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書店・取次の顔を立てて業界のモラール・ハザードを生んだ週刊ダイヤの自主規制

週刊ダイヤモンドが「電子書籍と出版業界」(仮題)という特集を経営からの圧力で中止した。すでに池田信夫氏のブログをはじめTwitter上の注目を集めているが、これは日本の出版界の今後を予測する上で重要な要素を含んでいるので、元社員としてまた株主として感じたことをメモにしておく。



●鹿谷社長は“フタをする”のが上手な元銀行広報マン

3月24日に日本電子書籍出版社協会(電書協)が発足した。ダイヤモンド社からは社長の鹿谷史明君が出席した。池田信夫氏のブログによると、週刊ダイヤの電子出版特集が中止と池田氏の元に担当者から連絡があったのは26日。時間的経緯を見ると、24日の会合で鹿谷君はきっと業界の空気を感じて中止に向かってアクションを起こしたのだろう。何があったのか詳細は分からないが、鹿谷君がはっきりとした社内議論なしに、個人的に感じた業界の空気で自主規制に動いたことはかなり大きな問題だ。

ダイヤモンドの鹿谷社長は出版のプロパーではない。入社以前は銀行の広報マンだった。広報マンは問題が発生したとき、問題が拡大しないように関係者の間を動くのが本質的な仕事。問題の本質を見抜き、問題を解決する仕事ではない。問題にフタをする仕事だ。マスコミとは、情報の貸し借りのなかでいざ問題が発生した時にできるだけ穏便にすませる関係を構築することを目的に付き合っていた人物だ。ダイヤモンド社との接点はまさにその一点にあった。

優秀な銀行広報マンから出版社に転職した鹿谷君は長らく書店・取次を対象とする出版営業畑を歩んできた。人当たりもよく、ゴルフもシングルの腕前。書店・取次との関係を上手に取りまとめてきた。その点では瑕疵のない人物だ。
鹿谷君はそんなキャリアの人物だから、きっと電書協設立のパーティの立ち話か何かで業界的問題や心配を誰かに囁かれて過剰に反応したのだろう。池田信夫氏のブログには以下のようにある。

24日の設立総会では31社の経営者がひな壇に並んで、野間代表理事(講談社副社長)を選出するセレモニーが行われた。取材した別の記者は「外資に対抗してみんなで仲よくやろうという話をしただけで、あの調子では何年たっても何も決まらないだろう」といっていた。

担当者は「電書協では何も決まらないし、講談社の圧力なんかない」と編集長にも説明したが、編集レベルではくつがえせない経営判断だとのことだった(社長 が関与したかどうかは不明)。この特集については取次も取材に応じており、外部の圧力ということは考えにくい。経営サイドの「自主規制」の疑いが強い。

●出版社のステークホルダーは書店・取次だけではない

すでに触れたように時間的経緯から判断すると鹿谷君は独自に経営判断をしたとしか思えない。まさか、かつて福島原発の容器問題を告発したT君(現営業担当役員)や、西武の軽井沢ゴルフ場問題などスクープを連発したK君(前週刊ダイヤモンド編集長で現雑誌局長)が抵抗せずにその判断を受け入れたとは想像しにくい。かつてのかれらは陰に陽にあった圧力に屈することはなかったからだ。

鹿谷君が出版社の経営者として大きな間違いを起こしたと思うのは、社内的に十分な議論を持たずに自主規制を決めた点だ。しかも、その判断は、取次・書店の顔色だけを見て一番大切な読者の視点を考慮していない。また出版社の最大の資源である企画を創造し具体化する編集者の意欲を打ち砕いたことだ。さらに、彼らが構築している外的人脈や情報源を傷つけたことだ。

出版社のステークホルダー(利害関係者)は、大きく読者、書店・取次、広告主、社員、株主とある。書店・取次は一部であり、すべてではない。鹿谷君は出版社経営者としてバランスを考える必要があったにもかかわらず、そこを間違えたとしか言いようがない。

●読者の関心こそが出版ビジネスの要

確かに書店・取次は流通を支える重要なパートナーだ。しかし、今、時代の流れは電子流通。再版制度に守られた日本の旧泰然とした流通システムは崩壊寸前にある。読者にとって一番の関心事はそこにある。それを編集部は敏感に察知したからこそ、自らのよって立つ業界の変革とそれにともなう苦悩を特集に組んだのだろう。

編集経験や記者経験のない鹿谷君は、読者の関心こそが出版ビジネスの要であることを知らないのだろう。でなければ、既存の流通の顔色を見ることだけに走ったとしか思えない今回の自主規制は説明がつかない。池田氏のブログには特集担当者の話として以下のような記述がある。

この種の問題を取り扱うことにはリスクがともなうので、編集部でも事前に協議は行われ、再販問題などの取り扱いは慎重にする方針だった。途中の段階では、出版流通の部分を落として電子書籍の30ページだけやれという話もあったようだが、これは現場が「それではかえって問題の隠蔽になる」と反対し、全面的に没になったという。

自らの業界の話題を客観的に報道するには痛みがともなう。そのことを覚悟するという社内議論を重ねた上で決めた特集だったということだ。

それを経営が止めるというのはかなり異常なことだ。ましてや、ダイヤモンド社は講談社のように野間一族に支配されるオーナー会社ではない。特定の株主に配慮する必要もない。また、今回は広告的な配慮が必要なテーマでもない。それなのになぜ書店・流通関係に配慮して自主規制したのか。それはひとえに鹿谷君の広報マン体質、問題にフタをする性格による。

●モラルハザードは読者の期待を裏切ることからはじまる

ダイヤモンド社の編集者・記者には問題の構図をかかわり合うステークホルダー(利害関係者)の視点から立体的に分析しようというバランス感覚が伝統的にある。そしてそれを読者との信頼関係を構築する基盤にして部数を伸ばしてきた。

新聞・TVの崩壊やTwitterをいち早く取り上げ、それなりに部数を伸ばした以上、自らのよって立つ基盤である出版界の話題を無視するわけにはいかない。「電子書籍と出版業界」という特集を組んだ以上、再販制度や委託販売の問題に触れなければ特集を組む意味がないという議論は、まっとうなものだ。編集部は中途半端に電子書籍だけの話しに終わらせたくなかったのだろう。そうした伝統が池田氏に企画中止の事情を説明した担当者の話しからうかがい知れる。

そうした良き伝統こそが読者を満足させ、新たな読者を獲得してきた。今回の特集中止という自主規制は、そうした読者との信頼関係を破壊することなのだ。また、記者・編集者の意欲を削ぐだけでなく、業界のモラルハザードを引き起こすことになるのだ。

鹿谷社長の編集部への圧力は、私が知る限り今回が2度目である。銀行の広報マンとして苦労した経験があることを理由に、在日朝鮮人問題の特集を潰されたという後輩編集者のぼやきを聞いたことがある。まさに、“問題になる前にフタ”路線だ。鹿谷君以前の社長で編集部の企画を直接潰したという話しは聞いたことがない。

しかし、それにしても今回のような重要な問題が発生したとき、T君やK君はどうしていたのだろう。また、週刊ダイヤモンドの編集部員や、かつては元気だった組合員はどうしてしまったのだろう。

経営者が圧力をかけて企画をつぶした時、その社会的反応はすでにTwitterに見る通りだ。つぶやきは、読みたかったのに、知りたかったのにという読者のがっかり感にあふれている。週刊ダイヤモンドの編集部員や他部門の社員も、こうした声を知るにつけ挫折感を味わうことになるだろう。なかにはこれをきっかけに転職を考える社員も出てくるだろう。なによりも、怖いのは社会の問題と正面から向き合う社員の意欲を失うことだ。アパシーが生まれることだ。そのことを鹿谷君はどう考えたのだろう。

●Twitterで特集復活運動を展開してみたら

後輩の社員に聞いたところによると今、編集部は沈み返っているという。鹿谷君の自主規制を受け入れてしまった編集長は編集部内で孤立状態だそうだ。

それはそうだろう。せっかく胸を張って世の中に出版界の真実を報道しようとしたやさきに釘を刺したのだから。まだ編集長になって間もないT君には気の毒なことだが、これでは部員の意欲を削いでもしかたない。鹿谷君はほんとうに馬鹿な判断をしたもんだ。

しかし、社長の暴走を止められなくなっている経営陣のガバナンス能力も相当問題だ。今日は土曜日、おそらく来週の月曜日からダイヤモンド社内ではあちこちで、ひそひそ話が展開されることになるのだろう。鹿谷君は今回の責任を取って当然社長を引退すべきだが、願わくは、鹿谷氏の責任を追及したり、経営幹部のガバナンス能力を追求する前に、もっと実質的に特集復活を実現して欲しいものだ。その方が、よっぽど読者の期待にそうことになると思う。

いっそうのことTwitterで特集復活運動でもして鹿谷君に現実を教えてあげたら? その方が会社にとっても、読者にとっても幸せなことだ。

【参考記事】

電 子出版で“黒船襲来”と大騒ぎしているのは大手出版社だけ

電子書籍の流通が本格化すると街の本屋さんがつぶれる

【追記】2010年3月29日

モラル・ハザード(moral hazard)という言い回しについて、Twitter上でhatebu_commentさんより違和感を感じるという指摘がありました。

“どうも「モラルハザード」という言葉の使い方に違和感を感じる。今回傷つけられたのは編集部員の「モラル(moral)」ではなく「モラール(morale)」じゃないのか?”

念のために調べてみたところWikipediaには、以下のような記述がありました。

「モラル」の「ハザード」、つまり「倫理・道徳観 の欠如・崩壊・空洞化」という用法は当初誤用として一部の識者が指摘していたが(「給食費を払わない親が増えたのは近年のモラルハザードによるものだ」等)、 2003年11月13日、国立国語研究所による『第二回「外来語」言い換え提案』によって、モラルハザードは「倫理崩壊」「倫理欠如」「倫理の欠如」とする 見解が示された。

ただし、本来「モラル・ハザード」という語は保険におけるリスク関連、および経済学の国際的な専門用語であり、この言葉が日本語圏においてのみ「倫理の欠如」という本来とは異な る概念で定着することはビジネスや国際コミュニケーションにおいて意思疎通の障害になり、利益を損なうという意見がある。

さらに調べてみると、英語圏の保険の世界ではモーラル・ハザード(moral hazard)とモラール・ハザード(morale hazard)を使い分けていました。前者は保険をかけておいて故意に火をつけるような行為を指し、後者は、保険をかけたために、注意義務を怠り、結果として火事のリスクがたかまるようなようなことを意味します。

英語的な定義に従えば、今回の私が意図したのは、後者の方です。

つまり、ダイヤモンド社の経営が書店・取次からの反発を回避する保険として特集企画の中止を命じた結果、逆に出版業界が抱える問題の解決を先送りし、読者離れはもちろん出版業界全体の凋落につながるリスクを拡大したという意味です。

しかし、一部の記述で、編集部員の倫理観の崩壊につながるという意味でも「モラルハザード」を使用していました。

というわけで、正確にはモラール・ハザードと表記すべきでした。したがってタイトルを「書店・取次の顔を立ててモラルハザードを生んだ週刊ダイヤの自主規制」から「書店・取次の顔を立てて業界のモラール・ハザードを生んだ週刊ダイヤの自主規制」と修正します。また、一部の記述を修正します。

hatebu_commentさん、ご指摘ありがとうございました。

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5 Responses for “書店・取次の顔を立てて業界のモラール・ハザードを生んだ週刊ダイヤの自主規制”

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