2010年3月31日
「死せる乙女その手には水月」のコーラスから
前回、前々回と触れた「聖戦のイベリア」が、一神教の世界観を描いた作品であるのに対して、今回取り上げるアルバムの「Μοιρα(ミラ=ギリシャ語で運命)」は、古代ギリシャを題材とした多神教の世界観を描いた作品となっています。
日本の神道も多神教なので、日本人には馴染(なじ)みやすい世界観かも知れませんね。原始宗教というものは、往々にして自然への畏怖(いふ)と神格化から始まっています。そういう意味では、畏(おそ)れを忘れた現代の我々は、神々を殺してしまったとも言えますよね。タバコのポイ捨てなんて、古代なら神の雷(いかずち)が降ったかも知れないのに……。
なんて余談はこの辺で切り上げまして、【ハーモニー】の物語演出について綴(つづ)ってみたいと思います。「Μοιρα」より「死せる乙女その手には水月」という曲の中盤、六柱の詩女神のコーラスがあるのですが、悲劇的な別れを経た兄妹が、ようやく再会するという場面の導入部となっています。
6人もいれば、かなり複雑な和声が可能となります。状況に応じ、求められる響きに合うよう声部を割り振ったり、時には敢(あ)えて重複させて強調したりもします。彼女たちは人ではありません。この作中においては、時に登場人物の心情を代弁し、時に情景を喚起させるために唄(うた)う、正に詩女神なのです。
そして、この場面での彼女たちの役割は、玲瓏(れいろう)な月光です。急ぐ青年と、待つ乙女を無慈悲な調べで照らします。森の静寂や、流れる水の冷たさはSE(効果音)に任せ、無理には声で表現しませんでした。それも物語演出。ベートーヴェンだって今の時代に生まれていたら、SEを駆使すると思いませんか?
さて、3回にわたりお送りした今回のコラム。文字数の都合により、音楽の3要素に焦点を当てて綴りましたが、この他にも、言葉の遣い方、楽器の遣い方でも物語の演出は可能です。困難の多い手法ですが、だからこそ面白く、今後、ますます追究していきたいと思っております。それでは皆様、願わくば、またいつの日か、何処(どこ)かで!
◆「音楽人♪File」は今回で終わります。