091208082「(自分の)腹を痛めたわが子を助けてやるのはあ足り前で、(由起夫に)話せば恩着せがましくなるとおもった」という母からの巨額の援助を、「まったく知らなかった」という息子の言の信憑性は、銀のスプーンをくわえて生まれた人間でしか分からないことである。僕ら貧乏人には所詮理解を超えている。それはともかく、鳩山献金問題の初公判がこの29日開かれた。政治資金規正法に問われた秘書・勝場啓二に検察は、禁固二年を求刑し、即日結審した。これに弁護側は、政治腐敗の危険性も悪質性も皆無として、猶予付きの判決を求めている。東京地裁での判決は4月22日の予定である。これに対して、自分は法律の専門家でないから、よくわからないが、不思議な裁判であると感じる。氏素性の良し悪しという運命に抗えるとでも思っているのだろうか。

11k異論もあるとおもうが、近親者の寄付、平たく言えば私財を投げ打って、政治を行うことが、なぜ美談でなく罪なのか、素人には分からない。
鳩山家(右;リビング)で育ったことが、庶民の嫉妬を買ったとするなら、なぜ皇室の生活に疑問を持たないのだろうか。三代目で財を成したのがいけなくて、神武神話をもとにした万世一系ならいいのだろうか。ならその中間の徳川家はどうだろう。何代栄華が続けば「成り上がり」として、大衆の怨嗟を浴びなくて済むのか、全然理解できない。脳梗塞の患者だから理解不能で、健常者は鳩山家を憎むのが常識なのだろう。多分。

藤山愛一郎という総裁候補は「銀の匙」ならぬ「絹のハンカチ」で大衆に人気があった。タイプは違うが、私財を投げ打って永田町に騙された人物には同情が集まり、おなじく私財を投げ打って永田町に騙されなかったひと(実際は騙されているかも)は許せないという心理が不明である。

生まれた環境はおろか、生まれること自体が、「運」に他ならない。生後も億万長者になるひともいれば、貧乏神とお友達になるひともいる。よしんば金銭があっても、難病や不治の病で死のカウントダウンのひとも少なくない。本人の努力次第という神話は偽であって、99パーセントは「運命」である。否100パーセント「運」だといっても過言ではない。問題は所詮「運」に過ぎない人生なのに、他者と比較して「嫉妬」が生まれることである。これは醜い。

長生きもいれば、短命もある。天国もあれば生き地獄(私のような)もある。すべては運命のなせるわざ、ヘルスケアで200歳まで生きたひとはいない。いくら努力しても三億円の宝くじにも当たらずホームレスを続けているひとや、怠惰でもアラビアの石油王子に生まれ、巨万の富をもてあましているひととも会った。すべては「運命」であるというしかない。

運の実例をいえば、自分である。学校でトップだったが今は世間で最下層である。一時は数億円を持っていたが、いまは数十円しか持っていない。異性は星の数ほどいたが、現在孤独死寸前のフーテン老人である。しかるに、人生はすべて運命に左右されることを、我が人生をもって証明する。

なのに、運命と偶然でしかない人類を、意志と必然で説明しようとする詐欺師は、不条理なローカルルール(法律)をもてあそび、人心の嫉妬を喚起して、政治をゆがめる。その詐欺師の別名をマスコミともいう。

新政権を潰してなにが面白いのか、さっぱり解せない。おそらく解せないのは己の脳梗塞のせいだとは思うけれども、、、。