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2001年にスタートしたMADFOOT!は、当初から従来のシューズメーカーと一線を画していた。その既成概念に捉われない完成は、毎シーズンのカタログとして具現化され、シューズ業界に数々の衝撃を与えてきた。そのアプローチはブランド名であるMAD(狂った)に相応しいものだった。 しかし、その源泉は「普遍性」。「世界中のどこであろうと、通用するプロダクトであること」と言い続けている今井タカシの一貫したフィロソフィーに起因する。その情熱と行動力が、エチオペアやキューバに彼を向かわせた。だがそれは今井タカシ本人がMADFOOT!らしさを再確認している作業にほかならない。また「破壊して再構築する」という、元ラッパーとしてのヒップホップイズムが今井タカシのアイデンティティなのだ。何か新しいことをするには、何かを壊さなければならない。その繰り返しの歴史がMADFOOT!のすべてである。
10 歳の時、プーマのイージーライダーに出会い、初めて自分で購入。スニーカーに目覚める。16 歳でRUN DMC に衝撃を受ける。アディダスのジャージにスーパースター、カンゴールハット。これが三種の神器になる。それから ビースティ・ボーイズをはじめ、ヒップホップカルチャーにのめり込む。1988年、JR 柏駅前でラジカセを片手にラップを始め、地元の仲間とヒップホップグループ「ガスボーイズ」結成。1989 年、上野・アメ横「カネオカ」(スニーカーショップ)で働きはじめ、1991年、買い付けで初めて渡米する。同年、「ガスボーイズ」ファーストアルバムをリリースしインディーズデビュー。その後2 枚のアルバムを経て、1993 年、コロンビアレコードからメジャーデビュー。2 枚のアルバムをリリースしながら、ビースティ・ボーイズ、アイスキューブ、ハウス・オブ・ペイン、サイプレスヒルらとも共演し、「Fineナイト」(当時30万部以上をセールスしていた雑誌「Fine」のクラブイベント)の常連としてアンダーグランドながらも全国的に熱烈なファンを獲得、日本のヒップホップシーンの礎を築く。音楽活動中もスニーカーショップバイヤーとして毎年渡米しナイキ ターミネーター、エスケイプシリーズなど数々ヴィンテージスニーカーを堀り続ける。1995年ポニーキャニオンに移籍後、3 枚のアルバムをリリースするも1996年、活動を休止する。1999年、独立し自分の会社(輸入販売)を立ち上げる。2 週間に一度の渡米でスニーカーを買い付け、「チャプター」「ヘクティク」などに卸しはじめる。原宿で再会した友人達に刺激を受け原宿進出を考える。2000年、atmos 入社後、ナイキ、リーボック、FILA などの別注を手掛けるも、幾多の企画にもあきたらず、2001年11 月、オリジナルブランドとしてのMADFOOT! をスタートさせ、2002 年4 月、MADFOOT! と共に独立し「有限会社フロウ設立」。本格的にMADFOOT! を始動させる。当時、TAS、VISVIM、BAPE など、ドメスティックブランドも次々と立ち上がり雑誌メディアから脚光を浴びる。ストリートのリアルなバイブレーションから生み出されるプロダクトは熱烈な支持者を集め、裏原宿アンダーグランドのインディペンデントブランドとしての地位を確立。2007年、大手商社、大型チェーン店の生産と流通の巨大なバックアップを受け再スタートさせ、デザイン・企画に専念し、一機にオーバーグランドに躍り出る。2009 年現在、20万足を超えるメジャーブランドの仲間入りを果たす。
Q. 出身国_ 日本国 千葉県/ Q. 生年月日_1970.1.21 / Q. 趣味_ 靴をつくること/ Q. 好きな色_ 黒/ Q. 嫌いな色_ 特になし/ Q.マイベストシューズ:アディダス キャンパス/ Q.MADFOOT! のマイベストシューズ_ これから…。/ Q.マイベストアルバム_ パブリック・エネミーのセカンドアルバム(It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back)/ Q. 人生で一番嬉しかったこと_21 歳の時、はじめてアメリカに行ったこと(LA、サンディエゴ)/ Q. 人生で一番悲しかったこと_ 友人の失踪/ Q. 人生の転機(出来事)_ フロウ(MADFOOT! の事務所)を立ち上げたこと/ Q. デザインするときに欠かせないもの_ 集中力/ Q. デザインができないとき_ 集中力がない時/ Q. 日本の好きな所、嫌いな所_ 日本の風景、農村とか大好き。嫌いなのは物価が高いこと。/ Q. 東京で一番好きな街_原宿/ Q. 今、世界で行ってみたい街:ネパール/ Q.5 年後の自分_ 現在の東京拠点から、シンガポールとかバルセロナに移っていると思う/ Q.10 年後の自分_ 世界の街を転々としている。もう日本に定住していられる時代ではないと思う。/ Q.30 年後の自分_ 日本に戻って、東北の農村で田園風景を眺めている。