?まさか@ほぉ〜むへ遊びに行って、不満がひとつもなかったとでも言うのだろうか?それは不感症だよ。
私がこのサイトの「評価」で、満点をつけた店がひとつもないのはそれが理由である。万人が不満をひとつも出さないということはさすがに無いからだ。
人気店へ行って、不満を紙に書き出せ。なんなら店内で書き出せ。思いついたら即、書き出せ。そしてそれを口に出して読め。これくらいのことを「もうとっくにやった」というくらいでなければ、メイド喫茶を語る資格はない。人間は、良くされたことには鈍感な癖に不満は一生引きずるんだから、それを利用しなくてどうする。

王道は2つ (2009/12/05)
私には1つの疑問がある。それは、「メイド喫茶の王道とはどんな店で、それは誰が決めたのか」ということだ。
元祖メイド喫茶と言えばキュアメイドであるが、あそこをカテゴライズするなら「まったり系」と言ったところか。対して知名度ナンバーワンで言えば@ほぉ〜むだが、あそこは真逆の「わいわい系」である。
さて、ほとんどのメイド喫茶はこの2つに大別されると思うのだが、どちらが「王道」なのか?
メイド喫茶を一言で表すならどんなイメージ?と人に聞けば、恐らく返ってくる答えのダントツ1位は「萌え〜」だろう。これはマスコミの力が大きいと思うが、事実なのだからしょうがない。しかしマニアに聞けば「キュアだろ」「メイリだろ」でファイナル・アンサーだ。この乖離が板ばさみを生み出すことは#020でも話した通りである。
つまり、テレビをはじめとするプッシュ型メディアというのは世論を反映しているわけではないということがよくわかる。しかし「流行っているから取り上げた」のと「取り上げたことで流行った」のは、一般人にはどうにも同じに見えるのだ。一般人だけではない。マニアだってマスコミの情報操作に勘違いさせられている部分はたくさんある。だからやはり、「萌え〜」が王道「ということになっている」のだ。マニアだから納得行かないけど。
またメイド喫茶には無縁の知人にメールで聞いたところ、「キャバクラ?ご主人さま〜だっけ?いやらしいサービスがあるの?」という返事もあった。これも、間違えてはいるけど正しい大衆の反応ではある気がする。
人間というのはどうしても自分の「好き嫌い」を判断の基準としてしまう部分があるのは否めない。だけどそれでは落第だ。平均的な意見というのを身につけるためには、自分とは正反対の感覚を持つ人のことも考えなくちゃいけない。
こう説明されれば正反対ながらどちらもクオリティに納得のいくキュアメイドと@ほぉ〜むだが、本当に問題なのはこの説明でもさっぱり納得の行かない「立ち位置」にいる店だ。アンタは何がしたいんだ、とオーナーに尋ねたくなる店があるじゃないか。「ウチはどっちでもないんですよ」って、何も考えていなかった言い訳だろ。

今の日本はまだ甘い (2009/12/04)
一番堅実に儲かる外食産業は何か?と聞かれたら、答えは「立ち食いソバ屋」だ。立ち食いソバなら、いわゆる「職人」がいらない。経営者には大した経験もいらない。また、味で勝負する必要もなければ値段で勝負する必要もないし、外装や内装に凝る必要もない。大々的な宣伝もいらないし、回転率は最高。唯一必要なのは「立地」の強さだけである。そこはキャッシュさえあればこの不景気どうにでもなる。要するに、金をかければ出来る、ということだ。
もし私の手元に自由になるある程度のお金があり、何か外食産業をはじめようかと言ったら真っ先にこの立ち食いソバ屋をはじめるだろう。
逆にはじめたくないのは「メイド喫茶」である(いきなり自己否定)。立ち食いソバと徹底比較するが、まず「人件費」が嵩む。カリスマ的なメイドさんも必要で、そのヘッドハンティングにも力を入れる必要がある。個性的なメニューの研究もある程度は必要だし、他店の分析も欠かせない。内装や外装も、居抜きでなければ最低で500万はかかるだろう。また宣伝は必須である。特にネットでの宣伝費に比重がかかる。回転率は最悪。客はメイドさんと話すことを目当てにくるから、下手するとジュース一杯で半日粘るなんてことも茶飯事だ。立地条件もイイに越したことは無い。このように必要な要素が多すぎるくせに、客単価は800円程度と低い。
それでも何故やるのか?その答えは「化ける」可能性を秘めているからではないだろうか。立ち食いソバは、確実性がある代わりに行列が出来るなんてことは聞かない。だが、人気メイド喫茶ともなれば一日で捌ききれない量のお客が外に列を成し、閉店の時間には何人かに諦めて帰ってもらう、そんな店もあるのだ。そう、メイド喫茶の経営とはギャンブルと紙一重なのである。
メイド喫茶というのは、金だけかければいいというわけじゃない。これは私の持論だが、金より気をかけてほしいと思っている。宣伝費に比重を置いて大々的にアピールする店は、確かに最初はその裾野も広いが、心が足りないのですぐに客が飛ぶ。この商売はリピーターなくして成り立たない。
人気の出る店もあれば、出ない店もある。運なく途中で倒れ、ビルオーナーという強欲なコンドルを養うのは力の無かった経営者たちだ。
彼らは皆それぞれに自分というものを、人生というものを、ある程度は覚悟して賭けて来ているはずである。それにしてはニッチな店が多いのは、実はバカなのか。そうか、今の日本バカでも店一軒持てる位の小金持ちにはなれるんだなぁ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と安心してしまう私がいる。

「黒」「青」「赤学バ」 (2009/12/03)
私も大人なので「どこ」の店とは言わないが、最近の秋葉原は道を歩けばとにかくある店のメイドさんに「メイド喫茶いかがですか?」と客引きをされる。以前なら駅前でチラシを渡される程度で済んだが、今は受け取ろうものなら手からチラシを離さずに10mはついてくる悪質な店が幅を利かせている。あれはもうチラシ配りでも何でもなく、キャッチセールスそのものだ。
そのやり口は巧妙で全てが計算づくだ。例えば、声をかけてついてくる連中というのは平たく言えば「メイド喫茶を探していた」ということであり、メイド喫茶を探していた人が通る道を選んでメイドさんを配置しているのである。「そんな道あるかよ」と思うかもしれないが、あるじゃないか。「@ほぉ〜むカフェ」へ行く道だ。合言葉は「@ほぉ〜むに入る前を狙え!」らしく、とにかくえげつない。
執拗な客引き=ボッタクリであることは言うまでも無いが、あまりに酷い場合は警察へ届けるといい。道交法では「進路妨害をしてはいけない」や「通行人の目の前に立ってはいけない」、「腕を掴んではいけない」などいくつもの規制があるので、それらが露呈すれば即刻営業停止もある。そもそも、道路使用許可証の定義では物品の配布のみの制限がある。「物品(チラシ)の配布」と「客引き」は別だし、2006年から客引きは全て禁止されたため、これは迷惑防止条例違反でもある。違法なことをして売り上げを上げるのは、一線を越えさえすれば誰でも出来るのだから、才能でもなんでもない。
違法な行為をメイドさんにさせるようなメイド喫茶は、どんどん淘汰されていくべきだ。所轄だって通報数が多ければ腰を上げざるを得ないだろうし、何より「やたら客が入っている」こと自体が違法行為をしているのではないかと勘ぐる理由にもなる。(普通に営業していたのでは、爆発的に客が入ることはないだろうというものだ。警察の判断は基本的に全てがコレ)「違法なメイド喫茶の客引きが多くて、秋葉原の街が歩き辛い」。この由々しき流れを断ち切るためにも、どこか一軒が摘発されれば他もなりを潜めざるを得ないと思うのだがいかがだろうか。

ディスクローズ (2009/12/02)
もうお店がなくなって1年以上経過するので時候かなと思う。今日は職場にありがちな「女の子同士の争い」や「派閥」について書きたい。
メイドさんと言えど所詮は女の子だ。女の職場につき物なのが「陰険なイジメ」。これは先輩後輩の関係が出てくる業態ゆえどうしても、切っても切れない関係にあると思う。
では私が過去、壮絶なモノを見てしまった体験をば。
某メイド喫茶で、閉店の時間が近づいてきた頃である。私もお会計を済ませてそそくさと店を出ようかと思ったところ、仲の良かったメイドさんに呼び止められて小さな紙を渡された。席に戻って開いてみると、「お店が終わったら、遊びに行こうよ」と書いてある。
別にこの後の用事はなかったのでOKとアイコンタクトを送り、片付けや掃除を待っていた。そのとき事件は起こったのだ。
シフトリーダーのメイドさんが店長に報告の電話をかけた。「お疲れ様ですー。今日の売り上げは・・」聞いてどうしようというものでもないので、気にかけずにいた私。しばらく話した後、メイドさんはこう切り出した。
「それと、あの新人の子いるじゃないですか。あの子早く辞めさせた方がいいですよ。今日もお客さんにグッチのバッグを強請ってましたから。店のイメージが悪くなると思います!」
なんとそんなことが・・。私は部外者ながらもどうしても気になって、後でファミレスへ一緒に行ってなんとなく聞いてみた。「さっきの話し、聞こえちゃったんだけどさ・・」
すると答えはこうだった。
「ああ、あれね(笑)。全部ウソ。個人的にああいうタイプ、性に合わないから早く辞めてほしくてさー。だから最近、ウチら(そのときのシフトのメイドさん全部)で連日入れ替わり立ち代り、ああいう報告を店長にしてるの。」
ある人が言った。「頭のいい人とは、東大生のことじゃない。人に嫌われない人だ。」至言である。

@SWEET (2009/12/01)
@SWEETという店がある。10月末秋葉原にオープンしたばかりで、場所はおでん缶で一躍観光名所となったチチブ電機の2階。実は今日からウチのこのサイトとタイアップ企画をやらせていただく。
実は最近私は他店の社長とひとつ賭けている。それはこの店が「いつ潰れるか」だ。
一点の曇りもない直球で言うが、このままなら、このまま消えていくことは確実だ。私がアドバイス出来ることは、「マニアの皆さん、早く行っておかないとポイントカードがゲット出来ませんよ」。それくらいしか浮かばない。
それでも52という高評価をつけたのには理由が2つある。
ひとつは「まっすぐ」だから。最近の新規出店はどれもこれも目新しさを狙って「○○風」「○○系」などプラスαで期待感を煽ろうと必死だが、ドアを開ければ30秒で期待ハズレを実感せざるを得ない。所詮は全て「イロモノメイド喫茶」に過ぎないからだ。ソレらと比べると、ストレートで「メイド喫茶」とうたったのは評価できる。無駄に期待しなくて済むし、純粋なメイド喫茶としての良さを堪能できよう。
もうひとつは「ガツガツしない」から。どんなに優良な店だって、売り上げを伸ばす為に空いたコップがあれば「おわかりいかがですか?」くらいはメイドさんが言葉によるプレッシャーをかけてくるものだが、ここにはそういう気分の悪くなる要素は一切無い。よく言えば客思い、悪く言えば経営下手ってところか。
つまり「最近主流になりつつある流れに逆らった」というのがどうしてもウケない理由なのだと思うが、客目線で言えばこれはありがたいことでもあったりするのではないだろうか。
パッと花咲いてパッと散る。最近のイロモノ系の店にはこんな安い言葉がピッタリだが、ここには「パッと咲く要素」がないだけで、決して悪くない。
今秋、秋葉原では何軒かのメイド喫茶の新規オープンがあった。その中でも予算的に最も手軽(フード類が最も安い)で最もハイクオリティ。イベント期間中に良かったら他の店も含めて一通り「巡って」みて、何故ジャーナルが52と評価したか納得していただけると嬉しい。

不満と企業努力 (2009/11/30)
どんな商売でもそうだが、客の不満が多い店というのは儲かっている店である。客が来ない店は値段を下げたり接客態度を改めたりなどの企業努力を迫られるから結果として客の満足度が高くなるが、現状儲かっている店ではそのような努力は特に早急に必要がないため、客の目には怠慢な営業に見える。
大手チェーンの家電量販店と、個人経営のアットホームなゲームショップ。私が客なら、新作ソフトの予約は絶対個人のお店にしようと思う(最近では個人経営のゲームショップは絶滅寸前だが)。なぜかと言うと、客の痒いところまで手が届くサービスが期待できるからだ。それに比べると量販店は薄利多売を追及しすぎてお座なりになっている部分が多いことくらい、行かなくてもわかる。例えば、どんなに通ったところで店員さんが私の顔と名前を覚えることはないだろう(クレーマーは別だが)。
それでもどうしても客は宣伝の派手な大手へ行きたがる。事前の判断力がないから、どうしても宣伝から得た情報だけで店を決めるしか方法がないのだ。しかし、その大衆からお金を集める商売を始めると決めた以上、彼らの求めるものは何なのかをしっかりと見極めなければ成功は難しい。
宣伝にお金を湯水のように投資できるなら、早い話がどんな店でも人気店の仲間入りだ。では、ソレができないならどうすればいい?
メイド喫茶は感情移入の必要がある労働形態である。例えばCAなんかもそうだが、私が大枚叩いて旅行へ出かけるなら、どうせどの航空会社でもスピードや値段には大差ないのだから、極論「サービスのよさ」を求めるであろう。故に、細かいところまで手が届くか否かが人気のメイド喫茶に要求される絶対条件のひとつになることは間違いない。先日秋葉原の某メイド喫茶へ半年振りに帰宅したのだが、たまたまその時と同じメイドさんが接客してくれて、「もしかしてあの時の」と覚えていてくれた。こういう小さなキモチの積み重ねが「何度も行きたくなる」メイド喫茶を創り上げていく重要なファクターになるのである。
メイド喫茶という商売は、数字ゲームのようで、断じて違う。怠慢で強引な営業を続ける店は、今だけ限定でうたかたの夢を見ているといい。

コンプラチェック (2009/11/29)
最近「メイドさんとゲームが楽しめる」というメイド喫茶が増えているが、オセロやジェンガなどのボードゲーム系ならともかく、WiiやDS、プレステ2やXBOXなどのテレビゲームを置いている営業形態には疑問が残る。
某メイド喫茶ではオープン前に任天堂やソニー、マイクロソフトへ質問状を送り、「客にゲームをプレイさせることで対価を得ていいか」と聞いたところ、全て答えはNOだった。もしも無断で使えば、法的措置を採らざるを得ないという。
2001年1月31日、兵庫県の漫画喫茶が権利者(ソフトメーカー)に無断でプレイステーション2をプレイさせたということで、漫画喫茶の経営者らが逮捕されているのは記憶に新しい。あれからもいくつか摘発された漫画喫茶はあるが、メイド喫茶も「いつ摘発されてもおかしくない」状況には違いない。
他にもアニメDVDなどを大画面液晶テレビやプロジェクターで上演しているメイド喫茶が多々見られるが、どれも無許可、いつ摘発されてもおかしくないというシロモノである。もっと言えば、店内でかかっているBGMすら法律に抵触する無許可モノばかりだ。こんなビジネスが正当化されていいとは到底思えない。
さて、それでは何を使っていいのか、という話になるが許可がなかなかどこからも出ないのであればこれは「オリジナル」に限る。店内BGMだったら、インディーズで音楽を作ってくれる業者に頼んで2曲くらいはお店のオリジナル曲を作り、それをメイドさんにでも歌わせればいい。下手な販促グッズを作ってばら撒いても集客への結びつきが分かり辛いが、歌ならCDを常連客に売ることもできるから原価の回収も出来る。CDならプレスせずにCD−Rでオンデマンドで焼けば不良在庫を大量に抱える心配もない。
ゲームはじゃんけんやトランプなど権利が絡まないものを使って、ルールを店のオリジナルにすればいい。複雑なルールだと短時間では客が理解し辛いだろうから、運に任せた数当てゲームとか単純なものにする。そんなゲームに価値はないと思うなかれ、ゲームを注文することで例え負けてもメイドさんのオリジナルメッセージカードが貰えるだとか、メイドさんの価値に依存したメニューにしてしまえばいい。
「バレたらマズいこと」は、やるな。

あなたは今、どこにいますか (2009/11/28)
昔からよく言うが、「好き」の反対は「嫌い」じゃなく、「無関心」だと思う。嫌いというのはどこか悔しいわけで、同時にどこかを賞賛しているんだ。頭のいい人に言い包められて虐げられてもそれは確かに「酷い」が、結局残る評価は「相手は頭が良くて、自分は馬鹿」なんだから。
となると、話題に登る人・店・出来事というのは全て大衆の「関心」があるということになる。例えば、2ちゃんねるで「ここはボッタクリ」と書かれたメイド喫茶があっても、これは、「値段設定がメチャクチャなのに、どうして潰れない(=お客さんが入っている)のだろう?」という妬みの心理の意趣返しだ。そりゃあこの書き込みがどう考えたっていい風に作用するとは思えないが、何人もの人がそれを読めば「本当だろうか」とか「具体的に、どうボッタクリなんだろう」とか気になってお店に行く人が出てくるのも事実で、逆にお客さんを増やしてしまう可能性だってある。取り様によっては「キワモノが好きな奴はココ行ってみろ」とも取れなくも無い。
世の中、どんなにイイものを作っても「嫌い」という人が必ず出てくる。万人に平等にウケるということはまず不可能で、こちらを立てればあちらが立たず・・なのは言うまでも無い。
例えば、女の子にモテモテの男の子がいるとしても、好みのタイプは十人十色なので全部の女の子からモテるとは限らないし、モテる男の子は男の子の中で嫌われるだろう。これは多分僻みなんだけど、「嫌い」は=「僻み・羨ましい」だったりして、一概に蔑ろには出来ない。
初心者向けのメイド喫茶を作ればマニアには「子供騙し」と叩かれ、マニア向けにすれば初心者が近寄らない。かといって両方をカバーしようとするとどうしても大味になってしまい、どちらにも受けなかったりする。ではどうすればいいのか。
私は、「自分の立ち位置」をまずハッキリさせることが大切なのではないかと思う。マニア向けなのか、初心者向けなのか、とにかくハッキリさせること。業界内での自分の立ち位置、格付け、そういったものを見極めていく必要がある。人間はとかく自分を見ることが出来ないのでこれはお客様に判断してもらうしかないが、決して無理にナンバーワンになろうとする必要はない。どの層を狙っていくのかというのが今後メイド喫茶の生き残りの課題となるのではないだろうか。

差し入れ古今東西 (2009/11/27)
ご主人様、お嬢様からの「差し入れ」「プレゼント」は、キリがなくなってしまうので一切受け取らないとしている店舗もあれば、完全フリーダムな店舗もあり、個体差がまばらである。その中で、「変わったモノ」を見た記録をちょっとだけ書いていこうと思う。
まずは「謎の液体」。あるメイドさんが自身のブログで「ちょっと体調が悪い」とぼやいたことに目をつけたご主人様が「自家製」の強壮剤?を持ってきた。これが、お弁当なんかに入れる小さなビニールの「醤油入れ」に入っていて、しかも液体は白濁色だったというがこれは違法なかほりが漂うのでここらへんでお開き。
続いて「ペアネックレス」。俺の身代わりだと思ってつけてくれ、だそうだ。ノーコメント。
それから「テニスラケット」。普段はレイヤーさんなメイドさんが他のご主人様に「今度イベントでテニプリ合わせするんですよー」と話していたのを聞いていたご主人様が、翌日新品のテニスラケットを差し入れた(たまたま二日連続居合わせた私)。
そして「海馬デッキ」。「遊戯王面白いですよねー」と言っていたメイドさんに、翌日海馬デッキを8セット差し入れたご主人様(これも居合わせた)。
「焼いたCD10枚」。プレゼントするなら純正買え。
「DS本体とマジコン」。カセット10本買ってやれ。
どいつもこいつもロクなものをあげてない。
差し入れの王道は「ケーキ」「ドーナツ」などの軽食類だと思う。それでも用心して、表向き「ありがとうございますー」と言って裏に持って行きつつも全部捨てるのがセオリーではあるが、「手作り卵焼き」をタッパーに入れて持ってきたご主人様もいた。おいおい、食べるわけないだろ・・。

メイド昼キャバに見る哲学 (2009/11/26)
「メイド喫茶って、極論、安いキャバクラですよね」という話はよくあるが、私も強ち間違えてはいないと思う。水商売と一緒にされたらメイド喫茶のメイドさんが怒るかもしれないが、誤解を覚悟で今回は記事を書こうと思う。これは人間の心理に関する大事な話だからだ。
先日、私が2006年にメイド喫茶デビューした初めてのお店の社長さんと会ってお話してきた。そのお店は残念ながらもう閉店してしまって、今社長はメイド昼キャバなるものを経営していた。ちなみに、元のメイド喫茶時代のお店は、何を隠そう全国200件近く巡った私の中の「最高水準のメイド喫茶」であった。
社長はメイド昼キャバを「キャバクラ嬢がメイド服着てるだけでしょ」と思われたくはないということで、キャバクラなのにオムライスにお絵描きがあったりツーショットチェキがあったりとユニークに富んだ経営方針について語ってくれた。そしてとても興味深い話を聞いた。
メイド喫茶時代は、所謂「アミューズメントメニュー」が売れに売れたという。アミューズメントメニューというのはつまり、チェキだのゲームだのといった無形のサービスである。しかしこれがキャバクラに業態変更したら、全くと言っていいほど出ないと嘆く。
つまり、メイド喫茶というのはメイドさんを独占してコミュニケーションを取ることがほとんど出来ないので、その代わりにアミューズメントメニューを注文することでメイドさんを短い時間独占する権利を買うような商売であって、キャバクラになると女の子が横について接待するので、その必要性がなく概ね満足してしまうということである。やはりメイド喫茶はキャバクラだったんだと理解した。いや、メイド喫茶というのはキャバクラから接待を取り除き料金を下げ、接待メニューを別売するという商売なのだ。
というわけで、アミューズメントメニューの売り上げが芳しくないというオーナー様。ここはひとつ、注文なき場合はメイドさんがお客様に話しかけるのをもう少しセーブしてみてはいかがでしょうか?ここに客単価アップの秘訣が隠されているような気がします。

すべらない話「ネットラジオ」 (2009/11/25)
メイド喫茶にまつわる「面白い話」は、3年も全国を巡っていれば本4冊分(我ながら中途半端)くらいは蓄積してきたつもりだ。その中から今日は、「変わったご主人様・お嬢様」ではなく、「変わったメイドさん」についてお話ししよう。
新人メイドのHさんに店長さんがこう言った。「明日はお店のサイトで使う写真を撮影するから、1時間早く来てね。」どの業種でも無断欠勤・遅刻は厳禁だが、ここから世にも奇妙な物語が始まってしまうとは予想だに出来なかっただろう。
翌日、彼女はなんと2時間遅れで出勤してきた。当然、無断で。店長さんが震える拳を握り締めながらロクヨンの振動パックのようにぷるぷる震えつつ「何考えてるの?」と聞くと彼女はこう答えた。「すいません・・ラジオの収録が長引いてしまいまして・・」
「え?ラジオなんか出てるの?」「ええ」「そうか・・まぁ今回は仕方ないとして、連絡くらいはちゃんとしろよ」「わかりました、すいません」「で、何ていうラジオ?俺も聞きたいんだけど?」「えっと、ネットラジオです」
大体のオチが読めたかと思うが、店長はネットラジオの存在を知らず、「へぇ、ネットのラジオに出演しているのか」と歓心しきりのご様子。
ネットラジオをご存知の方なら分かると思うが、ネットラジオというのは自宅のパソコンにマイクデバイスを繋いで録音し、それをサーバーにアップロードするなりして公開するというもので、ごく一般的に言う「ラジオに出演」ではない。平たく言えば、自宅で自分が趣味の範囲で録音して、趣味の範囲で垂れ流す、というものなので、何時から何時まで収録なんていう縛りは一切無く、全て自分の裁量である。だから「ネットラジオの収録で遅れた」は「プレステで遊んでて遅れた」と同義なのだ。まったく、不思議ちゃんというか何というか・・
コレを聞いて私はネットラジオがどんな風にして収録されるのかを店長には説明できなかった。「へぇ、ラジオですか。すごいですね。」なんていう大人の受け答えをしてしまって申し訳なく思う。

QRコードの罠 (2009/11/24)
メイド、他業種関係なくここ最近よく目にするのが「QRコード」でのメルマガ登録による割引制度である。今ここで空メールを送ればサワー1杯無料!なんていう居酒屋はいくらでもある。
これはお客様としては携帯をポチっとするだけだし、お店側からしても個人情報を貰うわけではないので何の障害もなく・・と見えるが、実はものすごい盲点が隠されている。そう、「ドメイン指定受信」である。
結論から言うとこの会員登録はお店側にとってもお客様にとってもデメリットが大きいのでやめておいたほうがいい。最近は迷惑メールが横行しているので携帯電話を買った瞬間からデフォルトで「パソコンからのメールを受信しない」という設定になっているものがほとんどなのである。メルマガのほとんどは店のパソコンから一括送信するものなので、これが受け取れない。それどころか、空メールの返事である「会員登録できました!」のメールすら受け取れないのだから話にならないのだ。
大半のお客様はこれの存在すら知らないまま使っているので、解除の仕方も分からない。こんなところで店内でモメても仕方がない。
メイド喫茶でコレを導入して結果、ロクなことにならなかったという話はよく聞く。「メルマガ登録してくれた方は、初回のみチャージ無料!」とか「ドリンク一杯無料サービス!」とか、種類はなんでもいいが、そこでドメイン指定受信の罠にかかってしまい、「じゃあもういいや、ちゃんとした料金払うよ」ということになる。店としてはありがたいかもしれないが、結果としてメルマガを送れないからリピーターを逃す可能性が出てくるし、客は客で「損をしちゃったなぁ」という印象ばかりが残ってしまう。つまり双方に得の無いシステムになってしまうのだ。
どうしてもお店の新着情報を見せつつ、かつ初回のみ割引システムを押し出したいなら、新着情報ブログをつくり、そこをブックマークさせればいい。メイドさんの目の前で携帯電話でブログをブックマークしてくれたら割引。これですんなり行くのだ。だからフライヤーやスタンプカードなどの印刷物にQRコードを刷る際には、メルマガのメールアドレスではなく、ブログのサイトアドレスを載せておくべきである。

アウフヘーベン (2009/11/23)
遊ぶだけなら誰でも出来るが、ではメイド喫茶でメイドさんとしてお給仕する女の子が、メイド喫茶というものをどう捉えているのかを考えてみて欲しい。
夢を壊すようで悪いが、女の子から見れば一言、「割に合わないバイト」に尽きる。クオリティの高い接客を要求される割に給料は喫茶店並。頷けなくもない。従って、それでも働く女の子というのは余程メイドさんのバイトが好きとか、かわいい制服のバイトがしたいとか、そういうことしかなくなる。
メイド喫茶というのはメイドさんという余剰価値で儲ける商売なのだから、ガチンコで勝負する普通の喫茶店と比べればべらぼうに儲かる。なぜ儲かるかと言うと、女の子の「頑張り」に値段がつくからだ。頑張りというのはつまりタダ。タダのものがお金になるのだから、これほど楽な商売はない。普通の喫茶店やバーが従業員の制服をメイドに鞍替えするのも分からなくも無い。
それなのに給料は喫茶店と似たようなものとは、何かバランスがおかしくはないか。いや、宣伝費や初期投資にかかる金が違うとは思うが、それは経営者側の目線であって、アルバイトのメイドさんからしたら全く関係ない。というわけで、とても働き辛い職場だったりするのである。
その分、遊ぶ側からするとこれほどいいものはない。今まで男性が「女の子がいるお店で・・」なんて言えば少々お値段の張る水商売くらいしかなかったが、今はメイド喫茶という便利な選択肢がある。
誰かが得をするということは、誰かが損をするということのアンチテーゼでもある。メイドさんの給料をカットすれば当然やめてしまうだろうし、メイドさんがいなければメイド喫茶ははじまらないからここは切れない。しかしあからさまな値上げやオタクの足元を見るような高単価メニューをごり押しするとなるとさすがに見限られる。ここで重要になってくるのが「いかにして無形のものに価値を付けていくか」というメイド喫茶というものの根底部分の問題になってくるのだ。原価30円のドリンクを600円で売っても、それは商売だ。ただ、「それでも仕方ない、店で過ごす時間が楽しいから」と言われる店作りを本当に出来ている、しているのだろうか?ただの喫茶店なら380円のところを600円取るのだから、差額の220円に「他には無いここだけの満足感」という余剰価値をきっちり乗せて欲しいのだ。この差額は何を隠そうメイドさんの産物なのだから。

求められる「モノ」 (2009/11/22)
地方のメイド喫茶というものは、秋葉原や日本橋のメイド喫茶の経営とはワケが違ってくる。求められる「モノ」が違うからだ。
地方のお客様というのはほとんどが「メイド喫茶初体験」。故にステレオタイプなメイド喫茶というものをマスコミによって植えつけられてやって来るのがほとんどだ。つまり、彼らを満足させるものはステレオタイプなメイド喫茶ということになる。
所謂メイド喫茶というものに初心者が持っている期待感というのは、「おかえりなさいませご主人様(お嬢様)!」の掛け声、オムライスにケチャップで「落書き」、そして「ツーショットチェキ」、この3つと言われている。これらの要素はマニアの間では「不要のもの」とされているが、初心者には「必須」であり、水と油とも言えよう。
確かにこれのどれかが欠ければ「あれ?テレビと違う」となり、「メイド服の女の子がいるだけの謎の店」となるだろう。テレビの力とはそれほど強大なのだ。それを私たち一個人の力で捻じ曲げることは出来ないのだから、ならば流れに逆らわずそれを利用するというのが賢いだろうし、何よりお客様の為になる。
確実に満足してもらうには、それらをきちんと味わってもらう必要も出てくる。秋葉原では初回のみ高額な席料を要求するといった自傷行為ともとれる店舗が見受けられるが、地方でそんなことをしたらただでさえ少ないパイを無駄に取り逃がすことになる。むしろ初回のお客様のみチェキ1枚無料サービス!くらいの度量が必要だ。そしてそこで、「なるほどメイド喫茶ってのはこれくらいのお金で遊べるのか」と、新たな常識を作ってしまえばいい。
秋葉原の店を地方に持ってこよう、それだけを考えるのは誰でも出来るが、「誰にでも出来そうで、実は誰にも出来ないこと」をやらないと、価値がない。当たり前のことを出来てこそ、初めてそこに「お金を落とす価値」が生まれてくるのではないか。

ポイントカード特典「放置プレイ」 (2009/11/21)
私が今まで、全国のメイド喫茶を巡り歩いて体験した中で最も記憶に残っている「面白い話」を、個人が特定できない形でお話ししたいと思う。(悪質なものは除く)
「それ」は、秋葉原某店で起きた。行列が出来る人気店である。私もその行列に並んでいた。すると、前に並んでいる常連のご主人様が友人を連れてきたらしく、熱く語っている。
別に聞こうと意識したわけではないが・・声が大きいのでどうしても聞こえてしまう。話によれば、どうやら友人さんはメイド喫茶「初体験」だそうだ。
「俺はさぁ!(何故か大声)メイドさんに惚れたとかじゃないのよ。純粋に、この店そのものが好きなんだよ。」
そして店内へ・・席に着くと、先に案内されていた彼らは私のひとつ右の席に着席していた。
その店は、ポイントカードをテーブルの「カードホルダー」に置いておかなければならないシステムである。彼のポイントカードが目に入った。「120枚目」。これは・・何はともあれ凄い。
すると彼らの席にメイドさんがメニューを持ってきてこう言った。「お決まりになりましたらお呼び下さい。」
バタバタと慌しく厨房へ消えるメイドさん。そこですかさず友人さんはこう言った。
「あれ?ねぇ、メイド喫茶って「萌え〜」とか言うんじゃないの?なんか対応、普通の喫茶店じゃね?」
すると120枚の彼は「馬鹿だなぁ・・(やれやれだぜ・・という、首を振るオーバーアクション付)これはな、俺みたいな常連客に対する「放置」のステータスなんだよ。もう説明しなくても分かるだろうな、ってこと。これは相当通わないと、やってくれないんだぜ?感謝しろよ?」
すごい。すごい理論だ。放置のステータス。私はあまり欲しくないが。
注文が決まった彼らは再び同じメイドさんを呼び止めた。「メロンソーダと、コーラひとつずつ。」「かしこまりました。少々お待ち・・」「あの〜」友人さんが遮る。
「このつっけんどんな感じは、常連さんだけの特権なんですかね?」
「え・・私まだ入ったばっかりなんで、そういうのよくわかりません。ではお待ち下さい。」
これはただの手抜きだと私は思う。行列が出来るくらい混んでいたし、キモチは分からなくも無い。それでも、これを常連だけのステータスと言い切って納得し120枚溜める常連さん。ぶっちゃけ、楽な客だ。
というわけで、他店のオーナー殿。御社でもポイントカード120枚特典「放置プレイ」を採用してみては?

発想の転換は大きなチャンス (2009/11/20)
日産が不景気でどうにも立ち行かなくなり、99年にブラジル人の実業家「カルロス・ゴーン」を最高執行責任者に招きいれて窮地を乗り切ったのは記憶に新しいが、何をしたかというとやはりメーンは工場の閉鎖(つまり大幅なリストラ)である。これは確かに体力を温存する意味では賢い選択ではあるが、それで日産の車が売れるようになったわけではない。
メイド喫茶で相次いでいるのが「営業時間短縮(つまり人材コストカット)」である。業界縮小の一途を辿っているこの状況を誰もが静観するしかない状況である以上、堅実な選択ではあろう。もちろん、悪いことではない。それでバランスが取れるなら、だ。しかし客が増えたわけではないので「これで何もかも上手く行った」と考えるのは早計であろう。
宣伝にも金、人材募集の告知にも金・・まるで息をするにも金のかかるような世知辛い世の中ではあるが、潤沢な資金をかけた映画が必ずしも面白いかと言われたらそれは違うように、金をかけずに売り上げを上げる方法なんていくらでもあるはずだ。
今の業界の流れは「メイド+α」である。純粋な「メイド喫茶」はことごとく倒れ、目新しさを追求するのがトレンドとなりつつある。戦国、レトロ、ハーレム、幽霊、RPG、異世界・・これらはカテゴライズでは確かにメイド喫茶だが、いずれも「どんなのだろう?」と期待させるものがある。2010年にもなって「メイド喫茶」をオープンするのは自殺行為で、今更ただのメイド喫茶ではマスコミも取り上げないだろうし、今後は益々この「イロモノメイド喫茶」のブームが到来することとなることは想像に難しくない。
これらは全て「アイディア」の産物であり、闇雲に金をかけたのとは違う(衣装を新調したり内装を変える必要はある程度必要かもしれないが、それだってアイディア次第では最低限に抑えられるだろう)。たとえ中身が今までのメイド喫茶とほとんど変わりなくとも、「面白そうだから一回行ってみよう」という大衆の原動力には十分だ。だがまだ「決定打」が出てこない。これからどんな店が残っていくのか、まだまだ余地はあるはずだ。

それは大きなミステイク (2009/11/19)
商売には必ず「お客様」が介在してくるから、そこで重要なのは心理学である。
例えば通信販売で靴を買うと仮定して欲しい。貴方は靴の専門誌を手に取った。ページをぱらぱら捲ると靴の通販専門店の広告がいくつも目に入る。
さて欲しい靴が見つかった。どうやら人気のモデルのようで、調べたところ雑誌に広告を入れている靴屋のうち5軒が取り扱っているらしい。そこでもし値段も、送料も、サービスも、どれもほとんど一緒ならその時貴方はどうやって店を決めるだろうか?
「全部一緒ならどこでもいいじゃないか」
そう思うかもしれないが、そんなことは絶対にない。潜在的に、私たち大衆はこういう状況でも「一番安心できそうな店」を選りすぐるのである。どう決まるかというと、一番のキーを握るのはまず広告のデキだ。
カラー見開き2P、カラー1P、モノクロ見開き2P、モノクロ1P、モノクロ半ページ。この5軒から選べと言われたら、どうしてもカラー見開き2Pの店が安心できそうだと直感で決め付けてしまう。何故なら、カラー=お金をかけている=お店には余っているお金がそれなりにある=例えこの靴が不良品でもすんなり交換なり返品なりに対応してくれるのではないか、と、ここまでを「外見のみ」で感じ取ったからだ。もしもここに無名の新規店が参入するなら、内容はさておきどうしても「カラー4P」の綺麗な広告でアピールするしか残された道はない。
私は商売に対し、内容に凝っても外見で損をしては意味がないと考える。商売こそ「顔の良さ」が最も問われるものだ。しかしメイド喫茶業界を見ていると、素人が30分で作ったようなケータイサイトしかないものやこれまた個人と見間違うような簡単なブログしかないもの、ひどい店になると地図がないものや公式サイトそのものがないものまである。地元の人以外はお店のために初めてその街へ降り立つことも珍しく無いが、土地勘の無い人にこれほど辛い仕様はない。
これらがどれだけ不親切で怪しくて、大衆の「行く気」を削ぐか。靴の通販の話に一理あると思うならば、理解できるだろう。宣伝ばかりに金を使い中身がクズな店は論外だが、その逆もまたダメ。どちらが客の為になるかと言われれば後者だが、「売り上げ」の絶対的存在を考慮すれば当然前者がビジネス上勝ってしまう。
「ウチは店は完璧なハズなのにどうして客が来ない」と嘆く前に、一度冷静になって自分の顔を鏡で見てみてはいかがだろうか。

スシローなのか築地なのか (2009/11/18)
100円の回転寿司を食べに行く時、高品質を求める人はそうそういない。ただただ低価格を追求するのみだ。もし100円の店と90円の店が横並びであれば、誰だって安い方を選ぶ。
それとは真逆に、いわゆる「回らない寿司」を食べるとすれば、それはそれなりの出費を覚悟するものだから、ネタや味にこだわりたい。汗水垂らした給料を叩くのだから、どこだっていいとは思わないだろう。
要は、「腹を膨らますのか、贅沢するのか」がハッキリしているということである。いや、「ハッキリさせてくれている」のだろう。過当競争が繰り広げられ、もうぺんぺん草一本残らないような哲学的に行くところまで行きつくした業界ならではのことだ。
経済白書を見れば明らかだが、大衆というのは中途半端な価格設定・品質を好まない。「安かろう悪かろうなのか、思いっきり高級品なのか」、白黒ハッキリしているものに客がつき、中間がない。300円の寿司を食べるくらいなら100円寿司でいいし、それかお金をためてもっといいものを食べたいと思う。それはギャンブル理論と一緒で、低オッズの銀行レース狙いなのか、それとも一発逆転の万馬券狙いなのか。それ以外の中途半端な倍率を買い続けることは結果として最も期待値(得をする可能性)が低いと数学上でも出ている。
私が「高価格ではあるものの、それに見合った高水準だ」と思えたメイド喫茶は、全国に1件しかない。無駄に宣伝する気はさらさらないので名前は伏せるが、「その他大勢」が多すぎてお話にならない。
逆に、「低価格で納得がいく」と思えた店も数えるほどである。全国で10軒もない。中途半端が多すぎて、「価格設定をした時、特に何も考えてなかったんだろうなぁ」としか思えない。
1000円には1000円分の、2000円には2000円分の、価値を買いたい。払った分の心が満たされなければ、お客はもう戻っては来ない。そろそろ競争も終焉を迎え、「やること全部やり尽くした」感さえあるメイド喫茶業界。「この店は何を求めて(客が)来る店なのか」。もうこれ以上中途半端はいらないだろう。

パンドラボックス (2009/11/17)
音楽CD業界最大のタブーに、「自己買い」というものがある。これは読んで字の如く、アーティストが自分で自分のCDを買うというものだ。
なぜそんな必要があるのかというと、これは「CD売り上げランキング」のせいである。雑誌でもテレビでも何でもいい、CDの売り上げランキングが発表され私たちお客はそれを見て人気を判断するものである。売れた数=人気と直結するわけではないが、それでもそれしか判断基準がないのだから、やはりどうしても売れた数=人気なのだ。不人気なアーティストがこの事実を捏造するためには、「自分(もしくは会社)で何千枚何万枚と買い上げて、さも売れたかのようにカムフラージュする」しか残された道はない。
私は全国のメイド喫茶の中で、「一番の人気店はどこか」は誰しもが気になることだと自負している。初心者ならやはり支持されている安心感のある店へ行きたいだろうし、常連の中には「そんなことはどうでもいいじゃないか、自分の好きな店に通うだけだ」とおっしゃる方も多々おられるとは思うが、自分の通うお気に入りのお店の社会的な人気が全く無ければどんなに好きでも潰れてしまうのだから、最低限の知識としては抑えておきたいはずだ。
今までは「とりあえず」その基準がなかった。だが今は違う。私は「メイド喫茶ジャーナルのアクセス解析」というパンドラボックスを手にしてしまったのだ。
私も馬鹿ではないので名前は伏せるが、実は今までも全国のメイド喫茶の人気ランキングを発表したサイトがいくつかある。ところがどれにも「計測の仕方」が書いておらず、それらは全てどうも金の匂いがするということが、メイド喫茶ジャーナルのおかげでようやく確信できた。
何故かと言うと、メイド喫茶ジャーナルのアクセス解析を逆に低い順に並べれば「不人気店ワーストランキング」が出来上がるはずだ。そこに名前が挙がって来る残念なお店が、他所の人気店ランキングでは上位に掲載されているのである。こんな奇妙な符号があるだろうか。
ここを読む皆様には、どのように解釈していただいても構わない。ただ、この日本という国で並みの教育を受け、散々マスコミの自作自演に踊らされながらも至極平均的に生きてきたつもりの私だって、これがどういうことを指しているのか、ハッキリと分かる。

マジコンのせい (2009/11/16)
ゲームが売れなくなって久しいが、業界はやれ中古のせいだやれマジコンのせいだと、他人に責任を転嫁し続けている。確かに、中古が出回れば新品は売れなくなるだろうし、マジコンは法律的に見ても以ての外だ。とはいえ、「自分の責任」に気付かない以上、今後ゲームが劇的に売れることはまずないだろう。
売れないゲームが山のようにある一方で、ドラクエ9は400万本も売れている。あれはシステムにからくりがあって1人で何本も買うようなゲームなので、純粋に売り上げ本数=プレーヤー数とは言えないが、それでも売れているのは確かだ。
メイド喫茶も同様で、人気のない店もあれば人気のある店もある。人気のない店は、不況のせいやブームが終わったせいではない。純粋に店がつまらないからだ。
ゲームもメイド喫茶も、不人気なものは「つまらないからでしょ」。これは大人のタブーである。しかし綺麗ごとを並べても、誰かが血を流さない限り状況は変わらない。現実問題として、面白いものは売れているし人気が出ているのだから。
経営者が現状を正確に理解するためには、競合の人気店と不人気店へ自腹で何度か通って具に観察する必要がある。「なるほどこんな店に客が来るわけないわ」と、ダメな店にダメな所を発見できたら、それを自分の店から排除する。そうして客の求めるものをキッチリと把握していかなければ、永遠に解決しない。
人生とは、自分のやりたいことを見つける旅だ。人によっては一生見つからない人もいる。見つかった人は幸運だ、とも言われる。
ではやりたくないことは?やりたくないことをハッキリとさせて、それをやらないというのも、幸せな生き方のひとつではないだろうか。上司にヘコヘコするのがイヤで、脱サラする。こんな生き方が出来たら大したものである。たとえそれがどのような帰結であっても、だ。それは何故か?「とても難しいから」ではないだろうか。
ドラクエ9はシステム的にも売り方的にも「大冒険」していると思う。ドラクエほどのブランドですら大冒険を時代に要求されているのだから、メイド喫茶業界がいつまでも「メイド」と言う名前の顧客吸引力に依存して惰眠を貪っている暇は無いはずだ。

宝くじで3億当たったら (2009/11/15)
消費者の決断というのは、常に「値段」で決まる。それには大きな理由がある。
もし貴方がスーパーに行ったらと考えて欲しい。今日はポテトサラダが食べたい。そこで惣菜のコーナーを見に来た。ポテトサラダは200円、ところが横でタイムセールをやっていて、ごぼうサラダが普段の半額の100円で売られているのだ。
「それでも、ポテトサラダが食べたくて買い物に来たんだから、200円のポテトサラダを買うよ」
という人もいるだろう。それはそれで、間違ってはいない。
では、貴方以外はどうだろうか?ということを、考えてみて欲しい。どう贔屓目に見ても、ごぼうサラダが先に売り切れるに決まってるじゃないか。それはごぼうサラダの人気じゃない。お金が無限じゃないからだ。
100円と200円は明らかに違う。100円の差が大したこと無いと考える人もいるかもしれないが、それは大した差じゃないと「考えた」だけであって、現実問題として財布から消えるお金の量は絶対に違う。思うか思わないかの差でお腹はいっぱいにはならないのだ。
こういう質問で「それでもポテサラ」という人に、「じゃあ宝くじで3億当たったら?」と聞くと、絶対「貯金するね。仕事は辞めない」と言うと相場は決まってる。世の中絶対はなかなかないが、これは絶対だ。自分が何者かであるオーラを出しているつもりらしい。
だが大丈夫。こういう人に限って私の見ていないところではごぼうサラダを買うし、3億を1年経たずに使い果たすから安心していい。
私たちの財布には「限界」がある。だから、必ず内容よりも先に値段に目が行く。
金儲けありきのメイド喫茶は、メニューを見た時点でピンと来る。「メイド喫茶って、儲かるらしいね」という理由だけで始めた店は、儲かれば何でもやるという空気に満ちていて、使おうと思えば1回の来店で1万円でも2万円でも使えるような価格設定が多い。
これに比べて、経営者の好きが高じて始めた店は、何より自分が客だったから客の心が分かる。どんな値段なら気軽に注文できるか、出てきた商品がこれで満足だろうか。そこが分かっている。だから、どんなに注文しても5000円も使えない価格設定だ。
さっきの質問で、「それでもポテサラ」と答えた人は、さあどっちに行きたいか?

レポサイトの功罪 (2009/11/14)
メイド喫茶を扱ったサイトの代表的なものに、「レポートサイト(以下、レポサイト)」がある。これは表向き「日本全国のメイド喫茶を趣味で巡って、取材をさせてもらった」という体であるが、これはあくまでも表向きであり、実態は「金品(やサービス)を貰ってちょうちん記事(つまりヤラセ記事)を書くサイト」に過ぎない。
何故私がそう断言できるかというと、1つの根拠がある。それは、メイドさんの写真が掲載されていることだ。
私たち一般客がメイド喫茶へ行けば、撮影無料という店(確認したところでは日本中で1軒のみ)以外で勝手にメイドさんを撮影するのは基本的に禁止である。店によっては店内や店外の写真も撮影禁止だ。どうしてもメイドさんを撮影したければ、オプションの「チェキ」の代金を支払うとか、そういう方法しか残されていない。
では、レポサイトがサイトに掲載する写真を撮るのに、金を支払うのか?という話である。もし払うなら、なぜそうまでして面倒なレポサイトを運営するのか?という、レポサイトそのものの存在すら根幹から否定する話にもなりかねない。
そこで、私が「私もレポサイトと同じように自分のサイトに掲載するんで、写真をタダで撮らせて下さい。」と言っても、それは通らない。それが通るならチェキ代を払う客がいなくなってしまうからだ。
私がダメで、彼らはいい。これは恣意的な判断である。どこの誰だか分からない女のサイトじゃ意味がないが、それなりに業界で名の知れたサイトで良く書いてもらえるなら、こっちからお願いしたい。そういうことの表れである。本来有料のものをタダにしてもらう、こんなしがらみが出来てしまうから、彼らのレポートはすべてちょうちん記事になってしまうのだ。
全部がいいなんて、取材しなくても書けることだ。果たしてこんな人たちの評価がアテになるだろうか?
「おすぎ」が特定の映画をテレビで褒めれば、それはおすぎの本心なのか、それとも映画配給会社の回し者なのか。それが表面から読み取りにくいから、皆下らない記事ひとつで右往左往させられるのである。
彼ら管理人も、最初は純粋なレポをしたかったのかもしれない。ただ、純粋なレポをするとなると悪いことを書くことも避けては通れない。すると撮影許可が下りない。写真の無いレポは真実味が薄れるため、サイトそのものの信憑性にも関わる。それに今後全国を新規出店があるたびに回るともなれば、莫大な金がいる。そんなふうに積み重ねていった結果、店もサイトも得を出来るようにずる賢くまとまったのだと思う。
私はこの轍を踏まないためにも、せめてこのサイトだけは真実を伝えていける最後の場所であってほしいと願っている。もし私のこのサイトがあまりにもおかしい評価をつけたら、それはちょうちん記事だと思って、このサイトも終わったな・・・と決め付けて頂きたい。
店と客の適切な距離感というものを、大事にしたい。決して、店とレポサイト、レポサイトと客、という関係にはなってほしくないのだ。店と客。その信頼こそが、このファン人口が減りつつある時代に再確認しなければいけないことなのではないか。

サイレントマジョリティ (2009/11/13)
所謂「メイド喫茶通い」の人たちの間で長らく話題に上っていることといえば、「いつまでブームが続くか」という話に尽きる。 「いつまで続くかねぇ」「いやもう世間的には終わってるよ」「でも全部潰れちゃうことはないんじゃないの?」なんて話がそこかしこにある。
いまや不況のあおりを受けどこもかしこも閉店ラッシュという様相さえ漂ってはいるが、秋葉原を見てみると閉店する数と同じくらいの新規出店もあるのだ。
当サイトのデータだけ見ても58軒ものコスプレ系店舗が乱立し、依然混戦模様となっている。15日に3軒ほど新規開拓予定なので都合60軒オーバー。ブーム全盛期と言われている2006年で85軒程度だったことを考えると、まだブームが終わったとは言い難い。
それでも終わったと思われるのには、こんな理由がある。
世の中というのは常に「その他大勢」が大多数を占める。2006年に「テレビでメイド喫茶っていうのを見たんだけど、面白そうだねー1回行ってみようか!」と発起してくれた一般のお客様のほとんどがもう二度と来ない理由は簡単で、「金額と店が釣り合わない」と感じたからに他ならない。このサイレントマジョリティをきちんと把握出来ていない業界人が多すぎる。
ブーム絶頂のころと比較すれば客数が減ったのは火を見るより明らかなのに、業界の流れはやれ値上げだやれ席料だである。これは全体的なファン人口を減らしてリスクの少ない金利商品に群がっている、とも言えなくない。残った客層はヘビーユーザーかつ高い客単価層となるわけだが、このまま高客単価至上主義が続けばいずれは彼らをも失うことになりかねない。
私はもっと淘汰されていいと思う。いくらなんでも最近は、金額設定が乱暴な店が多すぎる。もちろん商売だから儲けちゃいけないとは思わないが、座っただけで2000円、しょぼいランチが1000円。お昼ご飯食べてジュース飲んで3000円も取る店が正常とは思えない。ものには適正価格というものがある。
私たちマニアが、本当にメイド喫茶が好きで、今後もあり続けて欲しいと思うのなら、まずその乱暴な店に行かないことである。行かないことで、「彼ら」の目を覚ませてやって欲しい。

コレクター道、ここに極まる? (2009/11/12)
読み辛い経済ブログみたいになってギスギスしてきた感があるので(苦笑)、今日は手放しで笑える話をば。
私は自他共に認める「メイド喫茶マニア」である。メイド喫茶に行くことのマニアでもあり、ポイントカードやチェキのコレクターでもある。
さて、どれくらいの数を集めたら人に自慢しても大丈夫なレベルなのだろうか?という下らない議論を、私が今まで見てきた想像を絶するハイレベルなコレクター達を例に、話して行こうと思う。
まずポイントカード。1店舗で見たことのあるのは、最高で「271枚目」で残念ながら店が閉店。1枚満タンにするのに3万円かかるお店だったので、単純計算でも実に813万円(!)のキャッシュが一人から搾り取られた計算である。もっとも、端数は切り捨てなので交通費などを含めるとざっと1000万円と計算してもおかしくはない。オタクの懐をナメちゃいけないですね。
それからチェキ。大抵のご主人様お嬢様は50〜100枚くらいの所有数になるとメイド喫茶に出かける時は必ずファイルごと持ち歩いて、同じチェキコレクターを発見するや否や見せびらかして自慢するという行為に出るものとされているが(笑)、以前850枚ほど毎日持ち歩いているご主人様を九州で見たときはさすがに驚いた。自慢がどうとか、痛いとかじゃなく、純粋に重いよ。
私は現在1600枚ほど所有しているが、それでも店舗数的には150店舗以上分となる為、1店舗にすると平均10枚ほど(最高でも1軒100枚強、最低1枚、とバラつきがあるため)にしかならない。
ところがどっこい(死語)、よく知る某店の常連客はある1店分だけで4800枚持っている。彼の「買い方」がこれまた尋常ではない。毎週土曜日しか店に来ないのだが、入ってきてすぐに「メロンソーダと、チェキ50枚。」である。メイドさんもポーズが尽きてしまい、最終的には「宿題」となり、チェキを持ち帰る。で、私服で撮ったり、外で撮ったり、最後の最後には飼い犬を撮ったり私物を撮ったり、出勤初日で飛んだ(バイトをバックれた)幻(悪い意味で)のメイドさんのチェキが30枚ほどあって、店長が「そんな子いたっけ?」と驚いていたりして。
さすがにメイドさんが映っていないのは、「メイド喫茶のチェキ」と言えるのかよく分からないが、彼曰く「メイド服で撮られてももう飽きちゃいましてねぇ。私物って、普通は見れないからレアでしょ?」だそうだ。でしょ?と力強く言われて、返す言葉は「はぁ」しか出ない押しの強さ。これも2008年末の時点(閉店前)での話。現在の彼がどの店に移ったかは不明。まさかすんなりこの道を卒業するとは思えないので。
というわけで、日本一を目指すなら一店舗でポイントカード300枚(300周)、チェキ5000枚くらいからはじめて土俵に上がれるということで、私はその資格を持っていない。

ビックリマンシール論 (2009/11/11)
メイド喫茶の魅力といったら、何と言ってもメイドさん(店員さん)に尽きる。これは、一世を風靡したビックリマン「シール」と「チョコレート」の関係に似ていると私は考える。
ビックリマンは、99%の人がシールを目当てに買ったはずだ。チョコレート(ウエハース)は私は好きだったが、チョコレート目当てに買うなら、他のチョコレート菓子のほうが種類も豊富である。つまりシール欲しさに欲しくも無いチョコレートを買わされる、というビジネスである。
だけど私は、あのチョコレートは結構おいしかったと記憶している。食べずに捨てる子供たちがニュースになったが、あのチョコレートが超ニッチな感じだったら、あんなに売れたとは思えない。それには根拠がある。
メイド喫茶に来るお客様のほとんど(ほぼ全部)は、メイドさん目当てで来るのである。「ランチがおいしい」「紅茶がおいしい」などともっともらしい理由をつけても、大半は世間体のためである。ゆえにメイドさんの魅力=店の魅力となっているのが現状であり、店が「自分の店は、価値がある」と確信する要素はただひとつ、「メイドのファン(固定客)が多い」ということだけになっている。何が言いたいかと言うと、「店そのものに魅力が無い」のである。これはとても怖いことだ。
いささか乱暴な表現を承知ですれば、「メイド喫茶という看板をつけて、椅子と机を並べて、ありきたりな冷凍フードメニューをひっぱってくればハイ完成。あとは可愛い女の子がいればいいんでしょ?」というメッセージにもとれる。こういう店を作ってしまう経営者は、きっとオープン前に勉強しようと遊んでみたメイド喫茶が、こういう店だったのだろうと思う。しかし今、自分で自分の店を本気で面白いと思っているのだろうか?
これをビックリマンに置き換えると、「ビックリマンが売れたから、ウチも類似品やります。チョコレートの大きさはコストダウンでビックリマンの半分。だけど値段は1.5倍。その代わり、シールがとっても綺麗なんですよ」とでもなろうか。ほら、言葉にするとすごくおかしい。
ビックリマンは、この「バランス」に秀でていたのではないだろうか?チョコと、シールと、値段。この3つの要素が納得の高次元だったのだ。客もバカじゃない。メイド喫茶だってこのバランスのいい店だけが、数々の戦争を生き残ってきたはずだ。
もう「メイド喫茶」というビジネスが出来上がってから何年も経っていて、業界は成熟に成熟を重ね、マニア客を取り合うゼロサムゲームでしかない。ではマニアになればなるほど、目が肥えれば肥えるほど、どういう店に通いたがるのか?賢い方ならもうお分かりだろう。

ボッタクリメイド喫茶とは何ぞや (2009/11/10)
大人の「遊び」とは、どれくらいの値段が適正なのか。これはとても難しい問題である。
私が思うに、最も時間効率のいい遊びは「テレビゲーム」だと思っている。ハードはさておき、ソフトはどれも5000円程度。モノによっては一生遊べるゲームもあるし、少なくとも1週間以上はプレイできる・・と思う(クソゲーでも私は金額分は遊んでやろうと思うので)。
次に、映画。映画なら、1800円で2時間は潰せる。レディースデーや映画の日などのサービスと併用すれば1000円程度で観れるし、中身にかかっているお金を考えると、だいぶ安い買い物だと思う。
逆に高いのは、パチンコ・パチスロ。映画1本分の「2時間」きっかり遊んだら、下手したら3万じゃきかない。また、ゲームセンターも結構出費が嵩む。まさか100円玉1枚握り締めて行く人はいないだろう。
その中で、「メイド喫茶遊び」というのはどれくらいかかるものなのか?それがこの業界には一切信頼できるソースがない。だからこそ「これは高いのか、安いのか」と混乱を招くのである。
北は北海道から南は九州まで、日本中をそれなりに巡った私の感想としては、「ドリンク一杯飲んで雰囲気をひとしきり味わったら帰る」というなら1000円、「せっかく行くんだからそれなりには楽しもう」と思うなら3000円、「もうめいっぱい、心行くまで楽しもう」と思うなら5000円以上は用意しておいたほうがいいと思う(いずれも純粋な喫茶営業)。
この基準はあくまでも用意しておくといい金額であって、それが高いか安いかは個人の価値観によるものだから、5000円かかる店がボッタクリかどうかは人それぞれである。そしてめいっぱい楽しみたいなら、それは「ドリームクラブ」や「ラブプラス」の方が遥かに安くつく、ということでもある(笑)。それでも私がメイド喫茶に足繁く通う理由は、「人」というものが面白いからだ。これは決して、ゲームでは味わえない。ほら、ゲームも一番面白いのは対戦ゲームでしょ?

傷付け合うのはそろそろやめよう (2009/11/09)
最近のメイド喫茶の悪しき慣習として、「席料(チャージ料)」というものがある。これは、座っただけでお金を取られるシステムだから、お客は当然「それだけのことがあるのだろう」と期待する。要するに、店のハードルを上げてしまうわけだ。私は、これほど無駄なシステムはないと考えている。
経営側から言えば、客単価を上げたい一心であるのだろうけれど、たかが500円程度の客単価アップを目指すのなら、どうせなら気持ちよくドリンクを一杯追加注文させればいい。そんなことは分かっているのだけれど、方法が分からないというのであれば、一度自店というものを客目線で見直すべきじゃないかと考える。
まず、すべての経営者がするべきことは「ニーズの高い店作り」にあると思う。加えて、「金を落とす価値を創造していく」必要もある。この2つが圧倒的に足りない新規出店を多々見掛けるが、どれも見切り発車すぎるというのが私の持論である。
まず、お金を使いたくなる要因として、「いくら使えば偉いのか」を明確に打ち出すために、「ポイントカード特典」があげられる。1000円1ポイント、20ポイントで満了。満了時には、メイドさんと集合チェキ。これだけではよくある設定だが、そこにワンポイント付け加えるだけで、立派な経営戦略となる。
例えば「ランチメニュー」の金額を、1000円ではなく980円に設定する。こうするだけで、ランチだけで帰る客は0ポイントとなるので、もうひとつ、何か注文したくなる。同様に、500円のドリンク1杯でも0ポイントである。0ポイント=来店した意味が無い、という概念を定着させていくのは、店の空気作りでもある。
売り物は、フードやドリンクでなくても良い。例えば、ラミネートカードを作り、価格設定を300円にする。これなら、2700円の会計をする客がカードを買う可能性も出てくる。300円なら程度なら手が出やすいし、原価率で言えば1割にも満たない上、賞味期限もないから保管も効く。
他にも、注文した商品を席にメイドが運ぶ際だけ、軽くおしゃべりする、というマニュアルを徹底するというのも追加注文を誘発する上では非常に大事な要素となる。客はメイドさんと話したくて来るのがほとんどなので、注文する=少しの間メイドさんを独占できるという「お約束」は重要なファクターである。となると、すべきことは「話題マニュアル」を作ることだ。一見の客には「メイド喫茶は初めてですか?」、常連の客はメイドにノートでもつけさせて趣向を覚えさせるといい。黒を出している店は、そういう点で違うのである。
席料を取ると、客には「高い店」という記憶だけ残り、店側は一瞬客単価が上がった錯覚を見るが、実際は上がったのではなく平均レベルに追いついただけで、最終的にはリピーターがつかない。要するに、双方ともに損をするシステムなのだが、分かっていて、それでもどうにもならなかったのか、最初から努力するのを放棄しているのか、自店もお客も傷付けるだけの店が多いのは非常にもったいないことだ。



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