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3 名も無き虎 (09/07/12(日)12:53
ID:tgw4S8QNA)
ライタイハン
※ライタイハンのライは日本風に言えば侮蔑の意味を込めた
「あいのこ」「雑種」「混血」以上の意味を持つ
タイハンは「大韓」という意味
ベトナムでは韓国人兵による買春で混血児はベトナムに放置
およそ1万〜数万人の韓国ベトナム混血児とその子孫がいる
(韓国政府は戦中の日本軍と同じ方法で従軍慰安婦(戦地売春婦)
を集め軍人の相手をさせていました)
また近年では売春婦とされていた中にも
相当数の一般ベトナム女性がいる可能性が指摘される
彼女らは韓国軍の韓国兵に強姦され辱められた事を恥て、
また社会的に嘲笑され差別の対象となるため
ベトナム政府にも韓国政府にも訴え出る事はまれである
彼らやその母親が帰国した韓国兵の助けも無く好奇の目に晒され
経済的にだけでなくいかに苦しい生涯を歩んだか、また歩み続けるか想像に難くない
韓国兵により「性奴隷」「従軍慰安婦」にされ「強姦」された人々の声なき声に
いつどれほどの謝罪の言葉が韓国大統領よりかけられ、
韓国政府や国民の謝罪と贖罪、保障行意等が国際社会の観衆の元なされるのか、
彼らの良心がこれまでも現在も、これからも永遠に問われ続けるであろう
ちなみに
日本のすべて戦争責任の問題(いわゆる強制連行、従軍慰安婦問題等を含めた)
は韓国との日韓基本条約(韓国が日本に代わって北朝鮮にそれらの対応をする事を含めた)
で謝罪と賠償についてはすでに解決済みであるが、
韓国自身のこれらのベトナム戦争中の略奪、暴行、虐殺、強姦、
従軍慰安婦その他の大罪については1998年当時の金大中(韓国の元反体制運動の左派政治家で
当時の第15代韓国大統領)がベトナムを訪れた際に韓国参戦について「遺憾だ」と言及したが
韓国政府は軍部、国内政党、政治家、一部国民の反発やその恐れそして国際的面子や
日本に対する外交政策や主張との矛盾からその「遺憾」という“謝罪”を撤回している、公式謝罪の撤回である。
4 名も無き虎 (09/07/12(日)12:54
ID:tgw4S8QNA)
またその折に援助として500万ドルを払約束をしているがこれは賠償金でない。
(また退役軍人や保守派政治家や市民からの圧力で保障は延期され
大統領や政治の中枢の入れ替え等もありとても十分と言える補償と謝罪がなされているとはいえない)
(韓国は終戦までに3個師団およそ30万人を派兵アメリカから10億ドルの戦費を受け取っている。
なお韓国兵によるベトナム人に対する虐殺被害者は公式統計だけでおよそ4万1450人である)
韓国兵はベトナム女性たちを強姦した後、大量虐殺した
ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号
http://www.qurl.com/hy5f4また韓国部隊、韓国兵によるベトナム一般人に対する暴行、強姦
略奪、リンチ等々、そして大虐殺について韓国や国際的にもつい最近になるまで
一切報道される事も明らかにされる事もなかった
韓国軍、韓国兵による蛮行のほんの一例
香西村民間人虐殺
ベトナムでの韓国軍、韓国兵の行為についてはアメリカがもっともよく研究されて
政府や報道機関には資料があるので、詳しく知りたい人はアメリカのそれらの機関をネットで検索される事をおすすめする
また韓国軍の行った従軍慰安婦制度については韓国国防省及びアメリカ国防省に公文書として残されています
そちらのほうも調べられてはいかがでしょうか
韓国人や在日韓国人の他人から何かされたら、
また気に食わないことがある相手だと口から泡を噴いて暴れ暴言を吐き、
虚実交えて責め立て時に暴力、時に恫喝し本国や日本国内や世界中である事無い事吹聴する事
謝罪と賠償をいくらしようが決して許さず、自分の悪事は謝罪も賠償もせず言い逃れ、
嘘や責任のなすりつけ証拠隠滅、証拠の捏造、偽証等々する事はさておいて
一番の謎はこれらの問題について日本において日頃綺麗な事を口にしている
教職員団体や数多くの人権団体、平和団体、反戦団体、また労働団体等がいるが
彼らがスルーし沈黙しなんの行動もしないこと、
韓国政府や在日本大韓民国民団や各在日団体に対し事実をあきらかにするよう追求もしないし
日本や国際社会へ知らせるような事もしない事である
5 名も無き虎 (09/08/08(土)02:36
ID:nrXFZ6oIU)
憲兵とは、軍事警察権および、普通警察権を行使できる軍人のことである。
軍事警察とは、第一に軍事司法警察であり、これは軍事に関係した犯罪を対象とするもので、軍法会議法等の法令に従う。
軍事警察の第二には、思想調査などの特高的任務を指す。
普通警察権は本来、内務省の管轄(つまり普通の警察)に属するものであるが、しかし、東条英機の例にあるように、独自に行動介入することもできた。
土屋は「満州」において「特高の神様」と評されることもあったわけだが、これは憲兵隊には「特高課」があり、主に左翼的な運動を対象にして、その弾圧に働いていた。もちろん府県警察にある特高とは別であるが、区別がつきにくい。
6 名も無き虎 (09/12/09(水)10:25
ID:GgDUxFgeA)
その劉所員を先頭に、散髪屋に向かっていた。
その時、ふと私は、〈俺は一度だって、中国人を散髪させたことも、風呂に入れさせたこともなかったなあ〉と思った。
つづけて、張恵民と妻をだまくらかして、張を処刑したことも、八十歳の老母を鉄道自殺に追いやったことも頭に浮んできた。
罪行が〈グワン〉と、頭におしよせてきた。頭をコンクリートにぶちつけ、たたき割ってしまいたくなってしまった。
そして、ふらふらと、劉所員の前に私は立った。私は、くずれ落ち、平手をついて、土下座をした。
「おい、五十二号、どうしたんだ」
劉所員のその声は優しかった。
「私は、極悪人だ!中国人民にひどいことをしてしまいました。ひどいことをしてしまいました」
土屋さんが失った人間性を取り戻すことができたのは、一言でいって、徹底して日本人戦犯を人間として処遇した中国の方針にあったといってよい。
なお、こうした日本兵たちの「認罪」を「洗脳」に基づくものとして、その供述は信じることができないとする人々がいるが、そう単純なことではない。
いろいろとあるが、事実認定は自白のみのものは取り上げられず、その他の証拠で固められたものだけが犯罪事実として認定されている。
7 名も無き虎 (10/01/19(火)01:25
ID:B7fPF78WE)
また基地外アサヒかよ。
ハイハイ、捏造捏造。
8 名も無き虎 (10/01/30(土)23:58
ID:VXfuzjeZc)
>>6なんというプロパガンダ
9 名も無き虎 (10/02/02(火)00:16
ID:QpAqtCPzI)
まだ、北朝鮮との交渉は終わってない。ことを、指摘しとく。
10 名も無き虎 (10/02/02(火)03:43
ID:6kljLjQ4I)
北には、当時日本が整備した工業地帯に対する金を支払ってもらいたいくらいじゃないかなw
11 名も無き虎 (10/02/03(水)11:50
ID:MLsD50KO2)
昭和七年(1932年)一月のある日だった。入営してニカ月にもならない。兵舎から二百メートルほど離れた射撃場からさらに百メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の六十人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。
「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、六人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。・・・
・・・中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。
首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、三、四メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。
上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。・・・(p,56‐57)
12 名も無き虎 (10/02/03(水)11:52
ID:MLsD50KO2)
戦前の憲兵や特高による拷問の凄惨さは小林多喜二虐殺などで知られているところだが、それは「満州」や朝鮮でも変わらなかった。
拷問の光景を見てみよう。
土地の者ではないということが、怪しいとみた理由だが、功名心にはやる土屋にとっては、それで十分だった。抗日分子なら大手柄だ。「オレが張った綱にかかった」のである。名前を張文達といった。三十三歳の近くの農村の農民で、「この街に買い物に来ただけ」と、おびえた目で話した。「いやいや、これは怪しい。この男は抗日軍の物資調達係だろう。貫禄から見て班長級だな」ど、士屋は決め込んだ。「何としても本拠地を吐かせ一網打尽にしたい」「これは大変な功績になるぞ」。思いだけは駆け巡るのだが、土屋は実際の取り調べをしたことがなかった。それて先輩格の伍長に取り調べを頼んだ。・・・
まず、伍長が命じたのは、「こん棒を持ってこい。それも生木の丈夫なのだ」。これで殴りつけろ、という。土屋の頭に浮かんだのは、「何も生木のこん棒でなくても。相手は人間なのだから、せめて竹刀ででもいいではないか」という思いだった。だが、伍長の、それも実務を教えてくれようとする上官の命令だ。士屋ど同僚の上等兵とで、こん棒を振り回した。男は殴りつけるたびに、「ウッ」「ウッ」と声を立てたが、何も言わなかった。着ている綿衣からほこりだけはあがった。
効果がないのが分かると、伍長は、机を二列にして、積み重ねさせ、上に棒を渡した。いわば器械体操をする鉄棒のような形だ。この棒に、両手足を麻縄で縛った男を後ろ手にしてつるした。体の重みを不自然な形の両腕で支えるのだから、苦しい。それも一時間、二時間の単位だ。はじめ真っ赤になった男の顔は、青ざめていき。脂汗をにじませてきた。だが、何もいわない。「こんちくしょう」と、伍長は十キロもある石を軍馬手に持ってこさせ、浮いていた男の足に縛りつけた。両肩の関節がゴクッとなった。「ウーン」とうなり、男は気絶した。舌打ちをした伍長は「今日はもういい、明日は必ず吐かせてやる」と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。・・・
13 名も無き虎 (10/02/03(水)13:37
ID:MLsD50KO2)
二日目もひどい拷問が続いた。指南役の伍長は、どこからか焼きゴテを探して持ってきていた。これをストーブで焼け、という。「赤くなるまでだ」と、次の場面を予想して躊躇する土屋に付け加えた。男を留置場から引き出し、上着をはがし、背中をむき出しにした。赤く焼けたコテを男に見せて脅し、自白を強要するのか、と士屋は思った。ところが違った。伍長はいきなり背中に押しつけた。ジューッという音と、煙、それに激痛に思わず口をついた男の叫び声があがった。と同時に、何ともいいようのないにおいが部屋にも充満した。
「お前の本拠はどこだ。仲間は?言え!言わないか!」。伍長は、怒鳴りながら何回となく男の背中を焼いた。「苦しい」を繰り返し、男はついに、「話す。話すからやめてくれ」といった。伍長は手を休めたが、相手は、肩で大きく息をするだけで、結局、何もいわない。伍長が再び赤く焼かせたコテを使った。部屋には鼻をつく臭気がこもり、断続的な男の低いうめき声が床をはった。・・・
拷問は、さらに続いた。逮捕して二日間というもの、男に何も食べ物を与えていなかった。水すらも飲ませなかったと思う。それが三日目は水責めだった。弱り果てた男を裸にし、長椅子にあおむけに縛りつけた。そして、水を入れた大きなやかんで口と鼻に水をジャージャーと注ぎ込んだ。絶え間ない水のため、息ができず男は口をパクパクさせて水をどんどん飲み込む。みるみる腹が膨らんでいった。すると、拷問指南役の伍長は、「腹に馬乗りになって水を吐かせろ。そして、また注ぎ込め」という。この繰り返しだった。何回やっても同じだ。相手は気絶している。自白を得るという効果はなかった。・・
14 名も無き虎 (10/02/03(水)14:55
ID:MLsD50KO2)
三日目は水責めで終わり、四日目は、いわゆるソロバン責めだった。「丸太を三本持って来い」と、伍長がいい、軍馬手に三角柱になるように削らせた。三本並ペ、その中でも鋭角の部分を上にし、男を座らせた。足はズボンを脱がせ素肌である。いわゆる弁慶の泣きどころに角が当たり、体重がかかる。男はこれまでの苦痛とは別の痛みで、悲鳴をあげた。その上だ。伍長は、男の上に乗っかれ、という。しかも土屋と同僚二人一緒にだ。そして、体を揺すれ、といった。ゴキッと音がし、男はうなるような声を立てた。もはや、脂汗も出ないほど弱っていた。男のすねの状態を、どう表現したらいいか。「生ぬるい。足に板をはさみ、両端に重石をのせろ」。すでに別の世界にいたのか、伍長は、さらに命令した。・・・
足を痛めつけた翌日、伍長は、何を思ったか、太い針を買って来いと命じた。通訳が布団針を四、五本求めてきた。この針を男の手の指に刺せという。指といっても爪と肉の間にだ。映画でみたか、話に聞いたか、そんな拷問があるとは知っていたが、自分がやることになるとは思いもしなかった。ためらっていると、ほおのこけた伍長が病的な目でにらんだ。やらなければならない。男はこれから何をされるのかを察し、腕を縮めた。この腕を同僚に押さえつけてもらい、土屋は、右手中指の爪の間に針を刺した。だが、実際はろくに刺さらなかった。相手はあれだけ痛めつけられていたのに満身の力で手を引こうとした。それに、土屋はおっかなびっくりだった。それで、腕を押さえるのに伍長も加わった。だが刺さらない。男も自白らしいことは、むろん何も言わない。そのうち血やら汗やらで針がすべり出した。それでも刺そうとすると、針を持つ土屋の指のほうが痛くなってきた。
男はすでに死を覚悟していたらしく、悲鳴もあげなくなった。ただ、ものすごい形相で土屋たちをにらんでいた。足がすくむような思いに襲われながらも、伍長の命令で続けた拷問だったが、ついに伍長もあきらめた。「張文達三十三歳、近くの農村から買い物に来ただけ」ということ以外、何の自白も得られなかった。班長格の軍曹は、すでに男を抗日分子としてハルビン憲兵隊に報告していた。だが、拷問の限りを尽くしても、本拠地の所在など肝心なことは何一つ聞き出せなかった。かといって、拷問によって半死半生になっている男を、このまま釈放するわけにはいかなかった。男の処分はどうするのか、土屋にはわからなかった。
こういう時の処分で悩むのは、土屋のような新米憲兵ぐらいである。土屋が初年兵時に公主嶺で経験したように、仕掛けがあった。針の拷問から二日後だった。平陽鎮にいた満州国軍歩兵十五師団の日系軍官である中尉が訪ねてきて、男を連れて行った。「日本刀の試し斬りに」だった。男が墓地で首を落とされるのを土屋も見た。(p.81-86)
15 短小のヒロシ (10/03/19(金)19:43
ID:OcOAs3c0Y)
かつて諸外国に侵略と植民地支配を行い、甚大な被害を与えた日本は、
反省と謝罪の気持ちを
いつまでも忘れるべきではないですね(笑)
16 名も無き虎 (10/03/29(月)20:57
ID:3ZiwE0mOI)
本当の事だから仕方が無い
17 名も無き虎 (10/03/30(火)00:24
ID:nI2kRmRp.)
帚木ほうせい(変換できない)の「逃亡」読んでみ
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