哨戒艦沈没:海軍のお粗末な初動措置

海洋警察・漁船が58人を救助、海軍は0人

 今月26日、合同参謀本部は事故から11分後の午後9時41分、ペンニョン島にいた高速艇4隻に出動を指示した。海軍が事故現場に着いたのは午後9時58分ごろで、最も早かった。海洋警察庁所属の海洋警察は、これより17分遅い午後10時15分に現れた。しかし乗組員の救助が始まったのは、海洋警備艇501号に乗ってきた海洋警察が10時43分にボート2隻で20人を助け出してからだった。海軍は海洋警察より早く到着していながら、大した救助活動はできなかったわけだ。

 漁業指導船227号も、午後10時35分ごろ到着し、乗組員らを救助した。現場にまず到着した海軍の高速艇は、天安の周辺をサーチライトで照らすだけだった。しかし、海洋警察が56人、民間漁船が二人を救助する間、海軍はただの一人も乗組員を救助できなかった。海軍側は「当時、波は3メートルと非常に高く、衝突の危険もあり、高速艇が天安に接舷することはできなかった」と釈明した。

事故の状況を一日でひっくり返す

 事故の状況に対する説明も、わずか一日で変わった。事故直後、軍は天安の底で原因不明の爆発が起きると共に、艦底に穴があき、一瞬で船が沈んだと発表した。しかし、天安の艦長チェ・ウォンイル中領(中佐に相当)は、翌27日に行方不明者の家族と面会した際、「衝撃のせいで艦長室の机の下に突っ込んだが、5分程度で救助され、船の上に出たところ、船が半壊していて、艦尾が見えなかった」と語った。船体の底に穴があいて船が沈没した、という軍当局の最初の発表とは内容が異なっている。

事故発生時刻もふらふら

 合同参謀本部は、事故発生直後の26日午後9時45分ごろ、事故が発生したと発表した。しかし、27日に行われた国会国防委員会で、国防部は事故発生時刻を9時30分に訂正した。一部からは、初動対処にぬかりがあったという批判をぬぐい去るため、軍が事故発生時刻を遅めに発表した、という主張も出された。しかし金泰栄(キム・テヨン)国防長官は29日、国会国防委で、天安沈没事件に関する軍当局の初動対処にぬかりがあったという指摘に対し、「初動作戦は完全に近い形で遂行されたと考えている」と語った。

天安沈没事故に伴う行方不明者の家族の一人が29日午後、京畿道平沢の第2艦隊司令部で、民間の潜水士による現場捜索結果のブリーフィングを聞いて嗚咽している。/写真=イ・ジュンホン客員記者

キム・サンミン記者

金時現(キム・ジヒョン)記者

【ニュース特集】哨戒艦「天安」沈没

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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