静岡市葵区の中心街から約20キロ離れた山あいの清沢地区で唯一の診療所「秋山医院」(葵区相俣)が31日で閉じる。「2年だけ」と決めて開業したはずが、ここで診療を60年続けてきた医師、秋山邦夫さん(88)が引退するからだ。高齢化と過疎化が進む同地区は医師不在になる。最後の診療を前に、秋山さんは「清沢地区が無医地区になることだけが心残り」と話した。
「長い間ご愛顧頂き、ありがとうございました」。医院の待合室には秋山さんが手書きした張り紙が掲げられている。
医院は25日、秋山さんに感謝の気持ちを伝えようとやってくる人で引きも切らなかった。「ぜんそくで20年以上診てもらった。市の中心部の病院に出るのが一苦労だったけど、秋山先生が『私に任せて』と言ってくれた」。近くに住む女性(70)はそう話した。
秋山さんが、ここで診療を始めたのは1949年12月。当時、ここは清沢村。県内の大病院の勤務医だったが、声を掛けられ、診療所兼住宅を提供された。「2年だけ」のつもりだった。
自家用車はなく、道も整備されていなかった。山道を片道2時間歩いて往診したことも、雨の日に転んで泥だらけになったこともあった。でも茶栽培が盛んだった当時は約3500人が暮らし、診察に追われた。やがて結婚し、ここで暮らすことを決めた。
最初の診療所が老朽化し66年、今の医院を建てた。地域の人口は減り、1日に70人いた患者数も今は約10人ほどになった。往診に車を使うようになったが、その運転も年を追うごとに夜の道は難しくなった。
「往診するのに、患者の家族に迎えに来てもらうようになった。耳も遠くなってきた」
引退を決め、市に後任探しと公設の診療所づくりを求めたが、結局かなわなかった。患者の多くは4月から、約3キロ離れた病院に通うことになる。
カルテは地区ごとに分けて棚の引き出しにしまってある。患者の顔を見れば迷わず、すぐに取り出せるという。
「60年もいれば分かりますよ。やっぱり寂しいです」
引退後はここを離れ、息子が開いている静岡市街にある病院を手伝うことになりそうだという。【望月和美】
毎日新聞 2010年3月31日 地方版